私の部下であるナズーリンは、とってもお料理が上手です。
これは、ナズーリンのご飯を食べている私が言うのだから、間違いありません。
今日の食事当番は、割烹着を着たナズーリン。私もお手伝いをします。
献立はご飯、こんにゃくと根菜の煮物、お麩の味噌汁、そして胡麻豆腐です。
まずはお野菜を洗って、皮を剥いたり小さく切ったりの下拵え。
人参、大根、ごぼう、しいたけ、里芋。これらをナズーリンは、あっという間に皮を丸裸にして、剣士が試し切りする鮮やかさで一口大に切ってしまいます。
それだけでなく、ナズーリンは菜切り包丁一本で、人参を梅花の形にまで切り込めるのです。
一方その間、私は絹さやの筋をぴーって取って、こんにゃくを手で小さくちぎっています。
実は私、包丁仕事が苦手で、この前も練習で握った包丁で指を負傷。ナズーリンに貼ってもらった絆創膏を未だにつけています。
それでもナズーリンは、「人には得手不得手ってものがあるさ」と私の肩を叩いて、今も私が出来る役割を回してくれています。
本当に、私にはもったいない出来た部下です。
昆布と干しいたけの戻し汁で出汁を取って、下拵えした材料と醤油を入れてコトコトと煮ます。
隣の鍋ではお味噌汁も同時に作って、醤油と味噌のいい香りがここまで届いてきます。
私は一つの事を考えるともう一つが疎かになる質なので、ナズーリンの手際の良さにはいつも感心させられています。
さて、煮物が出来るまでに、ナズーリンは胡麻豆腐を人数分に切り分けます。
この薄い肌色をした胡麻豆腐。作り方はとても簡単なのですが、実はとっても手間が掛かります。
まず練り胡麻を作るために胡麻を炒り、すり鉢でどろっとするまで練るのも一苦労。
こうして出来た練り胡麻を、葛と一緒に加熱した後冷やし固めるのですが、この工程は手早く正確に行わないと美味しくなってくれません。
ナズーリンも夕食が始まるずっと前から、黙々と胡麻に向き合っていました。
しかし、そこが天才的とでも言うのでしょうか。ナズーリンの作った胡麻豆腐はとても美味なのです。
むっちりぷるんとした楽しい食感の奥に、ふんわりと濃厚な胡麻の風味が広がって、素朴だけと雅味があるんです。
命蓮寺の皆も同意見で、私は切り分けられた胡麻豆腐を見るだけで涎が出てしまいます。
私はご飯をよそいながら、ナズーリンに聞いてみました。「どうしてそんなに美味しく作れるのですか」と。
するとナズーリンは、照れ臭い時に頬を人差し指で掻く癖を出しながら、こう答えます。
「いやぁ、私は何も特別なことをしている訳じゃない。料理の基本や手順に従っているだけさ。
ちょいと面倒な手順も怠らず忠実にやれば、おのずと味もついてくるよ」
そう笑いながらお盆に料理を載せて、皆の待つ食卓へと向かいます。
謙遜にも聞こえますが、おそらくそれがお料理の真理なのかもしれません。
きっちり計画を立てて、正確に測った材料と調味料を、寸分違わぬタイミングで調理する。
この成果は、いただきますをした後の、皆の笑顔が証明しています。
絹さやで飾った煮物の根菜はほっこりと口の中で崩れ、味の濃さも丁度いい塩梅。
胡麻豆腐はいわずもがな。
ぬえとマミゾウさんが残りを取り合って、聖がたしなめて、それで皆も笑う。
ナズーリンはすごいと思いました。皆を笑顔にできるナズーリンは、まるで魔法使いみたいです。
でも、私にはちょっと難しそう。
不器用だし、何でも丼勘定だから、あんな緻密な真似ができないんです。
また、ナズーリンは舌も肥えています。
ナズーリンは食べ歩きが大好きで、あっちこっちの食事処に顔を出しては、味の分析をしたりしています。
その時のナズーリンの顔はとても幸せそうで、食べる姿を見ているだけでこちらもほっこりとした気分になります。
でもそれ故に、ナズーリンは些細なことにも気がつきます。
この前二人で、人里のお蕎麦屋さんに入りました。有名なお店だそうで、席はほぼ満員。
私は狐蕎麦、ナズーリンはとろろ蕎麦を食べていました。
やはり有名なだけあって、爽やかな香りとのど越しが絶品のお蕎麦でした。
ところが、ナズーリンは一口食べて浮かない顔。
私の会話に相槌を打ってはくれますが、どこか無理矢理に笑顔を作って合わせている様。
勘定を済ませて店外へ。私はナズーリンに具合でも悪いのかと尋ねました。
すると、ナズーリンはバツが悪そうにこう答えました。
「さっきのとろろ蕎麦なんだがね、とろろにこう、ワサビの風味がべったりついていたんだ。
多分、ワサビを擦ったのと同じおろし金で山芋を擦ったんだろう。
まぁ店が忙しいし、おろし金の使い分けが面倒なのも分かる。
でも、淡白なとろろにきつい薬味の匂いが染みついちゃあ、興醒めなんだよなぁ……」
そう感想を漏らすナズーリン。
私は有名店という看板に惑わされず、わずかな問題点を見抜いた鋭敏なナズーリンの舌に驚いたものです。
ちなみに、そのお店とはそれ以来疎遠になってしまいました。
「私たちは、原則的に一日三食だろう。
つまり、一品意にそぐわないご飯を食べるだけで、一日の三分の一を損した気分になるんだよ」
これはナズーリンの言です。
ナズーリンの食事に対する真剣さが伝わってきます。
こういう理由もあって、ナズーリンはあんなに美味しい料理ができるんじゃないかと思います。
私も修行して、ナズーリンみたいになりたい。
そう思いながら、私はごちそうさまの声を重ねました。
――◇――
ナズーリンが病気になりました。
顔が赤くて、目はうつろ。呼吸が荒くて、つばを飲み込むのもツライと言っています。
こう言うと命に関わりそうですが、ただの風邪だそうです。
ゆっくり休んで、美味しいご飯をもりもり食べればすぐ治るとお医者様が言っていました。
ですから、今日のナズーリンは絶対安静です。
布団をかけてあげて、私が傍で看病することに決めました。
ナズーリンは「仕事はいいのかい?」なんて殊勝なことを言うので、「これが今日の仕事です」と額の濡れ布巾を取り替えてあげました。
さて、今日の食事当番は私です。
これは他の当番で忙しい皆の分も作らなければいけないので、休むわけにはいけません。
ナズーリンの看病を一輪と村紗に任せて、私は厨房に立ちます。
しかし、困りました。
今日の献立はどうすればいいのでしょう。
私は病人のための食事を作るどころか、私一人だけでお料理をするのも初めてなのです。
なので聖に相談してみると、「まず消化が良くて、温かなものがいいでしょう」と助言してくれました。
さらに、これが一番大事なことだと、こうつけ加えました。
「ナズーリンの事を考えて一生懸命作れば、どんなお料理でも問題ないのです」
私はその言葉の通り、ナズーリンの事を考えてみました。
温かくて、柔らかで、食欲がないと言うナズーリンでも食べられそうなもの。
ふと、私は思い出しました。
ナズーリンは、茶碗蒸しが大好物だったことです。
茶碗蒸しがあると知った時のナズーリンは子供の様にそわそわとしていて、柔らかな中身を匙ですくう感触まで味わうように、茶碗蒸しを食べていました。
「茶碗蒸しなら何杯だって食べられるけどね、それは贅沢だから一回につき一杯までと決めているんだ。
希少価値を高めることで、茶碗蒸しの幻想的な美味しさが保たれるんだよ」
不思議な理論をやや興奮しながら話していたので、よく覚えています。
よし。今日の晩御飯は茶碗蒸しです。
私は心に決めて、早速材料を集めました。
卵、三つ葉、しいたけ、たけのこ、銀杏。
卵はよく溶いて、銀杏の皮を割っておきます。
次にしいたけとたけのこを刻むのですが、薄く均等に刻むことができなくて、幅がバラバラになってしまいました。
苦肉の策で分厚いものは半分に切り、熱が通りやすくはしました。
しかし見た目が不揃いで、きっと器の中で目立ってしまうでしょう。
気を取り直して、出汁を作ります。
でも、細かな分量や煮出す時間はナズーリンに任せていたので、記憶を頼りにするしかありません。
ええと、昆布は水から煮出すんでしたっけ……
なんとか出汁を取ったら、茶碗に出汁と具、調味料を入れて味付けです。
皆の分は、普通の湯飲み茶碗。ナズーリンには、丼に入れた特大茶碗蒸しです。
一回につき一杯しか食べられないと言っていたので、その分大きな茶碗蒸しを作ってあげることにしたのです。
喜んでくれるといいのですが。
後は簡単。三つ葉をちぎって飾り、蒸し器に入れて待つだけです。
蒸し上がるのを待つ間、私はずっとナズーリンの事を想っていました。
ナズーリンの口に合うといいなぁ。これを食べて早く元気になってほしい。
私はドキドキしながら、蒸し器の隙間から立ち上る湯気を眺めていました。
頃合いを見計らい、蒸し器の蓋を開けました。
茶碗蒸しのいい匂いがふんわりと広がり、私は上手くいったと思いました。
まずナズーリンの丼を取り出します。蓋代わりのお皿を取って、中身を確かめてみます。
でも、すぐに視界がぼやけて、よく確認することができませんでした。
丼の中は、卵がまるで水に浮かぶ豆腐の様にダマになって浮かび、具がゆらゆらと対流していました。
蒸している途中に卵と出汁が分離し、そのまま固まったのでしょう。
もちろん、茶碗蒸し特有のなめらかな舌触りや、ぷるぷるした食感など期待できません。まるで掻玉汁の出来損ないの様です。
出汁の量が多すぎたのでしょうか、それとも蒸し方がいけなかったのでしょうか。
失敗した。台無しだ。
とにかくそれだけは確かで、私の目から涙が溢れて止まりませんでした。
袖で涙をぬぐいながら、これをどうしようと考えていました。
こんなもの、絶対ナズーリンは受け付けないでしょう。
普段から、「不味い料理を食べるくらいなら、空腹を我慢した方がまだマシなんだよ私は」と言い切るのですから。
いっそ捨ててしまおうかと思った時、聖の言葉が蘇ってきました。
『どんなお料理でも問題ないのです』
……そうです。
茶碗蒸しとは程遠い物を作ってしまいましたが、私なりにナズーリンのことを一生懸命考えて、精一杯作りました。
それにこんな形ですが、食べ物を粗末にはできません。それはナズーリンが最も嫌う行為です。
意を決して、私は丼と匙を持ってナズーリンの寝室へと向かいました。
「これ……ご主人が?」
「はい……あまり上手くいかなかったのですが」
ナズーリンが布団の上で上半身だけ起こし、目を丸くさせながら私から丼を受け取ります。
一輪や村紗によると、具合はだいぶ良いそうです。そして、ナズーリンはお腹を空かせている。
二人はそれだけ伝えると、食事部屋に行ってしまいました。
ナズーリンは丼の温度を感じる様に外周を撫でて、それからゆっくり蓋を取り去りました。
ここで、ナズーリンはもう一度目を丸くしました。
無理もありません。今まで見たことがないヘンテコなお料理を見たら、誰でもそうなります。
「……茶碗蒸し、のつもりでした。
ナズーリンは茶碗蒸しが好きだと言っていたでしょう。
だから、食欲が湧かなくてもこれなら食べられて、すぐ元気になってくれると思ったんです。
……でも駄目ですね。失敗しちゃいました。
あの……無理して食べなくてもいいですから。もっと……もっと美味しい物の方がいいですよね」
口が勝手に卑屈めいた言い訳をしてしまいます。我ながら本当に情けない。
しかし、ナズーリンはしばらく丼を眺めた後、黙って匙を持ちました。
中のシャバシャバとした茶碗蒸しをひと混ぜしてすくい、口に運びます。
私は固唾を飲んで、その動向を見つめていました。
こくり、とナズーリンが嚥下して、感想を漏らしました。
「うん。とても美味しいよ、ご主人」
嘘だ。そう思いました。
だって、ナズーリンの目から雫が垂れ始めたからです。
泣くほど美味しくなかったのでしょうか。残してもいいと言ったのに。
でも、そんな悲しい予想はすぐに氷解しました。
ナズーリンは、泣きながら笑っていました。
匙ですくって、泣いて、卵の塊をつるつると啜って、笑いながら具をしゃきしゃきと咀嚼して、泣きながら丼の中身を飲み干しました。
「ごちそうさま。今まで食べてきた中で、一番美味しい茶碗蒸しだったよ。
ありがとう、ご主人」
最後には、ナズーリンは笑ってくれていました。
まるで母親にご飯のお礼をするような、とても屈託のない笑顔でした。
その頃にはもう私がもらい泣きしていて、ナズーリンがよしよしと背中をさすってくれました。
なんだか、立場があべこべのような気がしました。
当然ですが、今日の夕飯は茶碗蒸しです。
私が初めて単独で調理したとあって、皆は出来栄えに興味津々。
そして蓋を一斉に開けた時、部屋に形容しがたい気まずい空気が流れました。
多分皆の胸中を言葉で表すなら、「あーあ……」でしょう。
しかし聖は、ニコニコ微笑みながらお茶を飲むように湯飲みを傾けて、「あら、出汁がよく効いていて美味しいですよ」と褒めてくれました。
するとそれに倣う様に、皆も湯飲みを傾けて茶碗蒸しを食べました。
「うむ。これが茶碗蒸しかと聞かれれば答えに窮するが、なかなかどうして美味じゃよ」
マミゾウさんの感想に、皆は「その通り!」と大笑い。全員残さず平らげてくれました。
私は本当に嬉しくて、胸がいつまでもほかほかと暖かでした。。
きっとナズーリンや聖、そして皆のおかげで私にも魔法が使えたのです。
そう、思いました。
――◇――
その後、完治したナズーリンから一冊の書物を渡されました。
中にはお料理の色写真と、それの作り方がたくさん載っていました。
「ご主人の筋は悪くない。ただ、やはり全体的に勘で作るのは良くないよ。
これに従えば、大抵の物はそれなりに出来る様になるさ」
ああやっぱり、あの破壊された見た目はナズーリンの感性にそぐわなかったのでしょう。
でも私はナズーリンからの贈り物が嬉しくて、ぱらぱらと中身を見ていきました。
すると、端っこが三角形に折られているページがありました。
そのページに載っているお料理は
『ご家庭で簡単に出来る茶碗蒸し』
「……あれ以来、どの店で茶碗蒸しを食べても、ちっとも心に響かないんだ。
なぁご主人。これからは私の為に、世界一真心がこもった美味しい茶碗蒸しを作ってくれないか?」
そうナズーリンは、頬を掻く癖を出しながら私に言いました。
ええ、もちろん。
私はナズーリンをぎゅうっと抱きしめながら、そう返事をしました。
次こそはナズーリンの胡麻豆腐にも負けない様な、特大のちゃんと固まっている美味しい茶碗蒸しを作りましょう。
そう決心して、私は今日の当番である針仕事に精を出すのでした。
「ご主人。この服、袖と胴体が縫い付けられていて離れないんだけど……」
「す、すみません……」
頑張ろう。うん、ものすごく頑張ろう……
【終】
これは、ナズーリンのご飯を食べている私が言うのだから、間違いありません。
今日の食事当番は、割烹着を着たナズーリン。私もお手伝いをします。
献立はご飯、こんにゃくと根菜の煮物、お麩の味噌汁、そして胡麻豆腐です。
まずはお野菜を洗って、皮を剥いたり小さく切ったりの下拵え。
人参、大根、ごぼう、しいたけ、里芋。これらをナズーリンは、あっという間に皮を丸裸にして、剣士が試し切りする鮮やかさで一口大に切ってしまいます。
それだけでなく、ナズーリンは菜切り包丁一本で、人参を梅花の形にまで切り込めるのです。
一方その間、私は絹さやの筋をぴーって取って、こんにゃくを手で小さくちぎっています。
実は私、包丁仕事が苦手で、この前も練習で握った包丁で指を負傷。ナズーリンに貼ってもらった絆創膏を未だにつけています。
それでもナズーリンは、「人には得手不得手ってものがあるさ」と私の肩を叩いて、今も私が出来る役割を回してくれています。
本当に、私にはもったいない出来た部下です。
昆布と干しいたけの戻し汁で出汁を取って、下拵えした材料と醤油を入れてコトコトと煮ます。
隣の鍋ではお味噌汁も同時に作って、醤油と味噌のいい香りがここまで届いてきます。
私は一つの事を考えるともう一つが疎かになる質なので、ナズーリンの手際の良さにはいつも感心させられています。
さて、煮物が出来るまでに、ナズーリンは胡麻豆腐を人数分に切り分けます。
この薄い肌色をした胡麻豆腐。作り方はとても簡単なのですが、実はとっても手間が掛かります。
まず練り胡麻を作るために胡麻を炒り、すり鉢でどろっとするまで練るのも一苦労。
こうして出来た練り胡麻を、葛と一緒に加熱した後冷やし固めるのですが、この工程は手早く正確に行わないと美味しくなってくれません。
ナズーリンも夕食が始まるずっと前から、黙々と胡麻に向き合っていました。
しかし、そこが天才的とでも言うのでしょうか。ナズーリンの作った胡麻豆腐はとても美味なのです。
むっちりぷるんとした楽しい食感の奥に、ふんわりと濃厚な胡麻の風味が広がって、素朴だけと雅味があるんです。
命蓮寺の皆も同意見で、私は切り分けられた胡麻豆腐を見るだけで涎が出てしまいます。
私はご飯をよそいながら、ナズーリンに聞いてみました。「どうしてそんなに美味しく作れるのですか」と。
するとナズーリンは、照れ臭い時に頬を人差し指で掻く癖を出しながら、こう答えます。
「いやぁ、私は何も特別なことをしている訳じゃない。料理の基本や手順に従っているだけさ。
ちょいと面倒な手順も怠らず忠実にやれば、おのずと味もついてくるよ」
そう笑いながらお盆に料理を載せて、皆の待つ食卓へと向かいます。
謙遜にも聞こえますが、おそらくそれがお料理の真理なのかもしれません。
きっちり計画を立てて、正確に測った材料と調味料を、寸分違わぬタイミングで調理する。
この成果は、いただきますをした後の、皆の笑顔が証明しています。
絹さやで飾った煮物の根菜はほっこりと口の中で崩れ、味の濃さも丁度いい塩梅。
胡麻豆腐はいわずもがな。
ぬえとマミゾウさんが残りを取り合って、聖がたしなめて、それで皆も笑う。
ナズーリンはすごいと思いました。皆を笑顔にできるナズーリンは、まるで魔法使いみたいです。
でも、私にはちょっと難しそう。
不器用だし、何でも丼勘定だから、あんな緻密な真似ができないんです。
また、ナズーリンは舌も肥えています。
ナズーリンは食べ歩きが大好きで、あっちこっちの食事処に顔を出しては、味の分析をしたりしています。
その時のナズーリンの顔はとても幸せそうで、食べる姿を見ているだけでこちらもほっこりとした気分になります。
でもそれ故に、ナズーリンは些細なことにも気がつきます。
この前二人で、人里のお蕎麦屋さんに入りました。有名なお店だそうで、席はほぼ満員。
私は狐蕎麦、ナズーリンはとろろ蕎麦を食べていました。
やはり有名なだけあって、爽やかな香りとのど越しが絶品のお蕎麦でした。
ところが、ナズーリンは一口食べて浮かない顔。
私の会話に相槌を打ってはくれますが、どこか無理矢理に笑顔を作って合わせている様。
勘定を済ませて店外へ。私はナズーリンに具合でも悪いのかと尋ねました。
すると、ナズーリンはバツが悪そうにこう答えました。
「さっきのとろろ蕎麦なんだがね、とろろにこう、ワサビの風味がべったりついていたんだ。
多分、ワサビを擦ったのと同じおろし金で山芋を擦ったんだろう。
まぁ店が忙しいし、おろし金の使い分けが面倒なのも分かる。
でも、淡白なとろろにきつい薬味の匂いが染みついちゃあ、興醒めなんだよなぁ……」
そう感想を漏らすナズーリン。
私は有名店という看板に惑わされず、わずかな問題点を見抜いた鋭敏なナズーリンの舌に驚いたものです。
ちなみに、そのお店とはそれ以来疎遠になってしまいました。
「私たちは、原則的に一日三食だろう。
つまり、一品意にそぐわないご飯を食べるだけで、一日の三分の一を損した気分になるんだよ」
これはナズーリンの言です。
ナズーリンの食事に対する真剣さが伝わってきます。
こういう理由もあって、ナズーリンはあんなに美味しい料理ができるんじゃないかと思います。
私も修行して、ナズーリンみたいになりたい。
そう思いながら、私はごちそうさまの声を重ねました。
――◇――
ナズーリンが病気になりました。
顔が赤くて、目はうつろ。呼吸が荒くて、つばを飲み込むのもツライと言っています。
こう言うと命に関わりそうですが、ただの風邪だそうです。
ゆっくり休んで、美味しいご飯をもりもり食べればすぐ治るとお医者様が言っていました。
ですから、今日のナズーリンは絶対安静です。
布団をかけてあげて、私が傍で看病することに決めました。
ナズーリンは「仕事はいいのかい?」なんて殊勝なことを言うので、「これが今日の仕事です」と額の濡れ布巾を取り替えてあげました。
さて、今日の食事当番は私です。
これは他の当番で忙しい皆の分も作らなければいけないので、休むわけにはいけません。
ナズーリンの看病を一輪と村紗に任せて、私は厨房に立ちます。
しかし、困りました。
今日の献立はどうすればいいのでしょう。
私は病人のための食事を作るどころか、私一人だけでお料理をするのも初めてなのです。
なので聖に相談してみると、「まず消化が良くて、温かなものがいいでしょう」と助言してくれました。
さらに、これが一番大事なことだと、こうつけ加えました。
「ナズーリンの事を考えて一生懸命作れば、どんなお料理でも問題ないのです」
私はその言葉の通り、ナズーリンの事を考えてみました。
温かくて、柔らかで、食欲がないと言うナズーリンでも食べられそうなもの。
ふと、私は思い出しました。
ナズーリンは、茶碗蒸しが大好物だったことです。
茶碗蒸しがあると知った時のナズーリンは子供の様にそわそわとしていて、柔らかな中身を匙ですくう感触まで味わうように、茶碗蒸しを食べていました。
「茶碗蒸しなら何杯だって食べられるけどね、それは贅沢だから一回につき一杯までと決めているんだ。
希少価値を高めることで、茶碗蒸しの幻想的な美味しさが保たれるんだよ」
不思議な理論をやや興奮しながら話していたので、よく覚えています。
よし。今日の晩御飯は茶碗蒸しです。
私は心に決めて、早速材料を集めました。
卵、三つ葉、しいたけ、たけのこ、銀杏。
卵はよく溶いて、銀杏の皮を割っておきます。
次にしいたけとたけのこを刻むのですが、薄く均等に刻むことができなくて、幅がバラバラになってしまいました。
苦肉の策で分厚いものは半分に切り、熱が通りやすくはしました。
しかし見た目が不揃いで、きっと器の中で目立ってしまうでしょう。
気を取り直して、出汁を作ります。
でも、細かな分量や煮出す時間はナズーリンに任せていたので、記憶を頼りにするしかありません。
ええと、昆布は水から煮出すんでしたっけ……
なんとか出汁を取ったら、茶碗に出汁と具、調味料を入れて味付けです。
皆の分は、普通の湯飲み茶碗。ナズーリンには、丼に入れた特大茶碗蒸しです。
一回につき一杯しか食べられないと言っていたので、その分大きな茶碗蒸しを作ってあげることにしたのです。
喜んでくれるといいのですが。
後は簡単。三つ葉をちぎって飾り、蒸し器に入れて待つだけです。
蒸し上がるのを待つ間、私はずっとナズーリンの事を想っていました。
ナズーリンの口に合うといいなぁ。これを食べて早く元気になってほしい。
私はドキドキしながら、蒸し器の隙間から立ち上る湯気を眺めていました。
頃合いを見計らい、蒸し器の蓋を開けました。
茶碗蒸しのいい匂いがふんわりと広がり、私は上手くいったと思いました。
まずナズーリンの丼を取り出します。蓋代わりのお皿を取って、中身を確かめてみます。
でも、すぐに視界がぼやけて、よく確認することができませんでした。
丼の中は、卵がまるで水に浮かぶ豆腐の様にダマになって浮かび、具がゆらゆらと対流していました。
蒸している途中に卵と出汁が分離し、そのまま固まったのでしょう。
もちろん、茶碗蒸し特有のなめらかな舌触りや、ぷるぷるした食感など期待できません。まるで掻玉汁の出来損ないの様です。
出汁の量が多すぎたのでしょうか、それとも蒸し方がいけなかったのでしょうか。
失敗した。台無しだ。
とにかくそれだけは確かで、私の目から涙が溢れて止まりませんでした。
袖で涙をぬぐいながら、これをどうしようと考えていました。
こんなもの、絶対ナズーリンは受け付けないでしょう。
普段から、「不味い料理を食べるくらいなら、空腹を我慢した方がまだマシなんだよ私は」と言い切るのですから。
いっそ捨ててしまおうかと思った時、聖の言葉が蘇ってきました。
『どんなお料理でも問題ないのです』
……そうです。
茶碗蒸しとは程遠い物を作ってしまいましたが、私なりにナズーリンのことを一生懸命考えて、精一杯作りました。
それにこんな形ですが、食べ物を粗末にはできません。それはナズーリンが最も嫌う行為です。
意を決して、私は丼と匙を持ってナズーリンの寝室へと向かいました。
「これ……ご主人が?」
「はい……あまり上手くいかなかったのですが」
ナズーリンが布団の上で上半身だけ起こし、目を丸くさせながら私から丼を受け取ります。
一輪や村紗によると、具合はだいぶ良いそうです。そして、ナズーリンはお腹を空かせている。
二人はそれだけ伝えると、食事部屋に行ってしまいました。
ナズーリンは丼の温度を感じる様に外周を撫でて、それからゆっくり蓋を取り去りました。
ここで、ナズーリンはもう一度目を丸くしました。
無理もありません。今まで見たことがないヘンテコなお料理を見たら、誰でもそうなります。
「……茶碗蒸し、のつもりでした。
ナズーリンは茶碗蒸しが好きだと言っていたでしょう。
だから、食欲が湧かなくてもこれなら食べられて、すぐ元気になってくれると思ったんです。
……でも駄目ですね。失敗しちゃいました。
あの……無理して食べなくてもいいですから。もっと……もっと美味しい物の方がいいですよね」
口が勝手に卑屈めいた言い訳をしてしまいます。我ながら本当に情けない。
しかし、ナズーリンはしばらく丼を眺めた後、黙って匙を持ちました。
中のシャバシャバとした茶碗蒸しをひと混ぜしてすくい、口に運びます。
私は固唾を飲んで、その動向を見つめていました。
こくり、とナズーリンが嚥下して、感想を漏らしました。
「うん。とても美味しいよ、ご主人」
嘘だ。そう思いました。
だって、ナズーリンの目から雫が垂れ始めたからです。
泣くほど美味しくなかったのでしょうか。残してもいいと言ったのに。
でも、そんな悲しい予想はすぐに氷解しました。
ナズーリンは、泣きながら笑っていました。
匙ですくって、泣いて、卵の塊をつるつると啜って、笑いながら具をしゃきしゃきと咀嚼して、泣きながら丼の中身を飲み干しました。
「ごちそうさま。今まで食べてきた中で、一番美味しい茶碗蒸しだったよ。
ありがとう、ご主人」
最後には、ナズーリンは笑ってくれていました。
まるで母親にご飯のお礼をするような、とても屈託のない笑顔でした。
その頃にはもう私がもらい泣きしていて、ナズーリンがよしよしと背中をさすってくれました。
なんだか、立場があべこべのような気がしました。
当然ですが、今日の夕飯は茶碗蒸しです。
私が初めて単独で調理したとあって、皆は出来栄えに興味津々。
そして蓋を一斉に開けた時、部屋に形容しがたい気まずい空気が流れました。
多分皆の胸中を言葉で表すなら、「あーあ……」でしょう。
しかし聖は、ニコニコ微笑みながらお茶を飲むように湯飲みを傾けて、「あら、出汁がよく効いていて美味しいですよ」と褒めてくれました。
するとそれに倣う様に、皆も湯飲みを傾けて茶碗蒸しを食べました。
「うむ。これが茶碗蒸しかと聞かれれば答えに窮するが、なかなかどうして美味じゃよ」
マミゾウさんの感想に、皆は「その通り!」と大笑い。全員残さず平らげてくれました。
私は本当に嬉しくて、胸がいつまでもほかほかと暖かでした。。
きっとナズーリンや聖、そして皆のおかげで私にも魔法が使えたのです。
そう、思いました。
――◇――
その後、完治したナズーリンから一冊の書物を渡されました。
中にはお料理の色写真と、それの作り方がたくさん載っていました。
「ご主人の筋は悪くない。ただ、やはり全体的に勘で作るのは良くないよ。
これに従えば、大抵の物はそれなりに出来る様になるさ」
ああやっぱり、あの破壊された見た目はナズーリンの感性にそぐわなかったのでしょう。
でも私はナズーリンからの贈り物が嬉しくて、ぱらぱらと中身を見ていきました。
すると、端っこが三角形に折られているページがありました。
そのページに載っているお料理は
『ご家庭で簡単に出来る茶碗蒸し』
「……あれ以来、どの店で茶碗蒸しを食べても、ちっとも心に響かないんだ。
なぁご主人。これからは私の為に、世界一真心がこもった美味しい茶碗蒸しを作ってくれないか?」
そうナズーリンは、頬を掻く癖を出しながら私に言いました。
ええ、もちろん。
私はナズーリンをぎゅうっと抱きしめながら、そう返事をしました。
次こそはナズーリンの胡麻豆腐にも負けない様な、特大のちゃんと固まっている美味しい茶碗蒸しを作りましょう。
そう決心して、私は今日の当番である針仕事に精を出すのでした。
「ご主人。この服、袖と胴体が縫い付けられていて離れないんだけど……」
「す、すみません……」
頑張ろう。うん、ものすごく頑張ろう……
【終】
茶碗蒸しを久しぶりに食べたくなった…
けれども少し気になった点があります
失敗した料理を出す理由に「がんばったから」を挙げてしまっています
そんな星の幼さに少しがっかりしました
茶碗蒸しはか○ぱ寿司では必ず頼む。これだけは抜けないのです。例え財布が軽くなっても…!
星ちゃん食べたいn…間違えた星ちゃんの手料理食べたいな~(・ω・)
なんともほっこりしました!すばらしいナズ星です
「ふふ…、こんな悪いナズーリンにはおしおきをしなければなりませんね」
「……ご主人?……んむぅ!?」
みたいな下世話な話を想像してアクセスした自分が恥ずかしい。暖かいお話でした。
作者さん料理するほうなんだろうなあと思いました。自分の煮物作成手順を思い返してしまいましたw
精進料理とかそう言うのは、別に「食っちゃいけない」って訳じゃないんですよね、お釈迦様も肉食ってますし
「精進」とは心身共にその事に集中して取り組む、と言う感じだから、
マジメに「食事と食材」について向き合いましょうと言う感じになります
日本古来の肉食禁止もどっちかっつーと「殺生の禁止」だったので、もう食材になっちゃってる物は逆に供養の意味も含めてきちんと食したのではないかなと
あと、がま口さんの持論がいい味出してましたw
是非とも美味しい茶碗蒸しで温まってください。
8番様
子供(星)の失敗した料理をお母さん(ナズーリン)が美味しいと言って食べるみたいなイメージで書いていたので、その幼さに気づきませんでした。
確かに彼女は毘沙門天の代理。もっと大人びたキャラクターでも良かったな、と思いました。
白銀狼様
ですよね、美味しいですよね。食べたいな~、両方とも(オイ)
14番様
自分の中ではナズ星が、ほのぼの&タイトルぶっ飛び要員となりつつあります(笑)
16番様
すみません。でも、それが自然な反応です。あと、たった2行ですげぇドキドキしたんだぜ(///)
18番様
ありがとうございます。
21番様
料理ですか……創作チャーハンぐらいならなんとか……。でも煮物は大好きなので、作り方を研究してみたりはしました。
24番様
なるほど。大変勉強になりました。
精進料理は単純に生臭ものを食べちゃいけないものとばかり思っていたので、見識が広まり良かったです。
25番様
ありがとうございます。でもこだわりが強すぎて、周囲の人に中々理解してもらえません(涙)
……銀杏が入っていない茶碗蒸しは、ただの茶碗だ(森山さん風)。がま口でした。
決まりに捕らわれている内は半人前だとか
そうです! あとがきではそれが言いたかったんです!
簡潔かつ適切にまとめてくださり、誠にありがとうございます。
ええ、そうです。しかし、だからこそ作る人の愛が感じられるのかもしれません。
とっても可愛らしい物語でした。
ご感想、ありがとうございます。
激しい同意が得られて嬉しいです(笑) この二人はこんな風な可愛さが似合うと思います。