よく晴れた朝でした。
おかあさんとふたりで親戚の家にあそびに来ていたのですが、おかあさんが親戚のひとたちとむずかしいお話をはじめたので、退屈になった蓮子は花をつみに行くことにしたのです。蓮子は花がすきでした。こんなに空が明るいのだから、今日はお花も元気いっぱい、たくさん咲いているにちがいない、と思いました。
はじめに行った公園で、蓮子は紫色の花を見つけました。さっそくつもうとすると、背後から、ねえ、という声が聞こえてきました。
ねえ、わたしとあそびましょうよ。
蓮子は手を止め、振り返りました。
1.
振り向いた先には誰もいませんでした。
あれ?と首をかしげ、そのまま辺りを見渡してみると、そこはさっきまでいた公園とはまるで違った景色でした。
遊具もなにもない、人けもない、きれいな川辺。いえ、なにもない、なんてことはありません。よく見ると、川からすこし離れた辺りの、ところどころに花が咲いています。水色の、個性的な花でした。
蓮子にとって、ここがさっきの公園なのか、はたまた全く知らない場所なのか、そんなことは関係ありませんでした。今日は、花をつむためにうちを出たのですから。花がある場所なら、どこだって構わないわけです。
蓮子は青い花を二本同時につみました。続いて三本め、四本め。すこし場所を変えて、五本め。右手でつむたび、左手に持ちかえ、花束のように束ねていきます。
「あまり摘みすぎちゃあいけないよ、お嬢ちゃん」
声が聞こえたので顔を上げると、川のなかから、ひょっこり顔を出したひとの姿が。
「あなたはだあれ?」
「通りすがりの河童さ」
河童さんは、大口を開けて呵々と笑います。
「なんでつみすぎちゃいけないの?」
「なんでって、お花さんが可哀想だろう?」
「かわいそおってなあに?」
「お嬢ちゃんはその言葉の意味を知らないのかい?」
「うん、しらない」
知らないことは、恥ずかしがらずきちんと人に聞きなさいと、蓮子は教わっていました。
「じゃあ、それを理解できるようになったら、今日のことを思い出すといい。きっと分かるから」
「いまおしえてくれないの?」
「言葉の大切さはね、言葉では伝えられないんだよ」
青い花を手に持って、蓮子は川辺をあとにしました。
2.
ゆるやかな坂道を下っていくと、平地にたどり着き、やがて広い道に出ました。
どうやら蓮子は知らず知らずのうちに、山を下っていたようです。道ばたにも花は咲いていて、なかでも雑草に隠れるようにして咲いていた黄色い花が、蓮子の目を引きました。普通にしていれば気づかれないほどひっそりと咲いていたのに、そのときの蓮子には、なぜだか見つけることができたのです。
蓮子はその花をつみはじめました。すこししか生えていなかったけれど、ブラウスの胸ポケットに数本さしこんでみると、花の部分がちょうど顔を出して、なんだかおしゃれです。
「あら、可愛いのねー」
いつのまにか、目の前に帽子をかぶったおんなのこが立っていました。だれかが近づいてきたような気配もなく、いきなり声がしたので、蓮子はおどろいて、思わずしりもちをついてしまいした。
「びっくりした……いつからそこにいたの?」
「ずっと昔からよー、たった今、あなたが意識した瞬間から」
おんなのこは、にっこり微笑みながら答えます。
「むかし?いま?どっちなの?」
「今も昔も変わらないのは、お空の青さとおくうのとりあたま」
「へ?」
「でもね、おくうも青いのよー。まだこどもなの、あ、でも見た目は黒いわ、カラスだから。今は赤い目を持っているけれど。ヘンペルってどこの人だったかしら?」
おんなのこがよくわからないことを捲し立てても、蓮子はとりあえず頷きながら聞いていました。
「あのこは胸に神様を咲かせたの。あなたも胸に咲かせたみたいね、その花、きれいだわー」
「きれいでしょう!いまつんだばっかりなの」
「知ってるわー、見てたもの。もちろんこっち、顔についてる眼のほうでね」
「かおについてないめなんてあるの?」
「私の胸に閉ざしたこっちの花も、いつか咲くかしら」
ポケットから黄色い花をのぞかせながら、蓮子は道脇をあとにしました。
3.
つぎにたどり着いたのは、大きな木のある、広い空き地でした。
そこには一面、見たことのない、複雑なかたちをした花が生い茂っていました。鮮やかな赤い色をした花。その浮き世ばなれした鮮やかさが、うつくしくもあり、また、どこかぞっとさせるような不気味さもはらんでいました。
地面から引っこぬくことはできそうでしたが、蓮子はそれをしませんでした。色のせいでしょうか、見たことのないその複雑なかたちのせいでしょうか、なんとなく、おそろしい感じがしたのです。
そこから立ち去ろうとすると、おうい、と呼び止められました。
声の主は、赤い髪をしたおんなのひとでした。
「そこの、そう、あんたのことだよ。こんなとこへ何しに来たんだい?」
そのひとの髪の赤色は、ここに咲いている花たちのようなものではなく、もっとやさしい色をしていました。
「おはなをね、つみにきたの」
「花?よりにもよってここの花を?」
「いろんなところの、いろんなおはなを。でも、ここのおはなはやめた。こわいもの」
「あはは、確かにねえ。この花は、花束にするにゃちょいと難度が高いかな」
じゃあさ、と続けながら、おんなのひとは木の裏に回りこみます。
「……これ。ちいさいけど、これを代わりに持ち帰ればいい」
おんなのひとが指し示したのは、めずらしい、緑色の花でした。
「うーん、花はいいねえ。季節によって咲いたり咲かなかったり、仕事が分担できてさ。あたいも季節まるまる休みたいもんだ」
「いまもやすんでるんじゃないの?」
「今は "たまたま" 休憩中なだけさ、この時期は忙しいからねえ……ああ、でも春よりはましか。春になると、皆浮かれちまって注意力が散漫になって、不慮の事故が増えるんだ」
「はるきらい?」
「まさか。好きだよ、夏も秋も冬も好きだ」
「じゃあどのきせつがいちばんすき?」
おんなのひとは朗らかに、すこしも迷うことなく、笑って答えました。
「四季が好きさ」
緑色の花を握りしめ、蓮子は空き地をあとにしました。
4.
つぎにやってきたのは、細長いふしぎな木がたくさん生えている、林でした。
あまり日の当たらない、くらい場所でしたが、探してみれば花だって咲いているものです。蓮子は白い花を一本見つけ、つんでみました。
とてもちいさい花でしたが、こんなところでも咲いていられるのですから、したたかで、丈夫な花なのでしょう。けれど二本め以降はなかなか見つかりませんでした。せめて二、三本は持って帰りたい、と、蓮子は目を凝らしてその花を探していきます。
けれど、いくら探してもおなじ花は見つかりません。歩きつかれ、蓮子は林のなかで座りこんでしまいました。
「ふうん、花をさがしているの?」
急に話しかけられることに、もうすっかり慣れてしまった蓮子は、知らないだれかに話しかけられても、動じることなく返事をしました。
「そう。このおはなをさがしてるの」
白い花を指にはさんで、くるくるとまわしてみせる蓮子。すがたの見えない相手は、面白くもなさそうに、なるほどねえ、と相槌を打ってきます。
「その花、この辺りにはほとんどないわよ。もう少し奥までいかないと」
「だからいこうとしてるの、つかれちゃったからちょっとおやすみしてるだけ」
「体力がいくら回復したって、林の奥までは辿り着けないわよ?」
「なんで?」
「そういう所なのよ。此処は」
表情は見えませんが、相手が意地悪な笑いかたをしながら蓮子のことをからかっているのだということは、声さえ聞けば想像にかたくありませんでした。
「でも、せっかくだからほしいなあ、このおはな」
「花を見つけられたとしたら、そこで幸運を使い切っちゃうわよ?折角私に会えたのに」
「どういういみ?」
「花を見つければ此処の出口を見つけられなくなるし、出口を見つけるなら花を諦めるしかないってこと」
「りょうほうみつけるもん!」
「まあ、此処で迷いつづけるのも、それはそれで楽しいかもよ?百年も経てば竹の花が咲く」
「たけってなあに?」
「何だって?あんた、竹も見たことなかったの!」
可笑しそうに、けらけら笑う高い声。
「変な人間。……ん?おっと、探しに来ないと思ってたら"あっち"を追ってたのか。巻き込まれるのも面倒だし、此処から離れたほうが良さそうだね」
がさっ、という音と共に、すぐそばの茂みで何かが動くのを蓮子は見ました。長くて白い、耳のようなものがちらりと見てとれました。
「あんたも早くこの竹林から出たほうがいいよ、巻き添え食らって頭が狂ったり、火だるまになりたくなければね」
白い花を一本だけ指にからめて、蓮子は林をあとにしました。
5.
しばらく歩いていくと、目の前におおきな山が見えました。さっきの山とおなじものなのかは分かりませんが、周りの景色に見覚えはなかったので、蓮子は山のふもとで花を探してみることにしました。
実をいうと、蓮子はほんのすこしだけ、違和感を感じていました。そんなにたくさん歩いた覚えはないのに、こんなみじかいあいだに、こんなにたくさんの場所を行き来できるものなのでしょうか。まるでだれかが、おおきな鋏とテープで空間をちょきちょき、ぺたぺた切り貼りして、蓮子をいろいろな場所へ飛ばしているよう。奇妙な感覚でしたが、蓮子はあまり気にすることなく、花探しを続けていました。
歩きつつ足元を注意ぶかく見ているうちに、だいだい色の花を見つけた蓮子は、すぐその場にしゃがみこんで、花を地面から引っこぬきました。
「おや、人の子ですか?」
背のたかい、金色の髪をしたきれいなひとが、そこを通りかかりました。
近づいてきたそのひとは、自分もそこにかがみこみ、花を見るなりにっこり笑いかけてきました。
「なんの花でしょうね。あなたが手に持っている、その白い花とよく合います」
さっきの林で見つけた花が、おひさまに照らされ、いっそう真っ白にかがやいて見えました。けれど、中途半端に指に巻きつけていたせいで、茎の部分がもうへなへなです。
「このおはな、くきがおれて、まっすぐにならなくなっちゃったの」
「あらら、本当ですね。それなら……」
そのひとは、白い花を蓮子の指のあいだからそっと抜きとり、茎を結びはじめました。そして輪のかたちになった茎を、蓮子のひとさし指に嵌めてみせます。
白い花の指輪の出来上がりです。
「ゆびわだ、すごい!ありがとう!」
「いえいえ。お礼を言われるほどのことではありません」
「ううん、すごいよ。おはながもういちどさいたみたい!」
「もう一度……」
そのひとは、なぜかほんのすこしだけ、目を細めます。
「なるほど……素敵な表現ですね、ありがとう。その花、どうか大切にしてあげてください。では残念ですが、急ぎの用があるので、私はこれで」
「なにしにいくの?」
やさしそうな顔をしたそのひとが立ち上がったので、蓮子もいっしょに立ち上がります。じぶんよりもずっと背のたかいそのひとの表情に、わずかにかなしみの色があらわれたのを、蓮子は気づいていました。
「花を咲かせに行くのですよ」
歩きはじめたそのひとの背中を、蓮子は追いかけずに見送ります。
「もう一度、咲かせたい花があるのです」
そのひとの姿が見えなくなってからまもなく、こんどは背のひくい、あたまにおおきな耳のはえたおんなのこが通りすぎてきいました。
はじめは蓮子に目もくれなかったのですが、なんメートルか先できょろきょろ辺りを見まわしたあと、思いついたように蓮子のほうへやってきたのでした。
「君、この辺で何か見かけなかったかい?」
「なにか?」
「空を飛ぶ、見たことのない物体とか……いや、いいんだ。何も見てないなら、それで」
おかしいな、この辺に反応があったんだけど、なんてぶつぶつ呟きながら、おんなのこはまた去っていこうとします。
「あなたはなにをしてるの?」
「君には関係ないことだよ。まあ、ただの頼まれ事さ」
「おつかい?」
「うん、まあ……そんなとこかな、私だってやりたくてやってる訳じゃない」
「じゃあなんでやってるの?」
おんなのこは、ふと蓮子の指に嵌められた白い花の指輪と、その手に握られただいだい色の花に目をむけました。するとおひさまに雲がかかり、真っ白にかがやいていた花が、かげってひかりを失いました。
くらい白、いえ、灰色にさえ見えるその花は、華やかな色をしただいだい色の花とは対照的。近くに添えて見ると、まったく釣り合いがとれていませんでした。
おひさまがまた顔を出すと、灰色の花はふたたび白い花へ。となりに並んだだいだい色の花も、白い花のそばではいっそう明るく、神々しくかがやきます。
「……君には関係ないことだよ」
だいだい色の花を抱えながら、蓮子は山のふもとをあとにしました。
6.
つぎに行きついたのは、霧のかかった湖でした。
ここには花が咲いていませんでした。いえ、咲いているのかもしれないのですが、ほとりのほうまで視界がわるく、足元も見えないような状態だったのです。
なんとか霧から抜け出そうと、蓮子は手探りで歩きました。けれど何度も転んでしまい、そのたびに握っていた花が折れたり、落ちたりしてしまいました。この霧のなかでは拾うことすらできません。白い指輪までもがなくなってしまったとき、蓮子はひざをおとして泣きました。
川辺でつんだ水色の花も、道ばたに咲いていた黄色い花も、空き地で見つけてもらった緑色の花も、林で探し出し、指輪にした白い花も、山のふもとで見つけただいだい色の花も、ぜんぶ、ぜんぶなくなってしまったのです。
蓮子はわんわん泣きました。涙を拭こうとしたその手にはまだ花のかおりが残っていました。蓮子はますます泣きました。
「うるさいー!なにさ、こんなとこで泣いて楽しいわけ?」
おおきな声が響きわたり、蓮子はふっと泣きやみました。
「だ、って……おはな…ぜんぶなくしちゃ……」
「花?大事なものならちゃんとしっかり持ってなさいよ、ばかなやつね!」
からかわれ、蓮子はまた泣きはじめます。
「わあ、ちょっと!それくらいで泣かないでよ、弱いわね」
「うああぁん……おはな……」
「花なんてまたつみに行けばいいじゃないの!うんそれがいいわ、あたいったら天才ね!」
「だめなんだもん、……きょう、つんだおはなじゃ…なきゃ……」
いつまでも泣きつづける蓮子。霧でくもった視界がさらに、涙でにじんでぼやけていきます。
ふと、そのちいさな手のひらに、さらにちいさな手のひらが触れました。蓮子は顔を上げましたが、そこにどんなひとがいるのかすら見えないほどに、目の前が霞んでいました。
「ほら、立って。こっちだよ」
聞こえてきたのは、さっき蓮子をからかってきたのとおんなじ声。響いてどこから聞こえるのか分からなかったあの声が、今はすぐそばから聞こえてきます。
蓮子はぱっと立ち上がりました。右手でちいさな手をつかみ、左手で目をこすりながら、「おはなさがしにいかなきゃ」とつぶやくと、
「なに言ってるのさ、この霧のなかじゃ探せないでしょうが。とりあえずここから出るよ!」
ぐいぐい手を引っぱられ、文句を言うひまもなく走らされてしまいました。
走って、走って、ようやく霧から抜け出せたころには、蓮子の息はすっかり上がってしまっていました。
「あんたって体力ないのね、あたい全然疲れてないよ!」
腕をくみ、えっへん!とのけぞっているのは、蓮子よりもすこしちいさい背格好をした妖精さんでした。
なぜ妖精さんだとわかったのかというと、そのこの背中には羽根がはえていたからです。ひとのかたちをしていて、さらに羽根まではえているいきものなんて、天使か妖精くらいしか思いつきませんでした。でもこのこはさっき、わたしを意地悪くからかってきたのだから、天使のはずがない。蓮子はそう思ったのです。
「ありがとう……でも、わたし、おとしたおはなをさがしにいかなくちゃ」
呼吸がととのってから、蓮子は妖精さんにそう伝えました。
「花ならあとで取りに戻ればいいわ。夕方になれば霧も晴れるから」
「だめだよ、わたし、ゆうがたにはおうちにかえらなきゃいけないもん……」
ひとみを潤ませ、また泣き出しそうになっている蓮子の顔を、妖精さんは下から覗きこむように睨みつけます。そして蓮子のほほを伝った涙が、じぶんのまぶたにひとしずく落ちると、ああもう!と一歩あとずさります。
つぎの瞬間、ぴきぴきとなにかが凍るような音が聞こえました。それでもかまわず泣いている蓮子の首元に、突然あてがわれるつめたい感触。
おどろいた蓮子が反射的に数歩下がると、妖精さんはこちらになにかを差しだしてきました。それは、氷でできた、花でした。
「え……おはな?」
「あたい特製、よにもうつくしいパーフェクトフラワーよ!なみだをぽたぽた落としてるようじゃあすぐに溶けちゃうけどね」
これくれるの?と聞くと、とくべつだよ!と答えながら、蓮子に花を手渡す妖精さん。
氷の花は、ひんやりつめたかったけれど、蓮子はそれをぎゅうっと握りしめていました。
「だから、もう泣くんじゃないよ」
透明な花を抱えながら、蓮子は湖のそばをあとにしました。
7.
おひさまが傾いて、おそらはほんのり紅くそまり。からすがかあかあ鳴きながら、蓮子の上を飛んでゆきます。
おうちへかえらなきゃ、と蓮子は思いました。でも、ここで大事なことに気づきます。帰り道がわからないのです。人けのない道のまんなかでひとり、どうしていいかわからずに、蓮子はただ立っていました。
『あら、もうお終いなの?』
後ろから声が聞こえたので、蓮子はすぐに振り返りました。けれどそこにはだれもいません。
『ここよ、ここ』
こんどは右のほうから。しかし、振り向いてもやはり、だれの姿も見あたりません。
「だあれ?どこにいるの?」
こちらから話しかけても、相手は返事をしてくれません。
「わたし、かえりたいの。ここはどこ?どうすればおうちにかえれる?」
藁にもすがる思いで問いかける蓮子。そのときに聞こえたざわめきのようなみじかい音は、風の音だったのでしょうか、それともだれかの笑い声だったのでしょうか。
『此処はどこ?可笑しいのね!空を見なさい、あなたがいちばん、よくわかっているはずじゃないの』
蓮子は言われたとおり空を見上げます。いよいよ昏くなってきた空に、星がうっすらとまたたきはじめていました。
「どういうこと……?」
『神隠し。私があなたを隠したところで、あなたは空を見ただけですぐに、元いた場所へ逃げ出せてしまうでしょうから。だから逆に、私のほうが隠れてみたの。見つけてくれて嬉しいわ』
もう、声がどこから聞こえてきているのかも、わかりません。相手がいったい、どんな姿をした、何者なのかも。
『隠れんぼ、楽しかったわ』
ぐらりと、視界がゆがみました。辺りいちめんが紫色に染め上げられ、ゆらぎ、まぶたが徐々に重くなっていきます。
たくさんの眼がこちらを見ていました。遠のいてゆく意識のなかで、右手になにかが当たる感触を、蓮子はたしかに感じました。反射的にそれを握ると、握り返してくる、そう、それは手でした。その手がほどかれ、離れていったせつな、蓮子の手には別のなにかが握られていました。
それがなんなのか、たしかめる間もなく。
『またあそびましょうね、蓮子』
そのまま意識を失いました。
*
………こ…。
れんこ。
「蓮子?」
目を覚ました瞬間、いきなり上体を起こしたせいで、ペンを何本か床に落としまった。
「あらあら。落ちちゃったわよ、あなたのお気に入りの"素敵な"ペンが」
そばに立っていたメリーが、頼んだ訳でもないのに拾ってくれている。しかし、少し皮肉を込めた言い方をしていたのを私は聞き逃さなかった。
「あのねメリー、この間も言ったけれど。このペンは本当に優れものなの」
「格好悪いわ、もっと可愛くてあたたかみがあるものにしなさい。そんなの大学生の女の子が持つものじゃないわよ」
「機能美なの、これは。それにメリー、ペンに必要なのは実用性であって、あまり形式にこだわると……」
「はいはい、また蓮子の長い言い訳ね」
私から見て向かい側の席に腰掛けるメリー。大学構内にあるこのカフェテラスもついさっきまでは満席だったはずなのだけれど、私が居眠りしている間に多くの人が席を立ったようだ。
本当に、ついさっきまでは、お喋りに花を咲かせるたくさんの学生たちで賑わっていたのだが。
「で、どんな夢を見ていたの?」
「夢?……そうね、そういえば見ていたかもしれない。でも覚えていないわ」
「なあんだ。つまらない」
「昔からそうなのよ、一度覚めてしまうと、見た夢の内容をさっぱり忘れているの」
ああ、そういえば、と思い出し話を切り替える。
「ここでうとうとし出すまで、メリーの話を聴いていたような……なんの話だったかしら?」
眠る前に私が用意しておいた紅茶に、手を伸ばすメリー。もうとっくに冷え切っているだろうに、ひとくち飲んで、音を立てず机に置く。
「ほら、私が昔、この国へ初めて旅行に来たときに出会った、ふしぎな女の子の話」
「ああ。確かそんな話だったわね」
「公園で声を掛けたところまでは覚えているんだけどね、そのあといつの間にか意識を失っていたの……二人ともよ!何時間か後に目が覚めたんだけれど、お互いなにがなんだか分からなくて」
「二人揃って熱中症?」
「もう、真面目に聴いてよ蓮子。紫色の花を手に持った女の子だったわ。そこまで寒い日ではなかったのに、何故か手の平があかぎれていて、真っ赤だった。きっとあの子には特別なちからがあって、私が話し掛けて関わってしまったが為に、二人揃って異次元に飛ばされてしまったんだと……」
なるほど、これは長い話になりそうだ。
熱弁するメリーの話に相槌を打ちながら、私はペンをケースのなかに仕舞い込み、窓の向こうに目線を遣る。
その夕焼けに、ふと覚えた気がした、言いようのないなつかしさが。
あたまのどこかをよぎってまた、すぐ消えていった。
チルノちゃん男前。
風が吹き抜けるような作風にやられました。