「いいですか。皆さん。これをこうして──」
朝日が上がる。
雀がチュンチュンと鳴きだす頃。人々は日の光、鳴き声に起こされて目が覚める。今日という日の始まりである。
布団をたたみ終え、身だしなみを整えたあと、食事の準備をし始める。
各家のこどもたちは食事を終えると、待ち合わせ場所に集合した。ある場所に向かう為に。これも、いつもの日常の風景である。
慧音はいつもどおり、寺子屋に通うこどもたちに勉強を教えていた。小難しい、わたしには一生縁のない『勉強』である。
「……」
とくにすることもないわたしは、そんな、こどもたちが勉強をする姿を……いや、自分の気持ちに嘘をつかなければ、わたしは、慧音のことを見に来ていることになる。
今ここで、こどもたちに勉強を教えている慧音は、本当に生き生きとしている。
自分が開いた寺子屋に、こんなにもこどもたちが集まってくれるのだから、嬉しいに違いないのだが。
しかし、いつ見ても輝いている。
普段の慧音と言えば、気難しく、何事にも冷静に対応して──。
そこまで言えば立派な人物なのだが。裏を返せば無愛想。あまり笑顔がない。
だが、こうやって、寺子屋でこどもたちに勉強を教えているときの慧音は、本当に嬉しそうだ。そんな姿が、わたしにはキラキラと輝く宝石と、何にも変わらない美しさを感じていた。
と……そこまで考えて、自分の心に正直にならなければよかったと、後悔した。
なんだか、妙に恥ずかしい……。
別に口に出して言ったはけではないし、自分にしか分からないのだからいいのではないかと思うかもしれないけど、こうやってキッパリ言い放つ(心の中でだけど)と、気恥ずかしいという感情が湧き上がってくるものだ。
「……」
あ、ダメだダメだ。自分で顔が熱くなってきているのが分かる。このままではタコの様に真っ赤になるのが目に見えていた。
どう誤魔化そうかと頭をフル回転させて奮闘していると、ある一つの考えがひらめいた。
わたしはおもむろに自分のほっぺを優しくつねった。これでは全然痛くはない。
ひと呼吸置いてから、ぐぎィぃと自分のほっぺをつねってみる。
ああ……結構、痛い……これ。
痛いけど、これで誤魔化せるかもしれない。
もう一度、ぐぎィぃ。
「う、痛い……」
ついつい反射的に声が出てしまった。
今、こどもたちは黒板に書かれている文字を一生懸命に写している。そうなると、必然的に今の寺子屋内は静まり返っていることになる。
そんな空間でのわたしの声。こどもたちがわたしを見ないはけがなかった。
わたしが今座っている場所は、寺子屋の窓際、一番左側の一番後ろの席。
寺子屋で勉強しているこどもたちの人数は数十人。今まで授業に集中していた彼ら彼女らが一斉に振り返るとわたしを見た。
あまり目立ちたくないわたしにとっては、地獄絵図のなにものでもない状況。
男の子「ジぃー……」
女の子「ジっー……」
「うう……! わたしを見るな!」
恥ずかしさのあまり、そう叫びながら両腕をジタバタさせて顔を隠す。
そんなときだった。
ゴツン!っと、頭に重たい衝撃が……。
「いっ! なんだよ! 殴ることないだろ!」
頭を押さえながら殴った相手を見上げると……。
「あ……」
「殴ったのではなく、制裁のげんこつよ。これは」
慧音が笑っていた。普段はあまり見られない笑顔。握りこぶしを作りながら。
顔は笑っている。顔は笑っているのだが、目が笑ってない。それが逆に怖い。笑い慣れてないだけかな~とか、そんな冗談を考えているヒマなどない。
どう誤魔化して許してもらうかと考えるのだが、一向に良い考えが浮かばない。
少し早い気もするが、最後の手段を使うことにした。
「ごめんなさい! 授業の妨害をしたんだったら謝る! だからゆるしてくれ!」
あぐらから正座の状態になり、机に両手をつく、穴が開くのではないかと思うくらいに額を押し付けた。
そんなわたしを見てザワついてるこどもたち。うう、おかしなお姉ちゃんと思われたかもしれない……。
「まったく……さっきからあなたを見ていれば、なんですか、急に自分のほっぺをつねったりして。あれだけ強くつねれば痛いに決まってるじゃないですか。それで皆に見られて恥ずかしくなって逆ギレなんて……私より生きている人間とは思えませんよ?」
嘆息付きながら、慧音はそんなことを言った。
なんというか、恥ずかしいを通り越してもう、自分に呆れてしまう。
「無意味に毎日毎日寺子屋に来て、何をするでもないのに。寺子屋は学ぶ場所です。こどもたちの邪魔をするなら出てってもらいますよ」
なんとも冷たい言葉だった。いや、わたしの責任だから仕方ないとは分かっているのだが、やっぱり、こう言われると辛かった。
「ごめん……今日は帰るよ」
そう言うと、わたしは席を立ち、寺子屋をあとにした。
■
寺子屋を出ると、わたしはこれから何をしようかと考える。が、別に何も思いつかない。毎日こうやって何をするでもなく『貴重な時間』を浪費し続けている。
そう考えると、無性に自分が腹立しく思えてきた。
「……はぁ」
だが、ため息しかでない。
自分が腹立しく思えてきたところで、自分を自分で傷つける程、わたしは狂ってはいないし、わたしは不死身だから傷つけたところですぐに再生してしまうだろう。だからこそ、ため息を付く意外にする方法がみつからなかった。
後ろを振り返り、寺子屋を見上げる。
それに比べて、
「慧音は凄いな……誰かのために頑張ってるんだもん」
『今あなたが一番尊敬している人物は?』そんな質問があるとすれば、わたしは間髪入れずに慧音だと言い張る自信がある。
そんな自信、別にいらないけど……。
寺子屋を開いて、毎日早起きして、自分には何も利益がないのに……と、そこまで考えてバカバカしいと感じた。
まず、利益がどうとか考えてる時点でわたしは、慧音の様に立派にはなれいのだと思う。
慧音からしたら、こどもたちの笑顔が利益なのだろうが、わたしはそこまで真人間ではないし。
「……昔は、わたしのことを頼ってくれてたんだけどな」
慧音が小さい頃だけど。
あの頃はすぐに「妹紅お姉ちゃーん~!」と言って、抱きついてきたものだけど。
「今じゃあ、わたしより背も大きくなったし。わたしより立派になったし……」
なんだか少し、遠い存在になったな~と感じた。
このままじゃあ、いつまでたっても自分の気持ちを伝えることなんてできやしないじゃないか。
そこでまた、ため息を付いた。
■
『何かをする』という選択肢が、わたしにはないのだろうか?
結局、朝方から日が暮れるまで、わたしは寺子屋の隅の壁にへばりついて、慧音が授業を終えるのをただただ待っていた。
あぁ~……ほんと、だっめダメだろぅ……わたし。
ガックリと肩を落とす。
そんなだっめダメなわたしを横目に、こどもたちは授業を終え、皆、それぞれの家に帰っていく。数分の間、そんなこどもたちが帰宅する姿を見終えたあと、寺子屋内に誰もいなくなったのを確認してわたしは中に入った。
寺子屋に入れば、短い廊下が続いていた。窓から注がれる夕暮れの、オレンジ色の光が木造で作られた床板を照らしている。そんな普段の光景が、とても美しく思えた。
そんな余韻に浸りつつ、廊下を歩き、慧音のいるであろう教室に入る。
慧音は黒板にびっしりと書かれている白い文字を消していた。
「この待ち時間を、何か別の事に使うという選択肢はなかったのかしら?」
教室に入ると、慧音はわたしを見ずにそんなことを言った。
「はは……、いや~……、空を見上げたら雲がもくもくしてて、ふわふわでおいしそうだったから、ついつい見とれてしまっていて……」
瞬時に出たいい訳がこれだった。
いやいや、おかしいだろ。それ。
「そんなにお腹が減っていたの? じゃあ早く帰りましょう。食事をご馳走するわ」
「え」
普通に反応されると逆に困ってしまう。
「いや……お腹は減ってないから急がなくて大丈夫」
「あら。そう?」
首を傾げる慧音。う~む、天然だ。
と、そんな事よりも、だ。
「今日は……ごめん。授業の妨害してしまって」
深々と頭を下げる。
「頭を上げて……私も少し、言い過ぎましたから。私こそ、今日はごめんなさい」
ペコリと頭を下げる慧音。わたしはてっきり、がみがみ説教されるのではと覚悟していたのだが、なんだか逆に謝られるとものすごく罪悪感に駆られてしまう。
「いやいや! 慧音が謝ることないって! 今日はすべてわたしが悪い!」
追い立てるように、わたしは早口でそう言った。
「そう。じゃあ、今日は全部妹紅が悪いわ」
「切り替え早!? いやわたしが全部悪いんだけども!」
「……」
「……」
二人ともしばらく沈黙。
慧音は黒板を消し、わたしはその様子を淡々と眺めている。
さっきも感じていたことなのだが、窓から注がれる夕暮れの光が慧音の横顔にかかり、なんと言うか……すごく美しい。
と、そんなことを考えている自分が物凄く恥ずかしいヤツに思えてきた。
「なにあなたは、一人で赤面しているのかしら?」
「え、? あ、あぁ! べ、べつになんでもないぞ!?」
焦ったわたしは頭をかいた。
「そういえば、授業中も真っ赤になってたわね……どうして?」
まさか話の流れがそっちに向くとは思っていなかった。赤面してしまった自分を呪う。
すぐにいい訳を言おうと口を開こうとした時、ある考えが頭に浮かんだ。
「……」
「どうかしたの?」
急に真剣な表情にになったわたしを見て、不思議に思ったのであろう、首を傾げた。
わたしは言おうと覚悟したのだ。わたしの想いを。この想いを。大好きな、この気持ちを。
唐突だと思われるかもしれないけど、このチャンスを逃せば、一生涯、自分の気持ちは慧音には伝えられないだろう。一生……。
「なぁ……!」
声が上ずった。どうしてわたしは、こう大事な場面に限って! 泣きたくなった。
慧音を見る。
慧音は真剣な表情でわたしの瞳を見つめていた。
今更、なんでもないなんて言えない。そんなの失礼だ。なによりわたしが辛かった。
「……すぅー……」
深呼吸した。深呼吸してからわたしは言った。
「好きだ! 愛してる!」
単刀直入。いやいや! そこは好きになったワケとか、どこが好きなのかとか、そういうのを先に言うんじゃないのか! わたし!?
内心焦りながら慧音の表情を探る。
「……」
無言、完全無表情。ぜんぜんわかんない!
「あ、えっとな。その……す、好きな理由は……」
とにかく言いたいコトはいっぱいあって、頭がパンクしそうだった。
「あぁもう! とにかく好きなんだ! 愛してるんだぁ!」
教室内に響き渡るわたしの声。もう恥ずかしい気持ちより、今まで押さえてきた気持ちを伝えたかった。
「その、好きっていうのは……友達として? それとも……恋人として?」
「そんなの決まってる! 友達としてじゃなく、恋人ととして、慧音とずっと一緒にいたいんだ!」
「……」
その言葉を聞いたあと、慧音は考え込むようにして下を向いた。
その数分が、わたしには永遠とも、永久にも思えてならなかった。
わたしは慧音の言葉を待った。
そして……。
慧音が泣いた。
「え? どうして泣くんだよ! ……あ、もしかして、こんなこと言われるの嫌だったか? そりゃあそうだ。わたしはバケモノのみたいなものだし……そんなヤツに愛の告白されるのなんかイヤだろうな……本当にごめん」
素直に謝った。本当に申し訳ない気持ちになって、わたしは泣きたくなった。
いや、泣いた。泣いて謝った。
「違うんです……うれしくて、つい」
慧音は涙を拭いながらそう言った。
そう言った慧音にもびっくりなのだが、それよりも「うれしくて」とはどういうことなのだろうか?
それはつまり……慧音もわたしのことを!?
そう考えただけで、さっきまでの申し訳ない気持ち、悲しい気持ちで溢れてきた涙が、今では嬉し涙に変わっていた。いや、早とちりなのは分かっているのだが、どうしてもそう言ってもらえたのが嬉しくて……。
夕暮れの光に照らされて、わたし達二人は泣いた。ひとしきり泣いたあと、慧音が口を開いた。
「私も……好きでした。でも、言えなくて」
その言葉が信じられなかった。わたしの事が好きだった? ホントに?
そんな心情が顔に出てしまったのだろう、慧音が答える。
「怖かったんです。私、あなたといられる時間が限られてるのが……」
そう言った慧音は、本当に悲しそうな顔を見せた。また泣き出してしまいそうな、そんな表情。
「私はあなたの気持ちを知ってました。……相思相愛、というのでしょうか。それでも言えなかったのは『時間』という枷があったから」
「……」
わたしは慧音を見つめ、その言葉に耳を傾けた。
「あなたといられる時間は本当に短いっ。あなたから見たら、ほんの何十年。妹紅……あなたなら、私のことを一生愛してくれるでしょう? だからこそ、言えなかった……」
つまり慧音は、わたしを傷つけたくないのだと言う。
わたしは寿命という概念がない。不死身。死ぬことはない。だからこそ、わたしとは付き合えないのだと言う。
「私が死んだあと、あなたはその悲しみを……一生涯、背負わなくてはならなくなる。そんなの、悲しすぎますよ……」
そして慧音は、また涙を流した。
いつも慧音は、正しい事を言う。相手の気持ちを見透かすように。ただ、今回だけは間違っていた。
「それは違うよ。慧音」
わたしは言う。
「確かに、わたしからしたら、何十年という月日は一瞬のように短いと感じるかもしれない。でもね。その短い時間がわたしには必要なんだよ」
そして笑う。
「わたしは死なない。この世界で、この世界が滅びようとも、人々が誰一人としていなくなったとしても、わたしは死なない。それは本当に悲しいことで、苦しいことだと思う。でもな。慧音と恋人同士でいられたその時間が、わたしの助けになってくれると思うんだよ。確かに、慧音と離れ離れになるのは悲しいよ。でも、ほんの少しだったとしても、慧音といられた時間は、幸せは、慧音は、わたしの中で生きつづける。だからこそ、わたしは生きていけると思うんだよ」
ひとしきりわたしが言ったあと、慧音が口を開いた。
「強いなぁ……きみは」
そう言いながら笑うと、慧音はわたしを抱きしめた。
「わかりました。おいていかれる側ではないのに、弱気になっていてはダメですよね?」
「え? じゃあぁ」
「はい。わたしも愛してますよ。妹紅」
ゼロ距離といってもいいほどの距離での愛の告白。ハッキリ言って、頭が沸騰して、死ぬんじゃないかと思った。不死身だから死なないんだけどさ、わたし。
「わたしも、愛してるぞ! 慧音」
優しい光に包まれながら、わたし達は顔を近づけ、キスをした。
そのキスから、わたしと慧音の物語が始まったのだ。儚い、恋が。
ただ、その儚い時間こそが一番、わたしには重要なのかもしれなかった。
朝日が上がる。
雀がチュンチュンと鳴きだす頃。人々は日の光、鳴き声に起こされて目が覚める。今日という日の始まりである。
布団をたたみ終え、身だしなみを整えたあと、食事の準備をし始める。
各家のこどもたちは食事を終えると、待ち合わせ場所に集合した。ある場所に向かう為に。これも、いつもの日常の風景である。
慧音はいつもどおり、寺子屋に通うこどもたちに勉強を教えていた。小難しい、わたしには一生縁のない『勉強』である。
「……」
とくにすることもないわたしは、そんな、こどもたちが勉強をする姿を……いや、自分の気持ちに嘘をつかなければ、わたしは、慧音のことを見に来ていることになる。
今ここで、こどもたちに勉強を教えている慧音は、本当に生き生きとしている。
自分が開いた寺子屋に、こんなにもこどもたちが集まってくれるのだから、嬉しいに違いないのだが。
しかし、いつ見ても輝いている。
普段の慧音と言えば、気難しく、何事にも冷静に対応して──。
そこまで言えば立派な人物なのだが。裏を返せば無愛想。あまり笑顔がない。
だが、こうやって、寺子屋でこどもたちに勉強を教えているときの慧音は、本当に嬉しそうだ。そんな姿が、わたしにはキラキラと輝く宝石と、何にも変わらない美しさを感じていた。
と……そこまで考えて、自分の心に正直にならなければよかったと、後悔した。
なんだか、妙に恥ずかしい……。
別に口に出して言ったはけではないし、自分にしか分からないのだからいいのではないかと思うかもしれないけど、こうやってキッパリ言い放つ(心の中でだけど)と、気恥ずかしいという感情が湧き上がってくるものだ。
「……」
あ、ダメだダメだ。自分で顔が熱くなってきているのが分かる。このままではタコの様に真っ赤になるのが目に見えていた。
どう誤魔化そうかと頭をフル回転させて奮闘していると、ある一つの考えがひらめいた。
わたしはおもむろに自分のほっぺを優しくつねった。これでは全然痛くはない。
ひと呼吸置いてから、ぐぎィぃと自分のほっぺをつねってみる。
ああ……結構、痛い……これ。
痛いけど、これで誤魔化せるかもしれない。
もう一度、ぐぎィぃ。
「う、痛い……」
ついつい反射的に声が出てしまった。
今、こどもたちは黒板に書かれている文字を一生懸命に写している。そうなると、必然的に今の寺子屋内は静まり返っていることになる。
そんな空間でのわたしの声。こどもたちがわたしを見ないはけがなかった。
わたしが今座っている場所は、寺子屋の窓際、一番左側の一番後ろの席。
寺子屋で勉強しているこどもたちの人数は数十人。今まで授業に集中していた彼ら彼女らが一斉に振り返るとわたしを見た。
あまり目立ちたくないわたしにとっては、地獄絵図のなにものでもない状況。
男の子「ジぃー……」
女の子「ジっー……」
「うう……! わたしを見るな!」
恥ずかしさのあまり、そう叫びながら両腕をジタバタさせて顔を隠す。
そんなときだった。
ゴツン!っと、頭に重たい衝撃が……。
「いっ! なんだよ! 殴ることないだろ!」
頭を押さえながら殴った相手を見上げると……。
「あ……」
「殴ったのではなく、制裁のげんこつよ。これは」
慧音が笑っていた。普段はあまり見られない笑顔。握りこぶしを作りながら。
顔は笑っている。顔は笑っているのだが、目が笑ってない。それが逆に怖い。笑い慣れてないだけかな~とか、そんな冗談を考えているヒマなどない。
どう誤魔化して許してもらうかと考えるのだが、一向に良い考えが浮かばない。
少し早い気もするが、最後の手段を使うことにした。
「ごめんなさい! 授業の妨害をしたんだったら謝る! だからゆるしてくれ!」
あぐらから正座の状態になり、机に両手をつく、穴が開くのではないかと思うくらいに額を押し付けた。
そんなわたしを見てザワついてるこどもたち。うう、おかしなお姉ちゃんと思われたかもしれない……。
「まったく……さっきからあなたを見ていれば、なんですか、急に自分のほっぺをつねったりして。あれだけ強くつねれば痛いに決まってるじゃないですか。それで皆に見られて恥ずかしくなって逆ギレなんて……私より生きている人間とは思えませんよ?」
嘆息付きながら、慧音はそんなことを言った。
なんというか、恥ずかしいを通り越してもう、自分に呆れてしまう。
「無意味に毎日毎日寺子屋に来て、何をするでもないのに。寺子屋は学ぶ場所です。こどもたちの邪魔をするなら出てってもらいますよ」
なんとも冷たい言葉だった。いや、わたしの責任だから仕方ないとは分かっているのだが、やっぱり、こう言われると辛かった。
「ごめん……今日は帰るよ」
そう言うと、わたしは席を立ち、寺子屋をあとにした。
■
寺子屋を出ると、わたしはこれから何をしようかと考える。が、別に何も思いつかない。毎日こうやって何をするでもなく『貴重な時間』を浪費し続けている。
そう考えると、無性に自分が腹立しく思えてきた。
「……はぁ」
だが、ため息しかでない。
自分が腹立しく思えてきたところで、自分を自分で傷つける程、わたしは狂ってはいないし、わたしは不死身だから傷つけたところですぐに再生してしまうだろう。だからこそ、ため息を付く意外にする方法がみつからなかった。
後ろを振り返り、寺子屋を見上げる。
それに比べて、
「慧音は凄いな……誰かのために頑張ってるんだもん」
『今あなたが一番尊敬している人物は?』そんな質問があるとすれば、わたしは間髪入れずに慧音だと言い張る自信がある。
そんな自信、別にいらないけど……。
寺子屋を開いて、毎日早起きして、自分には何も利益がないのに……と、そこまで考えてバカバカしいと感じた。
まず、利益がどうとか考えてる時点でわたしは、慧音の様に立派にはなれいのだと思う。
慧音からしたら、こどもたちの笑顔が利益なのだろうが、わたしはそこまで真人間ではないし。
「……昔は、わたしのことを頼ってくれてたんだけどな」
慧音が小さい頃だけど。
あの頃はすぐに「妹紅お姉ちゃーん~!」と言って、抱きついてきたものだけど。
「今じゃあ、わたしより背も大きくなったし。わたしより立派になったし……」
なんだか少し、遠い存在になったな~と感じた。
このままじゃあ、いつまでたっても自分の気持ちを伝えることなんてできやしないじゃないか。
そこでまた、ため息を付いた。
■
『何かをする』という選択肢が、わたしにはないのだろうか?
結局、朝方から日が暮れるまで、わたしは寺子屋の隅の壁にへばりついて、慧音が授業を終えるのをただただ待っていた。
あぁ~……ほんと、だっめダメだろぅ……わたし。
ガックリと肩を落とす。
そんなだっめダメなわたしを横目に、こどもたちは授業を終え、皆、それぞれの家に帰っていく。数分の間、そんなこどもたちが帰宅する姿を見終えたあと、寺子屋内に誰もいなくなったのを確認してわたしは中に入った。
寺子屋に入れば、短い廊下が続いていた。窓から注がれる夕暮れの、オレンジ色の光が木造で作られた床板を照らしている。そんな普段の光景が、とても美しく思えた。
そんな余韻に浸りつつ、廊下を歩き、慧音のいるであろう教室に入る。
慧音は黒板にびっしりと書かれている白い文字を消していた。
「この待ち時間を、何か別の事に使うという選択肢はなかったのかしら?」
教室に入ると、慧音はわたしを見ずにそんなことを言った。
「はは……、いや~……、空を見上げたら雲がもくもくしてて、ふわふわでおいしそうだったから、ついつい見とれてしまっていて……」
瞬時に出たいい訳がこれだった。
いやいや、おかしいだろ。それ。
「そんなにお腹が減っていたの? じゃあ早く帰りましょう。食事をご馳走するわ」
「え」
普通に反応されると逆に困ってしまう。
「いや……お腹は減ってないから急がなくて大丈夫」
「あら。そう?」
首を傾げる慧音。う~む、天然だ。
と、そんな事よりも、だ。
「今日は……ごめん。授業の妨害してしまって」
深々と頭を下げる。
「頭を上げて……私も少し、言い過ぎましたから。私こそ、今日はごめんなさい」
ペコリと頭を下げる慧音。わたしはてっきり、がみがみ説教されるのではと覚悟していたのだが、なんだか逆に謝られるとものすごく罪悪感に駆られてしまう。
「いやいや! 慧音が謝ることないって! 今日はすべてわたしが悪い!」
追い立てるように、わたしは早口でそう言った。
「そう。じゃあ、今日は全部妹紅が悪いわ」
「切り替え早!? いやわたしが全部悪いんだけども!」
「……」
「……」
二人ともしばらく沈黙。
慧音は黒板を消し、わたしはその様子を淡々と眺めている。
さっきも感じていたことなのだが、窓から注がれる夕暮れの光が慧音の横顔にかかり、なんと言うか……すごく美しい。
と、そんなことを考えている自分が物凄く恥ずかしいヤツに思えてきた。
「なにあなたは、一人で赤面しているのかしら?」
「え、? あ、あぁ! べ、べつになんでもないぞ!?」
焦ったわたしは頭をかいた。
「そういえば、授業中も真っ赤になってたわね……どうして?」
まさか話の流れがそっちに向くとは思っていなかった。赤面してしまった自分を呪う。
すぐにいい訳を言おうと口を開こうとした時、ある考えが頭に浮かんだ。
「……」
「どうかしたの?」
急に真剣な表情にになったわたしを見て、不思議に思ったのであろう、首を傾げた。
わたしは言おうと覚悟したのだ。わたしの想いを。この想いを。大好きな、この気持ちを。
唐突だと思われるかもしれないけど、このチャンスを逃せば、一生涯、自分の気持ちは慧音には伝えられないだろう。一生……。
「なぁ……!」
声が上ずった。どうしてわたしは、こう大事な場面に限って! 泣きたくなった。
慧音を見る。
慧音は真剣な表情でわたしの瞳を見つめていた。
今更、なんでもないなんて言えない。そんなの失礼だ。なによりわたしが辛かった。
「……すぅー……」
深呼吸した。深呼吸してからわたしは言った。
「好きだ! 愛してる!」
単刀直入。いやいや! そこは好きになったワケとか、どこが好きなのかとか、そういうのを先に言うんじゃないのか! わたし!?
内心焦りながら慧音の表情を探る。
「……」
無言、完全無表情。ぜんぜんわかんない!
「あ、えっとな。その……す、好きな理由は……」
とにかく言いたいコトはいっぱいあって、頭がパンクしそうだった。
「あぁもう! とにかく好きなんだ! 愛してるんだぁ!」
教室内に響き渡るわたしの声。もう恥ずかしい気持ちより、今まで押さえてきた気持ちを伝えたかった。
「その、好きっていうのは……友達として? それとも……恋人として?」
「そんなの決まってる! 友達としてじゃなく、恋人ととして、慧音とずっと一緒にいたいんだ!」
「……」
その言葉を聞いたあと、慧音は考え込むようにして下を向いた。
その数分が、わたしには永遠とも、永久にも思えてならなかった。
わたしは慧音の言葉を待った。
そして……。
慧音が泣いた。
「え? どうして泣くんだよ! ……あ、もしかして、こんなこと言われるの嫌だったか? そりゃあそうだ。わたしはバケモノのみたいなものだし……そんなヤツに愛の告白されるのなんかイヤだろうな……本当にごめん」
素直に謝った。本当に申し訳ない気持ちになって、わたしは泣きたくなった。
いや、泣いた。泣いて謝った。
「違うんです……うれしくて、つい」
慧音は涙を拭いながらそう言った。
そう言った慧音にもびっくりなのだが、それよりも「うれしくて」とはどういうことなのだろうか?
それはつまり……慧音もわたしのことを!?
そう考えただけで、さっきまでの申し訳ない気持ち、悲しい気持ちで溢れてきた涙が、今では嬉し涙に変わっていた。いや、早とちりなのは分かっているのだが、どうしてもそう言ってもらえたのが嬉しくて……。
夕暮れの光に照らされて、わたし達二人は泣いた。ひとしきり泣いたあと、慧音が口を開いた。
「私も……好きでした。でも、言えなくて」
その言葉が信じられなかった。わたしの事が好きだった? ホントに?
そんな心情が顔に出てしまったのだろう、慧音が答える。
「怖かったんです。私、あなたといられる時間が限られてるのが……」
そう言った慧音は、本当に悲しそうな顔を見せた。また泣き出してしまいそうな、そんな表情。
「私はあなたの気持ちを知ってました。……相思相愛、というのでしょうか。それでも言えなかったのは『時間』という枷があったから」
「……」
わたしは慧音を見つめ、その言葉に耳を傾けた。
「あなたといられる時間は本当に短いっ。あなたから見たら、ほんの何十年。妹紅……あなたなら、私のことを一生愛してくれるでしょう? だからこそ、言えなかった……」
つまり慧音は、わたしを傷つけたくないのだと言う。
わたしは寿命という概念がない。不死身。死ぬことはない。だからこそ、わたしとは付き合えないのだと言う。
「私が死んだあと、あなたはその悲しみを……一生涯、背負わなくてはならなくなる。そんなの、悲しすぎますよ……」
そして慧音は、また涙を流した。
いつも慧音は、正しい事を言う。相手の気持ちを見透かすように。ただ、今回だけは間違っていた。
「それは違うよ。慧音」
わたしは言う。
「確かに、わたしからしたら、何十年という月日は一瞬のように短いと感じるかもしれない。でもね。その短い時間がわたしには必要なんだよ」
そして笑う。
「わたしは死なない。この世界で、この世界が滅びようとも、人々が誰一人としていなくなったとしても、わたしは死なない。それは本当に悲しいことで、苦しいことだと思う。でもな。慧音と恋人同士でいられたその時間が、わたしの助けになってくれると思うんだよ。確かに、慧音と離れ離れになるのは悲しいよ。でも、ほんの少しだったとしても、慧音といられた時間は、幸せは、慧音は、わたしの中で生きつづける。だからこそ、わたしは生きていけると思うんだよ」
ひとしきりわたしが言ったあと、慧音が口を開いた。
「強いなぁ……きみは」
そう言いながら笑うと、慧音はわたしを抱きしめた。
「わかりました。おいていかれる側ではないのに、弱気になっていてはダメですよね?」
「え? じゃあぁ」
「はい。わたしも愛してますよ。妹紅」
ゼロ距離といってもいいほどの距離での愛の告白。ハッキリ言って、頭が沸騰して、死ぬんじゃないかと思った。不死身だから死なないんだけどさ、わたし。
「わたしも、愛してるぞ! 慧音」
優しい光に包まれながら、わたし達は顔を近づけ、キスをした。
そのキスから、わたしと慧音の物語が始まったのだ。儚い、恋が。
ただ、その儚い時間こそが一番、わたしには重要なのかもしれなかった。
>読みづらい。
自覚があるなら改善しましょうよ…
慧音の口調が安定していない、という所がより自然体に思えました。
では是非新しくはじまった物語を!