記名は済んでいるのに。
解答欄は空白。
そんな、テスト用紙のような気持ちを持て余してしまった。
それだけのお話。
館の主が昼間から行動している時、私のティータイムは少し遅れる。
四月一日の今日もそんな日であるらしく、広げた本から顔を上げて壁掛け時計に視線をやると、時刻は三時半を迎えようとしていた。
いつもなら、それほど気にならないのに。
何故だか少し、心がざわついた。
それは、多分。
久しぶりに昨日口にした言葉のせいだと、思う。
俯いて小さく溜息を漏らした次の瞬間。
遠く、扉の開く音。
しばらく経った後、銀の台車を押しながら、彼女は姿を現した。
「すみません。遅くなってしまいました」
綺麗な蒼い瞳をわずかに細めて、整った白い顔に困ったような笑みを滲ませた、彼女。
昨日も、それ以前も。
繰り返してきた言葉に、想い、に。
曖昧な笑みと、的外れな言葉しか返してこない、彼女。
――それなのに。
「……咲夜」
人目のない場所で、こんなふうに、ゆっくりと私が名前を呼んでやれば。
「はい、パチュリー様」
幼い頃と変わらない、すがるような目で、声で、名前を呼び返してくる、彼女。
そんな、だから。
「好きよ」
また、繰り返してしまうのだ。
「……ッ」
返事も、また。
繰り返されること。
もう、知っているのに。
「ありがとうございます」
――……傷付くこと。
もう、知っていたはずなのに。
ねえ、咲夜。
違うわ。
ありがとう、なんて。
そんな言葉、求めてないの。
返事を返して欲しいのよ。
ただ、一言でいいから。
初めて好きだと言った日を、憶えている。
多分、決して、忘れない。
忘れる事など、出来はしない。
幼い彼女がこの館へやってきて最初に迎えた新年の日。
日付が変わった瞬間、隣で夜空を見上げていた彼女の首に、少し縫製が甘い手作りのマフラーを巻いてやって。
目を丸くして驚いた彼女に、新年の挨拶ではなく『誕生日おめでとう』と笑顔で告げた。
星座占いの本を読んで、自分の誕生日を知らない、なんて彼女が溢した時から、密かに計画していたサプライズ。
動機は、ただ、笑ってほしかったから。
でも。
彼女は、顔をくしゃくしゃに歪めて。
声を殺して、泣き出した。
頭が、ひどく混乱して。
自分の目頭も、どんどん熱くなっていくのがわかって。
ぐちゃぐちゃに掻き混ぜられた脳ミソの中で。
一番形のはっきりした感情を、口から吐き出したのだ。
「好きよ」
そんな、唐突な。
それでも、確かな。
質量を持った言葉に。
彼女は一際大きく肩を震わせて。
その後。
嬉しそうな、でもそれ以上に悲しそうな、泣いているような、笑顔で。
「ありがとうございます」
そう、返してきた。
その瞬間、悟った。
ああ、私は、報われない恋に堕ちたのだ、と。
悟って。
悟った、だけだった。
だから、繰り返した。
繰り返し続けて。
磨耗してしまった恋心は。
それでも、消えてくれずに、『此処』にある。
――……もう。
限界だと、思った。
「大嫌い」
彼女は、目を見開いて。
痙攣するみたいに、唇を震わせた。
さあっ、と、血の気を引かせて。
一気に病人みたいな顔色になる。
「好き、嫌い、大好き、大嫌い……ねえ、咲夜」
言葉を、硝子の破片みたいに散らばせて。
磨り減った感情を瓶詰めにしたみたいな笑顔と一緒に、彼女にぶつけた。
「今日、エイプリルフールなの。嘘をついてもいい日なのよ。だから」
椅子から立ち上がると。
立ち尽くしている彼女のもとまで歩み寄り、薬指で、彼女の薄い唇を撫でながら。
「もう、どっちでも、いいから。好きでも、嫌いでも。嘘でも、いいから」
祈るみたいに、懇願する。
「お願い、答えて」
そうしないと。
終わらせることも、出来やしない。
「……ぁ」
小さく。
かすかに、喉を震わせた、彼女は。
ぼろぼろと、涙を溢した。
「咲夜」
名前を呼んでも。
「ごめ、っな、さ……ッ」
たどたどしく、あの日よりもさらに幼い子供のように泣くばかりで。
「……馬鹿な子」
溜息を吐く。
一緒に、涙が一筋頬を伝った。
背伸びをして、少し乱暴に頭を撫でてやると、余計に肩を震わせる。
「嘘もつけないの?」
鼻を啜りながら問い掛ければ。
真っ赤な目で、それでも真っ直ぐにこちらを見据えて。
「嘘でも、言えません」
そんな言葉だけ、はっきり返してきた。
答えはきっと最初から。
机の隅に、刻まれている。
この二人に幸あれ