今日の月は、いつもとはまるで違っていた。
微かに紅く、満天に輝いている。星々が霞むほどの、大きな月だ。夜があまりにも永かった時のように、半端に欠けている訳でもない。ここまで狂っている満月を見るのは、恐らく十数年ぶりだろうか。
赤の瞳がいっぱいに月の光を受け止める。瞬きをすると、まぶたの裏に残影が見えた。
「こういう眩しさは、嫌いじゃないわー」
太陽のように主張が激しすぎる光は苦手だが、幻想を反射するだけの儚い光はむしろ好きな方だ。
ルーミアは、そっと手を月へ伸ばした。仄白い腕が、月明かりに透けていく。
届くはずもない距離だが、別にいいのだ。この光は、色んなことを思い出させてくれる。
――そう、掠れかかったはずの、昔のことを。
初めは何時だったか。何を考えることもなく漂っていると、見知らぬ境界の内に辿り着いていた。
今いる場所を疑問に思ったことはない。ただ、月と夜さえ有ればそれでよかった。自分にとって必要なものは、それくらいだったから。瞳を閉じ、ルーミアは回顧する。
記憶には、大したことは残っていない。強いて言うならば、このリボンをつけた時の事ぐらいか。それも、ルーミアが境界を超える前の話だ。
何故わざわざ自らの力を封じたのか、誰かに問われたことがある。……理由は単純だ。そんなの、月が見えなくなったからに決まっている。
永い時を経るにつれて、最初は見えていた月が、自ら生み出す闇にかき消されてしまった。闇を操るらしいこの力は、無意識にでも漆黒の世界を作り出す。多少練習すれば制御することも容易かったのかもしれないが、ルーミアにはそれすら面倒であった。
だから、このリボンを髪に括りつけたのだ。リボンの効果は著しく、ルーミアから漏れだす闇を最小限に留めてくれた。
(結構気に入ってるわ、これ)
……ただ、誰に貰った物かは覚えていない。自分の目の色と同じ、紅い月のような赤。自分がここまで物に執着するのは珍しい。ルーミア自身でさえそう思うのだが、これをくれた人のことだけが思い出せない。
「誰だったかしらー……?」
月に問いかけてみるが、もちろん返答は無い。月はただ、沈黙を保つだけ。
(全く、貴方はいつもそうよね)
ルーミアが何度話しかけても、月が応えてくれたことは一度も無い。なんという一方通行の関係だろうか。これでは、秘めた思いに身を焦がす乙女のようだ。
――でも、それが何よりも心地良かった。応えがない方が、かえって安らげる。その事実に気づくまで、何年もの時を費やした。
自分という存在が始まった直後は、ルーミアは様々なものに興味を持ったものだ。力を大いに使い、好き勝手に振舞った時期もあった。まあ、そういった心は、すぐに擦り切れてしまったが。身に心に刻まれた傷は、治る前に忘れた方が早い。だから、その頃の記憶は殆ど喪ってしまった。忘れれば忘れるだけ、魂が軽くなっていくような錯覚にさえ、ルーミアは囚われた。
……そんな生き方をしているからだろうか。月と、月明かりを煌めかせるこのリボンが、なにより愛おしく感じる。
自分がどんなに忘れようとしても、月だけは毎夜空に浮かぶ。嫌でも、あの輝きは忘れられなくなる。――月も、自分のことを覚えていてくれる。
いや、実際にはそんなことは有り得ないのだろうが、ルーミアはそう感じずにはいられなかった。月が、月だけが、自分の存在を忘れないでいてくれるのだ。遠回りした、恋人達にも似たような関係に、ルーミアは惹かれていた。
そして、その間を取り持つ紅いリボン。これがなければ、きっと自分は存在する意義を失っていただろう。
(本当に誰だったかしら? このリボンくれた人って……)
改めてお礼でも言いたかったのだが、その姿がそれこそ闇に塗り潰されたように思い出せない。
(ま、いっか。空でも飛んでたら思い出すかもしれないし)
そもそも思い出したところで、その人物に会えるかどうかも怪しいというのに、自分は何を考えに耽っていたのか。追憶なんて柄じゃないわ、とルーミアは独りごちた。
ふわり、とルーミアのつま先が夜空に浮かぶ。こんな夜は考え事をするより、月と共に散歩をするのが一番だ。
黒いワンピースに包まれた身体は、すぐに夜空へと舞い上がった。
空に浮かんだルーミアの身体に、満月の光が一杯に降り注ぐ。それだけでルーミアの心は満たされた。そのまま月に近づくように、夜空を思うままに飛翔する。
(夜明けでこの月とはお別れだけど、それでもいいわ)
身に纏う闇は要らない。ただ何も考えず、月と一方的に世界を紡げればいい。そのことだけを心に刻んだルーミアは、眠るように瞳を閉じた。
今日の風は、いつになく心地良い。
微かに紅く、満天に輝いている。星々が霞むほどの、大きな月だ。夜があまりにも永かった時のように、半端に欠けている訳でもない。ここまで狂っている満月を見るのは、恐らく十数年ぶりだろうか。
赤の瞳がいっぱいに月の光を受け止める。瞬きをすると、まぶたの裏に残影が見えた。
「こういう眩しさは、嫌いじゃないわー」
太陽のように主張が激しすぎる光は苦手だが、幻想を反射するだけの儚い光はむしろ好きな方だ。
ルーミアは、そっと手を月へ伸ばした。仄白い腕が、月明かりに透けていく。
届くはずもない距離だが、別にいいのだ。この光は、色んなことを思い出させてくれる。
――そう、掠れかかったはずの、昔のことを。
初めは何時だったか。何を考えることもなく漂っていると、見知らぬ境界の内に辿り着いていた。
今いる場所を疑問に思ったことはない。ただ、月と夜さえ有ればそれでよかった。自分にとって必要なものは、それくらいだったから。瞳を閉じ、ルーミアは回顧する。
記憶には、大したことは残っていない。強いて言うならば、このリボンをつけた時の事ぐらいか。それも、ルーミアが境界を超える前の話だ。
何故わざわざ自らの力を封じたのか、誰かに問われたことがある。……理由は単純だ。そんなの、月が見えなくなったからに決まっている。
永い時を経るにつれて、最初は見えていた月が、自ら生み出す闇にかき消されてしまった。闇を操るらしいこの力は、無意識にでも漆黒の世界を作り出す。多少練習すれば制御することも容易かったのかもしれないが、ルーミアにはそれすら面倒であった。
だから、このリボンを髪に括りつけたのだ。リボンの効果は著しく、ルーミアから漏れだす闇を最小限に留めてくれた。
(結構気に入ってるわ、これ)
……ただ、誰に貰った物かは覚えていない。自分の目の色と同じ、紅い月のような赤。自分がここまで物に執着するのは珍しい。ルーミア自身でさえそう思うのだが、これをくれた人のことだけが思い出せない。
「誰だったかしらー……?」
月に問いかけてみるが、もちろん返答は無い。月はただ、沈黙を保つだけ。
(全く、貴方はいつもそうよね)
ルーミアが何度話しかけても、月が応えてくれたことは一度も無い。なんという一方通行の関係だろうか。これでは、秘めた思いに身を焦がす乙女のようだ。
――でも、それが何よりも心地良かった。応えがない方が、かえって安らげる。その事実に気づくまで、何年もの時を費やした。
自分という存在が始まった直後は、ルーミアは様々なものに興味を持ったものだ。力を大いに使い、好き勝手に振舞った時期もあった。まあ、そういった心は、すぐに擦り切れてしまったが。身に心に刻まれた傷は、治る前に忘れた方が早い。だから、その頃の記憶は殆ど喪ってしまった。忘れれば忘れるだけ、魂が軽くなっていくような錯覚にさえ、ルーミアは囚われた。
……そんな生き方をしているからだろうか。月と、月明かりを煌めかせるこのリボンが、なにより愛おしく感じる。
自分がどんなに忘れようとしても、月だけは毎夜空に浮かぶ。嫌でも、あの輝きは忘れられなくなる。――月も、自分のことを覚えていてくれる。
いや、実際にはそんなことは有り得ないのだろうが、ルーミアはそう感じずにはいられなかった。月が、月だけが、自分の存在を忘れないでいてくれるのだ。遠回りした、恋人達にも似たような関係に、ルーミアは惹かれていた。
そして、その間を取り持つ紅いリボン。これがなければ、きっと自分は存在する意義を失っていただろう。
(本当に誰だったかしら? このリボンくれた人って……)
改めてお礼でも言いたかったのだが、その姿がそれこそ闇に塗り潰されたように思い出せない。
(ま、いっか。空でも飛んでたら思い出すかもしれないし)
そもそも思い出したところで、その人物に会えるかどうかも怪しいというのに、自分は何を考えに耽っていたのか。追憶なんて柄じゃないわ、とルーミアは独りごちた。
ふわり、とルーミアのつま先が夜空に浮かぶ。こんな夜は考え事をするより、月と共に散歩をするのが一番だ。
黒いワンピースに包まれた身体は、すぐに夜空へと舞い上がった。
空に浮かんだルーミアの身体に、満月の光が一杯に降り注ぐ。それだけでルーミアの心は満たされた。そのまま月に近づくように、夜空を思うままに飛翔する。
(夜明けでこの月とはお別れだけど、それでもいいわ)
身に纏う闇は要らない。ただ何も考えず、月と一方的に世界を紡げればいい。そのことだけを心に刻んだルーミアは、眠るように瞳を閉じた。
今日の風は、いつになく心地良い。
今日はあれだってね、スーパームーンとかいうやつ。
読んでてなんとなくmoon light step思い出した。
また別の物語も読んでみたいです。