タグ見てね
読んだ後にいらっとしても怒んないでね
私が、彼女に声を掛けられたのは、多分偶然だと思う。そこに必然は無く、まさに運命的な確率に依って、私達は出会ったのだと。
そんなことを彼女に言ったら、きっとそんな訳ないじゃないと返すのだろうけど。彼女らしく、ちょっとシニカルめに笑って。
「ねえ蓮子、私達が出会ったのは偶然だと思う?」
「そんな訳ないじゃない」
予想通りだった。それでこそ蓮子。
彼女なら、そう、私達の出会いは必然だと言うだろう。そこに偶然はあっても些末で、まさに運命的な確率に依って、彼女は私に声を掛けたのだと。
要するに、私達二人とも重度のロマンチストってことね。
大学内のカフェテリア、目の前に座る友人にして相棒である宇佐見蓮子はいきなり話題を変えた私に不審な目を向けている。“友人にして相棒”という言い回しは彼女が先に言い出したのだけど、そこまで言うほどの親密さではないと思うのは私だけだろうか。
私は彼女に肩を竦めて見せて、コップに刺さったストローを食わえた。ストロベリースムージーの甘ったるい味が口に広がる。この安っぽい感じが堪らない。
「んー、気にしないで、ちょっと考え事してただけだから」
「いつも思うけど、どうして話しながら他のこと考えられるの?」
気にした事も無い。集中力の違いなのかしら。私はどちらかと言うと浅く広くだからかなぁ。他の人は知らないけど。
ストローから口を離して、息を吐く。さっきまでの話に戻そうと思ったのだけど、残念な事に何の話をしていたのかが判らなくなっていた。仕方も無く彼女を促す、蓮子なら覚えてるだろうから。
「それで?」
「うん、最近の都市伝説の傾向は携帯電話ネタが多いって話ね」
ああ、確かにそんな話だった。架空請求詐欺の話が都市伝説化したとか、携帯電話越しに洗脳されるとか、相変わらず毒にしかならないような話ばっかりなんですって。もう何十年も前から言われている話が未だに残っていたり、日本人って噂好きね。
そんな話を拾ってくる蓮子も蓮子だと思うけど。彼女は検証もしてないような似非科学的な話は嫌いだけど、検証も出来ないような怪談話はそれはそれで好きなのだ。その蓮子はちょっと嬉しそうに話してる。
「携帯電話もそろそろ怪異の類いになりつつある。妖怪化するのも時間の問題ね」
「そしたら携帯の怪異が大量発生ね、やな未来」
電化製品が妖怪化したら大変ね。面白そうだけど、ちょっとあり得無さそう。怪談にあり得ないも何も無いのだけどね。
と、言うか、こういう話をしている私達は周りから見たらどうなのだろう。普通の大学生に見えるだろうか。
「幽霊とかじゃない目に見える怪異に逢ってみたいわ」
まあ彼女は楽しそうだし、良いかな。
話していて喉が渇いたので水を飲んで一息吐いた。先程頼んだ珈琲は既に飲んでしまっている。追加で頼んでも良いのだがそろそろ店を出るつもりなので、今は水で良い。冷たい水を流し込んで顔を上げる。
対面に座る金髪碧眼の彼女は困ったように首を傾げている。美人と言えそうな顔がストローを食わえたまま斜めに傾いで、釣られて私もちょっと頭を傾けた。どうやら友人にして相棒であるマエリベリー・ハーンことメリーには些か付いて来れない話題だった様だ、私反省。
困った顔のままストローをがじがじにかじっているメリーさん(羊)の頬をつついくと、自然と水平に戻った。何これ面白い。
「うりうり」
「何よぅ」
そう言えば、何故マエリベリーなのにメリーと呼ぶのかと聞かれた事があった。私としては特に気にして呼んでいる訳では無いのだが、理由を挙げるとすれば、彼女の名前を書くときに綴りを間違えたからである。マエリベリー、メアリベリー、メアリー、メリー。羊可愛いじゃない。
「ところでメリー、貴方時間大丈夫?」
「貴女に時間の心配されるようじゃ私もダメね。まだ大丈夫よ」
失礼な。私は別に時間と無関係に生きている訳じゃないわ。確かに待ち合わせの時間に間に合おうという気が無い所為で良く遅れるけど、毎日の講義にまで遅れてはいないもの。私は彼女の物言いに深い憤りを感じたので、判りやすく憤慨してみた。プソプソ。
どちらにせよ良い頃合いには変わりはないので、二人とも席を立つ。椅子に乗せていた帽子を取り上げて被る。お気に入りの帽子とは言え、大学内で帽子を被っていると若干変な目で見られるのは、まあ当然かな。
支払いを済ませて外に出た。何故か点いていた冷房の与える冷気を奪おうと、初夏の熱気が押し寄せて来る。別に未練も無いのでシャツを叩いて冷気を払いつつ、人通りの多い廊下を軽く見渡した。
「さっきの話の続きなんだけど」
「ええ」
「“エキストリーム神隠し”って知ってる? 別にスーパーでもハイパーでもルナティックでも良いんだけど、私はエキストリームが好きだからエキストリーム」
人の口に上る程では無いのだけど、最近特に聞く。所謂神隠しの話なのだが、神隠しも時代の移り変わりと共に変化したのか、改訂されたとのこと。私が聞いた初めて時は名前が“神隠し”ではなく“鬼隠れ”になっていたが、あまり一般的では無いらしく、“神隠し”の一環として語られている。
「要するに神隠しではあるんだけど、最大の相違点は消えるのは人だけじゃないってこと」
「物を隠して忘れた頃に返す怪異はもうあったと思うけど」
「いやいや、あんなんじゃなくて。消されるのは人だけじゃなく、存在ごとなのよ」
元の話はこんな感じだ。ある日、いきなり友達が失踪する。その人の家に行ってみると夜逃げでもしたかのように何も無くなっており、他の友人に話を聞いてみても要領を得ない。どころか、いなくなってしまった友達が誰なのか、名前も顔も思い出せない事に気付き、茫然とする。
「なるほどね、忘れる…………と言うよりは、存在ごと無かったことになるってこと」
メリーの言葉に頷く。“鬼隠れ”という名前は、本人が鬼のように痕跡を消して隠れるという意味合いなのかもしれない。怪異に逢ったのではなく、自分から消えた。これでは怪談にはならないに決まってる。
そこで、講義開始のベルが鳴った。私は、次の時間は講義が無いけどメリーは違う。ゆっくりと歩いていたのが良く無かったようだ。メリーは顔を蒼くして走り出した。
「ごめん、また後でね!」
「急ぎ過ぎると転ぶわよー」
言った直後、メリーは歩いていた他人の足に引っ掛かり転びそうになった。頭を下げて走って行く彼女に、足を引っ掛けてしまった人は、急げーと声を掛けて苦笑する。私も苦笑しつつそれを見送る。
さて、次の講義まで図書室にでも行こうと考えて、私はメリーとは逆方向に歩き出した。知り合いから勧められた本でも読もう。面白かったらメリーにも勧めよう。
「っと」
「っ、ごめんなさい!」
肩にぶつかられた。一瞬長い黒髪が目の前で散って、謝罪の声を置き去りに去って行く。振り返ると急いで走って行く後ろ姿が見えた。苦笑して先程の人に習って私もその後ろ姿に声を掛けた。
「急げー」
急げと言われて急いだものの、遅刻には変わりないのであった。当たり前だけど、私は悲しい。しかし、この講義の人は最初に出席を取らないのでセーフ。アウトだけどセーフ。
周りの視線を感じながら真ん中辺りの席に着いた。いや、真ん中よりちょっと廊下側、無駄な見栄を張っても意味ないわよね。ノートとか筆記用具を出来るだけうるさくないように取り出す。
それから顔を上げると、教壇の方から強い視線が来ていた。ひぇー。視線を逸らしたいが黒板にはまだ何も書かれてはおらず、教授も私が来てからはまだ何も言っていないのでノートに書く事は無い。
き、気にしないで続ければくれれば良いのに。
「…………この様にして昨今もまた、モラルの低下が叫ばれている。これは何年も前からそうであり、今更と思われがちであるが――――」
特に何も言われずに講義が再開する。ふう、危ない危ない。解説に見せかけて今軽く怒られた気もするけど、まあ気の所為にしておこう。
一呼吸。まだちょっと心臓がうるさい。緊張したのもあるだろうが、やっぱり運動不足なのかもしれない。たまには運動しようかしら。ジョギングとか階段昇降とか。急に山に登りたくなった時の事や、足場の悪い所で鬼ごっこしなきゃいけなくなった時の事を想定して足腰は鍛えておこうかな。
蓮子なら明日の朝一にいきなりエベレスト登りたいとか言い出してもおかしく無いからねえ。っていうか一昨日辺りにチョモランマーって叫んでたから、その未来は遠くない気がするわ。そういう準備くらいはしておいて損は無いと思う。
「そして一昔前の犯罪心理学に於いては不満やコンプレックス、欲求不満が犯罪に繋がると考えられていたが、これらの大本は妬みや嫉みであり、七つの大罪ならぬ“九つ”の大罪、嫉妬は元より――――」
ノートに『昔、不満、NOT凶悪の犯罪』『現在、嫉妬、犯罪の根本』と書き付けて二つを矢印で結び、また前を向く。ちょっと前に蓮子に授業ノートを見せてみたら妙な顔をしていたけど、もしかして私はノートの取り方が下手なのか。いや、講義内容が見慣れなかっただけかも。そう信じたい。
そう言えば、姥捨て山と神隠しと座敷わらしを並べて議論している論文があった気がする。なんでも、要らなくなった人を間引く意味で共通なんだとか。私は神隠しは誘拐だと思うんだけどなぁ。
でもそうすると全部人為的な犯罪ってことになるわよね。それこそ不満や嫉妬に依って引き起こされるような。
「…………ハイパーだかスーパーだかの神隠しとやらも、誰かが人為的に起こしてるものなのかしら」
後で蓮子に意見を聞いてみよう。そう思って、私はノートに『神隠し、姥捨て、座敷わらし ……人為的犯罪?』と書き込んだ。
「――――と、いうことになる。よし、じゃあ今日はここまでとする。何か疑問があれば研究室まで来ること」
終了のベルが鳴り、教授が立ち去る。それをいつものように見送り、大きく息を吐いた。軽く伸びをして肩を解す。本日最後の講義は何事も無く終了したのであった。
「さて、と、今日は図書室で待ち合わせだっけ」
鞄の中に筆記用具やら何やらを詰め込み、一応中身を整理して、肩掛けの鞄を手に立ち上がる。帽子を忘れずに被り、視界を少し狭めてみながら、息苦しい教室から廊下へ出た。
「おっ、とと、すみません」
調子に乗っていた訳でも無いが人にぶつかってしまった。肩に軽い衝撃が来て、廊下から教室に戻される。私の後ろに付いて出ようとしていた人にもぶつかり、軽く玉突き事故になる。本日追突二度目、後でメリーにもぶつかっておけば良いのか。違うか。
「いえ、こちらこそ」
前後両方に頭を下げる私に、ぶつかってしまった人は爽やかな笑みを返して来た。いや、それはこちらの気持ちを解す物であり、その人が追突されて喜んでいる訳ではない、と思う。逆にそれだと恐ろしいので、前者だと信じよう。
その人は黒い帽子の鍔を指で押さえたまま軽く頭を下げると、それまでの目的地へと歩き出した。私もいつまでも出入口を封鎖していると後ろの人達に悪いので、早急にその場を離れる。ようやく渋滞が緩和され、廊下は人だらけになった。
ふむ、さっきの人、校内で帽子被ってて変なのって感じ。成る程、私っていつもこう思われているんだ。勉強になった、けど改善しようという気は起こらない。それに、あの人服の趣味とか私と似てそうだったから、きっとあの人も私と同じなんだろうと勝手に納得した。
若干の紆余曲折を経て私は図書室へと辿り着いた。特に達成感は無かった。喜ぶ事でもない。図書室の読書スペースに足を向けてメリーを探す。
そうそう、知り合いお勧めの本は面白かった。ちょっと古い奴だったので読むのに苦労したけど。特に最後の戦闘シーンで主人公が疲労した仲間に励ましの言葉は掛けずに只『構えろ』と促すと皆疲れていても立ち上がるという…………この言い方だと主人公酷い奴にしか思えない。何で私はここで感動したのだろう。それに多分メリーの趣味じゃないので彼女に勧めるのは止めておこう。
読書スペースの一番奥の、本棚で隠れた場所にメリーは居た。古めかしい本を難しい顔で読んでいる。彼女の金色が光を反射してきらきらと光っていて、何だかメリーの癖に神々しい。メリーの癖に。
「はーい、メリー」
明るく声を掛けてみた。若干似非外人っぽかった。はぁい、私ジェシカ。皆からはジェシーって呼ばれてるわ。趣味は墓場巡りよ。うん、あんまり面白くも無かった。
図書室では静かにしなければいけないというのは常識なので、私はメリーの直ぐ隣の椅子に座り、彼女の方に椅子を寄せた。声を潜めて、聞いてみる。
「何読んでるの?」
メリーは本を閉じて表紙をこちらに掲げて見せる。表題は『日本の怪談 ~平安から江戸まで~』。昼の話でも調べているのだろうか。特にメモを取っている様子は見られないが、メモ取る程のものではないのだろう。
「読んでいて思ったんだけど、“皆殺し”とか“皆いなくなった”て系統の話って矛盾してるわよね」
つまり皆死んだり消えたりしていなくなってしまったのに、話を伝える人が残っている。だから、そういう“いなくなる”形の話は明らかに作り話であるということだ。まあ、怪談なんだから作り話も何も無いと思うけど。
「理論的な穴と言うより、論理的な穴ね」
得意気に言って、メリーは軽く胸を反らした。何故かその態度に理不尽なものを感じた。何でだろう。
「ふむ、すると“いなくなる”系統の話である所の神隠し、…………もとい、エクストリーム神隠しも“いなくなる”、なのにいなくなった事だけが知覚できる。…………怪談話としてはちょっと弱いって?」
「話としては怖いと思うわよ? でも、良く分からない危機感だけ煽って、怪談かどうかさえも怪しいわ」
確かに、この話は怪談と言うよりは、やはり都市伝説的だ。不安だけを煽る、落ちの無い話。
「外出よっか。ここで話してると迷惑だろうし」
さっきの授業中に思い付いた事を蓮子に言ってみると、彼女は渋い顔で考え込んでしまった。
黒い帽子を被った頭が下を向いたまま隣を歩いている。人にぶつかるから止めた方が良いとは思うけど、何やら考え中らしいので邪魔しちゃ悪いかな。
「姥捨て山と座敷わらしと神隠し、ね。確かに、姥を捨てるのは口減らしや厄介払いの為だし、座敷わらしは子供の間引きね」
二つは怪談ではなく伝承ね。それらと神隠しを並べるのは変な感じがするけど、神隠しが人為的なものとすれば違和感は無くなる、のかしら。いえ、神隠しも元は天狗に代表されるような土地神の仕業だとも考えられていたのだから、座敷わらしとはその共通点もあるのね。
「突然人が失踪する、これだけならまだ人間がやってても可笑しく無い。でもスーパー…………エクストリーム神隠し、は他人の記憶まで消すとなると、人間には無理よね」
「できたらビックリよ」
二人並んで歩きながら、ちょっと周りを見回す。サークル活動の為に走って行く人や、研究室の方へ歩いて行く人、立ち止まって友達と喋っている人。皆“大学生”してるんだろうなぁ、と思って見ていると、前から来た短い金髪の人が早足で図書室の方へ歩いて行った。
良く見るとお昼に私が迷惑をかけた人だった。いやー、急いでたからね。あれからはぶつかったり足引っかけたりしないように気を付けて行ったのよ、結局遅刻だったけど。
金髪って目立つなぁ、あれ地毛なのかなぁ、と思いつつバッグを持ち直す。
「神に隠されて、行き着く先はどこなのかしら」
つい呟く。英国の妖精は子供を取り変えると言うが、子供はその時何を見るのか。怪異に拐われ、辿り着くのはどこなのか。
「さてね。伝承じゃ神域や山中だけど、そればっかりは実際に逢ってみないと」
全くもってその通り。一見に勝る百聞は存在しないし、千聞とてまた同じことだろう。実際に拐われてみなきゃあ分かる筈も無い。そして拐われることが、怪異に逢うことが、相当に運が良いか波長が合うかしないと大変なのよね。
「まあ神隠しについては良いとして、座敷わらしは子供の間引きの話より先祖がどうのとか河童がどうのって話の方が多いらしいし、姥捨て山の例はちょっと私じゃ検討出来ないし。共通項って言ってもこういう話だとこじつけに近くなりそうで嫌になるわ」
「“神隠し”ってだけでも各地の似た伝承でまとめられちゃうしねぇ」
各地の伝承分だけ別の名前があるし。地方に依っては害を成すものでも、他の場所じゃ守り神だったりする訳だ。
日本古来の伝承研究は、新発見があったとしても永遠に答えは出ない上に正解を確かめることも出来ない。これは全部の研究分野に当てはまることなのだけど、こう考えると人間って日々不毛な事の積み重ねで生きてるのね。
でも、私はそういう不毛さが嫌いじゃない。百年後の世界に貢献出来るものを残そうとまでは思わないけど、今私がやっていることを全面的に肯定出来る。楽しければそれが全て。
と、このように、私は快楽主義なのだけど、蓮子は違うらしい。
彼女は、言うなれば現実が理解出来ていない子供なのだ。本人もその自覚はあるらしく、現実的に、堅実的に生きようとはしている、とのこと。学校に真面目に行ってコミュニケーション能力を養って、毎日生きてる。コミュニケーション能力に関しては、むしろ私の方が無いくらいだ。
ただ“理解している”のと“分かっている”のは違う。
つい、怪異に牽かれる、惹かれる。その瞳で空を見通すように、見透すように、現実から逃避し、逃げ出してしまう。
気持ちは分からなくもない。下調べも細やかにこなし、仮説を立ててそれを検証することを躊躇わない彼女は研究者向きだとも思う。
まあ、私は彼女じゃないから深い所までは何とも言えないけど、
「神隠しが犯罪、ねぇ。何で貴方って突飛な事を思い付くのかしら。凄く助かるから良いけど」
「それはどうもですね。蓮子さんの役に立てるなら私も嬉しいですよ」
一つ、確信を持って言える事がある。
彼女は“私”を見ていない。
意見を気軽に求めて一緒にご飯を食べて友人らしく付き合いはするものの、それは“私”ではなく“趣味の合う友人”に対してのものなのだ。
その意味では、私は相棒どころか友人であるかさえも疑問なのだ。…………いや、友人ではある。前言撤回。
一応、仲の良いロマン派の友人くらいにはなれているとは思うけどね。大体、その程度のことに気付いたくらいで私が軽く人間不信に陥りかけていることに、彼女が気付く訳も無いのだし。
もし彼女に言えば、それは違うと否定するだろうけど。そんな台詞が聞きたい訳では無いので、私も敢えて訊こうとは思わない。
「どっちにしろ検証は無理そうね。…………あーあ、面白い事無いかなー。校舎爆発しないかなー。爆発しよっかなー」
「はいはい、物騒なこと言わないの。貴女やろうと思えばできちゃいそうだから止めてね」
些か物騒な話題は早々に切り上げて、私達は適当なお店に入った。メリーが相変わらず甘そうなケーキを恃んだのでこの甘党めと詰って、私は珈琲を一杯だけ恃んだ。ミルクも砂糖も入れない。いつもなら私もケーキか何かを食べる所だけど、このお店には特に食べたい物が無いので珈琲単品。
「でもね、貴女が言うほどの甘党じゃないわよ、私。友達にチョコレートが大好きな人がいるんだけど、あの人チョコケーキ食べるときにココア飲むもの」
「それは甘党なんじゃなくて糖分補給よ、流れ作業的な」
甘味を食べる時に甘いもの飲んでいては世話無い。きっとその人は砂糖が欲しいんじゃなくてカカオが欲しいのだろう。砂糖の入っていない飲み物と一緒に甘味を食べ、甘さを楽しめる人が所謂甘党なのだと私は思う。
「メリーはそういう米国的食べ方じゃなくて日本的食べ方するじゃない。抹茶飲んで菓子食べる、菓子食べて抹茶飲む」
「えー、普通でしょ? 日本じゃかなり一般的でしょ? ワビサビみたいな。これ一口食べてみる?」
「私砂糖以上の甘いものは食べれないからなぁ。チョコレートもカカオ五十五%以上じゃないと無理だし」
「…………私、たまに日本語が通じているのか分からなくなる時があるわ。ここだけバベられてないでしょうね」
「大丈夫、多分大丈夫」
バベられてはいない、と思う。と言うかバベられた後に人間は言語の壁を乗り越え、ぶち壊した訳だから、今神様が言語崩壊させたらどうなるんだろうか。同じ時間を掛けて人はまた手を取り合おうとするのか、それともそれぞれの世界に引き籠るのか。一度文明の味を知った人間はきっと諦めはしないだろう。
バベルの塔、人間の志を傲慢さと恨んだ神様に依って言葉をばらばらにされたという。聞くたびに思う、言葉を乱されるより前の言葉、誰もが使っていた筈の共通言語は神様には通じなかったのだろうか。全知全能だと言うなら通じる筈なのに、誰も神様に直接物言い出来ない。誰も会った事無いのに、皆盲目的に存在を信じている気がする。
「カカオは良いとして、メリー、口の横にクリーム付いてるわよ」
「むぅ」
そう言えばもう何年も前にある人が言ったんじゃなかったっけ。『神は死んだ』って。誰が言ったんだか知らないけどさ。
そんな風に下らない事をつらつらと言い合っている内に日も傾き始める。サークルに所属している訳でも無く、期限の迫っている提出課題も無く、講義も暫くは復習のような事をするらしい。故に、時間を無駄に使える。でも何か詰まんない。
「…………サークルにでも入ろうかしら」
「どこに? 下手に運動系に入るとヘトヘトになるわよ。体力は付くだろうけど」
「大学入り立ての頃、オカルト研究会が良いなぁ、と思って行ったら実態がUFO研だったの。以来、本格派オカルト研究会に入りたいとは思っていたけど、中々無くてねぇ」
同好会も回ってみたが、どこも目的UMA限定だったりコンパしかしてなかったり幽霊研究会だったりと入る程のものは無かった。入る大学を間違えたかとも思った、と言うと流石に言い過ぎか。
「そうだ、無ければ作れば良いじゃない、本格派オカルト研究会!」
「それでもいいけど、二人じゃ同好会にもならないわよ?」
良い思い付きだと思ったのだが、メリーにやんわりと否定されてしまった。いや、どっちかと言うと人を集めろと言われたのだろう。所で、
「どうしてメリーが最初から数に入ってるのかは聞かない事にするわね」
「……………………あ」
どうやら意識的にそう言った訳では無いらしい。メリーは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。口をすぼめてつんとする。ええい、顔を赤らめるな可愛い。あ、今の他意は無いからね。
「メリーは私と一緒にサークル入りたい?」
「そ、そういうの言うの無し! 友達だからっ、友達だからだから!」
「うん、そうね、友達ね。で、…………理由はそれだけ?」
「えっ…………とぉ、それだけかって聞かれるとそれだけじゃあ無いとゆーか、ちょっと複雑な事情がとゆーか、そもそもメリーは羊でそれってつまりモフモフとゆーか、でも『メリーさんの羊』なんだから、じゃあ羊は誰なのかとか、大体メリーってあだ名だし本名はマエリベリーだしそしたら羊でも無いわけだし、でも仮に私が羊だとしても私は“私”なわけで、そしたらそしたらやっぱりサークルは一緒に入りたい…………って、ちょっと何で笑ってるのよ」
暴走しているメリーを私がいつものように笑って見ている事に、彼女は漸く気が付いたようだ。メリーはむがーっと暴れだした。予想の範疇なので冷静に彼女から飲み物や皿を遠ざける。彼女は一頻りじたばたと暴れた後、テーブルの端に手をぶつけて悶絶する。
しかしそんな事をしていたからか、店員に睨まれてしまった。仕方も無く店を出る。
日が傾いたまま赤い光を投げ掛けてくるのを横目に、私とメリーは校門の前までやって来た。彼女とは方向が違うのでここでお別れである。名残惜しい、とか寂しいとか形容しても良いのだけど、私は現代人らしく明日が来ることは疑わずに生きているので、片手を挙げてメリーに別れを告げる。
「じゃ、また明日」
「また明日ー」
さて、と。帰って調べものしながらご飯食べて風呂入って寝るか。神隠しの地方伝承について詳しくしらべよう。明日は確か一限目が無いからゆっくり出来る。取り敢えず今日は早めに寝よう。
そう思いながら自転車置き場に向かうと、入り口で何やら話し込んでいる人がいた。一人はトレーナーのフードを目深に被った奴で知り合いだった。名前も知らないし性別も知らないし、どうでも良い。
対するもう一人は自転車に跨がったままフードの人の話を聞いている様だ。籠の肩掛けバッグの下に黒い帽子が見えたのでもしや私がぶつかった人かと思ったのだけど、流石に顔をまじまじと見た訳じゃないので何とも言えなかった。しかも逆光だったから何も分からなかった。Shit。
あまり注目しているのもどうかと思うので、自分の自転車を引っ張り出して鞄を籠に乗せて跨がった。帽子は被ったままだ、特に意味も無く嘘なのだけど。
「――――分かった。これだけでも十分よ」
黒帽子の人は去った。私も帰ろうとしたのだが、フードの奴が小走りで近寄って来たので入り口の辺りで止まる。良く考えるとさっきの人と構図が一緒だ。無限ループの予感。
「じゅ、重要情報。と、特にあんたにとっては」
挨拶も省いて、フードの奴は切り出す。相変わらず落ち着かない喋り方だ。しかし、特に私が必要そうな情報ね。オカルト系なら嬉しいんだけど。
「つ、つってもさっきの奴とじょ、情報的には一緒なんだけどさ」
むぅ。私と似たような情報が回されしかも黒帽子。これは友達になれるかも分からんね。縁が無ければ諦めるけど、ぶつかったったってことはそれくらいの縁はあるみたいだし。まあ今はそれは関係が無い。
「聞くわ、教えて」
「あいよ」
差し出されたのは薄い茶封筒。今時こんな物で情報を渡すのも珍しいが、一体全体何の話だろうか。
私は久し振りにも感じる高揚を宥めながら、その封筒を受け取った。
昨日の夜に蓮子からメールが届いた。『明日、お昼に昨日と同じ場所で』。彼女のメールは非常に淡白だった。
明けて翌日、朝から蓮子の様子が変だというのには、勿論気付いていた。朝に図書室でやたらに調べものをしていたようだけど、話を聞こうとすると『お昼に話すわ』と言った切り口を告ぐんでしまう。
変、というよりは何だろう、落ち着かない、という感じだ。そわそわしてて、心ここにあらずで、終いには貧乏揺すりまで始めてしまうような。遠足間際の小学生と言ったら彼女は怒るかもしれないが。
他人がそうやって落ち着かない心持ちを周囲に洩らしていると、人間の性って奴は敏感で、何かあったのかと不安になってくる。悪い事じゃなきゃいいのだけど、と講義中もそれが気掛かりで、私は参ってしまった。
こんなに集中出来ない位なら、いっそ授業なんてサボタージュして蓮子に話を聞きに行きたい。と、そこまで思い詰める程では無いにしろ、気になるのは本当なので、実にやりようが無い。おかげで午前中の講義はやたら気疲れするものとなった。
そして漸く昼になり、昨日と同じカフェテリアに行ってみると、蓮子は仏頂面でコーヒーを飲んで待っていた。
「蓮子、話って何?」
そう訊くと、彼女はカップを置いて一つ息を吐く。自分を落ち着かすようという意図が見てとれる、深呼吸。何か集中しなきゃいけない時にも、彼女は良く息を吐いている。
事態の深刻さを慮って、私も息を詰める。これは最悪の予想だけど、誰か知り合いが、その、“ハイパー神隠し”に遇って消えてしまったのではないかしら。考えたくもなくて、ちょっと首を竦めた。
「昨日、重大な事が判明したのよ。落ち着いて…………話すわ」
落ち着くのが私じゃなくて蓮子な事に少し違和感を感じたものの、首肯して先を促す。
「先ずこちらをご覧下さい」
いきなり口調畏まったものになったけど、私は逆に安心する。良かれ悪かれ蓮子のテンションが高いってことだもの。テンションが高いと何を言われるのか不安にはなるが、最早心配は要らない。ふう。
差し出されたのは一枚の写真だ。満月の照らす夜の森。その木々に埋もれるように、神社が建っている。きっと相当古いのだろう、月明かりに照らされたその社は陰気な影をまとわりつかせ、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「暗くてちょっと見えないわね」
「手前に賽銭箱が見える? その辺」
言われた所に目を凝らす。
「…………ヒビ?」
空間が割れていた。硝子を叩いて割ったみたいに、そこだけ空間が剥がれていて、その向こうに同じように神社の一部が見えている。その向こうの神社は一応綺麗にしてあり、明かりが洩れているのが分かる。
「空が写ってるから場所は直ぐに分かったわ。まあ一応ちゃんと調べたけど」
「空?」
「ん、ああ。良いの良いの、気にしないで」
気にしないでと言われると、気になるのは仕方がないわよね、人間だもの。空が何なのかなぁ。
「ここ“博麗神社”っていうらしいんだけど。神主もいない放置された神社、まあつまり廃屋ね」
言葉の端に隠し切れない喜びが滲んでいる。何がそんなに楽しいのかは分からないけど、蓮子はいつものように口の端を上げて笑ってる。その表情は、日が沈んでいくのを見送る子供のようで、どこか危うい。
その気持ちは分からないでもないけど、これだけでは心霊写真と何も変わらない。要するに偽物である可能性が高いし、本物でも検証が出来ない。
しかし、私の目の前に座っているのは他の誰でもなく“宇佐見蓮子”なのだ。
「それで? ここには境界線が存在して、何かしらの理由で弛むのは分かったわ。…………それで?」
「うん、暴いてみようと思って」
さらりと、彼女はそう言った。まるで何でも無いことのように、さらりと。でもそれは、
「それ…………都条令違反じゃない」
私は現在テンションが高かった。理由を述べると、昨日眠って無い、つまり徹夜テンションである、ひゃっはー。博麗神社とやらについて調べ、神隠しについても序でに調べ、気付いたら四時を過ぎていた。そこで眠れば良いものの、私のテンションはその時点で振り切っていたので、私はそのまま一睡もせずに登校したのであった。
因って、思考が平生より雑にならざるを得ない。詰まり、この都条令というのを軽く無視出来るような心持ちでいたのだ。
この都条令は、現在首都である京都が関東のように霊的汚染されないように、境界を暴いたり、こっくりさんやったりすることを禁止する条令なのだそうだ。これがある所為で、私の目指すようなオカルトサークルが無いのだ。
「だから?」
努めて、何でも無い事のようにそう言った。そうしないと笑いだしそうになる。何でか知らないけどやたら楽しい。声にそれが滲み出ていたらしく、メリーは眉を寄せる。
「関係無いわ、出来るかどうかすら怪しいんだし。やれたらやる、それだけ」
「そうじゃなくて、…………その話をしたって事は、私についてこいってこと?」
「さあ? メリーはどっちを言って欲しい?」
付いて来いとは言わない。来るなとも言わない。好きにすれば良い。来いとは強制出来ないのだから。都条令を違反した時にどれだけの罰則があるのかは知らない。でもするなと禁止されていると言う事は、やろうと思えば出来ると言う事だ。なら私はやる。本当に出来るなら、だけど。
メリーは悩んでいるのか首を傾げて唸る。白羊さんは慎重派なので暫く待った方が良いのかしら。昨日渡された茶封筒の中から調べた物を取り出して、冷め始めた珈琲を啜った。うむ、不味い。
先に言っておくと、別に流された訳じゃない。
「うんうん、やっぱり一人じゃないって良いわよね」
蓮子は満面の笑みで頷いている。今にも踊り出しそうな程の喜びようだ。何だか気恥ずかしくて顔を背けた。
一緒に行っても良いと伝えただけなのにここまで喜ばれると、ちょっと複雑ね。
「お願いだからあんまりはしゃがないで」
スーパー恥ずかしい。
「結構嬉しいものね、二人でサークルでも作る?」
「同好会にもならないわよ。…………何か前にもこんな話した気がする」
ところでお腹が減った。なので何か適当に頼んでみた。昨日と同じー。蓮子も一緒に注文していた。昨日と同じー。暫く待つと、私が頼んだクラブサンドとイチゴパフェがやって来た。昨日と同じじゃねー。
蓮子はイチゴパフェに意気揚々とパク付いていた。何故か理不尽なものを感じた。
「一人で行く羽目にならずに私はテンションがだだ上がりとなってるわ。今ならココア飲みながらチョコパフェ食べられる!」
「それはチョコに対する冒涜…………」
「これはチョコパフェですか?」
「いいえ、イチゴパフェです。ところで、その神社とやらにはいつ行くの?」
「ああ、今夜が良いんだけど」
「……………………へ?」
思わず手を止める。不意討ち気味に言われた事を頭を咀嚼出来ずにフリーズする。
「この写真が撮られたのって、何年前だかは分からないけど今日なのよね。しかも丁度望月。両方条件が揃っているなら行くしか無いじゃない? 星と月の両方写ってて助かったわ」
「…………ここ、結構遠いんじゃない?」
「んー、多分駅からは一時間も掛からないんじゃないかなー、駅は自転車なら行ける距離だし。終電は確実に逃すだろうけどね、何せ辺境だから。電車一本一時間でいける辺境って素敵ね」
ちょっと承諾した事を後悔した。
さて、午後の講義が終わり、私は教室を飛び出した。サークル活動の為に急ぎ足で行く人達に今日は紛れて、昨日と同じく図書室へ向かう。図書室に入った瞬間、ざわめきが遠退く感覚が好きで、私は良くここを待ち合わせ場所に指定する。待ってる時間が潰せて楽だし。
メリーは昨日と同じく隅っこに居た。何やら古めの文庫本を読んでいる。昨日私が読んだ本だった。何だ、勧めるまでも無かったのか。
「やほ」
声を掛けると、にまにまと今にも笑い出しそうな顔で彼女はこっちを見た。あの本のどこに笑う要素があるのだろう。疑問に思いつつ、彼女の横に座る。
「ねぇメリー」
「ん? 何?」
彼女の頬をつねり上げてみた。二cm程伸びたので後で自分のも試してみようと思いつつ、頬肉をこねくり回す。メリーがふぁふぃほーとか言って暴れ出した。予想の範疇なので手を離して引き下がる。
「もう、何なの?」
「いや特にこれといった理由は無いのだけど、強いて言うなら触り心地が良さそうだったから」
実際触り心地は良かった。どんな手入れしてるんだろ。それとも元からだろうか、レベルの高い。
「えっと、神社に行くのって夜よね」
「そうよ、モチメリー」
「突っ込まないわ。一度家に帰ってからでも間に合うかしら?」
「多分大丈夫だと思うけど、なら現地集合にする?」
「行き方を知らないわ」
じゃあ、やっぱり一緒に行きましょう、駅に集合ね。と決めて、時間を確認するとまだまだ深夜までは時間があった。当たり前か。駅かどっかで待ち合わせるとして、それまでどうしてようかな。
ぼんやりと図書室の入り口の方を見ていると、黒い帽子を被った人が早足で通り過ぎて行くのが目に入った。あの人急いでるんだなぁ、と分かる位の早足である。あの人はそんなに急いでどこに行こうというのだろう。
そう言えば、あの人も神社の写真を受け取った筈なのだ。なら、案外あの黒帽子の人も私と同じく神社に行くのかな。日付を当てられたのなら途中で会うかもしれない。そしたら声を掛けてみよう。きっと話は合う筈だ。
私は一旦家に帰って一息吐く毎にした。神社は遠いらしくそれなりの準備をして行こうという考えだ。終電を逃して直接学校に行く羽目になった時の為に勉強道具は入れていこう。
後は、パソコン点けて色々してうだうだしている内に時間になった。蓮子に教えられた通りの駅に行く。その駅から神社まで電車一本なのだそうだ。
着いて気付いた事が一つ、駅自体にまず人がいない。酷く閑散としている。切れかけた街灯が物寂しげに点滅していた。どうしてこんなに人がいないんだろう。誰も使っていない駅なんだろうか。
まさか…………神隠しとか。
流石に関係無いかもしれないけど、駅員すらいない駅に一人きりというのは堪える。この辺には民家も無いのだ。叫んだって聞き付けてくれる者は無いだろう。
なので、早く蓮子が来てくれれば良いのだが、
「…………………………………………来ないわね」
予想はしていたからこれ以上は何も言わない。ええ、予想の範疇よ。
待ち合わせの時刻から約二十分後、遅れて蓮子はやって来た。パタパタと近付いて来る彼女に意識して冷たい視線を浴びせながら、呻く。ちょっと安心しているのを悟られたくなかったので、殊更嫌そうに。
「遅刻よ、蓮子」
「現在時刻は午後十時五十三分二十ニ、三、四、五秒。約二十三分三十秒の遅刻ね」
あまりにも淀み無くそう言ったもんだから、それが時間を告げるものだと一瞬分からなかった。時計でも見ていたのだろうか。
「じゃ、行きましょうか」
とても楽しそうな彼女の後ろを付いて歩き出す。よっぽど楽しいのか、スキップでもしそうな勢いだ。こんな薄暗い駅でもその笑顔が陰らないのは、感心する。
しかし、前方をぽてぽてと歩く彼女を見ていると、さっきまで感じていた影はもう無かった。一人じゃないっていうのは意外と安心出来るものなのね。
もしかしたら、蓮子がいつも遅れて来るのはこの寂しさと恐怖を感じたくないからかもしれない。
「こういう人のいない場所ってわくわくするのよねー。世界に自分しかいないみたいでテンション上がるわ」
違うかもしれない。っていうか多分違う。蓮子はただ時間にルーズなだけ。
こんな駅に果たして電車が来るのか疑問だったのだけど、ホームに掲げられていた時刻表の通りに電車は来た。今にも止まりそうなほどボロいけど、ちゃんと時間通りに来た。蓮子よりは立派な心がけね。
因みに時刻表を見ると一日に朝とニ、昼一、夜二の五本だった。午後十時のが終電で、始発は午前九時だ。どうしろって言うのかしら。
「明日? 祝日じゃなかったっけ?」
どうやら自動運転らしいボロい一両電車に飛び乗りながら、蓮子は首を傾げる。電車内の電灯は全部点いていて、窓硝子が全部鏡になっていた。会わせ鏡状態で少し怖い。
「祝日? 何の?」
「さあ?」
二人並んで席に座ると、間も無く電車は動きだした。自転車よりかは少し早い位のスピードで、電車はゆっくりと夜の中を行く。光の加減の所為か窓の外は酷く暗く見えた。
この辺りには光源が無く線路を覆うように木々が生えている為に、電灯の明かりが煌々と輝いて窓硝子を全く鏡のようにしていた。黒々と広がる窓の向こうは、まるで夜そのものを溶かしたような闇色だ。どれだけ目を凝らしても見える物は無く、電車の窓から投げ掛けられる光ですら直ぐに闇に消えていく。空に浮かぶ望月だけが木々の隙間から時折顔を出して、一瞬畑の跡や野原を照らし出していた。
空調すら動いていないおんぼろ電車の中を行ったり来たり、座ったり立ったりして、私は時間を潰していた。正確に言うとかなり落ち着かない心持ちを御しきれずに、うろうろしているのだが。あー、テンション高いのが自分でも分かる。
「今から一生の内に何回やるかも分からないネタをやるわ」
私が宣言するとメリーは面倒臭そうな目でこちらを見る。若干眠いのだそうだ、徹夜の私を見習え。でも今日ずっとはしゃいでいた所為か、かなり気持ちが悪い。多分お昼ご飯をまともに食べていないのも悪いだろうし、夕飯がカロリーの高い唐揚げ丼だったのも悪いのだろう。
批判的な視線を送って来るメリーは略無視して、私は対面の座席の前に立った。そして吊り下がっている持ち手を掴んで体を引き上げる。持ち手を腰より下まで下げて、足を揃えて前へ伸ばした。
「吊革!」
「パンツ見えてるわよ?」
メリーの残念な発言と共に私の体重を支えていた吊革が千切れた。あー、ぼろ電車だから。と思う間も無く、座席にぼふっと落ちた。良い感じにバウンドして衝撃を吸収出来たので大丈夫、かとも思ったのだけど全然バウンドなんてしなかった為、私の足が死亡のお知らせ。
「ぬぅおー、足負傷。衛生兵ー」
じたばたと痛がる私に相棒は結構冷たい視線を送って来る。むぅ、冷たい奴。
「っていうか、人いないって言っても誰が乗ってくるか分からないでしょ? 変な事しないの」
説教の方向が母親だった。吊革を破壊した事をたしなめられると思っていたのでやや拍子抜け。しかし、説教内容に一里どころか四十万七十五Kmくらいはあるので、つまり無いのだけど、私は大人しく席に座る。
一息吐いてみると若干汗掻いている事に気が付いた。あー、暑い暑い。
電車の中で蓮子が暴れていたがそれとは関係無く、電車は無事に到着した。途中で幾つかの駅に停まりはしたが誰かが乗ってくる気配はしなかった。
「無事に着きました」
「よし、博麗神社は山の中腹よ。張り切って行きましょう」
街灯すら点いていない駅は真っ暗で、草花の臭いが強くした。濃密な、闇と自然の気配。天上の月が辺りを照らしてはくれるものの、影はより一層存在を濃くするだくだ。何故なら、満月は闇の味方だから。
駅から出ると、蓮子は鞄の中から懐中電灯を二本取り出した。彼女の用意周到さに舌を巻いている私に一本渡して、彼女は先に立って歩き出す。
「なんか…………私、嵌められたかしら」
「失礼な、嵌めて無いわよ。説明をかなりはしょっただけで」
嵌めてるじゃないの。
道はあるが、最近来た人がいない為か、殆ど草で覆われている。こんな辺境に神社があっても人なんて来ないだろうに、どうして私はそんな所に行こうとしているのだろうか。お参りでもするのか、神様もずっと放置されてもういないのかもしれないのに。
「午後十一時四十四分二十八、九、三十秒。間に合うかしらね、これ」
「知らないわよ」
って言うか、もしかして今空見ながら言った? 時計見てる訳じゃ無いんだ、と思ったが、こちらを振り返った蓮子は金色の懐中時計を手にしてニヤニヤとしていた。何なのよ、こっち見んな。
と、道にもならない道を歩いていると、長い石階段が現れた。木々の間に埋もれるようにしてその階段は続いているが、どこに行き着くのかも分からない。
それは階段と言うよりは、空間にぽっかりと空いた穴のようで。足を踏み入れたら、それこそ底まで落ちてしまいそうで。
もしかしてこの穴の向こうは異界なんじゃないかと、本気で思った。ここから先へは進んじゃいけないと、本気で実感した。そもそもこんな所に来てはいけないのでは無いかと、来ることすら許されないのでは無いかと、本気で、恐れた。
そして同時に、
「きっとこの階段の先よね。明らかに怪しいもの」
この先が境界だと、ならば越えねばならないと、そう強迫観念的に思った。
「おお、やる気になってきた?」
「…………別に、そういう訳じゃ無いわ」
茶化す様に蓮子が言うのに素っ気なく返しはしたものの、口の端が上がっているのはバレているだろう。懐中電灯で階段を照らしてみたが、角度の関係からか奥までは照らせない。
階段の前に立つと木立の影で底知れない闇が待ち受けているようで足が竦んだ。背中がぞくぞくする、寒気が這い上がって来るように感じて身震いした。これ以上先へ進んではならないと本能が告げ、足が勝手に下がろうとするが、その実、固定された様に足は動かない。
この、圧倒的な拒絶。
「…………ふっ」
これよ。そう、これなのよ。
例え先が絶対的な一方通行だとしても、その結果命を落とすとしても、存在ごと消されるとしても、
私は先に進みたい。
案外、その消えた、消された人達はこういう触れちゃいけないものに障ったからいなくなったのかもしれないわね。怪異に、妖怪に、結界に、真実に、…………神に。
そんな事を考えながら、それでも私が初めの一歩を踏み出すのを躊躇っていると、隣で空を見上げていた蓮子が一つ息を吐いた。深呼吸のような、気持ちを吐き出す行為。自分を落ち着かせる為の、小さな儀式。
…………嫌な予感は最初からしていた。そもそも、彼女に会った日も朝から嫌な予感がしていたのだから、彼女の行動は大抵斜め上を行くという事が分かりきっているのだ。あれ、何で私蓮子と友達なんだろ。
「一番、宇佐見蓮子! お目通り願います!」
妙な名乗りを上げて、蓮子は猛然と階段を駆け上がり始めた。樹で隠れてしまってはいるが、山の斜面角度と段の幅から大体の長さは予想出来るが、優に百段は越える筈だ。つまり頂上に着く頃には完全に息が上がってしまっているに違いない。
「…………ちょっと蓮子!?」
一人残される形になった私は、仕方も無く彼女の後を追いかけ始める。
無論、走って。むぅ、これならやっぱり日頃から運動しておくべきだったわ。
階段を駆け上がる時の諸注意。テンポ良く足を踏み出す事、足を前に出すことを意識する事、息を止めたりしない事。詰まり普通の長距離走とあまり変わらない。だが然し、物体を別の場所に移動させる際に位置エネルギーも変化する坂道や階段では、当たり前の事に平地と同じようには走れない。上る時は必要な仕事量が増えるのだ。その代わり下る時には位置エネルギーのお陰で必要エネルギーは減る。序でに言うと重力加速度の働きもあるから、更に上りは辛く下りは楽になる。と、言うか重力が一番大切なのだよ君。それでも頑張れば加速は付く。加速度は直ぐに負の仕事に依り食われてしまうが、体が前に進んでいるって事は、全体の仕事としては正なんだろうなぁ。
何が言いたいかと言うと、無意味に走り出しはしたものの、止まる機も失して走っている私死にそう。息も絶え絶えで、階段の直ぐ側に控える木々の枝に横槍を入れられつつも、私は何故か走っていた。やばい辛い。でも気分だけはやたらに良い。急く気に従って勢いだけで駆け上る。
懐中電灯が邪魔で鞄の中に仕舞ってしまったので、周りの木立の所為で足元すら良く見えない。何回も段を踏み外しながら走る。足首を捻りそうだけど取り敢えず走る。行きはよいよい帰りは恐い、とは言うが、十分行きも恐いじゃない。天神様の心はやたらに狭量らしい。
ともあれ、恐いながらも、
「通りゃんっせー!」
もう何段上ったかも分からない。ただ、明日は確実に筋肉痛になりそう。蓮子はかなり先を行っている筈なのだけど、明かりを点けていないのか先は暗いままだ。
懐中電灯で前方を照らしつつ、段を踏み外さないよう気を付けて走る。夜中の明かりは、魔を祓うというより、ただ闇を濃くするだけだ。照らしても照らしても闇が迫ってくるようで、ひたすら不安を煽ってくる。
不安に煽られて足を踏み外してしまったら、少なくとも50段は超えている筈だからえらい事になる。心配すべきは筋肉痛だけじゃない。
息はとっくに上がっていて、心臓のBPMもやたらに上がっている。足も既に限界。どうして蓮子はあんなに体力が持っているのだろう。高校の時には運動部に所属していたのだろうか。彼女なら陸上部とか似合いそうね。あとは、…………水泳部とか?
水泳は兎も角、陸上とかの運動部は皆マゾよね。筋トレしながらひーひー言ってるのを見ると、何で筋トレなんかするんだろうと疑問に思う。辛いならやらなきゃ良いのに。
私は少しは運動した方が良いんだけどね。
と、前方に人影が見えた。どうやら追い付いたらしい。少し体力に自信が付いた、私は頑張れば出来る子。ぜぇぜぇと二人分の荒い息遣いが階段を反響する。完全には追い付けてないので、気を抜くとまた離されそうになる。
追い抜こうと、スピードを上げてみた。蓮子は追い抜かれまいと頑張る。私も頑張る。蓮子が頑張る、私も頑張る。
「ぬおー」
私こんな時間に何してるんだろうなぁ。
ふと、木々の影が切れて、夜中の空が見えた。
「っっいっちばん!」
叫んで、最後の一段を踏みしめた。足を止めた途端にどっと汗が出てきて、ついその場に座り込む。太股の辺りが若干痙攣していて、息が完全に上がってしまっている。絶え絶えの呼吸を必死で繰り返して、肺に空気を取り込む。
博麗神社は写真通りのぼろぼろ加減だった。いや、それよりぼろいかも知れない。階段を上りきった目の前に、恐らく昔は鮮やかな朱色だった筈の鳥居がある。草が隙間を縫うように生える石畳は真っ直ぐに社に続いている。朽ちた賽銭箱と社。それでも境内は空を覆うような木は生えておらず、どこと無く清澄な空気が満ちていた。先刻までの真っ暗な道から突然に視界が開けたので、更にその感じが強い。満月が沈もうとしながらも、境内を青白く照らしていた。
その光景はあまりにも、幻想的で、
しかし、境内には先客がいた。詰まり、私は別に一番着でもなんでもなかったのだが、そんな事を言っても詮無い。私が一番と言えば一番なのだから。
背丈はメリーと同じ位か。その女の人は博麗神社の賽銭の辺りを睨んでいた。細められた瞳は無表情と相まって怒っている様にも見えるが、視線は定まっていない。眠いのかもしれない。肩の辺りまで伸びた黒い髪は艶やかに月の光を反射して、耳の辺りを結ぶ赤いリボンが風に僅かに揺れていた。
「ちょっと蓮子、そんなに走ってもいいこと無いわよ、しかも一番じゃないし。まあ、肝心のもの見逃したりなんてしたら貴女は悔しがるでしょうから、ちょっとは急いだ方がいいのかもね」
気配に気付いたのか、女の人は私の方を見もしないでそう言った。彼女はきっと私達と同じ目的でここに来たのだろう。流石にこの近くに住んでいるとは考え難い。
しかし、と一寸考えて、私は言った。
「えっと、人違いよ?」
人違いよ、そう言われて私は振り返った。私達以外―――訂正、蓮子以外に、こんな所に来ようなんて数奇者がいるなんてと驚きを込めて、だ。
序でに言えば、あんなにテンション高く叫びながらやって来たのが蓮子じゃないということ自体がかなり驚きだったのだが。
振り返った先には、私よりかは幾分低めの女の子がいた。鳥居の側に座り込んでいる。女の子、と言うには歳が上なのだが、彼女の瞳はそう印象を与える。黒いハンチング帽を被った短髪は金色で、月明かりにキラキラと輝いて見えた。白いシャツに黒のスカートの彼女は階段を駆け上がって来た所為か息が荒い。
暗闇に煌めく瞳には強い意思と好奇心が垣間見えて、どことなく蓮子に似ているなと思った。
先程、一時間くらい前にここまで蓮子と階段で競争して彼女に敗れてから、この辺を探索してみたのだが、何も見付からなかった。面白いものは無いし、楽しいことは起こらないし、蓮子は辺りを見てくると言って降りてしまった。おかげで暇していた私は、上がって来た金髪少女を蓮子だと勘違いしてしまった、とこういうことね。
そう言えば、昨日の昼に私が急いでてぶつかってしまった人だ。あの時も金髪が珍しくて驚いたんだった。
「むぅ…………こんな所に何の用で?」
訊いてみた。こんな辺境に来たのが偶然な訳無いから。
「一寸ここの写真が気になってね」
写真というのは、蓮子が見せてくれたあの写真だろうか。多分そうなのだろう。理由は判らないけど、私達は同じ日に同じように同じ場所に来たらしい。それは、私なら偶然と言うし、蓮子なら必然と言うだろう。
立ち上がりながら喋る少女は、やはり雰囲気が蓮子に似ていた。ただ、蓮子は冷たい感じさえする突き放した言い方をするが、少女は人を食ったような煙に巻く感じがする。常に予防線を張っているような、そんな感じ。
「そう言うあんたは?」
「私も大体似たような理由よ。…………能動と受動の違いはあると思うけど」
私は蓮子に連れて来られたようなものだが、少女は違うのだろう。多分自分から動いて、その結果ここにいるのだ。
まだ足がだるいけど、立てる程には回復した。もう二度と阿呆な真似はするまいと心に決めたが、恐らくこの教訓が活かされる事は無いだろう、私だし。両の足でしっかりと立ち上がり、階段の方をちらりと見た。メリーはゆっくりと階段を上って来ている筈だ。一寸涙目だと可愛いので、怖くて涙目になっていればいいと思う。
女の人は息を吐いて頭を掻いた。あ、そうだ。あの黒帽子の人と一緒にいなかったっけ、良く覚えて無いけど。
「蓮子まだかなぁ」
「れんこって?」
「宇佐見蓮子、いつも帽子被っていて、オカルト好きの、こんな所に来たがるような、星見てぶつぶつ言ってる、変な人。下りてったきり帰って来ないのよ」
「へえ、宇佐見さんね」
成る程、お友達になれそうだ、帽子だし。
賽銭箱に近付いてみると、社のぼろぼろさ加減が良く分かる。柱は蹴れば折れそうで、中には入らない方が良いと判断した。ぐるりと一周回ってみるが、特に気になる事は無い。いや、やたらにぼろぼろで、どうして倒れないのか疑問に思ったけど。
「貴女は一人で来たの?」
「いや、メリー…………マエリベリー・ハーンと一緒よ」
「えっと?」
「マエリベリー・ハーン。マエリベリーって言い難いのよねー」
だからメリーなんだけど。彼女は今頃めーめー言いながら階段を上っているに違いない。私の予想じゃ後五分は掛かる。想像すると無茶苦茶笑える、ぷぎゃー。ふむ、今気付いたけど、メリーと知り合って以降の私結構性格悪い奴になってるなぁ。しかし改善はされない。
女の人は暫く黙って賽銭箱の方を睨んでいたが、ふと、こちらに寄ってきた。少し見下ろすような感じで女の人は私の前に立つ。無気力な、それでも楽しい事はきっちり楽しむような、そんな眼が私を見る。見下す様では無い。対等だと、そう感じる眼だ。
「ねえ、なんで貴女はこんな辺境に来ようと思ったの?」
「そこに幻想がありそうだったから」
即答だった。私の解はこれしかない。
即答だった。この人の答えはそれだけなのだろう。少なくとも、彼女は自分でそう信じているようだ。羨ましいと、少し筋違いに思う。
蓮子もそうだ。求めるものが分かっているから、歩みに迷いが無くなる。迷わなければ何も恐れなくていい。例え追いかけているものが他者に理解されないようなものでも。
私は、果たしてどうなのだろう。
「貴方は? 貴方はまたどうして?」
「ここに、境界がありそうだったから」
即答、した。
いえ、してしまったと言った方が良いわね。直前まで悩んでぐだぐだど考えていたのに、質問を返されると私は反射的にそう返していた。
「ふーん、貴女とも友達になれそう」
くすりと一つ笑みを溢して、金髪の少女は賽銭箱の前に立つ。何をするのだろうと見ていると、彼女は肩に掛けていた鞄の中から小さな財布を取り出して、中から五円玉を出した。お参りする心算なのだろうか。
「今何時なのかしら」
呟いて、私もその隣に並んだ、五円玉は無いので代わりに十円玉を握って。こんなぼろぼろの賽銭箱に賽銭を入れたとしても、取りに来るのは人間じゃなくて狸か狐だろうに。
分かってはいても、まあ、何となくでお金を賽銭箱に放り入れた。
賽銭を入れたは良いものの、鳴らす鈴が既に落ちている。仕方が無いので、鈴は鳴らさずに一礼二拍手で願掛けに挑んだ。因みに私の隣ではニ礼ニ拍手一礼の正式な態度で臨んでいる。
しかし、神様のいる社かどうかも分からないのに、何を願うのだろう。社が建っている以上そこには奉られているものがいる筈だが、巫女も神主もいないここには本当は誰もいないんじゃないか。そう思いながら顔を上げる。つまり何も願わなかったのだけど、私は顔を上げて、そこに信じられないものを見た。
どんなにぼろい神社でも、社を建てた人がいるってことはここには神様がいる筈だ。一度祀られたなら、その筈だ、と私は思っている。間違っていようがいまいが私には関係が無い、願掛けなんて行為自体が無意味なのだから。独り言みたいなものだ。それを聞かされる神様はというと、それは大変な仕事になるのだろう、主に心労的な意味で。因って、私はいるかもしれない神様に敬意を払って願掛けする。
面白いこと、ものに逢えますように!
「ちょ、ちょっと」
肩を叩かれた。下げていた頭を上げて隣を見ると、女の人は目を愕然と見開いて社の方を見ていた。驚愕、を絵にしたような表情だ。一寸面白いと思ってしまった。メリーにも言われたが、もしかして私の沸点って低いのかしら。
とか何とか考えながら、女の人の視線を追って前を向くと、
「…………え、?」
賽銭箱の上に黒い少女が腰掛けていた。賽銭箱の向こう側には紅白の巫女が立っていた。
まるで突然に、唐突に、その二人は現れていた。いつ現れたのかは判らない。私も女の人も頭を下げて参っていたのだから。それとも、二人供に見られていなかったからこそ現れたのか。
「幽、霊…………?」
隣から聞こえた声に、呻いて否定する。幽霊? これはそんなものじゃない。その程度のものではない。そう確信は持てるのに、しかし何なのかは分からない。頭が考える事を拒否するように、思考が上滑りする。考えようとすればする程、分からなくなるようで。仕方が無く、私は思考を止めて観察する事に集中した。
座っている方の黒い少女は、一言で表すと魔女だ。黒い三角帽子に黒いスカート、シャツの上のチョッキも黒く、肩くらいまでの金髪は少しウェーブが懸かっていて片側を三編みにしており、傍らには箒が置いてある。帽子を目深に被っている所為で口元しか見えないが、彼女は嗤うように笑んでいる。
自らをそうであるように誂えたかのような少女は、ふと顔を上げた。その顔は、私が毎日見ている物で、
鳥肌が、立った。
隣で息を飲む気配がしたけど、正直私もそれを気遣うだけの余裕は無かった。
「――――っ」
背中を冷たい手で撫で回されているような、不快な寒気をなんとか堪えながら、私は賽銭箱の向こう側に立つ少女を見る。
少女を一言で表すなら巫女だ。目出度い紅白の衣装は良く神社で見かける物で、腰くらいまでの髪を赤いリボンで後ろで結んでいる。無表情にこちらを見る瞳には特にこれといった感情は浮かんでいない。
鏡に映った自分を見ているような感覚。なのに、鏡の自分が自分とは違う動きをしているような違和感。
気持ち悪い。
「はっ、何よ。ただの幻覚じゃない」
違うかもしれないが、私にはそう言うしかない。今が、どんな状況なのかなんて、分かる筈も無いのだから。
少女達と私達の間に一本線が引かれていることに気付いた。地面の色が違うのだ。それが私達の前に間に横たわっている、まるで鏡のように。
なら、そこが境界なのだろう。
位相がずれてるんだか何だか知らないけど、目的は目の前だ。聞いていた話とも予想していた現象とも違うけど、怪異は直ぐそこだ。
だからなのか、隣で息を詰めていた少女が一歩前に出た。
「――――あら、前に出るの」
瞬間、背後からかけられた声に、心臓が跳ね上がる。絡み付くように噛み付くように心底愉快そうにかけられた声に、心臓を掴まれる。甘い毒を含んだ、かつ有無を言わせぬ、そんな声。先程、金髪少女は友人が来ていると言っていたが、
確信があった。背後のものは絶対に違う、と。
気持ち悪さと寒気を押し切って、私は振り返った。振り返らずにはいられなかった。
いつの間に現れたのか、鳥居の前には長い金髪の女性が立っていた。妙な帽子を頭に被っている、微笑んでいる、妙な人。いや、人間じゃ無い。それ以外の、何か。紫の服は何だか見慣れなくて、酷く場違いだった。
違う、場違いなのは私達の方なのか。
「……………………メリー?」
思わず、という感じで隣から声が上がった。違うと分かっていても呼ばずにはいられなかった、という雰囲気で。
メリーに似てると、最初は思った。物腰が彼女にそっくりで、立ち姿も顔もまるで生き写しのようだった。でも、違う。何が違うと言い切れはしないけど、眼が口調が笑い方が、決定的に、絶対的に、違う。まるで、背後にいる筈の、私と同じ顔をした少女の様に。
そいつはどこからとも無く、金色の懐中時計を取り出した。掌位の大きさで、長い鎖が繋がっている、古風な時計。現実に使っている人がいたら趣味が良いと私は評しただろうが、今この瞬間に出てくる物としてはどこか不吉に思えた。
「それは…………っ」
女の人が小さく声を上げかけて、飲み込む。何を言おうとしたのか、分からないけど声には悲痛さが含まれていた。懐中時計がくるりと回る。
「午前一時五十八分十三、四、五秒。そろそろ真夜中も二時を過ぎるわ」
その人は詠うようにそう言って、少し首を傾げた。その仕草はメリーに似て、頬をつつきたくなるような可愛いらしい物だった。
「貴女達、こんな所で何をしているのかしら?」
先刻、女の人と互いに似たような問答をしたけれど、今度は応えに詰まった。何をしているのかの、意味が違うような気がして。それは隣もそうだったらしく、彼女が応えるような様子は無い。それを見て取ってか、その人は畳み掛ける様に続けた。
「探しに来たんじゃないの、幻想を? 暴きに来たんじゃないの、境界を? 貴女達は、怪談を、妖怪を、幽霊を、怪異を、捜し求めていたんじゃないの?」
悪魔の囁き、という言葉が頭を過る。これは、頷けば戻れなくなる問いではないのか。行ったら戻れなくなるような問いではないのか。息を詰めて、頷いてしまえばどうなるのだろうと、少し考える。頷きたくなる。
「求めて、来たんじゃないの? ねえ、どうなのかしら?」
これは疑問を提示していると言うより、確認作業に近い。答え合わせに持っていく解は常に自分の物なのだから。故、私は今度も応える事にした。
「そうね」
まさか応えるとは思っていなかった。こんな得体の知れない輩に応えるなんて。でも彼女と蓮子の行動原理が同じなら、なんとなく納得出来る。
「私は幻想を暴く為にここに来たわ」
堂々と、そう言い放つ。微かに声が震えていたけど、こんな存在的にあり得ない奴を前にしての態度としては、上出来と言えた。
純粋に、格好よかった。
だからと言うとなんだか気恥ずかしいけど、そいつが私の方に視線を送って来た時、私も迷い無く答えた。
「ええ、私も、境界を探る為にここに来たわ」
自分でもちょっと格好付けすぎな気はしたけど、これくらいは許されていいと思うわ。だって、蓮子は戻ってこないで良く知りもしない人と並んで得体の知れない輩と向かい合っているのだ。
ただ受動的に連れて来られた訳じゃない、蓮子は最初について来るかどうかを訊ねてくれたのだから。あの時に頷かなければ今日私はここに来ていなくて、今頃は寝てしまうかレポートでも書いているだろう。
だから、と私は胸を張る。ちょっと驚いたような目が隣から向けられているのが嬉しい。今はいない蓮子に、私の友人にして相棒とやらに、後で私のした事をアピールできなきゃあ笑われてしまうかもしれないからね。
しかし、そんな風に良い空気を吸っている私を置いて、
「ふぅん」
得体の知れない奴は獰猛に嗤った。
心底、可笑しそうに、犯しそうに、嗤った。
「幻想と境界、…………魔法と結界、ね」
ぞくり、と空気が変わった気がして、息を飲む。さっきまで静謐に静まり返っていた境内は、今は冷たく佇んでいる。月さえ、青白い光が死んだように見えた。
嫌な予感は、そうだ、最初からしていたじゃないの。こいつが出てきた、いや、そのずっと前から。
「幻想郷は全てを受け入れるわ、好きに暴れなさいな。それが重要なのだから」
私は今、何と対峙しているのだろう。そう疑問に思ったような気もした。気の所為かも分からない。ただ言い様も無く恐ろしいものが目の前にいるのは理解出来た。
逃げたい。こんなのは聞いていない。
後退りしようと下げた踵が背後に地面が無いことを示した。後ろに何が広がっているのか考えたくもない。振り返っても絶対良いことは無いのが分かったから、なんとか視線を前に固定する。
パニックになっている私を置いてきぼりに、決定的に違っている何かは社に向かってニ礼ニ拍手一礼して、詠うように言った。
「怖いながらも通りゃんせ。」
瞬間、
瞬間、背後から襲い掛かるように何かに巻き込まれた。正直何だか訳が分からない内に拐われて、何だか訳が分からない内に事が終了してしまうようだった。何だこの面白く無い怪異。もっと盛り上げて欲しいと思う私は可笑しいだろうか、可笑しいだろうな。地味に落ち着いてしまったからね。
しかし一瞬、完全に“何か”が閉じる前に、嗤うそいつの向こう、階段の上にメリーが立っているのが見えた。良く分からない状況に首を傾げてこっちを見ている。
「――――メリー!」
何かしらを伝えようという意図は特には無かった。助けてとも、逃げろとも思わず、ただ何と無く、彼女の名前を呼んでみただけだ。そこに意味は無いし、意図も無い。
メリーは、私の友人にして相棒は、私と目が合うと、くすりと一つ笑った。今私と女の人を飲み込もうとしている奴と、少し似た笑いだった。そして、軽く手を振って、
「いってらっしゃい」
ふむ、相変わらず他人の事言えない程度に頭の可笑しい奴。普通はこの状態を見てそんな台詞は言わないのよ。しかし、行ってらっしゃいと言われたら返礼するのが当然。なので、私も普段通りに手を振り返した。
「行ってきます」
目の前で何かが閉じた。
―
真夜中、誰もが寝静まっている筈の午前二時。博麗神社への参道とも言える長い階段を、息を切らして上っている人がいた。
「こ、の階段、長過ぎでしょう。だ、れが参拝するのか、しら」
ハイペースで階段を上りながら、辛そうに呻いて、黒い帽子を被った少女は苦し気に息を吐く。暑いのか白いシャツの首もとの釦をいくつか開けて掌で扇いでいる。
「現在は、…………空が見えないわね」
宇佐見蓮子は急いでいた。のだが、どうして自分が急いでいるのかは分からなかった。なんとなく、大事な事を見逃したような、そんな気になっていた。
「何か重要なことがあった気がするんだけど…………っと」
ふと、木々の影が切れて、夜中の空が見えた。
博麗神社はぼろぼろだった。階段を上りきった目の前に、恐らく昔は鮮やかな朱色だった筈の鳥居がある。草が隙間を縫うように生える石畳は真っ直ぐに社に続いている。朽ちた賽銭箱と社。それでも境内は空を覆うような木は生えておらず、どこと無く清澄な空気が満ちていた。
先刻までの真っ暗な道から突然に視界が開けたので、蓮子は少し眉をしかめた。満月が沈もうとしながらも、境内を青白く照らしていた。
その光景はあまりにも、綺麗で、幻想的という言葉がこの上なく似合っている。
境内には先客がいた。
賽銭箱の前に、緩くウェーブがかかった金髪の少女が立っている。肩の辺りまで伸ばした金髪に透き通るような青眼。街中にいたなら目を引く端整な容姿はどこか和風で、不思議な魅力がある。ぼんやりと、少女は賽銭箱の前の辺りを見ていた。
その後ろ姿に蓮子は、何故か懐かしさを感じた。古い友人に街中で偶然出会ったような、そんな感じを。
「―――」
ぽつりと、蓮子の口から言葉が零れる。それは声にならない程微かな物で、しかし少女には届いたらしかった。
「―――」
金髪の少女は振り返ってみると、蓮子と同世代のようだ。年はそんなに離れていないだろう。少女は蓮子の顔を見て、少女もまた何事かを呟いた。
「ね、今何て言った?」
お互いに初対面の筈だが、その呟きが少し引っかかって蓮子は聞き返した。そんな筈が無いのに、名前を呼ばれた気がしたのだ。少女は首を傾げて、悩むような素振りを見せて首を振った。
「…………分からないわ」
「私も同じく」
妙な話だ。自分が何て言ったかも分からないというのを酷く居心地悪く感じて、蓮子は唸る。
「むう、…………貴方はこんな所に何しに来たの?」
「秘められた封を探しに、かしら。そう言う貴女は?」
「封じられた秘を暴きに、よ」
しかし、そう答えはしたものの、何だかやたらに違和感を感じて、蓮子は肩にかけていた鞄の中から一枚の写真を取り出した。今二人がいる神社の写真だ。それを相手に見えるように掲げて、訊いた。
「私は、この写真を見て来たんだけど、貴方はどうして…………」
言いかけて、止める。何かが変だった。少なくとも蓮子はそう感じた。
この違和感は、もっと根本的なものの気がする。
「…………もしかして、貴方一人? 他に誰かいなかった?」
って言うか、私はどうして一人でこんな寂れた神社に来ているのだろう、と蓮子は疑問に思う。一緒に行かないかと遠回しに訊いた人がいた気がする、一人寂しく行かなくて済むと喜んだ覚えがある。
「そうよ、誰かと一緒に来る筈だった。でもその誰かが誰なのか、顔も思い出せない…………」
「私、とある人に誘われて来たのよ、その写真を見せられて。その人と一緒に来た覚えはあるのに、その人が何て言っていたのかも分からない…………」
そうだ、そんな怪談を最近聞いた気がする。そう、あれは確か、
「神隠し、だっけ」
「エクストリーム神隠しじゃないの?」
ふむ、と蓮子は考え込む。意外と浸透している怪談だったようだ。もしくは、彼女をここに連れて来た友人がそういう趣味だったのか。
「スーパーでもハイパーでもこの際何でも良いわよ、一緒でしょ。それより、お互い二人組でここに来て、二人供パートナーが神隠しに逢うなんて…………」
なんて出来すぎた話なのだろうか。仮定の話にすぎないにしろ、この状況ではそれ以外に納得のいく説明が無い。神隠しも説明にはなり得ないという考えは置いておいて。
「凄い偶然ね」
「これは最早必然よ」
運命的確率に依る、ね。
蓮子は改めて目の前の不思議な雰囲気の少女を見た。ぼんやりとしているが、芯は強そうで、先程の応えから鑑みて、実はこういった怪異ものは好みだと見た。つまり、良い議論の相手になりそうだと思った。
もしかするといなくなった友人の穴を埋めようとしているのかもしれないと考えると気分は良くないが、新たに友達を見つけたことには変わり無いだろう。そう自分を納得させて、蓮子は口を開いた。
「貴方、名前は?」
「マエリベリー・ハーン」
「マエ…………言い難いんだけど」
「友達はメリーって呼んでたわ、名前も思い出せない友達はね」
「そう、羊なのね。じゃあメリーって呼ぶことにするわね」
「私も貴方をメリーって呼ぶことにするわね」
「紛らわしい上に意味不明。私の名前は蓮子よ、宇佐見蓮子」
「兎?」
「宇佐見、そんなに珍しい苗字でもないでしょうに」
「草食動物同士仲良くしましょうか」
「いつか狼に取って食われないよう願うわ」
それにしても妙な人だなぁと蓮子は思った。ぼんやりとしているというか、ふわふわしているというか。どことなく掴み所が無くて、やりづらい。それは蓮子の言えた義理では無いのだが、彼女はまるで他人事に、メリーをそう評した。
「そこにね、境界があるの」
少女、メリーは賽銭箱の方を漠然と指指してそう言う。
「閉じたばかりの境界。ここで何かあったのなら、これが怪しいと思うわ」
「…………境界?」
蓮子にはそんな物は見えない。間違いか狂言の類いかとも思ったが、それにしても境界とはどういうことだろうか。
「貴方境界が視えるの?」
「えっと、多分そういうことだと思うんだけど、正直良く分かんないのよね。ああ、別に無理に信じてもらえなくても良いわよ、変だって自覚はあるし」
「信じるわ」
即答した蓮子を、メリーは目を見開いて見た。病院を勧められるか離れられるかすると思ったのだろう。しかし蓮子は胸を反らして、鼻息荒く言い放ってやった。
「貴方のその気持ち悪い眼、本物だって信じるわ、気持ち悪いけど」
「…………結構はっきり言うのね」
「だって気持ち悪いもの。普通の人が持ち得ない特別は、それが才能と呼べるものですら普通の人から見たらただ気持ち悪いだけのもの…………、封を探して秘を暴くには、それくらいのものが必要なのだけどね。不思議が視えるなんて、素敵じゃない」
必要条件ではないけれど十分条件ではあるのよ、と言って蓮子はメリーの隣に並んだ。金色の懐中時計の鎖を腰から外して、メリーに預ける。不思議な顔をする彼女に文字盤を見ているよう言って、蓮子は息を吐いて夜の空を見上げた。
「現在、午前二時八分四十八、九、五十秒」
「確かに合ってるけど…………何、それ」
メリーは妙な顔をして時計と蓮子の顔を見比べている。手品か何かだと思ったのか、時計を裏返したりもしていた。
「特技、かしら。星を見て時を読み月を見て場所を知る…………まあ、つまり夜空見上げてぶつぶつ呟く癖があるってことなんだけど」
「気持ち悪い癖ね」
「貴方も随分とはっきり言うようで」
ふと、目が合って、二人は笑いあった。互いに互いを気持ち悪いなんて言って、それを自分でも分かっているという状況が新鮮だったのだ。
「そうだ、サークル作りましょう」
「出会ったばかりの人と組んでサークル作ろうなんて、唐突過ぎて何も言えないわね。しかも二人じゃ同好会にもならないわよ?」
「友人にも言われたわ、神隠しに逢ったらしい友人にね。でもね、別に非公式な奴で良いの。だって目的は怪異を探し、暴くことだもの」
それは都条令違反だと言われることを予想しつつも蓮子はそう言ったのだが、メリーは呆れたように肩を竦めただけで特に何も言わなかった。何も言わずに、蓮子と向かい合う。
「サークルの話は兎に角、この眼を使って不思議を暴くことに異論は無いわ。一人より二人の方が良いのも確か」
「そうね、とりあえずは消えたらしいお互いの友人でも捜しましょうか」
メリーは視線を賽銭箱の辺りに戻した。そこに、彼女の言う境界があるのだろうと見当を付けて、蓮子も習って視線を送る。
「探しても見付からないんじゃない? もしくは見付けても判らないんじゃ?」
「それでも、よ。話の通りにその友人の事を忘れているってことは、私達も怪異に逢ったって言えるからね」
「無茶苦茶ね、貴女」
「私には褒め言葉ね」
シニカルに笑って蓮子は帽子の鍔を下げる。自ら狭めた視界の端でメリーが面白そうに笑っているのを確認して、更に笑みを深めた。
「それじゃあ行きましょうか」
「秘められた封を探しに? それとも封じられた秘を暴きに?」
「秘封を求めて秘封を探し、秘封を見付けて秘封を暴きに、よ」
そして境界を越えた先に幻想を視る為に。
「じゃあサークル名は秘封倶楽部かしらね。ねえ、蓮子?」
「隠されたものなら見付け出し、隠しているのなら暴く。それならば確かに私達は秘封倶楽部でしょうね、意味が変わってるかもしれないけれど。
さあ、メリー。神隠しの真実と博麗神社の秘密、求めて探して見付けて暴くわよ!」
読んだ後にいらっとしても怒んないでね
私が、彼女に声を掛けられたのは、多分偶然だと思う。そこに必然は無く、まさに運命的な確率に依って、私達は出会ったのだと。
そんなことを彼女に言ったら、きっとそんな訳ないじゃないと返すのだろうけど。彼女らしく、ちょっとシニカルめに笑って。
「ねえ蓮子、私達が出会ったのは偶然だと思う?」
「そんな訳ないじゃない」
予想通りだった。それでこそ蓮子。
彼女なら、そう、私達の出会いは必然だと言うだろう。そこに偶然はあっても些末で、まさに運命的な確率に依って、彼女は私に声を掛けたのだと。
要するに、私達二人とも重度のロマンチストってことね。
大学内のカフェテリア、目の前に座る友人にして相棒である宇佐見蓮子はいきなり話題を変えた私に不審な目を向けている。“友人にして相棒”という言い回しは彼女が先に言い出したのだけど、そこまで言うほどの親密さではないと思うのは私だけだろうか。
私は彼女に肩を竦めて見せて、コップに刺さったストローを食わえた。ストロベリースムージーの甘ったるい味が口に広がる。この安っぽい感じが堪らない。
「んー、気にしないで、ちょっと考え事してただけだから」
「いつも思うけど、どうして話しながら他のこと考えられるの?」
気にした事も無い。集中力の違いなのかしら。私はどちらかと言うと浅く広くだからかなぁ。他の人は知らないけど。
ストローから口を離して、息を吐く。さっきまでの話に戻そうと思ったのだけど、残念な事に何の話をしていたのかが判らなくなっていた。仕方も無く彼女を促す、蓮子なら覚えてるだろうから。
「それで?」
「うん、最近の都市伝説の傾向は携帯電話ネタが多いって話ね」
ああ、確かにそんな話だった。架空請求詐欺の話が都市伝説化したとか、携帯電話越しに洗脳されるとか、相変わらず毒にしかならないような話ばっかりなんですって。もう何十年も前から言われている話が未だに残っていたり、日本人って噂好きね。
そんな話を拾ってくる蓮子も蓮子だと思うけど。彼女は検証もしてないような似非科学的な話は嫌いだけど、検証も出来ないような怪談話はそれはそれで好きなのだ。その蓮子はちょっと嬉しそうに話してる。
「携帯電話もそろそろ怪異の類いになりつつある。妖怪化するのも時間の問題ね」
「そしたら携帯の怪異が大量発生ね、やな未来」
電化製品が妖怪化したら大変ね。面白そうだけど、ちょっとあり得無さそう。怪談にあり得ないも何も無いのだけどね。
と、言うか、こういう話をしている私達は周りから見たらどうなのだろう。普通の大学生に見えるだろうか。
「幽霊とかじゃない目に見える怪異に逢ってみたいわ」
まあ彼女は楽しそうだし、良いかな。
話していて喉が渇いたので水を飲んで一息吐いた。先程頼んだ珈琲は既に飲んでしまっている。追加で頼んでも良いのだがそろそろ店を出るつもりなので、今は水で良い。冷たい水を流し込んで顔を上げる。
対面に座る金髪碧眼の彼女は困ったように首を傾げている。美人と言えそうな顔がストローを食わえたまま斜めに傾いで、釣られて私もちょっと頭を傾けた。どうやら友人にして相棒であるマエリベリー・ハーンことメリーには些か付いて来れない話題だった様だ、私反省。
困った顔のままストローをがじがじにかじっているメリーさん(羊)の頬をつついくと、自然と水平に戻った。何これ面白い。
「うりうり」
「何よぅ」
そう言えば、何故マエリベリーなのにメリーと呼ぶのかと聞かれた事があった。私としては特に気にして呼んでいる訳では無いのだが、理由を挙げるとすれば、彼女の名前を書くときに綴りを間違えたからである。マエリベリー、メアリベリー、メアリー、メリー。羊可愛いじゃない。
「ところでメリー、貴方時間大丈夫?」
「貴女に時間の心配されるようじゃ私もダメね。まだ大丈夫よ」
失礼な。私は別に時間と無関係に生きている訳じゃないわ。確かに待ち合わせの時間に間に合おうという気が無い所為で良く遅れるけど、毎日の講義にまで遅れてはいないもの。私は彼女の物言いに深い憤りを感じたので、判りやすく憤慨してみた。プソプソ。
どちらにせよ良い頃合いには変わりはないので、二人とも席を立つ。椅子に乗せていた帽子を取り上げて被る。お気に入りの帽子とは言え、大学内で帽子を被っていると若干変な目で見られるのは、まあ当然かな。
支払いを済ませて外に出た。何故か点いていた冷房の与える冷気を奪おうと、初夏の熱気が押し寄せて来る。別に未練も無いのでシャツを叩いて冷気を払いつつ、人通りの多い廊下を軽く見渡した。
「さっきの話の続きなんだけど」
「ええ」
「“エキストリーム神隠し”って知ってる? 別にスーパーでもハイパーでもルナティックでも良いんだけど、私はエキストリームが好きだからエキストリーム」
人の口に上る程では無いのだけど、最近特に聞く。所謂神隠しの話なのだが、神隠しも時代の移り変わりと共に変化したのか、改訂されたとのこと。私が聞いた初めて時は名前が“神隠し”ではなく“鬼隠れ”になっていたが、あまり一般的では無いらしく、“神隠し”の一環として語られている。
「要するに神隠しではあるんだけど、最大の相違点は消えるのは人だけじゃないってこと」
「物を隠して忘れた頃に返す怪異はもうあったと思うけど」
「いやいや、あんなんじゃなくて。消されるのは人だけじゃなく、存在ごとなのよ」
元の話はこんな感じだ。ある日、いきなり友達が失踪する。その人の家に行ってみると夜逃げでもしたかのように何も無くなっており、他の友人に話を聞いてみても要領を得ない。どころか、いなくなってしまった友達が誰なのか、名前も顔も思い出せない事に気付き、茫然とする。
「なるほどね、忘れる…………と言うよりは、存在ごと無かったことになるってこと」
メリーの言葉に頷く。“鬼隠れ”という名前は、本人が鬼のように痕跡を消して隠れるという意味合いなのかもしれない。怪異に逢ったのではなく、自分から消えた。これでは怪談にはならないに決まってる。
そこで、講義開始のベルが鳴った。私は、次の時間は講義が無いけどメリーは違う。ゆっくりと歩いていたのが良く無かったようだ。メリーは顔を蒼くして走り出した。
「ごめん、また後でね!」
「急ぎ過ぎると転ぶわよー」
言った直後、メリーは歩いていた他人の足に引っ掛かり転びそうになった。頭を下げて走って行く彼女に、足を引っ掛けてしまった人は、急げーと声を掛けて苦笑する。私も苦笑しつつそれを見送る。
さて、次の講義まで図書室にでも行こうと考えて、私はメリーとは逆方向に歩き出した。知り合いから勧められた本でも読もう。面白かったらメリーにも勧めよう。
「っと」
「っ、ごめんなさい!」
肩にぶつかられた。一瞬長い黒髪が目の前で散って、謝罪の声を置き去りに去って行く。振り返ると急いで走って行く後ろ姿が見えた。苦笑して先程の人に習って私もその後ろ姿に声を掛けた。
「急げー」
急げと言われて急いだものの、遅刻には変わりないのであった。当たり前だけど、私は悲しい。しかし、この講義の人は最初に出席を取らないのでセーフ。アウトだけどセーフ。
周りの視線を感じながら真ん中辺りの席に着いた。いや、真ん中よりちょっと廊下側、無駄な見栄を張っても意味ないわよね。ノートとか筆記用具を出来るだけうるさくないように取り出す。
それから顔を上げると、教壇の方から強い視線が来ていた。ひぇー。視線を逸らしたいが黒板にはまだ何も書かれてはおらず、教授も私が来てからはまだ何も言っていないのでノートに書く事は無い。
き、気にしないで続ければくれれば良いのに。
「…………この様にして昨今もまた、モラルの低下が叫ばれている。これは何年も前からそうであり、今更と思われがちであるが――――」
特に何も言われずに講義が再開する。ふう、危ない危ない。解説に見せかけて今軽く怒られた気もするけど、まあ気の所為にしておこう。
一呼吸。まだちょっと心臓がうるさい。緊張したのもあるだろうが、やっぱり運動不足なのかもしれない。たまには運動しようかしら。ジョギングとか階段昇降とか。急に山に登りたくなった時の事や、足場の悪い所で鬼ごっこしなきゃいけなくなった時の事を想定して足腰は鍛えておこうかな。
蓮子なら明日の朝一にいきなりエベレスト登りたいとか言い出してもおかしく無いからねえ。っていうか一昨日辺りにチョモランマーって叫んでたから、その未来は遠くない気がするわ。そういう準備くらいはしておいて損は無いと思う。
「そして一昔前の犯罪心理学に於いては不満やコンプレックス、欲求不満が犯罪に繋がると考えられていたが、これらの大本は妬みや嫉みであり、七つの大罪ならぬ“九つ”の大罪、嫉妬は元より――――」
ノートに『昔、不満、NOT凶悪の犯罪』『現在、嫉妬、犯罪の根本』と書き付けて二つを矢印で結び、また前を向く。ちょっと前に蓮子に授業ノートを見せてみたら妙な顔をしていたけど、もしかして私はノートの取り方が下手なのか。いや、講義内容が見慣れなかっただけかも。そう信じたい。
そう言えば、姥捨て山と神隠しと座敷わらしを並べて議論している論文があった気がする。なんでも、要らなくなった人を間引く意味で共通なんだとか。私は神隠しは誘拐だと思うんだけどなぁ。
でもそうすると全部人為的な犯罪ってことになるわよね。それこそ不満や嫉妬に依って引き起こされるような。
「…………ハイパーだかスーパーだかの神隠しとやらも、誰かが人為的に起こしてるものなのかしら」
後で蓮子に意見を聞いてみよう。そう思って、私はノートに『神隠し、姥捨て、座敷わらし ……人為的犯罪?』と書き込んだ。
「――――と、いうことになる。よし、じゃあ今日はここまでとする。何か疑問があれば研究室まで来ること」
終了のベルが鳴り、教授が立ち去る。それをいつものように見送り、大きく息を吐いた。軽く伸びをして肩を解す。本日最後の講義は何事も無く終了したのであった。
「さて、と、今日は図書室で待ち合わせだっけ」
鞄の中に筆記用具やら何やらを詰め込み、一応中身を整理して、肩掛けの鞄を手に立ち上がる。帽子を忘れずに被り、視界を少し狭めてみながら、息苦しい教室から廊下へ出た。
「おっ、とと、すみません」
調子に乗っていた訳でも無いが人にぶつかってしまった。肩に軽い衝撃が来て、廊下から教室に戻される。私の後ろに付いて出ようとしていた人にもぶつかり、軽く玉突き事故になる。本日追突二度目、後でメリーにもぶつかっておけば良いのか。違うか。
「いえ、こちらこそ」
前後両方に頭を下げる私に、ぶつかってしまった人は爽やかな笑みを返して来た。いや、それはこちらの気持ちを解す物であり、その人が追突されて喜んでいる訳ではない、と思う。逆にそれだと恐ろしいので、前者だと信じよう。
その人は黒い帽子の鍔を指で押さえたまま軽く頭を下げると、それまでの目的地へと歩き出した。私もいつまでも出入口を封鎖していると後ろの人達に悪いので、早急にその場を離れる。ようやく渋滞が緩和され、廊下は人だらけになった。
ふむ、さっきの人、校内で帽子被ってて変なのって感じ。成る程、私っていつもこう思われているんだ。勉強になった、けど改善しようという気は起こらない。それに、あの人服の趣味とか私と似てそうだったから、きっとあの人も私と同じなんだろうと勝手に納得した。
若干の紆余曲折を経て私は図書室へと辿り着いた。特に達成感は無かった。喜ぶ事でもない。図書室の読書スペースに足を向けてメリーを探す。
そうそう、知り合いお勧めの本は面白かった。ちょっと古い奴だったので読むのに苦労したけど。特に最後の戦闘シーンで主人公が疲労した仲間に励ましの言葉は掛けずに只『構えろ』と促すと皆疲れていても立ち上がるという…………この言い方だと主人公酷い奴にしか思えない。何で私はここで感動したのだろう。それに多分メリーの趣味じゃないので彼女に勧めるのは止めておこう。
読書スペースの一番奥の、本棚で隠れた場所にメリーは居た。古めかしい本を難しい顔で読んでいる。彼女の金色が光を反射してきらきらと光っていて、何だかメリーの癖に神々しい。メリーの癖に。
「はーい、メリー」
明るく声を掛けてみた。若干似非外人っぽかった。はぁい、私ジェシカ。皆からはジェシーって呼ばれてるわ。趣味は墓場巡りよ。うん、あんまり面白くも無かった。
図書室では静かにしなければいけないというのは常識なので、私はメリーの直ぐ隣の椅子に座り、彼女の方に椅子を寄せた。声を潜めて、聞いてみる。
「何読んでるの?」
メリーは本を閉じて表紙をこちらに掲げて見せる。表題は『日本の怪談 ~平安から江戸まで~』。昼の話でも調べているのだろうか。特にメモを取っている様子は見られないが、メモ取る程のものではないのだろう。
「読んでいて思ったんだけど、“皆殺し”とか“皆いなくなった”て系統の話って矛盾してるわよね」
つまり皆死んだり消えたりしていなくなってしまったのに、話を伝える人が残っている。だから、そういう“いなくなる”形の話は明らかに作り話であるということだ。まあ、怪談なんだから作り話も何も無いと思うけど。
「理論的な穴と言うより、論理的な穴ね」
得意気に言って、メリーは軽く胸を反らした。何故かその態度に理不尽なものを感じた。何でだろう。
「ふむ、すると“いなくなる”系統の話である所の神隠し、…………もとい、エクストリーム神隠しも“いなくなる”、なのにいなくなった事だけが知覚できる。…………怪談話としてはちょっと弱いって?」
「話としては怖いと思うわよ? でも、良く分からない危機感だけ煽って、怪談かどうかさえも怪しいわ」
確かに、この話は怪談と言うよりは、やはり都市伝説的だ。不安だけを煽る、落ちの無い話。
「外出よっか。ここで話してると迷惑だろうし」
さっきの授業中に思い付いた事を蓮子に言ってみると、彼女は渋い顔で考え込んでしまった。
黒い帽子を被った頭が下を向いたまま隣を歩いている。人にぶつかるから止めた方が良いとは思うけど、何やら考え中らしいので邪魔しちゃ悪いかな。
「姥捨て山と座敷わらしと神隠し、ね。確かに、姥を捨てるのは口減らしや厄介払いの為だし、座敷わらしは子供の間引きね」
二つは怪談ではなく伝承ね。それらと神隠しを並べるのは変な感じがするけど、神隠しが人為的なものとすれば違和感は無くなる、のかしら。いえ、神隠しも元は天狗に代表されるような土地神の仕業だとも考えられていたのだから、座敷わらしとはその共通点もあるのね。
「突然人が失踪する、これだけならまだ人間がやってても可笑しく無い。でもスーパー…………エクストリーム神隠し、は他人の記憶まで消すとなると、人間には無理よね」
「できたらビックリよ」
二人並んで歩きながら、ちょっと周りを見回す。サークル活動の為に走って行く人や、研究室の方へ歩いて行く人、立ち止まって友達と喋っている人。皆“大学生”してるんだろうなぁ、と思って見ていると、前から来た短い金髪の人が早足で図書室の方へ歩いて行った。
良く見るとお昼に私が迷惑をかけた人だった。いやー、急いでたからね。あれからはぶつかったり足引っかけたりしないように気を付けて行ったのよ、結局遅刻だったけど。
金髪って目立つなぁ、あれ地毛なのかなぁ、と思いつつバッグを持ち直す。
「神に隠されて、行き着く先はどこなのかしら」
つい呟く。英国の妖精は子供を取り変えると言うが、子供はその時何を見るのか。怪異に拐われ、辿り着くのはどこなのか。
「さてね。伝承じゃ神域や山中だけど、そればっかりは実際に逢ってみないと」
全くもってその通り。一見に勝る百聞は存在しないし、千聞とてまた同じことだろう。実際に拐われてみなきゃあ分かる筈も無い。そして拐われることが、怪異に逢うことが、相当に運が良いか波長が合うかしないと大変なのよね。
「まあ神隠しについては良いとして、座敷わらしは子供の間引きの話より先祖がどうのとか河童がどうのって話の方が多いらしいし、姥捨て山の例はちょっと私じゃ検討出来ないし。共通項って言ってもこういう話だとこじつけに近くなりそうで嫌になるわ」
「“神隠し”ってだけでも各地の似た伝承でまとめられちゃうしねぇ」
各地の伝承分だけ別の名前があるし。地方に依っては害を成すものでも、他の場所じゃ守り神だったりする訳だ。
日本古来の伝承研究は、新発見があったとしても永遠に答えは出ない上に正解を確かめることも出来ない。これは全部の研究分野に当てはまることなのだけど、こう考えると人間って日々不毛な事の積み重ねで生きてるのね。
でも、私はそういう不毛さが嫌いじゃない。百年後の世界に貢献出来るものを残そうとまでは思わないけど、今私がやっていることを全面的に肯定出来る。楽しければそれが全て。
と、このように、私は快楽主義なのだけど、蓮子は違うらしい。
彼女は、言うなれば現実が理解出来ていない子供なのだ。本人もその自覚はあるらしく、現実的に、堅実的に生きようとはしている、とのこと。学校に真面目に行ってコミュニケーション能力を養って、毎日生きてる。コミュニケーション能力に関しては、むしろ私の方が無いくらいだ。
ただ“理解している”のと“分かっている”のは違う。
つい、怪異に牽かれる、惹かれる。その瞳で空を見通すように、見透すように、現実から逃避し、逃げ出してしまう。
気持ちは分からなくもない。下調べも細やかにこなし、仮説を立ててそれを検証することを躊躇わない彼女は研究者向きだとも思う。
まあ、私は彼女じゃないから深い所までは何とも言えないけど、
「神隠しが犯罪、ねぇ。何で貴方って突飛な事を思い付くのかしら。凄く助かるから良いけど」
「それはどうもですね。蓮子さんの役に立てるなら私も嬉しいですよ」
一つ、確信を持って言える事がある。
彼女は“私”を見ていない。
意見を気軽に求めて一緒にご飯を食べて友人らしく付き合いはするものの、それは“私”ではなく“趣味の合う友人”に対してのものなのだ。
その意味では、私は相棒どころか友人であるかさえも疑問なのだ。…………いや、友人ではある。前言撤回。
一応、仲の良いロマン派の友人くらいにはなれているとは思うけどね。大体、その程度のことに気付いたくらいで私が軽く人間不信に陥りかけていることに、彼女が気付く訳も無いのだし。
もし彼女に言えば、それは違うと否定するだろうけど。そんな台詞が聞きたい訳では無いので、私も敢えて訊こうとは思わない。
「どっちにしろ検証は無理そうね。…………あーあ、面白い事無いかなー。校舎爆発しないかなー。爆発しよっかなー」
「はいはい、物騒なこと言わないの。貴女やろうと思えばできちゃいそうだから止めてね」
些か物騒な話題は早々に切り上げて、私達は適当なお店に入った。メリーが相変わらず甘そうなケーキを恃んだのでこの甘党めと詰って、私は珈琲を一杯だけ恃んだ。ミルクも砂糖も入れない。いつもなら私もケーキか何かを食べる所だけど、このお店には特に食べたい物が無いので珈琲単品。
「でもね、貴女が言うほどの甘党じゃないわよ、私。友達にチョコレートが大好きな人がいるんだけど、あの人チョコケーキ食べるときにココア飲むもの」
「それは甘党なんじゃなくて糖分補給よ、流れ作業的な」
甘味を食べる時に甘いもの飲んでいては世話無い。きっとその人は砂糖が欲しいんじゃなくてカカオが欲しいのだろう。砂糖の入っていない飲み物と一緒に甘味を食べ、甘さを楽しめる人が所謂甘党なのだと私は思う。
「メリーはそういう米国的食べ方じゃなくて日本的食べ方するじゃない。抹茶飲んで菓子食べる、菓子食べて抹茶飲む」
「えー、普通でしょ? 日本じゃかなり一般的でしょ? ワビサビみたいな。これ一口食べてみる?」
「私砂糖以上の甘いものは食べれないからなぁ。チョコレートもカカオ五十五%以上じゃないと無理だし」
「…………私、たまに日本語が通じているのか分からなくなる時があるわ。ここだけバベられてないでしょうね」
「大丈夫、多分大丈夫」
バベられてはいない、と思う。と言うかバベられた後に人間は言語の壁を乗り越え、ぶち壊した訳だから、今神様が言語崩壊させたらどうなるんだろうか。同じ時間を掛けて人はまた手を取り合おうとするのか、それともそれぞれの世界に引き籠るのか。一度文明の味を知った人間はきっと諦めはしないだろう。
バベルの塔、人間の志を傲慢さと恨んだ神様に依って言葉をばらばらにされたという。聞くたびに思う、言葉を乱されるより前の言葉、誰もが使っていた筈の共通言語は神様には通じなかったのだろうか。全知全能だと言うなら通じる筈なのに、誰も神様に直接物言い出来ない。誰も会った事無いのに、皆盲目的に存在を信じている気がする。
「カカオは良いとして、メリー、口の横にクリーム付いてるわよ」
「むぅ」
そう言えばもう何年も前にある人が言ったんじゃなかったっけ。『神は死んだ』って。誰が言ったんだか知らないけどさ。
そんな風に下らない事をつらつらと言い合っている内に日も傾き始める。サークルに所属している訳でも無く、期限の迫っている提出課題も無く、講義も暫くは復習のような事をするらしい。故に、時間を無駄に使える。でも何か詰まんない。
「…………サークルにでも入ろうかしら」
「どこに? 下手に運動系に入るとヘトヘトになるわよ。体力は付くだろうけど」
「大学入り立ての頃、オカルト研究会が良いなぁ、と思って行ったら実態がUFO研だったの。以来、本格派オカルト研究会に入りたいとは思っていたけど、中々無くてねぇ」
同好会も回ってみたが、どこも目的UMA限定だったりコンパしかしてなかったり幽霊研究会だったりと入る程のものは無かった。入る大学を間違えたかとも思った、と言うと流石に言い過ぎか。
「そうだ、無ければ作れば良いじゃない、本格派オカルト研究会!」
「それでもいいけど、二人じゃ同好会にもならないわよ?」
良い思い付きだと思ったのだが、メリーにやんわりと否定されてしまった。いや、どっちかと言うと人を集めろと言われたのだろう。所で、
「どうしてメリーが最初から数に入ってるのかは聞かない事にするわね」
「……………………あ」
どうやら意識的にそう言った訳では無いらしい。メリーは顔を赤くしてそっぽを向いてしまった。口をすぼめてつんとする。ええい、顔を赤らめるな可愛い。あ、今の他意は無いからね。
「メリーは私と一緒にサークル入りたい?」
「そ、そういうの言うの無し! 友達だからっ、友達だからだから!」
「うん、そうね、友達ね。で、…………理由はそれだけ?」
「えっ…………とぉ、それだけかって聞かれるとそれだけじゃあ無いとゆーか、ちょっと複雑な事情がとゆーか、そもそもメリーは羊でそれってつまりモフモフとゆーか、でも『メリーさんの羊』なんだから、じゃあ羊は誰なのかとか、大体メリーってあだ名だし本名はマエリベリーだしそしたら羊でも無いわけだし、でも仮に私が羊だとしても私は“私”なわけで、そしたらそしたらやっぱりサークルは一緒に入りたい…………って、ちょっと何で笑ってるのよ」
暴走しているメリーを私がいつものように笑って見ている事に、彼女は漸く気が付いたようだ。メリーはむがーっと暴れだした。予想の範疇なので冷静に彼女から飲み物や皿を遠ざける。彼女は一頻りじたばたと暴れた後、テーブルの端に手をぶつけて悶絶する。
しかしそんな事をしていたからか、店員に睨まれてしまった。仕方も無く店を出る。
日が傾いたまま赤い光を投げ掛けてくるのを横目に、私とメリーは校門の前までやって来た。彼女とは方向が違うのでここでお別れである。名残惜しい、とか寂しいとか形容しても良いのだけど、私は現代人らしく明日が来ることは疑わずに生きているので、片手を挙げてメリーに別れを告げる。
「じゃ、また明日」
「また明日ー」
さて、と。帰って調べものしながらご飯食べて風呂入って寝るか。神隠しの地方伝承について詳しくしらべよう。明日は確か一限目が無いからゆっくり出来る。取り敢えず今日は早めに寝よう。
そう思いながら自転車置き場に向かうと、入り口で何やら話し込んでいる人がいた。一人はトレーナーのフードを目深に被った奴で知り合いだった。名前も知らないし性別も知らないし、どうでも良い。
対するもう一人は自転車に跨がったままフードの人の話を聞いている様だ。籠の肩掛けバッグの下に黒い帽子が見えたのでもしや私がぶつかった人かと思ったのだけど、流石に顔をまじまじと見た訳じゃないので何とも言えなかった。しかも逆光だったから何も分からなかった。Shit。
あまり注目しているのもどうかと思うので、自分の自転車を引っ張り出して鞄を籠に乗せて跨がった。帽子は被ったままだ、特に意味も無く嘘なのだけど。
「――――分かった。これだけでも十分よ」
黒帽子の人は去った。私も帰ろうとしたのだが、フードの奴が小走りで近寄って来たので入り口の辺りで止まる。良く考えるとさっきの人と構図が一緒だ。無限ループの予感。
「じゅ、重要情報。と、特にあんたにとっては」
挨拶も省いて、フードの奴は切り出す。相変わらず落ち着かない喋り方だ。しかし、特に私が必要そうな情報ね。オカルト系なら嬉しいんだけど。
「つ、つってもさっきの奴とじょ、情報的には一緒なんだけどさ」
むぅ。私と似たような情報が回されしかも黒帽子。これは友達になれるかも分からんね。縁が無ければ諦めるけど、ぶつかったったってことはそれくらいの縁はあるみたいだし。まあ今はそれは関係が無い。
「聞くわ、教えて」
「あいよ」
差し出されたのは薄い茶封筒。今時こんな物で情報を渡すのも珍しいが、一体全体何の話だろうか。
私は久し振りにも感じる高揚を宥めながら、その封筒を受け取った。
昨日の夜に蓮子からメールが届いた。『明日、お昼に昨日と同じ場所で』。彼女のメールは非常に淡白だった。
明けて翌日、朝から蓮子の様子が変だというのには、勿論気付いていた。朝に図書室でやたらに調べものをしていたようだけど、話を聞こうとすると『お昼に話すわ』と言った切り口を告ぐんでしまう。
変、というよりは何だろう、落ち着かない、という感じだ。そわそわしてて、心ここにあらずで、終いには貧乏揺すりまで始めてしまうような。遠足間際の小学生と言ったら彼女は怒るかもしれないが。
他人がそうやって落ち着かない心持ちを周囲に洩らしていると、人間の性って奴は敏感で、何かあったのかと不安になってくる。悪い事じゃなきゃいいのだけど、と講義中もそれが気掛かりで、私は参ってしまった。
こんなに集中出来ない位なら、いっそ授業なんてサボタージュして蓮子に話を聞きに行きたい。と、そこまで思い詰める程では無いにしろ、気になるのは本当なので、実にやりようが無い。おかげで午前中の講義はやたら気疲れするものとなった。
そして漸く昼になり、昨日と同じカフェテリアに行ってみると、蓮子は仏頂面でコーヒーを飲んで待っていた。
「蓮子、話って何?」
そう訊くと、彼女はカップを置いて一つ息を吐く。自分を落ち着かすようという意図が見てとれる、深呼吸。何か集中しなきゃいけない時にも、彼女は良く息を吐いている。
事態の深刻さを慮って、私も息を詰める。これは最悪の予想だけど、誰か知り合いが、その、“ハイパー神隠し”に遇って消えてしまったのではないかしら。考えたくもなくて、ちょっと首を竦めた。
「昨日、重大な事が判明したのよ。落ち着いて…………話すわ」
落ち着くのが私じゃなくて蓮子な事に少し違和感を感じたものの、首肯して先を促す。
「先ずこちらをご覧下さい」
いきなり口調畏まったものになったけど、私は逆に安心する。良かれ悪かれ蓮子のテンションが高いってことだもの。テンションが高いと何を言われるのか不安にはなるが、最早心配は要らない。ふう。
差し出されたのは一枚の写真だ。満月の照らす夜の森。その木々に埋もれるように、神社が建っている。きっと相当古いのだろう、月明かりに照らされたその社は陰気な影をまとわりつかせ、近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
「暗くてちょっと見えないわね」
「手前に賽銭箱が見える? その辺」
言われた所に目を凝らす。
「…………ヒビ?」
空間が割れていた。硝子を叩いて割ったみたいに、そこだけ空間が剥がれていて、その向こうに同じように神社の一部が見えている。その向こうの神社は一応綺麗にしてあり、明かりが洩れているのが分かる。
「空が写ってるから場所は直ぐに分かったわ。まあ一応ちゃんと調べたけど」
「空?」
「ん、ああ。良いの良いの、気にしないで」
気にしないでと言われると、気になるのは仕方がないわよね、人間だもの。空が何なのかなぁ。
「ここ“博麗神社”っていうらしいんだけど。神主もいない放置された神社、まあつまり廃屋ね」
言葉の端に隠し切れない喜びが滲んでいる。何がそんなに楽しいのかは分からないけど、蓮子はいつものように口の端を上げて笑ってる。その表情は、日が沈んでいくのを見送る子供のようで、どこか危うい。
その気持ちは分からないでもないけど、これだけでは心霊写真と何も変わらない。要するに偽物である可能性が高いし、本物でも検証が出来ない。
しかし、私の目の前に座っているのは他の誰でもなく“宇佐見蓮子”なのだ。
「それで? ここには境界線が存在して、何かしらの理由で弛むのは分かったわ。…………それで?」
「うん、暴いてみようと思って」
さらりと、彼女はそう言った。まるで何でも無いことのように、さらりと。でもそれは、
「それ…………都条令違反じゃない」
私は現在テンションが高かった。理由を述べると、昨日眠って無い、つまり徹夜テンションである、ひゃっはー。博麗神社とやらについて調べ、神隠しについても序でに調べ、気付いたら四時を過ぎていた。そこで眠れば良いものの、私のテンションはその時点で振り切っていたので、私はそのまま一睡もせずに登校したのであった。
因って、思考が平生より雑にならざるを得ない。詰まり、この都条令というのを軽く無視出来るような心持ちでいたのだ。
この都条令は、現在首都である京都が関東のように霊的汚染されないように、境界を暴いたり、こっくりさんやったりすることを禁止する条令なのだそうだ。これがある所為で、私の目指すようなオカルトサークルが無いのだ。
「だから?」
努めて、何でも無い事のようにそう言った。そうしないと笑いだしそうになる。何でか知らないけどやたら楽しい。声にそれが滲み出ていたらしく、メリーは眉を寄せる。
「関係無いわ、出来るかどうかすら怪しいんだし。やれたらやる、それだけ」
「そうじゃなくて、…………その話をしたって事は、私についてこいってこと?」
「さあ? メリーはどっちを言って欲しい?」
付いて来いとは言わない。来るなとも言わない。好きにすれば良い。来いとは強制出来ないのだから。都条令を違反した時にどれだけの罰則があるのかは知らない。でもするなと禁止されていると言う事は、やろうと思えば出来ると言う事だ。なら私はやる。本当に出来るなら、だけど。
メリーは悩んでいるのか首を傾げて唸る。白羊さんは慎重派なので暫く待った方が良いのかしら。昨日渡された茶封筒の中から調べた物を取り出して、冷め始めた珈琲を啜った。うむ、不味い。
先に言っておくと、別に流された訳じゃない。
「うんうん、やっぱり一人じゃないって良いわよね」
蓮子は満面の笑みで頷いている。今にも踊り出しそうな程の喜びようだ。何だか気恥ずかしくて顔を背けた。
一緒に行っても良いと伝えただけなのにここまで喜ばれると、ちょっと複雑ね。
「お願いだからあんまりはしゃがないで」
スーパー恥ずかしい。
「結構嬉しいものね、二人でサークルでも作る?」
「同好会にもならないわよ。…………何か前にもこんな話した気がする」
ところでお腹が減った。なので何か適当に頼んでみた。昨日と同じー。蓮子も一緒に注文していた。昨日と同じー。暫く待つと、私が頼んだクラブサンドとイチゴパフェがやって来た。昨日と同じじゃねー。
蓮子はイチゴパフェに意気揚々とパク付いていた。何故か理不尽なものを感じた。
「一人で行く羽目にならずに私はテンションがだだ上がりとなってるわ。今ならココア飲みながらチョコパフェ食べられる!」
「それはチョコに対する冒涜…………」
「これはチョコパフェですか?」
「いいえ、イチゴパフェです。ところで、その神社とやらにはいつ行くの?」
「ああ、今夜が良いんだけど」
「……………………へ?」
思わず手を止める。不意討ち気味に言われた事を頭を咀嚼出来ずにフリーズする。
「この写真が撮られたのって、何年前だかは分からないけど今日なのよね。しかも丁度望月。両方条件が揃っているなら行くしか無いじゃない? 星と月の両方写ってて助かったわ」
「…………ここ、結構遠いんじゃない?」
「んー、多分駅からは一時間も掛からないんじゃないかなー、駅は自転車なら行ける距離だし。終電は確実に逃すだろうけどね、何せ辺境だから。電車一本一時間でいける辺境って素敵ね」
ちょっと承諾した事を後悔した。
さて、午後の講義が終わり、私は教室を飛び出した。サークル活動の為に急ぎ足で行く人達に今日は紛れて、昨日と同じく図書室へ向かう。図書室に入った瞬間、ざわめきが遠退く感覚が好きで、私は良くここを待ち合わせ場所に指定する。待ってる時間が潰せて楽だし。
メリーは昨日と同じく隅っこに居た。何やら古めの文庫本を読んでいる。昨日私が読んだ本だった。何だ、勧めるまでも無かったのか。
「やほ」
声を掛けると、にまにまと今にも笑い出しそうな顔で彼女はこっちを見た。あの本のどこに笑う要素があるのだろう。疑問に思いつつ、彼女の横に座る。
「ねぇメリー」
「ん? 何?」
彼女の頬をつねり上げてみた。二cm程伸びたので後で自分のも試してみようと思いつつ、頬肉をこねくり回す。メリーがふぁふぃほーとか言って暴れ出した。予想の範疇なので手を離して引き下がる。
「もう、何なの?」
「いや特にこれといった理由は無いのだけど、強いて言うなら触り心地が良さそうだったから」
実際触り心地は良かった。どんな手入れしてるんだろ。それとも元からだろうか、レベルの高い。
「えっと、神社に行くのって夜よね」
「そうよ、モチメリー」
「突っ込まないわ。一度家に帰ってからでも間に合うかしら?」
「多分大丈夫だと思うけど、なら現地集合にする?」
「行き方を知らないわ」
じゃあ、やっぱり一緒に行きましょう、駅に集合ね。と決めて、時間を確認するとまだまだ深夜までは時間があった。当たり前か。駅かどっかで待ち合わせるとして、それまでどうしてようかな。
ぼんやりと図書室の入り口の方を見ていると、黒い帽子を被った人が早足で通り過ぎて行くのが目に入った。あの人急いでるんだなぁ、と分かる位の早足である。あの人はそんなに急いでどこに行こうというのだろう。
そう言えば、あの人も神社の写真を受け取った筈なのだ。なら、案外あの黒帽子の人も私と同じく神社に行くのかな。日付を当てられたのなら途中で会うかもしれない。そしたら声を掛けてみよう。きっと話は合う筈だ。
私は一旦家に帰って一息吐く毎にした。神社は遠いらしくそれなりの準備をして行こうという考えだ。終電を逃して直接学校に行く羽目になった時の為に勉強道具は入れていこう。
後は、パソコン点けて色々してうだうだしている内に時間になった。蓮子に教えられた通りの駅に行く。その駅から神社まで電車一本なのだそうだ。
着いて気付いた事が一つ、駅自体にまず人がいない。酷く閑散としている。切れかけた街灯が物寂しげに点滅していた。どうしてこんなに人がいないんだろう。誰も使っていない駅なんだろうか。
まさか…………神隠しとか。
流石に関係無いかもしれないけど、駅員すらいない駅に一人きりというのは堪える。この辺には民家も無いのだ。叫んだって聞き付けてくれる者は無いだろう。
なので、早く蓮子が来てくれれば良いのだが、
「…………………………………………来ないわね」
予想はしていたからこれ以上は何も言わない。ええ、予想の範疇よ。
待ち合わせの時刻から約二十分後、遅れて蓮子はやって来た。パタパタと近付いて来る彼女に意識して冷たい視線を浴びせながら、呻く。ちょっと安心しているのを悟られたくなかったので、殊更嫌そうに。
「遅刻よ、蓮子」
「現在時刻は午後十時五十三分二十ニ、三、四、五秒。約二十三分三十秒の遅刻ね」
あまりにも淀み無くそう言ったもんだから、それが時間を告げるものだと一瞬分からなかった。時計でも見ていたのだろうか。
「じゃ、行きましょうか」
とても楽しそうな彼女の後ろを付いて歩き出す。よっぽど楽しいのか、スキップでもしそうな勢いだ。こんな薄暗い駅でもその笑顔が陰らないのは、感心する。
しかし、前方をぽてぽてと歩く彼女を見ていると、さっきまで感じていた影はもう無かった。一人じゃないっていうのは意外と安心出来るものなのね。
もしかしたら、蓮子がいつも遅れて来るのはこの寂しさと恐怖を感じたくないからかもしれない。
「こういう人のいない場所ってわくわくするのよねー。世界に自分しかいないみたいでテンション上がるわ」
違うかもしれない。っていうか多分違う。蓮子はただ時間にルーズなだけ。
こんな駅に果たして電車が来るのか疑問だったのだけど、ホームに掲げられていた時刻表の通りに電車は来た。今にも止まりそうなほどボロいけど、ちゃんと時間通りに来た。蓮子よりは立派な心がけね。
因みに時刻表を見ると一日に朝とニ、昼一、夜二の五本だった。午後十時のが終電で、始発は午前九時だ。どうしろって言うのかしら。
「明日? 祝日じゃなかったっけ?」
どうやら自動運転らしいボロい一両電車に飛び乗りながら、蓮子は首を傾げる。電車内の電灯は全部点いていて、窓硝子が全部鏡になっていた。会わせ鏡状態で少し怖い。
「祝日? 何の?」
「さあ?」
二人並んで席に座ると、間も無く電車は動きだした。自転車よりかは少し早い位のスピードで、電車はゆっくりと夜の中を行く。光の加減の所為か窓の外は酷く暗く見えた。
この辺りには光源が無く線路を覆うように木々が生えている為に、電灯の明かりが煌々と輝いて窓硝子を全く鏡のようにしていた。黒々と広がる窓の向こうは、まるで夜そのものを溶かしたような闇色だ。どれだけ目を凝らしても見える物は無く、電車の窓から投げ掛けられる光ですら直ぐに闇に消えていく。空に浮かぶ望月だけが木々の隙間から時折顔を出して、一瞬畑の跡や野原を照らし出していた。
空調すら動いていないおんぼろ電車の中を行ったり来たり、座ったり立ったりして、私は時間を潰していた。正確に言うとかなり落ち着かない心持ちを御しきれずに、うろうろしているのだが。あー、テンション高いのが自分でも分かる。
「今から一生の内に何回やるかも分からないネタをやるわ」
私が宣言するとメリーは面倒臭そうな目でこちらを見る。若干眠いのだそうだ、徹夜の私を見習え。でも今日ずっとはしゃいでいた所為か、かなり気持ちが悪い。多分お昼ご飯をまともに食べていないのも悪いだろうし、夕飯がカロリーの高い唐揚げ丼だったのも悪いのだろう。
批判的な視線を送って来るメリーは略無視して、私は対面の座席の前に立った。そして吊り下がっている持ち手を掴んで体を引き上げる。持ち手を腰より下まで下げて、足を揃えて前へ伸ばした。
「吊革!」
「パンツ見えてるわよ?」
メリーの残念な発言と共に私の体重を支えていた吊革が千切れた。あー、ぼろ電車だから。と思う間も無く、座席にぼふっと落ちた。良い感じにバウンドして衝撃を吸収出来たので大丈夫、かとも思ったのだけど全然バウンドなんてしなかった為、私の足が死亡のお知らせ。
「ぬぅおー、足負傷。衛生兵ー」
じたばたと痛がる私に相棒は結構冷たい視線を送って来る。むぅ、冷たい奴。
「っていうか、人いないって言っても誰が乗ってくるか分からないでしょ? 変な事しないの」
説教の方向が母親だった。吊革を破壊した事をたしなめられると思っていたのでやや拍子抜け。しかし、説教内容に一里どころか四十万七十五Kmくらいはあるので、つまり無いのだけど、私は大人しく席に座る。
一息吐いてみると若干汗掻いている事に気が付いた。あー、暑い暑い。
電車の中で蓮子が暴れていたがそれとは関係無く、電車は無事に到着した。途中で幾つかの駅に停まりはしたが誰かが乗ってくる気配はしなかった。
「無事に着きました」
「よし、博麗神社は山の中腹よ。張り切って行きましょう」
街灯すら点いていない駅は真っ暗で、草花の臭いが強くした。濃密な、闇と自然の気配。天上の月が辺りを照らしてはくれるものの、影はより一層存在を濃くするだくだ。何故なら、満月は闇の味方だから。
駅から出ると、蓮子は鞄の中から懐中電灯を二本取り出した。彼女の用意周到さに舌を巻いている私に一本渡して、彼女は先に立って歩き出す。
「なんか…………私、嵌められたかしら」
「失礼な、嵌めて無いわよ。説明をかなりはしょっただけで」
嵌めてるじゃないの。
道はあるが、最近来た人がいない為か、殆ど草で覆われている。こんな辺境に神社があっても人なんて来ないだろうに、どうして私はそんな所に行こうとしているのだろうか。お参りでもするのか、神様もずっと放置されてもういないのかもしれないのに。
「午後十一時四十四分二十八、九、三十秒。間に合うかしらね、これ」
「知らないわよ」
って言うか、もしかして今空見ながら言った? 時計見てる訳じゃ無いんだ、と思ったが、こちらを振り返った蓮子は金色の懐中時計を手にしてニヤニヤとしていた。何なのよ、こっち見んな。
と、道にもならない道を歩いていると、長い石階段が現れた。木々の間に埋もれるようにしてその階段は続いているが、どこに行き着くのかも分からない。
それは階段と言うよりは、空間にぽっかりと空いた穴のようで。足を踏み入れたら、それこそ底まで落ちてしまいそうで。
もしかしてこの穴の向こうは異界なんじゃないかと、本気で思った。ここから先へは進んじゃいけないと、本気で実感した。そもそもこんな所に来てはいけないのでは無いかと、来ることすら許されないのでは無いかと、本気で、恐れた。
そして同時に、
「きっとこの階段の先よね。明らかに怪しいもの」
この先が境界だと、ならば越えねばならないと、そう強迫観念的に思った。
「おお、やる気になってきた?」
「…………別に、そういう訳じゃ無いわ」
茶化す様に蓮子が言うのに素っ気なく返しはしたものの、口の端が上がっているのはバレているだろう。懐中電灯で階段を照らしてみたが、角度の関係からか奥までは照らせない。
階段の前に立つと木立の影で底知れない闇が待ち受けているようで足が竦んだ。背中がぞくぞくする、寒気が這い上がって来るように感じて身震いした。これ以上先へ進んではならないと本能が告げ、足が勝手に下がろうとするが、その実、固定された様に足は動かない。
この、圧倒的な拒絶。
「…………ふっ」
これよ。そう、これなのよ。
例え先が絶対的な一方通行だとしても、その結果命を落とすとしても、存在ごと消されるとしても、
私は先に進みたい。
案外、その消えた、消された人達はこういう触れちゃいけないものに障ったからいなくなったのかもしれないわね。怪異に、妖怪に、結界に、真実に、…………神に。
そんな事を考えながら、それでも私が初めの一歩を踏み出すのを躊躇っていると、隣で空を見上げていた蓮子が一つ息を吐いた。深呼吸のような、気持ちを吐き出す行為。自分を落ち着かせる為の、小さな儀式。
…………嫌な予感は最初からしていた。そもそも、彼女に会った日も朝から嫌な予感がしていたのだから、彼女の行動は大抵斜め上を行くという事が分かりきっているのだ。あれ、何で私蓮子と友達なんだろ。
「一番、宇佐見蓮子! お目通り願います!」
妙な名乗りを上げて、蓮子は猛然と階段を駆け上がり始めた。樹で隠れてしまってはいるが、山の斜面角度と段の幅から大体の長さは予想出来るが、優に百段は越える筈だ。つまり頂上に着く頃には完全に息が上がってしまっているに違いない。
「…………ちょっと蓮子!?」
一人残される形になった私は、仕方も無く彼女の後を追いかけ始める。
無論、走って。むぅ、これならやっぱり日頃から運動しておくべきだったわ。
階段を駆け上がる時の諸注意。テンポ良く足を踏み出す事、足を前に出すことを意識する事、息を止めたりしない事。詰まり普通の長距離走とあまり変わらない。だが然し、物体を別の場所に移動させる際に位置エネルギーも変化する坂道や階段では、当たり前の事に平地と同じようには走れない。上る時は必要な仕事量が増えるのだ。その代わり下る時には位置エネルギーのお陰で必要エネルギーは減る。序でに言うと重力加速度の働きもあるから、更に上りは辛く下りは楽になる。と、言うか重力が一番大切なのだよ君。それでも頑張れば加速は付く。加速度は直ぐに負の仕事に依り食われてしまうが、体が前に進んでいるって事は、全体の仕事としては正なんだろうなぁ。
何が言いたいかと言うと、無意味に走り出しはしたものの、止まる機も失して走っている私死にそう。息も絶え絶えで、階段の直ぐ側に控える木々の枝に横槍を入れられつつも、私は何故か走っていた。やばい辛い。でも気分だけはやたらに良い。急く気に従って勢いだけで駆け上る。
懐中電灯が邪魔で鞄の中に仕舞ってしまったので、周りの木立の所為で足元すら良く見えない。何回も段を踏み外しながら走る。足首を捻りそうだけど取り敢えず走る。行きはよいよい帰りは恐い、とは言うが、十分行きも恐いじゃない。天神様の心はやたらに狭量らしい。
ともあれ、恐いながらも、
「通りゃんっせー!」
もう何段上ったかも分からない。ただ、明日は確実に筋肉痛になりそう。蓮子はかなり先を行っている筈なのだけど、明かりを点けていないのか先は暗いままだ。
懐中電灯で前方を照らしつつ、段を踏み外さないよう気を付けて走る。夜中の明かりは、魔を祓うというより、ただ闇を濃くするだけだ。照らしても照らしても闇が迫ってくるようで、ひたすら不安を煽ってくる。
不安に煽られて足を踏み外してしまったら、少なくとも50段は超えている筈だからえらい事になる。心配すべきは筋肉痛だけじゃない。
息はとっくに上がっていて、心臓のBPMもやたらに上がっている。足も既に限界。どうして蓮子はあんなに体力が持っているのだろう。高校の時には運動部に所属していたのだろうか。彼女なら陸上部とか似合いそうね。あとは、…………水泳部とか?
水泳は兎も角、陸上とかの運動部は皆マゾよね。筋トレしながらひーひー言ってるのを見ると、何で筋トレなんかするんだろうと疑問に思う。辛いならやらなきゃ良いのに。
私は少しは運動した方が良いんだけどね。
と、前方に人影が見えた。どうやら追い付いたらしい。少し体力に自信が付いた、私は頑張れば出来る子。ぜぇぜぇと二人分の荒い息遣いが階段を反響する。完全には追い付けてないので、気を抜くとまた離されそうになる。
追い抜こうと、スピードを上げてみた。蓮子は追い抜かれまいと頑張る。私も頑張る。蓮子が頑張る、私も頑張る。
「ぬおー」
私こんな時間に何してるんだろうなぁ。
ふと、木々の影が切れて、夜中の空が見えた。
「っっいっちばん!」
叫んで、最後の一段を踏みしめた。足を止めた途端にどっと汗が出てきて、ついその場に座り込む。太股の辺りが若干痙攣していて、息が完全に上がってしまっている。絶え絶えの呼吸を必死で繰り返して、肺に空気を取り込む。
博麗神社は写真通りのぼろぼろ加減だった。いや、それよりぼろいかも知れない。階段を上りきった目の前に、恐らく昔は鮮やかな朱色だった筈の鳥居がある。草が隙間を縫うように生える石畳は真っ直ぐに社に続いている。朽ちた賽銭箱と社。それでも境内は空を覆うような木は生えておらず、どこと無く清澄な空気が満ちていた。先刻までの真っ暗な道から突然に視界が開けたので、更にその感じが強い。満月が沈もうとしながらも、境内を青白く照らしていた。
その光景はあまりにも、幻想的で、
しかし、境内には先客がいた。詰まり、私は別に一番着でもなんでもなかったのだが、そんな事を言っても詮無い。私が一番と言えば一番なのだから。
背丈はメリーと同じ位か。その女の人は博麗神社の賽銭の辺りを睨んでいた。細められた瞳は無表情と相まって怒っている様にも見えるが、視線は定まっていない。眠いのかもしれない。肩の辺りまで伸びた黒い髪は艶やかに月の光を反射して、耳の辺りを結ぶ赤いリボンが風に僅かに揺れていた。
「ちょっと蓮子、そんなに走ってもいいこと無いわよ、しかも一番じゃないし。まあ、肝心のもの見逃したりなんてしたら貴女は悔しがるでしょうから、ちょっとは急いだ方がいいのかもね」
気配に気付いたのか、女の人は私の方を見もしないでそう言った。彼女はきっと私達と同じ目的でここに来たのだろう。流石にこの近くに住んでいるとは考え難い。
しかし、と一寸考えて、私は言った。
「えっと、人違いよ?」
人違いよ、そう言われて私は振り返った。私達以外―――訂正、蓮子以外に、こんな所に来ようなんて数奇者がいるなんてと驚きを込めて、だ。
序でに言えば、あんなにテンション高く叫びながらやって来たのが蓮子じゃないということ自体がかなり驚きだったのだが。
振り返った先には、私よりかは幾分低めの女の子がいた。鳥居の側に座り込んでいる。女の子、と言うには歳が上なのだが、彼女の瞳はそう印象を与える。黒いハンチング帽を被った短髪は金色で、月明かりにキラキラと輝いて見えた。白いシャツに黒のスカートの彼女は階段を駆け上がって来た所為か息が荒い。
暗闇に煌めく瞳には強い意思と好奇心が垣間見えて、どことなく蓮子に似ているなと思った。
先程、一時間くらい前にここまで蓮子と階段で競争して彼女に敗れてから、この辺を探索してみたのだが、何も見付からなかった。面白いものは無いし、楽しいことは起こらないし、蓮子は辺りを見てくると言って降りてしまった。おかげで暇していた私は、上がって来た金髪少女を蓮子だと勘違いしてしまった、とこういうことね。
そう言えば、昨日の昼に私が急いでてぶつかってしまった人だ。あの時も金髪が珍しくて驚いたんだった。
「むぅ…………こんな所に何の用で?」
訊いてみた。こんな辺境に来たのが偶然な訳無いから。
「一寸ここの写真が気になってね」
写真というのは、蓮子が見せてくれたあの写真だろうか。多分そうなのだろう。理由は判らないけど、私達は同じ日に同じように同じ場所に来たらしい。それは、私なら偶然と言うし、蓮子なら必然と言うだろう。
立ち上がりながら喋る少女は、やはり雰囲気が蓮子に似ていた。ただ、蓮子は冷たい感じさえする突き放した言い方をするが、少女は人を食ったような煙に巻く感じがする。常に予防線を張っているような、そんな感じ。
「そう言うあんたは?」
「私も大体似たような理由よ。…………能動と受動の違いはあると思うけど」
私は蓮子に連れて来られたようなものだが、少女は違うのだろう。多分自分から動いて、その結果ここにいるのだ。
まだ足がだるいけど、立てる程には回復した。もう二度と阿呆な真似はするまいと心に決めたが、恐らくこの教訓が活かされる事は無いだろう、私だし。両の足でしっかりと立ち上がり、階段の方をちらりと見た。メリーはゆっくりと階段を上って来ている筈だ。一寸涙目だと可愛いので、怖くて涙目になっていればいいと思う。
女の人は息を吐いて頭を掻いた。あ、そうだ。あの黒帽子の人と一緒にいなかったっけ、良く覚えて無いけど。
「蓮子まだかなぁ」
「れんこって?」
「宇佐見蓮子、いつも帽子被っていて、オカルト好きの、こんな所に来たがるような、星見てぶつぶつ言ってる、変な人。下りてったきり帰って来ないのよ」
「へえ、宇佐見さんね」
成る程、お友達になれそうだ、帽子だし。
賽銭箱に近付いてみると、社のぼろぼろさ加減が良く分かる。柱は蹴れば折れそうで、中には入らない方が良いと判断した。ぐるりと一周回ってみるが、特に気になる事は無い。いや、やたらにぼろぼろで、どうして倒れないのか疑問に思ったけど。
「貴女は一人で来たの?」
「いや、メリー…………マエリベリー・ハーンと一緒よ」
「えっと?」
「マエリベリー・ハーン。マエリベリーって言い難いのよねー」
だからメリーなんだけど。彼女は今頃めーめー言いながら階段を上っているに違いない。私の予想じゃ後五分は掛かる。想像すると無茶苦茶笑える、ぷぎゃー。ふむ、今気付いたけど、メリーと知り合って以降の私結構性格悪い奴になってるなぁ。しかし改善はされない。
女の人は暫く黙って賽銭箱の方を睨んでいたが、ふと、こちらに寄ってきた。少し見下ろすような感じで女の人は私の前に立つ。無気力な、それでも楽しい事はきっちり楽しむような、そんな眼が私を見る。見下す様では無い。対等だと、そう感じる眼だ。
「ねえ、なんで貴女はこんな辺境に来ようと思ったの?」
「そこに幻想がありそうだったから」
即答だった。私の解はこれしかない。
即答だった。この人の答えはそれだけなのだろう。少なくとも、彼女は自分でそう信じているようだ。羨ましいと、少し筋違いに思う。
蓮子もそうだ。求めるものが分かっているから、歩みに迷いが無くなる。迷わなければ何も恐れなくていい。例え追いかけているものが他者に理解されないようなものでも。
私は、果たしてどうなのだろう。
「貴方は? 貴方はまたどうして?」
「ここに、境界がありそうだったから」
即答、した。
いえ、してしまったと言った方が良いわね。直前まで悩んでぐだぐだど考えていたのに、質問を返されると私は反射的にそう返していた。
「ふーん、貴女とも友達になれそう」
くすりと一つ笑みを溢して、金髪の少女は賽銭箱の前に立つ。何をするのだろうと見ていると、彼女は肩に掛けていた鞄の中から小さな財布を取り出して、中から五円玉を出した。お参りする心算なのだろうか。
「今何時なのかしら」
呟いて、私もその隣に並んだ、五円玉は無いので代わりに十円玉を握って。こんなぼろぼろの賽銭箱に賽銭を入れたとしても、取りに来るのは人間じゃなくて狸か狐だろうに。
分かってはいても、まあ、何となくでお金を賽銭箱に放り入れた。
賽銭を入れたは良いものの、鳴らす鈴が既に落ちている。仕方が無いので、鈴は鳴らさずに一礼二拍手で願掛けに挑んだ。因みに私の隣ではニ礼ニ拍手一礼の正式な態度で臨んでいる。
しかし、神様のいる社かどうかも分からないのに、何を願うのだろう。社が建っている以上そこには奉られているものがいる筈だが、巫女も神主もいないここには本当は誰もいないんじゃないか。そう思いながら顔を上げる。つまり何も願わなかったのだけど、私は顔を上げて、そこに信じられないものを見た。
どんなにぼろい神社でも、社を建てた人がいるってことはここには神様がいる筈だ。一度祀られたなら、その筈だ、と私は思っている。間違っていようがいまいが私には関係が無い、願掛けなんて行為自体が無意味なのだから。独り言みたいなものだ。それを聞かされる神様はというと、それは大変な仕事になるのだろう、主に心労的な意味で。因って、私はいるかもしれない神様に敬意を払って願掛けする。
面白いこと、ものに逢えますように!
「ちょ、ちょっと」
肩を叩かれた。下げていた頭を上げて隣を見ると、女の人は目を愕然と見開いて社の方を見ていた。驚愕、を絵にしたような表情だ。一寸面白いと思ってしまった。メリーにも言われたが、もしかして私の沸点って低いのかしら。
とか何とか考えながら、女の人の視線を追って前を向くと、
「…………え、?」
賽銭箱の上に黒い少女が腰掛けていた。賽銭箱の向こう側には紅白の巫女が立っていた。
まるで突然に、唐突に、その二人は現れていた。いつ現れたのかは判らない。私も女の人も頭を下げて参っていたのだから。それとも、二人供に見られていなかったからこそ現れたのか。
「幽、霊…………?」
隣から聞こえた声に、呻いて否定する。幽霊? これはそんなものじゃない。その程度のものではない。そう確信は持てるのに、しかし何なのかは分からない。頭が考える事を拒否するように、思考が上滑りする。考えようとすればする程、分からなくなるようで。仕方が無く、私は思考を止めて観察する事に集中した。
座っている方の黒い少女は、一言で表すと魔女だ。黒い三角帽子に黒いスカート、シャツの上のチョッキも黒く、肩くらいまでの金髪は少しウェーブが懸かっていて片側を三編みにしており、傍らには箒が置いてある。帽子を目深に被っている所為で口元しか見えないが、彼女は嗤うように笑んでいる。
自らをそうであるように誂えたかのような少女は、ふと顔を上げた。その顔は、私が毎日見ている物で、
鳥肌が、立った。
隣で息を飲む気配がしたけど、正直私もそれを気遣うだけの余裕は無かった。
「――――っ」
背中を冷たい手で撫で回されているような、不快な寒気をなんとか堪えながら、私は賽銭箱の向こう側に立つ少女を見る。
少女を一言で表すなら巫女だ。目出度い紅白の衣装は良く神社で見かける物で、腰くらいまでの髪を赤いリボンで後ろで結んでいる。無表情にこちらを見る瞳には特にこれといった感情は浮かんでいない。
鏡に映った自分を見ているような感覚。なのに、鏡の自分が自分とは違う動きをしているような違和感。
気持ち悪い。
「はっ、何よ。ただの幻覚じゃない」
違うかもしれないが、私にはそう言うしかない。今が、どんな状況なのかなんて、分かる筈も無いのだから。
少女達と私達の間に一本線が引かれていることに気付いた。地面の色が違うのだ。それが私達の前に間に横たわっている、まるで鏡のように。
なら、そこが境界なのだろう。
位相がずれてるんだか何だか知らないけど、目的は目の前だ。聞いていた話とも予想していた現象とも違うけど、怪異は直ぐそこだ。
だからなのか、隣で息を詰めていた少女が一歩前に出た。
「――――あら、前に出るの」
瞬間、背後からかけられた声に、心臓が跳ね上がる。絡み付くように噛み付くように心底愉快そうにかけられた声に、心臓を掴まれる。甘い毒を含んだ、かつ有無を言わせぬ、そんな声。先程、金髪少女は友人が来ていると言っていたが、
確信があった。背後のものは絶対に違う、と。
気持ち悪さと寒気を押し切って、私は振り返った。振り返らずにはいられなかった。
いつの間に現れたのか、鳥居の前には長い金髪の女性が立っていた。妙な帽子を頭に被っている、微笑んでいる、妙な人。いや、人間じゃ無い。それ以外の、何か。紫の服は何だか見慣れなくて、酷く場違いだった。
違う、場違いなのは私達の方なのか。
「……………………メリー?」
思わず、という感じで隣から声が上がった。違うと分かっていても呼ばずにはいられなかった、という雰囲気で。
メリーに似てると、最初は思った。物腰が彼女にそっくりで、立ち姿も顔もまるで生き写しのようだった。でも、違う。何が違うと言い切れはしないけど、眼が口調が笑い方が、決定的に、絶対的に、違う。まるで、背後にいる筈の、私と同じ顔をした少女の様に。
そいつはどこからとも無く、金色の懐中時計を取り出した。掌位の大きさで、長い鎖が繋がっている、古風な時計。現実に使っている人がいたら趣味が良いと私は評しただろうが、今この瞬間に出てくる物としてはどこか不吉に思えた。
「それは…………っ」
女の人が小さく声を上げかけて、飲み込む。何を言おうとしたのか、分からないけど声には悲痛さが含まれていた。懐中時計がくるりと回る。
「午前一時五十八分十三、四、五秒。そろそろ真夜中も二時を過ぎるわ」
その人は詠うようにそう言って、少し首を傾げた。その仕草はメリーに似て、頬をつつきたくなるような可愛いらしい物だった。
「貴女達、こんな所で何をしているのかしら?」
先刻、女の人と互いに似たような問答をしたけれど、今度は応えに詰まった。何をしているのかの、意味が違うような気がして。それは隣もそうだったらしく、彼女が応えるような様子は無い。それを見て取ってか、その人は畳み掛ける様に続けた。
「探しに来たんじゃないの、幻想を? 暴きに来たんじゃないの、境界を? 貴女達は、怪談を、妖怪を、幽霊を、怪異を、捜し求めていたんじゃないの?」
悪魔の囁き、という言葉が頭を過る。これは、頷けば戻れなくなる問いではないのか。行ったら戻れなくなるような問いではないのか。息を詰めて、頷いてしまえばどうなるのだろうと、少し考える。頷きたくなる。
「求めて、来たんじゃないの? ねえ、どうなのかしら?」
これは疑問を提示していると言うより、確認作業に近い。答え合わせに持っていく解は常に自分の物なのだから。故、私は今度も応える事にした。
「そうね」
まさか応えるとは思っていなかった。こんな得体の知れない輩に応えるなんて。でも彼女と蓮子の行動原理が同じなら、なんとなく納得出来る。
「私は幻想を暴く為にここに来たわ」
堂々と、そう言い放つ。微かに声が震えていたけど、こんな存在的にあり得ない奴を前にしての態度としては、上出来と言えた。
純粋に、格好よかった。
だからと言うとなんだか気恥ずかしいけど、そいつが私の方に視線を送って来た時、私も迷い無く答えた。
「ええ、私も、境界を探る為にここに来たわ」
自分でもちょっと格好付けすぎな気はしたけど、これくらいは許されていいと思うわ。だって、蓮子は戻ってこないで良く知りもしない人と並んで得体の知れない輩と向かい合っているのだ。
ただ受動的に連れて来られた訳じゃない、蓮子は最初について来るかどうかを訊ねてくれたのだから。あの時に頷かなければ今日私はここに来ていなくて、今頃は寝てしまうかレポートでも書いているだろう。
だから、と私は胸を張る。ちょっと驚いたような目が隣から向けられているのが嬉しい。今はいない蓮子に、私の友人にして相棒とやらに、後で私のした事をアピールできなきゃあ笑われてしまうかもしれないからね。
しかし、そんな風に良い空気を吸っている私を置いて、
「ふぅん」
得体の知れない奴は獰猛に嗤った。
心底、可笑しそうに、犯しそうに、嗤った。
「幻想と境界、…………魔法と結界、ね」
ぞくり、と空気が変わった気がして、息を飲む。さっきまで静謐に静まり返っていた境内は、今は冷たく佇んでいる。月さえ、青白い光が死んだように見えた。
嫌な予感は、そうだ、最初からしていたじゃないの。こいつが出てきた、いや、そのずっと前から。
「幻想郷は全てを受け入れるわ、好きに暴れなさいな。それが重要なのだから」
私は今、何と対峙しているのだろう。そう疑問に思ったような気もした。気の所為かも分からない。ただ言い様も無く恐ろしいものが目の前にいるのは理解出来た。
逃げたい。こんなのは聞いていない。
後退りしようと下げた踵が背後に地面が無いことを示した。後ろに何が広がっているのか考えたくもない。振り返っても絶対良いことは無いのが分かったから、なんとか視線を前に固定する。
パニックになっている私を置いてきぼりに、決定的に違っている何かは社に向かってニ礼ニ拍手一礼して、詠うように言った。
「怖いながらも通りゃんせ。」
瞬間、
瞬間、背後から襲い掛かるように何かに巻き込まれた。正直何だか訳が分からない内に拐われて、何だか訳が分からない内に事が終了してしまうようだった。何だこの面白く無い怪異。もっと盛り上げて欲しいと思う私は可笑しいだろうか、可笑しいだろうな。地味に落ち着いてしまったからね。
しかし一瞬、完全に“何か”が閉じる前に、嗤うそいつの向こう、階段の上にメリーが立っているのが見えた。良く分からない状況に首を傾げてこっちを見ている。
「――――メリー!」
何かしらを伝えようという意図は特には無かった。助けてとも、逃げろとも思わず、ただ何と無く、彼女の名前を呼んでみただけだ。そこに意味は無いし、意図も無い。
メリーは、私の友人にして相棒は、私と目が合うと、くすりと一つ笑った。今私と女の人を飲み込もうとしている奴と、少し似た笑いだった。そして、軽く手を振って、
「いってらっしゃい」
ふむ、相変わらず他人の事言えない程度に頭の可笑しい奴。普通はこの状態を見てそんな台詞は言わないのよ。しかし、行ってらっしゃいと言われたら返礼するのが当然。なので、私も普段通りに手を振り返した。
「行ってきます」
目の前で何かが閉じた。
―
真夜中、誰もが寝静まっている筈の午前二時。博麗神社への参道とも言える長い階段を、息を切らして上っている人がいた。
「こ、の階段、長過ぎでしょう。だ、れが参拝するのか、しら」
ハイペースで階段を上りながら、辛そうに呻いて、黒い帽子を被った少女は苦し気に息を吐く。暑いのか白いシャツの首もとの釦をいくつか開けて掌で扇いでいる。
「現在は、…………空が見えないわね」
宇佐見蓮子は急いでいた。のだが、どうして自分が急いでいるのかは分からなかった。なんとなく、大事な事を見逃したような、そんな気になっていた。
「何か重要なことがあった気がするんだけど…………っと」
ふと、木々の影が切れて、夜中の空が見えた。
博麗神社はぼろぼろだった。階段を上りきった目の前に、恐らく昔は鮮やかな朱色だった筈の鳥居がある。草が隙間を縫うように生える石畳は真っ直ぐに社に続いている。朽ちた賽銭箱と社。それでも境内は空を覆うような木は生えておらず、どこと無く清澄な空気が満ちていた。
先刻までの真っ暗な道から突然に視界が開けたので、蓮子は少し眉をしかめた。満月が沈もうとしながらも、境内を青白く照らしていた。
その光景はあまりにも、綺麗で、幻想的という言葉がこの上なく似合っている。
境内には先客がいた。
賽銭箱の前に、緩くウェーブがかかった金髪の少女が立っている。肩の辺りまで伸ばした金髪に透き通るような青眼。街中にいたなら目を引く端整な容姿はどこか和風で、不思議な魅力がある。ぼんやりと、少女は賽銭箱の前の辺りを見ていた。
その後ろ姿に蓮子は、何故か懐かしさを感じた。古い友人に街中で偶然出会ったような、そんな感じを。
「―――」
ぽつりと、蓮子の口から言葉が零れる。それは声にならない程微かな物で、しかし少女には届いたらしかった。
「―――」
金髪の少女は振り返ってみると、蓮子と同世代のようだ。年はそんなに離れていないだろう。少女は蓮子の顔を見て、少女もまた何事かを呟いた。
「ね、今何て言った?」
お互いに初対面の筈だが、その呟きが少し引っかかって蓮子は聞き返した。そんな筈が無いのに、名前を呼ばれた気がしたのだ。少女は首を傾げて、悩むような素振りを見せて首を振った。
「…………分からないわ」
「私も同じく」
妙な話だ。自分が何て言ったかも分からないというのを酷く居心地悪く感じて、蓮子は唸る。
「むう、…………貴方はこんな所に何しに来たの?」
「秘められた封を探しに、かしら。そう言う貴女は?」
「封じられた秘を暴きに、よ」
しかし、そう答えはしたものの、何だかやたらに違和感を感じて、蓮子は肩にかけていた鞄の中から一枚の写真を取り出した。今二人がいる神社の写真だ。それを相手に見えるように掲げて、訊いた。
「私は、この写真を見て来たんだけど、貴方はどうして…………」
言いかけて、止める。何かが変だった。少なくとも蓮子はそう感じた。
この違和感は、もっと根本的なものの気がする。
「…………もしかして、貴方一人? 他に誰かいなかった?」
って言うか、私はどうして一人でこんな寂れた神社に来ているのだろう、と蓮子は疑問に思う。一緒に行かないかと遠回しに訊いた人がいた気がする、一人寂しく行かなくて済むと喜んだ覚えがある。
「そうよ、誰かと一緒に来る筈だった。でもその誰かが誰なのか、顔も思い出せない…………」
「私、とある人に誘われて来たのよ、その写真を見せられて。その人と一緒に来た覚えはあるのに、その人が何て言っていたのかも分からない…………」
そうだ、そんな怪談を最近聞いた気がする。そう、あれは確か、
「神隠し、だっけ」
「エクストリーム神隠しじゃないの?」
ふむ、と蓮子は考え込む。意外と浸透している怪談だったようだ。もしくは、彼女をここに連れて来た友人がそういう趣味だったのか。
「スーパーでもハイパーでもこの際何でも良いわよ、一緒でしょ。それより、お互い二人組でここに来て、二人供パートナーが神隠しに逢うなんて…………」
なんて出来すぎた話なのだろうか。仮定の話にすぎないにしろ、この状況ではそれ以外に納得のいく説明が無い。神隠しも説明にはなり得ないという考えは置いておいて。
「凄い偶然ね」
「これは最早必然よ」
運命的確率に依る、ね。
蓮子は改めて目の前の不思議な雰囲気の少女を見た。ぼんやりとしているが、芯は強そうで、先程の応えから鑑みて、実はこういった怪異ものは好みだと見た。つまり、良い議論の相手になりそうだと思った。
もしかするといなくなった友人の穴を埋めようとしているのかもしれないと考えると気分は良くないが、新たに友達を見つけたことには変わり無いだろう。そう自分を納得させて、蓮子は口を開いた。
「貴方、名前は?」
「マエリベリー・ハーン」
「マエ…………言い難いんだけど」
「友達はメリーって呼んでたわ、名前も思い出せない友達はね」
「そう、羊なのね。じゃあメリーって呼ぶことにするわね」
「私も貴方をメリーって呼ぶことにするわね」
「紛らわしい上に意味不明。私の名前は蓮子よ、宇佐見蓮子」
「兎?」
「宇佐見、そんなに珍しい苗字でもないでしょうに」
「草食動物同士仲良くしましょうか」
「いつか狼に取って食われないよう願うわ」
それにしても妙な人だなぁと蓮子は思った。ぼんやりとしているというか、ふわふわしているというか。どことなく掴み所が無くて、やりづらい。それは蓮子の言えた義理では無いのだが、彼女はまるで他人事に、メリーをそう評した。
「そこにね、境界があるの」
少女、メリーは賽銭箱の方を漠然と指指してそう言う。
「閉じたばかりの境界。ここで何かあったのなら、これが怪しいと思うわ」
「…………境界?」
蓮子にはそんな物は見えない。間違いか狂言の類いかとも思ったが、それにしても境界とはどういうことだろうか。
「貴方境界が視えるの?」
「えっと、多分そういうことだと思うんだけど、正直良く分かんないのよね。ああ、別に無理に信じてもらえなくても良いわよ、変だって自覚はあるし」
「信じるわ」
即答した蓮子を、メリーは目を見開いて見た。病院を勧められるか離れられるかすると思ったのだろう。しかし蓮子は胸を反らして、鼻息荒く言い放ってやった。
「貴方のその気持ち悪い眼、本物だって信じるわ、気持ち悪いけど」
「…………結構はっきり言うのね」
「だって気持ち悪いもの。普通の人が持ち得ない特別は、それが才能と呼べるものですら普通の人から見たらただ気持ち悪いだけのもの…………、封を探して秘を暴くには、それくらいのものが必要なのだけどね。不思議が視えるなんて、素敵じゃない」
必要条件ではないけれど十分条件ではあるのよ、と言って蓮子はメリーの隣に並んだ。金色の懐中時計の鎖を腰から外して、メリーに預ける。不思議な顔をする彼女に文字盤を見ているよう言って、蓮子は息を吐いて夜の空を見上げた。
「現在、午前二時八分四十八、九、五十秒」
「確かに合ってるけど…………何、それ」
メリーは妙な顔をして時計と蓮子の顔を見比べている。手品か何かだと思ったのか、時計を裏返したりもしていた。
「特技、かしら。星を見て時を読み月を見て場所を知る…………まあ、つまり夜空見上げてぶつぶつ呟く癖があるってことなんだけど」
「気持ち悪い癖ね」
「貴方も随分とはっきり言うようで」
ふと、目が合って、二人は笑いあった。互いに互いを気持ち悪いなんて言って、それを自分でも分かっているという状況が新鮮だったのだ。
「そうだ、サークル作りましょう」
「出会ったばかりの人と組んでサークル作ろうなんて、唐突過ぎて何も言えないわね。しかも二人じゃ同好会にもならないわよ?」
「友人にも言われたわ、神隠しに逢ったらしい友人にね。でもね、別に非公式な奴で良いの。だって目的は怪異を探し、暴くことだもの」
それは都条令違反だと言われることを予想しつつも蓮子はそう言ったのだが、メリーは呆れたように肩を竦めただけで特に何も言わなかった。何も言わずに、蓮子と向かい合う。
「サークルの話は兎に角、この眼を使って不思議を暴くことに異論は無いわ。一人より二人の方が良いのも確か」
「そうね、とりあえずは消えたらしいお互いの友人でも捜しましょうか」
メリーは視線を賽銭箱の辺りに戻した。そこに、彼女の言う境界があるのだろうと見当を付けて、蓮子も習って視線を送る。
「探しても見付からないんじゃない? もしくは見付けても判らないんじゃ?」
「それでも、よ。話の通りにその友人の事を忘れているってことは、私達も怪異に逢ったって言えるからね」
「無茶苦茶ね、貴女」
「私には褒め言葉ね」
シニカルに笑って蓮子は帽子の鍔を下げる。自ら狭めた視界の端でメリーが面白そうに笑っているのを確認して、更に笑みを深めた。
「それじゃあ行きましょうか」
「秘められた封を探しに? それとも封じられた秘を暴きに?」
「秘封を求めて秘封を探し、秘封を見付けて秘封を暴きに、よ」
そして境界を越えた先に幻想を視る為に。
「じゃあサークル名は秘封倶楽部かしらね。ねえ、蓮子?」
「隠されたものなら見付け出し、隠しているのなら暴く。それならば確かに私達は秘封倶楽部でしょうね、意味が変わってるかもしれないけれど。
さあ、メリー。神隠しの真実と博麗神社の秘密、求めて探して見付けて暴くわよ!」
紫(?)視点の解答編が見たい。
そっちが気になって記述トリックの最後の驚きみたいなのが薄れてる