酒虫、とは昔よく言ったものだ。鬼の間では〈酒を美味しくする薬〉みたいなもので慕われている。今昔古今東西である。
鬼曰く、鬼の持つ瓢箪などに棲む実体不明な生き物。
実体不明と聞くと姿が透明だと思われがちだが、ちゃんと姿はある。というのも、あまりその姿を見たものはなく、たいていの鬼がその姿を実際に目にしてないだけで、鬼たちが勝手にそんな風に創りあげただけである。
酒虫は美酒の象徴であり、一時期その美酒の瓢箪が売買されたほどであった。もちろん実体がなく瓢箪の中身を覗くこともできないので、詐欺も流行って問題にもなった。だがしかし、中に酒虫が入ってるのかもわからないまま、鬼たちはすごい勢いで買っていくのだ。酒のためなら無茶だって殺しだってした。
随分前の話だが、瓢箪を割って酒虫の正体を暴こうとする愚かな鬼が現れた。もう疾うに死んだと聞いたが、生死は定かではない。ただ、お決まりのごとくかなりの酒好きだったと言う。
その鬼が持っていた瓢箪は鬼の界隈でも美味しいと評判だったらしく、他の鬼からいつも羨ましがられていた。
もちろんその瓢箪の中には酒虫が棲んでいた。
当時酒虫は貴重な存在とされ、必ずしも瓢箪の中にいるということはないと言われていた。
そしてその瓢箪のために暗殺を企てる者。瓢箪をどうにかして盗もうとする者。いろんな鬼がその鬼を取り囲んだ。
ちなみに鬼の瓢箪はとても不思議で興味深い。どういうわけか呑んでも呑んでも酒が尽きないと言うのだ。
無限に酒が湧く瓢箪である。
そして他の鬼から逃れた美酒の瓢箪を持った鬼は、とある鬼から詳しい〈酒虫〉の話を聞く。
実体がなく、瓢箪の底で酒を被る酒豪。鬼は興味を持った。
その鬼は家に帰って瓢箪を割った。大きな音とともに、破片と中身が四方八方に飛び散った。
中は空っぽ。そう、酒虫の謎は酒虫の体液を瓢箪内面に塗って美酒の効果を持っていただけなのだった。無限に酒が湧き出る理由もそれだった。
かくしてその鬼は美酒の瓢箪を失い、酒も呑めずに暮らした。
その後数百年、鬼の間で酒虫の話題は減った。
しかし実体がないので、もしかしたら誰かの鬼の瓢箪の中に酒虫がいたのかもしれない。
或いは全員の瓢箪の中に最初から入っていて、味の基準が〈酒虫の入った普通の酒〉だったのかもしれない。もちろん〈あの鬼だけ特別に酒虫が入っていた〉のかもしれない。味の味覚がおかしかったのかもしれない。
いずれにしろ、鬼たちは酒虫の正体を知らずして噂を立て、あたかも〈瓢箪の中に酒虫が棲んでいる〉と言い続けてきたのだった。
結局それが今も常識として話されている。
本当の話を、鬼は知らない。
そして現代でも酒虫の噂は存在する。
また、とある鬼が酒虫に興味を示した。
伊吹萃香は妖怪の山の木の上でひとり酒を呑んでいた。
朝から晩まで呑んでいるのにも拘らず、瓢箪は持ち前の尽きない酒を発揮していた。もちろん、それがちょっとでもすぐ下の木の根もとなんかに零れたりしたら大変だ。瓢箪の酒は言わば鬼専用である。並大抵の者ではまず呑むことはできない。どきつい酒なので、頭がおかしくなってしまう。自然すらもすぐに参ってしまうだろう。
萃香には酒虫の話をする相手がいないが、ふとそのことを思い出したのだった。
昔から言われている酒虫ーー瓢箪の中に棲む美酒の源だ。もっとも、酒虫自身は瓢箪の中にいるわけではない。鬼がそう思っているだけだーーの正体を暴かんと企んだ。
萃香は中を覗いた。真っ暗でなにも見えない。
少し揺らしてみるが、たぷんたぷんとみずの音がするだけ。左に右に揺れ、飛沫の音も聞こえた。
夏の風物詩のような心地良い合唱を期待していたのだが、虫らしき声も聞こえなければ、姿も見えない。
まるで中には酒しかないような風に萃香は感じた。
癪だった。
見つけられないのがただただ悔しいだけで、萃香は瓢箪の中に向かって叫んだ。
「おーい、酒虫ィー!」
返事はない。まだ中身が揺れている。
耳を澄ましても、コツンと叩いても、瓢箪を振っても、グビッと一気呑みしても……酒虫らしき影はまったくない。
なにもいないのではないのか? ふとそんな疑問が萃香の脳裏をよぎる。
いや、そんなはずはないと頭を振る。鬼の噂間では瓢箪の中には酒虫が棲んでいて、そのおかげで美酒であると、そう昔から聞いているからだ。
まだ他にも可能性があった。酒虫が棲んでない場合である。こればかりは萃香も悩んだ。でも実際にはこの瓢箪から出る酒は見事としか言いようがなかった。
宴会の時に巫女に一口呑ませたら、倒れてしまったほどである。
最高に旨いということは間違いない。
酒虫はいるだろうと萃香は確信していた。
ではやはり酒虫は萃香を無視しているのだ。聞こえているのに。いるはずなのに。そうに違いない。
癪だ。
「こんにゃろー!」
頭の上で二回三回と瓢箪を回し、勢いよく萃香の座る木の枝にぶつけた。
ばきっと気持ち良い音とともに萃香は地面に尻餅をつく。
癇癪はおさまらなかった。
ひどく興奮し、真っ赤な顔で酒を呑んだ。喉元がうねり、小気味良いリズムでグイグイと酒が流し込まれていく。
このときがやはり萃香にとって極上のひとときなのだった。
すっかり事も忘れて、しばらく地面に座った後、のっそりと立ち上がって千鳥足で帰るのだった。
翌日の晩。萃香は酔っていた。酔っているのは通常状態であるので、この場合は問題ではない。
ただ、いま風呂に入っているというのにも拘らず、酒を呑んでいるということが問題だった。
酒好きとは言えど、風呂で酒など言語道断である。
さすがに体を洗ったときには瓢箪をわきに置いたが、いま湯船に入ってるときは持ちっぱなしだ。
数十秒のサイクルで酒を呑む萃香。
足から首までゆったり浸かっていたときだった。
ようやくある異変に気付いた。
「体がピリピリするぞ……?」
お湯ではないようだった。電気風呂のように体が痺れ、どこか心地良い感覚。
萃香は試しに潜って様子を確認する。
金色の液体……酔っていてハッキリとわからなかったのだろうか。
試しにひとくち飲んでみる。
おかしいのはすぐにわかった。
おいしいのもすぐにわかった。
「酒だッ!」
間違いなく、萃香が浸かっている湯船には酒がたまっていた。よくみると泡もたっている。
しめたと萃香は思った。瓢箪ではないが、ここに酒虫がいるかもしれない。やるが試し。
もし見つけたらとっ捕まえて、見世物にするつもりだった。
「さあて、どこかなー?」
萃香は湯船の中で体を器用に回転させながら、酒虫を探し始めた。ときおり湯船の酒を呑みながら右に左に、小さな体を振り回す。
ブクブクと泡が立ち始める。
鬼も黙る立派な酒であった。
萃香はまたひとくち呑んでみる。
ふつうに旨い。酒虫がいるかもしれない。
すると突然、風呂の酒が波打ち始めた。左に右に、微妙だが確かに波を作り上げている。
体を回転させていたせいだろうと萃香は思った。
だが、波は萃香の回転の向きと逆だった。
不思議だった。まるで流れの不可抗力のようだった。
戸惑いを見せつつも、萃香は探索に専念する。
そのとき、天から何かが響いてきた。
「おーい、酒虫ィー!」
鬼曰く、鬼の持つ瓢箪などに棲む実体不明な生き物。
実体不明と聞くと姿が透明だと思われがちだが、ちゃんと姿はある。というのも、あまりその姿を見たものはなく、たいていの鬼がその姿を実際に目にしてないだけで、鬼たちが勝手にそんな風に創りあげただけである。
酒虫は美酒の象徴であり、一時期その美酒の瓢箪が売買されたほどであった。もちろん実体がなく瓢箪の中身を覗くこともできないので、詐欺も流行って問題にもなった。だがしかし、中に酒虫が入ってるのかもわからないまま、鬼たちはすごい勢いで買っていくのだ。酒のためなら無茶だって殺しだってした。
随分前の話だが、瓢箪を割って酒虫の正体を暴こうとする愚かな鬼が現れた。もう疾うに死んだと聞いたが、生死は定かではない。ただ、お決まりのごとくかなりの酒好きだったと言う。
その鬼が持っていた瓢箪は鬼の界隈でも美味しいと評判だったらしく、他の鬼からいつも羨ましがられていた。
もちろんその瓢箪の中には酒虫が棲んでいた。
当時酒虫は貴重な存在とされ、必ずしも瓢箪の中にいるということはないと言われていた。
そしてその瓢箪のために暗殺を企てる者。瓢箪をどうにかして盗もうとする者。いろんな鬼がその鬼を取り囲んだ。
ちなみに鬼の瓢箪はとても不思議で興味深い。どういうわけか呑んでも呑んでも酒が尽きないと言うのだ。
無限に酒が湧く瓢箪である。
そして他の鬼から逃れた美酒の瓢箪を持った鬼は、とある鬼から詳しい〈酒虫〉の話を聞く。
実体がなく、瓢箪の底で酒を被る酒豪。鬼は興味を持った。
その鬼は家に帰って瓢箪を割った。大きな音とともに、破片と中身が四方八方に飛び散った。
中は空っぽ。そう、酒虫の謎は酒虫の体液を瓢箪内面に塗って美酒の効果を持っていただけなのだった。無限に酒が湧き出る理由もそれだった。
かくしてその鬼は美酒の瓢箪を失い、酒も呑めずに暮らした。
その後数百年、鬼の間で酒虫の話題は減った。
しかし実体がないので、もしかしたら誰かの鬼の瓢箪の中に酒虫がいたのかもしれない。
或いは全員の瓢箪の中に最初から入っていて、味の基準が〈酒虫の入った普通の酒〉だったのかもしれない。もちろん〈あの鬼だけ特別に酒虫が入っていた〉のかもしれない。味の味覚がおかしかったのかもしれない。
いずれにしろ、鬼たちは酒虫の正体を知らずして噂を立て、あたかも〈瓢箪の中に酒虫が棲んでいる〉と言い続けてきたのだった。
結局それが今も常識として話されている。
本当の話を、鬼は知らない。
そして現代でも酒虫の噂は存在する。
また、とある鬼が酒虫に興味を示した。
伊吹萃香は妖怪の山の木の上でひとり酒を呑んでいた。
朝から晩まで呑んでいるのにも拘らず、瓢箪は持ち前の尽きない酒を発揮していた。もちろん、それがちょっとでもすぐ下の木の根もとなんかに零れたりしたら大変だ。瓢箪の酒は言わば鬼専用である。並大抵の者ではまず呑むことはできない。どきつい酒なので、頭がおかしくなってしまう。自然すらもすぐに参ってしまうだろう。
萃香には酒虫の話をする相手がいないが、ふとそのことを思い出したのだった。
昔から言われている酒虫ーー瓢箪の中に棲む美酒の源だ。もっとも、酒虫自身は瓢箪の中にいるわけではない。鬼がそう思っているだけだーーの正体を暴かんと企んだ。
萃香は中を覗いた。真っ暗でなにも見えない。
少し揺らしてみるが、たぷんたぷんとみずの音がするだけ。左に右に揺れ、飛沫の音も聞こえた。
夏の風物詩のような心地良い合唱を期待していたのだが、虫らしき声も聞こえなければ、姿も見えない。
まるで中には酒しかないような風に萃香は感じた。
癪だった。
見つけられないのがただただ悔しいだけで、萃香は瓢箪の中に向かって叫んだ。
「おーい、酒虫ィー!」
返事はない。まだ中身が揺れている。
耳を澄ましても、コツンと叩いても、瓢箪を振っても、グビッと一気呑みしても……酒虫らしき影はまったくない。
なにもいないのではないのか? ふとそんな疑問が萃香の脳裏をよぎる。
いや、そんなはずはないと頭を振る。鬼の噂間では瓢箪の中には酒虫が棲んでいて、そのおかげで美酒であると、そう昔から聞いているからだ。
まだ他にも可能性があった。酒虫が棲んでない場合である。こればかりは萃香も悩んだ。でも実際にはこの瓢箪から出る酒は見事としか言いようがなかった。
宴会の時に巫女に一口呑ませたら、倒れてしまったほどである。
最高に旨いということは間違いない。
酒虫はいるだろうと萃香は確信していた。
ではやはり酒虫は萃香を無視しているのだ。聞こえているのに。いるはずなのに。そうに違いない。
癪だ。
「こんにゃろー!」
頭の上で二回三回と瓢箪を回し、勢いよく萃香の座る木の枝にぶつけた。
ばきっと気持ち良い音とともに萃香は地面に尻餅をつく。
癇癪はおさまらなかった。
ひどく興奮し、真っ赤な顔で酒を呑んだ。喉元がうねり、小気味良いリズムでグイグイと酒が流し込まれていく。
このときがやはり萃香にとって極上のひとときなのだった。
すっかり事も忘れて、しばらく地面に座った後、のっそりと立ち上がって千鳥足で帰るのだった。
翌日の晩。萃香は酔っていた。酔っているのは通常状態であるので、この場合は問題ではない。
ただ、いま風呂に入っているというのにも拘らず、酒を呑んでいるということが問題だった。
酒好きとは言えど、風呂で酒など言語道断である。
さすがに体を洗ったときには瓢箪をわきに置いたが、いま湯船に入ってるときは持ちっぱなしだ。
数十秒のサイクルで酒を呑む萃香。
足から首までゆったり浸かっていたときだった。
ようやくある異変に気付いた。
「体がピリピリするぞ……?」
お湯ではないようだった。電気風呂のように体が痺れ、どこか心地良い感覚。
萃香は試しに潜って様子を確認する。
金色の液体……酔っていてハッキリとわからなかったのだろうか。
試しにひとくち飲んでみる。
おかしいのはすぐにわかった。
おいしいのもすぐにわかった。
「酒だッ!」
間違いなく、萃香が浸かっている湯船には酒がたまっていた。よくみると泡もたっている。
しめたと萃香は思った。瓢箪ではないが、ここに酒虫がいるかもしれない。やるが試し。
もし見つけたらとっ捕まえて、見世物にするつもりだった。
「さあて、どこかなー?」
萃香は湯船の中で体を器用に回転させながら、酒虫を探し始めた。ときおり湯船の酒を呑みながら右に左に、小さな体を振り回す。
ブクブクと泡が立ち始める。
鬼も黙る立派な酒であった。
萃香はまたひとくち呑んでみる。
ふつうに旨い。酒虫がいるかもしれない。
すると突然、風呂の酒が波打ち始めた。左に右に、微妙だが確かに波を作り上げている。
体を回転させていたせいだろうと萃香は思った。
だが、波は萃香の回転の向きと逆だった。
不思議だった。まるで流れの不可抗力のようだった。
戸惑いを見せつつも、萃香は探索に専念する。
そのとき、天から何かが響いてきた。
「おーい、酒虫ィー!」
私は好きですよ
若干冒頭の意味が薄くなってる。
パッとしないのもそのせいかな。
ここでは評価されにくいのが惜しい・・・