鏡に映る自分の姿を見て美鈴は溜息を吐いた。
寝起きであちこち跳ねている紅い髪、肩口からずり落ちたシャツ。
そこから見える胸元はぺったんこで、またシャツの下は膝元までかかっていた。
背が縮んだ。……と言うより子供になったと言った方が正しい。
「やってしまった」
しばしそれを眺めて美鈴は溜息。
この姿になるのは随分久しぶりだと苦笑する。
ようは気の使い過ぎだ。
美鈴の扱う「気を操る程度の能力」における気とは生命力を換算したものである。
故に使えば消耗する。ただ、どれほど使えば不味いのかその限界値は把握済みだったつもりだが。
「見誤るなんて……平和ボケかしらねぇ」
はふぅと頬に手を当て吐息。
幻想郷に来てからのこの十年は本当に平和で幸せで。
外の世界に比べて、信じられないほどに安全だったから。
だからこそ感覚が鈍り見誤ってしまったのかと。
そもそもの原因とは昨日の事。
世話をしている花壇の一角の龍脈が乱れているのを見つけた。
龍脈とは大地を流れる血液の様な物で、当然何らかの原因で淀む事もある。
このまま放っておけば花が育たないだけでなくいろいろ良くないモノが集まってきてしまう。
美鈴はそれを直す為に自身の気を介して龍脈の流れを戻したのだがその時に使い過ぎてしまったらしい。
そしてその結果がこの子供の姿だ。つまりは節約モード。
こうなってしまうともうどうにもならない。
徐々に回復して元の姿を取り戻すまでおおよそ安静にした状態で一日かかる。
その間には庭仕事はともかく、戦闘どころか弾幕ごっこも怪しい状態だ。
「参った」
心底困った様に美鈴は肩を落とした。
そのはずみでシャツが完全にずれ、ぱさりと落ちて幼い肢体が露わになる。
美鈴は再び溜息をついて、まずは服を調達しなくちゃね、と呟いた。
太陽の日差しは心地良い。
雲一つない晴天で、燦々と陽の光が降り注いでいる。
そんな中で日課の太極拳を済ませた美鈴が木陰で座り込んでいた。
疲れたのである。いつもならどうという事も無い演舞もこの体だと堪えるのだ。
「にしても」
美鈴はふと己の体に視線を落とす。
妖精メイドから借りたエプロンドレスはどうも落ち着かない。
動くたびにスカートが翻ってどうも腰元がすーすーするのだ。
まあ、何が見えたところでこんなちんちくりんで喜ぶ輩もいないだろうからどうでもいいのだが。
「はぁ」
ともあれ、この姿を晒した時の皆の反応を思い出して溜息。
咲夜は呆気に取られていた、それが普通なのだろう。
だが図書館組は興味津々でフランドールに至っては部屋に連れ込まれそうになったのだ。
出会う妖精メイドや部下の門番妖精達は一様に撫でまわそうとしてくるし……。
まあ、ここまでは良いのだ。
少なくとも悪い印象は無いし、ある意味自業自得でもあるからだ。
だけど一番美鈴を悩ませているのがレミリアの一言だった。
「今日は仕事せずに休んでいなさい、かぁ」
困惑したように呟く。まあ、順当と言えば順当。
だけどこの体でも出来る事はあるのだ。
たとえば花壇の世話。
たとえば、弾幕こそできないが門番業務で来客の対応など。
でも、休めと言われてはそれも出来ない。
休日でもないのに自身の都合で仕事が出来ない事に美鈴は情けなさを感じていた。
「はぁ」
再び漏れる溜息。
そのままべたんと後ろに倒れ込む。
目の前に広がる空は青くて、とても澄み切っていて。
それがなんだか余計に空しさを増長させるのだ。
「はぁぁ」
「溜息なんて吐いてどうしたのよ」
聞こえた言葉と美鈴は共に不意に頭が持ち上がるのを感じた。
それから後頭部が何か柔らかい物に触れる。どうも膝枕をされたのだと美鈴は悟る。
「咲夜さん」
そして、先ほどまで青空だった視界に見慣れた顔が映った。
「なんでもないですよ」
だからと咄嗟に浮かべる笑顔。
心配掛けない様に、安心できるように。
だけど咲夜は眉を顰めて、今度は彼女が溜息を吐いた。
「咲夜さん?」
「まったく……」
呆れた様な呟きの後、咲夜の手が伸びて美鈴のおでこにおかれた。
それから前髪を払って、その髪を梳きはじめる。
「あの……」
「………」
困惑した様な美鈴の声に咲夜は応じない。
どこか不機嫌そうに紅い髪梳く様子に美鈴は口を閉じる。
しばしの静寂。
ただ、その手触りは柔らかくて、とても心地よくて優しい。
「何時もと逆ね」
やがて咲夜が言葉を紡ぎ始めた。
「いつもは私が美鈴にしてもらう側だったから」
咲夜にとって幼い頃より傍にあったこの妖怪は親代わりであり友達でもあった。
悪魔の館において唯一の人間であった彼女を誰よりも気遣い、世話を焼いたのが美鈴だ。
そんな美鈴に当然の様に咲夜は懐き、そして良く甘えていた過去を思い出す。
「ねえ、美鈴」
「はい」
「どうかしら?」
「え?」
「誰かを撫でるなんて、滅多にしないから」
咲夜の顔に僅かに照れた様な笑みが浮かぶ。
「そうですね……心地良いです」
「良かった」
「それに……私も、誰かに撫でてもらうなんて随分久しぶりですから」
「そう」
柔らかい感触は耳元を擽って、頬を伝って。
「ねえ、美鈴、覚えてる?
私がまだ幼い頃によく風邪をひいていた事」
「はい、あの時の咲夜さんは無理ばかりしようとして……」
「そうよ、それを貴方が見つけるたびに無理やり部屋に運んで、体を拭いて着替えさせて」
「……はい」
「果ては添い寝して、ちゃんと眠るまで見届けて」
当時を思い出したのか咲夜の瞳に苦笑が浮かぶ。
「貴方は言っていたわね、どれほど忙しい時でも無理せずに休む事。
私がいますからって、大丈夫ですから任せて下さいって」
「……」
「貴方の気持ち、今なら分かるわ」
日差しは気持ち良くて、咲夜の手は優しくて。
「だから貴方も、私の今の気持ち分かるでしょう?」
「……咲夜さん」
「花壇の世話も、門番業務も、今日くらいは私達に任せて欲しいの」
「……」
「だから今は休んで?今日くらいは肩肘張るのはやめてほしいの」
声には真摯な響きが含まれていて、だから美鈴は答えずにただ瞳を閉じた。
「大丈夫。私がいるからどうか安心して、ね」
「……はい」
そうして堪忍したように体に力を抜いて咲夜へと身を預けるのだ。
心地良い、と美鈴は思った。
部屋は薄暗く、時折窓から入り込む風が頬を擽る。
意識はまどろんでいて、ただうとうとと揺蕩っていた。
「どうかな、美鈴」
幼い声が聞こえる。
回された両腕も、吸血鬼の冷たさも随分心地良い。
「自分より小さな誰かを抱きしめるなんて初めてだから」
胸元へと美鈴を抱いてフランドールは穏やかに語りかけた。
あれから、咲夜に言われるがままに部屋に戻った美鈴を彼女が待っていたのだ。
美鈴が無茶しないかの見張り、と称して添い寝してくるフランドールに美鈴は困惑した。
最初こそ戸惑ったものの、フランドールの期待を込めた眼差しには勝てずに共にベッドに入った。
いざそうしてみると現金な物で、なかなかの心地良さに弱った体はすぐに眠気を覚え始めた。
「………心地良いです」
声は重く、とても眠そうで。
それに対してそう、とフランドールは嬉しそうに呟いた。
「美鈴、私ね」
眠りの淵にある美鈴にフランドールは囁く。
声は優しく、歌うように心地良く。眠りを邪魔しない様に。
ただ独白の様に紡がれる。
「美鈴を愛してるって、そう思ってた」
でも違った、と彼女は続けた。
「私は告白もしたし、貴方を求めもした」
まあ、報われていなかったけど、と少し苦笑。
フランドールが美鈴に対して最初に抱いていた物は親愛だった。
優しい美鈴。
いつも笑顔で、何時も暖かくて。
常に傍で助けてくれていた。
だから欲しくなってしまった。
本能のままにこれは愛だと錯覚して。
「でも、それはきっと、恋だったのね」
焦がれて、焦がれて。
求めて、求めて。
欲しがってばかりで空回りしていた。
「私ばかり満たされようとしていて、美鈴の都合なんて考えてなかった」
求める事、望む事。
それはきっと恋なのだ。
フランドールは抱いた美鈴の髪に頬を付ける。
それから思い出すのだ。
告白した時の美鈴の困惑した様子。
求めて、誤魔化された時に落ち込む自分を気遣う様子。
それは優しさ、美鈴なりにフランドールを傷つけまいとした。
やんわりと断られて、でも僅かに希望を残してくれて。
つまりは結局のところ、美鈴にとってフランドールはいつまでも娘だった。
姉や、咲夜と同じ。
でも、いつか思いを示し続ければ変えられると自分勝手に考えていた。
「今朝、美鈴の弱った姿を見た時に思ったの」
普段見慣れた美鈴と違った姿。
小さな子供の姿はか細く、小さくて。
余りにも弱々しくて、だからこそ。
「美鈴に何かしてあげたい、安心して欲しいって」
ああ、与えてあげたいと思った。
何時も貰ってばかりだったから。
愛情も、安心も、幸せも。
「ねえ、きっと」
吸血鬼は誰かの弱みに敏感だ。
これは本能的なもので、だからこそ信頼できる感覚で。
その感覚を持って、笑顔であるがその実、美鈴が不安であるとすぐに分かった。
その時、初めて、守ってあげたいと、安心させてあげたいとそう思ったのだ。
「これが愛なんだよね」
それはきっと、与える事。
一方通行でなく、お互いに幸せになれる様に。
いままでそんな事に気が付く事も出来なかった。
「ああ、悔しいな」
フランドールは少しだけ悲しそうに笑う。
「もっと早く気が付いていれば、美鈴を困らせる事も無かったのに」
抱いた美鈴の頭を優しく撫でて。
その髪に口づけて。
「だから、今度からは美鈴を助けてあげたい。求めるだけじゃなくて。
だから私の前では不安な様子を隠さないでね、助けてあげたいから」
心地良い、とフランドールは思う。
美鈴の寝息を感じて、少しでも安心させてあげられたかな、と。
「ねえ、美鈴」
暖かな体温、規則正しい心音。
それからはもう不安な様子は感じられない。
「これからは、ちゃんと私に貴方を愛させてね」
そう呟くとフランドールは瞳を閉じた。
「そして、それが本物になったら、今度こそ私を受け入れて欲しいな」
頬が熱いなと、思った。今の言葉は美鈴にはきっと聞こえていないのに。
いや、聞こえていないと思ったからこそ呟いたのに。
愛など、今まで恥ずかしげも無く散々呟いていたというのに。
いまさらどうしてこんなに恥ずかしいのだろうと少し笑って。
それがどうしようもなく心地良いとフランドールは思った。
美鈴が目を開くと、辺りは夜闇が支配していた。
灯りと言えば閉め切られたカーテンから僅かに月明かりが差し込むだけだ。
「もう夜……」
ベッドに一人きり。
フランドールは美鈴が寝入ったのを確認して移動したのだろう。
それが少し寂しいと感じて、それから苦笑する。
弱っているな、と。
自身の都合で誰かに何かを求めるなんて随分久しぶりだった。
自分は与えるだけで良いはずなのに、咲夜にもフランドールにも迷惑をかけてしまった。
「目が、醒めたのね」
「はい」
ベッドに身を横たえる美鈴の傍には小さな蝙蝠。
それが四方八方から集まりレミリアの姿に変化する。
「よく休めたかしら?」
「はい、おかげさまで」
「それは何より」
身を起こそうとする美鈴を宥めて、レミリアはカーテンを開ける。
綺麗な月明かりが部屋を照らして、少しだけ眩しくて美鈴は眼を細めた。
「ねえ、美鈴」
「はい」
「その姿になったのは何時振りかしら?」
「そうですね……」
探った記憶は随分と深い。
あれはたしか……。
「おおよそ、二百年ほど前でしょうか」
当時身を潜めていた隠れ家が襲撃された時だった。
敵の狩人は狡猾で、強くて、手段を選ばない者だった。
辛うじて勝利をおさめたものの、当時の仲間はほとんど倒れ、美鈴自身も瀕死となった。
そして次の日、目が覚めてみれば子供の姿だったのだ。
「うん、そうね。
あの時、生き残れたのは私とお前と、数人だけだった」
レミリアはベッドの縁へと腰掛けるとさらに問うた。
「あの時、美鈴が言った言葉を覚えてる?」
「いえ……すいません」
「そう、教えてあげる。お見捨てください、だ」
レミリアは思い出す。
あの時も笑顔のままで、もし足手まといになる様だったら捨て置いてくれと。
次の襲撃を警戒するレミリアに美鈴はそう言ったのだ。
「そうでしたね、そして怒鳴りつけられました」
対するレミリアの答えは怒りだった。
ふざけるな、と、初めて美鈴に心から怒鳴りつけたのだった。
「ねえ、美鈴」
「はい」
レミリアの表情は穏やかで、少しだけ悲しそうで。
「あの時に言えなかった言葉を今言わせて」
情けなくも臆病だったから言えなかった言葉を、とレミリアは紡ぐ。
「もう、いいんだ」
「……え?」
言えば、美鈴が離れて行ってしまうような気がして。
いま思えば、そんな事は決してなかったはずなのに。
「我等の為に、自分を犠牲にしなくてもいいんだ」
「お嬢様……」
ずっと、そうだった。本当に長い間。
あの懐かしい深き森の城を追われてから五百年もの間。
美鈴は身を呈して、全てを捧げて、レミリア達を守り続けてきた。
何度も死にかけて、ボロボロになって、自分すら捨てて。
「何もかも一人で背負いこむのはやめてくれ」
「はい」
「そして、美鈴は私達はもう一人前と認めてくれただろう?」
「……はい」
「だから、今度は頼って欲しい。
辛い事があったら、悲しい事があったら、我等に頼って欲しい」
かつてレミリア達が美鈴にそうしていたように。
「今度は美鈴に報いていきたいから」
美鈴がただ何の見返りも求めずに尽くしてくれていたように。
「ですが……」
「それとも、我らでは役者不足か?」
「………いえ」
美鈴の瞳が揺れていた。
月明かりに反射して、そしてそれが紅い瞳を映していた。
「お前は私たちが幸せになって欲しいと思っているだろう?それは私たちも同じなんだ、だから……」
声が震えていた。
ああ、そうなのだ。
「……私は」
人は成長するのだ。
幼い世間知らずだった娘が、今はとても眩しく見えて。
だから良いのかと、求めていいのかと。
美鈴にそう思わせるくらいに立派になって。
「……努力はします」
でも、彼女は辛うじてそう呟くのがやっとだった。
「うむ」
きっとすぐには変われないから。
余りに長い時の中で、甘え方などとうに忘れてしまったから。
「じゃあ、さっそく……」
「え?」
「それを手伝ってやろう」
「あの?」
悪戯っぽくレミリアが笑う。
「さあ、何か私にして欲しい事は無いか、美鈴。
ああ、特にないとか迷惑じゃないかとか、そういう逃げは無しだ」
情けなく歪む美鈴の顔がおかしくてレミリアが笑う。
美鈴は困惑し、悩んで、それからやがて照れたように眉を下げて。
「でしたら……」
「うん」
「こんな成りでなんですが……あの時の様に、母と呼んでくれませんか?」
「な……」
言葉に今度はレミリアが怯んだ様に頬に朱を乗せる。
いつぞやの日、一度だけ美鈴の事を、母と呼んだその日の事をレミリアははっきりと覚えていた。
そして美鈴は歓喜してくれて、でもその後恥ずかしさのあまりしばらく棺桶から出れなかった事を思い出す。
「え、えと、それはだな……」
見つめる美鈴の瞳はただ期待に満ちていて、今更発言は取り消せそうになかった。
「わ、わかった、お前が望むのなら……」
「……」
覚悟を決めたようにレミリアが表情を引き締める。
「そ、その……ね……」
「……」
「お、おかあ……」
「……」
「……」
こほん、とレミリアが仕切り直すように咳払いをする。
それからただ自分を見つめる美鈴に対して、確かに言葉を紡ぐのだ。
「愛してる、おかあさん」
言葉が終わるとともに、美鈴がレミリアにしがみ付いて。
レミリアは照れながらも胸元の美鈴をしっかりと抱きしめる。
月明かりに美鈴の耳が先まで赤くなっている事を確認して、自分もそうなんだろうなと意識して。
それがなんだか嬉しくて、思ったよりも恥ずかしくもなくて。
まあ、偶にならこう言うのも悪くないとレミリアは一人思うのだった。
-終-
近作も素晴らしいお話をありがとうございました。
咲夜の恋人でフランの嫁でレミリアのお母さんとか最高だな…!
ってか門番隊全員から狙われてるのかw
>>「それとも、我らでは役不足か?」
役者不足?
やはり美鈴はみんなに愛されているのがいいですね
美鈴がいかに身をすり減らしてきたか、そして皆に感謝されていたかが分かって和やかな気分になった
まだ弾幕決闘が制定される前の過去の話も見てみたいなあ……吸血鬼は幻想郷の内にも外にも
敵が多いしさぞかし大変だったろうに
美鈴のことを思いやれる紅魔館メンバーが素敵ですね。
愛され美鈴は正義!
最後の「玉に~」は「偶に~」だと思う
愛され美鈴と、愛され紅魔館。
どのキャラクタもイキイキと可愛らしく、面白かったです。