Coolier - 新生・東方創想話

SO-NANOKA-6

2012/05/06 01:51:43
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SO-NANOKA-5











 星も月も暗雲に隠された夜空のもと、チルノはファーストスペルを胸に抱いた。
 ここは、幽々子が本拠地とする屋敷の庭。人魂のように浮いた提灯が、桜色に塗装された屋根を映し出す。どこもかしこも桜色だらけで深呼吸すると、肺に桜の花びらが入ってくるようだった。
 チルノの一歩前には石畳を踏み鳴らしながら進む妖夢は、幽々子の右腕だ。更に、一歩遅れて聞こえてくる足音は、チルノと同じ平社員のルーミア。
 玄関まで来ると、妖夢が振り返った。
「これから私は、あなた達を客人として扱います」
「そーなのかー」
 提灯がルーミアの黒縁眼鏡に光沢を与えていた。
「幽々子さまー! ただいま戻りましたー!」
 横戸を開きながら、妖夢は近所迷惑になりそうなほどの大声を出す。すると、「いつものとこに来なさい」と、さほど声量もないのによく響く幽々子の声が返ってきた。
 グルメ家の幽々子だ。おおかた台所か食卓だろう。などと、チルノは勝手な推測を浮かべながら玄関に潜り込んだ。
「靴はそこに……、て、あっ」
 妖夢の言葉を待たず、ルーミアは靴を脱ぎ捨て早足で入っていってしまったのだ。
「るーみゃ?」
 チルノの呼びかけにも振り返らず、ルーミアは奥に入っていってしまった。
 日頃から無礼だが、流石にこんなことはしない。
 もしかして、ルーミアが焦ってる? 
 転がった靴が、それを暗示してるようで怖かった。何を焦る必要があるのか。あとは渡せばいいだけなのに。
「迷惑かけちゃったね」
「いえいえ」
 チルノは自分の靴とルーミアの靴をそろえる。
「さぁ、行きましょう」
 妖夢に幽々子の待つ部屋へと案内してもらった。
「わぁ……」
 妖夢に案内された部屋に入ったチルノは、思わず声を上げてしまった。部屋の広さは六畳と普通だが、内装が洒落ている。天井には、ほとんど隙間がないくらいに提灯が吊るされ、壁には、米粒の入る間もないくらいに桜の絵が書かれた掛け軸が垂れ下がっている。今は、冬に向かって突き進む季節だが、ここはまるで春の宴会場!
 一年中春を味わえるという、伊達酔狂が詰まっている。部屋の中心に置かれているちゃぶ台には、花瓶が乗せられており、桜の枝が一本だけ生けられていた。それを挟み、ルーミアと幽々子はすでに鎮座している。
「ただいま戻りました。幽々子様」
 幽々子の元に歩み寄り、妖夢は畳に額を当てる。部屋の風貌も相まって、チルノは時代劇を見ているかのような錯覚に陥った。見入っていると、くいっとスカートのすそをルーミアに引っ張られる。
「るーみゃ、どしたの?」
 ちょいちょいとチルノの胸を指差してきた。
「あ、ファーストスペル?」
 こくこくと彼女は頷いたので、チルノは胸に抱いていたファーストスペルを渡す。ルーミアの受け取りの動作には、落ち着きがなかった。やはり、焦っているのだろうか。それとも、チルノ自身が時間に対して鈍感なだけで、本当は焦るべき場面なのだろうか。チルノはルーミアの隣に腰掛けた。
「妖夢、私の隣に座りなさい」
「はい」
 遠慮がちに妖夢は幽々子の右隣に座った。メンツが揃う。
「さぁ、ファーストスペルを見せてもらいましょうか」
 扇を開き、幽々子は口元を隠す。いちいち優雅で、いかにも大物の雰囲気が漂っている。実力でスペル業界を駆け上がってきたことだけはある。
「あ、その前に――。妖夢」
「はい」
 たん、と足が地をける音がする。気付けば、妖夢が槍を突き出すような体勢をとっていた。槍の代わりに刀が使われただけ。鞘つきの刀は、ルーミアのリボンを射抜いていた。
「あなたは、話せた方がいいわ」
「酔狂なやつめ」
 苦笑をしながらルーミアは床に落ちたリボンをポケットに突っ込む。
「まぁ、話せた方が私も楽なんだけど……」黒縁眼鏡の奥の瞳が黒くにごる。「後悔するわよ」
「どうでもいいわよ。そんなこと」
「そう。なにはともあれ早く終わらせましょう。できれば平和に終わらせたい」
 ちゃぶ台にファーストスペルをおき、ルーミアは幽々子に視線を送る。
「あら、あせってるわね」
 十二時まで、十分もなくなった。鈍感なチルノも、流石にそわそわしはじめている。
「まさか、そんなはずないじゃない」
「あらあら、気張らなくてもいいのよ」
 はぁ、とルーミアはため息をつく。
「ま、そうね。見ての通り、これがあなたの欲しがってるファーストスペルよ」
 存外あっさりとルーミアは自身の非を認めた。その手元には、一枚のカード。お札ほどの大きさで、三行だけの術式が刻まれたごく普通のカード。しかし、これが単価三億以上の価値を含めた逸品なのだ。
「ふぁ、あぁあぁぁ」
 念願のスペルカードがあるにもかかわらず、幽々子は大あくびを漏らす。それからポツリと、彼女は呟く。
「やっぱり、お菓子がないと始まらないわよね。それにお客に失礼だし。妖夢、お茶とお菓子を持ってきて頂戴」
 見事に話の腰を強引に折られた。
 まさか……。
 ふとチルノは気付く。時間なんてないのではないか。これは、ただ渡せばいい、という問題ではないのだ。幽々子は多少強引にでも受け取りを拒否することもできてしまう。目前のゴールは、幽々子によって時間と一緒に喰らわれようとしている。
 座敷を出て行く妖夢を追いながら、ルーミアはため息をついた。
「さぁ、さっさとファーストスペルを受け取ってくれない?」
「あら、私が受け取りを拒んでいるようじゃない」
「そうよ」
「ひどいわねぇ」
 がりがりとルーミアは頭をかく。
「頭の痛い話よ。こちらに最終決定権はない。受け取るも受け取らないも、そちらの自由」
 自暴自棄に言い放ち、ルーミアは下を向いて黙り込んでしまった。
 やっぱりだ。チルノの思ったとおりだった。幽々子の手に渡らなければ、交渉成立にならない。残り約五分の間、幽々子が受け取りをやんわりと拒否していったら、交渉はおじゃんになってしまう。耐久戦なら、幽々子を折るのも可能だろう。ここにきて魔理沙の時間稼ぎのダメージが効いてくる。
 しかし、時間がないにも関わらず、妖夢が帰ってきてもルーミアは口をすぼめたまま交渉に出なかった。
 あまりの静けさに、きょとんとした後、妖夢は「お菓子をお持ちしました」と言い、各々にお菓子と桜の花を模した茶菓子を配る。
 ルーミアの前に置かれたお菓子は、目で楽しまれるまでもなく口に放り込まれてしまった。
 不機嫌そうに砂糖菓子を噛み砕くルーミアを見ていて、チルノはついに我慢できなくなった。
「幽々子、受け取ってくれない?」
 我ながらストレートだと思う。
「そういえばチルノ。うちの妖夢とずいぶん仲良くしてくれたようね。ずっと一緒に居たようだし」
「え? どうしてそれを?」
 矛先を変えられた、と気付いたのは言い切った後だった。見事に釣られてしまったのだ。
「さぁね。自分で考えなさい」
 体の核を抜かれたかのような脱力感。話を折るのが上手い。
「わかったわよ」
 チルノが撃沈したタイミングであからさまにいらいらしながらルーミアは、幽々子に問いかけた。
「もう一度だけ言うわ。ファーストスペルを受け取ってくれない?」
 返答の間を作るために、幽々子は菓子をひとつひっつかみ口に放り込む。
「うーん、そうねぇ……」
「もういいわ」
 間に間を重ねようとした幽々子にルーミアが言葉をかぶせる。その調子は、やけくその語句がこれ以上にないほどしっくりくる。頬を引きつらせ、真っ赤に燃え上がるルーミアの瞳が幽々子を睨みつけた。
 冷静さに掻いている。
 誰が見てもそう思うだろう状態だ。
 薄い唇の間からもれ出たルーミアの言葉は、「もう、ファーストスペルは渡さない」だった。
「るーみゃ!」
 流石に幽々子も戸惑っている。
 押して駄目なら引いてみろ、というけれどやりすぎだ! 時間はもうないんだよ。
「受け取るか受け取らないかは、そちらの自由。でも、それならば渡すか渡さないかは、こちらの自由よ」
「ルーミア。何か勘違いしてないかしら? 私はファーストスペルが欲しいの。だから、そんなことされたら困るのよ」
 すぐさま同様からリカバリーし、親が子を諭すように幽々子が語りかける。
「じゃあ、何でいちいち話を逸らすのよ」
 子供のようにルーミアは突っぱねる。優雅に扇で口元を覆い、幽々子は諭すように返答する。しかし、諭すには当てはまらないような内容であった。
「それはね、私の趣味だからよ」
「腹黒い」
 つばを吐くようにルーミアは吐き捨てた。いたぶるのが、趣味。そう解釈して良いだろう。隠さず伝えるのが、また、いやらしい。微笑むと聖母にも見えるその皮膚の下には、どす黒い悪魔の血が流れているのだ。思うと、チルノは背筋が冷たくなった。
「後、三分よ。カップラーメンが作れるだけの時間はあるわ。少し考えなさいルーミア」
 歯がすり減りそうなほどの歯軋りが響く。ルーミアではなく、チルノ自身が行ったのだと気付くのに少し時間を要してしまった。
 今までのこのときの為に準備してきたのに、幽々子の言葉一つで弄ばれていると思うと悔しくて仕方がなかった。
「後二分。私の腹時計に狂いはないわ」
 ゆっくりした動作でお茶をすすり、幽々子は妖夢のお菓子を口に放り込む。止めようとした妖夢のことはお構いなしだ。
 チルノは待った。ルーミアが判断を下すのを。彼女はきっと何か考えている。感情の突起だけで、自らをこんな状況に落としたりしないはずだ。
「まぁ、私はぶっちゃけどっちでも良いのよ。成立しようとしまいと私に損はない。あ、損といえば時間があるかしら」
 くつくつと幽々子は楽しげに喉を鳴らす。
「で、後一分」
 ……動きがない。ならば、チルノが強引にでも言い出してみるべきか。たとえ、再度失敗しようとも……。
 脳内でチルノがカウントダウンと思考を行っていたら、ようやくルーミアが動いた。
 くっ、とルーミアは喉を鳴らす。
「ずいぶんしゃべるのね。幽々子」
「たしかにそうね」
 幽々子の返答に感情は一切こもっていない。
「それだけ言うのなら、ファーストスペルを受け取ってくれるかしら」
「よく言えました」
 幽々子の小馬鹿にするような態度はわざとだ。感情を表に出さないようにチルノは勤める。全てを受け入れるかのように、幽々子は両手を広げる。
「勿論よ」
 ちゃぶ台に置かれたファーストスペルを幽々子が手に取る。
 おそらく、ほとんど十二時だっただろう。
「ありがとう」
 幽々子は満足そうに微笑んだ。
 受け取った。幽々子がファーストスペルを受け取った。
 これで、終わり? 
 終わりなんだ!
 じわりじわりとその実感がわいてきた。確かに彼女はファーストスペルを持っている。
 幽々子に散々な目に合わされてきた。思い返すだけで、歯軋りを洩らしそうになる。しかし、それが洗練に感じられ、彼女に対する感謝の念がどこからともなく沸いてきた。
 紅魔をいたぶり、妨害してきた幽々子。しかし、結局はファーストスペルを受け取る気でいたのだ。
 後はEXの情報を聞けばよい。それを糧にEXを攻略していくのだ。チルノの脳内では、すでに明るくなった未来が展開されていた。そう、これだけの物を渡して得られる情報なのだ。生半可ではない。幽々子の宣言どおり、EXを潰せる情報のはずだ。
 早くも緩みそうになる口元を必死に自制する。もしかしたら、笑っていいのかもしれない。ルーミアもどことなくほっとしている様子だから。
 次に幽々子が口を開くのは、EXの情報を口にするときだ。
 そう思っていた。
「あらぁ」
 ファーストスペルを品定めするように見ていた幽々子が不思議そうな声をあげた。
 んー? なになにー? すでにとろけ始めている脳内は何故幽々子がそんな声をあげたのかを深く考えようとはしなかった。ただただぼーっとして幽々子の言葉を待つ。
 口元を三日月状に歪め、幽々子はチルノ等を一見する。
「これ、偽物でしょ」
 三日月は、あざけるような冷笑だった。
 今、なんて言った?
 偽物?
 似せて作られた物?
 できるだけやんわりとした笑顔を浮かべながらチルノは返す。
「そんなわけないよ」
 衣玖から受け取った正真正銘のスペルカードだ。
「ここの文字が僅かに違うわ」
 ファーストスペルの文字を幽々子は指でなぞる。三行で書かれた術式の中央、二行目だ。チルノには何が違うかわからない。資料は見たとは言え、ファーストスペルの術式は曖昧にしか憶えていない。
 でも……。
「あー。これは……」
 声の主、ルーミアを見る。
 でも、元持ち主であるルーミアは憶えているはず。だから、偽物であるとすれば、すぐに気付くはずなのだ。つまるところ、偽物を衣玖から渡されたとしてもルーミアが気付かない訳がない。
 しかし、言いよどむルーミアの様子に、チルノは嫌な予感を感じた。
「まさか……、ね、嘘でしょるーみゃ?」
「見てもわからなかったわ」
 一瞬の沈黙の後、ルーミアは告げる。
「偽物よ、これ」
 大きくため息をついてルーミアは続ける。
「ンとソの違いくらい曖昧なんだけど、スペルが違うわ」 
 偽物確定。なんで、なんで、なんで?
 まさか、衣玖から受け取ったファーストスペルが偽物だったとでも言うの? 
 頭の中がごちゃまぜになり、くらくらした。視界が狭まっていく。何がなんだかわからない。
 チルノの動揺などおかまいなしに、幽々子は容赦のない言葉を浴びせかけてきた。
「まさか、ねえ。あなた達、私を嵌めようとしてたでしょ?」
 ねっとりとした言葉の触手が体に絡みつく。それは、チルノを地の底に引きずり込もうとしていた。
「ない! ないよ! 絶対に」
 だって、だってこれは、「衣玖からもらった物だよ!」喘ぐように、チルノは叫ぶ。
 言葉にしてはじめて気付く。違和感に。
 衣玖からもらった? 違う! 衣玖からもらってない。魔理沙から奪還したんだ!
 心の中でチルノは自分を叱責する。
 奥歯をかみ締め、これまで起こった一連の出来事を咀嚼する。間違いない。魔理沙がすり替えたんだ。
 幽々子が魔理沙にファーストスペルを盗むように依頼する。ファーストスペルを盗んだ魔理沙は、あらかじめ用意していた偽物とすり替えた。紅魔を嵌める為に二人して罠を張ったのだ。魔理沙が幽々子サイドだとすれば、筋は通る。
「そういえば、妙に時間ぎりぎりまでねばったわね。偽物と気付かれるのを少しでも遅らせようとしたんでしょ」
 時間ぎりぎりまでねばらせたのは、幽々子のはず。時間きっかりに終わらせることで、紅魔の再交渉の余地を断った上で、速攻をしかけれるようにしたのだ。
 全てぶちまけたい。けれど、チルノはそれらもろもろを飲み込んだ。それは喉まで上ってきた胃液を無理やり飲む込むような作業で、尋常じゃない痛みを伴った。
 落ち着いて。二人がつるんでいた、という証明はできない。まずはあえて魔理沙と幽々子がつるんでいることを知らないふりをして、無実の証明を果たさなければ。
「違うよ。やったのはあたい達じゃない」
「あなた達以外に誰がやるというのよ」
「魔理沙だよ」
「なんで全く関係のない子が出てくるのよ」
 ふっと微笑を浮かべ、幽々子は「まさか、盗まれたとか?」
 先回りされた。よくよく考えれば、ファーストスペルを盗まれた、だんて言ってよいのだろうか。たとえ、相手が仕掛けてきた本人だとしても会社の威信に関わるのでは?
「まさかぁ……。そんなわけないよ」
 チルノは嘘をつくことにした。しかし、それが一つの失敗を引き起こす。
「魔理沙さんにファーストスペルを盗まれましたよね」
 妖夢の援護射撃。
 つくづく嘘をつくのが下手だなぁ。あたい。妖夢がずっと一緒に居たじゃん……。
「あらあら、嘘はいけないわねえ」
 もう、言い返せない。勝利の笑みを幽々子は浮かべるのだろうと、見ていたが何故か妖夢に注意を促すような視線を送った。
 はは、なるほどね。幽々子が妖夢に言いたいことがなんとなく察しがついた。首の皮一枚は繋がっていたわけ。
「幽々子の右腕の妖夢がファーストスペルは盗まれたことを証明してくれたよ。だから、魔理沙が盗んだ際にすり替えたんだって」
「盗まれたのは本当みたいね。でもね、盗まれた責任なんて全部あなた達にあるし、そもそもすり替えたのが魔理沙かはわからないわ」
 言葉が繋がらない。皮一枚がちぎれた。結局は、寿命が少し延びただけだ。
 鋭く光る幽々子の目は、狩り人のものになっていた。狩り人と罠にかかった子兎がチルノ。これが今の幽々子とチルノの立ち位置だ。武器を持った相手から逃げることすら叶わない。狩りは、完璧に行われた。
「大した戦略家ね」
 ルーミアはため息をつくように言葉を吐き出す。
 ルーミアもおそらくチルノと同じ構図を脳内に描いているだろう。反撃への手段が見出せないチルノは、ルーミアに期待のまなざしを送った。
「衣玖にファーストスペルをすり替えさせたのね」
「え? 衣玖?」
 魔理沙じゃないの?
 チルノの考えていた仮説と正反対の言葉に戸惑う。衣玖は紅魔の味方で、ファーストスペルを無償で提供してくれた。更に魔理沙を捕まえるを手伝ってくれたのだ。
 どうして、衣玖なのか?
「るーみゃ、どうして衣玖なの?」
 魔理沙は敵。衣玖は味方。
 そのはずなのだが、ルーミアは可笑しそうに目を細める。
「魔理沙は、私が雇ったの」
 雇うって……。
「ファーストスペルを盗んでくれ、とでも依頼したの?」
 なんのひねりも無く、我ながらばかばかしいと思った。しかし、ルーミアはさらっと言いさる。
「その通りよ」
 悪戯小僧のように笑うと、ルーミアはポケットから「契約書」と汚い字で文頭に書かれた紙を取り出した。
 そこには、『てきとーに盗んでてきとーに逃げててきとーに時間稼いでやるよ。ただ、今度酒をおごれよな』と、書かれていた。お遊びに作ったような契約書だが、判子だけはちゃっかりとおしてある。
 魔理沙が味方。衣玖が敵。
 チルノの脳内の勢力図が反転した。
 ありえない、と思うチルノが居る一方で、納得するチルノも居た。
 思えば、魔理沙が紅魔の味方である節はいくつかある。チルノに向けてウィンクして見せたり、逃げ方も中途半端だった。
「……はぁ」
 しかし、魔理沙がこちら側だとしたら、場がどのように流れているかがわからなくなった。
「どうして雇ったの?」
「勿論、幽々子を焦らすための時間稼ぎだわ」
 なんでもない事のようにルーミアは答える。
「もう、ぜんぜんわからないよ」
 取引なら、早く終わった方がよい。
「幽々子がファーストスペルを入れ替えてくる、という可能性は元々考慮してたわ。私はファーストスペルの術式から形状、偽物の見抜き方は一通り知っているつもりよ。でもね、もしかしたら気付けないかもしれないと思ってたの。私は、文字の形まで覚えてるわけじゃない」
 片目をつむり、ルーミアは続ける。
「だから、時間を稼いで幽々子が焦るかどうか見てたの。時間ぎりぎりになって、焦ればすり替えてる。焦らなければすり替えてない。そう山を張ったわ」
「時間潰すんならさ、ケーキ屋にでも行ってれば……」
 ゴーヤを噛み潰したかのように苦い表情を作り、ルーミアは頭をかく。
「そうしたいのは山々よ。でも無理。こちらの情報はすべて幽々子に流れていたの。不自然に時間を使ったら、幽々子が勘付いてポーカーフェイスであたたかいお出迎えをしてくれるわ。あくまで想定外のアクシデントを装わないと」
「情報が流れてた?」
 チルノの質問には答えず、ルーミアはちらっと妖夢を見る。
「にしても、妖夢が予想以上に優秀だったのが痛かったわ。魔理沙を攻略しちゃうし、情報は流すし……」
 予想だにしないタイミングでほめられ、きょとんとしている妖夢に目をやりながらチルノはルーミアにそっとたずねた。
「もしかして、あたいの監視が甘かった?」
「トイレまでついていってなかったからね」
 う。
 魔理沙の家でチルノは妖夢がトイレに立つときについていかなかった。そのときにルーミアは気付いたのだろう。しかし、トイレまで監視の目を離すな、と言われていたとしてもチルノにそこまでする勇気はない。自分の甘さに赤面する以外になかった。
「本物のファーストスペルは、幽々子が衣玖から高値で買い取ったんでしょうね」
 片目で幽々子を見つめながら、ルーミアはチルノに問いかけた。
「さぁ、どんな構図でしょうか」
 幽々子が何を狙っているのか、チルノにもわかりかけていた。衣玖はファーストスペルの売却利益を得る。幽々子はファーストスペルを得て、なおかつ『取引に偽物を使用した』という紅魔の弱みを握れる。弱みを使って紅魔をゆする気だろう。
 嘘をもとにした弱みと、嘘から作り出された真実をもとにした弱みでは、対処の難易度の桁が違う。後者が圧倒的に難しい。
「紅魔が、一方的に損害を受ける構図だ……」
 末恐ろしい。でも、無像だった恐怖が有像化された。種がわかれば、まだましだ。
 ルーミアがチルノの考えた構図と全く同じ事を言い、幽々子に問いかけた。
「この構図を組んだんでしょう?」
 不適に笑い、ルーミアは挑発的に幽々子に言い放った。
 相変わらずきょろきょろし、落ち着きのない妖夢とは対象的に、幽々子は落ち着き払っている。
「そんなこと、するわけないじゃない」
 わかったからなんだって言うの。
 幽々子の下の裏に隠された言葉をチルノは瞬時に読み取った。
 物と言葉の重みの違い。これがずっしりとチルノの肩にのしかかってきた。いくら状況証拠を挙げようとも、相手には偽『物』がある。
 言葉は優秀だが、如何せん空気に溶ける。インクにでも乗せておかねば、証拠としては役に立たない。
 押し切れない。チルノの率直な感想だった。しかし、ルーミアは引き下がらない。
「ねえ、幽々子。気付いてるんでしょう。私が何の対策も取らず、ファーストスペルを渡すはずがないって」
 お茶を口に流し込み、ルーミアは言う。
「時間ぎりぎりであなたの言葉数が増えた時点で、私はファーストスペルが偽物だと気付いた。だけど、渡したのよ」
 ルーミアは人差し指を立てる。
「提案よ。おとなしくEXの情報を渡して頂戴。そしたら、痛い目見ずに済むわ」
 はったりか否か。チルノにもわからなかった。それは、幽々子も同じ。
 だが、彼女は「渡さない」と笑顔の仮面を被り、即答した。
「ここにあるのが偽物。この事実は動かないわ」
 その解答に、ルーミアの目つきが変わる。
「それにしても、出来のいい偽物ね。まったく気付かなかったわ」
 話の流れを一切無視し、ルーミアは幽々子の懐へと斬りこんだ。
「ええ、まったくよ」
 流れの変化に気にする様子もなく、幽々子は感情の全く感じられない同意をする。
「本物とほんの少しだけ違う。しかも、本当はどこまでも本物に似せれる技術がありながらあえて偽物っぽくしてる節がある」
 ルーミアは幽々子の様子で気付いたのであって、ファーストスペルを見ることで気付けなかったというのは本当らしい。となれば、精工な偽物だ。
「こんなことが出来るのは、あの子くらいかな」
 幽々子の背後にある掛け軸の更に奥を見るような目つきでルーミアは言った。
 複製技術に長けた「あの子」ねえ。
 今まで出会ってきた人物を思い返していく。
「あっ」
 居る。おそらく、あの子だ。温泉の気持ち良い旅館の主が。あの子はスペルカード業界から何故注目されているか。それは、複製技術に恐ろしく長けているからだ。
 あの子、さとり。
「チルノ、あの子はどんな子だっけ」
「あら、あの子ってどの子なの」
 仲間外れなんて酷いじゃない、とでも言いたげに幽々子が割り込んでくる。
「妹思いで、心が読める」
 端的にチルノは言った。
「心が読める……ね。さとりのことかしら」
「その通りよ。さとりが複製を受け持ったのね」
「私は複製依頼なんてしてないわよ」
 桜色に染められた着物が楽しそうに揺れた。複製したという事実を幽々子はしっかり否定する。この辺りは、ガードが固い。
「まぁ、幽々子が複製したかどうかなんて、この際知ったこっちゃないわ。今は私が考えたことをただ言うだけ。あなたはそれを聞いていれば良いわ」
 ちゃぶ台に上半身を乗せ、ルーミアは幽々子に出来る限り近づく。幽々子に心理的プレッシャーを与えるためだ。
「一つ良いかしら。これから、あなたの知らない事実を一つだけ教えて差し上げるわ」
 これから攻めるぞ、とルーミアはわざわざ宣戦布告をする。
「あら、それは楽しみね」
 羽衣がなびくように受け流す幽々子。お互い、相手を潰せるという自信に満ちていた。
「実はね、うちのチルノがさとりと友達なのよ」
 ワンパンチバトル。
 はじめて幽々子の目が、驚きで饅頭のように丸くなった。取り繕うまでに半瞬もかからなかったが、十分な反応だ。勝利の天秤が、僅かにルーミアへと傾いた。
「あの子、人見知りで嫌われ者じゃなかったかしら。珍しいわね。友達を作るなんて」
「あれ、幽々子。さとりについて随分詳しいじゃない」
 ここぞとばかりにルーミアは追撃を放つ。石ころが喉につかえたように幽々子の反応が、僅かに遅れた。
「さとりはスペルカード業界では有名人よ。知らないわけがないじゃない」
 自分の知らなかった未知の情報に、幽々子はひどく動揺している。
「そりゃ当然ね。ならば知ってのとおり、さとりは心が読めます。更に、チルノと友達です」
 更にちゃぶ台に乗り出し、ルーミアは更にプレッシャーをかける。近づけば近づくほど心理的プレッシャーは増加する。妖夢に散々味わされているチルノは、そのことがよくわかっていた。
「あなたか衣玖が複製を頼みに行ったとき、友達に危機が迫っているのを知りました。さぁ、さとりはどんな行動を取るでしょうか?」
 仮に、さとりがチルノのことを思って行動してくれるとしたならば……、おそらく幽々子の行動を逆手に取る。公平な交渉を成立させるために、ファーストスペルの本物と偽物を入れ替えれくれる、と思う。
 反対の反対は元通り。
 しかし、これは希望的観測の面が非常に大きい。さとりとは友達になったとは言え、あれ以来、一度も会っていないのだ。さとりの中に居るチルノの存在は、まだ赤の他人となんら変わらないものではなかろうか。そんな赤の他人のためを思い、ファーストスペルをすり替える大業を行えるのか?
「本物と偽物を入れ替えるのね」
 幽々子もチルノと同じ結論に至った。しかし、幽々子はまだ複製とは関係がないように振舞う。
「しかも、本物を偽物らしく、偽物を本物らしく加工して、ね」
 ルーミアが付け加える。
「でないと騙せないでしょうね」
 卓上からルーミアは身を引いた。もうプレッシャーを与える必要がない。そう判断したようだ。
 無表情のまま幽々子は湯飲みを傾ける。
「ま、複製を依頼してないなら、チルノがさとりの友達であることに悩む必要はないわよね」
 そうか。お茶を飲むふりをして、幽々子は時間を稼いでるんだ。さとりを通じて偽物を作ったのは複製技術面、幽々子の反応から見て、ビンゴだ。しかし、幽々子は認めていない。複製を依頼してない、幽々子自身が作ってしまった立場上、悩むわけにはいかないのだ。
 ちゃぶ台に湯飲みを戻すと同時に幽々子は口を開いた。
「このファーストスペルが本物だと言いたいのね」
 左の口角を僅かに引き上げ、幽々子は続ける。
「面白い読みをするわね。百歩譲って私がさとりを使って複製をしたとしても、果たしてさとりはチルノのためにファーストスペルをすり替えるかしら」
 一歩幽々子が間合いをあけた。仮定の話としても、幽々子がさとりを使ってファーストスペルをすり替えたことを認めたのだ。が、同時にこちら側のウィークポイントに攻撃を繰り出してきた。
 さとりがリスクを背負ってくれるかどうか。ここが不明なのだ。ルーミアには見えているのだろうか。さとりの行動が。いや、見えていないだろう。見えているのならば、わざわざ相手に問いかけて、自爆を誘うような形にはもっていかないはずだ。
「できるわけないわ。友達のために単価三億以上の代物をすり替え? 親友と言い合える仲ならともかく、チルノとさとりの仲ははったりか、できたてのものよ。親友と呼べるものなら、私に情報が入ってこないはずないわ」
 鋭くとがった剣先がチルノを貫く。読みきられてる。
 二つの会社の運命を背負い、チルノのためだけにさとりは歩くことになるのだ。しかも、さとりから見ればチルノが裏切る可能性だって考えなければならない。双方から見放され、リンチされることだってありうるのだ。
 ハイリスク・ノーリターン。
 少年漫画ではあるまいし、誰が受けようか。
 冷たくなっていく思考に割り込むように、暖かい手がチルノの手に触れる。
「チルノ。メモを」
 冷たい思考の海から、ルーミアがチルノを引っ張り出した。
 メモ……。
 そういえば、レミリアに渡されたっけ。
 なまこが進むようにゆっくり思い出していく。まだ、見てない。思えば、ずっと妖夢と一緒に居て見る間もなかった。
 ポケットからノートの切れ端で、いかにもみすぼらしい紙切れを取り出す。レミリアが渡してくれた懐刀。これが、幽々子に挑むための手札か。そう思うと、自嘲にも似た笑みが浮かんできた。ルーミアは紙切れを受け取り、ちゃぶ台に置く。
 まだ見ていないチルノも紙切れを覗き見る。書かれていたのは、半角英単語と記号だけだった。ゆっくり意味を咀嚼していく。
「これは……」
 まず幽々子が意味に気付いた。続き、妖夢が口元をおさえ、目を見開く。一つの文字が、チルノの目に留まった。
『@』
 [email protected]
 見たことのある配置。アドレスだ。しかも、メールアドレス。
「さとりのメールアドレスよ」
 ルーミアの指がリズムよくちゃぶ台を叩く。
 sister「姉妹」 k.s.「古明地さとり」 k.k.「古明地こいし」
 ルーミアが半角英単語の意味をリズムに乗せながら言っていく。
「さとりがチルノに渡して、だってさ。何を伝えたかったんでしょうね」
 幽々子にも見える、チルノとさとりをつなぐ糸ができた。
「このファーストスペルは本物なの。あなたならわかるでしょう、幽々子」
 本物と偽物をすり替えたわ。そんなさとりの声が込められているのだろうか。
 返事の代わりに幽々子の頬がひくひくと痙攣する。切り返しの手段を探すように、幽々子の黒目が宙を泳ぐ。やがて、それは希望の光と共に、落ちた。
「本物……のようね」
 溜め息を吐き、その分を補うかのように幽々子はお茶を飲んだ。その顔は、最低品質のお茶を飲んだかのように歪んでいた。
「あれだけ有利な状況を作っておいたのに、負けるなんてね。一つの情報を見逃した結果がこれ」
 戦略家だな。と、チルノはつくづく感じた。圧倒的に有利な状況を作っておき、じわりじわりと相手を押しつぶす。戦術を重視するルーミアとは相反する存在だ。もし、チルノとさとりが繋がっているという情報が流れていたら、幽々子は更なる対策を練っただろう。ほんの紙一重、情報一つの差だったのだ。
 本物のファーストスペルを幽々子は手で弄ぶ。
「良いわよ。教えてあげるわ。EXを崩壊させうる情報を、ね。ただし、資料はないわ」
 最後の最後に幽々子は壊れかけの笑顔の仮面をつけた。
 EXの情報を得られる、という喜びが沸いてこない。原因は、幽々子が最後に言った一言だ。
 資料なし。
 ガセネタを掴まされるかもしれない。その疑念がチルノをきつく縛り付けた。ただでは死なない。驚嘆に値する執念だ。
「三億のファーストスペルが形無き言葉と交換。妙なものね。でも、私は良いわよ。いまさら幽々子が嘘をつく道理がないもの」
 ちゃぶ台にひじを突き、ルーミアは幽々子を見てから、チルノを見つめた。
「チルノはどうかしら?」
 あ、あたいにも?
「るーみゃが良いなら、別に良いよ……」
 歯切れの悪いチルノに対し、「チルノ、はっきり」とルーミアは苦笑交じりに注意を促す。
「うん、良いよ」
 不思議と言葉がすっと出てきた。
「てな訳で、言ってちょうだい。死ぬ気で覚えるわよチルノ。ガセネタじゃないことを信じて、ね」
 ルーミアの言葉にはさりげなく威嚇が含まれている。
「わかったわ」
 頷き、幽々子は息をつく。彼女の唇の合間から、ぽつりぽつりとEXの機密情報が語られはじめた。幽々子の言葉は死ぬ気で憶えるまでもなく、頭にすらすらと入ってくる。忘れようにも忘れられない類のものだ。
「はぁ、紫には洩らすなと言われてるんだけどねぇ」
 言い終えた幽々子は憂鬱げに溜め息をつく。
「信じて、良いのね」
 尋ねるルーミアの声は震えていた。
「ええ、勿論よ」
 下を向いて、ルーミアは誰も聞き取れないようなつぶやきを洩らす。食べきれない料理を前にして、うんざりしたような表情を彼女はしていた。しかし、そんな表情もいったん両手で顔を拭うと、無表情に戻る。
「真実を伝えてくれたことに敬意を表して、一つ教えるわ」
「……何かしら?」
 疲れきった様子で幽々子は受け答えた。
 チルノも、なんだろうかと見ていると、ルーミアが剣士の抜刀術にも劣らない速さで始動する。胴から右手までを一直線にし、ファーストスペルに手を伸ばす。
「横取りっ!?」
 裏返った声を上げながら妖夢は阻止を試みる。しかし、止めるまでもなかった。ルーミアはファーストスペルに触れだだけ。
 今にも大笑いしそうな様子で彼女は告げる。
「実は、このファーストスペルは偽物なの」
 ルーミアの触れた部分からファーストスペルが炎を上げる。ルーミアを除く三人は、呆然とファーストスペルが灰になっていくのを見るしかできなかった。
 ファーストスペルの燃えカスにルーミアは息を吹きかける。灰が宙に舞った。
「このファーストスペルが本物だなんて、ウ・ソ・よ!」
 つぅ、と幽々子の顔から血の気が引いていく。
「ほ、本物のファーストスペルは……どこに……あるの?」
 肺に穴が開き喘ぐように幽々子は口を開く。
「知らないわよ」
 冷たくルーミアはあしらう。
「ただ、一つ言っとくと、私はさとりとコンタクト取れるから、二つ偽物を渡してもらうことも可能よ」
「な……、なら私の手元にあるのは、二つとも、偽物? 情報料は、どうなるのよ!?」
「あら、ごめんなさい幽々子。時間内にファーストスペルを準備できなかったわー。これじゃ交渉はおじゃんねー。残念だわー」
 冷たい。黒々とした笑みを浮かべ、ルーミアは幽々子を見下す。
「そういう、ことだったのね……」
「幽々子様!?」
 幽々子の体がなだれのように崩れ去る。それを妖夢が必死に受け止めた。
 それの様子をルーミアは鼻で笑い、「さ、終わりよ終わり。チルノ、帰りましょ」と言い固まって動けないチルノを強引に引っ張って幽々子のもとを後にした。
 ファーストスペルを失い、EXの情報を洩らした妖々夢の末路がチルノの脳裏に再現されていたのだった。











「チルノ、チルノ」
 いつもの香りと、めったに聞けない声にチルノは揺り起こされた。
「るーみゃ……」
 あの後家に帰らず、紅魔本社の仕事部屋で眠っていた。仕事机に足を乗せた状態で寝ていたようだ。確か、妖々夢がこれからどうなるかを考えていたのだ。窓から鋭く差し込む朝日がチルノの目を覚まさせた。
「ねぇ、るーみゃ。これから妖々夢、それに妖夢や幽々子はどうなるの?」
「さぁね。幽々子の手腕しだいでしょ」
 崩れ去る幽々子の映像がフラッシュバックする。本物のファーストスペルは、一体どこにあるのだろう。やっぱり、さとりに聞けばわかるかな。
 さとりにメールを、いや、電話だ。電話の方が早いし詳しく聞ける。
「地霊殿の電話番号憶えてる?」
「ん? さとりにファーストスペルのことを聞く気なのね。迷惑かけたくないのなら、やめなさい」
「なんで?」
 せかせかとチルノは携帯を開く。すると、待ち受け画面に『メール一件』という通知が入っていた。
 まさか、さとり?
 開くと、案の定さとりだった。
 すぐさまメールを開く。
『こんばんは』
 時刻を見ると、昨夜だ。無条件に胸が高鳴る。
『チルノのメールアドレス、レミリアから勝手にもらっちゃったわ。一つ用件があるの――』
 唾を呑み、チルノは身構えた。
『次の休暇に、どこか遊びに行かない?』
「へ?」
 読み終わると同時に、チルノはへんてこりんな声を上げた。
 予想していた内容とは全く違う。てっきり今回の一件に関わるものだろうと思っていた。何度も見直したが、見間違えではなさそうだ。体の芯から力が抜けていく。
 しかし、これではさとりが紅魔と妖々夢の間で行われた取引を知らないみたいではないか。
 にやにやと笑いながら、ルーミアはチルノの携帯を覗き込んでいた。
「チルノ。大切なことを今すぐにでも伝えたいとき、電話とメールどちらを使うかしら?」
「……電話」
「メールは良くも悪くも遅いからね。あなたに警告をしたいのなら、電話を使うでしょうね。でも、さとりが寄越したのはメアドだけよ」
「ということは、さとりは……」
「この取引自体知らないわ」
 黒縁眼鏡の奥の瞳が眠そうにまどろむ。
「衣玖がさとりにファーストスペルの複製を依頼したのよ。それは、幽々子の言動からして一目瞭然。幽々子自身が行ったのなら、彼女の言動に迷いはなかったはず。幽々子はさとりと衣玖が会ったのかわからなかった。もし幽々子自身が複製を依頼したのであれば、さとりがどの程度情報を得たか推測できた。そうなれば対策を組まれて、負けてたかもね」
 ルーミアは紅魔を背負い、ずっと細い道を歩いていたのだ。少し踏み間違えれば、ルーミアもろとも地獄の底に転落する。
「なら、本物のファーストスペルはちゃんと幽々子のもとにあるの?」
「そうよ。変則的にだけど、交渉は成立していたの。衣玖から買い取ったファーストスペルが本物だったと知った幽々子の悔しがる顔を目に浮かぶわ。本来EXの情報だけでファーストスペルが手に入るはずだったのにね。紅魔の弱みを握ろうとするから、あんなことになるのよ」
 いたずらっぽくルーミアは笑う。
「ちなみに、最後騙したのは、EXの情報が本物かどうか確かめるための鎌かけ。あの倒れっぷりだと、情報は本当だわ」
 つまるところ、ルーミアは偽物を手に幽々子から情報を手に入れたのだ。手に持ったファーストスペルが偽物という事実は変わらないのだが、幽々子の概念は変えられる。ファーストスペルが本物だ、と思わせ、見事に偽物を本物にしてみせたのだ。
 でも……、わざと罠にはまって、それごとぶち壊すなんて危うい真似をしていたのだ。ルーミアがいかに戦術に長けていようとも、無理のし過ぎのような気がする。他に良い方法があったはずなのだ。
 しかし、全て丸く収まったのはルーミアのおかげ。結果論になるかもしれないが。
「いろいろ言いたいけど、とにかく……よかった」
 チルノがそう言うと、ルーミアはなんとも言えない複雑な表情で黙り込む。言葉をじっくり選んでいるように見えた。
「私も……、甘くなったわね。昔なら、さとりが複製の依頼を受ける可能性があると気付いた時点で、チルノとの友好関係を使って彼女に手を回したのに。偽物二つ作らせて、ファーストスペルにEXの情報もろもろを全て手に入れるんだけど……」 
 上手く言葉にできないのか、ルーミアはもう一度黙り込む。それから、にやりと人の悪い笑みを浮かべる。
「何故かさとりを巻き込みたくなかったのよね。全く誰の影響かしらね」
「まさか、そのためだけに危険な道を?」
 チルノには後半の言葉は耳に入っていなかった。
 答えは返ってこない。
 ルーミアを見上げていると、悩んでいるのがわかった。
 それは良いこと、悪いこと?
 なんとなくそんなことを悩んでいるような気がした。
 大きく溜め息をつき、ルーミアは眼鏡の縁をなでる。
「ま、いいわ。さっさと社長に報告しちゃいましょ。もう眠いわ」
 くるりときびすを返し、彼女はドアへと向かう。
「あ、るーみゃ!」
 唐突なひらめきに、チルノはルーミアを呼び止めた。
「ん、なに?」
「今度、さとりと三人で遊びに行かない?」
 振り返ったルーミアは、目を丸くして驚いていた。それから、ちょっと頬を紅くして、「とりあえず、この仕事が一段落したらね」と答えたのだった。

 
読んで下さってありがとうございます。
ようやく一段落~。
晴れ空
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コメント



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6.100らんらんるー削除
あなたは神か
7.80詐欺猫正体不明。削除
続きが楽しみだわー。
8.100愚迂多良童子削除
いいはなしだ・・・;;
9.100名前が無い程度の能力削除
前回は疾走感のある展開なのにどこかだらだらしていたように感じましたが
今回は怒涛の展開でしたね
次にも期待してます
11.100ルミ海苔削除
ルーミアのかっこ良さがすごくすごくツボです。