「いじょーなーし!」
宮古芳香は、両手を前へ突き出した独特のポーズで墓場を歩き回っていた。
大きく声を出し、張り切って見回りをする。不審な輩がいないかどうか、曲がりにくい首をどうにか動かして探す。
「こっちもいじょーなーし!」
キョンシーである彼女にとって、主への服従こそがすべてであり、存在意義そのもの。
主の命に従って番をするこの時間こそ、芳香の最も充実した時間なのだ。
「いじょーなー……お?」
せっせと歩きまわっていたら、奇妙な塊を見つけた。
宙にふわふわと浮かんだ、真っ黒な謎の物体。ゆっくりとこっちへ近付いてくる。
「……いじょーあーり!」
そう言うと芳香は、謎の物体の方へ体の正面を向けた。
近付いてくる怪しいものは全て撃退せよ。それが主の命令なのだ。
息を吸い込んで、勢いよく声を上げる。
「ちーかよーるなああぁ!?」
ゴツンッ!
そんな音がして、芳香はその場に背中から倒れこんでしまった。
威勢良く声を上げたものの、謎の黒い物体は聞く耳持たず真っ直ぐつっこんできたのだ。そして正面衝突。
「うおおお起き上がれないー!?」
死体故に体は硬く、関節はろくに曲がらない。主からは柔軟体操をすすめられているのだが、一向に効果はあがっていない。
必死に踏ん張って体を起き上がらせようとする芳香ではあるが、努力は実を結ばなかった。
「た、助けてー!」
じたばたしながら助けを求める。しかしどうにもならない。
芳香は次第に諦めムードになってきてしまった。
「もう駄目だぁ…お終いだぁ……」
役目も果たせず自分はこんなところで朽ち果ててしまうのか。ああ、最後にもう一度だけあの人に会いたかったなあ。
そんな感傷に浸っていたまさにそのとき、救いの手は差し伸べられた。
「大丈夫?」
「おお?」
誰かの声が聞こえたと思ったら、芳香はくいっと手を引っ張られて、起き上がらせてもらった。
驚きと喜びが混在する芳香の目の前に立っていたのは、自分よりも背の低い、黒い服を着た金髪の小さな女の子。
「お前が助けてくれたのか?」
「そうだよー」
芳香が聞くと、女の子はにこっと笑って答えた。
その無邪気な様に芳香も安心して、にこりと笑い返す。
「ありがとなー」
「どういたしましてー」
関節が曲がらないため頭を下げてお礼を言うことはできないが、女の子はそんな事気にするでも無かった。
お互い少し間のびした言葉を交わしたところで、芳香はハッと思い出した。
「そういえば怪しい奴見かけなかったか? そいつのせいでわたしはひどい目に遭った」
「怪しい奴? んーわたしは何にも見てないよ。気付いたら目の前で倒れてたから起き上がらせただけ」
「そーなのかー」
「そーなのだー」
怪しい奴を見かけたら追い返さなくてはならない。しかしさっきの黒い物体はもうどこかへ行ってしまったらしい。仕事を果たしきる事ができず、芳香はがっかりする。
ちなみに目の前の少女は芳香にとって恩人であるので、芳香の脳内の怪しい奴リストから完全に外されている。
「おお、そういえば自己紹介がまだだった。わたしは宮古芳香、よろしくな」
「わたしはルーミアだよ。れっきとした妖怪なのだ」
仲良く自己紹介しあう。
実を言えば、芳香の見た怪しい奴の正体がルーミアであるのだが、芳香は全く気づかない。
ルーミアもルーミアで、怪しい奴とは自分の事であると分かっていない。いつもの暗闇散歩で何かにぶつかって、闇を解いたら芳香が倒れていただけなのだ。
しかし二人ともそんなことはどうでもよかった。
「ルーミアはこんなところで何してたんだ? ここにはあんまり近付いたら駄目なんだぞ」
「へーそーなのかー。わたしは気ままにぶらぶらしてただけなんだけどなあ」
「駄目なのだ。駄目なものは駄目なのだ。だからわたしは見回りをしているのだ」
「じゃあわたしも帰った方がいい?」
「いや、ルーミアは恩人だから特別だ。怪しい奴以外は追い返さなくても大丈夫だ」
芳香の隣にルーミアがついて、歩きながら話をする。テンポが合うのか会話も弾んだ。
実に楽しいひと時なのだが、双方気になる事もあった。聞いてもいいのか悪いのか、なかなか判断がつかない。
少しだけ沈黙した後、思い切って聞くことにした。
「なあ、どうして両手を横に広げてるんだ? 歩きにくくないか?」
「ねえ、どうして両手を前に出してるの? 歩きにくくないの?」
二人揃って奇妙なポーズ。自分の事は棚にあげて、相手につっこみをいれる。
「聖者は十字架に磔にされましたって言ってるように見える?」
「わたしは体が硬いから、これ以上曲がらないんだ」
「「そーなのかー」」
波長が合っているか合っていないのか、お互い勝手に答えて、勝手に納得しあう。
ただ一つ確実に言えるのは、二人とも何も考えていないのである。
「お腹空いたなー。でも芳香は食べてもあんまりおいしくなさそうだなー」
「んーわたしは食べられるより食べる方が好きだなー」
「わたしも食べる方が好きだなー。お肉大好きー」
「肉かー。肉は美味いなー。でもわたしは何でも食べるぞー。神霊だって食べるぞー」
「そーなのかー。好き嫌いが無くってすごいなー」
「すごいだろー。えっへん!」
噛み合っているようで噛み合っていない、少し噛み合っている会話。
どこまでも能天気な二人の織り成す、ある意味奇跡的なやり取りである。
「ねえ芳香。さっきから気になってたんだけど、その紙っきれ邪魔じゃない?」
不意に、ルーミアが芳香の額にあるお札を指差してそう言った。
芳香も、んー、と唸ってから
「そう言えば邪魔だなー。たまに前が見えなくなる」
「前が見えないまま歩くなんてお馬鹿さんのすることだよ。取ってあげるね」
再びルーミアは自分の事を棚に上げ、そして芳香もお札の意味を忘れてしまってしまう。
手を伸ばしたルーミアは、そっと芳香の額に貼られたお札を触ろうとした。
「そんなことしちゃ、駄目よ」
「うひゃあ!?」
どこか艶やかな第三者の声に、ルーミアは驚き悲鳴を上げた。
意表を突かれた突然の声というのもそうであるが、ルーミアが特に驚いたのはその声の主の現れ方。
「お、お墓から人が出てきた……」
「あら、驚かせちゃったみたいね」
唖然とするルーミアの前には、墓石から上半身だけ体を出した青い髪の女性。
浮かべた笑みは無邪気そうでありながらどこか妖艶で、ルーミアにしてみれば少し気味が悪い。
だが一方、芳香はまるで子犬のように目を輝かせ、墓石から上半身だけ現れた女性に飛びついた。
「青娥! 青娥!」
「うふふ、よしよし。わたしの可愛い芳香」
青娥と呼ばれた女性は、墓石から上半身だけ出したまま芳香を抱きとめて、すり寄せてくる頭を撫でた。
その様子をルーミアはぼーっと見ているしかなかったのだが、しばらくすると青娥は撫でるのをやめて、厳しい顔をしながら芳香とルーミアの顔を交互に見た。
「駄目じゃない芳香、怪しいものは全て追い払いなさいって言ったでしょ? あまつさえお札まで取られそうになるなんて」
「ご、ごめんなさい…でもルーミアは怪しい奴じゃないぞ、起き上がれなくなったわたしを助けてくれたいい奴だぞ!」
「あら、そうなの?」
叱られて少ししょげながらも、芳香はルーミアの弁護をする。
それを聞いて、意外だったのか青娥は驚いたような顔ぶりをしてルーミアの方を見た。
ルーミアは何も言わず、コクンと一度だけ頷いた。
「あらあら、うちの芳香が迷惑かけちゃったみたいね。ごめんなさい、それとありがとう」
にこやかな顔でお礼を言ってから、青娥は顔を再び厳しい表情に戻して芳香の方へ向けた。
「それでも、お札を取られちゃだめでしょ。次からは気をつける事。いい?」
「はい…ごめんなさい……」
「貴女だってそのお札は取っちゃいけないんでしょ? だったら他人のお札も取っちゃ駄目よ」
「……へ?」
「あら、もしかして自分のお札の事を知らないのかしら?」
芳香を叱った後、ルーミアの事も叱る青娥。だがルーミア自身が何の事かよく理解していない。
青娥はルーミアの頭のリボンがお札である事を即座に見抜いたが、どうやら肝心のルーミアがお札の事を分かっていないようだ。
まあそれならそれでいいか、と青娥は一人結論付ける。さほど興味のある話でもない。
むしろ気になるのは、先ほどから自分のことを見る少女の紅い瞳に戸惑いが色濃く出ている事。
「ああそうか、こんな格好じゃ驚くのも無理ないか」
自分の姿を見て合点がいった。
よくよく考えてみれば、ルーミアから見て青娥は墓石から上半身だけ出ている状態。
本当は壁抜けの力を使って墓石をすり抜けているだけなのだが、ルーミアは前からしか見ていないので、まるで墓石の中から出てきたように思われただろう。
墓の中から上半身だけ現れる女。誰の目から見ても不気味である。
「芳香、ちょっと離れててね」
「ん。おー」
芳香に言いつけて、それから青娥は、できるだけ柔和な顔をルーミアの方へ向けた。
「ルーミアちゃん、と言ったかしら。別にわたしはお墓から出てきたわけじゃないの。壁抜けの力があるだけなのよ。ほらっ!」
かけ声を上げると同時に、青娥は下半身もすり抜けた。
地に足を降ろし、全身をルーミアに披露する。
「ほら、これで怖くないでしょ?」
「………」
「……あら?」
青娥の意に反して、ルーミアは相変わらず黙ったまま。瞳から戸惑いも消えない。
第一印象が悪すぎたかしらと青娥が悩んでいると、ついにルーミアは口を開いた。
「お姉さん……」
「あら、お姉さんだなんて嬉しいわ。それで、何かしら?」
ルーミアの方から喋りかけてくれた事と、お姉さんと呼ばれた事に気を良くして、青娥はにっこりスマイルで答えた。
ルーミアは、恐る恐る言葉を続ける。
「お姉さん…お姉さんはどうして頭に二つもドーナツをつけてるの?」
「!!?」
青娥は愕然とした。
そして、青娥の隣にいた芳香は目を煌めかせた。
「おお! 青娥の頭のそれはドーナツだったのか!? いただきます!」
「あ、こら芳香! 貴女が齧りついたら洒落にならないでしょ! やめなさい、やめなさいってば! にゃんにゃん的な感じになら食べられてもいいけどそれは駄目!」
ルーミアの思いがけない一言に、これまた思いがけない混乱が生じてしまった。
数分後、ようやく芳香を宥めた青娥は、涎でやや濡れてしまった自身の頭を指差しながらルーミアに対してぷんぷん怒っていた。
「これは髪の毛! 髪型! お洒落! 断じてドーナツなんかじゃないの!」
「そーなのかー」
「もう、本当に分かっているのかしら。とにかくこれはドーナツじゃないから、二度と間違えないで頂戴。芳香もね」
「おー」
「はあ…」
思わずため息も出てしまう。
芳香の頭が弱いのはいつものことなので青娥も特に気にしないが、両手を広げているこのルーミアという少女もなかなかに手強い。
芳香二人分を相手にしている気分だ。
「ともあれ、ここは近付いちゃいけない場所なの。悪いけど、帰ってくれないかしら?」
「芳香もそんな事言ってたね。別にいいよ、わたしは適当にぶらついてるだけだから」
「あら、意外に聞きわけがいいのね。嬉しいわ」
「そーなのかー」
「ふふ、貴女さっきからそればっかりね」
何度聞いても気が抜けてしまうその返事に青娥もついつい苦笑いしてしまう。
しかしそれでも、何もかもを適当に聞き流しているわけでは無さそうなので一安心。
「なあなあ青娥ぁ」
「どうしたの芳香?」
胸を撫で下ろす青娥の羽衣を、後ろから芳香がくいくいと引っ張った。
青娥が振り返ると、芳香はとても疲れ、そして物欲しそうな顔をしていた。
「力が出ないー……」
「あら、もうエネルギー切れかしら。困ったわね、辺りに丁度いい神霊も見当たらないし、あの手しかないわね」
「芳香どーしたの? お腹空いたの?」
ルーミアが心配そうに眺めていると、青娥は何も答えず、そっと芳香を抱き寄せて顔を近付けた。
そして
「ちゅ…ちゅ…んちゅ…んん……ん…」
「ん…んあ…んふ…んんあ……ああ…」
人目も憚らず、熱い口付け。
多くの人が目をそらすであろうその光景を、ルーミアは始終見ていた。
目をそらすほど、ルーミアはその意味を理解してはいなかったのである。
「ちゅ…ん…ふぅ……はい、お終い」
「んん…あ…おお……ふっかーつ!」
重ねていた唇を離し、先ほどまで疲れた表情だった芳香は一気に元気になった。
その様子に、ルーミアはビックリする。
「わー何で? どうして芳香元気になったの? お腹空いてたんじゃないの?」
「ふふふ、貴女にはまだ早いかもね。そうね、しいて言うなら、わたしの愛を注ぎ込んでお腹を膨らませてあげたってところかしら」
意地悪そうな笑顔で、青娥はルーミアにそう説明した。
そしてその笑みを一層妖しげにして、二言三言つけ足した。
「このお腹の膨らませ方はね、愛する大好きな相手としなきゃ意味が無いのよ」
「おーそーなのかー!」
青娥の言葉に素直に反応を返すルーミア。その素直さが、青娥にはとても面白かった。
それだけに名残惜しいが、青娥はルーミアにこの場を立ち去るよう諭す。
「さ、そろそろお帰りなさいな。さっきも言ったけどここは近付いちゃいけない場所なのよ」
「ああそっか、そうだったね。じゃあねお姉さん。芳香もバイバイ!」
「はい、さようなら」
「おー帰るのか。じゃあなー!」
ルーミアは空に浮かび上がって、青娥と芳香に手を振る。
青娥も手を振り返し、芳香は手を振ることはできないが、にっこり笑顔を返した。
すると、ルーミアの周りに突如として闇が現れ、姿が見えなくなってしまった。
「あら、あの子闇の妖怪だったのかしら。これは驚いた」
能天気なあの笑顔からは想像もつかない能力に青娥は少し驚いた。
しかし、芳香の方はもっと驚いているようだった。
「あ、あいつー! あの黒い球ー!」
「何言ってるの芳香。あの子はルーミアちゃんでしょ?」
「ルーミアはいい奴だ! 黒い球は怪しい奴だ!」
「もう、本当に困ったさんだこと」
ルーミアと黒い球の区別が付いていない様子の芳香に、青娥は苦笑しながら頭をぽんぽんと撫でていた。
~後日~
「ねえ魔理沙~」
「うん? どうしたルーミ…んん!?」
「んあ……おお、ちょっとお腹膨れたかも」
「んう……ル、ルーミア、いきなり何を!?」
「大好きな人とこうするとお腹が膨れるって教えてもらった」
「なっ……い、一体誰に!?」
「えーっとね、青いドーナツ頭のお姉さん」
「青い? ドーナツ頭? ……あの邪仙、ルーミアに一体何を吹き込んで……!?」
青娥の何気ない悪戯は、思わぬところで影響を及ぼしていたのであった。
.
宮古芳香は、両手を前へ突き出した独特のポーズで墓場を歩き回っていた。
大きく声を出し、張り切って見回りをする。不審な輩がいないかどうか、曲がりにくい首をどうにか動かして探す。
「こっちもいじょーなーし!」
キョンシーである彼女にとって、主への服従こそがすべてであり、存在意義そのもの。
主の命に従って番をするこの時間こそ、芳香の最も充実した時間なのだ。
「いじょーなー……お?」
せっせと歩きまわっていたら、奇妙な塊を見つけた。
宙にふわふわと浮かんだ、真っ黒な謎の物体。ゆっくりとこっちへ近付いてくる。
「……いじょーあーり!」
そう言うと芳香は、謎の物体の方へ体の正面を向けた。
近付いてくる怪しいものは全て撃退せよ。それが主の命令なのだ。
息を吸い込んで、勢いよく声を上げる。
「ちーかよーるなああぁ!?」
ゴツンッ!
そんな音がして、芳香はその場に背中から倒れこんでしまった。
威勢良く声を上げたものの、謎の黒い物体は聞く耳持たず真っ直ぐつっこんできたのだ。そして正面衝突。
「うおおお起き上がれないー!?」
死体故に体は硬く、関節はろくに曲がらない。主からは柔軟体操をすすめられているのだが、一向に効果はあがっていない。
必死に踏ん張って体を起き上がらせようとする芳香ではあるが、努力は実を結ばなかった。
「た、助けてー!」
じたばたしながら助けを求める。しかしどうにもならない。
芳香は次第に諦めムードになってきてしまった。
「もう駄目だぁ…お終いだぁ……」
役目も果たせず自分はこんなところで朽ち果ててしまうのか。ああ、最後にもう一度だけあの人に会いたかったなあ。
そんな感傷に浸っていたまさにそのとき、救いの手は差し伸べられた。
「大丈夫?」
「おお?」
誰かの声が聞こえたと思ったら、芳香はくいっと手を引っ張られて、起き上がらせてもらった。
驚きと喜びが混在する芳香の目の前に立っていたのは、自分よりも背の低い、黒い服を着た金髪の小さな女の子。
「お前が助けてくれたのか?」
「そうだよー」
芳香が聞くと、女の子はにこっと笑って答えた。
その無邪気な様に芳香も安心して、にこりと笑い返す。
「ありがとなー」
「どういたしましてー」
関節が曲がらないため頭を下げてお礼を言うことはできないが、女の子はそんな事気にするでも無かった。
お互い少し間のびした言葉を交わしたところで、芳香はハッと思い出した。
「そういえば怪しい奴見かけなかったか? そいつのせいでわたしはひどい目に遭った」
「怪しい奴? んーわたしは何にも見てないよ。気付いたら目の前で倒れてたから起き上がらせただけ」
「そーなのかー」
「そーなのだー」
怪しい奴を見かけたら追い返さなくてはならない。しかしさっきの黒い物体はもうどこかへ行ってしまったらしい。仕事を果たしきる事ができず、芳香はがっかりする。
ちなみに目の前の少女は芳香にとって恩人であるので、芳香の脳内の怪しい奴リストから完全に外されている。
「おお、そういえば自己紹介がまだだった。わたしは宮古芳香、よろしくな」
「わたしはルーミアだよ。れっきとした妖怪なのだ」
仲良く自己紹介しあう。
実を言えば、芳香の見た怪しい奴の正体がルーミアであるのだが、芳香は全く気づかない。
ルーミアもルーミアで、怪しい奴とは自分の事であると分かっていない。いつもの暗闇散歩で何かにぶつかって、闇を解いたら芳香が倒れていただけなのだ。
しかし二人ともそんなことはどうでもよかった。
「ルーミアはこんなところで何してたんだ? ここにはあんまり近付いたら駄目なんだぞ」
「へーそーなのかー。わたしは気ままにぶらぶらしてただけなんだけどなあ」
「駄目なのだ。駄目なものは駄目なのだ。だからわたしは見回りをしているのだ」
「じゃあわたしも帰った方がいい?」
「いや、ルーミアは恩人だから特別だ。怪しい奴以外は追い返さなくても大丈夫だ」
芳香の隣にルーミアがついて、歩きながら話をする。テンポが合うのか会話も弾んだ。
実に楽しいひと時なのだが、双方気になる事もあった。聞いてもいいのか悪いのか、なかなか判断がつかない。
少しだけ沈黙した後、思い切って聞くことにした。
「なあ、どうして両手を横に広げてるんだ? 歩きにくくないか?」
「ねえ、どうして両手を前に出してるの? 歩きにくくないの?」
二人揃って奇妙なポーズ。自分の事は棚にあげて、相手につっこみをいれる。
「聖者は十字架に磔にされましたって言ってるように見える?」
「わたしは体が硬いから、これ以上曲がらないんだ」
「「そーなのかー」」
波長が合っているか合っていないのか、お互い勝手に答えて、勝手に納得しあう。
ただ一つ確実に言えるのは、二人とも何も考えていないのである。
「お腹空いたなー。でも芳香は食べてもあんまりおいしくなさそうだなー」
「んーわたしは食べられるより食べる方が好きだなー」
「わたしも食べる方が好きだなー。お肉大好きー」
「肉かー。肉は美味いなー。でもわたしは何でも食べるぞー。神霊だって食べるぞー」
「そーなのかー。好き嫌いが無くってすごいなー」
「すごいだろー。えっへん!」
噛み合っているようで噛み合っていない、少し噛み合っている会話。
どこまでも能天気な二人の織り成す、ある意味奇跡的なやり取りである。
「ねえ芳香。さっきから気になってたんだけど、その紙っきれ邪魔じゃない?」
不意に、ルーミアが芳香の額にあるお札を指差してそう言った。
芳香も、んー、と唸ってから
「そう言えば邪魔だなー。たまに前が見えなくなる」
「前が見えないまま歩くなんてお馬鹿さんのすることだよ。取ってあげるね」
再びルーミアは自分の事を棚に上げ、そして芳香もお札の意味を忘れてしまってしまう。
手を伸ばしたルーミアは、そっと芳香の額に貼られたお札を触ろうとした。
「そんなことしちゃ、駄目よ」
「うひゃあ!?」
どこか艶やかな第三者の声に、ルーミアは驚き悲鳴を上げた。
意表を突かれた突然の声というのもそうであるが、ルーミアが特に驚いたのはその声の主の現れ方。
「お、お墓から人が出てきた……」
「あら、驚かせちゃったみたいね」
唖然とするルーミアの前には、墓石から上半身だけ体を出した青い髪の女性。
浮かべた笑みは無邪気そうでありながらどこか妖艶で、ルーミアにしてみれば少し気味が悪い。
だが一方、芳香はまるで子犬のように目を輝かせ、墓石から上半身だけ現れた女性に飛びついた。
「青娥! 青娥!」
「うふふ、よしよし。わたしの可愛い芳香」
青娥と呼ばれた女性は、墓石から上半身だけ出したまま芳香を抱きとめて、すり寄せてくる頭を撫でた。
その様子をルーミアはぼーっと見ているしかなかったのだが、しばらくすると青娥は撫でるのをやめて、厳しい顔をしながら芳香とルーミアの顔を交互に見た。
「駄目じゃない芳香、怪しいものは全て追い払いなさいって言ったでしょ? あまつさえお札まで取られそうになるなんて」
「ご、ごめんなさい…でもルーミアは怪しい奴じゃないぞ、起き上がれなくなったわたしを助けてくれたいい奴だぞ!」
「あら、そうなの?」
叱られて少ししょげながらも、芳香はルーミアの弁護をする。
それを聞いて、意外だったのか青娥は驚いたような顔ぶりをしてルーミアの方を見た。
ルーミアは何も言わず、コクンと一度だけ頷いた。
「あらあら、うちの芳香が迷惑かけちゃったみたいね。ごめんなさい、それとありがとう」
にこやかな顔でお礼を言ってから、青娥は顔を再び厳しい表情に戻して芳香の方へ向けた。
「それでも、お札を取られちゃだめでしょ。次からは気をつける事。いい?」
「はい…ごめんなさい……」
「貴女だってそのお札は取っちゃいけないんでしょ? だったら他人のお札も取っちゃ駄目よ」
「……へ?」
「あら、もしかして自分のお札の事を知らないのかしら?」
芳香を叱った後、ルーミアの事も叱る青娥。だがルーミア自身が何の事かよく理解していない。
青娥はルーミアの頭のリボンがお札である事を即座に見抜いたが、どうやら肝心のルーミアがお札の事を分かっていないようだ。
まあそれならそれでいいか、と青娥は一人結論付ける。さほど興味のある話でもない。
むしろ気になるのは、先ほどから自分のことを見る少女の紅い瞳に戸惑いが色濃く出ている事。
「ああそうか、こんな格好じゃ驚くのも無理ないか」
自分の姿を見て合点がいった。
よくよく考えてみれば、ルーミアから見て青娥は墓石から上半身だけ出ている状態。
本当は壁抜けの力を使って墓石をすり抜けているだけなのだが、ルーミアは前からしか見ていないので、まるで墓石の中から出てきたように思われただろう。
墓の中から上半身だけ現れる女。誰の目から見ても不気味である。
「芳香、ちょっと離れててね」
「ん。おー」
芳香に言いつけて、それから青娥は、できるだけ柔和な顔をルーミアの方へ向けた。
「ルーミアちゃん、と言ったかしら。別にわたしはお墓から出てきたわけじゃないの。壁抜けの力があるだけなのよ。ほらっ!」
かけ声を上げると同時に、青娥は下半身もすり抜けた。
地に足を降ろし、全身をルーミアに披露する。
「ほら、これで怖くないでしょ?」
「………」
「……あら?」
青娥の意に反して、ルーミアは相変わらず黙ったまま。瞳から戸惑いも消えない。
第一印象が悪すぎたかしらと青娥が悩んでいると、ついにルーミアは口を開いた。
「お姉さん……」
「あら、お姉さんだなんて嬉しいわ。それで、何かしら?」
ルーミアの方から喋りかけてくれた事と、お姉さんと呼ばれた事に気を良くして、青娥はにっこりスマイルで答えた。
ルーミアは、恐る恐る言葉を続ける。
「お姉さん…お姉さんはどうして頭に二つもドーナツをつけてるの?」
「!!?」
青娥は愕然とした。
そして、青娥の隣にいた芳香は目を煌めかせた。
「おお! 青娥の頭のそれはドーナツだったのか!? いただきます!」
「あ、こら芳香! 貴女が齧りついたら洒落にならないでしょ! やめなさい、やめなさいってば! にゃんにゃん的な感じになら食べられてもいいけどそれは駄目!」
ルーミアの思いがけない一言に、これまた思いがけない混乱が生じてしまった。
数分後、ようやく芳香を宥めた青娥は、涎でやや濡れてしまった自身の頭を指差しながらルーミアに対してぷんぷん怒っていた。
「これは髪の毛! 髪型! お洒落! 断じてドーナツなんかじゃないの!」
「そーなのかー」
「もう、本当に分かっているのかしら。とにかくこれはドーナツじゃないから、二度と間違えないで頂戴。芳香もね」
「おー」
「はあ…」
思わずため息も出てしまう。
芳香の頭が弱いのはいつものことなので青娥も特に気にしないが、両手を広げているこのルーミアという少女もなかなかに手強い。
芳香二人分を相手にしている気分だ。
「ともあれ、ここは近付いちゃいけない場所なの。悪いけど、帰ってくれないかしら?」
「芳香もそんな事言ってたね。別にいいよ、わたしは適当にぶらついてるだけだから」
「あら、意外に聞きわけがいいのね。嬉しいわ」
「そーなのかー」
「ふふ、貴女さっきからそればっかりね」
何度聞いても気が抜けてしまうその返事に青娥もついつい苦笑いしてしまう。
しかしそれでも、何もかもを適当に聞き流しているわけでは無さそうなので一安心。
「なあなあ青娥ぁ」
「どうしたの芳香?」
胸を撫で下ろす青娥の羽衣を、後ろから芳香がくいくいと引っ張った。
青娥が振り返ると、芳香はとても疲れ、そして物欲しそうな顔をしていた。
「力が出ないー……」
「あら、もうエネルギー切れかしら。困ったわね、辺りに丁度いい神霊も見当たらないし、あの手しかないわね」
「芳香どーしたの? お腹空いたの?」
ルーミアが心配そうに眺めていると、青娥は何も答えず、そっと芳香を抱き寄せて顔を近付けた。
そして
「ちゅ…ちゅ…んちゅ…んん……ん…」
「ん…んあ…んふ…んんあ……ああ…」
人目も憚らず、熱い口付け。
多くの人が目をそらすであろうその光景を、ルーミアは始終見ていた。
目をそらすほど、ルーミアはその意味を理解してはいなかったのである。
「ちゅ…ん…ふぅ……はい、お終い」
「んん…あ…おお……ふっかーつ!」
重ねていた唇を離し、先ほどまで疲れた表情だった芳香は一気に元気になった。
その様子に、ルーミアはビックリする。
「わー何で? どうして芳香元気になったの? お腹空いてたんじゃないの?」
「ふふふ、貴女にはまだ早いかもね。そうね、しいて言うなら、わたしの愛を注ぎ込んでお腹を膨らませてあげたってところかしら」
意地悪そうな笑顔で、青娥はルーミアにそう説明した。
そしてその笑みを一層妖しげにして、二言三言つけ足した。
「このお腹の膨らませ方はね、愛する大好きな相手としなきゃ意味が無いのよ」
「おーそーなのかー!」
青娥の言葉に素直に反応を返すルーミア。その素直さが、青娥にはとても面白かった。
それだけに名残惜しいが、青娥はルーミアにこの場を立ち去るよう諭す。
「さ、そろそろお帰りなさいな。さっきも言ったけどここは近付いちゃいけない場所なのよ」
「ああそっか、そうだったね。じゃあねお姉さん。芳香もバイバイ!」
「はい、さようなら」
「おー帰るのか。じゃあなー!」
ルーミアは空に浮かび上がって、青娥と芳香に手を振る。
青娥も手を振り返し、芳香は手を振ることはできないが、にっこり笑顔を返した。
すると、ルーミアの周りに突如として闇が現れ、姿が見えなくなってしまった。
「あら、あの子闇の妖怪だったのかしら。これは驚いた」
能天気なあの笑顔からは想像もつかない能力に青娥は少し驚いた。
しかし、芳香の方はもっと驚いているようだった。
「あ、あいつー! あの黒い球ー!」
「何言ってるの芳香。あの子はルーミアちゃんでしょ?」
「ルーミアはいい奴だ! 黒い球は怪しい奴だ!」
「もう、本当に困ったさんだこと」
ルーミアと黒い球の区別が付いていない様子の芳香に、青娥は苦笑しながら頭をぽんぽんと撫でていた。
~後日~
「ねえ魔理沙~」
「うん? どうしたルーミ…んん!?」
「んあ……おお、ちょっとお腹膨れたかも」
「んう……ル、ルーミア、いきなり何を!?」
「大好きな人とこうするとお腹が膨れるって教えてもらった」
「なっ……い、一体誰に!?」
「えーっとね、青いドーナツ頭のお姉さん」
「青い? ドーナツ頭? ……あの邪仙、ルーミアに一体何を吹き込んで……!?」
青娥の何気ない悪戯は、思わぬところで影響を及ぼしていたのであった。
.
穏やかで良かったです
青娥さんの頭のわっかに、神子さんのとんがりを入れるというアイデアを以前どこかで聞きました。H!
あとえっちいですよ青娥さん!
不必要なルーマリが突っ込みどころとしてむしろ面白いとかじつに手強い作品。
もう少し話を転がしてくれてもよかった
そしてルーマリだとッ!?……許せるッ!
ルーミアと芳香、会話が成り立たないことが会話な二人がかわいかったです。
そしてオチw