鬼……?
ええ、勿論知っていますよ。
彼等ほど人間を良く知り、関わりを持ち、そして愛した妖怪は他に居ないでしょう。
義と任侠の心を持ち、嘘を嫌い、最も純粋で粋な妖怪です。
それ故に彼らは強く、そして弱かった。
彼等はどうして幻想郷を去ったか……ですか?
そうですね、では少し昔話でもしましょうか。
それは、まだ私が『今の私』ではない頃の幻想郷のことです。
あの頃は、まだ妖怪の山を鬼たちが統べていました。
今では妖怪の山と呼ばれていますが、当時は大江山と呼ばれていました。
そして山の麓には村がありました。
……妖怪の山の麓なんかにあって危険は無かったか、ですか?
はい。鬼たちは理由も無く人間――――弱者を襲うような性格はしていませんでしたから。
妖怪たちも表面的には、鬼の方針――無暗に人間を襲わない――に従っていました。
まあ、鬼たちは疑うことを知りませんからね。
ですから、鬼を欺き人間を喰らう妖怪も、少しはいました。
ただ、鬼からの被害が皆無だったわけではありません。
その被害とは――――『人攫い』でした。
文字通り人を攫うのです。
そして返せてほしければ、勝負をして勝てと言うのです。
とは言っても、実際は勝敗に関わらず、傷一つ無く返してくれたようです。
子供に至っては帰りたくないと言う始末だったそうです。
それに勝負に勝てば、鬼の持つ宝を一つ貰えるので、実際は良いことずくめですね。
当時は今は失われた鬼を退治する技法も残っていたそうなので、少ないながらも鬼の秘宝を勝ち取った事もあったと聞きます。
当然、鬼は手加減をしますが、それでも鬼に勝てるのはすごいことですからね。
妖怪に喰われる人が少なかったのも、鬼とタイマンを張れる強い人間がいたからでしょうね。
人と鬼はある種の『絆』で結ばれていたのかもしれませんね。
その絆は、歪な結び目だったのかもしれませんが。
さて、前置きはここら辺で、そろそろお話を始めましょうか?
鬼が幻想郷を去った、その理由を……。
麓からほど近く、山道から少し逸れた天然の森の広場。
一対の長い角。
それに天に向かい真っ直ぐに伸びる一本。
三本の角が大酒を喰らった呑兵衛のように、ゆらゆらと中空で揺れていた。
「勇儀よぅ……?」
「なんだ萃香よぉ……?」
一対の角を持った少女が一本角の女性に、少女特有のかん高い声で呼び掛けると、一本角の女性も少女と同じように言葉を返した。
「ひまだー」
座っていた人間大の岩から、ピョンっと飛ぶ少女。
陽光を跳ね返す、腰ほどまで伸びる黄金色の髪を侍らして、見事地面に着地する。
座った姿勢ではない、地に足を付けた少女の姿は非常にアンバランスなものだった。
容姿は垢抜けた可愛らしい、まるで鬼灯のように華のある少女。
人間よりも手足が少し長い程度で、極端に頭身が偏っているというわけではない。
ただ余りにも巨大な双角が少女の正体を暗に示していた。
鬼と。
「私だって暇さ、最近は人間との決闘もめっきり無くなったからね」
同じく岩に座った女性が鬼の少女に返事を返した。
女性の額からも、少女と同じように角が生えていた。
大きさこそ少女ほどではないが、それでも言い知れぬ圧力のようなものが溢れていた。
彼女もまた鬼。
「そうだよね……久々にやるかぁ……!」
「やるって、あれか?」
「そ、あれっ!」
「「人攫いっ!!」」
鬼が支配する山において技の萃香、力の勇儀の異名を持つ、二鬼の無邪気な声が、大江山に響き渡った。
「おぅおぅ、見てみなよ勇儀。今日はお祭りか何かかな? まだ真昼間だってのに、人間どもが酒をかっ喰らってらぁ!」
山の麓の村では、月に一度の宴会の準備が行われていた。
準備と言っても、ただ村人たちが各々で酒を宴会の場に持ち寄るだけで、既に宴会の前哨戦が行われていた。
村から少し離れた空から、村人たちの様子を眺めるのは無類の酒好きが二鬼。
「そのようだね……」
うずうずと、今にも意志を無視して宴会に飛び込んで行ってしまいそうな体を押さえ、勇儀は応えた。
「いつもなら参加させてもらうところだけど、今日は仕方ないよ……?
」
「分かってるさ」
「攫った後に参加しよう」
「あぁ、そうだな」
物騒な事を口にするも、二鬼の会話を聞く者はいない。
「さぁて勇儀? 今日は誰を攫う、大人? 子供?」
「そうだねぇ……」
勇儀は美味い酒を選び、品定めするような目で村を眺め始めた。
数刻ほどの後、萃香と勇儀は同時に、同じ人間を指さした。
「「あの子だ」」
瞬間、空中から二鬼の姿が掻き消えた。
刹那の後には、二鬼は村の中心に、一人の女の子の前に立っていた。
「え……?」
状況が掴めず素頓狂な声を上げる女の子。
「やぁ、お嬢ちゃん。
名前、なんて言うんだい?」
ニカっと、人懐こい笑みを浮かべる萃香。
一見すれば同年代に見える萃香。女の子はすぐ心を許し、同じように人懐こい笑みを見せた。
「わたし、阿夢!」
元気よく女の子は名乗った。あむ、と。
「そうか、よろしく阿夢。私は萃香、鬼の萃香だ」
「私は勇儀。私も鬼だ」
「うん、よろしく鬼のお姉ちゃんたち!」
二鬼の頭にそそり立つ角を見ても、物怖じすらせずに快活な笑いを零し続ける阿夢。
「さて……自己紹介も済んだけど、私と勇儀は阿夢を攫わないといけないんだよ」
「攫うって、私を……? どうして?」
「それは私や萃香が鬼だからだよ。鬼は人間を攫うもんなんだ。
阿夢だって勉強をするだろう? それと同じで、私ら鬼は人を攫わないといけないのさ」
「あ、そっか……」
そうだった、と。
思い出したようにはっとする阿夢。
急に阿夢は二鬼に背を向けた。
「じゃあ、ちょっとお母さんに言ってくる! ちょっと待ってて!」
「あぁ、ちょっと待ちな!」
勇儀は自分の家に向かって駆けだそうとした阿夢を呼びとめた。
「攫う時は誰にも言わずに、秘密で攫わないと駄目なんだ。だから、そのまま私らに攫われてくれないか?」
「お母さんに行ってきます言ってからじゃ駄目なの……?」
「お母さんには私が言っといてあげるよ、だから阿夢は一先ず勇儀に連れてってもらっといてよ」
「行くって、何処に?」
「私らのお家さ――――」
と、まあ。
可憐な少女、阿夢ちゃんは攫われてしまったのです。
……え、どうして阿夢が超絶美少女だって分かるか?
名前からして、高貴さや華やかさが溢れ出ていますでしょ。
ともかく、阿夢ちゃんはとっても可愛い女の子なんです。分かりましたね。
……しかし、村のど真ん中に現れて少女を連れ去ると、大声で宣言している時点で、秘密ではありませんね。
さすが鬼はなんでもかんでもスケールが大きいです。
かくして鬼の住処へと連れ去られてしまった阿夢ちゃん。
一体どうなってしまうんでしょう。
では、続きをお話しましょうか。
「あはははははっ!」
大江山の中腹。
その開けた広場に陽気な笑い声が広がり、木魂した。
「こんなに楽しいこと初めて! 美味しい食べ物と果物はいっぱいあるし、見たことのない玩具が沢山ある!」
声の主は阿夢だった。
阿夢の周りには色彩豊かな果物に、村の宴会に出る物よりも豪華な食べ物が並んでいた。
しかし阿夢の瞳に映るのは、もっと別のものだった。
「あぁ……それは山の河にいる河童たちが作ったもんだね。何か作っては私らに渡してくるんだよ」
一升は入りそうな大盃を片手に、勇儀が言った。
「触っても良い?!」
「好きにして良いよ。どうせ私らが持ってても使わない」
阿夢は無造作に積まれ、また転がった玩具の山を開拓し始めると、勇儀の横の空間に霧が集まりだした。
霧は意志を持っているかのように形をぐにゃぐにゃと変えて、次第に密度を濃くし、そして体を形作った。
「ふぅーぃ……ただいまー」
「おかえりさん、どうだった?」
現れたのは萃香だった。
「うん。今日にでも来ると思うよー。
今日は宴会があるし、多分日が沈む前には来るかな?」
萃香は腰に括り付けた瓢箪の口を開けて、勇儀の持った盃に中身の酒を注ぎ始めた。
「そいつは楽しみだ、今日はどんな人間が相手をしてくれるんだろうねぇ……んっ」
溢れる程に酒を注がれたのを確認し、勇儀は勢いよく酒を嚥下した。
一呑みで盃を空にすると、空いた盃を萃香に手渡した。
「っま、それは来てからのお楽しみってもんだ……んぐっ」
同じく溢れるくらいに酒を注ぎ、勇儀に倣うように一呑みにした。
「っぷぁ……相変わらず、勇儀の盃――星熊盃――は便利だね。その盃に酒を注いだら、数段上手く感じるよー」
「感じるんじゃなくって、実際に上手くなってるんだよ。
それを言うなら、萃香の瓢箪――伊吹瓢――だって同じだろうに。無限に酒が溢れるなんて、酒に困らないじゃぁないか」
「隣の芝生は青いってやつだよ、お姉ちゃんたち!」
山の開拓は終えたのか、阿夢が会話に割り込んできた。
「他の人が持ってるものは、何でも良い物に見えちゃうものなんだよっ?」
へへん、と。
自分の持つ教養を披露して、天狗のように鼻を伸ばした。
「それより、おかえり萃香姉ちゃん! お母さん何か言ってた?」
「あぁ、今日の日落前には村人の何人かと一緒に来るってさ。あんまり迷惑をかけないようにって言ってたよ」
「そっか、分かった! じゃあお母さんが来るまで何かしてようよっ!」
萃香に母からの言伝を聞くと満足したのだろうか、すぐさま次の行動を起こそうとする阿夢。
二鬼もそれに嫌な顔一つせず、二つ返事で頷くのだった。
と、こうして鬼と人間の決闘の場が設けられたのです。
それにしても、今の幻想郷でこんな事が起これば、これはもう異変ですね。
きっと赤と緑の巫女さんや、白黒の自称魔法使いが黙っていませんね。
しかしそれは同時に、鬼と人間の間の絆が失われてしまった事を意味します。
あの時、そしてあの村に限っては、その絆は強固な信頼関係があったのです。
さて……しかし私が今お話ししているのは、どうして鬼が幻想郷を去ったか、という話でしたね。
そうです。
今回の人攫いは今までとは違ったのです。
丁度この時期に、村の新しい村長が決まったんですね。
宴会もそれを祝うのを目的としたものでした。
そしてその村長なのですが、かなり妖怪を嫌う御人だったんです。
幼少の頃に家族を妖怪に殺され、挙句目の前で食べられてしまったんですよ。
当時の博麗の巫女が辿り着いたころには、その子以外は既に亡くなっていたそうです。
それ故に彼の妖怪に対する憎しみや恨みは、とても強かったです。
……では、続きをお話ししましょうか。
大江山が橙色に染まる。
二鬼と一人の少女の眼前には、地平の彼方に沈んでいく日輪があった。
「まだかなぁ……?」
「もう来るさ……ほぉら、噂をすれば、だ」
言った勇儀の視線の先。
そこには陽光を背にした、十数もの人影。
「あ、お母さんだ!」
阿夢が指差す先には、まだ年若い一人の女性。
しかし我が子との再会にもかかわらず、その表情は暗い。
「んー、おっかしいなぁ……?」
異変を感じたのは萃香だった。
「なにがだい?」
何も感じない勇儀。
「いやね、私があの子の母親にあった時は、そりゃあもう良い笑顔を見せてくれたんだけどな。
村の子供が攫われるのなんて、今回が初めてでもないだろ?
いつも無事に帰してやってるってのに、何であんなに不安げな顔をしてるんだろう、って思ってね」
「んー……そう言われてみれば、どいつもこいつも辛気くせぇ顔をしてるね」
二鬼が言葉を交わしている間に、村人たちは二鬼の元に辿り着いていた。
一人の男が一歩前に踏み出した。
「本日付けで、新たな村の長になったものです」
無機質な声で、そう言った。
「はー、まだ若いのに長かい?」
「はい。まだまだ若輩者ではありますが、今後とも鬼の皆様とは良い関係を――――」
「あーあー、いいよいいよ、そんなに固くならなくっても! 今まで通り、それでいいだろう?」
「えぇ、そうですね……今まで通り、『人間と妖怪の関係』であってゆこうと思います」
ニヤリと、どこか暗い闇を孕んだ笑みを零す村長。
萃香はそれに気付くことも無く、ある結論を出していた。
『皆がどこか緊張しているのも、新しくなった村長との関係がしっかりしていないから』と。
「つきましては、今後の友好関係の発展を願って……」
村長は付き人に目配せし、ある物を取り出させた。
「一献、どうしょう……?」
「おぉ、いいねっ!」
取り出したのは、酒だった。
それを見るや、萃香と勇儀は目の色を変えた。
「とは言え、これだけでは呑み足りますまい。
であれば、この一杯は後に控える我が村での宴会の前祝い……ということでどうでしょうか?」
「ほぅ、つまりは私と萃香をあんたらの村の宴会に呼ぼうってか?」
「その通りです。
さぁ、これ以上の言葉は必要ないでしょう。後は……?」
トン、と酒瓶を地面に起き、懐から三つの盃を取り出した。
「酒で語ろうってわけだね! よぅし、乗ったー!」
萃香は一も二もなく村長に近付き、その手から盃を引っ手繰った。
勇儀もやれやれ、と手を額にやりながら首を振るも、釣り上がった口角は喜を隠しきれてなかった。
「では、乾杯を……」
「だね、乾杯!」
「あぁ、乾杯!」
控えめに注がれた盃を一気に煽る二鬼、そしてその後に続いて村長もゆっくりと煽った。
そして盃を下ろした後に現れた顔には、名状しがたい面の皮が張り付いていた。
喜び、怒り。正と負が入り混じった表情が、そこにはあった。
「クククっ……」
「ん、どうした……ぁりゃ……」
突如笑いだした村長に、何事かと問おうとした萃香。
しかし言葉を言い終える間もなく、華奢な体は地に倒れた。
後を追うように、勇儀もその横に伏した。
「クァーハッハッハッハァ! どうだ、どうだ、上手くいっただろう?!」
狂ったように叫喚し出す村長。
背後に控える村人たちも、余りに人間離れした長の姿に戸惑いを隠せていない。
「上手く、いっ、た……? どうい、うこと、だ……?」
何とか顔だけ動かした萃香が、途切れつつも村長に問いただした。
「どういうことかだと? 決まってるだろ、お前らクソどもを騙す計画が成功したって言ってるんだよォ!」
「……だま、す………………?」
「そうだ、騙したんだよ!
もうお前らとの関係なんてうんざりなんだよ!
なぁにが良い関係だぁ! お前ら鬼どもとの理不尽な関係なんてクソ喰らえだ!」
唾を散らしながら叫ぶ村長。
そしてその内容に、萃香と勇儀は呆然とした。
どういうことだ、どういう意味だ。
二鬼の思った疑問は同じだった。
「人間と鬼との絆? そんなものが本当にあると思ってたのか、最初っからそんなものは無かったんだよォ!
お前ら鬼が勝手に言って、俺たちを巻き込んでいただけだ!
俺とお前たちにあるのは『人間と妖怪』という関係だけだ!
妖怪は人間を襲う、ならば人間は身を守らなければ――――」
「「――――……ったのか?」」
不意に発せられた二鬼の言葉が、場の時間を凍り付かした。
吹いていた風は止み、虫たちの鳴声も消え失せた。
「「謀ったのか、と聞いている……」」
ゆらゆらと、二鬼の体から不可視の気が吹き出した。
不可視。しかし村人にはくっきりと見えただろう。
悲哀と憂愁に満ちた、紫と紅が。
「「応えろ、人間ッ!」」
「ぅ、ぁあ……そ、そうだ、そうだァ!
だ、騙してやったのさ、馬鹿正直で疑う事をしない鬼様をな! ひ、へっひひ……!」
村長は冷や汗と脂汗を顔に張り付かせながらも、狂ったように下卑たる笑いを続けた。
二鬼に呑ました『神便鬼毒酒』と呼ばれる、鬼を弱らせ人を強める妙酒。
そして彼の妖怪に対する強い憎しみが、鬼の怒気の中で言葉を発せさせたのだろう。
「……またか、またなのかぁ!
お前ら人間は、いつだって私たちを騙す!
あの時も、そして今この時も!」
「私たちが嘘を嫌う事を知って尚も、お前たちは騙すのか!」
互いが互いの言葉を補うように、つらつらと悲痛に満ちた声を人間に投げかけた。
「「ぅあ、ぁあああぁああああああああああああああっ!!!」」
二鬼は、立った。
以前は動くことも叶わなかった、毒酒の束縛を砕いて立ち上がったのだ。
「ひ、ひぃぃ!」
地に足を付けた二柱の鬼神を見るや否や、村人たちは一斉に逃げ出した。
ただ三人を残して。
「な、なんで動けるっ?! 確かにこれを呑んだ鬼は動けなく――――」
「――――黙れ」
勇儀は刹那よりも短い時間で、男の眼前に動き、言った。
「か、ぁ……!」
だらしなく口を開け、ふちから涎を垂らす男。
眼球をぎょろぎょろと動かし、既に意識があるのかすら怪しかった。
「勇儀……」
「…………分かってる、殺しゃしない」
男に背を向けた勇儀は、萃香と共に歩き出した。
村人たちが逃げた方向と逆、山の奥へと。
「ま、待って鬼のお姉ちゃんたちっ!」
呼び止めたのは、じっと静観を続けていた阿夢だった。
「阿夢、だめっ!」
更に呼び止め、阿夢の腕を掴んだのは、逃げずに留まっていた阿夢の母だった。
「どうして?! 私たちが悪い事したんだよ、ちゃんと謝らないとっ!」
「そ、それは貴方がやることじゃ――――」
「――――じゃあ誰が言うの?!」
「……それは………………」
パン。
乾いた音を立てて、阿夢は母の手を弾いた。
そして、歩を止めずに歩き続ける二鬼へと走り寄る。
「来るな阿夢」
立ち止まった萃香が、背中越しに言った。
「今ここでお前が来たら、お前は『そっち側』じゃ無くなっちゃう。
お前は人間だ、そして私たちは妖怪だ。そんな根本的な事を忘れていたのは、私らだったんだ。
元より相容れぬ存在、その間に絆なんてものを作るのは、土台無理だったのさ。
それは理解していたはずなのに、私たちは自分の心を偽っていたんだ……先に嘘をついていたのは、私たちだったのかもしれないな」
自嘲気味に笑う萃香。
「違うよ! 私は知ってるもん!
阿余が言ってたよ。『裏切るのはいつも人間』だって!」
しかし、阿夢は止まらなかった。
萃香の背中に飛びつき、言葉を続けた。
「人間は自分たちの欲に貪食で、求めることを止めない。そしてその追求の最後にあるのは、裏切りだって!
人間は同じ種族の仲間さえも欺くし、果てには殺し合うこともするって!
でもお姉ちゃんたちは違う! 仲間は裏切らないし欺かない、殺し合うこともしない!
人間にも嘘をつかないし、殺したことだって一度も無い!」
「阿夢……」
「萃香姉ちゃんも、勇儀姉ちゃんも、二人ともどっかに行っちゃう目をしてた!
悪い事したのは私たちなのに、二人が居なくなっちゃうなんておかし――――」
「――――阿夢……?」
「萃香姉ちゃん?」
「さよならだよ」
「私が覚えているのは、ここまでです。求聞持の能力を持ってしても、気を失ってしまってはどうしようもありませんからね」
「そうですか……」
長い昔話を終えた阿求は温い茶を飲み、酷使した喉を労わった。
「ほぅ……後のお話ですが、村は間もなく滅びました」
「え?!」
「あぁ、鬼に報復を受けた、というわけではありません。そんな事はしませんからね、彼らは」
「となると、犯人は?」
「大江山……いえ、妖怪の山に住みついていた妖怪たちです。
事が起こった後に、鬼たちは山を離れたのです。私たちの知らない、外の世界へ。
統率する者を失った山。そして妖怪たちは今まで人間の不殺を命じられて、抑圧されていた欲望を解放しました。
元より、妖怪は人間に仇名すものであるのは確かです。
まあ、鬼などの妖怪は置いておきましょう。
そう考えると、阿夢や阿余の考えは余りにも幼稚、かもしれません」
阿求はまるで自分自身の事のように、頬を染めて羞恥した。
事実、阿夢も阿余も御阿礼の子であるから、稗田阿求自身の発言と同意である。
「当時の私は幼かったからでしょう……。
それより、どうしてそんなお話をお聞きに来られたのですが茨華仙さん?」
阿求は机を挟んで、自分の対面に座る仙人に尋ねた。
「いえ……この間、旧知の者に出会い、それが鬼だったので、少し気になったんですよ。
お時間を取って申し訳ありませんでした」
よい、と腰を持ち上げて、阿求に礼をする華仙。
「いえいえ、私も昔話が出来たので、少し楽しかったです。
お帰りですよね? お気を付けて」
「ええ、ありがとうございます。
最後に……村が滅んだいう事は、あなた――――いえ、阿夢は……」
「ああ、それなら――――」
「阿夢っ!」
「大丈夫、気絶させただけ」
だらんと脱力する阿夢をそっと抱き上げて、地面に下ろす萃香。
そして阿夢に駆け寄る母。
「あんた、阿夢と一緒に逃げな。何処でもいい、ともかく麓の村には居ない方が良い」
勇儀が言った。
「私たちは……鬼はこの山から、幻想郷から去る。
きっと、この山と近くに暮らしていた妖怪は村を襲うだろう。
あんな場所にある村だ、私たちが人間を殺さないことを命令していなければ、一晩で無くなる」
「そんな……」
「もう村には戻るな、いいな? 阿夢を死なせたくないなら、そうしろ」
最後にそれだけ言って、勇儀は空へ飛び去った。
「じゃあね、阿夢……」
母の胸で寝息をたてる少女にそっと呟き、萃香も夕焼けの空に消えた。
ええ、勿論知っていますよ。
彼等ほど人間を良く知り、関わりを持ち、そして愛した妖怪は他に居ないでしょう。
義と任侠の心を持ち、嘘を嫌い、最も純粋で粋な妖怪です。
それ故に彼らは強く、そして弱かった。
彼等はどうして幻想郷を去ったか……ですか?
そうですね、では少し昔話でもしましょうか。
それは、まだ私が『今の私』ではない頃の幻想郷のことです。
あの頃は、まだ妖怪の山を鬼たちが統べていました。
今では妖怪の山と呼ばれていますが、当時は大江山と呼ばれていました。
そして山の麓には村がありました。
……妖怪の山の麓なんかにあって危険は無かったか、ですか?
はい。鬼たちは理由も無く人間――――弱者を襲うような性格はしていませんでしたから。
妖怪たちも表面的には、鬼の方針――無暗に人間を襲わない――に従っていました。
まあ、鬼たちは疑うことを知りませんからね。
ですから、鬼を欺き人間を喰らう妖怪も、少しはいました。
ただ、鬼からの被害が皆無だったわけではありません。
その被害とは――――『人攫い』でした。
文字通り人を攫うのです。
そして返せてほしければ、勝負をして勝てと言うのです。
とは言っても、実際は勝敗に関わらず、傷一つ無く返してくれたようです。
子供に至っては帰りたくないと言う始末だったそうです。
それに勝負に勝てば、鬼の持つ宝を一つ貰えるので、実際は良いことずくめですね。
当時は今は失われた鬼を退治する技法も残っていたそうなので、少ないながらも鬼の秘宝を勝ち取った事もあったと聞きます。
当然、鬼は手加減をしますが、それでも鬼に勝てるのはすごいことですからね。
妖怪に喰われる人が少なかったのも、鬼とタイマンを張れる強い人間がいたからでしょうね。
人と鬼はある種の『絆』で結ばれていたのかもしれませんね。
その絆は、歪な結び目だったのかもしれませんが。
さて、前置きはここら辺で、そろそろお話を始めましょうか?
鬼が幻想郷を去った、その理由を……。
麓からほど近く、山道から少し逸れた天然の森の広場。
一対の長い角。
それに天に向かい真っ直ぐに伸びる一本。
三本の角が大酒を喰らった呑兵衛のように、ゆらゆらと中空で揺れていた。
「勇儀よぅ……?」
「なんだ萃香よぉ……?」
一対の角を持った少女が一本角の女性に、少女特有のかん高い声で呼び掛けると、一本角の女性も少女と同じように言葉を返した。
「ひまだー」
座っていた人間大の岩から、ピョンっと飛ぶ少女。
陽光を跳ね返す、腰ほどまで伸びる黄金色の髪を侍らして、見事地面に着地する。
座った姿勢ではない、地に足を付けた少女の姿は非常にアンバランスなものだった。
容姿は垢抜けた可愛らしい、まるで鬼灯のように華のある少女。
人間よりも手足が少し長い程度で、極端に頭身が偏っているというわけではない。
ただ余りにも巨大な双角が少女の正体を暗に示していた。
鬼と。
「私だって暇さ、最近は人間との決闘もめっきり無くなったからね」
同じく岩に座った女性が鬼の少女に返事を返した。
女性の額からも、少女と同じように角が生えていた。
大きさこそ少女ほどではないが、それでも言い知れぬ圧力のようなものが溢れていた。
彼女もまた鬼。
「そうだよね……久々にやるかぁ……!」
「やるって、あれか?」
「そ、あれっ!」
「「人攫いっ!!」」
鬼が支配する山において技の萃香、力の勇儀の異名を持つ、二鬼の無邪気な声が、大江山に響き渡った。
「おぅおぅ、見てみなよ勇儀。今日はお祭りか何かかな? まだ真昼間だってのに、人間どもが酒をかっ喰らってらぁ!」
山の麓の村では、月に一度の宴会の準備が行われていた。
準備と言っても、ただ村人たちが各々で酒を宴会の場に持ち寄るだけで、既に宴会の前哨戦が行われていた。
村から少し離れた空から、村人たちの様子を眺めるのは無類の酒好きが二鬼。
「そのようだね……」
うずうずと、今にも意志を無視して宴会に飛び込んで行ってしまいそうな体を押さえ、勇儀は応えた。
「いつもなら参加させてもらうところだけど、今日は仕方ないよ……?
」
「分かってるさ」
「攫った後に参加しよう」
「あぁ、そうだな」
物騒な事を口にするも、二鬼の会話を聞く者はいない。
「さぁて勇儀? 今日は誰を攫う、大人? 子供?」
「そうだねぇ……」
勇儀は美味い酒を選び、品定めするような目で村を眺め始めた。
数刻ほどの後、萃香と勇儀は同時に、同じ人間を指さした。
「「あの子だ」」
瞬間、空中から二鬼の姿が掻き消えた。
刹那の後には、二鬼は村の中心に、一人の女の子の前に立っていた。
「え……?」
状況が掴めず素頓狂な声を上げる女の子。
「やぁ、お嬢ちゃん。
名前、なんて言うんだい?」
ニカっと、人懐こい笑みを浮かべる萃香。
一見すれば同年代に見える萃香。女の子はすぐ心を許し、同じように人懐こい笑みを見せた。
「わたし、阿夢!」
元気よく女の子は名乗った。あむ、と。
「そうか、よろしく阿夢。私は萃香、鬼の萃香だ」
「私は勇儀。私も鬼だ」
「うん、よろしく鬼のお姉ちゃんたち!」
二鬼の頭にそそり立つ角を見ても、物怖じすらせずに快活な笑いを零し続ける阿夢。
「さて……自己紹介も済んだけど、私と勇儀は阿夢を攫わないといけないんだよ」
「攫うって、私を……? どうして?」
「それは私や萃香が鬼だからだよ。鬼は人間を攫うもんなんだ。
阿夢だって勉強をするだろう? それと同じで、私ら鬼は人を攫わないといけないのさ」
「あ、そっか……」
そうだった、と。
思い出したようにはっとする阿夢。
急に阿夢は二鬼に背を向けた。
「じゃあ、ちょっとお母さんに言ってくる! ちょっと待ってて!」
「あぁ、ちょっと待ちな!」
勇儀は自分の家に向かって駆けだそうとした阿夢を呼びとめた。
「攫う時は誰にも言わずに、秘密で攫わないと駄目なんだ。だから、そのまま私らに攫われてくれないか?」
「お母さんに行ってきます言ってからじゃ駄目なの……?」
「お母さんには私が言っといてあげるよ、だから阿夢は一先ず勇儀に連れてってもらっといてよ」
「行くって、何処に?」
「私らのお家さ――――」
と、まあ。
可憐な少女、阿夢ちゃんは攫われてしまったのです。
……え、どうして阿夢が超絶美少女だって分かるか?
名前からして、高貴さや華やかさが溢れ出ていますでしょ。
ともかく、阿夢ちゃんはとっても可愛い女の子なんです。分かりましたね。
……しかし、村のど真ん中に現れて少女を連れ去ると、大声で宣言している時点で、秘密ではありませんね。
さすが鬼はなんでもかんでもスケールが大きいです。
かくして鬼の住処へと連れ去られてしまった阿夢ちゃん。
一体どうなってしまうんでしょう。
では、続きをお話しましょうか。
「あはははははっ!」
大江山の中腹。
その開けた広場に陽気な笑い声が広がり、木魂した。
「こんなに楽しいこと初めて! 美味しい食べ物と果物はいっぱいあるし、見たことのない玩具が沢山ある!」
声の主は阿夢だった。
阿夢の周りには色彩豊かな果物に、村の宴会に出る物よりも豪華な食べ物が並んでいた。
しかし阿夢の瞳に映るのは、もっと別のものだった。
「あぁ……それは山の河にいる河童たちが作ったもんだね。何か作っては私らに渡してくるんだよ」
一升は入りそうな大盃を片手に、勇儀が言った。
「触っても良い?!」
「好きにして良いよ。どうせ私らが持ってても使わない」
阿夢は無造作に積まれ、また転がった玩具の山を開拓し始めると、勇儀の横の空間に霧が集まりだした。
霧は意志を持っているかのように形をぐにゃぐにゃと変えて、次第に密度を濃くし、そして体を形作った。
「ふぅーぃ……ただいまー」
「おかえりさん、どうだった?」
現れたのは萃香だった。
「うん。今日にでも来ると思うよー。
今日は宴会があるし、多分日が沈む前には来るかな?」
萃香は腰に括り付けた瓢箪の口を開けて、勇儀の持った盃に中身の酒を注ぎ始めた。
「そいつは楽しみだ、今日はどんな人間が相手をしてくれるんだろうねぇ……んっ」
溢れる程に酒を注がれたのを確認し、勇儀は勢いよく酒を嚥下した。
一呑みで盃を空にすると、空いた盃を萃香に手渡した。
「っま、それは来てからのお楽しみってもんだ……んぐっ」
同じく溢れるくらいに酒を注ぎ、勇儀に倣うように一呑みにした。
「っぷぁ……相変わらず、勇儀の盃――星熊盃――は便利だね。その盃に酒を注いだら、数段上手く感じるよー」
「感じるんじゃなくって、実際に上手くなってるんだよ。
それを言うなら、萃香の瓢箪――伊吹瓢――だって同じだろうに。無限に酒が溢れるなんて、酒に困らないじゃぁないか」
「隣の芝生は青いってやつだよ、お姉ちゃんたち!」
山の開拓は終えたのか、阿夢が会話に割り込んできた。
「他の人が持ってるものは、何でも良い物に見えちゃうものなんだよっ?」
へへん、と。
自分の持つ教養を披露して、天狗のように鼻を伸ばした。
「それより、おかえり萃香姉ちゃん! お母さん何か言ってた?」
「あぁ、今日の日落前には村人の何人かと一緒に来るってさ。あんまり迷惑をかけないようにって言ってたよ」
「そっか、分かった! じゃあお母さんが来るまで何かしてようよっ!」
萃香に母からの言伝を聞くと満足したのだろうか、すぐさま次の行動を起こそうとする阿夢。
二鬼もそれに嫌な顔一つせず、二つ返事で頷くのだった。
と、こうして鬼と人間の決闘の場が設けられたのです。
それにしても、今の幻想郷でこんな事が起これば、これはもう異変ですね。
きっと赤と緑の巫女さんや、白黒の自称魔法使いが黙っていませんね。
しかしそれは同時に、鬼と人間の間の絆が失われてしまった事を意味します。
あの時、そしてあの村に限っては、その絆は強固な信頼関係があったのです。
さて……しかし私が今お話ししているのは、どうして鬼が幻想郷を去ったか、という話でしたね。
そうです。
今回の人攫いは今までとは違ったのです。
丁度この時期に、村の新しい村長が決まったんですね。
宴会もそれを祝うのを目的としたものでした。
そしてその村長なのですが、かなり妖怪を嫌う御人だったんです。
幼少の頃に家族を妖怪に殺され、挙句目の前で食べられてしまったんですよ。
当時の博麗の巫女が辿り着いたころには、その子以外は既に亡くなっていたそうです。
それ故に彼の妖怪に対する憎しみや恨みは、とても強かったです。
……では、続きをお話ししましょうか。
大江山が橙色に染まる。
二鬼と一人の少女の眼前には、地平の彼方に沈んでいく日輪があった。
「まだかなぁ……?」
「もう来るさ……ほぉら、噂をすれば、だ」
言った勇儀の視線の先。
そこには陽光を背にした、十数もの人影。
「あ、お母さんだ!」
阿夢が指差す先には、まだ年若い一人の女性。
しかし我が子との再会にもかかわらず、その表情は暗い。
「んー、おっかしいなぁ……?」
異変を感じたのは萃香だった。
「なにがだい?」
何も感じない勇儀。
「いやね、私があの子の母親にあった時は、そりゃあもう良い笑顔を見せてくれたんだけどな。
村の子供が攫われるのなんて、今回が初めてでもないだろ?
いつも無事に帰してやってるってのに、何であんなに不安げな顔をしてるんだろう、って思ってね」
「んー……そう言われてみれば、どいつもこいつも辛気くせぇ顔をしてるね」
二鬼が言葉を交わしている間に、村人たちは二鬼の元に辿り着いていた。
一人の男が一歩前に踏み出した。
「本日付けで、新たな村の長になったものです」
無機質な声で、そう言った。
「はー、まだ若いのに長かい?」
「はい。まだまだ若輩者ではありますが、今後とも鬼の皆様とは良い関係を――――」
「あーあー、いいよいいよ、そんなに固くならなくっても! 今まで通り、それでいいだろう?」
「えぇ、そうですね……今まで通り、『人間と妖怪の関係』であってゆこうと思います」
ニヤリと、どこか暗い闇を孕んだ笑みを零す村長。
萃香はそれに気付くことも無く、ある結論を出していた。
『皆がどこか緊張しているのも、新しくなった村長との関係がしっかりしていないから』と。
「つきましては、今後の友好関係の発展を願って……」
村長は付き人に目配せし、ある物を取り出させた。
「一献、どうしょう……?」
「おぉ、いいねっ!」
取り出したのは、酒だった。
それを見るや、萃香と勇儀は目の色を変えた。
「とは言え、これだけでは呑み足りますまい。
であれば、この一杯は後に控える我が村での宴会の前祝い……ということでどうでしょうか?」
「ほぅ、つまりは私と萃香をあんたらの村の宴会に呼ぼうってか?」
「その通りです。
さぁ、これ以上の言葉は必要ないでしょう。後は……?」
トン、と酒瓶を地面に起き、懐から三つの盃を取り出した。
「酒で語ろうってわけだね! よぅし、乗ったー!」
萃香は一も二もなく村長に近付き、その手から盃を引っ手繰った。
勇儀もやれやれ、と手を額にやりながら首を振るも、釣り上がった口角は喜を隠しきれてなかった。
「では、乾杯を……」
「だね、乾杯!」
「あぁ、乾杯!」
控えめに注がれた盃を一気に煽る二鬼、そしてその後に続いて村長もゆっくりと煽った。
そして盃を下ろした後に現れた顔には、名状しがたい面の皮が張り付いていた。
喜び、怒り。正と負が入り混じった表情が、そこにはあった。
「クククっ……」
「ん、どうした……ぁりゃ……」
突如笑いだした村長に、何事かと問おうとした萃香。
しかし言葉を言い終える間もなく、華奢な体は地に倒れた。
後を追うように、勇儀もその横に伏した。
「クァーハッハッハッハァ! どうだ、どうだ、上手くいっただろう?!」
狂ったように叫喚し出す村長。
背後に控える村人たちも、余りに人間離れした長の姿に戸惑いを隠せていない。
「上手く、いっ、た……? どうい、うこと、だ……?」
何とか顔だけ動かした萃香が、途切れつつも村長に問いただした。
「どういうことかだと? 決まってるだろ、お前らクソどもを騙す計画が成功したって言ってるんだよォ!」
「……だま、す………………?」
「そうだ、騙したんだよ!
もうお前らとの関係なんてうんざりなんだよ!
なぁにが良い関係だぁ! お前ら鬼どもとの理不尽な関係なんてクソ喰らえだ!」
唾を散らしながら叫ぶ村長。
そしてその内容に、萃香と勇儀は呆然とした。
どういうことだ、どういう意味だ。
二鬼の思った疑問は同じだった。
「人間と鬼との絆? そんなものが本当にあると思ってたのか、最初っからそんなものは無かったんだよォ!
お前ら鬼が勝手に言って、俺たちを巻き込んでいただけだ!
俺とお前たちにあるのは『人間と妖怪』という関係だけだ!
妖怪は人間を襲う、ならば人間は身を守らなければ――――」
「「――――……ったのか?」」
不意に発せられた二鬼の言葉が、場の時間を凍り付かした。
吹いていた風は止み、虫たちの鳴声も消え失せた。
「「謀ったのか、と聞いている……」」
ゆらゆらと、二鬼の体から不可視の気が吹き出した。
不可視。しかし村人にはくっきりと見えただろう。
悲哀と憂愁に満ちた、紫と紅が。
「「応えろ、人間ッ!」」
「ぅ、ぁあ……そ、そうだ、そうだァ!
だ、騙してやったのさ、馬鹿正直で疑う事をしない鬼様をな! ひ、へっひひ……!」
村長は冷や汗と脂汗を顔に張り付かせながらも、狂ったように下卑たる笑いを続けた。
二鬼に呑ました『神便鬼毒酒』と呼ばれる、鬼を弱らせ人を強める妙酒。
そして彼の妖怪に対する強い憎しみが、鬼の怒気の中で言葉を発せさせたのだろう。
「……またか、またなのかぁ!
お前ら人間は、いつだって私たちを騙す!
あの時も、そして今この時も!」
「私たちが嘘を嫌う事を知って尚も、お前たちは騙すのか!」
互いが互いの言葉を補うように、つらつらと悲痛に満ちた声を人間に投げかけた。
「「ぅあ、ぁあああぁああああああああああああああっ!!!」」
二鬼は、立った。
以前は動くことも叶わなかった、毒酒の束縛を砕いて立ち上がったのだ。
「ひ、ひぃぃ!」
地に足を付けた二柱の鬼神を見るや否や、村人たちは一斉に逃げ出した。
ただ三人を残して。
「な、なんで動けるっ?! 確かにこれを呑んだ鬼は動けなく――――」
「――――黙れ」
勇儀は刹那よりも短い時間で、男の眼前に動き、言った。
「か、ぁ……!」
だらしなく口を開け、ふちから涎を垂らす男。
眼球をぎょろぎょろと動かし、既に意識があるのかすら怪しかった。
「勇儀……」
「…………分かってる、殺しゃしない」
男に背を向けた勇儀は、萃香と共に歩き出した。
村人たちが逃げた方向と逆、山の奥へと。
「ま、待って鬼のお姉ちゃんたちっ!」
呼び止めたのは、じっと静観を続けていた阿夢だった。
「阿夢、だめっ!」
更に呼び止め、阿夢の腕を掴んだのは、逃げずに留まっていた阿夢の母だった。
「どうして?! 私たちが悪い事したんだよ、ちゃんと謝らないとっ!」
「そ、それは貴方がやることじゃ――――」
「――――じゃあ誰が言うの?!」
「……それは………………」
パン。
乾いた音を立てて、阿夢は母の手を弾いた。
そして、歩を止めずに歩き続ける二鬼へと走り寄る。
「来るな阿夢」
立ち止まった萃香が、背中越しに言った。
「今ここでお前が来たら、お前は『そっち側』じゃ無くなっちゃう。
お前は人間だ、そして私たちは妖怪だ。そんな根本的な事を忘れていたのは、私らだったんだ。
元より相容れぬ存在、その間に絆なんてものを作るのは、土台無理だったのさ。
それは理解していたはずなのに、私たちは自分の心を偽っていたんだ……先に嘘をついていたのは、私たちだったのかもしれないな」
自嘲気味に笑う萃香。
「違うよ! 私は知ってるもん!
阿余が言ってたよ。『裏切るのはいつも人間』だって!」
しかし、阿夢は止まらなかった。
萃香の背中に飛びつき、言葉を続けた。
「人間は自分たちの欲に貪食で、求めることを止めない。そしてその追求の最後にあるのは、裏切りだって!
人間は同じ種族の仲間さえも欺くし、果てには殺し合うこともするって!
でもお姉ちゃんたちは違う! 仲間は裏切らないし欺かない、殺し合うこともしない!
人間にも嘘をつかないし、殺したことだって一度も無い!」
「阿夢……」
「萃香姉ちゃんも、勇儀姉ちゃんも、二人ともどっかに行っちゃう目をしてた!
悪い事したのは私たちなのに、二人が居なくなっちゃうなんておかし――――」
「――――阿夢……?」
「萃香姉ちゃん?」
「さよならだよ」
「私が覚えているのは、ここまでです。求聞持の能力を持ってしても、気を失ってしまってはどうしようもありませんからね」
「そうですか……」
長い昔話を終えた阿求は温い茶を飲み、酷使した喉を労わった。
「ほぅ……後のお話ですが、村は間もなく滅びました」
「え?!」
「あぁ、鬼に報復を受けた、というわけではありません。そんな事はしませんからね、彼らは」
「となると、犯人は?」
「大江山……いえ、妖怪の山に住みついていた妖怪たちです。
事が起こった後に、鬼たちは山を離れたのです。私たちの知らない、外の世界へ。
統率する者を失った山。そして妖怪たちは今まで人間の不殺を命じられて、抑圧されていた欲望を解放しました。
元より、妖怪は人間に仇名すものであるのは確かです。
まあ、鬼などの妖怪は置いておきましょう。
そう考えると、阿夢や阿余の考えは余りにも幼稚、かもしれません」
阿求はまるで自分自身の事のように、頬を染めて羞恥した。
事実、阿夢も阿余も御阿礼の子であるから、稗田阿求自身の発言と同意である。
「当時の私は幼かったからでしょう……。
それより、どうしてそんなお話をお聞きに来られたのですが茨華仙さん?」
阿求は机を挟んで、自分の対面に座る仙人に尋ねた。
「いえ……この間、旧知の者に出会い、それが鬼だったので、少し気になったんですよ。
お時間を取って申し訳ありませんでした」
よい、と腰を持ち上げて、阿求に礼をする華仙。
「いえいえ、私も昔話が出来たので、少し楽しかったです。
お帰りですよね? お気を付けて」
「ええ、ありがとうございます。
最後に……村が滅んだいう事は、あなた――――いえ、阿夢は……」
「ああ、それなら――――」
「阿夢っ!」
「大丈夫、気絶させただけ」
だらんと脱力する阿夢をそっと抱き上げて、地面に下ろす萃香。
そして阿夢に駆け寄る母。
「あんた、阿夢と一緒に逃げな。何処でもいい、ともかく麓の村には居ない方が良い」
勇儀が言った。
「私たちは……鬼はこの山から、幻想郷から去る。
きっと、この山と近くに暮らしていた妖怪は村を襲うだろう。
あんな場所にある村だ、私たちが人間を殺さないことを命令していなければ、一晩で無くなる」
「そんな……」
「もう村には戻るな、いいな? 阿夢を死なせたくないなら、そうしろ」
最後にそれだけ言って、勇儀は空へ飛び去った。
「じゃあね、阿夢……」
母の胸で寝息をたてる少女にそっと呟き、萃香も夕焼けの空に消えた。
こんな人間がわんさか居たらそりゃいやんなるよなあ。
本筋とは関係ないですが一応。
「月に一度の宴会」という下りと「宴会もそれ(新しい村長の決定)のを祝うのを目的としたもの」という下りがちょっと矛盾してる気がします。
もしかしたら、村長のための宴会と月一の宴会を一緒に済ませてしまおうとしたのかもしれませんが。
真実は一体どうなんでしょう。鬼は人を信じることを止めず、だからこそ萃香は幻想郷に戻ってきたのだと思います。そしてこのお話の中で散りばめたような夢を萃めに戻ってきたのが、萃夢想なのかもしれません。
そして、完全に矛盾していますね。やはりプロットなんかを書かずに執筆すると、このような失敗が目立ちますね。ご指摘ありがとうございました。
>>奇声を発する程度の能力さん
そう思っていただければ嬉しいです。
>>楽郷 陸
無くなったものが行き着く場所、それが幻想郷です。