※ このSSは、霖之助、料理、恋愛、ギャグ、短編などなど、伸びやすいと言われる要素を最大限に取り入れた実験作品を作ろうとしてできた何かです。
そのままでもお楽しみいただけますが、実験作品ならではの無理矢理感や実験結果について留意すると、異なる楽しみ方ができるはずです。
グラビアアイドルゆかりんりんとは、何を意味する単語なのだろう。
香霖堂に帰ってくると、いつの間にやら机の上に本が置いてあったのだ。
その表紙には水着姿で横たわる八雲紫の姿で飾られ、「真夏のあま~い果実を召し上がれ!」との煽り文句が付いている。
「アイドルは偶像を意味する。偶像というのは、神や仏を表すものだから……。こうするのが正しいのかな」
挑発的で不吉な笑みを称える紫の顔を切り取って、額へ入れる。そいつを仏壇に飾って、鈴をチーンと鳴らしてやった。
残った体の部分については、魔理沙の顔写真と合成することに決定。
あり得ないプロポーションに一人でバカ受けしていると、奴が罵声とともにやってきた。
「せっかく恥ずかしい思いをして作ったんだから、きっちり使いなさいな!」
仏壇の中からボワッと、インチキ妖怪登場。使うって、何をどうするというんだ。
「……急に現れるのはやめてくれと、いつも言っているつもりなんだが」
「では、次からは顔半分から登場いたしますわ。後ろ半分から」
「せめて左半分とかにしてくれよ! 僕は後頭部と会話しなくちゃいけないのか!」
はっきり言って、僕は彼女が苦手だ。会話を楽しむことすら危うい。
ただし、彼女はストーブの燃料を売ってくれる上客でもある。完全に無視することもできず、苦しめられることしかできないのだ。可哀想な僕。
「そもそも、今日は来るよって予告していたじゃないの。その……。グラビア雑誌で」
「ああ、グラビアアイドルゆかりんりんだね」
「言うな馬鹿。だからその……。用事というか、お願いがあって来たわけよ、貴方に」
あの八雲紫が、気まぐれでもなんでもなく、予定があってやってきた!?
あり得ない。今日の天気はハンムラビ法典の予言にあった地球を滅ぼしに来るインカ帝国群UFOのレーザーの雨になるだろう。
しかも彼女、何やら言いにくそうに口をぱくぱくしている。どんな難題をふっかけに来ているんだ。
「すごく聞きたくないんだが……。一体どうしたんだい?」
「私を、牛丼屋に連れてって!」
===========
「これが、牛丼屋か……」
人里のちょっとした路地に、黄色な看板の牛丼屋。流行に疎い僕は、全くその存在を知らなかった。
さて、今回のミッション。
牛丼屋なるところはかなり庶民的な場所であるらしい。そのため、八雲紫ほど気品のある妖怪だと気軽に入れない、らしいのだ。
それでも牛丼屋なるとこに行ってみたいということで、僕を連れてきたというわけだ。
「警戒しよう。まず、店内の様子をチェックだ」
八雲紫がわざわざ僕を呼ぶほどの店だ。どんな罠が待ち受けているのか、分からない。
しかし、外観はどう見ても普通の店である。何が問題なのだろう。
「……ふむ。見たところ、普通の店じゃないか。僕が付いてくる必要なんて、あったのかい?」
「よく見なさい。そこの旗が、全てを表しているわ」
「な……!?」
あまりに衝撃的な一文に、僕は絶句した。
牛丼(並)280円、とある。あまりに安すぎるではないか。
恐らく、金に飢えた粗暴な者達が主な客なのだろう。紫が行きづらいというのも分かる。
さらに恐るべきことは、その280円の部分にバツ印が付いているということだ。
セールにより250円。今や牛丼屋はスラム街から世紀末のモヒカン世界並の治安となった。
「なるほど。ちょっと僕には荷が重いが、やってみるよ」
「頼りにしてますわ」
気分はヒーロー。仮に紫が賊に絡まれたとしても、彼女一人で対抗できるだろう。
だが、それではおいしくご飯が食べられないではないか。
彼女に悪い虫を寄せ付けてはならない。
なら、もっと強くならねばならぬ。強くなくても、強い漢に見せねばならぬ。
ズボンに手を突っ込み、脚を無駄に開いて、首を斜め45度に傾ける。
ワルだ。僕は完全なるワルになれる! これでようやく入店できるというものだよ!
「うぃ~っす! お客様のご来店でーい!」
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
「なん、だと……!?」
僕の全力のワルが、軽く受け流されるだと……!? 僕を軽く上回るワルがぞろぞろいるということだろう。
しかも、好きな席を選べときた。普通の店は席まで案内するはずなのだが……。
待てよ、つまりこれは!
「僕達を、試している……!」
「な、何ですって!」
「静かに! 僕達は狙われているかもしれない。いつひったくられるか、ぼったくられるか分からないんだ」
「わ、私、帰った方がいいかしら……!」
「何のために僕がいると思っているんだ。今日くらいヒーロー気分でいさせてくれ。僕を盾にしていいから、君は安心して牛丼を食せばいい」
「り、霖之助さん……!」
決まった。最高に決まった。店員さんが口をぽっかーんとして呆気に取られているが、気にしない。
だが、これ以上店員を待たせるわけにはいかない。もし異常な行動と受け取られると、マークされてぼったくられる危険性がある。
席選びだって僕たちの知的水準を試しているわけで、選択を誤ればマークされて人身売買される危険性がある。
「紫、こっちだ!」
「ふえ!?」
カウンター席に向かおうとしていた紫の腕を掴み、テーブル席に引っ張る。
危ないところだった。カウンター席は背中がガラ空きという弱点がある。いつ刺されてもおかしくない。
「君は壁側のソファーに座るといい。そこなら極めて安全だ」
「で、でも! 今度は貴方の後ろが!」
紫と対面すると、必然、僕の後ろが空いてしまう。背中には店員用スペースを挟んでカウンター席すらある。
この位置は店員と客の両者から狙われる、最悪の場所だ。
くそ、ここはやむを得ない!
「仕方がない。お隣、失礼するよ」
「あまり無茶な行動をとっては駄目よ。こんなところでくたばってくれたら、私の身にも危険が及びます」
「すまない。もっと自分の身を大切にするよ」
紫も僕も、息絶え絶え。崖っぷちに立たされているかのようで、神経がすり減り続けていた。
二人連れが隣同士で座るという妙な配置になったものの、ようやっと座ることができた。
だが、奴は間髪入れずに攻撃をしてきたのだ!
「ご注文の方、お決まりですか?」
「な、なに……!?」
席についた瞬間に、注文を取るだと!?
通常では考えられない出来事に、僕は激しく動揺してしまう。
が、ここは紫が適切にフォロー。
「まずは、お冷を」
「はい、かしこまりました」
目の前の出来事を、僕は呆然と眺めることしかできなかった。
「あ、あ……。ありがとう、紫。あ、危なかった……」
「慣れていないと見るや否や、お冷を持ってこなかったのね。ここで舐められたままだったら、一貫の終わりだったわ」
「すまない、僕としたことが取り乱してしまったよ」
メニューを見せる暇も用意せず、水すら出さない。今のところ、客としての評価は最低レベルなのだろう。
しかし、紫の努力を無駄にする訳にはいかない。
強い客であることをアピールせねば、どんな腐った料理を出されるか分かったものではない。
お冷を持ってくる店員に、僕は般若の形相with上腕二頭筋でお出迎え。店員は少し、怖気付いているようだ。目を逸らしている。
「えと、ご注文がお決まりになりましたら、ボ、ボタンでお呼び下さい」
「よし……。よし!」
「グッジョブよ霖之助! 形勢逆転といったところね!」
「しかし……。問題はメニューの方だ。何が地雷か、分かったもんじゃない」
「そうね……」
「こればっかりは好きな物を頼むとしよう。同じ物を頼むと、二人仲良くあの世行きになるかもしれない」
「了解。……一緒に、生きて帰りましょう」
「君こそ、うかつなメニューを選ぶんじゃないぞ」
さて、メニューを見ると選り取りみどり。牛丼屋であるにも関わらず、豚トロ丼なるものや焼き鳥丼なるものもある。
牛丼屋だからこそ、牛丼を頼むべきか。あるいは、そうする者は何も考えない馬鹿だというのか。
いまいち、何を基準に判断すべきか分からない。
「……待てよ!」
よく見ると、値段と共に熱量の目安が記されている。これだ。
最も効率よく熱量の摂取できるメニューを選択すれば、ボッタクリを回避できそうだ。
例えば、牛丼並。250円で634kcalということは、1円あたり約2.5kcal。
対する牛丼メガは580円で1124kcal。1円あたり約1.9kcalと、並に比べると損している。
量が多いとお得になるというイメージを逆手にとった罠が仕掛けられている。
では、もっとも効率のよいメニューは……。
「決まったよ」
「私も、ですわ」
「では、このボタンを押そうか」
河童製のボタンらしい。呼び鈴ではなく、わざわざ機械を使うところからも怪しさを感じる。
しかし、迷ってはいられない。おしてみよう ポチッとな!
その次の瞬間、店内は爆音に包まれた!
「い、いやああああああああ!」
「紫! しっかりするんだ! 紫! ただ、ブザーが鳴っただけだから!」
「び、びっくりした……。びっくりした……」
こんなブービートラップとは、卑怯なり。やっぱり罠が仕掛けられていたんだ。無駄に音量がでかいだなんて。
やってくる店員に、あの紫が涙目でキッと睨みつけるほどであった。
「ご注文お伺いします」
「おろしポン酢牛丼のサラダセットで」
「サイズは?」
「ミニで」
心の中で、僕はバカヤローと叫んでいた。それは特に効率の悪いメニューではないか。
味噌汁とサラダの76kcalに対し100円プラス。もはや暴利である。
紫よ、しかと見ててくれ。知的なメニュー選びと言うものは、こういうものだ!
「ご注文をどうぞー」
「サイドメニューのマヨネーズを」
「……えーと。単品で、ですか?」
「ああ、マヨネーズ。大盛りをお願いしたい」
「えーと、マヨネーズはサイズのご指定はできないんですが……」
「では、マヨネーズ単品、二つで」
「マヨネーズ二つ。い、以上でよろしかったでしょうか」
「ああ。それでお願いするよ」
マヨネーズ。30円で113kcal。1円でおよそ3.8kcalを摂取できる、もっとも効率的なメニューである!
だが、紫からは「お前馬鹿じゃねーの」みたいな視線が飛んできていた。
「あなた、マヨネーズって何か知っているのかしら?」
「ふむ。僕は料理には疎いからよく知らないが、もっとも効率良くカロリーが摂取できるものだという事実は揺るがないよ」
「ああもう。どうなってもしらないわよ?」
そんなにマヨネーズというものは恐ろしい料理なのだろうかと思った頃合いに。
ついさっき注文を聞いたばかりの店員が、既にやってきている!
「おろしポン酢牛丼のお客様ー」
「はい」
「マヨネーズのお客様ー」
「……えっ」
用途、調味料。変てこな袋に入った白い物体が二つ、ちょこんとお盆に乗ってやってきた。
ぼくはめのまえがまっくらになった。
いや、そんなことより。いくら何でも出てくるのが早すぎる。一分経ったかどうか怪しいレベルだ。
「まずは毒見だ。僕が食べよう」
「ちょ、ちょっと!」
有無をいわさず、どんぶりを奪取。腐ったものが出されているかもしれない。まず、一口。
醤油ベースのスープがご飯にかなりかかっている。それ故、全体的に甘ったるい調子の味。
しかし、そこにおろしポン酢。さっぱりとクールな刺激が、肉の味を引き締めている。
ポン酢だれのかかった薄肉の旨みと、甘い飯が、口の中でとろけて、混ざる。
「……おかしいな。これ、うまい部類に入るぞ?」
「ちょっと。それ、私のなんですけどー……」
「いや、何が入っているか分からないと思って、つい……」
「いいわよ。もう食べてしまいなさい。それとも、マヨネーズでもすするおつもりかしら?」
少しばかり機嫌を損ねたのか、紫の視線が下がってしまった。
だが、僕の役割を忘れてもらっては困るというものだ。
「何を言っているんだ。僕は君に、安心して料理を食べさせるために来たんじゃないか」
そう言って、牛丼を紫の前にスライドさせる。すると、すぐに返ってきてしまった。
「だって! これが無かったら貴方はマヨネーズよ!? しかも貴方の食べかけ、だし……」
「毒見をしたのは失礼だった。だが、僕の使命は君に牛丼を食べさせることだ。僕は食べなくても構わない」
そういって、もう一度牛丼をスライドさせる。
紫は、なんだか俯いてしまったままである。牛丼をぼうっと見つめている。
僕に視線を合わせないまま、牛丼が、もう一度だけそろりと動く。
弱々しい力でスライドし、どんぶりは僕と紫の、ちょうど真ん中の位置で止まる。
震えるような彼女の声が、耳をくすぐった。
「じゃあ、一緒に食べる……?」
牛丼のサイズはミニ。小さいどんぶりに、まずは彼女の箸がおずおずと忍び込んだ。
だが、そこから動かない。彼女はそこで、ようやく僕に視線を合わせた。が、ちょっぴり睨むような細い目をしていらした。
どうやら、「お前も食え。さもなくば殺す」という意味であろう。
彼女の箸が入りっぱなしの牛丼に、僕もお邪魔する。
あんまり不吉じゃない笑みを見せて、彼女はようやく牛丼を頬張ったのだ。
ご飯となると、お互いに無言になってしまう。
二人でちっちゃなどんぶりを、箸をカツカツつつき合う。
隣同士の席だけあって、肩が触れてなんだか気まずかったり。紫の箸を自分の箸でつまんでしまって、慌てて引っ込めてしまったり。
早くこの不気味な空気から解放されたかったのだが、紫の食べるペースが妙に遅い。遅い上に、一口サイズしか口に運ばない。
「……おいしいかい?」
「ええ。まあ、ね……」
「それは、よかった」
ぎこちない空気にいたたまれなくなってきたが、どんぶりの中身はまだ半分ほど。
ちょっとずつしか食べない紫が、意地悪に微笑んだような気がした。
==========
「しかし、二人で480円とは破格だったわね」
「ああ。……だが、何かとんでもない代償も払ったような気がするよ」
命からがら、牛丼屋から脱出成功。真の敵はやはり八雲紫であった。
「ごめんなさいね、今日は無理を言ってしまって」
「謝るだなんて、君らしくないな」
「謝らないで良い、と。もうちょっとだけ、わがまましてもいいってことかしら?」
そう言った途端、紫の手が僕の懐に伸びてきた。逃げる間もなく、例のブツが彼女の手に渡ってしまう。
「待ってくれ! それは僕のもので……!」
「いいじゃないの、マヨネーズの一つくらい。これ、二人で一つずつ持っときましょう?」
「……どうするっていうんだい?」
「今日の思い出にするのー!」
賢者とは思えない無邪気な発言が飛び出した。きゃっきゃっしている紫を見ていると、やっぱり僕ははめられたような気分になってしまう。
今日の彼女、テンション高い。
「ごめんなさい今の割と恥ずかしいこと言ってた気がするので私はここでおいとまいたしますわ霖之助さん今日はほんとありがとう」
「どこまで自分勝手なんだ君はー!」
手のひらの上で転がされたような一日であった。
牛丼屋からは「さっきの客はやばすぎ」という話がこそこそ聞こえてくるし、僕はどうすればいいというんだ。
少なくとも、さっきの牛丼屋には足を運べそうもない。僕にだって、恥ずかしいという感情はあるのだ。
「これからどうすればいいかな。また僕は紫にからかわれるのだろうか」
あまりの孤独さに、マヨネーズに問いかける。
「ま、なるようになるマヨ! そんなことより今は店のことをがんばるマヨ!」
甲高い声で、自作自演。僕は割りと「物フェチ」なので、マヨネーズと会話してうっとりしちゃう人種なのである。
マヨマヨ言っていると、眼前に何か、変てこな金色物体が浮かんでいた。よく見ると、見覚えがある。
紫の後頭部だ!
「見ちゃったマヨ」
いっそ殺してくださいマヨ。
そのままでもお楽しみいただけますが、実験作品ならではの無理矢理感や実験結果について留意すると、異なる楽しみ方ができるはずです。
グラビアアイドルゆかりんりんとは、何を意味する単語なのだろう。
香霖堂に帰ってくると、いつの間にやら机の上に本が置いてあったのだ。
その表紙には水着姿で横たわる八雲紫の姿で飾られ、「真夏のあま~い果実を召し上がれ!」との煽り文句が付いている。
「アイドルは偶像を意味する。偶像というのは、神や仏を表すものだから……。こうするのが正しいのかな」
挑発的で不吉な笑みを称える紫の顔を切り取って、額へ入れる。そいつを仏壇に飾って、鈴をチーンと鳴らしてやった。
残った体の部分については、魔理沙の顔写真と合成することに決定。
あり得ないプロポーションに一人でバカ受けしていると、奴が罵声とともにやってきた。
「せっかく恥ずかしい思いをして作ったんだから、きっちり使いなさいな!」
仏壇の中からボワッと、インチキ妖怪登場。使うって、何をどうするというんだ。
「……急に現れるのはやめてくれと、いつも言っているつもりなんだが」
「では、次からは顔半分から登場いたしますわ。後ろ半分から」
「せめて左半分とかにしてくれよ! 僕は後頭部と会話しなくちゃいけないのか!」
はっきり言って、僕は彼女が苦手だ。会話を楽しむことすら危うい。
ただし、彼女はストーブの燃料を売ってくれる上客でもある。完全に無視することもできず、苦しめられることしかできないのだ。可哀想な僕。
「そもそも、今日は来るよって予告していたじゃないの。その……。グラビア雑誌で」
「ああ、グラビアアイドルゆかりんりんだね」
「言うな馬鹿。だからその……。用事というか、お願いがあって来たわけよ、貴方に」
あの八雲紫が、気まぐれでもなんでもなく、予定があってやってきた!?
あり得ない。今日の天気はハンムラビ法典の予言にあった地球を滅ぼしに来るインカ帝国群UFOのレーザーの雨になるだろう。
しかも彼女、何やら言いにくそうに口をぱくぱくしている。どんな難題をふっかけに来ているんだ。
「すごく聞きたくないんだが……。一体どうしたんだい?」
「私を、牛丼屋に連れてって!」
===========
「これが、牛丼屋か……」
人里のちょっとした路地に、黄色な看板の牛丼屋。流行に疎い僕は、全くその存在を知らなかった。
さて、今回のミッション。
牛丼屋なるところはかなり庶民的な場所であるらしい。そのため、八雲紫ほど気品のある妖怪だと気軽に入れない、らしいのだ。
それでも牛丼屋なるとこに行ってみたいということで、僕を連れてきたというわけだ。
「警戒しよう。まず、店内の様子をチェックだ」
八雲紫がわざわざ僕を呼ぶほどの店だ。どんな罠が待ち受けているのか、分からない。
しかし、外観はどう見ても普通の店である。何が問題なのだろう。
「……ふむ。見たところ、普通の店じゃないか。僕が付いてくる必要なんて、あったのかい?」
「よく見なさい。そこの旗が、全てを表しているわ」
「な……!?」
あまりに衝撃的な一文に、僕は絶句した。
牛丼(並)280円、とある。あまりに安すぎるではないか。
恐らく、金に飢えた粗暴な者達が主な客なのだろう。紫が行きづらいというのも分かる。
さらに恐るべきことは、その280円の部分にバツ印が付いているということだ。
セールにより250円。今や牛丼屋はスラム街から世紀末のモヒカン世界並の治安となった。
「なるほど。ちょっと僕には荷が重いが、やってみるよ」
「頼りにしてますわ」
気分はヒーロー。仮に紫が賊に絡まれたとしても、彼女一人で対抗できるだろう。
だが、それではおいしくご飯が食べられないではないか。
彼女に悪い虫を寄せ付けてはならない。
なら、もっと強くならねばならぬ。強くなくても、強い漢に見せねばならぬ。
ズボンに手を突っ込み、脚を無駄に開いて、首を斜め45度に傾ける。
ワルだ。僕は完全なるワルになれる! これでようやく入店できるというものだよ!
「うぃ~っす! お客様のご来店でーい!」
「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」
「なん、だと……!?」
僕の全力のワルが、軽く受け流されるだと……!? 僕を軽く上回るワルがぞろぞろいるということだろう。
しかも、好きな席を選べときた。普通の店は席まで案内するはずなのだが……。
待てよ、つまりこれは!
「僕達を、試している……!」
「な、何ですって!」
「静かに! 僕達は狙われているかもしれない。いつひったくられるか、ぼったくられるか分からないんだ」
「わ、私、帰った方がいいかしら……!」
「何のために僕がいると思っているんだ。今日くらいヒーロー気分でいさせてくれ。僕を盾にしていいから、君は安心して牛丼を食せばいい」
「り、霖之助さん……!」
決まった。最高に決まった。店員さんが口をぽっかーんとして呆気に取られているが、気にしない。
だが、これ以上店員を待たせるわけにはいかない。もし異常な行動と受け取られると、マークされてぼったくられる危険性がある。
席選びだって僕たちの知的水準を試しているわけで、選択を誤ればマークされて人身売買される危険性がある。
「紫、こっちだ!」
「ふえ!?」
カウンター席に向かおうとしていた紫の腕を掴み、テーブル席に引っ張る。
危ないところだった。カウンター席は背中がガラ空きという弱点がある。いつ刺されてもおかしくない。
「君は壁側のソファーに座るといい。そこなら極めて安全だ」
「で、でも! 今度は貴方の後ろが!」
紫と対面すると、必然、僕の後ろが空いてしまう。背中には店員用スペースを挟んでカウンター席すらある。
この位置は店員と客の両者から狙われる、最悪の場所だ。
くそ、ここはやむを得ない!
「仕方がない。お隣、失礼するよ」
「あまり無茶な行動をとっては駄目よ。こんなところでくたばってくれたら、私の身にも危険が及びます」
「すまない。もっと自分の身を大切にするよ」
紫も僕も、息絶え絶え。崖っぷちに立たされているかのようで、神経がすり減り続けていた。
二人連れが隣同士で座るという妙な配置になったものの、ようやっと座ることができた。
だが、奴は間髪入れずに攻撃をしてきたのだ!
「ご注文の方、お決まりですか?」
「な、なに……!?」
席についた瞬間に、注文を取るだと!?
通常では考えられない出来事に、僕は激しく動揺してしまう。
が、ここは紫が適切にフォロー。
「まずは、お冷を」
「はい、かしこまりました」
目の前の出来事を、僕は呆然と眺めることしかできなかった。
「あ、あ……。ありがとう、紫。あ、危なかった……」
「慣れていないと見るや否や、お冷を持ってこなかったのね。ここで舐められたままだったら、一貫の終わりだったわ」
「すまない、僕としたことが取り乱してしまったよ」
メニューを見せる暇も用意せず、水すら出さない。今のところ、客としての評価は最低レベルなのだろう。
しかし、紫の努力を無駄にする訳にはいかない。
強い客であることをアピールせねば、どんな腐った料理を出されるか分かったものではない。
お冷を持ってくる店員に、僕は般若の形相with上腕二頭筋でお出迎え。店員は少し、怖気付いているようだ。目を逸らしている。
「えと、ご注文がお決まりになりましたら、ボ、ボタンでお呼び下さい」
「よし……。よし!」
「グッジョブよ霖之助! 形勢逆転といったところね!」
「しかし……。問題はメニューの方だ。何が地雷か、分かったもんじゃない」
「そうね……」
「こればっかりは好きな物を頼むとしよう。同じ物を頼むと、二人仲良くあの世行きになるかもしれない」
「了解。……一緒に、生きて帰りましょう」
「君こそ、うかつなメニューを選ぶんじゃないぞ」
さて、メニューを見ると選り取りみどり。牛丼屋であるにも関わらず、豚トロ丼なるものや焼き鳥丼なるものもある。
牛丼屋だからこそ、牛丼を頼むべきか。あるいは、そうする者は何も考えない馬鹿だというのか。
いまいち、何を基準に判断すべきか分からない。
「……待てよ!」
よく見ると、値段と共に熱量の目安が記されている。これだ。
最も効率よく熱量の摂取できるメニューを選択すれば、ボッタクリを回避できそうだ。
例えば、牛丼並。250円で634kcalということは、1円あたり約2.5kcal。
対する牛丼メガは580円で1124kcal。1円あたり約1.9kcalと、並に比べると損している。
量が多いとお得になるというイメージを逆手にとった罠が仕掛けられている。
では、もっとも効率のよいメニューは……。
「決まったよ」
「私も、ですわ」
「では、このボタンを押そうか」
河童製のボタンらしい。呼び鈴ではなく、わざわざ機械を使うところからも怪しさを感じる。
しかし、迷ってはいられない。おしてみよう ポチッとな!
その次の瞬間、店内は爆音に包まれた!
「い、いやああああああああ!」
「紫! しっかりするんだ! 紫! ただ、ブザーが鳴っただけだから!」
「び、びっくりした……。びっくりした……」
こんなブービートラップとは、卑怯なり。やっぱり罠が仕掛けられていたんだ。無駄に音量がでかいだなんて。
やってくる店員に、あの紫が涙目でキッと睨みつけるほどであった。
「ご注文お伺いします」
「おろしポン酢牛丼のサラダセットで」
「サイズは?」
「ミニで」
心の中で、僕はバカヤローと叫んでいた。それは特に効率の悪いメニューではないか。
味噌汁とサラダの76kcalに対し100円プラス。もはや暴利である。
紫よ、しかと見ててくれ。知的なメニュー選びと言うものは、こういうものだ!
「ご注文をどうぞー」
「サイドメニューのマヨネーズを」
「……えーと。単品で、ですか?」
「ああ、マヨネーズ。大盛りをお願いしたい」
「えーと、マヨネーズはサイズのご指定はできないんですが……」
「では、マヨネーズ単品、二つで」
「マヨネーズ二つ。い、以上でよろしかったでしょうか」
「ああ。それでお願いするよ」
マヨネーズ。30円で113kcal。1円でおよそ3.8kcalを摂取できる、もっとも効率的なメニューである!
だが、紫からは「お前馬鹿じゃねーの」みたいな視線が飛んできていた。
「あなた、マヨネーズって何か知っているのかしら?」
「ふむ。僕は料理には疎いからよく知らないが、もっとも効率良くカロリーが摂取できるものだという事実は揺るがないよ」
「ああもう。どうなってもしらないわよ?」
そんなにマヨネーズというものは恐ろしい料理なのだろうかと思った頃合いに。
ついさっき注文を聞いたばかりの店員が、既にやってきている!
「おろしポン酢牛丼のお客様ー」
「はい」
「マヨネーズのお客様ー」
「……えっ」
用途、調味料。変てこな袋に入った白い物体が二つ、ちょこんとお盆に乗ってやってきた。
ぼくはめのまえがまっくらになった。
いや、そんなことより。いくら何でも出てくるのが早すぎる。一分経ったかどうか怪しいレベルだ。
「まずは毒見だ。僕が食べよう」
「ちょ、ちょっと!」
有無をいわさず、どんぶりを奪取。腐ったものが出されているかもしれない。まず、一口。
醤油ベースのスープがご飯にかなりかかっている。それ故、全体的に甘ったるい調子の味。
しかし、そこにおろしポン酢。さっぱりとクールな刺激が、肉の味を引き締めている。
ポン酢だれのかかった薄肉の旨みと、甘い飯が、口の中でとろけて、混ざる。
「……おかしいな。これ、うまい部類に入るぞ?」
「ちょっと。それ、私のなんですけどー……」
「いや、何が入っているか分からないと思って、つい……」
「いいわよ。もう食べてしまいなさい。それとも、マヨネーズでもすするおつもりかしら?」
少しばかり機嫌を損ねたのか、紫の視線が下がってしまった。
だが、僕の役割を忘れてもらっては困るというものだ。
「何を言っているんだ。僕は君に、安心して料理を食べさせるために来たんじゃないか」
そう言って、牛丼を紫の前にスライドさせる。すると、すぐに返ってきてしまった。
「だって! これが無かったら貴方はマヨネーズよ!? しかも貴方の食べかけ、だし……」
「毒見をしたのは失礼だった。だが、僕の使命は君に牛丼を食べさせることだ。僕は食べなくても構わない」
そういって、もう一度牛丼をスライドさせる。
紫は、なんだか俯いてしまったままである。牛丼をぼうっと見つめている。
僕に視線を合わせないまま、牛丼が、もう一度だけそろりと動く。
弱々しい力でスライドし、どんぶりは僕と紫の、ちょうど真ん中の位置で止まる。
震えるような彼女の声が、耳をくすぐった。
「じゃあ、一緒に食べる……?」
牛丼のサイズはミニ。小さいどんぶりに、まずは彼女の箸がおずおずと忍び込んだ。
だが、そこから動かない。彼女はそこで、ようやく僕に視線を合わせた。が、ちょっぴり睨むような細い目をしていらした。
どうやら、「お前も食え。さもなくば殺す」という意味であろう。
彼女の箸が入りっぱなしの牛丼に、僕もお邪魔する。
あんまり不吉じゃない笑みを見せて、彼女はようやく牛丼を頬張ったのだ。
ご飯となると、お互いに無言になってしまう。
二人でちっちゃなどんぶりを、箸をカツカツつつき合う。
隣同士の席だけあって、肩が触れてなんだか気まずかったり。紫の箸を自分の箸でつまんでしまって、慌てて引っ込めてしまったり。
早くこの不気味な空気から解放されたかったのだが、紫の食べるペースが妙に遅い。遅い上に、一口サイズしか口に運ばない。
「……おいしいかい?」
「ええ。まあ、ね……」
「それは、よかった」
ぎこちない空気にいたたまれなくなってきたが、どんぶりの中身はまだ半分ほど。
ちょっとずつしか食べない紫が、意地悪に微笑んだような気がした。
==========
「しかし、二人で480円とは破格だったわね」
「ああ。……だが、何かとんでもない代償も払ったような気がするよ」
命からがら、牛丼屋から脱出成功。真の敵はやはり八雲紫であった。
「ごめんなさいね、今日は無理を言ってしまって」
「謝るだなんて、君らしくないな」
「謝らないで良い、と。もうちょっとだけ、わがまましてもいいってことかしら?」
そう言った途端、紫の手が僕の懐に伸びてきた。逃げる間もなく、例のブツが彼女の手に渡ってしまう。
「待ってくれ! それは僕のもので……!」
「いいじゃないの、マヨネーズの一つくらい。これ、二人で一つずつ持っときましょう?」
「……どうするっていうんだい?」
「今日の思い出にするのー!」
賢者とは思えない無邪気な発言が飛び出した。きゃっきゃっしている紫を見ていると、やっぱり僕ははめられたような気分になってしまう。
今日の彼女、テンション高い。
「ごめんなさい今の割と恥ずかしいこと言ってた気がするので私はここでおいとまいたしますわ霖之助さん今日はほんとありがとう」
「どこまで自分勝手なんだ君はー!」
手のひらの上で転がされたような一日であった。
牛丼屋からは「さっきの客はやばすぎ」という話がこそこそ聞こえてくるし、僕はどうすればいいというんだ。
少なくとも、さっきの牛丼屋には足を運べそうもない。僕にだって、恥ずかしいという感情はあるのだ。
「これからどうすればいいかな。また僕は紫にからかわれるのだろうか」
あまりの孤独さに、マヨネーズに問いかける。
「ま、なるようになるマヨ! そんなことより今は店のことをがんばるマヨ!」
甲高い声で、自作自演。僕は割りと「物フェチ」なので、マヨネーズと会話してうっとりしちゃう人種なのである。
マヨマヨ言っていると、眼前に何か、変てこな金色物体が浮かんでいた。よく見ると、見覚えがある。
紫の後頭部だ!
「見ちゃったマヨ」
いっそ殺してくださいマヨ。