Coolier - 新生・東方創想話

冥土スカーレットロザリオス

2012/04/29 19:11:33
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††† 冥土スカーレットロザリオス †††

1.falling down & xxx killed girl "A"
2.Destiny Lovers
X.彼岸で散る紅
3.Flandre in the dark
4.Revolution



























 1.falling down & xxx killed girl "A"

 ――どこまでも続くコバルトブルーの空は神様の作り出すプールで、ゆらゆら揺らめく棺の澄んだ空気の粒子に触れてみたかった。
 ただ私という人間の価値は無意味に等しいので、天の透きとおる蒼いプラネタリウムの星くずにさえなれず、紅い林檎の重力に引き寄せられて死ぬ。

 今日も終末思想型の天気予報は快晴を告げていた。絶好の自殺日和と言って差し支えない。ゆっくりと朽ちていく日々のなか、たいした生きる意味もないからこんなエピローグを選んだ。
 すてきなうたを歌うカナリヤになりきってみるけれど、残念ながら私の背中に羽根はなかった。世界の境界線を敷く青空は落とし穴みたいなのに、だんだん身体は真空の圧力に押し潰されてばらばら――





 ...falling down. falling down.
 たった今の私はものすごいスピードで五階建ての校舎から急降下しているのに、なぜかどうしてか周りの景色がスローモーションみたいな速度で流れていく。
 ちょうど窓際で授業を受けている女の子と目が合った。あのまったく知らない子のひとみが映し出す自分は、いったいどんな表情をたたえているのかしら。たぶんきっと、笑っていたと思う。
 やるせない自殺に馳せる憧憬は、夢でまどろむ"いのり"みたい。このまま意識を失ってデッドエンド。はたまた深遠の国の不思議な御伽噺。少なくとも現在進行形で感じているリアルよりマシでしょう?
 ショートで切り揃えた銀色の髪の毛が、さらさらなびく感覚がとても心地良い。果てしない碧空の彼方に広がる蒼へ伸ばす指先が、ゆらゆらたゆたう水面のような位相のゆがみから世界の内側に入り込んだ。

 ずっと"わたし"は、空っぽだった。蒼い空みたいに、空っぽだった。ひとがしあわせと定義するものは、どれもこれも私の心を満たしてくれない。なにもかもことごとく、めちゃくちゃにしてやりたかった。
 この世界で幸福を謳歌している存在は全員もれなく惨殺。人生なんてデスゲームに強制参加させたかみさまを、ずたずたに切り刻んで殺してやりたい。神の浴槽に沈む私は、不思議な国の孤独な思想家だった。
 今までの十年と半分程度の生涯の苦痛を、だれかのせいにしても意味がない。だって、ね。みんなまあるい林檎の劇場の主人公だもの。つまるところ私という存在が世界なんだから、私が死ねばすべて終わる。
 人類殺戮及び自己の喪失。倫理的モラルに基づいて後者を選択しました。などと偉そうなご高説を垂れるつもりはないけれど、私のような孤独な存在の自殺は最低限のひとにしか迷惑をかけない最善の選択だ。

 あとほんのわずかで、蒼い水槽の底に辿り着く。もう地面まで1オングストロームもない地点まで落下していくさなか――唐突と上映中の自殺映画は暗転、美しい群青の世界がモノクロームに染まった。
 セピア色の静止画のなかで、私の思考のみがめぐる。なにも思い残すことなんてないとかぶりを振ると、ふとやわらかいソプラノが問うた。これから貴女は死にますが、なにか伝えたい言葉はありませんか?
 とある思想家は考えた。私の考えうるしあわせとは――からからのくちびるが、凛とした美しいメロディーを奏でる。『わたしのすべてを、あなたにあげる』――かちりと歯車が噛み合って、地球が動き出す。
 なぜか私は叩きつけられるはずの地面に、まったくの無傷で転がっていた。力学の作用は時間停止と連動して、完全に相殺されてしまったらしい。うつろなひとみで見上げる青空は、あまりにもまぶしすぎた。

 ――居もしないかみさま。あなたに捧げたいすてきないのちなのに、どうして受け取ってくれなかったのですか?
 そこまで私の存在は意味がないものなのね。つい自虐をささやいて笑いたくなるほど馬鹿馬鹿しかったし、おそらく生易しい死の代わりに『時を操る』理不尽な能力を与えたに違いない。
 パラレルな時間軸で自分の世界だけがまわる。それは他者から存在を認知されない以上、死と同義だ。ああ、くだらない未来を犠牲に恋焦がれたしあわせは、白い葬列から抜け出して蒼い空に還る夢なのに――



  ◆



 うつらうつらとおぼろげな意識が、授業終了の鐘の音と共に引き戻される。ひらひら花びらのようにたなびく窓際のカーテンが、ひどく照り返す日光を遮ってあたたかい陽だまりを作っていた。
 どうも常日頃からの不眠症のためか、のんきに居眠りをしていたらしい。来週の小テストの範囲を告げていく教諭の言葉を他所に外を眺めると、あのときと変わらないきれいな青空が広がっていた。
 白か黒か。生と死なんてしょせんそういうこと。たぶん春先は、そんな気分だったんだろう。現状は"白"なのに意識が強く死を渇望しているのか、自殺未遂の記憶は頻繁にフラッシュバックを繰り返す。

 今日は学内の教職員会議で午前授業だった。とても楽しそうに休日の予定を話し合うクラスメイトを横目にブレザーとプリーツスカートを取り繕い、さっさと荷物を鞄のなかに仕舞い込んで席を立つ。
 もちろんうらやましいと思うときもあるけれど、ああやって刹那の幸福を繋いだ先の未来に私は生きる活力を見出せない。心から喪失したパズルのピースは、どんな『しあわせ』も当てはまらなかった。
 生きたまま、死んでいる。この世界の社会に『生かされて』いる。こんな生になんの意味があるのかしら。つまんない。くだらない。面白くない。気持ち悪い。とりあえずぜんぶ、めんどうなことばかりだ。
 人間というかみさまの規律が定める正義の国に生まれた私は、犬猫処刑用のガス室でもがき苦しむ翼のない鳩。ざらつく舌でとろけるキャンディをしゃぶりながら、そっと教室を抜け出して最寄駅へ向かった。


 平日の午前中のおかげで車内は人影もまばらで、iPodから流れるギターロックを聴きながら長椅子に腰掛けた。ちょうど私の目の前には、某有名中学校の制服を纏う女の子がひとりで座っている。
 さらさらで美しい碧髪が印象的な彼女は、どこか物憂げな表情で視線を斜めに落とし、てのひらを両膝のバッグに添えてうつむいていた。たぶん私だって他聞に漏れず、あんな風に見えるのかもしれない。
 もうひとりの自分と、じっと対峙してるみたい。哀れみをこめて、あの子は言った。知った素振りで同情を寄せてほしくない。上っ面の励ましや気遣いなんてうざいだけ。私が愛したいものは"終わり"だ。
 そこでふいに、爆音のフィードバックノイズを垂れ流すヘッドフォンから『ぼくはズルをして、まだ生きています』――スライドしていく車窓の風景が、永遠に変わらない素晴らしき日々を証明していた。

 くるくるまわる地球のフィルムは、まともに上映されていない。前頭葉にのめり込むノイズが遠のいて、がたがた揺れる無機質な空間に私たちは取り残された。この世界から虚構の現実として葬り去られた。
 おかしな錯覚で、ゆらゆらする。かみさまに与えられた能力が死の魔法だったら、きっとしあわせに……。痛みなく眠るように死にたいと願う誇大妄想狂の戯言を、たった今ふたりぼっちの貴女は認めてくれる?
 見知らぬ他人から後押しを受けないと遂行できない時点でおかしいのよ。生きると約束をした覚えもないけれど、自殺を選択することだってめんどうで、そもそも空っぽの心に意思があるのかさえ分からない。
 不思議の国のアリスは、天国と地獄を求めて彷徨い歩く。貴女がエスコートしてくれるとうれしいわ。蒼い蒼い蒼い蒼い蒼い蒼い蒼い蒼い蒼い空の奈落に堕ちていくしあわせを、私は『奇跡』と名付けたいの。


「この世界ってくだらないわ。貴女をめちゃくちゃにしてあげるから、私を愉しませてよ?」

 夢か現か。気がついたら、終着駅に到着していた。ふと目線を上げてみても、手前に座っていた女の子は見当たらない。
 うたた寝をしてしまうくせを直さないといけないわ。そんなことを考えながら無人の改札口を抜けて、燦々と降り注ぐ陽射しのなか、まともに舗装が整っていないあぜ道を歩く。
 のどかな田園風景が続いてゆく景色も途絶え、やがて山麓の袂に軒を寄せ合う施設が見えてきた。ぐるりと周りを囲う白い塀を横目に入り口まで移動して、指紋認証と虹彩認証のチェックを受ける。
 此処サナトリウムが終の棲家。どうも両親は『生』なんてひどい罰を与え、さっきの駅に銀髪の赤子を捨てたらしい。私がずたずたに殺してやりたい存在は、かみさまも含めみんな無責任なクズばかりだ。

 カトリックの厳粛なカテドラルを最奥の中心に据えて、大聖堂の両端にまったく異なる造りの建造物がひしめき合って並ぶ。
 右手は無機質な病棟が併設された総合病院で、主に末期癌や精神疾患を抱えるクランケを治療している。余命が宣告される程度の深刻な患者や、先天的かつ原因が不明確な危うい精神病患者が非常に多い。
 左手は教徒関係の人間が従事する木造の修道院と、多数の聖堂が隣り合う。終末医療において信仰に救いを求めるひとがあふれ、やすらかな最期を過ごすために居もしないかみさまに熱心な祈りを捧げていた。
 両機関は綿密な連携を取り合いながら、痛みのない死出の旅を提供する。それもお金を持ってる人間の特権だ。生きたままもがき苦しむ人々の『死にたい』という希望は、どんな聖者だって絶対に叶えてくれない。

 受付のシスターと会釈を交わしてから、自室の置かれた三階まで足早に歩き出す。こちらの居住区は私みたいな孤児もたくさん住んでいて、みんな笑顔の裏に悲惨な過去を背負いながら生きている。
 しんと静まり返った回廊に、人影は見当たらない。ここではささやかな人並みの生活は与えられているし、それは感謝すべき社会の恩恵だけど……。古めかしい鍵を取り出し、そっと私室の木製ドアを開く。
 さしあたりの家具がしつらえてある、なんの変哲もない室内の机に鞄を置いて、制服姿のままベッドに身体を投げ出した。ぱらぱらと舞い踊る銀色の髪の毛を振り払うと、なにもかもがつまらなくて、笑った。
 感情の喚起それ自体が苦痛だとしたら、国家予算内で生かされている事実そのものが拷問でしかない。いのちの終わりこそが、しあわせだと信じてるの。この世界の終わりが、本当のしあわせだと疑わないわ!


 ――RingRingハミングを繰り返す教会の鐘の音が、イエスの祝福と宣誓を謳うべく高らかに鳴り響く。
 かしゃんと窓を開け放って外の様子を見やると、神々の祝福を受けた花嫁と花婿が手を繋いで大聖堂の正門前に立っていた。ふたりの両端を囲うように居並ぶ参列者が、惜しみない祝福の賛辞を送り続ける。
 ふんわり空を舞う、真っ白なブーケ。必死で掴んだ花束を掲げる女性が、みんなの拍手喝采を浴びていた。こんなくそったれな世界に、ふざけた夢みたいなしあわせが――ふと仰ぎ見た空は、どこまでも蒼い。
 水色の感傷性が、ちくりと突き刺さった。純白の薔薇で世界を埋め尽くしたい。あの花嫁をばらばらに切り刻んで、青空にばら撒いてあげる。そして白い葬列で泣きじゃくっている、悲劇の主人公もThe End...

 おかしな空想が、くるくるまわる。だれかと恋に落ちて、ウェディングドレスを纏う夢を見ることさえ、どこか遠い御伽噺……。ありふれたしあわせを願う感情さえ欠落した、私の生きる意味は零に等しい。
 そう考えてやまないのに、自殺する勇気もないの?――もしもかく問われたら、たぶん素直にうなずくしかない。肉体的苦痛と精神的苦痛を秤に載せると、ちょうど釣り合いが取れてしまう程度の問題だから。
 そもそも幸福における概念が、ねじれ曲がってしまっていた。たとえば結婚式なんて人生のなかで最大の祝賀すら他人事で興味も湧かないあたり、やっぱり脳みそが先天性や後天的な欠陥でおかしいんだろう。
 いつから私は"終わり"をしあわせと捉えるようになったのかしら。生きたまま死んでいるのだから、どちらであろうと差し支えありません。さっきの妄想のように、いきなり刺し殺されても全然かまわないわ。

 ああ、こんな絵空事さえ重荷と科されていたら、どうすればいいのか分からない。もうなにもかもがたまらなくいやで、そのままベッドの上に転がり込むと、またうつらうつらとひどい眠気が襲ってきた。
 さっきのふたりのすてきな微笑みが、まぶたの裏に焼きついてこれっぽっちも離れないし、まともな夢見は期待できそうもない。けれども無意識は心地良いから、ゆっくりとひとみを瞑って意識を閉ざす――



  ←←←←←←←

 狂った夏休みを数日後に控え、夕日が差し込む教室の窓際で、私は帰り支度を済ませてなんとなく空を見上げていた。黒い鴉の喚き声と体育系の部活の掛け合いが輻輳して、とても耳障りな音響を作り出す。
 ちょうど日直で学級日誌を出し終えて帰ろうとしたら、他の面子がサボってハブられたから手伝ってくれない?――ある男の子に頼まれたのでふたりで掃除をこなし、ゴミ捨てに行った彼の帰りを待っている。
 かの人はクラスで秀才の誉れ高い子で、生真面目すぎてからかわれることも多いらしい。社交性を持ちなさいと通信簿に書かれてしまう程度の私は、もうすでに他人から目に見えないものとして扱われていた。

 なんの気の迷いだろう。今日の私は運命的なめぐり合わせを感じていた。つまんない男子から何度も告られることは日常茶飯事だけど、あの子ならすべてを許してもだいじょうぶのような気がした。
 うそ。うそじゃない。少なくとも半分はマジ。ファッションモデルみたいと褒めちぎられて自惚れるくらいの慢心はあったし、私の頼みを拒む理由が見当たらない。根拠の怪しい自信は、完全な確信に変わる。
 もちろん人間観察なんて行う"がら"じゃないし、どんな人物なのかうわさから察するしかないけれど、それは『どうでもいい』こと。ひとつ息をつくと彼が戻ってきたので、つとめてやさしく微笑んで見せる。

「ごめんな。今日わざわざ付き合ってもらって、ほんと助かったよ」

 せっかくだからさ。いっしょに帰ろうぜ――そう付け足す彼の言葉を無視して、窓際の開け放たれている部分に座り込んで笑う。湿気を含む初夏の微風が、さらさらと灰色の髪の毛をやわらかく撫でた。
 そっと自分の鞄を持って仕草でうながしても動かない様子を見やると、ようやく彼はなんらかの意図を汲んでくれたらしい。自分の席から教室の出口ではなく、一番後ろの席の窓べりに座る私に近づいてきた。

「……どうか、したのか?」
「キスしてほしいの。きみのキスじゃないといやなの」

 あきらかに動揺を隠せない彼は、くちびるをぱくぱくさせたあと固まってしまう。私のお願いは、なにも常軌を逸してるわけじゃない。恋に恋焦がれる乙女ならば、至極まっとうな提案だと思うわ?
 スタンダールの『恋愛論』を信じるのならば、わずかな希望さえあれば恋は成立するらしい。建前や体裁ね。うそぶく私は道化だった。ただ貴方がいたから、お願いしてるの。恋愛に感情論以外は必要ない。
 さらに言えば恋愛の概念も空論にすぎず、貴方が与えてくれるかもしれない快楽にすがっている。それが天国に堕ちていくようなエクスタシーであれば、ためらいもなく灼熱の恋が焼き尽くす身体を捧げるわ。

 ありとあらゆる感情の想起は、心及び脳髄が勝手に行ってしまう。ただし快感が直で流入してきた場合、心はどんな反応を示すのかしら。自ら快楽を生み出せないのなら、他者から愉悦を与えてもらえばいい。
 つまりクスリを摂取する行為と同じだ。たとえ自殺と同様の禁忌であろうと、本当にしあわせが感じられるのであれば迷わず罪を犯す。腐った心は極論に狂奔しないと、生きている実感が得られないのだから。
 いまさら失うものなんか、これっぽっちも残ってないわ。無様なラヴドールに成り下がる結末も、なかなかすてきでしょう。貴方は理性を閉ざして、思いやりのない欲望の赴くまま、めちゃくちゃに喰らい尽くして?

「な、なに考えてるんだよ。だっておれとあんたは……」
「わたしね。気持ちよくなりたいの。きみだって同じだよね?」
「……意味が、分からない。なんにも知らないやつに、いきなりキスをおねだりするなんて、さ」

 カタコトの言葉で否定する彼は、あからさまに狼狽していた。あわふた視線が泳ぐ様子は当然と言えば当然で、クラスメイトの間で不思議系のコミュ障と位置付けられている女子にキスを迫られたのだから。
 とうの評価を決定的なものとした飛び降り自殺以来、ますます蚊帳の外に追いやられて……。それでも下心が見え見えの男の子が頻繁に近寄ってくるけれど、まったく興味を惹かれそうなひとはいなかった。
 いきなり見知らぬ女子に口づけを迫られ、彼が不審に思う理由は考えるまでもない。ただあいまいでいつまでもしどろもどろ、はっきりと拒絶できない時点で、かの人物の選択肢は完全に抹消されてしまった。

 貴方が与えてくれるすてきなキスに、とろけるように酔いしれてみたいの。吐き出す言葉は偽りのない私の本懐だった。この世界のしあわせは数あれど、多種多様な営みすべてに貴賎は存在しないはずだ。
 当然ながら私は一応の世間体を考慮した上で、きちんとフェアな取引を持ちかけている。貴方は拒否できないと知っておきながら、ね。現実に打ちのめされて疲れたわ。超気持ちいいことだけしていたいの。
 運命なんて後付けの理由で、なんとなく一般的な幸福論におけるハグやキスという行為に浅ましい快楽を求めたい気分で――とどのつまり、だれでもよかった。しあわせになれるのなら、なんだってよかった。

「要するに私の頭がイカれてるってお話なのかしら?」
 くすくすと笑いながら、ひょいと窓辺から飛び降りる。
 そっと近づいてみても、ぴくりとも動かない。小奇麗な黒い髪の毛をすいてあげると、彼の心臓が強く脈打つ音が聞こえた。
 ひょっとして、だけどね。これから貪り尽くされる対象は私じゃなくて"あなた"なのよ。その場に唖然と立ち尽くす獲物は、身体を硬く強張らせ緊張をあらわにしていた。
 ことさらやわらかく微笑んでみても、硬直の緩みそうな気配は感じられない。現状をシンプルに考えると、この告白紛いでときめいている。もしくは私の言葉通り、おかしな思考の持ち主と判断したとか。
「……少なくとも、まともな性格だとは思えないな」
「そんな『気がふれている』なんてクラスの立ち位置は、みんな春先から分かっていたと思うわ?」
「そうじゃない。あんたに本当に恋心があるのか、お遊びで俺をからかっているのか、ぜんぜん真意が見えないんだよ」
 じいっと黒いひとみを覗き込むと、男の子は気まずそうに視線を落とす。
 どうも私からしてみれば……。感情論に理屈を求めてしまう考え方そのものが、まったくもって理解できなかった。
 たった今の"わたし"は、キスをせがんでいる。先の事実は飾られていない本懐なんだから、ぐちゃぐちゃにしてくれたらいいの。
 おつむが空っぽの単細胞的な虫けらみたいに思われてるのかもしれないけれど、あながち間違っていないはずの価値観だからあえて否定はしないわ。
 だって、ね。かく私は快楽を欲しがる、ただのごみくずなんだから。もしかしたら貴方と交わすキスは、ひどく不快な行為かもしれない。さりとてちゃんとやってみないと、ほんとかどうかわからないもの。
「なにもかもすべて含めて、確かめてくれたらいいわ。それとも私なんかとは、したくないのかしら?」
「い、いや、ち、違うんだって。そ、そもそも、さ。おかしいだろ。キスは大好きな人と交わすもんじゃないのか……」
「あんまり疑わないでよ。きみを求める"いま"は夢じゃない。きみが与えてくれる甘ったるい想いで愛おしくなりたい。きみのすてきなキスで、しあわせにしてくれないの?」
「……狂ってるんだな。そこらへんの野良犬に愛を求めるようなもんだ。そいつの本能が逆らえないと知りながらあんたは平然と俺を求めて、終わったら『気の迷いみたい』だとかうそぶくんだろう?」
 ひとの理性をぶち壊すような真似をするな――そう台詞の最後に抵抗を付け加えると、なぜかばつが悪そうな表情で黙りこくってしまった。
 つまらない凡々な男の子だと思っていたのに、ことのほか冷静な対応でつい驚いてしまう。たった現在の自分が置かれている状況と、自らの意志に逆らえないほどの性的な欲求を正しく認識している。
 まさかいちいち深く考えていないわ。うんざりするくらいわめき散らすラブソングの謳う恋が、生きていくための理由に相応しいか――こんなかたちだって『ある証明』の意味は十分に把握可能だと思うから。
 どうせかみさまの定義する幸福論は無力すぎて嫌気が差すだけで、今もニセモノの幸福で空っぽの心を満たそうとしている。刹那の繋ぎ合わせで人生を無常と感じて、こどもはくだらないおとなになっていく。

 オレンジに浸けた教室の片隅で、ふたりの時間が止まる。シンデレラや白雪姫さながらの、美しい夢物語は望むべくかな。けれども私は心のどこかで、この意味のない"生"の意義を模索しようと足掻いていた。
 現状は方法論の答え合わせ。ひとがしあわせと呼ぶ概念は、存外そばに落ちているのかもしれない。みんなが我先と"幸"を奪い合う故に悲劇が生まれ、今も世界の様々な場所で苦悩や絶望があふれ返っている。
 かみさまは幸福を平等に分け与えなかった。自分を可愛がるためなら、他人から強奪してもかまわない。そうしてひとはもがき苦しむ他人を平然と踏み躙り、もののちいさなしあわせをひとりで享受している。
 残念ながら孤独な思想家を装う少女は、小学生のころ蒼い林檎の仕組みに気づいてしまった。ぜんぶいのちを宿す瞬間に決まる規定事項。物心ついたときから負け犬とか、ずいぶんひどい仕打ちだと思わない?

「私の"はじめて"を、あげる。貴方は永遠に苛まれるのよ。私という存在を思い出すたび、ね」

 とても無機質な抑揚のない音色で、淡々と意味不明な前置きを告げた。ますます困惑の度合いを深めていく彼を他所に、うつむくかんばせをやさしく表に上げさせる。
 たったふたりぼっちの世界。時間を操らなくても、いつだって私は世界から置いてけぼりで、現実と社会から無視されて――それでも必死に人間やってるつもりで、だれか死んだってなんにも感じません。
 もしも哀れんでくれるのならば、サイケデリックな極上のエクスタシーを与えてみせて。そう懇願しながら彼とまっすぐに向き合うと、ほんのわずか切れ長なひとみに蒼く半透明な女の子が映し出されていた。
 夕焼けの光のなか、ぼんやり浮かぶ空色。さらさらなびく銀色の糸。残された部位はモノクロームに染まっていく。あなたの黒い眼球が投影する"わたし"もしょせんその程度なのね。無様すぎて、心が腐った。

 しれっと頼りなさげな身体を抱き寄せて、彼の首元に両の腕をまわす。さっきの自惚れは思いがけず間違いでもなかったのか、男の子は固唾を飲みながら、されるがままにすべての仕草を受け入れてくれた。
 期待と不安のせめぎ合い。理性と本能の葛藤。欲望とうしろめたさ。彼のもろもろの感情を推し量る術を、今の私は持っていなかった。拒絶されたとて傷つくこともないけれど、拒否られないだけマシかしら。
 そもそも、だ。なにを貴方が感じようと関係ない。私が快楽で満たされたら、それでおしまい。愉悦を享受するための手段として、ケダモノ的な方法を選んだ。すごく分かりやすいすてきな理由だと思わない?
 きみの考えとか、どうでもいい。熱っぽい吐息のそばに、もたもたおもてを近づけた。うっすらまぶたを閉じていくさなか、呆然と眼を見開く相貌が窺える。彼の表情の意図を無視して、そっとくちびるを重ねた。

「あ、はぁ、んっ……」

 ぴくんと蠱惑的な本能が音になってしまい、セクシャルな嬌声が鼻先から抜けていく。ふしだらなこえはケモノとしての本能が発したもので、快楽に分類されるはずの気色は1mmたりとも湧いてこなかった。
 ふと、思う。最後の言葉で相手の罪悪感を"煽ること"がちっぽけな愉悦であって、最初から快感なんて与えられる見込みはなかったのだと。子供のいじめよりもひどくみじめで、ひとりよがりな優越感だった。
 かみさま、懺悔します。しあわせをもとめて、ごめんなさい――還元されるべき感情が残らない行為に意味を求めた私は虫けら以下で、まったく救いようがない、さっさと死んだ方がマシな最低の人間でした。

 ひたと押しつけたくちびるはチアノーゼで青紫色になって、さらにその上からまったく意味のない消毒液を塗りたくられる。彼は無心でからからの花びらを貪り尽くし、ひとりで私を犯す快楽を味わっていた。
 くちゃくちゃつぼみをねぶられるたび、ゆがんだ想いが心のなかに染み込む。可憐に咲き誇る黒薔薇は、好きでもないひとのキスでばらばらに引きちぎられて――無様に汚れていく自分が、とても愛しくなる。
 むしろ『汚れたい』『汚してよ』と願って止まないゼンマイ仕掛けのいのちは、やっぱり最初から壊れていたのかもしれない。たっぷりと舐めしゃぶられて綻ぶ口の端に、得体の知れない透明なスープが垂れ流される。
 おかしくなりたい。おかしく、なりたい。やさしくしないで。めちゃくちゃにしてよ。傷つけられて感じる"生"の実感が欲しい。妄想の快楽で頭がイカれてる私を見やって、いきなり彼は唾液まみれのくちびるを離した。

「……人形とキスしてるみたいだ」
「ふうん。それなら、さ。xxxしてみよう?」
「自分を痛めつけて悦に浸るのうぜえ。ぶっちゃけキモいんだよ」

 興醒めしたらしい男の子は鞄を持ち上げると、ささっと私のそばを通って教室から立ち去ってしまった。
 終末の夜空が教室を覆い尽くし、きれいなだいだい色に大きな黒い影を差す。たったひとり取り残された世界で、快楽になり得るはずの倒錯的なキスの感触を、ぺろぺろとくちびるを舐めて確かめてみる。
 みずみずしい口先は彼の唾液に塗れてうるみ、これっぽっちも快楽の残滓は感じられない。むせ返る臭気が鼻につく。いまさらぞくぞくと胃液が腸内から逆流し始めて、机の上に何度も何度も嘔吐を繰り返す。
 ただ私は快感を流し込んでもらえたらそれでよかったのに、最低の気分で最悪の記憶を刻み込まれて、為す術もなく現実にひれ伏した。かみさまが嘲笑っている。現実が微笑んでいる。すべてが、残酷だった。

 緩やかに朽ちていく花のような感覚が愉悦ならば、ひどくアイロニカルで倒錯的な理想論と思う。恋でひずんだひとたちを、あのサナトリウムでたくさん見てきたからこそ、どこか憧れているのかもしれない。
 お人形さんを彼氏彼女だと思い込み、いたくうれしそうに語りかける夢の世界の住人。医学的に言えば精神病患者。美しい花が枯れゆく運命の成れの果てに『きみとぼく』の世界が残るなんてすてきでしょう?
 あんな風に完全な不感症に陥ってしまえば、社会のもろもろから解放される。生きたまま『死んでくれる』ひとを募集します。私とマンションの一室でxxxし続けて、いつかそのままいっしょに死んでください。
 世界を作り出した創造主と同じ重さの前頭葉に、たまらなくトべるクスリを注入してもらわないと、もう生きていけないわ。妄想の快楽を静脈注射で投与しても、蒼い空が広がっている私の心は空っぽだった。

 ――とてもむなしかったので窓から飛び降りようとしたら、すぐとなりでかみさまがくすくす笑っていた。たぶんきっと彼女は本人さえ気づかない、ほんとうの"わたし"だったのかしら。
 これよりあなたの脳みそにロイコトームを差し込みます。夢現のささやきが鼓膜に届く前に、私の"イメージ"は窓際へ滑り落ちて夕空に舞う。真っ赤な鮮血に満ちた水槽のなかで飛ぶための羽根が欲しいわ――

  →→→→→→→



 在りし日の夕景の記憶が、また夢となってフラッシュバックを起こす。実は病気なんじゃないかと疑うときがあるものの、すべてが真実で鮮明に再生されていくのだから、むやみやたらとたちが悪い。
 だいぶ重いまぶたを開くと、さっきの夕焼けのような紅い閃光が飛び込んできて、ついまたたきを繰り返してしまう。ほのかな光の先、おもいっきり開け放たれた窓の遥か彼方に、紅い月が浮かんでいる。
 ふと意識を失って目覚めた世界が『現実』だという根拠は、いったいだれが担保してくれるのかしら。私だってリアリティの欠落は自認せざるを得ないけれど、たった今の時間軸が『夢』だとは思えなかった。
 真紅の朧月夜が、とても美しい。ずっと見とれてしまいたい気持ちをこらえ、とりあえず部屋から出ることにした。そこにいつもと代わり映えのない日常があれば、あの不思議な十六夜の正体は自然と分かる。

 そんな希望的観測のかけらは、あっさりと打ち砕かれた。まっすぐ伸びる廊下の古臭いランプの光は灯されていないし、それとなくただよう共同住居特有の生活臭がこれっぽっちも感じられない。
 たったひとり、世界が終わる夜に取り残された――この現状が夢だという可能性を否定しない自分が目出度くて嫌気が差す。ほんとに世界が滅んで欲しいと願う、ひとりよがりな破滅的思考がぐるぐるまわる。
 木製の床を踏む音が鳴り響くたび、他の部屋の様子を息を潜めて確認してゆくけれど、人の気配は完全に抜け落ちていた。壁際に飾ってある聖母マリアの黒いひとみが、慈愛と畏怖をたたえながら私を嘲笑う。
 ちょうど中央の階段まで来てみても、だれかとすれちがう様子はまったくなかった。いびつな雰囲気に惑わされないように、そっと段々を下っていく途中――修道服を纏う少女が、心臓を貫かれて死んでいた。

 死。死。死死死死死死死死死。死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死死。踊り場からの階下は見るも凄惨な有様で、まともな精神状態ならば発狂しそうな光景が広がっていた。
 どうして私が対象に入っていないのか、かみさまに問いただす必要があるわ。なんてくだらない妄想が思い浮かぶほど現実感が喪失してるのか、まばらに散らばる死体の数々を見ても感情は全然変わらない。
 自分を映し出す鏡が消えてしまった現状は、まさしく私が生きたまま『死んでいる』状態と同義だった。それがしあわせの定義として適切か回答は現在保留中、たぶん倫理的なモラルを考えるとアウトかしら。
 ひとが他者のしあわせを強奪する日常を、殺人という手段を以って証明してみせた『A』の物語。首謀者の価値観に異を唱える行為は無駄な悪足掻きでしかない。けれども、私は……。あなたに殺されたかった。

 どうして悲鳴に気づかなかったのか。といまさら呆れながら、一階の共同施設を見てまわる。大きな食堂で多数のひとが折り重なって死んでいるあたり、おそらく犯行は複数によるものだと思った。
 そうでなければ、修道院に住まうひとが漏れなく虐殺なんて事態になりえない。ただおかしい点は、全員が同じ方法で殺されていることだ。心臓だけを狙うやり方が適切なのか、正直ちょっとよく分からない。
 みんな凶器までお揃いだとか、なんらかの恨みを持つ新興宗教?――そんなのんきな思考をめぐらせながら、吹き抜けの玄関から修道院をあとにする。もちろん広場は逃げ惑う人々の死骸の山が散乱していた。
 本格的に頭がイカれてしまったのか、逃げ出したい気持ちすら湧いてこない。そのまま中央の公園を通り抜けて、対岸に建つ付属病院へ入っていく。こちらも惨状は変わらず、ひとだったものが転がっている。
 あたたかい陽だまりと碧色に囲われた庭園みたいなICUに規則正しく並ぶ真紅の薔薇は『美しい』――すてきな死体鑑賞を終えて血生臭い病棟を出ると、夜風に吹かれて"賛美歌"が大聖堂の方から聞こえてきた。


 ありとあらゆる生と死を祝福する神の聖餐へ続く回廊を、荘厳なカテドラルクワイアの叙情性が織り成す、世界の終わりを謳うパイプオルガンのハーモニーを聴きながら粛々と歩いた。
 左右に並ぶ象嵌細工の施された大理石の柱や、アーチの間々に鎮座まします聖ペテロのブロンズ像を横目に、神々しい畏怖すべきバロックの調べを奏でる、虐殺の首謀者であろう存在のそばに近づいていく。
 不思議な心の高鳴りが止まらない。これから殺されるのに――神聖な音色がサイケデリックな多幸感をもたらして、ぐんにゃりと視界がゆがむ。なのに私の五感は厳然と、現実性の欠損を完全に否定している。
 やがて十字架の交差線、中央身廊に佇むプラチナの大天蓋を越えると、荘重な雰囲気を醸し出す内陣が見えた。その先のアンテペンディウムの後ろに、美しい旋律を紡ぐ天使が大きな羽根を広げて座っていた。

 今の現実が夢ではないのだとすれば、あの黒い翼を揺らす"快楽者"は敬虔な神の使徒だったはずで、人間が知り得ない崇高な目的の殺戮をたったひとりで――この世界の仕組みが、ますます分からなくなった。
 まったくもって私は、ありえない事象にめぐり合う幸運を授けられているらしい。堕天使のレクイエムを聴きながら朽ちていく。悪くないわ。自殺願望の瞬間に楽曲は途絶え、ゆっくりと怪物が近づいてくる。
 ふと気がつくと具現化していく紅い槍が、とても華奢な左手に添えられていた。それよりも、ただ……。美しい。きれいなひとだと思った。快楽殺人が趣味の悪魔の躯が、凛とした天使の容貌にしか思えない。
 レースのフリルとリボンをふんだんにあしらった純白のゴシックドレス。紅い月の光を通して煌々と輝くステンドグラスが照らし出す彼女は、こちらの姿を見やって片方の八重歯を覗かせながらくすくすと微笑む。
 まだ幼い容姿やあどけない笑顔と不相応な威光に満ちあふれた圧倒的な存在感から、とてつもなく気高い矜持を凜然と感じさせる。まあるい大きな真紅のひとみが、私を値踏みするような視線で見つめていた。

「"今は亡きaliaに捧ぐ"――私の演奏はお気に召していただけたかしら?」
 いつくしい優雅なソプラノの音色が、神秘的な大聖堂に輻輳しながら響き渡る。
 まるで大司教が教えを説くときの『これが世界の理だ』なんて、ひどく傲慢で弾圧的な意味合いを含む言葉を思い出す。
 ただいつもの胡散臭いミサと異なる点は、彼女の音楽が有無を言わせない真実味を帯びていたこと。悪魔が奏でる哀しい狂想曲は、今も私の心に焼きついて離れない。
「……素晴らしい独奏だと、思ったわ」
「なんとも光栄の極み。余計な固定観念を廃した賛辞は、素直に嬉しいよ」
「残念だけど見当違いね。私は幼いころから、此処の大聖堂で賛美歌を聴いて育った。それとなりの素養は持ち合わせているつもりよ」
「笑わせるな。貴様みたいな『生きたまま死んでいる』存在の感情を、私の奏でるオルガンの連弾で揺るがした事実こそ最高の"栄誉"なのさ」
 くく。と喉を鳴らす彼女の目の前で、私は呆然と立ち尽くすしかなかった。
 どうして自分だけが生かされているのか、最悪の可能性が脳裏をかすめていく。信じられなかった。信じたくもなかった。
 死すら生温い。この世界という処刑台にぶら下げられたまま、毒ガスで死ぬまでもがき苦しむ"生"が相応しいと、悪魔は暗に揶揄しているのかもしれない。
 うそだ。まったくの偶然。神の使徒を買い被りすぎている。そもそも生贄がふらふらと死地に飛び込んできたから、なぶり殺すための狂言を――世界の終わりを祈る"わたし"が『殺して』と嘲笑っていた。
「……意味が分からないことを言わないで。私は死んでない。ちゃんと生きてるわ」
「おまえのうつろなひとみが、すべてを物語っているだろう。生の意味を喪失した私は『死んでいる』から、やすらかな沈黙を与えてくださいと、さ」
「仮に貴女の詮索が正しいとしましょう。そこで私以外の全員を惨殺した理由を教えて欲しい。もしも単なる快楽目的の殺人だとしたら、私だって死んでいなければおかしいわ?」
 そんな言葉を発した瞬間――大聖堂に集う人々の信仰を背負う聖遺物の首が宙に飛んで、あちこちのステンドグラスがばらばらに砕け散った。
 きらきらきらめく硝子の欠片が桜の花びらみたいな残像を引きずって、きれいな虹色の螺旋を描いていく。あっという間の出来事に身動きすらできない私を、紅蓮の焔を灯すひとみが鋭く睨みつけていた。
 彼女は威風堂々と高圧的な視線を向けながら、祭壇の前に対峙するかたちで立ち尽くす。星くずのまたたく澄んだ夜空。紅い月の光を浴びて輝く美しい緋色の薔薇は、うっすらと口元に微笑みを浮かべていた。

「たかが人間風情の分際で粋がるな。夜の王たるレミリア・スカーレットに非礼を詫びよ。低俗な愚民が問答など興醒めも甚だしい」

 さっぱり意味の分からないナルシスト的な科白を整然と言い放つ悪魔の佇まいを眺めていると、凜々しい高貴な威光が『王』としてのものだったのかとついつい納得しそうになってしまう。
 たった"イマ"は夢じゃない。私の実在が現実にあると示す根拠は?――彼女が黒い翼を携えた堕天使で、しかも挙句に夜の王だとか自負を振りかざすなんて、遥か太古の伝承や神話とか御伽噺でしかないわ。
 くだらない夢現が交差を繰り返す思考回路を断ち切った。この世界そのものが『ナイトメア』なんだから、ありのままの運命を受け入れよう。たとえ私が死んだとしても、パラレルな悪い夢が続くだけかもね。

「ご無礼をお赦しください。どうしても知りたいのです、親愛なる夜の王よ。此処のサナトリウムの人間を殺した理由は貴女の快楽のためなのか、それとも自らの意思と異なる意味合いがあってのことですか?」
「我々は血肉を喰らわなければ生き延びられない。そこで代行者が定期的に"外界"から調達を行う。瑣末に巻き込まれた無関係な人間に同情を禁じえないが、私たちは終末医療の限界を安楽死という正義で罰す」

 最後の言葉は胡散臭い聖者の受け売りだがな。先の条件を承諾して幻想郷を選んだのだから仕方ない――やれやれとなだらかな肩をすくめながら、レミリアと名乗る夜の王は小さくかぶりを振って苦笑した。
 なかなか私の演技が上手かったのか、あっさりと彼女は動機を教えてくれた。まるでファンタジーのような意味不明な単語の羅列で信じがたいけれど、あれが"ヒトならざるモノ"だと直感は確かに告げている。
 あの威容なプライドの高さだから、うそをつく理由も見当たらない。現代社会と完全に隔離した別次元で、まったく異質の営みが育まれているなんて……。暴かれた殺戮の秘密。悲しいことは、ひとつもないわ。
 たぶんほんとに奇跡的な確率で放置された。今回の邂逅は彼女も予想外の産物だろう。どちらにしても逃げる理由も見当たらないし、貴女との出会いのおかげですてきな希望、すなわち天国の切符が手に入る。

 エデンの園か、はたまた地獄。悪魔の住まう世界は、価値観が異なるのかしら。ましてや建前的な部分は否定できないものの、生きたまま死んでいるよりも早く楽になりたいと願うひとはたくさんいるはずだ。
 終末医療は安楽死を認めていない。さらに社会的及び倫理的観点から、自殺しようとすれば精神科の閉鎖病棟。もしも無意識や無価値が真のしあわせだと説く聖者がいたら、この世界は鮮やかに生まれ変わる。
 絶望なんて偉そうな言いわけをするつもりなんかないのよ。生と死の選択もめんどくさいからなんとなく見送っているだけで、さっきの調達とやらで餌になっていたとしても、なんの特別な感情も抱かないわ。
 でも、ね。貴女みたいな存在は虫唾が走る。なにもかも知った素振りで他人の幸福を貪り尽くし、自分勝手な持論を大義と以って振りかざす。かみさまという我侭な最低の存在と、彼女の姿が重なって見えた。

「……それで、これから私は殺されるの?」
「おまえも終末医療の"対象者"らしいからな。身体が健全だとしても心が死を望んでいるのならば、私の余興に付き合ってくれた礼をすべきだろう?」
「なるほど。民草の意をよく分かっておいでだ。貴女の治める深遠の国は、さぞかし栄えているのでしょうね。もしも死の先も悪夢だったら、私を連れ去ってくれませんか――」

 善処しよう。そうささやく彼女の笑顔は、背筋から寒気が走るほど美しかった。そして私の心も晴れやかで、とても清々しい。夜の王の宣誓を取りつけたのだから、ようやくいのちからすべてが開放される。
 私の身長の二倍はありそうな紅い槍の矛先が、月の光を浴びて妖しい輝きを放つ。笑う堕天使との距離は50mもない。たった今すぐ私は死ぬと分かっているのに、まったく防衛本能が働いていないように思えた。
 わずかな静寂の後、漆黒の羽根が大きく広がって彼女の身体が浮かび、眼にも留まらぬ速さで突進してきた。一連の動きと私の能力発動は刹那――切っ先が心臓まで数mmの滑空で、この世界の時間は停止した。

 ――運の尽きだったわね、不思議の国のお姫様。生きたまま死んでいる私が、生と死の選択を行う以前に『かみさまに殺されたくない』なんてわがままを選ぶ意思まで貴女は見抜くことができなかった。
 絶対者たる存在が地面にひれ伏す瞬間は、いともあっさりとやってきてしまうものなのね。かみさまが創造した世界に逆らいたくて、貴女に未来を決められたくないから。ついでに快楽殺人も興味があったわ?
 時間停止中の『モノ』に干渉した場合、その対象物に限ってかたちが変わる。私の起こす物理現象がありのまま適用されると言い換えてもよい。たとえば今の彼女の心臓に、そっと銀のナイフを突き刺すと――

 エレガントで真っ白なブラウスの胸部に、真紅の薔薇の花束が咲き誇る。刃物の柄の部分が衣服に食い込むまでぐいっと押し込むと、あふれんばかりに大量の鮮血が噴き出して赤い水たまりを作り出した。
 貴女みたいな世間知らずな存在が、どうしても私は気に入らないの。さっと紅い槍の軌道から逸れて、血液が抜けていく頃合を待つ。このまま放っておいてもよいのだけど、夜の王の辞世の句が聞きたかった。
 どうやら悪魔も身体の構造は、だいたい人間と同じらしい。出血多量で死ぬ前に時間を戻す。消えた標的。どす黒い薔薇と銀のナイフ。つぶらなひとみをぱちくりさせて、悪魔は不思議そうな表情で私を見やる。


「おまえは誇るべきだ。夜の王たる私に傷を負わせた『人間』は、およそ五百年の生において貴様しか存在しないのだからな」

 ありえない。信じられなかった。地べたに倒れ込むはずの化け物は平然と現状を認識して、突き刺さった得物を適当に放り投げる。からんからんと甲高い音が、やけに大きく室内に反響して消えていく。
 彼女をえぐる深い傷口から、ちっとも血は流れなくなった。おそらく塞がっているのだろう。確かな感触だったはずだ。やわらかい臓腑を貫き、なかの『モノ』の奥底まで切り裂いた手触りが残っている。
 なかば呆然と立ち尽くす私の目の前に、ゆっくりと悪魔が近づいてきた。真っ白なドレスに咲く紅蓮の薔薇とローズクォーツのひとみがとても美しくて、己の両手で彼女を殺める行為が最高の栄誉だと思えた。

「あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ、あ――」
「どんな手品を使っているのか腑に落ちないが、私に牙を剥いた存在は貴様が久しぶりだ。くくく。あはははははははははははははははははははは!」

 ちがうわ。これは絶対者に抗うほんの皮肉と背徳のつもりで――私の身体は勝手に無力を悟り、いきなり足がすくんで動けなくなるどころか、すべての力が空気同然に抜けて、その場にがくんと崩れ落ちた。
 悪魔の優美な嘲笑が、静謐な大聖堂に鳴り響く。震える両腕を地面につきながら、為す術もなく純白の薔薇を眺めた。加速していくラストシーン。たとえ最期の悪夢だとしても、貴女に会えてうれしかったわ。
 不感症のはずだった心が、ゆらゆらゆらめいている。畏怖。絶望。恐怖。羨望。様々な感情が消え失せ、たったひとつだけ残った想いは愛おしさ――やっぱり壊れている根本は、私という存在そのものだった。

 今の自分が抱く気持ちに虚飾は含まれていない。ようやく世界の終わりが訪れる。すぐそこまでやってきた『死』を愛したい。しかし一方で違和感を覚えた。それは彼女を殺す動機と完全に矛盾しているから?
 たぶんぜんぜん関係ない。かみさまに対する揺るぎない憎悪と復讐の念。狂った世界の恒久的な予定調和に対する反抗。建前の本心と裏腹な淡くせつない想いが、くしゃくしゃと心のあちこちをかきむしった。
 私が赤い血で穢した白い花。めちゃくちゃにしてあげたくて、星空に飾っておきたくて、嗚呼……。とても愛おしい。永遠を与えてくれる貴女のすべてに恋焦がれながら、この腐りきった心と身体は朽ちていく。

「……もしも天国があるのなら、かみさまに伝えておくわ」
 彼女の御許で跪く格好で言葉を吐き捨てると、か細い人差し指が私の顎をくいっと持ち上げた。
 すべての力を振り絞って、悪魔の純粋無垢な笑顔を見据える。そう容易く手懐けられそうもないとか、ずいぶんお馬鹿な妄想を数秒間ほど考えていた。
「そうするといいさ。しかし、ね。貴様の手向けた真紅の薔薇、ものすごく似合っているだろう?」
「ええ、すてき。もっときれいに彩ることができたらよかったのだけど。貴女の美しいドレスに相応しいコーディネートを……」
「勿体無いな。死んだように生きているくせに、汚れきったプライドだけは私の前であろうとも一人前か。ゆめゆめ本当の在り方さえ見失わなければ、おまえの美しい紺碧が色褪せる"現在"はなかった」
 宵闇の向こうできらきらきらめくひとみが、じいっと私から目をそらさずに見つめてくる。
 ふわんと吐息が香る距離まで端整な顔立ちを近づけてくる子供っぽい仕草と、心の本質を見透かすような科白のギャップがありすぎて途惑う。
 くだらないプライドにすがっているからこそ、だらだらと生きてしまってどうしようもない。さっさとかなぐり捨ててしまえたら、きっともがき苦しまずに済んだ。
「私は最初から空っぽだった。貴女みたいな気品あふれる『矜持』なんておこがましいものは持ち合わせていないわ」
「さあ、どうかな。先の惨事を見て怯まず正々堂々と私を殺そうとした人間が、そこらへんの凡人と同様の浅はかな思慮を踏まえているとでも言うのか?」
「まともな"ひと"の行う虐殺だろうと、結局のところいのちは差し出すつもりだった。たまたま死刑執行を下す存在が貴女ってだけでしょう。かみさまが勝手に用意した運命はすべて決まっているの」
「なんとも痛快な笑い話だな。そしてひどい勘違いだ。貴様にとって神の代行者たる私を殺す意味は――だれかに定められた条理を覆すための行為に他ならない。哀れなマリオネットよ、間違っているか?」
 かみさまという単語が余程おかしいのか、くつくつと喉を鳴らしながら彼女は真実を言ってのけた。
 貴女ならば、私の無常を理解してくれるの?――鼓膜で鳴り響く澄んだ音と空虚な心に芽生えた愛おしさが、ゼンマイ仕掛けの心臓のなかで幻の螺子と噛み合って動き出す。
 ようやく『生きている』ことを知った。これから殺されるのに、なんの意味があるのかしら。おそらく考えるだけ無駄でしかなくて、そもそも私は物事に価値観が付随する"世界"が嫌いだった。
 なのに、なぜだろう……。今までの記憶がばらばらになって霧散し始める。中途半端は最悪だけど、生も死も選びたくない。それが貴女の言葉における私のプライドか。どうしようもなくつまらないわ。

「……殺して、ください。貴女の裁きで死ぬ"現在"を、私はしあわせだと心から言える」

 ステンドグラスの空白から漏れ出す月光が差し込んで、漆黒の羽根で編んだ幻想の闇を華やかに暴く。偽りや虚妄のない、ありのままの私の本音を聞き届けた悪魔は、永遠に近い数秒間を沈思黙考に費やした。
 もしも思い残す唯があるとしたら、彼女に対する想いを陳腐な言葉でしか返せない無力さ。そんな想いも恋慕と哀愁を繰り返して零に戻る。パラノイアなアンドロイドのくすんだ両目が映す世界は変わらない。
 モノクロームのプールに浮かぶ真っ白な薔薇。エメラルドブルーの梢は半透明の水面をたゆたい、夢現で幻想的な残像を見せる。ふとセンチメンタルな蒼を吸い込んで、左のにぶいひとみが色彩を取り戻した。

 悪魔の左手に握られた紅い槍から、慈愛の槍戟『クー・ド・グラース』が床を突き刺す。やすらかに眠らせて――懇願するように視線を向けると、たおやかな指先がさらさらと銀色の髪の毛をすいてくれた。
 返り血で濡れていても、まったく気持ち悪くない。むしろ彼女のぬくもりに、すてきな心地良さを覚えた。夢の終わり。世界の終わり。貴女がもたらす死を望んでいるのに、どうしてまどろんでいるのかしら。
 妄想とリアルの狭間を彷徨う心を正すかのように、やわらかい人差し指が頬を撫でた。なみだがあふれそうなひとみでかんばせを追いかけると、愛くるしい女の子はくすくす笑いながら桜色のくちびるを開く。

「私のしもべになれ。夜の王の威光を以って、おまえの運命を必ず変えると誓おう」

 それはかみさまが決める概念だ。幸福論。世界の定義。本質の在処。夜の王たる貴女とて改ざん可能な類のものではない――しかし彼女の言葉は真実味を帯びて、まるで預言者の託宣のごとく感じられた。
 ずっとさよならを祈ってばかりの弱い私に、美しい貴女が崇高な矜持のすべてを捧ぐと誓い見せてくれる未来。私たちの逢瀬は運命によって決められていた。冷たい心のときめきが、そう確かに告げているの。
 死んだままの生を、貴女が変えてくれた。ふわっと咲くきれいな笑顔と、矢庭に差し伸べられたてのひらが、今の私には遠すぎて……。やっとの想いでつかむと、本当に華奢な身体がやさしく抱きしめてくれた。
 すぐそばに見える目鼻立ちの端整な顔立ちが近すぎて、心臓の鼓動がみるみるうちに速くなっていく。うっすらと咲く淡い桃色をたたえた花びらのなまめかしい吐息が、倒錯的な快楽を帯びて赤む頬を撫でる。
 私を覆う黒い翼が作り出す夜空で煌くアンタレスに願い事。どうかこの夢からいつまでも覚めませんように。御伽の国で見る白昼夢に惑わされていたい。空っぽの心にもぐり込んで、貴女は運命を書き換えた。

 またたきを忘れ、呼吸を止めて、私は黒い水槽で溺れる。深遠の奈落に浮かぶ彼女と目が合うと、つい恥ずかしくて視線を逸らしてしまう。貴女に抱かれて想いを馳せると、無常や苦しみが穏やかに凪いだ。
 今まで抱いた経験のない感情に困惑を覚えるものの、とても不思議な多幸感が心を満たしていく。貴女にすべてを委ねて得られるものが、私の求めていた幸福のかたちだとしたら、いのちは確実に意味を為す。
 死そのものが希望だと信じてやまない価値観が崩れ落ちて、死を与える悪魔が白い天使となって微笑んでいた。きっと私は変わり始めているのね。彼女と出会ってから、かちりと運命の歯車は噛み合い始めた。
 貴女は未来を提示してくれないけれど、夢想の可能性に賭けてみても悪くないわ。貴女のちいさなてのひらが導いてくれる鮮やかな彼岸に、私の願うしあわせが必ず待っていると信じたい。信じさせて欲しいの。
 快楽を待ち望む思想家は呼吸を止める。蒼い空に憧れた。透きとおる空に還りたかった。そんな蒼い花の運命を操る貴女がもたらす新しい世界は、天の星空できらめくアンドロメダのように美しいはずだから。

「……れみ、り、あ、さまぁ」
「うん。いい子だ。その蒼いひとみを、もっとよく見せて?」
「まるで夢を、見ているようです。わ、た、し、わた、し、私の名前は――」

 かみさまが適当にサイを振って決めた運命の悪戯によって産まれ、なんの意味や価値も持ち得ない少女『A』の名前をささやこうとしたら――親愛なる夜の王のくちびるが、そっと言葉を遮って重ねられた。
 ゆらゆらたゆたうぬくもりは甘ったるくとろけながら口先に広がって、たまらなく愛おしい想いが流れ込んでくる。ふと見開いたひとみの映す真紅の双眸に見惚れ、だらしなく艶やかな吐息を漏らしてしまう。
 いつかクラスメイトと交わしたつたない口づけを思い出すけれど、王が手向ける清楚なキスは"宣誓"だった。ひどくみじめな私を愛してくださるのだと思うとうれしくて、止め処なく貴女を慕うなみだが零れ落ちた。
 かぐわしい純白の薔薇のほのか。咲き誇る花びらが誘う恋の夢現。凛と未来を見通す緋色のひとみ。ずっと"わたし"を愛して――白い葬列から抜け出す殉教者は神を裏切って、紅い悪魔と永遠の契りを結んだ。

 ほんのわずかにふんわり触れた淡いリップが、からからのくちびるをみずみずしく満たしてくれる。こちらから求められないもどかしいキスは、ふたりを繋ぐ確かな運命の"きずな"を織り成して結ばれていく。
 貴女の言葉にサインするための契約書は必要ない。少女を恋焦がす運命の証明は、夜の王が捧ぐ誓いのベーゼで十分。可憐な真紅の薔薇の花束を賜ると、いつか潰した不感症患者の左目が感傷性の紅に染まる。
 このまま時間を止めてしまいたかった。貴女を永遠の時空まで連れ去ってしまいたい。たとえ叶わなくとも、せめて私の存在の意義が夜の王の英雄譚に添えられるよう、すべてを捧げてお仕えしたいと思った。
 葬り去りたい過去とオーロラのような恍惚が、みだらに絡み合う口先で揺らめいている。今までの『記憶』は銃殺刑に処し、心に紅蓮の想いを秘めて覚悟を決めた。いのちが尽きるまで、貴女を愛し続けよう。

「十六夜咲夜。今此処に王の未来を彩るための『夜』を託す。想像を超えて咲く幻想の花と在り続け、運命を裁く私に相応しい従者となれ」

 緩やかに解けたくちびるが凛然と言葉を告げる。それは、ただ、ただ、すてきな、美しい名前で――こえにならない嗚咽を漏らしながら泣きじゃくる私を、もう一度ゆったりとか細い彼女の両手が抱き寄せた。
 力の入らない肢体を包み込む矮躯と、甘美な色香を醸し出すうなじを彷徨うくちびるから、しとやかなぬくもりが伝う。静謐な大聖堂の祭壇で公開処刑されたのに、蒼い蒼い心はしあわせで満ちあふれている。
 なんとなく、分かってしまった。このひとのこと、たぶんきっと愛してしまうんだって……。私の髪の毛を散らして遊ぶ彼女の表情は窺い知れないけれど、真っ白な薔薇のたたえる威厳と理想がとても愛おしい。
 たった一言のおまじないで記憶は砕け散って、ごみくずな世界が織り成す絶望を嘆く少女『A』は死んだ。はらはらと宵闇に堕ちていく感覚でめまいがひどい。でも朦朧と移ろう意識を保つ余裕なんてなかった。

 十六夜に咲く夜。貴女の象徴たる美しい月光と純白の花束を鮮やかに綾なす夜。紅の皇女の尊厳を守り抜く騎士の務めを果たす夜。かく名前に込められた貴女の想いが、私が強く在り続けるための意味を為す。
 今は彼女の言葉の本懐を掴めなくてもだいじょうぶ。こんな御伽噺みたいな妄想が真実だと、なぜか自信を持って断言できるの。貴女からの気高き寵愛を受けて止まない『十六夜咲夜』に必ずなってみせるわ。
 ひどい自惚れかもしれない。おかしくなってしまったのかしら。幻聴幻覚は夜の王の狂おしい決意の恩恵だ。貴女の想像を描いてきれいな黒い薔薇を咲かせたら、うたかたの夢はしゃぼんのように弾けて消える。
 その先に続く未来を、ふたりだけで見てみたい。いつも憧れていた空の遥か彼方、星空の水槽に沈む私たちは、きらきらきらめく虹色の花となってゆらゆら揺られ……。サイハテの世界で、永遠の愛を誓い合う。



 彼女の規則正しい吐息が、そっとうなじを撫でる。妄想中毒の脳内に真紅の薔薇のエクスタシーが行き渡って、夢幻に引きずり込まれるような心地良い酩酊感を伴いながら、だんだんと意識が遠ざかっていく。
 次に目が覚めたときの私は『十六夜咲夜』であり、貴女のために尽くす従者と生きていく"さだめ"を背負う。いつかの未来がやがて恋の迷路に変わって欲しいと、心のどこかで居もしないイエスに祈っていた。
 絶対的な忠誠を失うことなく、彼女に愛されたいなんてわがままが抑えきれず――気を失うくらいの快感で朽ち果てる。ラヴドール扱いだろうとかまわない。なにもかもぜんぶめちゃくちゃにして欲しかった。
 紅い悪魔と会ってからときめく愛おしさが、いびつなかたちに姿を変えて心を蝕む。恋に恋焦がれて狂ってしまう。とてもすてきだと思うわ。貴女としあわせになれるのなら、かみさまだって殺してあげるわ。



 ――世界から見捨てられた十六夜咲夜が運命のタロットで選ぶ未来は、星くずのアクアリウムで恋に沈んでいく夜の王の"亡き王女の為のセプテット"が奏でる御伽噺のプロローグ。
 純白の薔薇の花束の甘美な匂いが、快楽以外の感覚を完全に麻痺させていく。少女が誓う永遠の忠義と思慕を『罪』と嘲笑うのならば、自転を繰り返す血塗れの林檎で生きる人々の幸福は真の悪徳でしょう?

 あまねく宇宙の創造主にプログラミングされた"さだめ"は悪魔の悪戯で改竄されて、なんの意味も持たない無価値なマリオネットは狂おしい恋のカタルシスを与えられて動き出す。
 新しく手に入れた薔薇のロジックは、夜の王に捧ぐための処置を施してある。うごめく前頭皮質にロイコトームを差し込み、貴女を想う器官だけ残した時計仕掛けのいのちは、あらゆる主観を廃して思考を行う。
 貴女がとなりにいてくれたら少女のしあわせは担保されるのだから、いずれふたりで辿り着く未来がエデンだと信じさせて欲しいの。白い血を流す漆黒の薔薇の花言葉。わたしのすべてを、あなたにあげる――



























 2.Destiny Lovers

 ――少女『A』はエピクロスの夢を見る。すべてをまやかしの現実と見なし葬り去って、ありえないはずの白昼夢に鮮やかな未来を委ねた。
 紅い月が照らす、ふたりぼっちの世界。荘厳に奏でられる終末の旋律。夜の王たる堕天使が捧ぐ敬虔な宣誓。神を崇める祭壇で授けられた美しい真名。
 真紅の薔薇と堕ちていく天国の奈落でまどろみながら、いつまでもうつらうつらと永遠に眠り続けていたい。そんな誇大妄想狂の"わたし"は、夢を見る意味さえ忘れていたことにふと気づく。

 かみさまは夢と現実の存在を担保してくれない。もしもことごとく夢だったとしたら、これから私は……。無意識下の潜在的な絶望が働いて、いきなり現実世界に引き戻された。
 うっすらと開くひとみが、見知らぬ天井を映し出す。やわらかい羽毛のベッドに寝かされて、すごく嫌な感じの汗を掻いている。その精神的な不安や無常は、あっという間に取り除かれてしまった。
 麗しいランブラーローズのほのか。すうすうとやすらかな吐息が、私の頬をやさしく撫でてくれる。すぐとなりで付き添いに耐え切れず眠ってしまったらしい、夜の王のあどけない寝顔がとても愛くるしくて――





 マーマレードみたいなだいだい色と漆黒が織り成す空をぼんやりと見つめながら、夕陽を遮るようにあつらえたバルコニーの円卓にテーブルクロスを敷いて、ティーセットとスイーツの数々を並べていく。
 ふわふわの甘さとココアのほろ苦さが絶妙なティラミスと、オーソドックスなスコーン。ずっと前に比べたらだいぶ上手くできるようになった気がするけれど、お嬢様のお口に合わなければなんの意味もない。
 そこらへんの努力がまだまだ足りてないと思う。すべての食事を任されている以上、なおさら気を配らないと。貴女は見習いだからなんてくだらない言いわけは、独りよがりなプライドが絶対に許さなかった。

 なんとなく黒い浴槽に沈む太陽を見送っていると、先ほどメイクと着付けを済ませたお嬢様の足音が響く。うやうやしくかしずくとてのひらで紺碧の髪の毛を翻して、ふんわりすてきな微笑みを返してくれた。
 そのまま席に着く様子を横目に、時計の針を止める。きちんとあたためておいたティーポットに、アッサム茶葉のセカンドフラッシュをふんだんに入れ、すぐ適量の熱湯を注ぎ込んでかなり濃い具合に蒸らす。
 あらかじめ肌のぬくもりほどで熱してあるティーカップへ常温のミルクを加え、さらに上から茶漉しできちんとつぎ足し完成。親愛なる主は目前の紅茶を口に含み、我が意を得たりと言わんばかりに微笑んだ。

「うん。おいしいわ」
「……ありがとうございます」

 誠実な賞賛と充足感の意思が素直に飲み込めなくて、どうしてもせつなくなってしまう。原因の所以を端的に言ってしまえば、もっと夜の王に必要とされたいと願う、従者としてあるまじき渇望の表れだった。
 夕方の起床から夜明け前の就寝まで、片時も離れず給仕をこなす。愛しいひとのそばで過ごすしあわせを、ひしと感じているはずなのに……。黒い心は浅ましい独占欲に溺れ、狂おしい愛情を求めて飢えていた。
 無様なナルシズムで、おこがましい思いあがりだと自覚を持っていても、止め処なくあふれる想いが白い花を塗り潰す。それでも薄皮一枚残った自制心は、ぎりぎりの危ういバランスで平静を保ち続けている。

 主と従者の関係で満足しなければならない。そう何度も何度も自戒を繰り返したけれど、お嬢様と過ごすかけがえのない日々が続くほど自己撞着に苛まされ、ひどいときはみじめだと自分を蔑み泣いてしまう。
 だって、ね。私は恋焦がれているの。愛してしまったわ。美しい純白の薔薇と咲く貴女のこと……。あの運命の出会いから抱き続けているときめきを伝えられず、ココロは張り裂けそうなほどに思いつめていた。
 もしも告って繋いだてのひらが解けていくのなら、なにもかもぜんぶ破滅だ。結局いつまでも選ばれない十六夜咲夜は、貴女からの言葉を待つことしかできなくて、幾億の星々がきらめく夜空に無力を嘆いた。

「咲夜。どうかしたの?」
 つい取り留めのない思考をめぐらせていると、紅いひとみが何事かと訝しむ目線で見つめていた。
 とにかく勘の鋭いお嬢様だからこそ、バレないように配慮しなければならない。諦めきれない片想いの答えを出すまで、どうか今の私たちの距離を保たせて欲しい。
「いいえ。なんでもありませんわ」
「しかし今日の紅茶は格別に素晴らしいよ。普段の茶葉と別格の薫が楽しめる」
「よくお気づきになられるものですね。遊び心でローズマリーをほんの少々ブレンドしてみました」
「最近の咲夜は本当に色々と気遣ってくれるから、まるで私はおままごとのお人形さんみたいな気分だよ」
 さり気ないジョークもお嬢様なりの賛辞なのだろうけれど、やっぱりすっきりと受け入れることができなかった。
 一介の従者の立場を鑑みれば、主から賜う褒め言葉は最高の栄誉。しあわせを噛みしめ、善しとすべきなのに……。うれしい想いともどかしさが錯綜して、あいまいで複雑な気持ちになってくる。
 あくまでも私の行う給仕の感想でしかなくて、それ以上の意味が込められていない気がしてしまう。もちろん自分に対する感情が、まったくの空白だとも思えなかった。たぶんきっと、わがままなんだわ。
「お嬢様に仕えることが咲夜の至上の悦びですので、ある意味そのように捉えられても仕方がないのかもしれませんわ」
「私だってお気に入りなんだからだいじょうぶだよ。うん、でも……。咲夜は、私のために自分を押さえ込んでるんじゃないかなって、ね。最近よく考えるようになった」
 私らしくないかな。自嘲気味にかぶりを振るお嬢様は、おそらく自分の気持ちを押し殺すためにティラミスを頬張った。
 貴女の想いが知りたい。なのにどうして教えてくださらないのですか――もっとも私は、戒めのようなニュアンスの口上に反論できなかった。
 空っぽの生が意味を為す運命を与えてくれた貴女に、すべてを捧ぐ"現在"は素晴らしき日々だ。そう在り続けるための未来を伝えられない時点で、お嬢様の自嘲めいた指摘は間違いなく真実なのだから。
「十六夜咲夜の唯は親愛なるお嬢様の従者たらんこと。凛と咲き誇りたい花の理想は召されませんか?」
「無論かまわない。ただし"想像を超える"幻想の花を、私個人の思考で規定しても面白くないだろう?」
「……つまりお嬢様の覇道の歴史を綴るページの数々にさえ存在しなかった『夜』になれと。さすがに買い被りすぎかと思いますが、そこまで仰っていただけると光栄の至りです」
「なにも大それた話じゃないさ。単なる子供のわがままなのかもしれないな。私が見たい夢幻の薔薇は、咲夜が夜の王に相応しいと想う蒼――心の息吹から咲き誇る花は、とても美しいはずだよ」
 くすくすと笑いながらミルクティーを含むお嬢様のあどけない表情に隠されている意図が見えず、ついその場で頭を抱えたくなってしまいそうだった。
 私に相応しい従者となれ。くだんの託宣が示す意味を寸分の誤差なく把握済みかと問われたら否だけど、まずは最低限の目標として完全で瀟洒な従者で在ろうと頑張っている。
 それすらも微妙な体たらく。でも私は答えを持っていた。永遠に紅い幼き月のとなりで凛と咲く花が想い描く未来は『禁断の恋』――そんな蒼い薔薇の花言葉を、崇高な矜持を以って手向ける勇気が欲しい。
 いけない。絶対に駄目だ。私の望むかたちと、貴女の願う"わたし"は異なるのだから。いくら心をたしなめてみても、今の私が導き出す解答は、貴女の寵愛を受けるべきは"わたし"だと信じて疑わなかった。
「……お嬢様の理想とする在り方が、よく分からなくなってしまうのです」
「心配は要らない。今も十分すぎるくらい満足だよ。だって、ね。いつまでも私のために在ってくれるのだろう?」
「はい。言うまでもありません。十六夜咲夜のしあわせは夜の王の従者たる事実そのものです。かく在り続けられないのならば、私が生きている意味は無価値に等しい」
 まっすぐな物言いと同時に、お嬢様の所作がつと止まった。
 コバルトブルーの髪の毛が水色の風に揺られ、さらさらと幻想的な残像を描きながらなびく。
 こちらを睨んだりしなくとも、すぐ神々しいまでのオーラで察しがついてしまう。先ほどの発言は、本音がない交ぜの失言だった。
 自分を見下すような弱音は絶対に認められない。つまるところ夜の王の威光を賭した信頼の否定――気高き矜持に泥を浴びせかける行為と同義だ。
「咲夜。先の言葉は取り消せ。レミリア・スカーレットと十六夜咲夜は主と従者の関係でしかなく、いつまでも永遠に続く平行線だとしても許容されうる。ゆめ言いたいのだとしたら、なおさら気に入らないな」
「確かに言葉がすぎました。どうかお許しください。ただお嬢様が今の"わたし"の在り方を否定されるのでしたら、私としても明確な指針を提示していただきたく存じます。貴女の想う蒼に、染まるために――」
 もどかしさを隠しきれない私の言い草を、お嬢様は口角を吊り上げて一笑に付した。くやしさと己の不甲斐なさを、ぎりぎりと奥歯で噛み殺す。
 とっくのとうに答えは提示してあるだろう?――そう言わんばかりの可憐な微笑みを見てしまうと、まだまだ自分はお嬢様についてなにも分かっていないと痛感せざるを得なかった。
 貴女の言葉を素直に解釈したら、私の望む解答が浮かぶ。遠い未来の平行線が交わった境界線上でふたりは愛し合い、交差を繰り返しながら運命の糸で縫いつけてしまえば、あの日から想い描く夢に辿り着く。
 だけどお嬢様は決して十六夜を今以上に求めてくださらない。私から求められるはずもなかった。貴女の想いを教えて欲しいと口走る弱さが屈辱だろうと、もっとそばに近づきたいと願う気持ちだけは確かだから。

 気まずい沈黙が、ほんのわずか続く。答えるつもりがないのかしら。さっきの言葉の真意は?――羞恥に晒されているような気分だった。もしも貴女が瀟洒な従者としての"わたし"を望んでいないとしたら?
 答えのない自答自問が延々とまわり続ける。そんな私のセンチメンタルを感じ取ったのか、さり気なくお嬢様から空っぽのティーカップを手渡されて、ようやく紅茶のお代わりを要求されていることに気づく。
 落ち着こう。メイドは優雅と瀟洒たれ。最愛のひとの前で怯んではいけないわ。今度はカモミールをアクセントにミルクティーを淹れて手元に置くと、夜の王は愛らしい笑顔を綻ばせながらくちびるを開いた。

「そうだな。今日の夕食の献立は、咲夜が馴染みの日本食にしてくれ」
「ちょっと意味が理解できないのですが。お嬢様がお好みの品も少ないと思いますし、その――」
「我ながら素晴らしい『指針』だと思うよ。私が見初めた咲夜なら分かってくれる。以上だ。下がりなさい」

 かしこまりました。あくまでも冷静さを取り繕って応答の言葉を紡ぐ。うやむやな想いを無理矢理に振り解き、深々と頭を垂れてバルコニーから立ち去った。
 どうしても聞き質したい衝動を抑え、おとなしく従うしかない。きびすを返して広い回廊を歩くさなか、ずっとお嬢様の言葉の意味を考えてみるけれど、うやむやな真意の在処がいまいち推し量れなかった。
 貴女のうそは見当たらない。純白の薔薇を枯らさないよう、いつまでも愛していたい――ふたりの想いは共通条件と見なしてもだいじょうぶだと思う。すべては私がどう在るべきかの一点に集約されていた。

 ぐるぐると答えを求め続けていく思考を遮って、とりあえず今の仕事に集中しようと意識を切り替える。このゆらゆらゆらめく気持ちだって、いつか必ず私たちの望む決着がつく。
 今日の仕事を終えた妖精たちで賑わう夕食前の大食堂をまっすぐ横断して、なかば修羅場と化している厨房に向かう。私用のキッチンでお湯を沸かしながら、呪符の保冷効果が施された冷蔵庫のなかを見やる。
 べたべたでどうかなと思うけれど、スープカレーなんてどうかしら。リゾットの要領でお米を食べてもらえたら、意外と喜んでくださるかもしれない。スパイスは香草を使って、それらしくごまかしてみよう。
 ふと気づく。お嬢様のリクエストを受けて料理を作った記憶がない。おそばでメイドと就き従うようになって以来、お褒めの言葉は与えられても、なんらかの指図を承って行う雑事の経験がまったくなかった。

 ――そっとひとみを閉じる。もう始まりの出会いからだいぶ時は過ぎ去ったというのに、いまだ自分は夜の王が想い描く真の意図を把握していない。
 たった数ヶ月で理解できたら苦労しないけれど、それでも私は貴女に相応しい"わたし"で在り続けたかった。在り続けなければならない。ふたりのための運命の螺旋は、必ず用意されているはずだから――



 ******

 未来を想ってきらめく涙の銀河を越えて連れ去られた先は、ノスタルジックな美しい原風景の湖畔に佇む紅い館。まるでお城のような鐘楼つきの建物と、色とりどりの花壇が埋め尽くす広大な敷地に圧倒される。
 お嬢様のやや後方を歩く栄誉を噛みしめながらも、これから与えられる仕事内容がとにかく気になってしまう。あのときの宣誓を言葉通り受け取っていいのか、よく分からないままに格調高い応接間に通された。
 とてつもなく縦長のテーブルを囲むかたちで、神秘的な羽根を携えた妖精が数名ほど居並ぶ。そろそろ最奥の上座のそばに近づいていくと、麗しい真紅の長髪が印象的なチャイナドレスを纏う女性が座っていた。
 がやがやと自分に関して会話を交わすこえの端々に、どこか和気藹々とアットホームな雰囲気が漂う。すぐとなりに私を従えて一同を見渡す夜の王は、和やかなムードを咎めるわけでもなく粛然と言葉を告げた。

 ――本日から彼女『十六夜咲夜』にメイド長を務めてもらう。主の給仕は無論こなしてもらうが、紅魔館の庶務全般の権限を委任する。みんなが仕事内容の指導及び協力に当たってくれ。
 凛と響く紅い悪魔の宣言に、その場の私を含む全員が言葉を失ってしまった。しんと静まり返る沈黙が示す意味は一目瞭然。ありえない暴挙に訴えかけたお嬢様の笑顔が、まぶたに焼きついて離れなかった。
 まだ貴女について無知と同様なのに、絶大な信頼を置いてくれた事実は素直に喜びたい。でも彼女の寵愛に応えるための素養を、今の自分は持ち合わせていない。すごく残念だけど自認すべき『現実』だった。
 颯爽ときびすを返すお嬢様の後ろ姿を見送りながら、いつくしい誓いの言葉を思い出す。どうせ私の生は零からリスタートだ。貴女に相応しい私で在り続けられるのならば、どんな苦難だって乗り越えてみせる。


 ココロが『幻想郷』の世界を常識と見なす覚悟は容易かった。紅魔館の巨大な地下図書館に住まう魔法使いから、とても簡潔明瞭な授業的なモノを受け心得ておくだけで、もろもろの基礎知識は十分に事足りる。
 とりあえず真っ先に憂慮すべき問題は、お嬢様の給仕を始め多岐に及ぶ従者の仕事だ。雑務は余所者なのに好意的な妖精メイドたちのおかげで、ずいぶんとたくさんの業務内容はやさしくフォローしてもらえた。
 この館に根づく伝統を把握するために、ひたすら最善を尽くす。とにかく慌しくて忙しいけれど、おそらくなんとかやりくりできる。大まかな雑事をこなす目処が立つまで、かなりの時間を試行錯誤に費やした。
 ぜんぶメモさえ取ってしまえば、あとは空間を止めて何度でもチャレンジできる。難題は能力で補えない実戦経験。くだんは私の場合に限ってしまうと、お嬢様の嗜好を完璧に把握しなければならない点だった。

 お食事。お洋服選び。お化粧。お体の洗浄。スキンケア。ヘアメイク――可憐で優雅な日常を心地良く暮らしていただくためのコーディネートは、時間を操作しても補完できない部分が非常に多くなってしまう。
 人伝からの再現も限界が存在する都合、お伺いを立てて学ぶ必要があった。たとえば食事だってもちろん和洋中の好みの塩梅や、さらに味の調整や温度などを仔細に考慮すべきで、突き詰めていくときりがない。
 お嬢様が喜んでくださる感覚を掴む。それはふたりで過ごすかけがえのない時間を経ながら、ささいな仕草を見逃さず覚え込むものだ。ふと、思う。いつの間にか余計な固定観念に縛られていたのかもしれない。
 貴女に相応しい従者とは、事前情報の均等な狭義の範疇と思い定め、今のお嬢様が本当に好んでいらっしゃるモノの本質を見失い……。だいたい、おかしいんだわ。本日の献立が始めての『わがまま』だなんて!

 ******



 ――おろかな過ちを正すひらめきと同じく、おぞましいオーラが『覗いている』雰囲気に気づき、ホルダーからナイフを抜き取って投擲を行うまでの刹那はコンマ一秒に満たないはずだった。
 銀色の得物は案の定むなしく空を切って、木製の壁にまっすぐ突き刺さる。そっとキッチンや大食堂を見渡しても、さっきの異様な気配は感じられない。たちまちうたかたの夢みたいに空気中に霧散してしまう。
 私は紅魔館に迎え入れられて以来、得体の知れない"なにか"に付きまとわれていた。時を止めても不可視でアンノウン。あのひとを舐めまわすような視線には、うすら寒い哀れみや侮蔑の嘲笑が込められている。

 最初の数ヶ月は監視されても仕方ないと、なかば諦め気味な境地で考えていた。いきなり外部の、しかも人間を悪魔の館のメイド長に抜擢という暴挙を、決して善しとしない存在だって少なからずいるだろう。
 当然お嬢様の可能性は皆無。色鮮やかに虹色な門番の場合も、性格的な要因から度外視できる。あとは魔法の知識を教えてくださっているパチュリー様だけど、そもそも私に興味を示す要素が見当たらなかった。
 そうやって絞り込むと妖精メイドしか該当しないものの、すごく緩い感じの習性を鑑みるとこちらもダウト。ただ彼女たちの大好きなうわさのひとつで、この紅魔館に住み着いているという幽霊の怪談を聞いた。
 お化けの仕業か。と納得してしまうほど生ぬるくない不気味なストーカー行為だし、いい加減そろそろだれかに相談してみよう。だって、ね。いつまでも見惚れて欲しい姫君は、親愛なる夜の王しか存在しない。

 すべての想いを包み隠さず向けるために、もっと貴女について詳しく知りたい。お嬢様の知己以外の情報は信憑性が疑わしいし、ちょうどいい機会なので長い付き合いだと思われるひとにあれこれ聞いておこう。
 パチュリー様はうやむやな感じで煙に巻かれそうな印象を受ける。とりあえず美鈴が適任かしら。なんて考えながらカレーの具材を切り分けて煮込み、差し入れのお弁当の惣菜を和食レシピの確認を兼ねて作る。
 きんぴらごぼう。肉じゃが。かぼちゃの煮物。切り干し大根。基本サナトリウムの食事は当番制で料理は得意だったけれど、ここに落ち着いてから洋食しか作っていないので、なんだか記憶の怪しい部分が多い。
 おかずを重箱に詰め込んで、カレーを一晩くらい経過する感じで時間設定しておく。お嬢様の夕食の時間までの猶予は十分だ。そそくさとキッチンを立ち去って、回廊を経由しながら紅魔館の正門前に向かった。



  ◆



 ひぐらしが狂騒を繰り返す夏のさなか、堕ちていく夕景を見やって在りし日の狂った夏休みを思い出す。あの真紅に染まる水槽に沈み息ができなくなって、もがき苦しみながら溺れて死んでしまう夢を見ていた。
 ばらばらの記憶は絶対に繋がらないのに、葬り去りたい過去ほど脳裏に甦って困惑してしまう。今の私には守りたいひとがいる。それが生の証明に成り果てたのだから、貴女に尽くす"現在"をたいせつにしたい。

 中庭に咲く極彩色のチューリップやパンジーの花壇を横目に歩き、エントランスを通り抜けて目的の場所に到着した。お相手の華人小娘は予想を裏切ることなく、白い塀にもたれかかってすやすやと眠っている。
 すてきな陽だまりの笑顔を見てため息をつく瞬間に、ささやかなやすらぎを感じてしまう。ずいぶんとたくさんお世話になったのに素直にありがとうが言えなくて、こんな差し入れでしか気持ちを伝えられない。
 仕方ないわね。なんてひとりでくすっと笑いながら、そっと起こさないようにとなりに座り込んだ。ダリアのほのかを含んだ水色の風に揺られていると、うつらうつらとしながらひとみを開く美鈴と目が合った。

「さ、さささささささささ咲夜さん! い、いつの間に来てたんですか!?」
 慌てふためく彼女を視線だけで責めたてると、ばつが悪そうに目をそらす仕草が面白い。
 とうの美鈴がサボりの自覚を持っていない点を差し置けば、なんだかんだで仕事の実績は立派な折り紙つきだ。
「ついさっきってところかしら。お弁当、持ってきたわ」
「わざわざありがとうございます! たまに咲夜さんが手作りしてくれる食事が本当にうれしいんですよ!」
「そう言ってくれるだけで私も十分すぎるほどに、ね。それにしても美鈴ったら、せっかくのきれいな髪の毛が台無し」
 あはは、すみません。とさっぱり反省の様子が見られない言葉もなぜか咎める気になれなくて、素っ気なく腕を取って二段の重箱を無理矢理に手渡す。
 ちいさな櫛をポケットから取り出して、さらさらとなびく真紅の長髪をすいてあげた。大好きなひとに尽くすしあわせは、ほんのさり気ない場所に転がっている。
 いつかのころは身近な幸福が見えず……。きっとありえないんだと決めつけていたのかもしれない。ややしばらくセンチメンタルに浸ると、いきなり美鈴がこちらを振り向いて微笑んだ。
「しょっちゅう咲夜さんは色々なものを作ってくれますけど、今日は日本食なんですね。しかも『おふくろの味』みたいなすてきな感じがします!」
「あ、ええ……。その、お嬢様に夕食は私の馴染みのメニューにして欲しいと。最近ずっと作っていなかったから、ちょっと美鈴に味見も兼ねて食べてもらいたかったの」
「なるほど。だけど咲夜さんは料理上手ですしだいじょうぶ。だって私が適当に教えた中華料理のレシピがあるじゃないですか。いつもみんなとってもおいしくできてますよ!」
「美鈴の言葉は毎々うれしいわ。ただお嬢様には……。貴女ほど喜んでいただけないの。なんというか平均点しかもらえてない感じ。すべて丹精込めて作っているのに、どうしてなのかさっぱり分からないわ」
「それで料理を変えろとか言われちゃって、咲夜さん元気なさそうな顔してるんですね。たぶん私その言葉の意図が、ちょっぴりですけど理解できます。お嬢様らしい可愛らしさ。って言うと怒られちゃうかなぁ」
 てへへと美鈴は舌を出して笑いながら箸を取ると、さっそくお弁当の肉じゃがのにんじんを頬張った。
 もぐもぐと食べ物を噛み砕く至福の表情は、嘘偽りのないピュアな想い。お嬢様が今の彼女と同じ様子で笑ってくれたら、しあわせで必ず心の底から満たされるはずだ。
 おそらく『笑顔の理由』にヒントが隠されている。当然、私にとってふたりと繋ぐ絆は違えど、喜んで欲しいと想う純粋な気持ちは変わらない。独りよがりな自分を振り払えず、過去を引きずっているのか。
 さっと整えた美鈴の前髪に蒼い花びらの髪留めを挟むと「そういうことなんですよ」なんて笑われてしまう。ない交ぜの感情が滞って、もどかしさに拍車が掛かる。とにかくなんらかの"回答"を導き出したい。
「お願い美鈴。教えて欲しい。なんとなくでもぜんぜんかまわないわ」
「ええとですね。めちゃくちゃ簡単に言っちゃうと、お嬢様は『咲夜さんが理想だって考える』料理が食べたいんだと思います」
「悩ましいわ。いつも真心は変わってないと思うもの……。もしかしたら他人からの伝聞や情報を元に推察したお嬢様の好みにすぎなくて、勝手に正しいと思い込んでるのかも、しれないけれどね」
「きっと私に作ってくれるときって、ちょっと違うのかもしれませんね。咲夜さんが自分のイメージで私の好みを考えるから、中華や洋食と様々ですてきなんだと思います。咲夜さんらしさが感じられて……」
 かく言うと親友は留めた髪の毛の束を撫でながら「これだって咲夜さんの好みじゃないですか」と付け加え、満面の笑みをたたえてお弁当のきんぴらごぼうをかじった。
 確かに差し入れの献立は私の一方的な趣味でしかなく、美鈴の嗜好は無意識の範囲かもしれない。さり気なく『私の好みで似合う』と思うかたちでやりたい放題にいじくりまわしてる感じ。
 お嬢様の場合はどうかしら。他の意見を取り込んで給仕をこなす現状において、少なくとも不快に感じる行為はないのだろう。そこに"わたし"らしさが足りないから、いつまで経っても平均点しか取れない。
 貴女を慕う"わたし"らしさを示す矜持は、私の思想と嗜好に基づく夜の王と調和を織り成す振る舞い。十六夜咲夜が貴女に相応しいと妄想する従者としての在り方。心のわだかまりが、ほろほろと解けていく。

 ――想像を超える幻想の花を、私個人の思考で規定しても面白くないだろう?
 とても簡単な話なのね。私の考えうる『夜の王に相応しい』十六夜咲夜たらんことを、お嬢様は望んでいた。夢幻を映すほどまで愛されているのだと思うと、わなわなと身体が震え出してとまらない。
 ひどくいびつでゆがんだ自意識過剰な感情論であろうとも、崇高な気格を以って快哉と受け止めてくださるのならば……。お嬢様を愛して止まない"わたし"こそ、今の自分の存在意義を裏付ける唯の真実だ。
 今此処に王の未来を彩るための『夜』を託す――はじまりの宣誓を貴女は護り通し、ふがいない私にやさしく接してくれる。お嬢様へ捧ぐ狂おしい愛しさを隠す必要なんて、そもそもまったくなかったのですわ。

「――私らしさ、か。美鈴。気づかせてくれてありがとう」
 いえいえ、お礼は私の台詞ですよ。つと言いながら、かぶりを振って彼女は笑った。
 こともなげに漏らす本音ってすてきね。ようやく言えた『ありがとう』が、なぜかほんのりとうれしい。
「けれどもそれって正直、わがままじゃないですか」
「どんな瑣末な願いだって叶える。たいせつな従者の務めだと思うわ」
「そうですよね。でもお嬢様の場合だとええと、すごく恥ずかしがりやさんなところがあるんですよ」
 なんかいまいちぴんと来ない単語が飛んできたので、思わず紅魔館に住み着いて以降の記憶を手繰り寄せてみる。
 お嬢様は高貴な薔薇。その在り方は間違っていないはずだ。凛と微笑む夜の王は星空のように物静かで、他愛のない雑談を爽やかな涼しい表情で受け流す。
 ふと、思う。幻想郷に連れ去られて目覚めたときの、すうすうと眠る無邪気な寝顔――どちらも私の愛しいお嬢様に変わりないものの、自分の知らない貴女が垣間見える瞬間を知っておきたかった。
「おしとやかなお方だと思っていたのだけど、私がやってくる以前は違ったのかしら?」
「もちろん変わりませんよ。ただ今の話を聞いてると、たぶんお嬢様は咲夜さんの前だとネコ被ってるんだと思います」
「なおさら美鈴に相談してよかったと思うわ。もうちょっと詳しく知りたいの。たとえばお嬢様は、普段こんな感じだとか……」
「あはは。さっきも言ったじゃないですか。とても可愛らしいお方なんですから。おやつが美味しくないとむすっとしますし、すてきなアクセサリーが届くと子供みたいにはしゃぎます」
 美鈴の言わんとしたい主張がだいぶ明確に見えてきて、先ほどから抱き続けている確信がさらに真実味を帯びていく。
 お嬢様が私の前で黙す理由は――"わたし"らしく在り続けて欲しいと気遣ってくださる故。いくら無限時間内で練習を積み重ねて望んでも、いきなり上手くできるとか偶然でしかありえない。
 おそらく最初の給仕は悲惨で、いや現状だって全然お話にならなくて……。それでも親愛なるひとは文句のひとつさえ零さなかった。そうやって理想と在り続けるために、私のすべてを信じてくださっている。
「……私って、本当に馬鹿ね。ずっとお嬢様に心労を掛け続けていた。しかも美鈴の話を聞くまで閃かないなんて、うんざりしてしまうくらいひどすぎるわ」
「うーん。ちょっぴり違うかなあ。永遠に紅い幼き月は我慢を自分に強いるような性格じゃありません。きっと咲夜さんだからこそ、なんにも言わないんだと思います」
 相変わらずのんびりとお弁当をつまむ美鈴の様子を窺うと、今のやりきれない感情は杞憂だと暗に言われている気がしてしまう。
 お嬢様の行動原理に関して、その他の動機は思い当たらない。ずいぶん私は本質が見えていないらしく、ここまで来るとほとほと呆れてしまった。
 恋は盲目。片想いのつらさかしら。言葉に窮した私の心情を察してか、切り干し大根の煮物をしゃきしゃきとかじりながら、満足気に咀嚼して米粒のくっついたくちびるを開く。
「お嬢様は咲夜さんのこと、好きなのかもしれませんね」
「な、なに言ってるのよ。冗談も過ぎないようにしてもらいたいわ」
「やっぱりお嬢様のひととなりを考えると、もしも気に入らなかったら絶対にあれこれ愚痴りますもん」
「……たとえば美鈴の言い分が正しいとしても、それは私の力不足を見守ってくれてるから、でしょう?」
「好きなひとに尽くしてもらえたら、とってもしあわせじゃないですか。どんなにつたなくても、咲夜さんの想いが込められているんですからなおのこと、ね」
「そのように考えていただいているのだとしたら、言葉にならないほど喜ばしいわ。ただ、お嬢様が心に秘めた気持ちを隠していらっしゃる理由は、なんとなくしか分からないけれど……」
「お嬢様、意地っ張りですしね。ほんとはうれしくてどうしようもないのに、単に恥ずかしいから咲夜さんに言えないんじゃないかな。そういうところとか、とにかく愛くるしいお方なんですよ」
 くすくすと笑う美鈴に表情を汲み取られないよう、ついぷいっとそっぽを向いてしまう。
 こちらの片想いならまだしも、まさかお嬢様が――ともあれ色々と考えるだけで、ときめく心臓の鼓動が鳴り止まなかった。
 ずっと貴女は、淡い誓いを変わらず、かけがえのないものと愛でてくださっているのに、こんなありさまでは顔も合わせられない。気がつくとふたりとも、うたかたの夢を隠していたのかしら。
 今までの自分はなんだったのかと、かつての不感症の少女『A』は悔やむのだろう。でも"現在"は違うわ。うごめく心のなかで煮えたぎる秘密の想いで、いつまでも貴女が愛して止まない"わたし"で在り続けたい。

 ――お嬢様。少々お待ちくださいませ。貴女に手向ける薔薇をお持ち致します。
 十六夜咲夜は『夜の王に相応しい花』と咲き誇るべき漆黒の闇と純白の寵愛を与えられていた。
 すべての条件は揃っているけれど、暗中模索の日々は続くかもしれない。まずお嬢様に相応しい従者の在り方を見直す時間が必要だし、どうやって私の想いを伝えられたらすてきなのかあれこれ迷ってしまう。
 お嬢様の本懐を引き出すための魔法さえ用意できれば、あっさりと解決してしまうのに……。逸る心を抑え、意識を冷静に保つ。ささやかな花言葉を運命の紅い糸に紡いで、いつか必ず届くと信じさせて欲しい。
 平行線上に並ぶ私たちをイコールで繋ぐための美しいコトノハは、貴女の規定した運命に仕組まれてるはずだから。きっと"わたし"らしくしていたらだいじょうぶ。ほのかな想いを契って、そっと立ち上がった。

「……そろそろ、行くわ。本当に助かった。ありがとう」
「なんかやっと元の咲夜さんらしくなりましたね。こちらこそお弁当ありがとうございました!」
「そう言えば、なんだけど。さっきとまったく関係ないことを、ほんのちょっと訊いてもいいかしら?」

 元気いっぱいな笑顔も束の間、いきなりの言葉に美鈴は不思議そうな雰囲気で首肯してくれた。こちらもまさしくなんとなくのニュアンスは正しくて、ついでだからのおまけみたいな戯言の類にすぎない。
 夕暮れの人影が長く伸びて宵闇と溶け合い、緩やかに夜の帳が下り始めている。初夏も始まりを告げてなにかと蒸し暑いから、紅魔館の怪談話のひとつくらい知っておけば、手品のネタになりそうかなと思った。
 とかくさすがに冗談としても、実際はどうなんだろうか。あの不穏な気配の正体は衆人も織り込み済みなのかしら。どちらにしろ彼女に心配は掛けたくないので、あえて監視されていると話すつもりはなかった。

「たまに妖精メイドたちが幽霊の話をするわ。例のうわさって本当だと思う?」
「ああ、そっちですか。大方は間違いないですよ。絶えず不安定な周期で『気』の乱れを感じますから」
「……だいぶ前からの逸話みたいね。わざわざ放置してるあたりは、お嬢様やパチュリー様の意向があってのこと?」
「どうなんでしょうね。よく分からないですが、まさかおふたりが気づかないはずありませんし、なんらかの具体的な被害が及んだ歴史がまったくない以上、まあどうでもいいんじゃないですか?」

 ありがとう。フランクな感じで返事を放り投げて、その場からそっと立ち去った。おそらく被害者は私以外いない。ことのうわさの真偽さえ分かってしまえば、あれがなんらかの意思を持っている事実は明白だ。
 そんな昔から住み着く伝説らしき幽霊が、私に興味を示す要素は見当たらない。くだんの冷笑と軽蔑の視線は、お嬢様の従者としての心構えを正すための警告と思い込めば、無理矢理だけど納得の範疇に収まる。
 今はとりあえずの結論でかまわない。いちいち干渉されてまた『在り方』がブレてしまう可能性だって考えられる。ようやく私の為すべき行動に必要な指針は、命題のようなかたちで確実に提示されたのだから。

 荘厳なエントランスに続く道の左右に配置された花壇の七色が、華やかに狂い咲いて宵闇を彩っている。貴女という花と並ぶ資格を得た十六夜咲夜は、夜の王の理想に恥じぬ美しさを兼ね備えなければならない。
 ありとあらゆるすべての概念において、だ。未来の地図は右脳に仕舞って、幻想の花の水彩画は左脳に描き出す。貴女に相応しいと想うかたちを愛しさを込めて編んで、すてきだと喜んでいただけるとうれしい。
 あとはひたすらに理想論を磨きながらお嬢様の様子を窺って、私は"わたし"らしく虹色を差す花となって何度でも生まれ変わる。永遠に咲くことがないはずの息吹は、貴女のアンリアルな運命で狂ってしまった。
 恋のめまいやおかしな妄想を『正常』と見なすの。ひどい自惚れだってかまわない。はじまりの誓いで芽吹いた狂おしい想いをたいせつにしていれば、どんな私が咲き誇ってもお嬢様は絶対に愛してくださるわ。

 ――私の心の在り処は蒼い空の遥か彼方。お嬢様の心音を鮮やかに暴いて、ちいさなくちびるから言わせてみせる。
 なんの快楽も享受できない不感症だったはずなのに、ふと気がつけば純白の薔薇を焦がす恋の"とりこ"に堕ちていくなんて面白いわ。
 夜の王が願う空想の具現化は容易い。空っぽの心に残された唯の感情は愛しさ。ただ私は欲望の赴くまま貴女を愛して、とても純粋に規則正しく狂っていくの――



  ◆



 うすらぼんやりと灯るろうそくの炎が照らす室内で、お嬢様の夕食の支度を完全で瀟洒に手早く済ませた。
 残念ながら命令なので今日の献立は変えられないけれど、今晩のデザートからは私の好みでやらせてもらう。その前にどうしても気持ちの整理をつけておきたくて、紅魔館の隅っこの私室でひとつ呼吸を整えた。
 おだやかな日常のかけらなのに、なんだかんだと落ち着かない。夜の王に相応しい"わたし"を身を以って示すための方法が、なかなかに難しいと改めて気づかされた。"わたし"らしい私って、どんな感じかしら?
 そもそも自分を客観視なんて無理だ。お嬢様の言葉を信じるべきなの。たとえると……。今日は紅茶の淹れ方を褒めていただいた。あんなささやかな配慮や心遣いを、桜の花びらのように積み重ねていけばいい。

 そう言えば。美鈴の髪の毛をいじってたことを思い出す。さり気なく前髪をつまむと、いつの間にかだいぶ伸びてしまっていた。ちょっとイメージチェンジしてみるのも、すてきなアピールになるかもしれない。
 あくまでも従者は主を引き立たせるための黒子だ。真紅の薔薇をあやなす白いカーネーション――今までのスタンスを踏まえながら、目立ちすぎない程度に変えて、それとなく理想を暴露してもらえたら最高ね。
 ぱつんと切って微妙なんて言われたら取り返しがつかないから、おそらくお嬢様にお伺いを立てる方向が得策だろう。姿見を前に妄想してみる。今すぐ実行可能なおしゃれは、しれっとリボンで結ぶくらいかな。
 さすがにポニーテールやツインテールにすると何事かと思われそうなので、こめかみあたりの髪の毛で束を作って蒼いリボンで編んだ。アゲハ蝶のヘアピンで飾りつけると、自惚れだけど意外と可愛い気がした。


 ――束の間の慢心も瞬時に消え失せ、私は次の秒針が動く前に背面の状態でナイフを投擲していた。
 なぜか今回に限って『姿』が見えている。刃が相手の心臓に触れると、胸の部分だけが水面のように揺らめいて身体のなかを通り抜け、まっすぐ部屋の壁に突き刺さった。
 現状において物理的手段で干渉が不可能となれば、時間を止めて逃走する以外の手札は残されていない。目前の"怨霊"は害と直感は告げていた。浅ましい侮蔑の眼差しが、目の前の存在のすべてを物語っている。

 丁寧に織り込まれた燕尾服のような着衣を纏う男性は、まさしく私たちが外の世界で『ジェントルマン』と呼ぶ形容が相応しいのではないか。
 一般的な成人と比べても、ずいぶん身長が高い。ルネッサンスの肖像画を想起させる貴族風の容姿。実体を持たない半透明の佇まいは威風堂々。勇ましい端麗な面立ちは、高貴な貫禄を大胆不敵に誇示していた。
 黒ずんだひとみがたたえる蔑みの視線に加え、不自然な口角の上がり方の所為か表情がことさら異様に見えてしまう。しかしなにか妙だ。あの幽体から漂う高圧的な態度に反して、殺意が微塵も感じられない――


「前々から思っていたが、なにかと物騒なメイドだな。王の従者たるものと、紳士淑女に対して礼儀を弁えたまえ」
「……ひとをストーキングするような輩に言われたくない。バレる前に姿を現したのだったら、最後に名前くらい聞いてあげてもいいわ?」
「たかがメイド風情が知った口を聞くな。……まあ無理もないか。あんな腑抜けの主に仕えているのだから、まったく"しつけ"ができていないというわけだ」

 お嬢様を侮辱するな――つい口走った言葉は男の汚い嘲笑によって、物の見事にかき消されてしまう。たぶんまともな会話は無理だろうしさっさと逃げ出して、幽霊退治の専門家に任せる方がマシだと思った。
 なのになぜか、ぴくりとも身体が動かない。まるで金縛りみたいだ。ふと思い出す。お嬢様と初めて出会ったときの畏怖と気高き――足りていない。己が優美たらんと抱く矜持を、目の前の化け物は失っていた。
 もしも私の生死に関われば防衛本能が働くのかもしれないけれど、くだんの怨霊は殺意と異なるアンノウンな憎悪を発している。おぞましい寒気を必死にこらえて睨むと、いびつなかたちのくちびるが曲がった。

「くく。そう怯えなくともよい。そうだな、私は『ヴラド・ツェペシュの末裔』とでも名乗ればいいのかね?」
「あなたが、お嬢様のお父上であらせられるのならば、なおさら解せません。スカーレット家の当主であったお方の言動とは思えない」
「ふむ。なかなか飲み込みが早くてよろしい。不快な想いを強いた事実は素直に詫びよう。ただ私は忠告したくてな。レミリアは貴様が忠義を捧ぐに値しない下賤な雑種だ」

 怨霊は紳士的な態度で頭を垂れた。もろもろの仕草は貴族の礼儀作法に基づく洗練さを感じるものの、きっと今の行動に謝罪の意思は含まれなくて、すべて社交辞令的な体裁を取り繕うための演技でしかない。
 それにしても最悪なジョークだ。初対面の威圧感にデジャヴを覚えてしまい、血縁の可能性を否定できなかった。五感の勘違いだと思いたかった。冷たい嘲笑と蔑みの視線が、スカーレットの家名を穢している。

 そもそもあなたの言葉に耳を貸す義務や義理もないのに、どうしても最後の言葉だけは聞き捨てならなかった。自らの嫡子であろうお嬢様の存在の赤裸々な侮辱は、なんらかの因縁や遺恨を隠そうとしていない。
 怨霊となって紅魔館に留まるほどの、どろどろの血生臭い経緯が原因なのだろう。ひとの過去は、どうでもいい。心の奥底で荒れ狂う感情は苛立ちでしかなく、親愛なる夜の王を貶す暴言は絶対に許せなかった。

「大変に申しわけございませんが、あなたの戯言に付き合う器量を私は――」
「レミリアに騎士王や夜の王としての忠誠や信頼を抱くと絶望するぞ。あいつはとんでもない臆病者だ」
「……お嬢様を卑下する発言は止めていただけませんか。かくのごとき侮辱に等しい忠告が、いったいなんの意味を為すのでしょうか?」
「おまえの純粋な忠義が不憫でならない。故、哀れな子羊に救いを差し伸べているのだ。おろかな小娘は真紅の家訓の神聖な『聖書』に背き泥を塗った卑怯者で、崇高なる吸血鬼の誇り高き矜持を掲げられない」

 かの無機質残像は私の言葉を鼻先で笑いながら平然と遮って、我が娘を汚い文句で冷徹に罵り続けた。つらつらと並ぶ単語の把握を試みようとしても、あまりに抽象的すぎていまいちイメージが湧いてこない。
 まったくもって意味不明な禅問答だった。すでに思考回路は『考えるだけ無駄』と結論づけてしまっているのだから。まずスカーレットの名を冠した当主が、自ずと誉れ高い威光を冒す暴挙自体を恥じて欲しい。
 ある意味においてプライドを欠いている存在は、あなたではないのですか――嫌みの皮肉を投げかけたくなってしまうくらい、私にとって害悪でしかない忠告な気がした。単なるネガティヴな印象の押しつけね。

 もしくは十六夜咲夜の意思を問う試練なのかもしれない。そんな馬鹿馬鹿しい余興があってたまるものか。たとえ今までの世迷い事がすべて正しかったとしても、お嬢様に誓う絶対的な忠誠は決して揺らがない。
 要するに、だ。この悪霊は娘に対してなにかしらの恨みがあるせいで成仏できず、私を使って憂さ晴らしでもしようという魂胆かしら。たぶん不仲になれば万々歳で、多少なりとも夜の王のプライドに傷がつく。
 もっとも彼の蔑むような双眸の光に込められた趣旨は本物なのだろうけれど、私から言わせてもらえば哀れな子羊はあなたの方なのよ。じいっと奥歯を噛み殺していると、怨霊は呪詛の言葉を淡々と紡ぎ続けた。

「レミリアは幾多の戦場を真紅の薔薇で飾る白い騎士としては誉れだったが、その一方で王にあるまじき庶民のくだらない家族ごっこにうつつを抜かす、貴賎を持ち合わせぬ下劣な人間と同様のゴミクズにすぎん」

 ゆらゆら蜃気楼のごとく実体のはっきりしない紳士の口元が、ぐんにゃりおかしな形状にゆがむ。物理的干渉が可能ならば、すぐ刺し殺すのに……。ちょっと相手が楽しそうなので、なおさらそう思ってしまう。
 なんとなく怨霊の目的が分かってしまったせいか、とうとうと話すお嬢様の過去が思考の片隅に引っかかる。吸血鬼の幻想化が意味する事実は、現世からの消滅。つまり夜の王は、かつての歴史に実在していた。
 闇の『王』たらんと、騎士然と佇む彼女の面影がとても強くて、家族なんて言葉とは私と同じで無縁に等しい。どうも信憑性に乏しいので、だんだん苛々が募ってきた。私の愛しいひとは、凛と在り続けている。

 どんな歴史があろうと、なにも過去を愛する必要はない。ずっと"現在"のお嬢様を愛し続けていくしか選択肢は残されていなかった。繋いだてのひらが解けていくとき、それはきっと私の死が訪れる瞬間だから。
 つまらないお説教はお終い。十六夜咲夜に意味を与えられる存在はレミリア・スカーレットだけだ。ひとは理想の対象をかみさまや世界と呼ぶのかもしれないけれど、彼女の規定した運命は絶対に変えられない。
 たったひとりの夜の王によって、私のしあわせはもたらされる。まともな算数もできない少女『A』の自分探しって、なんの意味があったのかしら。お嬢様のぬくもりを思い返すと、かすかに生きた心地がするの。

「くは、くくく、はははははははははははははははは! そのくだらない幸福がどうなったと思う? あいつはすべてを自分でぶち壊したのだ。忠君を大義とする騎士の誇りを捨てた挙句、家族の命を奪って――」

 十六夜咲夜の抱える花束は黒い薔薇だ。
 あなたのような恥知らずは、もがき苦しんで死になさい。
 教訓とすべき矜持は示されない。くだらない低俗な思考回路は、蒼い花言葉で引きちぎってみせる。
 はじまりの教会で咲いた美しい薔薇に捧ぐ、揺らぎない忠誠を知らしめましょう。お嬢様の痛みは"わたし"の苦痛なのだから、偉大な栄光を穢す俗悪な存在に罰を与えなければならない。
 つまらないプライドにしがみついているおろかな幽鬼に、冷たい視線を送りながらくちびるだけで微笑んでみせた。たかが『メイド風情』の挑発的な行為が気に入らないのか、彼は心底不快そうに眉をひそめる。
 易いわ。あのひどく下衆な嘲笑を自分がやらかしてしまいそうで、心のなかでコトコト沸き立つ卑俗な嗜虐心を押し殺す。畏怖も失せて身体も動くから能力発動も可能。ただ今の私は逃げ出すつもりがなかった。
 怨霊の対処に武器は必要ない。まったく同じ方法を使えばよかった。侮蔑や中傷の言葉で十分だ。しかし同様の行為は等しく下賤と見なされ、夜の王の矜持を穢してしまう故――十六夜咲夜は『想い』を伝える。

 在りし日の快楽者の右目は蒼い空の彼方の未来を、左のひとみは真紅の薔薇を映し出す。擬似的な虹彩異色症に犯された双眸が取り込む世界の先で、永遠に紅い幼き月がやすらかな終末の微笑みをたたえている。
 いつまでも貴女のとなりで、凛と咲き誇っていたい。純白の薔薇に手向けたい言葉がしゃぼん玉のように浮かんでは消えていくなか、うたかたの白昼夢から貴女の崇高な誓いに『相応しい』言葉をつかみとった。
 なんか不思議な話だと思うわ。哀れな道化のおかげで"わたし"の想いが明確になっていくのだから。いつかの荘厳なパイプオルガンの音色を思い出しながら、くちびるの上に優雅なメロディーを乗せて解き放つ。




















「夜の王が導く運命の輪廻は、十六夜咲夜の未来を変えてみせた」

 満天の星空に伸ばす右腕。崩れ落ちた世界の宵闇を彩る運命を担う存在は私に他ならない。
 うずく心に添える左のてのひらから、たまらなく狂おしい想いがたゆたう。己の仕える主は誇り高く在り続けると、すべての感情を吐き出して白い薔薇に誓いを契った。

 だれよりも美しくあれ。
 完全で瀟洒たる従者であろう。
 真名に託された『夜』は無限の羽根を広げて守り続けますわ。
 想像を超える花と咲く。エデンを求め彷徨う私の幻想は終わらない。

「お嬢様の気高き矜持を汚らしい言葉で穢すな。彼女の侮辱は如何な理由があろうとも決して許されない。それは私がレミリア・スカーレットを心の底から愛している故に、だ」

 水を打ったような静寂が室内を包み込んでいく。
 時間の停止。無音の世界。天に響き渡る心焦がす想い。

 ふいに紅いひとみの『あなた』が微笑む。
 夜の王が夢見た運命は、神のプログラムを書き換える。

「――夜の王は幾億の時空を越え、今を待ち焦がれていた。おまえの突き刺した蒼い花が、心のなかで美しく咲き誇っている。さあ運命の"Anthem"を謳え。私の親愛なる十六夜咲夜が捧げた薔薇に星の祝福を!」

 凜と紡ぐ宣誓に呼応するようなソプラノと共に、紅蓮の焔を纏う槍戟が怨霊の心臓を貫いていた。
 そのまま矛先が持ち上がって、くちびるの中心から顔面を半分に切って捨てる。こえを失い霧散していく幻影の彼方に、見目麗しき純白の薔薇が咲き誇っていた。

 ――真紅の薔薇の誓う運命を、死さえ臆さず賛美せよ。
 はじまりのときと変わりませんね。お嬢様の告白は毎度、突然すぎて困ります。
 心の準備ができた矢先の甘美な言葉は、正直ものすごく恥ずかしくて仕方がありませんわ。

 ひとよりも誇れるなにかを持っているか?――はっきりと断言できます。お嬢様に捧ぐ愛おしさこそ、空っぽだった私の『すべて』だ。
 生の価値や存在証明の是非は勝手に決めてください。貴女の欲望でめちゃくちゃにして。甘ったるい痛みを感じるくらいの、サディスティックな想いを永遠に感じていたい。
 夜の王の寵愛を賜う従者で在り続ける努力を惜しまず、青空の花が咲く美しい世界を愉しんでいただくことが、十六夜に科せられた命題。ひんやりと冷たい脳内麻酔が効いて、透明な蒼い薔薇の花びらが綻ぶ――




















 青白く部屋を照らす怨霊はイメージを無くし、カンテラと紅い槍の長柄が煌々と光をたたえている。すぐ神槍の霊力も空気の粒子と混ざり合って消え失せ、まるで変わらない紅魔館の日常風景を取り戻していく。
 ずっと蒼い水槽に沈んでいた私の淡い想いに報うお嬢様の矜持が、美しいフィードバックノイズを残しながら反響を繰り返す。夜の王の寵愛を独占している"今"が愛おしくて、性感帯がおかしくなりそうだった。

 お嬢様は空っぽのてのひらを胸に当てて、どこかセンチメンタルな感傷に浸っている。あの大聖堂で心臓を突き刺したときの息吹が芽生え、きれいな蒼い花となって凛と咲く未来が叶うなんて信じられない。
 どうも焦れったくて、もどかしい沈黙が続く。私たちの、主と従者の関係――平行線上に延びていく距離感が、近く感じられるせいかもしれない。気まずい雰囲気に耐えかねて、ついくちびるを開いてしまった。

「……すべて、聴いていらっしゃったのですか?」
「うん。どちらにしても"あれ"は始末するつもりだったけどね」
「もっと正々堂々とお嬢様の従者たる振る舞いで、このココロに抱く想いをお伝えしたかった」
「咲夜は私の親愛なる『夜』に相応しき崇高な矜持と、揺るぎない凄絶な覚悟を凛々しく告げてくれた。それだけで十分すぎるほどうれしいよ。だって、さ。私も気持ちを伝えられずにいたんだから……」

 ふっとすてきな賛辞をほっぺたを赤らめながらささやくお嬢様の佇まいは、先ほどの威風堂々たる印象とは打って変わって、ささいな仕草を見せたり普段の言葉を紡ぐことさえためらっているように感じられた。
 とにかく落ち着かないらしく、所在無さげな様子が愛くるしい。おもいっきりふたりで壮大に惚気合ってしまったのだから無理もないけれど、なにせ相手がお嬢様となれば幸福と羞恥心で完全に混乱してしまう。
 きっと私の澄ましたフリの表情だって、真っ赤に染まっているのかもしれない。ふと美鈴の『すごく可愛らしいお方なんですよ』なんて台詞が脳裏をかすめて、知らず知らずに緩みそうな緊張の糸を必死で保つ。

 お嬢様に相応しいと"わたしが"考える完全で瀟洒な給仕で、淡く愛おしい想いをほんの少しずつ焦らずに伝えていこうと決意を固めた。その矢先の出来事は予想外すぎて、まったくもって途惑いを隠しきれない。
 いきなりすべて告ってしまい、挙句に最高の返事をいただいた。永遠の片想い。ゆらゆらと白昼夢に堕ちていく――甘ったるい妄想快楽中毒の弊害か、純白の薔薇の宣誓は御伽噺のラストシーンを彷彿とさせる。
 端的に言えば、告白の成就の先を考えていなかった。これからお嬢様と歩む未来予想図は想像するだけでしあわせなのに、まっさらな心で『あいしてる』とやわらかく告げられず、なぜかとってもせつなかった。

「ずっと私は……。はじまりのときからの……。想いを、隠し続けていました。ゆめゆめ咲夜めの在り方を咎めなかった、お嬢様に御辛労を――」
「いつか必ず今日という瞬間が訪れると信じていたからだいじょうぶ。ものすごく私は満たされたよ。ずっと咲夜は想像を超える花で在り続けようとしてくれている」
 夜の王の想像を夢と変えていますか?――驕りを思わず聞き返そうとして、喉奥で言葉の束がつっかえた。
 小指に結ぶ運命の紅い糸を伝う感情は確か。報われないはずの片想いを抱きしめる貴女が愛しくて、ゆっくりと眠りに落ちるような恍惚の快楽を覚えた。
「そうであれば至高の光栄なのですが、このようなかたちで想いが伝えられるとは思ってもみませんでしたわ」
「もちろん私も、さっきの"あれ"が咲夜に告げ口なんて考えてもみなかった。そもそも霊的な存在に物理的干渉を行うための手段は限られている。私の得物もそのなかのひとつだけどさ」
「お嬢様は、父上様の怨霊の存在を、だいぶ以前より知っていらっしゃる上で放置していたのかと。しかし私に限って執拗に付きまとう動機は、おそらく恨み以外の理由は感じられませんでしたが……」
「すぐに具現化していれば、うざくてたまらないしさっさと殺していたよ。それにしても、さ。矜持を捨てた"あれ"の戯言を散々と聞いておきながら、咲夜は私の過去や真偽の在処を問い詰めたりしないのか?」
 先ほどの言質の是非について投げかけたら、間違いなくお嬢様は洗いざらいすべて答えてくださる。
 空言やまやかしのない生々しい過去。夜の王として君臨する五百年近い生において、悲壮な出来事は当然のごとく百花繚乱だろう。
 わざわざ古い傷痕から苦痛をえぐり出すような最低な趣味嗜好を、残念ながら私は持ち合わせていない。十六夜に咲く漆黒の薔薇のいのちは、レミリア・スカーレットの生を賛美するために与えられたのだから。
「ひどい愚問ですわ。私の理想を捧ぐお嬢様が愛しいのならば、もろもろの過去だって平等に愛するべきと考えます」
「なるほど。たとえば、だ。ある少女を連れ去った過去の罪悪感を拭い去れず、在りし日の悔恨を引きずって生きていても、なにも言わず咲夜は赦してくれるの?」
「はい。どんなに後悔を繰り返そうと、私は貴女の歴史を正義だと受け取ります。だいたい冗談が過ぎますわ。まずお嬢様は過去の選択を『過ち』だと後悔するような暗君ではありません」
 たぶんきっと私の答えなんて、とっくのとうに分かりきっていたのかもしれない。
 くすくすと笑いながら、そっとお嬢様が近づいてくる。ふいに差し出されたちいさなてのひらに手を添えて、うやうやしくかしずくとつぶらなひとみと視線が合う。
 うっすら宵闇の差す室内で、真紅の双眸が投影する蒼は端然と美しい。貴女のココロに咲く紺碧の花は、かつて絶えず憧れていた空色幻想――いつかの少女『A』は、まだ死んでいない。
「なんとも傲慢だ。それは『暴君』が正しい言い方だろう。そんな私を咲夜は愛してくれるの?」
「無論、言うまでもありません。かみさまを殺すことさえ厭わず、お嬢様の行為を正義としてみせましょう」
「そうやって私だけを見てくれる咲夜はすてきだ。でも、ね。遠慮はやめて欲しい。あんな誇り高い矜持を以って伝えたい想いを抱えながら、どうしてすぐに教えてくれなかった?」
「……怖かった。のかもしれません。あるいは主と従者としての関係性における葛藤か。今となっては杞憂と思えますが、お嬢様に捨てられたら私の存在意義は皆無。当然ながら永遠と変わらない事実です」
「いつかの大聖堂の会話を覚えているか。民草の意をよく分かっておいでだ、と。だけど私だってすべてが『視える』わけじゃない。結果あいまいな想いしか伝えられなくて、ずいぶんと咲夜を悩ませてしまった」
「違いますわ。お嬢様は待ち焦がれてくださった。ふがいない私を大事に想うからこそ、はじまりの宣誓が織り成す意味に気づくまでやさしく――貴女の『夜』を預かるものとして、これ以上の幸福はありません」
 なんの迷いもなく凛然と紡ぐコトノハを聞くと、蒼いひとみが映し出す夜の王は八重歯をむき出して満足そうに微笑んだ。
 重ねたてのひらの先からたゆたうぬくもりがふわんとあたたかくて、ゆらゆらと星空の水槽に堕ちていくような心地良さを覚える。
 私たちの出会いは『運命』に導かれていた。絡み合う"さだめ"は絶対者たるお嬢様の望み。今も吐き出せない魔法の言葉は、長らく貴女も言えず心を痛めて、ひどいときは泣いたりもしたのかしら。
 くらくらと恋のめまいがするのでしたら、私に相談してくださってもよかったのに――結局のところ交錯する想いはボタンの掛け違いで、ふたりともどうしても『あいしてる』を告げられずに引きずっていた。
「……なにもかもお見通し、か。つくづく私はツイているな。ようやく私に相応しい従者たりえる存在が現れてくれた」
「お褒めに預かり光栄ですが、まだまだ私は未熟者ですわ。お嬢様に想像を超える花を手向けるまで、どうか今しばらくお待ちくださいませ」
「あくまでも今日は『はじまり』にすぎない。あえて苦言を呈すと、咲夜の部屋のおもむきからおかしいんだ。夜の王の従者たるものに、こんな質素な暮らしをして欲しくない」
「普段だれも部屋に入れたりしないので、お嬢様のきらびやかな日常が担保されていたらよいかと思うのですが、おっしゃっていることは理解できなくもありません。私も素直に『おしゃれ』を嗜みたいですわ」
「うん。よく分かってくれてる。咲夜は私のためのカーネーションであろうとする必要なんてないのさ。鮮やかな蒼い薔薇と咲き誇ってくれたら、ふたり並んで歩くときになおさら映えるからすごくうれしいよ?」
 心の底で渦巻く本懐を隠さないお嬢様の笑顔と美しい音色の端々に、今まで感じてきた雰囲気と違う純真無垢なあどけなさが垣間見える。
 ようやく私の知らない貴女の可愛らしい姿を見せてくれた。万事を把握していないと気が済まなかったのです。おかげさまで今のやりとりを以って、私の方向性は間違っていないと認識できた。
 夜の王は己と同等の矜持を求めている。私と並んで優雅な従者たれ――思想や倫理観の類は当然のこと、凛然な佇まいや服飾関連の美意識まで、すべて彼女に恥じぬ確固たる自己を持たなければならない。
 寛大なお嬢様は"想像を超える花"と咲くためのメイドの在り方を定めなかった。なにもかも一切を委ね、自分に相応しいかたちの完全で瀟洒な給仕をこなすだろうと、元より絶大な信頼を寄せてくださっている。

 黒い水槽に灯る紅い月光が差し込んで、私たちの姿を鮮やかに暴き出す。
 いつまでも近くて遠く感じていたお嬢様が、ふんわりとやわらかく微笑みかけてくださる。
 妄想と現実が入り混じるエクスタシー。狂おしい運命のカタルシスが、心をめちゃくちゃに犯していく。
 主と従者である"現在"がもどかしかった。体裁を取り繕うための従者たるペルソナが邪魔でしかない。心の在処を分かってくださるのでしたら、今すぐに私から好き勝手に快楽を貪って可愛がってください。
 そんな浅ましい情欲を抱く私でさえ、貴女は愛おしいと言ってくれるのかしら。貴女が欲しい。愛されたいの。愛して、ください……。うずく心を押さえ込んで願っていたら、わずかな衣擦れの音が耳朶に響く。
 そっと上目遣いで見やると、お嬢様が髪の毛をすいてくれた。繊細な指先が微風のように表面をなぞって、先ほど編んだ部分の蒼いリボンに触れる。ふと気づく。熱っぽい呼吸が、ふんわりチークを撫でていた。

「おじょう、さま?」
「……よく似合ってる。私の心に咲いた蒼い花みたい」
「あ、その、わたし、は……。お、お気に召していただけたのであれば、うれしいかぎりですわ」
 
 給仕のために私からお嬢様の身体に触れる機会は多いけれど、よく考えてみると言葉以外の所作で褒めてもらうことが始めてだったせいか、どうしたらよいのか分からないまま立ち尽くし呆然としてしまう。
 さらさらと銀色の糸を手繰る指先から伝うせつなさだけで理性は麻痺寸前。快楽でおかしくなった様子は花が朽ちていくようで……。倒錯的な恋慕が荒れ狂う脳内を、あの日に死んだ少女『A』は楽しんでいる。
 すべてを見透かした紅いひとみの女の子が、とても艶やかな感情を含みながら笑う。貴女の与えてくださる想いで、私という花は咲いています。ゆらり解れたリボン。舞い踊る銀髪。純白の薔薇が運命を契った。

「さくや。あいしてる」

 凛と宣誓を紡ぐ真紅のくちびるが、はらり蒼い花びらと重なり合った。
 甘ったるい口当たり。かぐわしいスカーレットのほのか。ゆらゆらとろけていくぬくもり――私を"とりこ"にする隷従のキスはたまらなく心地良くて、ふしだらな性欲を覆い隠す瀟洒たる信念を堕落させた。
 -273.15度のエーテル麻酔が快楽中枢以外の五感を完全に奪う。次の瞬間には腕を回されて、ぎゅうと抱きしめられた。エメラルドブルーのショートカットがなびき、ローズマリーのシャンプーの薫がたゆたう。
 くるんとカールしたまつ毛の下に潜む紅蓮のひとみはまどろんで、うつらうつらと夢の世界を想い描きながら色を失っていく。夜の王が想いを馳せる幻想を見届けたくて、蒼の花と咲く快楽者はまぶたを閉じた。

 お嬢様のなまめかしい吐息が口端から漏れて、身体中が妖しい火照りを帯び始める。しっとりうるんだ口先でねちっこくあちこちを舐めしゃぶられて、唾液と絡み合うつぼみがみずみずしい桜の色香を取り戻す。
 あの優美な微笑みのときに覗く八重歯を、わざと自分のくちびるに食い込ませた。やさしく気遣って引っ込める仕草をねじ伏せるように制し、にじみ出す鮮血を捧ぐと、親愛なるひとの舌が震えながらうごめく。
 ざらついて痛みを感じている方が、愛されて生きている心地がしてすてき。お嬢様も快楽で歯止めが利かなくなったのか、私の血を求めて歯先を喰い込ませてくる。光栄ですわ。飢えていらっしゃったのですね。
 貴女は後悔するのかもしれませんが、裏側なら支障ないと思われます。あは、私も、感じて、るぅ、めちゃくちゃに、犯して……。いびつでゆがんだかたちのキスだって、悦んで受け止めさせていただきますわ。

 ――そっと見開いた蒼をたたえる誇大妄想狂のにぶいひとみは、くちびると血糊を無心で貪り尽くすお嬢様を慈しむ眼差しで見つめていた。
 気を失うくらい快楽に溺れて沈む行為がしたいの。深い眠りのなかで微笑む架空の永遠に紅い幼き月とxxxに耽る妄想中毒の絵空事は終焉を迎えた。貴女と私は結ばれる運命しか残されていないわ。
 もうひとりじゃ生きていけないって、ひどく心がわめき散らすほど分かりきってしまった。口先でとろけてあいまいになっている境界線上から消えてなくなりたい。美しい破滅的な恋を選んだ本人は少女『A』だ。

 それなのにお嬢様はキスをやめようとするので、なりふりかまわずにいやらしく浅ましい愉悦を求めた。今日の私は色々とありすぎて、本格的に頭がおかしくなってしまったみたい。
 まったくもって下がる気配のない恋の微熱。お嬢様と交わすキスの快楽。ちいさなてのひらから伝うぬくもり。ぜんぶ私のものだ。夜の王の寵愛は私のものだと、紅いくちびるに刻まれた傷痕が証明してくれる。
 完全で瀟洒な従者の成れの果てさえ、貴女は愛してくれるのかしら。みだらな使い捨てラヴドール扱いでもかまわない。お嬢様が与えてくださる感情のもろもろを、至高のエクスタシーに変えて蒼く咲き誇る――



  ◆



 今日は早朝から真っ黒な雲が世界を覆い尽くし、湖畔を文目も分からない真夜中のような宵闇に染めている。ざあざあとさんざめく雨の強さは衰えず、絶え間なく屋根を叩くしずくの音が室内に反響を繰り返す。
 美鈴が寒そうに身体を震わせて、あれこれとぼやく様子が浮かぶ。こんな空模様だとしばらく降り止まないと思い立ち、差し入れ用に胡麻餡子たっぷりの白玉団子を作りながら、ほのかな甘みの白牡丹を淹れる。
 ふとりんりんりんりんと音色が鳴り響く。パチュリー様が作った魔笛の旋律は、主と私しか聴き取れない。お菓子を作り終えて妖精メイドに美鈴宛てのお使いを頼み、最上階中央に構えるお嬢様の部屋に向かう。

 あの日からの私たちの関係は、緩やかだけど確実に変わった。それとなく客観的に考えると少なくとも自分は心構えの変化が影響を及ぼして、ささいなアクセントを取り入れておしゃれに気を使うようになった。
 お嬢様の好み的な問題で却下のケースが希に起こるものの、やっぱり喜んでいただけるとうれしくてたまらない。給仕全般に関しても独断で行う瑣末が多くなって、メイクや料理全般は断然と好感触を得ている。
 相変わらず親愛なる夜の王は文句を言わなかった。さらりと『ありがとう』の言葉さえ恥ずかしくて告げられないのだと分かってしまうと、どうしようもなく愛くるしくて無理矢理に問いただしたくなってくる。
 そのくせやたらとかまってもらいたいらしく、今日みたいに給仕をあらかた終えた後だって、あやふやな感じの呼び出しが増えて――ふたりで過ごす時間がとてもすてきな、かけがえのない記憶に変わっていく。

「お嬢様。お呼びでしょうか?」
「……紅茶のお代わりとベイクウェル・プディング。食べたいの」
「ちょうどパチュリー様の召し上がるフルーツタルトや、美鈴の大好きな中華風の菓子も用意できますが、プディングでよろしいのですか?」
「うん。だってぜんぶ、私のために作ってくれたものじゃない。咲夜が想いを込めて用意してくれるスイーツがいいの。と、とにかくさ、とりあえずお願い!」

 かしこまりました。丁重な所作を以って頭を垂れてから、密かに時間の流れを止めた。
 それにしても可愛らしいですわ。亡き父上の怨霊を宣誓と共に切り伏し、たまらなく狂おしいキスを交わして以来のお嬢様は、私に対する想いを隠そうとしなくなった。
 正確に言うならば『隠せなくなってしまった』らしく、壮大なお惚気をやらかしてしまった場合なんか、真っ白なほっぺたをほのかな紅に染めてうなだれるあたりが、なんともしあわせでついつい笑ってしまう。
 ふたりっきりのときは、私たちは恋人みたいだった。逆に私がしれっと恥ずかしい台詞をささやくと、なにか言葉を返そうと頑張ろうとしてもできなくて、挙句そっぽを向きながら甘い言葉を投げかけてくれる。

 キッチンでパイ生地にクランベリーを塗っている途中、先ほどのお嬢様のすてきな表情を思い出して、ふとそこはかとない勘が働く――なにか違和感を覚えた。どうも普段と様子が異なるような気がしてしまう。
 もちろんご機嫌斜めな雰囲気でもなくて、無理矢理に追い出された感じかしら。そう言えば今日は起床時間前から机でなにかしようとしていて、いざ部屋に入るとぱたぱた慌てたり、なんだか色々と怪しかった。
 照れ隠しモードで挙動不審な程度であればだいじょうぶなのだけど、あれこれと考えてみても引っ掛かりそうな出来事は見当たらない。とりあえずプディングを上手に作って、さり気なくお伺いを立ててみよう。
 お皿に焼き上がったまあるいお菓子を置き、クロテッドクリームとラズベリーを添えて完成。なかなかの出来栄えだと思う。そのまま部屋に戻って能力を解除すると、なぜか落ち着かない様子で夜の王は頷いた。

「お待たせ致しました。ほんのわずかですが、ナッツの匂いが強いかもしれません」
 一応の対策としてブルーベリーのソースをジグザグに引いてみたのだけど、ちょっと最近は料理に凝りすぎて本来の味覚的な要素を損ねているかもしれない。
 そっとナイフを持つ指先に視線を向けた。優雅な仕草でパイ生地を切り分けて口元に運ぶ。すてきな笑顔がふわっと咲いて安心したけれど、賞賛の栄誉は予想外の言葉で途惑ってしまう。
「……咲夜。ちょっとそばにきておくれ」
 すぐおとなりにいるのですが。つと言いかけて、やめてしまった。
 まさかの失敗ではないとすれば、さっきからのずっとあいまいな態度が原因だろうか。
 ゆっくりお嬢様に近づくと、さらさらと髪をすいてくださった。お戯れでしたら。目の前で跪くような格好で視線を合わせると、ものすごく気恥ずかしそうにひとみがくるくるまわる。
 さすがに真意が分からないので、されるがままに可愛がっていただく。ささやかなアクセント程度に結んだ蒼いリボンに気づいた主が、椛の紅葉のように顔を赤らめながら小さく耳元でささやく。
「え、ええと、ちょっと、お願いがある、の」
「分かっていますわ。どうぞおっしゃってみてください」
「……あの、少し前に妖精メイドから聞いた『王様ゲーム』をしてみたいんだ」
 くすっと笑ってしまいそうな突拍子もない提案。まったくもって意味不明だった。
 きっとお嬢様ご本人も承知の上なのだろう、めずらしくがさつな動作でプディングを頬張る。
 おそらく最大限の譲歩を以って申し出た台詞。ただし目的や理由は言えない。可愛い貴女"らしい"惚気だと思いますわ?
「お嬢様は夜の王であらせられるのですから、そのような余興でなくとも命令してくだされば仰せのままに」
「それだとアンフェアだよ。あくまでも私と咲夜が対等な条件で成立させないと面白くない。ルールで『王様』になれば、絶対に逆らえないみたいだしね」
 なるほど。やっと合点が行った。お嬢様はある望みを持っていらっしゃるのだけど、とにかく恥ずかしいために恣意的なかたちを避けながら命令させたい。
 当然ながら体裁を保つ意味合いも含んでいる。お嬢様と私は、主と従者だ。さらにいっそうの狂い咲く恋慕で繋がっている事実は、ふたりだけの秘密にしておかなければならなかった。
 いずれは公に証されるとしても、だ。現状はキスやハグすらお預け状態。やるせなかった。もどかしかった。こちらが求められない立場と知っていらっしゃるのだから、なおのことせつなくなってしまう。
 たぶんキッチュなゲームの茶番劇は、お互いの気持ちを満たすための建前的なもの。もっと踏み込んで言えば、お嬢様の究極的な照れ隠し。どんな睦言紛いを突きつけられるのか、本当に楽しみで仕方なかった。
「かしこまりました。なんのゲームで決めましょうか」
「うーん、どうしよう。ふたりなんだしコイントスなんてどうかな?」
「お嬢様が運命を操って決めてしまうかもしれませんから、およそ対等と考えられませんわ」
「イカサマを言い始めたら、咲夜だって得意の手品や能力でごまかそうとしたらアウト。……だいたい対等な条件って、私たちの間にあるのかな?」
「第三者を介入させるわけにもいきませんし、なかなかどうして思いつかないですわ。運の絡む要素がだめとなれば『50:50』の要素は揺らいでしまいます」
 ちょっとがっかりな様子で、お嬢様は黙りこくってしまった。
 そもそも。こんな瑣事を話し合ってる時間が非常に無駄だと思う。
 私のココロのなかで華やぐ愉悦の"かたち"と、お嬢様の願望は必ずイコールで結ばれる。
 そうなればいっそのこと、ふたり分を叶えてしまおう。つくづく分かりやすい『win:win』な関係だ。
「お嬢様は望みを抱えている。という認識でよろしいのですよね?」
「……うん。分かってると思うけれど、私だってこの上なく恥ずかしいんだからな!」
「ええ、承知しておりますわ。それでしたらもう覚悟を決め、双方の想いを遂げてしまえば解決します」
「要するに、さ。私も出す。咲夜も出す。ふたつとも達成してしまうと趣旨はともあれ対等……。ものすごく単純な理屈だよね?」
「ご名答です。もしかしたらお嬢様の祈りを叶えられない可能性も否定できませんが、私の願いに限って言いますと絶対ありえませんわ」
「こちらも心配ならば杞憂だ。むしろ私は、えと、咲夜の願いがどんな内容かなって考えると、こう、なんだろ、気になって、なんかとってもやきもきする……」
 かような甘い戯れもすてきです。どんな"希望"かなんとなく想像がつくから、ふんわりやさしい気持ちに包まれた。
 お嬢様の凛と在り続ける姿を狂信的に慕う一方で、普段そうそう見せてくださらない可愛らしい素顔に思わず惹かれてしまう。
 すべては私に手向けられた想い。浅ましい独占欲に毒されているのかもしれない。ひどい自惚れだと、心のなかの"わたしが"くすくす嘲笑う。
「決定ですね。まず主たるお嬢様からお聞かせ願えますか?」
「そ、そんな、私からなんてやだ! 咲夜が決まっているんだったらそっちから!」
「左様でしたら僭越ですが、先に告らせていただきますね。ずっと私が望んで止まない――」
「いや、ちょっと、なんか恥ずかしいからやめやめ! だってしれっと咲夜が惚気そうな気がするんだもん!」
 慌てて否定を繰り返す夜の王を見やると、あわふたとあちらこちらに目を逸らす。
 こんな調子が続くといつまで経っても終わりませんわ。かく過ごすしあわせな時間を永遠にしたいと思うあたり、やっぱり私もどうかしてるのかしら。
 ひとり微笑んで、淡い想いを噛みしめる。すぐそばのアンティークの机からお嬢様愛用の羽ペンとインク、書簡用の羊皮紙を取り出してテーブルの上に乗せた。
「あらかじめ書き記しておいて、ふたりで同時に見たら対等ですわ?」
「そ、そうだけどさ。なんかラヴレターみたいだから、その……。ああもう、わかったよ! 途中で能力使ったりしたらお仕置き!」
 どうやらなんとか納得していただけたようで、なるべく離れのバルコニーの方へ移動しながら様子を窺うと、お嬢様は『ああでもないこうでもない』という感じで思案に耽っている。
 とんとんと羽ペンの先を叩いたり、紺碧の髪の毛を弄くり始めたかと思えば、ぶんぶんと頭を振ってまた沈思黙考。親愛なるひとが落ち着かない理由は明白で、すでに書き留める行為から恥ずかしいらしい。
 当たり前ですが、ふたりとも同条件ですわ。使い慣れた万年筆で、さらさらと文字を書き綴る。先ほどの恋文のたとえを思い起こすとやけにうれしくて、折り畳んだ用紙を髪を結ぶ蒼いリボンで飾りつけておく。

 ――かたん。かたん。かたん。かたん。かたん。かたん。かたん。かたん。
 永遠を刻む柱時計のあたたかい音と、豪雨のビートを聴きながら待ちぼうけの数分は至福のひととき。ぼんやり黒い湖畔を覗き込んでいると、ようやくお嬢様が「できた」とこえを掛けてくださった。
 ちゃんと完成しているのでしたら、わざわざ後ろに隠さなくてもよろしいのではありませんか?――さり気なく訊ねようとくちびるを開きかけたら、親愛なるひとの端整な横顔がひとみの真紅に染まっていく。
 純白の頬に咲くアネモネは、しばらく枯れないみたい。蒼い花を添えた手紙を差し出すと、おずおずとお嬢様も手渡してくれる。私の髪はリボンの色合いが難しいの。なんてぼやきながら、夜の王は封を切った。

 >Kiss me.
 紅い悪魔は一瞬ぽかんとあっけにとられ、こえにならない音色でなにかをつぶやいてから、ひどく取り乱している自分に気づきながらも動揺をあらわに、なぜか責めるようなきまりの悪い視線を送り返してきた。
 私は無言のすまし顔で「そのとおりですわ」と答える。"lovin' you"だと遠い気がして、ありのままの欲望をしたためた。せっかく私から甘えられるのですから、これくらいを望んでも許してくださるでしょう?
 貴女が託す"夜"を穢す背徳。貴女の心で咲き誇る蒼い花を散らす冒涜。めちゃくちゃにしてくれるのなら、なんでもかまわなかった。貴女が愉悦として犯す行為であれば、いくらでも快楽に変えてしまえるから。
 完全で瀟洒な従者の心の在処は黒。セピアは貴女の定める運命が規定した。すべてを曝け出さなくとも、分かってくださると信じておりますわ。お嬢様の愛くるしい表情を横目に、つと賜った手紙を丁重に開く。

 >xxx xxxxxxxxxxxxxxxxx xxxxxxxxxxxxxxx xxxxxx ...xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx.
 >ふたりでの外出ができなくて心苦しい。咲夜と甘いひとときを楽しみたい。……もしよかったら、私の故郷までデートに付き合ってくれないかな?
 正教会スラヴ語で記された流麗な筆記体の文章に、まあるいひらがなが振ってあるすてきなラヴレター。ちらりとお嬢様を見やると先の言葉のせいか、とかく余計に恥ずかしいらしくぷいっとうつむいてしまう。
 ならばわざわざ煩雑なまわりくどい方法を選ばなくとも、喜んでお供いたしますのに……。たぶんずっと言いたくても伝えられず、貴女なりの葛藤がだいぶあったのでしょうから、私だってたまらなくうれしい。
 ふたりきりで外出する機会と言えば、湖畔付近を適当に散策する程度だった。いつか外の世界で常識と捉えていたようなデートを、夜の王にエスコートしていただけるなんて、どうしてもにわかに信じられない。
 ふと意識を戻すと反応が気になるのか、お嬢様が不安そうな表情でこちらを見ていた。コバルトブルーのスクリーンの隅っこで佇む物語の主人公に向けて、銀髪の秒針ソーサーの仮面を剥いだ微笑みを手向ける。

「光栄の至りですわ。私で宜しければ悦んでご同伴させていただきたく存じます」
「……いちいちかしこまらなくてもいい。あ、あのさ、だって、なんか適当にでっちあげないと、なかなか言える気がしなくて、ね?」
「お嬢様が『十六夜咲夜』としての私を、どうしようもないくらいたまらなく愛してくださる。すてきな気持ちを素直に告げてくださったのですから、かの寵愛に勝るしあわせは他にありませんわ」

 やっと覚悟を決めたのか、はたまた安心のせいか、凛と運命を見据える真紅の双眸が光り輝く。おとなしく席に戻ってプディングを突っつく様子は満足そうで、たったそれだけでも私はしあわせだと断言できる。
 うそ。うそつき。心のなかの"わたし"は知っていた。貴女の給仕をこなす悦びのみで満足できる慎ましい人間じゃない。貴女の想いを独り占めしたい。貴女のすべてが欲しい。十六夜咲夜は無様で強欲な存在だ。
 お嬢様を愛しすぎておかしくなった中枢神経は自意識過剰。倒錯的な情欲で濡らす恍惚感で完全に酔いしれている。こんな私の本性を知られたら軽蔑されるのだろうか。相応しくないと捨てられてしまうのかしら。

「そもそも、咲夜が日常的に惚気てくれたら、おもいっきり甘やかしてやるさ。なのにツンとすまして気取ってるからいけないんだよ」
「先日の告白を賜って以降の咲夜は、なんの遠慮もしておりませんわ? むしろ好き勝手にやらせていただいております故、お嬢様に仕える甘いひとときが楽しくて仕方ありません」
「知っているよ。とてもきれいになったもの。そして今も華やかな私の愛する咲夜になっていく。ほんとに、すてきな恋で、ええと、その……。恥ずかしいじゃないか! 別の意味で屈辱を与えたいのか!?」

 さすがに曲解しすぎかと――適当な言の葉で遮る合間も与えずに甘い戯言を延々と並べ出すお嬢様も可愛らしい。恋の方法論など私もさっぱり分かりませんし、心配なさらなくてもだいじょうぶだと思いますわ。
 主従関係を維持しながらとなるとなにかと制約が発生してしまいますが、それよりも私たちは単純にお惚気がへたくそなのでしょうね。貴女もどうしたらいいのか分からず、なにかと手探り状態みたいですから。
 ゆっくりと暗闇のなかに堕ちていく関係も悪くありませんわ。お互いを愛する"かたち"を見失ってしまったら、少なくとも時計仕掛けのいのちは終わってしまう。お嬢様と"わたし"は、ひとつになるしかないの。

 とりあえず予定を決めましょうなんて話を振ってみたら、すべて私が決めてあると自信満々に言われてしまった。かなり照れ隠しが入ってるあたりのご愛嬌はさておき、どうも前々からプランは用意済みらしい。
 翌日深夜二時にバルコニーの『スキマ』から外の世界に出る。そのときまでに私の身支度も合わせてよろしくお願い――今日のなにかと落ち着かない様子は、まさかの拒否のケースを考えていたのかもしれない。
 ちょっといきなりすぎて、心の準備も含め慌ただしかった。お嬢様のコーディネートは私好みのエレガントな衣装をチョイスできるけど、自分は外向けの洋服を最低限しか持っていないので思わず悩んでしまう。
 まさかのデートに誘っていただくという事態が、ほんとにうれしくもあり予想外の誤算だった。たまに図書館に訪れる人形遣いの魔法使いに依頼しておけば、お揃いの衣装できらびやかなランデブーが楽しめた!

 ――お嬢様。今宵の逢瀬を楽しみにしております。あらためてうやうやしく礼をすると、夜の王は屈託のない笑顔で「私もだよ」とおっしゃった。
 懐中時計の時間を止めて、静かにアトリエを後にする。どうしようもない心の昂ぶりを押し殺す。あれこれと準備しなければならないことが多いけれど、永遠に続く恋物語に輝かしい傷痕を残しておきたかった。
 等間隔に並ぶ雨露まみれの硝子窓に、はじまりの教会から憧れてやまない未来地図を描く。淡く儚き夢に貴女の足音が鳴る。蒼いひとみが映し出す紺碧の花の群れと、燦然たる緋色の薔薇が織り成すGuilty kiss...

 うたかたのいのちを、世界を捧げたいとさえ想ってしまう私を、いつまでも愛してくれますか?――黒い浴槽に沈み込んでいく"わたし"が枯れなければ、今は暗雲の向こうに隠れている太陽もやってこない。
 姿見のなかの私は醜悪とも思える笑みを浮かべていた。めちゃくちゃにされて悦ぶ『夜』を結ぶくちびるがうずいて震えがとまらない。貴女が与えてくださるエクスタシーで少女『A』は完全に壊れてしまいました。
 紅い月に暴かれる破滅的な恋の美学。必ず分かっていただけると信じていますわ。完全で瀟洒な従者の本性は上辺なのよ。めちゃくちゃにして欲しいなんて願う時点で、十六夜咲夜の存在は破綻しているのだから――



  ◆



 お嬢様の給仕で身だしなみを装うときは、なるべく能力を使わないようにしている。
 明白な理由は単純に仕上がりの好みを訊くためだけど、今日は身体のお清めからドレスの選択やメイクまで気合を入れて行った。
 自分の服装は時間を止めて色々と悩んでみてもいまさら為す術もなくて、ほとんど目立たない化粧と、おとなしいシックな黒のワンピース。むしろ控えめ気味な方がすてき。となんとか自分を言いくるめる。
 そう言えば従者として働き始めて以来、夜の王不在時の紅魔館の対応方法を知らなくてどうしようか訊ねてみたら、すべて美鈴に任せてだいじょうぶだから予定を内密に伝えておくようにとの答えが返ってきた。
 あらかじめ差し入れのお弁当に『例の八雲の余興の同伴で、今日はお嬢様と席を外します』と便箋を添えて妖精メイドに託しておく。あらゆる準備を終えるころには、ざあざあとざわめく雨音は消え失せていた。

 どきどきときめく心をぎゅっと押し殺す。私たちが支度のためにぱたぱたと慌ただしい合間に用意されたのだろうか。バルコニーのスペースに宵闇を切り裂く空間が、ぽっかり口を開けて夜霧を吸い込んでいる。
 お嬢様はためらいもなく、ひょいと割れ目に飛び込んでしまう。臆せず続いて体を投げ捨てた。黒い水槽に沈む感覚は、あの飛び降り自殺を思い出す。そんな無重力の墜落も終わり、ふわんと地面に足が付いた。
 蒼いひとみが映す景色は、異国情緒の豊かな家々が並ぶ街角の狭い路地裏。すえた臭いと生活臭が鼻孔をかすめ、やんやと人々の喧騒が遠くから聞こえてくる。まるで御伽噺の不思議な世界に迷い込んだみたい。
 つい在りし日の親愛なるひとの面影に想いを馳せていたら――先に待ち構える純白のゴシックドレスを纏う夜の王は、不意に目の前で跪きてのひらを取ると、淀みない流麗な仕草を以って手の甲にキスを落とす。

「――<永遠に紅い幼き月>レミリア・スカーレット。今宵は十六夜咲夜に忠誠を誓う騎士として、貴女をお護りできる栄誉を穢さぬようすべてを尽くす所存だ」
「お、お嬢様、私は……。貴女の寵愛を受ける従者と在り続けられるのならば、それ以上のしあわせはありませんわ。しかし夜の王たる貴女ともあろうお方が、なぜこのような真似をなさるのですか?」
「よもや騎士王の真名を預かる私が示す矜持の否定か?――最愛のひとのエスコートは、ナイトの果たす勤め。こちらは最低限の礼儀を弁えているにすぎないのだけど、なにかお気に召さなかったのかしら?」

 主の言葉に込められた名状しがたい気位に、心の奥底は知らず戦慄と敬服の感情を想う。うやうやしくかしずくお嬢様は、夜の王の畏怖を為す圧倒的な威光と、誇り高い騎士王の絢爛な佇まいを兼ね備えている。
 悠遠の戦場に赴く貴女については知りえないものの、凛と掲げた純白の薔薇の宣誓は見惚れてしまうほど美しい。今の貴女のような瀟洒な従者たれば私は――やりきれない無力感と後悔の念が心をかきむしった。
 想像を超える花と咲き誇る己の理想とすべきかたちは、たった"現在"面前で花束を差し出す貴女でしかなく、これからの未来を想うとなみだが零れそうだった。とてもうれしいのに、どうしてせつないのかしら?

「……見目麗しき騎士王様。すてきなデートを期待しておりますわ?」
「任せておけ。蒼い薔薇と歩む運命の恋路は、真名に誓って護り続けてみせる。今日は咲夜も心から楽しんでくれたらうれしいな」
「もう十分すぎるほどにしあわせをいただいていますわ。繋いだてのひらの先から、貴女の夢さえ見えてしまう。御伽の国の幻想の堕天使は、私の永遠なる最愛のひと――」

 ずっと貴女は変わらないだろう。いつまでも私の理想と在り続けてくれる。夜の王は永遠と――十六夜咲夜ごときの指先が届く場所に居られないのだから、私は"わたし"らしく貴女に相応しい薔薇と咲き乱れる。
 お嬢様だけが心許せる唯のひと。たとえ儚く朽ちゆく"さだめ"だとしても、最期まで貴女を想い続けたい。花命こそ私の貫き通す矜持だ。貴女の気持ちは凜と在り続ける故、蒼い花の運命は絶対に変わらないわ。
 しれっと惚気られて相変わらずな恥ずかしがりやさんは、きらきらと暖色の灯かりが差し込む大通りへ歩き出す。ちいさな王の後ろ姿を誇らしく思いながら、横並びにならないよう気をつけて後ろを追いかけた。

 袋小路からメインストリートに出ると、わずかな電飾がきらめくすてきな街並みが広がっていた。
 カネや"性"の汚い欲望塗れな騒がしい日本の繁華街と違って、どこか牧歌的で穏やかな時間の流れを感じさせる。
 まったく高層建築物がないため、澄んだ夜空でまたたく星々がとてもきれい。しかしお嬢様は羽根を隠そうとしないので、めちゃくちゃ目立ちまくっている。道行く人々が畏怖を察し、おずおず道を開けていく。
 吸血鬼の伝承が根づく土地柄のせいだろうか、あけすけな周囲の視線は純白の薔薇に集中している。ふたりでノスタルジアに浸りながら歩くこと数分、私たちは木造造りの格調高いブティックの前に立っていた。

「ん。予定通りの店っぽくてよろしい。あれほど栄えていた城下も今は廃れているかもしれない、と危惧していたから安心したよ」
「……お嬢様。お洋服を購入なさるのですか? くだんの人形遣い以外のデザイナーの服もすてきですが、はたしてお気に召すようなものがあるのでしょうか」
「エスコート役の私のために買ってどうする。もちろん咲夜のドレスだよ。紅魔館支給のメイド服は地味すぎて咲夜に合わないわ。名実共にメイド長なんだから、おもいっきり私の特別であって欲しいのさ」

 クールにささやくお嬢様はくすくすと笑いながら、古木の扉を開き優雅な足取りで店内に入っていく。慌ててすぐあとに続くものの、高鳴る心臓の脈動があまりにも早すぎて、くらくらと恋のめまいに襲われた。
 貴女の給仕を担う栄誉にさえひどく独占欲を感じてしまうのに、ことさら艶やかなラヴドールにしてくれるなんてうれしい。従者は慎ましくあるべきだ。それはあくまで一般論にすぎないとばっさり切り捨てる。
 心のなかに咲く蒼い花のかたちは幻想のエメラルドブルーと、夜の王を包み込むオーロラが紡ぎ出す哲学。繋ぐ想いのかけらはイコール。お嬢様のために在り続ける"わたし"のイメージがゆらゆらと揺らめいた。

 しんと静まり返る店内は奥行きの広い聖堂の回廊のような構造で、道の間々に飾られた色とりどりの華やかな展示品の数々と、ルネッサンスがモチーフの装飾品が退廃的かつエレガントな雰囲気を醸し出す。
 お嬢様は店員らしきひとと見知らぬ言語で話を交わしてから「八雲は私と同じくらいおしゃれにうるさいから、なかなかすてきな店を選んでくれたみたいだ」と面白おかしそうに笑いながら店内を物色し始めた。
 とりあえず手前から順番に見てまわる。アンシンメトリーな肩口の生地がアゲハ蝶を模したヤレ感が特徴のレイヤードワンピース。ベビードール風でタイトなボディラインがくっきり映えるキッチュなブラウス。
 なんかどのお洋服も『メイド服』としての要素を為していないというか――そもそも実用性は皆無だと分かっていても、さすがに派手すぎると思うのだけど、そばで楽しそうなお嬢様は止められそうもなかった。

「……お待ちください。かのような艶やかなドレスだと、いささか問題があるかと思うのですが?」
「これくらいの着こなしができないとは言わせない。私の親愛なるひとにおあつらえむきな衣装ばかりじゃないか」
 すべてを見透かしたお嬢様の言葉に、うれしさと困惑が入り混じってしまう。
 貴女のとなりに侍るものとして華があった方が可憐だと思うからこそ、美しい"花"の役目を果たせるのだろうかと自答自問を繰り返す。
「もう少し控えめな感じでもよろしくありませんか。あくまでも従者の体を為して始めて『夜が咲く』のですから」
「主は『薔薇』で従者は『夜』だ。ふたりが織り成す調和が重要なのさ。そして騎士としての私が護るべき蒼い薔薇がみすぼらしくては元も子もない」
「……しかし主役はお嬢様です。そのための惹き立て役を承っているのですから、わざわざこんなすてきなお召し物を着ずとも、完全で瀟洒な従者たれば差し支えないかと思います」
 やれやれと肩をすくめる紅い悪魔は、じいっと私を見上げてわざとらしく舐めまわすような視線を向けた。
 当然ながら言わんとしたい真理は持ち合わせている。夜の王の畏敬の神格を穢さないための礼装は最低限の務めだ。
 お嬢様のお気に召していただけるのであれば、至当とてもうれしいのだけど……。遠慮は要らないと命じられていようとも、必ず遵守しなければならない部分は存在する。
「いまいちよく分からないな。私の最愛のひとに美しくあってもらいたいと願うことは間違っているのか?」
「いいえ。的確です。けれどもなぜか踏ん切りがつかないのかもしれません。なかなか折り合いが結びつけられなくて……」
「私の近衛に就く従者が貧相では、主の品格は当然ながら疑われる。もちろん逆も然りさ。騎士王たる私が護り通す姫君の矜持が崇高でなければ、真紅の薔薇に誓う忠君の栄誉に傷がついてしまう」
「おっしゃるとおりですわ。確かに心得ているつもりなのですが、邪な固定概念が張りついているのかもしれません。ひどい驕りだと承知しておりますが、お嬢様と居並ぶ傲慢は真に許されないのだから」
 ふとちいさなてのひらが重ねられて、ぬくもりがゆらゆらとたゆたう。
 そしてまったく人気のない店内に、くすくすとやわらかい笑みが零れ落ちた。
 気恥ずかしくなってひとみをそらすと、きらびやかな仕草を以って手の甲にキスが落とされる。
 どうして貴女の仕草は、なにもかもが優美なのでしょう?――凛と咲き誇る純白の薔薇は、いたずらっぽく舌を滑らせてからくちびるを開いた。
「咲夜。お前は自惚れろ」
 そっとかしずく騎士王の所作に、思わず言葉を失ってしまう。
 ほのかな灯かりに照らされた私たちは、ロミオとジュリエットを演じてるみたい。
 幻想に迷い込んだふたりは誓い合う。心に突き刺した紅と蒼の花は、奇跡の魔法を奏で始めている。
「いつまでも私より優雅たれ。ゆめゆめ美しく在らなければ、想像を超えて咲き誇ることなどできないのだからな」
「仰せのままにと答えられたら良かったのかもしれませんが、いつくしいお嬢様の目前でYes.と答えられるほど咲夜めは――」
「そうやって取り繕わなくてもいい。だれよりも夜の王に相応しい存在は自分だと思い込んでいる。真紅の薔薇を覆い尽くす"夜"をあやなす花が、私の愛して止まない十六夜咲夜なんだろう?」
「……それが『はじまり』のときから抱えている、唯の自分らしさですから。お嬢様の寵愛が私のアイデンティティ。斯くして私の生は存在するなんてひどい思いあがりを、貴女は許してくださるのですか?」
「無論だ。永遠に紅い幼き月の従者たる凛と蒼い薔薇。伝説の座に据えられた騎士王の仕える見目麗しき姫君。おまえが美しく誇り高い矜持を掲げていなければ、夜の王の寵愛を捧ぐ運命は叶わなかったはずだよ」
 貴女のそばが私の居場所なのだから、ふたりで花と咲き誇るための努力は惜しまない。美鈴の助言と父上様の亡霊と対峙して以降の、確固たる十六夜咲夜のスタンスだ。
 心のなかでうずく狂おしい想いが暴かれる日は、そう遠い未来の話ではないのだから……。こんなわがままを認めてくださるのであれば、すべてを尽くしてお嬢様を護り続けよう。
 元より夜の王に捧げる供物のいのち。私たちが変わらない以上は、ありとあらゆる所業のすべてを正義と為す。永遠に愛してくれる貴女のためならば、どのような花と芽生え咲き乱れてみせますわ。
「――勿体無いお言葉です。お嬢様が悦ぶ蒼い薔薇と在り続けると、十六夜咲夜の矜持を賭して誓います」
「なんかさ。さり気なく『Kiss me』とか書いちゃうのに、咲夜って変な部分で思い詰めてる気がしてならないんだよね」
「おっしゃるとおりかもしれませんわ。お嬢様ならば余程のミスでなければお許しいただける――どうも『完全で瀟洒な』従者で在り続けようとしているせいでしょうか」
「しれっとじゃなくて公然と惚気てくれなかったから。の間違いだよ。それこそ自惚れるくらいさ、咲夜って一途なんだもん。なんだかんだと紅魔館の住人を気遣うのに、結局は私のことだけしか見ていないしね」
「私だって恥ずかしいのです。お嬢様と出会い残った"唯"は、狂おしい愛おしさでした。貴女を愛する気持ちならだれしも劣らないと自負しておりますし、恋に恋焦がれた故の"現在"を絶対に失いたくなくて……」
「そう言ってもらえるとうれしいよ。せっかくのデートなのに、問い詰めるような真似をしてすまなかった。ただどうしても咲夜の想いを確かめておきたかった。いつまでも私の理想と在り続けて欲しいから――」
 お引き受け致しましたわ、親愛なる騎士王様。今度は私の方からてのひらに忠誠のキスを落とす。
 くちびるに乗せたメロディが弾けて、とてもきれいな音が鳴った。やわらかいあたたかさが、ふんわり口先からにじむ。
 エメラルドブルーの花と真紅のひとみが交わす方程式の答えは『∞』――貴女の想像を超える花のかたちに定型は存在しない。
 せめて薔薇の体裁を保つ程度で十分だ。コントラストの加減が難しいけれど、ふたりが映えるような組み合わせが見つかるはずだから、お嬢様の輝かしい威光に恥じぬ絢爛な衣装を選びたい。
「とんでもありません。たまらなくうれしいですわ。せっかくですのでお言葉に甘えて、お嬢様に選んでいただいてもよろしいでしょうか?」
「うん、そうだね。ふたりで決めようよ。その方が絶対に楽しいからさ。ファンタジックな記念になるんだし、とびっきりいっとうのみめよいものがいいな!」
 お嬢様は私のてのひらを取りながら立ち上がると、あちらこちらの展示品を再びまじまじと見繕い始めた。
 ひどくときめいて破裂しそうな心の脈動がとまらない。近くて遠く感じていたぬくもりが、すぐ私のそばで揺らめいている。
 ふと、思う。甘えたいときは、いやらしくキスをおねだりしてもいいの? みだらな快楽が欲しいときは、浅ましく体を差し出せば慰めてくれる? ぐずぐず悲しいときは、貴女の胸のなかで泣きわめくわ?
 ずっと私の思考は『貴女に犯される』行為のみを妄想していた反動か、さてこちらから求めると途端に恥ずかしくなってしまう。今回のデートに誘ってくださったお嬢様と、さり気なく似ているのかもしれない。

 すべて現品限りのオートクチュールのせいか品数は控えめなものの、精巧な細工が施された洋服の数々は星くずのようにきらびやかで、まるでシンデレラが舞踏会に赴くための衣装ばかりが点々と並んでいる。
 妖艶なベルベットで大胆に背中の開いているカットソーや、タッセルを贅沢にあしらったエレガントゴシックなラップスカート。だいたい黒で統一されている点は、おそらく私たち共通の嗜好なのかもしれない。
 あらかた見終わって試着のためクロークに移動している途中、いきなりお嬢様に「咲夜は本当に服装は気をつけろ」と念を押されてしまう。どうやら紅魔館御用達の藤色の制服は余程お気に召さなかったらしい。
 まず衣服を適当に脱ぎ散らかして、インナーからぜんぶ着替えていく。最初はセクシャルなウェストラインが美しいブラウス。さっと更衣室のカーテンを開くと、真紅のひとみが気恥ずかしそうに視線を伏せた。

「……もしかして、似合わなかったでしょうか」
 もっとも装うと派手めかなと思うけれど、へんてこで的外れなわけでもない気がする。
 どうしてお嬢様がうつむいてしまったのか、ちっとも理解できなくて心ともなく困惑してしまう。
「ううん。すてき。すごく似合ってるよ」
「それでしたら、素直に褒めてくださればうれしいのに――」
「だって! 私がなかなか上手く着こなせない感じのお洋服なんだもん!」
 そこまで聞いてようやく納得が行った。たぶん御自身の体格的な意味合いだろう。
 大人の女性的な曲線を見せびらかすような、エロティックな衣装を身に着けられないから。
 ほんの少しやきもちもあるのかしら。お嬢様を着飾るときの密やかなロリィタ趣味は隠しておこう。
「お嬢様しかお召しになれない衣装もありますわ。ただちょっと上半身の露出とか、控えめな方がよろしいですか?」
「うっすらと濡れた艶っぽい咲夜もきれいだよ。ごくごく私の趣味的な問題からしても、まったくもって問題ないレベルに収まってる」
「……なんか恥ずかしくなってきますわ。なんでも褒めてくださらなくてもよいのですし、こんな感じの方がいいとかぴしゃりと意見してくださいませ」
「そもそも咲夜は私の好みなんてすべて知ってるだろう。でもそうだね。咲夜は退廃的というか背徳的な雰囲気が合うんじゃないかな。たとえばこっちとかどうかな?」
 貴女が『夜』を託してくださったからこそ、心と身体すべてが王に捧げる黒に染まっていく。
 本質の在処を現した装束の基調を織り成す色は必然。扇情的な格好で貴女の情欲を煽れるのであれば、ためらいもなく私はふしだらな路線を選びますわ?
 次の衣装は艶やかだった。黒い薔薇のフリルと左右非対称な胸元の開き加減がフェティッシュなワンピース。薔薇の花びらをあしらう純白の肌着が透けて見え、いやらしいアダルトな風情を存分と匂わせる。
「実のところ自信過剰な心構えだったのですが、このくらい妖艶な服を本当に着てみるとだいぶ恥ずかしいですわ」
「咲夜だったらどんな着こなしだって似合うよ。ヴィクトリアンでお姫様チックだとすごく楽しい。となりに並ぶと舞踏会とか外向けらしく、ほんと薔薇みたいに際立って見えるね」
「お嬢様からダンスのお相手に招き入れていただけるとなれば光栄の至りですわ。しとやかな雰囲気や耽美的な印象を与えられるとよいのですが、いざ実際に試着してみると難しいものですね」
「万人の視線を惹く幻想の花であってくれたらとてもうれしいよ。あとね。もう少しだけ露出してる方がきれいかな。咲夜の肌って粉雪みたいにさらさらだから、夜を基調としたスカートとかぴったりかも?」
 お嬢様の肌に触れる機会は数あれど、まさか自分の身体に興味を持ってくださっているのだと知ると、いきなり妙なテンポで動悸が速くなってきた。
 今度のボトムスはふんだんなプリーツ加工の黒のラッセルレースに、たっぷりのフリルとリボンを結んだティアードスカート。かなりのミニ丈サイズなので、太腿の部分の明暗がくっきりと浮かび上がる。
 宵闇のブーツとニーソックスが相成って、ひときわ肌が強調されるタイプの装いだ。ぎりぎりパニエがなくてもだいじょうぶな構造みたいだけど、だいぶきわどいラインだからなにかと人目を引くかもしれない。
「ゴシックな装飾とはなんとか折り合いがついているかと思いますが、少々エレガントなモードから離れていくテイストもありますね」
「妖しい色香を醸し出すくらいがちょうどいいさ。残念ながら私が似合わない佇まいの方が、ふたりとも違う花を抱える絵画になっていいと思うよ?」
「しかしやっぱり楚々とした感じは残しておきたいのです。如何せん肌蹴てる感じが夜の王の気品と微妙にマッチしていないような気がするのですが、お嬢様の好みでしたらまったく異論はありません」
「おまえは私のとなりに咲き誇る可憐な薔薇なのだから、美しくも蠱惑的な風格で在って欲しい。思いのほか妥協点は難しいよね。どちらにしろぜんぶ買っていくしさ、今の気分で決めたらいいんじゃないかな?」
 咲夜ならどんな洋服を選んでも映えるからね。かくお嬢様はコトノハを紡ぐと、ふんわり優雅に微笑んでくださった。
 貴女の独善的な嗜好だけで染め上げて欲しい。貴女の愛する花と咲いてみせますわ。なにもかも貴女が選んでくださればうれしいのに――ふとくちびるを開きかけて、心のなかでちいさくかぶりを振った。
 自由意志の尊重が全幅の信頼の証に他ならない以上、私のコーディネートは"わたし"が考えなければならない。寄せられた期待を裏切らない振る舞いが求められている。ぜんぶ瞬時に理解して言葉を飲み込んだ。
 焦らなくても心配は要らない。今宵の"わたし"はシンデレラの主演を許されていた。親愛なる騎士王様におかれましては素晴らしい逢瀬に付き合っていただいたのち、じっくりと『夜』を貪り尽くしてもらいますわ。

 お嬢様の着せ替え人形と過ごす時間は本当に至福だった。今日すぐに着て歩きたい服を選べとの要望で色々と悩んだ挙句に、黒を基調に襟首から胸元を蒼いリボンで飾りつけた艶めかしいゴシックドレスを纏う。
 真っ白なホワイトブリムを髪の毛に挟む私の姿を見て満足そうな親愛なるひと。今度から咲夜の服は私と同じくあの人形遣いに特注しよう。つと言いながら夜の王は、カウンターに見知らぬ紙幣を大量に置いた。
 お買い上げの服はアンティークな木箱に詰めてもらい、大きな蝙蝠がすべて『スキマ』に向かって運んで行ってしまう。中世の街並みの喧騒は日本の都会的なノイズと違い、とてもおだやかな時間を感じさせた。
 人間の活気であふれ、生の脈動が伝わってくる。雑居ビルの腐った林檎みたいな臭いがしない。さてどういたしますか?――次のプランを楽しみにしていると、なにやらお嬢様が微妙に複雑な表情を浮かべていた。

「ちょっと使い魔を飛ばしてみたんだけど、私が暮らしていたころの老舗が軒並みなくなってるみたいなんだ」
「さすがに致し方ないかと。お嬢様が故郷を離れて幾許か分かりませんが、世界は……。時間の流れと共に変わってしまいますから」
「そうだとしてもやっぱりがっかりだよ。武芸や芸術に限らずともさ。由緒正しき伝統を守る商家は受け継がれるべきものであって欲しかった」

 スカーレットの名を冠するお嬢様だからこそ、最後の言葉はなおさら説得力を伴って伝わってくる。
 ひとまず前言を差し置いても、きっと私に振舞いたい料理があって、すてきなデートに極彩色を添えたかったのだろう。
 どうもしょんぼりとしてる貴女を見慣れていないので、こちらとしてもなかなか途惑ってしまう。いったん当時の看板を掲げた店を探してみると言うので、ぼんやりと人混みもまばらな大通りの一角を見渡す。
 日本の街並みしか知らない私からしてみれば、この土地は当時のおもむきが存分に感じられる。きっと昔から培われてきた文化は、わずかな推移を繰り返しながらも、根底の部分は変わらないんじゃないかしら。

「お嬢様。どんな場所でもかまいませんわ。伝統料理を出すお店であれば、かなりたくさん残っているでしょう」
「それはそうだけど、さ。私のお気に入りのレストランがよかったの。咲夜に美味しくないもの食べさせたくないし、私の大好きなものを振舞いたいんだよ」
「お気持ちはとてもうれしいのですが、おそらく紅魔館のレシピのルーツは間違いなく此処の街でしょうから、故国の味を知るためならばどこの料理店だって問題ありませんわ?」
「……分かった。咲夜がそう言うんなら仕方ない。でもせっかくのデートなんだからさ。いちいち屋敷のあれこれとか考えなくてもいいの! なにもかもぜんぶ私に任せてくれたらいいんだ!」

 ぷんすかと頬を膨らませるお嬢様も可愛らしくてたまらない。ナイトとしてエスコートしたい気持ちが強い故に示す反抗の態度。ある意味『主と従者』において対等でありたいと願う在り方は矛盾を孕んでいる。
 そのあたりのもどかしさを分かっていらっしゃるからこそ、あえて私の申し出を受け入れてくださったのかもしれないわ。うやうやしく拝礼をしつつてのひらを差し出すと、物の見事に突っぱねられてしまった。
 騎士と王女は手を繋いではならないのですか?――なんてからかおうかなと思ったりして、おとなしくやめておく。さっさと歩き出す黒い羽根の後ろ姿を、くすくすと笑いながらしとやかな足取りで追いかけた。

 きれいな紅い月の下で軽やかなステップを踏み込み、石畳の歩道の左右に並ぶ様々な店舗を見てまわる。時差七時間差の異国で遊び歩く大人たちを他所に、私たちも甘ったるい恋人のひとときを黙って楽しむ。
 あちこちで灯かりに照らされた看板が見えるものの、残念ながら文字が読めないのでどんな料理店なのか分からない。なんとなくぶらついてるだけでもしあわせで、いつの間にか目的がどうでもよくなっていた。
 歩き続けて八分ほどだろうか。ふとぶどうの匂いがふわんと薫る煉瓦造りの建物の前で、つい私は急に立ち止まってしまった。アットホームな感じの佇まいが印象的で、たぶん洋食屋さんみたいな飲食店かしら。
 付いて来ない気配を察したお嬢様が近づいてきて、無言の決定権を視線で投げてくれる。こくり頷くと、親愛なるひとがドアを開く。りんりんりんと鈴が鳴って、やんやと賑やかな店内の雰囲気が伝わってきた。

「―― ―――― ――――――――――?」
 私たちを出迎えてくれた店主の奥さんらしきひとは吸血鬼を見て驚くと、それでも天真爛漫な笑顔を取り繕って聴き取れない言語で話しかけてくる。
 いらっしゃいませ。あるいは『何名様ですか』――どうやら予想通りのやり取りみたいで、騎士王も流暢な母国語で言葉を返すと、店内奥手のサンセベリアの植木が取り囲むふたり掛けの席に案内された。
 すぐそばにメニューが置いてあるから、やっぱりフレンチやイタリアンの高級料理を出す類のお店とは違うらしい。とりあえずお冷やが運ばれてくるや否や、いきなりお嬢様はお品書きを見ず注文を頼んだ。
「……ずいぶんとお早いですね。いったいなにを選んだのですか?」
「ん。"ツイカ"って地酒だよ。プラムなんかの果物を蒸留したもので、私の故国だと食前酒として飲むんだ。度数が強いから咲夜は酔っ払っちゃうかもしれないね」
「未成年は飲酒禁止。などと堅苦しくなくて助かります。当然ですがワインの素養は学んでおりますわ。ちょうどお嬢様のための給仕の下積み時代に、あれこれとソムリエの真似事を体験したものですから」
「まあちゃんと介抱してあげるからだいじょうぶ。あとは『グラサ・デ・コトナリ』って諸外国でも有名な最高級のアルコールだよ。お店に置いてある品物で、最高の白ワインを出すようにお願いしておいた――」
 大雑把にお嬢様の言葉をまとめておくと、かの地は遥か昔からビールやウオッカ等々――特にぶどう酒は貴族の間で好まれているらしい。
 職業柄と言うべきか、つい手帳に記しておきたくなってしまった。なるほど。それでぶどうの薫が家屋全体をやわらかく包み込んでいるのね。
 どうやら各家庭が酒樽を持っていてもおかしくない地方みたいなので、紅魔館の趣向を凝らした伝統のワイン醸造手法の由来もすんなり納得できる。
 程なくして、まず蒸留酒が運ばれてきた。セットの向日葵の種は定番のおつまみらしい。グラスを掲げて、祝福を交わす。そのまま栗色の液体に口をつけると、ふんわり果実の匂いが鼻孔をかすめた。
「すっきりとまあるい感じの飲み口で美味しいですわ」
「自然な甘さで食前にぴったりだよね。たぶん自家製の秘伝だと思う」
 半透明の洋酒をくるくるとグラスでまわしながら口に含むと、プラムのフルーティーな味わいと華やかな香気が広がっていく。
 幻想郷の日本酒から芋独特の臭いを取り除いたやわらかい口当たり。後味もさっぱりとほのかでさわやかだから、食前酒としては優れモノかもしれない。
 アルコールの度数が強くても気にならない酒類は美味だと絶賛されるけれど、ワイン以外に造詣のない素人の私でさえ興味を惹かれてしまう芳醇な味わいだった。
「お嬢様がお好みなのでしたら、私も造ってみようかなと思うのですが、紅魔館のレシピに残っていたかしら……」
「たまに嗜める程度でいいよ。残念ながら私は食前に楽しむ時期を持ち合わせていなかったから。それよりも、さ。メニューはどうする?」
 そっとテーブル越しに差し出されたお品書きに視線を落とす。
 英語以外の言葉で書いてあるため、まったくもって内容が理解できない。
 私としては本場の味が堪能できたらもちろんオーケーだ。なんらかのかたちで料理に役立つはずだから。
 適当に選んだお店なのに大当たりっぽいので、たぶんきっと予想以上の美味しい料理を出してくれるだろう。
「お嬢様が慣れ親しんだ伝統料理が食べたいのですが、適当に見繕って選んでいただいてもよろしいですか?」
「うん、分かった。だいたい揃ってるみたいだから、差し当たり体験できると思うよ。あらかたフルコースって感じで注文するね」
 あまり量は食べられそうもないのですが。そう付け足し忘れてしまった。呼び鈴を鳴らすとすぐに店員がやってきて、次々と並べられるオーダーを手元の用紙に書き記す。
 そそくさと去っていく奥方の後ろ姿を見送りながら、ゆっくりとツイカを流し込む。お嬢様も同じようにあおっている。でもなんとなく落ち着きがない。なぜか緊張を張り巡らせている様子が見て取れた。
 大きなひとみをくるくるとあちこちに動かして、しきりに身だしなみを整える仕草を繰り返す。いつも食前酒としてワインを楽しんでいるはずなのに、もうすでに真っ白なほっぺたがほんのりと赤らんでいた。
 もしかして、だけど。いまさらふたりきりが恥ずかしくなったのかしら。くだんの告白を受けて以来、他愛のない戯れも多くなった。おそらく今の無言が示す意味は――本当に分かりやすくて可愛らしいですわ?

「お嬢様。なにかすてきなお惚気でもお聞かせくださいな」
 まっすぐ単刀直入に甘えてみると、夜の王はあわふた取り乱し始めた。
 あまり栄誉を傷つける真似はしたくありませんが、あまりにも貴女が愛くるしいものですから。
「な、な、なにを言ってるんだ! どうして私が公然と、なんで、急かされて……」
「もちろん私は騎士典範は存じ上げませんけれども、親愛なる姫君の前で沈黙を貫く行為は美徳なのですか?」
「……スウィートなひとときを楽しむ意味は、あるんじゃないかな。そうだよ。だってさ。せっかくのふたりきりなのに、品のない世話話をしても興が殺がれてしまう」
「それは一理あるかと思うのですが、なぜ先ほどからお嬢様は密か視線を逸らすのですか? こちらよりお美しい騎士王様を拝謁したくとも、ぷいとそっぽを向かれてつれないご様子――」
 どうしようもなく言葉に詰まるお嬢様の助け舟のごとく、まず前菜らしき料理が運ばれてきた。
 トマトやレタス等々の新鮮な生野菜とは別個に、ピクルスのように漬けたキュウリと茄子に三種類のチーズが添えてある。
 まあるい器は『ホレズ』と言って赤土で焼く伝統的な陶芸品で――かく慌てて説明を挟むお嬢様を笑顔で見やると、ますます頬を染めながら甘ったるい弁明を始めた。
「なんかさ、ほら、こうして改めて正面から咲夜を見てると、あの、とってもきれいだなとか、思っちゃうの……」
「きらびやかなお店で最高のドレスを選んでいただきましたもの。お嬢様が褒めてくださるとほんとにうれしいですわ」
「私だって自慢したくて仕方なかったさ! 実際に咲夜を引き連れて大通りを歩いてるときの栄誉は最高の美酒だったんだから!」
「そのような事柄は素直におっしゃってくださるともっと愛おしくなるのですが、なにかと大っぴらにできない事情は『騎士王』たる体裁の関係上ですか?」
「そ、それもあるけど! 私は民草に独善的な優越感をひけらかすほど馬鹿じゃない! とにかく、さ。めちゃくちゃ恥ずかしいよ。だれであろうと恥ずかしいに決まってるだろ!」
「あら、私から言わせていただきますと『十六夜咲夜はレミリア・スカーレットの従者です』などと自慢してくださると至極しあわせなのですが。水入らずなのですし『恋人です』と言いふらしても――」
 知らない。知らないんだから。もう咲夜なんか知らない!――きれいなソプラノが凛と跳ねる。
 あっさりと看破されてうなだれたまま、かんばせを上げられないお嬢様がチャーミングでたまらない。
 お嬢様にとってのみ気まずい沈黙のなか、白ワインとグラスが運ばれてきた。次いでメインディッシュの品々が、ちいさなテーブルを埋め尽くす。
 すぐ目の前に差し出された料理は、ハンバーグみたいな横長の肉団子。ひき肉に香草かスパイスの類が練り込んであって、この上なく香ばしい匂いが食欲をそそる。
 いまだ"おもて"を下げっぱなしの親愛なるひとの皿には、みずみずしい緑の清潔なロールキャベツが仲良く並ぶ。ブイヨンで炙った微薫が、ふうわり微風に乗って流れてくる。
「……咲夜の、いじわる。ほんといじわるなんだから!」
「申しわけありません。ちょっと調子に乗りすぎてしまったかもしれません」
「いや、そういう、わけじゃなくて。すごくうれしいんだけど、てんとして堂々と睦言紛いを暴露されると、その、ええと、困ってしまうの……」
「とりわけ人目を憚らず楽しめるデートなのですから、ささいな粗相には目をつむっていただけると助かりますわ。そもそも私と致しましては、普段と変わらない気持ちをお伝えしているつもりです」
「うん。なんかね。ものすごくストレートすぎてさ、めちゃくちゃ恥ずかしいの。しれっと言える咲夜がうらやましいよ。あのさ。私が口下手なの、分かってるよね? も、もう、だから、とにかく察してくれ!」
 エメラルドブルーの髪の毛がさらさらとなびき、真紅のひとみが懇願するような視線を寄越す。
 なんだかんだとわがままを言いながらグラスを持ったお嬢様と、再び永遠の恋路と鮮やかな未来を誓い合う。
 ゆらゆら揺らめく黄金色の水面にくちびるを浸すと、気品あふれる芳醇な薫と果実のふくよかな甘みが口のなかに広がっていく。
 さすが最高級品と言わんばかりの美味に、ついつい酔いしれてしまいそうになった。こんな本場の味を知ってしまったら差は歴然、まさか自分の造っている品など絶対に給仕できない。
 完熟した貴腐ぶどうの絶妙な甘露は蜂蜜を連想させる。然も夜の王が嗜むワインに相応しい。必ず再現して献上しようと思いながら黄金のしずくを堪能していると、ふと他の料理に視線が移ったので説明を頼む。
「とりあえずだいたい揃ったみたいですし、簡単に説明してくださるとうれしいですわ」
「そうだね。まず咲夜のお皿は『ミティティ』って伝統料理で、まあ皮のないソーセージみたいな感じかな」
 ひとまず先に味わってみてもよろしいでしょうか。あらかじめ了承をいただいてから、ひとくちサイズに切り分けて食べてみた。
 ひき肉はラムなのにローズマリーやバジル等々のハーブが混じっているため、羊肉特有の臭みがまったく気にならなくてとても美味しい。
 添えられているパセリやマスタードとの相性も抜群で、どちらかと言えばワインと合う感じな男性の好みそうな料理だけど、メインディッシュの感覚でお出しできそうな品だと思った。
「――そして私の前にある品は『サルマーレ』って言うんだ。こっちは見た目とそのまんまだね。ひき肉とかたまねぎをみじん切りにして固めた塊を、キャベツの漬物で包んで煮込んだものだよ」
 つとおっしゃって流麗な仕草でナイフとフォークを動かし、サルマーレのかけらを口に入れたお嬢様の表情が微妙に強張る。
 少なくとも自分が料理を振る舞っているときに見せない素顔なので、おそらく美味しくなかったのかもしれない。まるでピーマンが大嫌いな子供のようで、思わず笑いそうになってしまう。
 さすがにそこそこの盛況を見せている繁華街の料理店なのだから、とんでもなく不味いとは考えにくいのだけど……。それこそ給仕に関して不平不満を聞いた覚えがないので、私の感覚が麻痺しているのかしら。
「……ひょっとして、かなり微妙だったのですか?」
「なんというか、お話にならない。微妙なんてレベルで済むだけマシだよ」
 お嬢様は言葉を切ってから、おもむろにかんばせをそらして続ける。
「――だって咲夜の作ったロールキャベツの方が、ずっとずっと美味しいんだもん」
 いきなり思いがけずの台詞に驚きを隠せなかった。確かに代々伝わる紅魔館の豊富なレシピのなかにはくだんの料理があって、いつの日かはっきりと覚えていないものの、お嬢様に振舞った記憶が脳裏に浮かぶ。
 ちゃんと貴女は、あんなささいな給仕の瑣事まで、なにもかも覚えていてくださったのですね――あの狂おしい愛しさと血の味を噛み殺しながら"親愛なる貴女のため"に尽くしてきた焦燥の日々は報われている。
 お嬢様の所作や素振りで物事を語る姿勢は存じておりますが、すべて背中に仕舞い込んで言葉にしてくださらない故に悪いのです。謎の悪態をつきたくなるくらい、今のさり気ないつぶやきは心に深く突き刺さった。
 終始、焦れったい調子が続くせいで、もちろん惚気られるはずもない。それでしたら私の方からおもいっきり絡んでさしあげますわ。ヘンゼルとグレーテルの甘ったるいお菓子の家で、みだらな快感を与え合いましょう?

 ――嗚呼。私の親愛なるひと。
 たまらなくロマンチックな真夏の夜の夢ですわ。
 甘い音色を奏でるソプラノ。鮮やかな紺碧のショートカット。
 夢現な御伽噺の主人公が示す『ある証明』――蒼い薔薇は凛と咲き誇っていた。
 いつかの狂った夏休みの放課後、刹那の快楽に溺れたがる心の在処は黒。どうせしあわせなんかありえないと、楽しそうな人々の喧騒が幾重に輻輳を繰り返す都会の往来のなかで、ひとりぼっちで耳を塞いだ。
 毎日がつまらなくて仕方ない理由は、少女『A』がくだらない最低の人間だから。こんなどうしようもない世界は変わらないはずなのに、貴女は真紅の薔薇の花束を掲げてモノクロームの景色を塗り替えてみせた。
 貴女は私たちの誓い。貴女は世界を変えてしまう。はじまりの教会でとうとうまどろむ白昼夢を、貴女は素晴らしいデートを用意して叶えてくださった。そろりと席から立ち上がって、お嬢様のとなりに移動する。

「さ、さく、や?」
 すぐ対面で向かい合う最愛のひとの席は皮革のソファーなので、図々しく座り込んでお嬢様のナイフとフォークを奪う。
 どうも不評らしき料理を食べてみる。なかなか美味しいと思うけれど、ほんのわずかに旨味が染み渡っていないような気がした。
「うん。ちょっと煮込みが足りないのかもしれませんね」
「いや、そうじゃなくて、あの、さ。ちゃんと自分の席で食べようよ」
「私のこよなく愛して止まない騎士王様は、姫君のそばで警護に励む義務があるかと思いますが?」
「な、なにを言って……。そ、その、お行儀がなってない! そもそもマナー的に全然よろしくないんだ!」
「とにかくふたりでいちゃついて楽しみたいのです。嫌でしたら無理矢理に振り払ってくださってもかまいませんわ?」
「ええと、ただ恥ずかしいだけで、うれしい、よ? そ、それよりさ、だって私が口にしたんだから、いわゆる間接キスみたいなもので、あの……」
「なるほど。なので私の味覚は多少おかしくなっていると。無理もありませんわ。お嬢様に甘ったるい口づけを与えられるたび、かの白ワインなど比較にならないほど酔いしれてしまいます」
 歯に衣着せず平然と惚気てみせて、お嬢様の華奢な体躯に肩を寄せた。
 大きな羽根で包み込まれている感じが心地良い。もうがむしゃらに私の方から抱きしめてさしあげたくなってしまう。
 まったく動かなくなった夜の王のそばで、自分の料理を切り分けてフォークに突き刺し、そっと桜色のくちびるの前に差し出す。
「――冗談、だよね?」
「まさか。お口を開いてください。お嬢様?」
「な、ななな、なななななななに言ってるんだよ咲夜ってば!」
「あら。恥じらいながら『あーんして?』とスウィートにささやく方がお好みですか?」
「王女に忠誠を貫き通す騎士たるものが、そんなうつつを抜かすような行為なんてもってのほかだ!」
「然らば。むしろ強請の"かたち"がよろしいのでしょうか? さあ面を上げて供物を咀嚼なさい。我が親愛なる騎士王よ」
 ふたりのほっぺたがくっついてしまうくらいの距離まで顔を近づけて、何気なく上から目線っぽい感じの音色で強要してみる。
 なんだか自分で言っておいてくすぐったくなってくる――歯の浮くような台詞だけど、たぶんお嬢様も同様の心境だろうから条件は『50:50』だ。
 真紅の大きなひとみが、くるくるとあちこちに動くから面白い。じいっと上目遣いで見やる私に根負けして、ちいさなくちびるがゆっくりと開いていく。
 お口のなかにそっと肉団子のかけらを差し込む。咀嚼しながらああだこうだと恥ずかしがるものの、ふわっと咲く微笑みは隠そうとしなかった。愛おしいひとの笑顔が、きらきらとまぶしい。
「おいしいわ。だけど、さ。これは耐えがたい辱めだぞ」
「お戯れの間違いでしょう。こちらのスープもいただいてみますね」
「あ、うん。そっちは『チョルバ』だよ。どちらかと言えば煮込み系みたいな、ポトフとか具材の多いシチューに近いかな」
 やたらとなまめかしく火照った吐息が、やわらかいウエットなこえを紡ぐ。
 色っぽい熱だけで、情欲をひどく煽られる。欲望塗れの興奮を抑えられない私は、発情期の犬猫かなにかなのかしら。
 ときめく心を必死に押さえてひとくちスープを口に含むと、トマトの甘味と独特な酸味が混じってマイルドな味わいになっている。
 スプーンですくって、ふうふうと冷ます。そして先端をお嬢様の口元に向けると、あわふたとここかしこに視線を逸らしながら、結局おとなしくまぶたを伏せた。
「そうやってひとみを閉じていたら、トッピングのサワークリームをたっぷり混ぜても気づかれませんね」
「……それさ。本来はたっぷりスープに放り込んで味わうものなんだよ。っていうか! ちゃんとひとりで食べられるから!」
 なかば自暴自棄な虚勢を張りながら、きちんと食べさせてもらうつもり満々なのですね――くすくす心のなかで笑みを浮かべながら、コバルトブルーの髪の毛をなびかせているお嬢様の端整な顔立ちを見つめた。
 真の威光を絶やさずに気品あふれる態度で佇む夜の王は、シンデレラが王子を食べてしまう御伽噺を知らない純真無垢な少女。私の子供みたいなわがままだろうとも、寛大な措置で受け止めてくれるのでしょう?
 もてあそぶつもりなんてまったくありませんわ。戯れがすぎる。かく怒られるかもしれませんが、こちらから感じてみればお嬢様を求められる"現在"は、まさに言葉の示すままの夢のような素晴らしい時間です。
 貴女が欲しくて堪えきれないの。ちいさくささやいて、スプーンを静かに置いた。今を逃してしまったら、次があるのかさえも分からないのだから。あたたかいスープの代わりに、ゆっくりとくちびるを重ねた。


 ――ゆらゆら揺らめく水面に流るる紅い花びらの表面に、ふわり舞い降りた蒼いアゲハ蝶はやさしいぬくもりを求めて彷徨う。
 みずみずしいくちびるの蜜を吸うと、なまめかしい吐息が口元から漏れ出す。撫でるようなタッチでしかキスできない現状が痛切に焦れったくて、理性の枷を外せと叫ぶココロを必死に押し殺した。
 お嬢様は黙って私を受け入れてくださる。騎士王の従者にあるまじき浅ましい快楽を欲す心音さえ見透かした「できるのならば、犯してみたらどうかしら?」――もはや挑発に近い態度が激しく本能に催促を促す。

 真紅の薔薇の花蜜を舐めしゃぶるだけで、みるみるうちに快楽が噴き出して脳内を侵食していく。そのエクスタシーに身を委ねてしまえば楽になれるのに、薄皮一枚で残った思考回路は頑なに拒否反応を起こす。
 貴女が優雅な所作で甘い愛撫を愉しむ理由は、おそらくの勘でしかないけれどなんとなく察しがつく。スウィートなひとときならではの嗜み方を覚えておきなさいと、暗に示唆されている気がしてならなかった。
 もっとも『ボーダーは踏み越えてもかまわないわ』と恋慕が添えてある。だらしなく綻んだくちびるに、ちいさなキスを何度も繰り返す。あとから散るべき花は私であって、純白の薔薇を枯らしてはならない――


「はしたない子だ」
 気絶するような快感のキスを好き勝手に貪っておきながらひとりで自嘲していると、真っ白な肌をほおずき色に染めたお嬢様が心底おかしそうに白い歯をこぼす。
 恥ずかしがっているのか、それとも嘲笑の意味合いなのか、まったくもって区別がつかない。あどけない子供みたいな横顔のなかに垣間見える真意をつかみ取れず、ついぎりぎりと口内で歯噛みしてしまう。
「……度がすぎました。おっしゃるとおり、かもしれません」
「なにも責めているわけじゃない。むしろ忠実になってくれたと思っているよ?」
「あまり考えたくありませんが、今までの私は……。ひどく不誠実だったのでしょうか?」
「ううん。ぜんぜん違うんだ。こんなに私を愛してくれる気持ちを、ずいぶんと咲夜は押し殺してたんじゃないのかな?」
「いつかの告白を受ける以前は、確かに仰せのとおりでした。しかし限度がありますわ。だんだんと分かり合っていかなくてはならず――」
「そんなステップなんて、とっくに私たちは追い越している。愛欲で満たされたいのなら、咲夜から求めてくれていいんだよ。今のわたしさ、とってもうれしいよ!」
 ありとあらゆる憂いや途惑いを吹き飛ばす、凛と告ぐ喜びに満ちあふれた言葉。
 蒼いひとみが映し出すお嬢様のピュアな笑顔は、しあわせと哀しみでふらつく感情に未来を与えてくださる。
 ふと思い返してみれば今日は毎度このような調子だけれども、心のなかの狂おしい愛おしさがぎゅっと濃縮されて完全に固まった。
 紅い薔薇のために捧ぐ愛情の正当性は、必ずやお嬢様に保障していただける。どんないびつなかたちで愛しても貴女が悦んでくだされば、私の幸福に繋がっていく以上なんの問題もないわ。
「なんかちょっと思い詰めすぎなのでしょうか。これでもだいぶ素直に接しているつもりでいたのですが……」
「遠慮は要らないと幾度もほのめかしてきた。咲夜が心を込めてこなす給仕だからこそ、いっとうのしあわせに思えるんだ」
「……はじめてのデートなのに、とんだ粗相でした。どうかお許しください。お嬢様のために咲き誇る『夜』の言葉に、あるまじき弱音は相応しくない」
「ちゃんと咲夜が分かってくれていたらだいじょうぶだよ。それよりさ、もっと楽しもう? そ、その、さっきの続きとか、少なくとも私は嫌いじゃない……」
 どこか歯切れが悪いながらもふんわり微笑むお嬢様を見ていると、甘ったるい空気が弾けてかぐわしい香りがあたりを包み込む。
 再び身体を寄せ合い、たゆたうぬくもりを噛みしめ、そっとうなじにキスを落としたら、きめ細やかな玉の肌が耳元から赤く染まっていく。
 たぶんきっと、心配ないわ。私のわがままに過ぎない戯れでさえ、貴女は悦んで受け止めてくださる。ことの核心を理解していても覚悟が決まらない非礼を咎めず、一途な想いを抱いてずっと信じてくれていた。
 ふたりはひとえに同じ温度で愛し合っている。そう思い込んでしまうくらいの、誇り高き矜持を持ち合わせなければならない。貴女の望む想像を超えて咲くための、鮮やかな色香を纏う信念が心の奥底に宿った。

 お嬢様の御心のまま、すべて承知いたしましたわ。ハチミツたっぷりなうたかたの夢の続き、甘やかに楽しみましょう?――押し当てたくちびるからぺろりと首筋を舐めあげて、ふたりでやわらかく微笑み合う。
 やさしく抱きしめてくださる騎士王は結局のところ恥ずかしそうなのに、なかなか放してくれないあたりがとても可愛らしい。お料理が冷めてしまいますわ。なんて口に出さないと気づかないほど陶酔していた。
 観葉植物の陰で人目につかない席なので、お互いの品々をあれこれと切り分け、ゆっくり口のなかに入れて差し上げる。ほっぺたが真っ赤っ赤な貴女を見ているだけで、しあわせすぎて倒れてしまいそうですわ。
 咲夜ばかり"あーん"してずるい。などとおっしゃるもので、私も口移しを所望しておりますと惚気ると、にべもなく却下されてしまった。ほんとうにすてきなひとときが、かけがえのないたからものと愛しい。

 注文の品は決して多くなかったのに、あっと言う間に食欲は満たされた。色々な香辛料のお嬢様流トッピングを教えていただいてチャレンジすると、ひとつの料理で様々な風味が楽しめてなかなか飽きが来ない。
 たくさんのベリーをジャム状にしてくるんだクレープのスイーツも絶品で、さらに苺やラズベリーを私に食べさせてはしゃぐ貴女が愛くるしかった。逆の立場になると、途端に落ち着きを失うからなおさら、ね。
 ひととおり食べ終えたころ、ちょうど閉店時間らしき鐘の音が鳴り響く。白ワインの味わいより遥かにスウィートなお嬢様の口づけに酔いしれていると、夜の王がしとやかに私のてのひらを取って立ち上がった。
 懐中時計の針は幻想郷の時刻で六時ちょうど。そろそろ夢から覚めないといけないのかしら。あからさまに余分な金額を会計に置いてドアを開く親愛なるひとの後ろ姿に、うつらうつら夢見心地な気分で続いた。



  ◆



 真夏の生温い夜風に地肌を晒しても、お酒の酔いと異なる恋の動悸と恍惚が収まらない。
 サイケデリックな多幸感に苛まれながら街路を覗くと、白い朧月の照らす世界は帰路に着くひとが多く、おだやかな静寂を取り戻している。
 なにもかもすべてに嫌気が差して、外の眠らない街をふらふらと歩きまわって、同じような諦観を抱く女の子たちと癒えぬ傷口を舐めあっていたときの、どうしようもなくつまらない記憶をいまさら思い出す。
 刹那の快楽に駆られて狂った夏の日の無常を、みっともなく死ぬまで背負って生きていくのかしら。遠い未来は閉塞感で満ちあふれていたのに、なぜか私は運命を裁く夜の王の寵愛を賜って今此処に立っている。

 エメラルドブルーの髪の毛が幻想的に舞い踊って、美しい蒼い鳥を宵闇の空間に描き出す。
 こうしてふたりぼっちで立ち尽くす永遠の一秒がたまらなく愛おしくて、いずれほつれてしまうのかしらとか想うとひどくせつなくなってしまう。
 楚々とした品性の内側からあふれ出す凛々しさが、私を快楽と愉悦の"とりこ"にする。もどかしいわ。焦らさないで欲しいのです。もろもろの出来事や『True』の未来は、ぜんぶお嬢様に委ねてあるのですから。
 ふいにぬくもりが伝う指先が、花びらをいつくしむようにさらさらと解けていく。つま先に残る甘いほのか。くちびるが紡ぐメロディー。気を失うほど貴女を感じていたいと、いつかの"わたし"が嘲笑っていた。

「――さてと。そろそろ私たちも帰ろうか」

 凛と響くソプラノが御伽噺のエピローグを告げる。私の愛しい騎士王は今宵のエスコートに満足したのだろうか?――当然Yes.に決まっているのだけど、この夜を終わらせたくない。永遠にしてしまいたかった。
 境界線上の遥か彼方まで駆け抜けて、星空に浮かぶ紅い月が照らす場所へ連れ去ってくださったら、必ず私たちはしあわせになれる。傲慢に振舞え。遠慮なく求めろ。心のなかのこえがいきなりざわめき始めた。
 貴女に手向けるための愛おしさを隠さずとも、ありのままの私を抱きしめて欲しい。ためらいの類は消え去っていた。ついとお嬢様のちいさなてのひらを取って、絡まる運命の糸を手繰り寄せながら言葉を紡ぐ。

「嫌です。と言ったらどうなさいますか?」

 幾億の星々がまたたく夜空に七色のシューティングスターがきらめき、不思議の国に迷い込んだアリスは真摯な祈りを捧げる。
 繋いだ指先から伝う想いが、どうか届きますように――永遠を願うファンタジアのなかで抱きしめた貴女は、むき出しの快楽カタルシスでぐちゃぐちゃになってしまう。

 少女『A』は犯したい。
 十六夜咲夜は穢されたい。
 ふたりの"わたし"がせめぎあったところで、結局どちらの心も情欲に飢えている。
 凛と在り続けようと体裁は取り繕うけれど、ひとりよがりな独占欲は変わらない。
 魔法の枷で繋いだ貴女を窓のない病室に監禁して、いつまでもいつまでもやさしく可愛がってあげるわ。
 おかしいイカれた夢を見ていたい。貴女の運命を蹂躙して果てるの。ぐるぐるぐるぐると思考が回り続けた。

「そうだな。たとえば騎士の礼儀を踏まえるとしたら、どんな手本が上意に添うための正解だと思う?」
「もちろん甘やかしてくださると信じたいのですが、夜遊びをせがむ姫君は漏れなくお説教なのでしょうか」
「麗しき女王陛下との逢瀬とあらば悦んで。うれしいよ咲夜。ちょうど私も、ね。帰りたくないなと思っていたからさ」

 満面の笑みでうなずくお嬢様は、まるで私の言葉を待っていたみたい。
 貴女の唱える恋の魔法は解けない。はじまりの教会から少女『A』のいのちは規定されていたはずなのに、つくづく再認識してなにを泣きそうになっているのかしら。
 蒼い朝が『世界の終わり』であって欲しいと願ういつかの私は死んでいなくて、この夜が永遠に続いて明日さえ訪れなければしあわせだと信じ込み、これっぽっちも幸福の定義を疑う余地を持とうとしない。
 在りし日のセンチメンタルな感傷は束の間だった。光栄の至りです。そう言わんばかりに騎士王はくすくすと笑いながら手の甲にキスを落とすと、わずかな微風に髪の毛をなびかせ軽やかな足取りで歩き始めた。

 蛍みたいな光の明滅を繰り返す街並みを眺めながら、古代の名残を刻んだ石畳を踏み込んで進む。
 夕方の散歩のときのように日傘をかざす格好じゃないので、ふたり寄り添って手を繋いで歩いていると本当に恥ずかしい。
 とりあえず私たちは今夜のための宿を探していた。お嬢様曰く「紅魔館は丸ごと"幻想入り"させたの。おそらく別邸も廃墟だろうな」ということだから、まったく宛てがなくて真夜中の故国散策を楽しんでいる。
 いくつかのあぜ道を曲がっていくと、やがて大通りに戻ってきた。ネオンのまぶしい軒先の大半は酒場らしく、のんきな歓談が漏れ聞こえてくる。そこでふと「あれ!」と、か細い指が馬車の看板を指し示した。
 煉瓦の壁をかずらのツルがぐるりと囲い込む、中世風のおもむきを感じさせる建物。此処の地域は旅人用のこじんまりとした宿舎が多いのかもしれない。先を行くお嬢様がドアを開くと、りんりんベルが鳴った。

 まず待機と命じられたので、おとなしく周囲を観察してみる。エントランスからまっすぐに伸びていく広い廊下が印象的なノスタルジックな佇まい。外見で分からないだけで、だいぶ奥行きの長い建築物らしい。
 シックな雰囲気は紅魔館とそっくり。なんとなく立ち尽くしていると、騎士様が右手に部屋のキーをぶら下げて戻ってきた。二階の202号室まで歩くこと数分ほど、年季を感じさせる木戸に鍵を差し込んで室内へ。
 ふたり部屋にしては窮屈な印象を受けるものの、落ち着いた色調のインテリアは上品でエレガント。クイーンサイズのベッドに腰掛ける最愛のひとに、つぼみが綻ぶ笑顔を手向けると同じように微笑んでくれた。
 そう言えば、お嬢様の着替えがないわ。私は買っていただいたから、こちらに来る前のワンピースを代わりに使えばだいじょうぶだけど……。どうしようか思案していると、きれいなソプラノが後ろから聞こえた。


「咲夜。となりに、おいでよ」

 そっと。そっと。
 ふかふかのベッドに座る。
 ちいさなてのひらは動かない。
 小柄な騎士王の体躯が静かに傾いた。
 お互いの体重を支え合いながら寄り添う。
 ふわんとエメラルドブルーの髪の毛がなびく。
 純白の薔薇のほのかに酔いしれて、なだらかな肩先にかんばせを預けた。
 真紅のひとみが映し出す蒼は、貴女の心のなかで凛と咲き誇る。どうか色褪せ枯れてしまわないよう、可愛がってくださるとうれしいですわ?

 ゆらり。ゆらり。
 永遠の時間が流れる。
 懐中時計の針は動かない。
 言葉はなかった。要らなかった。
 お嬢様の呼吸が妖しい色香を醸し出す。
 蒼い斑模様のアゲハ蝶は、密室の花園で咲く薔薇に留まる。
 紅い運命の糸が絡みつく指先で、紺碧のショートヘアーをさらさら撫でた。
 貴女の世界を護るための『夜』と、想像を超えた花の調和が織り成すハーモニー。
 水面に揺れる花びらみたいなくちびると、蒼いひとみのなかに咲いた紅蓮の薔薇が誘い惑わすの。
 想像のエデンのかみさまは貴女ですね。私は正義の国で生きることが苦痛です。なぜひとを愛するかたちがゆがんでしまうといけないのでしょうか。どうして朽ち果てる花の美しさを分かってくれないのですか?
 そもそもの勘違いは主従の関係性にありましたが、いびつな愛情が欲しいと貴女はおねだりしたも同然です。きらきらきらめくオーロラのキャンディを、ちいさなくちびるからたっぷりしゃぶらせてあげますわ。

 お嬢様。おやさしい貴女も大好きです。とてもたいせつに私を愛してくださる"現在"が貴女にとっての唯ともなれば、かの事実に勝る栄誉はありません。先ほどの甘ったるい時間は虫歯だらけになりそうでした。
 そのくせ満足できなくなってしまった私は、きっといたく強欲なのでしょうね。ずっと貴女を感じていないとおかしくなってしまう。おかしくなってしまった。のかもしれませんね。不思議な自覚がありますから。
 快感を支配する器官以外をロイコトームで切開して、気絶してしまうほど狂おしい愛情が欲しい。貴女に相応しい従者たるべき存在は十六夜咲夜以外"ありえない"とか、お嬢様シンパで誇大妄想狂の戯言ですわ。
 それでも可愛がってくださると貴女は誓ってくれた。もう我慢できません。貴女が裁きを下さないのでしたら、こんぺいとうの銃弾で脳天を貫きますわ。完全で瀟洒を気取る理性の束を引きちぎってしまいたい。

 十六夜咲夜の秘密をぜんぶ差し上げますわ。凛と咲き誇る蒼い花と、緩やかに朽ちていく闇夜の薔薇。奏でるノクターンは優雅たれ。どちらの"わたし"だってお嬢様は壊れるほど愛してくださると信じています。
 はじまりの教会の出会いから、十六夜咲夜は貴女のもの。もっと甘い痛みを感じるようなやり方で教え込んでくだされば、今の"わたし"はぐちゃぐちゃになっておかしくなった"わたし"が欲しくなるはずですわ。
 うずく心で煮えたぎる想いを隠しておく必要なんてない。破滅的な恋愛の美学に基づく感情論で、愛しい貴女のプレゼンスイメージをハカイするの。そんな空想を繰り返すたび、真紅と蒼の花びらが舞い散った。
 ふたつのイメージが織り成す鮮やかな色彩が思考回路にのめり込み、主と従者の関係を必死に護り続けている理知の蝶番を外してしまう。恋に堕ちた黒いドレスのシンデレラは、親愛なる王女様を喰らい尽くす。












「愛していますわ。お嬢様――」

 ――甘ったるいはずの告白と実際の行動は伴っていなかった。
 お嬢様を上から覆い被さるように押し倒すと、ちいさな身体がふわふわのベッドに沈み込む。
 まっさらなシーツに流れる紺碧のショートカットが、どこまでも広がっていく美しい空を作り出す。
 蒼のなかに顔を埋めた私は、耳たぶのあたりから無造作に舌を這いずりまわして、そのままくちびるを好き勝手に貪った。
 なんのやさしさのかけらもない、ケダモノみたいなキス。めちゃくちゃにしてあげる。めちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてあげるめちゃくちゃにしてやりたいの――













「あ、はぁん、さく、や、さく、やぁ」
「あは、あぁん、んっ、はぁ、ん、あはぁ、んっ……」

 からからのくちびるにキスを何度も繰り返しながら、無抵抗の純白の薔薇の花びらを散らす。綻んだつぼみから漏れ出す呼気がふしだらな色を帯びて、ほっぺのあちこちと性感帯が茹だるような熱を持ち始めた。
 だんだん湿り気を纏う口先と舌の腹で、あえぎ声を通す穴を開けてやる。なまめかしい色香となやましい音色が誘い惑わす。わずかに先端が覗く八重歯に舌を押しつけて、にじむ血の味を混ぜて舐めしゃぶった。
 きっとマゾヒスティックな自傷だとバレているんだろう。それでもやめる気はさらさらなかった。お嬢様の歯牙が食い込むと背筋がぞくぞくと粟立ち、ますます舌先は痛みと快楽を欲しがってうごめいてしまう。
 押し倒す格好の所為か以前よりも刺激が強くて、妖しいエクスタシーがどばどばとあふれ出す。淡いリップを丁寧に磨き上げながら、かぐわしいほのかをたっぷりと吸い込んで、心のなかを薄桃色に染め上げた。

 するする細い指が抜け出して、銀色の髪の毛をすいてくれる。まったく抵抗の素振りさえ見せないお嬢様は、餌をもらう猫みたいにおとなしくて、むしろ本性むき出しの私を眺めて楽しんでいるのかもしれない。
 罪悪感。うしろめたさ。ひとりよがり。従者としてあるまじき忠義の欠如。様々な感情が交錯するけれど、自制心より先に快楽を欲す本能が優先権を持って、いかがわしいキスを加速度的にエスカレートさせていく。
 浅い呼吸を繰り返す夜の王を蹂躪する行為は、純真無垢な子供を穢す感覚と似ていた。凛と純潔な処女を喰らう私は背徳者?――愉悦の在り方のゆがみを自覚しているからこそ、激しい快楽が心の奥底を蝕んだ。
 くちびるをねちっこく舐めまわすたび、とても可愛らしくおねだりをせがむからなおさら愛おしくなってしまう。あられもなくよがり狂って悦ぶ堕天使が、かみさまの冒涜を善しと見なす『運命』は予見されていた?

「さく、や、さくや、さくや、すき。すき、だ」

 絶え絶えの哀訴の音色が脳内に響き渡って、色欲塗れの脳細胞が冷たい麻酔を吐き出す。うるんだ真紅のひとみの眼差しは「もっと」と催促してるみたいで、ねっとりと絡みつく口先をおもいっきり密着させた。
 ちいさなくちびるを挟み込んで、ふんわりやわらかい感触を無心で楽しむ。くちゅくちゅとふしだらな音色を奏でるメロディーと、あまい甘い甘いアマイキャンディのとろけるスウィートな味が私をおかしくする。
 うなじのあたりをさする片方のてのひらが、時折ぴくんと快楽にもだえて動く有様に興奮がとまらない。ゆらゆらたゆらうぬくもりとハチミツが、だらしなく綻んだ口元からたらたらとお嬢様のなかに流れていく。
 綺麗な花びらの数々を丹念に舐めしゃぶって差し上げると、まるで包み込むようなやさしいタッチで受け止めてくれた。それがどうしてか気に入らなくて、ディープなアンブラッセを刻みつけるように繰り返す。

 ひどくはしたない凶行に無理矢理と及んでおいても、お嬢様の妙な落ち着いた感じがひしと伝わってくる。おそらく私のココロが欲しくて止まない愉悦のかたちは、ぐちゃぐちゃにねじれ曲がっているのだろう。
 夜の王は自分のものだなんて薄汚い独占欲は、いくらくちびるを犯しても満たされない。貴女の身体に十六夜咲夜が穢した傷痕が残っているのか、淫靡な快楽で汚染されていく心の隅っこで不安になってしまう。
 おじょうさまがやさしすぎるからいけないのです。そう吐き捨てながら、ふしだらな快楽に酔いしれている私は最低かしら?――他の存在からクソだごみくずだと罵られても、なんにも感じないし傷つかないわ。
 ふと夏の日の記憶が甦った。刹那の快楽に溺れたくて交わしたキス。人形としてるみたい。キモいんだよ。いつかの恋を知らない少女『A』は死んだわ。私は前歯が食い込む舌を、くちびるの内側に滑り込ませた。

 ――貴女に穢されたい。傷つけられたいの。真に私の求める快楽の在処は、無様に散りゆく黒い薔薇にありますわ。
 破滅の美学が適応されるべき存在は十六夜咲夜であって、美しく穢れのない純白の薔薇が儚く朽ち果てる物語を紡ぐ必要性は皆無に等しい。
 蒼い空を飛べなくなったカナリヤになりたい。銀無垢の鎖や足枷で繋がれた私は、お嬢様の部屋のトリカゴで生涯を過ごすの。十六夜咲夜依存症の永遠に紅い幼き月。めちゃくちゃすぎて感じてしまいますわ――


「お咎めにならないのですね」

 みだらな熱っぽい吐息と真逆の、ひんやりと冷淡な音色が零れ落ちる。好き勝手に喰い散らかした真紅の花びらからくちびるを離して倒れ込むと、さらさらなエメラルドの髪の毛のなかにかんばせが沈んでいく。
 こく、こく、と喉を鳴らしながら、私の唾液や鮮血を飲み干す音が響く。足りない。もっとだ。快楽を献上せよ。彼女の不規則な呼吸が催促のように聴こえてしまい、なんとか堪えた破滅的な思考を麻痺させる。
 舌に刺さった傷からだらだら血が流れ、まっさらなシーツに赤い染みを作り出す。つと私の髪を結ぶリボンがしゅるしゅると解かれる。そのちいさなか細い指先が、確かな想いを込めて銀色の糸を撫でまわした。

「自惚れろと命じているのだから、おまえのやり方に文句なんてつけないさ。いびつなかたちで愛してくれるのも、咲夜らしくてとても可愛らしいと思うよ」
「……私は大人になりたくない。もちろん魔法使いや眷属として永遠を生きるつもりもありません。かくあろうともお嬢様は、とんだ自分勝手な私を愛してくださるのですか?」

 こんな傲慢な振る舞いがお嬢様のための、夜の王に相応しいやり方かと言えばNo.だ。たとえば従者のペルソナを被りながら、完全で瀟洒な気品あふれる所作で、恋愛小説のような告白を言い渡す程度はできた。
 でも私には"イマ"しかない。お嬢様に愛されている"今"しかないのです。未来の貴女が愛し続けてくださるのか、どうしても怖くて耐えられない。ひとは終わりを有すからこそ"現在"を愛するのではありませんか?

 あの時間の止まった世界の『永遠』ほど無意味な概念は存在しない。もしも永久の迷路を彷徨っていたらお嬢様の美しい恋慕は永遠になりますが、貴女を感じられない私の心は色褪せてしまうかもしれませんわ。
 親愛なるひとを愛せない、私の生きる意味は零だ。貴女に愛されなくなったら存在意義も消え失せる。美しくなくなったら、愛しくなくなったら、みじめな私は必要ないから過去の記憶と合わせて抹消して欲しい。
 貴女の心に咲いた蒼い薔薇は、永遠に近い場所で花開いた。記憶のなかで無限の面影となって微笑む私は、貴女にやすらかな絶望しか与えない。それならばいっそのこと、なにもかも消し去ってしまいたかった。

「愚問だな。十六夜咲夜に手向ける献花は真紅の薔薇。すべてを賭す凜然たる覚悟すらないのならば、そもそも恋愛感情を抱く資格さえないだろう?」
「お嬢様らしいすてきなお答えですわ。いずれ朽ちゆく花と、いつまでも貴女は……。夜に咲く蝶々が愛して止まない、親愛なる夜の王と在り続けてくれるのですね」
「だいじょうぶ。変わらないよ。だって私の運命は咲夜に委ねてしまった。想像を超える色を織り成す花束の矜持が、いのちを賭して護り続けたいと想う唯の誇りだから」

 くすくすと笑いながら耳元でささやく宣誓が示す意味は『十六夜咲夜の死は、レミリア・スカーレットの自殺』と謳う破滅的思考のプロバガンダでしかなくて、凛と紡ぐ音色は狂信的な愛情に満ちあふれていた。
 たまらないエクスタシーで、背骨からぞくぞくと悪寒が駆け上る。今しかないと泣き叫ぶ私が未来を憂うとかだいぶわがままな話なのに、貴女は平然と十六夜咲夜の死を自らの存在価値の喪失だと言ってのけた。
 貴女だって自惚れてください。私のモノだと泣き叫び、私を求めて欲しい。私なんかトリカゴのなかで飼育してくれてかまわないんだわ。お嬢様の寵愛を独占できるのならば、私の心と身体のすべてを捧げます。

 未来は要らないとわめき散らす宣誓には、ほんのわずかな偽りや虚飾さえ存在しなかった。いつまでも愛してくださる貴女が変わらないのであれば、私が死ぬまでの永遠に限りなく近い幸福は確実に保証される。
 ひとは変わっていく生き物だから、いつか私の存在も飽きられてしまう。だけどお嬢様が絶えず理想と在り続けてくださるのなら、チクタク動く時計仕掛けのいのちを燃やし尽くし美しい幻想の薔薇と咲き誇りたい。
 つくづくかみさまの気まぐれは適当だ。なにもつかめない無力な私のてのひらに、運命を裁く夜の王の未来が添えられている。貴女の心に咲く蒼い花の『夜』は、世界を支配すべき支配者の在り方を変えてしまった。
 この狂おしい欲情で心を満たすためなら、どんな手段を以ってしても叶えてみせる。貴女の未来を"観ます"わ。因果律の螺旋を伝って涙腺から零れ落ちる紅いしずくが、蒼いひとみのなかでゆらゆら揺らめいていた。

「もしも美しく咲き誇っているのでしたら、今此処で私を……。めちゃくちゃにしてくださいますか?」

 ひたりと銀色の髪をすく指先が止まる。伏し目がちなかんばせを持ち上げられて、そっとやさしくキスを落とされた。とてつもなく甘ったるい摂氏零度の脳内麻酔が、痺れの残る思考回路を蝕んで破壊していく。
 ついふしだらな吐息を漏らす私に対して夜の王は欲情の色を隠さず、まったく動かない躯を仰向けに転がすと、おもいっきりウェストのあたりに跨がってくる。ちいさなくちびるが、ぐんにゃりとゆがんでいた。
 ようやく体をぐちゃぐちゃにしてくださるのだと想像するだけで、あふれ出してとまらないエクスタシーが性感帯を濡らす。最愛のひとのなかですてきな快楽に溺れて、息ができず死んでしまうまで愉しみたい。
 きらきらきらめく紅いひとみがまたたいて、たいせつに育てた花を摘む子供のような無邪気な表情で微笑んでいる。つやつやと輝く紺碧の髪の毛は夜風になびき、サザンクロスのような神々しい光を纏っていた。

 独善的でヒステリックな想いで犯して欲しいのです。
 ふたりっきりで正常におかしくなってしまいましょう?
 めちゃくちゃにしてあげる。めちゃくちゃにしてください。
 かみさまにお願い事をしてから、うっすらと蒼いひとみを閉じる。
 胸元とウェストを結ぶリボンがするするほどけて、肌蹴た胸元に欲情の視線を感じた。
 お嬢様がコーディネートしたラヴドールを犯す気分は如何ですか?――心のなかできゃははははははと品のない音色が漏れていく。
 狂った夏の放課後の教室のなか、私を犯さなかった男子の記憶を反芻する。ざまあみろ。と言いたかった。ぜんぜん自惚れなんかじゃなかったのよ。私は夜の王に相応しい従者になるべき素質を兼ね備えていた。
 せっかく誘ってあげたのに、xxxする勇気もない彼は最低のくず。十六夜咲夜は永遠に紅い幼き月が望む想像を超える花と咲いた。くだらないナルシズムだと言うのならば、せいぜい好き勝手に嘲笑ったらいいわ。
 ふしだらな火照りがとまらなくて太ももをさすっていると、かぐわしいほのかに混じって歯牙が首筋に突き刺さった。あはぁ、ん。みだらにはしたなくあえいだら、お嬢様が笑いながら指先を脚の間に伸ばした。



 ――はらはらと舞い散る<ナイトローズ>の花びらが、エメラルドブルーの水面でたゆたいながら、なまめかしい体液を吸い込んで紅に染まっていく。
 すべての花弁を失っても、すぐに新しい息吹が心の奥底から芽生え、美しい宵闇の薔薇は絶対に枯れなかった。お嬢様がすき、きらい、すき、きらい、すき……。花占いをしながらうてなをむしり取って遊ぶ。
 ぎゅっとまぶたを閉じているのに、眼球の裏側で虹色の映像が明滅を繰り返す。血塗れの傷痕の痛みが快楽に変わる感覚に病みつきの私は、もっとめちゃくちゃにしてくださいといやらしい哀訴の音色を奏でた。

 ずっと変わらないと、お嬢様は約束してくれた。この世界の運命を裁く夜の王は、誇り高き矜持に満ちあふれ、蒼い花に捧ぐ誓いを永遠と規定して、いつまでも私のとなりでやさしく微笑んでいてくださる。
 そう在り続ける貴女のためならば、かみさまだって殺してみせる。完全で瀟洒な従者。背徳的な性欲を満たすマリオネット。想像を超える花のかたちを変えながら、貴女の愛する十六夜咲夜として咲き誇りたい。
 何度も何度も途切れる意識のなかで、私の心で咲く真紅の花に祈り続けた。気絶するような快楽とシンクロして植えつけられる選民思想。夜の王に見初められた姫君としての誉れが、私のしあわせの真の在処――




























 X.彼岸で散る紅

 ――すべての運命を変える悪魔の花が咲いていた。
 真紅の砂を送り出す夢幻のいのち。幾多の戦場を滅ぼす紅い槍は、荒れ狂う魂を宵闇に葬り去った。
 偉大なる神の託宣を以ってしても、敗北のジャッジメントは導き出せない。真紅の薔薇は広陵から世界の終わりを眺め、空虚な勝利の栄光を地べたに吐き捨てた。

 黒い水槽が織り成す夜を、うっすらと朱色が蝕んでいる。無の境地で戦人を薙ぎ倒していく余波で転がった篝火の炎が燃え広がって、野営用の天幕や甲冑姿の死体を焼き尽くす低い音が轟いていた。
 神聖ローマ帝国の御旗を掲げる数万の亡骸。祖国のために恐れなく立ち向かう彼らの気高き信念を矛先から感じると、今の私が背負う背徳的な忠義の在り方と相成って、どうしても屈辱的な感情を覚えてしまう。
 たとえ無残な殺戮であろうと、スカーレットの栄光と威信を賭した戦場を駆け巡り、己の血族に並ぶ騎士としての栄誉が欲しい。なのに現状は悲惨を極めていた。真紅の家名が正義と為す理想郷が遠のいていく――





 吸血鬼という存在と産まれ落ちてから、ひたすら魔法や帝王学を教え込まされるかたわらで、ありとあらゆる武術の指南を欠かさずに学び続け、ちょうど九つのお祝いの行事と称してひとりで戦地へ送り出された。
 スカーレットの名誉を穢すな。そう言い放つ父親の姿を鮮明に覚えている。わずか数万の軍勢を蹴散らす行為は容易かった。四方八方からあふれ出す敵兵を殺すたび、私は"運命"を決めているんだと悟っていった。
 ひとは運命を護るために戦う。ひとは運命を変えるために剣を執る。世界を切り開くための強い意志を視た瞬間に、ひとみが映し出す『運命を分かつ』切先を確実に避けて、DNAみたいな紐状の螺旋の結び目を貫く。
 ほんの一秒先の『運命を変える』未来が視えるのだから、あらかじめ持ち前の技術で回避しておけば運命は変わらない。おそらく相手が強く思えば思うほど、宣誓や願望の頑なな意志で視え方は若干ぼやけてしまう。
 様々な思惑が渦巻く戦場で運命の交差を見やると、自責の念に苛まれて胸騒ぎがとまらなくなった。はたして私は彼らの"さだめ"を絶ち裂く資格を有しているのだろうか。彼らのような誠実な理由を持ち合わせているか?
 レミリア・スカーレットが騎士として唯と護りたい存在のためだ。きつく言い聞かせた。心を閉ざそうとした。それでも戦場に赴くたび不安や困惑が生まれ、信念の基に誠意を込めて振るうべき刃にブレが生じる。

 私の仕える主君、お父様は、権力の誇示のためならばとにかく手段を選ばないひとだ。
 あまり成り立ちのよろしくない底辺の産まれだとのコンプレックスがひどく、他国周辺のみならず自国の直轄領まで大幅に広げようと画策し、国王の忠告を平然と無視しながら近隣貴族の治める大地を踏み躙った。
 しょせん商家同様の下級貴族で、まともな兵力が揃うはずもない。すべての制圧は私の単独犯なのに、紅蓮を灯すひとみのみぞ知る景色や出来事を、父親は毎晩の舞踏会で自らの手柄と変え仰々しく披露していた。
 許婚や婚姻の話が聞こえる。大事な娘ですなどと歓談を交わす白々しさが、ひどくおぞましくて寒気がとまらなかった。どうせ私たち姉妹は使い捨てのぬいぐるみで、欲望を満たす道具としか考えていないくせに!
 畏怖と憎悪の念が募る。お父様を尊敬しなければならない。小さなころから暴力で躾けられた心が震えている。怖くて、怖くて、たまらなかった。哀しい内面をぎゅうと抑え、騎士と捧ぐ薔薇の誓いを繰り返した。
 強く在り続けようと、暗示みたいな言葉を紡ぐ。フランドールを護ってやれなくてどうする?――こうして私さえ耐えしのんで、お父様の所業を受け止めていたら、あの子につらい想いをさせなくて済むのだから。
 気がつくとフラストレーションの行き着く先は、たくさんの生死が行き交う戦場と化していた。無数の人々の"さだめ"が視える刹那の瞬間に、紅い悪魔の運命を宿す灯火の揺らめきを感じていたいのかもしれない。

 お父様の王国内の求心力が確固となって急上昇していくさなか、当然ながらさらなる帝国の繁栄と輝かしい武勲に伴う地位や利権を求め、まったく見知らぬ遠い戦地へ踏み込む機会は歳を重ねるたびに多くなった。
 とあるきっかけから、運命の歯車が回り始める。騎士の模範たらんと剣術を磨くヨハンネス・リヒテナウアーの弟子たちとの決闘において、ようやく私は運命の断絶の危機と生死を賭す極上のカタルシスを知った。
 必殺の槍技と疾風迅雷の刃が火花を散らす瞬間、心のなかでうごめくわだかまりが流されていく。わずかなミスも許されない拮抗の続く決戦こそ、ナイトとしてあるべき本来の自分と気高き矜持を投影してくれる。
 あの出来事からだろう。錆びつく風が血の臭いを運ぶ殺戮の終結と共に、異端を排除すべく神が遣わす伝説の英傑が現れるようになった。そも吸血鬼が不穏分子なのだから、粛清の方向性は極々自然と考えられる。
 百年戦争の英雄ジャンヌ・ダルクと交える苛烈な死闘は光栄の極みであった。征服王イスカンダルの覇道を阻む栄誉は言葉にたとえられない。湖の騎士ランスロットの明鏡止水たる剣技の巧みに心から酔いしれた。
 いつしか彼らと並ぶ英霊の座に落ち着きたいと願いながら、私の戦場で振るう槍戟は天の高みを目指すための儀礼に変わり始め今があるのだけど、理想と現実の在り方の差異が気持ち悪くて吐き気を催してしまう。


 ――疾風迅雷の如き槍技の数々に込められた凛然たる誇り高き矜持を以って、貴女の名前を現世に示す騎士王の"真名"と認めよう。
 ――しかし解せません。スカーレットデビルの汚名を被って虐殺を行う現在を疎む故に、美しい紅い槍の軌跡が鏡花水月にたゆたうと存じているのでしょう?
 円卓の騎士の理想たるブリテンの王アルトリアから賜った賛辞が、くしゃくしゃと頭のなかをかきむしってどう足掻いても離れず、さんざめく雨のような透明な血が流れていく。
 かの見目麗しき剣の英霊に率直な事情を話して、武人として然るべき答えを問いたかった。貴女が騎士王と君臨して私の主君と在ってくだされば、どんなしあわせな生を過ごすことが叶ったのだろうか。
 心に抱く大義名分を護り通すためなら、残虐で理不尽な非道が赦されるのですか?――民草は真紅の家紋に対して畏怖と恐怖をあらわにおののき、あるまじき愚行を犯し続ける騎士道に叛く堕天使だと嘲笑った。

 もしもすべての運命が視えてもくつがえせない世界だと知らなければ、さくっとシンプルに思考を切り替えられたのかもしれない。
 ただ私は……。変えてしまえる。微妙な変化の絶えないコード進行をたどりながら、何度も予定調和を繰り返す歴史。神のプログラミングするハーモニーが織り成す、世界のロジックに抗う術を持っていた。
 どうしても、選べないんだ。いっとうの騎士と生きたいとなれば、今の私が背負う罪は妹の双肩に圧し掛かる。フランドールと生きていきたいと望んだら、ナイトとして屈辱的な虐殺を続けなければならない。
 両方を善しと為す運命は見つからない。たぶん私が生まれたときから、なにもかもぜんぶ手遅れだった。最愛の妹と騎士王たる信念の狭間で揺れ動く想いが、じゅくじゅくと鈍色の痛みを伴いながら心の内側を蝕む。
 そもそも、だ。護りたいあの子のために尽くす唯が、お父様に捧ぐ忠義しかないのだとしたら、選択肢は皆無に等しい。みじめだ。無様だった。ゆらゆらたゆたう彼岸の水面に、鮮やかな紅い薔薇の花びらが散りゆく――



  ◆



 新しい朝を告げる太陽の作り出す灰色の空に背を預けながら、べっとり張り付いた血糊を吹き飛ばす勢いで風を切り裂く。口のなかの鋼の味。鼓膜で鳴り響く悲鳴。どちらも嫌な感じで染み渡ってくる。
 英霊と対峙がない限り体力は余裕だけど、精神力の疲弊は加速度的に増していた。無抵抗な民草の殺傷は認められないが、兵士軍属は同胞であろうと殺戮の対象になり得るとか、もはや暴論を通り越して詭弁だ。
 冷徹な兵器に徹しきれない原因は、騎士としての良心の呵責に尽きる。大きな陰影を伸ばす五芒星の鐘楼を目指して速度を上げ、厩に並ぶ華美な馬車の数々にうんざりしつつ、裏門の勝手口から紅魔館に入り込む。

 おかえりなさいませ。お疲れ様でした。私の姿を見やってこえが飛び交うキッチンは、まさに戦場さながらの様相だった。夜通しで開催されている舞踏会の瑣事に追われて、忙しなく侍従たちが出入りを繰り返す。
 どうもお父様は就寝中で面会は叶わないらしく、報告は後日に回すと決めて部屋に引き返した。メイドが付きっきりの生活は性に合わないから、ひとりで体の清掃やドレスの着付けをこなす日常の方が気楽でいい。
 さっと身支度を整えて、再び厨房へ舞い戻る。客人用の豪勢な食事がどうしても気に入らず、従者の差し出す料理には無視を決め込む。適当な食パンと苺のジャム、ティーセットを用意してそそくさと立ち退いた。
 上階の優雅な喧騒を無理矢理に聞かされながら、富の象徴『智慧』を示す大図書館手前の倉庫へ向かう。ぐるぐるとぐろを巻く螺旋階段の先に、動物の口元のような小さい穴が下部に開いた鋼鉄の扉が佇んでいる。

「フランドール。入るわ」

 決して届かないこえで合図を行ってから、家族だけが持っている鍵を差してドアを開く。どんな強固な防壁や結界魔法を用いて閉じ込めようとも、あの子が能力を行使したらごみくず同然でなんの意味も為さない。
 今の完全に形骸化した幽閉が保たれている由縁は、お父様の長期間に及ぶ卑劣な暴力の躾の所為で、姉として私は……。ぶんぶん首を振って邪念を追い払い、わずかな灯かりが漏れ出すほの暗い室内に入っていく。
 フランドールはぬいぐるみの並ぶベッドに体を預けながら、魔法の火種が宿すカンテラの炎のそばで絵本を読んでいた。私の姿に気づくとふんわりすてきな笑顔が咲いて、おもいっきり胸のなかに飛び込んでくる。

「おかえりなさい! おねえさま!」
「ただいま。いい子にしてたみたいだね。とってもうれしいわ」
「うん! わたしちゃんとおとなしくしてたよ! おねえさまが喜んでくれるとわたしだってしあわせだもん!」

 ぎゅっとやさしく抱きしめてやると、あどけない表情が花みたいに綻ぶ。私が護りたい、絶対に護らなければならない唯は変わらないと確信を秘め、そっとうなじのあたりにキスを落としてからちいさな体を離す。
 紅茶を淹れるわ。こくこくとうなづくフランドールは上機嫌で、はらわたのまろび出たうさぎのぬいぐるみを抱えながら微笑む。しあわせのかたちが、はっきりと視えている。永遠に続くよう全力を尽くす覚悟だ。
 私たちは普通の姉妹として暮らしたい。それなのにかみさまは、最低の未来を編んでしまった。お父様が頑なに固執している、地位や名誉が馬鹿馬鹿しい。騎士の座に居つく私も、おそらく同類かもしれなかった。

 ――レミリア。フランドールを、護ってあげて。
 ぽろぽろとなみだを零す私の頬を撫でる、お母様のてのひらを握りしめながら誓った。出産は母体の生命を脅かす行為だけど、異端の吸血鬼を産み落とす事態は自殺に等しい。
 わんわん泣きわめく赤子も、まったく同じ哀しみを背負って死別を見送っていた。お父様の虐待が妻子を問わず日常茶飯事で行われている以上、無防備な彼女を護るべき存在は私しか残されていない。
 懲罰の理由は『世継ぎの男子が生まれない』嘆きと苛立ち。今も見境なく淑女を連れ込んでいるけれど、弟妹が増えそうな気配は感じられなかった。生物学的な問題も絡んで、子供を孕むケースさえ稀なのだろう。
 強くなりたいと歯噛みした。強く在らなければならないと願った。騎士としての理想と抱く真紅の薔薇は、フランドールに捧ぐための徒花。お母様との約束は絶対に成し遂げる。永訣の瞬間に、運命は定められた。

 残念ながら神様の敷く未来は、予定調和の規定事項でしかない。無力ながらフランドールを庇い続ける日々のさなか、図らずも忌まわしい破壊の能力は突如と具現化を成し遂げ、無差別な暴走を幾度も繰り返した。
 ぬいぐるみ。アンティークの家具。東洋の陶磁器。キリストのステンドグラス。人間。メイドや乳母が何人も殺された。すぐとなりで私が「やめて!」と叫んだら、心臓を鷲掴みにされる感覚は勝手に凪いでいく。
 お父様は拷問用の牢獄を改装して、フランドールを閉じ込めるよう指示を出した。妹は夜空の記憶を覚えていない。きらめくオリオンやアンドロメダの美しさや、風を受けて飛ぶ心地良さを知らずに過ごしている。
 食事以外の給仕は放置状態。今の本人に訊いてみても、力の扱い方そのものが分からないらしい。もちろん幽閉を放っておけるわけがなく、古今東西の文献を漁り必死に調べ尽くした。英霊に訊ねたことさえある。
 ただ現状において封じ込む手段は見当たらず、完全な手詰まり状態で途方に暮れてしまう。姉として情けなかった。しあわせにしてあげたかった。こんな星の見えないトリカゴで、生涯を終えて欲しくないから――


「おねえ、さま?」
 すごくちいさなこえで、ふと思考を引きずり戻される。
 わずかな不安の色が表情から垣間見え、あわてて緩慢な笑顔を取り繕った。
「ううん。だいじょうぶ」
「……うそつきは、だめなんだよ?」
「フランドールにあげるプレゼントなら、たぶん秘密にするかもしれない」
「それは、ええと、お姉様が異国の旅先で、いつもお買い物に悩んでるってお話なのかな?」
「なかなか、さ。ぴったりな品が見つからないと、あれこれと迷ってしまうおかしなくせがついてしまったの」
 どうしようもないうそをつく時点で、なんとなくやるせない気持ちになってしまう。
 テーブルにティーカップを並べて、フランドールのとなりに座る。ずっと諸国を流れ歩く日々が続き、ふたりで過ごす時間は確実に減っていた。
 遠くの戦場に赴き敵兵を薙ぎ倒す現状が、結果的に妹を護るための最善策と信じて従うしかない。砂糖を大量に放り込む姿を見やりながら、ほんのやすらかなひとときを噛みしめた。
「あのね、お姉様。ようやく薔薇のピースができるようになったの!」
 ついと言ってきらきら微笑むフランドールは、ソファーのそばからパッチワークボードを取り出した。
 虹色の糸が紡ぐ布生地を幾重に為す花びらのモチーフ。ふわっと広がって咲くような絶妙な質感は、素人の自分が見ても快心の出来とすぐに分かる。
 ちょうど此処のテーブルに合うくらいの超大作にしたいと意気込んでいたものね。私たちの想いを繋ぐキルトの輪郭をなぞりながら、いっとうの笑みをたたえてうなづく。
「きれい。ほんとにすてきね。私の編んだ部分が粗く見えて困ったものだ」
「お姉様とふたりで作るから楽しいんだよ。喜んでもらえるとうれしいんだから!」
 このキルトは私とフランドールの共同制作で、ふたりでやりとりを繰り返して編み込んでいる。
 か細い指で結ぶ"きずな"をかたちにしていく作業は至福で、ずいぶんと遅れながらも必死に織物を縫った。
 繋がっていたい。離れたくないの。あいしてるわ。ありとあらゆるない交ぜな"かなし"感情の表れなのかもしれない。
「そうだな。私も今回のテーブルクロスを使って、フランドールと紅茶を嗜む瞬間が楽しみで仕方ないよ」
「ね、ね。わたしもなんだよ! お姉様のプレゼントも大好きだけど、お姉様の手作りがもっともっと大好き! 胡蝶蘭のドライフラワーや薔薇の栞とかみんなみんな、わたしのたいせつなたからものなんだよ!」
 また胸のなかに飛び込んでくるフランドールを受け止めて、さらさらな金髪のショートカットを指先ですいてやった。
 パッチワークやドライフラワーは室内で遊ぶための苦肉の策で、本来ならば天体観測や星空をステージにダンスを教えてあげたい。
 ちくちくと、心が痛む。なにも私の無力は責められていないのに、ひどく強がってみせる有様が道化みたいに思えた。しかし憐れなマリオネットに成り下がっても、無様な醜態を曝す愚行は絶対に許されない。
 お母様の死後は、泣かなくなった。どんな非道や残虐がもたらされようと、強く在り続ける姿を示さなければならない。ただ愛おしさや悲しみなどもろもろの感情は、小指に結った運命の紅い糸から伝播してしまう。
「……たくさん、作ろう。楽しいこと。すてきな思い出。ふたりだけのたからもの。ずっとこれからも、ね」
「うん! お姉様といっしょだったら、いつまでもしあわせなの! いつか、わたしね、わたしね、お姉様に恋するシンデレラになりたいの!」
 ソファーに埋まるくらいの勢いで抱きしめられて、ところかまわずあちこちにキスを落とされた。
 貴族の素養を学んでいないからこそのピュアな感情が、まっすぐに透きとおって心のなかの黒いよどみを濾過してくれる。
 やられっぱなしは致し方ないと思うけれど、なんだかめちゃくちゃに恥ずかしくてもどかしい。フランドールをフィアンセとして迎え入れるなんてお馬鹿な妄想が、にわかに妙な真実味を帯びて感じられた。
 そのような性癖なのかしらと自分を疑ってしまう程度には、かけがえのない妹の言葉が切なる想いとして心に響き、嗚呼……。白い肌をたゆたうくちびるのぬくもりが生々しくて、ほっぺたに真紅の薔薇が咲いた。

 此方の幾億光年の孤独が支配するトリカゴのなかでフランドールと暮らす日々は、お父様の虐待に対しての警戒の意味合いを除いても私にとってはごく当たり前のことだった。
 それは戦火に身を投じてからの日々も変わらなくて、紅魔館の滞在時間は出来うる最大限をふたりぼっちで過ごす。簡単な読み書きや最低限の礼儀作法を教え、とりあえずの衛生と清潔を保つための魔法を授けた。
 無垢な子供は過酷な環境条件に適応すべく、余計な理性を削ぎ落とし心を閉ざしてしまう。妹も諸説の例外に漏れず、他の人間――お父様や侍従の言葉にまったく耳を貸さなかった。そして侮蔑の眼差しで返した。
 危ういバランスで成り立っている状態だとしても、とにかく最愛のひとが微笑むひとときをたいせつにしたい。居もしないかみさまに祈った。どうかいま以上の"しあわせ"を、私たちから奪い取らないでください。

 ふたりで寄り添い合いながら、他愛もない出来事を話す。長きに続く監禁の所為で時間感覚がおかしいフランドールは、なかなか寝つけずに『かまってほしいの』とわがままみたいな甘えたがりをよくしたがった。
 そんなときは御伽噺を読んであげていたのだけど、かく戦場に赴くようになって以来は外界の話をせがんでくる。大半は虐殺だ。悲惨な現実を知って欲しくなくて、つとめて英霊と刃を交えた時分の逸話を語った。
 今日の夢物語は魔槍を持つ貌の騎士ディルムッド・オディナと相対する邂逅。凛々しい矜持を以って決闘に挑む英雄譚の数々を聞くフランドールは、真紅の騎士と在り続ける私に心底から尊敬の念を向けてくれた。
 お父様に誓う忠義は虚構。戦の威光はフランドールに捧ぐ花束――止め処ない感情の吐露は、真の騎士道の示す未来と自虐的な懺悔を終えたような心持ちを含み、つい罪の意識が張りつく胸を撫で下ろしてしまう。
 彼は主君を裏切って姫君と恋に堕ちていくけれど、現世に降り立ち私と槍を交える意味は、果たせなかった忠義を貫き通すため。素晴らしい騎士だ。かの英霊の賛辞を締めくくり、そっと懐中時計の針を見やった。

「そろそろかな。ちょっと待ってね」
「ええと、どうしたの? そうだ。あのね。わたし最近ご無沙汰なお姉様の料理が――」

 つつっとやわらかいくちびるをそっとなぞりながら、ちいさな体をまっすぐソファーの中央に動かして立ち上がる。きょとんとした表情が本当に愛くるしくて、たぶん私は普通にフランドールが好きなんだと思う。
 大好き。愛してる。どちらの表現が正しいのかよく分からない。うたかたの夢みたいな、なのにふわっと咲き誇る、つくづく不思議な気持ち。さり気なく部屋の外側に隠しておいたプレゼントをしげしげと見やる。
 妹と同じくらい大きなぬいぐるみ。その"くま"が胸のなかに抱える紅い薔薇を添えた手紙は『Happy Birthday, My dear Flandre...』――ひょいと持ち上げてソファーまで引き返し、すぐとなりに座らせてあげた。

「フランドール。誕生日おめでとう。これからも私の親愛なる、たいせつな妹であっておくれ」
「ありがとうおねえさま! またすてきな"お友達"が来てくれた! たいへん! この子の居場所を考えなくちゃ!」
「……そろそろお人形の輪舞曲は卒業しないとな。もちろん教えられないけれど、次のプレゼントも大方の目星はつけているわ」

 とびっきりの笑顔を綻ばせ、妹がはにかんでくれる。あふれ出すしあわせが抑えきれないらしく、桜色の便箋を大事そうにテーブルのそばの机に乗せると、くまのぬいぐるみを抱きしめながらベッドに飛び込んだ。
 きゃっきゃっとこえにならないこえをあげ、ひたすらに毛布の上を転がりまわってはしゃぐ。勢いよくぱたぱたと倒れてしまう他のおもちゃたちを交え、とても楽しそうに"みんな"の並び順を指差し確認している。
 やがて「うん!」と大きくうなづくと、またすぐに焦げ茶のくまさんを抱えてとことこ戻ってきた。つたない文字を熱心に追いかける紅いひとみが、きらきら星くずのようにまたたく。ちょっぴり、恥ずかしかった。

 ちょうどフランドールは九回目の生誕を迎える。お母様。あのときの誓いをしかと果たせていますか?――返らない空言の正答を求めて、妹の誕生日を祝うたびに問いかけた。どうしても心もとなくなってしまう。
 そもそも信念は揺らがなかった。私は全力を注いで妹を愛している。すべてを尽くした証拠として、きれいな微笑みが咲く。だけど現状は最悪だった。刹那の幸福を引き伸ばしても、幽閉の解決策は見当たらない。
 じわじわ焦燥感に駆られていく。いつまでもこのささやかなしあわせが続くとは思えなかった。だって今も紅魔館を留守に戦場へ赴く時間が大半を占め、ずっと近くにいてあげられない状態が続いているのだから。

「……お姉様。わたしの誕生日もいっしょに居てくれないんだ」

 星の羅針盤が指す暦を哀しそうな視線で見つめながら、ぎゅうとくまのぬいぐるみを抱きしめてつぶやくフランドールのこえは、まるで無意識のうちに私の心中を察して無力を咎めるかのような含みを感じさせた。
 当然ながら問い詰めたい意図なんて芥子粒ほどもなかったと思う。けれども最愛の妹の音色は悲壮にあふれ、やるせない感情を必死に押し殺している。居もしないかみさまを、ずたずたに切り刻んでやりたかった。
 本来の誕生日は明日だ。最高の準備で望んで、楽しいひとときを過ごしたい。それなのに……。私は大規模な殲滅戦で異国に出立を命じられているため、早朝からすぐ馬車に乗り込んで発たなければならなかった。

 お父様に仕える騎士としての責務を果たす。フランドールに抱く恋慕を押し殺し、今や完全に形骸化した責務をまっとうすべき意味は?――両の狭間で揺らめくあいまいな思考が、じゅくじゅくと心を苛み続ける。
 ディルムッドのように強く在りたい。かの騎士も同じ苦悩を抱えながら、永きに渡る逃避行を続けた。おそらく自分は赦してもらえないだろう。当主は、お父様は、私たちをチェスのポーンとしか見なしていない。
 最愛の妹を世界の遥か彼方まで連れ去って、ふたりだけの永遠を作り出す未来は必ず用意できるのに、凛と佇む騎士たらんと忠義を捧ぐ矜持がうしろめたい未練を残す。うぶられていた。無様すぎて、心が腐った。

「ごめん、ね。フランドール。ほんとうに、ごめんなさい」
「わたし、いやなの。おねえさまが、おねえさまが、いつまでもそばにいてくれないといやなんだ!」

 なんの意味も為さない謝罪の言葉が孕む欺瞞を暴くかのごとく、ちいさな体をわななかせてフランドールが大きなこえでわめき散らした。きらきらきらめく紅いひとみから、大きななみだがぽろぽろと零れ落ちる。
 ぎゅっと強く抱きしめられて、まったく離そうとしない。ほのかな紅が差す頬から伝うしずくが、くちびるの触れ合う首筋を流れ落ちていく。わんわん泣きじゃくる妹を慰められず、やりきれない無力感を覚えた。
 切実な気持ちが胸を締めつける。呼吸ができなくなりそうだった。よく覚えているわ。去年も同じだったもの。その前もさらに以前も「来年はふたりで祝おう」と約束を交わして、幾たびも裏切ってきたんだから。
 胸のなかで嗚咽を繰り返す無垢ないのちを、だれが責めることができようか。私の力の為す術もなく、ひたすらに回答と浄罪を先延ばしを選択した過ちが、妹のどうしようもなく凄惨なかなしみを生み出している。

 フランドールだってもろもろ分かっているのだ。お父様の命令に背けない現実。姉の騎士としての理想の在り方や葛藤。自分が置かれている立場。彼女は聡明だった。故に私の存在を世界のすべてと見なしている。
 しがみつかないとおかしくなってしまうと、幼心に気づいていたのかもしれない。まともで在りたいから、親愛なるひとに捧ぐべき忠義を欠くあるまじき暴挙を、姉の抱え込む想いを汲んで現在まで赦してくれていた。
 泣きたい気持ちが痛烈に伝わってくる。しあわせの在処を知りながら、離れ離れの生活を続けなければならない矛盾を飲み込んで……。強く在り続けよう。お母様と交わした約束は、心のなかで凛然と掲げておく。
 すてきなくつろぎ。つらいこと。すべてを分かち合う必要はない。これ以上の痛みを伴うような真似は、絶対に阻止してみせる。やさしくちいさなてのひらを振り解いて、真っ白なほっぺたに誓いのキスを落とす。

 ――フランドール。私が帰るまでちゃんといい子にしてるんだよ。
 くるくるとよく動くつぶらなひとみがうるんで、ますますなみだがとまらなくなる。おまえを護るためだとかお父様の命令だとか、言いわけ染みた慰みで誤魔化すつもりはこれっぽっちもない。
 私は、レミリア・スカーレットのやり方で――凛と咲く騎士と在り続ける生き様を曝し続けて、最愛の妹と歩むべき運命を必ず切り開く。妹のやわらかいソプラノが、ひどく軋んでうわんうわんと輻輳を繰り返す。
 ふと心臓をつかむような錯覚が襲う。あえて運命の揺らめきは無視する。今の『ハカイ』の能力を以って引き止めようとした兆候は、たぶん私たち姉妹が抱く独善的かつ誇大妄想狂な愛情の表れなのかもしれない。

 たくさんつくっておきたい、しあわせなおもいで。ほんのささやかな希望で紡ぐパッチワークが『いつか』なんてうたかたの未来を織り成す花を咲かせ、私を取り巻く運命の風向きを変えてくれると信じたかった。
 だって、ね。スウィートなひとときはやさしくとろけても、深く刻み込まれた傷の痛みをやわらげるだけで、根本的な病を治すためのクスリにはならない。どんな悪あがきだろうと、すべてを尽くして貴女を護る。
 かみさまにすがりつかないと生きていけない世界ならば、なにもかもぜんぶを変えてみせようじゃないか。そうしてつかみとったフランドールのしあわせな運命が、とてもあたたかいぬくもりであって欲しいと――



  ◆



 早朝の日光を遮りながら幌馬車で出向く先は貴族や豪族の屋敷の数々で、スカーレットの権力に取り入ろうと目論む低俗な連中相手に何度も頭を下げられた。
 私は年齢の詐称を命じられているレプリカントでしかないのだけど、ずいぶんと丁重なもてなしばかりですっかり呆れてしまう。そもくだらない地位が目的だとしたら、戦場で散っていくものたちがうかばれない。
 ローマのムニチーピオにおける戦果は聞き及んでおります。先の聖ヨハネの御旗を受け継ぐロードス騎士団の打撃は致命傷となりましょう――お父様名義の武功が囃し立てられても、まったく興味が持てなかった。
 適当な相槌を打ちながら、余所余所しく"お嬢様"を振舞う。つまらない挨拶回りを終えてあっと言う間に夜の帳が下りたころ、ひとり星くずが舞い散る黒い水槽を飛び立ち、遠い異国へ災いをもたらす旅路に就く。

 ブランデンブルク辺境に逗留していた大軍勢の駆逐は当然に容易いが、かの兵士たちは近年の突発的な『吸血鬼』の起こす異変解決に向かう、ローマ教皇から直々の託宣を受けて集う選りすぐりのエリートらしい。
 うわさは尾びれを引きながら、結局は自然と耳に入る。お父様は策略家の才を持ち合わせているのかもしれないけれど、私からしてみれば非道と陵辱を正義と為す常軌を逸した虐殺は騎士道の侮蔑としか映らない。
 ふざけるな。真紅の真名を穢すな。運命を強制的に摘む大義と目的は欠落している。騎士王はブリテンを救うために戦った。湖の騎士は誇り高き矜持を掲げて剣を振るった。征服王は眼前の敵兵のみを討ち取った。
 ならば私はフランドールの喜ぶ威光をかざすために、スカーレットの栄誉を捧げてみせようじゃないか!――そう在りたいと願ってやまないのに、残酷な現実は運命を刈り取っている。心が痛くてたまらなかった。
 あの男の栄誉になってしまうのだ。私の武功が畏怖と威信に変わる。たくさんの名声が広がっていく。尊厳と矜持を完全に見失った主君は見苦しい。お父様。あなたはレミリア・スカーレットの名前を穢している!

 高潔な英霊の降臨を待ち望んで真紅の槍を操り、四方から襲い来る敵兵の群れを薙ぎ倒していく。ひたすら甲冑の鋼を貫き、倒れ伏す骸を避けつつ死体の山を素早く乗り越え、燦然と燃えさかる戦場を駆け抜けた。
 心のなかで煮え立つ苛立ちは、ひとの運命を蹴散らすたびに増していく。だれか、お願いだ。運命を書き換えて……。かみさまのような存在を期待しては裏切られながら、予定調和で規定事項の運命を切り裂いた。
 ざらつく生あたたかい血と鉄の味を噛みしめ、無数に群がってくる小隊の数々を灰燼に帰す。一晩で終わらせなければならない。体や魔力の酷使を示すアラートを無視して、悲壮と枯れゆく真紅の花々を咲かせる。
 ひどい惨事でしかない御伽噺を読む物好きの気が知れないわ。やり場のない想いをぶちまけた。こんな有様で私は、わたしは……。玉座に存ます英霊たちとフランドールに、まともに顔向けできるはずがないんだ。
 悔恨の念を抱きながら、百人隊の騎士の首を跳ねる。そのとき、運命が揺らいだ。理解したくないと本能がわめく。私のひとみが捉えている運命の鼓動は、紅魔館に潜伏中の分身の蝙蝠の"ひとみ"が投影していた。


 ――きゃははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!
 昼夜を問わず晩餐会と舞踏会で真っ最中な紅い館の大ホールで、私に見せてくれる微笑みとまったく変わらない表情で、フランドールがひとりでけたけたと笑い転げていた。
 相貌を形作る"真っ白なビー玉"とか臓腑のような"赤いシチュー"等々の、人体を構成する部位"だった"もの。さっきまで『ひと』のかたちをしていた破片が、あちらこちらとめちゃくちゃになって散乱している。
 メイドが呆然と立ち尽くす合間を縫い、破壊を悦と嘲笑う吸血鬼が去っていく。だれかの告げ口だろう。すぐさまお父様が入ってきて会場の被害を確認すると、あたりかまわずひときわ大きな怒号を浴びせかけた。

 私のせいだ。すべて、わたし、の……。死体だらけの丘陵に紅い槍を突き刺して見上げた夜空の三日月が、かみさまのくちびるみたいに口角を吊り上げて笑っている。
 ふと鬨の声が響き渡った。眼下に広がる弓兵を中心に配す隊列は幾千単位。先陣に立つローマの御旗を掲げた騎士が指揮杖を振りかざす。敗北は許されない。私の戦場放棄はスカーレットを真の汚名と穢すからだ。
 まず最低限は騎士の誇りを護らなければならない。マダソンナクダラナイコトニコダワッテイルノ?――心のなかでささやくこえを無視して槍を持ち直すと、さざなみのごとく感情が冷めて魔力がみなぎってきた。
 ありったけの力を込めて、グングニルを敵陣ど真ん中に投擲する。切先からにじむどす黒いオーラが因果律のゆがみを発生させ、ありとあらゆる物理的存在を"夜"に失くす。そっと私は、悪魔の戯言をささやいた。














全 世 界 ナ イ ト メ ア

















 人々のいのちと銀河の彗星を吸い込んだブラックホールは収縮を繰り返しながら、夜のコールに引き戻されて宵闇のなかに消え失せていく。あとの大地に残る存在は私ひとりで、すべては悪夢と変わり果て消えた。
 たったひとつの運命を賭してひとは剣を執るのだから、こちらも礼節を尽くし槍技で相対しなければならない。そんな彼らの矜持を<幻想結界>に葬り去った過ちは、私の汚名として永遠と宇宙を彷徨うのかしら。
 夜空の星くずの威光が輝く瞬間は、英霊たちと戦う刹那だけで十分だ。余計な思考を振り払う。フランドールを護る――紅いかたちを取り戻す槍の魔力を解き放ち、すぐに闇に沈む漆黒の羽を伸ばして飛び立った。

 ――お願いだ。おとなしくしておくれ。ついさっきの晩に約束したじゃないか。また私が戻るまで『いい子』にしててくれるからだいじょうぶ。そうだろう間違っているかフランドール!
 すっかりくたくたの体を必死に鞭打っても、先の膨大な魔力放出の所為でまったく力が入らない。あやふやな意識が遠のき螺旋のような軌跡を描きながらも、翼がちぎれそうなほどできる限りの英気を振り絞った。
 苛立ちを隠しきれず、敗残兵の心境を想像してしまう。護りきれなかった国土。失った仲間や肉親。あるとき運命の変調は"きずな"を切り裂く。どう足掻こうと咎められるのだから、私が護り通すしかないんだわ!

 ぐるぐる渦巻く思考が結論を導き出す。そばにいてあげないとだめだった。あの子は視えない"なにか"と戦っている。お父様のトラウマ。能力の暴走。星のない世界の幽閉。フランドールは、ひとりぼっちだった。
 そもそも、だ。忠義を誓う王女から離れる愚行は赦されない。たとえ己の無力を悟り、あまねく一切の万策が尽きても、最期の瞬間が訪れるまで寄り添い合う。そう在り続けることが、騎士のつとめではないのか。
 なのに私は、わたしは、遠い異国の地平で戦果を挙げる事実が、フランドールを護り抜くための唯と思い込んで……。彼女と戦ってあげられなかった。主君を見殺しのまま逃げ出す、無様な有様を曝け出していた。
 たくさん作って積み上げてきた思い出のかけらが、がちゃがちゃと音を立てながら崩れ落ちそうになっている。まだ間に合うと信じて、信じさせて欲しくて、酸のような痛みを刺す霧雨のなかを駆け抜けていく――



  ◆



「フランドール! フランドールは、今どこでなにをしている!?」
「お、お嬢様。その、フランドール様は、あ……。し、寝所に戻られた、のかもしれません……」

 やっとの想いでたどり着いて紅魔館に入るなり怒鳴り散らす私の姿を見やってか、もしくはフランドールの虐殺に怯えている所為か、忙しなく動きまわる侍従やメイドたちは普段に増して緊張を隠しきれていない。
 お父様の立ち振る舞いが権力の拡大と共に荒々しくなり、ひとあたりが厳しい現状を差し引いても慌ただしかった。なんとか引き止めたメイド長も、顔面蒼白で血色がよろしくない。こえがわなわなと震えている。
 なかなか二の次を告げないので、もやもやと苛立ちが募った。ダンスホールの惨事で蝙蝠も失って、それからの状況が把握できていない。とりあえずもっとも当たりそうな、最悪の方向性を阻止すべく言葉を紡ぐ。

「お父様に報告がある。今すぐに拝謁を賜りたいと伝えてくれ」
「そ、それは、すぐのご命令で『侍従以外の今後一ヶ月の面会をいっさい禁じる』と仰せられまして、おそらく……」
「ふざけるなよ! レミリア・スカーレットが要求している! 今後の在り方を当主とあろうものが示せない有様なのか!?」
「い、いらっしゃらないのです。その、お嬢様は存じないかと思いますが、フランドール様の……。それで、ええ、と、死体の、処理を、どうなさるおつもりなのか指示を仰ぎに、お部屋を訪ねたのですが……」

 しどろもどろな言葉を聞き届けるより前に、勝手に前足が動いて図書館方面の通路に歩き出していた。
 だいたいフランドールの"ハカイ"能力に巻き込まれたくないとかで、女中や執事たちが恐れを為し妹の部屋に近づいていないのだろう。
 たぶんお父様もいらっしゃる。とにかく権力に絡むとあざといひとだ。公然と面目を潰されて、黙っているはずがない。うっすらほの暗い回廊を歩んでいくさなか、在りし日の記憶がフラッシュバックを繰り返す。
 戦場に赴く以前の、忌まわしい日々。理由なき暴力が横行し、汚く罵られ、わんわん泣きわめく妹を庇うけれど、教育の最中さえ破砕音が響き、心が痛くて……。あの残酷な虐待の日常を、私たちは忘れられない。

 渦巻き状の螺旋階段の最下部から、おぼろおぼろと灯かりが漏れている。
 わぁんわぁん。わぁんわぁん。かん高い音が輻輳を繰り返す。なりふりかまわず私は踊り場に体を放り投げて、細い縦長の空間の湿気を切り裂きながら墜落していった。
 あっと言う間に100mほど真下に行き着くと、結界魔法で編んだ宝石の錠前が木っ端微塵になっている。冷たい牢獄の奥から泣き叫ぶソプラノが響く。すぐ部屋のなかに踏み込むと、最愛のひとが足蹴にされていた。
 もちろん相手はお父様で、こちらを見やると醜悪な笑みを浮かべ、わざとらしく妹の下腹部を踏み躙った。もがき苦しむこえと鮮血が、びちゃびちゃとひどい音を立て室内に反響し、螺旋階段の縦穴まで跳ね飛ぶ。
 思わず走り出してフランドールのちいさな体を抱きかかえると、てのひらからほんのわずかな心もとない力が感じられた。こえを出そうとして嘔吐を繰り返すたび、私の真っ白なドレスが紅く紅く染まっていった。


「……おねえ、さま。おねえ、さまぁ」
「フランドール! フランドール、しっかりして!」
 泣きじゃくっているのに、甘ったるく呼ぶこえが鼓膜を揺らす刹那、妹の頭頂部が肩口に押し込まれて嫌な音が響いた。
 うなじに流れる生あたたかい血反吐。吸血鬼の腕力で頭蓋を殴られたら、まともな生物の類ならば死ぬ。だらんと力なく垂れ下がる頭の向こうで、さも面白おかしそうに実の父親は笑っていた。
「ずいぶんと早い凱旋だな。まさか逃げ帰ってきたのか?」
「すべて掃討しましたが、聞き捨てならぬ情報を入手した故、報告に戻った次第です」
「ほう。おまえには教えていなかったが、くだんの軍勢はスカーレットの滅亡を旗印に掲げており、よもや一夜で片付くはずがない数と聞いている」
「……早馬や伝書鳩で数日中に大規模殲滅の連絡は届くでしょう。お父様の命令通りの役目は、真紅の薔薇の真名に誓って間違いなく果たして参りました」
 くだらないな。そうお父様は苛立ちながら吐き捨てると、またフランドールを殴ろうとしたので、矢面に立ち前面に踊り出た。
 おそらく、だけど。私の言葉は信じてはいるのだろう。そのくせ気に喰わないからなんてニュアンスの、しょせんろくでもない『大人の言いわけ』かしら。
 なるべく抵抗の意思を見せないために外面を取り繕うものの、ほっぺたを握り拳でおもいっきり殴られた。なんとしても吹き飛ばされないように、しゃんと四肢に力を入れて踏みとどまる。
「たわけ。どうせ例の『インチキ』を使ったのだろう。あんな能力で『騎士王』を名乗るとは、ともあれ貴様もたかが知れたものよ」
「だいぶ鍛錬を積んでいる歴戦の"つわもの"が揃っていたので、早期の壊滅が必要だと判断し致し方なく。お父様のいのちを狙う輩は確実に増えてきております、故に――」
「そんなつまらない報告は要らぬ。いいか。私の質問に答えろ。おまえのごみくずみたいな理想をねじ曲げて『なぜ』今日中に帰ろうと思ったのだ。まさか本気で先ほどの言葉のとおりではあるまいな?」
 だめだ。最悪としか……。すべて。すべてだ。見透かされている。
 フランドールのためだと白状したら、ますます怒りが収まらなくなってしまう。
 それでも信念を貫き通さなければならない。もはや嵐が過ぎゆくまで堪え忍ぶしか、手持ちのカードは残されていなかった。
 ただひたすら誠実につとめ、目の前の標的を見つめる。お父様は質問の回答を知りたいのではなく、真意を『餌』に付け込んで服従させたいんだわ。
「言えません」
「なんだ。主たる私に逆らうのか?」
「どうかお赦しください。お答えできません」
「だれに向かって口を聞いている? おまえを育ててやった父親だぞ?」
 疲労困憊な体のあちこちに激痛が走る。
 拳や蹴りだとか、容赦なく暴力を振るわれた。
 かみさまの作り出す世界の設計図に抗うデスゲームは終わらない。
 分かっている。私が「言えません」と答えるたび、お父様の抱く疑念は正答に近づく。
 そうだとしても、だ。どんなにみじめで、かっこ悪くて、無様だろうと……。フランドールを護る騎士の宣誓は絶対に果たす。
「弁解の余地は在りません、が。どうしても申し上げられません」
「貴様の主君がいったいだれなのか、もちろん分かって述べているのだろうな?」
「私は……。お父様に仕えるために育てられました。騎士としての忠義は揺らぎません」
「つまらん。白々しいうそだな。そこのクソガキをいたぶるたびに、おまえは今みたいに反抗し続けてきたが?」
「フランドールは悪くありませんから、いつも身代わりとなっているだけです。たいへん模範的な規律の正しい躾で、スカーレットの令嬢は立派に育ちました。さぞかしお父様も満足なのではありませんか?」
「ぜんぜんおのれは成長していないな。引きこもりのカスの話だとすぐ躍起になる。素直に白状しろレミリア。そいつが今回の惨劇を意図的に発生させ、私のプライドに泥を塗りたくった原因を知っているのだろう?」
 ふと思い当たる。なんとなく、だ。なるべく当たって欲しくない推論で、確信に至るまでの根拠は持ち合わせていなかった。
 お父様が気に入らない点は、フランドールの暴走と私たち姉妹の心が通じ合う事実そのもの。お父様の手足として自由に扱えず、暴力で服従しなかった精神性が恨めしいのか。
 スカーレットの当主として優雅に振舞えば、ちいさな子供は両親にあこがれや尊敬の念を抱きながら育つ。そんな当たり前の事実に気づかないあたり、おろかで嘆かわしいとしかたとえられない。
「存じ上げません。本当に心当たりがないのですから、ゆめゆめ答えられるはずもありません」
「馬鹿馬鹿しい言いわけをするな。さっさと私の質問に答えろ。まったく姉妹で揃って口を開かないのだからどうしようもない」
 言えません。
 言えなかった。
 言えるわけがない。
 あなたの質問に答える義理は皆無だ。
 私は強く在り続ける。お母様との誓いを護るためならば、どんな痛みだって耐え抜いてみせよう。
 うずく心の在処を確かめる。そのとき、ゆらゆらと、フランドールが立ち上がった。とっさに見やりてのひらを差し伸べても、か細い血まみれの腕は力なくぶら下がっている。
 うつろな紅いひとみが、お父様を映し出す。運命がざわつく。つい叫ぼうとして、はっと口をつぐむ。あくまでも私は、わたしは……。突きつけられた運命を視て『選ぶ』ことしかできない。
「……お父様は覚えていないと思うけれど、今日ってわたしの九つの誕生日なんだよ?」
「フランドール! お願いだ。お願いだから、それ以上もう話すな! また苦しみを産み出すだけだ!」
 こえを張り上げて制止を促す私を遮るように、当主の鉄拳が顔面に叩きつけられた。
 ぐるぐるぐるぐる思考は不規則に回り続けながら、喉奥の血反吐と絶望感が逆流してだらだら流れていく。
 淡々と言葉を紡ぐ妹の表情に、不気味な微笑みが浮かぶ。鮮血のルージュで縁取られたくちびるが、三日月のかたちに吊り上がっている。
「わたしね。どうしてもお姉様とふたりで、お誕生日パーティーがしたかったの」
「……なるほどな。そしておまえは殺人をやらかしたら、レミリアが戻って来ると踏んだわけか」
「うん。だってわたしは、わたしは、ずっとずっと、いつまでもいつまでもおねえさまといっしょにいたいんだもん!」
 ――フランドールは、私を愛している。
 今『とある証明』が、為されてしまった。
 解答は親愛なるひとが想う"大好き"と"愛してる"の差異を明確に示す。
 最悪の予想は当たり前の結末。妹は能力を『意図的に』暴走させて虐殺を行えば"ハカイ"の愉悦と、なによりも確実に私の帰還をもたらすと分かっていた。
 犯行動機はピュアな純真で満ちあふれている。彼女の気持ちが痛いほど理解できてしまう故に、なおのことフランドールのあからさまな愚行を責められない。
 どろどろと暗澹たる感情が漏れ出す。おろかな存在は私そのものじゃないか。貴女に忠誠を誓い護り通す騎士で在りたいのならば、となりから決して離れてはならなかった。
「しょせんくだらない家族ごっこのために、貴様は私の偉大なる名誉を踏み躙ったのか。世界を統べる王に歯向かうなど、絶対に、絶対に赦されぬ。スカーレットの覇道を邪魔するなクソガキどもが!」
 お父様は呪詛のごとく怨念を吐き捨てながら、ゆらゆらと足元のおぼつかないフランドールの胸元を持ち上げて、おもいっきり壁際に叩きつけた。
 相当な痛みが体を蝕んでいるはずなのに、最愛の妹はくすくす笑っていた。きゃはは。きゃははははは。きゃはははははは!――嘲笑のたびに、吐血を繰り返す。激しくむせ返しても、まったくやめようとしない。
 ざまあみろと言わんばかりのちいさなくちびるからしたたる血糊を、もはや私は正気を失いそうなめまいを覚えつつ見つめていた。運命が揺らめく。かみさまの仕組んだ運命の羅針盤は最悪の方向性を指している。
 辛辣な挑発に憤怒を抑えきれない男が、かつかつと靴音を立て壁際に近づいていく。条件反射ですぐ体が動き、ひれ伏すフランドールの前に割り込む。激昂もあらわなお父様は、娘の顔面に平然と唾を吐き捨てた。
「どけ。ごみくず。悪い子供は"調教"してやらないとな」
「……私の所為です。私がちゃんとフランドールを見てあげていたら、このような惨事は起こりえなかった!」
「ふん。昔から無力だったくせに、いまさら姉を気取るか。結局は能力が制御できない以上、おまえがいたところでなんの意味もない」
「そんなことはありません! 私と在ればフランドールは、フラン、ドールは……。ちゃんとひとの心が分かる、とてもやさしい子なんです!」
「くだらないおままごとはやめろと言っている。どうせ『こっち』は使えないだろうと思っていたが、いい加減に慈悲をくれてやるのも潮時のようだからな」
 死ね。
 死ね。
 死ね。
 死ね。
 死ね。
 死ね。
 死んで。
 おねえさまをかなしませるひとはもれなく死んで。
 わたしたち以外の存在は、みんなみんな死んじゃえばいいんだ!
 すべての臓腑まで浸透していくような言葉が、ぎゅうと心臓を緩やかに圧迫し始めた。
「やめてくれフランドール! お願いだ。お願い、だから……。たくさん思い出を作ろうって、ちゃんと約束したじゃないか!」
 くくく。腹の底からうなる冷徹なこえ。
 私の必死の叫びを聞くと、お父様がえげつない笑みを浮かべた。
 運命の選択権の『授与』は、ときとしてひとから強制力を以って手渡される。
 たとえすべてのルートが最悪だとしても、どちらかを必ず決めなければならない。
 お母様がお亡くなりになられた瞬間の再現か。ただ現状は……。私にとって『善し』とすべき手札が存在しなかった。
「――レミリア。槍を執れ」
 いびつな笑みをたたえながら、威厳に満ちた音色が促す。
 もちろん意味は分かっているけれど、また抗おうとしても火に油を注ぐ結果になろう。
 ぜんぜん回復していない力で真紅を具現化して、両の手で花束を捧ぐように手向けてみせた。
「……なにとぞ寛大な措置を、願いたく存じ上げます」
「せっかくの余興としようじゃないか。主君の面目に泥水を浴びせかけた不穏分子を排除しろ」
「お待ちください! 此度のカタストロフィは……。私から約束を交わして起こってしまったのです。断罪に処されなければならない存在は私だ!」
「確かに共犯かもしれないな。そのために罪を与えている。主君の矜持を穢すような騎士は、死を以って償うべきだろう。真紅の悪魔よ。異論は在るまいな?」
「フランドールは騎士の教育を受けていません! お父様に仕えるものとしての冒涜を犯したナイトはレミリアであって、妹は民草なのだから騎士典範の罰則は適用されない!」
「そもそも、それ以前の問題なのだ。こんな有様であれば、フランドールは政争の役割も果たせぬ。最悪、こやつに俺の子供を孕ませれば後裔が増えるやもと思ったのだが、甚だしく滑稽な勘違いであったな」
 くつくつと哄笑を絶やさない吸血鬼の言葉を聞きながら、己の騎士と仕える君主が最悪かつ最低の人物である現実を改めて恨んだ。
 つい英霊ディルムッドの無念を思い出す。貌の騎士が忠誠を誓う王から逃げ出すとき、たぶん私と同じ気持ちを抱いていたのだろうけれど、今の運命のめぐり合わせと比べたらぬるま湯だと揶揄するかもしれない。
 だって、ね。お父様に忠義を尽くす意味を見出せない。ひと。商家。貴族。騎士。王族。両親。なんらかの"かがみ"たるべき在り方を示していたら……。悔やんでも悔やみきれない、ひどい過ちを犯してしまった。
 運命の螺旋は複雑に絡み合う迷路みたい。黒い水槽に沈んでゆく未来は悲壮に覆われている。もっと早く決断していれば、フランドールにつらくかなしい想いをさせずに済んで、たくさんすてきな思い出もできた!

 騎士王アルトリアよ。私はどうしたらよかった?――凛と在り続けるナイトの理想を示し続ければ、貴女のような臣民の心を惹く英霊に近づけると信じていたのに、妹の気持ちさえ汲んであげられずかの有様です。
 気高く優雅たらんと願い矛先を振るうたび、ゆらゆら心が揺らいでしまう。我が槍は、騎士の矜持は、なんのために在ったのだろう。父上に偽りの忠義を誓う時点で、本来あるべきはずの信念は破綻していたのか。
 否。断じて否だ。私の騎士と『ある証明』は、お母様との誓い。フランドールを護るべく選んだ運命の決定ミスは認めざるを得ないけれど、おそらく致命的な過失は騎士としての"かたち"にこだわりすぎたことだ。
 妹のためであるならば貴賎を敷く判断は必要なく、害悪を為す存在は断固と赦さなければ……。最愛のひとは騎士と振舞う私を愛してくれていた。彼女の騎士と在り続けたい気持ちを拒否するわけがないのだから。

「さあレミリアよ。フランドールを殺せ!」

 とにかく楽しそうなあなたは、残念ながら本当に最低のひとね。私たち姉妹に同じ血が流れてると思うだけで怖気が走り出す。つまるところ最低とか下衆野郎だとか、ありとあらゆる誹謗中傷の文言がぴったりだ。
 いのちを削りながら力をみなぎらせて、ありったけを切先に注ぎ込む。それこそ"吸血鬼"を殺した経験なんかないものの、自己の再生能力を鑑みると、槍戟を遺伝子の死滅レベルで体全体に与えなければならない。
 ちらりと覗くフランドールの微笑みが、まるで感動のラストシーンを待ちわびていた観客みたいで、ずきずきと心が痛む。今から起こる悲劇に罪悪感は覚えない。私の悔悟はフランドールの"罪"に秘められている。

 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールを殺すわ。
 フランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころすフランドールをころす。

 紅蓮の槍で主君の心臓を貫き、体内の先端部へ霊力をたぎらせる。柄に刻まれた妖精の言霊から閃光があふれ、体内の細胞組織を根こそぎ破壊していく。
 みるみるうちに腐食を始め斑点模様の浮かぶ白い肌を切り裂く感触を確認しつつ、下衆な言葉と呪詛を吐き出すくちびるまで刃を持ち上げて両面に切り裂いた。
 噴水みたいに飛び散る血液の奔流が、ぺたんとしゃがみ込むフランドールのかんばせを濡らす。あどけない終末の微笑は"陶酔"を隠さない。お父様の最期を見送りながら、うっとりと白昼夢に浸っている。
 ぴちゃぴちゃと血飛沫のあふれ出す音が響くなか、私は運命の再考と未来を見据えていた。かみさまは悲劇的な結末の物語が好きみたいだけど、演じるキャストの悲痛な想いを愉悦と為すのならば最低だと思うわ。
 これより下すジャッジメントを考えると、もれなく私も同類項になってしまうのかな。ふと後ろから突然てのひらをつかまれた。護りたいひと。罰を受けるべきひと。笑っていた。とてもすてきに、微笑んでいた。

「おねえさま、ありがとう! わたしのことみんなみんな、わかってくれるの、すごくすごくうれしいな! こんなごみくずなんかさ、しんじゃえばよかったんだよ!」

 ようやく積年の呪いから開放された喜びでいっぱいのフランドールが、まあるく花開く薔薇のようないっとうの笑顔を綻ばせながらじいっと見つめてくる。
 たくさん、作ろう。楽しいこと。すてきな思い出。ふたりだけのたからもの。ずっとこれからも、ね……。鮮やかな未来を選ぶための運命を手繰り寄せられなかった罪を、私たちは姉妹で償わなければならない。
 とにかくはしゃぎたくてたまらない妹の、真っ赤なジャムで染まるほっぺたをぶった。え。やんわりと伝う痛みが理解できず、その場に彼女は呆然と立ち尽くす。次の言葉が喉でつっかえて、なかなか出てこない。
 この期に及んで、まだ運命を信じていた。おろかだと分かっていても、ついすがりたくなってしまう。当たり前だ。私はフランドールを愛している。だから決めなくちゃいけない。罰を与えなければならなかった。

「――どうして約束を破った? おまえがいい子にしてくれていたらうれしい。そう私は何度も言い聞かせた。フランドール。間違っているか!?」
「だって、だって! わたし、わたし、おねえさまとたんじょうび、やりたかったんだもん! どうせだれもわたしたちのことなんてわかってくれないし、おねえさまいがいのみんなはしんでしまえばいいんだ!」
「ふざけるな。フランドールが愛してくれている私は、騎士として凛と在り続けるレミリア・スカーレットじゃなかったのか。王女の恥ずべき行動が、仕える騎士の矜持を穢す。お父様と違えど、先の殺戮は同罪だ」

 うわんうわん悲痛な音色が跳ね返って、ほの暗い部屋のなかに響き渡っていた。おもいっきり大きなこえでわめき散らす最愛のひとの儚い哀訴を、ぎりぎりと歯噛みを繰り返しながら冷たい言葉でぜんぶ否定する。
 張り裂けんばかりの想いが込められていた。私の肯定がフランドールの生を支えている現状において、考え方が極論に傾く性向は当然の帰結。お姉様のため。そんな前提があれば、容赦なく破壊をもたらすだろう。
 どこまでもピュアな"あいしてる"の感情論が抑えきれず、今回の惨殺は必然的に起こってしまった。もちろん責められるはずがない。むしろ愛おしかった。嗚呼……。最愛のひとは、私だけを見つめてくれている。

 なればこそ、だ。私はフランドールの理想たるナイトの矜持を以って、凛然と目前の出来事に立ち向かう必要があった。そしてお母様と誓った約束のためならば、貴女と同じようにありとあらゆる手段を厭わない。
 真に仕えるべき女王陛下の寵愛を抱く騎士としての"わたし"と在り続けたい。……故に。赦してあげられなかった。ましてや理由が臣下の所為とあらば、なおさら甘やかせなかった。みんな私のエゴが決めている。
 矛盾だらけだと指摘されても致し方ないけれど、運命のタロットの提示は受け入れなければならない。分かってくれなくてもかまわないとか、まったく言えそうになかった。察してくれると、信じるしかなかった。

「おねえ、さま。おねえさま、こわいよ。こわい、よ……。わたしのだいすきなおねえさま。だいすきでたまらないおねえさま。わたしのあいしてるおねえさまにもどってよ!」
「騎士は護るべき"もの"のために剣を執る。従者は仕えるべき主のために誠意を尽くす。フランドール。おまえは忠義を掲げる人々を自己中心的な理由で……。あまつさえ私なんかのために虐殺を行った。
己の信念を貫く刃を交え、それぞれの理想の在り方を決する戦場以外で、しかも無力な民草に向けて異能の行使は絶対に赦されない。今日の殺戮の懲罰は必ず受けなければならない。執行人は騎士王たる私だ」

 真紅のひとみからたくさんのなみだがしたたり落ちて、えんえんと大きなこえでフランドールが泣き始めた。たまらず涙ぐみそうな感情を必死に押し殺して、ふるふるとわななくちいさな体をゆっくり抱き寄せる。
 どうしようもないかなしみが、私たちの心のなかを蝕んでいく。もしも願いが叶うのならば……。おもいっきり甘やかしてやりたかった。すてきな微笑みをたたえながら、めちゃくちゃにやさしくしてあげたかった。
 破滅をつかさどる王女に捧ぐ忠義は変わらない。真紅の騎士に馳せる愛しさがひしと伝わってくる。でも彼女は『ハカイ』を愉悦と嗜んで、姉が欲しくなれば平然と殺人を犯す。フランドールは、狂ってしまった。

 騎士の理想を保ち続けたくて振りかざす独善的な暴論。私が裁く権利を持ち合わせているのか?――フランドールを護ると御旗を掲げて犯した戦場の惨殺を考えたら、当たり前だけど自分だって絶対に赦されない。
 主君に抗い、感情論を曝け出し、命令に背き、挙句……。能力の行使及び殺戮。すべて騎士にあるまじき愚行で、妹を責めたてる理由は見当たらない。むしろ王女に仇なす背徳者はレミリア・スカーレット当人だ。
 それでも貴女の愛した騎士と、姉と在り続けたい。どんなにフランドールにうとまれ、かなしませ、恨まれようと、お母様の誓いを果たす。未来を憂いきらめくしずくが、真っ白な頬から伝ってぬくもりがたゆたう。
 そのあたたかさを決して忘れぬよう、また必ず抱きしめてあげたいと想いを込めて、そっと体を離した。くちびるに乗せる言葉は決別の"カルマ"と星のない未来。私とフランドール、ふたり分の断罪の運命を科す。

「フランドール。騎士王の栄光を以って命ず。私が許可を下すまで、此処から絶対に出るな。もしも上意に背くような事態になれば、たとえ刺し違えようとも必ずおまえを殺す」

 ひんやり底冷えの轟くこえでささやくと、さらに泣きわめくこえが大きくなる。フランドールは文句を言わなかった。ただ黙す私のかなしみを代弁するかのように、わんわんとものすごいなみだを流し続けている。
 ほんのわずかなうれしさやしあわせだけを分かち合っていたいのに、これからの私たちは癒える運命の視えない罪を抱えて生きていく。ぐちゃぐちゃなお父様の亡骸を抱え、ゆっくり鋼鉄の扉の方向へ歩き始める。
 最愛のひとがすすり泣く。おねえさま。おねえ、さま。名前を呼ぶ。心が痛くて、痛くて……。紅いひとみが映し出す"わたし"が怖くなって、それは姉と振舞う私ではなく……。振り向くことさえ、できなかった。
 せめて伝えておきたい大好きの気持ちも告げられず、どうしようもない無力をぎりぎりと噛みしめる。私は殺されてもかまわないと思ってしまった。フランドールのいびつな愛情を、まっすぐに受け止めたいから。

 私が九つの誕生日に定められた運命は戦争という名の矜持を賭す世界だけど、この子の九つのお祝いに科せられた運命は残酷の極まりない幽閉。思わずスカーレットの真名が、永遠に呪われていると疑ってしまう。
 フランドールは、おかしくなった。私を愛しているから、おかしくなった。お母様に捧ぐ誓いを護り通すために、矯正の責任は果たさなければならない。フランドールを救う運命は、絶対に用意されているはずだ。
 絶えず運命の因果律は揺らめく。たとえ胸に抱く一縷の望みが幻想に近くとも、世界の変革を引き起こす運命の可能性を信じている。信じさせて欲しい。しがみついていないと、心が砕け散ってしまいそうだった。
 とりあえず私の制止がないと殺戮を快楽と為し繰り返す以上、あの子の良心を信じて隔離しておくしか手段が見つからない。もしかしたら永遠かもしれない別れを、ふと気づかないうちにちいさくささやいていた。

 ――いつまでも、いつまでも、私とフランドールはいっしょだよ。また作ろう。いっぱい作ろう。ふたりぼっちの、たくさんのすてきな思い出。笑って、さ。
 なんの慰めにもならない自嘲が伝わってしまい、一瞬だけ部屋のなかに静寂が訪れた。私の気持ちなんて言わなくても理解してくれているのに、なおさら傷つけてしまうような台詞を吐く自分に嫌気が差す。
 すぐフランドールは、うわんうわん泣きじゃくった。まったく言葉は含まれていなかった。また無言の我慢を強いているのだと思うと、ずきんずきんと心が病んでたまらない。ばらばらになってしまいそうだった。
 分厚い扉が冷たい音を立てて閉まっても、がらんどうの胸のうちに絶叫が響く。つらつらとひとみからなみだがこぼれる。どんどんあふれ出し、ぜんぜんとまらない。お母様が亡くなってから、始めて泣いていた。

 お母様。強く在り続けようと誓ったはずなのに、こんなひどくみじめで無様な有様なのです――私の苦悩や葛藤を共にしてくれるフランドールさえ失って、心の拠り所や在処が真っ白く消えてなくなってしまった。
 うそだ。うそつき。ふたりは繋がっている。解けていくちいさなてのひらをぎゅっと握りなおしたら、ことさら心がちくちくとささくれだった。あの子も感じてやまない痛み。私が受け止めてやれなくてどうする!
 長い螺旋階段を登っていきながら、あまねく苦痛を運命と変えて飲み込んだ。だいじょうぶフランドール。私のいのちが尽きるまでに、必ずしあわせな運命を用意してみせる。騎士王の矜持を賭して約束としよう――



  ◆



 お父様の殺害は新たなる<夜の王>レミリア・スカーレットの所業と自ら宣言した。当然ながら問答無用で葬儀の類は執り行わず、紅魔館に仕える全員の眼前で死体を燃やし遺灰を家畜の餌に混ぜ込んだ。
 当主の死亡は貴族間の伝聞で国内外を問わず、ずいぶんセンセーショナルな話題と扱われてるらしい。死後は屋敷に赴く人影が急激に遠のいた。無論ながら反逆を否と見なし、やめていくメイドも数多く存在した。
 辞意は己の矜持を示す上で、とても立派な英断だと思う。そして新しい主のために残ってくれた、代々と仕える従者たちに心から感謝しなければならない。少なからず先代の在り方に不信感を抱いていたのかしら。
 過去を悔やんでも無駄。私と言えば来客の門前払いを命じ、ひとり大図書館で読書に勤しんでいた。皮肉な話だけど権力の象徴たらん『智慧』を示す魔導書が、人間の生涯を賭けても読みきれないほど眠っている。
 目覚めてからひたすら本を読み漁って、たまに読解不能なものと遭遇したり、体のなまりを感じたら様々な場所へ出向き、俗に魔女と呼称されるひとと会う。なにもかもすべては妹の能力封印の手段を探すためだ。

 フランドールの幽閉は、姉妹間の完全な共依存を断ち切りつつ、なおかつ外部との接触を避けて死骸の山を作らないために必要不可欠。あの子は私を必要としたいときに、ひとを平気で殺す事実が証明されている。
 ましてや虐殺を悦として微笑むのだから、すぐそばにいても暴走の可能性は常に付きまとう。今の幽閉は奇跡的に成り立っている。おそらく"愛"に飢えて耐え切れなくなったら、結界魔法の扉を平然と潰すだろう。
 そもそも、だ。フランドールは、まともに能力をコントロールできる?――今までの経緯や舞踏会の惨殺を踏まえた場合、たぶん可能と見なす方向が妥当だろう。それならば破壊の能力を完全無効化するしかない。
 あくまでも冷静を取り繕って、役に立ちそうな文献を探した。なんの整理も為されていない本棚から、ただでさえ不可思議な能力の記述を探す作業は、砂漠から金を掘り出すような行為でとてつもなく効率が悪い。
 とにかく高名な魔女とあらば、そのうわさの善悪に関わらず訪ねて歩いた。可能だと言ってのける存在に関しては、自らの体を差し出して能力の封印を試させた。当たり前というか、実現可能な魔女はいなかった。
 最終的に彼女たち曰く『能力の行使に必要な該当箇所の切除。対象者を死刑に処す』――私たち吸血鬼は世界の条理を逸脱した存在なのに、たかが人間に異能の発生源なんて発見できるはずがない。後者は論外だ。

 なかなか打開策の見出せない日々が続く。例の出来事の後、槍を執っていない。騎士の矜持を示すために立ち向かうべき敵を完全にロストしていた。民草や貴族の喜ぶ武功を挙げても、妹の苦しみは消え失せない。
 かつてのスカーレットの覇権は、みるみるうちに没落していった。人間の従者たちが死にゆくころになると、森深くに佇む紅魔館の存在さえ忘れ去られた。歴史のステージから降りて、そっと真っ黒な暗幕を引く。
 すべての雑事は東国からの放浪者、紅美鈴が担当している。初対面で無視を決め込むと「帰る場所がないんです。ここで働かせてください!」とか同情を誘う理由をでっち上げ、なぜかそのまま居座ってしまった。
 彼女のような『ひと』に属さないカテゴリの存在は、一縷の望みを与えてくれたけれど……。百年単位で積み重ねていく無常は、やり場のない苛立ちと諦観を募らせる。繋いだてのひらから、ぬくもりがたゆたう。
 なんとかしなければならなかった。妹は現在進行形で狂っている。おかしくなっている。まだ泣いているかもしれなかった。どうしても無理矢理に閉じ込めておくしか手段がないのか。殺してしまうしかない、の?
 色即是空なる歳月を繰り返すたび、何度も、何度も……。会いに行きたいと思った。それはいけないと咎めた。妹も同じ葛藤に苛まれている気がしてならない。予定調和の運命を嘆く御伽噺なんか知りたくもない。
 いつの日からだろうか。私は覚悟を決めていた。フランドールがなにもかもぜんぶハカイしてなお姉妹の"きずな"を求めるのならば、騎士王たる最期の剣戟を以って断罪のジャッジメントと為し、いのちを絶とう。


 ――見目麗しき騎士王の栄誉を掲げる吸血鬼さま。貴女の存在は夢現の御伽噺に相応しい。わたくしのすてきな<ユートピア>幻想郷においでませ。かの楽園は紅い月の望むしあわせであふれておりますわ?
 エレガントな東洋風のドレスを纏う妖艶な賢者の説をまともに信じるのならば、もはや人々の歴史から吸血鬼は実在のカテゴライズを外れてしまったため、彼女の編んだ固有結界に招き入れたいという趣旨らしい。
 ものすごく胡散臭くて傲慢な言い方だけど、突然で唐突な提案に関わらず、哲人の言葉は神秘的な真実味を帯びていた。曰く『忘れ去られた幻想の概念が集う世界』に、妹を救う方法が残されているかもしれない。
 素直に白状してしまうと、最悪の、最悪の場合は……。世界の創造を自信たっぷりと言ってのける"かみさま"の完璧な庭で、すべてが滅びようとも私とフランドールが生き永らえられたら、充分な結末だと思った。
 最低限の人数しか巻き込まなくて済むし、あの子の存在は結界の圏外に流出しない。どこか妖しい雰囲気を醸し出す不気味な女の戯言がまるまる正しくて、幻想郷の世界が破壊の能力に耐えうることが絶対条件だ。

 こちらもいずこか事実を聞き及んでやってきたのか分からない、紅魔館に眠っている書物を読ませて欲しいと訪ねて来て以来の住み込み魔法使いパチュリー・ノーレッジに、くだんの件を話し未来の可能性を請う。
 美鈴と話していると他愛もないやりとりが和んで、パチェと紅茶を飲むと愚痴を零してしまうミスが多かった。美鈴に寄せる信頼は揺らぎないのだけど、私にとってパチェは本心を打ち明けられる良き友人だった。
 フランドールを封じる魔術結界の研究は、紅魔館地下大図書館の蔵書すべてと引き換えの取り決め。ずいぶんと、あれこれ苦悩を話してしまった……。そのくらい不安や焦燥感の類に苛まれている証拠なのかしら。
 某"自称"聖者は、幻想郷を織り成す結界や内政状況を訊ねると、ぜんぶ英語に翻訳済みの精緻な資料で提示してみせた。いつもうとうと彷徨うパチェのひとみが、驚愕でぱっちり見開く様子は真実を物語っている。
 検証の難航は容易に予想がつき、数ヶ月の時点における彼女の見解は「安全、かもしれない。けれど"博麗大結界"の完全な解析は、私の知能だと最短で百年は掛かる」など、親友らしからぬあいまいな言葉だった。
 猶予は残されていない。いまさら祖国に未練は残らなかった。すぐ凛然と幻想に変わる現実を受け入れた。かの地でパチェの研究成果を待ちながら、フランドールが救えるのならばどうなってもかまわないのだから。

 ――わずかながらの条件を、どうか受け入れてくださいませ。
 妖怪は周期的に人間を食さなければならず、外界で"狩猟"の必要性に迫られています。わたくしのすてきなユートピアのために、終末医療の限界を安楽死という"しあわせ"な正義で罰する。
 先の件は頻繁に行いません。あとは英霊と謳われる騎士王の威光を知らしめる、固有結界内で暴れ狂う背徳者の殺害です。レミリアさまが居られましたら、幻想郷の安寧は永久と保証されましょう。

 なんのためらいもなく、私は黙ってうなずいた。サナトリウムの患者を"贄"と見なし殺す汚れ役は夜の王として受け入れがたいが、吸血鬼だって鮮血を定期的に飲み干さないと生きていけない現状は承知している。
 空間転移は一度のまたたきで終わった。ぴくりとも動かない賢者は、なまめかしい微笑みを浮かべながら「親愛なる騎士王よ。わたくしの愛する幻想郷へようこそ」と言い残して、空間の亀裂のなかに消えていく。
 鬱蒼と生い茂る森林。コバルトブルーの湖畔。かつての故郷の"幻"が広がっていた。ぐるりと世界を飛んでみると、ようやく異質な気配の数々に気づく。なるほど楽園の意味に恥じぬ"異能"があふれた御伽の国か。
 心臓から流れ出す真紅の砂がうずく感覚は、槍を置いて以来ほんとに絶えて久しい。当面の注意は恩人と感謝すべき八雲紫だ。この世界の仕組みを分かった口を聞くし、本懐のアンノウンな部分は決して侮れない。

 こんな深い森のなかなのに、洋風の建築物がめずらしいのか、たくさんの妖精たちが観光目的でやってくる。そこで美鈴が従者と雇う案を勝手に採用してしまい、あっと言う間に紅魔館は屋敷の機能を取り戻した。
 結果論だけど、まずまず悪くない。妖精メイドたちはうわさ話が大好きなので、あちらこちらの色々な伝聞が飛び交っている。それらの情報を使い魔にバレないように盗聴させて、なんらかのきっかけを待ち続けた。
 私だってじっとしていられないものの、幻想郷の夜空はダンスを嗜む箱庭としては狭すぎる。もっとも、だ。真偽を確かめなければならない貴重な情報は、まったくもって転がり込んで来ないとすぐに分かってしまった。
 フランドールが、こわれてしまう……。パチェの研究や異能怪異の気まぐれにしびれを切らす私が、最期に訴えかける算段は整っていた。例のかみさま"もどき"八雲紫から、幻想郷滅亡を脅迫にヒントを引きずり出す。
 彼女が英霊――神の御座に近い事実は認めよう。楽園の調和を乱す不穏分子の排除方法は、当然のごとく持ち合わせているはずだ。妹の能力を把握済みで幻想郷に招いた以上、賢者が処方箋を知らないわけがない。
 決行は独善的な結論ありきの正義を下す十六夜。運命の歯車は回り出す。在りし日のフランドールに想いを馳せながら、パイプオルガンを弾いていた。そして"今は亡きaliaに捧ぐ"を聴いている人間が運命を変えた。


 ――おそらくずっと、いつまでも、ああやって死ぬまで、くそったれな世界を貶し、だれも分かってくれないと民草を蔑み、唯を見失い、生きたまま死んでいるフランドールのような少女『A』が時間を止める。
 紅い心臓を貫く切先に込められた想いが、まるで五百年越しの感情を薔薇で編んだような私の大好きな妹の面影と変わらずに、ひどく憂いとかなしみであふれていて……。まっすぐに受け止めてあげたいと思った。
 かみさまの先攻で始まるデスゲームの"運命"が視えなくなって、これからの未来が『改変』されていく。責められるべき咎を、ようやく罰してくれた。エメラルドブルーの薔薇が、心のなかで凛と美しく咲き誇る。

 たぶんきっと私は、好きと大好きの差が分からなかった。ほんの一言……。フランドールに『あいしてる』と告げる勇気さえ持っていたら、あんなひどくゆがんだ倒錯的な愛情を抱かせずに済んだのかもしれない。
 まったく同じ過ちを繰り返したくなくて、私は咲夜を救おうと思った。ちいさなつぼみのなかに、惜しげもなく狂おしい愛情を注ぐ。たっぷり吸い込むと蒼い薔薇の花びらは、想像を超えて凛々しく綻んでくれた。
 めちゃくちゃにしてほしい。そう駄々をこねるうわずったこえが、たまらなく情欲をそそる。何度も、何度も、散らしてやった。ばらばらにしてやった。妹の紅いひとみに咲く花を、犯してやりたくて理性が飛ぶ。
 妄想の夢現で紅い薔薇は彼岸に散りゆく。さあ貶せ煽れ。嫉め蔑め。私は背徳者。親愛なる姫を裏切り、紺碧の花を愛してしまった。壊してやる。夜の王しか愛せなくなるように、十六夜咲夜をfuxxしてあげる――




























 3.Flandre in the dark

 ――永遠のいのちほどくだらない概念は無駄と私は考えている。たとえしあわせな生を過ごしていようとも、かみさまのプログラミングコードが織り成す運命は絶対的な革新をもたらすから。
 そこで生涯の最大幸福が消えてなくなってしまうくらいならば、最大限を享受しているうちに終止符を打つべきだ。物語のラストシーンは皇帝と王女がくちびるを交わす、すてきな未来で美しく飾りつける。
 御伽噺のような現実は存在しない。常に物事は変容を繰り返しながら、あるときは運命の悪戯に導かれていく。本物の"永遠"の具現化は実に容易い。最愛のひとと自殺を図れば、ふたりの記憶は夢幻の面影と変わる。

 おそらく今のしあわせを楽しむ私と咲夜の関係性において、永遠を必要とすべき瞬間は人間の短い寿命だろう。かく高貴な姫君は頑なに変化を拒む。私に"愛されない自分"は不要なごみくずだと自称してしまう子だ。
 もしも吸血鬼の天命に合わせるための、どうしようもなくつまらない一時しのぎな"まやかし"の永久――眷属だとか魔法使いの咎で現世に縛りつけるような真似は、彼女の凛々しいプライドが絶対に許してくれない。
 蒼い薔薇は想像を超えた。もはや運命が及ぶかたちを為しておらず、私を愛し続けるラヴドールに成り果てた。みだらな咲夜も愛しくてたまらない。夜の王の矜持。真紅の薔薇。すべて貴女のいのちに手向けよう――





 今年の幻想郷は外の弊害で異常気象らしく、じめじめと汗が体にまとわりつくようなひどい残暑が続いている。とりあえず咲夜の仕事をひとつ増やしてしまうので、かみさまとやらがなんとかしてくれと切実に思う。
 その居もしない存在を祀る巫女が夏なのに「お鍋にしよう」などと意味不明な提案を……。博麗神社に足を運ぶ人妖は土産を献上しなければならない。そんな暗黙のルールのため、みんな適当に見繕って持ってくる。
 もちろん食品がばらばらなものだから、いちいち調理がめんどくさいらしい。そうして晩夏だろうと『すき焼き』なんて安直な結論を出すのだけれど、どうせもれなく全員が酒宴目的なのでまったくもって問題ない。

 博麗神社の会食は幻想郷の権力が集まる。八雲。冥界。永遠亭。守屋神社。天狗社会。地獄。地底。天界。かの円卓の騎士が並ぶような威厳は感じられないけれど、彼女たちの動向を知っておけば大事に備えられる。
 紅霧異変以降の私は考え方をくるりと切り替えて、なるべく外面は整えておこうと画策していた。お父様のような泥まみれの暴君の振る舞いを避けながら、夜の王としての矜持とスタンスは誇示しなければならない。
 それもたぶんプライドの建前にすぎなくて、単純に宴席のアットホームな雰囲気が新鮮に感じられた。毎度の面子が入れ替わる宴会は本日も大盛況。すき焼きもどきをたいらげて、みんなわいわい雑談に興じていた。
 お鍋の出汁で作るおじやを待ちつつ、あちこちのグループから歓談のこえがあふれ出す。部屋の隅でだれの差し入れか分からない怪しい赤ワインを飲んでいると、狂騒の祭りのさなかひときわ大きな悲鳴が上がった。


「わ、わ、私が、ど、どうして、風見なんかに恋文を出さなければならないのですか!」
 ちいさな体をわななかせて、もう頬が真っ赤な地獄の最高裁判長が怒鳴り散らす。
 すぐとなりの死神が必死になだめるものの、彼女の周りを囲む集団は煽りモードに突入していた。
「あー。それ。あたいもなんか聞いてます。さとりさまが四季さまとの面会を手記にするよう言われたとか」
「あややややややや! あのクーデレ地獄の閻魔とちょーサディスティックなお花畑鬼畜女の逢瀬なんてスキャンダルを見逃すなんて!」
「……あら、とても、よきおめでたい話ではありませんか。ちょうど妖夢から幽霊経由らしいのですが、映姫様の恋路は聞き及んでおりますわ」
 火車猫の適当な相槌と西行寺のおしとやかな言葉に、かくもうざったい新聞記者がきらきらとひとみを輝かせていた。
 妖精メイドならずともうわさ話の類になれば、当然ながらみんなの食いつきは抜群で、四季の方に四方八方から視線が注がれる。
 とにかく堅物で禁欲主義なのだろうか。彼女のほっぺたの赤み、どう考えてもアルコールだ。そのうち爆発してしまいそうな気がしてならない。
「こほん。お燐と天狗と白玉楼の主。余計な詮索は下賤と言うものです」
「あたいとしては、やっぱ、四季さまの、らぶらぶらぶなはーとふるすとーりー、ききたいなぁ」
「あやや。そもそも。くだんのうわさの信憑性はメディスンさんの目撃証言が問題ですが、確かなのですか?」
「うんうん。わたしちゃんとみたもん。ゆうかのおうちに、えんまさまが、おてがみを、どあのところに、はさんでたよ?」
「あちゃー。四季様が幽香の家に通ってるとかバレちまってたのか。おかげさまで審判と判決の仕事が溜まって、毎晩毎晩、徹夜してるんだから……。あ、いたたっ! いたい痛いです四季様!」
「小町は余計な事情を言わない! お燐は毎日のように仕事をサボってないで、古明地の業務に支障をきたさず働きなさい! 射命丸は三面記事に熱意をつぎ込まず、天狗社会に一石を投じる記事を書く!」
 ぺしぺしと悔悟の棒で死神を叩きながら、閻魔は涙目で口うるさく有難いお話を飛ばす。
 空気も読めないみたいだし、残念だが自業自得も甚だしい。お酒を煽れば煽るほどヒートアップが続き、ついに黙りこくってしまう。
 だれかやばい状況のとき、だいたいの人物と親交が深い魔理沙が意外と助け舟を出してくれるのだけど、彼女は縁側で他の人妖とゲームで遊んでいた。
 ブン屋の『ひとの不幸は蜜の味』と言わんばかりの聞き込み調査。案の定と言うか、既知なのかもしれない。おそらくメディスンと小町以外でもっとも風見と親交の深い、私の席に文が近づいてきた。
「そうでした。レミリアさん。彼女と仲が良いって風のうわさで聞いた覚えがあります」
「結構くわしいじゃないか。たまに紅茶を楽しむくらいだけど、来客としては魔理沙より数段マシかしら」
「あの、たぶん、他に幽香さんがまともに話しそうな相手、見当たらないんです……。ぶっちゃけ、どうなんです?」
 風見と知り合ったきっかけ、か。なんとなくな、ささいなことだ。
 紅魔館の花壇が見たいともてなして以来、それとなりに気が合うみたいで付き合いが続いている。
 ずいぶんと美鈴が喜んでいた。彼女から苗床のノウハウを学び、紅魔館の庭園は貴族に相応しく華々しい。
「……本人に訊いたらどうだ。答えられないとは言わせない。なあ、風見?」
 しれっと質問の本意を受け流して、四季のとなりに座る風見に視線を送った。
 のっぺり張りつく微笑みが、ぐんにゃりとゆがむ。相変わらずだな。思わずほくそ笑んでしまった。
 彼女はスペルカードルールに固執しない"可能性"を持つ。端的に風見を評すならば、サディスティックの言葉は正しい。
 ちょっとだけ、咲夜と似ている。ふんわりとエメラルドの髪の毛を翻して覗く真紅のひとみが、えげつない愛情をたたえてきらめいていた。
「ええ。映姫からラヴレターをもらったって話は事実よ。内容は『月下美人の花言葉をご存知でしょう。儚い恋が――」
「か、か、風見! 適当なうそをでっちあげないでください! それ以上なにか言ったら、問答無用で地獄に落としますよ!」
「あら、そう。私がオーケーの返事をあげたら、今みたいに泣き出して大変だったわ。この子ね。キスを交わすときもいちいち泣いてしまうの」
「あ、あれは、風見が、なかなか答えをくれなくて、う、うれしくて、ええと……。そ、そもそも! なかなか風見が恋人らしくしてくれないから! うれしくって泣いてるんです!」
「だって、ね。付き合うときに「幽香って呼んで欲しい」ってちゃんとお願いしたのに、いまだ閻魔の威厳がああだこうだとか、恥ずかしいとかで言ってくれないの。そうそう。ちょうど前の夜伽のとき――」
「な、ななななななななななな……。もうだめだ、ゆるせない! 風見。貴女は黒! 絶対に黒です! どうしてそんないじわるするんですか!? その、私だって……。もっとたくさん、甘やかして欲しいのに!」
 うるんだ栗色のひとみをゆらゆらと彷徨わせ崩れ落ちていく華奢な躯を、くすくすと喉を鳴らして笑いながら風見が受け止めて抱き寄せた。
 うわんうわん泣きじゃくる四季を映し出す、紅いひとみの翡翠は美しい。みんながいっとうのやわらかい笑みを浮かべ、ふたりのだいぶ倒錯的な愛情のかたちをなごやかに見つめていた。
 こんな一部始終を記事にしようとペンを走らせてぱしゃぱしゃとフラッシュを焚く某新聞記者は、おそらく宴会の終了後に風見からご自慢の最高速度で逃げ出さなければ強制的な物理的干渉で殺されるかもしれない。
 だれも射命丸に釘を刺さないあたり、そこはかとなく悪意らしきものがにじみ出していた。実際に宵闇小町が騎士であれば決闘を申し込む試みも一興なのだけど、あいにく幻想郷は残酷な『楽園』と規定されている。

 そっと台所の方に視線を移して、うっすらと黒い曲線を描く人影を見やる。ゆっくりと、息をついた。どうしても無理な雰囲気は無理なんだろうな――グラスの赤ワインを飲み干し、涼しい風が吹く縁側に移動する。
 ドレスがしわにならないよう気をつけながら、ぽつんとひとりで座り込む。どうも『恋』は難しい。デリケートな問題なのよ。風見と四季のやりとりを見ていると、もろもろの言葉にならないなにかを痛感してしまう。
 あんまりよろしくないアルコールを嗜んだ所為かしら。ひどくセンチメンタルな感傷に浸っている。今も心に刺さった蒼い薔薇は永遠と凛々しいのだから……。ぼんやり想いを馳せていると、ぽんぽん肩を叩かれた。
 ちょっと驚いて振り向くと、なんだかばつの悪そうな魔理沙が、しかめっ面もあらわにこちらを見つめていた。どうやら理不尽なゲームに負け続けているらしい。あえて私は風見を真似て、いじわるな笑みを作った。

「なあレミリア。私の運命をちょこちょこっといじくって、なんとか勝たせてくれないか?」
 確率勝負なんだから自分の実力でつかみとれ。さり気ない皮肉を交えながら言葉を返すと、縁側に集う年少組の輪に連れ込まれた。
 ちいさな筒のなかの棒を引き当てて、しるしがついているマークを引けば絶対的な命令権の獲得。ずいぶん昔に無理矢理に実行させようとした甘酸っぱい記憶が甦る。
「ああ。魔理沙が負け続けるように変えておくよ」
「おいこら。マジでおまえがいじくってるんじゃないだろうな!」
「どうして今しがた判明した貴様らの余興に、いちいち私が干渉しなくちゃいけないんだ」
「いやいや。なぜか私だけ負け続けてるんだぜ……。まあいいか。せっかくなんだしレミリアもやるか?」
「お断りするわ。魔理沙が図書館に立ち入らないって取り決めができるのであれば、もしかしたら参加の余地があったかもしれないけれどね」
 ちぇー。じゃあちょっと見てろよ。白黒が呼び出すので、となりで高みの見物を決め込む。
 みんなだいぶアルコールが入っているのか、めちゃくちゃなテンションの上がり方で笑い声が絶えない。
 まあるく囲んだ輪の中央に設置された円柱の上に、いっせーのーでちいさな指先が群がってくじを引いていく。
「はいはいはーいわたしが王様でーす! みなさんちゃんとひれ伏してください!」
「うにゅう。あたしさっきのお皿の『鮭とば』を独り占めしたいのに、いつまでも無念すぎるよぉ」
「幸運の白うさぎのうわさが廃る程度には、早苗の独壇場って感じがするね。ちょっと勝てる気がしないなあ」
「えへん! すべては信仰心の賜物ですから! 神奈子様と諏訪子様を崇めていると幸が自然にもたらされるのですよ!」
 悲喜交々の状況をはた目に"かみさま"を見やるが、なんの他愛もない会話を交わしていた。
 月の頭脳や『かぐや姫』くらい知識の含蓄があれば、先のふたりの威厳に恐れを為すこともないだろう。
 だれかの能力がなんらかのかたちで行使されている可能性は、実のところ完全に否定できないケースがあった。
 この幻想郷に住みつくものの格好の嗜みとして、とにかくスペルカードやくだらない遊びの類に全力を尽くすから。
 人生を楽しく生きていくための、とても賢いやり方と言える。すぐそばでぐいっと杯を煽りながら、魔理沙が悪態を付き始めた。
「くっそ! いやマジなんかあんだろこれ……。はたから見てて怪しかったりしないか!?」
「残念ながら運命かな。力の発動さえ微塵も感じられない。要するに魔理沙の厄日。ダウトだよ」
 やってらんねえよ。ようし覚悟しろよ早苗。上等だよ絶対に負かしてやるぜ!
 白黒がどちらなのか意味不明な言葉をわめき散らしながら、さらにきな臭い銘柄の日本酒をつぎ足してぐびぐびと飲み始めた。
 だんだんとエスカレートがとまらないあたりは、ちっぽけなプライドの掛かるゲームだと仕方がない。とびっきり気分上々な風祝は、こえ高らかに命令を宣言した。
「3番のひと! 7番のひとに向けて告白しちゃってください! もちろんエア告白だろうと絶対ですからね!」
 壮大にむせ返る魔理沙をみんなが見つけると、大きな歓声があちこちから湧き上がった。
 こっそり覗き込むと『7』の数字。すぐに全員が気づいてしまい、どこからともなくたくさんのこえが3番の立候補を促す。
 すうっと細い腕を上げた本人は、まさかの七色の人形遣いだった。いきなり泥棒猫が必死の形相で罪状を問うので、私はやんわりと微笑んでかぶりを振ってみせる。
 そんな白黒のとなりに佇むアリスは、なんの動揺も見せない。ふたりの恋仲は幻想郷の総意のごとく周知だけど、かくも普段とてつもなくクールな魔法使いが惚気るシーンは非常に見ものだ。
 あれよあれよと酔っ払いたちが集まってきた。もしも魔理沙がしれっと言うのであれば、おそらくそれとなりな感じで納得してしまうから。だれもかれも興味津々な視線で、ふたりの挙動を見守っていた。
「……魔理沙に告白すればいいのね?」
「そうですそうです。アリスさん。もうおもいっきりやっちゃってください!」
「あ、あの、さあ。じょ、冗談だよ、な。さすがに洒落になってないと思うんだ、ぜ……」
 粉雪のようなアリスの真っ白な頬は、まったく紅色が差していなかった。
 さらさらな黄金色の髪の毛を細い指先でいじりながら、なにやら思案顔で紡ぐ言の葉を編んでいる。
 そばであわふたと観念しきれない魔理沙と違って、彼女は凛と表情を変えず、とても誠実で威風堂々としていた。
 不思議の国の姫君と見紛う清楚な美しさは、雑然と大人数で賑わう宴席でも色褪せない。きれいなソプラノの音色が、愛しいひとの名前を呼ぶ。
「私は魔理沙を愛しています。いつも元気いっぱいの、きらきらな向日葵の笑顔が大好きで……。ふたりっきりだと、ね。甘えさせてくれる。すごく、やさしいの。今もラヴレターを送ってくれるし、手作りの――」
「ま、ま、待ってアリス! もうアウトだろ、だめだめ! ちょっとストップ! どうしていちいち余計なこと言うんだよ! こういうのは私たちだけの秘密だからいいんだろ! わざわざひけらかさなくたって――」
 まっすぐな気持ちを、心を込めて綴っていく。お惚気の言葉を途中で遮った魔理沙のくちびるに、すぐさまアリスの桜色の花びらが押しつけられる。
 なるほど。すべて織り込み済み、か。白黒は呆然のあまり、人形遣いのキスから逃れようともしない。不思議な雰囲気に場内もしんと静まり返って、ふたりの口づけをサイレントフィルムの様相で見つめてしまう。
 この静寂は、あるいは……。私の心音によって打ち消された。妬ましいわ。妬ましいったらありゃしない。橋姫こと水橋パルスィの言葉に、思わずみんなが笑い出した。すかさず魔理沙が、アリスをたしなめている。
 あなたも星熊と出来てるくせに、それを言っちゃうんだ?――ふと無意識を揺るがすこいしの暴露で、さらに会場は恋話に花が咲く。だんだん下世話な口上がうざくなってきて、縁側から桜のたもとまで抜け出した。

 今は青々と茂る桜の木の下に背中を預け、わいわいと続く宴会の熱狂に視線を移す。どうしても庶民の宴は慣れないけれど、あれはあれでとても楽しいし、もしも私がいじられたら困るのかな。それとも、うれしい?
 よく分からない。なにを自嘲しているのだろうか。つまらない自己顕示欲。ただの言葉で片付けられるのならば易い。きっと私は……。従者を自慢したい。あの艶やかな蒼い薔薇を、みんなに見せびらかしたいんだ。
 なのに咲夜は、宴会の出席を嫌う。問い詰めてみれば「お嬢様の品格にそぐわない」と、遙か昔の教育係みたいな科白を吐く。力を以って覇権を誇示しなくとも、瀟洒なメイドを侍らせておけば、主の威光に繋がる。
 いまさら社交辞令の肝要を説くまでもない。まさか幻想郷に貴族階級の差別意識を持ち込んでもね。結局、どうなんだ?――秋爽の微風が木の葉を散らす刹那、真後ろの宵闇から妖しい麝香を纏う女が近づいてきた。

「おやおや親愛なる夜の王。おひとりでどうかなされましたの?」
 むやみやたらと腐れ縁の長い八雲紫が、相変わらずの胡散臭いニュアンスで言葉を紡ぐ。
 わざとだらしなく肌蹴た紫陽花色のドレスは、肩口から豊満な乳房の深い谷間に続く白い肌を月光のほのかに曝け出して、なまめかしい扇情的な雰囲気を醸し出す。
 体のラインがくっきりと大人の女性らしい、しなやかでエロティックな曲線を優雅に描く。こんな破廉恥な輩が幻想郷を統べる賢者なのだから、どうしようもなく始末に終えない。
「……なんでもない。ただ夜風に当たりたかった」
「ふふふ。崇高な理想を掲げる騎士王に、くだんの宴会は些かながら不相応かと思うのですが?」
「私だって庶民の嗜みを理解できないほどお目出度くないさ。あれが彼女たちのしあわせならば、すべて善しと為す器量は持ち合わせている」
「そして無理に合わせる必要性も感じられない、と。少なくとも従者は考えているのでしょうか。わたくしといたしましては、貴女と彼女の睦ましい様子が見たくてたまらないのに、とうとうと嘆かわしいですわ」
 どうせ貴様の妖しい思慮からすれば、さぞかし浅ましい目的なんだろうな。
 やれやれとわざとらしく肩をすくめてみせても、八雲は悪びれた印象をまったく見せない。
 私と咲夜の関係を平然と見透かす厚顔無恥な態度を、善意と悪意の中間程度の感覚で話すのだからねじくれている。
 たっぷりと厭味を交えて論点を否定しても、むしろ喜んで独善的な幸福論を説くような奴。八雲紫の世界を分かり合うための平行軸は存在しない。
「おまえのところの巫女だって、うちと同じようなものだろう」
 ちらと台所を見やる。咲夜と霊夢は鍋の出汁で雑炊を作っていた。
 どうしてかふたりは宴席に並ばず、終始あんな感じで黙々と給仕をこなしている。
 くすくすと八雲が心底から面白おかしそうに笑う。ある意味において侮蔑を示す音色だった。
「そうかもしれません。犬と猫。まったく言い得て妙ですわ」
「縁側で出がらしをすすりながら、たまに寝っ転がってるような自堕落と同列に扱うな」
「あらあら、わたくしの可愛い可愛い霊夢を、そんなぞんざいとなさらずとも。甘やかしたくても寄って来てくれなかったりするのですけれど、猫じゃらしをふりふりしていたら愛くるしくたわむれてくれますわ?」
 すらっと長い指が空間を長方形に切り取って、闇の"ゆがみ"の先からワイングラスを取り出すと、自然体で無理矢理と持たされた。
 時価換算不能な美酒を嗜む時点で、すでに勝負は始まっている。酒宴の問答は己の矜持を示す『決闘』の場所だが、こと八雲紫相手となれば正直ぜんぜん自信がなかった。
 騎士の在り方や正義を語るべくもかな。今の私が論じなければならない事柄は恋愛観の類。主従関係の延長線上における愛情の是非は、なおさら容易く言葉に置き換えられない。
「――蒼い薔薇が朽ち果てないよう、水をやって愛でる以上の行為は必要ない」
「まったくもってそのとおりだと思いますわ。わたくしは彼女のやりたいようにさせてあげて、まるまると受け止めてあげることしかできないのです」
「ダウトだ。実際は干渉を図っているくせによく言うよ。幻想郷の仕組みは少なからず博麗を中心に動くが、それこそ私たち『異端』を持ち込む存在は貴様に他ならない」
「さすが夜の王とあろうともお方。わたくし。あの子の様々な姿を見たいのです。笑顔。歓喜。期待。希望。諦観。無常。凡庸。憂鬱。落胆。絶望。希死。どんな感情を抱く霊夢もたまらなく愛おしい」
「葬り去られた『幻想』を集めるなんて仰々しい大義名分が泣くな。すべては博麗霊夢を観察して愛でるための、利己的な"かみさま"が織り成す世界。すでに気づいている連中だって、腐るほどいるだろうさ」
「わたくしが幻想を愛する。わたくしが霊夢を愛する。それらは等しくしあわせとなります。つまり霊夢は"セカイ"と置き換えられる。わたくしの霊夢に注ぐ愛情は、すてきな楽園の調和をもたらしていますわ」
 完全に狂っていた。
 八雲紫は狂っている。
 いつか咲夜に聴かせたレクイエム"今は亡きaliaに捧ぐ"のモチーフとなった皇女アリア・デ・ブールジュみたいだ。
 国政を顧みず恋人の弾くピアノに惹かれ続ける永遠の乙女。もっとも彼女は本当に博麗霊夢の幸福を"世界"と定めるシステムを作り出してしまった。
 きっとおおよそすべての可能性は把握済み。運命の揺らぎを視野に入れたアクシデント用のバックアップも万全。もろもろを踏まえ不穏分子をわざと放り込んで、あれやこれやな霊夢の姿を見て楽しんでいる。
 なかなかにぶっ飛んだ"恋"だけども、世界を語るのならば反論の余地ができた。どうせ最初から予定調和の未来が面白いのか?――なぜか自答自問が喉奥につっかえて、一時しのぎの適当な言葉を吐き出してしまう。
「くだらないな。その図々しい愛情のためなら、平然といのちを奪う。総じて幻想郷の民草は、貴様と霊夢の恋慕に至る犠牲か。そもそも、だ。そうやって放任主義のフリしながら、実は気になって仕方ないんだろ?」
 思わずくちびるをつぐみたくなったものの、最後を黙殺してくれる八雲紫のはずがなかった。
 私の代わりとばかりに、花鳥風月の扇子で微笑みを隠す。紅いひとみの、たゆたう目線。心の途惑いがはっきりと表れている。
 ぎりぎり歯噛みを繰り返す。最後のくだりは八雲に刺さらなくて、完全に自虐めいた逡巡になってしまった。さり気なく弱みを握られて、次の字句を繰り出せない。
「あらあら。わたくしはてっきり共感していただけるのだと思っていましたのに」
「……端的に話せ。最初から相容れぬと分かっていたんじゃないのか。まさか貴様が騎士の矜持を語るか?」
「いえいえ、とんでもございません。てっきりあのメイドには、わたくしと同様の思想を『調教』しているのかと感じていたものですから」
 くだらない詭弁を……。もちろん八雲の言葉は、ちゃんと私の意を踏まえていた。
 しかし相変わらずのあいまいなさじ加減は変わってないし、だんだんと本懐を見透かす文言に苛々してくる。
「咲夜と霊夢に共通点があると言いたいのか?」
「ご冗談はおよしくださいませ。先ほど言ったではありませんか」
「残念ながら私は、咲夜を世界と捉えてしまうような狭い視野で物事を見ていない」
「ふふ。わたくしの可愛い可愛い霊夢は猫ですが、十六夜咲夜は……。たとえるならば『犬』でしょう。しかもとびっきり"悪い"躾を施された狂犬ですわね」
 ふいに一度、八雲は言葉を切った。
 これ以上、耳を貸すな。本能が訴えかけている。
 どうして私の誇る従者の話から、目を背けなければならないんだ。
 ふざけたことを喋り出すのならば、ぜんぶ否定してやろうじゃないか!
「十六夜咲夜は、紅い月しか見ていない。彼女の世界はレミリア・スカーレットに規定されている。わたくしの考え方とよく似ていますので、てっきり主人の仕込みなのかと思いました」
「……さっき言ったとおりだ。私は『愛情』という水しか与えていない。そこで生まれる花の種類を指定するような真似は、ひとのあるべきかたちを著しく損ねてしまう。世界は想像の余地があるから美しいのさ」
「うふふ。騎士王らしい理想ですわ。要するに『主の在り方を見て育ちなさい』と言う意味なのでしょう。故に世界の"規定"から外れ、想像を超えた薔薇と咲き誇る。善き哉。善き哉。幻想を視て咲く虹色の薔薇……」
「私の心のなかに咲く彼女は蒼い薔薇だ。凛として在り続けてくれる瀟洒な従者。ひとの予測しうる範囲内でしか咲き誇れない花は色褪せていくだろう。貴様は博麗霊夢の世界を踏み躙る現在を罪だと思わないのか?」
「然り。想像の未来は『妄想』を浮かぶ他ない。オーロラのキャンディを舐めてしまったら、おかしくなってしまっても仕方ありません。快楽者は中毒から逃れられない。咲夜は"とりこ"なのね。とてもすてきですわ」
「いい加減に白状しろ。なにが言いたい?――先程から黙って聞いていれば狂犬だとかおかしいだとか、咲夜の軽蔑はスカーレットの真名の侮辱と同義。かみさまにプログラミングされた規定事項の世界が楽しいか?」
 ぱちんと扇子を閉じると、八雲の口元が吊り上がった。
 あからさまな嘲笑が示す感情の帰結は、おそらく彼女の独りよがりな結論の産物だと分かる。
 自分さえ理解していれば、他人に真理を説く意味はない。私の真意を把握した。そして未来を演算した。
 かみさまの紅蓮のひとみが映し出す運命の予知は……。そのときこちらの方に、ぱたぱたと人影が近づいてくる。
「……簡潔に答えましょう。まったく楽しくありませんわ」
「貴様は私の"哲学"を認めた。此度の問答の決着に異論ないな?」
「ええ。しかし貴女は知っておくべきだと思いますわ。幻想郷は博麗霊夢のためのシステムですが、恋に恋焦がれる乙女たちの恋路に相応しい『未来』は用意させていただいております。ゆめゆめお忘れなきよう……」
 またわけの分からない意味不明な文言が吐き出されて、正直なところうんざりを通り越して疲れてきた。
 つい安堵と不安がない交ぜのため息をついてしまう。八雲と問答を交わしても平行線だと分かっているものの、なぜか自称"聖者"は咲夜に寛大な理解を示していた。
 問答の趣旨に於いて『狂犬』という単語は、単純な侮蔑の意味で使われていない。ある意味の賞賛に近い含みを残している。ぐるぐると思考をかき回すと、なんとなく気だるそうなこえが響く。
「あー。こんなとこでなにしてるの。ちょっとさ。あんたたちがふたりっきりとか、なんか意外なんだけどなんなの?」
 うっすらとほっぺたの赤い霊夢は日本酒は強いから、たぶんさり気ないやきもちなんだろう。
 となりの狐が気づかないはずもない。ぷくぷく頬を膨らませている巫女に、甘い猫撫でこえで答える。
「あらあら。わたくしの可愛い可愛い霊夢。どうなさいましたの?」
「お雑炊ができたよ。ちゃんと紫も食べるの。そもそもあんたとレミリアはどんな関係なのさ?」
「キスやハグをスキンシップ以上の感情で交わす程度の、それはもうとうとうロマンチックな恋愛関係ですわ」
「くだらない冗談だな。こんなだらしなく情欲を誘う格好で宴席に顔を出す、娼婦みたいな女と寝る気は微塵も起きない」
 はいはいはいはい。霊夢がめんどくさそうにぜんぶ受け流すと、あっさりと紫のてのひらを繋ぐとそのまま引っ張っていく。
 あからさまなむしゃくしゃと不快感が収まらないらしき恋人を察して、スキマ妖怪は御機嫌を取るために問答無用で巫女のくちびるを奪った。それこそ私にひけらかしたいのだろうか。
 ふたりの恋路は"世界"に規定されている。私と咲夜は……。無理矢理ツバサをもぎとり、トリカゴに放り込んで愛でるようなかたちなんか、最愛のひとを想像上の範疇で縛りつけているだけだ。
「……お惚気は他所でやれ」
「あらあら。なにも妬かなくてもよろしいと思いますわ?」
「黙れ。おまえの勝手な想像だろう。貴様の独りよがりな方法論は反吐が出る」
「騎士王様。はたと思い出しましたわ。くだんの仕事は"もう"引き受けてくださらないのかしら?」
「貴様の結界とパチェの魔法を『内側から』木っ端微塵に破壊されたんだ。もはや引き受ける義理もない」
 うふふ。それもそうですわね。ひらひらてのひらを振ると、八雲と霊夢の姿が遠ざかっていく。
 どうしていまさら、無意味な話題を問うのか。紅霧異変は私のわがままに因るもので、現実として紅魔館の存在を知らしめるきっかけとなり、片や一方で幻想郷の仕組みそのものを見抜く要素を多分に含んでいた。
 紅白の能力は侮れないが、白黒は普通の魔法使いでしかない。そんなふたりが結界魔法を破ってフランドールの部屋に入った事実が示す意味は、八雲が饒舌に話す博麗霊夢の幸福及び幻想郷のシステムに起因する。
 もしも事前に八雲紫が鍵を壊していたならば、すべての疑問はミステリのように解決する。つまり私たちは知らず演劇をやらされていたわけだけど、幻想郷の存在もろもろが霊夢の玩具扱いなのだからおぞましい。
 楽園だユートピアだのうそぶいているが、夢の箱庭は傲慢な賢者の幸福を体現していた。苛々が募って、興を殺がれた。私たちの恋路は貴様の娯楽に成り下がらない。だって、ね。最愛のひとは想像を超えている。

 神社の狂騒は熾烈さを増している。このノリだと絶対に早朝コースだ。雑炊の配膳を終えて食器を洗う咲夜に、そっと帰宅の意思を伝える。たちの悪い罵詈雑言を浴びせかけられながら、ふたりで宵闇の星空を舞う。
 たくさんしあわせの"かたち"が示された。私の唯を知らしめた。凛と蒼い薔薇は、美しく咲き誇っている。夜な夜な。たっぷり甘い水を与えていた。ふしだらな快楽で理性を失う愉悦を、十六夜咲夜は至福と見なす。
 めちゃくちゃにして欲しいと甘ったるいこえで乞うのだから、何度も、何度も、散らしてやった。けれども夜の花は咲く。今の在り方が正しいのか、問わなければならないの? だれが彼女の世界を"規定"している?
 たとえ私だと言うのならば、なおさら私は私らしく在り続けるべきだ。あの子を私が信じてやれなくてどうする。鎖で繋がなくてもそばを離れたりしない。想像を超えた虹色の薔薇は、退廃と初恋の再生を繰り返す。

 ――狂おしいほどに愛おしいと、ひとはあっさりと壊れてしまうものだってフランドールのときに理解したはずなのに、もしかしたらまったく同様の過ちを犯しているのか?
 先ほどの八雲の揶揄が正しければ……。ありえない。あって欲しくなかった。私の愛するもの。私の運命に関わったもの。みんなみんなもれなくばらばらばらばら。前頭葉にのめり込むノイズが鳴り止まない。
 夜の王の矜持を以って、レミリア・スカーレットの名に恥じぬ在り方を誇示し続けてきた。故にゆがんでしまうのであれば、もとより私の心の在処が倒錯的な愛情に飢えて、浅ましい情欲に溺れたがっているのか――



  ◆



 涼しい風が湖畔を通り抜けて、さらさらと髪の毛を揺らす。徒歩15分程度のあぜ道を、むなしい沈思黙考に費やした。後ろに続いて歩く咲夜をねぎらいたいのに、わざわざ振り向いて言葉を掛ける勇気さえ持てない。
 どうしようもない雑念が渦巻いてとまらなかった。くだんねえなと吐き捨てて、抱きしめて散らせ。あのときみたいに、キスして連れ去ってしまえ――コトコト煮え立つ欲情の歯止めを果たす思考が分からなかった。
 心の片隅で嫉妬しているのかもしれない。四季と風見。魔理沙とアリス。八雲と霊夢。すべてを許容しえるからこそ、最愛のひとに相応しい愛のかたちに迷い、今までの在り方が正しかったのか自答自問してしまう。

 懐中時計を見やると22時ジャスト。ちょうど私たちが神社を立ち去ってから急に空模様が怪しくなり、今にもさんざめく雨粒が降り出しそうなほどの曇天と分厚い雲が、煌々と輝く紅い月の灯かりを覆い隠している。
 なんとなく、だけど。しばらく放っておいて欲しいような、ほんの孤独な時間が恋しくなった。うすらぼんやり窓の光が漏れ出す紅魔館が見えてくる。すぐ門前まで着くと、美鈴と妖精メイドが会話を交わしていた。
 ひと懐っこい気さくな笑顔は彼女しか作り出せない、あたたかい陽だまりの雰囲気を感じさせてくれる。ざわつく心が、いくらか安らぐ。あちらも私たちに気づいたのか、ぱたぱたと両手を広げながら出迎えてくれる。

「お嬢様。咲夜さん。おかえりなさい!」
「ただいま。ちょうど美鈴もあがるところかな」
「ええ。久し振りの定時です。それにしても今日は早かったですね。最近は夜明け前まで飲み明かす機会も多いのに不思議です」
「なんだかあまり気分が乗らなくてさ。さっさと切り上げてしまった。たまの宴会なら盛り上がるのかもしれないけれど、さすがに毎晩のごとくだと休みたくもなるわ」
 適当な会話を交わしながら、美鈴の仕事内容らしき案件を見届ける。
 そもそも門番の仕事に警戒の意味は皆無に等しく、その日の人妖の出入りを確認する程度だ。
 何事もなく引き継ぎも終わり、彼女も連れて歩き出す。非番のときは私も行きたいなあ――のんきで明るいこえが、ゆったりと会話を繋いでいく。
「あんまり実感は湧いてこないんですが、兎にも角にも目下の私は『門番』してる感じがします」
「正々堂々『庭師』を名乗ってくれた方が、うれしいような気もするんだけど、なんで改まってそう思うんだ?」
「だって。お嬢様のお留守を任されているんです。自分がしっかりしないといけないとか、なんか自然に気合も入るじゃないですか!」
「……まあ、そうなのか、な。最近は各勢力の住処に招待される機会が多くなった。ちいさな世界で付き合いもごく限られるから、しかと私の威厳を衆知させておかないとね」
「それはとてもいいことだと思うんですよね。幻想郷に移転する以前のお嬢様は、基本的に引きこもってましたし……。つくづく今のお嬢様は楽しそうで、ずいぶんと笑うようになりました」
 美鈴の言うとおりだ。紅霧異変以降、周囲と関係が生まれてきた。
 八雲の誘導尋問的な異変に巻き込まれながらも、王の威光を振りかざす派手な娯楽に甘んじている。
 スペルカードルールの決闘は身体的な被害を及ぼさない。弾幕は人格を示す意味で、なかなかに優れた遊興と思う。
 はたから見る夜の王は楽しそう、か。正解かな。食わず嫌いだった庶民と嗜む宴会の狂騒を、現在の私は本質的に愉悦のかたちと理解している。
「うん。あいつらと遊んでると普通に面白いんだよね」
「お嬢様は……。自分に厳しすぎた。今とかってほんとにだいぶ丸くなりましたよ?」
「そんな言い方だと私が腫れものみたいだな。たぶん、ね。ほんの心境の揺らめきかしら」
「そろそろお嬢様主催の舞踏会とか、すごく面白そうじゃないですか。もれなく私も美味しい料理が――」
 あからさまな敵意が無理矢理に割り込む。
 ぞわぞわとおぞましい悪寒は、絶えず背筋を駆け抜けていく。
 蒼いひとみの映し出す真紅の灯火が、うっすらとオーロラみたいに霞んで見えた。
 私の託す『夜』を物陰に背負いながら、十六夜咲夜は刃のような視線を華人小娘に向けている。
「美鈴。お嬢様に変な戯言を吹き込まないでちょうだい。夜の王のあるべき姿は、ちゃんと"規定"されているのよ」
 ちいさなくちびるが紡ぐ言葉は、八雲の見透かす十六夜咲夜のイメージを彷彿とさせた。
 ただし決定的に異なる点がひとつ。いまの咲夜は"さだめ"や"かたち"の在処を提示していないけれど、自分の存在を規定しうる真理はレミリア・スカーレットだとわきまえていた。
 永遠に紅い幼き月の在り方。とかく胡散臭い聖者の本意を掲げず、超然と主を肯定してくれている。それにしてもやりすぎだと思った。咲夜は瀟洒の仮面を平然と剥ぎ取って、親友の美鈴に殺意をあらわにしている。
「す、すみません。あの、ちょっと……。い、言い、すぎました」
「美鈴は謝るな。咲夜。今の言動は見過ごせない。なんの悪意のかけらさえ持たないひとに、あまりよろしくない感情をまるまるとむき出しにしちゃだめだ」
「……申しわけございません。お嬢様に対して軽率な発言が続いているものですから。今日は美鈴に限らずとも瑣事でわずらわしい出来事が多く、どうしても許容できなくなってしまったのです」
 素直に頭を下げる咲夜のこえに、反省の色は微塵も感じられない。まっすぐ横一線に揃えられた銀髪の間から覗く大きなひとみが、紅い光をたたえながらこちらをじいっと見やり、うつむき加減に視線を落とす。
 どうしてふたりだと鮮やかに凛として美しい花と咲き、やさしくて、つつましく、ツンと澄ます割に実際は甘えたがりで、ちょっと快楽を与えてやるとすぐ"こわれてしまう"くせに、ことさら瀟洒を振舞うと手厳しい。
 霊夢や魔理沙、早苗たちと同年代なのだから、みんなで仲良くやっていけそうなのに、咲夜は致命的に協調性を欠いていた。意図的に排除しているのかもしれないが、最愛のひとの矜持に口を挟む真似は野暮と思う。
 注意の無視は許容の範囲内ならばかまわない。咲夜の自惚れを赦している主犯は私だ。とりあえずふたりをうながし、ゆっくり先頭を歩く。美鈴が開く大きな扉の先、紅魔館のエントランスは"絶望"が広がっていた。

「――咲夜。昨日のフランドールは"まとも"だったか?」
「普段とお変わりの様子は御座いませんでしたわ。私の感じうる正常の定義において、ですが。あどけない妹様だったと思います」

 荘厳な雰囲気を織り成す吹き抜けのポーチは、さながら血生臭い戦場の様相を呈していた。当主の富と栄光を示すルネッサンスの調度品と壁際のあちこちに、妖精メイド"だった"もののかけらがぶちまけられている。
 妖精のいのちは自然の象徴だ。痛覚は基本的に遮断されている。死んだとしても『一回休み』で消失、すぐ万物から肉体と精神を取り戻すけれど、わざと私たちに惨状を見せびらかすため死体に魔法が施してあった。
 しょせん付け焼刃の魔術なので、幻想郷の自然法則になけなし抗う程度の力しか働いていないが、フランドールの無差別虐殺の事実は絶対に覆らない。すかさず続いて入ってきた美鈴も、言葉を失い呆然としている。

「こ、こ、これ、は……。どういうことですか?」
「美鈴。ただちに東側の宿舎まで走れ。私が許可を出すまで全員、部屋から出るなと通達しろ」
「お嬢様。時間を止めて様子を窺って参ります。最悪の場合ですが、美鈴とパチュリー様が標的にされるような事態となれば、いささか危険かと思われます」
「心配ないさ。どうせフランドールの目的は私だ。咲夜は能力発動の気配を感じ取ったら、時を止めて"あれ"の目玉をナイフでえぐれ。目標を見失っているうちに、ありったけの力で心臓を貫いて確実に殺す」

 ふたりが無言でうなづき、あわふたと美鈴が走り去っていく。くだらない餓鬼のやり方だな。ご丁寧に血糊と死体で道筋を伝え、それ以前に魔力を大っぴらに撒き散らし、概ね挑発以外の不確定要素は見当たらない。
 パチェは幾重の魔法陣で時間稼ぎくらいなら容易いだろう。美鈴も力場に立ち入らない精度の勘と備えを持っている。とにかく危うい存在は咲夜かもしれないが、例の破壊能力は瞬時に発動しないからだいじょうぶ。
 すべて頭のなかで何順も繰り返し検めてある、フランドールの殺害方法に躊躇は生まれない。むしろ、おかしい。なぜだ?――およそ五百年の沈黙を破った吸血鬼の真意が、見当さえつかなくて動揺が芽生え始める。

 霊夢と魔理沙が侵入して以来、妹の部屋の施錠は行っていない。狂ってしまっている。おかしくなってしまっている。そんな私の悲壮感を孕む殺害の決意と裏腹に、フランドールは部屋を出ようとしなかったからだ。
 それはあのときの約束を忘れていないとほのめかすメッセージで、たまらなくうれしくも、かなしみやいたたまれなさも……。すぐさま会いたかった。おもいっきり抱きしめて、いいこいいこ可愛がってやりたかった。
 しかし相変わらずハカイの打開策は見つかっていない。うしろめたかった。いまさら姉と振舞う勇気がない。でもせめて私からの"ありがとう"を伝えたくて、おそらく運命の導き役であろう咲夜に妹の給仕を命じた。
 あの子は賢い。聡明だ。ちゃんと想いを汲んでくれるはず。事実フランドールは、ものすごく喜んでいたと聞く。くだんの報告に運命を感じた。ただの気の所為か。いつの日か、笑って会える。なのに、どうしてだ!

「……お嬢様?」
「約束を破ったの、フランドールじゃないか」

 真紅の槍を握りしめながら、ぎりぎりと歯噛みを続けた。あたりに山ほど散らばっている死骸の曝し方が、在りし日の父親が庶民を嘲笑う様子と重なってしまい、やり場のない苛々は募りどんどんひどくなっていく。
 まるで芸術のように寄せ集めた、ばらばらな躯の人体模型。鮮血の絵の具で描く『I love you & fuxx me Jesus』の文字。スプラッタハウスと化した屋敷の廊下を進むたび、周囲の凄まじい惨状は悪化の一途を辿る。
 もしも"ひと"だったら。そう思うとぞくぞく悪寒がとまらない。主が夜行性なので深夜も人員を割いているものの、普段は日常に合わせ昼間の活動が多いため、メイドの被害は最小限だ。うわさ話は諦めるしかない。

 血の臭いが、死の予感が、運命を変える。あるいは"恋"もそうか。それらぜんぶを感じさせてくれた存在が、すぐ私の後ろで黙して歩いている。仮にフランドールが、私と咲夜の関係を知ったら、どう思うのかしら?
 真っ先に裏切り者と祭り上げられ抹殺の可能性は否定できない。あの子の狂ってしまっている思考がぎりぎり成り立つ要因が恋慕や嫉妬だとすれば、私の辱めを行う最低最悪な虐殺の動機の証明は非常に容易かった。
 実のところ。先の咎も含め、責められて然るべきだろう。あえて釈明を申し立てるのならば、咲夜を愛さなければ運命は変わらなかった。フランドールとの"きずな"を感じて、またふたりで過ごす未来も視えなかった。
 少女『A』と恋に堕ちる運命は必然。そして私は十六夜咲夜をめちゃくちゃに犯す日常を善しとした。ふたりを護りたいけれど、どちらか選ばなければならないのだとしたら、すべての罪を受け止めておまえを殺そう。


 ――きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!
 いつの間にかさんざめく雨の音に混じり、最愛のひとのかん高い嘲笑が響く。雷鳴が照らす妹の真っ白なドレスは血まみれで、いつかの日と同じように……。うす汚れたうさぎのぬいぐるみを抱えてうつむいている。
 吸血鬼の象徴たらん漆黒の翼は背中に見えず、なぜか代わりとして虹色の羽根が煌々と輝いていた。暗闇のなかでオーロラを視て狂い叫ぶ快楽者。永遠のような幽閉を経て、フランドールはおかしくなってしまった。

 星のないトリカゴで過ごす幾億光年の孤独は、常人が理解可能な生易しいものじゃない。あの禍々しい七色を奏でるツバサの光は、思考回路の破綻を端的に表していた。そもそも、だ。彼女の理性は残っているのか。
 Yes.無言の疑念に答え、フランドールのかんばせが持ち上がった。紅いひとみがどす黒く淀み、侮蔑の視線を寄越す。ちいさなくちびるが、ぐんにゃり曲がる。破滅的な美学を紡ぐ言葉が、思考の中枢で共鳴を起こす。


「……約束を"先に"破ったの、お姉様の方だよ?」
「たとえ不本意なかたちであろうと、私は『誓い』を護り続けている。それなのにフランドール、今になってなぜ!」
「どうして気づかないのかなあ。もしかしてさ。咲夜を"こわして"あげたら分かってくれるの? ぱくぱく口をだらしなく開きながら『フランドール様を愛してますぅ』とか話す咲夜は、とてもすてきだと思うわ?」
「フランドールを信頼していたから、たいせつな咲夜を給仕に出した。ちゃんと倫理観をわきまえ、力を振るわないと信じて……。しかしおまえは、期待を裏切った。約束を破ったら必ず殺す。そう私は告げたはずだ」
「きゃは。やっぱり咲夜が大好きなんだ。わたしが妬くとか思ってるのかしら。そうだとしたら、お姉様は勘違いしてるよ。わたしのね。愛する愛する愛する愛する愛する愛する"お姉様"が死んじゃったみたいなんだ」

 けたけたとひずんだコトノハを紡ぎながら、ゆらゆら夢遊病のフランドールが近づいてくる。即座にグングニルを構えて突き出すと「ああわたしのお姉様が牙を剥いてる」なんておかしな言葉を楽しそうに吐き出す。
 槍の切先が引っ掛かりそうな距離で、そっと妹は立ち止まった。わたしを、殺せる?――白か黒か。覚悟を試されていた。愛してくれるのかと、確かめられていた。どちらを選択しても、彼女は善しと見なすだろう。
 私は完全に真意を測りかねていた。まず会話の内容が噛み合っていない。フランドールを愛して止まない、永遠の"かなし"想いを抱きながら、唯の約束を誓い掲げる騎士王は死んだとか、まったくもって理解し難い。
 咲夜を愛してしまった事実を責められているわけじゃないとなれば、少なくとも妹に関係しそうな心当たりがぜんぜん見つからなかった。気づいていない。気づかないような、こと。やるせない苛々が、募り積もった。

「フランドールが、フランドールが愛してくれたレミリア・スカーレットは死んでなんかいない!」
「うそ。うそだよ。なんかもう、ね。ひとみを合わせた瞬間にバレバレ。……仕方ないから、教えてあげるよ。わたしの大好きなお姉様は、どんなお姉様だったか覚えてる?」
「……私は、いつまでも"わたし"でしかない。全世界の悪夢をつかさどる夜の王。ナイトの模範を示すべき矜持を以って『王』の栄誉を賜った騎士。スカーレットの真名において、フランドールを護り続ける主だ!」
「そう『だった』よ。わたしの愛してるお姉様は……。ずっと信じてた。だからあそこから出なかった。でも、ね。それは間違いかもしれないって……。当たって欲しくない妄想は、残念だけど真実になってしまった」

 黄金色の髪の毛から覗くうつろなひとみが、軽蔑と背信の懺悔を乞うような視線を向けてくる。ゆらゆらと焦点が定まらずに、紅と蒼が混ざり合って灰色に染まっていく眼が、ことさら妹の思考の危うさを醸し出す。
 死体を踏みつけて飛び散った血飛沫が、べちゃべちゃと汚い音を立てて端整な顔立ちを紅に穢す。ざんざん降りしきる雨は、まるでフランドールのなみだのようで、ぼんやりきらめく虹色の羽根は五感を錯覚させる。

 今の言葉に虚飾は混じっていない。そのまま彼女を信じるとすれば、私は"わたし"じゃなくなって、あの子の愛しい存在とかけ離れ……。ざっと五百年に及ぶ生涯の拒絶は、鋭いナイフのように心をえぐっていった。
 お母様と契った誓い。フランドールと交わした約束。ふたつとも、果たせなかったのか。ジャッジメントを下す親愛なるひとが、両の指で十字架を結んで否と為した理由は、どうしても知っておかなければならない。

「……私は"わたし"だ。おまえが生まれたときから、揺るぎない信念と自負を持っている。フランドールが否定するのであれば、ちゃんとくわしく理由を教えて欲しい」
「そうだね。お姉様は騎士だ。私の愛したお姉様は、あまねく英霊を打ち倒した誇り高きナイトだ。ねぇ。わたしと決闘しようよ。今のお姉様がどれだけ弱っちくて腑抜けか、しっかり教えてあげるからさ」

 かつての私に抱くイメージを幻想と葬り去るような、あからさまな侮辱の意味合いをたっぷり含むソプラノが鼓膜を揺らす。わざとか細い指をグングニルの刃に触れさせて、にじみ出す血をぺろりと舐めしゃぶった。
 まっすぐ向けなければならない刃の揺らぎを、フランドールは騎士王の真名を与えし皇女のごとく見抜いている。うしろめたい気持ちがないと断じればうそになるが、ゆめ私の在り方は絶対に間違えていないはずだ。
 ゆっくりと槍を引くものの、安い挑発で頭に血の気が上っていく。親愛なるひとの言わんとしたい事実は、レミリア・スカーレットの理想を蹂躪する宣言に等しい。もはや苛々のボルテージは歯止めが効かなかった。

 簡単に言うなれば、彼女の愛した騎士は"死んだ"らしい。フランドールの妄想快楽中毒。それとも想像の私と、目の前の"わたし"が食い違って見えるのか。先の判断に至る原因が分からない。分かりたくもなかった。
 騎士と貫き通す崇高なる信念は、真紅の槍を執った瞬間から決して揺らいでいない。お母様の願いを受け止め、最愛の妹を慕い、そして十六夜咲夜という従者を愛するために……。いのちを賭して、掲げ続けてきた。
 そんな私の唯をこよなく愛してくれた最大の理解者に、まっとうな理由もなく否定されて黙っていられるわけがない。フランドール。証明してやろう。騎士王たる戈は、貴女と対に在った。いつまでも、変わらない。

「受けて立とう。後々後悔するなよ」
「……お嬢様。フランドール様に、なんらかの策があるのやもしれません」
「うるさい。私に指図する気か。お行儀のよろしくない子は、きちんと躾けてやらないとな」

 くるりときびすを返してエントランスへ向かおうとしたら、後ろでフランドールが咲夜に抱きつく姿が横目から見えた。
 きゃっきゃっとはしゃぐ大きなこえが、ひどく苛立ちを加速させる。決闘前は興奮が収まらなくなりがちだけど、普段の平静の維持も間々ならないし、英霊と覇を競うカタルシスに心を委ねることさえ叶わなかった。
 騎士典範も知らぬ餓鬼がナイトの気位を口に出すな。しかし穢された以上は、血を血で洗うような結果になろうとも、正々堂々と決着を以って浄化しなければならない。刃を交えた方が早いケースは騎士同士に限る。
 そもそも、だ。吸血鬼としての戦闘能力を考慮しても、フランドールは騎士と認められない。剣を執るための教義を知らないものと交わす決闘の意味なんて、野蛮人や傭兵程度のくだらない意地の張り合いと同じだ。
 すべては名目にすぎず、体に訴えかける方法は……。お父様を思い出す。あんな卑劣極まりない暴力を犯して、恐怖心に教え込む非道は赦されない。それでも、どうしても、今は自らの矜持を誇示する必要があった。

 来た道を戻りながら、五百年の歴史を逡巡する。長く私の時間は、最愛のひとのために費やしてきた。あの悠久の狭間において彼女の愛おしい騎士の誇りは、後悔は繰り返してもおろそかにしていないと断言できる。
 フランドールは、そう在らん私を気遣ってくれた。分かり合おうとしてくれた。こえもなくもだえ苦しみつつも、妹は能力を必死に押さえ込んでいる。ちいさなてのひらのぬくもりを、ちゃんと私たち姉妹は覚えていた。
 少なからず彼女の言が正しければ、私の運命を"視る"能力が衰えているのかもしれない。どうしようもない完全なミステイク。紅霧異変が起きても変わらない"きずな"を分かつような今回の騒動は予見できなかった。
 しかし聡明なフランドールは、ほんの瑣事で『騎士の矜持の欠落』と浄罪を促すおろかものか?――最低最悪のシナリオが頭をよぎる。もちろん妹は無意識だろう。この"運命"が第三者の介入に拠る改竄ならば、な。

 ――十六夜咲夜の名前を与えし瞬間に書き換えられた未来。風向きの変わった夜の王の運命。それらすべてを勘案してみれば、少女『A』がフランドールの殺害を望んでいる可能性は否定できなかった。
 ありえない。ありえてたまるか。給仕のときに騎士としての私の崩壊を伝え、裏切られたと思うよう仕向ける……。斯くも単純な次元じゃない。此度の因果律のメルトダウンは、夜と名前を渡す時点で発生していた。
 十六夜咲夜の世界はレミリア・スカーレットに規定されているのだから。彼女は異変発生まで、フランドールの存在を知らなかった。あの子の話を聞いたら、相思相愛は無論バレる。おそらくかみさまに仕組まれた。

 ぜんぶ推論の域を脱せなくて、運命のいたずらだと片付けられたら易いが、実際に咲夜は運命を変えている。時間制御能力の持ち主と神の思惑が絡み合い、ふたりの理想的な『想像を超える未来』に導かれていく。
 くだんねえな。地べたに唾を吐き捨てる。数多の運命を視てきたけども、あらかじめ視えているのであれば、いくらでも私の好きに変えてやろう。さらに視えてないかもしれないが、すぐ『if』で途惑うくらいなら進め。
 ひとが運命と呼ぶ概念は、抗うために存在するもの。もしも百歩譲って貴女の目論む運命だとしたら、器の大きさを見せつけてあげるよ。私の抱える蒼い薔薇の花束は、咲夜の想像を遥かに超え、なお凛と美しい――



  ◆



 紅魔館の正面玄関の大扉を開くと視界に飛び込む広い回廊は、そのまま中庭までだいぶ長きに渡って続く。ちょうど入り口の吹き抜け部分の中間に、左右から白亜の荘厳な階段が伸びて第二層の廊下が平行線に走る。
 屋敷に踏み入った客人たちを威圧するような、人手による細工とは信じられないルネッサンス期の緻密で繊細な聖母マリアの壁画。宗教芸術を背負うかたちの桟敷の中央に、咲夜と美鈴と様子見らしき子悪魔が並ぶ。
 シンメトリー形状の階段の始まる第一層の両端の、左側にフランドール、右側に私が陣取っていた。既にグングニルを両手に構え直すこちらに対して、標的は左手に<破滅の枝>レーヴァテインを具現化させていく。
 フィヨルスヴィズの歌において『スルトの剣』と表される宝具は、彼女の背丈と比べて二倍の長さと、姿を覆い隠してしまうよう左右に分厚い横幅のブレイド部分がむき出しの、禍々しい威圧的な真紅の大剣だった。

 フランドールは魔法の素養は幾分で、まったく騎士の教育を受けていない。驕らず冷静に状況を確認する。小回りやリーチは私の方が有利だろう。一撃のダメージも急所を狙えば同等で、大剣は防戦に向いていない。
 あのシロモノは霊媒を具現化しているものの、基本的に仰々しい分の質量は魔術的力学が働くので、そう簡単に振り回せない。私たち吸血鬼の身体能力を以ってしても、ひとつの斬撃に費やすパワーは膨大なものだ。
 今も両手で柄を握りながら、フォルトからだんだん緩やかに細くなっていく刀身を、すっと後ろに流して構えている。技を繰り出したら次の動作までコンマ一秒の猶予が生まれ、そこで的確に急所を狙えば終わりだ。
 しかしもっともリスクの少ない方法がある。グングニルは絶対に標的を射損なわない。フランドールの太腿に的を合わせ投擲、地面に突き刺さった矛先で魔法を編んで押さえ込む。おそらく勝つための最善手だろう。
 まさかの危惧があるならば、大剣を正面から受け止め耐え忍ぶ局面か。わずかな隙を見計らいつつ、カウンターを狙う方法は生死を賭した――騎士の真似事を受け流す遊興に、苦戦を強いられるほど腕は鈍っていない。
 多少のブランクを考慮しても、相手はずぶの素人なのだから。戦況は常と変わるが、事前の算段は整った。咲夜に視線を送って促す。決戦の開始を告げる丸い純正の金貨が、くるくる回転しながら地面に落ちていく。


 ――音速を超え飛んでいく紅蓮の槍は、しかとフランドールの腿を貫いていた。なのに妹のちいさな体は光速で空中を駆け抜けて、おもむろに宝剣レーヴァテインを薙ぎ払い、か細い私の躯を半分に切り裂く。
 紅いひとみの映し出す運命の結末が、ありえない光景を投影している。グングニルを投擲したら"死ぬ"――ゼロコンマの世界であらゆる『未来』を予知しても、いまの状態から初撃を受け止める術は見当たらない――


「なんて、こと……。ふざけるなよ! くそったれが!」
 最悪の妥協点。最初の攻撃を避けるため、最大速度で玄関右方の壁際に激突した。
 みしみし背骨に振動が走っていく。広大な屋敷のエントランスと言えど、光の速さで急停止が効く道理がない。
 きらめくコインが赤絨毯に着地の刹那――私が立つべき場所の数メートル先に、フランドールが悠々と待ち構えていた。
 とてつもない強烈な横薙ぎで、大理石の内壁に恐ろしい水平の亀裂が走っている。最高速で飛び退かなければ、間違いなく切り伏せられていた。
「きゃはっ、きゃはははははははははははは! そんなだらしないやり方でしか逃げられないのぉ?」
 すぐに槍を両手で構え直し、今度は全力で防御の姿勢を選ぶ。
 投擲の必当は確定的だが、私のいのちと引き換えの運命しか視えなかった。
 無策としか思えない猛進で妹が迫ってくる。今度は真上の垂直。柄と触れ合った部分から魔力が激しく飛び散った。
 神具クラスの武器でなければ、まずへし折られてしまうだろう。さらにものすごい怪力だ。ぐいぐいと押し込まれてジリ貧なので体を翻すが、二の次がありえない速さで繰り出される。
「……地下で騎士の"おままごと"でもしていたのか」
「なにそれ。せっかく能力を封じて『50:50』にしてあげてるのに、まるで負け犬の遠吠えみたいだよ?」
「どうしておまえが勝つと決まっているのかしら。だれの細工だか知らないが、この程度で粋がるなよ引きこもり風情が!」
 運命は視えていた。
 あからさまな殺意も感じていた。
 視えなければならない――逆境を切り開く"さだめ"が欠落していた。
 相手は『ど素人』で、まるまると隙が生まれている。そこを突き刺す未来が、なぜかすべて封殺されていた。
 予定調和のチャレンジで打ち込みや穿刺を見舞っても、裏刃の返しやウェストのひねりできれいに交わされてしまう。
 騎士の流麗な所作と異なる、夕凪のごとき自然体な身のこなし。ぶっきらぼうで完全な力任せの剣戟。ふたつのギャップに途惑いながらも、すぐに私は事前の危惧を受け入れざるを得なくなった。
「あはは。おねえさま。まさかの手抜き?」
 紅蓮を燈した大きなひとみが、殺戮のエクスタシーで揺らめく。
 平行線上を叩き切る真紅の一閃を、垂直に槍をかざして必死に受け止めた。
 交差して魔力を散らす大剣の太い刀身。体もろとも真っ二つにされそうな衝撃が、びりびりとてのひらから体のあちこちに響く。
 柄を丸ごと折ろうとする怪力で、足元が床のなかにめり込んだ。あんな細身のフランドールからは想像すらできない無双。妹は嘲笑を交えながらも、その実は正々堂々としていた。
 大剣が引く瞬間を見逃さず、右足から踏み込んで裏薙ぎを突き出すと、はらりと黄金色の髪の毛が舞い散る。したたり落ちた鮮血を、ぺろぺろ舐めしゃぶって笑う。くだんの仕草のとおり私は完全に『舐め』られていた。
「くだらない余裕をかます暇があったら、さっさと殺してみたらどうだ!」
「きゃはははははははははは! だっておねえさまさチョー弱くて話にならないしぃ!」
 辛辣な笑みを浮かべるフランドールが、さも楽しそうに煽り文句を寄越す。
 紅い光を放つ切先が弧を描き、足元から下腹部に叩き込まれる。すんでのところで柄を当て返すと、体が浮かびそうな振動が伝わってきた。
 鈍くきらめく紅蓮の焔が、右と左と繰り出される。すさまじい膂力で、気を抜くと弾き飛ばされそうだった。このままのペースで懐まで入り込まれたら押さえられない。
 衰えなのか、それとも彼女の能力が純粋に……。武器のアドバンテージを最大限に生かして活路を見出そうとするものの、どうしても目標の体を穿つ手段が見当たらなかった。
 次々と繰り出される剣戟を、ダンスのようなステップと槍裁きでやり過ごす。だんだんとフランドールの動きがキレてくる。狂恋の円舞。刃と矛先が交わるたび、あふれ出す霊力は鮮血のように流れ落ちた。
「夜の王たる私を見くびるなよフランドール!」
 コバルトブルーの髪の毛が、さらさらとなびいた。
 なんの変哲もない縦横の斬撃が、ありえない速度で振るわれる。
 果てしない重みに、押し潰されそうだった。歯を食いしばって耐えしのぐ。
 現状が最大出力ならば、必ずぼろが出るはずだ。一撃でとどめを刺す運命の到来を待つしかない。
 大剣の『攻撃』は最大の防御だ。剣の刃が交わる――バインド状態からの駆け引きが私の"十八番"なのに、フランドールの攻撃はシンプルかつ強引なじゃじゃ馬で始末に負えなかった。
 構えのなかで織り成す連続攻撃を主体に置くあたりの天性の感覚は褒め称えるべきだが、そんなのんきに事を構えていられる相手じゃない。精々の虚勢が精一杯で、身体的負荷と精神力は確実に磨り減っていく。
「……私の大好きなお姉様は、やっぱり死んじゃったんだ」
「偽りの言葉は私を殺してから吐くんだな。おまえが仕留められない状況が分からないのか?」
「おねえさまをこわすの。だいすきなおねえさまを、こわしちゃうの。ばらばらにして、かわいがってあげる」
「どうして私を信じてくれないんだ。信じてくれていたのだろう!? おまえが愛した騎士王は"今"目の前に健在している!」
「かわいそうなおねえさま。ちゃんとわたしがおしえてあげるね。すぐにおもいださせてあげる。きゃははははははははははははははははははははははははははははは!」
 たまらず懸命に叫ぶこえをフランドールは一笑に伏すと、暴力のような斬撃を絶え間なく繰り出してくる。
 ゆらゆらとひとみがうつろなのに、集中力の散見は微塵も感じられない。むしろ豪雨のごとき攻撃に込められる力は増すばかりで、まったくもってとめられそうもなかった。
 地面に深く突き刺さった大剣を、物理的法則をねじ曲げて軽々と引き抜き、元のまま猛烈な勢いで振りかざす。当たらないと把握済みのささやかな反抗は、さもめんどくさそうに跳ね返されてしまう。
 光速の刺突は瞬時の見切りと共に剣身で跳ね返され、トリッキーな足払いや横薙ぎの類は虹色の羽根がフォロー。バインドからの主導権を完全に奪われているため、なかなか起死回生のチャンスがめぐってこない。
 こんな力自慢だけの相手なら、散々に打ちのめしてきた。体躯が脆弱な私みたいな存在は、ひたすら技を磨くことに終始しなければ勝ち残れなかったのに、最愛の妹は標的の"ハカイ"のみを悦として大剣を振り回す。
 かつての狂獣<バーサーカー>を彷彿とさせる金剛力と、大胆不敵な天賦の理智が圧殺を目論む。太刀筋は乱暴極まりないが、確かな信念を秘めている。感情論を糧に生きてきた吸血鬼は、私を仕留め粛清を果たす。

 めちゃくちゃにおかしくなっちゃうくらい、おねえさまがだいすきでたまらないからこわしちゃうんだ――フランドールの大剣に込められた想いが、たいせつな"あいという"もので愛おしくて、運命が視えなくなる。
 五百年の悠久を越えながらなお強く在り続けたココロが、世界の運命を"変えられない"理由が見つからない。妹の狂おしく独りよがりで倒錯的な感情は、紅いひとみの視通す因果律の歪螺旋に晴嵐を発生させている。
 フランドールの気持ちは、ちゃんと分かっているわ。だいじょうぶ。そう信じてもらわなければならない。なのに私が揺らめいていた。なぜだ。おかしい。私は私でしかないし、私が私をやめることなんて不可能だ。
 魂の在処があやふや。深層心理がブレているのかもしれない。十六夜咲夜か。永遠と寄り添うような運命の改ざんをもたらした存在。少女『A』の白い花瓶に飾る薔薇が、水色の微風を受けて花びらをたなびかせていた。

「――私が護り通したい唯は、まったく変わっていない!」
「うそ。うそだよ。そうじゃなくてもさ。ずっとわたしに手向けてくれた、たいせつなひとを護るための強さが今のお姉様にあると思えないんだもの!」
「故に浄罪を求めるのか。私が私で在り続ける理由は、あのころからそのままなのに……。いい加減に目を覚ませ。私を見据えろ! おまえの誇りたる自慢の騎士は、いつかの誓いを捧げながら生きている!」
 まっすぐ振り下ろされた刃を受け止めながら、理解してもらえない言の葉を気迫を込めて吐き出す。
 貴女の思い込みを正したいと足掻く私は無様かもしれないけれど、なんとしても護り続けたい、護り続けなければならない大事な想いがあった。
 客観的に見ると五分五分どころか、こちらの圧倒的不利は明々白々。それでも自らの掲げる真紅の槍を折ることができない現状は、どうしても抗わなければならない運命が視えているからだ。
「おそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそいおそすぎる!」
 フランドールの愚直なまでに直線的な攻撃は、まさしく変幻自在とたとえても過言にならない。
 フルパワーで放たれた切先が描く放物線の軌道を、無理矢理に力でねじ込んで直角に折り曲げてしまう。
 うすらぼんやりとかすむ"運命"の予見が働かなければ、もうすでに薔薇のいのちは奪われているのかもしれなかった。
 対す私はバインドから派生し出す流動性を利用して、紙一重で剣戟の数々を宙に泳がせ、紅い槍を保つ魔力の霧散回避に最大のウェイトを置く。
 どうせ当てられたらもれなく死ぬ。それならば身体能力の維持機能を最低限に抑え、具現化している武具が砕かれないようすべてをグングニルと反射神経に注ぐ。
 容赦ない斬撃が幾度となく降り注ぐ。槍を持つ指を襲う――常套手段の素振りさえ見せない。在りし日の私に"還す"ための、渾身の一撃が振り放たれる。フランドールは怒り狂っていた。
「こんなよわっちいおねえさまの、どこがわたしのあいしたおねえさまだっていうの!」
 重力の干渉を平然と無視するような、素早いステップで踏み込んでくる。
 無理と判断するや否や、妹の華奢な体躯は横手にスライド。矛先の射程をくぐりぬけようと駆け出す。
 すぐさま後ろに飛び退いて近接手段を阻むものの、デルタ柄の穂先に全力を注いで猛攻を弾くたび相当の負荷が掛かる。
 わずかな合間を測って見舞う広範囲な横薙ぎは、風が吹き荒ぶレベルの浮力を生み体を四方に叩きつけた。とっくのとうにあちこちの壁が、無残な強襲の痕だらけになっている。
 フランドールの苛々が募っていく感覚が、荒れ狂う切先からひしと伝わってきた。私を仕留められない所為じゃない。騎士の"在り方"が変わらないと主張する私が気に入らないのだろう?
「その"よわっちい"奴を倒せないフランドールは、昔から私のそばを離れられないくらい"よわっち"かったな」
 矛の先端を受け止めていた刀身を柄に沿って滑らせながら、猛然とキレそうな妹が肉薄してくる。
 紅い槍に最大限の力を込めて平行線上から軸をずらすけれど、大剣の横幅を前に逃れられるはずもなく垂直に飛ぶ。
 しょせん消耗戦ならば望むところだ。あえていたずらに煽り文句を飛ばし、とにかく最大出力の魔力を放出させてやればいい。
 ありとあらゆる方向を介しめちゃくちゃに飛び交う斬撃の嵐を、最後に仕留めるためのエネルギーを温存しつつなんとかやり過ごす。
 ハイリスクローリターンな戦術だが、正面からぶつかり合って勝機を見出せる相手じゃない。大理石の床に亀裂が入るような斬りを、刹那の未来を視て避けていく。
 今こうして妹が手向けてくれた愛情は、数多の英霊たちの捧ぐ矜持と比べればちっぽけなものかもしれないけれど……。私は今回の決闘における騎士王の健在を以って、誠心誠意な慈愛を示さなければならない。
「どうした。なんの反論もできないのか。したくてもできない理由があるのならば、くわしく話してくれないと困るな」
「……ずっとお姉様が強く在ってくれるのであれば、わたしが戦う必要なんてないんだよ。それなのに、それなのに、おねえさまがわたしをうらぎったから!」
 もっとも、だ。私が真意を訴えるほどに、フランドールの激昂がとまらない。
 刃が交差しているとき、波状的な連続攻撃のなかの最後――横薙ぎに最大限の注意を払う。
 すぐさま最高速で跳ね退かなければ、リーチの長さで翼ごと持っていかれる。己から壁にぶつかっていく情けない格好は、観戦しているものにとってさぞかし滑稽だろう。
 本来ならば手数が多いはずのこちらが、ほとんど手の出しようのない乱舞。バインドからの猛攻が早すぎる。ゼロコンマの世界で運命を視て判断しなければならない事態は異常だ。
 もはや槍戟は意味を為さず、威嚇程度のモーションで反抗の意思を表す現状が精一杯。長期戦になれば、必ずミスが発生する。たとえ運命が予知できずとも、今まで培ってきた五感が状況判断を補う。
 しかし数多の攻撃をいなすたび、ますます不安が募っていく。妹の想いの強さが打ち勝ち、ちいさな体を切断するかもしれない。私と、あるいは咲夜の……。この運命を切り裂く力が、はっきりとねじ込まれていた。
「フランドールは、とってもいい子だ。ちゃんとハカイの力を抑えている。またふたりで、思い出……。たくさん、作ろう?」
「わたしのだいすきなおねえさまとじゃないといやなんだもん! だっていまみてるどうしようもなくかっこわるいおねえさまは、おねえさまは、わたしのあこがれてるすてきなナイトとちがうんだ!」
「おまえに捧ぐ忠義は、永遠と変わらない。お父様もいない。たいせつな"家族"もできた。私の騎士の誇りを掲げる場所は……。血生臭い戦場と遠い、英霊の覇を競う神の御座。ずっとわかってくれていたじゃないか」
 ひどい雨ざらしの剣戟のなか、最愛のひとの心のうちを感じた。
 フランドールだって、ね。当然わがままは自覚しているのだろう?
 ちらと視界に入る紅魔館の面子。美鈴と子悪魔は戦慄をあらわに震え上がり、咲夜は冷たい視線を向けていた。
 ずいぶん久し振りに舐めた血と鋼の味が、在りし日を思い起こさせる。いのちを賭す決闘のカタルシスに逃避してしまう日々は終わりを告げた。
 残念ながら私は強欲らしい。心から護りたいものが、いつの間にか増えていた。まさかの運命と引き換えの"決闘"なのかもしれない。ここでフランドールを説得できれば、素晴らしき日々が待っているのだから。
「いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!」
 おそらくフランドールの剣術の源も感情論にすぎず、完全にイカれた本能が無茶苦茶な理屈で体を動かしている。
 言葉を手繰るリズムと似せて繰り出される強大な技の数々を全身全霊を以って受け流し、ほんのわずかな隙を見計らって乾坤一擲のエイミングをお見舞いすれば終わりだ。
 しかしなかなか疲労の色は見受けられない。ありのままの心を吐き出すように、激しいメッタ斬りから裏刀まで延々と攻撃を繰り返す。たまにクロスアームを交えるあたり、天性の感覚で剣と舞う素質が窺えた。
 ときに片手になろうと、斬撃の質量は変わらない。一太刀と切り結び、二太刀で反動を生み、参の太刀を縦横無尽に振るう。無限に等しい刃の接触から派生していく運命は、私の"Dead END"で埋め尽くされていた。
 かみさまの規定する運命に従うとかまっぴらごめんだ。騎士王の矜持を示さなければならない。私は親愛なるフランドールを護り抜く騎士だと、たとえどんな未来が待ち受けていようと、鮮やかに突きつけて見せよう。
「私の知っているフランドールは、もっと……。もっと、素直だったはずなのに、どうして!」
「すごくさあ、おねえさまかんちがいしてるよね。まさかわたしがとまるとでもおもっているのかなあ?」
「食い止めてやるさ。おまえの理想たりえる騎士王に不可能は存在しない。勝負は互角にしておかないとつまらない」
「へえ。今のやり方が生ぬるいってことかなあ。それじゃあさ。咲夜を壊してあげる。心のなかの"おねえさま"以外を、ぜんぶばらばらにするの。あいしてるーしか言えない咲夜のぬいぐるみがほしいんでしょ?」
 さくや。その美しい名前が耳朶を揺らすとき、思わず絨毯を蹴り上げて空を舞っていた。
 もちろんあっさりと防がれてしまう未来は視えている。感情を押し殺せない事実は"甘え"だと揶揄されても仕方なかった。
 柄の指先を狙う刺突は軽くあしらわれ、剣身のフォルト部に穂先が当たって霊力が散る。カッティングエッジに爪先が乗ると、冷静さを失った身体は忽然と大剣の上を駆け出す。
 思いがけない行動に訴えかけた私を見ても、フランドールは嘲笑を浮かべている。自分の体格と同等の刃を斜め後方に引く。強制的に足場はロスト。慣性に逆らわず着地すると、突然ぐんにゃりと視界がゆがんだ。
「さくや。ころす」
 運命が視えた。
 最愛のひとの未来は変わらない。
 フランドールの右手が振るう大剣の横薙ぎを、槍を両の手で縦に構えて受け止める。
 そこから先が、視えなかった。0,000000000000000001mm秒単位で決断しなければならない運命が、まったくもって視えなくなってしまっていた。
 先ほどの予想外の攻勢でヒートアップがとまらない思考が働く。だいじょうぶ。私の魔力は十分に温存してある。しっかりとグングニルを握っていれば、バインド以降の選択肢は反撃の射程圏内キープで問題ない。
「さくや。ころす」
 未来が視えた。
 最愛のひとの未来は変わらない。
 フランドールの右手が振るう大剣の横薙ぎを、槍を両の手で縦に構えて受け止めた。
 しかし、刃の交わるとき――バインドがすぐに途切れた。つばぜり合い、衝突時の強烈な反発力を利用して、フランドールのちいさな体がくるりと回転する。
 クロスで大剣を両手に持ち直しながら、がら空きの左側に異常な力の不意打ちが飛ぶ。唐突な"横薙ぎの連続"に構えたままの槍を咄嗟に当てるものの、先ほどの倍々の威力の剣戟は予想を見事に覆してしまう。
 初撃のグリップを保てない状態で、あの怪力に対処できるはずがない――見事な"クランベリートラップ"が、グングニルごと私の体を吹き飛ばした。ものすごい勢いで壁に激突し、羽根の骨が折れる嫌な音が響いた。
 すかさずフランドールが光速で空を走り抜け詰め寄ってくる。スローモーションのように時間が流れていく。真紅の槍を構え直す猶予は与えられていない。大剣を振りかざす妹の、愛おしい姿がひとみに焼きついた。
「Q.E.D. byebye, my dear Scarlet...」
 そうか。やっぱり私は……。フランドールに対する罪を償いきれなかった。
 ただ、おまえは、もうだいじょうぶ、なのかな。この幻想郷に馴染んで、おもいっきり楽しんで欲しい。
 ざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざざ――右脳と左脳に入り込むノイズが、咲夜と交わしたキスを思い出させる。
 そっと。まぶたを閉じた。
 なぜか私の死ぬ運命は視えない。
 フランドールが、ちゃんと抗ってみせた。
 レミリア・スカーレットの運命を操る力を借りて?
 否。否だ。妹は切り開いた。そうだとしたら私に与えられるものは死であらなければならないはずだ!
 とある仮説が甦った。十六夜咲夜の存在が書き換える未来プログラム。かみさまと共犯と言い換えても正しい"現在"は、妹がささやく最愛のひとのファーストネームからわずか数刻の趨勢の変化でもたらされた。
 思い過ごしの可能性は否めなかった。まさか私たちの出会いがフランドール更生の公算まで孕んでいるとか、にわかに信じられないが……。どうしても死の宿命が視えない以上、なんらかのかたちで干渉されていた。
 ゆっくりと両のひとみを開くと、私を庇うような格好で咲夜が目の前に立ち塞がっている。天窓のステンドグラスから漏れ出す月光や虹色の羽根の鈍い輝きで、プラチナシルバーの髪の毛がきらきらきらめいていた。

「フランドール様。どうか何卒、お許しいただけませんか。私にできることでありましたら、なんなりと従います故……。どうか剣を、お納めください」

 凛と紡ぐ言葉と共に、蒼いひとみと視線が合った。ひんやりと底冷えのひどい、あからさまな侮蔑の含みを感じさせる。すぐそばの影から覗くフランドールも、まったく変わらないニュアンスの嘲笑を浮かべていた。
 舐められている。哀れみを以って見つめられている。まさか咲夜がそんな気持ちを抱きながら見下すとか考えたくもなくて、永遠の一秒を彼女と過ごす日々の記憶の面影に、なんとか理由を求めようと彷徨い続けた。
 ちっともわからない。脳内が拒んでいるのかもしれなかった。すべての運命を指し示すキーワードが、どうしても咲夜の存在に集約されてしまう。心に咲いた蒼い薔薇の花言葉を、もしかしたら誤認識しているのか?

「――ふざけんなよ咲夜! 自分の犯した過ちを分かっているのか!? まだ私は負けていない。夜の王に敗北の文言は存在しない!」
「うんうん。咲夜が言うんなら仕方ないね。今回の決闘は、わたしの負けでいいよ。それより、ね。おとといのパッチワークの続きしようよ。あとね、あとね。ベイクウェル・プディング。食べたいの!」
「かしこまりました。まず先に、お体をきれいに拭いてから、ドレスを着替えましょうか。ちょうど新しいお召し物が届いているのです。フランドール様のすてきな着こなし、見せてくださるとうれしいですわ?」
「そっか。やっぱりさ。お姉様に咲夜は、すごくもったいないよ。わたしならお姉様の何倍も可愛がってあげられるし、欲しいものはなんでもプレゼントできるよ。……あはっ。お姉様の死体とか快感がいいのかな?」

 私の言葉を負け犬の遠吠えと無視を決め込み、咲夜とフランドールがさっときびすを返す。斯く動作の直前に、妹のくちびるが釣りあがった。ざまあみろ。わたしのしんじてるおねえさま。やっぱりしんじゃってた。
 なんらかの感情が込められていようとも、彼女の真意の在処が違う気がしてならない。真紅の大剣が宙に霧散していく様子を屈辱的に見つめていると、ぱたぱた二層から美鈴と子悪魔が降りてきて指示を聞いていた。
 ぜんぜん体に力が入らない。ちかちかと景色が明滅を繰り返す。だんだんふたりの影が遠くなっていく。決闘は……。負けて善しと想うものだ。フランドールは意図的に、もっとも私を苦しめる選択肢を突きつけた。
 真紅と貫き通す信念を、倒錯的な愛情が打ち砕く。ただの、ただの一度の敗北も赦されず、だれにひれ伏す経験さえ持たなく、口のなかでにじむ血糊と鋼の味を勝利の美酒に変えてきた私の、なにが貴様らに分かる!

 いい加減にしろ。こんなみじめでむごたらしい辱めを味わうくらいならば、いっそのこと死んで朽ち果てた方が遥かにマシだ!――騎士王と在り続けるレミリア・スカーレットの矜持は、今ずたずたに踏み躙られた。
 数多の英霊に申しわけが立たない。紅い槍で散っていった敵兵や同胞のいのちが泣いている。かの人々の……。誓い。祈念。願望。美学。思想。様々な想いをかたちと為し、ちいさく無力な体を紅蓮の薔薇に変えた。
 フランドールと咲夜も、そんな私に恋焦がれているんじゃないのか。決して後ろを振り向かず、花のごとく散っていく魂の理想として運命を導き出す、この世界をつかさどる夜の王の憧憬を愛していたんじゃないか!
 ふたりが少々おかしい事実は認めよう。それでも主の無様な姿を見て嘲笑う最低な、悪辣な趣味の持ち主だと思いたくない。ゆめゆめナイトの在り方を冒涜する、下賤で低俗な輩と堕ちていく未来なんて視たくない!

「……咲夜。私に逆らうのか?」
「もちろん罰は受けます。あとでご自由になさってください」

 血反吐とない交ぜに吐き出すみっともないこえに、カナリヤのうたみたいに澄んだ音が呼応する。銀色の髪の毛を幻想的に翻して覗く紺碧のひとみが灯す光に、侮蔑や失望を含む感傷的な色は無謬と消え失せていた。
 くだんの決闘を強制的に終わらせる意味――私の矜持を穢すと把握済みでやらかすのだから、どうしようもなくたちが悪い。主人のプライドに泥を塗りたくるような、メイドとしてあるまじき躾を施してしまったらしい。
 完全で瀟洒な従者と自負し、あらゆる満足の及ぶ給仕をこなす彼女が、下衆な最悪の方法を……。妹に急かされて立ち去っていく咲夜の背中を見送ると、騎士王の座の失墜と恥辱が煮えたぎり震えがとまらなかった。
 フランドールに手向けていた想いが気に食わなかったのか。十六夜咲夜の世界を規定している存在が私ならば、なおのこと今の敗戦は飲み込めない在り方のはずなのに、構わず阻止を選ぶ理由が皆目と見えてこない。

 やさしく手を差し伸べてくれる美鈴の気遣いを押しのけ、ひとり憮然としながら部屋まで歩き出す。ぐるぐるぐるぐる運命の螺旋を彷徨う思考は、かの辱めを与えた最愛のひとが想う真意の憶測が大半を占めていた。
 たとえ理想が穢れようと、いのちを失う運命を選ばないでください。お嬢様が死んでしまうかもしれない決闘は見るに耐えないのです。なんてつまらない理由をでっちあげるほど、十六夜咲夜は凡庸な人物じゃない。
 あの子には全幅の信頼を置いている。言葉にならない気持ちは、今までも背中で伝わっていた。くすぐったい惚気ですごく恥ずかしい想いだってしたけれど、ちゃんと私たちの気持ちは運命の紅い糸で繋がっている。
 わざと私に屈辱を舐めさせた本懐の部分が、透きとおるエメラルドブルーのなかに沈んでいない。心に咲く蒼い薔薇は、凛と在り続けていた。つらつらセンチメンタルが募り続ける故、咲夜のぬくもりが恋しかった。

 ――天国に堕ちていくさなか、黒い浴槽に沈む十六夜咲夜の蒼いひとみと視線が合った。運命の予知が届かない記憶越しから覗くレミリア・スカーレットは、親愛なる王女に捧ぐ真紅の薔薇と咲き誇っているか?
 花のいのちの儚く散りゆく様が、美しいと思っているのかしら。フランドールが「死んでしまった」と言うように、十六夜をめちゃくちゃに犯すときみたいに、私のイメージがばらばらになっているのかもしれない。
 妹は生まれつき壊れていて、さらにおかしくなっていた経緯の根本は、ひとえに姉として、それよりも恋人と"かなし"を注いだ所為。咲夜もまっとうに壊れたがって、彼女は出会いから手遅れで本質を見失っていた。

 夜に咲く花は想像を超え、狂っているような気がしてならない。例の胡散臭い聖者は恋愛を独善的に捉えるくせに人格の破綻を非と見なすけれど、正常に壊れていくのであれば善しとして愉悦と為す方が利口だろう。
 おそらく同一視された利己的な部分における、ふたりぼっちの世界で肝要な事実は『私たちはひとつにしかなれないよね?』――ありとあらゆる嗜好や感情を共有しながら、いのちを分かち合う破滅的な恋の美学だ。
 そんな私の理想を理解しているのに……。あえて咲夜は夜の王を奈落に突き落とした。サディスティックで背徳的な快楽を欲すのであれば、私を押し倒す程度は平然とやらかしてしまう程度の自惚れは持たせてある。
 おまえの視たい未来を教えてくれ。私の知らない答えなら、はじめてのすてきなデートのときみたいに、ふたりでいっしょに叶えてしまおうよ。十六夜咲夜に手向けるべき花は、永久に凛と美しく在らなければならない――



  ◆



 時刻は午前三時ちょうど。柱時計の未来を刻む音が、やたらと耳障りに聞こえる。なんか今日は色々ありすぎて疲れた。とりあえず苛々するから考えたくない。もろもろのすべてを、とりあえず放っておきたかった。
 それなのにぜんぜん眠れない。天蓋つきの華美なあつらえのベッドに転がって、子供みたいにちいさな寝返りを繰り返す。さくや。イカれた秘密のイメージを妄想しながら、めちゃくちゃに快楽を与え散らしてやる。
 あられもない咲夜は、とてもきれいだ。私は犯す方が好き。彼女は穢されていく『自分』に酔っていた。死んだように動かなくなるまで壊すと、ぴくぴくとわななき、だらしなくあえぎ、ひとみが真っ赤に染まった。
 紅と蒼が混じり合って、くすんだ灰色に変わる。朽ち果ててゆく咲夜は……。蒼い水槽のなかに浸しておきたいほどに美しい。咲夜が気を失うまでfuxxし続けることは、私たちの間でなかば暗黙の了解となっていた。
 ただし彼女が再び"咲く"まで、紅魔館の業務に支障をきたす程度の時間が掛かってしまう。痛いくらいの快感を望む故に、咲夜は定期的に不満を訴える。端的に言えば悦楽に溺れて、そのまま"死んでいたい"らしい。

 位相の狂った妄想狂を浴槽に沈めて、現実に戻るとゆらゆらめまいがひどい。さっきあらかたフランドールと遊び終えて『罰を受ける』ために咲夜が訪ねてきても、私は錠前に合鍵を差し込む行為さえ赦さなかった。
 こえを押し殺す最愛のひとは「傷つけて、いただきたかった」と漏らし、五日間の立ち入り禁止を素直に受け入れた。快楽中毒主義を絶つ術が、現状で与えうる断罪。果たしてドアの向こうで、なにを想うのかしら。
 咲夜が泣きわめく様子は目に視えている。私よりもつつましくありながら、人目がなければエクスタシーを欲しがった。ただケモノみたいに"感じていたい"と、ひたすら機会があれば腕を差し出して採血を要求する。
 気絶してしまうくらいの苦痛が恍惚ですわ。咲夜は口癖のように話す。キスのとき、がむしゃらに舌を絡ませて八重歯に押しつけるくせはエスカレートして、咲夜の両腕の付け根は私の歯形でずたずたになっていた。
 きれいに着飾るべきは主だけでよくて、従者は穢れモノが当たり前だと彼女は言うけれど、私の心に咲く花は凛と――馬鹿だ。気がつけば、咲夜のことばかり。どうせ眠れないんだ。ちょうど憂さ晴らしもいいかな。


 薄手のキャミソールを纏い、そっと自室から抜け出す。しんと静まり返る回廊を怠慢と歩いて二十分ほど、智慧の編纂が現在進行形で進む地下大図書館にたどり着く。鍵束から結界魔法解除の特製キーをねじ込んだ。
 パチェの魔法によって拡張されている空間内は三階構造で、一層はスカーレット家由来の古めかしい本棚が規則的に並び、二層三層は端々を繋ぐ無数の桟敷を、まるで塀のように背丈の高い書架がぐるり囲んでいる。
 外壁も雑多な蔵書でびっしり埋め尽くしてあって、真上からの眺めだと中央の吹き抜け以外はチェス盤の形状だ。主の書斎に続く紅い絨毯の平行線状は障害物がないため、ついめんどくさくて飛びたくなってしまう。

 ずいぶん久し振りかもしれないな。なにかと気持ちの整理が怪しいとき、あいつに色々愚痴るケースが多かった。書架の棚番号を照らすカンテラの灯火を横目に、ぐるぐるぐるぐる思考をめぐらせながら歩いていく。
 すぐ近くの脇道に視線を移すと、未整理の書籍が大量に積んであった。幻想郷入り以降は八雲の協力で外界の本を定期的に取り寄せているので、パチェの編む魔導書を合わせたらいくらスペースがあっても足りない。
 魔法の可能性とかどうでもいいし、アカシックレコード作ってくれないかな。もはや呆れつつ歩を進めていると、そばの本棚からひょこっと小悪魔が顔を出した。先刻の決闘の所為か、どこか微妙な笑顔を浮かべていた。

「お、お嬢様。こんな時間に……。なんかすごく、なつかしいですね」
「うん、そうだな。なんかぐちゃぐちゃで、なかなか眠れなくて。あいつさあ。まだ起きてるかな?」
「だいじょうぶ。ちょうど今、お探しの本を届けたところです。もれなく煙たがれるかもしれませんけれど、ね」

 私が来るたび毎度毎度、あれに愚痴を聞かされてうんざりだろう?――軽くジョークを受け流しながら皮肉たっぷりで返すと、闇に溶け込むような漆黒の礼装を纏う司書は、くすくすと喉を鳴らして微笑んでくれた。
 大図書館のデータベース管理検索は実質ぜんぶ彼女の仕事で、だいぶ長く屋敷に仕えているのだし元気な表情を見せて欲しい。相変わらずぴしっと着こなす衣服と裏腹に、いたずらっぽい雰囲気がとてもよく似合う。
 ふいに親指の腹を人差し指で弾くと、小悪魔の手持ちの本があたりに飛んでいく。魔法の行使も負けず劣らず冴えている。あれこれと話し込んでしまいそうなので、どうせ頼もうと考えていた用件を単刀直入に話す。

「しばらく悩みたくないから、睡眠導入用の"Drop"を五日分処方してくれないか。ちょっと気持ちよくなるようなマジックも混ぜてくれるとうれしい」
「らじゃーらじゃーですよ。お嬢様用のモノだとパチュリー様の工房で作らないと時間が掛かりますし、事後承諾でかまわないので許可を取っていただけると助かります。あとティーセットは必要ですか?」
「オーケー。そんなゆっくりと居座る予定もないし、ちょうど戻るころに完成してたらいいさ。それに紅茶は要らないよ。……もしも咲夜がやって来たら、今日の自室謹慎を伝言に預かっていると言っておいてくれ」

 そもそも言葉の真意が伝わらないはずがなく、あっさりと子悪魔は了承してくれた。吸血鬼は抗体の影響で異物混入を基本的に受けつけないため、ありきたりな魔術と薬理学で編み込むクスリは効き目すら現れない。
 少なくとも彼女に任せておけば、すてきなキャンディができるだろう。せっせとパチェが溜め込んでいる魔力結晶を使わなければならず、実際なかなかに贅沢な嗜みで、おそらくまた文句を言われそうだなと思った。
 魔導書の生み出す宝石に関する技術は、フランドールと並ぶ紅魔館のトップシークレット。魔理沙やアリスが再現可能なレベルと格が違うらしいけれど、とうの私も魔法は基礎しか扱えないので素直に承諾していた。

 ぱたぱた図書館東部の研究室に走り出す子悪魔を見送って、ぼんやりと周囲の様子を見渡しながら残りの道程を歩む。ようやくたどり着いた書斎の古めかしい扉は、地下大図書館の規模を考慮するとだいぶ控えめだ。
 ノックを何度か繰り返すと、不思議な鈴の音が鳴り響く。幾重に張り巡らされている魔術防壁の霧散と共に、古木の戸板のロック解除の感触が伝う。魔法使いカテゴリの存在は、なぜいちいちめんどくさいんだろう。
 建前上、ただ飯食らいの居候なのに、ひたすらプライベートを隠蔽……。そっとドアを開いてなかの様子を覗くと、当然ながら異空間が構築されている。いくら考えても部屋と言うか、殺戮トリック満載のテリトリーだ。
 研究成果保護のためならば分からないでもないが、霊夢と魔理沙をあっさり通してみたりと、相変わらず思考や行動原理が釈然としない。どうして嗜好や思想が正反対なのに、上手く付き合いが続いているのかしら。


 長らく続く赤茶けた絨毯の上を歩きつつ、なんとなく左右の巨大な書架を見渡す。ご丁寧に「スカーレットの蔵書を移動していいか?」と追いやられて代わりに並ぶ魔導書は、禁忌の呪詛の数々が書き綴られている。
 意図的に悪用したら漏れなく世界が滅ぶようないわくつきの、幻想と葬り去らなければならない書物。ある意味ゲートキーパーをやらされているわけだが、彼女ら魔法使いは研究成果を利己的な愉悦としか扱わない。
 せめて他者に恵みを分かち合おうとか、世界に還元しようと思わないのだろうか。パチェの探究心の在処は不明で、事象の発生や仕組みの解析に終始している。もはや魔導書の執筆そのものが趣味なんじゃないかな。

 大きな本棚の壁が途切れた先は、まあるい円形状の空間が広がる。地下室なのに平素の部屋と同様の構造で、規則的に並ぶ硝子窓の黒いカーテンは閉めきられ、ほんのわずかな隙間からまたたく星の光があふれ出す。
 不思議な調度品と寄り添うオリーブの小瓶やアルカネットのフラスコが、かぐわしいにおいをほのかに香らせた。この大規模な固有結界を生み出す魔法陣は、宝石を流動性素子に組み込んだ魔力供給で駆動している。
 とうの強大な力の源たるひとの机は……。山と書籍が積み重なった封鎖状態で、まったく本人の姿が確認できない。ちらちらランプの篝火が揺らめき、さらさら文字を書き写す音が響く。気づいてるくせに、無視か。
 やれやれと毎度のため息をつきながら、デスクのとなりまで歩いていく。動かない大図書館は来客を気にも留めず、ひたすら著述に勤しんでいる。はたと、筆が止まった。嘆息をひとつ。無関心無感情のこえを出す。

「……咲夜に泣きついているのかと思った」
「なんならパチェが今宵の夜伽に付き合ってくれてもかまわない」
「つまらない冗談がへたくそなのねレミィ。わがままな子供の世話は魔理沙で間に合っているのよ」
「ずいぶん面倒なものをつかまされたな。あれは"あれ"で楽しいよ。自称『魔法使い』を意識してるの、実はパチェの方だろう?」

 ぴたりと羽根ペンがとまる。ささやかな皮肉は日常茶飯事なので、残念ながら反応してしまうとダウトだ。まさか恋仲まで進むとも思えないが……。ふと施錠の音が響く。大っぴらにできないことが多いから助かる。
 たぶん人妖の気配は子悪魔の存在しか感じられなかったけれど、偏執狂な咲夜のストーキングは十分にありえる。すぐ時は止められても、人間に魔術防壁は突破できない。まずは監視の網の目に引っ掛かってしまう。
 パチェは気だるそうにハーブティーを飲み下すと、フリルをふんだんにあしらった白い帽子を脱いで、むらさき色の長い髪の毛を結ぶリボンを解き始める。蒼い花の栞を本に挟むと、こともなげにぽつりとつぶやく。

「ところで。なにか用事かしら?」
「なかなかツンとしてるパチェも可愛いと思うよ」

 なんの脈絡もない賛辞に頬を赤らめた知識と日陰の少女は、ゆっくりロッキングチェアを降りて部屋の片隅に佇む大きなシェーズ・ロングに向かう。ロココ様式の『メリディエンヌ』と呼称される優美なソファーだ。
 先の椅子から動くパチェは、なかなか珍しいと断言してもいい。上品に腰を落とすなりこちらを見て、ぽんぽんとなりのスペースを叩く。座りなさい――無言の催促は心得ている。とりあえず彼女のそばに落ち着く。
 するといきなり腹部のあたりに腕を回されて、ひ弱な力で体ごとおもいっきり抱き寄せられた。そのまま押し倒され、キスとか真面目に想像……。ちょうど太腿に頭部を乗せられて、膝枕のような格好になってしまう。

 パチェとならしてみたいとか、どれだけ血迷っているのか。完全に見抜かれていた。本当は立ち上がることさえ間々ならず、ましてや飛行すらできない疲弊の激しい状態だと、おまえはぜんぶお見通しなんだろうな。
 ただ強制されなくても、こんな風に戯れてとろんとまどろむひとみを見上げながら、ふたりでたくさん語り合った。それは"なつかしい"と指摘されるほど昔に思えないけれど、どうも今は思考回路がおかしいみたい。
 そっと手を伸ばし紅い色が差すほっぺたを撫で回しても、パチェは私の行動を咎めたりしなかった。分かり合えてるとは思えない。きっとパチェの恋慕は……。告げられず、受け入れられない故、彼女は黙っている。
 フランドールに抱く想いを知らなければ、今ごろは告白されていたのかしら。夜の王の恋人と在りたい魔法使いの本懐に、もしかすれば私の知りたい答えが眠っている。ついと話そうとしたら、くちびるをなぞられた。

「――あんなぼろぼろのレミィ、始めて見たわ。きゃんきゃん負け犬がわめき叫ぶザマとか、ほんとかっこ悪いんだから」
 もちろん敗北の知らせは詳細まで伝わっているのだろう。
 決闘の場に居合わせた小悪魔を通じなくとも、水晶玉で見通す程度の魔法ならば易い。
「なんかさ。素直に正々堂々と罵られた方が楽なのかもしれないな」
「私だって失望したのだけど。あわふたしてるのなんて美鈴くらいでしょう」
「あの反応が普通だよ。残りの脳みそがおかしい。パチェも多分に漏れず大概って奴だ」
「……治癒の魔法陣を部屋に敷設してあげようと思った私は、確かにレミィの言うとおりおつむが足りないのかもしれないわ」
「そういうとこ、おまえは可愛いよね。しかし運命が規定事項だと思い込むあたりは悪いくせだ。実らないはずの恋が叶う御伽噺は腐るほどあるだろう?」
 ぷいっとそっぽを向かれてしまった。ほんのり火照るかんばせを愛でる指が、つつっと真横に滑って宙を舞う。
 なぜかなにかとひどくぼろくそにこき下ろしてくるもので、思わずタブーの恋愛事を突っついてしまうくらい……。今日の私は、だめだめみたい。
 どうやら旧世紀の胡散臭い伝記でしか知りえない私と比較しているようだが、過去の誇り高き英霊たちの激闘を思い起こす想像力があれば、パチェの失望は至極まっとうで当然だと思った。
「ごめん。……まずフランドールに関する所見から頼む」
 それとなく胸のあたりに置かれたパチェのてのひらに、そっと両の手を押し当ててまっすぐ見据える。
 さらさらとなびくアメジストのロングヘアーが、ハーブのような不思議なにおいを散らしながら鼻孔をかすめていく。
 どうせ用件も訪問の時点でバレバレだ。実際に刃を交えて感じている私の率直な感想と、知識豊かな第三者の意見を交えたらなんらかのヒントが得られるかもしれない。
「……部外者の意図的な能力干渉は存在しなかった」
「純粋なフランドールの戦闘能力か。剣の"型"もへったくれもなかったけれどね」
「狂気の英霊<バーサーカー>が理智を持った印象かしら。扱いも知らない大剣を具現化して物理的法則を力でねじ曲げるやり方は、少なくともスマートな手法だとは思えないもの」
「なさけないな。まったくもって同意見だよ。しかしまともにやりあえる相手じゃないのか問われたら、必ず覆せた運命だと思いたいんだが……。私の能力は目に見えて劣っていたか?」
「妹様のハカイの能力の有無を問わず、あんな化け物はレミィじゃなければ絶対に太刀打ちできなかった。だいたいとかく戦闘が専門外の私から見ても、勝機は確実に"視えている"のだと思ったわ。でも……」
 ふと言葉を切って言いよどむパチェの複雑な表情を察するに、たぶんこれから述べる意見はフランドールについてのことかな。
 ずらずらと推論を並べていく魔法使いの見解は、おおむね変わらないものだと思うし、先の決闘の真意は妹と感情の変化に隠されている。
 おそらく私と違う部分が、彼女の視点に映っていた。やさしく重ね合わせているてのひらから、緊張の度合いを隠せない心臓の鼓動が伝わってしまう。
「フランドールの、気はふれていたか?」
 なかなかパチェが言い出さないので、なるべく自然なこえで続きを促す。
 彼女にとって憎むべき恋敵を語らなければならないとき、感情的になりたくない気持ちは理解できる。
 わなわなと、震えていた。常に冷静沈着を信条と貫く親友が、あふれ出す想いを押さえきれない。明らかに私の知らない事実が隠蔽されていた。
「……いいえ。彼女は"正常に"狂っていたわ」
「単刀直入だとは言え、色々と矛盾していないか?」
「妹様は……。貴女を愛している。レミィが愛してくれる自分のままで在り続けようと、五百年の孤独のなかで誓いを護り続けてきた」
「私だってそこまで鈍くないさ。心当たりもなきにしもあらず。もしかすると正解かもしれないが、あくまでパチェの推測の域を出ない感情論だ」
「そうやってひとは愛しい存在のために、なんとか"愛してくれる自分"を維持しようとするの。フランドール・スカーレットは永遠と愛しい姉に恋焦がれ、星のないトリカゴでもがき苦しみながら生き永らえた」
 ずっと、待ってくれていた。
 いつまでも変わらず、愛してくれる。
 フランドールは、私に愛されたい"自分"と在り続け……。私を待っていた。
 九つの誕生日から、まったく変わらない。それなのに同じ過ちを繰り返してしまった。
 果てしない悠久の歳月を越え、とうとうタイムリミット。やっぱり姉として助けてあげられず、どうしようもなく無力だった。
 今日の屈辱的な敗北は、与えられて当然の罰なのかもしれない。かみさまが下す贖罪のリンチは、平然と私の心をずたずたに切り刻んだ。
「……そっか。私はしあわせな大馬鹿ものだな」
「しかも妹様の想いを代弁させておいて、ちっともやさしくしてくれないのね」
「あの狂った愛情を善しとするのか。神から稀有な英知を授けられたパチュリー・ノーレッジが認めざるを得ない恋愛の美学、ね……」
「スカーレット姉妹の絆。十六夜咲夜の存在。まざまざと狂信的な愛情を見せつけられた私の気持ち、きっとレミィには分からないんでしょうね」
「済まない。とは思っているよ。フランドールのことで悩むたび、いつもパチェに頼って悲しませてしまう。そもそも、さ。おまえもたいせつに想ってくれているからこそ、なんにも言わないんだろう?」
「ひどい自惚れ。みんな夜の王に惹きつけられ、ときに恋に堕ちて苦しむのよ。レミィは運命を操っている自覚が足りてない。だって私は、貴女の所為で……。永遠に報われない恋の迷路を彷徨うアリスになった」
 およそパチェらしくないセンチメンタルに驚くものの、その場しのぎのなぐさめは無駄だ。
 かみさまを恨むんだな。そう言えたらどれだけ楽なのかしら。ひとは林檎の落ちていく瞬間の振動が、運命を変える事実を知りえない。
 魔法使いの親友は諦めてしまった。ありとあらゆる可能性は無限大だけど、未来の改ざん範囲も規定済み。ただし触れ幅は学術的な観点から論じてもアンノウンなのに、たった一言の"大好き"が告げられなかった。
 少なくともなんらかの理由がなければ、だれかの運命に干渉したいと思わない。どんなささいな出来事であろうと、すべての事象は運命の礎となりえる。当然ながら私の存在でさえ、そんな路傍の石のようなものだ。
「しかしいまいちしっくりこないな。フランドールは、ちゃんと命令を守っていた。もしも破滅の美学を以って愛と為すのならば、さっさと部屋から飛び出してきたはずだ」
 今までのパチェの話を総合すると、ますます妹の行動原理が不明瞭になっていく。
 彼女は理性を保ちながら、私を愛し続けてくれた。とりあえず狂気を理由に据えて考えても、いまいち根本部分が見えてこない。
 なにもかもすべておかしくなって、殺したくなるくらい愛してくれるのならば、無理矢理に咲夜の制止を振りほどいて死骸を抱くはずだ。
 あえてフランドールが惨殺を選ばなかった理由――それは私の矜持を穢す最低の手段だと知っているから。なぜ聡明な妹が頑なに拒絶したのか、ぜんぜん見当がつかない。
「……当事者が自覚していないんだものね。さすがに妹様の憤怒に同情してしまうわ」
「端的に話せ。まわりくどい。もしも私に責があるのなら、改善できるのであれば、今すぐフランドールに頭を下げたい」
 パチェが大袈裟なため息をつく。
 おぼろなひとみが、じいっとこちらを見やる。
 まだ気づいていないのね。お馬鹿さん。なかば呆れ顔だった。
 めんどくさくてかなわない。うすうすは分かっている。確定的な言葉で断じられなければ、どうしても納得できなかった。
 目じりから零れ落ちるなみだの跡をなぞり、無言で回答の催促を迫る。言葉を紡ぐパチェのくちびるが、かすかに震えている感じが見てとれた。
「レミィ。貴女は変わった」
 なるほどね。そういうことか。
 ざっくばらんに噛み砕いてみれば、かつての私は行方不明らしい。
 さらに本人さえ所在が分からないのだから、なかなかずいぶんと自意識過剰だったと言うか……。妹に対する責任だけは免れないものの、とにかくめちゃくちゃたちが悪い。
 さっきちょうど宴会の帰り道で、美鈴も同様の内容を打ち明けてくれた。パチェだってなにかしら思うところがあるのだろう。あの子の台詞を借りて言うと、妹の大好きな"おねえさま"は死んでしまったらしい。
 私は変わらず……。騎士王と夜の王と在り続けている。先の事実を否と証明を為すために決闘を申し込んできたとなれば、すべてのパズルのピースが噛み合って、フランドールの正常に狂っている理由と辻褄が合う。
 そして妹と同意見の咲夜が、もっとも辛辣な方法を選んだ。かみさまは上手く仕込んだものだが、私の矜持を地べたに這いずりまわして楽しいか?――永遠に紅い幼き月の"唯"は、ふたりの恒久的なしあわせなのに!

 此度の死闘は確実に遊興の類と異なる、正当な意味を持ち合わせていた。どんなに狂信的で倫理性を欠く愛情であろうと、すべての剣戟は己の信念を示し運命を切り開くための、全身全霊を賭す妹の決意表明だった。
 つまるところ力量差は歴然で、勝敗は咲夜の介入が行われない限り覆らない。私だってお母様の誓いと騎士王の矜持を胸に抱きながら追いすがるものの、フランドールが根本的な気持ちの部分で圧倒的に勝っていた。
 妹のひとみと記憶の面影で微笑むレミリア・スカーレットは、もっと凛と在り続けているのかな。夜の王としても姉としても、完璧に失格の烙印を押されてしまった。およそ五百年に及ぶ久遠の愛を葬り去ってしまった。
 それでも、どうしても、私は、心のなかで永遠と誓った想いがうそじゃないと、はっきり証明して突きつけなければならない。だって、さ。変わっていないんだ。なにもかもぜんぶ、決別の日からまったく変わっていない!

「ふざけるなよ。私は変わってない。これっぽっちも変わっちゃいない!」
 おもいっきりパチェに怒鳴り散らしても、とろんとうるむひとみが哀れみを寄越す。
 じゅくじゅく心が痛む。しあわせな運命が視えなくて、子供みたいに強がっているだけだ。
「……認めたくないのよね。でも、レミィ。ちゃんと現実を見なさい」
「くだんねえな。たかが引きこもりの魔法使い風情が、夜の王たる私に"世界"を説くのか!?」
「ええ。きっと今のレミィよりは、まともに視えていると思うわ。私の馳せる想いは、理論に裏打ちされた感情論だもの」
「つまらない皮肉なんて聞きたくもない! どいつもこいつも、咲き誇る真紅の薔薇が見えていない! この私が、わたしが、幾多の運命を犠牲に築いた凛然たる理想が!」
 大きなこえでわめき散らす私は道化でしかなく、どうしようもなく無様で、みじめで、真っ赤な林檎みたいに心が腐っていく。
 だんだん苛々が募って思わずかんばせをあげようとすると、魔導書以上の重さのものを持ったことがないか細い指に額を押さえられた。
 その程度の力しかないのだと、暗に揶揄されて思考が暴れ出す。おまえの言うとおり私は本当に無力だが、譲れない想いを穢された"現在"は絶対に赦せない!
「過去の貴女。現在の貴女。未来の貴女。間違いなくひとは変わるの。其処に永遠なんてないわ」
「それこそ弱いものがほざく詭弁だ。私たちのような永久に近い生を送るものが、永遠に変わらない想いを秘めながら生きていかなくてどうする!」
 ひとは、変わるものだ。
 ひとは、ゆっくりと変わってしまうものだ。
 ひとは、いつか"変わらなければならない"ものだ。
 ただ私は"わたし"でしかない。私は"わたし"をやめられない。
 時の流れに逆らわず放っておいたら、たぶん私は"わたし"じゃなくなってしまう。
 繋ぐための"きずな"と想い。変わり移ろう時間のなかで、護り通さなければならないものがある。
 大好きなひとの、私のなかで大好きになってくれた部分は、いつまでも変わらずに……。永遠と定義して存在の証明と為す。
 フランドールの考え方は正しい。だれもがみんな最愛のひとに愛してもらうために、ひたすら"愛してくれる自分"を維持しようと必死に足掻く。
 もっとも私だって、そう在り続けているはずだった。しかし大好きなひとが振りかざす真紅の大剣で、妹の愛おしい騎士王たる矜持は完全に否定されてしまった。
「そんな考え方が傲慢だと言ってるのよ。自分が確実に変質を遂げている事実を認識したがらない。自覚したくないんでしょう?」
「そう思うんならな、パチェ。なんにも私のことなんて知らないパチェ。おまえが具体的に"わたしが変わった"と思う理由や証拠を示してみろよ!」
 むらさき色の髪の毛を翻しながら、パチェはゆっくりとかぶりを振る。
 みじめだった。それでもかまわなかった。今の私を……。気休めだろうと正す存在は、間違いなくおまえしかいない。
 分からせてくれ。なんだっていい。罵れ。蔑め。慰めのキャンディなら要らない。すべての物事を理路整然と並び立てて、完膚なきまでに打ちのめしてくれ。
 ざらつく砂利の味なら、もうとっくに慣れた。変えられるかどうか自信は持てないけれど、咲夜とフランドールは必ずチャンスを与えてくれる。ゆめゆめ私の在り方を愛してくれたのだから。
「そうね。たとえば……。昼間から外出するようになった」
「なんの他意もない。眠れないときは、新鮮な空気を吸いたい」
「たまの博麗神社で行われる宴会を、いつもとっても楽しみにしている」
「たわけ。くだんの酒宴は夜の王としての威光を衆知させる、なかなか愉快な機会だからな」
「各方面の勢力と行う積極的な交流。八雲と協定を結んでいるはずの人間『調達』責務の自覚的な放棄」
「フランドールの約束を、信じてあげたかった。あと騎士典範において赦されない非道を犯す義理もなくなった。……ぜんぶ簡単な生活の変化ばかりじゃないか」
 ふたりっきりの時間を楽しみたい。
 私の崇高な理想を表すために、真紅の槍を執る必要性は消え失せた。
 スカーレットの華々しい栄誉は、社交場で凛と在り続けることで示しがつく。
 フランドールは……。結果論だけど、ちゃんと能力をコントロールできるようになったのだから、わざわざ胡散臭い賢者の力を借りなくてもだいじょうぶ。
 幻想郷において力を誇示するための方法は、あれこれと迎合しながら少しずつ変わっていく。ただパチェの様々な指摘が私の変化だとしても、決して根本的な信念は揺らいでいないと自負できた。
「十六夜咲夜の溺愛」
 もちろんいつまでも隠し通せないと思っていたが、あからさまな変化を提示すべきジョーカーは当然のごとく咲夜だろう。
 実際に運命は彼女に書き換えられている。あの出会いが訪れなければ、たった"現在"は存在していない。フランドールに抱く恋慕の逃避対象として最適でありつつ、狂おしく愛でると虹色に咲く快楽のキャンディだ。
 十六夜咲夜の存在が未来を変えたと断じてもよい。心のなかの蒼い薔薇は、今も凛と咲き誇る。変わらない唯と受け入れた。咲夜の倒錯的な寵愛は否定しないけれど、今までのすべてを捨て去っているわけじゃない。
 たいせつなものは、ぜんぶ平等に護り通す。夜の王に相応しい傲慢だろう?――見捨るような真似は絶対に赦されない。そう在り続けるために、ずっと私は頑張ってきた。そう在り続ける私を、みんな愛してくれた。
「ふん。それがどうした。いちいちことごとく詭弁じゃないか」
「なるほど。咲夜は否定しないのね。……レミィは"変わってない"と思っていても、当たり前だけど周囲の目線は違うのよ」
「ひょっとしたら正しいのかもしれないが、今のパチェの指摘でもろもろを具体的に変えろと言われても、どだい無理な話だろう。私の夜の王たる矜持を穢すような真実がないのだから」
「その頑な意地っ張りが、騎士王の敗北をもたらした。貴女の主観は関係ないの。妹様と咲夜のひとみから見るレミィは、さっきから話すふたりが愛してくれる"レミィ"じゃない。そうでなくなってしまったのよ」
 額を押さえていたパチェの指先が、すうっと髪の毛の奥に入り込んで梳いてくれる。
 やわらかいタッチから伝う感情がなにを指すのか、今は信じられないほど鮮明に分かってしまった。
 パチェの言い分は――レミリア・スカーレットの生を理解してあげられる"Existence"は、この私しか存在しないなんて独りよがりな感情論だろう。
 あいしてる。やっぱりそれだけは言えないんだな。口に出したときの未来が視えているから。とても分かりやすいよ。もしかしたらおまえだって"変わった"と感じているのかもしれないな。
 しかと私が正しく凛と在り続ければ、なにもかも変わらないと思っていた。咲夜も、フランドールも……。永遠は要らないが、ほんのわずかな停滞さえ認められないとは、かみさまのいじわるも度がすぎている。
 しばらく不貞寝しておいて、ふたりが見直してくれるような"わたし"を取り戻さないといけないな。ちゃんと話をしようと思う。なるべく意向に沿うために努力しないといけない。どうかまだ間に合うと信じさせておくれ。
「ありがとう。パチェは変わらず、まっすぐ私を見てくれる」
「わ、私は……。レミィの知己だもの。貴女の考えなんて、すぐに分かってしまうわ」
「おかげさまで毎度毎度、助けられているんだ。戦場のさなかで良き友とは出会えなかったが、パチェと知り合えたことを私は誇りに思うよ」
 再び手を伸ばし想いを込めて撫でるパチェの白い肌が、みるみるうちにほんのりと紅に染まっていく。
 親友以上になれない現実は本当に申しわけないと思うけれど、親友としてたいせつにしたい気持ちならば美鈴と並んで変わらない。
 なんだかんだで、ね。今の紅魔館が大好きなのかもしれないわ。とりあえずパチェは架空の御伽噺に想いを馳せるよりも、他の魔法使いの同類たちと恋のひとつでもしてみたらいい。
 お馬鹿な軽口を叩けるくらいなら、なんとかなりそうかな。これ以上の会話は時間の無駄だろう。ふたりが理想とする"わたし"の在り方を、彼女に問いただしてもよくて指針程度で、そもそもすべて私の問題だ。
 パチェに部屋まで運んでもらえないし、無理矢理に体を起こすといきなり抱きしめられ、うなじにキスを落とされた。なかば引き止めるような仕草に、ついつい途惑ってしまう。かすかな吐息が、とてもあたたかい。

「……親友として頼みがあるの」
 まさか本気で夜伽か。なんて冗談や詮索の余地すらない、無機質な冷たいこえだった。
 たぶんパチェと同じくらいの力で、やさしく背中をさすってやる。感情論を抑えきれない故のセンチメンタルかしら。
「十六夜咲夜を、すぐ殺して欲しい」
 さすがに私も……。言葉を失ってしまう。
 パチェがひとときのせつなさに流されているはずもない。
 彼女が理知的に導き出した解答。もしや絶対的な証拠が取れているのか。
 しかしフランドールならば分からないでもないけれど、妹に死罪以外の見込みがないと断じなかった魔法使いが、あまつさえ人間のメイドを殺せと進言するなど、まったくもってありえない。
「どうしてだ。私の親友と愛して止まない魔法使いは、一時の感情論で慌てるようなおろかものじゃない」
 ちいさな体躯のわななきが、しかと伝わってくる。
 あのパチュリー・ノーレッジが、なんらかの事態に怯えていた。
 十六夜咲夜は運命を変える。再度の未来の"改ざん"は、ありえないこともない。
 これは正真正銘の恐怖。そして当然ながら理論的な観点を以って振りかざすジャッジメントだ。
 心配するな。だいじょうぶ。おまえの懇願ならば、なおさら耳を傾けるさ。しばらくの間、次の文言を待った。
「……推測、なの。でもおそらく真実は含まれている」
「めずらしいな。幻想郷の偉大なる頭脳を担う魔法使いの言と思えない」
「妹様の給仕は咲夜が行っていた。無論レミィのお惚気話を披露するでしょう?」
「そこまで戻るのか。もちろん私だって考えたさ。フランドールならぺらぺら喋るかもしれないけれども、咲夜は察して黙すんじゃないかな」
「いいえ。違うわレミィ。咲夜は公言するわ。そして騙ったかもしれない。煽ったのよ。たとえばさっきの私みたいにレミィの"現在"を伝えて、妹様の記憶のなかの騎士王を完全に否定した」
 先に約束を破った存在は私だと、戦う前の妹は無感情で言いのけた。
 フランドール・スカーレットの愛してやまないレミリア・スカーレットは死んでいる。
 戯言を吹き込んだ張本人が咲夜だと仮定しても、妬ましくて殺したくなる相手は……。私が愛していた妹じゃないか。
 彼女の自惚れがひどい事実は承知済みだ。愛情を独り占めしたいと想う可能性は十分にありえる。フランドールの殺害目的ならば話は分かりやすいが、私の敗北というトラブルが発生して予定を変更した。
 ざらつくひどいノイズを思い出す。運命の改ざん。かみさまの織り成すプログラミングコードの更新。否。否だ。パチェの言葉を踏まえると、事の本質はシンプル。勝敗が両者に転んでも、咲夜の目的は達成される。
「……咲夜とフランドールが、示し合わせていたとでも?」
「妹様が自ら咲夜の睦言に誘導されたのよ。だいたいふたりともレミィの寵愛を受けているのよ? そしてレミィを"愛する"べき本質がそっくり似ていたとなれば、ね?」
「私の騎士王たる理想、か。なるほどな。ふたりの思惑は完全に合致している。しかもフランドールは聡明だ。すぐ私が槍を執っていない事実やその他もろもろが視えたのかもしれないな」
「妹様の五百年に及ぶ狂信的な妄想を崩す"イメージ"を、きっと咲夜が持ち合わせていたのよ。無意識でレミィが与えたのでしょうね。そうでなければ……。夜の王が下す託宣に背く理由が見当たらないもの」
「運命のいたずらを感じてはいたが、パチェの推論は正しいと思うよ。ただし運命が必ずしもマイナスに傾いたとは言えない。妹の幽閉は解除が見込める。咲夜には罰を与えた。どうして殺さなければならない?」
 なるべくつとめて、やさしい口調で話しかける。
 鮮やかな未来の方向性を、今の私は信じたかった。
 夜の王の矜持を穢す敗北であろうと、妹の運命が変わるのならばあえて飲み込もう。
 咲夜は首輪をつけておく。今の理屈を聞くと瀟洒の賞賛が滑稽なくらい悪辣な手口だが、いくらでも矯正の余地は残されている。
 フランドールに関しても同様だ。それなのに……。パチェの震えが収まらない。なぜ咲夜なのかしら。かみさまのくだらないおふざけに加担した挙句、スケープゴートにされている可能性だって否定できない。
「十六夜咲夜は、狂っている」
 パチェのひとみから、なみだがこぼれた。
 端的な物言いだが、十分に承知しているわ。
 不完全な言及の対象は考えるまでもなく、フランドールを包み込む"狂気"と同類項だろう。
 咲夜の場合は責任を持って放し飼いにしている。そんな私の置く信頼が無謀だと言いたいのかしら。
 どうやら私たち姉妹はネジが外れてるみたい。日常生活に支障をきたさない程度に、ちょっとくらい壊れてた方が可愛いものさ。
「そうかもしれないな。少々の茶々なら見逃す」
「妹様はレミィが愛情を注いで育ったから、正常に"狂っている"わ。でも咲夜は……。空っぽの心をエクスタシーで満たされて、レミィの愛情でめちゃくちゃに"狂ってしまった"のよ」
「どうしても、さ。まあ扱い方がへたくそなんだよね。私の愛するひとは、みんな壊れてしまう。当然ながら『再生』の前提条件がないといけない。咲夜は想像を超えた。いくら散らしても、何度だって咲き誇る」
「レミィの『想像を超えた』咲夜は、貴女の理解しがたい行動を起こすかもしれない。今回の妹様の件も同様でしょう?――兆候は現れている。あのメイドはレミィのためだったら、かみさまだろうと平然と殺すわ!」
 なかなか面白いジョークだと一笑に伏せると楽なのだけど、パチェの泣き叫ぶこえが紡ぐ言葉は懇願を通り越して哀訴に近い。
 思い当たる節がなきにしもあらずなので、どうしても分かってもらえそうになかった。予定調和の世界を描くゴーストライターを抹殺してしまうような、狂おしい忠義を捧ぐ矜持こそ恋愛の本質じゃないか。
 想像を超えて咲く蒼い花は、心のなかでゆらゆら揺れていた。空の彼方に広がる星の水槽と夜を与えし私は『世界』だ。咲夜の世界を規定する"わたし"が変わらなければ、なにもかもすべての運命は変わらない。
「かみさまとか名乗る――こんなくそったれなバグだらけの世界を作ったプログラマは、さっさと奈落に堕ちて死んでしまえばいい」
「……夜の王が治める深遠の国は、とうに幻想郷の概念を越えてしまった。想像の追いつかない欠陥だらけの世界を、レミィは大好きだと受け入れられるの?」
「答えるまでもないな。私の意志に基づいて拡張されていくのだから、事前の下見がなくてもすてきなものを用意してくれる。要するに、さ。パチェはメイド風情を買い被りすぎだと言いたいんだろう?」
「ちょうどおとといね、彼女が話してくれたの。しれっと『お嬢様は最近、私が御洒落を決め込んでも、たまに気づいてくださらないのです。この世界は狂っていますわ』なんて、ね。レミィ。貴女を揶揄してるのよ」
「それこそかみさまの勘違いかしら。あいつは殺してくれてもかまわない。今日みたいなくだらない運命をわざわざひとりひとりに用意してくるあたり、相当に頭がイカれたくそったれなごみくずとしか思えないしね」
「違う。咲夜は……。貴女が博麗で他の存在に会うことさえうとましく、私や美鈴と話す事実に絶えず妬ましさを覚え、自分のためなら殺人や"世界"を滅ぼしたいと平気で考えて実行に移す最低のエゴイストなのよ!」
 とにかくめちゃくちゃに泣きじゃくりながらわめくパチェの悲痛な嘆願は、もはや聞き届けるこちらのココロが折れそうになってしまうくらいきんきんと鼓膜に響き渡った。
 途中からこえは苦悶でかすれ、ものすごく苦しそうにぜえぜえと何度もあえぎ、しきりに持病の嘆息を繰り返す。わずかな時間で充填した力を最大限に解き放ち、そばのソファーに華奢な体躯をやさしく寝かせる。
 けれどもなにかを訴えようと必死にくちびるを動かすので、無言で花びらのふちをゆっくりとなぞって塞ぐ。うれしいよ。とても、うれしいわ。あんなもの静かなパチェが、我を忘れて叫ぶほど心配してくれている。
 もしも平素の様子ならば、なにか気の利いた軽口を返してやりたいが、すでに魔法行使も厭わない形相で、どうしたらいいのか分からない。たとえなぐさめにならなくても、今は"あいしてる"とうそをつきたかった。

 私の愛するひとたちは、もれなく精神に異常をきたすらしい。そのなかでパチェは例外だった。むしろこちらが取り乱す場合が多い。フランドールの案件を話し合うときも、最悪のケースを念頭に可能性を考慮する。
 くだんの十六夜咲夜の排除は、言葉のとおり推測と真実が入り混じっている。もちろん運命のタロットの結果みたいな根拠を提示するはずもなく、殺害の結論は幾分の情報と普段の咲夜を観察しながら導き出された。
 しかし腑に落ちない点は、感情的なパチェが催促を促すような危機の切迫感なのだけど、フランドールならまだしも咲夜ならば歯止めできそうなもので、なぜ今すぐの公開処刑を懇願するのかちょっと理解できない。
 根拠と結論を示し合わすための判断材料が物足りないと言うか、おかしな先入観が働いてしまい一過性の偶然だとしか思えなかった。さりとて親友は矜持をかなぐり捨てて必死に訴えかけた。無視できるはずがない。

「……咲夜に下す罰や権限剥奪は、パチェの判断も踏まえて保留だ。今よりきつく縛りつける覚悟は、あらかじめしっかりと備えておくよ」
「恋は盲目で麻薬なのよ。レミィだっておかしくなってるのよ! 十六夜咲夜に毒されてる! 小説みたいな甘くせつない愛を育もうと思わないの!?」
「残念ながら悪魔だからね。ちょっぴりそこらへんさ、ナチュラルに壊れてるんだ。とりあえずフランドールと咲夜の言動の原因が分かって助かったよ。ありがとう、パチェ」

 心からの感謝の意を込めて、額の真ん中にキスを落とす。突然の行動にパニックを起こしたのか、ぱちくりとむらさき色のひとみが見開く。そう言えば、はじめてかもね。ことさら社交辞令的なやりとりを嫌うもの。
 そっときびすを返す。おおよその疑念が吹き飛んだし、しばらくひとりっきりになりたい。ふと背後で「私は絶対に諦めない」と咳き込みながらささやくこえが聞こえた。中途半端な同情や哀れみは意味を為さない。
 ゆっくり出口に向かって歩き出す。幾重の強固な魔術防壁をすり抜けていくと、書斎の大扉の魔力が拡散して自然と錠前が外れた。すぐそばの小悪魔が居眠りを決め込むあたり、ずいぶん話し込んでしまったらしい。
 その場で虹色ドロップを舐めしゃぶりながら、パチェの容態を伝え情緒不安定用の魔法の処置を命じる。とたとた書斎に慌てて走り出す彼女の後ろ姿を見送り、さっきと変わらない鈍足で地下大図書館を立ち去った。

 だれもいない廊下を歩いていたら、等間隔の窓際からエメラルドブルーをたたえる湖畔が見え、先の遥か彼方に広がっていく山麓の頂上に陽光の影が覗く。今日は本当に色々とありすぎて、とてつもなく長く感じた。
 それでも咲夜の部屋に立ち寄ろうかと思い、やめた……。クローゼットとベッドだけが小奇麗で、透明な浴槽の水があふれ出す無機質な部屋。およそ生活の臭いが感じられず、どうしても牢獄みたいに見えてしまう。
 今ごろあそこで、なにをしてるのかな。自分で"自分"を慰めているのかもしれない。めちゃくちゃにしてるのかもしれなかった。はじめてのすてきなデートを共有して以来、咲夜の理性の十字架は完全に外れている。
 あの完全で瀟洒なメイドが、たった一日のキスがないだけで「愛してください」とヒステリックに狂い叫び、私を押し倒すなんてだれも信じないだろう。パチェの『十六夜咲夜は狂っている』という見立ては正しい。
 すべて認めてしまう私もおかしいのかしら。咲夜なら適当に外面を取り繕いながらやりくりしていくと思っていたのだが、どうやら私の知らないところで色々と粗相を働いているらしい。想像を超えて咲く薔薇、か。


 ――咲夜。おまえは"永遠に紅い幼き月"の夜を預かる、騎士王のメイドに相応しい蒼い薔薇と在り続けろ。ゆめ私の在り方は絶対に変わらない。レミリア・スカーレットは十六夜咲夜の世界を規定しているのだから。
 たとえパチェの推測が事実であろうと、咲夜に寄せる想いは絶対に変わらない。くだらない戯言だな。変えてなるものか。私が"変わる"運命は赦されない。十六夜咲夜は確固たる土台に添えられた美しい薔薇と咲く。
 夜の王たらん部分の改竄は事実無根の捏造。数多の気高き英霊の覇気を受け継いで燃えたぎる血潮は真紅の砂と流れ出し、紅い薔薇と幻想の蒼い花がたなびく"ココロ"は星空のアンドロメダのようにきらめいている。
 お母様の誓いを果たすため、妹を護りたいと槍を執った約束の日から、どんな運命だって跳ね除けて変わらず生きている――あんな決闘でどしゃ降りの雨に曝されても、夜の王が導く世界の運命は絶対に揺らがない。

 死んだまま"生きている"少女『A』の心のなかに、破滅的な恋の美学を注ぎ込んで至高のエクスタシーと為す。咲夜は真紅の水を試行錯誤を繰り返しながら汲み取り、いつくしいコバルトブルーと咲き乱れてくれた。
 めちゃくちゃにしてやると悦んで、桜の花びらみたいに朽ちていく。生きたまま"死んでいる"感覚が気持ちいいのです。四季の移ろいのごとく花のいのちを繰り返すたび、だんだんと緩やかに咲夜は壊れてしまった。
 博麗の巫女が狂ってしまうと幻想郷の滅亡が近づくけれど、彼女の場合は……。私の"世界"の規定内であれば、いくらでも暴走してくれてかまわない。想像を超えたキャパシティは、あらかじめちゃんと備えてある。
 今回は失敗。要するに咲夜が、いつかの運命の出会いのときよりもずっときれいになって、すてきな『鮮やかな殺人』を犯したのだから。黒い水槽からあふれ出さないよう、凛と美しく咲き誇る未来を拡張しておこう――





























 4.Revolution

 ▽
 ――My dear princess, Remilia Scarlet.
 どうしてもお嬢様に今の想いを知っていただきたくて、美鈴一押しのすてきな桃色のカーネーションを横目に眺めながら、まったく慣れない手つきでラヴレターを書き綴ってしまいました。
 まっすぐな気持ちを恋文にしたためてみると、はじめてのデートを思い出します。過去にすがりつくなと怒られてしまうやもしれませんが、くだんの逢瀬は十六夜咲夜の真名を受けてからもっとも至福の時間でした。
 夜の王の誇り高き威光と栄誉を以って、凛と付き添う貴女の面影が忘れられない。十六夜咲夜という美しい名前。託されたプリズムの夜。狂おしいまでの寵愛。すべてが私を繋ぐための甘美な枷となっているのです。

 お惚気ならば嬉々とつらつら続けたいのですが、まずは大変な非礼を詫びなくてはなりません。あの忌まわしい惨劇のあと妹様と相対する際、私の行動がお嬢様の逆鱗に触れた事実は承知致しております。
 もちろん申し上げるなどおこがましい。つつしまなければならないのでしょう。でも届かなくとも、せめて伝えたいのです。どうか私めの想いを聞いてくださいませんか。貴女の心のなかに咲く花を信じてください。
 騎士王の敗北は、羨望の幻滅と同義でした。貴女のひれ伏すような世界は存在してはならない。フランドール様の抵抗は、抗うべき運命です。ましていのちが失われてしまうなんて、当然ながら受け入れられません。
 貴女は死を潔いと思われる。分かっております。私は崇高なる理想を穢す行為に加担した。故に、つらい。つらくてつらくて、たまらない。貴女に会うことさえ叶わなくなり、なみだが枯れるほど泣き腫らしました。
 お嬢様に捨てられた咲夜は、どうしたらよいのでしょう。まったく生きる価値が見当たらない。しんしんと悠久を流れゆく永夜は、真紅の薔薇に散らされてようやくつぼみを実らせ、鮮やかな花弁を綻ばせるのです。

 ▽
 嗚呼、私の、わたしの……。親愛なる夜の王よ。どうか今一度の再生の機会を与えてくださいませんか?
 とてもおおらかで心やさしい貴女と存じておりますが、五日間の断絶が終わる今宵が最後の謁見とおっしゃるのでありましたら、お預かりしている"夜"を返上しなければなりません。
 八雲に小細工を策しておきました。お嬢様の部屋のバルコニーから、はじめて私たちが出会った教会に続く道が発生しているはずです。身勝手な行動と浅はかな思慮を、なにとぞ、何卒、お赦しください。
 ふたりの『はじまりの教会』で、誓いを確認したい。夜の王のしもべであること。騎士王の従者たらんこと。レミリア・スカーレットの愛する十六夜咲夜で在り続けること。お待ちしております。待ちわびております――





 ――なんとも傲慢ですてきな自惚れだな咲夜。まさしく私の生涯において唯の敗北を突きつけられたが、おまえを愛し続ける世界が消えてなくなるなどというつまらない妄想を、本当は微塵も考えていないのだろう?
 ちょうど五日間すやすやと眠り続けているうちに、こんな頭のおかしいすてきなラヴレターが入っていた。監視用の蝙蝠たちの"視覚"と"聴覚"を逆再生。なんの人気のない空間に、このラヴレターは突如と発生した。
 時間操作の恐ろしさを再認識しながら、咲夜の部屋に仕込んでおいた方も確認しておく。メイドの仕事は完全に放棄して、ひとりで部屋に閉じこもる。およそ四日間のほとんどは、意味不明な奇行に費やされていた。
 わたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまわたしのおじょうさまあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!

 ぶつぶつとつぶやく冷たいこえ。発狂。絶叫。自慰の繰り返しかと思えば突然、透明な浴槽のなかに沈んで自分の首を絞め、私の歯形がついている両腕に爪を食い込むほど立てたり……。もはや見ていられなかった。
 そしてマリオネットの糸が、ふいにぷつんと切れる。今日の咲夜は手紙を書いてから、鮮やかに姿をくらましていた。おそらくあとはラヴレターのとおりで、ふたりの『はじまりの教会』で私を待っているのだろう。
 わざわざご苦労様と言ってやりたかった。残念ながらおまえの愛しい夜の王は外見より大人っぽいので、もうきれいさっぱりとはさすがに断言しにくいけれども、先日の件に関しては自分なりの区切りがついている。
 うん。咲夜の機嫌直しも兼ねて、デートと決め込もうかしら。小悪魔のオーロラのキャンディが会心の出来みたいで、先日の決闘で消耗した魔力は完璧に回復していた。めちゃくちゃ気合を入れて楽しませてやるか!

 大きなクローゼットのなかを見渡すと、きっちり整理整頓済みのドレスの数々が並ぶ。すべて人形使いと話し合って咲夜が見繕ってくれたオートクチュールで、思えば自分で洋服を選ぶ記憶さえ懐かしく感じられる。
 たぶんいつもどおりならば、咲夜は黒基調のチョイスかな。ふたりで寄り添うと映える組み合わせがすてき。なるべく控えめなヴィクトリア時代のクラシカルな方向性のフリルブラウスとレイヤードスカートを纏う。
 ひとりでメイクや髪の毛のセットを整えていると、なんだか落ち着かない自分に気づく。今や何年……。咲夜に給仕を任せていたのかな。ずいぶんひどい共依存だ。咲夜にすがらないと、だめになっていくのかしら。
 なかなか私好みにならない。だんだん苛々してくる。咲夜のきめ細やかな所作に込められた想いがこの上なく美しい恋慕に満ちあふれ、彼女のもろもろをこよなく愛している己の存在を歴然と思い知らされてしまう。
 おろかもののほんの手前だ。消えてしまってからかけがえのないものだと後悔しても、すでに取り返しのつかない事態は往々とありえる。必ず取り戻す。咲夜は永遠に紅い幼き月の"夜"を預かる唯の王女に相応しい。

 あらかたの準備を済ませ、心のリズムを整えた。とりあえず蝙蝠を適当に散らして、さり気なく屋敷内の様子を窺う。魔術結界でパチェとフランドールの様子は分からないが、紅魔館は普段の日常を取り戻していた。
 ひとまずの安心を得て、勇敢と覚悟を決める。アンティークのドレッサーの右隅の引き出しに、虹色の鍵を差し込んで宝石箱を取り出す。紅い水晶できらめく星くずの隅っこ、さらに壮麗なジュエルボックスを開く。
 古代メソポタミアの叙事詩が謳う伝説の英雄王ギルガメッシュから、夜の王たる証と契りを交わしたときの紅蓮の指輪。十六夜咲夜に捧ぐ愛を誓うための供物と、騎士王としてもてなす最高の栄誉だと信じたかった。
 べつに"きずな"が目に見えなくても、私たちは運命の紅い糸で結ばれている。それでも"あいしてる"の想いをかたちにしておきたい。あのはじまりの教会で決めてやろう。変わらない運命を、神の御許に知らしめる。
 レミリア・スカーレットの生涯に残した賛美の数々は、もれなくすべて完全で瀟洒なメイドの徒花と手向けてあげる。心のなかのカタルシスを必死に押し殺して、テラスの中央で口を開く"スキマ"に体を放り込んだ。

 ――運命は、変わる。視えていた。ゆらゆらと陽炎のように揺らめくけれど、最愛のひとに跪いて永遠を誓うシルエットが透けて視える。
 思考が切り取られてばらばらになっていく。繋いだ左のてのひらから透ける傷痕だらけの細い腕。機械仕掛けのいのちが鳴らす"今は亡きaliaに捧ぐ"ドリーミングな旋律。アンドロメダのステージで舞うダンス。
 めくりめぐりゆく幻想は、咲夜のイメージなのかな。幻想の花が敷き詰められた丘から見渡す境界線で、私と咲夜はぐんにゃりとゆがんで溶け合う。めちゃくちゃに壊れてしまったおまえの妄想は最高に狂っている――



  ◆



 夢の水槽をたゆたいながら抜けていくと、紅い月が照らす出口が見えてきた。そっと地面を踏みしめて、あたりをゆっくりと見渡す。すぐ目の前にそびえ立つカテドラルは、まざまざと記憶の面影に焼きついている。
 右手は無機質な素材の見慣れない建造物で、確か死にゆく人々が延命や苦痛を塞ぐ治療を受けていた。左手は木造のカントリーハウスやちいさな聖堂が並ぶ、おそらくこちらの世界で咲夜が暮らしていた場所かしら。
 かなりの時間が経過し取り壊されていてもおかしくないのに、おおかたなんらかのめんどくさい事情で放置されているのだろう。いつか虐殺した死体はもれなく八雲が回収済み、中央の広場は血痕しか見当たらない。
 緩やかに朽ちていく建物の退廃的な雰囲気を堪能しつつ、ひとり満天の星空の下をエレガントに進み出す。瞬時に飛び去って咲夜を抱きしめてやりたいけれど、しかと私らしい凛然たる矜持を示さなければならない。

 大聖堂の正門に続く、苔や雑草の生す長い階段を歩いていると、なぜかブライダルのシーンが思い浮かぶ。もしも華燭の典ならば、夜の王は漆黒の衣で……。咲夜に純白のウェディングドレスを着せてやりたかった。
 蒼い薔薇のブーケトスを行う最愛のひとの表情に、私の知らない煌びやかな幻想の花が咲く。主従の関係は変わらないと思う。けれどもふたりで挙式をあげるときくらいは、いっとうのしあわせで満ち足りて欲しい。
 今日は私たちの"きずな"を結び直す日だ。ごく普遍的な愛情を与えてあげたかった。たとえ今の関係性が正常にゆがんでいてもだいじょうぶ。破滅的な恋の美学が織り成す渇望は、最期までたいせつに取っておこう。
 はじめてのデートのときみたいな逆パターンで、咲夜に外の世界を案内してもらうとか悪くないな。とりとめのない空想がかりそめの夢のごとく揺らめいて、だめだよしゃきっとしなきゃと気合を入れ直したりした。
 とにかく緊張している。だって、ね。婚約だよ?――あれこれ思考を繰り返すうちに、すっと石段を登りきってしまう。紅い月光でおぼろに浮かび上がる、ラファエロの『アテネの学堂』を模した大聖堂の扉を開く。

 くすんできらめく真珠と精巧な彫刻の施されたアンテペンディウムの背後に、ビザンティン美術風のアルターピースがそびえ立つ大聖堂は、荘厳な雰囲気を保ち続けながら穏やかな悠久に風化を委ね朽ち果てている。
 教会の権威を示すための聖遺物はニセモノばかりで、まともなものはバロック様式のパイプオルガンくらいかな。なにも様式美に固執しなくても『はじまりの教会』は、婚姻の儀を執り行うチャペルと似つかわしい。
 しんと静謐が包み込む大聖堂のなかに気配は感じられない。とりあえず大理石の床に敷きっぱなしの赤茶けた絨毯を踏みしめて、十字架上の建築物の交差点までまっすぐ進むとあからさまに不自然な"染み"に気づく。
 私が心臓を突き刺された場所。運命の介入。因果律の断絶。心のなかに芽吹く蒼い花――あのときの咲夜の意味不明な抵抗からすぐ、かみさまのあらかじめプログラミング済みの予定調和な未来の改ざんが行われた。
 たった六日間で世界なんて蒼林檎を創造してもてあそぶプログラマは、ほとほとにうんざりしてしまうほどたちが悪い。少女『A』は死んだような日常を与えられながら、すべての運命を変える"鍵"を持ち合わせていた。
 貴女がいないと、これからの私は……。そっとひとみを閉じて、真摯な祈りを捧ぐ。親愛なるひとに想いを馳せた。凛と咲き誇る蒼い薔薇。私の与えた美しい名前。幻想的な"夜"の花言葉を叶えるための魔法を紡ぐ。


「さく、や?」
「……お嬢様。お呼びでしょうか?」

 やさしいこえの飛ぶ方向に振り向くと、咲夜が真後ろの正門前に立っていた。ステンドグラスの光が届かない暗闇のほのかに咲く、うっすらと微笑みをたたえる彼女は、背筋に寒気が駆け抜けていくほど美しかった。
 わずか五日間、まったく会えず、それでも記憶の彼女と戯れ、夢のなかでさえ散らし、ゆらりたゆたう彼岸で散る蒼……。想像を超えた花と、いつまでも咲いている。夜の王の矜持を以って、狂おしいほど愛したい。
 あでやかな黒いゴシックドレスを纏う深窓の姫君は、給仕のさなかのように微動さえしない。凛然たる騎士王らしい、すてきなエスコートをお願い致しますわ――さり気ないわがままも、とても咲夜らしいと思えた。

「気が利かなくてごめんなさい。私たちの『はじまりの教会』なのだから、本来ならばパイプオルガンの演奏で出迎えないといけなかったな」
「誓いを結ぶための場所ですから、ふたりで並んで入る方が望ましかったのかもしれません。親愛なる夜の王よ。どうか私のてのひらをつかみとって、貴女の統べる深遠の国へ導いてくださいませ」

 咲夜は花が綻ぶように微笑むと、その場でうやうやしくかしずいた。さらさらとなびく銀色の髪の毛から覗くきらきらな蒼いひとみの片方は、みるみるうちに狂信的な恋慕をたぎらせながら紅蓮の焔と染まっていく。
 水入らずだと彼女は瀟洒を好む場合もあれば、ケダモノみたいな情欲を剥き出しに"こわれてしまう"ときもあった。オッドアイの咲夜は基本的に飢えている。めちゃくちゃに狂っていると言い換えても差し支えない。
 みだらな躾を施す張本人は夜の王でしかなく、破滅的な願望を掲げながらふしだらな快楽をせがむ従者は、たまらなく愛おしかった。たっぷり可愛がってやろう。もだえ叫んで浅ましく求め、私を楽しませておくれ。
 荒廃の進む廃墟がささやく死者のこえが、さながら賛美歌を唄うように私たちを祝福してくれる。夢幻の"Anthem"をフィードバックにゆっくりと前へ踏み出す刹那、紅いひとみは視てはならない運命を視てしまった。


 ――十六夜咲夜の前にひれ伏すレミリア・スカーレット。つい先刻の移動時、咲夜のイカれた妄想快楽と同じだが、よりくっきりと浮かぶ未来の予知は『王』の想像を超えたありえないシーンを映し出している。
 空間が不可思議な方向に切り裂かれ、ぱっくり大きな口を開けて嘲笑う。宇宙規模のダンスフロア――未知の固有結界が広がっていく。そして黒い水槽から飛び出す五本の武具が、私の四肢をずたずたに貫いていた。

 ほんのわずかなゼロコンマの時間さえあれば、いくらでも規定事項の運命は塗り替えられる。しかし少女『A』の能力行使は無差別で、時間の概念を超越して思考の猶予の一切を与えない。
 おそらく世界は"停止"している。脳内回路のシナプスが動く刹那さえ赦されない零の時間軸で、予見のイメージを完全に覆すことなんて不可能。この運命は十六夜咲夜のなんらかの意図によって"規定"されている。
 強制的な死刑執行は絶対だ。かみさまのようなゴーストライターの描くシナリオに、真っ向から抗う術は残されていない。ふざけるなよ。どうして貴女まで逆らう。そんなに私の矜持を踏み躙る遊興が楽しいか?――


「咲夜、貴様あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 小数点以下の秒数を刻む瞬間――先ほどまで変化も見られない無の空間に、まるで手品みたいに五対の武器が突如と現れ、ぜんぶが私の肌先に触れていた。すでに刃先からものすごい運動エネルギーが伝わってくる。
 腕。翼。脚。首から下の体躯を容赦なく貫かれ、なさけない絶叫をあげて絨毯に倒れ込んでしまう。ひどいデジャヴだ。はじまりの日と変わらない。いつかの未来を変えた血痕が、新しい運命の鮮血で穢されていく。
 もしも物理的干渉だけならば苦悶のこえをあげなくても耐えられるけれど、この刃は……。すべて神具クラスの代物だ。しかもなんらかの手段で『聖属性』を作為的に付与した悪質なもの。再生能力が追いつかない。

 おもいっきり歯を食いしばってひとみをこじ開けると、十六夜の幻想的な銀髪の頭上に八雲の使う"スキマ"のような黒い空間が発生していた。そこから覗く宝具――剣、斧、槍、矛、様々な武器が狙いを定めている。
 今の串刺し状態で、あんな無数の得物を矢のごとく放たれたら完璧に死ぬ。しかし紅いひとみは、死の運命を視ていない。いきなり目の前に、謎の文字列が並ぶ。xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx
 xxxxxxx, xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx, xxxxxxxxxxxxxxx, xxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxxx. つらつらと綴られていく締めくくりの言葉は最悪だった。
 恋符『Vampire Killer』――もちろん運命の予知を把握していながら、魔導書の内容を敵にひけらかす悪辣なやり方。吸血鬼の能力を人間程度に退化させますと、舐めくさってるとしか思えない文言が書いてあった。
 魔法発動の時間操作も任意なのだから、まったくもって手のつけようがない。いつの間にか敷かれている幾何学模様の魔法陣を描く線が、光り輝きながらまっすぐ夜空に伸びてサークルと五芒星を立体化させていく。
 うっすら灯る円陣の彼方、蒼い言語"Acceleration"と共に、ずたぼろの体が真後ろに吹っ飛んで祭壇に激突した。耐え難い激痛が全身を駆けめぐる。もだえ苦しむ。血へどを撒き散らす。純白のドレスが、真っ赤だった。

「――私を殺めるように抱き留めてくださらないのですか?」

 解き放たれた膨大な魔力の後方、はらはら霧散して闇に溶けてゆく灯かりの向こうから、ひんやりと冷たいこえが響く。思わずグングニルを構えようと具現化を試みるものの、ぴくりともてのひらが動いてくれない。
 ぴくぴくとわななくみじめな姿を曝したくなかった。なのに……。十六夜咲夜は凛と、目の前に現れた。ぜんぜん力が入らなくて顔面さえ上げられず、そのまま扇情的なラインを描くしなやかな太腿へ視線を落とす。
 悪夢なら覚めてくれ。居もしないかみさまに祈った。咲夜の左手に添えられている得物は銀のナイフではなく、騎士王アルトリアの宝具『エクスカリバー』――妖精の刻印が並ぶ鋭い剣身が、美しい光を放っていた。

 ゆらゆらあやふやにふらつくと、ふいに視線がぐるりまわる。ぐっと顔を持ち上げられ、吐血を舐めしゃぶられた。マゾヒスティックは悪趣味かしらと皮肉を漏らす前に、信じたくない咲夜の変化に気づいてしまう。
 ちいさな桜色のくちびるは、いびつにぐんにゃりと曲がっていた。フランドールの面影と重なると、なおのことつらく感じた。それよりも、おかしい……。いつくしい真っ白な頬に、まざまざと紅い跡が走っている。
 無理矢理に視線を合わせ、咲夜の両目を覗く。蒼をたたえていなければならないひとみのふちから、なみだみたいに血がにじみ出して零れ落ちていく。全身全霊の力を込めて後ずさり、精一杯のこえで怒鳴りつけた。

「今すぐだ。今すぐすべての魔力を解き放って能力の行使をやめろ! まさかこのまま私と心中する気なのか咲夜!」
「いいえ。とんでもございませんわ。なかなか人間も捨てたものではありませんね。今の魔導書は魔理沙がアップルパイと引き換えに編んでくれました。聖遺物は八雲からの借り物です」
「……後ろの固有結界は、結局のところ自前なんだろう。多少の訓練で人間が扱えるような能力じゃない。ふざけるなよ。自分が死ぬと分かってやっているくせに! とめろ。命令だ。永遠に紅い幼き月の上意だぞ!」
「想像を超える蒼い花と私を定義した存在は貴女でしょう。たかが瑣事で死ぬのならば、夜を預かる資格などない。つと僭越ながら……。お願いがございます。どうか私の親愛なる夜の王に、戻っていただきたいのです」

 そう言うや否や、咲夜はサディスティックな笑みを浮かべて、私の腿に刺さっていた剣を引き抜いた。聖属性と精神及び肉体的な特質の激しい拒絶反応で、耐え難い激痛の奔流が体躯を異常な速度で駆け抜けていく。
 最低の屈辱や従者の裏切り、いのちの危機と苦渋のこえ、ありとあらゆる想起の吐露を必死に押し殺す。咲夜は要するに、変えたいんだろう。想像を超えてしまった十六夜咲夜は、快楽妄想のなかで私を規定したい。
 きらきら星のひとひらと咲く花は、宇宙まで飲み込んでいる。確かに自惚れろとそそのかしたが、まさか私の在り方を従者たらん本人が拡張すべく剣を振るうとは……。しかしおまえが死んでしまっては意味を為さない。
 今の戯言が真実だと考えても、固有結界の維持コストは想像を絶する。しがない人間がわずかな修練で編み出す離れ技と次元が違う。英霊が宝具を以って操る類の異能を行使すれば、咲夜は間違いなくいのちを失う。

 先の決闘は試金石、しょせん遊興か。フランドールの言葉を借りるならば"私は死んでしまった"とか思い込みを抱いている。妹は破滅を以って永遠の記憶と変えようと試み、咲夜は残虐な非道を以って矯正を図った。
 めちゃくちゃなやり方だ。気位は具体的な論点を述べて変えられる類じゃないけれど、無理矢理な実力行使は狂気の自惚れだろう。そう咲夜を躾けた張本人が私なので、なかなかひどい自業自得だと苦笑さえ浮かぶ。
 レミィ。貴女は変わった――パチェの指摘を思い出す。もしかしたら美鈴も、パチェも、フランドールも、こうして咲夜も、まったく同じ気持ちを抱いているのかしら。レミリア・スカーレットは変わってしまった。
 ふざけるな。私は、騎士王、夜の王と、崇高な信念を護っている。私は私で在り続けなければならない。もちろん咲夜に愛されたい故だ。此処はじまりの教会の出会いから、蒼い花に捧ぐ忠義は微塵も変わっていない!

「……とりあえず、私に対する侮辱は赦そう。しかし我が盟友アルトリアの理想を穢すな。いまおまえが持っている刀剣は、騎士王の資格を有す存在以外が振りかざしてはならない」
「咲夜は、騎士王たる矜持、夜の王としての栄華が、地に落ちた惨状に耐えられないのです。お嬢様が気づいてくだされば、今すぐにでも返上を致しますわ。だから何卒、ひところを思い出していただきたいのです」
「どうしてフランドールも、咲夜も分かってくれないのか、そちらの方が正直なところ理解に苦しむね。まったく私は変わっていない。もしも心当たりがあるのなら……。咲夜。おまえを愛してしまったことくらいだ」
「ご進言、申し上げたく。あんな宴会で媚を売るような、八雲にひれ伏す現実が、初めからありえない。貴女らしい振る舞いができるはずだ。夜の王たる権威の象徴は、かくも安くてみすぼらしいものと異なりますわ」
「くだらない。従者として零点だ。ゆめゆめ忘れるな。幻想郷において示すべき体面は、真槍を執って掲げる威光じゃない。強権を振るう支配者が集う酒宴。故に、博麗で私が王たらん事実を誇示しなければならない」

 そのような言いわけこそ、つまらない戯言ですわ――紅いなみだを流し続けながら、最愛のひとが右腕の槍を引き抜く。身悶えがとまらない苦痛を伴ってなお、精一杯の夜の王たる佇まいを従者に見せつけてやった。
 なんとかいまの状況を打破すべき運命を手繰るものの、咲夜の強い意志がみなぎって視界を蜃気楼のようにくらます。物理的手段は不可能。結果論だが真紅の槍が使えても防戦のみ、そもそも咲夜を傷つけたくない。
 こいつを再び躾けてやるためには、主の理想を凛と表すしか残されていなかった。完全に"狂っている"おまえが我を取り戻すまで、私は正義を説いて正々堂々と勝負してやろう。私たちの運命が変わるまで付き合うわ。

 咲夜は咲夜で、思いの丈をとうとう話しかける。背後の固有結界の維持を怠らず、蒼いひとみは真紅に染まっていた。あくまでも声色と表情は冷静を取り繕うものの、おそらく心底は狂気と慟哭で満ちあふれている。
 どこか違う世界を夢見るような陶酔と背徳の念に駆られ、うつろな視線がゆらゆらと私の体のあちこちを這いずりまわす。うしろめたいのだろうか。きつくにらみ返す視線が交じると、なぜかうつむき逃げてしまう。
 なかなか心情がおもんばかれなくてもどかしいが、まさか私が折れない最悪のケースとして、フランドールのような行動もありえる。壊れてしまった咲夜に正論が通じずとも、とにかく今は自分を貫き通すしかない。

 よもや完全で瀟洒な従者が、私の回答に異を唱えるとは思えない。相手の伝えたい手の内は、ちゃんと把握済みだ。当然ながら咲夜はすべて承知の上で、ひとりよがりで感傷的な理想論を無理矢理に押しつけている。
 実際のところ……。極論、話の整合性は至極どうでもよく、彼女は存在自体を"規定"し直したい。十六夜咲夜の世界はレミリア・スカーレットに規定されている。私が変わっていくと、咲夜の世界も変わってしまう。
 最愛のひとの在り方が自己の投影とズレたとき、少女『A』は愛されていないと錯覚を起こす。ならば"わたし"を書き換えなければならない。彼女は真紅の薔薇に穢される行為でしか、アイデンティティを保てなかった。
 いつも愛に飢えて、よだれをたらしながら散らされ、ふしだらな快楽だけを感じていたい。咲夜の独善的かつ破滅的な思考が、こんな凶行で感情論に問う理由は容易に想像がつく。それでも私は、信じていたかった。

「お嬢様は、夜を、世界を統べる唯ですわ。くだらない庶民の憩いの場に顔を出すなど、おおよそ徒労としか思えません。夜の王たる矜持や畏怖、輝かしい栄誉を、全世界の民に悪夢を以って見せつけるべきだ」
「くどい。すべて幻想と葬り去られたのであればまだしも、私の威信は伝説と語り継がれ、英霊の御座に並ぶ存在と崇められている。十六夜咲夜を恋慕うための対価を、今以上に支払う必要性は微塵も感じられないな」

 つらつらと紅いなみだを零す、咲夜の表情にほのかな影が差す。下腹部にめり込む豪奢なしつらえのハルバードを引き抜かれると、ものすごい量の鮮血がどばどばあふれ出し、荒れ狂う痛みが身体中を駆けめぐった。
 すてきな罰を与えているつもりなのか。それともサディスティックな快楽に陶酔して狂いたいのか。鈍重な切先からだらだらしたたり落ちていく血を、ぺろぺろ舐めしゃぶっている咲夜は現実を見ていない気がした。
 まるで自分のいのちを顧みず、ひとりで愉悦を貪り尽くす。紅と蒼がない交ぜのひとみをまっすぐな視線で睨むと、今度はイカれた妄想イメージの"わたし"を見てやんわりと微笑む。咲き乱れる夜の花と変わらない。
 咲夜の妄言は本懐だ。もちろん私の本心だって、ありのままを誠心誠意で答えている。なのに……。振り向いてくれなかった。夜の王は凛と在り続けている。咲夜が愛しくてたまらない。どうして気づいてくれない!
 思考回路に根づいている私の面影は本物だと信じていた。故に、儚く美しいと思いたかった。いくらつくづくと並ぶくだらない文言を聞き入れようとも、想像を超えた咲夜の妄想は留まることを知らず増長していく。

 スカーレットの血を引き継いで産まれ、夜の王と就く運命は誇らしい。今日までの私が在らなければ、咲夜もフランドールも好いてくれなかった。たとえふたりが望むのであれば、叶えてやらなければならないのか。
 こよなく愛してくれた私を変えてまで?――咲夜の愛してやまない自分が、変質しているとも考えにくい。今のおまえが暮らす深遠の御伽の国を治めている、幻想の夜の王から抜け落ちていた命題は"リアル"だろう。
 誇大妄想狂も愛でようがあってすてきだが、ずっと私はゆがみのない姿を見せつけてきた。かみさまにつらいことや抗えない宿命を強いられても、なにもかもくだんねえなとつばを吐き散らし跳ね除けて生きてきた。
 まず根本的な勘違いをしている。だいたい、さ。いつまでも地球という名前の蒼い林檎はレミリア・スカーレットのものだ。いまさら世界中に威厳を示す意味が分からない。うんざりするほど思い知らせてやったさ。
 もしも天秤に載せて選ぶのならば、なにがあろうと咲夜を奪い取る。おまえと世界は等価なんだ。駆け引きは決闘であればなお善し。実の相手が人間のスケープゴート、本当は神だとしても運命を操って絶対に勝つ。

「……夜の王と、騎士王ともあろうお方が、ひとが幻想郷などと呼ぶ忌まわしい偽りのユートピアの、胡散臭い聖者や巫女に説き伏せられる現実を是認するのですか?」
「おままごとのような遊興に意地を張っても仕方あるまい。たいせつなものが失われるわけでもないしね。逆に問おう。私の真名を賭して護らなければならないものは、咲夜の存在以外にありえるのかな?」
「当然お嬢様の理想です。貴女から預かりし夜から覗くと、ゆがんで見えています。夜の王たる信念は剣を以って示さなければならない。騎士王たる真紅の薔薇は、ただの一度の敗北さえも絶対に赦されないのに……」
「さて、フランドールと"まとも"にやりあえる存在ね。あれで私の槍戟に衰えや迷いがないと、身を以って証明してやったろ?――そもそも、だ。咲夜が余計な茶々を入れなければ、刹那の瞬間に妹は殺すつもりだった。
どうせ最初から、それ以前におまえの仕込み済み。ただ"視えて"しまった。私の矜持を地に堕として、なにを気づかせたかったのか知らないけれど、騎士王の尊厳を示しながら圧倒的に咲夜のしあわせを祈り続けるよ」

 たっぷりの皮肉と覆い隠してるつもりの真実、そして第三者介入の運命が視えていたなんて唯のうそをひけらかすと、咲夜は不快感をあらわに、固有結界を織り成す磁場干渉に拠る聖属性をぐんぐん増幅させていく。
 ただでさえ傷口が痛んでとまらないのに、残虐な拷問を粛々と続行するあたりの背徳は……。今しかないと泣き叫ぶ悲壮感と、快楽に溺れてめちゃくちゃになりたいとわめく、あの子らしいわがままに思えてしまう。
 見栄見栄の虚勢は聞きたくもありませんわ――翼に釘付けの短刀を引き抜かれて迸っていく激痛と、咲夜の苛々の募り具合がシンクロしている。私から凛然と紡ぐ言葉と態度に、従者は堪えきれなくなってきていた。
 ゆらゆらたゆたう運命が、うすらぼんやりと視えそうで、視えない。なんとなく私のデッドエンドはありえそうだけど、咲夜から伝う気配は殺意含みの利己的な粛清やジャッジメントの類、つまるところ"自惚れ"だ。

 なんらかの反論さえしてこない様子から察すと、おとといパチェと交わした会話の内容は概ね正しい。咲夜は騎士の素養が皆無だから分からないだけで、フランドールと正々堂々やりあえる存在は私以外ありえない。
 実力が五分五分ならば、あとは祈りの力と想いの強さが運命を切り開く。先の決闘においての気持ちの在り方は素直に認めなければならない。ふたりとパチェの指摘する変化は、知らず知らず"なにか"を蝕んでいた。
 おそらくそのアンノウンな部分を推測してみれば、間違いなく十六夜咲夜の存在が浮かび上がる。彼女を愛してやまない私に変わってしまった。今の咲夜の正したいと想う"わたし"が、これっぽっちも見えてこない。
 妹は感情論を以って抗った。当然、咲夜も感情論で訴えかけている。ふたりのように独善的であるべき事実、ひとの傲慢や強欲を孕む部分は嫌いじゃないし、むしろ熱心な子供みたいだから可愛がってやりたくなる。
 どうしようもなく自己中心的な独占欲は、私の変わらない理想を下地に形成されて欲しい。夜の王と騎士王の信念は愛されている。咲夜の妄想のイメージが、記憶の美化と同様に膨らんで、めちゃくちゃになっていた。

「――お嬢様は、おっしゃいました。従者は主と信念を同じくして、給仕をこなすべきだと。貴女に愛されたくてやまない十六夜咲夜の命題が分からないのですか?」
「私が変わったと言いたいのだろう?――それは絶対に違うと繰り返し述べてきた。もしも、だ。おまえの指摘が正しいとしても、結論が十六夜咲夜を愛すべき運命だとしたら、今までと変わらずにすべてを捧げるさ」
「そうであるならば、どうして、どうして、咲夜を独占してくれないのです!? 紅い水槽で散りゆく花となりたい。純白の薔薇を愛でる水と消えたい。夜のトリカゴでふしだらに鳴く蒼い鳥と閉じ込められていたい。
十六夜咲夜の存在は、貴女に定義されなければならない。お嬢様が私以外の存在にうつつを抜かす現実に耐えられません。貴女が咲夜のためと捧ぐ愛情はニセモノだ。私に手向けられている矜持は変わってしまった!」
「ぬかせ。夜の王たる私の世界は覆らない。凛と在り続けていると分からないような"しつけ"を施してしまったのかな。ずっと、いつまでも、私は、私は……。咲夜を信じている。心のなかの蒼い花は永遠に咲き誇る。
騎士王の理想を踏み躙り、あまつさえ翼を切り落とし、狂った愛を叫ぶおまえは……。儚くも哀しい。なにも鎖や足枷で繋ぎとめなくても、真紅の薔薇の捧ぐ寵愛はとこしえに変わらない。間違っているか十六夜咲夜!」

 決然と言い放つ文言を聞きながら血のなみだを零す刹那、咲夜は……。なにを考え、なにを想うのかしら。完全で瀟洒な従者は、かんばせに浮かぶ悲壮感を覆い隠さず、私の肩口に刺さっている最後の剣身を抜いた。
 まるっきり力の入らない体はバランスを保てなくて、だらしない格好で祭壇に寄り掛かってしまう。そして先ほどからこちらを狙っている時空のゆがみ――固有結界の"かたち"が、緩やかに宵闇のなかへ溶けていく。
 魔法陣が放つきらめきも完全に消え失せ、いま『はじまりの教会』は夜の静寂に息を潜めていた。ばらばらのステンドグラスの間から差し込む紅い月光が、最愛のひとに跪くフィルムのようなシルエットを作り出す。
 親愛なる十六夜よ。紅と蒼のたゆたう両のひとみが映すハカイヨノユメを、どうかやさしく教えてくれないだろうか。おまえの見ているレミリア・スカーレットは、いつかの出会いの私じゃなくなってしまったのか?

 ひどく傲慢に、かなり自惚れ……。不夜をあやなすいつくしい花を、愉悦で愛でる征服感を独占してきた。咲夜はフランドールのような幽閉のなかで、永遠を私と過ごす未来をしあわせと考えているのかもしれない。
 とてもすてきに壊れたな。想像を超える薔薇が咲く夜――きらきらと星々がまたたく黒い浴槽は、幻想であふれ返っている。きっと私のひとみが、たとえばパチェを捉えることさえ、咲夜にとって赦し難いのだろう。
 あの胡散臭い聖者に狂犬と揶揄されても仕方ない。おまえの話す理想論はだいたい叶えてきたつもりなのに、咲夜に依存して咲夜しか見えなくなったら、咲夜の愛してやまない夜の王の"わたし"がいなくなってしまう。
 物の見事に矛盾を孕んでいる。再生と退廃を繰り返しおかしくなった。私の変化を頑なに拒みながらも、王の矜持を捨て去らない現状に我慢できず、快楽者の左目に投影されるイメージは破綻して歯止めが利かない。
 夜の王と騎士王の理想は護り通す。咲夜を愛する"わたし"も変えられない。どちらも受け入れなければならなかった。しかし想像の可能性を拡張してもその場しのぎにすぎない。十六夜咲夜の行動原理は狂っている。

 ――灰色の水槽のなかで沈んでいく彼女と視線が合った。運命は視えている。もしも私が両方を煙に巻く類の中途半端な妥協策を答えたら、咲夜は躊躇いなくかみさまの殺害及び"WorldsEnd"を選ぶだろう。
 かみさまと世界。ふたつの言葉をイコールで結ぶ。十六夜咲夜の世界はレミリア・スカーレットに規定されている。夜を返上した少女『A』は死んだまま生き永らえ、蒼い空の遥か彼方の幻に葬り去られてしまう。
 たかがキリスト気取りのゴーストライターの描くシナリオに迎合しろと言うのか。咲夜の脳内で共鳴しているイメージを壊す言葉は尽きた。妄想にもぐり込んでプログラミングすべき言語がどうしても見当たらない。

 ふたりですてきな紅茶を嗜みながら、こんな世界の終わりを待っていたのかしら。甘ったるいグラニュー糖のような愛情は、シチューのなかに溶けてなくなる。プラネタリウムの羅針盤は、くるくる回って零を指す。
 鮮やかな幻の渦中で必死に美しい名前を叫び続けても、妄想に狂っている咲夜は振り向いてくれない。崩れ落ちていく夜。朽ち果てた蒼い薔薇の花びら。快楽残響幻想循環の廃棄物は、オーロラのキャンディみたい。
 むしゃぶって視える世界は、ツギハギだらけの紛い物だ。失ってようやく気づくほど馬鹿じゃない。過ちを犯した過去を振り向くな。前だけを見据え未来を変えろ。いのちが尽きる瞬間まで運命の"Anthem"を謳え――


「もう終わりなのですね。お嬢様も、私も……」
「ふざけるなよ。咲夜は夜の王が君臨しなければ朽ち果てる。私だって咲夜がいないとだめになってしまうんだ!」
「……思い出しましたわ。深遠の国の王女は、民草の心を分かっていると感じていた。しかし夜の王は庶民の気持ちどころか、臣下ひとりの想いさえ分かっていない」
「それは私の佇まいで応えてきた。従者や側近は主の在り方を見て、どのように仕えるべきか学ぶ。理想たるべき覇道は不変と示さなければならない。咲夜も凛と在ってくれた。美しい想像の花と咲き誇ってくれた!」

 悲壮と狂気でゆがむ咲夜の"おもて"が、瓦礫の間から覗く夜空を見上げる。
 歯噛みしながら、無力を感じ取った。またたく幾億の星のきらめきを映し出してなお、真紅のなみだが縁取る蒼いひとみの色は変わらない。
 紅い月光が騎士王の道を切り開く刀剣を受けて反射して、ほのかに暗い大聖堂の祭壇を鈍い閃光で染め上げる。はたと立ち上がった従者が、見下すような哀しみの目線を寄越す。紅いくちびるが、吊り上がっていた。

 ゆめゆめ私の在り方が王の矜持と正しいからこそ、十六夜咲夜という薔薇はとても美しく咲いてくれた。ひどく倒錯的で狂おしい想いと、生の意味を見出せない傷だらけの両腕を、決して蔑まずこよなく愛している。
 この予知は変えられるのに、どうしてひとみを閉じてしまう?――きらめく未来を映し出す先見の言葉は届かない。くだらないかみさまの運命にひれ伏すのか。夜に咲く終末の微笑みは、めちゃくちゃに壊れていた。

「ごみくずみたいな正義をかざす世界で、ことさら無様でみじめな少女に、貴女のような世界の支配者たる資格を持つ存在が過ちに気づかず殺される。これすなわちひとは『革命』と呼ぶのではありませんか?」

 咲夜の両の手で握られたエクスカリバーが、やわらかい臓腑を貫いて祭壇の外壁に激突する音が響く。はじまりのデジャヴ。すてきな記憶を巻き戻すラストシーン。大量の鮮血がどばどばとあふれ出してとまらない。
 夜の王たる主の矜持を地べたに這いずりまわす屈辱は、とうの咲夜がもっともよく分かっているはずだ。かつて騎士王アルトリアの理想を示す剣を穢し、私のいのちの剥奪を以ってすべてがゴミ同然だと言いのけた。
 私たちの掲げた信念は、民草の心も分からないまま騎士の『在り方』だけを表すのみで、だれひとりとして助けられず……。お母様の最期を思い出す。妹の笑顔と慟哭が焼きつき、しんしんと心が痛くてたまらない。
 咲夜とフランドールの、気持ちを、私は、わたしは、分かってあげられなかった。かみさまが下すジャッジメントは黒。いつの間にか致命的な勘違いを犯していたのかもしれない。おぼろげながら、なんとなく分かる。

 まっさらな心は、とてもきれいだ。咲夜を好き勝手に遊ばせていた最大の理由は、私の定義で"規定"して縛りつけたくない故……。もしも想像を超えて咲く花となれば、凛と在り続ける私さえ自然と逸脱してしまう。
 そんな思惑は机上の空論だった。はじまりの教会の出会いから咲夜は、夜の王の威光や破滅的な恋の美学に絆されている。王の矜持を感じながら育って欲しいと願う時点で、あからさまな矛盾を生んでしまっていた。
 凛と在り続けようと瀟洒な態度を心掛けつつ、ふしだらな情炎に恋焦がれ快楽の"とりこ"と化して狂い咲く。思想の揺らめきの狭間で退廃と再生を繰り返すたび、咲夜は自惚れて誤認識を正答と見なすようになった。
 端的に言えば、咲夜は――ひとりで"ふたりのわたし"のイメージを持っている。妄想のなかで凛然と佇む"わたし"と見比べ、現実世界の"わたし"は憐れなので虚構と愛でて尊ぶ。いまさら区別など付かないのだろう。
 想像のサイハテに待ち構えていた破滅が今の咲夜だとしたら、無論すべての責任は彼女の主たる私が受け止めなければならない。さっと踵を返して歩き出す最愛のひとに、血反吐を撒き散らしながら"未来"を問うた。

「……咲夜。おまえの世界はレミリア・スカーレットそのものだ。騎士王の理想を穢し『革命』と為すのならば、崇高な念願が成就されるだろう。私を殺して解き放たれた世界に、いったいなにを望んでいる?」
「無論、死です。夜の王たる吸血鬼亡き私に、生の意味など皆無だ。くだらない世界に帰ります。あの"日常"という悪夢のなかで少女『A』として朽ちていく現実が、貴女に手向けられるもっとも美しい徒花だから」

 まったくこちらを振り向かず、咲夜は悲壮な覚悟を告げた。死んだように"生きていく"幻想郷の埒外にはみ出す選択肢は、十六夜咲夜の考えうる未来において途方もない最低の方法。まさしく自殺と同義でしかない。
 運命は視えていた。此処で私が死んでしまえば、咲夜は間違いなく紅魔館に帰らない。めちゃくちゃだ。八雲の仕込みなはずの『スキマ』さえなくなっている。おそらく自分で時空間をゆがめて作り出したのだろう。
 プラチナシルバーの髪の毛をなびかせながらサナトリウム中央を通りすぎて、ゆっくり道沿いを数十分ほど歩いて不思議な箱型の機械に乗る。煌びやかな街の喧騒のなかで、見知らぬ男の数人から財布を奪い取った。
 今晩を境に新しい『生活』が始まる。見ていられなかった。おかしくなるクスリの乱用摂取。下賤な男とxxx.あるときはバスタブたっぷりに水を注ぎ、頭から全身を突っ込んで溺れながら意味不明な言葉をわめき散らす。
 そして最期の結末は唐突に訪れる。この世界はごみくずだとささやくと、高層建築物から飛び降りた。無残な死体のくちびるが、ぐんにゃり曲がっている。まるで私に「ざまあみろ」と言わんばかりのサインだった。

 なにもかもくそったれな未来は、時間軸の分だけ"設定"されていた。パラレルワールドさながらの分岐は枝葉のごとく分かれ、咲夜が平行世界を渡り歩く様相を呈している。本気で繰り返すつもりなのかもしれない。
 ありとあらゆる運命が視える。精神病患者に成り下がる運命。平凡な日常に埋没して生きる運命。なんとなく男と恋愛感情もなく結婚し老衰して死ぬ運命。どんな世界の咲夜も、生きたまま"死んでいる"からひどい。
 少なくとも彼女がしあわせな運命が、ぜんぜん用意されていなかった。透きとおって視える未来の数々のどれか、あるいはもろもろが咲夜を繋ぎとめ……。ひたすらもがき苦しんで、亡き王女にいのちを捧げ続ける。
 つまるところ、レミリア・スカーレットの死んだ咲夜の世界において、幸福は幻想の概念と規定されている。従者の矜持と捧ぐ咲夜の未来は不快そのものだ。死の献花を誉れと為す専権は、戦人のみが赦されている。
 よもや時間を操る程度の能力でかみさまの真似事か。私の完璧な庭で冒涜を犯すのならば、それ相応のお仕置きを与えてやろう。まっすぐ心臓を射抜くエクスカリバーを引き抜き、かすむ視界のなかに咲夜を捉える。

 ――ふたりで歩く道の意味が、ぼんやりと視えてきたわ。凛と在り続ける私は間違っていない。夜の王の理想に憧憬を抱いて、恋焦がれている十六夜咲夜の想いも正しい。
 想像の宇宙で咲く幻想の花と愛で、騎士としての信念を説き、鑑となるべき姿を示そうと、すべてはしょせん模範でしかなく具体的な"かたち"を持たない故に、たかが人間風情な咲夜の妄想の範囲内でしかなかった。
 繋いだちいさなてのひらから伝う想いだって、やや離れてしまうとすぐ見失いそうなうやむやなもの。私と、願わくば咲夜の希望であって欲しい……。鮮やかな未来のイメージを、蒼いひとみに焼きつけなければならない。

 みるみるうちにみなぎっていく力を、両の手で握りしめる盟友アルトリアの剣に注ぎ込む。ゆめ貴女の在り方は間違っていないと証明しよう。今の私の救済すべき対象は、十六夜咲夜という美しい名前を持つ世界だ。
 そっと立ち上がり軽く血糊を振り払うと、少女『A』は紅いなみだを流しながら、冷たい視線を投げかけてきた。真後ろの固有結界から、無数の武具が切先を覗かせている。なぜか時間停止の選択肢は視えなかった。
 私のいのちが尽きない悪夢に怯えているのか。地球の果てまで逃げ惑っても追い越され、時の止まる世界は唾棄すべき虚無。要するに戦うしか残されていないんだけど、咲夜が決断を為す前に"終わっている"のさ――
















こんな運命は、書き換えてやる





――心は真紅の薔薇が咲き誇っていた。
凛と在り続ける矜持は幻想のアンドロメダ。深遠の国の治世は美しい夜が織り成すFairy Tale.
泡沫の夢が織り成す銀河の旋律で舞う燦然たるダンスは、ブラックホールの中に堕ちていく夜を現界に繋ぐ。

歴戦の英霊と槍戟に戯れ不敗。
凡そ五百年の生に後悔の文言は無い。
紅い悪魔の歴史は遠き理想郷を夢見るために在った。
故に運命を裁く捏造の堕天使は常と孤独に、悪夢の最中で唯の希望を捜し求めて彷徨う。



――心は蒼い花で埋め尽くされていた。
凛と捧ぐ矜持は仮初めの夢の宙で煌くシリウス。完全で瀟洒たる従者の給仕は切ない恋物語。
とある夜の国で生まれたハーモニーを聴く彼女は、天の蒼々たる空の彼方……。深遠の国の御伽噺に憧れ続ける。

主を慕う恋心は右脳。主に仕える忠義は左脳。
わずか十五年足らずの生涯に永遠の概念は存在しない。
蒼い薔薇の綻ぶ美しい刹那は夜の王の寵愛を賜るべく在った。
故に時間干渉を弄ぶメイドは無常たる世界の孤独を嫌い、妄想の最中で唯の王女を追い求めて凶行に問う。





夢から覚めろ。
後悔を恥じる必要は無いさ。
理想に殉じなければならない。
ふたりで"ひとりぼっち"になるのさ。
十六夜咲夜の運命を完全に定義してやろう。
ありとあらゆる未来の因果律を束ね、唯のしあわせをもたらす未来を見せてあげる。

もう待っていられない。
私の治める深遠の御伽の国へようこそ。
誰も覚えていない秘密のエデンは、幻想の花の群れが敷き詰められている。
透きとおるエメラルドブルー。夜の帳に差すライムライト。儚く美しき無限の世界は眩い!

これから咲夜の両の眼が映し出す世界は革命の最果て。
夜の王たるレミリア・スカーレットが抱く心象世界の次元をねじ曲げて具現化したユートピアに他ならない。
私の"夜"を託す少女は刮目し御覧なさい。気高き英霊の魂に告げる。真紅の薔薇のプロバガンダを捧げ給え。手向けられた蒼い花の祝福を敬拝せよ。さあ運命の"Anthem"を謳え。我が夢の彼方へ征こうか。



「かつて英霊が誰も為しえなかった理想を叶えてやろう。真の運命をもたらす王は偉大な『愛』に導かれている!」

灰白の双眸からなみだが零れた刹那、神速の如きステップを踏んで駆け出す。
咲夜の憧れた夜の翼を開き、少女の夢見た碧い空を羽ばたく風を受けながら、後ろに流してエクスカリバーを構える。
未来は視えていた。時間は止まらない。私を狙って放たれる宝具より素早く踏み込み、夜の王の威信と栄誉を賭けた乾坤一擲の斬撃を解き放つ。

ゆらり、ゆらり。
鈍色のひとひらが舞い散った。
徒花は紅蓮の薔薇。紅いリボンで結ぶ銀髪の束が、はらはらと音もなく地面に落ちる。
蒼いひとみがしかと見開き、騎士王の剣戟に戦慄く。少女のイメージに映し出す凛然たる美しい白昼夢は、ずっと願って止まない遠い空の彼方の理想郷だ。
夜の王の夢を固有結界と為す『業』は、全世界の臣民を"ナイトメア"で震撼させるのみの代物に非ず。私の統治下の『夜』を鮮やかに照らす宇宙の中で、少女『A』のハカイヨノユメを紡ぐ事など容易い。
空想の流星群に幻想の花が咲いた。静まり返る教会の回廊は、神々しい聖剣のオーラで荘厳な空気を取り戻す。恍惚のファンタズムからお目覚めの親愛なるひとは、紅いなみだをぽろぽろ零しながら陶然の表情を隠さなかった。



















「……こんな仕打ちを与えた私を、断罪なさらないのですか?」
「だれの御前だと思っている。夜の王たるレミリア・スカーレットの御許だ。跪け」

 聖剣を地面に突き立てて厳かに言い放つと、完全で瀟洒な従者は賺さず非礼を詫びひれ伏した。こめかみあたりの切断面に垣間見えるひとみからあふれ出すなみだが、だんだんと澄んで透明なしずくに変わっていく。
 狂気に魅せられていた紅い色が抜けて、美しい蒼が覗くと思わず快哉を叫びたくなってしまう。真紅の薔薇を映し出す快楽者の眼は片方でかまわない。おかしくなりたいのであれば、いくらでも連れて行ってあげる。
 たぶん今の咲夜が見ている"わたし"は、あの『はじまりの教会』の出会いと変わらない。もしもなにか変わったのであれば、きっと私の考え方だろう。ずいぶんと長らくの間、とてもたいせつな真実を見失っていた。

「私のようなものに……。革命のエチュードを奏でる資格は与えられないのでしょうか?」
「運命を裁く私に歯向う試みは面白かったよ。そもそも、だ。革命で変えられるような夜の王は、咲夜の愛してやまない私じゃないだろう?」
「おっしゃるとおりです。お嬢様の剣戟の刹那に、すてきな夢を見ました。ちいさなてのひらを繋いで、幽玄な深遠の国で咲く花となる世界。いつからか……。私の望んでいる未来でした」
「ゆめ忘れるな。私が騎士王、夜の王と在り続ける理由は、どうしようもなく利己的なもの。我が寵愛に相応しき蒼い薔薇を愛でたい故。英霊たちが覇を競う理由と程遠い、ひどく低俗なわがままだと思わないか?」

 咲夜は能力の行使が無茶苦茶な所為で、ひくひくと体が小刻みに震えている。あるいは私が与えてやった夢の余韻が覚めないのか。結局『ナイトメア』に変わりないんだなと、ついひとりで苦笑いを浮かべてしまう。
 エクスカリバーの具現化を解き放ち、カムランの丘で立ち尽くす盟友に想いを馳せた。唯の恋人と殉じる私を、貴女はどう思うのかしら。王と認められないと蔑むか、それとも騎士の矜持を貫き通した祝福の言葉か。
 どちらにしろすべてを賭して護らなければならないものは、たとえば恋人のしあわせだとか、たぶんことのほか小さいのかもしれなくて、それでも私にとっての"世界"なのだから、ありとあらゆる揶揄は致し方ない。

 だいたい『夜』は私の所有物だ。きらきらきらめく星空の水槽は、たいせつなたからもの。当然ひとりの王として漆黒の闇が溶けていく世界の救済を願い、民草の羨望や憧憬を背負う象徴を担う役割は承知している。
 たくさんの人々の理想たらん姿を示し続けていれば、いつか必ず祝福の花束が届くと思っていたのに……。途方もなく現実は悲惨でしかなく、深遠の国でもがき苦しむひとどころか、妹のフランドールさえ救えない。
 あまねく万人を救う正義などありえなかった。しあわせのかたちがいのちの数だけ存在する以上、それぞれを満たす"器"を用意しなければならず、極論、全人類の幸福を叶えたいのであれば世界を灰燼に帰す他ない。
 そこまで殊勝な悪魔がいるなら失笑ものだけど、私は恋慕の水を吸って咲く想像の可能性に愉悦を求めすぎて、咲夜と育みたい花のかたち――未来を提示していなかった。気づかせてくれて、ほんとうにありがとう。

「――王の愉悦に貴賎を敷かれているのでしたら、お嬢様の言わん大義はまっとうなのかもしれません」
「もちろんないさ。……迷惑をかけてすまない。私は凛と在り続けるだけで、なんの道しるべも示してやれなかった」
「いつまでも貴女は理想でしかありません。むしろどうして責めてくださらないのです?――夜の王に戻ってくれなどと暴論を振りかざす私を、なにゆえに咎めないのですか?」
「いのちを以って愛してくれている今がうれしいからさ。そして分からせてくれた。おまえのように強欲に求めなければならなかった、と……。さあ、咲夜。てのひらを貸しておくれ」

 おそるおそる差し出された血まみれの指をやさしくつかみながら、もう片方の腕でポケットをまさぐって真紅の指輪が収められている箱を取り出す。
 どうやらかんばせをあげない蒼いひとみにすぐ映ってしまったらしく、繋いだちいさなてのひらがふるふるとわななく。こちらの緊張がバレてないか気になって仕方ないのに、あからさまに咲夜の方が動揺している。
 わざわざ"かたち"として誓いを告げなければならない無常が、なんとなくうしろめたくてやるせなかったけれど、今ならなんの迷いもなく颯爽と渡すことができる。いまさら恥ずかしいとか、まさかありえないよね。

 うっすら淡い桃色のマニキュアで彩られている左手の薬指に、赤い月光できらめくリングを通そうと爪先に触れたら、くっと関節が折り曲がり逃げられてしまう。
 どうせいつものわがままなんだろ?――泣きじゃくったり素直じゃないところは、相変わらずなんにも変わらないな。両の手でやわらかくてのひら全体を握りしめると、透明な紺碧の双眸が途惑いながら視線を移す。
 ものすごくきれいだと思った。すてきな花が咲くと信じて疑わなかった。直感的な運命は間違いない。空っぽの心を凛々しい気持ちで愛でると、こよなく美しい"夜"と染まって月光のような花びらを綻ばせてくれた。

「わたし、わたしに……。お嬢様の矜持を穢した私に、このような凛々しい誓いを賜る資格は、悔しくて、哀しくて仕方ありませんが……。持ち合わせておりません」
「私が『世界』だ。私が『かみさま』だ。私が運命を決める。私が運命を裁く。十六夜咲夜の運命はレミリア・スカーレットの定義内で規定させてもらう。もちろんしあわせな未来は保障するよ」
「……お嬢様の運命に抗うなど、最初から無駄でしかなかったのですね。いつしかおかしな夢の"貴女"に犯されていたのに、私の親愛なる夜の王は凛と在り続けて、理想と変わらぬ姿と示してくださいました」

 ちいさなてのひらを水平に戻して、紅いリングをそっと薬指に填めてあげる。真っ白な肌に咲いた真紅の薔薇を怯えながら見やる咲夜のひとみに、今度はクリスタルみたいな美しいなみだがとうとうと溜まっていく。
 しとやかにふんわり微笑む貴女がすてきなのに、なぜひとはたまらなくうれしくてもむせび泣くのだろうか。それでも今の彼女がさめざめと零す大きなしずくは、かけがえのない儚くも鮮やかなエメラルドと誇れた。
 うっとりとまどろむ咲夜のてのひらを返し、すっと懐まで入り込んでぎゅっと抱きしめてやる。ドレスの布をつかむ指の力があまりに弱々しくて、さっきの能力行使で熾烈な過負荷を強いた自分を責め立ててしまう。
 透きとおるなみだが首筋に、やさしいぬくもりを与えてくれる。感傷的な欲情は、ちくちく心が痛い。センチメンタルな恋は終わりにしよう。くすんくすん泣き止まない咲夜を、壊れないようたいせつに支えてやる。

 私は夜の王と、騎士王と、凛と在り続けた。咲夜の望む理想郷は、心を同じくして夢見るもの。ゆめゆめ彼女が歩むべき道を見失い彷徨ってしまうような、しょせん飾り物にすぎない理想を正義と為すつもりはない。
 十六夜咲夜の世界がレミリア・スカーレットに規定されているのならば、その対として咲夜の在り方を"規定"してやろう。なんとも世界は理不尽が大好きみたいで、どうしてか私は運命を操る能力を持って生まれた。
 くだんねえな。たぶん心のどこかで、自分の力を忌み嫌っていたのかもしれない。ひとは運命を切り開く力を持っている。さっきの咲夜のようにもがき苦しみながら、七十億のいのちのシナリオを描くかみさまに抗う。
 しあわせは簡単に手に入らない。神に特別視されたくなかった。そう私は"世界"に抵抗し続けてきた故……。ありとあらゆる業と悲しみを背負いつつも、ただの一度さえ過去に後悔を抱かず運命の螺旋を歩んできた。
 だから私の矜持を踏み躙られてなお、咲夜の行いを咎めたくないし、たった現在をなんの悔いもなく受け入れられる。王に相応しい幸福をつかむためのそれ相応の代償は、桜の花びらの散りゆく分だけ支払ってきた。

 ――レミリア・スカーレットと十六夜咲夜の運命を、かみさまさえ覆せない世界の理と為して定義する。先ほど咲夜が夢見た深遠の御伽の国<理想郷>に招待してやろう。
 有り体に言ってしまえば、私は暴君だ。世界の救済などさらさら望んでいない。今までの過去を書き換えたいとも思わない。ささやかなしあわせを護り抜く運命に抗いながら、夜の王としての正義を貫き通してきた。
 本来ならば私の騎士王の栄誉たる理想に憧れ、私のように在りたいと羨慕を抱く民草のために在らなければならず、皆を救わなければならないのかもしれない。しかし"世界"を導く傲慢な振る舞いができようものか。
 多様な価値観が共存する時世において、斯く在り方を善しと見なす存在がどれほどいたか。かみさまは万人に『運命を変える』選択肢を与えた。かの暴君の背徳者たる少女こそ、夜の王の寵愛を受ける花と相応しい。

 十六夜咲夜は、私の理想に殉じた。夜の王と騎士王と在り続ける、私の"夜"と真名を授けてくれた。咲夜の誇大妄想的な愛情の責任は自覚しているけれど、今日まで王に捧ぐすべての忠義と矜持は凛々しく誇らしい。
 私もまた、咲夜に殉じるべきだ。最愛のひとに運命を以って報いよう。想像を超えて咲く蒼い薔薇は、凛然と佇む真紅の薔薇の零す愛を吸い込んで育った。世界の調和を紡ぎ出すプログラミングコードを書き換える。
 咲夜の夢見る理想郷を運命と規定して、世界の定義と為す業は夜の王の特権だ。咲夜を導かなければならない。いつまでも私は美しい花の正義と在り続けよう。尊き理想に焦がれ憧れる生は希望に満ちあふれている!

「覚えているか。蒼い薔薇に捧ぐ徒花は真紅の薔薇と告げておいた。……朽ち果てて死ぬのならば、何歳くらいまでが限度かな?」
「ずっと二十歳までと考えておりました。ひどく醜い咲夜を、見せたくないもので。あの時間停止の世界が保てたとて、すべては変わりゆくもので、それならばお嬢様に愛されたまま死にたいのです」
「私の治める国の、幻想の花の群れのなかで眠ろう。ふたりで"ひとつ"の美しい花と咲き誇る。鮮やかな夢現から覚めたりもしない。咲夜の理想は永遠と変わらない。とてもロマンチックだと思わないか?」
「お嬢様は"永遠"の夢物語を運命と規定するのですね。夜の王として凛と在り続ける貴女を見失わず、最高に狂おしい寵愛を受け続け……。もしも叶うのなら、私で宜しいのでしたら、どうか連れ去ってください」

 うなじのあたりでぽろぽろなみだを流す咲夜のこえが、すてきな余韻を引きずりながら鼓膜を揺らす。
 ひとの死は遅かれ早かれ必ず訪れるものだけど、どうせ咲夜は人間をやめたりもしないと最初から分かっていた。
 ほんのちょっと、哀しく思う。咲夜を嫌うなんてありえない話なのに、そんな幻想に怯えて暮らしていた。例のめちゃくちゃにされたいとせがむ情欲だって、いつも私を感じていないと恐ろしくなるからなんだよね。
 それも確かな未来を提示してあげられず、いつまでも私が理想でしかなかった所為か。もうだいじょうぶだよ。むしろしあわせの所為かな。繋いだてのひらのほのかな体温と、甘ったるい吐息の香りが情欲をそそる。
 まさか失敗したらかっこ悪いな。とか考えて、思わず笑みを浮かべてしまう。かみさまとかいうひと。なかなか愉快な茶番だろう?――ひとりの少女のために英霊の座を捨てる。咲夜。おまえは確実に革命を起こした。

 永遠などという概念は甚だしくつまらないと思っていたが、いざ叶えてしまう段となれば最高の愉悦とも考えられた。苦痛を伴いながら夜の王の理想を掲げずとも、最愛のひとのなかで私のイメージは固定化される。
 現実的に存在しない心象風景の具現化は、神の作り出す世界に相対す最高の反抗。幻想の可視化や五感と思考のロスト、無意識の還元等々のマイナスは致し方ないけれど、元より咲夜のためにいのちを捧げたかった。
 騎士として仕えたいと想わせてくれる気高き矜持は、すでに心のなかで咲くいつくしい蒼い花が証明済み。親愛なる見目麗しき女王陛下の優雅なエスコートは、王の理想を薔薇とあやなす私が務めなければならない。
 ついに忠義を尽くすべき存在と出会えてうれしい。この期に及んで私たちの運命は変わらないけれど、もしも『if』が許されるのであれば……。煌びやかな槍戟で示す威光を捧ぐ時代に咲夜を后と迎え入れたかった。
 しばしの逡巡を終えてから、永遠のような数分を待ちわびる。過去を振り返るとか、やっぱり"がら"じゃないな。やすらかな光をたたえる紅い月とまたたく星座の数々が、夜の王の最期の瞬間を粛然と見守っていた。

「さてと。現世に思い残すことは、もうないか?」
「そうですね。くちづけ……。していただきたいですわ」

 夢のなかでまどろむために必要とあらば悦んで。やわらかくかんばせを寄せると、星空の浴槽でたゆたう水面が映す鮮やかな幻のような純白の花が微笑む。蒼いひとみのおぼろな紅は、まぶたがゆっくり遮っていく。
 そっと、そっと……。くちびるを重ねた。やさしいぬくもりが、ふんわりと内側から伝う。鋼の味で苦いはずの自分の血さえもとてつもなく甘ったるくて、花びらの触れ合う先でとろけてなくなってしまいそうだった。
 お互いをいつくしむスウィートなキスは、ずいぶん久し振りじゃないかな。咲夜は、あのときからのくせの、舌を八重歯に押しつける自傷行為を起こさず、たっぷりと蜂蜜でうるむ口先の感触を無心で愉しんでいる。
 こちらからくちゅくちゅいじくってやると、なまめかしく妖しい吐息が漏れ出す。きっと言語は通じない。快感で躾けてあげようか。桜色のリップを縦横無尽に撫でまわすと、抱き寄せている体がふるふると震えた。

 世界のロジックは"視えている"からだいじょうぶ。あまねくいのちの数だけ用意されたかみさまのファンタジーのなか、たぶん当人も気づかない部分にたった数行、咲夜と永遠になるための宣誓文を書き込んでおく。
 私の統治する深遠の国の御伽噺の心象風景は、分かりやすいかたちで構文化されている。そこに私と咲夜の在り方を示す簡単な詠唱を挟んでしまえば終わり。真の『革命』は無血を以って遂行されなければならない。
 ハッキングされた神の"真理"が適応される。理想が叶えば宇宙の仕組みなんてどうでもいい。分解を始めみるみるうちに光の粒子と化していく感覚が、くちびるを貪り尽くす快楽と相成ってたまらなく心地良かった。
 だんだん途切れゆく意識の端……。蒼いひとみの水晶体に、真紅の薔薇が咲いている。どうせ散らしてめちゃくちゃなんだろうとか想像していたのに、おまえのなかで生きている"わたし"は鮮やかで美しいじゃないか。
 ようやく私たちは"ひとつ"になるんだから、いびつな鍵をかけた心で愛さなくてもいい。神の箱庭で花開く運命。終末の微笑み。紅と蒼しかない無機質な無菌室を抜け出して、虹色のオーロラが照らし出す森で眠ろう。


 ――荘厳なる白い葬列の殉教者たちに告ぐ。十六夜咲夜の真名に捧ぐ徒花を彩る真紅の薔薇と、深遠の御伽の国の臣下と成りて約束された幸福な未来を賛美せよ。
 機械人間が虚飾の微笑を浮かべながら過ごす日々から、ほんのわずかな秒針の隙間を通り抜けて逃げ出す。夜の王の掲げる凛と華やかな美しい理想は、破滅的な恋の美学を抱く少女の夢幻を織り成し蒼い薔薇と綻ぶ。
 心が硝子細工のように脆くとも、紅い運命の糸で繋ぐ"きずな"があれば、道を見失わずあの国まで行ける。もどかしい恋慕を焦がす過去に未練は要らない。私たちの背徳を罰すべき神は、首を吊って死んだのだから。
 淡いスカーレットの夢に溶け込んでいく貴女がたまらなく愛しくて、なまめかしい肌の上を彷徨うしとやかな微熱の所為でふしだらに濡れそぼる。甘美な愉悦も狂信的な色欲も、なにもかも分かち合って楽しめるね。

 天蓋つきのベッドでまどろみながら、ふと咲夜のきれいなこえで目覚めるような生活を、およそ五百年の永き繰り返していた錯覚。極彩色な花言葉の数々を指折り数えて咲かせ、永遠の記憶と変えるべく灰燼に帰す。
 いつまでも少女は眠れるままの姫君で、夜の王の真名を抱く騎士に護られていた。夢現な御伽噺の永遠の複製は、世界の『真理』に組み込まれている。因果律に刻み込まれた運命は、神の力を以ってしても覆せない。
 かぐわしいほのかの薫る薔薇の清楚で可憐な佇まいは、王の殉じるべき理想と正義に応えてくれた。真紅の薔薇を手向けよう。親愛なる貴女と禁断の恋に堕ちていく未来が、この上なく煌びやかな誉れと感じられた。









 ――咲き誇る。咲き誇る。だれも知らない棕櫚の森のなか。
 アンドロメダのきらめく星空を支える世界樹の袂に、紅と蒼を織り成す薔薇が凛と咲いていた――






ここまでお読みいただき、ほんとうにありがとうございました
ずいぶん大袈裟かもしれませんが、ようやくの悲願が叶ってうれしいかぎりです

ずっとレミ咲が本当に大好きで、正義を問われたらもちろんレミ咲と答えます
しかし好きすぎてハードルが上がってしまう(?)らしくなかなか完成しませんでした
かく瀟洒な咲夜さんとか、とにかくかっこいいレミリアとか、某スペカの解釈だとか、好き勝手に書きまくってしまいました
どうか何卒、なにとぞ楽しんでいただけたら幸いです

#5/5追記
誤字を修正いたしました
ご指摘ありがとうございます
早瀬凛
[email protected]
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コメント



0.260簡易評価
1.30名前が無い程度の能力削除
見事なまでの携帯小説でした。内容の八割、文章の九割が無駄な装飾。
元々薄味仕立てで隠し味を楽しませる出来なのに、水増しのしすぎで感情の揺さぶりがありませんでした。
2.30名前が無い程度の能力削除
最後まではいけませんでした。
4.100名前が無い程度の能力削除
とにかく内容も語彙の選択も狙ってやってるんだろうなってくらい清々しかったです
頭のネジが外れていく咲夜とまさかの(笑)スペカ解釈など、いろいろ突っ込みどころが多すぎて困る……
序盤は冗長かなーと思いましたが、後半からの宴会やバトルも含めて、トータルとして見所が沢山あって昔の自分を思い出しました
5.60名前が無い程度の能力削除
こういうの嫌いじゃない
8.20名前が無い程度の能力削除
無駄な言い回しが多くちょっとくどく感じました
9.100名前が無い程度の能力削除
長いし表現が多彩過ぎて読んでて頭痛くなってくるのに、
世界観と詩的な文章がやたら噛み合ってて抜け出せない
13.100名前が無い程度の能力削除
ここまで正々堂々と中二病でやられると、もはや左手がうずくレベルだった(褒め言葉
咲夜の瀟洒になっていく過程や、レミリアの秘められた過去など、かなり試行錯誤を繰り返したものだと思う
神のデスゲームに抗うお嬢様は最高に可愛くてかっこよくて、王としての振るまいがとにかく板について台詞や独白に貫禄を感じた
姫とナイトの立ち位置が似合うふたりというか、そこらへんの書き方がいかにもな感じでとても潔い
おそらく意図的にやってるっぽいので、平素はどんな文章を書く人なのか気になって仕方ない
15.100名前が無い程度の能力削除
異世界ファンタジーものとして、なにより倒錯的な百合として面白かったです
芯のない女子が依存してしまう過程や、咲夜のためにあり続けようとするレミリアがかっこいい!
16.50名前が無い程度の能力削除
うーん、くどい。
17.100名前が無い程度の能力削除
まさに王としてのレミリア様マジカリスマ
畳み掛けるような豊富な表現は素晴らしい
最後まで読了した瞬間の感動が言葉にならなかった
依存していかないと生きていけない人間の有様が、まざまざと伝わってきてよかったです
普段創想話で絶対に読めないような、ばりばりの厨二炸裂で俺の邪気眼が(r
19.90藍田削除
 文章が、ここではなかなかお目にかかれないタイプだったのと、わりと咲夜とレミリアの依存関係や、咲夜の紅魔館にいく前の薄幸っぷりとかが、書きかけたまま放置している自分のやつとわりとニュアンスが似ていたので興味深く読ませていただきました。といってもこんな百合百合してないですし、内容も音楽で例えるならアリプロとサンボマスターくらい違うのですが。そのあたりの違いもふくめて楽しかったです。
 スカーレット家の先代って気になるんですよね。何故妹と姉しかいないのかも含めて。そのあたりもおもしろかった。非道な親父がキャラ立ってましたね。
 ただモノローグ、心情吐露の多用がかなり厄介で、今どうなっているのかを忘れるくらい長いのがちょっと辛かった。もう詩なんじゃないか、って思うくらい。
 これ、自戒も含めてなんですけど、モノローグって毒だと思うのです。思いのたけを書くときに思わず描いてしまうのはよくわかるのですが、小説、つまり物語としてはその間停滞してしまう。それに、独りごとって基本的にあまりおもしろくないんですよね。

 で、実際切り捨ててもいいんじゃないか、と思う部分もあります。
>ずっと"わたし"は、空っぽだった~迷惑をかけない最善の選択だ。
 たとえばこの段落なんですけど、ここって、必要かどうかって思うと、自分は要らないと思うのです。飛ばしても、自殺しようとした咲夜の心情というのは、あとで暮らしっぷりからなんとなく伝わってくる。モノローグでわざわざ今の心境をぜんぶ「説明」する必要はないのです。

 冒頭も自分なら、
>たった今の私はものすごいスピードで五階建ての校舎から急降下しているのに~
 からにしちゃいます。
 それでも十分伝わるからです。
 表現力はほんとにすごいと思います。自分には逆立ちしても出てこない表現ばかりです。ただ、その力があるがために描きすぎている部分があるような気がして、それを刈り込めばもっとダイレクトに咲夜とレミリアとフランの感情のぶつかりあいが伝わってくるのにそれが非常にもったいないと思い、長々と描かせていただきました。
21.100名前が無い程度の能力削除
「エクスかリバー」
笑ってしまった。

でもかなりいい話だと思う。
22.100名前が無い程度の能力削除
これ程の長編を書きあげた事がまず素晴らしい。
この時点で80点は入れる。これ程強烈な個性を持った文章を掛けるのは素直に尊敬します。
今後の作品にも期待して+20点の100点です。
24.100名前が無い程度の能力削除
とても良い文章でした、ここまでの長編お疲れ様です。
レミリアが紅、咲夜が蒼、ならばフランは黄金のバラでしょうか。
美しく狂おしく、まさに花と棘をもつ薔薇のような恋を体験したような気分です。
とても表現豊かな良い作品です。
べた褒めですが、小説に疎い僕にとってはそれほど素晴らしいものでした。

世界中の恋が、美しくも棘のある薔薇のようでありますように。
25.100名前が無い程度の能力削除
うーしたい。いけませんと言う咲夜。レミ咲永遠の黄金率ですね。圧巻でした。カリスマの破綻と再生をここまで精緻に書き切ったのは本当に素晴らしい。これぞ完璧な「テンプレ」作品。むしろなんで今頃、という突込みさえ受け止める後書きもよかです。
26.無評価名前が無い程度の能力削除
追記。いけない変態な咲夜さんも大変すばらしい。
27.100名前が無い程度の能力削除
あまりに退廃的で
あまりに光り輝いて見えて
咲夜とレミリアがかっこよすぎました
28.100名前が無い程度の能力削除
こんなにかっこよくて甘くて激しいレミ咲は初めてかもしれない。
読後しばらく放心してしまいました。素敵な時間をありがとうございました!
29.100名前が無い程度の能力削除
退廃的かつ、美しい薔薇の織り成す素晴らしい話でした
あくまでもレミリアと咲夜の関係を中心に進んで行くものの、二人の倒錯的な愛情は独特な距離感で素敵です
その中途に入る美鈴やパチュリー、そして宴席の問答など、エンターテイメントとしてもとても面白かった
これはぜひ本にとって読みたいと思う
30.100名前が無い程度の能力削除
言葉の巧みな使い方による独自の世界観設定が凄い
ラストまでどんな結末なのかわからない倒錯した咲夜の感情がよかったです
31.100運命「ミゼラブルフェイト」削除
素晴らしい小説でした。抽象的な表現が素敵です!