Coolier - 新生・東方創想話

人間の里に偉大な芸術家が誕生しました! 中編

2012/03/17 21:19:13
最終更新
サイズ
52.96KB
ページ数
1
閲覧数
4510
評価数
4/22
POINT
1290
Rate
11.43

分類タグ

 前作『人間の里に偉大な芸術家が誕生しました! 前編』の続きになります。
 どうぞそちらをご覧になってからお読み下さいますようお願い致します。
 今回も姫様可愛いよ姫様の精神でお送りしております。


 ***


【Chapter.6 三ヶ月目】

『Words have the power to both destroy and heal. When words are both true and kind, they can change our world.
 言葉は人を傷つける事も癒す事も出来る。言葉から憎しみと偽りが消えた時、それは世界を変える力になる - 仏陀』


「招待公演、ですか」
「その通りにございます。我が主が、是非ともあなた様を当家にご招待差し上げたいと」

 その日、いつものように食堂前の通りで弁舌を披露し終わり、
 聴衆が解散しようとしていたところに一人の珍客がやってきていた。
 周りの聴衆の事など意にも介さず泰然自若とした態度と、ピンと伸びた背筋、
 何より珍しい西洋風の衣装を特徴とするその珍客の名前は、十六夜咲夜と言った。

 彼女は自分が紅魔館と呼ばれる有力妖怪の本拠地に勤めている女中頭であると自己紹介をし、
 当主であるレミリア・スカーレットの名代で交渉にやって来たと語った。

「紅魔館の事は多少なりとも聞き及んでおります。
 幼いながらも伊達と酔狂を好み、我が強く、先鋭を以て良しとするとか」
「噂など、当てにならぬものにございます。少なくとも我が主は、芸術を無碍にされるお方ではありません」

 オブラートに包んではあるが、要するに『気紛れで、変な趣味で、我が侭で、新しい者に飛びつく』と言っている。
 咲夜はそれを肯定も否定もしない代わりに、さりげなく距離を半歩縮めて圧力をかけた。

「いかがでしょうか。是非とも、紅魔館までご足労頂けませんでしょうか?」
「芸を請われれば、出向くのが芸の道に生きる者の勤め。しかし……私の事情はご存知でしょう?」
「もちろん存じております。それを推してお願いしております」
「強引なお方。まるであなたのご主人様のよう」

 そう言ってお竹が懐から取り出したのは、数枚の書状だった。
 意匠は様々違っていたが、それが示す内容は全て同じ招待状だった。

「御山の神様、地底の鬼、冥界の姫君……変わったところでは、河童の里などなど。
 ほぼ同時に送られてきまして、どうしたものかと悩んでおります。
 あなたは、他を制するために一歩早くここに来たのですね?」
「その通りにございます。現に、直接交渉に参ったのは私が初めての筈です」
「ええ、その通り。これは義理ができてしまいましたね。しかし……レミリア様は、家に戻られたのですねぇ」
「? すみません、よく聞こえなかったのですが……」
「ああ、すみません。ただの独り言にございます。お話は承りました。
 しかし申し訳ありませんが、今日のところはお帰り下さいませ」
「そうは参りません。私も主命を受けてここに立つ身。どうしておめおめと空手で帰れましょうか。
 色よい返事を頂けるまで、ここを動かない程度の覚悟はあるつもりです」

 服が汚れるのも厭わず、茣蓙の前に座り込む咲夜。
 それを見て、周りを囲む聴衆は息を呑んだ。
 彼らは、こうなった咲夜が必ず勝利を収めている事を知っているのだ。

 と言うのも、咲夜がこのように里で有名になった人物を紅魔館に招待するのは初めてではなく、むしろ頻繁に行っている恒例行事のようなものだからだ。
 何だかんだ言ってもレミリアが新しい物好きなのは事実であり、少しでも噂になった人物は館に招待して見聞したがるからだ。

「紅魔館の名にかけて待遇はお約束致しますし、あなた様の腕次第ではパトロンとなって活動を支援する事もやぶさかではありません。
 報酬も望むがままですし、ご迷惑はおかけ致しません。如何でしょうか?」

 しかし、そのようなレミリアの我が侭も悪い事ばかりではない。
 何だかんだと言われつつも、レミリアの目と耳が肥えているのは事実であるため、
 その招待された人物がレミリアの目に叶う人物だった場合は、
 『紅魔館に招かれて帰ってきた』と言う"箔" と大量の恩賞が与えられるからだ。
 聴衆もそれを知っており、お竹の活動を初期から見てきた顔馴染みの客にとっては、
 『やっとここまで評価されたか!』と嬉しくなるようなイベントなのだ。

「私の芸は、市井に入り人々と交わるためにあると思っております。
 舞台公演ならともかく、そのような大仰な場に招待されて語るような芸は持ち合わせておりません。
 音響の聞いたダンスホールにて童話を語るのは、あまりにも滑稽でしょう?」
「私はそうは思いません。弘法筆を選ばずと言いますように、一流の芸者であれば場を選ばないものでしょう?」
「さあ、どうでしょうね。しかし、いずれにしても私には里にてやり残した事がございます。
 少なくともそれを片付けるまでは、レミリア様の元に馳せ参じるわけには行きません」
「そうですか。それならば、こちらを」
「……追加の書状、ですか?」
「貴女様が渋った場合はにお渡しするようにと仰せつかっております。どうぞご覧下さい」
「これは準備の良い事で。どれどれ……ぷっ」
「?」
「あっはっはっはっはっは! 何ですか、これは! くすくすくす……」

 書状には一言。『お前の昔話を聞かせに来い』とだけ書いてあった。
 そこから読み取れるレミリアの意思は、唯一つ。
 お竹の正体を知りつつも、それを承知の上で己の所に来いと呼びかける、傲慢で情熱的な誘いだった。
 お竹もそれを悟り、あまりのストレートさに吹き出してしまったのだ。

「そう言えば、レミリア様は未来を知るお方でしたね。さしずめ、あの一時の顔合わせの時に運命を垣間見ましたか。
 現在と不変を司る私に対して、未来を見るレミリア様……面白いかもしれませんね」
「いかがなさいましたか? そんなに面白い内容が書いてあるとは思えないのですが……」
「失礼致しました。私としたことが、少々取り乱してしまいましたね。レミリア様のお気持ちは、確かに頂戴致しました」
「それでは?」
「いえ、なりません。私はまだ、迷っております。その迷いがある限り、私は里を離れる気はありません」
「迷い……ですか」
「迷いです。レミリア様は度量を示して下さいましたが、私はそれに答えるだけの準備ができておりません。
 それでもどうしてもと申されるのでしたら……」

 右の人差し指と中指を揃えて立て、自らの喉元に突きつけるお竹。
 それの意味するところを悟って、咲夜は意外そうな顔をした。

「私の信念を曲げるために、私自身を曲げてくださいませ。
 この幻想郷では、そのためのルールがあると聞いております。それでよろしいですか?」
「……弾幕ごっこで話をつけると? 失礼ですが、心得はあるのでしょうか?」
「無くは無い、ですかね。非力な女の腕ではありますが、それはそちらも同じ。条件は五分であるはずです」
「まあ、それはそうでしょうが……」

 妙な方向に話が飛んだが、腕に覚えのある咲夜としては有り難い話だった。
 お竹がどの程度の実力を持っているのかは知らないが、天狗の新聞に寄ると元々は単なる外来人だったとか。
 それならば、制圧するのも容易だろう。咲夜はそう考えた。

「いいでしょう。貴女の時は私の物……」
「あいや、待った! 待ぁたぁれぇよぉ!」

 立ち上がり、口上を述べて、さっさと終わらそうとしていた咲夜の意気を殺いだのは、人垣の外から飛んできた一つの掛け声だった。
 物凄く間抜けなアクセントで声を上げたのは、食堂の中で待機していた藤原妹紅だった。

「その勝負、少し待った! メイド長さん、お前さんはレミリアの代理で来たんだろう?」
「レミリア"様"ね。そうだけど?」
「要するに、レミリアの代理闘士なわけだ。それなら、お竹さんにも代理闘士を立ててもらうべきじゃないかな?」
「ふむ……なるほど」

 どこからかナイフを取り出して臨戦態勢に入っていた咲夜と、何故かやる気満々で三味線を構えていたお竹が矛を収める。
 まさか人里のど真ん中で弾幕ごっこを始めるわけも無いだろうが、聴衆がホッとしたのは間違いではないだろう。
 ……ちなみに、妹紅が止めなかったらそのまま始めていたのは秘密である。

「お前さんは経験豊富なんだから、お竹さんに融通を効かせる意味も篭めてさ。少し待ったらどうだい?
 それなら文句は無いだろうし、座興にもなるからレミリアも喜ぶんじゃないかな」
「確かに、こんな所でやりあうのも非常識でしたね。口添え感謝致しますわ」

 ナイフをスカートの裏側に仕舞い込んだ咲夜は、妹紅に向かって一礼すると、改めてお竹へと向き直った。

「期日は一週間……いえ、余裕を持って二週間後と致しましょうか。弾幕ごっこの会場は……」
「この近くなら、里郊外の公園でいいんじゃないかな? ギャラリーも沢山集まれるような、いい場所を知ってるよ」
「では、それで。私が勝てば紅魔館へ。私が負ければ二度と無理強いは致しませんし、お付き合い頂いたお礼も差し上げます」
「承りました。心待ちにさせて頂きます」
「こちらこそ。楽しみにしておりますよ」

 深く頭を下げたメイド長は、そのまま肩で風を切って表通りへと姿を消して行った。
 その後姿が見えなくなってからしばらくはザワザワと騒がしかった聴衆も、
 やがて興奮した面持ちでをそのままにその場を離れて行った。

 後に残されたお竹……の演技を止めた輝夜は、茣蓙や道具を片付けながら小声で妹紅に話しかけた。

「ちょっと。何で止めたのよ」
「お前、わざと負けるつもりだっただろ?」
「……分かった?」
「分からいでか。ついでに言うなら、止めた理由はお前が間違っていると思ったからさ」
「私が、間違っている……?」
「そうだ。まあ、私は私でお節介を焼きながら楽しんでるから、お前もお前で好きにしろ」


 ***


『里で評判の講談師がいるらしい』

 永遠亭の中でその噂を最初に聞きつけたのは、早耳には自他共に定評のある因幡てゐだった。
 その噂は、先日の一件以来どうしても鈴仙との距離が開きがちなてゐにとっては天啓とも言える素敵なものだった。

 あの大喧嘩……否、そんな生易しいものではない。
 あの時てゐは、本当に殺されるかもしれないと瞬間的に覚悟を決めたのだ。
 それが草食獣の本能に寄るものか、長年の経験に寄るものかは分からないが、
 とにかくてゐは家族同然と考えていた鈴仙に『死』を突き付けられたのだ。

「永琳お師匠様は、この手の事には鈍いからなぁ……。
 何か目標があったら、自分で計画を立てて、自分一人で実行して、
 自分一人で達成しちゃうような、そんなお人だよ」

 鈴仙へのアプローチもなしの礫で、てゐは完全に無視を決め込まれていた。
 最近は永琳も何か気になる事があるらしく、弟子の様子に気がつけていないらしい。
 てゐも永琳に仲立ちを頼もうとは思っていなかったし、期待もしていなかった。

「月を隠した時も、ロケットの時も、酒虫の時もみんなそうさ。
 私達は後で結果や過程の説明をされて、そこで始めて意味を知るんだよ。
 普段はそれが凄く頼もしいんだけど、今はそれが恨めしいかな……」

 少なくともてゐの評価では、永琳は『鈍い』人だった。
 もちろん、永遠亭を一括して運営しているのは伊達ではなく、兎達の人心把握能力や頭の回転は並のものではない。
 だがしかし、それらの能力と他人の心情を察する能力は別のものである。
 現に、永琳は鈴仙の心理状態を全く把握できていないではないか!

「まあ、それでも基本的に優秀な人だから、その頭で何とかしちゃうんだけどね。
 でも、今は何か気になる事まであるみたいだし……当てにはできないねぇ。
 私と鈴仙ちゃんの問題に口を出すとも思えないし……」
「私がどうかしたの?」
「!?」

 迂闊にも、ブツブツと考え事をしていたせいで鈴仙の接近に気がつけなかったらしい。
 背後からかかった声に驚いたてゐは、体を大きく震わせて、慌ててそこから飛び退いた。

「あ、あ、あ……鈴仙ちゃん?」
「何よ、そんなにビックリして。どうしたの?」
「ああいや、その……鈴仙ちゃん、今日は暇かな?」
「今日? 私はこれから薬の材料を採取に行かないといけないから、暇じゃないわよ」

 口調こそ普通の通りだが、目は笑っていない。
 それに、てゐから見て今の鈴仙はとてもではないが健康体とは言えない状態だった。

 普段以上に真っ赤な目や、所々に黒いクマの浮いた顔等もそうだが、何よりも目立つのはそのお腹だ。
 ここ最近の鈴仙は、よく食べる。それだけなら別に構いはしないのだが、
 てゐの目から見れば明らかに『食べすぎ』で、普段はすらっと細い鈴仙のボディラインをやや歪なものにしていた。
 何らかの病気ではないかと疑っているのだが、てゐにはそう判断できるだけの知識が無かった。

「材料の採取は見回りの兎達にやらせるからさ! 今日はちょっと里まで遊びに行かない? もちろん、お師匠様に許可は取って合法的にさ!」
「……何で?」
「いや、ね? この前鈴仙ちゃんに悪い事をしちゃったから、お詫びも兼ねて、なんて……」
「そんな事気にしてないわよ。それより、遊びたいなら一人で行ってらっしゃい。
 薬草の採取だって立派な修行だし、現地で処理をしないといけない品もあるからね」
「で、でもさ! 里に評判の講談師さんがいるらしくてさ! 外来人さんらしいから、いついなくなっちゃうか分からないし、今聞きに行かないと!」
「また今度ね。それじゃ、私はもう行くから」
「鈴仙ちゃ……」
「てゐ。私は今、ご飯を食べた後で機嫌がいいの。今のうちに消えなさい」
「う、ぐっ……」
「それじゃ、行ってきます。里に行くなら、姫様の様子も探って来てね。全然音沙汰が無くてお師匠様も心配しているんだから」

 嘘だった。
 少々言葉は悪くなるが、永遠亭に住む者の中で輝夜の心配をしている者は一人もいない。
 そもそも不老不死で、意味不明な程の怪力で、特殊能力も反則級のお姫様を、一体誰が心配すると言うのだろうか。
 ちゃんとご飯を食べているかとか、妹紅に襲われていないかとか、変な騒動を巻き起こしていないかとか……心配と言えばその程度だ。

 もちろん、てゐも全く心配していない。
 その姫様の様子を見て来いと言う事は、要するに『しばらく帰ってくるな』と言う意味である。

「……分かった。行ってらっしゃい」
「行って来ます。じゃあね」

 玄関を出て行く鈴仙を見送った後、てゐはその場にヘナヘナと座り込んだ。
 勇気を振り絞って鈴仙を誘った結果がこれでは、もはやてゐに打つ手は無いように思えた。

「おかしいな、どうしてこんな事になっちゃったんだろう……グスッ……グスッ 」

 誰もいない廊下に、てゐの泣き声だけが響き渡り、反響せずに消えて行く。
 しばらくはそのまま涙を流していたてゐだったが、グッとお腹に力を篭めると涙を拭って立ち上がった。

「何としても、鈴仙ちゃんと仲直りしよう。それとみんなの調子も元に戻さないとだ。
 姫様が居ないなら、私が代わりを勤めないと! じゃないと、姫様に顔向けできないからね!」

 いつになるかは分からないが、輝夜が帰って来た時に自分達の不仲を知れば、彼女はきっと悲しむだろう。
 それだけではない。鈴仙や永琳には知らせていないが、部下の兎達の精神環境も少々不味い事になってきている。
 何もかも、悪化こそすれど良くなる気配は微塵も無い。

 しかし、ここで諦めてしまっては全てが終わってしまう。
 そう考えたてゐは震える体に鞭を打って立ち上がった。


 ***


 鈴仙・優曇華院・イナバは、心身共に疲れ果てていた。
 最近は何をやっても上手く行かず、敬愛する師匠である永琳を困らせてばかりだからだ。
 掃除をすれば調度品を壊し、餅を突けば相方の手を叩き、受付をすれば患者の名前を読み間違え、弾幕ごっこでも負け越しだった。
 今日などは、精密作業中にくしゃみをしてしまい、機器の操作に失敗。貴重な薬剤をダメにして永琳にこってりと絞られてしまった。

 しかも、その永琳に暴言を吐いて以来どうにも顔を合わせ辛く、まだ謝る事もできていない。
 その怒っている永琳と顔を合わせるのが辛かったため、鈴仙は逃げるようにして行商へと出掛けたのであった。

「はぁ……。スランプなのかな。どうにかして、調子を戻さないとな……」

 ぶつぶつと独り言を呟きながら、重い足取りで竹林を歩いて行く。
 普段なら何ともない重さの薬箱が、今日ばかりは肩に食い込むように重く感じられた。

「スランプ、スランプ、スランプ……。
 本当にスランプなのかな。むしろ、今までが出来すぎていたんじゃあ……。
 お仕事だって、私が居なくてもお師匠様一人で何でもできちゃうし。……はぁ」

 深々としたため息で自虐的になりがちな思考を中断させるも、
 一緒に歩く気力まで出て行ってしまったような気分だった。
 それでも嫌がる足をムリヤリ前後に動かせば、人里の入り口がもうすぐ見える位置にまでやって来ていた。

「はぁ……嫌だなぁ。こんな気分じゃあ人と話なんてしたくないわ。
 でも、薬が売れなかったらまた帰り難くなるしなぁ……。
 いっそ、こんな薬箱なんて棄てて行っちゃおうかしら」

 もしもそんな事をしたら、もう家出をするしかないじゃないか。
 でもそうしたとしても、一人で生きていくようなツテも能力も無い、
 役立たずの自分を一体どこの誰が拾ってくれるだろうか。
 娼に身をやつすか、月に帰って罰を受けるか、地底にでも逃げるか……。

「はぁ……。本当にどうしよ、う、ん、んぐぅ!? うげぇー!」

 ネガティブ思考を続けて道端の岩に座り込んでしまった鈴仙だったが、
 唐突に薬箱を放り出して岩の後ろの茂みに飛び込むと、乙女らしからぬ音を立てて、激しく嘔吐した。
 その口から飛び出してくる未消化の食べ物の量ははっきりと異常で、
 吐いた後の鈴仙のお腹は傍目に分かるほどスッキリと凹んでいた。

「ゲホッ、ゲホッ……あはは、出て来て正解だったかな。
 こんな所を師匠に見られたら、また幻滅されちゃう……あはは」

 鈴仙は、過食症を患っていた。
 元々ウサギはストレスに弱い生き物で、鈴仙は神経が太い方ではない。
 月から逃げる時に感じた、『人間と戦争をしなければならないかもしれない』と思う恐怖と脅迫観念により発症した病なのだが、
 鈴仙はこの悪癖(鈴仙はそう考えている)の事を誰にも話さずひた隠しにしていた。

 鈴仙に自覚があり、まともな診断を求めれば、永琳はこれが摂食障害だと即座に看破して適切な治療を施すだろう。
 しかし、鈴仙はこんな欠陥を抱えた自分は永琳に見捨てられるのではないか? と考えてしまい、それを激しく怖れた。
 どうしても言い出すことはできず、その恐怖感が病を更に重くしていた。
 それでも、普段は軽いストレスを感じると食事量が増える程度で済んでいたのだが……。

「……里で、何か食べよう。お腹空いたわ……」

 朝食べた物を全て吐き出し、胃液が尽きるほどえずいてからようやく落ち着きを取り戻した鈴仙は、
 水筒の水で顔と口を軽く綺麗にしてから薬箱を背負い直した。

 懐を漁るも、財布の中には大した金額は入っていない。
 しかし行李の中に手を入れれば、そこには行商のお釣り用としてキープされている纏まったお金が入っている。
 それを躊躇い無く取り出した鈴仙は、その『一食分』のお金を硬く握り締めた。

「沢山食べて、忘れよう。そうすれば、私はまだまだ大丈夫だから……」

 病気の自覚の無い鈴仙は、そう呟いて里へと足を踏み入れた。
 食事処を探してフラフラと歩き回る鈴仙だったが、時間は昼を大きく回った中途半端な時間で、
 鈴仙が望むようなランチタイムを提供している店は、夜の営業に向けて準備中となっているのが殆どだった。

「いいところ、無いなぁ……。早く食べて、行商に行かないと……」

 血のようにドロリと濁った赤い瞳をギョロつかせて、店を眺める鈴仙。
 表通りをある程度進んだところで、道を一本外れたところに人垣ができているのが見えた。
 その中心にいるのは華やかな衣装に身を包んだ女性で、三味線のような楽器を片手に何かを演奏していた。

「……てゐの言っていた講談師かな。ああ、そういえばここは姫様が働いていた……ここでいいか」

 講談師に興味は無かったが、その講談師が舞台を開いている場所にある食堂には興味があった。
 一ヶ月と少々前、ここで食べたご飯は美味しかったし、量も多かった。
 まだやっているみたいだし、これは好都合だ。鈴仙はそちらに歩き出した。

「いらっしゃい! ……おや、あんたは輝夜ちゃんの」
「席、空いてますか?」
「空いてるよ。ご注文は何にするんだい?」
「これで食べられるだけお願いします。ご飯多めで」
「え……? ちょっとちょっと、多すぎるよ。これじゃあ十人前くらいになっちゃうよ!」
「それで食べられるだけお願いします。ご飯多めで」
「だから……」
「ご飯、多めで」
「……まぁ、いいけどね。あんた! ……お?」
「(女将に手招きをして表を指し示す)」
「……なるほど。気が利くねぇ」

 老夫婦がなにやら話をしているのを尻目に、鈴仙は適当な席に乱暴に腰を降ろした。
 釣り銭用のお金に手を出した事で、本格的に師匠に顔向けができなくなってしまった。
 しかし、もう永遠亭に戻らないと考えればそれももうどうでもいい事だ。
 むしろ、石を以て追われるくらいが丁度いいのかもしれない。

「ご飯食べたら、どうしようかな。行く当ても無いし、どこかで野宿でも……」
「おや、鈴仙じゃないか」
「ん? あ、妹紅さん。何をしているんですか?」
「仕事だよ。それより、お前さんこそ青い顔をしてどうしたよ?」
「お腹が空いているんです。ここなら沢山食べられると思って食べに来たんですけど」
「ふむふむ。じゃあ、あれが目当てってわけじゃないんだな」
「あれ?」
「そう。ほら、あれ」

 妹紅が指差したのは、やはり表にいる講談師だった。
 今は特に何か特別な劇を演じているわけではなく、その合間に行われるフリーパフォーマンスの途中らしい。
 さっきは遠目でわからなかったが、手にしている楽器は三味線ではなくギターだ。
 どこから調達したのか、座る彼女の横には小さな年代物のラジカセが備え付けられていて、軽快な音楽を流していた。

 聴衆もゆったりとリラックスした様子で、飲み物やつまみを片手に実に楽しそうにしている。
 しかし、鈴仙には単なる時間の無駄にしか見えなかった。

「興味は無いですね。そんな事よりもご飯が食べたいです」
「そう言わず、もっと近くで見てみればいい。音楽や芸術に興味を示せないのは余裕が無い証拠だよ」
「妹紅さんには関係ないでしょう。放っておいて……」

 曲の演奏を終えた講談師が、鈴仙の方を向く。
 市笠に隠れて顔は見えないが、その向こう側にある目と、目が合ったような気がした。

「あっ……」

 途端、目が離せなくなった。
 その視線に吸い込まれるような感覚を覚えた鈴仙は、自分でも気が付かないうちにフラフラと腰を浮かせ、立ち上がっていた。
 向こうもそれに気が付いているのか、鈴仙に向けてチョイチョイと手招きをする。

「料理が来るまでまだあるから、近くで聞いて来るといい」
「……はい、そうします」

 フラフラと、夢遊病患者のように人垣に近付いて行く鈴仙。
 その真ん中から、講談師……お竹の声が聞こえてくる。

「皆様、すみません。そちらのお嬢さんに道を開けてあげて下さいな。
 そう、ウサギの耳が可愛らしいそちらのお嬢さんです。こんにちは」
「こ、こんにちは……」
「始めて見るお客様ですね。私はお竹と申します。あなたのお名前は?」
「鈴仙と申します。……あの、なぜ私を?」
「そこで聞いていて欲しいからです。今から私が演奏させて頂く曲は、あなたにこそ相応しいように思えましたので」
「私に……?」
「目が合った瞬間、そう思いました。間近で声を聞いて、確信しました。
 どうもお疲れのようですね。お労しい。
 どうぞそこに腰掛けて、ごゆるりとお聞き下さい」
「……はい、分かりました」
「ありがとう。それでは、本日の題目について説明させて頂きます」

 鈴仙が最前列に腰を降ろしたのを見て、軽くギターを鳴らすお竹。
 懐からカセットを取り出してラジカセにセットすると、キュルキュルとテープが早送りされる音が響いた。

「これから演奏しますは、ここから遥か遠く、幻想郷を出て山を超えて海を渡った先にある『エゲレス』と言う国に生まれた歌です。
 これを作曲した音楽家には、家族のように掛け替えの無い友がおりました。
 しかし、度重なる不幸により彼らの絆は深く傷つき、悲しい結末を迎えようとしておりました」

 ギターの簡単な調律を終わらせて、歌うように口上を述べるお竹。
 どういうわけか、その声は鈴仙の中に優しく入り込んでくる。

「それを悲しんだ彼は、募る思いを込めてこの曲を作ります。
 友と一緒に、楽しい日々を生きて行こうと願う気持ちを、この歌に託したのです。
 ……残念ながら、彼のその試みは失敗してしまいました。しかし、その優しい精神はこの歌の中に息づいています。
 あなた方の中に、不仲になってしまった友人に心当たりのある方はおられますか?
 もしもおいででしたら、時々でいいので思い出して下さい。楽しかった日々の事を。
 お聞き下さい。『Let it be』」

 カセットから伴奏が流れ始め、それに合わせてお竹がギターを鳴らし、声を張り上げて演奏開始の合図を出す。
 音響装置も何も無いと言うのに、その声は聴衆達の耳を優しくくすぐり、意味は分からなくても耳に心地良い音楽を楽しんでいた。
 しかし、言葉の分かる鈴仙はハンマーで頭を殴られたようなショックを受けていた。

「あるがままで……」
「そう。この曲に繰り返し現れる言葉には様々な意味がありますが、『あるがままで』と言う意味も含んでいます。
 あるがままを受け入れていいのです。あなたはそのままでいいのです。心で感じてください」

 曲の間奏の合間に、講談師らしく注釈を交えるお竹。
 それを聞いて鈴仙が思い出したのは、かつて月で一緒にいた仲間達の事だった。

『And in my hour of darkness (私が落ち込んでいる時)
 She is standing right in front of me (母は私の前に立って)
 Speaking words of wisdom, (素晴らしい言葉を授けてくれた)
 Let it be. (「あるがままでいなさい」)』

 鈴仙は、月の都を守る姫君の部下だった。
 普段は名ばかりの役割だが、いざ有事の際には銃を取り、攻め入る敵を殺さねばならない。
 鈴仙は兵士であり、高貴な月の人々を守る壁であり、駒だった。
 その役割に不満は無かった。月の兎はそのような役割を担う生き物だ。

『And in my hour of darkness (私が道に迷っている時にも)
 She is standing right in front of me (母は私の行く道の先に現れて)
 Speaking words of wisdom,(心に残る言葉を授けて下さるのだ)
 Let it be. (「成り行きに任せてしまいなさい」)』

 しかし、時代が悪かった。
 彼女が訓練を受けていた当時の地球は『Cold War』と呼ばれる(日本語訳を彼女は極端に嫌う)戦争の真っ只中で、
 盛んに国と国の威信をかけた宇宙開発競争が行われていたのだ。

 政治が不安定な時、地上の民は外敵の存在を求める。
 月の都の存在がバレてしまう事態になったなら、地球の者が月に攻め入ってくるかもしれない。
 月の世論は軍拡に傾き、形骸化していた月の防衛機構としての兎達も、それに合わせて高度な訓練を受けるに至った。
 鈴仙は、その中でも特別に優秀だった。優秀だったため、事が起こった時には最前線に回されるだろうと容易に想像がついた。

『And when the broken hearted people (心傷ついたあなたに)
 Living in the world agree, (この世界で明るく生きて貰うために)
 There will be an answer: (一つの道を示しましょう)
 Let it be. (「あなたはそのままでいいのです」)』

(「私は、そのプレッシャーに耐え切れなかった。
 だから機を見て月を抜け出して、地上に降りてきたんだ。
 穢れだらけで、物騒で、野蛮な場所だけど、殺し合いをするよりは逃げ込んだ方がマシだと思って……」)

 結果的に、鈴仙は一緒に訓練を受けていた仲間と、信頼してくれていた上司を裏切った事になる。
 今でも時々、夢に見るのだ。彼女達が自分を攻め立て、逃げ出した事を激しく非難する夢を。
 その度に、かつてのように昔の仲間と一緒に笑いあう事は、もう二度とできないのだと枕を濡らしたものだ。
 鈴仙がかかっている精神病の原因も、突き詰めればここにあった。

『For though they may be parted there is (それでも別れの時は来るかもしれない)
 Still a chance that they will see (だけれどまた会える可能性があるのなら)
 There will be an answer: (きっと何とかなるから)
 Let it be.「あなたはあるがままでいなさい」』

(「私も、またいつか月の仲間にまた会えるのかしら……。
 そう言えば、私の後任の子はどんな子になったのかな。
 豊姫様も依姫様も、側近の子にはみんな『レイセン』って名前をつけるから直ぐに分かると思うけど……
 あ、そう言えば姫様も兎にはみんな『イナバ』ってつけるな。変なところで似てるんだ……」)

『And when the night is cloudy, (月の見えない不安な夜でも)
 There is still a light that shines on me, (あなたを照らす一筋の光がある)
 Shine on until tomorrow, (光よ未来に届け)
 Let it be (「あなたはあなたであって下さい」)』

(「私を照らす光。地上に堕ちて来た私を暖かく迎え入れてくれた家族。
 お師匠様、てゐ、兎達……姫様」)

 地上に堕ちた鈴仙を見つけたのは、月の動向を警戒していた永琳だった。
 鈴仙を月からの追っ手かもしれないと警戒していた永琳は、後腐れ無く鈴仙を殺すつもりだった。
 それも仕方の無い事。元・月の賢者に処分されるのなら本望、何かを殺して罪を背負うよりはずっとマシ……
 そう覚悟を決めた鈴仙を拾い上げたのは、輝夜だった。

『別にいいじゃない永琳。この子を持ち帰りましょう』
『姫、そのようなわけには……』
『永琳、あなたはそう、少しばかり考えが硬すぎる……なんてね。
 大丈夫よ。この子は臆病な子だから、私達が拾ってあげないと死んじゃうわよ』
『月の兎は戦闘兵器です。臆病などと言う事はありえませんよ。やはり処分しておくべきです』
『いいから、いいから。仮に害意があったとしても、それで私達をどうにかできるの』
『それは……まあ、そうですけど』
『何か名前をつけないとね。あなたのお名前は?』
『えっと……レイセン、です』
『イナバね。これからよろしくね、イナバ!』

 その日から、『レイセン』は『レイセン・イナバ』になり、後に永琳が手を加えて『鈴仙・優曇華院・イナバ』となった。
 最初は随分と長ったらしい名前になったものだと思ったが、直に慣れた。

(「笑っちゃうな。昔っから姫様はずっと変わっていないんだ。……姫様に会いたいなぁ」)

『I wake up to the sound of music (耳の賑わいと共に目覚める事ができたなら)
 Mother Mary comes to me (母は私の中に降り立って)
 Speaking words of wisdom, (素敵な言葉を残してくれるだろう)
 "Let it be." (「それでいいのです」と)』

 そう言えば、朝起きた時に鳥の囀りを意識したのは、いつが最後だったか。
 兎達が歩き回る音も、朝の厨房から聞こえてくる音も、竹を鳴らす風の音も、たまに一緒に寝落ちする師匠の寝息も。
 何もかも、意識の外に弾き出してしまっていたような気がする。
 鈴仙は自分にどれだけ余裕が無かったかを、漸く意識した。

 歌を聴きながら、恥も外聞も何も無くポロポロと涙を流す鈴仙の意識は、更に深く沈んで行った。
 自分で思っていた以上に疲弊しきっていた精神が、休息を求めているのだ。
 しかし、いつものように悪夢を見る予感はしない。心地よく眠れるような気がする。

『Let it be. (あるがままでいなさい)
 Let it be. (あなたはそのままでいなさい)
 Let it be. (成すがままでいなさい)
 Let it be. (成り行きに任せてしまいなさい)
 Whisper words of wisdom: (さあ、ご一緒に)
 Let it be. 』

「Let it be……」

 その額の上に暖かい手が置かれ、頭に柔らかいものが当てられたような気がした。
 何だろう、と思って重い瞼に鞭を打って上を見上げてみれば、
 そこには優しげな表情で自分の顔を覗き込む輝夜の姿があった。

(「あ、姫様だ。元気にしてるみたい」)

 無意識のうちに軽く寝返りをうった鈴仙は、心の赴くまま輝夜の柔らかい膝に頬を摺り寄せた。
 額に当てられていた手はいつの間にか鈴仙の頬へと当てられていて、顔全体をポカポカと暖めてくれている。

(「姫様の匂いだ。落ち着くなぁ……あれ?」)

 気が付けば輝夜の姿は消えて、鈴仙は闇の中に一人で立っていた。
 右も左も分からずにオロオロとしていると、自分とそっくりな格好をした一匹の月兎が横を通り過ぎて行った。
 いや、そっくりなのは服装だけだ。髪は自分よりもずっと短いし、更にへたれな印象を受ける。自分と同じように苦労していそうだ。
 でも、あれは誰なのだろう。そう思ってぼんやりとその月兎を眺めていると、彼女は闇の向こうへと走り去って行った。
 その向こう側に居たのは……

(「依姫様!?」)

 かつて月に居た頃の直属の上司、依姫その人だった。
 その依姫は先ほどの月兎が駆け寄って来るのを見て軽く笑顔を見せると、彼女を抱き止めて頭を撫でた。

(「ああ、あれが今の『レイセン』なんだ。依姫様、幸せそうだなぁ。地球との戦争は回避されたんだな」)

 続けて闇の奥から現れたのは、こちらは見覚えのある月兎達だった。
 メガネをかけた気弱そうな子や、活発そうな単発の子などなど、どの子も鈴仙の元・同僚達だった。
 誰も彼も、幸せそうに笑いあっている。

(「私も、昔はあそこに居たんだ。でも、それを捨てて地球に堕ちて来て……帰りたい、のかなぁ」)

 いや、そんな事は無い。
 鈴仙が闇の中を振り返ると、そちらには永琳が居た。
 永琳だけではない。てゐが居て、兎達が居て、おチビちゃん達が居た。

(「今は、こっちが私の家だ。だから、帰ろう」)

 チラリと後ろを振り返ると、依姫達が手を振ってくれているのが見えた。
 例え夢の中の話……そう、これは夢なのだ……だとしても、たったそれだけの事で、鈴仙は救われたような気がした。

(「みんな、逃げてごめんなさい。でも私は地上で生きていきます。
 地上は穢れに満ちているからみんなより先に逝く事になると思うけど、私は元気に生きて見せるから……」)

 手を振る仲間に別れを告げて、家に帰るべく闇の中へと足を踏み入れる鈴仙。
 その耳に、誰かの言葉が流れ込んで来る。

『それでいいのよ。あなたは大丈夫。
 あなたは臆病だけど、同じくらい優しくて強い子だから。
 あなたの優しさで、永琳を助けてあげてね……』

「姫様!?」
「うわぁっと!?」

 慌てて飛び起きると、そこには見慣れない天井があった。
 辺りを見回すと、飛び起きた鈴仙の頭突きを紙一重で回避した姿勢のまま固まっている妹紅と目が合った。

「夢……?」
「お、おはよう。随分と熟睡してたみたいだけど、いい夢は見れたのかな?」
「あ、妹紅さん。えっと、ここは?」
「食堂の奥にあるお座敷だよ。女将さんにお願いして運び込ませて貰ったんだ」
「そ、そうだったんですか。ありがとうございます。えっと……そうだ! あ、あの、妹紅さん! あの講談師さんは?」
「帰ったよ。お前さんによろしくってさ」
「そう……ん?……妹紅さん、今何時です?」
「大体、昼の四時くらいかな」
「た、大変! 早くお得意様回りをしないと! こうしちゃいられないわ!」
「待った。食事はいいのか?」
「あ、う、それは……あんまりお腹も空いてないし、いいかな、なんて」
「ダメだダメだ、何か食べて行け。じゃないと途中で倒れるかもしれないぞ」
「うー……分かったわ」
「と言うわけで、ほれ」

 妹紅が取り出したのは、小さな風呂敷包みだった。

「これは?」
「お弁当だ。途中で適当に食べるといい。貰い過ぎていた料金も入れてもらったよ」
「ありがとうございます! それじゃ、私はこれで!」
「おう、張り切って来なよ」
「はい! ……あっ、そうだ! 妹紅さん、さっきの講談師さんにお礼を言っておいて貰えますか?」
「ああ、伝えておこう」
「それでは、また!」

 行李を背負い直して、釣り銭をしっかり仕舞い込んだ鈴仙は、しっかりと足を踏みしめて歩いていった。
 食堂に入って来た時の、人生に思いつめたような表情は鳴りを潜めていた。
 もちろん、またストレスが溜まれば再発の恐れはある。しかし、今の鈴仙は元気を取り戻していた。

「根本的な解決は、本人がどうにかするしか無いんだ。そうだよな?」
「そう言う事。私にできるのは、こうやって少しだけ背中を押してあげるだけよ」

 座敷の更に奥、死角になる場所から姿を現したのは、市笠を脱いで変装を解いた輝夜だった。

「お礼だってよ」
「悪い気はしないわね。あれならもう大丈夫でしょう」
「そうだな。それで?」
「間違いの意味は分かったわ。永琳ったら、不甲斐ないんだから。でも、これ以上私の手が必要かしら?」
「別れくらい告げて来たらどうだ? どれくらい永遠亭を離れるつもりなのか話していないんじゃないか?」
「んー……まあ、それもそうね。軽く10年くらい留守にしようと思ってたんだけど」
「やめてやれ、永琳が泣くぞ」
「それはそれで見てみたいんだけどね。ま、いいでしょ。一度戻りましょうか。
 表と出るか、裏と出るか。全ては永琳次第よ」


 ***


「地上の兎、全員集合!」

 鈴仙が出かけて行った後、てゐは永遠亭に住む兎達を全員呼び出しての緊急会議を開いていた。
 基本的にゆったりまったりと暮らしていて、戦闘隊長の鈴仙や永遠亭を取り仕切る指導者である永琳の命令もあんまり聞かないる兎達だが、
 最年長者で群れの長でもあるてゐの命令は絶対で、号令一発ですぐさま集まってくる。

 てゐがこの会議の会場に選んだのは、永遠亭から少し離れた所にある大きな広場だ。
 ここはてゐ達が永遠亭で暮らし始める前からずっと使っている広場で、見通しが良く他の動物達のテリトリーからも外れているいわば『安全圏』だ。
 『永遠亭の勢力圏内』と言っても良く、危険が多い迷いの竹林の中でも、比較的安心して兎達が集える場所なのだ。

 とは言え、警戒は必要だ。

「会議の間、周囲の警戒はよろしくね」
「はっ! 鈴仙隊長が居ない穴は我々が埋めますので、ご安心下さい!」
「うん、いつも通り頼むよ」

 てゐが声をかけたのは、永遠亭の中でも戦闘に従事する戦士階級の兎だ。
 鈴仙の下で副隊長を務めるその男性兎は、竹製の弓と大鉈、そしてレザーアーマーで武装した歴戦の勇士だ。
 身長の低いてゐからは見上げるような体格を持つその姿は、人間の侍と比べても遜色が無いほどに様になっていて、
 彼に任せておけば万事大丈夫だろうと思わせるような風格があった。
 名前を土蘭(どらん)と言い、てゐの懐刀の一人だ。

 彼の難点と言えば、そのゴツい装備と、彼の頭から生えているぽふぽふの兎耳が壮絶に合わない事だろう。
 隠す事もできるのだろうが、そうすると聴力まで落ちて甚だしく不利になるため、他の戦士達も全員兎耳だ。ぽふぽふ。

 今でこそ月で正規の訓練を受けた鈴仙が戦闘隊長を勤めているが、彼女が来る前は彼のような生え抜きの戦士達が永遠亭を守っていたのだ。
 竹林の中では、かの天狗の兵士ですら彼らには苦戦する事だろう。
 その歴戦の戦士達が巡回を始めたのを確認し、てゐは広場の中心にある壇上へと上がった。

「……さて、今日集まってもらったのは他でもない。今の永遠亭についてだよ。
 みんな既に知ってると思うけど、姫様が居なくなってからの永遠亭はどうも妙だ。
 永琳様は何か気になる事があるみたいで研究室に篭ってるし、鈴仙ちゃんはちょっと精神が不安定になっているみたいなんだ。
 子供達は不安がっているし、もこたんの襲撃も無い。
 ……まあ、もこたんの襲撃は無い方がいいんだけど、ちょっと良くない傾向だよね。
 だから、私達でどうにかしようと思ってるんだ。みんなも手伝ってくれないかな?」
「あのー、それについてなんですけど……」

 兎の一匹が、恐る恐ると言った調子で手を上げる。
 誰かと思ってみてみると、それは先日子兎達と一緒に姫様の部屋で寝ていた桔梗と言う名の兎だった。
 その後ろでは、別の兎達が彼女の背中を視線で押して援護しているように見えるため、
 どうやら彼女個人の意見だけではなく、ある程度の総意として矢面に立っているらしい。

「何でもいいよ。言ってみて」
「はい。えっと、永琳様達が落ち着かれるまで、しばらく永遠亭を空ける事はできないかな……と」
「……そっか、その選択肢が出ちゃうんだ」
「?」

 てゐの呟きの意味が分からなかったらしく、桔梗は小首を傾げて疑問顔になった。
 しかし、てゐがその意味を説明する気が無いらしいと見て取ると、気にしない事にしたらしく言葉を続ける。

「今の鈴仙様はとっても怖いです。申し訳ないとは思うのですけど、近寄りたくありません。
 永琳様もそうです。お仕事はいつも通りされているんですけど、大声を出す事が普段より多くて、ビックリしてしまう事もしばしばです。
 どうにも、永遠亭全体がピリピリしているような気がします。外来の患者さんも少し減ったような気もします。
 子供達の事や、特別臆病な子の事を考えますと……」
「でも、私達が全員居なくなったら、お師匠様達は困っちゃうよね。それはちょっと嫌だなぁ」
「そうなんですよねぇ。こう言っておいて何ですけど、永遠亭は私達の家ですから、出て行くのは躊躇われます。
 ……姫様がお帰りになられたら、改善されるのでしょうか?」
「あんまり関係ない気がするよ。姫様が居なくなった件は単なるきっかけで、今まで先送りになってた問題が一気に噴出して来ただけなんだと思う。
 だから、これは姫様に頼る問題じゃなくて、私達自身が解決しないといけない問題なんだ。
 具体的にどうって分析はできてないけど、住環境が悪くなったから出て行きますって言うのはあまりにも不義理じゃないかな?」
「では、どうされるのでしょう?」
「まあ、その見解をみんなにも聞こうと思ってね。他に意見のある人は?」

 てゐが水を向けるとポツポツと手が上がり、小さな声での議論が活発に起こり始めた。
 どれもこれも、現状を憂いているけれどどうしようも無く困っているというものばかり。
 中には、逆に永琳と鈴仙が頭を冷やしに出て行くべきだと言うような過激な意見も聞こえてきた。

 てゐとしては、頭が痛いところだ。
 てゐが最重要として位置づけているのは、もちろん一族の繁栄だ。
 外敵の多い幻想郷の兎達は、昔から苦しい立場に置かれる事がとても多かった。
 今でこそ永琳と言う大きな後ろ盾を得て安住の地を手に入れる事ができているが、
 その永琳が調子を崩しているとなると、群れの指導者としては少し身の振り方を考えなければならない。当然の話だ。

 しかし、永琳との付き合いの長いてゐは、どうしてもそれを割り切れないでいた。
 議論がある程度落ち着くのを見守って、てゐは手を叩いて全員の注目を集め直した。

「はいはい、こっち注目。大体みんなの意見は分かったよ。厳しい意見とか、辛い意見とか色々あったね。でも……」
『敵襲! 敵襲! 総員迎撃体制!』

 てゐが自分の考えを語ろうとした瞬間、突如として広場に鋭い声が響き渡った。
 見張りに立っていた戦闘部隊の兎が、敵対的な肉食獣の気配を敏感に察知。即座に伝達をしてきたのだ。
 それに応じて、広場で待機していた戦闘部隊の兎も武器を片手に竹林の中へと入って行き、周囲は俄かに騒がしくなった。

「ちっ、せっかく人がいい事言おうとしていた時に! 全員迂闊に動くんじゃないよ!
 この広場から出る方が危険だよ! 女と子供を囲って真ん中に集まるんだ!」

 壇上にいるてゐが、動揺する非戦闘員の兎を強く鼓舞する。
 地面に穴を掘って隠れようとしたり、広場の近くにある岩場に身を潜めようとしていた兎達はそれで踏みとどまり、てゐの指示に従って広場の中央へと集まった。
 それと時を同じくして、弓と鉈を持った軽装の兎が竹林の中から飛び出して来る。土蘭だ。彼は優秀な斥候でもある。

「状況報告!」
「報告致します! 目標は単体、熊です! 全長4m、体重2.4tほどと極めて巨大な固体ですが、
 妖怪化しているため、妖獣基準で考えれば標準的な大きさでしょう。
 戦場からの距離はここからおおよそ250mほどで、巡回中に遭遇した部隊が応戦しています。
 どうも腹を空かせて激怒しているらしく、大きな音や牽制を物ともせずこちらに進軍中。おおよそ5分ほどでこちらに到達するかと」
「勝算は?」
「タフな敵ですが、問題ありません。知能の低い低級妖獣ですからね」
「ふむ……」
「今のうちに退避されては如何でしょうか? 今は抑えておりますが、敵は脇目も振らずにこちらに向かってきております。ここに留まるのは危険かと」
「そうだな……いや、待った」

 土蘭の進言はもっともで、理に叶っている。
 てゐの一喝により兎達の動揺もさほど無いため、避難は簡単に行えるだろう。
 だが、てゐには腑に落ちない事があった。

「……その熊だけど、こちらに一直線に向かってきているで間違いないんだね?」
「はい、その通りです」
「こちら側に、何か奴の気を引くような何かがあると思うかい?」
「我々……ではないのですか? 熊は兎を食べます」
「こっちは風下だよ。戦士隊が気が付いたのも、敵の匂いを嗅いだからだろう。
 じゃあ、何でこっちに向かってきている?
 知性の低い妖獣が暴走するのは良くある事だけど、そのスタンピードがたまたまこっちに向いていただけかな?」
「考え過ぎではないでしょうか?」
「……いや、私はこんな状況に覚えがあるんだよ。あんたは足に自信があったね?」
「永遠亭でも一番を自認しております。走りだけなら天狗にも負けません」
「よし。私はここで警戒をしているから、部下を連れて今から言う場所を見てきて欲しい。
 鼻の鋭いのと、長柄の武器を持っているのと、声が大きいのを最低一人連れて行け」
「? 了解致しました」
「十分に注意しろ。私は敵がいると睨んでいる」
「はっ!」

 てゐが指示を出したのは、永遠亭とこの広場の間にある小さな丘だった。
 その丘には大きな岩がいくつか鎮座しており、他の場所よりも微妙に視界が悪いのが特徴だ。
 普段は子供がかくれんぼをして遊ぶような場所なのだが、それはつまり、何かが潜むにも丁度良いと言うことだ。
 てゐはそこに何かがいると踏んで、土蘭に偵察を命じたのだ。

 土蘭が仲間を連れて広場を出発してから、少し。
 彼ら斥候部隊が向かった方角から、突如として警告を発するウォークライ(雄叫び)が発せられ、
 それに駆り立てられるように別の異変が広場に飛び込んできた!

「てゐ様! 本当にいましたよー!」
『コーン!』

 それは、全長3mほどはあろうかと言う、一見すると狼と見間違わんばかりの巨狐だった。
 全身には無数の矢が突き刺さり、背中には一本の槍が突き刺さっている満身創痍の状態だったが、それでも足の速さは変わらない。
 微妙に毛並みの悪い二本の尻尾を揺らしながら広場に駆け込んできたソレは、中央で固まっている兎達の集団へと殺到した!

『チクショウ、ナゼバレタ! ナゼワカッタノダ!』

 熊は、この狐がけしかけた囮だったのだ。
 兎達に敵わないと知っていた狐は、熊妖怪を存分に挑発してから一方向に誘導し、広場へと導いていてから身を隠していたのだ。
 本来の計画としては、その熊に怯えた兎達が永遠亭へと避難するところを横から襲い、今晩の晩飯にありつこうとするものだった。
 しかし、そうやって皮算用をして舌なめずりをしていた所を発見され、完全武装した戦士達に追い立てられたのだ。

 永遠亭で一番を豪語する土蘭の足は確かだったようで、逃げ出そうとした狐はその逃亡を悉く阻止され、無用な負傷を繰り返していた。
 それでも何とか戦士達の包囲網を突破して広場へと駆け込んだ狐だったが、その前に立ちはだかったのはてゐだった。

「甘い甘い! このてゐ様を相手にしようだなんて1000年早い! 神話の時代から出直して来なよ!」
『チビノクセニ生意気ナ! セメテガキノ一匹クライ頂イテ行カネバ、腹ガ収マラヌ!』

 策……とも言えないような杜撰な計画を看破された狐は、牙を剥いててゐに挑みかかる!
 ここでてゐを倒すか通過するかすれば、美味しいご飯を幾つかピックアップして逃げられるとの算段だ。
 どうせ普通に逃げても、土蘭の足と弓からは逃げられない。それなら偉そうなチビを倒して場を乱し、ドサクサに紛れて逃げる!
 これならお肉も手に入って一石二鳥だ! 俺様天才! ……と、狐は意気込んだ。

「甘いって言ってるだろ! スペルカード発動! 兎符『フラスター・エスケープ』!」

 そうはさせじと、迎え撃つてゐはスペルカードを発動させて軽快なステップを踏み始める。
 発動させたのは脚力を上昇させるスペルで、文字通り跳んで逃げるのを主な目的として使われるものだ。狐もそれを読み取り、呵呵と笑った。

『口ダケ達者ダナ! 逃ゲルカ!』
「そりゃあ逃げるさ! ……前にね!」

 助走をつけててゐに飛び掛った狐に合わせて、てゐも力強く地面を蹴り、その懐へと飛び込んで行く。
 スペルカードまで使用して脚力を上昇させたてゐの踏み込みは凄まじく、狐の予想を遥かに超える速さで彼の攻撃範囲を通り過ぎて行く。
 爪も牙も、腹の下には届かない。

 しまった! 狐がそう思った瞬間、てゐは流れるような動作で狐の腹部へ蹴りを叩き込んだ!

『ズドン!』

 水の詰まった肉袋をハンマーで強打するような鈍い音が広場に響き渡り、狐の目がグルンと反転する。
 かと思えば、狐の背中に生えた槍がまるでポンプに押し出されたかのように内側から押し抜かれ、その傷口から吹き出した血を浴びて赤く染まった。
 突進の勢いと、自身の突撃力と、スペルカードの援護を全て上乗せされた蹴りは狐の内臓を須らくぶち破り、一撃で致命傷を与える事に成功したのだ。

 正しく鎧袖一触。追っ手に追われて冷静さをと体力を殺がれた狐と、大胆不敵なカウンターを冷静に決める事ができたてゐでは、最初から勝負にならなかったのだ。
 そして、それだけの衝撃を与えながらもてゐの足はなんとも無い。スペルカードの効力が足を守ってくれたのだ。

「本来は遊びのためのカードだから、実戦ではあんまり使いたくないんだけどね」

 口から血の混じった泡を吹きながら白目を剥く狐は、しばらくビクンビクンと痙攣していたが、やがて動かなくなった。
 時を同じくして、竹林の中で何か大きなモノが倒れる音と、勝利の雄叫びを上げる戦士達の声が聞こえて来た。別働隊も熊をしとめたらしい。
 それでも警戒を解かずにしばらく周囲に気を巡らせていたてゐだったが、喜びに沸き立つ戦士達に周囲の警戒を更に続けるように指示を出してから、漸く一息をついた。
 そのてゐの元にそのてゐの元に戻って来た土蘭は、ペコリと頭を下げた。

「申し訳ありません。狐めを取り逃がしてしまいました」
「いや、よくやってくれたよ。お陰で楽に迎撃できた。ご苦労様」
「ありがとうございます。しかし、何故お分かりになられたのですか?」
「経験と、観察と、冷静な判断だよ。だっておかしいじゃないか。
 知性が低くて探知能力も低い熊が、風下にいる私達を見つけて、しかも脇目も振らず直進するなんてさ。
 そこに誰かの悪意を感じたんだ。それだけだよ」
「なるほど……」
「あの熊には可愛そうな事をしたとは思うけど……まあ、この場合は騙される方が悪いかな。あんたもこう言った囮戦法の事は覚えておきなよ」
「肝に銘じておきます。しかし、我々だけでしたら、この狐めの策略にまんまと引っかかっていたでしょう。てゐ様の手腕には関心するばかりにございます!」
「いやいや、私の指示をきちんと理解して、みんなが働いてくれたお陰だよ。そうじゃなければ、こんな風に一族で集まるなんて事もできない……あ、そっか」
「? どうされました?」
「いや、何でもないよ。それより、熊や狐の血の匂いに引かれて他の奴が集まってくるかもしれない。早いところ処分しちゃわないと」
「それもそうですな。折角ですし、解体して里で売ろうかと思うのですが、どうでしょう?」
「妖獣の肉は精が付くって言うしね。私達は食べないけど、肉食の奴らなら高く買うと思うよ。人間も含めてさ」
「では、その線で。失礼致します」

 意気揚々と去って行く土蘭と、その向こう側で傷の手当てをしている戦士達を眺めながら、てゐは一つの確信を持っていた。

「……こうして外敵と戦えるようになったのも、全部教育のお陰なんだよね。
 戦士達はまともな医学を学んでいるし、武器も使えるし、そもそも集団で戦うなんて……。
 うん、やっぱりお師匠様には感謝しないといけないな。そうと決まれば、よし!」

 再び壇上に上がったてゐは、漸く緊張が解けてホッと一息をついている非戦闘員の兎達に向かって声をかけた。

「みんな、今のは見たね! こうやってみんなで集まって話したり、やって来た外敵を打ち倒したりできるのはみんなお師匠様から知恵を授けて頂いたからなんだ!
 私だって、スペルカードを使えるくらいまで成長したのはお師匠様のお陰だって思ってる。文字だって読めるし、家もある! 全部教育のお陰さ!
 今私達が直面している問題ってのは、その知恵に必ずついて回る余分な苦労だよ。お師匠様から頂いた智恵の果実の代償さ。
 だけど、苦労と一緒にそれらを投げ捨てるのはみんな嫌だろう?」

 互いに顔を見合わせて、頷きあう兎達。

「だから、恩返しのつもりで何とかしよう。
 お師匠様や鈴仙ちゃんの調子が悪いなら、私達は影から支えてあげようじゃないか。だって、みんな家族じゃないか!」

 てゐの一番の目的は『一族の繁栄』だ。
 しかし、いつの間にか永琳や鈴仙も『一族』の中に入ってしまっていたのだ。
 相手が大き過ぎて(特に永琳)今まではそれに気が付かなかったてゐ達だったが、そうと理解すれば話は早い。

「そうだなぁ……。よし、今日の勝利を祝って近いうちに宴会を開こう! 私達で永遠亭を盛り上げるんだ!
 戦いが終わった後は、あんた達の仕事だ! 張り切って行くよ!」
『はい!』

 非戦闘員兎達の力強い返事を聞いて、てゐは満足気に頷いた。

「そうなると、この収穫のインパクトは使えるね。派手に演出しようか」


 ***


「……No.115、失敗。味噌と塩の割合が不適切。少々塩っ辛い。
 No.116、失敗。出汁が染み込みすぎていてクドイ。
 No.117、失敗。葱の味がキツイ……ふぅ」

 お玉とスポイトを放り出して、永琳は椅子にドッカリと座り込んだ。
 その永琳の目の前には、小さなコンロと鍋が我が物顔で机の上を制圧しており、味噌の煮える良い匂いを辺りに振りまいていた。
 机の周囲にはどこから仕入れて来たのか、米や味噌、醤油に豆腐や葱と言った大量の食材が所狭しと並べられており、足の踏み場も無い。
 本来は薬剤を調合するはずの研究室は、台所と言う名の戦場へと変貌を遂げていた。

「……輝夜、貴女の言う通りだったわ」

 輝夜が出て行ってから、おおよそ三ヶ月。
 その間、何かいつもとは違う事をやってみようと考えた永琳は、
 普段は輝夜が作っていたらしい……全く知らなかった……料理を自分で作ってみる事にした。
 それだけではなく、絶対の自信を持っている舌と薬師としての腕前を使って、『いつもの味』を再現してみようと試みたのだ。

 しかし、その結果は惨敗。
 品目を味噌汁一本に絞った上で、百を越える試行回数を経てなお、思ったような味にたどり着く事ができないでいた。

「私には、料理の才能は無いみたい。あるのは、長年培ってきた調合の腕だけって事かしら」

 いつ言われたのかは思い出せないが、永琳は『料理が下手』と輝夜に断言されてしまっている記憶がある。
 今までは一切気にする事は無かったが、こうして自分で試行錯誤を繰り返していると、その意味がおぼろげながらも理解できた。

「匙を取れば、0.1gの誤差も無く狙った通りの量の塩が取れる。
 お玉を使えば、水量に対して適切な量の味噌を取れる。
 菜箸を使って完璧なタイミングで出汁を取り出す事もできるし、風味を損なわない食材の切り方も知っている。
 理論は完璧。技術も完全。だけど、何回作っても、何回作っても、毎回同じ味……」

 薬師としての腕が災いしているのか、永琳の作る料理は毎回毎回必ず同じ味になってしまうのだった。
 もちろん、調味料や出汁にバリエーションを持たせる事によって味を変える事はできる。
 しかし、それはあくまでも『予定していた味を予定通りに出している』だけに過ぎず、永琳が求めているそれとは全く違っていた。

「まるでレトルト食品を自作しているみたい。人が作った料理ではないみたいだわ。
 味は悪くないと思うんだけど、それだけ。栄養を取るだけなら栄養剤でも点滴した方が効率的でしょうね……」

 机に突っ伏して、深く深くため息を付く永琳。

「輝夜は、どうやっていたのかしら。全く分からないわ。
 ……今日はこれくらいにしておきましょうか。しばらくお味噌汁は飲みたくないしね」

 大きく伸びをして調理器具を片付けた永琳は、本来の仕事を果たすべく研究室を抜け出して、製薬所へと足を向けた。
 中と外を隔離するための大扉を開き、軽く手を洗っていると、誰もいないと思っていた中に気配があるのを感じた。
 そちらに視線をやると、へにょりとした白いうさみみが二本ほど見えた。鈴仙だった。
 入り口に背を向けて座っている鈴仙は永琳が入って来た事に気が付いていないらしく、装置を片手に何やら悪戦苦闘をしている。

「……よし、できた! 何だ、こんな簡単な事だったのか……。今まで苦労してたのは何だったんだろう」
「何かは知らないけど、おめでとう。でも戻ったのならきちんと挨拶なさい」
「あ、お師匠様。戻ってますよ~」
「軽いわね。それで、今日こそはお薬をちゃんと売ってこれたかしら?」
「はい! 今日は凄かったですよ、これ見て下さい!」

 鈴仙が差し出した巾着袋の中には、薬の売り上げ金がどっさりと入っていた。
 よくよく注意して見て見ると、部屋の隅に置いてある薬を入れる行李も空の様子で、中身を補充するためか引き出しが全部外に出されていた。

「凄く売れ行きが良くて。殆ど完売しちゃいました!
 やっぱりこれも、お師匠様が手がけるお薬の品質あってこそですよ!」
「そ、そう?」
「はい、お受け取り下さい。私の売り上げ最高記録ですよ!」

 妙に上機嫌な鈴仙は、満面の笑みで巾着袋を永琳に差し出した。
 中身をきちんと確認してみると、確かに行李の中身を全部売り切ったくらいのお金が入っていた。
 疑っていたわけではないのだが、こうして分かり易い証拠を見せられるとやっぱり驚いてしまうわけで。
 また空手で戻ってきて、小言を言わなければならないかもしれないと身構えていた永琳は、
 肩透かしを食らったようにテンポをはずされてしまった。

「それと、お師匠様。この前はすみませんでした。自分の不注意を逆切れで誤魔化したりして……」
「あ、ああ、そうね。でも、あれは私の監督不行き届きでもあるわけだし……」
「なので、こんなものを作ってみました。我ながら上手く行ったと思うんですけど、どうでしょう?」

 鈴仙が指し示したのは、小さな瓶の中に詰められた少量の錠剤だった。
 永琳が蓋を開けて中身を検分してみると、それは以前に作りかけて止めた、殺鼠剤の完成品だと分かった。
 瓶には詳細なレポートも添えられており、しばらく研究を続ければ十分に実用段階まで持っていけそうなほどのデータが揃っていた。

「何度か試行錯誤はしていたのですけど、今日になってようやく形になりまして。どうぞお受け取り下さい!」
「これは……凄いじゃない優曇華! これを一人で作ったの?」
「はい。お師匠様に喜んで貰えるかなって思って……」
「……」
「あの……許して、もらえますか?」
「……もう、仕方の無い子。調子を崩していたと思ったら、こんな風に私を驚かせるなんて」
「えっと……すみません」
「謝る事は無いわ。あなたにできる事、できない事を見極めるのは、本来私の役目。
 それを無視してあなたを詰った私にこそ非があるわ」
「そんな! 私のミスは私のものです! お師匠様に渡すつもりは毛頭ありませんよ!」

 慌てて両手をパタパタと振り、永琳の言葉を否定する鈴仙。
 その様子が妙に面白くて、永琳は軽く噴き出してしまった。

「ぷっ……! 何よ、それ。汚名挽回とでも言うつもり?」
「返上する名誉はありませんけど、汚名は幾らでもありますからね!」
「そんなに自分を卑下しないの。……そうね。折角だし、何かご褒美をあげましょうか。何かあるかしら?」
「え、いいんですか?」
「もちろんよ。何でも言って御覧なさい、ブラジャーからミサイルまで何でも揃えてみせましょう」
「あ、それなら! 一つだけお願いがあります!」
「ん?」
「永遠亭にお招きしたい人がいるんですけど、どうでしょう?」
「別に構わないけど、それはどんな人?」
「今、里で評判の講談師さんです。とてもお世話になったので、お礼代わりに招待したいなって思いまして……」
「講談師さん、ねぇ……」
「凄く歌が上手い人なので、お師匠様と一緒に聞けたらなって。どうでしょうか?」
「まあ、いいでしょう。来て頂けるのなら、是非とも招待なさい。
 私も私で、ちょっとした気分転換が必要だとは思っていたのよ」
「やった! ありがとうございますお師匠様!」
「期待しておきましょうか。じゃあ、招待状を書かないとね……」

『ウォォォォォォォォォ!』

「な、何事!?」
「これは戦闘部隊のみんな? どうしたんだろう?」

 突如として、永遠亭の外から力強い雄叫びが聞こえて来た。
 ビックリした二人が外に出て見ると、兎達が永遠亭の横にある空き地へと巨大な肉塊を運び込んでいるところだった。
 その巨大な肉の山脈の上で、扇を両手に持って音頭を取っていたてゐは、二人を見つけてピョンピョンと飛んでアピールをした。

「あ、丁度良いところに。お師匠様、鈴仙ちゃん、ヤッホー」
「ヤッホー……はいいのだけど、この騒ぎは何事かしら? 酷い臭いじゃない」
「襲ってきた妖獣を撃退したんですよ。あっちの狐は、熊をこっちけしかけて来た黒幕ね。これから解体して里で売る予定だよ。別にいいでしょ?」
「まあ、いいけど……」
「へぇ、熊と狐が倒せたのね。凄いじゃない。私も手伝うけどどこに行けばいい?」

 半ば呆然としている永琳を傍目に、場にあっさりと順応した鈴仙は袖をまくっててゐの前に出た。

「おや? 鈴仙ちゃん、機嫌直ったの?」
「? 何のこと?」
「……自覚無いのか……。ちぇっ、私が鈴仙ちゃんを元に戻して、恩を叩き売ろうと思ってたのに。
 どこの誰だろう。余計な事をしてくれたのは~」
「だからなーにー? お肉の上から降りてきて、地面の上で喋りなさい!」
「まあ、いいか。鈴仙ちゃん、奥の方で土蘭が大鉈振るってるからそっちの手伝いをよろしく!」
「誤魔化して! ……まあ、分かったわ。あ、お師匠様。獣の脂はどうします?」
「え? ええ、そうね。使い道は豊富にあるから、ある程度残して冷凍しておいて頂戴。
 特に妖獣の血は魔術的な触媒に使えるから、心臓に近い部分のだけ少し残しておいてね。後で魔法使いにでも売りましょう」
「分かりました。それじゃあお師匠様、また後で!」
「ああ、うん。……しかし、派手にやったわね。あの狐の死因は、察するにあなたの蹴りかしら?」
「はっはっはー! 黄金の右足を見せ付けてあげましたよ!
 で、今回の勝利を祝って宴会を開こうかと思ってるんですけど、どうでしょう?」
「いいんじゃないかしら。ちょうどいいし、鈴仙のお願いも一緒に叶えてしまいましょう」
「鈴仙ちゃんの? どんな?」
「里で評判の講談師さんにお世話になったから、呼んでお礼をしたいんですって。
 それだったら宴会のメインとして呼んで、お仕事をお願いした方がいいでしょう」
「ん、そうだね。……そうか、鈴仙ちゃんを助けてくれたのはその人か」
「優曇華を助けた?」
「何でもないよ。じゃ、私も解体作業に参加してきますんで!」
「はいはい、頑張ってね」
~お詫び~
前後編に分けるだけの予定だったのですが、容量の問題で前中後に分けないと投稿できない様子でしたので、そうする事にしました。
そそわって容量制限あったんですね。知らなかった…… (´・ω・`)
そのせいで区切りが少々中途半端ですが、どうかお許し下さい。

格好悪いなぁ……。次回作では気をつける事にします。
これから投稿する人もどうかご注意を。
LOS-V
簡易評価

点数のボタンをクリックしコメントなしで評価します。

コメント



0.890簡易評価
2.100名前が無い程度の能力削除
フハハハ!精々頑張るんだな!
4.100名前が無い程度の能力削除
後は大団円に向かうのみだな
5.100白銀狼削除
うん。すぐに後編へ行く。続きが気になる…!
6.100名前が無い程度の能力削除
悩める天才永琳に、不名誉な過去を引きずる鈴仙。
そして、そんな彼女たちを「家族」として助けようとするてゐ。
ストーリーもまだ途中だというのに、改めて永遠亭の懐の深さを感じました。