※はじめに
今までキャラ死に注意を行ってましたが、今現在モブ以外みんな健在ですね……
十六夜咲夜は幸福であった。
彼女の小さな主、レミリア・スカーレットは誰よりも咲夜の事を高く評価していた。そしてその期待に応えようとする彼女もまた心からレミリアの事を慕っている。
「さあ咲夜、今日は霊夢の所に遊びに行くわよ」
昼下がりに目覚めたレミリアは気品たっぷりに従者に告げた。
「はい、お嬢様。では霊夢へのお土産を準備いたしますので少々お待ちください」
「そう。霊夢も喜んでくれるわね」
レミリアが微笑むと咲夜も微笑み、次の瞬間には咲夜の姿は消えて無くなっていた。
十六夜咲夜は時を操るという能力の持ち主だ。彼女は誰も気付かぬうちに厨房へ来ると、ティータイムのために準備していた焼きたてのクランベリーチーズパイを焼きたてのまま切り分け、半分だけバスケットに入れた。
時計へと目をやる。3時のティータイムの時間までまだ30分近くある。
咲夜がエントランスホールに来た時レミリアは傘立ての前で唸っていた。
「ねー咲夜、今日はどの日傘がいいかしら?」
両方の手に日傘を持って悩む主を咲夜は愛おしく思う。
かつてはヴァンパイアハンターとしてあらゆる手段で命を狙ったのに、今は従僕として仕えるどころか最も大切な存在となっている。運命とは本当に不思議なものだ。咲夜は思った。
ようやく一番のお気に入りを決めたレミリアは日傘を広げてくるりと回った。
「さ、行きましょうか」
「はい」
庭の花壇を通り過ぎて門を出ると咲夜は一つやらねばならない事を思い出した。
主の妹、フランドールに3時になったらクランベリーチーズパイを出すように、門番の紅美鈴に言いつけておかなければならない。
咲夜は門の方を振り返った。横を通る時何も声がかけられなかったからやはりと思っていたが、美鈴はすやすやと寝息を立てている。
しかし奇妙な事に美鈴は便箋を口に咥えて眠っている。
大陸の方では何でも食べると聞くけどまさか紙まで食べる事はないだろう。それとも誰かがポストと間違えたのか。
咲夜は美鈴の口から便箋を抜き取ると中身を確認してみた。
『レミリア・スカーレットの身柄は預かった。助けたければ明日の正午にもう1人の吸血鬼が1人で迷いの竹林に来い』
瀟洒な従者は慌てず騒がず便箋を再び折りたたんで美鈴の口に突っ込んだ。
「咲夜?その手紙なに?」
「なんでもありませんわ。お嬢様が攫われただけのようです」
「はぁ?私ならここにいるじゃないか」
「ですから、なんでもないのですよ」
レミリアはよく理解できなかったが、そういう脅迫文が来たのなら霊夢との話のネタになると思って口元を綻ばせた。
時間を溯る事24時間前
パチュリーは永遠亭で健康診断を受けていた。
「また視力が落ちてるわね。暗い所で本を読んでるでしょ」
最後の項目だった視力検査を終え、八意永琳が過去の診断書を見比べるとパチュリーは視線を明後日の方に向けた。永琳はその動作も見逃さない。
「視力の低下から目を背けちゃだめよ」
「別に背けてなんていないわよ。読書ができればそれでいいわ」
「はあ……。とりあえずビタミン剤でも出しておくから毎日飲んでね」
「……それって苦いのかしら?」
「苦くないわよ」
そう言うと永琳は「はいこれでお終い」と、パチュリーを診察室から追い出した。
しばらく待合室で待たされていると今度は鈴仙・優曇華院・イナバが現れる。
「はい。お疲れ様です。これが健康診断の結果ですよ」
パチュリーは渡された紙を眺めた。不健康そうな数字が並んでいる。
「まさか視力検査だけ受けるつもりが健康診断まで受けさせられるとは思ってなかったわよ」
今日もいつも通り本を読んでいたパチュリーだったが、小悪魔にどうしてもとせがまれて永遠亭に視力検査に連れてこられたのだ。パチュリーとしては視力検査だけならやぶさかでもなかったが、来てみれば自分の名前で健康診断の予約が入っていると言うではないか。そうしてパチュリーは小悪魔に騙される形で日頃の不健康な行いを余すことなく数値化されたわけである。
「すっかり騙されたわ」
「小悪魔さんは主人思いのいい使い魔なんですよ」
憤慨するパチュリーに鈴仙がフォローの言葉を口にする。
「果たしてどうかしらね。目的はあっちでしょう」
パチュリーの視線の先には泥だらけになった小悪魔がタケノコを持ってはしゃいでいた。
「見てくださいパチュリー様!立派なタケノコですよ!今日はタケノコ尽くしです」
「私に健康診断をさせておいて自分はタケノコ掘りに行っていたようね」
自称都会っ子の小悪魔はこういう田舎体験に殊更興味を示す性質であった。
「私は少しでも健康に良さそうなものをと思っているだけですよ~。それにレミリア様もタケノコ食べたがってましたし」
ニヤニヤと笑う小悪魔。
「何だっていいわ。早く帰るわよ」
パチュリーはビタミン剤を小悪魔に渡すと永遠亭を出た。続いて出て行く小悪魔を竹の陰から手招きする人物がいた。
「てゐさんじゃないですか」
「やあ同志小悪魔。調子はどうウサ?毎日イタズラしてるかい」
てゐはヒソヒソ声で話す。釣られるように小悪魔も声を潜めた。
「もちろんですよ」
「それはよかった。今日はそんな小悪魔ちゃんに新しいイタズラグッズを持ってきたウサ」
「本当ですか!?」
竹藪のところで話しこむ小悪魔が気になって、パチュリーは引き返して様子を窺った。
てゐは持っていた紙袋から赤い色をした投げやすそうなボールを二つ取り出す。
「これはカラーボールという道具ウサ」
「見たところただのボールのようですよ」
「チッチッチ、小悪魔ちゃんは甘いウサ。これはこうするウサよ」
そう言うとてゐは玄関から出てきた鈴仙めがけてカラーボールを投げつけた。
ボールは鈴仙の身体に着弾した途端破裂し、赤い塗料がベットリと鈴仙のブレザーについた。
「ちょっとてゐ!何するのよ!」
当然の如く怒りだす鈴仙。しかしてゐは慌てず
「早く洗わないと落ちないウサよ」
「くぅ~、後で覚悟してなさいよ!」
鈴仙は捨て台詞を吐きながら退散していった。
「なんだかすごく凶悪な道具ですね」
「外の世界だと泥棒を退治するのに使うみたいウサ」
「じゃあ魔理沙さん対策にもなりますね」
「これを今なら一個5000円で売ってやるウサ」
「高くないですか?」
「私だって慈善事業でやってるわけじゃないウサ。当然ウサ」
「う~ん」
「いらないなら別にいいウサよ。私も香霖堂で偶々見つけたから仕入れてきただけだし」
「香霖堂で売ってるんですか?」
「もう無いよ。私が買い占めてきたウサ」
てゐはニヤリと笑った。
「買占めだなんてよくそんなお金がありましたね」
「まぁ私も臨時収入があったからね。あぁ、収入源は教えないよ。で、どうするの?買うの?買わないの?」
小悪魔はしばらく腕組みをして考え
「わかりました。買いましょう」
財布から5000円を取り出しててゐに渡した。
「毎度ありウッサ~」
代わりにもらったカラーボールを落とさないように大事に両手で包んだ。見かねたパチュリーが声をかける。
「あなた弾幕もまともに魔理沙に当てれないのに、そのボールは当てれると思ってるわけ?」
「あぁっ!」
気付いた時にはもう遅い。
「返品はお断りウサよ」
パチュリーはふと思った。ここでそのカラーボールをてゐに当ててやれば面白いのに。
しかし小悪魔はそうはしなかった。代わりにてゐに対して強がって見せる。
「いいんですよ!私だってもうすぐ臨時収入がありますから。それもすっごくたくさん」
「ボーナスを支給する気はないわよ」
パチュリーは冷たく告げたが小悪魔は顔の前で指を左右に振った。
「チッチッチ、私はもうすぐ埋蔵金を掘り当てるんですよ」
「埋蔵金?」
その言葉に反応したのはパチュリーだけでない。てゐも同様だ。
小悪魔はてゐに「あっち行け」と手で払ってからパチュリーの方を向いた。パチュリーからはてゐが聞き耳を立てているのが良く見える。
「タケノコ掘りをしていたらですね大きな穴を掘る怪しい人を見つけたんですよ。そこで声をかけたんです。最初は隠してましたが私が紅魔館の住人だと知ると正直に白状しました」
「そんなとこで紅魔館の名前を出さないで欲しいわね」
「その時の驚きようはすごかったですよ。『あの悪魔の妹と呼ばれる吸血鬼がいる紅魔館!?』と驚いてたのでこう言ってやったんですよ。『紅魔館にいる正真正銘の悪魔が私だ』って。すごく驚いて逃げて行きました。ヒッヒッヒ」
自分の使い魔から漂う小物臭にパチュリーは頭を抱えたくなった。
しかしこの様子ではどうも最近の人間はレミリアを知らないらしい。紅霧異変ももう昔の事になりつつあるようだし、レミリアの出不精も災いしているのだろう。恐ろしいモノの代名詞としてフランドールの通り名だけが独り歩きしているなど、レミリアが知ったらさぞ落ち込むだろう。親友のカリスマを上げるために新しい異変でも提案してみようか。
などと思案している内も小悪魔は雄弁に埋蔵金の話を語っていた。
「穴は葉っぱで隠しておきましたから、また明日来て掘りますよ。私が先に掘り当てて横取りです」
「本当に埋蔵金があればいいわね」
「パチュリー様は信じてないんですか?」
「あると言うなら根拠を示してみなさい」
「……。そんな事言ってると掘り当てても何もあげませんよ」
「ええどうぞ」
「夢が無いですねぇ」
「ありもしない埋蔵金を探すよりも、本の世界に没頭するほうが私にはファンタスティックでメルヘンなのよ。さ、帰るわよ」
「あ、パチュリー様先に帰っておいてください」
まさか今から埋蔵金掘りを再開するつもりだろうか。と、パチュリーは振り返った。
「フランドール様にお土産を持って行く約束をしています。里で買い物をしてから帰りますね」
「そう。早く帰ってきなさいよ」
小悪魔がカラーボールをフランにプレゼントする非常識者でない事はわかった。
「はいっ!」
元気に手を振る小悪魔と別れてパチュリーは図書館に帰って行った。
「すっかり帰るのが遅くなっちゃった」
パチュリーと別れて数時間。小悪魔は日の沈んだ里を歩いていた。
フランへのプレゼントをクマの縫いぐるみにするかイヌの縫いぐるみにするか悩みに悩んで結局イヌの縫いぐるみにした。
小悪魔は自分の名前とクマをかけてクマの縫いぐるみの方が気にいった。だから、よく縫いぐるみをバラしてしまうフランにクマの縫いぐるみを贈るのが忍びなかったためイヌの縫いぐるみを選んだ。
辺りは真っ暗であったが小悪魔は意外と夜目が利く。近道をしようと人通りの少ない通りに入ると突然、後方から走ってきた人間が小悪魔のおでこにお札を張り付けてきた。
そして同時に後ろから麻袋のようなものが被せられる。小悪魔は咄嗟に持っていたカラーボールを投げようとしたが上手くいかず、足元で破裂するに止まっただけだった。
視界を塞がれた小悪魔はそのままどこかに運ばれていった。
パチュリー・ノーレッジは図書館の安楽椅子の上で目を覚ました。
本を一冊読み終えて休憩していたところうたた寝をしてしまったようだ。いつもなら使い魔の小悪魔に叩き起こされてベッドに連れて行かれるのに昨日はそうはならなかったらしい。
「おかしいわね……」
パチュリーは1人呟いた。
うたた寝をしようものなら小悪魔は嬉々として叩き起こしてくるのだ。昨夜はその絶好のチャンスだった。にも関わらず小悪魔に何かされた記憶も形跡も無い。小悪魔が考えを改めたとも思えない。
パチュリーは一先ず小悪魔を探す事にした。
まずは部屋へ、小悪魔の部屋はひどく散らかっていたがそれはいつも通りだ。しかし小悪魔はいない。
地上の紅魔館本館へと出る。朝、小悪魔が行く場所があるとすれば厨房へつまみ食いにだ。パチュリーは行き交う妖精メイドの合い間を縫いながら厨房へと向かった。
扉を開けようと取っ手に手をかけると中から声が聞こえてくるのがわかった。
パチュリーはそば耳を立てる。
「ねえ咲夜、今日のおやつはクランベリーチーズパイがいいわ」
フランの声だ。続いて咲夜の声が聞こえてくる。
「わざわざキッチンまで出てこられたと思ったら……あれは中々手間がかかるのですよ」
「えーっ!作ってくれるって約束したじゃない!」
「はて?そんな約束してましたっけ?」
魔理沙と接するようになってからフランは変な知恵をつけてしまっていた。約束したのに。と迫る『約束戦法』は咲夜には通用しない。
フランは頬を膨らませた。それでもまだ使い古した戦法でゴネ続ける。
「作ってよ!咲夜も私との約束破るの?」
その言葉にパチュリーは引っかかりを感じた。扉を開けて厨房に入る。
「咲夜の他に約束を破ったのは小悪魔かしら?」
「あ、パチュリー!」
フランはパチュリーに駆けよって抱きついた。
「そうなの。小悪魔ったら昨日私にプレゼントくれるって言ってたのにまだくれないのよ」
パチュリーは頬を膨らませながら喋るフランの頭を優しく撫でた。
「小悪魔ならまだフランへのプレゼントを探してるところよ」
「本当に?」
「えぇ」
フランは顔を輝かせた。と、戸棚の中を探っていた咲夜が
「あら、クランベリーソースの缶詰がまだ残っているわ。妹様、これでパイが作れますわよ」
フランはますます顔を輝かせる。
「もうちょっとだけ待っていなさい」
「うん!じゃあもう一眠りしてくる。小悪魔待ってて起きてたの」
パチュリーに言われてフランは嬉しそうに走りながら部屋へと戻って行った。
フランの出て行った部屋で咲夜は眉を顰めながら
「でもいいんですか、パチュリー様。小悪魔は多分プレゼントの事なんて忘れてますよ」
「いいのよ。私が何とかするから」
「はぁ」
「あと、ちょっと出かけるから私の分のパイはいらないわよ」
「それは困りますわ。この量のソースを使いきるとなると……」
咲夜が言い終わる前にパチュリーは出て行ってしまった。
パチュリーには一つの確信があった。小悪魔がフランへのプレゼントを買ってきたのなら昼夜の別なく渡しに行くはずだ。吸血鬼はもともと夜行性。一晩待たせる必要は無い。フランが一晩待っても小悪魔はプレゼントを持って来ず、今もなお小悪魔は所在不明。小悪魔はまず間違いなくまだ紅魔館に帰ってきていない。
一体どこをほっつき歩いているのか。フランに渡すプレゼントだけでも何とかさせないと、癇癪を起されては敵わない。
小悪魔を探しに行こうと外に出たパチュリーだったが、門の横に据え付けられているポストに差し込まれた手紙を見つけた。気付いてくれと言わんばかりに綺麗に半分だけという不自然な差し込まれ方が気になる。手にとってみると宛名も差し出し人も書かれてはいない。パチュリーは不審な手紙を開いた。
『レミリア・スカーレットの身柄は預かった。助けたければ明日の正午にもう1人の吸血鬼が1人で迷いの竹林に来い』
困った事に親友が攫われたようだ。しかもこの字には見覚えがある。小悪魔の字だ。
と、その時。二階の窓が開いて眠そうに眼を擦るレミリアが顔を覗かせた。
「パチェ~、下でフランが騒いでたみたいだけど何かあったの?」
パチュリーは驚きもしなかった。
「いいえ、何でもないわ。何もないわよ」
「そう。ところでパチェはおでかけ?いいわね。私も霊夢のとこに行こうかしら」
ぶつぶつと呟くレミリアはまだ眠いのか、大きく欠伸をすると窓とカーテンを閉めた。
帰って来ない小悪魔、その小悪魔の字で書かれたレミリアを攫ったとする怪文書、イタズラにしてはレミリアが全く何事も無く姿を現すという間の抜けよう。
何が起きているかだいたい理解したパチュリーは、手紙を折りたたんで眠りこける美鈴の口の中に突っ込んだ。とりあえず竹林の方に向かう事にした。
パチュリーが竹林に来たのには二つの理由があった。
それは手紙で指定された場所であること、そしてもう一つ。小悪魔が埋蔵金を掘る不審人物と出会った場所である事だ。
目指すべきは小悪魔の言う埋蔵金の穴。もっとも、パチュリーはそれが埋蔵金のための穴だとは思っていなかった。
と言っても広大な竹林からわざわざ隠された穴を探すのは容易な事ではない。因幡てゐの力も借りるか。そう思った時、ドスンという音が静かな竹林に響き渡った。音のした方に向かうとそこには大きな穴、そして穴の底で尻もちをついているてゐだった。
てゐは穴を覗きこんでくるパチュリーに気付くと悪態をついた。
「小悪魔に騙されたウサ!」
「まさか埋蔵金を探していたのかしら」
「そうウサ。そしたらこんな所に落とし穴が」
大穴は枝や葉っぱでカモフラージュされていたようだ。このカモフラージュは小悪魔の仕業だろうが穴を掘ったのは小悪魔ではない。
ガサッ
不意に葉の揺れる音がしてパチュリーは振り向いた。竹の間を縫うように逃げる何者かの後ろ姿。着ている物からして里の人間だろうか。だがパチュリーの体力ではそれを追いかける事ができず、逃走する何者かはすぐに行方を眩ませてしまった。
てゐが飛んで穴から出てきた。
「誰かいたウサか?だったら埋蔵金の事を知っているかも」
「多分何か知っているでしょうね。でも、埋蔵金の事じゃないと思うわよ」
パチュリーはこれ以上の事情は語らず、次は人間の里に向かった。
その途中で状況を整理する。
まずは紅魔館に届いた脅迫文。
レミリアを助けたければフランが1人で竹林に来い。という内容だ。身代金については触れられていない。とすれば目的はフランということになる。金や貴重品が目当てでないのならば標的となっているのは吸血鬼の首。
そして竹林の穴。
小悪魔は穴を掘る男に自分が紅魔館の主のように振舞った。その直後の小悪魔がレミリアと間違われて誘拐。穴を掘っていた男と誘拐犯は同一人物と考えていいだろう。ならば、あの穴は埋蔵金を掘るためのものではない。吸血鬼の首を狙っている事、決闘の場所に竹林を指定してきた状況からみても、馬鹿げてはいるがあれは落とし穴のような罠の類だ。
だが、それらの情報もパチュリーには誘拐犯を特定する手がかりになる。
里ではまず慧音のもとに向かう。
寺子屋の休み時間中にパチュリーは訊ねる。
「竹林に詳しい人間ってどれくらいいるのかしら?」
「なんだ?藪から棒に」
「ちょっとした調べ物よ」
「竹林かぁ、妹紅の他には……」
慧音は首を傾げて考えた。
迷いの竹林は特段魔法で迷いやすくなっているわけではない。単に同じ風景が続くので迷いやすいというだけだ。だから竹林に何度も入っている人間ならば容易く抜ける事も、それこそ逃げる事も可能ということになる。だが、基本的には危険な場所だ。生業として竹林に入る者以外が入る事はあまりないと考えられる。かなり絞れるはずだ。
「タケノコ売りの兄弟がいたな。普段は竹炭も作ってたかな。あいつらなら竹林に詳しいんじゃないのか?」
「その兄弟にはどこに行けばあえるのかしら?」
「いつも同じ場所でタケノコ売ってるぞ。里で一番大きな通りの角だ」
もしもその兄弟が小悪魔を誘拐した犯人だとすれば今日もタケノコを売っているとは考えられない。
「家はどこに?」
「あー、悪いがそいつらの住んでる場所までは知らないんだ」
「役に立たないわね」
「……悪かったな。そいつらは何年か前にやってきた外の世界の人間だから私はよく知らないんだ。この先にそういう連中を引きとってた孤児院のような所があるからそっちに行ってくれ」
「孤児院ね……」
どうにも嫌な予感がしてきた。
慧音は子供たちを呼び集めて次の授業を始めていた。
小悪魔は暗い場所には慣れていたが手を縛られるのには慣れていなかった。どうにかこっそり縄を解いて逃げれないかと隙を窺う。
薄暗い室内では男が先程からのっしのっしと部屋の中を歩き回りながら小悪魔の事を観察していた。小悪魔が少しでも身動ぎすると敏感に体を強張らせて警戒している。この様子ではこっそりと炎の魔法で縄を焼き切るのは無理そうだ。何より自分が熱いのであまりその手は使いたくない。幸い大人しくしていれば危害は無さそうだ。
小悪魔を誘拐したのは2人組の男だった。歳の程は見た目は小悪魔の方が若く見える。しかし小悪魔の実年齢は人間なんかよりずっと上だ。2人組は18~20歳前半ぐらいに見えた。片方は細身で眼鏡をかけた如何にもな知能犯。もう片方も痩せ型ではあったが体つきは引き締まっているように思えた。
狂人のように不気味に体を震わせている誘拐犯を見て、小悪魔は誘拐された当初の事を思い出した。
両手両足を縛られて椅子に座らされた小悪魔は恐怖のあまり抵抗することができないでいた。2人組の誘拐犯は早速脅迫状を書き始めたようだったが、犯人達も手を震わせて筆が握れていない。武者震いするなんて何と恐ろしい連中だ。そして誘拐犯はあろうことか小悪魔に代筆を要求したのだ。小悪魔は言われるがままの文章を紙に書いたのではあるが、あまりの恐怖に何を書いたかまではよく覚えていなかった。
確かレミリア様を誘拐したという内容だったような。
レミリアを攫うとはかなりの強者。きっと別室のレミリアに『小悪魔を誘拐した』旨の文章を書かせているに違いない。
この時に小悪魔は抵抗を諦めたのだ。
しかしおでこに貼られた効き目のないお札はなんなのだろうか?嫌がらせなのだろうか?
突然、部屋の戸が開いた。差し込む光に思わず目が眩む。扉の向こうはもう外のようだ。吹き込んできた風でおでこのお札が飛んでいく。
「ちくしょう参った」
入ってきた男が口にした。体の割に太い腕、それで締めあげられたらと思うとゾッとする。
「どうしたの?」
見張り役のもう一方だ。眼鏡の奥の冷徹な瞳は今は光の反射で窺い知ることができない。
「作戦ポイントに行ったんだが不審な奴がいた」
「不審な奴?」
「なんだか紫色の奴だ」
パチュリー様だろうか?
「奴ら約束の時間は明日だっていうのにもう偵察を出してきたんだ」
「まさか僕たちのトラップが……」
「あぁ、もう見破られた。あいつめ、落とし穴を見つけて微笑んでやがった!」
「どうするの?」
「ここまで来たらもう引けるはずないだろう。こっちにはまだお札があるんだ。落とし穴がなくても何とかなる。絶対に妹の方もやるんだ!」
レミリア様と自分をだしにしてフランドール様をおびき出すつもりだ!パチュリー様!こいつらの陰謀を阻止してください!
小悪魔は祈るしかなかった。
誘拐犯は内心怯えていた。
数日前、秘密のルートでお札を手に入れた時から宿敵吸血鬼を討つ計画を立ててきた。自分達に有利な竹林で決戦を挑もうと落とし穴を掘っている時に、まさか宿敵が目の前に現れるとは思っても見なかった。
尊大に振舞う噂通りの傲岸ぶりに最初は恐怖して逃げ出したが、吸血鬼の姿を実際に見た事の無い自分達にとっては僥倖であった。何せ標的の姿を視認することができたのだから。
名前は確かレミリア。昨日目の前に現れるまで姿を見た事は無かったが、背中と頭に蝙蝠の羽、髪の毛はスカーレットの名に相応しい血のような赤。噂通りの恐ろしい容姿だ。
だが、果たして本当に自分達の元に転がり込んできたのは幸運の方なのだろうか?大きな災いでは無いのか?
こちらが生殺与奪を握っているというのに妙に落ち着いて見える。丁寧な口調で喋る辺りにも強者の余裕が感じられる。何より抵抗しないのが不気味だ。「こんな縄いつでも抜け出す事ができますよ」そう嘲笑っているようで片時も目を離す事ができない。
しかも兄の情報では竹林の落とし穴はもう看破されてしまったようだ。果たして勝てるのだろうか?噂では妹の方が力が強大なのだという。
いや今更考えてもどうにもならない。
誘拐犯は首を横に振った。
姉の方は捕まえた。妹にも勝てるはずだ!
その時、ふと誘拐犯は気付いた。
「な、何で!お札が剥がれてる!」
「何だと!」
だが当の本人は何事も無いかのように平然と椅子に座っている。
懐からもう一枚のお札を取り出して再び張り付ける。気付けば身体じゅうから嫌な汗が噴き出していた。
逃げ出す千載一遇のチャンスだった。にも関わらず何故平然と座っていられるんだ。死を覚悟しているようには見えない。この落ち着きは一体何だって言うんだ!?
誘拐犯は逃げ出したい衝動に駆られた。
パチュリーは慧音に言われたとおりに孤児院施設にまで来ていた。
養母だろうか、だがそれにしては若く見える女性が花壇に水をやっている。女性はパチュリーに気付くと軽く会釈した。襟元に巻いたスカーフが印象的な感じのいい女性だった。
「少し聞きたい事があるのだけど」
「あなたは、もしかして妖怪?」
「……?えぇ、魔女よ」
すると女性は自分の周囲を見渡した。周りに子供達がいないのを確認してから
「ここの子供達は妖怪で両親を失っているの。中には未だにその事を気にかけている子もいるわ」
「そう。それは悪い事をしたわ。あなたも?」
「それも幻想郷には必要な事なのでしょうね。子供達には復讐なんて馬鹿な真似はしないように教えてるんだけど」
パチュリーには自分よりずっと年下の女性が達観しているように感じられた。でなければ全く知らない子供達の世話などできないだろう。
「手短に聞くわ。今、里でタケノコや竹炭売りをしている兄弟、あなたの所で育ったのよね」
「竹炭というと……一郎ちゃんに二郎ちゃんかしら?たまにタケノコを届けに来てくれるのよ」
「一郎に二郎とはまたオーソドックスな名前ね」
パチュリーにはそれを確かめる必要があった。外から入ってきた人間がレミリアに対する誘拐を企てる。その動機となる可能性を言葉の端に捕えた。
「記憶を無くしていたからこっちで付けたの。十年くらい前に外の世界から神隠しで来たみたいで」
記憶喪失で入ってきた外の世界の人間。
やっぱり。パチュリーは心の中で呟いた。
外の世界の人間でレミリアをつけ狙うとすればヴァンパイアハンターの血筋。ただし連中は数百年という歴史が培った知識がある。小悪魔と間違える事は無いし、落とし穴なんかで吸血鬼に対抗しようなどとは思わない。だが、ヴァンパイアハンターが放った刺客という可能性はある。
記憶を無くした部外者、何者かが吸血鬼への恨みを吹き込むのに絶好の状況だ。
「その2人の住んでいる所を教えてもらえないかしら」
「さあ。何とか暮らしていけるようになったら私達には場所も告げずに越して行ったから」
「そう。狭い里と言っても全て把握できるわけじゃないものね」
吸血鬼に挑もうと思う破滅的な思想を持つからには縁者全てとの関係を絶っていても不思議はない。
パチュリーは飛び立つと次の目的地へと向かった。
小悪魔はフランへのプレゼントを購入しに里に来た。その足取りを追えば何か手掛かりが残っているかもしれない。
小悪魔がフランに贈る物と言えばイタズラに使うような道具を除けば限られる。本の類はあり得ない。図書館がある。トランプなどのゲームの類はフランには与えず自分で所有している場合がほとんどだ。洋服や日傘のような身につける物はレミリアが贈るべきものだ。小悪魔もそれくらいの分別はある。でしゃばったりしない。そうなれば後は縫いぐるみぐらいしか考えられない。
そしてパチュリーの予想通り雑貨屋の店主は昨日の暮れに小悪魔が来たと告げた。小悪魔は店が閉まるまで悩んだ末にイヌの縫いぐるみを購入していったという。
この雑貨屋は里では一番大きい。確か霧雨魔理沙の実家だったはずだ。何か探し物があるならここを訪れれば揃うと言われている。そして小悪魔は予想通りここを訪れた。
小悪魔がまだ自分の予想の範疇で行動している事をパチュリーは確信した。そうなれば次の小悪魔の行動を想像する事は容易い。
里の大通りを紅魔館の方へ。
「そして……近道をしようと小さい路地に入る」
悪魔なだけあって暗闇を恐れたりしない。多少暗かろうが構わず近道を通るはずだ。予想される帰路を辿ると人通りの少なそうな路地に入る。そこには大きなタケノコの入った袋と縫いぐるみを包装した紙袋が落ちていた。そして何より、地面には赤い塗料がべったりと付着していた。
「カラーボールも中々役に立ったみたいね」
さらに、地面には途中までではあったが塗料を踏んだ靴で歩いた足跡が微かに残されていた。
「これじゃあ方角ぐらいしか特定できないけど……」
今はこれが犯人のものだと願う他になかった。
その頃、小悪魔は困った事に直面していた。
さっきおでこに貼られたお札、糊が乾いてきたのかまた剥がれそうになってきたのだ。
風で飛ばされた時に血相を変えて張り直してきた事からも犯人達は余程このお札を張っておきたい事情があるらしい。もしまた剥がれたら何をされるかわかったもんじゃない。
小悪魔はなるべく体を動かさないようにした。特に顔の筋肉を使ってはいけない。表情を変えたりしてはだめだ。
ずっと黙って座ったままだった犯人の1人がとうとう立ち上がった。手にはナイフが握られている。
「俺達の家族はお前らに殺されたんだ」
押し殺すような声で小悪魔に告げる。ナイフを突き付けてこない事が小悪魔に幸いした。声だけで脅されるのなら何とか耐えられる。これで微動だにしないでいられる。今お札が剥がれたら本当に何をされることやら。
誘拐犯は血走った眼で小悪魔を睨みつける。
「お前らのせいで俺たち兄弟は全てを失った」
家族に熱烈な悪魔信者でもいたのだろうか。それとも実力にそぐわない高位な悪魔でも召喚しようとしたのだろうか。どちらにしろ悪魔に魂を売ったのだとすれば自業自得だ。小悪魔には身に覚えの無い逆恨みでしかない。
しかしそうなればレミリアとフランは飛んだとばっちりだ。
レミリア様、フランドール様すみません。私が悪魔の眷族だったばかりに……
小悪魔は身動ぎ一つすることなく懺悔した。
凶悪な誘拐犯はなおもナイフを持ったまま小悪魔の周りを徘徊した。目を見開いたままの表情の無い顔が酷く不気味だった。
誘拐犯は震える手を何とか抑えてナイフを握っていた。
たまにチラつかせるが長い時間見せてしまえばたちどころに手の震えが見破られてしまう。
だが何よりも、こいつのこの落ち着きは一体何だと言うんだ。
「俺達はお前らを殺すために今まで生きてきたんだ」
凄んではみたが目の前の悪魔は決して動じる事が無い。
もう一度ナイフを見せる。
それでも表情一つ変えない。ギョロリと目だけがこちらを向いた瞬間、滝のような冷や汗が背中をグッショリと濡らすのを感じる。
まるで金縛りにでもあったようだ。瞬きの一つでも捉えられて気付いた時には体がバラバラにされる。そんな想像が頭をよぎる。一睡もできず、充血した眼であってもこいつ相手に離してはいけない。
いやばかな!
目の前の女は両手両足を縛ってある。おまけに妖怪兎から大枚はたいて買った特製のお札を張っているんだ。どう考えたって有利なのは自分達だ。それなのに持っているナイフがとても頼りなく思えてくる。
俺達は一体どんな化け物に戦いを挑んでるんだ!
と、コンコンと戸を叩く音がした。
「こんな時に一体誰が?二郎、見て来い」
その声は酷く擦れていた。喉がすっかりと乾いていた事にようやく気付かされた。
パチュリーが戸を叩いて間もなく住人と思しき男がドアを少しだけ開けて顔を出した。
「あの、どちら様でしょう?」
現れた眼鏡の男の足元を見る。着衣の裾に赤い塗料の飛沫が付着していた。
「やっぱりここだったようね」
「はい?」
返事をした時には男の体は扉ごと部屋の奥に吹き飛ばされた。
「な、なんだ!?」
爆風で小悪魔のおでこの札はどこかに飛ばされる。
「パチュリー様!」
快哉をあげる小悪魔は背中の羽を広げてすぐ横にいた男をおもいっきり翼で打ちつけてやった。不意を突かれて男が倒れると、すかさずパチュリーが金属性魔法で錘を作り犯人2人を下敷きにする。ものの数秒で誘拐犯アジトは制圧された。
「きっとパチュリー様が助けに来てくれると思ってましたよ」
パチュリーは小悪魔の縄を解いてやった。
「私も勘違いで誘拐されたのはあなただと思っていたわ」
「勘違い?」
小悪魔には何の事だかよくわからなかった。そんなことよりも未だに囚われの身になっているレミリアを助けなければ!
しかしそれをパチュリーに伝えるよりも早く、犯人の1人が錘の下でうめいた
「どうしてここがわかった?」
パチュリーは小悪魔が座らされていた椅子に座って足を組んだ。
「こんな天気のいい日に窓を閉め切っている。それなのに中には人がいるとなればよからぬ事を企んでいると想像できるわ。まぁ吸血鬼を捕えるのに遮光するのはどうかと思うけど」
足元にヒラヒラと落ちてきたお札を手に取る。紙に文字が書いてあるだけの紛い物だ。思った通りこういうことには疎いようだ。
「そして極めつけは裾についた赤いインク。小悪魔も咄嗟にカラーボールを足元に投げるなんてよく機転が利いたわね」
「へへへ」
偶然だったが褒められて悪い気はしない。そんな小悪魔のスカートにも赤い染みがいくつもついていた。
「でもパチュリー様、この人達が着替えてたら分からなかったって事ですか?」
「着替えていないという自信はあったわ。犯人はあなたとレミィを間違えるような輩よ。おまけに落とし穴で吸血鬼に対抗しようなんて。そんなのが誘拐なんてしたらそれどころじゃなくて着替えなんかしないとね」
パチュリーの説明を聞いていた小悪魔と犯人2人は皆顔を見合わせた。
「勘違い?」
ナイフの男が聞き返す。パチュリーは口元を歪めて僅かに笑った。
「その様子じゃまだ気付いていないようね。あなた達が誘拐したのはレミリア・スカーレットなんかじゃなくて、うちの小悪魔よ」
「え?小悪魔って?」
今度は眼鏡の方。この男こそ竹林で小悪魔と鉢合わせた張本人だった。
「悪魔の妹はフランドール。その姉がレミィで、これは正真正銘悪魔の小悪魔よ。何か誤解があったみたいだけど」
小悪魔は自分の発言を思い出した。
『紅魔館にいる正真正銘の悪魔が私だ』
「あっ……」
ようやく事件の全容に気付いたようだった。
「でもあなた達は運がいいわね。小悪魔だから偶々捕まえられたけれどレミィだったら今頃ミンチよ。それでも歯向かうと言うなら、そう伝えておくけど」
眼鏡の男は何度も首を横に振った。どうやら小間使いのような小悪魔でさえあの迫力だ。もしも本当に吸血鬼と対峙などしたら一睨みで心臓が氷漬けになってしまうに違いない。
だがもう1人は歯を強くかみしめてパチュリーを睨む。
「吸血鬼は両親の仇だ。絶対に許せない」
「レミィが?」
「そうだ」
「あなた達は記憶を無くしてここに来たと聞いたけど」
「あぁ、だが教えてもらった」
「誰に?」
パチュリーは自説を証明するために訊ねた。
「……ヴァンパイアハンターのお姉さんにだ」
「その言葉は信じない方がいいわよ。幼い子供に恨みを刷り込ませてるだけだろうから。ま、それでも復讐しようと言うなら止めないけど。そのヴァンパイアハンターでさえ仕留めそこなったレミィを倒せるのかしら?」
男の目には未だ闘志が宿っていた。そんな兄を眼鏡の弟は説得しようとする。
「兄さん……復讐なんてやめよう」
「!」
「今だって僕は幸せなんだ。それに今回はラッキーだったんだ。折角拾った命を捨てる事は無いよ」
「でもなぁ……」
「きっとこの人の言う事は正しいよ。なんとなく覚えてるんだ。僕らの家族は吸血鬼なんかとは無縁な普通なサラリーマン家庭だった。兄さんだって本当は覚えてるんだろう」
「……あぁ。二郎……」
「……兄さん」
「ところでサラリーマンって何ですかねぇ?」
訊ねる小悪魔の首を引っ張りながらパチュリーはさっさと立ち去った。
パチュリーにはヴァンパイアハンターに1人だけ心当たりがあった。正しく言うと元ヴァンパイアハンターの現メイドにだ。
湖の上をレミリアと咲夜が飛んでいた。
主を誘拐したと言う謎の怪文書は一体誰のイタズラだろうか。冗談でもそんな事を言う輩には後できついお仕置きが必要だ。
「あら?パチェじゃない?」
前方から飛んでくるパチュリーと小悪魔に気付いたレミリアが空中でブレーキをかけた。咲夜も考え事をしていたが主の前に出るような事はしない。きっちりと横に止まる。
「聞いてパチェ。さっき私を誘拐したっていう怪文書が届いたのよ」
「そのようね」
「あら、知ってたの?なぁんだ」
レミリアはつまらなさそうにした。パチュリーは咲夜の方を向く。
「咲夜は昔ヴァンパイアハンターをやっていたわね」
小悪魔は驚いている様子だった。
しかし咲夜からしてみればそれは紅魔館では周知の事実だった。
「どうしたんですか?そんな昔の事引っ張り出して来て」
「記憶喪失の子供にレミィへの恨みを刷り込んだりしてない?」
「……」
咲夜はしばらく目を泳がせてから
「そんなこと、まさか」
と、否定してみせた。あからさまな態度にパチュリーは「やっぱりね」と呟く。周囲からの怪しむ視線に気付くと咲夜は小悪魔の持つタケノコへと話を逸らした。
「あら、タケノコね。でも悪いわね。昨日ちょうど買ってきたところなのよ。ちょっとタイミングが遅かったようね。さあお嬢様、日が暮れる前に行きましょうか」
バツが悪そうにレミリアを急かす咲夜。パチュリーが呼びとめる。
「あなたが買ったというタケノコ、通りの角の露天かしら」
「ええ、そうですわ。あ、小悪魔、そのタケノコも皮を向いて灰汁をとっておいてね」
それだけ言い残し咲夜はレミリアの後に続いた。
「明らかに、大本は咲夜さんですね」
小悪魔は腰に手を当てて飛んでいく咲夜を見送った。
だが、パチュリーは心ここにあらずといった様子で呟く。
「私達はまだ真実に到達していなかったようね」
遠く紅魔館で脅迫状を見た美鈴が大騒ぎをしている声が聞こえてきた。
日が暮れ寺子屋から帰ってきた子供達が家の中に入って行く。その光景は孤児院でも同じだった。養母に招かれるように子供達が皆建物に入ったのを見計らって、花壇の庭にパチュリーと小悪魔が降り立つ。魔女よりも遥かに異形な姿の少女に、養母は子供達から見えないように扉を閉めた。
「まだ何か?」
養母の女性は首のスカーフを撫でながらパチュリーに投げかける。
「一郎二郎の兄弟が吸血鬼誘拐を企てたわ」
「未遂に終わりましたけどね」
小悪魔が付け加える。
女性は手で口を覆い驚く。
「まあ!そんな事が」
「えぇ、もし本当に吸血鬼に手を出していたら今頃は細切れだったわ」
「そうですか。じゃあもしかしてあなたが助けてくれたの?お礼を言わなきゃ」
「責任は感じないのかしら?」
「責任?」
「養母として育てた子供を危険に合わせた事よ」
「まるで、私が何か関わっていると言っているように聞こえるのだけど?」
「兄弟が誘拐などをしようとした背景にはあの2人に嘘の吸血鬼への憎悪を刷り込んだ『ヴァンパイアハンターのお姉さん』がいたわ。まぁ種を明かすとこの『ヴァンパイアハンターのお姉さん』というのは今うちで働いてるメイドの咲夜の事なんだけど、咲夜は一郎二郎の兄弟と年齢がさほど違わないのよ。それなのに『お姉さん』という形容。これがどうにもしっくりこなくてね。それだけじゃないわ。咲夜は昨日一郎からタケノコを買っているわ。例え歳月が立っていようとも、命を投げ捨てようとするほど憎い敵を教えてくれた、そんな人の顔を忘れる事ができるのかしら?私は、兄弟が咲夜と直接会っていないのではないかと考えているわ」
パチュリーは一旦言葉を切り女性の反応を窺いながら続ける。
「咲夜が孤児院を訪れて誰かに吸血鬼への恨みを吹き込もうとしたのは事実。けれども、その事実をいい事に兄弟にありもしない事を吹き込み、あまつさえ信じ込ませることができた人物がいるのよ。それが可能なのは――」
「まさか、それが私だって?」
「慧音さんに聞いて少しだけあなたの事を調べさせていただきました」
小悪魔が女性の背後に回り込むようにして話す。
「10年程前、あなたは里の名士と婚約をしていました。ところがある事件を境に婚約が破棄され、その直後にこの孤児院を開いていますね」
「それが関係あるとおっしゃるの?」
尚も否認する女性にパチュリーは訊ねる。
「そのスカーフの下を見せてくれるかしら?」
女性は驚き、パチュリーを見つめたまま言葉を発せずにいた。
何も言わない女性の首に小悪魔が手を回す。スカーフがなくなり露わになった首筋には二つの刺し傷の痕が並んで残っていた。
それは紛れもなく吸血鬼に噛まれた痕であった。
「10年前、あなたの全てを奪った事件、それが吸血鬼異変。レミィが幻想郷に対してしかけた戦争よ。そしてあなたはその時にレミィに血を吸われた犠牲者の1人」
小悪魔は再びスカーフを女性の首に巻きつけた。女性は覚悟を決めたように、落ち着いてそれを整えながらため息を一つついた。
「孤児院を建てたのも子供達を妖怪への敵意を持たせて育てるためだったのよ。すぐに無駄だと悟ったけどね。私達が何人束になっても所詮吸血鬼にはかなわないのだもの。おかしいじゃない。あなた達はいくらでも好き放題できるのに、私達はちょっとの仕返しだってできないのよ。不公平よ。だからちょっとくらい子供達を妖怪嫌いに育てたっていいでしょう。どうせあなた達には何の影響もないじゃない」
「そんなふざけた気持ちでいるんですか!?あなたはそれでも子供を育てる親なんですか」
小悪魔からの非難の言葉に女性は睨むような視線で返した。
「まさか妖怪に説教されるなんてね。どうせあなた達は人間の事なんて歯にもかけていないじゃない」
カッとする小悪魔を制して、パチュリーは静かに告げた。
「確かにそうかもしれないわね。人間は妖怪にとってはちっぽけな存在かもしれない。あなたにはそんな妖怪がとても大きなものに見えていたようね。あなたの反撃は針で刺す程度の事かもしれない。でも、あなたのそのちょっとの仕返しのせいで今日、3つの命が危険に晒されたわ。彼ら彼女らがいなくなる悲しみも、それに怒りや恨みも、人間と妖怪に何ら違いはないのよ。そんな事も想像できないあなたに人も妖怪も語る資格なんてありはしないのよ」
緩やかに降りてきた夜の帳も、パチュリーの密かな怒りを隠しきる事はできないでいた。
今までキャラ死に注意を行ってましたが、今現在モブ以外みんな健在ですね……
十六夜咲夜は幸福であった。
彼女の小さな主、レミリア・スカーレットは誰よりも咲夜の事を高く評価していた。そしてその期待に応えようとする彼女もまた心からレミリアの事を慕っている。
「さあ咲夜、今日は霊夢の所に遊びに行くわよ」
昼下がりに目覚めたレミリアは気品たっぷりに従者に告げた。
「はい、お嬢様。では霊夢へのお土産を準備いたしますので少々お待ちください」
「そう。霊夢も喜んでくれるわね」
レミリアが微笑むと咲夜も微笑み、次の瞬間には咲夜の姿は消えて無くなっていた。
十六夜咲夜は時を操るという能力の持ち主だ。彼女は誰も気付かぬうちに厨房へ来ると、ティータイムのために準備していた焼きたてのクランベリーチーズパイを焼きたてのまま切り分け、半分だけバスケットに入れた。
時計へと目をやる。3時のティータイムの時間までまだ30分近くある。
咲夜がエントランスホールに来た時レミリアは傘立ての前で唸っていた。
「ねー咲夜、今日はどの日傘がいいかしら?」
両方の手に日傘を持って悩む主を咲夜は愛おしく思う。
かつてはヴァンパイアハンターとしてあらゆる手段で命を狙ったのに、今は従僕として仕えるどころか最も大切な存在となっている。運命とは本当に不思議なものだ。咲夜は思った。
ようやく一番のお気に入りを決めたレミリアは日傘を広げてくるりと回った。
「さ、行きましょうか」
「はい」
庭の花壇を通り過ぎて門を出ると咲夜は一つやらねばならない事を思い出した。
主の妹、フランドールに3時になったらクランベリーチーズパイを出すように、門番の紅美鈴に言いつけておかなければならない。
咲夜は門の方を振り返った。横を通る時何も声がかけられなかったからやはりと思っていたが、美鈴はすやすやと寝息を立てている。
しかし奇妙な事に美鈴は便箋を口に咥えて眠っている。
大陸の方では何でも食べると聞くけどまさか紙まで食べる事はないだろう。それとも誰かがポストと間違えたのか。
咲夜は美鈴の口から便箋を抜き取ると中身を確認してみた。
『レミリア・スカーレットの身柄は預かった。助けたければ明日の正午にもう1人の吸血鬼が1人で迷いの竹林に来い』
瀟洒な従者は慌てず騒がず便箋を再び折りたたんで美鈴の口に突っ込んだ。
「咲夜?その手紙なに?」
「なんでもありませんわ。お嬢様が攫われただけのようです」
「はぁ?私ならここにいるじゃないか」
「ですから、なんでもないのですよ」
レミリアはよく理解できなかったが、そういう脅迫文が来たのなら霊夢との話のネタになると思って口元を綻ばせた。
時間を溯る事24時間前
パチュリーは永遠亭で健康診断を受けていた。
「また視力が落ちてるわね。暗い所で本を読んでるでしょ」
最後の項目だった視力検査を終え、八意永琳が過去の診断書を見比べるとパチュリーは視線を明後日の方に向けた。永琳はその動作も見逃さない。
「視力の低下から目を背けちゃだめよ」
「別に背けてなんていないわよ。読書ができればそれでいいわ」
「はあ……。とりあえずビタミン剤でも出しておくから毎日飲んでね」
「……それって苦いのかしら?」
「苦くないわよ」
そう言うと永琳は「はいこれでお終い」と、パチュリーを診察室から追い出した。
しばらく待合室で待たされていると今度は鈴仙・優曇華院・イナバが現れる。
「はい。お疲れ様です。これが健康診断の結果ですよ」
パチュリーは渡された紙を眺めた。不健康そうな数字が並んでいる。
「まさか視力検査だけ受けるつもりが健康診断まで受けさせられるとは思ってなかったわよ」
今日もいつも通り本を読んでいたパチュリーだったが、小悪魔にどうしてもとせがまれて永遠亭に視力検査に連れてこられたのだ。パチュリーとしては視力検査だけならやぶさかでもなかったが、来てみれば自分の名前で健康診断の予約が入っていると言うではないか。そうしてパチュリーは小悪魔に騙される形で日頃の不健康な行いを余すことなく数値化されたわけである。
「すっかり騙されたわ」
「小悪魔さんは主人思いのいい使い魔なんですよ」
憤慨するパチュリーに鈴仙がフォローの言葉を口にする。
「果たしてどうかしらね。目的はあっちでしょう」
パチュリーの視線の先には泥だらけになった小悪魔がタケノコを持ってはしゃいでいた。
「見てくださいパチュリー様!立派なタケノコですよ!今日はタケノコ尽くしです」
「私に健康診断をさせておいて自分はタケノコ掘りに行っていたようね」
自称都会っ子の小悪魔はこういう田舎体験に殊更興味を示す性質であった。
「私は少しでも健康に良さそうなものをと思っているだけですよ~。それにレミリア様もタケノコ食べたがってましたし」
ニヤニヤと笑う小悪魔。
「何だっていいわ。早く帰るわよ」
パチュリーはビタミン剤を小悪魔に渡すと永遠亭を出た。続いて出て行く小悪魔を竹の陰から手招きする人物がいた。
「てゐさんじゃないですか」
「やあ同志小悪魔。調子はどうウサ?毎日イタズラしてるかい」
てゐはヒソヒソ声で話す。釣られるように小悪魔も声を潜めた。
「もちろんですよ」
「それはよかった。今日はそんな小悪魔ちゃんに新しいイタズラグッズを持ってきたウサ」
「本当ですか!?」
竹藪のところで話しこむ小悪魔が気になって、パチュリーは引き返して様子を窺った。
てゐは持っていた紙袋から赤い色をした投げやすそうなボールを二つ取り出す。
「これはカラーボールという道具ウサ」
「見たところただのボールのようですよ」
「チッチッチ、小悪魔ちゃんは甘いウサ。これはこうするウサよ」
そう言うとてゐは玄関から出てきた鈴仙めがけてカラーボールを投げつけた。
ボールは鈴仙の身体に着弾した途端破裂し、赤い塗料がベットリと鈴仙のブレザーについた。
「ちょっとてゐ!何するのよ!」
当然の如く怒りだす鈴仙。しかしてゐは慌てず
「早く洗わないと落ちないウサよ」
「くぅ~、後で覚悟してなさいよ!」
鈴仙は捨て台詞を吐きながら退散していった。
「なんだかすごく凶悪な道具ですね」
「外の世界だと泥棒を退治するのに使うみたいウサ」
「じゃあ魔理沙さん対策にもなりますね」
「これを今なら一個5000円で売ってやるウサ」
「高くないですか?」
「私だって慈善事業でやってるわけじゃないウサ。当然ウサ」
「う~ん」
「いらないなら別にいいウサよ。私も香霖堂で偶々見つけたから仕入れてきただけだし」
「香霖堂で売ってるんですか?」
「もう無いよ。私が買い占めてきたウサ」
てゐはニヤリと笑った。
「買占めだなんてよくそんなお金がありましたね」
「まぁ私も臨時収入があったからね。あぁ、収入源は教えないよ。で、どうするの?買うの?買わないの?」
小悪魔はしばらく腕組みをして考え
「わかりました。買いましょう」
財布から5000円を取り出しててゐに渡した。
「毎度ありウッサ~」
代わりにもらったカラーボールを落とさないように大事に両手で包んだ。見かねたパチュリーが声をかける。
「あなた弾幕もまともに魔理沙に当てれないのに、そのボールは当てれると思ってるわけ?」
「あぁっ!」
気付いた時にはもう遅い。
「返品はお断りウサよ」
パチュリーはふと思った。ここでそのカラーボールをてゐに当ててやれば面白いのに。
しかし小悪魔はそうはしなかった。代わりにてゐに対して強がって見せる。
「いいんですよ!私だってもうすぐ臨時収入がありますから。それもすっごくたくさん」
「ボーナスを支給する気はないわよ」
パチュリーは冷たく告げたが小悪魔は顔の前で指を左右に振った。
「チッチッチ、私はもうすぐ埋蔵金を掘り当てるんですよ」
「埋蔵金?」
その言葉に反応したのはパチュリーだけでない。てゐも同様だ。
小悪魔はてゐに「あっち行け」と手で払ってからパチュリーの方を向いた。パチュリーからはてゐが聞き耳を立てているのが良く見える。
「タケノコ掘りをしていたらですね大きな穴を掘る怪しい人を見つけたんですよ。そこで声をかけたんです。最初は隠してましたが私が紅魔館の住人だと知ると正直に白状しました」
「そんなとこで紅魔館の名前を出さないで欲しいわね」
「その時の驚きようはすごかったですよ。『あの悪魔の妹と呼ばれる吸血鬼がいる紅魔館!?』と驚いてたのでこう言ってやったんですよ。『紅魔館にいる正真正銘の悪魔が私だ』って。すごく驚いて逃げて行きました。ヒッヒッヒ」
自分の使い魔から漂う小物臭にパチュリーは頭を抱えたくなった。
しかしこの様子ではどうも最近の人間はレミリアを知らないらしい。紅霧異変ももう昔の事になりつつあるようだし、レミリアの出不精も災いしているのだろう。恐ろしいモノの代名詞としてフランドールの通り名だけが独り歩きしているなど、レミリアが知ったらさぞ落ち込むだろう。親友のカリスマを上げるために新しい異変でも提案してみようか。
などと思案している内も小悪魔は雄弁に埋蔵金の話を語っていた。
「穴は葉っぱで隠しておきましたから、また明日来て掘りますよ。私が先に掘り当てて横取りです」
「本当に埋蔵金があればいいわね」
「パチュリー様は信じてないんですか?」
「あると言うなら根拠を示してみなさい」
「……。そんな事言ってると掘り当てても何もあげませんよ」
「ええどうぞ」
「夢が無いですねぇ」
「ありもしない埋蔵金を探すよりも、本の世界に没頭するほうが私にはファンタスティックでメルヘンなのよ。さ、帰るわよ」
「あ、パチュリー様先に帰っておいてください」
まさか今から埋蔵金掘りを再開するつもりだろうか。と、パチュリーは振り返った。
「フランドール様にお土産を持って行く約束をしています。里で買い物をしてから帰りますね」
「そう。早く帰ってきなさいよ」
小悪魔がカラーボールをフランにプレゼントする非常識者でない事はわかった。
「はいっ!」
元気に手を振る小悪魔と別れてパチュリーは図書館に帰って行った。
「すっかり帰るのが遅くなっちゃった」
パチュリーと別れて数時間。小悪魔は日の沈んだ里を歩いていた。
フランへのプレゼントをクマの縫いぐるみにするかイヌの縫いぐるみにするか悩みに悩んで結局イヌの縫いぐるみにした。
小悪魔は自分の名前とクマをかけてクマの縫いぐるみの方が気にいった。だから、よく縫いぐるみをバラしてしまうフランにクマの縫いぐるみを贈るのが忍びなかったためイヌの縫いぐるみを選んだ。
辺りは真っ暗であったが小悪魔は意外と夜目が利く。近道をしようと人通りの少ない通りに入ると突然、後方から走ってきた人間が小悪魔のおでこにお札を張り付けてきた。
そして同時に後ろから麻袋のようなものが被せられる。小悪魔は咄嗟に持っていたカラーボールを投げようとしたが上手くいかず、足元で破裂するに止まっただけだった。
視界を塞がれた小悪魔はそのままどこかに運ばれていった。
パチュリー・ノーレッジは図書館の安楽椅子の上で目を覚ました。
本を一冊読み終えて休憩していたところうたた寝をしてしまったようだ。いつもなら使い魔の小悪魔に叩き起こされてベッドに連れて行かれるのに昨日はそうはならなかったらしい。
「おかしいわね……」
パチュリーは1人呟いた。
うたた寝をしようものなら小悪魔は嬉々として叩き起こしてくるのだ。昨夜はその絶好のチャンスだった。にも関わらず小悪魔に何かされた記憶も形跡も無い。小悪魔が考えを改めたとも思えない。
パチュリーは一先ず小悪魔を探す事にした。
まずは部屋へ、小悪魔の部屋はひどく散らかっていたがそれはいつも通りだ。しかし小悪魔はいない。
地上の紅魔館本館へと出る。朝、小悪魔が行く場所があるとすれば厨房へつまみ食いにだ。パチュリーは行き交う妖精メイドの合い間を縫いながら厨房へと向かった。
扉を開けようと取っ手に手をかけると中から声が聞こえてくるのがわかった。
パチュリーはそば耳を立てる。
「ねえ咲夜、今日のおやつはクランベリーチーズパイがいいわ」
フランの声だ。続いて咲夜の声が聞こえてくる。
「わざわざキッチンまで出てこられたと思ったら……あれは中々手間がかかるのですよ」
「えーっ!作ってくれるって約束したじゃない!」
「はて?そんな約束してましたっけ?」
魔理沙と接するようになってからフランは変な知恵をつけてしまっていた。約束したのに。と迫る『約束戦法』は咲夜には通用しない。
フランは頬を膨らませた。それでもまだ使い古した戦法でゴネ続ける。
「作ってよ!咲夜も私との約束破るの?」
その言葉にパチュリーは引っかかりを感じた。扉を開けて厨房に入る。
「咲夜の他に約束を破ったのは小悪魔かしら?」
「あ、パチュリー!」
フランはパチュリーに駆けよって抱きついた。
「そうなの。小悪魔ったら昨日私にプレゼントくれるって言ってたのにまだくれないのよ」
パチュリーは頬を膨らませながら喋るフランの頭を優しく撫でた。
「小悪魔ならまだフランへのプレゼントを探してるところよ」
「本当に?」
「えぇ」
フランは顔を輝かせた。と、戸棚の中を探っていた咲夜が
「あら、クランベリーソースの缶詰がまだ残っているわ。妹様、これでパイが作れますわよ」
フランはますます顔を輝かせる。
「もうちょっとだけ待っていなさい」
「うん!じゃあもう一眠りしてくる。小悪魔待ってて起きてたの」
パチュリーに言われてフランは嬉しそうに走りながら部屋へと戻って行った。
フランの出て行った部屋で咲夜は眉を顰めながら
「でもいいんですか、パチュリー様。小悪魔は多分プレゼントの事なんて忘れてますよ」
「いいのよ。私が何とかするから」
「はぁ」
「あと、ちょっと出かけるから私の分のパイはいらないわよ」
「それは困りますわ。この量のソースを使いきるとなると……」
咲夜が言い終わる前にパチュリーは出て行ってしまった。
パチュリーには一つの確信があった。小悪魔がフランへのプレゼントを買ってきたのなら昼夜の別なく渡しに行くはずだ。吸血鬼はもともと夜行性。一晩待たせる必要は無い。フランが一晩待っても小悪魔はプレゼントを持って来ず、今もなお小悪魔は所在不明。小悪魔はまず間違いなくまだ紅魔館に帰ってきていない。
一体どこをほっつき歩いているのか。フランに渡すプレゼントだけでも何とかさせないと、癇癪を起されては敵わない。
小悪魔を探しに行こうと外に出たパチュリーだったが、門の横に据え付けられているポストに差し込まれた手紙を見つけた。気付いてくれと言わんばかりに綺麗に半分だけという不自然な差し込まれ方が気になる。手にとってみると宛名も差し出し人も書かれてはいない。パチュリーは不審な手紙を開いた。
『レミリア・スカーレットの身柄は預かった。助けたければ明日の正午にもう1人の吸血鬼が1人で迷いの竹林に来い』
困った事に親友が攫われたようだ。しかもこの字には見覚えがある。小悪魔の字だ。
と、その時。二階の窓が開いて眠そうに眼を擦るレミリアが顔を覗かせた。
「パチェ~、下でフランが騒いでたみたいだけど何かあったの?」
パチュリーは驚きもしなかった。
「いいえ、何でもないわ。何もないわよ」
「そう。ところでパチェはおでかけ?いいわね。私も霊夢のとこに行こうかしら」
ぶつぶつと呟くレミリアはまだ眠いのか、大きく欠伸をすると窓とカーテンを閉めた。
帰って来ない小悪魔、その小悪魔の字で書かれたレミリアを攫ったとする怪文書、イタズラにしてはレミリアが全く何事も無く姿を現すという間の抜けよう。
何が起きているかだいたい理解したパチュリーは、手紙を折りたたんで眠りこける美鈴の口の中に突っ込んだ。とりあえず竹林の方に向かう事にした。
パチュリーが竹林に来たのには二つの理由があった。
それは手紙で指定された場所であること、そしてもう一つ。小悪魔が埋蔵金を掘る不審人物と出会った場所である事だ。
目指すべきは小悪魔の言う埋蔵金の穴。もっとも、パチュリーはそれが埋蔵金のための穴だとは思っていなかった。
と言っても広大な竹林からわざわざ隠された穴を探すのは容易な事ではない。因幡てゐの力も借りるか。そう思った時、ドスンという音が静かな竹林に響き渡った。音のした方に向かうとそこには大きな穴、そして穴の底で尻もちをついているてゐだった。
てゐは穴を覗きこんでくるパチュリーに気付くと悪態をついた。
「小悪魔に騙されたウサ!」
「まさか埋蔵金を探していたのかしら」
「そうウサ。そしたらこんな所に落とし穴が」
大穴は枝や葉っぱでカモフラージュされていたようだ。このカモフラージュは小悪魔の仕業だろうが穴を掘ったのは小悪魔ではない。
ガサッ
不意に葉の揺れる音がしてパチュリーは振り向いた。竹の間を縫うように逃げる何者かの後ろ姿。着ている物からして里の人間だろうか。だがパチュリーの体力ではそれを追いかける事ができず、逃走する何者かはすぐに行方を眩ませてしまった。
てゐが飛んで穴から出てきた。
「誰かいたウサか?だったら埋蔵金の事を知っているかも」
「多分何か知っているでしょうね。でも、埋蔵金の事じゃないと思うわよ」
パチュリーはこれ以上の事情は語らず、次は人間の里に向かった。
その途中で状況を整理する。
まずは紅魔館に届いた脅迫文。
レミリアを助けたければフランが1人で竹林に来い。という内容だ。身代金については触れられていない。とすれば目的はフランということになる。金や貴重品が目当てでないのならば標的となっているのは吸血鬼の首。
そして竹林の穴。
小悪魔は穴を掘る男に自分が紅魔館の主のように振舞った。その直後の小悪魔がレミリアと間違われて誘拐。穴を掘っていた男と誘拐犯は同一人物と考えていいだろう。ならば、あの穴は埋蔵金を掘るためのものではない。吸血鬼の首を狙っている事、決闘の場所に竹林を指定してきた状況からみても、馬鹿げてはいるがあれは落とし穴のような罠の類だ。
だが、それらの情報もパチュリーには誘拐犯を特定する手がかりになる。
里ではまず慧音のもとに向かう。
寺子屋の休み時間中にパチュリーは訊ねる。
「竹林に詳しい人間ってどれくらいいるのかしら?」
「なんだ?藪から棒に」
「ちょっとした調べ物よ」
「竹林かぁ、妹紅の他には……」
慧音は首を傾げて考えた。
迷いの竹林は特段魔法で迷いやすくなっているわけではない。単に同じ風景が続くので迷いやすいというだけだ。だから竹林に何度も入っている人間ならば容易く抜ける事も、それこそ逃げる事も可能ということになる。だが、基本的には危険な場所だ。生業として竹林に入る者以外が入る事はあまりないと考えられる。かなり絞れるはずだ。
「タケノコ売りの兄弟がいたな。普段は竹炭も作ってたかな。あいつらなら竹林に詳しいんじゃないのか?」
「その兄弟にはどこに行けばあえるのかしら?」
「いつも同じ場所でタケノコ売ってるぞ。里で一番大きな通りの角だ」
もしもその兄弟が小悪魔を誘拐した犯人だとすれば今日もタケノコを売っているとは考えられない。
「家はどこに?」
「あー、悪いがそいつらの住んでる場所までは知らないんだ」
「役に立たないわね」
「……悪かったな。そいつらは何年か前にやってきた外の世界の人間だから私はよく知らないんだ。この先にそういう連中を引きとってた孤児院のような所があるからそっちに行ってくれ」
「孤児院ね……」
どうにも嫌な予感がしてきた。
慧音は子供たちを呼び集めて次の授業を始めていた。
小悪魔は暗い場所には慣れていたが手を縛られるのには慣れていなかった。どうにかこっそり縄を解いて逃げれないかと隙を窺う。
薄暗い室内では男が先程からのっしのっしと部屋の中を歩き回りながら小悪魔の事を観察していた。小悪魔が少しでも身動ぎすると敏感に体を強張らせて警戒している。この様子ではこっそりと炎の魔法で縄を焼き切るのは無理そうだ。何より自分が熱いのであまりその手は使いたくない。幸い大人しくしていれば危害は無さそうだ。
小悪魔を誘拐したのは2人組の男だった。歳の程は見た目は小悪魔の方が若く見える。しかし小悪魔の実年齢は人間なんかよりずっと上だ。2人組は18~20歳前半ぐらいに見えた。片方は細身で眼鏡をかけた如何にもな知能犯。もう片方も痩せ型ではあったが体つきは引き締まっているように思えた。
狂人のように不気味に体を震わせている誘拐犯を見て、小悪魔は誘拐された当初の事を思い出した。
両手両足を縛られて椅子に座らされた小悪魔は恐怖のあまり抵抗することができないでいた。2人組の誘拐犯は早速脅迫状を書き始めたようだったが、犯人達も手を震わせて筆が握れていない。武者震いするなんて何と恐ろしい連中だ。そして誘拐犯はあろうことか小悪魔に代筆を要求したのだ。小悪魔は言われるがままの文章を紙に書いたのではあるが、あまりの恐怖に何を書いたかまではよく覚えていなかった。
確かレミリア様を誘拐したという内容だったような。
レミリアを攫うとはかなりの強者。きっと別室のレミリアに『小悪魔を誘拐した』旨の文章を書かせているに違いない。
この時に小悪魔は抵抗を諦めたのだ。
しかしおでこに貼られた効き目のないお札はなんなのだろうか?嫌がらせなのだろうか?
突然、部屋の戸が開いた。差し込む光に思わず目が眩む。扉の向こうはもう外のようだ。吹き込んできた風でおでこのお札が飛んでいく。
「ちくしょう参った」
入ってきた男が口にした。体の割に太い腕、それで締めあげられたらと思うとゾッとする。
「どうしたの?」
見張り役のもう一方だ。眼鏡の奥の冷徹な瞳は今は光の反射で窺い知ることができない。
「作戦ポイントに行ったんだが不審な奴がいた」
「不審な奴?」
「なんだか紫色の奴だ」
パチュリー様だろうか?
「奴ら約束の時間は明日だっていうのにもう偵察を出してきたんだ」
「まさか僕たちのトラップが……」
「あぁ、もう見破られた。あいつめ、落とし穴を見つけて微笑んでやがった!」
「どうするの?」
「ここまで来たらもう引けるはずないだろう。こっちにはまだお札があるんだ。落とし穴がなくても何とかなる。絶対に妹の方もやるんだ!」
レミリア様と自分をだしにしてフランドール様をおびき出すつもりだ!パチュリー様!こいつらの陰謀を阻止してください!
小悪魔は祈るしかなかった。
誘拐犯は内心怯えていた。
数日前、秘密のルートでお札を手に入れた時から宿敵吸血鬼を討つ計画を立ててきた。自分達に有利な竹林で決戦を挑もうと落とし穴を掘っている時に、まさか宿敵が目の前に現れるとは思っても見なかった。
尊大に振舞う噂通りの傲岸ぶりに最初は恐怖して逃げ出したが、吸血鬼の姿を実際に見た事の無い自分達にとっては僥倖であった。何せ標的の姿を視認することができたのだから。
名前は確かレミリア。昨日目の前に現れるまで姿を見た事は無かったが、背中と頭に蝙蝠の羽、髪の毛はスカーレットの名に相応しい血のような赤。噂通りの恐ろしい容姿だ。
だが、果たして本当に自分達の元に転がり込んできたのは幸運の方なのだろうか?大きな災いでは無いのか?
こちらが生殺与奪を握っているというのに妙に落ち着いて見える。丁寧な口調で喋る辺りにも強者の余裕が感じられる。何より抵抗しないのが不気味だ。「こんな縄いつでも抜け出す事ができますよ」そう嘲笑っているようで片時も目を離す事ができない。
しかも兄の情報では竹林の落とし穴はもう看破されてしまったようだ。果たして勝てるのだろうか?噂では妹の方が力が強大なのだという。
いや今更考えてもどうにもならない。
誘拐犯は首を横に振った。
姉の方は捕まえた。妹にも勝てるはずだ!
その時、ふと誘拐犯は気付いた。
「な、何で!お札が剥がれてる!」
「何だと!」
だが当の本人は何事も無いかのように平然と椅子に座っている。
懐からもう一枚のお札を取り出して再び張り付ける。気付けば身体じゅうから嫌な汗が噴き出していた。
逃げ出す千載一遇のチャンスだった。にも関わらず何故平然と座っていられるんだ。死を覚悟しているようには見えない。この落ち着きは一体何だって言うんだ!?
誘拐犯は逃げ出したい衝動に駆られた。
パチュリーは慧音に言われたとおりに孤児院施設にまで来ていた。
養母だろうか、だがそれにしては若く見える女性が花壇に水をやっている。女性はパチュリーに気付くと軽く会釈した。襟元に巻いたスカーフが印象的な感じのいい女性だった。
「少し聞きたい事があるのだけど」
「あなたは、もしかして妖怪?」
「……?えぇ、魔女よ」
すると女性は自分の周囲を見渡した。周りに子供達がいないのを確認してから
「ここの子供達は妖怪で両親を失っているの。中には未だにその事を気にかけている子もいるわ」
「そう。それは悪い事をしたわ。あなたも?」
「それも幻想郷には必要な事なのでしょうね。子供達には復讐なんて馬鹿な真似はしないように教えてるんだけど」
パチュリーには自分よりずっと年下の女性が達観しているように感じられた。でなければ全く知らない子供達の世話などできないだろう。
「手短に聞くわ。今、里でタケノコや竹炭売りをしている兄弟、あなたの所で育ったのよね」
「竹炭というと……一郎ちゃんに二郎ちゃんかしら?たまにタケノコを届けに来てくれるのよ」
「一郎に二郎とはまたオーソドックスな名前ね」
パチュリーにはそれを確かめる必要があった。外から入ってきた人間がレミリアに対する誘拐を企てる。その動機となる可能性を言葉の端に捕えた。
「記憶を無くしていたからこっちで付けたの。十年くらい前に外の世界から神隠しで来たみたいで」
記憶喪失で入ってきた外の世界の人間。
やっぱり。パチュリーは心の中で呟いた。
外の世界の人間でレミリアをつけ狙うとすればヴァンパイアハンターの血筋。ただし連中は数百年という歴史が培った知識がある。小悪魔と間違える事は無いし、落とし穴なんかで吸血鬼に対抗しようなどとは思わない。だが、ヴァンパイアハンターが放った刺客という可能性はある。
記憶を無くした部外者、何者かが吸血鬼への恨みを吹き込むのに絶好の状況だ。
「その2人の住んでいる所を教えてもらえないかしら」
「さあ。何とか暮らしていけるようになったら私達には場所も告げずに越して行ったから」
「そう。狭い里と言っても全て把握できるわけじゃないものね」
吸血鬼に挑もうと思う破滅的な思想を持つからには縁者全てとの関係を絶っていても不思議はない。
パチュリーは飛び立つと次の目的地へと向かった。
小悪魔はフランへのプレゼントを購入しに里に来た。その足取りを追えば何か手掛かりが残っているかもしれない。
小悪魔がフランに贈る物と言えばイタズラに使うような道具を除けば限られる。本の類はあり得ない。図書館がある。トランプなどのゲームの類はフランには与えず自分で所有している場合がほとんどだ。洋服や日傘のような身につける物はレミリアが贈るべきものだ。小悪魔もそれくらいの分別はある。でしゃばったりしない。そうなれば後は縫いぐるみぐらいしか考えられない。
そしてパチュリーの予想通り雑貨屋の店主は昨日の暮れに小悪魔が来たと告げた。小悪魔は店が閉まるまで悩んだ末にイヌの縫いぐるみを購入していったという。
この雑貨屋は里では一番大きい。確か霧雨魔理沙の実家だったはずだ。何か探し物があるならここを訪れれば揃うと言われている。そして小悪魔は予想通りここを訪れた。
小悪魔がまだ自分の予想の範疇で行動している事をパチュリーは確信した。そうなれば次の小悪魔の行動を想像する事は容易い。
里の大通りを紅魔館の方へ。
「そして……近道をしようと小さい路地に入る」
悪魔なだけあって暗闇を恐れたりしない。多少暗かろうが構わず近道を通るはずだ。予想される帰路を辿ると人通りの少なそうな路地に入る。そこには大きなタケノコの入った袋と縫いぐるみを包装した紙袋が落ちていた。そして何より、地面には赤い塗料がべったりと付着していた。
「カラーボールも中々役に立ったみたいね」
さらに、地面には途中までではあったが塗料を踏んだ靴で歩いた足跡が微かに残されていた。
「これじゃあ方角ぐらいしか特定できないけど……」
今はこれが犯人のものだと願う他になかった。
その頃、小悪魔は困った事に直面していた。
さっきおでこに貼られたお札、糊が乾いてきたのかまた剥がれそうになってきたのだ。
風で飛ばされた時に血相を変えて張り直してきた事からも犯人達は余程このお札を張っておきたい事情があるらしい。もしまた剥がれたら何をされるかわかったもんじゃない。
小悪魔はなるべく体を動かさないようにした。特に顔の筋肉を使ってはいけない。表情を変えたりしてはだめだ。
ずっと黙って座ったままだった犯人の1人がとうとう立ち上がった。手にはナイフが握られている。
「俺達の家族はお前らに殺されたんだ」
押し殺すような声で小悪魔に告げる。ナイフを突き付けてこない事が小悪魔に幸いした。声だけで脅されるのなら何とか耐えられる。これで微動だにしないでいられる。今お札が剥がれたら本当に何をされることやら。
誘拐犯は血走った眼で小悪魔を睨みつける。
「お前らのせいで俺たち兄弟は全てを失った」
家族に熱烈な悪魔信者でもいたのだろうか。それとも実力にそぐわない高位な悪魔でも召喚しようとしたのだろうか。どちらにしろ悪魔に魂を売ったのだとすれば自業自得だ。小悪魔には身に覚えの無い逆恨みでしかない。
しかしそうなればレミリアとフランは飛んだとばっちりだ。
レミリア様、フランドール様すみません。私が悪魔の眷族だったばかりに……
小悪魔は身動ぎ一つすることなく懺悔した。
凶悪な誘拐犯はなおもナイフを持ったまま小悪魔の周りを徘徊した。目を見開いたままの表情の無い顔が酷く不気味だった。
誘拐犯は震える手を何とか抑えてナイフを握っていた。
たまにチラつかせるが長い時間見せてしまえばたちどころに手の震えが見破られてしまう。
だが何よりも、こいつのこの落ち着きは一体何だと言うんだ。
「俺達はお前らを殺すために今まで生きてきたんだ」
凄んではみたが目の前の悪魔は決して動じる事が無い。
もう一度ナイフを見せる。
それでも表情一つ変えない。ギョロリと目だけがこちらを向いた瞬間、滝のような冷や汗が背中をグッショリと濡らすのを感じる。
まるで金縛りにでもあったようだ。瞬きの一つでも捉えられて気付いた時には体がバラバラにされる。そんな想像が頭をよぎる。一睡もできず、充血した眼であってもこいつ相手に離してはいけない。
いやばかな!
目の前の女は両手両足を縛ってある。おまけに妖怪兎から大枚はたいて買った特製のお札を張っているんだ。どう考えたって有利なのは自分達だ。それなのに持っているナイフがとても頼りなく思えてくる。
俺達は一体どんな化け物に戦いを挑んでるんだ!
と、コンコンと戸を叩く音がした。
「こんな時に一体誰が?二郎、見て来い」
その声は酷く擦れていた。喉がすっかりと乾いていた事にようやく気付かされた。
パチュリーが戸を叩いて間もなく住人と思しき男がドアを少しだけ開けて顔を出した。
「あの、どちら様でしょう?」
現れた眼鏡の男の足元を見る。着衣の裾に赤い塗料の飛沫が付着していた。
「やっぱりここだったようね」
「はい?」
返事をした時には男の体は扉ごと部屋の奥に吹き飛ばされた。
「な、なんだ!?」
爆風で小悪魔のおでこの札はどこかに飛ばされる。
「パチュリー様!」
快哉をあげる小悪魔は背中の羽を広げてすぐ横にいた男をおもいっきり翼で打ちつけてやった。不意を突かれて男が倒れると、すかさずパチュリーが金属性魔法で錘を作り犯人2人を下敷きにする。ものの数秒で誘拐犯アジトは制圧された。
「きっとパチュリー様が助けに来てくれると思ってましたよ」
パチュリーは小悪魔の縄を解いてやった。
「私も勘違いで誘拐されたのはあなただと思っていたわ」
「勘違い?」
小悪魔には何の事だかよくわからなかった。そんなことよりも未だに囚われの身になっているレミリアを助けなければ!
しかしそれをパチュリーに伝えるよりも早く、犯人の1人が錘の下でうめいた
「どうしてここがわかった?」
パチュリーは小悪魔が座らされていた椅子に座って足を組んだ。
「こんな天気のいい日に窓を閉め切っている。それなのに中には人がいるとなればよからぬ事を企んでいると想像できるわ。まぁ吸血鬼を捕えるのに遮光するのはどうかと思うけど」
足元にヒラヒラと落ちてきたお札を手に取る。紙に文字が書いてあるだけの紛い物だ。思った通りこういうことには疎いようだ。
「そして極めつけは裾についた赤いインク。小悪魔も咄嗟にカラーボールを足元に投げるなんてよく機転が利いたわね」
「へへへ」
偶然だったが褒められて悪い気はしない。そんな小悪魔のスカートにも赤い染みがいくつもついていた。
「でもパチュリー様、この人達が着替えてたら分からなかったって事ですか?」
「着替えていないという自信はあったわ。犯人はあなたとレミィを間違えるような輩よ。おまけに落とし穴で吸血鬼に対抗しようなんて。そんなのが誘拐なんてしたらそれどころじゃなくて着替えなんかしないとね」
パチュリーの説明を聞いていた小悪魔と犯人2人は皆顔を見合わせた。
「勘違い?」
ナイフの男が聞き返す。パチュリーは口元を歪めて僅かに笑った。
「その様子じゃまだ気付いていないようね。あなた達が誘拐したのはレミリア・スカーレットなんかじゃなくて、うちの小悪魔よ」
「え?小悪魔って?」
今度は眼鏡の方。この男こそ竹林で小悪魔と鉢合わせた張本人だった。
「悪魔の妹はフランドール。その姉がレミィで、これは正真正銘悪魔の小悪魔よ。何か誤解があったみたいだけど」
小悪魔は自分の発言を思い出した。
『紅魔館にいる正真正銘の悪魔が私だ』
「あっ……」
ようやく事件の全容に気付いたようだった。
「でもあなた達は運がいいわね。小悪魔だから偶々捕まえられたけれどレミィだったら今頃ミンチよ。それでも歯向かうと言うなら、そう伝えておくけど」
眼鏡の男は何度も首を横に振った。どうやら小間使いのような小悪魔でさえあの迫力だ。もしも本当に吸血鬼と対峙などしたら一睨みで心臓が氷漬けになってしまうに違いない。
だがもう1人は歯を強くかみしめてパチュリーを睨む。
「吸血鬼は両親の仇だ。絶対に許せない」
「レミィが?」
「そうだ」
「あなた達は記憶を無くしてここに来たと聞いたけど」
「あぁ、だが教えてもらった」
「誰に?」
パチュリーは自説を証明するために訊ねた。
「……ヴァンパイアハンターのお姉さんにだ」
「その言葉は信じない方がいいわよ。幼い子供に恨みを刷り込ませてるだけだろうから。ま、それでも復讐しようと言うなら止めないけど。そのヴァンパイアハンターでさえ仕留めそこなったレミィを倒せるのかしら?」
男の目には未だ闘志が宿っていた。そんな兄を眼鏡の弟は説得しようとする。
「兄さん……復讐なんてやめよう」
「!」
「今だって僕は幸せなんだ。それに今回はラッキーだったんだ。折角拾った命を捨てる事は無いよ」
「でもなぁ……」
「きっとこの人の言う事は正しいよ。なんとなく覚えてるんだ。僕らの家族は吸血鬼なんかとは無縁な普通なサラリーマン家庭だった。兄さんだって本当は覚えてるんだろう」
「……あぁ。二郎……」
「……兄さん」
「ところでサラリーマンって何ですかねぇ?」
訊ねる小悪魔の首を引っ張りながらパチュリーはさっさと立ち去った。
パチュリーにはヴァンパイアハンターに1人だけ心当たりがあった。正しく言うと元ヴァンパイアハンターの現メイドにだ。
湖の上をレミリアと咲夜が飛んでいた。
主を誘拐したと言う謎の怪文書は一体誰のイタズラだろうか。冗談でもそんな事を言う輩には後できついお仕置きが必要だ。
「あら?パチェじゃない?」
前方から飛んでくるパチュリーと小悪魔に気付いたレミリアが空中でブレーキをかけた。咲夜も考え事をしていたが主の前に出るような事はしない。きっちりと横に止まる。
「聞いてパチェ。さっき私を誘拐したっていう怪文書が届いたのよ」
「そのようね」
「あら、知ってたの?なぁんだ」
レミリアはつまらなさそうにした。パチュリーは咲夜の方を向く。
「咲夜は昔ヴァンパイアハンターをやっていたわね」
小悪魔は驚いている様子だった。
しかし咲夜からしてみればそれは紅魔館では周知の事実だった。
「どうしたんですか?そんな昔の事引っ張り出して来て」
「記憶喪失の子供にレミィへの恨みを刷り込んだりしてない?」
「……」
咲夜はしばらく目を泳がせてから
「そんなこと、まさか」
と、否定してみせた。あからさまな態度にパチュリーは「やっぱりね」と呟く。周囲からの怪しむ視線に気付くと咲夜は小悪魔の持つタケノコへと話を逸らした。
「あら、タケノコね。でも悪いわね。昨日ちょうど買ってきたところなのよ。ちょっとタイミングが遅かったようね。さあお嬢様、日が暮れる前に行きましょうか」
バツが悪そうにレミリアを急かす咲夜。パチュリーが呼びとめる。
「あなたが買ったというタケノコ、通りの角の露天かしら」
「ええ、そうですわ。あ、小悪魔、そのタケノコも皮を向いて灰汁をとっておいてね」
それだけ言い残し咲夜はレミリアの後に続いた。
「明らかに、大本は咲夜さんですね」
小悪魔は腰に手を当てて飛んでいく咲夜を見送った。
だが、パチュリーは心ここにあらずといった様子で呟く。
「私達はまだ真実に到達していなかったようね」
遠く紅魔館で脅迫状を見た美鈴が大騒ぎをしている声が聞こえてきた。
日が暮れ寺子屋から帰ってきた子供達が家の中に入って行く。その光景は孤児院でも同じだった。養母に招かれるように子供達が皆建物に入ったのを見計らって、花壇の庭にパチュリーと小悪魔が降り立つ。魔女よりも遥かに異形な姿の少女に、養母は子供達から見えないように扉を閉めた。
「まだ何か?」
養母の女性は首のスカーフを撫でながらパチュリーに投げかける。
「一郎二郎の兄弟が吸血鬼誘拐を企てたわ」
「未遂に終わりましたけどね」
小悪魔が付け加える。
女性は手で口を覆い驚く。
「まあ!そんな事が」
「えぇ、もし本当に吸血鬼に手を出していたら今頃は細切れだったわ」
「そうですか。じゃあもしかしてあなたが助けてくれたの?お礼を言わなきゃ」
「責任は感じないのかしら?」
「責任?」
「養母として育てた子供を危険に合わせた事よ」
「まるで、私が何か関わっていると言っているように聞こえるのだけど?」
「兄弟が誘拐などをしようとした背景にはあの2人に嘘の吸血鬼への憎悪を刷り込んだ『ヴァンパイアハンターのお姉さん』がいたわ。まぁ種を明かすとこの『ヴァンパイアハンターのお姉さん』というのは今うちで働いてるメイドの咲夜の事なんだけど、咲夜は一郎二郎の兄弟と年齢がさほど違わないのよ。それなのに『お姉さん』という形容。これがどうにもしっくりこなくてね。それだけじゃないわ。咲夜は昨日一郎からタケノコを買っているわ。例え歳月が立っていようとも、命を投げ捨てようとするほど憎い敵を教えてくれた、そんな人の顔を忘れる事ができるのかしら?私は、兄弟が咲夜と直接会っていないのではないかと考えているわ」
パチュリーは一旦言葉を切り女性の反応を窺いながら続ける。
「咲夜が孤児院を訪れて誰かに吸血鬼への恨みを吹き込もうとしたのは事実。けれども、その事実をいい事に兄弟にありもしない事を吹き込み、あまつさえ信じ込ませることができた人物がいるのよ。それが可能なのは――」
「まさか、それが私だって?」
「慧音さんに聞いて少しだけあなたの事を調べさせていただきました」
小悪魔が女性の背後に回り込むようにして話す。
「10年程前、あなたは里の名士と婚約をしていました。ところがある事件を境に婚約が破棄され、その直後にこの孤児院を開いていますね」
「それが関係あるとおっしゃるの?」
尚も否認する女性にパチュリーは訊ねる。
「そのスカーフの下を見せてくれるかしら?」
女性は驚き、パチュリーを見つめたまま言葉を発せずにいた。
何も言わない女性の首に小悪魔が手を回す。スカーフがなくなり露わになった首筋には二つの刺し傷の痕が並んで残っていた。
それは紛れもなく吸血鬼に噛まれた痕であった。
「10年前、あなたの全てを奪った事件、それが吸血鬼異変。レミィが幻想郷に対してしかけた戦争よ。そしてあなたはその時にレミィに血を吸われた犠牲者の1人」
小悪魔は再びスカーフを女性の首に巻きつけた。女性は覚悟を決めたように、落ち着いてそれを整えながらため息を一つついた。
「孤児院を建てたのも子供達を妖怪への敵意を持たせて育てるためだったのよ。すぐに無駄だと悟ったけどね。私達が何人束になっても所詮吸血鬼にはかなわないのだもの。おかしいじゃない。あなた達はいくらでも好き放題できるのに、私達はちょっとの仕返しだってできないのよ。不公平よ。だからちょっとくらい子供達を妖怪嫌いに育てたっていいでしょう。どうせあなた達には何の影響もないじゃない」
「そんなふざけた気持ちでいるんですか!?あなたはそれでも子供を育てる親なんですか」
小悪魔からの非難の言葉に女性は睨むような視線で返した。
「まさか妖怪に説教されるなんてね。どうせあなた達は人間の事なんて歯にもかけていないじゃない」
カッとする小悪魔を制して、パチュリーは静かに告げた。
「確かにそうかもしれないわね。人間は妖怪にとってはちっぽけな存在かもしれない。あなたにはそんな妖怪がとても大きなものに見えていたようね。あなたの反撃は針で刺す程度の事かもしれない。でも、あなたのそのちょっとの仕返しのせいで今日、3つの命が危険に晒されたわ。彼ら彼女らがいなくなる悲しみも、それに怒りや恨みも、人間と妖怪に何ら違いはないのよ。そんな事も想像できないあなたに人も妖怪も語る資格なんてありはしないのよ」
緩やかに降りてきた夜の帳も、パチュリーの密かな怒りを隠しきる事はできないでいた。
それと、
「そう。それは悪い事をしたわ。あなたも?」
「それも幻想郷には必要な事なのでしょうね。子供達には復讐なんて馬鹿な真似はしないように教えてるんだけど」
の部分ですが、前後の文章がつながってないと思います。
このシリーズは、初めて見させてもらいましたが、面白いですね。
ですが、咲夜のしたことが事実ってありますね。何故そんなことしなければならないのか気になります。
ポストと間違えて、とかお札が嫌がらせ、には笑いました(´・ω・`)