切れ長の目を擦りながら、彼女は布団から体を起こした。
おはようございます、と隣の布団で眠る存在に呼び掛ける。相手が起きる気配は全く無かった。
八雲藍の朝は早い。妖怪というのは夜行性の者が多いのにも関わらず、彼女は夏だろうが冬だろうがその寝覚めは快調である。まぁ、寝坊したところで咎める者もいないのだが。
日が完全に昇り切るまでには身支度を整え、邸を出る。
行ってきます、と言ったところで就寝中の紫から返事は無い。それでも律儀に声を掛けて行くところから、彼女の性格が伺える。
結界の綻びを見て回ったり、異分子が紛れ込んでいないかを確認するなど、幻想郷の警備をする。
もし結界に歪みがあれば、その修復だけで一日を使い切ってしまうこともある。が、そんな事は稀だ。ちょっとやそっとで境界は揺るがない。
今日も特に問題は無く、昼前には全ての確認を終えた。となれば後は買い物をして帰るだけだ。
人里に入ると、ほんの少しだけ張っていた気を緩める。ここは幻想郷でも比較的平和な所だ。それ以外ではどこでどんな異変に巻き込まれるかわかったものではない。
頭からは獣の耳を突き出し、尻尾まで携えているという、明らかな異形が里に足を踏み入れても、人間たちは警戒心も無く挨拶を交わす。
かつては、藍も人の中では人間に化けていた。不用意に人間たちを騒がせないためだ。しかしあまり意味は無かった。
一つ、年を取らない。二つ、毎日油揚げを買う者など他にいない。三つ、人並み外れた美しさ。妖美とはよく言ったものだ。
普通の人間でないことぐらい、馬鹿でもわかる。だから始めは人々も警戒したのだ。ただ、いつまで経っても誰にも危害を加えず、時には談笑すらすることも出来る相手を恐れ続ける程、この里の者は繊細ではなかったというだけの話。
なので今は普通に出入りしている。
人間とは愚かなものだ。そう容易く懐に入れて良い程、妖怪は甘くない。元から短い命だというのに、自ら危機の要因となり得る存在を認め、あまつさえ仲良くしようなど、滑稽ではないか。そう思いつつも、都合が良いので藍はそれを人間相手に言ったことは無かった。
袖から一枚の紙を取り出す。ぽひんと煙をあげてそれは木で編まれた籠になった。それを左腕に提げながら、いくつか店を回って食材を吟味していく。
と、一軒の店の前で藍は主人と世間話を始めた。
昔からの常連である豆腐屋の店主とは仲が良い。何せ今の店主の四代前からの付き合いだ。彼女の為に毎日取り置きの油揚げまで用意されている。
今回もきっちり三食、加えておやつの分の油揚げまで買った。
そろそろ帰ろうかと道を歩いていると、突然子供たちが尻尾に突っ込んできた。
きゃっきゃと笑いながらその毛並みに顔を埋める群がりに、藍はため息をこぼす。
そんな様子にも気付かず、彼らがはしゃぐのも仕方あるまい。幻想郷には柔軟剤など無いが、一度この感触を知ってしまえばボールドに漬け込んだタオルですらその価値を失うだろう。
藍は無言で九尾を猫じゃらしのようにふよふよと動かす。
猫と幼い子供はこれによく釣られる。今この場にいない彼女の式なぞその筆頭だ。
尻尾を振れば、それに合わせて右往左往。単純過ぎる。これでは簡単に悪い妖怪にも連れ去れてしまうぞ。そんなことを考えつつも、彼らには一瞥もくれず、彼女は駄菓子屋に入る。
ぞろぞろとついて来た子供たちは、当たり前のように一人一つずつ好きな菓子を手に取っていく。藍は何も取らず、店主の老婆に金だけを渡して外に出た。
後に続く子供たちは、口々に礼を言う。いつもありがとう。そこで初めて彼女は彼らの方を向き、ただ手を小さく上げて笑った。
邸に帰れば、里の賑やかさとは打って変わって静まり返った空間が広がっている。
ただいま、と言ったところで就寝中の紫から返事は無い。そんな事はやはり承知の上だった。
遅めの昼食。一人でとる食事を寂しいと感じた事はある。
しかし彼女自身が橙という式を持った時、例え一緒にいなくとも、確かに繋がっているという感覚を知った。それ以来、寂しさは無くなった。
式とはただの主従ではない。少なくとも藍にとって、紫は主であり、母または親友、時にライバルでもあった。そして橙にとっての自分も、そうありたいと思っている。
買ったばかりの油揚げを口に運ぶ。
人間は愚かだが、彼らの作る油揚げは美味いし、子供は可愛い。
子供たちは、その純粋な心でもって平気で他人を傷つける。些細な噂を信じ、恐怖に対する免疫が弱い。それが妖怪を生む。
大人たちは、その汚れた心でもって他人を憎み、妬み、恐れる。それが妖怪を生む。
そして子供も大人も、そうした人間の弱さが生んだ妖怪に立ち向かい、認め合える強さを持っている。
愚かな人間。それでいい。だからこそ妖怪は存在出来る。藍は人間を嫌ってはいなかった。
空が赤く染まる頃、藍は尻尾の手入れをし始めた。
紫は一日の大半を眠って過ごし、基本的には夜中しか活動しない。さらには冬眠までする。だとすると彼女は一年に何日分程度しか起きていないのだろうか。
とまぁ、主がそんな訳なので、藍は仕事をしていない時、暇を持て余してしまうのだ。
それはそれは長生きもしているので、趣味を見つけては飽きての繰り返し。もはや新しい趣味を探そうという気も起きない。かと言って何もしないでいるのは苦しい。
彼女の式である少女が遊びに来ることもあるが、それも毎日では無い。
猫とは気まぐれなものだ。唐突にやって来ては、また風のように去っていく。
そんな姿を微笑ましく思いながら、自由にさせてやっている。主が自分をそう育てたように、彼女も放任主義だった。
さておき、彼女の暇潰しとは尻尾の毛繕いである。最終的に行き着いたものがこれだ。
時間があれば常に尻尾を弄っているので、彼女の尾はいつだって美しい。さらさらの毛並みは高級絨毯でさえ霞む程の包容力を備えている。
まさに自慢の尻尾。九尾のシンボル。その輝きの秘訣は維持する努力を怠らないことだ。
彼女の毛繕いの仕方は特殊である。どういうことか。
九本もの尻尾、その中からおもむろに一本引き抜いた。
すぽん。卒業証書の入った筒を開ける時のあれに似た、小気味良い音がして簡単に取れる。ちなみに痛みはあんまり無い。
何故抜くのか。それは根元まで綺麗にする為だ。
何故抜けるのか。それは彼女が妖怪だからだ。
何故妖怪なのか。それは哲学的な問答だ。ここでは割愛しよう。
さて、毛繕いとは一種の職人芸である。目で見て、肌で感じ、匂いにまで拘る。
目を閉じて撫でていれば、青き衣を纏い、金色の野に降り立つ己の姿が瞼の裏に浮かんでくる。風の谷の藍。
一本終えては二本目を抜き、二本終えては三本目を抜き……時間を掛けて九本全ての手入れを終えた時、藍は幼女になっていた。どういうことだ。
尻尾には霊力が蓄積されている。つまり尾そのものが生きてきた歴史の具現なのだ。
彼女の尾が一本だった頃、産みの母は既にいなかった。
彼女の尾が二本だった頃、ようやく人の姿になれるようになった。
彼女の尾が五本だった頃、西行寺幽々子が死んだ。
彼女の尾が八本だった頃、博麗大結界が出来た。
彼女の尾が九本になった頃、彼女に式が出来た。
そして彼女の尾が何本の時でも、いつも傍には紫がいた。
彼女にとって、尻尾とはつまり幸福だ。尾の数、毛の数だけ経験がある。
そして今日まで生き抜いてきた証。色々な事を乗り越えて今の平穏がある。
その平穏が紫の支えによって成り立っているものだということを彼女は知っている。だからいつまでも主を尊敬し、どこまでもついていける。
こうしてただ静かに毛繕いをし、改めて己の充実を知るこの時間を、藍は大切にしていた。
だからこそ理解して頂けただろう。尻尾一本につき数百年分の年月を抱えている。それを外せば、幼くなるのも道理ではないか。……異論は認めない。
元の彼女の外見年齢を、仮に人間で言うところの二十代としよう。五本外す頃には十代になっていた。そして今は五歳ぐらいの幼子の容姿。つまり幼狐である。
ぶかぶかの衣に埋もれた姿が実に愛らしい。そのような嗜好をお持ちで無い方も、思わず拝みたくなることだろう。彼女が視界にいればそこは絶景となる。
あなたの想像出来る最高の美幼女を頭に思い浮かべてみよう。そう、それが藍だ。頭の中でぺろぺろすると良い。
毛繕いを終えてしまうとまた暇になる。夕飯の支度をするにはまだ早い。かと言ってやり尽くした趣味に改めて興じる気分でもない。
となると、遊ぶしかない。見た目同様、精神も少し幼くなっているのかもしれない。九本の尻尾は体から離れたままばらばらに浮かび、宙を舞う。
彼女はそれを背後に漂わせ、主の眠る部屋へと向かう。服が床を擦るが、汚れる心配は無い。邸は藍のおかげで清潔だ。炊事洗濯家事従事、それら全てをきっちりとやり遂げている。
寝室に辿り着き、ふすまを開けばそこには何があるだろう。答えは山だ。白い山がある。その正体はもちろん紫なのだが、今は布団のヌシと言った方がしっくりくる。
こんもりと膨らんだ布団はゆっくりと上下しており、すぅすぅと静かな寝息が感じられた。
何を思ったか、藍は目の前の柔らかな毛布を引っぺがし、全身をあらわにした主へと尻尾を一斉に襲い掛からせる。
オールレンジシッポ攻撃だ。標的となった者は誰であろうと抗う術は無い。
んふふ、んふ、んふふふふぶふっ――鼻から突き抜ける空気が、噎せたような音を立てる。それでも紫は起きない。藍がくすぐりのプロなら彼女は睡眠のプロだ。
しばらくこの攻防は続く。
んんふっ、んふっ、ぬふっ、ふふふ……んぅー。
どうやら慣れたのか、くすぐりがあまり効かなくなってくると、ようやく藍も尻尾を自分の体へと戻す。一本ずつ、元の位置に突き刺さる度に幼女は少女、そして美女へとぐんぐん成長していく。胸があつくなる光景だ。
しわくちゃになった敷き布団の端を引っ張り、傍に放っていた毛布を主に被せる。
いつの間にかかなり時間が経っていたらしい。日は完全に沈んでいた。
そして代わりに世界を照らしていた月さえも雲が覆ってしまったか、外からの明かりのみに頼っていた室内は、一時暗闇に包まれた。消える人、消える世界。
やがてじんわりと明るさを取り戻したなら、つい今しがたまでその人影があった場所には、九尾の獣がいた。薄暗い部屋の中でも、その金色の毛並みはきらきらと眩い光沢を放っている。
獣は欠伸を一つし、毛布の隙間から静かに主の隣へと潜り込んだ。
二人で寝るには小さな布団。一人と一匹でもまだ厳しい。尻尾はもちろん、体も少しはみ出してしまっている。
それでも獣は、横にいる存在に満足そうな笑みを向けた。ゆっくりと閉じられていく瞳は、ほんの少しだけ抵抗を見せたかと思うと、次の瞬間にはあっさりと瞼に押し潰される。
おやすみなさい、という気持ちを込めて、か細く小さな鳴き声を発する。もはや返事はいらない。
いつもより遥かに早い就寝。夕食も作っていない。完全に意識が落ちる直前、ただそれだけが気掛かりだった。
妖々跋扈する夜の刻、くすりと小さな笑い声が響く。
横たわる一つの影に、はだけていた毛布がかけ直された。
室内にはすぐにまた静寂が戻る。
残るは、獣の寝息のみ。
おはようございます、と隣の布団で眠る存在に呼び掛ける。相手が起きる気配は全く無かった。
八雲藍の朝は早い。妖怪というのは夜行性の者が多いのにも関わらず、彼女は夏だろうが冬だろうがその寝覚めは快調である。まぁ、寝坊したところで咎める者もいないのだが。
日が完全に昇り切るまでには身支度を整え、邸を出る。
行ってきます、と言ったところで就寝中の紫から返事は無い。それでも律儀に声を掛けて行くところから、彼女の性格が伺える。
結界の綻びを見て回ったり、異分子が紛れ込んでいないかを確認するなど、幻想郷の警備をする。
もし結界に歪みがあれば、その修復だけで一日を使い切ってしまうこともある。が、そんな事は稀だ。ちょっとやそっとで境界は揺るがない。
今日も特に問題は無く、昼前には全ての確認を終えた。となれば後は買い物をして帰るだけだ。
人里に入ると、ほんの少しだけ張っていた気を緩める。ここは幻想郷でも比較的平和な所だ。それ以外ではどこでどんな異変に巻き込まれるかわかったものではない。
頭からは獣の耳を突き出し、尻尾まで携えているという、明らかな異形が里に足を踏み入れても、人間たちは警戒心も無く挨拶を交わす。
かつては、藍も人の中では人間に化けていた。不用意に人間たちを騒がせないためだ。しかしあまり意味は無かった。
一つ、年を取らない。二つ、毎日油揚げを買う者など他にいない。三つ、人並み外れた美しさ。妖美とはよく言ったものだ。
普通の人間でないことぐらい、馬鹿でもわかる。だから始めは人々も警戒したのだ。ただ、いつまで経っても誰にも危害を加えず、時には談笑すらすることも出来る相手を恐れ続ける程、この里の者は繊細ではなかったというだけの話。
なので今は普通に出入りしている。
人間とは愚かなものだ。そう容易く懐に入れて良い程、妖怪は甘くない。元から短い命だというのに、自ら危機の要因となり得る存在を認め、あまつさえ仲良くしようなど、滑稽ではないか。そう思いつつも、都合が良いので藍はそれを人間相手に言ったことは無かった。
袖から一枚の紙を取り出す。ぽひんと煙をあげてそれは木で編まれた籠になった。それを左腕に提げながら、いくつか店を回って食材を吟味していく。
と、一軒の店の前で藍は主人と世間話を始めた。
昔からの常連である豆腐屋の店主とは仲が良い。何せ今の店主の四代前からの付き合いだ。彼女の為に毎日取り置きの油揚げまで用意されている。
今回もきっちり三食、加えておやつの分の油揚げまで買った。
そろそろ帰ろうかと道を歩いていると、突然子供たちが尻尾に突っ込んできた。
きゃっきゃと笑いながらその毛並みに顔を埋める群がりに、藍はため息をこぼす。
そんな様子にも気付かず、彼らがはしゃぐのも仕方あるまい。幻想郷には柔軟剤など無いが、一度この感触を知ってしまえばボールドに漬け込んだタオルですらその価値を失うだろう。
藍は無言で九尾を猫じゃらしのようにふよふよと動かす。
猫と幼い子供はこれによく釣られる。今この場にいない彼女の式なぞその筆頭だ。
尻尾を振れば、それに合わせて右往左往。単純過ぎる。これでは簡単に悪い妖怪にも連れ去れてしまうぞ。そんなことを考えつつも、彼らには一瞥もくれず、彼女は駄菓子屋に入る。
ぞろぞろとついて来た子供たちは、当たり前のように一人一つずつ好きな菓子を手に取っていく。藍は何も取らず、店主の老婆に金だけを渡して外に出た。
後に続く子供たちは、口々に礼を言う。いつもありがとう。そこで初めて彼女は彼らの方を向き、ただ手を小さく上げて笑った。
邸に帰れば、里の賑やかさとは打って変わって静まり返った空間が広がっている。
ただいま、と言ったところで就寝中の紫から返事は無い。そんな事はやはり承知の上だった。
遅めの昼食。一人でとる食事を寂しいと感じた事はある。
しかし彼女自身が橙という式を持った時、例え一緒にいなくとも、確かに繋がっているという感覚を知った。それ以来、寂しさは無くなった。
式とはただの主従ではない。少なくとも藍にとって、紫は主であり、母または親友、時にライバルでもあった。そして橙にとっての自分も、そうありたいと思っている。
買ったばかりの油揚げを口に運ぶ。
人間は愚かだが、彼らの作る油揚げは美味いし、子供は可愛い。
子供たちは、その純粋な心でもって平気で他人を傷つける。些細な噂を信じ、恐怖に対する免疫が弱い。それが妖怪を生む。
大人たちは、その汚れた心でもって他人を憎み、妬み、恐れる。それが妖怪を生む。
そして子供も大人も、そうした人間の弱さが生んだ妖怪に立ち向かい、認め合える強さを持っている。
愚かな人間。それでいい。だからこそ妖怪は存在出来る。藍は人間を嫌ってはいなかった。
空が赤く染まる頃、藍は尻尾の手入れをし始めた。
紫は一日の大半を眠って過ごし、基本的には夜中しか活動しない。さらには冬眠までする。だとすると彼女は一年に何日分程度しか起きていないのだろうか。
とまぁ、主がそんな訳なので、藍は仕事をしていない時、暇を持て余してしまうのだ。
それはそれは長生きもしているので、趣味を見つけては飽きての繰り返し。もはや新しい趣味を探そうという気も起きない。かと言って何もしないでいるのは苦しい。
彼女の式である少女が遊びに来ることもあるが、それも毎日では無い。
猫とは気まぐれなものだ。唐突にやって来ては、また風のように去っていく。
そんな姿を微笑ましく思いながら、自由にさせてやっている。主が自分をそう育てたように、彼女も放任主義だった。
さておき、彼女の暇潰しとは尻尾の毛繕いである。最終的に行き着いたものがこれだ。
時間があれば常に尻尾を弄っているので、彼女の尾はいつだって美しい。さらさらの毛並みは高級絨毯でさえ霞む程の包容力を備えている。
まさに自慢の尻尾。九尾のシンボル。その輝きの秘訣は維持する努力を怠らないことだ。
彼女の毛繕いの仕方は特殊である。どういうことか。
九本もの尻尾、その中からおもむろに一本引き抜いた。
すぽん。卒業証書の入った筒を開ける時のあれに似た、小気味良い音がして簡単に取れる。ちなみに痛みはあんまり無い。
何故抜くのか。それは根元まで綺麗にする為だ。
何故抜けるのか。それは彼女が妖怪だからだ。
何故妖怪なのか。それは哲学的な問答だ。ここでは割愛しよう。
さて、毛繕いとは一種の職人芸である。目で見て、肌で感じ、匂いにまで拘る。
目を閉じて撫でていれば、青き衣を纏い、金色の野に降り立つ己の姿が瞼の裏に浮かんでくる。風の谷の藍。
一本終えては二本目を抜き、二本終えては三本目を抜き……時間を掛けて九本全ての手入れを終えた時、藍は幼女になっていた。どういうことだ。
尻尾には霊力が蓄積されている。つまり尾そのものが生きてきた歴史の具現なのだ。
彼女の尾が一本だった頃、産みの母は既にいなかった。
彼女の尾が二本だった頃、ようやく人の姿になれるようになった。
彼女の尾が五本だった頃、西行寺幽々子が死んだ。
彼女の尾が八本だった頃、博麗大結界が出来た。
彼女の尾が九本になった頃、彼女に式が出来た。
そして彼女の尾が何本の時でも、いつも傍には紫がいた。
彼女にとって、尻尾とはつまり幸福だ。尾の数、毛の数だけ経験がある。
そして今日まで生き抜いてきた証。色々な事を乗り越えて今の平穏がある。
その平穏が紫の支えによって成り立っているものだということを彼女は知っている。だからいつまでも主を尊敬し、どこまでもついていける。
こうしてただ静かに毛繕いをし、改めて己の充実を知るこの時間を、藍は大切にしていた。
だからこそ理解して頂けただろう。尻尾一本につき数百年分の年月を抱えている。それを外せば、幼くなるのも道理ではないか。……異論は認めない。
元の彼女の外見年齢を、仮に人間で言うところの二十代としよう。五本外す頃には十代になっていた。そして今は五歳ぐらいの幼子の容姿。つまり幼狐である。
ぶかぶかの衣に埋もれた姿が実に愛らしい。そのような嗜好をお持ちで無い方も、思わず拝みたくなることだろう。彼女が視界にいればそこは絶景となる。
あなたの想像出来る最高の美幼女を頭に思い浮かべてみよう。そう、それが藍だ。頭の中でぺろぺろすると良い。
毛繕いを終えてしまうとまた暇になる。夕飯の支度をするにはまだ早い。かと言ってやり尽くした趣味に改めて興じる気分でもない。
となると、遊ぶしかない。見た目同様、精神も少し幼くなっているのかもしれない。九本の尻尾は体から離れたままばらばらに浮かび、宙を舞う。
彼女はそれを背後に漂わせ、主の眠る部屋へと向かう。服が床を擦るが、汚れる心配は無い。邸は藍のおかげで清潔だ。炊事洗濯家事従事、それら全てをきっちりとやり遂げている。
寝室に辿り着き、ふすまを開けばそこには何があるだろう。答えは山だ。白い山がある。その正体はもちろん紫なのだが、今は布団のヌシと言った方がしっくりくる。
こんもりと膨らんだ布団はゆっくりと上下しており、すぅすぅと静かな寝息が感じられた。
何を思ったか、藍は目の前の柔らかな毛布を引っぺがし、全身をあらわにした主へと尻尾を一斉に襲い掛からせる。
オールレンジシッポ攻撃だ。標的となった者は誰であろうと抗う術は無い。
んふふ、んふ、んふふふふぶふっ――鼻から突き抜ける空気が、噎せたような音を立てる。それでも紫は起きない。藍がくすぐりのプロなら彼女は睡眠のプロだ。
しばらくこの攻防は続く。
んんふっ、んふっ、ぬふっ、ふふふ……んぅー。
どうやら慣れたのか、くすぐりがあまり効かなくなってくると、ようやく藍も尻尾を自分の体へと戻す。一本ずつ、元の位置に突き刺さる度に幼女は少女、そして美女へとぐんぐん成長していく。胸があつくなる光景だ。
しわくちゃになった敷き布団の端を引っ張り、傍に放っていた毛布を主に被せる。
いつの間にかかなり時間が経っていたらしい。日は完全に沈んでいた。
そして代わりに世界を照らしていた月さえも雲が覆ってしまったか、外からの明かりのみに頼っていた室内は、一時暗闇に包まれた。消える人、消える世界。
やがてじんわりと明るさを取り戻したなら、つい今しがたまでその人影があった場所には、九尾の獣がいた。薄暗い部屋の中でも、その金色の毛並みはきらきらと眩い光沢を放っている。
獣は欠伸を一つし、毛布の隙間から静かに主の隣へと潜り込んだ。
二人で寝るには小さな布団。一人と一匹でもまだ厳しい。尻尾はもちろん、体も少しはみ出してしまっている。
それでも獣は、横にいる存在に満足そうな笑みを向けた。ゆっくりと閉じられていく瞳は、ほんの少しだけ抵抗を見せたかと思うと、次の瞬間にはあっさりと瞼に押し潰される。
おやすみなさい、という気持ちを込めて、か細く小さな鳴き声を発する。もはや返事はいらない。
いつもより遥かに早い就寝。夕食も作っていない。完全に意識が落ちる直前、ただそれだけが気掛かりだった。
妖々跋扈する夜の刻、くすりと小さな笑い声が響く。
横たわる一つの影に、はだけていた毛布がかけ直された。
室内にはすぐにまた静寂が戻る。
残るは、獣の寝息のみ。
ぐぁぁ!もふもふさせろぉ!頼む……頼むよ……
尻尾が取れるたびに幼くなる藍…何と素敵な!
可愛すぎるよ藍しゃま。
尻尾を全部とるとどうなるのか、
「柔軟剤使ってるだろ?」って問い詰めたい。
> 風の谷の藍
人里の子供たちは再生の舞を踊ってたのか
>人間は愚かだが、彼らの作る油揚げは美味いし、子供は可愛い。
何故か宇宙人ジョーンズを思い出した。
狐姿でゆかりんの布団に潜り込むとか何それ悶える
よき藍さまをありがとう