「デフレスパイラル!」
「二酸化マンガン!」
「……!」
「……っ」
「く……引き分けですか」
「へえ……中々やるじゃん」
さて、生暖かい風が仄かに熱気を孕んだり、急にもの寂しく冷え込んだりする今日この頃。誰かは分からないけど、どこぞの誰かさんに似ている気がする。最近はそんな天候が続いている。
「……何やってんのよあんた達」
「あ、霊夢さんおはようございます」
神社の神聖な賽銭箱前で妙な喧騒が聞こえたので足を運んで見れば、守矢の神社の巫女と、ちんちくりんな氷の妖精が、かたや荒ぶるダチョウのように、かたや怒れるゴリラのようなポーズをとりながら、妙な単語を言い合っていたのだ。
「何となく必殺技っぽい単語対決です!」
「……はぁ?」
「強そうな響きの方が勝ちなんですよ」
「……はぁ?」
ぎゅっと拳を握りながら自信満々に解説をする早苗の様子に、霊夢は呆けた反応を返すしかない。当然だろう、これは一言で言うなれば、
(なんってくだらない勝負……)
陽は大分昇ってきたものの、低血圧の霊夢にとってはまだまだ頭が冴えない時間だ。そんな体に鞭打って健気に神社の清掃をしている身の彼女にとっては、この二人の行為はであり意味不明かつ荒唐無稽。何より鹿死誰手なものだから、一体これのどこに面白みがあるのかはさっぱり理解出来なかった。
「こらー早苗! まだ勝負ついてないよ!」
「ああ、これは失礼」
勝負に水を差されて機嫌を損ねたチルノがチキチキと冷えた羽を鳴らして怒ったものだから、早苗は慌てて小さな対戦相手と向き直った。
「まあ、遊ぶのは勝手だけど、あんまり散らかさないで頂戴ね」
散らかす要素は見当たらないが、霊夢はとりあえず釘を刺す。おそらく早苗は神社に用件があって足を運んだのだろうが、そこを通り掛かったチルノに絡まれたのだろう。
「まったく、難儀な性格してるわね早苗は」
東風谷早苗は外の人間。生来の幻想郷住人ではない。故に、ここに住む人間とは少し常識から外れたところがある。尤も、霊夢が思うところはこの妙なフレーズ対決のことを指してはいない。氷精であるチルノに絡まれ、いや、恐らく相手がチルノでなくてもそうするであろう、相手を全く無視出来ない、無視することを知らない彼女の生来持ったものを指していた。
「ふっふふ、ここで会ったが百秒目よキングコチーヤ3世!」
「ふははははっ、返り討ちにしてくれるわ勇者チルノ! 我が守矢の暗黒魔術の前に平伏すといい!」
(自分の神社を悪の権化にしていいものなのかしら)
もはやただのヒーローごっこだ。恐らく即興なのだろうが、こんな蟻も寄り付かぬ茶番劇を朝っぱらから恥ずかしげもなく行う巫女とは、果たして本当に巫女なのだろうか?
(私にはちょっと理解出来ないわね)
勇猛な蟷螂のようなポーズをとるチルノに対し、それを遊び殺さんとする猫のような動きで返す早苗。大分草臥れてきた竹箒で地面をサッサと撫でながらも、霊夢の掃除は中々捗る様子を見せない。
「この一撃で決めるよ! ウィンド・ブレイカアァァ!」
「その程度でこの東風谷を倒そうなどとは笑止! 受けてみよ! シン・グロモントオォォ!」
(集中出来ん!)
はっきり言って五月蝿いのだ。さっきより二人のテンションが高いのだ。何より、馬鹿真面目にやってる割には当然の如く弾幕など出てくる訳が無いのだから、見ている側としてはこの上なくむず痒い。人前で足の甲が痒くなった時くらいむず痒い。
(って、何で見てるのよ私は)
こんなのに構っていたら日が暮れてしまう。霊夢はブンブンと頭を振り、他人のふりを決め込もうとするが、
「なんの! ベーコンレタスダブルバーガー!」
「喰らい尽くしてくれるわ! アルトバイエルン!」
「それ食べ物だから!」
思わず声を上げてしまった。それに気付いた早苗はちらりと霊夢に目を向け、にんまりと笑みを浮かべた。しまった、乗ってしまった。霊夢はしたり顔の巫女を見て、ぐっと息を止めてしまう。
「おや、もしかして混ざりたいんですか?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ、私はあんたと違って忙しいの」
「楽しいのに」
「どこがよ」
平静を装い、塵一つ落ちてない地面を掃除する霊夢を見ながら、早苗はニヤニヤと苦笑しながらチルノとの弾幕ごっこごっこを再開する。
「くっくっく、やりおるな勇者チルノ。来い! この青い空を貴様の血で赤く染めて見せようぞ!」
「ふっふっふーん! あたいに空中戦を挑もうなんて、後悔しても知らないよ!」
(こいつら空飛び始めやがった……)
煮え切らない様子の霊夢を無視し、二人はとうとう神社の屋根の高さまでそのスケールを広げ始めた。ここまで徹底してお遊戯されては、流石の霊夢も飽きれるしかない。
「それならばあたいの新必殺技を見よ! アイシングシュガーパウダー!」
「ぐぬぬ、やるではないか! しかし負けんよ! ゴッドファーザー!」
やれやれだ、いつまで経っても勝負が平行線ではないか。全く、守矢の巫女の考えていることは分からない。流石にこのやり取りに飽きを感じたのか、霊夢は深く溜息を吐いた。
「ビルトインスタビライザー!」
「うひっ!」
いきなり背後から耳元で叫ばれ、霊夢は思わず素っ頓狂な声で飛び上がってしまった。気だるい体を強引に硬直させられるほど不快な事は無い。しかしこれは、背後の彼女なりの挨拶だ。霊夢は振り返り、そこに顔を覗かせた、よく知り、よく知らない妖怪をじっと睨んだ。
「あ、あんたまで何でノリノリなのよ」
「ふふ、小さな信仰の香りがしたから気分がいいだけよ」
裂けた空間から上半身だけ身を乗り出し、八雲紫は愉快気に扇で口元を隠して見せる。
「信仰? あの弾幕茶番劇が?」
「あら、気付いてないのね霊夢、これは中々見事なものよ?」
「えー……どこがよ」
げんなりとした霊夢の様子をくすくすと笑いながら、紫は空中で壮絶な必殺技の応酬を続けている二人を眺め、楽しげに目を細めた。
「必殺技ごっこ自体はきっかけに過ぎない。見事なのは、貪欲に他人と同調しようとするあの子の姿勢よ」
「同調……? 恥ずかしげも無く子供の遊びに付き合うことが?」
「そ、同調」
額に汗を滲ませながらもチルノの見えない攻撃を避けて見せる早苗を見つめながら、紫は諭すように口を開いた。
「人、霊、妖、神……種族は違えど、生物は須らく同調するもの。他に触れずして正気でいられる生物なんていないのよ? あの子は暇を持て余した氷精と、見事に同調して見せている」
「同調ねえ……」
「ほら、見えてこない? 妖精の放つ鮮やかな弾幕と、悪を演じる巫女の禍々しい邪念が」
「えー……」
面倒臭そうに、霊夢は二人のやり取りをじっと見つめてみる。
「ぬぬぬ……くっくっく、そんなものかね? 妖精の底力というものは」
「な、なんの! あたいは大ちゃん達の祈りでもっとパワーアップ出来るんだから!」
八坂の神様みたいに空中で胡坐をかいて余裕を装ってみせる早苗と、燃える瞳で敵を睨むチルノを囲む空気は、普段の弾幕勝負のそれよりも熱気を帯びているように見えた。それはさながら邪悪な力に飲み込まれた現人神に挑む、小さな小さな勇者の図に見えなくも無い。
「あの子があそこまで真剣に遊びに付き合っているから、妖精も本気で遊んでいるのよ」
「それはそれは、大層ご立派なお遊戯根性ですこと」
腕を組んで強がって見せたが、霊夢には本当は分かっていた。現人神、東風谷早苗。彼女は今まさにこうして、一人の妖精から信仰を得ようとしているのだ。
「神は信仰無くして存在し得ない。かと言って、あの巫女は普段からそれを意識してはいない。未だに自分が普通の人間として振舞っていることに違和感を持っていない。それでもあの子の周りには自然と人が集まる。意識せずとも、あの子の中の神としての本能がそうさせているのよ」
「つまりそれって……究極の天然ってことなんじゃないの?」
「ご名答」
日頃守矢神社の信仰を高めるために東奔西走している早苗だが、つまりところ彼女自身もまた、信仰を得たいのだ。いつも神社の二柱のために働いている彼女にとって、傍から見れば他愛の無い子供との遊びが、この上ないストレス発散であり、重要な信仰獲得のための行為なのかも知れない。
「大変なのね、現人神も」
「あら、そんな大層なものじゃないのよ?」
難しい顔で空中の勝負劇を眺めている霊夢は、いつの間にか箒を地面に置いていた。人間である巫女と、神を兼ねている巫女。同じ巫女の間にある目の見えない大きな違いが、今の二人の立ち位置の違いを表しているかのように霊夢には思えた。それを紫はやんわりと否定する。
「あの子はただ、自分を忘れて楽しむ術を身に着けているだけなのよ」
「自分を忘れる……?」
「そ、今のあの子は現人神でもなければ巫女でもない。ただの守矢の暗黒大魔王」
「私に幻想郷の大魔神にでもなれって言うの?」
「あら、分かってるじゃない」
「は?」
意図を理解できずにいる霊夢を無視し、紫はよいしょとスキマから地に脚を降ろすと、すぅっと大きく息を吸い、空中遊戯に熱中している二人に叫んだ。
「ふっふっふ、なんとまあ見てて可愛らしい子供のお遊戯よ! その程度の児戯で勇者と魔王を語るとは、片腹痛くて泣けてくるわね!」
「ぬぬ!?」
「なんですと!?」
意外な人物からの予想だにしない挑発に、早苗とチルノは目を丸くした。しかし最も驚いたのは霊夢だ。まさか自他共に認める大妖怪のトップクラスにある紫が、このようなごっこ遊びに割って入るとは、一体誰が思うだろう。それを他人に話したとして、一体誰が信じるだろう。
「ちょ、ちょっと紫、あんた何考えて――」
「ここにおわすは幻想郷の破壊神! 古より封印されし最強最悪の大魔神、博麗魔神霊夢なり! あなた達の力を取り込んで、幻想郷を恐怖の闇に包み込んでくれるわ!」
「ちょ、紫!?」
まさかの無茶振りに、霊夢は目を白黒させてしまう。そんな突然の乱入者の登場に、勇者と大魔王はぽかんとしていたが、
「くくく……これは思わぬ強敵が現れたものね。勇者チルノ、ここは一つ手を組み、あの忌々しき魔神を屠ってから決着をつけようぞ」
「にひひっ、あたい知ってるよ! 多国籍軍てやつね!」
「ちょ、ちょっと待っ――」
にんまりと顔を合わせ、二人は霊夢に目を配る。そして突然大悪役にさせられ混乱する霊夢をよそに、紫はうんうんと納得した様子でスキマを開いた。
「それじゃあ頑張ってね。大魔神様」
「紫、あんた――!」
霊夢が手を伸ばすよりも早く、紫はそのスキマを閉じた。そして残るは勇者と魔王、そして大魔神の三つ巴。
「ふっふっふ! どうした大魔神! さてはあたいらを前にしてガッチガチに緊張してるのね!」
「おやおや困ったものですねー……肩書きだけの大魔神様なんて、肩透かしもいいところです」
「――っ! こいつらぁ……!」
紫に振り回され、天然馬鹿コンビにいいように言われ、もはや霊夢の頭には二文字の言葉しか思い浮かばなかった。即ち、
「相手すりゃいいんでしょ相手すれば!」
自棄、だ。
ふんぞり返るチルノと意地悪く笑みを浮かべる早苗を睨み、霊夢は二人目掛けて地を蹴ったのだった。
「そう、巫女がずっと巫女やっていても、疲れるだけ。力を抜くだけじゃ、抜けきらないものもある……たまには忘れなさい霊夢。自分が博麗の巫女であることを」
ぎゃあぎゃあと騒がしくなる神社の上から優雅にそれを観戦しながら、紫は誰にも聞こえない言葉を漏らし、小さく微笑んだ。
「勇者だろうが魔王だろうが、なんだって蹴散らしてあげるわ! 喰らいなさい! プラズマクラスター!!」
「ぐっはぁ!?」
「さ、流石は大魔神……なんというプレッシャー……!」
「えー今の強いの……!?」
博麗の石畳の上で、それはただ遊び、それはただ信仰を集め、それはただ戸惑い付き合う。常識から外れた世界、幻想の郷の空の下、非常識世界に生きる者達が繰り出す茶番劇は、何とも常識な世界の香りを漂わせていた。
「二酸化マンガン!」
「……!」
「……っ」
「く……引き分けですか」
「へえ……中々やるじゃん」
さて、生暖かい風が仄かに熱気を孕んだり、急にもの寂しく冷え込んだりする今日この頃。誰かは分からないけど、どこぞの誰かさんに似ている気がする。最近はそんな天候が続いている。
「……何やってんのよあんた達」
「あ、霊夢さんおはようございます」
神社の神聖な賽銭箱前で妙な喧騒が聞こえたので足を運んで見れば、守矢の神社の巫女と、ちんちくりんな氷の妖精が、かたや荒ぶるダチョウのように、かたや怒れるゴリラのようなポーズをとりながら、妙な単語を言い合っていたのだ。
「何となく必殺技っぽい単語対決です!」
「……はぁ?」
「強そうな響きの方が勝ちなんですよ」
「……はぁ?」
ぎゅっと拳を握りながら自信満々に解説をする早苗の様子に、霊夢は呆けた反応を返すしかない。当然だろう、これは一言で言うなれば、
(なんってくだらない勝負……)
陽は大分昇ってきたものの、低血圧の霊夢にとってはまだまだ頭が冴えない時間だ。そんな体に鞭打って健気に神社の清掃をしている身の彼女にとっては、この二人の行為はであり意味不明かつ荒唐無稽。何より鹿死誰手なものだから、一体これのどこに面白みがあるのかはさっぱり理解出来なかった。
「こらー早苗! まだ勝負ついてないよ!」
「ああ、これは失礼」
勝負に水を差されて機嫌を損ねたチルノがチキチキと冷えた羽を鳴らして怒ったものだから、早苗は慌てて小さな対戦相手と向き直った。
「まあ、遊ぶのは勝手だけど、あんまり散らかさないで頂戴ね」
散らかす要素は見当たらないが、霊夢はとりあえず釘を刺す。おそらく早苗は神社に用件があって足を運んだのだろうが、そこを通り掛かったチルノに絡まれたのだろう。
「まったく、難儀な性格してるわね早苗は」
東風谷早苗は外の人間。生来の幻想郷住人ではない。故に、ここに住む人間とは少し常識から外れたところがある。尤も、霊夢が思うところはこの妙なフレーズ対決のことを指してはいない。氷精であるチルノに絡まれ、いや、恐らく相手がチルノでなくてもそうするであろう、相手を全く無視出来ない、無視することを知らない彼女の生来持ったものを指していた。
「ふっふふ、ここで会ったが百秒目よキングコチーヤ3世!」
「ふははははっ、返り討ちにしてくれるわ勇者チルノ! 我が守矢の暗黒魔術の前に平伏すといい!」
(自分の神社を悪の権化にしていいものなのかしら)
もはやただのヒーローごっこだ。恐らく即興なのだろうが、こんな蟻も寄り付かぬ茶番劇を朝っぱらから恥ずかしげもなく行う巫女とは、果たして本当に巫女なのだろうか?
(私にはちょっと理解出来ないわね)
勇猛な蟷螂のようなポーズをとるチルノに対し、それを遊び殺さんとする猫のような動きで返す早苗。大分草臥れてきた竹箒で地面をサッサと撫でながらも、霊夢の掃除は中々捗る様子を見せない。
「この一撃で決めるよ! ウィンド・ブレイカアァァ!」
「その程度でこの東風谷を倒そうなどとは笑止! 受けてみよ! シン・グロモントオォォ!」
(集中出来ん!)
はっきり言って五月蝿いのだ。さっきより二人のテンションが高いのだ。何より、馬鹿真面目にやってる割には当然の如く弾幕など出てくる訳が無いのだから、見ている側としてはこの上なくむず痒い。人前で足の甲が痒くなった時くらいむず痒い。
(って、何で見てるのよ私は)
こんなのに構っていたら日が暮れてしまう。霊夢はブンブンと頭を振り、他人のふりを決め込もうとするが、
「なんの! ベーコンレタスダブルバーガー!」
「喰らい尽くしてくれるわ! アルトバイエルン!」
「それ食べ物だから!」
思わず声を上げてしまった。それに気付いた早苗はちらりと霊夢に目を向け、にんまりと笑みを浮かべた。しまった、乗ってしまった。霊夢はしたり顔の巫女を見て、ぐっと息を止めてしまう。
「おや、もしかして混ざりたいんですか?」
「ば、馬鹿言ってんじゃないわよ、私はあんたと違って忙しいの」
「楽しいのに」
「どこがよ」
平静を装い、塵一つ落ちてない地面を掃除する霊夢を見ながら、早苗はニヤニヤと苦笑しながらチルノとの弾幕ごっこごっこを再開する。
「くっくっく、やりおるな勇者チルノ。来い! この青い空を貴様の血で赤く染めて見せようぞ!」
「ふっふっふーん! あたいに空中戦を挑もうなんて、後悔しても知らないよ!」
(こいつら空飛び始めやがった……)
煮え切らない様子の霊夢を無視し、二人はとうとう神社の屋根の高さまでそのスケールを広げ始めた。ここまで徹底してお遊戯されては、流石の霊夢も飽きれるしかない。
「それならばあたいの新必殺技を見よ! アイシングシュガーパウダー!」
「ぐぬぬ、やるではないか! しかし負けんよ! ゴッドファーザー!」
やれやれだ、いつまで経っても勝負が平行線ではないか。全く、守矢の巫女の考えていることは分からない。流石にこのやり取りに飽きを感じたのか、霊夢は深く溜息を吐いた。
「ビルトインスタビライザー!」
「うひっ!」
いきなり背後から耳元で叫ばれ、霊夢は思わず素っ頓狂な声で飛び上がってしまった。気だるい体を強引に硬直させられるほど不快な事は無い。しかしこれは、背後の彼女なりの挨拶だ。霊夢は振り返り、そこに顔を覗かせた、よく知り、よく知らない妖怪をじっと睨んだ。
「あ、あんたまで何でノリノリなのよ」
「ふふ、小さな信仰の香りがしたから気分がいいだけよ」
裂けた空間から上半身だけ身を乗り出し、八雲紫は愉快気に扇で口元を隠して見せる。
「信仰? あの弾幕茶番劇が?」
「あら、気付いてないのね霊夢、これは中々見事なものよ?」
「えー……どこがよ」
げんなりとした霊夢の様子をくすくすと笑いながら、紫は空中で壮絶な必殺技の応酬を続けている二人を眺め、楽しげに目を細めた。
「必殺技ごっこ自体はきっかけに過ぎない。見事なのは、貪欲に他人と同調しようとするあの子の姿勢よ」
「同調……? 恥ずかしげも無く子供の遊びに付き合うことが?」
「そ、同調」
額に汗を滲ませながらもチルノの見えない攻撃を避けて見せる早苗を見つめながら、紫は諭すように口を開いた。
「人、霊、妖、神……種族は違えど、生物は須らく同調するもの。他に触れずして正気でいられる生物なんていないのよ? あの子は暇を持て余した氷精と、見事に同調して見せている」
「同調ねえ……」
「ほら、見えてこない? 妖精の放つ鮮やかな弾幕と、悪を演じる巫女の禍々しい邪念が」
「えー……」
面倒臭そうに、霊夢は二人のやり取りをじっと見つめてみる。
「ぬぬぬ……くっくっく、そんなものかね? 妖精の底力というものは」
「な、なんの! あたいは大ちゃん達の祈りでもっとパワーアップ出来るんだから!」
八坂の神様みたいに空中で胡坐をかいて余裕を装ってみせる早苗と、燃える瞳で敵を睨むチルノを囲む空気は、普段の弾幕勝負のそれよりも熱気を帯びているように見えた。それはさながら邪悪な力に飲み込まれた現人神に挑む、小さな小さな勇者の図に見えなくも無い。
「あの子があそこまで真剣に遊びに付き合っているから、妖精も本気で遊んでいるのよ」
「それはそれは、大層ご立派なお遊戯根性ですこと」
腕を組んで強がって見せたが、霊夢には本当は分かっていた。現人神、東風谷早苗。彼女は今まさにこうして、一人の妖精から信仰を得ようとしているのだ。
「神は信仰無くして存在し得ない。かと言って、あの巫女は普段からそれを意識してはいない。未だに自分が普通の人間として振舞っていることに違和感を持っていない。それでもあの子の周りには自然と人が集まる。意識せずとも、あの子の中の神としての本能がそうさせているのよ」
「つまりそれって……究極の天然ってことなんじゃないの?」
「ご名答」
日頃守矢神社の信仰を高めるために東奔西走している早苗だが、つまりところ彼女自身もまた、信仰を得たいのだ。いつも神社の二柱のために働いている彼女にとって、傍から見れば他愛の無い子供との遊びが、この上ないストレス発散であり、重要な信仰獲得のための行為なのかも知れない。
「大変なのね、現人神も」
「あら、そんな大層なものじゃないのよ?」
難しい顔で空中の勝負劇を眺めている霊夢は、いつの間にか箒を地面に置いていた。人間である巫女と、神を兼ねている巫女。同じ巫女の間にある目の見えない大きな違いが、今の二人の立ち位置の違いを表しているかのように霊夢には思えた。それを紫はやんわりと否定する。
「あの子はただ、自分を忘れて楽しむ術を身に着けているだけなのよ」
「自分を忘れる……?」
「そ、今のあの子は現人神でもなければ巫女でもない。ただの守矢の暗黒大魔王」
「私に幻想郷の大魔神にでもなれって言うの?」
「あら、分かってるじゃない」
「は?」
意図を理解できずにいる霊夢を無視し、紫はよいしょとスキマから地に脚を降ろすと、すぅっと大きく息を吸い、空中遊戯に熱中している二人に叫んだ。
「ふっふっふ、なんとまあ見てて可愛らしい子供のお遊戯よ! その程度の児戯で勇者と魔王を語るとは、片腹痛くて泣けてくるわね!」
「ぬぬ!?」
「なんですと!?」
意外な人物からの予想だにしない挑発に、早苗とチルノは目を丸くした。しかし最も驚いたのは霊夢だ。まさか自他共に認める大妖怪のトップクラスにある紫が、このようなごっこ遊びに割って入るとは、一体誰が思うだろう。それを他人に話したとして、一体誰が信じるだろう。
「ちょ、ちょっと紫、あんた何考えて――」
「ここにおわすは幻想郷の破壊神! 古より封印されし最強最悪の大魔神、博麗魔神霊夢なり! あなた達の力を取り込んで、幻想郷を恐怖の闇に包み込んでくれるわ!」
「ちょ、紫!?」
まさかの無茶振りに、霊夢は目を白黒させてしまう。そんな突然の乱入者の登場に、勇者と大魔王はぽかんとしていたが、
「くくく……これは思わぬ強敵が現れたものね。勇者チルノ、ここは一つ手を組み、あの忌々しき魔神を屠ってから決着をつけようぞ」
「にひひっ、あたい知ってるよ! 多国籍軍てやつね!」
「ちょ、ちょっと待っ――」
にんまりと顔を合わせ、二人は霊夢に目を配る。そして突然大悪役にさせられ混乱する霊夢をよそに、紫はうんうんと納得した様子でスキマを開いた。
「それじゃあ頑張ってね。大魔神様」
「紫、あんた――!」
霊夢が手を伸ばすよりも早く、紫はそのスキマを閉じた。そして残るは勇者と魔王、そして大魔神の三つ巴。
「ふっふっふ! どうした大魔神! さてはあたいらを前にしてガッチガチに緊張してるのね!」
「おやおや困ったものですねー……肩書きだけの大魔神様なんて、肩透かしもいいところです」
「――っ! こいつらぁ……!」
紫に振り回され、天然馬鹿コンビにいいように言われ、もはや霊夢の頭には二文字の言葉しか思い浮かばなかった。即ち、
「相手すりゃいいんでしょ相手すれば!」
自棄、だ。
ふんぞり返るチルノと意地悪く笑みを浮かべる早苗を睨み、霊夢は二人目掛けて地を蹴ったのだった。
「そう、巫女がずっと巫女やっていても、疲れるだけ。力を抜くだけじゃ、抜けきらないものもある……たまには忘れなさい霊夢。自分が博麗の巫女であることを」
ぎゃあぎゃあと騒がしくなる神社の上から優雅にそれを観戦しながら、紫は誰にも聞こえない言葉を漏らし、小さく微笑んだ。
「勇者だろうが魔王だろうが、なんだって蹴散らしてあげるわ! 喰らいなさい! プラズマクラスター!!」
「ぐっはぁ!?」
「さ、流石は大魔神……なんというプレッシャー……!」
「えー今の強いの……!?」
博麗の石畳の上で、それはただ遊び、それはただ信仰を集め、それはただ戸惑い付き合う。常識から外れた世界、幻想の郷の空の下、非常識世界に生きる者達が繰り出す茶番劇は、何とも常識な世界の香りを漂わせていた。
何事にも本気な早苗さんが素敵です。
ほんわかしました。
いいですね。