「ねぇねぇ阿求ちゃん、お姉さんと少し良いところに出かけてみない?」
木枯らしの吹き始める秋の昼時になずなさんがそう言いました。
なずなさんは、私のお屋敷でお手伝いさんをしている人です。
お屋敷の掃除やら炊事やらを全般的にこなすベテランさんで、時間の空いた時だけでなく、仕事の最中にも私によく話しかけてくれます。
年齢は20代だと言っていましたが、私が5歳の時、つまり、なずなさんがお屋敷に勤めるようになってから2年目の時にも自分は20代だと
言っていたので、実際は年齢不詳の人です。
なずなさんを一言で表すなら、いい加減なところのある明るいお姉さんでしょうか。私と話すときも敬語とタメ口を混ぜ合わせたような話し方をします。
普段一人でいることの多い私ではありますが、私は決して一人でいることが好きというわけではありませんでした。
そのため、今日のように時たま遊びに誘ってくれるなずなさんの存在はうれしいものであり、そのようなわけで、
今回のお誘いも断ることなく、私はなずなさんとお出かけをすることにしたのでした。
「着きましたよ~。」
なずなさんがそう言ったのは、里を出て魔法の森の中を道沿いに進み15分ほど歩いた頃でした。
そこは森が開けた場所になっていて、開けた場所の中心には不思議な看板が掛けられた建物がありました。
その建物は4階建てほどのものと思われる西洋風の建物で、築50年は経っていそうな風格を漂わせています。
看板には、太いクレヨンで書いたようなカラフルでかわいらしい文字で『うぇるかむ とぅ マガトロ亭』と書かれていました。
文字に合わせてあるのか、看板の縁もかわいらしいフリルで飾られています。
外観は歴史を感じさせる洋館といった風ですが、マガトロ亭というぐらいなので何かの定食屋さんなのでしょうか。
「ここは一体何のお店なのでしょうか。」
そう尋ねると、なずなさんはいつものように笑顔で答えてくれました。
「へへ~。ここはですね~。なんと、お人形さんが経営をしている最近話題の温泉旅館なんですよ~。」
私にはなずなさんの言っていることはよくわかりませんでした。
なずなさんが言うには一月前に予約してやっと今日の一泊二日の予約が取れたという事でしたが、この洋風な外観で温泉旅館とはどういう事なのでしょうか。
建物をよく観察して屋根のほうを見上げると、たしかに煙突から煙が上がっているのが見えます。
人形が経営というのは恐らく○ッキーのような着ぐるみを来た人が仕事をしているのだと思いますが・・・・・・。
建物に入る前から言うのもなんですが、和洋折衷では解決できないとてもちぐはぐな感じがします。
「早く早く。」となずなさんが私の手を引くので、胡散臭さを感じながらも洋風のドアを開くと、
「オコシヤスー」
はい、かわいらしいお人形さんが正座をして出迎えてくれました。
きちんと着物を召した20センチぐらいのお人形さんです。
洋館の中は、目に見える範囲でも木張りの床に障子の扉、木製の下駄箱にスリッパと、しっかりと日本の旅館風になっています。
繁盛しているのは確かなようで、下駄箱には多くの履物が入れられていました。
私が唖然としている間にも、目の前を2体のお人形さんが料理の乗ったお盆を持ってぱたぱたと駆けて行きます。
人形が温泉旅館で働いているという事実に自分の持っている常識というものを投げ出したくなりましたが、なずなさんはすでに出迎えてくれた人形を抱きかかえて
「かわいー。京ちゃん今日も超かわいー。」
「オヒサデスー」
などとお人形さんと仲良く話をしています。
「なずなさんは、もしかするとここの常連さんなのですか?」
「ええ、すでに第二の故郷となりつつあります。ポイントカードもバッチリです。」
「デスー」
お人形さんも手を上げて一緒に答えてくれました。
この旅館が第二の故郷でいいのかはともかくとして、ポイントカードを貯めると何か割引サービス等があるのでしょうか。
というか温泉旅館ってポイントカードを使うような場所でしたでしょうか。
普段旅館を利用することがないのでよく分かりませんが、どことなく違和感があります。
まぁ、お人形さんが運営している旅館ですし、それほど気にするべき部分ではないのかもしれません。
なずなさんが京ちゃんと呼んだお人形さんは本名を京人形といって、たくさんのお人形さん達が働くマガトロ亭で受付の仕事をしているベテランさんなんだそうです。
さて、さすがの私もうすうす気づいてきましたが、この人形、ひょっとすると妖怪のアリス・マーガトロイドさんが作ったものなのではないでしょうか。
表の看板にもマガトロ亭と書かれていましたし、以前もアリスさんがこれぐらいの大きさのお人形さんを連れていたのを見たことがありますので、信憑性は高い気がします。
「あの~、このマガトロ亭は、もしかしてアリスさんが作った旅館なのでしょうか?」
「はい。その通りです。」
「デスー」
やはりそうでしたか。
どうして人形が旅館で働いているのか、アリスさんが関わっているならなるほど納得です。
うんうんと頷き、京ちゃんに受付をしてもらいます。ついでに、私達の泊まる部屋まで案内もしてもらうことにしました。
「コッチコッチー」
と京ちゃんは通路の先を指差しながら私達の前を歩いていきます。
人の速さに合わせようとするのでぴょこぴょこと飛ぶように動くので、とてもかわいらしい姿です。
子猫を眺める気分で二つほど部屋を通り過ぎ、曲がり角を曲がった一つ目の部屋まで来ると京ちゃんが立ち止まりました。
「ココダヨー」
そう言って、障子を開いてぴこぴこと手を振っています。
部屋の中に入ってみると、20畳ほどの和室に細長いテーブルと座布団が置いてありました。
「オスワリクダサレー」と言われるままに座布団に座ると、待つ間もなく別のお人形さんが「ソチャデスガー」とお茶を持って来てくれました。
さらに、そのまま戻るのではなく、ふよふよと空を飛んでぴこぴこと肩まで叩いてくれるではありませんか。
なるほど、かわいらしいお人形さん達による細やかなサービス、繁盛しているのも納得です。
これなら温泉や料理にも期待が持てます。
なずなさんの話では、ここには温泉施設だけでなく、2階には喫茶店まであるそうです。
まだ温泉に入るには早い気もしますし、温泉に入る前に少し喫茶店に立ち寄ってみることにしました。
再び京ちゃんに案内をしてもらい2階の大広間に行くと、早速、メイドさんの格好をしたお人形さんが
「イラシャイマセー」と挨拶をしてくれました。
京ちゃんや浴衣を着ていた人形は黒髪だったのに対して、挨拶をしてくれた人形は金髪で、顔立ちもどことなくキリッとしています。
どうやら、旅館で働くお人形さんは和風、喫茶店で働くお人形さんは西洋風というように区別されているようです。
喫茶店の内装を見ても西洋風の作りが意識されている様で、1階の部屋とは異なり床はフローリングになっていて、天井ではシーリングファンが静かに回っています。
客席のテーブルも足の高いものが置かれており、上に敷かれた白いクロスの上には角砂糖やミルクの入った小さな陶器の瓶が置いてあるのが見えました。
建物の外観からすればこちらの洋風の造りの方が正しい内装だとは思うのですが。
一階を和風の作りにするのなら二階の喫茶店も和風にしたほうが統一性があったと感じるのは私だけでしょうか。
お人形さんに淹れてもらった暖かいコーヒーを飲みながらそんな事を話すと、なずなさんは猛烈に反論してきました。
「そんな事ありません。浴衣姿のお人形さんを楽しみながら、さらにメイド姿のお人形さんも楽しめる。最高じゃないですか。
さらに、ごく稀に執事の格好をしたお人形さんがいたり、クリスマスにはサンタさんの格好をしたお人形さんがプレゼントをくれたりするんですよ。
冬にはゴリアテちゃんによる大迫力の餅つき大会だってありますし、バレンタインには一体につき三個ずつ持っているチョコを目指す人で大行列ができるぐらいです。
マガトロ亭が和風で統一されていたらそんなお楽しみイベントできませんし、今こうしてコーヒーを飲むことだってできてないんですよ。」
ぷしゅんぷしゅんと顔からは湯気まで出しています。
何が彼女をそこまで熱くさせるのでしょうか、人の歪んだ一面を見た気がします。
なずなさんの気迫に押されておとなしくコーヒーを飲んでいると、前のほうから浴衣姿の女性が歩いてきました。
「おう、阿求じゃないか。」
「慧音先生。」
私たちに話しかけてきたのは、里で教師をしているきれいで若々しいと評判の慧音先生でした。
慧音先生はなずなさんが子供の時から教師をしていたそうで、年齢を聞いてみると今でも「私は20代前半だ。」と笑顔で言う人です。
つまり、なずなさん以上に年齢不詳な人です。
慧音先生は普通の人とは違い半分は人間、半分は妖怪という特殊な人だそうなので寿命がとても長いらしく、
それが若さの秘訣なのだそうです。
それははたして秘訣といえるのでしょうか。どことなく、不老不死のために吸血鬼にかまれにいくという話を思い出します。
まぁ、私には無縁の話でありますし、深くは触れないようにしましょう。
「あ、慧音先生だー。こんにちはー。元気してましたかー?」
「うむ、なずなも元気そうだな。最近はインフルエンザがはやっているから自分は大丈夫だと思っていても気を付けるんだぞ。」
「はーい。」
「慧音先生もよくここを利用されるのですか?」
「うむ。自分1人のために風呂や料理を作るのもなかなか億劫でな。家に1人でいるのも寂しいし、学校が休みで予約のとれた時にはよく利用しているよ。」
「そうするともしかして、なずなさんとここでよく会ったりするのでしょうか?」
「いや、そうでもないな。今日が初めてだ。」
「私も慧音先生を見たの今日が初めてですねー。」
二人ともよく利用しているそうですが、意外です。詳しく聞いてみると、慧音先生は学校が休みの土日にマガトロ亭を利用することが多く、
なずなさんは平日に利用することが多いのだとか。うまい具合に利用する日がすれ違っていたみたいです。
お互いに気が合いそうなので、これからは二人で利用することが多くなるかもしれませんね。
「それにしても慧音先生は浴衣姿が似合いますねー。写真撮ってもいいですか?」
カシャカシャと、すでに写真をとりながらなずなさんが言いました。
「そうですね。私も、とても似合っていて綺麗だと思います。」
「おいおい、お世辞なんか言っても何もないぞ。」
慧音先生はそう言いましたが、そういうわりに表情は笑顔です。きっとうれしい事は確かなのでしょう。
京ちゃんからも「キレーキレー」と言われ、京ちゃんの頭をよしよしと撫でています。
さて、
せっかく会えたという事で仲良く三人で雑談をしていたわけですが、しばらくしてから、
「そういえば、館長のところにはもう挨拶に行ったのか?」
と、慧音先生が言いました。
「いえ、まだこれからですねー。」
常連さんというだけあってなずなさんは知っているようですが、私には何の事だか全くわかりません。
館長さんという事は、ひょっとしたらアリスさんの事でしょうか。
そう聞くと、二人揃って「会えばわかる。」と言います。
そのように言われては、その館長さんとやらに会いに行くしかありません。さっそく京ちゃんに案内を頼みます。
「京ちゃん。館長さんのところへ案内をしてもらえますか。」
「イイヨー」
「おう、行くのか。それじゃあ私はそろそろ帰るとしようか。」
「あれ?慧音先生も一緒に行くんじゃないんですかー?」
「私はもう行ったし、二人で行ってくるといいだろう。」
残念なことに、慧音先生は帰ってしまうようです。
「う~。それじゃあ今度は絶対一緒に行きましょうね。」
「うむ。そうだな。そしたらこのメンバーで幻想郷女子会でも結成するか。」
「あはは、楽しそうでいいかもしれませんね。」
慧音先生と別れるのは残念でしたが、また今度三人で会う約束をして喫茶店をあとにしました。
「コチラヘドゾー」
京ちゃんに案内され上の階に進むと広い部屋が現れました。
部屋の内装は再び畳と障子という和室のものになっています。
部屋の奥の壁際には祭壇のようなものがあり、その祭壇の上には人影が見えました。
「あれが館長の山田さんですよー。」
そうなずなさんに教わり、遠目に館長の山田さんを観察してみると、山田さんは慧音先生を彷彿とさせる変わった帽子を被っています。
お顔を拝見しようとしたのですが、棒のような物を口に添えるようにして持っているので顔を見ることはできませんでした。
祭壇の前には3人の人が一列に並んでいて、並んでいた人達は一人ずつ館長の山田さんの前でお辞儀をして部屋から出ていきました。
「温泉に行く前には、館長の山田さんに挨拶をする決まりになっているんですよ。」
「そうなんですか。」
随分と変わった決まり事だと思いましたが、決まり事なら仕方ありません。
私もお辞儀をしに館長の山田さんのもとに歩いていきます。
山田さんの前まで来ると、山田さんは無表情のまま目を閉じています。
整った顔立ちのために勘違いしそうになりましたが、よく見ると山田さんは人形ではなく生身の女性の方のようです。
外見は私と同じぐらいの小柄な身長で、髪はめずらしい緑色の髪をされています。ちなみに、口に添えた棒には断罪と書かれていました。
あまり人の顔をじろじろと見るのも失礼だと思い、いそいそと両手を合わせてお辞儀をすると、山田さんは目を閉じたまま
「うむ、苦しゅうない。」とおっしゃいました。
よく分かりませんが、とりあえず無事に挨拶が済んだようです。
なずなさんを待つために京ちゃんのいる所までもどることにしましょう。
とことこと部屋の出口に向かって歩きます。
が、少し歩いたところで、「精進せい。」という声とともに、ぺしん、と何かが叩かれる音がしました。
振り向くと、なずなさんが頭を両手で押さえています。
そして、なぜか笑顔で私のところまで駆けてくると、「いや~、しっかり叩かれちゃいましたよ~。」と報告してきました。
「一体何があったのですか?」
「あはは、まあ、いろいろですよ。」
なにがあったのかを教えてくれる気はないみたいです。恐らく非はなずなさんにあるのでしょう。
「叩かれたら温泉に入れなくなってしまうのではないですか。」
「いえ、いつも叩かれてますし、叩かれても温泉には入れるので大丈夫ですよ。」
叩かれたわりになずなさんはけろりとしたものです。
これ以上何かを言うのも面倒なので、早く温泉に行ってみることにしましょう。
着替えなどは用意してくれるそうなので、そのまま温泉があるという一番上の階まで上がります。
最上階まで上がると、早速大きな暖簾が目に入りました。
暖簾には「地獄極楽七色の湯」と書いてあります。
森の中からなので絶景とはいきそうにありませんが、名前を見る限りなかなかおもしろそうな温泉です。
「バンダイヘドゾー」
そう言って、暖簾をくぐった先にある番台と書かれた場所まで京ちゃんが走っていきます。
私たちも暖簾をくぐって行くと、番台の椅子には一体のお人形さんが台に肘をつきながら座っていました。
「メディスンちゃんこんにちはー。」
「おいす~。」
なずなさんの挨拶に対して気だるげに返事を返したお人形さんの名前はメディスンちゃんというそうです。
驚いたことに、メディスンちゃんは電子煙草を口にくわえてすぱすぱと煙を吐き出しています。
体は他のお人形さんよりも大きく、1メートルを超えるぐらいの身長がありそうです。
体中から鬱々とした雰囲気を醸し出していますが、ゴシックロリータというのでしょうか。黒と白の服装が本人の気だるげな様子を一層引き立てているように感じます。
他の礼儀正しいお人形さん達との違いに呆気にとられ、何も言えないまま女湯のほうへ進んでしまいました。
「えっと、先程のお人形さんは他のお人形さんと随分違った感じがしましたが。」
「メディスンちゃんのことですね。メディスンちゃんは、防衛隊長として防衛部隊を率いているんですけど、今日は他のお人形さんの代わりに番台をやっていたみたいですね。」
「防衛って、一体何と戦っているんですか。
「ゴキブリやムカデなどの害虫と戦っているのです。」
「あぁ、なるほど。」
「というのは冗談で、実はマガトロ亭には最大最恐の敵がいて、その敵と戦うためなんですよ。」
「えっ、そ、そうなんですか。」
平和に見えるこの場所に一体どのような脅威があるのでしょうか。
「まあまあ、そんなことよりも今は温泉を楽しみましょう。」
「えぇ~。」
せっかくおもしろそうな話が聞けると思ったのに。
文句を言う間もなくなずなさんにぐいぐいと背中を押されて更衣室まで押し込まれてしまいます。
「む~。」
「そうふくれないでくださいよ。」
「む~。」
「お屋敷に戻ったら話しますから。お人形さん達のあいだでは禁止の話題なので、あまりここで話をしたくないんですよ。」
「・・・・・・約束ですよ。」
「はいはーい。」
無駄に元気のよい返事です。どことなくおもしろくありません。しかしながら、平和に見えるこの旅館にもいろいろと苦労があるというのは興味深い発見です。
機会があれば今度、なずなさんと一緒にマガトロ亭のガイドブックでも作成してみましょうか。
その時にはアリスさんにも話を聞いてみたいですね。
そういえば、幾つかの部屋を回りましたがまだアリスさんと会っていません。館長のやまださんには挨拶することが義務付けられているのに。
温泉からでたら京ちゃんにアリスさんのいる場所を聞いてみましょう。
そんな事を考えつつ服を脱いで硝子戸を開けると、目の前に現れたのは赤い温泉でした。
周りは大きめの石で囲まれていて、中心にある蛙の石像の口からは原泉がでています。
温泉に近寄ると、温泉手前にある看板には「赤橙の湯」と書かれています。
「看板に効用は書かれてないんですね。」
「そこはお気になさらず。この温泉はなんでも、銅やら鉄やらが入っていてこのような赤い色になっているんだそうですよ。」
「へぇー。」
温泉に足先だけつけてみるとちょうど良いと感じるぐらいの熱さで、赤い見た目ほどには温度は高くないようです。
おそらく、40度から50度の間ぐらいの温度だと思います。
温泉に体全体を沈めてみると温泉の感触はどことなく透明な感じがして、少し金属の匂いがしました。
「ここには他にどんな温泉があるのですか。」
「そうですねぇ~。酒かすが入った白の湯とか、硫黄成分が入ってる黄緑の湯とか、あとは黒、紫、青、レインボーがあります。」
「いやいやいや、なんなんですかレインボーって。というか七色の湯で七色目がレインボーじゃそれまでの色意味ないじゃないですか。」
「レインボーの湯、それは人間厳禁、妖怪専用の温泉で、魔界に繋がっている温泉だと言われています。」
「そんな温泉あっていいんですか。」
「普通の人は入れないようにしてあるそうなので、きっと大丈夫です。」
「危険なものが近くにある時にきっと大丈夫と言われると余計怖くなってしまうのですが。」
「まぁ大丈夫ですよ。レインボーの湯があるのは最上階ではなくて地下666階ですから。」
「あー、それなら大丈夫。なんでしょうか。」
ですが、他の温泉も地下からくみ上げてるのでしょうし、土壌汚染とかもありそうですし、実はそんなに大丈夫じゃないという気がするのですが。
いやしかし、なずなさんや慧音先生はここの常連さんですけれども健康そのものですし、いやしかしながら二人ともどこか普通の人とはかけ離れているような気も・・・・・・
「そ、それではそろそろ上がることにしましょうか。」
「あれ、まだ5分ぐらいしかつかってませんけど、次の温泉にはいるんですかー?」
「いえ、私はこのまま出ます。」
「ええ!?どうしてですか。」
「少しのぼせてしまったようなので。なずなさんは気にせず他の温泉を楽しんでください。」
「1人だと寂しくて死んじゃいますよー。阿求ちゃんが出るなら私も出ます。」
そんなわけで、結局二人とも10分足らずで温泉から出てきてしまいました。
番台のメディスンちゃんや番台で待っていてくれた京ちゃんに不思議な顔をされましたが、そんなことは気にしてられません。
触らぬ神に祟りなし。私は娯楽であってもジェットコースターもバンジージャンプも避けてきた女です。健康のために入った温泉で死ぬわけにはいかんのです。
再び私達の泊まる部屋まで戻ってくると、テーブルの上には鍋と具材の入ったお皿が置いてありました。
どうやらこれがお夕飯のようです。
「オユハンオユハンー」
そう言いながら、いつのまにか割烹着姿になった京ちゃんが火を点けた鍋に手際よく野菜を入れていきます。
カニの甲羅や手足も鋏を使ってバシンバシンと切り離し、エビの殻も器用に剥いてぽいぽいと鍋に放っていきます。
他にも種類のよく分からない野菜やら肉であろうものなどをぽいぽいぽいぽいと入れていきます。
鍋の大きさはそれほど大きいものではなかったはずなのですが、どう考えてもこの鍋に入りきらないほどの具材がぽいぽいと入れられてゆきます。
もしかして、また温泉みたいに魔界に繋がっているとかそういう落ちなんじゃないでしょうか。
そのような心配をしながら少し鍋を覗いてみると、鍋の具材たちはぐつぐつと音をたてながらおいしそうな匂いを放っています。
これは罠でしょうか。
「デキター」
「やったー。京ちゃんいいこいいこー。」
「フフーン」
悩んでいるうちに鍋が出来上がってしまったようです。
いきいきとした様子でなずなさんが小皿に鍋をよそって私に手渡してくれました。
お皿からは野菜たちが「おいしいよ。私たちは美味しいよ。早くお食べ。」と暖かい匂いで語りかけてきます。
う~む、食べるべきか、食べざるべきか。
「もぐもぐ、おいしー!!」
人の気も知らずになずなさんはぱくぱくと鍋を食べています。
しかたがありません。腹が減っては戦が出来ぬという言葉もありますし、何も食べずに飢え死ぬぐらいなら食べて死んだ方がましです。
「南無三っ!!」
勇気を振り絞って一口、鍋を口に入れます。
もぐもぐ
「あら、美味しい。」
「そりゃーそうですよー。なんたって京ちゃんが調理してくれてるんですから。」
「フフーン」
調理の仕方よりも使った道具と具材が心配だったのですが。
まぁ、こんなにおいしい料理が危険なはずがありません。危険がないならぱくぱくといただいてしまいましょう。
ぱくぱくぱくぱく
鍋を食べ終わり、お酒も少々いただいてほろよい気分になった時です。そういえば、温泉から出たらアリスさんに会ってみようと考えていたことを思い出しました。
「そういえばなずなさん、アリスさんは一体どんな役職についているのですか?」
「アリスちゃんは女将さんです。それはもうすっごいかわいいんです。」
「へぇ。ねぇ、京ちゃん。アリスさんとはどこに行けば会えますか?」
「・・・・・・ガクガク」
「ん?」
「ガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガク」
突然、京ちゃんは頭をかかえてしゃがみこんでしまいました。
「阿求ちゃん、ダメですよ京ちゃんをいじめたら。」
「ええ!?」
ただアリスさんに会ってみたいと思っただけなのですが、なにか問題があったのでしょうか。
「これを見てください。」
す、と狼狽する私になずなさんが懐から取り出したのは一枚の写真でした。
「これは。」
写真に写っていたのはアリスさんでした。
鮮やかな桃色の浴衣姿で、マガトロ亭をバックにこちらへ笑顔を向けています。
「どうです?」
「え?」
「圧倒的にかわいいでしょう。まるで地上に舞い降りた最後の天使のようです。」
「はぁ、たしかに浴衣姿がよくお似合いだと思いますが。」
「そう、そうなんです。すべてはアリスちゃんがかわいすぎたために起きた悲劇なのです。」
「?」
なんのことやらさっぱりなのですが。なずなさんは遠くを見るように天井を見上げて話し始めました。
「むかし、まだマガトロ亭が出来て一年もたっていない頃の話です。当時、アリスちゃんは天使のような浴衣姿でりっぱに女将さんをしていました。」
「はぁ。」
「お人形さんによる接客は大きな好評を呼び、アリスちゃんとマガトロ亭の未来は明るいものであるかと思われました。」
「しかしながら、そんな平和も長くは続きませんでした。」
「それは、真冬の寒い夜の事です。」
「なんと、寒さと飢えに狂った巫女が博麗神社からマガトロ亭にまで降りてきてしまったのです!!」
「巫女は初め、アリスちゃんを脅して食料を奪い取ろうとしました。しかしながら、そんな横暴な巫女に対してアリスちゃんは抵抗することなく、
それどころか料理を作ってあげ、温泉や布団までを使わせてあげたのです。それも天使のようなアリスちゃんの微笑み付きです。
巫女はすっかりアリスちゃんの虜になってしまいました。」
「そして悲劇が起きました。巫女は、神社へ帰る時に、あろうことかアリスちゃんを攫おうとしたのです。
「人形たちは必死に巫女を止めようとしました。しかしながら、強大な力を持つ巫女の前に人形たちはなすすべもなく、アリスちゃんは攫われてしまいました。」
「それからです。人形たちはアリスちゃんを取り戻すために戦力を整えることにしました。」
「えっと、もしかしてメディスンちゃんが隊長を務めている防衛部隊というのは・・・・・・。」
「はい。防衛部隊というのは巫女の魔の手からアリスちゃんを救い出すために結成された部隊なのです。」
「しかしながら、全ての人形が戦闘に向いているというわけではありませんでした。」
「なかには京ちゃんのように恐怖心を植え付けられてしまった子もいます。」
「そこで、そういう子達はマガトロ亭の運営を主に行い、防衛部隊の子達は地下において戦力増強に励んでいるのです。」
「そうだったのですか。ごめんなさい京ちゃん。つらいことを思い出させてしまいましたね。」
震えている京ちゃんを抱き上げて頭をなでてあげます。
しばらく頭をなでていると、京ちゃんの体から震えがとまりました。顔を覗いてみると、眠ってしまったのか、目を閉じてすやすやと寝息をたてています。
「人形も眠るんですね。」
「それはそうですよ。」
「そうですか。」
「一生懸命働いてますからね。」
「無事にアリスさんを取り戻せるといいですね。」
お人形さんの話を聞いて、少ししんみりとしてしまいました。
「私たちも眠りますか?」
なずなさんが言います。
まだ寝るには早すぎるような気もしますが、たまには早い時間からゆっくり寝てみるのもいいかもしれません。
「そうですね。無理に起きていることもありませんし、今日はもう寝ましょうか。」
「それでは早速二人用のお布団を敷いて、と。」
「二人分の間違いではないんですか。」
「いえいえ、二人用であってますよ。」
キュピーンとなずなさんの目が怪しく光ります。
「ぐへへへへ、今日の夜はお姉さんと一緒に仲良くしようや~。」
「・・・・・・なれなれしく肩を掴まないでください。」
「あぁん。そんな冷たいこと言わないで~。」
よよ、となずなさんが泣きまねまで使ってきました。両手で顔を覆っていますが、ちらちらとこちらを見てきます。
京ちゃんと違ってなんと汚い姿でしょうか。
しばらく何も言わずに見ていると、諦めたのか泣きまねをやめました。
そして今度は、眠っている京ちゃんに話しかけ始めました。
「ねぇ京ちゃん。京ちゃんは1人で寝るのとみんなで寝るのどっちがい~い?」
「ウーン、ミンナー」
「よしきた!ほらほら、京ちゃんもこう言ってるじゃないですか。ここは京ちゃんの意思を尊重してみんなで寝るべきです。」
「汚い。京ちゃんを利用することに心は痛まないんですか。」
「私の心はもとから腐ってますので。」
む~、なずなさんは別としても京ちゃんと一緒に寝たいという気持ちは私にもあります。その事も知っていて京ちゃんをだしに使ったのでしょうが。
「今日だけ、今日だけは一緒に寝ましょう。」
「ふふふ、一度前例が出来ればこちらのものという事も知らずに。」
「一度前例を作る前からそんな事言わないでください。」
「おっと、いけないいけない。」
そんな事を言いながらもなずなさんはすでにテーブルを片づけて大きな布団を敷き終わっています。こんな時に仕事で培った能力を活かさないでほしいです。
「さぁ。さぁさぁ。早くこちらへ。」
布団に入ったなずなさんが掛布団を捲ってこっちへ来いと手招きしています。
零距離でなずなさんの隣で寝るのは危険な気がします。
しかたありません。心が痛みますが、ここは京ちゃんに盾になってもらいます。
京ちゃんを胸元に抱きしめながら真ん中に陣取っているなずなさんを押しやるようにして布団に入ります。
「あれ?私が真ん中で阿求ちゃんと京ちゃんを両手に花状態にする予定だったのですが。」
「京ちゃんは、今日は私の防衛隊長ですから。」
「むー。まぁでも、京ちゃんが子供で阿求ちゃんと私がお母さんお父さんと考えればこれもなかなかいいかもしれません。」
「そういう前向きな考え方のできるところ、なずなさんはすごいと思いますよ。」
「そうでしょう。そうでしょう。」
「そうですね。」
「なにか間があった気がするんですけど。」
「気のせいでしょう。おやすみなさい。」
「あれ、ピロートークはもう終わりですか?」
「・・・・・・」
「・・・・・・阿求ちゃん、今日は楽しかったですか?」
「・・・・・・はい、楽しかったですよ。」
「ふふーん。」
「なんですか?」
「連れてきてよかったなーって。」
「お招きいただきありがとうございます。」
「どういたしまして。」
「実は今度、マガトロ亭のガイドブックを作ってみようかと考えているのですが。」
「本当ですか!?」
「はい。その時はなずなさんにもお手伝いをお願いしたいのですが、お願いできますか?」
「もちろんですよ。それはもう、私がやらなければ誰がやるという勢いですよ。」
「それじゃあ、帰ったら早速計画を立て始めましょうか。」
「慧音先生も呼ばなきゃですねー。」
「いいですね。慧音先生なら資料のまとめ方も上手そうです。」
「京ちゃんたちへのアポイントメントは任せてください。」
「その時には2階の喫茶店をお借りしましょうか。ここの予約も優先的にとらせてくれそうですし。」
「阿求ちゃん、そんな事を考えているとはおぬしもなかなか悪よのう。」
「いえいえお代官様ほどでは。」
くっくっくっくっくっ
「オキテー。オーキーテー。」
ぺしぺしと頬が叩かれます。
目を開けると、体の上に京ちゃんが乗っかっていました。
「アサデスヨー。」
「は~い。」
久しぶりに遠出をしたせいか、布団に入ってからは割とすぐに眠ってしまったようです。
京ちゃんの頭をなでながら身を起こすと、窓からは明るい陽射しが差し込んでいます。今日の天気はなかなかよさそうです。
窓から目を離して隣を見てみるとなずなさんの姿がありません。と思ったら部屋の隅で何かをやっている姿が見えます。
「なずなさん、おはよーございます。」
「あ、阿求ちゃんおはよーございます。」
「何をしているんですか?」
「ふふふ、昨日撮った阿求ちゃんの寝顔写真を整理してるんです。」
「撮るのはいいですが、せめて私に内密のままにしてほしかったです。」
「いえいえ、阿求ちゃんに嘘を付くことなんてできませんよ。」
「この世には知ったほうがいいことと知らない方がいいことが・・・・・・まぁいいです。」
眠気もなくなったので着替えをすまし出発の準備を整えます。
この部屋の清掃があるらしいので、京ちゃんとはここでお別れになります。
「バイバーイ」
「はい、さようなら。」
「京ちゃんまたねー。」
「ゴヒイキニー」
手を振る京ちゃんともお別れの挨拶をすまして部屋をあとにしました。
「これそこの。」
「はい?」
扉まで歩いていると、誰かが私を呼び止める声が聞こえました。
呼ばれたほうを見ると、館長の山田さんが受付に鎮座していました。表情は昨日のように目を閉じて無表情のままです。
今日は棒のような物は持っておらず、こっちへ来いというように右手で手招きしています。
なにかあるのでしょうか。
歩いて山田さんの前まで行くと
「これを持っていきなさい。」
と山田さんから小さな巾着を渡されました。巾着には美味と書かれています。
巾着はとても軽いものですが、中に何か入っているのでしょうか。
「あ、ありがとうございます。」
「またくるがよい。」
「あはは、機会があればぜひ。」
マガトロ亭を出て巾着を開けてみると、中に入っていたのは草加煎餅でした。
はて、山田さんはなぜこんなものをくれたのでしょうか。
少しすると、ぺしんと何かが叩かれる音が聞こえ、なずなさんが出てきました。表情は笑顔です。
手には私が山田さんからもらったのと同じ巾着が下げられています。
「なずなさんも巾着をもらったんですね。」
「はいー。山田さんは帰る人に時々おせんべいをくれるんですよ。」
「これは何か意味があるものなのでしょうか。」
「さぁー、どうでしょうか。意味があるとも、意味がないとも言われています。もしかすると、稗田の家系と草加煎餅に歴史があることをかけて、
良いものが代々受け継がれていくとか、そういう事をあらわしているのかもしれませんねー。」
「はぁ、代々。ですか。」
「私が今てきとうに考えただけですけどねー。」
「う~ん、ちなみに、なずなさんは何のお煎餅をいただいたのですか。」
「私ですか?私はばかうけでしたね。」
「そうかそうか。」
「えっ?」
「なんでもありません。」
「・・・・・・えっと、ばかうけっす。」
苦笑いすらない真顔で対応されてしまいました。
まぁ、なにやらよくわからないギャグも出たところできりもよろしいようですし、
それではみなさんお元気で。
旅館側の心配をよそに霊夢とアリスはしっぽりよろしくやってるんだろうなぁ
女将姿のアリスと聞くと某旅館アニメの主人公が(ry
続編や女将奪回編もぜひ読んでみたいです。
女将アリス見たいので神社に奪還しに…グフ
続き期待してます
いろいろな設定にも違和感がなくておもしろかったです。