時計の針が12時を差した。だらだらとベッドの上で漫画を読んでいた私はそれをぼんやりと眺める。
そこに唐突に湧き上がる一つの欲望。
「カップ麺食べたい……」
はっと頭を振ってそんな考えを追いだそうとするが時既に時間切れ。
一度思ってしまったその欲は脳に根を張り枯れることはない。
ああ、駄目よ早苗。ここでそんなジャンクフードなんて食べたら乙女の健康的にも体重的にもデンジャラス。
けど、食べたい食べたい麺を満足するまで啜りたい。熱いスープを飲み干したい。
一回くらいなら……しかしその一回が危険……どうする、どうする……。
ごろごろとベッドを転がり逡巡すること数分間。悩んで悩んで出した結論は、
「我慢するのは健康に良く無いですよねっ」
夜中にジャンクフードを食べるほうが良くないなんて意見は聞こえない。
そうとも、食べたい時に食べたいものを食べるのが現代っ子というものだ。
決心したならすぐ行動。スタイリッシュにベッドから転がるように離脱、体勢を立て直し静かにドアを開く。左右を確認。うん、神奈子様も諏訪子様も部屋にいるようだ。
見つかるとぐちぐち小言を言われることになるだろうし、ここは迅速かつ粛々と行動するべきだろう。
台所まで続く廊下を忍び足で移動。台所の明かりがついていないことを確認し、室内に体を滑り込ませる。部屋の明かりをつけ、目的の戸棚を開ける。
「あったあった……」
雑多なものが積まれている中に、1つだけ鎮座している発泡スチロール製の容器はなんだか神々しく見えた。
大げさっぽくはあるけれど、これは私が外の世界から持ち込んだ最後のカップ麺なのだ。幻想郷でカップ麺を手に入れようと思ったら、紫さんに頼むか香霖堂で割高のものを買うしか入手ルートはない。
それを今日ここで食べるのだ。少しばかり特別に見えても仕方ない。ただ単にお腹が空いてるだけの気もしたが気のせい。
まぁ、そんなことはどうだっていいんです。今はこのカップ麺を美味しくいただきましょう。
薄い包装ビニールを破って、べりっと蓋を半分まではがし、自然と漏れる鼻歌と一緒にお湯を注いでいく。めくれる口をシールで閉じる。
後は3分間待つだけ。これでおいしいヌードルが出来るなんて素晴らしい。神様ありがとうございます。あ、神様は私だった、てへっ。
割り箸も持って準備完了。さて、見つからないうちに部屋に戻りましょう。
台所の明かりを消して、静かに部屋に戻る。後ろ手にドアを閉めてほっと一息。さあ、後は3分待つだけ。
小さなテーブルにカップ麺を置き、座布団の上に座る。じっと時計を睨むように見つめる。
この東風谷早苗、漫画を読んでいて3分経ったことに気が付かない、なんて愚は犯しません。しっかりと時計も見るしカウントもします。
カップの上に割り箸を置いて、そこではたと気がつく。
「っと、ごま油と醤油を忘れてました」
そのままの濃い味もいいのだけど、ごま油と醤油を入れた和風でさっぱり味もなかなかのもの。ちゃっちゃと取りに行きましょう。
私は立ち上がり、部屋を後にする。ついでに部屋に匂いがこもらないように窓を少し開けておく。カップ麺を置いていくことに不安を覚えたけれど、さすがに過ぎた心配ですね。
まさか、私の部屋に不法侵入するようなマヌケはいないでしょうし。
◇
ごちゃごちゃと物の置かれた台所での捜索はちょいと手間取りましたが、無事にごま油と醤油を確保した私は凱旋する気分で自室に向かっていました。
今から味が楽しみで仕方がないって感じです。ずるずると麺をすすって熱いスープを飲み干す。アクセントはごま油と醤油を少し。ああ、なんて楽しみ。
そんなことを考えなら私は自室のドアノブに手をかけ、一気に開く。ここが私のヘブンズ・ドアーだ!
意味不明なノリですが、誰だって深夜の夜食を前にすればこれくらいのテンションに
「ずずっ……ぐすっ……おいしい……」
貴様。
「ずずずっ……はぁ、幸せ……あっ」
貴
様。
「さ、早苗!? これはそのあのさ、冷めたら美味しくなくなるからその前に食べてあげようと思ったわけで別に3日間何も食べてなくてご飯を恵んでもらおうと思って早苗の部屋に忍びこもうとしたらこれが美味しそうでつい手を出しちゃったとかそういうわけじゃないんだよ! だからその人を数十回は殺せそうな目をヤメテ!」
なにやらぐたぐたと言い訳を並べる哀れな唐傘妖怪に、ずいっと一歩歩み寄る。
何が哀れって、これから天に召されることになるから
「いやいやいやいや!? その目で言うと冗談に聞こえないからやめてください! ごめん早苗っ! 本当にごめんってばぁ!」
涙目で必死に謝る小傘ちゃん。今にも土下座までしそうな勢いだ。
「……本当に反省してますか」
「してる! すっごいした!」
「3日間何も食べてないのは本当ですか」
「ほ、本当! 誰も驚いてくれないんだ! だからお腹がすいて……」
「カップ麺は美味しかったですか」
「お、美味しかったです……あ、あの早苗。まだ半分あるから……その、許してください……」
次の瞬間には泣き出しそうな目、不安に震える肩、上ずった声。子犬のような彼女に思わず溜息が漏れた。
ずるいなぁ、そんな顔しちゃってさ。これじゃ、私が悪いみたいじゃないですか。これで怒鳴りつけられる奴が何処にいるんでしょうかって話です。実は狙ってやってるんじゃないんですかね。
私はもう一度ため息をつくと、彼女に向かって手を伸ばす。叩かれるかと思ったのか、小傘ちゃんは怯えるようにびくりと体を震わせる。
「今回だけですよ?」
伸ばした手は彼女の頭をやさしく撫でる。薄い空色の髪は雲みたいに柔らかくて、抵抗することなく梳かれていった。
「……え?」
呆けた返事を返す小傘ちゃんに、肩をすくめた私はもう一度繰り返す。
「だから、許すって言ってるんです。もうそれも全部食べちゃっていいですよ」
「ほ、ホント!? 許してくれるの!?」
「言ってるでしょ。何度も言わせないでくださいってば。気が変わるかもしれないんですから」
「ありがとう!」
冗談めかした私の言葉に、とびっきりの笑顔で小傘ちゃんは応えてくれた。が、それも束の間、すぐに麺をすする作業に戻ってしまった。よっぽどおなかが空いていたみたいです。
うー……けど、ちょっともったいなかったかなぁ。小腹空いている時に目の前で美味しそうに食べられるとなぁ。けど、すごい嬉しそうだし……まぁ、いいか。笑顔はプライスレスです。
「ごちそうさま!」
って、もう食べ終わったんですか。早い、早いよ小傘さん。
小傘ちゃんは恍惚の表情を浮かべて満足げに息を吐く。幸せそうですね。
「幸せだよー。だっておいしいもの食べたんだもの。幸せに決まってるよ」
「わかりやすい人ですね」
「いーじゃん。おいしいもの食べて日向でまどろんで気ままに過ごして、それが楽しいんだから」
「妖怪の本分はいいんですか?」
人は妖怪を恐れ、妖怪は人を襲う。
たとえ演技であっても、それが人と妖怪の関係である。霊夢さんはそう言っていました。
「んー?」
私がそう言うと、小傘ちゃんは考えるように天井を仰ぎ、秒針が半回転する間中うなり続けてしまった。
えっと、あの。まさか忘れたってことはないですよね? いくらなんでもそれはないですよね?
「あ、そうだ! おどろけー!」
取って付けたような本分をありがとうございます。というか、今の今まで忘れてましたよねその反応?
「そ、そんなことないよ?」
「自分でも自信ないじゃないですか」
「うー……それでもさー、私は今が幸せなんだもん。捨て傘からここまでランク上げたんだから、偉いと思わない?」
「それは、まぁ」
傘としての幸福は得られなかったけれど、妖怪の生活を心底楽しんでる彼女は健気だと思うし、偉いとは思う。
「でしょでしょ? ほら、だからもっと私を褒めるべき」
「はいはいそうですね」
生返事で応えて頭をぐしぐし撫でてやる。小傘ちゃんは満足そうに鼻を鳴らした。
けど、なんだかなぁ。そんなんでいいのか妖怪。いや、私は仕事減るから楽でいいんですけど、もっと妖怪らしく……あーそもそも幻想郷に妖怪らしい妖怪なんていなかった気がしてきた。誰も彼もが好き勝手に生きているだけだもの。妖怪らしくある妖怪も、そう在ろうとしているのではなく、ただ自分がそうしたいからそうしているだけだろうし。
「だって生きるなら楽しい方がいいんだし。どうせ人生なんて一炊の夢に過ぎないなら骨の髄まで味わうべきだって。それはあり得ないことしれないけど、あり得ないことがあり得るのが幻想郷なんだからさ」
うん私いいこと言った、と小傘ちゃんは歯を見せて笑う。
「――――」
思わず息を呑む。
捨てられた傘であり、人に復讐するために付喪神になっても人生は楽しむものだと言い切った彼女の強さに驚いた――わけではなく。
「っく、くく。ふふ……」
「あー!? なんで人がいいこと言ってるのに笑うのさー!」
私の反応にご立腹なのか、小傘ちゃんは頭突きをするみたいに顔を近づけてくる。そんなに顔を近づけたら余計に……!
たまらず私は吹き出して声を上げて笑ってしまう。そんな私に、小傘ちゃんは憮然とした表情で睨みながら言う。
「何がそんなにおかしいのさ」
「だって……歯に、ネギつけたまま、そんなこと言うから……っくく」
「――え!?」
小傘ちゃんは私の指摘に表情を一変させ、歯を姿見で確認する。すると、耳まで真っ赤にしたと思ったら部屋を飛び出してしまった。
「……そういうことは早く言ってよ、もう……」
たぶん、洗面所に行ってきたのだろう。戻ってきた小傘ちゃんは肩を消沈させたまま、私の隣に座り込む。
気持ちは乙女としてもわかるんですけど、やっぱり笑っちゃいますってアレは。だから、しょうがないんですはい。
弁明してみるが、非難するような目が返ってくるだけだった。
「いやまあ、偉いと思ってますよ実際。毎日毎日失敗ばっかりでも健気に頑張ってる小傘ちゃんは好きですよ?」
「……そう言えば許されると思ってるでしょ」
「違いますよ。言いたいことを言ってるだけですってば」
「……ホント?」
真意を確かめるように小傘ちゃんと私は見つめ合う。左右異なる色の瞳に射抜かれて、私は『綺麗だな』と思って、恋人同士みたいだなとも思った。
……あ、やば。意識したら急に恥ずかしくなってきた。けど、逸らすわけにもいきませんし……バレてないわけ無いですよね……。
小傘ちゃんもその発想に思い至ったのか、頬を赤く染めて――けれど、視線はそらさずに――独り言のように呟く。
「……じゃあ、もう一回言って」
「……っう、くぅ」
……そう来ましたか。なんかもう恥ずかしいとか言うレベルじゃないですが、ここで引くのはとても負けた気分。言ってやろうじゃないですか!
「毎日毎日失敗ばっかりでしょうもないことばかり頑張っていて妖怪らしさが微塵もなくて……だけど健気に笑っているあなたが……好きですよ」
半ばやけっぱちで言い切る。嘘じゃないんだから恥ずかしがる必要はない、と自分に言い聞かせながら。
他人には見せられないであろう状態の顔で、小傘ちゃんを見据える。これでマヌケな答えを返してきたら、はっ倒してやろうと身構えて、彼女の言葉を待つ。
ゆっくりと、私の言葉を噛み締めるようにしていた彼女は、
「……うん、ありがとう。私もそう言ってくれる早苗が好き」
――ああもう。その笑顔で私はお腹いっぱいですよ。
それはさておき、
笑顔を向けあう二人が可愛いお話でした。
こがさな増えろ~
ご飯ならいくらでも食べさせてあげたい
暖かい笑顔を用意してくれないか?
ですが、こんなに健気で可愛い小傘になら盗られても許せますね
早苗「じゃあ…、カップ麺のかわりに小傘さんを食べさせてください……ね?」→ちゅっちゅ!ちゅっちゅ!
二人が絡むとすごくかわいい。
こがさちゃんかわかわ