「うーん、まったくどうしたものか……」
青みがかった長髪に変わった形の帽子を載せた女性は、道の真ん中で腕を組みながらうんうん唸っていた。
時刻は太陽が西方へ沈む頃。辺りには誰もいない。ここは里から少し離れた、里の人たちの共同墓地へと通じる道である。
道の脇には茂みがあり、風に揺られてガサガサと音をたてる。まるで何かが潜んでいるかのようだ。いや、女性としてはお目当てが潜んでいた方がありがたいのであるが。
「頼まれたからには何とかしてあげたいし、妖怪相手はわたしの仕事の一つなのだから無碍にはできないんだが……」
妖怪退治屋の職分で、わざわざこんな暗い空の下、こんな寂しい所で待っているのである。それは別にいいのだが、今回の件は妖怪退治と呼んでいいのかどうかかなり怪しい。というかおそらく呼べない。
はぁ、と一つため息を零し、相も変わらずじっと立ちつくしながら、女性は茂みの方をチラチラと見ていた。
情報によると、目的の妖怪は茂みから突然現れるらしい。
「出るなら出るでさっさと出てきてほしいな。こっちは小一時間ここにいて寒くなってきた……むむ?」
軽く身震いした後、女性はある気配に気が付いた。風で揺れていた茂みが、今は不自然に大きく揺れている。
間違いなく何者かが潜んでいる。女性は相手に気取られないよう注意しながら身構える。
そして
「うらめしや~!」
「隙ありぃ!」
「ぶへぇ!?」
相手が出てくるや否や、間髪をいれずに隠し持っていた棒でその妖怪の頭に一撃お見舞いする。
相当痛かったのか、妖怪は頭を抱えてその場にうずくまった。持っていた傘は手元から離れて地面に落ち、あとは水色の塊がぷるぷると震えている。
「い、いったぁ~……いきなり何するのさ!?」
「おお、わたしの一撃を受けて気絶しないとはさすが妖怪だな。結構力を入れたつもりだったんだが」
「わ~い褒められた……じゃなくて、こっちはそれどころじゃないよ!」
ズキズキ痛む頭を押さえながら、妖怪は立ち上がって女性の方を睨む。その瞳は不気味なことに左右異なる色を持っていた。
片手で頭をさすり、もう片方の手で傘を拾い上げる妖怪に、女性は手にしていた棒をしまって、先ほど頭に一撃与えた時とはうって変わった柔和な顔を向けた。
「頭を叩いたことは謝るよ、すまなかった。わたしの名前は上白沢慧音。人里でしがない教師をやっている者だ」
「あ、わたしは多々良小傘だよ。ご覧の通りのから傘妖怪」
謝ってもらったのでそれでよしとして、から傘妖怪小傘は紫色の傘をぐいっと見せびらかしながら自己紹介をした。
その傘には大きな一つ目と、だらりと垂れた大きな舌がある。それを見て、青髪の女性慧音は納得したようにふむ、と息を鳴らす。
「お前だな? この道を通る人々を驚かしにかかる妖怪というのは」
「え、あ……その通り! 泣く子をさらに泣かせる恐怖の妖怪小傘とはわたしのことよ!」
「泣く子をさらに泣かせる恐怖の妖怪、ねぇ……」
胸を張って自慢する小傘に慧音は思わず苦笑した。名前負けのよい例として、国語の授業に使えるかもしれない。
何故慧音がそう思うかと言えば、きちんと根拠はあるのである。
「なあ小傘。最近この道を通った10歳くらいの子どもに『同じ驚かせ方ばっかりでつまんない』と言われたことは無いか?」
「ぎくっ!」
「その反応を見るに、あったんだな。それでその子を連れた母親にお詫びでもらった饅頭は美味かったか?」
「ぎくぎくっ!!」
「その親が言うに顔は笑っているけど目は泣いていたそうだから、ひょっとして少ししょっぱかったんじゃないか?」
「ぎくぎくぎくっ!!!」
すべて図星であったらしく、慧音の言葉はことごとく小傘のハートに直撃したようである。
うんうん、と一人で納得する慧音に、小傘は若干涙目で喰ってかかった。
「な、何であんたがそんな事知ってるのよ!?」
「まあ話せば少し長くなるけど、ちょっとお前の事を聞いてね。それでお前に会いに来たんだが、さて何から話すべきかな」
そう言って少し考え込んだ後、慧音は小傘に会いに来た経緯を話し始めた。
寺子屋での授業が終わった夕方頃、慧音は子どもたちがいなくなり静かになった教室で仕事をしていた。
子どもたちが提出した宿題の確認や、明日の授業の準備など、やることはたくさんある。でも決して大変だと感じることは無い。
「まったく、金之助はまた計算間違いをしてるじゃないか。林太郎は答えに単位を付け忘れてるし、龍之介は……」
宿題の丸つけをしながら、子どもたちの間違いを一つ一つ指摘する。その顔には自然と笑みがこぼれた。
今日できないことは明日できるように。一歩一歩成長する。その手助けをする教師という仕事に慧音はやりがいを感じており、明日も頑張るぞと意気込むのである。
そうして何人目かの宿題をチェックしていたとき、不意に何者かが寺子屋の戸を叩く音が聞こえてきた。
「ん、一体誰かな? 音の大きさからして子どもたちでは無さそうだが」
そう呟きながら、慧音は仕事を中断して立ち上がり、玄関口の方まで歩いてゆく。
ドンドン、と戸を叩く音は間隔を空けて聞こえてくる。おそらく慧音に気付いてもらおうと必死なのだ。そんな一生懸命な誰かに、慧音は柔らかく声をかけた。
「ああちょっと待ってくれ。今開けるよ」
ガラッと木の戸を開けると、そこには40歳くらいの女性が立っていた。慧音のよく知る人物でもある。この寺子屋の生徒の母であり、この女性自身、かつてこの寺子屋の生徒であった。
女性は慧音の顔を見るや、少しほっとしたように口を開いた。
「慧音先生、折り入ってご相談したい事があるのですが……」
「分かった。でもその前に、立ち話もなんだからとりあえず上がっておいき」
「はい。失礼します」
女性は丁寧に頭を下げてから、草履を脱いで寺子屋に上がった。そして慧音に先導されて教室まで向かい、生徒用の席についた。
慧音もまた女性に向かい合うように席につき、優しい声で話を切り出した。
「それで一体何の相談だ? 君の息子なら寺子屋でも問題なく学んでいるが」
「いえ、今日伺ったのはそういうことでは無いのです」
この言葉で、慧音はどのような用件か大体の察しがついた。
寺子屋の話でなければ慧音のもう一つの仕事に関わる事。つまり妖怪退治に関することである。
話の内容が危険の伴う妖怪退治の事になり、慧音の顔や声に緊張感が生まれた。
「妖怪か。大丈夫、何でも言ってくれ。力になるよ」
「ありがとうございます先生……」
「ほらほら泣くんじゃない。まったく、ここを卒業して何年も経つのに泣き虫なのは変わらないな」
安堵して涙ぐむ女性に、慧音は昔と同じように優しく微笑みかける。
しかしいつまでもこうして昔日の思い出に浸っているわけにもいかない。事は妖怪に関するのだ。
慧音は再び険しい顔に戻った。
「それで、一体どういう妖怪に悩まされているんだ?」
「はい。それがですね、里から墓場まで続く道で妖怪が出たんですよ。大きな紫色の傘を持った、水色の服を着た妖怪でした。突然茂みから現れて、大声を出して驚かしてきたんです。一緒にいたうちの息子も大慌てで、急いで逃げたんです」
「なるほど、人を驚かせる妖怪か。それで、その妖怪を退治してほしいと」
「あ、いえ、退治してほしいとかそういうのでは無いんです」
「え?」
女性の言葉に、慧音は困惑してしまった。
話の流れからして、慧音先生妖怪を退治してください、ということで終わりだと確信していた。なのに目の前の元生徒は、退治してほしいのではないと言う。
予想が外れ、わけが分からず混乱する慧音に、女性は慌てて言葉を足した。
「あ、あのですね。実はその妖怪に初めて会ったのがひと月ほど前でして。その日里に戻ってすぐ夫や友人に話したのですが、みんなも会った事があると言うんですよ。それで聞くところによると、あの妖怪は驚かしては来るけど特に害は無いから大丈夫だそうなんです」
「はあ……」
間の抜けた声も出したくなってしまう。害がなくて大丈夫だと言うのなら、一体何の相談をしに来たのか。
緊張感がすっかり失せてしまい、慧音は少し肩を落とす。
ただ相談事があるのは確かであるはずなので、とりあえず改めて用件を尋ねた。
「で、お前はわたしに何の相談をしに来たんだ? その妖怪と何か関係があるのか?」
「ありますとも! 関係おおありです!」
「じゃあ何に困ってるのか、はっきり言ってくれ」
「そ、それは……」
女性は、手で口をおさえて俯いてしまった。何か悲しい事があったようである。
これに慧音も心配して、身を乗り出し女性の口が開かれるのを待つ。そして数十秒後、ためらい口を閉ざしていた女性はとうとう言葉を紡ぎ出した。
「……その妖怪、驚かし方がすごく下手なんです」
「……は?」
「そりゃあ最初は驚きましたよ。でもその後何回か出くわすうちに慣れてしまったんです。だってあの妖怪、毎回驚かし方が同じなんですもの」
「ちょ、ちょっと待って」
「しまいには怖がりだったうちの息子ですら、同じ驚かし方ばっかりでつまんないと言ってしまったんです。この言葉には妖怪も相当参ってしまったみたいで、だからわたしはお詫びにお饅頭をあげたんです。そしたらあの子、顔は笑っていたけど目が泣いていたんですよ。わたしの安い同情のせいであの子を悲しませてしまったのかと思うと胸が痛いんです。それにそんな事があってもあの子はまた一生懸命驚かせようとしているらしいじゃありませんか。その健気さがより哀愁を誘うと言うかなんというか、不憫で……。これはわたしだけではなく、夫も、里の多くの人も同じように思っているんですが慧音先生、どうかあの子を何とかしてあげてください! わたしたちが心から驚けるように!」
「あ、ああ……」
最終的に涙ながらに息継ぐ暇もなく繰り出された女性の熱い言葉に、慧音はただただ気圧されるしかなかったのである。
「という事があってだな…ってどうした小傘? そんな所でいじけて」
「いいもんいいもん。どーせわたしなんて全然怖くない駄目妖怪だもん。そんなこと分かってるもん……」
慧音の話を聞いているうちに、いつの間にやら小傘はしゃがみこんで地面に「の」の字を書いていた。
里の人間中から恐怖では無く憐れみを受けてしまっているという事実に、ショックを隠せないようである。
傷つけてしまったかと後悔する慧音だがこうなってしまっては仕方がない。無理やりにでも話を続ける。
「あーゴホン! それでわたしはお前に二つほど提案をしに来たわけなんだが」
「……ていあん?」
しゃがんでいた小傘は顔だけあげて慧音を見る。左右非対称の両眼には涙がたまっていた。
小動物のようなその目に慧音は一瞬気を取られてしまうが、すぐに持ち直し何事もなかったかのように振る舞った。
「ああそうだ。まず一つ目は、金輪際人を驚かそうとする事をやめること。これで里の人たちの気苦労もいくらか減る」
「そ、そんな事したらひもじくて死んじゃうよ! それに妖怪としてのあいでんててーがぁ!」
「それを言うならアイデンティティな。じゃあ二つ目の提案。わたしがお前の事を預かる」
「な、なんでそうなるの?」
「里の人間には何とかしてほしいと頼まれてしまったからな。ここは責任をとってわたしがお前をしばらく預かり、人を驚かせられるようになるまで育てる」
「他に選択肢は?」
「無い。これでもわたしなりに色々と考えたんだ」
きっぱり断言する慧音に、小傘は頭を悩ませる。
とりあえず一つ目の選択肢はありえない。少しでも多くの人間を驚かせるということが小傘の食事である以上、それは食を断てということに等しい。かと言って二つ目の選択肢も選びにくい。初対面の相手にいきなりお前を預かるなんて言われて、はいそうですかと従う気にはなれないのだ。
迷った挙句、小傘は一つの賭けに出ることにした。幻想郷らしい、実に分かりやすい賭け。
「こうなったら弾幕勝負だぁ! そっちが勝ったら二つ目の選択肢にするよ!」
「ほう、それは分かりやすくていいな。では、そちらが勝ったらどうするんだ?」
「簡単よ! あんたがわたしの強さを里の人間に伝えて、人間たちを震え上がらせるの。そうすればみんな驚くわ!」
小傘は懐からスペルカードを取り出し、それに呼応するように慧音もスペルカードを取り出す。
日の沈みきった幻想郷で、今日もまた美しい弾幕ごっこが繰り広げられた。
「おーい起きろ小傘。朝だぞ」
「うぅ…あと5分……」
翌朝、小傘は慧音の家の布団の中でぬくぬくに包まれていた。
このぬくぬくは大変厄介で慧音の言葉が耳まできちんと届かない。
「ええい、早く起きんか!」
「あだっ!」
業を煮やした慧音の額が小傘の額にごっちんこ。小傘の目覚めは目の前の火花を伴った。
「さでずむ反対~」
「お前が早く起きないからだ。わたしの家に泊まるんだから、自堕落は許さんぞ?」
「無理やり泊まらせてるくせに~」
「何を言うか。きちんと決闘を果たしたうえでの合意じゃないか」
結局昨晩の弾幕ごっこは慧音の勝利に終わった。その結果小傘は慧音の家で布団にくるまり、頭突きの目覚めを迎えたのである。
ちなみに弾幕ごっこ終了時、小傘は「き、今日はお腹がすいて力が出なかったのよ!」と言っていたが慧音は却下した。
「む~」
「ほら、いつまでも顔を膨らませてないで洗面所で洗って来なさい。そしたら朝ごはんだ」
「朝ごはん!? 誰か驚いてくれるの!?」
「違う。普通のご飯とみそ汁だ」
「え~」
「何だいらないのか? 驚き以外は食べられないのか?」
「た、食べます食べます! ありがたく頂戴いたします!」
そう言って洗面所まで駆けていく小傘の背中を見て、慧音は忙しない奴だと呆れてしまう。だがその表情はどこか楽しそうだった。
布団を片付け朝食の用意をし、二人揃っていただきます。お箸の持ち方が若干あやふやな小傘を慧音がフォローしつつ、難なく食事も終えた。
その後、慧音はいそいそと着替え、外出の準備をする。
「どこか行くの?」
「ああ、わたしは教師だから寺子屋にな。夕方には帰ってくるが、それまでおとなしくしてるんだぞ」
「じゃあ人間を驚かせることはどうするの?」
「寺子屋が終わった後に特訓だ。わたしの専門ではないが、色々指導は考えている」
「そっか~」
「もう一度言うが、おとなしく待っているんだぞ」
二度目の念をおして、慧音は出かけて行った。
おとなしくしていろと言うが、小傘にしてみれば特にしたいこともないのでどうでもいい。それより口うるさいお目付け役がいなくなったので、ごろごろと過ごさせてもらうことにした。布団ほどではないが、畳の上も心地よい。
ごろごろ、ごろごろ、ごろごろ、ごろごろ、ぐたぁ。
「暇だなあ……」
何もやる事がない、というのは初めての体験だった。
これまでならば道行く人間をじっと待ち構えて心躍らせていたものを、今では何の目的もなくいたずらに時間を使っているだけ。退屈窮まりない。
試しに本棚にある本を物色してみる。しかしどれもこれも難しく読み進める気にはならない。その他手当たり次第に置いてあるものを見て回ったが、特に興味をそそられるようなものはなかった。
時刻は昼になった。作り置きしてもらったおにぎりをほおばり、小傘は大きくため息をつく。
「いっそのこと逃げちゃおっかな。別に好きでこんな所にいるわけじゃないし」
本来は気ままに生きる野良妖怪。どこかにとどまることは無く、雲のように流れるだけ。
「でも、負けたまんま逃げ出すのは何か悔しいな~」
里の人間からは同情され、慧音には弾幕ごっこで負け、むざむざ一泊させてもらっておきながら勝手にいなくなるというのは、小傘のプライドが許さない。
ということは、ここを出ていくに足る理由が必要である。
「あ、そうだ。誰かを驚かせればいいんだ」
思いつけば簡単な話だ。小傘が慧音に連れられたのは、驚かし方の特訓のため。ということは、小傘が誰かを驚かした時点で特訓の必要はなくなるのだ。
そうと決まれば話は早いと、小傘は傘を手に、したり顔で玄関の戸を少しだけ開けた。
「いたいた。5歳くらいの女の子が二人」
早速標的が見つかった。慧音の家の門前の道で毬つきをしている二人の女の子。
子どもを見つけたのは都合がいい。大人よりもずっと大きく驚いてくれる。
よしっと軽く弾みをつけて、小傘は一気に戸を開けた。
「うらめしや~!」
決まった。小傘は確信した。
予想だにしない場所から妖怪が大声をあげて襲いかかって来たのだ。さぞ女の子たちは驚いて、阿鼻叫喚地獄であろう。
しかし、現実は理想通りにはなかなかいかないのだった。
「…………」
「…………」
「あ、あれ?」
二人の女の子は毬つきをやめて、じっと小傘の方を見つめている。
そしてしばらくの沈黙の後、片方の女の子がはつらつとした声を出した。
「わぁ! から傘ちゃんだ!」
「ホントだ! から傘ちゃんだ!」
もう片方の女の子もつられて声を出す。
二人は満面の笑みで小傘の元まで駆け寄り、スカートの裾をくいくいと引っ張った。
「から傘ちゃん、一緒に遊ぼ!」
「遊ぼ遊ぼ!」
「え、あの、ちょっと……ひ、引っ張っちゃ駄目だってばぁ!」
驚かせるつもりが逆に驚かされてしまった。この女の子たち、小傘に対して一切恐怖心を抱いていないのである。
結局引っ張られるまま女の子たちについて行くこととなった小傘は、女の子たちに質問をする。
「二人とも、わたしの事怖くないの? というか、何でわたしの事知ってるの?」
「お母さんたちが言ってたんだよ」
「里のお外では、紫色のから傘を持った可愛い女の子がいるって」
「だからみんな、その子の事をから傘ちゃんって呼んでるの」
「一度でいいから会ってみたいな~って。里の子どもたちはみんな思ってるよ!」
「だから会えてうれしい!」
「な、なんとぉ……」
目をキラキラさせながら、かわるがわる話をする二人の女の子を前に、小傘はかなりショックを受けていた。
子どもなら簡単に驚かせられる。そう思っていた時代は既に終わり、今では子どもにすら会ってみたいと言われる始末。これは本格的に不味いと、小傘は直感した。
だが女の子たちはそんな小傘の内情など知る由もなく、一緒に遊ぼうと誘ってくる。
「ねえねえから傘ちゃん、遊ぼうよ!」
「一緒に毬つきしよ~!」
「ええい、こうなったらもう自棄だ! から傘妖怪の底力を見せてやる!」
そう言うと、小傘は女の子から毬を受け取って天高く放り投げた。
やがて毬は重力に従って小傘の元まで落ちてくる。それを小傘は、傘をくるくる回転させて受けとめた。
「見よ! 必殺傘回し~!」
「すご~い!」
「から傘ちゃんかっこいい~!」
小傘の必殺技に女の子たちは大層驚き、小傘の食欲は満たされていった。
女の子の輝く笑顔を見、小傘は心から思う。
(わたしの目指しているのは、これじゃない!)
人を恐怖に陥れ驚かせる事こそ小傘の目標であるのに、これではただの曲芸師。
これじゃない感をひしひしと味わっていたのであるが、お腹が満たされる快感には勝てず、女の子たちの前でしばらく曲芸師を続ける小傘であった。
「ただいま。ん、どうしたんだ小傘? そんな部屋の隅っこで」
「現在あいでんててーの喪失中……」
夕方になって慧音が帰ってくると、小傘は部屋の隅で小さくなっていた。
女の子たちに傘回しを披露し、最後は毬三つ同時回しまでいったのだが、その段階で観客は往来の人々まで加わり小傘は喝采を受けた。当然お腹は十分に満たされたものの、心はちっとも満たされなかった。何とも皮肉な話である。
「何があったのかは知らないが、いつまでもしょげている時間は無いぞ。これから出かけるんだから」
「出かけるって、どこへ? 何しに?」
「何しにって、決まっているだろう。お前が人を驚かせられるようになる特訓だよ」
「……っ!」
慧音の言葉に小傘は強く反応する。今の自分では小さな子どもすら満足に驚かせられないということが、先ほどの事から痛いほど分かった。ならばここは、特訓をつけてくれるという言葉に素直に甘えよう。
「お、お願いします!」
「む、いい返事だな。じゃあついてこい。わたしもできる限り力になるよ」
どういった心境の変化か、やる気に満ちた小傘の返事に、慧音は満足げに首を縦に振った。
「それで、どこに行くの?」
「ついてくれば分かるさ。概要だけ言うと、まずは驚かしやすいところから攻めるということだ」
「ふ~ん……」
いまいち要領を得ないままに、慧音の家を出て、里から出て、竹林の中へと入っていた。
360度竹が生え、方向感覚が狂いそうな中を慧音は躊躇することなく進んでいく。小傘は慧音の背中を見据え、黙ってついて行った。
竹林に入ってから40分ほど経って、慧音は歩を止めた。
「どうしたの?」
「しっ。静かに。誰かを驚かせるには不意打ちが肝心だ。変に音を立てて気取られないよう注意しろ。気配を殺せ」
「う、うん」
人差し指を口の前に立て、声をひそめる慧音。小傘も同様に声をおさえた。
そして慧音は真っ直ぐ前の方を指差し、内緒話をするような声で小傘に語りかけた。
「あそこに家が一軒見えるだろう? それで玄関前に人が立っている」
「うん。いるね」
「あの人間を驚かせると仮定しよう。その場合、お前ならどうする」
「うらめしやって叫びながら飛びかかる」
「駄目だ」
小傘の回答に、慧音は小さく首を横に振った。
「あいつは肝が据わっている上に力がある。大声で飛びかかったところで返り討ちにあうのがおちだ」
「じゃあどうするのさ?」
「弱点を突くのさ。あいつは結構単純で直情的な節がある。それを利用して、こう叫ぶのさ」
慧音は小傘にごにょごにょと耳打ちをした。
耳打ちされた小傘は、慧音の言っている意味がよく分からず困惑してしまった。困った顔で慧音の方を見るも、慧音は何も言わず、やってみろ、という目をしているだけだった。
仕方ないと諦めて、小傘は肺いっぱいに息を吸い込み、慧音に耳打ちされた言葉を大声で放つ。
「かぐやが来たぞぉ~~~~!!!」
「な、なんだって!?」
効果てきめんだった。小傘の声に反応したその人は驚き慌てて、周囲をきょろきょろ見渡す。小傘はお腹も心も満たされていくのを感じた。
一方慧音は、何故だか腹を抱えてげらげらと笑っていた。
「はははははっ! まさかこんなにうまくいくとはな」
「ねえ、これって一体どういう事なの?」
「さっきも言ったけど、相手の弱点をついたってことさ。あいつは輝夜という人間と因縁があってな。そこをついてやれば、単純なあいつは驚いてくれるっていう寸法だ」
「な、なるほど……」
小傘は妙に納得した。確かに今までは何も考えず突撃し、失敗する事も多々あった。
でも今回は、相手の苦手なものをしっかり見極めた。その結果がこれである。
「勉強になるなあ…って、ひいぃ!?」
「どうしたんだ小傘、そんなに慌てて? ん、何だか背中の方が少し熱いな……」
「け~~ね~~!!」
「も、妹紅!? いつの間に!?」
「一体これはどういうつもり?」
「落ち着け妹紅、これには大海よりも深いわけがあってだな!」
慧音が振り向けば、そこには怒りのあまり文字通りメラメラと燃える妹紅の姿が。
急ぎ弁解する慧音であったが、妹紅は全く聞く耳を持たなかった。
「問答無用!」
「ぐう!」
「ぎゃあ!」
慧音とついでに小傘に一発ずつ、妹紅の拳骨がお見舞いされたのであった。
「とまあ、場合によっては手痛い目に遭うかもしれないがそこは覚悟の上という事で……」
「は、はぁい」
竹林からの帰り道、二人は肩を並べて歩いていた。
それぞれ頭をそっとなでる。妹紅の一撃はかなり強烈で、たんこぶができているのは間違いない。
一応事情は説明しておいた。妹紅は納得半分といったような具合で、半分はまだ怒っていた。これはいずれ改めて謝る必要があるなと思いながら慧音が顔を上げると、遠くに見えるは小さな影。
「む、隠れろ小傘」
「え、わわ!?」
慧音が小傘の手を引いて、二人は道の脇の茂みに姿を隠した。
そして慧音は指をさして、小傘の視線を誘導した。
「妖精が二人、並んでこっちに飛んでくる。青い髪と、緑の髪の妖精だ」
「あ、ホントだ」
茂みの中から目を凝らすと、まだ遠くてはっきりとは見えないが確かに二人の妖精が飛んでいる。
二人ともこちらに気付いた様子は無く、だんだんと近付いて姿が大きくなってきた。
「丁度いい。次はあいつら相手に驚かす練習だ」
「でもわたしが驚かしたいのは人間で、妖精は関係ないよ」
「まあ確かにそうだが、妖精というのは大体人間の子どもと同じ思考だ。つまり、子ども相手に驚かせる練習と同じ事だ」
「ふんふん」
慧音の言葉にも一理あって、小傘は素直に首を縦に振った。
まだ遠い妖精たちが徐々に接近してくる間、慧音は小傘に作戦を説明する。
「誰かを驚かせる場合、対象が驚きやすいような雰囲気作りが大切だ。そこで小傘、お前風は起こせるか?」
「スペルカードを応用すればちょっとくらいなら」
「上出来だ。じゃああの妖精が近付いて来た所で風を起こして、辺りの木や茂みをがさがさと揺らすんだ」
「うん、分かった」
そうこうしている内に、二人の妖精は見る見る近付いて来た。
小傘は慧音に指示されたように、風を起こして木々や茂みを揺らした。
すると妖精たちは、突然の風に少し面喰ったようだった。
「わわ!? 何だか急に風が出てきたね。チルノちゃんは大丈夫?」
「これくらいへーきへーき。大ちゃんこそ大丈夫?」
「か、風は大丈夫だけど」
「だけど?」
「何だか周りの木が全部がさがさ揺れてて、ちょっと不気味だなって……」
「あっはっは、大ちゃんは怖がりだなぁ。そんなんじゃ最強になれない…って大ちゃんどしたの? ぶるぶる震えてるけど」
「ち、チルノちゃん。うしろ、うしろ!」
「うしろ?」
青い顔をした大妖精が震えながらチルノの背後を指差す。
どうしたんだろうとチルノが振り向くと、目の前には大きな一つ目傘がいた。
「うらめしやぁ!」
「ぎゃああああああああああああああああ一つ目お化けえええぇぇぇ!!?」
「ま、待ってチルノちゃん! 置いてかないでえええぇぇぇ!!」
ドスの利いた低音に驚かされ、二人の妖精は脱兎のごとく一目散に逃げていった。
一方取り残された一つ目傘の正体は、呆気にとられた顔をしながらも感動にうち震えていた。
「せ…成功した……それも、あんなにすごく驚かせて……」
「よくやったな小傘。今日のところはこれで特訓終了だ」
努力をいたわるように、慧音は小傘の肩に手を乗せた。
小傘といえば、感動のあまり目頭に涙が溜まってしまっている。
「やった、やったよ慧音。慧音のおかげで、これからもから傘妖怪としてやっていけそうだよ」
「おいおい大袈裟だな。わたしはちょっと手助けしただけだよ」
「でも…でも……」
感涙して、小傘は慧音に抱きついた。里の子ども一人さえ満足に驚かせられなかった事と比べれば、今日一日でかなりの成長であった。
傘の顔を全面に押し出して、ドスの利いた声を使ったのも、慧音の助言に従ったもの。全ては慧音のおかげだった。
「ありがとう…ありがとう……」
「そんなにしがみついたら苦しいだろう。ほら、日も暮れてきたし帰るぞ」
「うん……」
そう答えたものの、小傘はありがとうと何度も繰り返し、慧音から離れようとはしなかった。
小言を言う慧音ではあったがまんざらでもないようで、しばらくそのままにしてあげることにした。
それから二週間、慧音の特訓は続いた。
基本的には里の外で、あの手この手を使った恐怖の演出によって、またあるときは火の玉などの小道具を使って、通りがかりの人々を驚かした。
そんなある日、慧音の働く寺子屋が休みとなり、二人は骨休めという事で特訓を休んで散歩に出かけた。
往来を歩いていると、あちこちから子どもたちが寄ってくる。
「あ、から傘ちゃんだ!」
「から傘ちゃん! から傘ちゃん!」
「から傘ちゃん傘回し見せて~!」
「ははは、大人気じゃないか」
「うぅ、わたしとしてはビックリさせたいのに~……」
以前ヤケクソで披露した傘回しが大変好評だったらしく、噂はあっという間に広まってしまったのである。
それ以来特に子どもたちから大人気で、見かけられるたびに笑顔で近寄ってくるようになったのだ。小傘にとっては嬉しくもあるのだが、やっぱり少し釈然としなかった。
「まあそう言わないで、子どもたちを喜ばせてあげるといいさ」
「し、しょうがないな~」
不本意そうに答える小傘だが、顔は少し照れていた。
小傘は自分の事をかつて捨てられて妖怪になったと言うので、必要とされる事がうれしいのだろう。
小傘と子どもたちのやり取りを、慧音は横で楽しそうに見ていた。
「おや? 珍しい組み合わせですね」
不意に、慧音の後ろから声がした。
振り向くとそこには、緑髪に特徴的な髪飾りをつけた少女が立っていた。
「やあ、早苗じゃないか。信仰集めは捗っているか?」
「こんにちは慧音さん。まあボチボチといったところです」
妖怪の山の頂にある守矢神社の風祝。
せっせと信仰集めに勤しんで、今日も今日とて里に設置された分社の様子を見に来ていたのである。
早苗は、子どもたちと遊んでいる小傘の方をチラッと見てから、再び顔を慧音の方へ向けた。
「それにしても、やっぱり珍しいですね。慧音さんと小傘さんが一緒にいるなんて。どうしたんですか?」
「小傘の事、知っているのか?」
「ええ、小傘さんがわたしのことを驚かそうとして来て。弾幕ごっこもしたことありますよ」
「なるほどな。で、小傘とわたしが一緒にいる理由だったな。何と説明すればいいのやら……」
少し考え込んでから、慧音は早苗にこれまでの経緯を話した。
上手くいかないながらも一生懸命頑張る小傘の姿に心打たれた里の人間に頼まれて、小傘を何とかするために会いに行ったこと。そして考えた末、小傘を預って人を驚かせる訓練をしていること。その訓練のために、慧音は友人から拳骨をもらってしまった事や、妖精を驚かした事に成功して感動のあまり涙する小傘など、この二週間起きた事を全て。
早苗は、慧音の話をとても面白そうに聞いていた。
「ふふっ。里の人たちから同情されちゃうなんて小傘さんらしいですね。愛嬌があるというかなんというか。だからなかなか驚かせられないんでしょうけど」
「まったくその通りだな。だから人を驚かせるときはできるだけ顔を傘で隠すように言っておいた。あの傘の顔だったら不気味だしな」
「小傘さん自身は、可愛らしいお顔ですもんね。あれは驚かすのには向いていない」
「そうだな」
小傘の事を褒めているような褒めていないような、そんな会話をしながら二人は笑っていた。
しかし早苗にはやはり気になる事もあった。
「それでもやっぱり意外ですね。いくら頼まれたからと言っても、人里を守る慧音さんが里の人を驚かせようとする小傘さんのお手伝いをするなんて」
「確かにそうだな。正直自分でも意外だよ」
「じゃあどうして?」
「ああいう不器用ながらに一生懸命な子を見ると、教師の性と言うか、ついつい手助けしたくなってしまってな」
嬉々として話す慧音に、早苗はああ、と頷いた。
「つまり、小傘さんに母性本能をくすぐられちゃったんですね」
「なあ!?」
「でも慧音さんの気持ちも分かりますよ。小傘さんってそういう感じですし。慧音さんの母性が引き出されちゃったんですよ」
「べ、別にそう言うわけじゃ……」
「違うんですか?」
「う……」
認めざるを得なかった。慧音自身気付かぬうちに、母性というものが目覚めてしまったのかもしれない。いやむしろ今までの教師としてのやりがいも慧音の内なる母性の延長線上にあったと考えられる。
「そうだな。早苗の言う通りかもしれない」
「絶対にそうですって。慧音さんには母親のような包容力がありますから」
およそ自分には縁の無いものと思っていた母性。認めるのは恥ずかしかったが、最早受け入れる以外に道は無い。しかし何が悔しいかと言えば、自分に母性を認めさせたのが目の前でしてやったり顔をする年端もいかぬ少女であったことが、年上として何とも微妙なところである。
「うーん、しかし困りましたねぇ」
「何がだ?」
「だってこのまま小傘さんが成長してみんなを驚かせるようになったら、退治しなくちゃいけなくなるかもしれませんよ。わたしがその役目を負う可能性もありますけど、慧音さんが育てた子を退治するのは気が引けちゃいます」
「それなら気にする必要は無いさ」
早苗の心配を、慧音は軽く笑い飛ばした。
「妖怪は人間を襲い、人間は妖怪を退治する。それがこの幻想郷での営みさ。だからたとえわたしが小傘を退治することになっても、きちんと役割は果たす」
「じゃあわたしも気にすることなく退治しちゃいますよ?」
「ははは。ほどほどにな」
「分かりました。ほどほ―――きゃあ!?」
慧音も早苗も、一瞬何が起こったのか分からなかった。
気付いたら早苗が地面に膝をつき、その後ろで小傘が誇らしげに立っていた。
「参ったか! 慧音直伝気配殺しからの必殺ひざかっくん! さでずむ風祝の驚きでお腹がいっぱい!」
小傘は胸を張ってそう言い放った。周囲の子どもたちからは拍手喝采である。
その一方、唖然としたまま膝をついていた早苗はハッと我に返り、やがて肩を震わせながら立ち上がって小傘の方へと振り返った。
「こ~が~さ~さ~ん?」
「うあ…さ、早苗目が怖い……」
「お黙りなさい! 今この場で退治してあげます!」
「ああああああああ!! こ、こめかみグリグリは駄目えええぇぇぇ!!!」
「ほ、ほどほどにな……」
恐らく届かぬであろう制止をかけつつ慧音は思う。
早苗との会話に夢中になっていたとはいえ、慧音は小傘の気配に気付く事ができなかった。小傘は明らかに成長していた。これ以上、慧音が教えることは無いほどに。
(そろそろ巣立ちの時かな……)
教え子が成長する姿を見るのは嬉しいもの。しかしそれだけではない想いが、慧音の胸には去来していた。
その日の夜、慧音と小傘の二人は初めて一緒にお風呂に入った。
「わあ…慧音に太くて立派なものが……」
「誤解を招く言い方はやめんか!」
「あだっ!」
湯船につかりながら、慧音が小傘に頭突きを炸裂させる。
ゴンッという鈍い音が風呂中に響いた。
「痛たた……でもホントにその角どうしたの? 尻尾も生えてるし、髪も緑色になっちゃった」
「そう言えば説明していなかったな。わたしは半人半獣。満月の夜にはハクタクになるのさ」
「へー。その角触っていい?」
「構わんが、乱暴にするなよ。今のわたしはいつもより気性が荒い。下手なことしたらもう一発ガツンだからな」
「いつもガツンとするくせに……」
「何か言ったか?」
「な、何でもないよ!」
体をビクつかせながら、小傘は慧音の角を慎重に触る。珍しさからか、時折おおっ、と歓声をあげていた。
慧音は一回咳払いして、なおも角を触り続ける小傘に話を切り出した。昼間に慧音が思った事。
「なあ小傘」
「なーに?」
「今日の昼、早苗にひざかっくんしただろ? あれは見事だった。わたしもお前が近付いて来た事に気付かなかったよ」
「慧音が教えてくれたからだよ」
褒められて、小傘は嬉しそうに笑う。
そんな笑顔に応えるために、慧音は意を決して話を続ける。
「それでだ。これ以上わたしがお前に教えてあげられる事はもう何もない。これで卒業だ」
長い教師生活の中で、子どもたちの卒業は何回も繰り返し行われてきた。
その度に慧音の心は喜びと寂しさが入り混じった。成長した子供を見送る喜びと、寺子屋から巣立っていってしまう寂しさだ。
それでも慧音は笑顔を崩さない。悲しい別れより、楽しい別れの方かいいと思っている。
小傘に対しても、その態度は変わらなかった。
「今までよく頑張ったな」
笑顔で、小傘に手を差し伸べる。
「そっか、もう卒業なのか。えへへ。こちらこそ今までありがとう」
小傘もぎゅっと握り返し、微笑みを返した。
お風呂から上がるや否や、小傘は寝間着ではなく普段着を身に纏い、家を出ていくと言い出した。
あまりに突然な事に、慧音はそれを引きとめる。
「おいおい。いくらなんだって急すぎやしないか? 別にすぐに出て行かなくったっていいんだぞ。あと数日はゆっくりしていっても構わないのに」
「ううん。もう二週間もお世話になったのにこれ以上迷惑はかけられないよ」
「迷惑だなんてそんな。それに、せめてこんな夜じゃなくて今晩だけでも泊まっていって明日の朝に出ていけばいいんじゃないか?」
「大丈夫大丈夫。わたしだって妖怪のはしくれなんだから、夜なんてへっちゃらだよ」
「そこまで言うなら、こちらも無理に引きとめたりしないが……」
小傘はあくまでも、今すぐ家を出るつもりのようだった。
自由気ままに生きるのが小傘の好みなのかもしれないと、慧音も無理強いはしない。小傘が出ていくのならせめてもの土産にと、おにぎりをにぎって持たせた。
「ありがとう。慧音のおにぎり美味しいから好きだよ」
「それは何よりだ。道中気をつけてな」
「だから大丈夫だって。も~慧音ってば大袈裟だなぁ」
いつまでも心配性な慧音に、小傘は思わず苦笑いしてしまう。
そして小傘が手を差し出し、慧音もそれを握り返す。
「この二週間、すごく楽しかった。また慧音に会えるといいな」
「じゃあたくさんの人を驚かせるよう頑張る事だな。そしたら退治しに会いに行ってやる」
「あはは。そんな日が来るようにがんばるよ。それじゃあね!」
交わした握手を解き、小傘はくるりと方向転換して歩き出した。玄関の戸を開け、外に駆けだす。
そんな小傘の背中を、慧音はやはり嬉しさと寂しさのないまぜになった瞳で見届けるのだった。
翌朝、頬をつねられる感覚に慧音は目を覚ました。
「んぅ…何事だ……?」
薄目を開けて、ぼんやりと世界を捉える。
はっきりと目を開けると、そこは一つ目紫傘の世界だった。
「うらめしやぁ!」
「わああああああ!!」
突然の大声にビックリして慧音は飛び起きた。
するとそこには、傘を抱えながらげらげらと笑い転げる水色の女の子が。
「あはははは! 朝ごはん頂きました~!」
「こ、小傘!? 出て行ったんじゃなかったのか!?」
状況がつかめず混乱する慧音に、小傘は笑いすぎて涙が出てきた目をこすりながら説明を始めた。
「出て行ったと見せかけて、次の朝にすぐさま驚かしにやって来る。慧音が教えてくれた不意打ちだよ! ちなみにどうやって家に入ったかと言うと、昨日の夜にこっそり勝手口の鍵を開けておいたのでした! えへへ。どう、驚いた?」
「お、お前ってやつは……」
にししと笑う小傘に、慧音は口をパクパクとさせていた。
どうやら今回は完全に慧音の負けのようであった。
「お、おぼえてろよ! いつか絶対に退治してやるからな!」
「ふふ、楽しみに待ってるよ。じゃあね~」
それだけ言って、小傘は駆け足でいなくなった。同じ人間に同じ手が使えないことはしっかりと教えられている。もう二度と来る事もないだろう。
後に残された慧音は、取り乱し着崩れてしまった寝間着を直しぶつぶつとつぶやく。
「まったく。あいつは本当にまったく」
二人が再会するのは、そう遠くない未来の事なのであった。
もう少しサプライズが欲しかったかな。
さっぱりしながらも原作っぽいキャラの良さが出ていて良かったです。
里の人たちに心配されるほど愛されている小傘ちゃんいいね
スッキリとした読了感が良いですね。次回作も楽しみに待ってます!
そこかしこに潜む沢山の小傘ちゃんと会う為に、俺は創想話へと足を運ぶ。
「驚きたい。どうかびっくりさせてくれ」なんて思いながら。
驚きとはつまり、喜怒哀楽だ。感情の動きだ。
けれど、一生懸命こちらを驚かせようとしてくれたどこかの小傘ちゃんに対して、
「ごめん、頑張っているのはわかるんだけどちょっと……」などと思いつつ無言で立ち去ろうとする時に、
俺はいつも身勝手な罪悪感に包まれるのだな。傲慢だけどこれが偽らざる心境ってやつ。
臭い自分語りはこのへんにして、本編の小傘ちゃんを見てみようか。
やだもう、めっちゃ可愛いではないですか。それもペット的な愛玩小動物などではなく、
きちんとした土性骨を備えた逞しい野生の小動物。
ラストのさらっとした別れも良い。
近い将来、妖怪退治に向かう微笑と苦笑を10:1の割合でない交ぜにしたような顔の半獣先生と、
それをドヤ顔100%で迎え撃つから傘妖怪ちゃん、みたいなシーンが目に浮かぶようだ。
トローロン、という真名を持つ小傘ちゃんは見事に俺を驚かせてくれた。
このコメントと形容される驚きが貴方のお腹を少しでも満たすことが出来たなら、これにすぐる喜びはありません。
それにしても、あの紫傘をグルグル回すということは、巨大な舌がぶるんぶるんと……