※この作品は作品集164「運命<かみ>隠し」の続き、同設定で執筆されています。
* * *
生きるという事がどういう事なのか、私にはよくわからない。
生まれてからずっと。ただ、生きるという行為が私にはよくわからない。
物心ついた時から私にはもう見えていたのだ。他者には見えない自分だけの世界。
決して私は不幸な生まれではなかった。むしろ裕福とさえ言えた。強靱な肉体に誇り高き血に恵まれ、偉大な父母によって育てられた。
幸せだった…と思う。いいや、きっと幸せだっただろう。食に困ることもなく、不自由も少なかった。人並み以上に私は幸せだった。
…それを、傍目から見てでした私には判断出来ない。
実感として感じるには余りにも…私の能力は優秀すぎたのだ。
私は、レミリア・スカーレット。運命に呪われる程愛された、ただ一個の存在だ。
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結果がわかりきった生に果たして意味はあるだろうか。私はここまでの生涯、解決する事なき疑問と共に生きてきた。
私には生まれ持ったの力がある。それは運命を操る事。運命を操るという事は操る対象である運命を見通すという事と同義でもある。
故に私は己の運命を悟れる。それは未来視と言っても過言ではないだろう。事実、私は運命という”未来”を見通す事によって結果を知り得ている。
いつだって。どんな時も。見えてしまう。見せられてしまう。見てしまい、そして私は悟り、悟らされていくのだ。
未来が見えるという事がどういう事なのか、見えぬ者にはきっとわからぬだろう。
何をすれば何がどうなる、という結果がわかる。制御出来ぬ頃には常に未来がわかっていた。幼い私はその意味も深く考えずただ己に有利になるように振る舞っていた。神童と持て囃されるのは時間はいらなかった。
だが、その自負が打ち砕かれたのは己の妹である、フランが生まれた時からだった。フランの運命を何気なしに見てしまった。フランの生まれ持った能力が将来何を生むのか見てしまった。
あの子は破壊の申し子。破壊に愛された憐れな子。その手にありとあらゆるものを破壊する宿命を受けてしまった子。
私は恐れた。だけども、誰もフランの破壊の能力に気付く事はない。だってそれは未来の先、待ち受ける運命を誰もが知らないから。だから、私だけが恐れていた。
そんな私が初めてフランを抱き上げたとき、無邪気に私に向かって手を伸ばす姿を見た時の私の気持ちなど、誰にも理解出来ないだろう。
どうしようもない程の愛情と、どうしようもない程までの悲哀と、どうしようもない程の無力感、そして絶望。
私には、フランを救えないと悟らされた瞬間であり、私が最初に絶望したその瞬間を私は今でも覚えている。忘れられない程までに覚えている。
私がどう足掻こうともフランを諭す事も、止める事も出来なかった。どんなに手を尽くそうとも僅かな綻びがフランを不幸にしてしまう。フランの周りにいる者たちを不幸にしてしまう。
そんな中での最善策がフランの幽閉だった。フランの能力を危険視した両親がフランの能力が制御出来るまでの処置だった。だが幼いフランにとってはそれがどれだけの苦痛となるのかさえも私は知っていた。
それでも、私は見ないふりをした。知っていた筈の未来を、回避しなければならない筈の悲劇を、それ以上の悲劇が起きるからと見逃したのだ。
嫌だ、と。助けを求めるフランの声を無視して。聞こえていない振りをして。無力な自分を心の底から呪いながら。いつか、いつかフランが自由に飛び回れる世界が訪れるその時を掴み取ると、そんな免罪符を己の心に抱えて逃げ出した。
私は、今を生きていない。いつだって運命の先を見て、皆とは少し離れた場所で生きている。だって、見えているものが違うから。その世界を誰もが共有出来ないから。
努力の必要性を知っている。けれど、皆とは努力の意味合いが違う。私はわかっている結果の為の必要な努力しかしない。無駄がない人生。必要な得るを為だけの努力を支払い、必要な未来を得てきた。
そうして出来たのは、ただ、歯車のように回る自分しかいなくなっていた。ただフランを救う為だけに生きる人形。それが、レミリア・スカーレットの本質。
そうだと気づけたのは…きっと、お節介なアイツがいてくれからだと、私は思っている。
* * *
「また、何考えてるの?」
「……ん…ちょっと、な」
己の身体を抱くように回された手。力を抜いて背を預ければ彼女の感触とぬくもりを感じる。後頭部に感じるのは彼女の豊かな胸の弾力。…私ももっと時を重ねればこれぐらいは…しかし、見た目はともかく感触としてはどうなのだろうか…それよりも大きくなるだろう運命の道筋を…。
「こら」
「あいた」
「私といる時は私を見て? 余計なものなんて見ちゃダメよ」
こつん、と額を小突かれる。聞こえてくる声はどうにも不満そうな声。腕に込められた力が少し苦しくてすぐに謝った。こうしないと機嫌の悪くなった彼女に良いようにされてしまう。
「悪かった。機嫌を損ねないでくれ」
「嫌」
…困ったな。これは機嫌を取るのに苦労する。どんな道筋を辿っても機嫌を損ねる様しか見えないとなると正直お手上げものだ。
とりあえず機嫌は取れずともこれ以上不機嫌にはさせないように黙って彼女の好きにさせる。時折己を抱きしめている腕に力が籠もり、手が私の髪を弄ぶ。時には頬に触れてくるものだからくすぐったくて身を捩りそうになる。
「…紫」
「…んー…?」
「…くすぐったい」
「あっそう」
…参ったな。耐えるのが一番楽そうだが…。
彼女の思ったよりも華奢な指が私の髪を弄くり回す。
八雲紫。それが彼女の名。私の住まう幻想郷の管理者。…そして私の恋人、とも言うべき人。
少なくとも。彼女は私を好いている。…私は、無防備な姿を晒せるまでには彼女の事を信頼しているし、好ましいと思っている。
けれど、たまにわからなくなる。これは結局、管理者に愛されれば優遇が聞くからといった打算からの”自分”の考えなんじゃないか、と。
私の考えはいつだって安定しない。そもそもの”私”がブレているから。どうすれば上手く行き、どうすれば上手く行かないから見えてしまうから。だからこそ私は蝙蝠のように意見を変え、手を変え、己に都合の良いようにしてきた。
己の考えも、己の意志さえも。…だから、この一時も所詮、打算からの時間なんじゃないかと。…そう考えてしまえばどうしようもないまでの嫌悪感が己の内から浮かび上がってくる訳だが。…そう思うぐらいには、私も紫が好き、なのだろう。
「…また、変なこと考えてる顔」
「…いひゃいいひゃい」
…でも。事実ではあるのだ。
紫を前にした私は、能力を使用する暇がない。彼女は手を変え、あれこれと私に触れてくるからだ。だから見ている暇などないのだ。その間に事態はどんどんと進んでいくのだから。
だから、こういうまったりとした時間は正直、珍しいと言えば珍しい。…だからこそ、考えてしまう。
彼女が触れてくれているから、私は今を実感出来る。抱きしめて貰えるから。…それはきっと、ずっと昔から求めていたもの。私を今に繋ぎ止める感触。
…いつまで私は抱きしめて貰えるだろうか。どうしたらこの感触を失わずに済むだろうか。
私と紫の出会いは偶然だった。私も意図しなかった夢での邂逅。私が予測しえなかった夢という曖昧な場所での明確な意識での邂逅。…あぁ、それでは読みようがない。誰が夢に干渉して来る者がいると予想出来るのか。
そう、いつだって彼女は私の予想を外す。彼女の運命は私が読み切るよりも早く切り替わり、まるでその姿を掴ませる事はない。神隠しの妖怪というのは伊達ではない、という所だろうか。
そんな彼女に愛されているというこの幸福を…浅ましきながらも私は失いたくないと思っている。紫に傍にいて欲しい。抱きしめて欲しい。私を離さないで欲しい。私を嫌わないで欲しい。私を…愛して欲しいと、願っている。
わかっている。望むには対価が必要だ。結果には努力が必要だ。私とて何もしてない訳じゃない。紫が喜びそうな未来を見ようとして、それを行おうとして。
でも、上手く行かない。紫相手には本当に運命が操るのが至極難しい。何をすれば喜んでくれるのかわからない。それは私にとって翼をもがれたにも等しい。何をどうすればわかってくれるのか大まかに読め、対処が出来ていた私にとって未知とは恐ろしいもの以外の何者でもない。
「…さて、そろそろ良い時間かしらね」
不意に、紫が呟きを零した。
あ、と思った瞬間には紫は己から手を離し、私を地面に降ろそうとする。
もう、終わり。また紫の居ない時間が始まる。それは寂しいけれども仕様がないとわかっている。彼女は暇な立場ではないのだ。
むしろこうして時間を作ってもらっているだけありがたい身分なのだ。私は。…だけども私は望んでいる。そして恐れている。このまま紫が愛想を尽かして私の所に来てくれなかったら。
そんな運命は、見えない。けど、いつか見えたら、私は…。
「…それじゃ、またね? レミリア」
…行ってしまう。
私は、また、彼女に何も、出来ないまま。
――貴方は、少し無欲過ぎる。
* * *
それは、脳裏に蘇る言葉。それは、いつ言われた言葉だったのか。
記憶を掘り返すように回想する。記憶の海へ潜り、記憶を呼び覚まそうとする。
…そうだ。パチェに言われたんだ。言われた私は急な事だったから、何度か目を瞬かせてパチェを見たんだ。
「え?」
「え? じゃないわよ。最近随分と大人しいわね、って話」
「…そう? 色々やってるじゃない。暇つぶし」
「暇つぶし…ねぇ?」
…パチェは探るように私を見ている。パチェも私の能力を知っている身だ。そして紫と同じように私が無防備な姿を晒せる数少ない友人だ。
パチェの経歴には私も共感を抱くところがあった為、紫とは違う安堵感を得る。そしてパチェは基本的に私に干渉してこないというのも楽だ。ただ見守ってくれる。紫のように触れてはくれないけれども、それでも安心する距離感。
これが、もしもパチェが私に触れてこようとするなら私はパチェを拒絶していたのだろうけども彼女はそうしない。ただ私を観察するだけ。
だからパチェから出た言葉には何か意味があるんだと…思う。何か思うところがあったのかな?
「……前から言おうと思ってたけどね。…まぁ、良いわ」
「…? 何よ」
「レミィ。世界なんて見えたような気でいても案外見えないものよ。目を隠しても音は聞こえる。耳を塞いでも香りを感じられる。鼻を塞いでも肌が何かを感じている。どれか1つ潰れた所で世界は消えないものよ」
「…いきなり何?」
「臆病者への助言よ。たまには火中に飛び込むぐらいの勢いで突っ走ってみなさいな。…そう、貴方は少し臆病で、無欲が過ぎる」
そう言って、パチェは小さくくす、と笑った。
「貴方の願いは、呆れちゃうくらいにちっぽけな願いなんだから」
* * *
手を、伸ばす。
掴んだ手。私が掴んだ紫は少し驚いた顔。
そのまま、ちょっと手を引く。何? と問うように彼女は私に目線を合わせる。
手を伸ばす。掴んでいた手を離し、両の手で彼女の両頬に添えるように。
そして、ちょっと背伸びをするように私は―――。
「―――――」
「――――っ…」
一瞬のぬくもりの交差。柔らかい感触。それは一瞬の事だったのに永遠にも思える程長く、胸の奥がうるさいぐらいに鳴っている。
呆けたように唇に己の指を持って行き、添えている彼女にしてやったり、と思う気持ちもあるけれど同じぐらいに緊張で紫から視線を離せない。
「……ばいばいの、キス」
「……レミリア…貴方…」
それだけ言うのが精一杯で紫から視線を逸らす。…やってしまって良かったのだろうか。運命を見通そうとして意識を――集中する前に顎に手が添えられる感触に意識を持って行かれる。
そのまま、軽く持ち上げられるようにして顎を上に向けられる。すぐそこには紫の顔があって――そっと、唇を塞がれる。
私の先程の触れるだけな幼稚なキスよりも、優しく包むようなキス。時間を忘れてしまいそうになるぐらいの感触に安堵感を覚えてしまっている自分に気付く。
「――またね、レミリア」
離れた感触、見上げれば紫は――満面の笑みを浮かべていた。
一歩、彼女は身を引いてそのままスキマの中へと消えてしまっていった。ひらり、ひらり、と何度か手を振って。
そして何事も無かったかのように静寂が戻ってくる。残された私はそっと唇を指で撫でてみる。
「…また、してみようかな。自分から」
こうすれば良いのかな、なんて。私は自分が小さく笑っている事に気付かないまま、そう呟いた。
ちょっとしか出てきませんでしたが、印象に残る役どころでした。
誤字脱字
傍目から見てでした私には→傍目から見ているだけだった私には
私には生まれ持ったの力がある→私には生まれ持った力がある
必要な得るを為だけの努力を支払い→必要なものを得る為だけの努力を支払い
そうして出来たのは、ただ、歯車のように回る自分しかいなくなっていた
→そうして出来たのは、ただ、歯車のように回る自分だけだった
お節介なアイツがいてくれからだと→お節介なアイツがいてくれたからだと
正直お手上げものだ→正直お手上げだ
優遇が聞くからといった打算→優遇が利くからといった打算
どうすれば上手く行かないから見えてしまうから→どうすれば上手く行かないかが見えてしまうから
イイネ
今日は夢見がよさそうだ