寒さ厳しい冬の朝、寒風吹き荒ぶ博麗神社に、仙人の説教が響く。
しばらくぶりに神社を訪れた華扇は、変わらない霊夢の姿に憤り、いつもの調子くどくどと語っていた。
「神社の仕事を真面目に行わないどころか、妖精までまるでしもべの様に扱うその振る舞い。
神職として恥ずかしくないのですか、貴女は!」
「でも、あいつらは雑用くらいしか役に立たないし、神社の事はいつも通り私が全部やっているんだけど」
「それとこれとは別問題です! 妖怪退治のご利益の有る神社が妖精を使役するなんて、もっての外です!」
華扇は、朝方にもかかわらず生き生きとした顔で霊夢を叱り付ける。
ヤマビコもかくや、とばかりの声に耐え兼ね、霊夢はもう一つの問題を切り出した。
「そういえば、華仙」
「何ですか?」
挙手して発言する霊夢に、華扇は説教を中断し霊夢の意見を聞きに入る。
「妖精達に聞いたんだけど、ヤマイヌの一件を何とかしたのって、華仙なんだって?」
「ええ、私が見つけて何とかしておいたので、もう大丈夫でしょう」
「どうやって?」
「それはですね――」
華扇は、ヤマイヌを見付け諭したこと、ヤマイヌは今後送り犬として人の役に立てるようになったという事。
霊夢にを分かり易いように注釈を加えながら、長々と説明する。
「ふーん……」
華扇の話を聞いて、霊夢は何か考えるように顔を伏せた。
そして、神社の中の方に目を向けて、面倒臭そうに華扇を呼ぶ。
「それじゃあ、あいつも諭してあげてくれない?」
「何かしら」
ちょいちょいと手をこまねき、障子の中を見る様に華扇を誘う霊夢。
僅かに開いていただけの障子を華扇が開くと、もぞもぞと動く布団が一組、部屋の真ん中に敷かれていた。
左右からはみ出ている黒い羽毛が、布団の揺れに合わせてゆるやかにはためく。
「あれは……?」
「鴉天狗よ。最近やたらとここに居座るようになって、面倒なのよ」
呆れたようにぼやいて、霊夢はこぶし大の陰陽玉を布団に向かって投げ込む。
軽く放り投げられただけのそれは、柔らかいはずの布団の山にぶつかり、鈍い音を立てた。
「――――――!!?」
同時に、悲鳴の様な声が上がり布団が弾け飛ぶ。
白黒の弾の様な物が飛び出して、綺麗な放物線を描き霊夢の目の前で急停止した。
「何するんですか霊夢さん! 布団越しなのに痛いじゃないですか!
せっかく私が羽を広げてまで霊夢さんの事を温めてあげたのに、あんまりです!」
「とまぁ、こんな調子なのよ。掃除とかしている時もこんな感じだから、邪魔でしかたないわ」
「ええー……」
飛び出た白黒、射命丸文は、涙目で文句を口走りつつも、身体はしっかり霊夢に密着させている。
その様子を見て察したらしく、華扇は霊夢に倣って面倒くさそうに頭を抱えた。
「痛いです酷いです、霊夢さんが癒してくれなきゃいやです」
「ああもう、鬱陶しいわねこの……!」
「うん……?」
しがみついてくる文の羽を掴み、引き剥がそうとする霊夢。
その間も文は小鳥の様に霊夢に身体を寄せて、嘘か本当か分からない涙を流している。
「霊夢、貴方が無理矢理離れようとするから、相手もそれに反発するんです。
今だけでも我慢して、相手が満足するまで構ってあげれば、自然と離れてくれますよ」
「そ、そうかなあ……」
「試してみれば分かりますよ」
華扇に言われて、霊夢は渋々文の背中に手を回して、ばさばさ揺れ動く羽の付け根を優しく撫でた。
途端、羽がへなへなと力無くしな垂れて、文の顔が快感に蕩けた。
「あやゃぁ……ん……」
霊夢に弱い所をなでなでされて、猫の様に甘い声を漏らす文。
そうして霊夢が改めて試してみると、驚くほど簡単に文の身体が離れて行った。
「おおっ」
「『押して駄目なら引いてみる』という事よ、意外と馬鹿に出来ない時も有るから、覚えておくべきね」
力の抜けた文を膝枕して、なだめる霊夢。
「それで、何とかして欲しいというのは、その鴉天狗の事?」
「ええ、いつもこんな風に引っ付いてきて、鬱陶しいったらありゃしないわ」
今の文を見て華扇は、鴉天狗らしさは殆ど感じられなかった。
華扇は、文と霊夢を交互に見ながらしばらく考え込み、
「分かりました、試しに私が何とかしてみましょう」
手を天にかざして、華扇は答えた。
「本当!?」
「はい。ただし、鴉天狗なので効果が有るかどうかまでは保証しませんが」
出来なくても恨まないで下さい、と釘を刺す華扇。
霊夢はそれを喜んで了承し、子猫の様に丸まっていた文を華扇に突き出す。
「それでは、霊夢はちょっと席を外してもらえますか?」
「良いけど、何するの?」
「変な事はしません。ただ、二人きりの方がいろいろとやりやすいのです」
「ふーん」
華扇にそう言われ、霊夢は面倒臭そうに部屋を出て行った。
「――さて」
霊夢が居なくなり、それによって我に返った文の目の前で、何やら華扇が準備を進めている。
「ええと……華仙さん、でしたっけ?」
「はい」
「一体、何をなさっているのでしょう」
じゃらじゃらと金属質の音を立てる華扇の後ろ姿に、えもいえぬ不安を感じる文。
「お説教の準備です」
にこやかな笑顔を向けられて、文はもう、何も言い返せなかった。
華扇は霊夢の所に出てきたのは、二人が部屋に籠ってから数時間経った昼過ぎの事だった。
「あ、どうだった?」
「正直な所上手くいくとは思ってませんでしたが、何とかなりました」
得意げに鼻を鳴らす華扇と、その後ろでにこやかに立っている文。
あちこち服に乱れが出ている事に、霊夢は気付かなかった。
「……文?」
「はい、何でしょう」
手帳を片手に、いつも通りの口調で文は答える。
「えっと……これ、どうなったの?」
「道を踏み外しそうな新聞記者さんを、正しい道へ諭しただけです」
「だから、それって何がどうなったの?」
霊夢が何度聞いても、華扇はにこにこと笑っているだけで、肝心な部分は話そうとしない。
しかし、朝にあれだけ霊夢にくっついていた文が何もしてこない所を見ると、華扇のしたことの効果は出ているようだった。
「ああそうだ、せっかくですので霊夢さんと一緒に華仙さんの取材もさせてもらえませんか?」
手帳とペンを構えて、目を輝かせる文。
「すみませんが、私の事は記事にしないでもらえると助かります」
「む……そう言われると余計に気になりますね」
霊夢も驚くほど、文はいつも通りだった。
「それでは、私は一度帰ります。夜頃にまた様子を見に来ますので」
未知の取材相手に興奮している文をなだめて、華扇は部屋を出て行く。
「あー……行っちゃいましたか」
文は少し惜しそうに肩を落として、
「行ってしまっては仕方ありません、今日はゆっくりと神社の取材でもしましょう」
手帳に走り書きをして、霊夢の方を振り向く。
その様子を、霊夢は口をぽかんと開けたまま見ていた。
「…………」
どうにも落ち着かない。
黙々と掃除を進めながら、霊夢はずっと気にしていた。
「♪」
縁側に座ってカメラを持ち、文はじっと待っていた。
時々手帳に何かを書き込みながら、キョロキョロと忙しなく辺りを探している。
「ねえ、文」
見ている、だけ。
「何でしょうか?」
「その……何してんの?」
「取材ですが」
「それはそうなんだけど……」
普段の文は、霊夢の行動を邪魔する寸前の辺りで絡んで来るのが常だった。
それが今では、まるで霊夢の事もただの取材相手だとしか思って居ない様に。
「んー」
何を思ったか、霊夢は文の所まで歩いて行く。
「あ、あやや……何でしょうか、そんなに近寄って。私の顔が何かしましたか?」
霊夢は文の目の前三尺まで近寄り、その赤い瞳をじっと覗き込む。
それでも尚、文は平静のままで、霊夢と目を合わせていた。
「してるわ」
「顔が!?」
二人の距離が二尺、一尺と縮まるに連れて、文の顔に朱が差していく。
目が泳ぎ、少し後ずさり、今にも逃げ出そうとしているが、床に広がる黒いスカートの上に置かれた霊夢の手が、それを阻んでいる。
「えっと、その、そんなに近寄られるといくら何でも恥ずかしいと言いますか、ちょっとドキドキすると言いますか。
……霊夢さん?」
「良いから黙ってなさい」
「はい……」
観念して、霊夢の為すがままにされる事を覚悟する文。
霊夢の右手がブラウスのリボンに触れると、きゅっと目を閉じて身体を震わせる。
「……」
「れ、れいむ……さん?」
「どうやら、効果は本物の様ね」
ほとんど鼻先が触れ合うような所まで来て、霊夢は文から離れる。
すぐにそっぽを向く霊夢の顔は、文よりも赤く染まっていた。
「えっと……もう、良いんですか?」
「もう好きにして良いわよ」
「記事には?」
「駄目」
「ですよねぇ……」
はあ、と溜息を吐いて、文は走らせていた筆を止める。
今の霊夢の姿を記録に残されることは、非常にまずい。主に霊夢にとって。
「まあ、私が当事者である以上、記事には出来ませんからね。せっかくの面白そうなネタだったのですが」
残念です、と文は本当に残念そうに言う。
しょんぼりと俯く文に軽い罪悪感を覚えて、霊夢は謝罪代わりに文の頭を撫でる。
「……?」
頭巾が落ちるのも構わず、文の黒髪をわしゃわしゃと撫でる。
「……♪」
初めこそ少し落ち着かなさそうだったが、すぐに霊夢の手に身を任せて、ふにゃ、と顔を綻ばせ羽をはためかせる。
小鳥なのは変わらないわね、と霊夢は軽く羽を撫でて、やりかけていた掃除を再開した。
「おーい、遊びに来たぜー!」
木々の上から、白黒の人間が箒に跨り飛んできて、境内に着地した。
「なんだ、今日も居るのか」
「ああ魔理沙さん、こんにちは」
やって来たばかりの魔理沙と楽しそうに話す文。
霊夢は二人を遠目に見ていたが、やがて我に返って、ぎこちなく箒を振るう。
「こ、これでやっと私も落ち着いて仕事が出来るのよ」
そう小さく呟いてみても、霊夢自身以外には聞こえはしない。
もちろん、文も魔理沙も、談笑を続けている。
「でも、これって華仙の説教の効果が出てるって事よね……!」
魔理沙と楽しそうに話す文。
今朝までの霊夢にベタベタな姿は僅かも見えず、初めて霊夢と出会った頃の様な、射命丸文だった。
それはつまり、華扇の説教によって、諭されたという事なのだろう。
「……」
結局、霊夢は日が沈むまで、ずっと浮かない顔をしていた。
「……ねえ、華仙」
その日の夜、霊夢は華扇を部屋に呼んでいた。
「何ですか?」
「え、えっと……その……」
薄暗闇の中で顔を伏せていた為、華扇から霊夢の顔色はうかがえなかったが、妙に歯切れが悪い。
華扇は何も言わず、じっと、霊夢の言葉を聞く姿勢で居た。
「ええと……文の事なんだけど」
「はい」
華扇は、少し嬉しそうに霊夢の言葉を待つ。
深く聞いてこない華扇の姿勢に、霊夢はますます深く面を伏せた。
「やっぱりさ……文、元に戻らないかな」
消えてしまいそうな声で、霊夢はそう言った。
その答えに、満足そうに華扇は頷く。
「分かりました、それも明日までに何とかしておきましょう」
「ほんと!? ……と……う」
一瞬、感情に満ちた声を上げて、すぐに顔を真っ赤にして萎んでいく。
そんな霊夢の変化を、華扇は楽しそうに見つめていた。
華扇に文の事を頼んだ次の朝、霊夢は違和感に気付いて、夜明けと同じ頃に目を覚ました。
「ん、ぅ……」
何かが、霊夢の安眠を妨害している。
一組しかない博麗神社の布団の中で、霊夢の身体に何かが当たっていた。
それは、まるで布団の様に暖かく、羽の様に軽い、羽。
「あや……?」
「お早うございます、霊夢さん」
輝かしい笑顔にめり込む陰陽玉。
白と白黒が同時に布団から弾け飛んで、布団を挟んで対峙する。
「ど、どうしてあんたが私の布団の中に居るのよ!」
「いえ、せっかくなので巫女の一日に密着取材しようかと」
何処から取り出したのか、文は左手に手帳を、右手に団扇を構えて交渉に持ち込む。
痛む鼻柱を扇ぎ、霊夢の反撃を待った。
「……好きにしなさい」
「へ?」
「ただし、お賽銭は入れて行ってもらうわよ」
ばさ、と団扇が畳に落ちる。
文は目を丸くして、巫女装束に着替える霊夢の背中を見た。
黙々と紅白になるその姿に、文は驚きを禁じ得なかった。
その顔が、次第に笑顔に変わって行って、
「――はいっ!」
満面の笑顔で、文は頷いた。
昼も過ぎ、博麗神社を訪れた華扇が見たのは、縁側で午睡を満喫する霊夢と文の姿だった。
暖かそうな羽に包まれて呑気に寝息を立てている霊夢、傍らで膝を抱える様に丸まって羽に包まる文。
周りを見渡してみると、境内は綺麗に掃われ、その他巫女がするべき事が全て綺麗に片付いていた。
「――まったく、やれば出来るじゃないですか」
腐っても巫女は巫女だと、華扇は改めて霊夢の方を見やる。
文と二人、仲良さそうに寄り添い寝顔を晒しているのを見て、
「『押して駄目なら引いてみる』、正に言葉の通りね」
暖かな二人の姿ににまにましながら、華扇は一人呟いた。
しばらくぶりに神社を訪れた華扇は、変わらない霊夢の姿に憤り、いつもの調子くどくどと語っていた。
「神社の仕事を真面目に行わないどころか、妖精までまるでしもべの様に扱うその振る舞い。
神職として恥ずかしくないのですか、貴女は!」
「でも、あいつらは雑用くらいしか役に立たないし、神社の事はいつも通り私が全部やっているんだけど」
「それとこれとは別問題です! 妖怪退治のご利益の有る神社が妖精を使役するなんて、もっての外です!」
華扇は、朝方にもかかわらず生き生きとした顔で霊夢を叱り付ける。
ヤマビコもかくや、とばかりの声に耐え兼ね、霊夢はもう一つの問題を切り出した。
「そういえば、華仙」
「何ですか?」
挙手して発言する霊夢に、華扇は説教を中断し霊夢の意見を聞きに入る。
「妖精達に聞いたんだけど、ヤマイヌの一件を何とかしたのって、華仙なんだって?」
「ええ、私が見つけて何とかしておいたので、もう大丈夫でしょう」
「どうやって?」
「それはですね――」
華扇は、ヤマイヌを見付け諭したこと、ヤマイヌは今後送り犬として人の役に立てるようになったという事。
霊夢にを分かり易いように注釈を加えながら、長々と説明する。
「ふーん……」
華扇の話を聞いて、霊夢は何か考えるように顔を伏せた。
そして、神社の中の方に目を向けて、面倒臭そうに華扇を呼ぶ。
「それじゃあ、あいつも諭してあげてくれない?」
「何かしら」
ちょいちょいと手をこまねき、障子の中を見る様に華扇を誘う霊夢。
僅かに開いていただけの障子を華扇が開くと、もぞもぞと動く布団が一組、部屋の真ん中に敷かれていた。
左右からはみ出ている黒い羽毛が、布団の揺れに合わせてゆるやかにはためく。
「あれは……?」
「鴉天狗よ。最近やたらとここに居座るようになって、面倒なのよ」
呆れたようにぼやいて、霊夢はこぶし大の陰陽玉を布団に向かって投げ込む。
軽く放り投げられただけのそれは、柔らかいはずの布団の山にぶつかり、鈍い音を立てた。
「――――――!!?」
同時に、悲鳴の様な声が上がり布団が弾け飛ぶ。
白黒の弾の様な物が飛び出して、綺麗な放物線を描き霊夢の目の前で急停止した。
「何するんですか霊夢さん! 布団越しなのに痛いじゃないですか!
せっかく私が羽を広げてまで霊夢さんの事を温めてあげたのに、あんまりです!」
「とまぁ、こんな調子なのよ。掃除とかしている時もこんな感じだから、邪魔でしかたないわ」
「ええー……」
飛び出た白黒、射命丸文は、涙目で文句を口走りつつも、身体はしっかり霊夢に密着させている。
その様子を見て察したらしく、華扇は霊夢に倣って面倒くさそうに頭を抱えた。
「痛いです酷いです、霊夢さんが癒してくれなきゃいやです」
「ああもう、鬱陶しいわねこの……!」
「うん……?」
しがみついてくる文の羽を掴み、引き剥がそうとする霊夢。
その間も文は小鳥の様に霊夢に身体を寄せて、嘘か本当か分からない涙を流している。
「霊夢、貴方が無理矢理離れようとするから、相手もそれに反発するんです。
今だけでも我慢して、相手が満足するまで構ってあげれば、自然と離れてくれますよ」
「そ、そうかなあ……」
「試してみれば分かりますよ」
華扇に言われて、霊夢は渋々文の背中に手を回して、ばさばさ揺れ動く羽の付け根を優しく撫でた。
途端、羽がへなへなと力無くしな垂れて、文の顔が快感に蕩けた。
「あやゃぁ……ん……」
霊夢に弱い所をなでなでされて、猫の様に甘い声を漏らす文。
そうして霊夢が改めて試してみると、驚くほど簡単に文の身体が離れて行った。
「おおっ」
「『押して駄目なら引いてみる』という事よ、意外と馬鹿に出来ない時も有るから、覚えておくべきね」
力の抜けた文を膝枕して、なだめる霊夢。
「それで、何とかして欲しいというのは、その鴉天狗の事?」
「ええ、いつもこんな風に引っ付いてきて、鬱陶しいったらありゃしないわ」
今の文を見て華扇は、鴉天狗らしさは殆ど感じられなかった。
華扇は、文と霊夢を交互に見ながらしばらく考え込み、
「分かりました、試しに私が何とかしてみましょう」
手を天にかざして、華扇は答えた。
「本当!?」
「はい。ただし、鴉天狗なので効果が有るかどうかまでは保証しませんが」
出来なくても恨まないで下さい、と釘を刺す華扇。
霊夢はそれを喜んで了承し、子猫の様に丸まっていた文を華扇に突き出す。
「それでは、霊夢はちょっと席を外してもらえますか?」
「良いけど、何するの?」
「変な事はしません。ただ、二人きりの方がいろいろとやりやすいのです」
「ふーん」
華扇にそう言われ、霊夢は面倒臭そうに部屋を出て行った。
「――さて」
霊夢が居なくなり、それによって我に返った文の目の前で、何やら華扇が準備を進めている。
「ええと……華仙さん、でしたっけ?」
「はい」
「一体、何をなさっているのでしょう」
じゃらじゃらと金属質の音を立てる華扇の後ろ姿に、えもいえぬ不安を感じる文。
「お説教の準備です」
にこやかな笑顔を向けられて、文はもう、何も言い返せなかった。
華扇は霊夢の所に出てきたのは、二人が部屋に籠ってから数時間経った昼過ぎの事だった。
「あ、どうだった?」
「正直な所上手くいくとは思ってませんでしたが、何とかなりました」
得意げに鼻を鳴らす華扇と、その後ろでにこやかに立っている文。
あちこち服に乱れが出ている事に、霊夢は気付かなかった。
「……文?」
「はい、何でしょう」
手帳を片手に、いつも通りの口調で文は答える。
「えっと……これ、どうなったの?」
「道を踏み外しそうな新聞記者さんを、正しい道へ諭しただけです」
「だから、それって何がどうなったの?」
霊夢が何度聞いても、華扇はにこにこと笑っているだけで、肝心な部分は話そうとしない。
しかし、朝にあれだけ霊夢にくっついていた文が何もしてこない所を見ると、華扇のしたことの効果は出ているようだった。
「ああそうだ、せっかくですので霊夢さんと一緒に華仙さんの取材もさせてもらえませんか?」
手帳とペンを構えて、目を輝かせる文。
「すみませんが、私の事は記事にしないでもらえると助かります」
「む……そう言われると余計に気になりますね」
霊夢も驚くほど、文はいつも通りだった。
「それでは、私は一度帰ります。夜頃にまた様子を見に来ますので」
未知の取材相手に興奮している文をなだめて、華扇は部屋を出て行く。
「あー……行っちゃいましたか」
文は少し惜しそうに肩を落として、
「行ってしまっては仕方ありません、今日はゆっくりと神社の取材でもしましょう」
手帳に走り書きをして、霊夢の方を振り向く。
その様子を、霊夢は口をぽかんと開けたまま見ていた。
「…………」
どうにも落ち着かない。
黙々と掃除を進めながら、霊夢はずっと気にしていた。
「♪」
縁側に座ってカメラを持ち、文はじっと待っていた。
時々手帳に何かを書き込みながら、キョロキョロと忙しなく辺りを探している。
「ねえ、文」
見ている、だけ。
「何でしょうか?」
「その……何してんの?」
「取材ですが」
「それはそうなんだけど……」
普段の文は、霊夢の行動を邪魔する寸前の辺りで絡んで来るのが常だった。
それが今では、まるで霊夢の事もただの取材相手だとしか思って居ない様に。
「んー」
何を思ったか、霊夢は文の所まで歩いて行く。
「あ、あやや……何でしょうか、そんなに近寄って。私の顔が何かしましたか?」
霊夢は文の目の前三尺まで近寄り、その赤い瞳をじっと覗き込む。
それでも尚、文は平静のままで、霊夢と目を合わせていた。
「してるわ」
「顔が!?」
二人の距離が二尺、一尺と縮まるに連れて、文の顔に朱が差していく。
目が泳ぎ、少し後ずさり、今にも逃げ出そうとしているが、床に広がる黒いスカートの上に置かれた霊夢の手が、それを阻んでいる。
「えっと、その、そんなに近寄られるといくら何でも恥ずかしいと言いますか、ちょっとドキドキすると言いますか。
……霊夢さん?」
「良いから黙ってなさい」
「はい……」
観念して、霊夢の為すがままにされる事を覚悟する文。
霊夢の右手がブラウスのリボンに触れると、きゅっと目を閉じて身体を震わせる。
「……」
「れ、れいむ……さん?」
「どうやら、効果は本物の様ね」
ほとんど鼻先が触れ合うような所まで来て、霊夢は文から離れる。
すぐにそっぽを向く霊夢の顔は、文よりも赤く染まっていた。
「えっと……もう、良いんですか?」
「もう好きにして良いわよ」
「記事には?」
「駄目」
「ですよねぇ……」
はあ、と溜息を吐いて、文は走らせていた筆を止める。
今の霊夢の姿を記録に残されることは、非常にまずい。主に霊夢にとって。
「まあ、私が当事者である以上、記事には出来ませんからね。せっかくの面白そうなネタだったのですが」
残念です、と文は本当に残念そうに言う。
しょんぼりと俯く文に軽い罪悪感を覚えて、霊夢は謝罪代わりに文の頭を撫でる。
「……?」
頭巾が落ちるのも構わず、文の黒髪をわしゃわしゃと撫でる。
「……♪」
初めこそ少し落ち着かなさそうだったが、すぐに霊夢の手に身を任せて、ふにゃ、と顔を綻ばせ羽をはためかせる。
小鳥なのは変わらないわね、と霊夢は軽く羽を撫でて、やりかけていた掃除を再開した。
「おーい、遊びに来たぜー!」
木々の上から、白黒の人間が箒に跨り飛んできて、境内に着地した。
「なんだ、今日も居るのか」
「ああ魔理沙さん、こんにちは」
やって来たばかりの魔理沙と楽しそうに話す文。
霊夢は二人を遠目に見ていたが、やがて我に返って、ぎこちなく箒を振るう。
「こ、これでやっと私も落ち着いて仕事が出来るのよ」
そう小さく呟いてみても、霊夢自身以外には聞こえはしない。
もちろん、文も魔理沙も、談笑を続けている。
「でも、これって華仙の説教の効果が出てるって事よね……!」
魔理沙と楽しそうに話す文。
今朝までの霊夢にベタベタな姿は僅かも見えず、初めて霊夢と出会った頃の様な、射命丸文だった。
それはつまり、華扇の説教によって、諭されたという事なのだろう。
「……」
結局、霊夢は日が沈むまで、ずっと浮かない顔をしていた。
「……ねえ、華仙」
その日の夜、霊夢は華扇を部屋に呼んでいた。
「何ですか?」
「え、えっと……その……」
薄暗闇の中で顔を伏せていた為、華扇から霊夢の顔色はうかがえなかったが、妙に歯切れが悪い。
華扇は何も言わず、じっと、霊夢の言葉を聞く姿勢で居た。
「ええと……文の事なんだけど」
「はい」
華扇は、少し嬉しそうに霊夢の言葉を待つ。
深く聞いてこない華扇の姿勢に、霊夢はますます深く面を伏せた。
「やっぱりさ……文、元に戻らないかな」
消えてしまいそうな声で、霊夢はそう言った。
その答えに、満足そうに華扇は頷く。
「分かりました、それも明日までに何とかしておきましょう」
「ほんと!? ……と……う」
一瞬、感情に満ちた声を上げて、すぐに顔を真っ赤にして萎んでいく。
そんな霊夢の変化を、華扇は楽しそうに見つめていた。
華扇に文の事を頼んだ次の朝、霊夢は違和感に気付いて、夜明けと同じ頃に目を覚ました。
「ん、ぅ……」
何かが、霊夢の安眠を妨害している。
一組しかない博麗神社の布団の中で、霊夢の身体に何かが当たっていた。
それは、まるで布団の様に暖かく、羽の様に軽い、羽。
「あや……?」
「お早うございます、霊夢さん」
輝かしい笑顔にめり込む陰陽玉。
白と白黒が同時に布団から弾け飛んで、布団を挟んで対峙する。
「ど、どうしてあんたが私の布団の中に居るのよ!」
「いえ、せっかくなので巫女の一日に密着取材しようかと」
何処から取り出したのか、文は左手に手帳を、右手に団扇を構えて交渉に持ち込む。
痛む鼻柱を扇ぎ、霊夢の反撃を待った。
「……好きにしなさい」
「へ?」
「ただし、お賽銭は入れて行ってもらうわよ」
ばさ、と団扇が畳に落ちる。
文は目を丸くして、巫女装束に着替える霊夢の背中を見た。
黙々と紅白になるその姿に、文は驚きを禁じ得なかった。
その顔が、次第に笑顔に変わって行って、
「――はいっ!」
満面の笑顔で、文は頷いた。
昼も過ぎ、博麗神社を訪れた華扇が見たのは、縁側で午睡を満喫する霊夢と文の姿だった。
暖かそうな羽に包まれて呑気に寝息を立てている霊夢、傍らで膝を抱える様に丸まって羽に包まる文。
周りを見渡してみると、境内は綺麗に掃われ、その他巫女がするべき事が全て綺麗に片付いていた。
「――まったく、やれば出来るじゃないですか」
腐っても巫女は巫女だと、華扇は改めて霊夢の方を見やる。
文と二人、仲良さそうに寄り添い寝顔を晒しているのを見て、
「『押して駄目なら引いてみる』、正に言葉の通りね」
暖かな二人の姿ににまにましながら、華扇は一人呟いた。
でれいむも文ちゃんも可愛いぜこんちくしょう!
説教もできて空気も読めるなんて、憧れちゃうなぁ。