降り注ぐ日差しも柔らかに、幻想郷に和やかな風が吹く。
周辺の雰囲気はどことなくほんわかとしてきて、春の訪れを感じさせた。
段々と咲き始めて来た梅の花もその豊かな香りを周囲に振りまいて、ささやかだが顕著な自己主張を行っている。
春の季節に咲く花は数えきれないほどあるが、梅の花はその中でも飛び抜けて開花する時期が早い。
敏感に春を感じとり、いの一番に咲き誇るその花を人々が「春告草」と呼んだのも頷ける話だ。
席を立って窓を開け放ち、店の裏側にある大木を眺めてみる。
風に吹かれて細かく揺れるその枝の先に、桜色の可憐な花は見られなかった。
まだまだ、桜の花は咲く為のパワーを溜めている真っ最中と言う事だろう。
僕は少し目を動かして、桜の木とはちょっとだけ離れた位置にある梅の木に焦点を当てた。
寂しい枝振りの桜を尻目にして、梅は空に向かって花を開いている。せっかち、とでも言えばいいのかな。
春と言えば真っ先に連想されるのが桜だろうが、この春を告げる梅の花も僕は気に入っている。
「……暇だな」
先ほど淹れた梅コブ茶を飲みながら、僕はカウンターの椅子に腰掛けて一人呟いた。
呟いてしまってから、自分の言動に違和感を覚える。
わざわざ口に出してまで何を言っているんだ僕は。暇なのはいつもの事だろうに。
客は滅多に来ないのだし、こう言う時は静かに読書をして過ごすのが一番じゃあないか。
だがなんと言うのだろう。
風は穏やか、気温はうららか。雲の切れ目から覗く薄ら陽。咲き誇る梅の花。
お世辞にも綺麗とは呼べない店の中、僕はポツンとそこにいるだけだ。
こんなのどかな日和に、一人で、誰とも喋らず、篭りきってただ読書をしている自分。
……如何なものだろうか。
俄然、僕の胸の底から何かせかす様な思いがムクムクと沸き起こって来た。
もしかすると、僕はとてももったいないことをしているんじゃないか?
なんだか無性にそわそわする。何もせず燻っていてはいけない、そんな声が頭の奥に響く。
何故なのかはとんと分からない。ともすれば、これも春という季節の魔力がなせる業なのかもしれなかった。
ええい、くそ。だれか店に来ないものかな。
霊夢でも魔理沙でも、今日ばかりは歓迎してやるぞ。存分に話し相手になってやろうじゃないか。
いっそのことご新規のお客様でもいい。それで何か品物を買っていってくれれば、言うことなしなんだが。
そう思って店のドアに目を向ける僕であるが、悲しいかな扉は一ミリたりとも動こうとはしなかった。
どうやら僕の店には閑古鳥が住み着いているらしい。そろそろ春の新生活という事でどこかに引っ越してくれないかな。
ホー、ホケキョ。
鈴の鳴ったように澄んだ声を耳にして僕は振り返った。
先ほど開け放ってそのままにしてしまった窓の庇のところに、手のひらに乗る程のサイズの鳥が居る。
抹茶の様な体色と今しがた聞いた鳴き声から判断するに、それはどうやらウグイスのようであった。
そう言えば、ウグイスは「春告鳥」だったな。なるほど、やはり春というわけだ。
「良く来たね。一杯どうだい?」
僕はすっかり冷めてしまった飲みかけの梅コブ茶を目の前の野鳥に差し出した。
僕の言葉を理解しているのかどうなのか、ウグイスは小首をかしげてその小さな瞳で僕を見つめるのみだ。
やがてウグイスは飛び立っていき、後には湯呑みを前に突き出した状態の僕だけが取り残された。
やれやれ、フラれてしまったな。僕はなにやら奇妙な満足感に襲われて、温いお茶を一気に飲み干した。
四半刻後、そわそわとした思いにかられた僕は出かける事にした。
これは半ば、自分の中のもう一つの声に根負けしたからでもある。
外に出て、扉に錠を掛けてしまってからのんべんだらりと歩き出す。持ち物は何も無い。
春の風が僕を優しく包み込んで、僕はどこかふわふわとした足取りで歩を進めた。
ぶらりと一人で気ままに歩く。意外と悪くない気分。なんというか、自由な感じだ。
土を踏みしめ、草を踏みしめ、ざっさざっさと歩き続ける。たまには良い運動になるだろうか。
風に混じって春告鳥の声がうっすら聞こえてきた。微かに漂ってくるのは芳醇な春告草の香り。
ふふん、梅にウグイスか。風流でよろしいことだ。やはり春はいい。僕はいい気分で目的もなにもない散歩を続行した。
キラッ
何分歩いたか、魔法の森を抜けて街道を歩いている時のことだった。
前方上空に二、三回光が閃いたのが視界に入り、僕は目を細めてその方面の空を見上げた。
春の空に時折チクリと光が迸り、小さな二つの点が空を駆け回っている。誰かが弾幕ごっこでもしているらしい。
はて、あれらは一体誰だろう。目を凝らして良く見てみるが、イマイチ正確な判断が下せない。
空中をぐるぐる回る様な動き方から判断するに、どうにも片方がもう片方から逃げ回っているように見える。
追われているらしき方がここからでも視認出来る程の光弾を出して応戦しているが、追っ手はすいすいとそれをよけている。
そして追っ手側も弾幕を撃っている様なのだが、小さ過ぎてここからはどんな弾なのか確認できなかった。
と、追われている方の点がどうやら応戦をやめて逃げに徹する事を決めたようだ。
空に灯る光が無くなり、点が空から下降してこちらに向かってぐんぐんとスピードを上げてくる。
追っ手の方もその後ろに追従して飛行速度を高めているようだ。僕はその二つの動きをぼんやりと眺めている。
小さな点だったものが拡大して次第に人の形を為していき、それが何者かを判断できるようになったころには既に僕の眼前に……って。
「ぐはっ!?」
「きゃぁんっ!?」
気づいた時には遅かった。
ぼーっとしていた僕の右肩に、その人物の左肩が結構な速度でぶつかり、僕は突然襲った痛みに悲鳴をあげてしまった。
思わず片膝をついて左手で右肩を庇い、同時に自分の不注意さに内心で舌打をする。
まったく、春だからって浮かれすぎてないか、僕は。よけもせずに突っ立っているなんて。
いや、悪いのは今の何者かだ。僕が普通の人間だったなら、骨の一つや二つ折れていたかもしれないんだぞ。
ぶつぶつ言いつつ肩を抑えて後ろを振り返ってみると、ぶつかってきた物体はもんどりうって地面に転倒してひっくり返っていた。
背中に生えた半透明の大きな羽と、全体的に白い服と白い帽子。あれはひょっとすると……
「…リリーホワイトか?」
「ご名答ですわ」
声を掛けられて、僕は眼前に向き直った。追っ手側が追いついて来たようだ。
地面にすとんと瀟洒に降り立ったその彼女の出で立ちは、青を基調としたメイド服。
「…咲夜」
「はい。咲夜です」
スカートの裾をさっさと払い、十六夜咲夜はにっこりと微笑んだ。
吸血鬼の従者。紅魔館のメイド長。そのような肩書きを持つ彼女は僕に近付いてきて手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「ああ…大丈夫さ。なんとかね」
「彼女を止めてくださってありがとうございます。おかげで助かりましたわ」
「いや、止めようと思って止めたわけじゃないんだが…というか、なにをやってたんだい」
咲夜の手を借りて立ち上がった僕は彼女に質問をしてみたが、彼女はなにも言わずに僕の傍を通り過ぎた。
すたすたと地面に倒れていた春告精のところに歩み寄ると、彼女の首根っこをひょいと掴み上げる。
ぶらんとぶら下がったリリーホワイトはまだ覚醒せずに目をくるくると回していた。一回休みにはならなかったみたいだな。
「さあ、いつまでも寝てるんじゃありませんわ。大人しくついてきてくださいまし」
「きゅぅ…」
「春ですよー?春ですよー?ぺしぺし」
「きゃ!?いた、いたいっ」
「コラコラ、やめてあげろよ」
咲夜が未だに目を覚まさないリリーホワイトの頬をぺしぺし叩き始めたので僕は慌てて制止した。
頬を叩かれたリリーホワイトは目を覚ましたようだが、目の前の人物が何者であるかを確認すると急に騒ぎ始めた。
「うわーん!離してくださいよぅ」
「はいはい暴れないの」
「何事なんだいこれは」
「お嬢様のご命令で、ちょっと」
「妖精さらいー!閻魔様に訴えてやるー!」
がるるると威嚇するように声をあげて抗議するリリーホワイト。
が、それも咲夜につまみ上げられた状態なので、あまり迫力がない。むしろ微笑ましい。
咲夜は手元で騒ぐ妖精を意に介する事もなく僕に説明を始めた。
「お嬢様がリリーホワイトを捕まえてくるように仰ったんですわ。私はそれを実行したまで」
「リリーホワイトを?そりゃまたどうして」
「幻想郷の中でも紅魔館に一番先に春を呼びたいからだそうですわ。ほら、彼女の力で」
「なるほど、春が訪れるというわけだな。確かに春告精の春を呼び込む力は目を見張るものがあるからね」
「えっへへー」
唐突に褒められてリリーホワイトはニコニコ顔になって胸を張った。
さっきまで膨れっ面だったというのに、単純な奴め。やはり妖精というわけか。
「君がそんなレミリアの思いつきのような命令を真面目にこなすとは珍しい」
「私も乗り気じゃありませんでしたわ。去年も同じ事を言われましたし」
「去年もリリーホワイトを捕まえたのかい?」
「いえ、博麗神社のほうに一番乗りされて」
「それで今年は」
「また適当にやろうと思って空を飛んでたら、上手い具合に見つかりましたから、瓶詰めにしてやろうと」
「いや、その発想はおかしい」
「しくしく。瓶詰めはいやですー」
リリーホワイトが今度はめそめそと涙を流し始めた。
単純というか、感情の変化が大きいというべきなのかな。
「はふぅ。せっかく春を振りまいていたのに、いきなり攻撃されるなんて理不尽です」
「何も言わずにナイフを投げたのか!?」
「奇襲が一番手間が省けますもの」
「たかが妖精が相手とはいえ、非道な」
「ちょっと!たかが妖精ってなんですかぁ!」
「ちょこまか逃げ回るもんだから、上手く捕まえられなくって。霖之助さんがいたおかげでなんとかなりましたけど」
「僕は良い迷惑だよ。いったい君は何の恨みがあって僕に突進したのかね」
「ううう。メイドさんが怖いから全速力で逃げてただけなんです」
「……で、それでなんで地面の僕に向かってくるんだ」
「その……飛ぶ時に目をぎゅっとしてたので」
「霖之助さんがいなかったら顔から地面にダイブでしたわね。顔面セーフかしら?」
咲夜が喋りながらリリーホワイトの頬をぷにぷにと突っついている。
リリーホワイトはもう抵抗する元気もないようで成すがままにされていた。
なんというか、おもちゃみたいな扱いになってるな。妖精なのに。いや妖精だからか?
「君もわざわざ攻撃をしなくたっていいだろう。ちゃんとお願いをすれば」
「だって、『悪いけど、ちょっと瓶詰めになってもらえます?』なんて言えませんもの」
「その瓶詰めという考えから離れないか」
「そういうわけで妖精も捕まった事だし、用事は済みました、私はこれで失礼致しますわね」
「きゃー!さらわれるー!霖之助さん助けてー!」
咲夜に抱えられた状態でじたばたと暴れるリリーホワイトが僕に助けを求めてきた。
救出してやろうかどうか少しだけ迷ったが、ちょいと腕を組んで考えてみる。
ここで咲夜を諭してリリーホワイトを解放するように言えば、咲夜はその通りにしてくれるだろう。
だがそもそもコレはレミリアの思いつきが発端だ。僕がリリーホワイトを助けた場合、咲夜は事の顛末を当然レミリアに報告するに違いない。
彼女はウチのお得意様だし、余計なことに首を突っ込んで彼女を怒らせてしまってはたまったものではない。商売に支障をきたすのはごめんだ。
そこまで考えを巡らせた僕は哀れなリリーホワイトに判決を下した。
「悪いけど、僕が助ける義理はないね。そう言えばさっき君には痛い思いもさせられちゃったし」
「ひ、ひどい!?私を見捨てるっていうんですかぁ!?」
「まあ、僕は部外者だし。ここは咲夜の判断に任せるよ」
「任されましたわ。さあ、行きましょう」
「び、瓶詰めは!瓶詰めはいやぁぁぁ!!」
「お持ち帰り~」
がっちりと拘束され、咲夜の手によってドナドナと運ばれてゆく春告精。
咲夜はご機嫌な調子で鼻歌を歌いつつ道を下っていった。あのまま紅魔館へご招待するのだろう。
犯罪行為を見過ごすようでちょっと心苦しいが、仕方ないかな。お得意様を失うわけにはいかないし。
リリーホワイトのしくしく泣く声と咲夜の鼻歌に背を向けて僕は春の散歩を続ける事にした。
「霖之助さ~ん」
「む、…!?」
歩き続け、そろそろ一休みと考えていた僕は背後から突然名前を呼ばれて振り返った。
そして僕に声をかけた人物を確かめようとしたのだが、僕は別のところへ気を取られて一瞬体の動きを止めた。
なにかある。
人物の後ろに、なにやら巨大なものが天高くどんとそびえたっていた。
鎮座するそれは目算でも僕を縦に三人は重ねたくらいの大きさで、どこか異様な存在感をもってそこにあった。
いったい何メートルあるのだろう。その山と見紛うほどのモノの頂上を見つめていると、首が痛くなってきそうだ。
「…なんだ、これは」
「買い出しの品よ」
と、てっぺんを眺めてぽかんと口を開けていた僕に先ほどとは別の声がかかった。
そちらに目を向ける。そこにいたのは冥界の管理者、白玉楼の主人の西行寺幽々子だった。
桃色の髪を風になびかせて大いなる物体の隣、地面のちょっと上空をふわりふわりと浮いている。
そしてその段になって、ようやく僕に始めに声をかけた人物に視線を合わせる事が出来た。
「さっきの声は、キミの方だったかな」
「はい、こんにちわ」
魂魄妖夢は曵いていた荷車から手を離さずにぺこりと礼儀正しくお辞儀した。
白玉楼の庭師にして剣術指南役。二刀を携えた少女剣士。その後ろには文字通り山積みの物体。
僕も軽く会釈を返してから、改めてその少女が曵いている荷車に満載されたものをまじまじと眺めた。
「買い出しの品といったか。いやはやなんとも…」
「買い出しにいくのは月に一回なんです。一度に買うから、どうしても量が多くなっちゃって」
「分けて買ってはいけないのかい?」
「私としては、そうしたいんですけど」
妖夢がはぁと溜め息をつきつつ言う。
「幽々子様はこれも修行だと言って、認めてくれないんです」
「なによ妖夢、不満そうね」
「そりゃあ、もう。運ぶ身にもなってくださいよ。というか、手伝ってください」
「だから、こうして一緒に買い出しについてきてあげてるじゃないの」
「ついて来てるだけじゃないですか。少しくらい持ってください。もしくは分けて買わせて欲しいです」
「可愛い部下を鍛えてやろうと思っているのに、思いは通じないのね。私は悲しいわ。しくしく」
幽々子はいかにも悲しいといった顔を作って泣き真似をする。が、口調はどう聞いても笑っているようにしか聞こえない。
未熟な部下を鍛え上げてやるためと言えば聞こえはいいのだろうが…、多分、幽々子はそれが第一の目的ではないのだろう。
「僕は君が妖夢をいじめて遊んでいるようにしかみえないがね」
「あらあら、バレちゃったわ」
「もう……」
泣き真似をやめ、楽しげにくすくすと笑う幽々子を見て妖夢はもういちど大きな溜め息をつく。
彼女の大げさな動きに合わせて、崩れないように紐でキツく縛られた荷車の積載物がぎしぎしと悲鳴をあげた。
「日常品かい。随分たくさん買ったようだが」
「全部食料品です」
「しょ…なに?」
「食べ物ですよ。幽々子様はお食事にこだわりのあるお方ですから」
「美味しいものを美味しく頂く。それが私のモットーよ」
「しかし、これ全部が食料とは…」
「幽々子様は私に一杯食事を作らせるんです。同じお料理を何皿も……」
「ほほう、そうなのか。それはとても素晴らしい事だね」
僕は亡霊の幽々子嬢に感心した。なるほど確かに、彼女は食事にこだわりのある人物らしいな。
僕としても、食にはある程度こだわりがある。やはり美味いものを食べたいという欲求は皆等しく持っている。
僕も幽々子も食べなくても別に生きられるわけではあるのだが、それでもモノを口にする喜びは手放し難いものだ。
「素晴らしい事ですか?同じメニューの食事を大量に作らせることが?」
「そうとも。妖夢はこんな話を聞いた事はないかい?」
首をかしげる妖夢に僕は自分の知識の棚を引っ張り出して話し始めた。
これはちょっと昔の話になるけどね。そう、ちょうど四百年くらい前かな。
かつて東海地方の三河国というところを治めていた武将で、松平家康という人が居た。
そう、幽々子は良く知っているね。江戸幕府を開いた、あの徳川家康公その人のことさ。
この人も中々の食道楽でね。自分が口にするものには一々首を突っ込まずにはいられなかったそうだ。
当時は台所なぞは女の居場所で、男がちょっかいをかけていいものではなかったそうだが、彼は良く口を挟んだんだという。
そう言えば彼の死因もある一説によれば鯛の天ぷらの食中毒が原因だったという事で…ああ、ちょっと話がそれたかな。
とにかく彼は食事に関する逸話が多く文献に残っている武将だったんだ。その中の一つにこんな話がある。
確か彼が江戸幕府を開いた後に城で催された、ある懐石料理の席での出来事だ。
家康公はお城の厨房を取り仕切る責任者…つまりその会食を担当するコックさんだね。その人にこんな事を言ったらしい。
「料理につける汁は二十もこしらえさせよ」、とね。別にお茶碗に二十杯盛って出せと言ったんじゃないよ。
懐石料理で出てくるあの小さなお汁、あれを大鍋で二十も作らせろと言ったのさ。なんだか笑ってしまうだろう?
知っての通り懐石料理というものは当時としても高級至高だ。大量にこさえるようなものじゃない。うん、妖夢の言う通り、作り過ぎだな。
その当時の家康公の右腕の地位にあったある重臣も同じ意見で、「懐石物の席でそのように作らせる必要はございますまい」と進言したんだ。
しかし大御所様は笑ってこう仰られたそうだ。
「鍋に二十も作れば、その中に出来のいいのが二つ三つはあるものだ。お前は食の嗜みが無いから、そのような事を言う」
こうして結局、厨房には汁を幾つ作っても良いというお達しが出たんだそうだ。
少しでも美味いものを食べたいと欲した徳川家康の、なんとも人間味溢れるエピソードだと思うけどね。
僕の長々とした話を聞き終えた妖夢は、ほへーといった感じで頷いた。
「へえ、あの徳川家康にそんな逸話があったんですね」
「そうだよ。多分幽々子も家康公と同じ事を思って、君に食事を大量に作らせているんだろう」
「あ、いや、それは」
「欲とはまさに生の証なんだ。亡霊であるにも関わらず貪欲な幽々子の生き方は、とても良い事だと僕は思うけどね」
「あらあら、そうかしら」
「そうさ。どこまでも美味しいものを追及しようとする君の姿勢には頭が下がる思いだよ」
「ふふふ、そうね。妖夢、私ってば霖之助さんに褒められちゃったわ」
「でもでも、霖之助さんは何か勘違いしています」
うきうきと嬉しそうに笑う幽々子の横で妖夢が申し訳なさそうに口を開いた。
「その、徳川家康の話はわかったんですけど」
「ふむ?なにか僕が考え違いをしていたかな」
「その話の場合、汁物は良い出来の二つ三つしか食べないわけですよね?」
「ああ、多分そうだろうね。二十全部は流石に食べられないだろうし」
「幽々子さまは」
妖夢は今日三度目となる、今までで一番大きな溜め息を吐き出した。
「私に二十作らせたら、二十全部を一人でお召し上がりになります」
「…………………」
無言が支配する空の下、荷車がギシリと傾く音がやけに大きく響いた気がする。
すっかり閉口してしまった僕と妖夢の隣で、幽々子は相変わらずマイペースに微笑んでいた。
心を無にして、ひたすらに足を動かす。
風の声を聞き、大地に身を任せ、足の赴くままに行き先を決める。
そんな春の独り旅も遂に終点を迎えたようだ。
最終的に僕が辿り着いた場所、それは博麗神社だった。この辺りにも梅が咲いている。
「お茶でも出してくれるかな」
そんなことを呟きながら歩き続ける。いつもは僕がお茶を出しているのだし、たまにはお客になってもいいだろう。
何故だかは分からないが、自然の力は僕を幻想郷の要へと導いたようだ。
僕の他には参拝客も誰もいない石の階段に足をかけて、一歩一歩と踏みしめるようにして上っていく。
神社の階段というものは実に不思議なものだ。上っていると今までの気持ちが洗い流される感じがして、背筋がピンと張りつめてくる。
心を新たにするというか、これから神聖な場所へ足を踏み入れるのだという、そういう独特の緊張感が漂っている気がするのだ。
居心地の良い緊張を保ちつつ僕は階段を上りきり、鳥居をくぐった。その僕の正面には三人の少女が仲良く話している。
紅白の巫女。白黒の魔法使い。そして緑の風祝。
境内へ入って来た僕の存在に真っ先に気づいたのは、この神社の紅白だった。
「それでね、その時紫のやつが……あら?」
「ん?どうした……おお?」
「あれ、霖之助さん」
声を上げた霊夢の視線を追って、魔理沙と早苗の二人も僕のことを目に留めたようだ。
僕がすたすたと三人のところまで近付いていくと、魔理沙がわざとらしく慌てた声を上げた。
「これはまずいな。洗濯物を取り込んでくるのを忘れてたぜ」
「そんなに僕が神社に来るのが珍しいかね」
「外に出てるのが、だ」
賽銭箱に腰掛けて帽子をくるくると指で回しながら魔理沙がからかうような口調で言う。
僕はそれ以上魔理沙と話すと話がめんどくさくなると判断して隣の早苗に水を向けた。
「お山の神社は放っといていいのかい?」
「霖之助さんこそ、お店を放っといていいんですか?」
「いいんだぜ。客が来ないからな」
「君は黙っててくれ。……まあその通りだけど」
「それで、わざわざ博麗神社まで何をしに?」
「いや、特に何も」
「ええ…?」
僕の言葉に早苗が何故か眉をひそめた。
何か問題があったかな。僕がそう言うと、早苗が遠慮がちに口を開いた。
「その…霖之助さんって、何か得な事が無いと動かない人だと思ってました」
「失敬な」
「だって、言動の節々からそんな感じが」
「早苗の考えは間違ってないぜ」
「でも確かに珍しいわよ。霖之助さんがウチの神社に来るなんて、どういう風の吹き回し?」
掃除用の箒を担いでいた霊夢が口を挟んで来た。
「強いて言うなら春の風の吹き回しだな。歩いてたら自然とここに着いた。本当に用事はないんだよ」
「あら、そうなの。それで、当然お賽銭は入れていってくれるのよね?」
「え?ああ、…そうだな」
霊夢の言葉に僕は頷いた。せっかく神社に来たんだし、どうせならやっておこうかな。
懐からがま口を取り出して捻り開ける。その中から五円玉を取り出し、手首のスナップを利かせて賽銭箱に放り込んだ。
チャリン、カランカランと小気味良い音が響き、僕は目を瞑って簡単に二拍手だけして神社を拝んだ。
そしてそれが終わってしまってから目を開けて周りを見ると、少女達三人は一様に驚いたような表情をしていた。
「おい…私の目が狂ってなければ、今、霊夢の神社に賽銭が入らなかったか?」
「どうしましょう。コレは本格的に帰って洗濯物を取り込まないといけないかも」
「いや、うん。自分で言っててなんだけど、本当に入れてくれるなんて思わなかったわ」
「君らは……」
博麗神社にお賽銭が入らなくて霊夢の家計が火の車なのは前に霊夢がこぼしていたことだ。
しかしお賽銭が入る事に巫女が驚いていては、祀られている神様もあんまりに可哀想ではなかろうか。
神様の力は信仰の多さで決まるというのに……ひょっとすると、博麗の神様はもうとっくに消えちゃっていたりして。
「ねえ…霖之助さん。あとで守屋の神社にも来ませんか?お賽銭入れてってくださいよ」
「こらこら、腕を引っ張らないでくれ。取れてしまうよ」
「ちょっと早苗。霖之助さんはウチの常連なんだから、横取りしちゃダメよ」
神社に常連も何もあるものか。
口から漏れ出た文句は僕の両側で言い争う二人の少女に届いてはいなかった。
「良かったな、香霖。両手に華だぜ」
「なんなら代わってあげようか?」
「お断りだ。騒がしいのは御免だからな」
いつもは自分が一番騒がしいはずの魔理沙が僕らを見てけらけら笑う。
僕の右と左ではそれぞれ霊夢と早苗が僕の腕を抱え込むようにしながら舌鋒を交えている。
もはや諦観の面持ちになり、僕は手元の争いを避けるように顔を上げて春先の空を眺めた。
僕は、外出をしないタチだ。今日出かけたのも、ふとした切っ掛けによるほんの心の揺れ動きのせいである。
明日になれば、僕はまた一日中誰も来ない店で独り、ポツンと読書をしているのだろう。
元々僕はそれが一番好きなのだ。一番好きなことをせずに外をぶらつくなんて、まったく今日の僕はどうかしている。
それでも僕の胸の奥には、こういうのも悪くはないという声が響いていた。
今日はいつもより多くの人々に出会えた気がする。人と会うという事は、やはり良い事なのだ。
これからもたまには外に出かけたほうが良いのかもしれないな。無縁塚以外で。
どこからか飛んで来たらしい春告鳥が涼やかな声で高らかに歌っていた。
風は穏やか、気温はうららか。雲の切れ目から覗く薄ら陽。咲き誇る梅の花。
そんな春の誘惑にまんまと乗せられた僕の一日は、不思議と充実したものになっていた。
周辺の雰囲気はどことなくほんわかとしてきて、春の訪れを感じさせた。
段々と咲き始めて来た梅の花もその豊かな香りを周囲に振りまいて、ささやかだが顕著な自己主張を行っている。
春の季節に咲く花は数えきれないほどあるが、梅の花はその中でも飛び抜けて開花する時期が早い。
敏感に春を感じとり、いの一番に咲き誇るその花を人々が「春告草」と呼んだのも頷ける話だ。
席を立って窓を開け放ち、店の裏側にある大木を眺めてみる。
風に吹かれて細かく揺れるその枝の先に、桜色の可憐な花は見られなかった。
まだまだ、桜の花は咲く為のパワーを溜めている真っ最中と言う事だろう。
僕は少し目を動かして、桜の木とはちょっとだけ離れた位置にある梅の木に焦点を当てた。
寂しい枝振りの桜を尻目にして、梅は空に向かって花を開いている。せっかち、とでも言えばいいのかな。
春と言えば真っ先に連想されるのが桜だろうが、この春を告げる梅の花も僕は気に入っている。
「……暇だな」
先ほど淹れた梅コブ茶を飲みながら、僕はカウンターの椅子に腰掛けて一人呟いた。
呟いてしまってから、自分の言動に違和感を覚える。
わざわざ口に出してまで何を言っているんだ僕は。暇なのはいつもの事だろうに。
客は滅多に来ないのだし、こう言う時は静かに読書をして過ごすのが一番じゃあないか。
だがなんと言うのだろう。
風は穏やか、気温はうららか。雲の切れ目から覗く薄ら陽。咲き誇る梅の花。
お世辞にも綺麗とは呼べない店の中、僕はポツンとそこにいるだけだ。
こんなのどかな日和に、一人で、誰とも喋らず、篭りきってただ読書をしている自分。
……如何なものだろうか。
俄然、僕の胸の底から何かせかす様な思いがムクムクと沸き起こって来た。
もしかすると、僕はとてももったいないことをしているんじゃないか?
なんだか無性にそわそわする。何もせず燻っていてはいけない、そんな声が頭の奥に響く。
何故なのかはとんと分からない。ともすれば、これも春という季節の魔力がなせる業なのかもしれなかった。
ええい、くそ。だれか店に来ないものかな。
霊夢でも魔理沙でも、今日ばかりは歓迎してやるぞ。存分に話し相手になってやろうじゃないか。
いっそのことご新規のお客様でもいい。それで何か品物を買っていってくれれば、言うことなしなんだが。
そう思って店のドアに目を向ける僕であるが、悲しいかな扉は一ミリたりとも動こうとはしなかった。
どうやら僕の店には閑古鳥が住み着いているらしい。そろそろ春の新生活という事でどこかに引っ越してくれないかな。
ホー、ホケキョ。
鈴の鳴ったように澄んだ声を耳にして僕は振り返った。
先ほど開け放ってそのままにしてしまった窓の庇のところに、手のひらに乗る程のサイズの鳥が居る。
抹茶の様な体色と今しがた聞いた鳴き声から判断するに、それはどうやらウグイスのようであった。
そう言えば、ウグイスは「春告鳥」だったな。なるほど、やはり春というわけだ。
「良く来たね。一杯どうだい?」
僕はすっかり冷めてしまった飲みかけの梅コブ茶を目の前の野鳥に差し出した。
僕の言葉を理解しているのかどうなのか、ウグイスは小首をかしげてその小さな瞳で僕を見つめるのみだ。
やがてウグイスは飛び立っていき、後には湯呑みを前に突き出した状態の僕だけが取り残された。
やれやれ、フラれてしまったな。僕はなにやら奇妙な満足感に襲われて、温いお茶を一気に飲み干した。
四半刻後、そわそわとした思いにかられた僕は出かける事にした。
これは半ば、自分の中のもう一つの声に根負けしたからでもある。
外に出て、扉に錠を掛けてしまってからのんべんだらりと歩き出す。持ち物は何も無い。
春の風が僕を優しく包み込んで、僕はどこかふわふわとした足取りで歩を進めた。
ぶらりと一人で気ままに歩く。意外と悪くない気分。なんというか、自由な感じだ。
土を踏みしめ、草を踏みしめ、ざっさざっさと歩き続ける。たまには良い運動になるだろうか。
風に混じって春告鳥の声がうっすら聞こえてきた。微かに漂ってくるのは芳醇な春告草の香り。
ふふん、梅にウグイスか。風流でよろしいことだ。やはり春はいい。僕はいい気分で目的もなにもない散歩を続行した。
キラッ
何分歩いたか、魔法の森を抜けて街道を歩いている時のことだった。
前方上空に二、三回光が閃いたのが視界に入り、僕は目を細めてその方面の空を見上げた。
春の空に時折チクリと光が迸り、小さな二つの点が空を駆け回っている。誰かが弾幕ごっこでもしているらしい。
はて、あれらは一体誰だろう。目を凝らして良く見てみるが、イマイチ正確な判断が下せない。
空中をぐるぐる回る様な動き方から判断するに、どうにも片方がもう片方から逃げ回っているように見える。
追われているらしき方がここからでも視認出来る程の光弾を出して応戦しているが、追っ手はすいすいとそれをよけている。
そして追っ手側も弾幕を撃っている様なのだが、小さ過ぎてここからはどんな弾なのか確認できなかった。
と、追われている方の点がどうやら応戦をやめて逃げに徹する事を決めたようだ。
空に灯る光が無くなり、点が空から下降してこちらに向かってぐんぐんとスピードを上げてくる。
追っ手の方もその後ろに追従して飛行速度を高めているようだ。僕はその二つの動きをぼんやりと眺めている。
小さな点だったものが拡大して次第に人の形を為していき、それが何者かを判断できるようになったころには既に僕の眼前に……って。
「ぐはっ!?」
「きゃぁんっ!?」
気づいた時には遅かった。
ぼーっとしていた僕の右肩に、その人物の左肩が結構な速度でぶつかり、僕は突然襲った痛みに悲鳴をあげてしまった。
思わず片膝をついて左手で右肩を庇い、同時に自分の不注意さに内心で舌打をする。
まったく、春だからって浮かれすぎてないか、僕は。よけもせずに突っ立っているなんて。
いや、悪いのは今の何者かだ。僕が普通の人間だったなら、骨の一つや二つ折れていたかもしれないんだぞ。
ぶつぶつ言いつつ肩を抑えて後ろを振り返ってみると、ぶつかってきた物体はもんどりうって地面に転倒してひっくり返っていた。
背中に生えた半透明の大きな羽と、全体的に白い服と白い帽子。あれはひょっとすると……
「…リリーホワイトか?」
「ご名答ですわ」
声を掛けられて、僕は眼前に向き直った。追っ手側が追いついて来たようだ。
地面にすとんと瀟洒に降り立ったその彼女の出で立ちは、青を基調としたメイド服。
「…咲夜」
「はい。咲夜です」
スカートの裾をさっさと払い、十六夜咲夜はにっこりと微笑んだ。
吸血鬼の従者。紅魔館のメイド長。そのような肩書きを持つ彼女は僕に近付いてきて手を差し伸べた。
「大丈夫ですか?」
「ああ…大丈夫さ。なんとかね」
「彼女を止めてくださってありがとうございます。おかげで助かりましたわ」
「いや、止めようと思って止めたわけじゃないんだが…というか、なにをやってたんだい」
咲夜の手を借りて立ち上がった僕は彼女に質問をしてみたが、彼女はなにも言わずに僕の傍を通り過ぎた。
すたすたと地面に倒れていた春告精のところに歩み寄ると、彼女の首根っこをひょいと掴み上げる。
ぶらんとぶら下がったリリーホワイトはまだ覚醒せずに目をくるくると回していた。一回休みにはならなかったみたいだな。
「さあ、いつまでも寝てるんじゃありませんわ。大人しくついてきてくださいまし」
「きゅぅ…」
「春ですよー?春ですよー?ぺしぺし」
「きゃ!?いた、いたいっ」
「コラコラ、やめてあげろよ」
咲夜が未だに目を覚まさないリリーホワイトの頬をぺしぺし叩き始めたので僕は慌てて制止した。
頬を叩かれたリリーホワイトは目を覚ましたようだが、目の前の人物が何者であるかを確認すると急に騒ぎ始めた。
「うわーん!離してくださいよぅ」
「はいはい暴れないの」
「何事なんだいこれは」
「お嬢様のご命令で、ちょっと」
「妖精さらいー!閻魔様に訴えてやるー!」
がるるると威嚇するように声をあげて抗議するリリーホワイト。
が、それも咲夜につまみ上げられた状態なので、あまり迫力がない。むしろ微笑ましい。
咲夜は手元で騒ぐ妖精を意に介する事もなく僕に説明を始めた。
「お嬢様がリリーホワイトを捕まえてくるように仰ったんですわ。私はそれを実行したまで」
「リリーホワイトを?そりゃまたどうして」
「幻想郷の中でも紅魔館に一番先に春を呼びたいからだそうですわ。ほら、彼女の力で」
「なるほど、春が訪れるというわけだな。確かに春告精の春を呼び込む力は目を見張るものがあるからね」
「えっへへー」
唐突に褒められてリリーホワイトはニコニコ顔になって胸を張った。
さっきまで膨れっ面だったというのに、単純な奴め。やはり妖精というわけか。
「君がそんなレミリアの思いつきのような命令を真面目にこなすとは珍しい」
「私も乗り気じゃありませんでしたわ。去年も同じ事を言われましたし」
「去年もリリーホワイトを捕まえたのかい?」
「いえ、博麗神社のほうに一番乗りされて」
「それで今年は」
「また適当にやろうと思って空を飛んでたら、上手い具合に見つかりましたから、瓶詰めにしてやろうと」
「いや、その発想はおかしい」
「しくしく。瓶詰めはいやですー」
リリーホワイトが今度はめそめそと涙を流し始めた。
単純というか、感情の変化が大きいというべきなのかな。
「はふぅ。せっかく春を振りまいていたのに、いきなり攻撃されるなんて理不尽です」
「何も言わずにナイフを投げたのか!?」
「奇襲が一番手間が省けますもの」
「たかが妖精が相手とはいえ、非道な」
「ちょっと!たかが妖精ってなんですかぁ!」
「ちょこまか逃げ回るもんだから、上手く捕まえられなくって。霖之助さんがいたおかげでなんとかなりましたけど」
「僕は良い迷惑だよ。いったい君は何の恨みがあって僕に突進したのかね」
「ううう。メイドさんが怖いから全速力で逃げてただけなんです」
「……で、それでなんで地面の僕に向かってくるんだ」
「その……飛ぶ時に目をぎゅっとしてたので」
「霖之助さんがいなかったら顔から地面にダイブでしたわね。顔面セーフかしら?」
咲夜が喋りながらリリーホワイトの頬をぷにぷにと突っついている。
リリーホワイトはもう抵抗する元気もないようで成すがままにされていた。
なんというか、おもちゃみたいな扱いになってるな。妖精なのに。いや妖精だからか?
「君もわざわざ攻撃をしなくたっていいだろう。ちゃんとお願いをすれば」
「だって、『悪いけど、ちょっと瓶詰めになってもらえます?』なんて言えませんもの」
「その瓶詰めという考えから離れないか」
「そういうわけで妖精も捕まった事だし、用事は済みました、私はこれで失礼致しますわね」
「きゃー!さらわれるー!霖之助さん助けてー!」
咲夜に抱えられた状態でじたばたと暴れるリリーホワイトが僕に助けを求めてきた。
救出してやろうかどうか少しだけ迷ったが、ちょいと腕を組んで考えてみる。
ここで咲夜を諭してリリーホワイトを解放するように言えば、咲夜はその通りにしてくれるだろう。
だがそもそもコレはレミリアの思いつきが発端だ。僕がリリーホワイトを助けた場合、咲夜は事の顛末を当然レミリアに報告するに違いない。
彼女はウチのお得意様だし、余計なことに首を突っ込んで彼女を怒らせてしまってはたまったものではない。商売に支障をきたすのはごめんだ。
そこまで考えを巡らせた僕は哀れなリリーホワイトに判決を下した。
「悪いけど、僕が助ける義理はないね。そう言えばさっき君には痛い思いもさせられちゃったし」
「ひ、ひどい!?私を見捨てるっていうんですかぁ!?」
「まあ、僕は部外者だし。ここは咲夜の判断に任せるよ」
「任されましたわ。さあ、行きましょう」
「び、瓶詰めは!瓶詰めはいやぁぁぁ!!」
「お持ち帰り~」
がっちりと拘束され、咲夜の手によってドナドナと運ばれてゆく春告精。
咲夜はご機嫌な調子で鼻歌を歌いつつ道を下っていった。あのまま紅魔館へご招待するのだろう。
犯罪行為を見過ごすようでちょっと心苦しいが、仕方ないかな。お得意様を失うわけにはいかないし。
リリーホワイトのしくしく泣く声と咲夜の鼻歌に背を向けて僕は春の散歩を続ける事にした。
「霖之助さ~ん」
「む、…!?」
歩き続け、そろそろ一休みと考えていた僕は背後から突然名前を呼ばれて振り返った。
そして僕に声をかけた人物を確かめようとしたのだが、僕は別のところへ気を取られて一瞬体の動きを止めた。
なにかある。
人物の後ろに、なにやら巨大なものが天高くどんとそびえたっていた。
鎮座するそれは目算でも僕を縦に三人は重ねたくらいの大きさで、どこか異様な存在感をもってそこにあった。
いったい何メートルあるのだろう。その山と見紛うほどのモノの頂上を見つめていると、首が痛くなってきそうだ。
「…なんだ、これは」
「買い出しの品よ」
と、てっぺんを眺めてぽかんと口を開けていた僕に先ほどとは別の声がかかった。
そちらに目を向ける。そこにいたのは冥界の管理者、白玉楼の主人の西行寺幽々子だった。
桃色の髪を風になびかせて大いなる物体の隣、地面のちょっと上空をふわりふわりと浮いている。
そしてその段になって、ようやく僕に始めに声をかけた人物に視線を合わせる事が出来た。
「さっきの声は、キミの方だったかな」
「はい、こんにちわ」
魂魄妖夢は曵いていた荷車から手を離さずにぺこりと礼儀正しくお辞儀した。
白玉楼の庭師にして剣術指南役。二刀を携えた少女剣士。その後ろには文字通り山積みの物体。
僕も軽く会釈を返してから、改めてその少女が曵いている荷車に満載されたものをまじまじと眺めた。
「買い出しの品といったか。いやはやなんとも…」
「買い出しにいくのは月に一回なんです。一度に買うから、どうしても量が多くなっちゃって」
「分けて買ってはいけないのかい?」
「私としては、そうしたいんですけど」
妖夢がはぁと溜め息をつきつつ言う。
「幽々子様はこれも修行だと言って、認めてくれないんです」
「なによ妖夢、不満そうね」
「そりゃあ、もう。運ぶ身にもなってくださいよ。というか、手伝ってください」
「だから、こうして一緒に買い出しについてきてあげてるじゃないの」
「ついて来てるだけじゃないですか。少しくらい持ってください。もしくは分けて買わせて欲しいです」
「可愛い部下を鍛えてやろうと思っているのに、思いは通じないのね。私は悲しいわ。しくしく」
幽々子はいかにも悲しいといった顔を作って泣き真似をする。が、口調はどう聞いても笑っているようにしか聞こえない。
未熟な部下を鍛え上げてやるためと言えば聞こえはいいのだろうが…、多分、幽々子はそれが第一の目的ではないのだろう。
「僕は君が妖夢をいじめて遊んでいるようにしかみえないがね」
「あらあら、バレちゃったわ」
「もう……」
泣き真似をやめ、楽しげにくすくすと笑う幽々子を見て妖夢はもういちど大きな溜め息をつく。
彼女の大げさな動きに合わせて、崩れないように紐でキツく縛られた荷車の積載物がぎしぎしと悲鳴をあげた。
「日常品かい。随分たくさん買ったようだが」
「全部食料品です」
「しょ…なに?」
「食べ物ですよ。幽々子様はお食事にこだわりのあるお方ですから」
「美味しいものを美味しく頂く。それが私のモットーよ」
「しかし、これ全部が食料とは…」
「幽々子様は私に一杯食事を作らせるんです。同じお料理を何皿も……」
「ほほう、そうなのか。それはとても素晴らしい事だね」
僕は亡霊の幽々子嬢に感心した。なるほど確かに、彼女は食事にこだわりのある人物らしいな。
僕としても、食にはある程度こだわりがある。やはり美味いものを食べたいという欲求は皆等しく持っている。
僕も幽々子も食べなくても別に生きられるわけではあるのだが、それでもモノを口にする喜びは手放し難いものだ。
「素晴らしい事ですか?同じメニューの食事を大量に作らせることが?」
「そうとも。妖夢はこんな話を聞いた事はないかい?」
首をかしげる妖夢に僕は自分の知識の棚を引っ張り出して話し始めた。
これはちょっと昔の話になるけどね。そう、ちょうど四百年くらい前かな。
かつて東海地方の三河国というところを治めていた武将で、松平家康という人が居た。
そう、幽々子は良く知っているね。江戸幕府を開いた、あの徳川家康公その人のことさ。
この人も中々の食道楽でね。自分が口にするものには一々首を突っ込まずにはいられなかったそうだ。
当時は台所なぞは女の居場所で、男がちょっかいをかけていいものではなかったそうだが、彼は良く口を挟んだんだという。
そう言えば彼の死因もある一説によれば鯛の天ぷらの食中毒が原因だったという事で…ああ、ちょっと話がそれたかな。
とにかく彼は食事に関する逸話が多く文献に残っている武将だったんだ。その中の一つにこんな話がある。
確か彼が江戸幕府を開いた後に城で催された、ある懐石料理の席での出来事だ。
家康公はお城の厨房を取り仕切る責任者…つまりその会食を担当するコックさんだね。その人にこんな事を言ったらしい。
「料理につける汁は二十もこしらえさせよ」、とね。別にお茶碗に二十杯盛って出せと言ったんじゃないよ。
懐石料理で出てくるあの小さなお汁、あれを大鍋で二十も作らせろと言ったのさ。なんだか笑ってしまうだろう?
知っての通り懐石料理というものは当時としても高級至高だ。大量にこさえるようなものじゃない。うん、妖夢の言う通り、作り過ぎだな。
その当時の家康公の右腕の地位にあったある重臣も同じ意見で、「懐石物の席でそのように作らせる必要はございますまい」と進言したんだ。
しかし大御所様は笑ってこう仰られたそうだ。
「鍋に二十も作れば、その中に出来のいいのが二つ三つはあるものだ。お前は食の嗜みが無いから、そのような事を言う」
こうして結局、厨房には汁を幾つ作っても良いというお達しが出たんだそうだ。
少しでも美味いものを食べたいと欲した徳川家康の、なんとも人間味溢れるエピソードだと思うけどね。
僕の長々とした話を聞き終えた妖夢は、ほへーといった感じで頷いた。
「へえ、あの徳川家康にそんな逸話があったんですね」
「そうだよ。多分幽々子も家康公と同じ事を思って、君に食事を大量に作らせているんだろう」
「あ、いや、それは」
「欲とはまさに生の証なんだ。亡霊であるにも関わらず貪欲な幽々子の生き方は、とても良い事だと僕は思うけどね」
「あらあら、そうかしら」
「そうさ。どこまでも美味しいものを追及しようとする君の姿勢には頭が下がる思いだよ」
「ふふふ、そうね。妖夢、私ってば霖之助さんに褒められちゃったわ」
「でもでも、霖之助さんは何か勘違いしています」
うきうきと嬉しそうに笑う幽々子の横で妖夢が申し訳なさそうに口を開いた。
「その、徳川家康の話はわかったんですけど」
「ふむ?なにか僕が考え違いをしていたかな」
「その話の場合、汁物は良い出来の二つ三つしか食べないわけですよね?」
「ああ、多分そうだろうね。二十全部は流石に食べられないだろうし」
「幽々子さまは」
妖夢は今日三度目となる、今までで一番大きな溜め息を吐き出した。
「私に二十作らせたら、二十全部を一人でお召し上がりになります」
「…………………」
無言が支配する空の下、荷車がギシリと傾く音がやけに大きく響いた気がする。
すっかり閉口してしまった僕と妖夢の隣で、幽々子は相変わらずマイペースに微笑んでいた。
心を無にして、ひたすらに足を動かす。
風の声を聞き、大地に身を任せ、足の赴くままに行き先を決める。
そんな春の独り旅も遂に終点を迎えたようだ。
最終的に僕が辿り着いた場所、それは博麗神社だった。この辺りにも梅が咲いている。
「お茶でも出してくれるかな」
そんなことを呟きながら歩き続ける。いつもは僕がお茶を出しているのだし、たまにはお客になってもいいだろう。
何故だかは分からないが、自然の力は僕を幻想郷の要へと導いたようだ。
僕の他には参拝客も誰もいない石の階段に足をかけて、一歩一歩と踏みしめるようにして上っていく。
神社の階段というものは実に不思議なものだ。上っていると今までの気持ちが洗い流される感じがして、背筋がピンと張りつめてくる。
心を新たにするというか、これから神聖な場所へ足を踏み入れるのだという、そういう独特の緊張感が漂っている気がするのだ。
居心地の良い緊張を保ちつつ僕は階段を上りきり、鳥居をくぐった。その僕の正面には三人の少女が仲良く話している。
紅白の巫女。白黒の魔法使い。そして緑の風祝。
境内へ入って来た僕の存在に真っ先に気づいたのは、この神社の紅白だった。
「それでね、その時紫のやつが……あら?」
「ん?どうした……おお?」
「あれ、霖之助さん」
声を上げた霊夢の視線を追って、魔理沙と早苗の二人も僕のことを目に留めたようだ。
僕がすたすたと三人のところまで近付いていくと、魔理沙がわざとらしく慌てた声を上げた。
「これはまずいな。洗濯物を取り込んでくるのを忘れてたぜ」
「そんなに僕が神社に来るのが珍しいかね」
「外に出てるのが、だ」
賽銭箱に腰掛けて帽子をくるくると指で回しながら魔理沙がからかうような口調で言う。
僕はそれ以上魔理沙と話すと話がめんどくさくなると判断して隣の早苗に水を向けた。
「お山の神社は放っといていいのかい?」
「霖之助さんこそ、お店を放っといていいんですか?」
「いいんだぜ。客が来ないからな」
「君は黙っててくれ。……まあその通りだけど」
「それで、わざわざ博麗神社まで何をしに?」
「いや、特に何も」
「ええ…?」
僕の言葉に早苗が何故か眉をひそめた。
何か問題があったかな。僕がそう言うと、早苗が遠慮がちに口を開いた。
「その…霖之助さんって、何か得な事が無いと動かない人だと思ってました」
「失敬な」
「だって、言動の節々からそんな感じが」
「早苗の考えは間違ってないぜ」
「でも確かに珍しいわよ。霖之助さんがウチの神社に来るなんて、どういう風の吹き回し?」
掃除用の箒を担いでいた霊夢が口を挟んで来た。
「強いて言うなら春の風の吹き回しだな。歩いてたら自然とここに着いた。本当に用事はないんだよ」
「あら、そうなの。それで、当然お賽銭は入れていってくれるのよね?」
「え?ああ、…そうだな」
霊夢の言葉に僕は頷いた。せっかく神社に来たんだし、どうせならやっておこうかな。
懐からがま口を取り出して捻り開ける。その中から五円玉を取り出し、手首のスナップを利かせて賽銭箱に放り込んだ。
チャリン、カランカランと小気味良い音が響き、僕は目を瞑って簡単に二拍手だけして神社を拝んだ。
そしてそれが終わってしまってから目を開けて周りを見ると、少女達三人は一様に驚いたような表情をしていた。
「おい…私の目が狂ってなければ、今、霊夢の神社に賽銭が入らなかったか?」
「どうしましょう。コレは本格的に帰って洗濯物を取り込まないといけないかも」
「いや、うん。自分で言っててなんだけど、本当に入れてくれるなんて思わなかったわ」
「君らは……」
博麗神社にお賽銭が入らなくて霊夢の家計が火の車なのは前に霊夢がこぼしていたことだ。
しかしお賽銭が入る事に巫女が驚いていては、祀られている神様もあんまりに可哀想ではなかろうか。
神様の力は信仰の多さで決まるというのに……ひょっとすると、博麗の神様はもうとっくに消えちゃっていたりして。
「ねえ…霖之助さん。あとで守屋の神社にも来ませんか?お賽銭入れてってくださいよ」
「こらこら、腕を引っ張らないでくれ。取れてしまうよ」
「ちょっと早苗。霖之助さんはウチの常連なんだから、横取りしちゃダメよ」
神社に常連も何もあるものか。
口から漏れ出た文句は僕の両側で言い争う二人の少女に届いてはいなかった。
「良かったな、香霖。両手に華だぜ」
「なんなら代わってあげようか?」
「お断りだ。騒がしいのは御免だからな」
いつもは自分が一番騒がしいはずの魔理沙が僕らを見てけらけら笑う。
僕の右と左ではそれぞれ霊夢と早苗が僕の腕を抱え込むようにしながら舌鋒を交えている。
もはや諦観の面持ちになり、僕は手元の争いを避けるように顔を上げて春先の空を眺めた。
僕は、外出をしないタチだ。今日出かけたのも、ふとした切っ掛けによるほんの心の揺れ動きのせいである。
明日になれば、僕はまた一日中誰も来ない店で独り、ポツンと読書をしているのだろう。
元々僕はそれが一番好きなのだ。一番好きなことをせずに外をぶらつくなんて、まったく今日の僕はどうかしている。
それでも僕の胸の奥には、こういうのも悪くはないという声が響いていた。
今日はいつもより多くの人々に出会えた気がする。人と会うという事は、やはり良い事なのだ。
これからもたまには外に出かけたほうが良いのかもしれないな。無縁塚以外で。
どこからか飛んで来たらしい春告鳥が涼やかな声で高らかに歌っていた。
風は穏やか、気温はうららか。雲の切れ目から覗く薄ら陽。咲き誇る梅の花。
そんな春の誘惑にまんまと乗せられた僕の一日は、不思議と充実したものになっていた。
まったりと読めて良かったです
休みの日の朝起きて良い天気だとついつい散歩したくなって…
普段そんな事しないのにね。
春独特のうららかな感じが出ていて良かったです。
あきゅんに春が来なかったらこれは霖之助さんのせいd(ry
ゆゆさま貴女食べ過ぎですよ!そして霊夢と早苗の両手に華……羨ましくないですなこれはw
気楽に楽しく読めました。