<シリーズ各話リンク>
「人間の里の豚カルビ丼と豚汁」(作品集162)
「命蓮寺のスープカレー」(作品集162)
「妖怪の山ふもとの焼き芋とスイートポテト」(作品集163)
「中有の道出店のモダン焼き」(作品集164)
「博麗神社の温泉卵かけご飯」(作品集164)
「魔法の森のキノコスパゲッティ弁当」(作品集164)
「旧地獄街道の一人焼肉」(作品集165)
「夜雀の屋台の串焼きとおでん」(ここ)
「人間の里のきつねうどんといなり寿司」(作品集166)
「八雲紫の牛丼と焼き餃子」(作品集166)
頭の中に鉛を流し込まれたような重みと、その鉛を内側からハンマーで叩かれるような痛みが、朝から私を襲っていた。九尾の妖力をもってしても、二日酔いだけはいかんともしがたい。
「ぐぬぬ……鬼め……」
昨晩、私――八雲藍は地底へと赴き、旧都の統率者・星熊勇儀をはじめとする地底の有力者たちと会談をもった。もっとも、それ自体は紫様が定期的に行っている近況報告会のようなもので、地上と地底、ともに適度な交流と適度な無関心をもって、今後も平和裏にやっていこうという確認のためのものだ。
会談は和やかに進み、昨晩遅くに何事もなく終わった。そう、何事もなく――ただ一点、この私が二日酔いになるほど呑まされることになったという点を除いて。
まあ、自業自得ではあった。まさか会談の場で潰れるほど呑むわけにもいかないので、自制気味に呑んでいたつもりだったのだが――いかんせん用意された酒が、鬼の好む非常に強い酒だったのである。気が付いたら酔いが回って少々気が大きくなり、鬼に調子に乗せられて飲み過ぎコースだ。全くもって不覚であると言わざるを得ない。
はああ、と疲れた息を吐き出しながら、私はマヨヒガへ通じる森の道を歩く。
正直、二日酔いで気分は重いが、仕事は今日も色々とある。結界の保守点検と、それに伴う幻想郷各地の見回り。もちろん、家での炊事、洗濯、掃除もある。紫様は相変わらず冬眠中だが、いつお目覚めになられてもいいように、紫様の身の回りのものもきちんと揃えておかなければならない。寝起きの紫様がよくご所望になるコーヒーの豆も、そろそろ買っておかなければいけないか。ああ、明日は寺子屋でまた算術の授業があるから、その支度もしないと。
やるべきことの多さに、また溜息が出る。私は頬を叩いて、ひとつ気合いを入れ直した。とりあえずは、橙の様子を見てこよう。橙の顔を見れば、二日酔いも吹き飛ぶに違い無い。
やがて、見慣れたマヨヒガの光景が見えてくる。立ち並ぶ寂れた廃屋に、猫たちの姿が見え隠れするマヨヒガ。さて、橙はどこだ。
「おーい、橙」
呼びかけてみると、すぐに背後から足音。そして、ぼふんと尻尾に体当たりしてくる質量がある。私は尻尾で包み込むように、その重みを受け止めた。
「藍様ぁ~」
「おはよう、橙」
「おはようございますっ!」
元気の良い返事に、私は振り返ってその頭を撫でる。橙は気持ちよさそうに目を細めた。ああ、今日も橙は可愛いなあ。この笑顔を見るだけで、疲れも二日酔いも吹き飛んでしまう。
と、橙が不意に鼻をひくつかせ、それから小さく顔をしかめた。
「橙?」
私がその顔を覗きこむと、橙はますますその顔を険しくして、私から顔を背ける。
えっ、ちょ、ちょっと待て、どうしたんだ橙? そんな急に何が――。
狼狽する私に、橙は口元を押さえて、思い切り嫌そうな顔をして言った。
「……藍様、お酒くさい」
「ぬが――」
硬直。その間に橙はぱっと私から離れて、野良猫たちの元に駆けていってしまった。
遠ざかる二本の尻尾を呆然と見送って、私はがっくりとうなだれる。
――しばらく、酒は控えよう。私は固く心に誓った。
誰にも邪魔されず、気を遣わずにものを食べるという、孤高の行為。
この行為こそが、人と妖に平等に与えられた、最高の“癒し”と言えるのである。
狐独のグルメ
「夜雀の屋台の串焼きとおでん」
遠方の結界の見回りをしているうちに、気付けばすっかり辺りは暗くなっていた。
「遅くなってしまったな……」
遠方の結界はどうしても放置がちになるので、たまに見に行くと修繕の必要がある箇所が思った以上に多くなる。二日酔いの影響で作業効率が落ちていたことも否めない。
まだ雪の残る野道を歩きながら、私は夜空に息を吐く。他の式から連絡が無いということは、今日も紫様はお目覚めにならなかったようだ。そうなると、急いで帰る理由もなかった。
「ちょいと腹もペコちゃんだし、何か食べて帰りたいな」
しかし、人気のない野道に、そうそう飯屋が建っているはずもない。かといって、ここから人里まで足を伸ばすのもな……。さて、どうしたものか。黙って帰るべきか。
そんな思案を巡らせていた私の耳に、ふと聞こえてきたのは、妖しげな歌声だった。
――この妖気を含んだ歌声は、夜雀か。ということは。
私はその歌声に導かれるように、足をそちらに向ける。ほどなく、僅かな雪の上に車輪の跡と、その先にぼんやりと光る《八目鰻》の提灯の明かりを見つけた。
やっぱり、夜雀の屋台だ。これは運が良い。私はその光の下へ急ぐ。
「あら、いらっしゃ~い♪」
屋台は絶賛営業中だった。店主のミスティア・ローレライが、私の姿を認めて鼻歌交じりにそう声をあげる。漂ってくる、串の焼ける良い匂い。私は軽く片手を挙げて、それから屋台に先客がいるのに気付いた。
「あやや? これはこれは」
暖簾をくぐった私に、赤ら顔で振り返ったのは、新聞記者の射命丸文だった。すっかり出来上がっているようで、徳利を手に意味も無くにやにやと笑みを浮かべている。その隣では、ツインテールの鴉天狗がちびちびと杯を舐めていた。知らない顔だが、文の同業者か部下か何かだろうか。
「貴方がこの屋台に来るなんて珍しいですねぇ、何の御用で?」
「飯を食いに来ただけだ」
半眼でこちらを見つめる文に絡まれないように少し隙間を空けて、私は腰を下ろす。
「ご注文は~?」
「八目鰻の肝焼きと蒲焼きを二本ずつ、それとおでんを適当に」
「は~い。お酒は?」
ああ、と注文しかけて、はっと我に返る。いかんいかん、飲み過ぎで痛い目に遭ったばかりではないか。しばらく酒は控えると今日決めたばかりだろう。
「――いや、お茶で」
「あらら、せっかくいいお酒が入ってるのに~」
ミスティアは軽く口を尖らせて、それから湯飲みに熱いお茶を注いで出してくれた。ズズゥ、と一口啜ると、冷えた身体に熱が染み渡っていく。うん、そうそう。酒が無くても、お茶で十分に身体はあたたまる。これに串焼きとおでんがあれば何の問題もない。
「だぁからぁ、はたて、あんたはもー少し自分の足でねぇ、ネタを稼がないとねぇ」
「うっさい。私には私のやり方があるのよ」
「人の二番煎じ記事ばっかり量産してないで、自分だけの特ダネを掴んでみなさいよぉ」
傍らでは、微妙に呂律の回らない口調で、文が隣の鴉天狗に絡んでいる。はたてと呼ばれた鴉天狗は、うるさそうに文の手を払って「牛スジとちくわと大根ください」と注文をしていた。
「文の新聞の売り上げが珍しく良かったみたいで、その祝杯なんですって~」
はい蒲焼きと肝焼き、とミスティアが皿を差し出しながら言う。ふうん、と私は横目に文を見やりつつ、受け取った串焼きを見下ろしてごくりと生唾を飲んだ。
タレの絡まった香ばしい焦げ茶色の串が四本。蒲焼きと、つくね状の肝焼きだ。
「いただきます」
まずは蒲焼きからいこう。串にかぶりつくと、甘辛いタレの味と、コリコリとした独特の食感とともに、魚油の味が染みてくる。うん、当たりだ。ミスティアの店は日によってはただの鰻が出たりするが、今日は正真正銘、いい八目鰻だ。
肝焼きは、蒲焼きよりもっと強烈に八目鰻って味がする。何しろ、骨、皮、内臓まで全部まとめてすりつぶしたつくね団子だ。タレでだいぶ中和されてるとはいえ、噛みしめると独特の癖のある臭気が口に広がる。しかし、それも慣れてしまえば味わいだ。
多分にプラシーボ的な部分はあるかもしれないが、この癖の強い味がしてこそ、身体にいい八目鰻という感じがする。なんだか疲れも吹き飛びそうだ。――しかし、味が濃いからお茶だけだとちょっと口が……やっぱり酒飲みのための串焼きか。
「はい、おでん。巾着、サービスでふたつ入れておいたわよ~」
おっと、きたきた。もうひとりの主役もおでましだ。
牛スジ、たまご、大根、こんにゃく、はんぺん、そして――油揚げの巾着。きゃー。これだよ、これこれ。おでんは巾着に始まって巾着に終わると言っても過言ではない。むしろ油揚げだけでもいいぐらいだ。ああ、巾着万歳。
さっそく、たっぷりと汁を吸い込んだ巾着にかぶりつく。ああ、ふかふかの油揚げの食感。中は挽肉の詰め物か。肉のボリューム感も嬉しいが、やっぱり外側の油揚げに尽きる。噛みしめるたびにじゅわっと口の中にしみ出るおでんの汁。そうして口の中でほぐれていく、新雪のようにふわふわとした油揚げ。ああ、美味い。美味いという一言で済ませてしまうのが申し訳ないぐらいに美味い。はは、幸せだ。
「ほっふ、はふ」
旨味が中まで染みこんだほくほくのたまご。これまた汁のたっぷり染みこんだ大根。どちらも、巾着に負けず劣らず、主役級の存在感だ。切り崩すだけで口の中によだれが満ち、口にすれば幸福なあたたかさが口から喉へ、胃から五臓六腑へ染み渡っていく。
よく煮込まれた牛スジは頬張ると、さっと口の中でとろけていく。この味を何と形容したものだろう。溶けて、美味い。溶け美味い。そう、牛スジは溶け美味いのだ。
そして名脇役のこんにゃく。つるりとした食感が、一服の清涼剤としておでん全体のトーンを引き締める。最後に、もうひとつの巾着を頬張れば、その味わいは計算し尽くされた美しい黄金比で構成された機能美のようですらあった。
「はぁー、美味い」
ずずぅ、と再びお茶を啜る。ああ、まだ串焼きが残っている。おでんばかりに少し焦りすぎたな。残りの蒲焼きと肝焼きも食べてしまおう。そう、私が串焼きを手にしたときだった。
「熱燗もう一本!」
「大丈夫~? 飲み過ぎじゃないかしら~?」
「だいじょーぶだいじょーぶ、このぐらいで潰れる射命丸文じゃあーりませんて」
隣の席に、へっへっへ、と据わった目でミスティアを見つめて笑う文の姿があった。ミスティアは処置なしといった顔で、それでも律儀に熱燗を差し出す。大丈夫なのか? と私が横から余計な心配をしていると――不意に、文と視線が合ってしまった。
「んお? どぉーしたんですかぁ、さっきから全然飲んでないじゃないですかぁ」
ずずい、と文がこちらに身を寄せてくる。酒臭い息が首元にかかり、私は身を竦めた。
「なぁにをお茶なんか飲んでるんですぅ、いけるクチでしょぉ?」
「いや、今日は――」
「女将ー、熱燗もう一本、藍さんに!」
「いや、申し訳ないが、私は結構」
「またまたぁ、飲み屋に来て飯だけ食べて帰るなんて不作法ってもんでしょーがぁ、ほらほら、飲んで飲んで、祝え祝えー」
身を押しつけるようにして、文が徳利を私の鼻先に突きつける。つんと鼻を突く酒の匂い。私は顔をしかめる。酔っ払いのすることだ、多少の不作法ぐらいなら大目に見るが――。
「くぉらぁ、私の酒が飲めないってのかぁ」
ひとがひとり、幸せに飯を食っているときに、これはいくらなんでも、我慢の限界だ。
ばん、と私はテーブルに手を叩きつけて立ち上がる。文がきょとんと私を見上げた。
「飯ぐらい、落ち着いて食わせてくれないか」
「んぁ?」
「酒を飲むのも、それで酔っ払って痛い目を見るのも自由だ。だが、他人の飯を食う自由を侵害していい権利は誰にも無い。――ものを食べるときはね、自由でなきゃいけないんだ」
そうだ。ひとり、店で好きなものを頼んで食べるという孤独の時間。
それは絶対的に自由で、静かで、豊かであってこそのものだ。
日常のあらゆるぐしゃぐしゃから、ひととき解放される、そんな時間であればこそ、誰しも一日三食の食事を楽しみに生きる。それを邪魔することは、何人たりとも許されない。
「ちょっとぉ、なにをマジになっちゃってるんですかぁ」
しかし、私の怒りは酔っ払いには届かない。文は苦笑して私の肩に手を掛ける。
――私は反射的に、その腕を掴んでいた。文の身体を引き寄せ、二の腕を抱え込むようにして逆方向に捻りあげる。文が悲鳴をあげた。
「い、痛い痛い、ホント痛い、お、折れる折れる、私の黄金の右手が、記者の命がぁ~!」
泣きそうな声をあげるが、私は力を緩めない。そのまましばらく己の所行を反省するといい。そうすれば酔いも醒めるだろう。全く――。
「そ、それ以上いけない。止めてあげて~」
ふと声。顔を上げれば、ミスティアが困り顔でこちらを見ていた。私は思わず力を緩める。するりと私の腕の中から文が抜け出し、そのままよろめくようにして、はたてに泣きつく。
「は、はたてぇ~」
「――あんたの自業自得でしょうがっ」
「痛い痛い痛い、やめてやめて、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!」
はたてに耳を引っ張られて、今度こそ文は本気で泣きを入れた。私は溜息を吐き出して、席に腰を下ろす。それから、ミスティアに向き直って深く頭を下げた。
「申し訳ない。つい熱くなってしまって――ご迷惑を」
「ああ、うん、まあ、今のは文が悪いと思うから~」
ミスティアは苦笑して、それから私の前に皿を差し出した。何かと思えば、巾着とはんぺん、ちくわぶの入ったおでんだった。
「文に謝らせるなんて、大したものね~」
「……これは?」
「まあ、これでも食べて、ここは手打ちにしてあげて~。文も悪気があってしたわけじゃないと思うから~。酒の席の揉め事は、美味しいもの食べて忘れましょ」
ひとつウィンクして、ミスティアはそれから、はたてにすがりついてすんすんと泣いている文の方へも歩み寄り、何事か声をかける。私はそれを横目に見ながら、はんぺんにかぶりついた。刺々しくなった気分が、ふんわりしたはんぺんの食感に包まれて丸まっていく。
――ああ、そうだな。美味しいものを食べると、怒りも悲しみも、何もかもふんわりと包まれてしまう。油揚げの巾着のように。
「……すまない。私もやりすぎた」
私は文の方に向き直り、軽く頭を下げる。文はこちらを憮然と振り返り、それから向こうも小さく頭を下げた。――うん、まあ、これでいいだろう。
気を取り直して、私は残りの串焼きにかぶりつき、そしておでんに箸を伸ばす。横目に見ると、文もはたてとともに、おでんをつついていた。私は巾着を大事に大事に口に運びながら、ふと思う。
――私は、このひとりで飯を食べる時間に、救われているのかもしれないな、と。
・・という訳で、相変わらず素晴らしいめしテロでした。
次回も期待しています!
今回も良い感じで原作ネタがちりばめてあって良かったです!!
仕方ない。今日の夜ご飯はコンビニのおでんと焼き鳥だな。
毎回毎回思うんだが何故こんなに腹が減るんだ…油揚げ食べたい。
次回作は必ずご飯の前に読もう。そうしよう。
飯テロ素敵です
食べているものの描写がとても丁寧で、食欲をそそられます。元ネタとなっている漫画も少し買ってみようかと思いました。
素晴らしい作品をありがとう。
次回も楽しみだなぁ
今回はいろんな元ネタが入っていた気がしますw
そしてついにあの技が出てしまいましたか
色々な意味でおいしい話でした
恐るべき飯テロだな。
うん――すごい。やはりすごい台詞だ。小説になっても健在だ。
技の方もみてみるか。
これは、回りの空気も相まって、元々の素材よりいい感じに灰汁が抜けてるな。
原作のギスギスした感じも少なくて、いい。
それにしても、素晴らしい描写だ。某グルメ漫画でみたような情景が浮かぶ。
うーん、困った。腹が減ってきたぞ。
これは期待せざるを得ない。今のうちにどん兵衛でも仕入れておくかw
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しかし、しゃめいまる殿はアームロック極められることに定評がありすぎて。
相変わらず屋台の光景が目に浮かぶようで。我が家ではおでんの巾着は餅が多かったですが、挽肉のも食べてみたくなりますね。
あと2本で終わるというのは寂しいですが、残りも楽しみにさせて頂きます。
毎回色々元ネタ豊富で、そっちの視点から読んでも面白いです。
夕飯食べたばかりなのにお腹が減ってきました。
責任とって下さい。
でも幻想郷らしい潔い決着で良かった
八目鰻は食べたことはありませんが、調理前だと口がグロテスクなんですよね…