すみません。鳥頭と言っていいのかどうかすらわからないレベルですが、リンクの貼り方がまたわからなくなっちゃいました。再びわかり次第、やってみます。
過去作
SO-NANOKA-
SO-NANOKA-2
SO-NANOKA-3
SO-NANOKA-4
ようやくわかりました……。
踊りつかれた砂埃が次々と地に落ちていく。ようやく視界を確保できたチルノは辺りを見渡す。しかし、魔理沙の姿は既になかった。あるのはむき出しになったコンクリートと四つの影だけ。
呆然と見ている暇はない。ポケットをまさぐり、チルノは携帯電話を取り出す。
この一件はパチュリーの話に聞くような「本を頂いていくぜ」程度の問題ではすまない。携帯のボタンに触れる。
「どこにかける気ですか?」
「どこって……」
110。押そうとしていた番号だ。衣玖の問いのせいで指を携帯上で泳がせるはめになった。
「警察だよ」
さっさと電話をかけて魔理沙を追いかけたかった。
「待ってください。やめたほうが良いと思います」
「どうして?」
感情をコントロールできず、焦りが表に出ているのがわかった。そんなチルノを見て尚、衣玖は淡々と答える。
「警察に任せてしまったら、早期解決できたとしても後処理に時間を消費してしまいます。それに、この取引自体が表に出る可能性だってあるのです」
即席で考え出したとは思えない程の聡明さだ。慎重に衣玖の言葉を吟味する。
まず時間。警察の力を借りて、事件を解決したとすれば確かに事後処理に時間がかかりそうだ。そして警察を呼べば、金魚の糞の如くブンヤが付いてくるだろう。EXに関する情報を手に入れようとしているのだ。余計な情報を他の機関に流すわけにはいかない。情報を横取りされる可能性だって出てくる。
チルノにもすぐわかった。警察は呼ぶべきではない。
チルノが了解の意を込めて頷く。続いて黒縁眼鏡についたほこりを掃除していたルーミアがうんうんと頷いた。
人数はこちらの方が多い。それも実力者ばかりだ。タイムロスの少ない今ならば、高確率で捕まえれる。
仕事万能のルーミア。幽々子の右腕妖夢。美術館館長の衣玖。これ以上にないメンバーだ。
「決まりですね! 行きましょう!」
先頭を切ったのは妖夢だった。妙に生き生きしてるのは気のせいではない。
「わかりました」
冷静な衣玖。
「そーなのかー」
いまいち緊張感に欠けるルーミア。
流石猛者たち。焦りが一片たりとも感じられない。むしろ余裕すらある。
各々破壊され、コンクリートがむき出しになった壁から飛び出た。美術館を出ると、すぐに街の情景が目に入ってくる。商店街にある背の低い建物から、高層ビル、和から洋まで様々な建築物がこの街にはあるのだ。見栄えなど関係なく建築が行われている。言ってしまえば、統一感が皆無なのである。
パッと見、魔理沙の姿は見えなかった。
四人は頷き合うと、三方向に分かれ、駆け出す。ルーミアと衣玖は美術館を背に東西に分かれた。チルノと妖夢はペアだ。一応妖夢の監視という義務がチルノにはある為、このようになった。ルーミアと妖夢は元より知っているからいいが、当然衣玖は知らない。四方向に分かれた方が探索効率は良いと知って尚、その事について衣玖は尋ねてこなかった。
二人はあっという間に大通りの雑踏の中に踏み込んだ。街でも有名な大通りである。大通りにはビルはなく、二階から三階建ての店が多い。おかげで空がよく見える。
空には薄い雲がかかっており、芳しくない天気なのだが人間の活気に影響はなかった。建物に挟まれ、無数に靴底の跳ねる音が反響し、衣服店に張られたショーウィンドウは学生の多くなった人々を映し出す。
その活気の為、チルノはほとんどカニ歩きで進むはめになった。とても走れる状況ではない。そんな心情を察してくれたのか、「こっちです」と、妖夢はチルノの手を引いた。車道まで妖夢はチルノを導く。車は数台止まっているものの、車道の白線の外側には障害物が少ない。見たところ、バイクを使っているのもごく少数派だ。
「ここを走ると楽ですよ」
知を誇る子供のように妖夢は胸を張る。車道まで出てきたために走行中の車からの視線がチルノ等に刺さる。妖夢に関しては、人の視線は気にならないようだ。
……確かに、気にしてはいられないか。
けほけほと排気ガスを体外に吐き出してから、チルノは走り出した。人混みに比べてかなり走りやすい。排気ガスに肺を縛られる感覚がしたけれど、これも気にして入られない。
風を切り、人の群れに目を光らせる。一般人が白なら魔理沙は黒だ。視界に入ればすぐにわかる。視界に入れば、だ。
「魔理沙さんがこんな人の多い道をわざわざ選びますかね……」
チルノの二三歩前を走る妖夢が呟く。
そうなのだ。目立つだけで足の遅くなる道を魔理沙がわざわざ選ぶとは思えない。もし、チルノが魔理沙ならば間違いなく路地に逃げ込む。見つかっても撒けるからだ。
「なら、路地に入る?」
大通りには薬局、コンビニ、弁当屋、事務所などが並んでいた。そのラインを越えると路地に出る。路地は人が少なく、入り組んでいる為、人ごみにまぎれることの出来ない魔理沙にとっては最高の逃げ場だ。
「そうですね……。チルノさん。直感的に表か裏かを選んでくれませんか?」
「裏」チルノは即答した。
「裏ですか。奇遇ですね。直感的になら、私もそう思ったんです」
進路変更を決め、妖夢は人の波の流れを完全に読み、歩道へと滑り込む。妖夢には、決断力があるようだ。チルノも妖夢の軌跡を追い、目立たないように人ごみに割り込んだ。
味方になると頼りがいがある。妖夢の背中を追いながらそう感じた。恐ろしい敵は強大味方。意気込み、より一層足に力を込めた。
チルノのお気に入りのケーキ屋と、焼肉屋の間にある細い道に妖夢は駆け込んだ。チルノも続こうとしたとき、ついついケーキ屋の方に目がいってしまったのは秘密だ。
と、秘密にしようとしていたのだが……。
あらでもないものが、チルノの目に入ってきた。けして期間限定のケーキなどではない。ケーキ屋は茶塗りの木を模した塗装がされている外装に、窓が設置されている。窓には一応ブラインドが垂らされているのだが、店内は見えてしまう。ピンクの割合が多い内装はいかにも女性向けだ。奥にはバイキング形式でケーキが置かれており、窓よりの空間では、客が各々のテーブルを確保し会話なり食事なりを楽しんでいる。一際目立った存在感を放つ者。黒いきのこが踊っているかのようにケーキを次々と喰らっているの者が居た。
「妖夢!」
すぐに妖夢を呼び止めた。
「魔理沙が居た!」
びくんと体を跳ねさせてから妖夢は止まる。振り返る彼女は「まさか、そんな馬鹿な」とでも言いたげな顔をしていた。それでも事実なので、腕を目一杯使いこっちこっち、と振る。
「ほ、本当に居たんですか?」
刀を揺らし、妖夢はケーキ屋の窓の近くまできた。
「本当だよ。ほら、あそこ」
窓に指を吸いつけ、魔理沙の居る席を指した。妖夢の表情はみるみる歪んでいき、かと思えば真っ赤になる。よくよく考えれば、完全に予想をはずしたわけだ。チルノの場合、それほど恥ずかしいとは思わなかった。
「何してるんですか。魔理沙さんは」
「ほんとに何してるんだろうね……」
建物に入ったことで安心しているのか。逃げる気が無いようにも見える。
「まったく行動の意図が読めません」
「何か罠を用意してるのかな」
「それも有り得ますが……」
飲み込んだ妖夢の言葉を推測する。魔理沙はこちらに気付く様子もなくケーキにがっついている。意図的に行動しているようには見えない。
「ああ見えて意図があるとすれば、追う側の心理を逆手に取ってこんな真似をしたのでしょうか。事実、私は気付けませんでした……。よく気付けましたね、チルノさん」
言えない! 仕事中にケーキに目がいったなんて口が裂けても言えない。
「あ、あははは。ま、まあね。なんとなくだよ、なんとなく」
「経験がたりませんね、私」
「いやいやいや、絶対にそんなことないって」
心の底から言ったのだが、妖夢は本気で落ち込んでいる。
「とにかく見つけたんだよ。捕まえようよ」
「そう、ですね。相手は建物の中。見たところ客用の出入り口は一つしかありません。もう詰んだも同然です」
「それじゃ、あたい達も入り口から堂々と入る?」
「そうしましょう」
決まると、もう一度大通りに出て、「すいーとしょっぷ」と書かれた看板が下げられた押し戸を開く。甘い匂いが満ちており、思わず舌なめずりをしてしまった。腹の虫が唸りをあげそうだ。
店内にチルノ等が入ってきたにも関わらず、魔理沙は全く気付く様子がない。変わらずケーキと踊り狂っている。
……何故こんなにのんびりできるんだろう?
再び疑問がふつふつと沸いてきた。すると、今度はパチュリーの言葉が浮上してきた。
魔理沙が盗みを働くのは全て興味本位からなの。だから、悪いことをしている自覚は一切ないのよ。
これを聞いたとき、大げさだな。と、チルノは聞き流したものだが、今の様子を見る限りあながち外れてはいないようだ。そうであるならば、特に逃げる必要は感じていないのだろうか。それに、悪意のない盗みであるとしたら、チルノ等にとって最悪のタイミングで最悪の品物を盗んでいったことになる。偶然からきた、とんだ大迷惑だ。
チルノと妖夢は、隠れもせず魔理沙に近づいていった。バイキング式ゆえに先払いだ。そのせいで店員には変な顔をされたが、無視した。テーブルを二つ挟んだところまできて、ようやく魔理沙は二人に気付いた。
奇行に続き、魔理沙の反応はまたもや異常なものだった。素っ頓狂な表情を浮かべて言うのだ。「あ、お前ら」と。まるで旧友と街角でたまたま巡り合ったかのような気軽さだった。
「魔理沙、ファーストスペルを返そうよ」
力ではなく、声による返却要求を選択した。店内で騒ぎを起こして目立つわけにはいかない。
「ここがよくわかったな。まさか、店内にいて見つかるとは思わなかったぜ」
クリームとチョコとで汚れた口元を気にする様子もなく、魔理沙は余裕の表情で笑いかけてきた。彼女のテーブルには、まだ数え切れないほどのケーキが乗っていた。中にはホールケーキを丸ごと持ってきているのもある。食べ切れなかったら支払いに加算されるのだが、わかっているのだろうか。
「返して」
またマスタースパークを撃つのではないか、と内心でははらはらしながら答えを待ったが、「わかったぜ」と存外素直に彼女は受け答えた。
「本当? なら返して」
「渡したいところだが、ちょっと手汚れちゃってな」
口と同様に、魔理沙の手はクリームまみれだった。
「汚れちゃ困るだろ」
「そうだね」「そうですね」
なら、取るまでだ。妖夢と歩をあわせ、妖夢とチルノは魔理沙に近寄った。再びケーキを喰らい始めた魔理沙に逃げる様子はない。魔理沙の周辺だけ、ケーキが食い散らかされ残骸が飛散している。他の客もほとんど女性なのだが、皆上品に食べていた。絶対に部屋の掃除してないな。そんな印象をチルノに与えた。
「ほら、あれだ」
魔理沙の足元に、ファーストスペルの入った木箱が置かれていた。
結局、彼女は何が目的だったのだろう。あっという間にファーストスペルを奪っていき、あっという間に返す。
腰をかがめて取ろうとしたときだ。
「木箱、ね。案外かかるんだな」
魔理沙の囁きがチルノの耳にまで届く。その瞬間、チルノはドライアイスを叩き込まれたかのような寒気を覚えた。ファーストスペルが木箱に入っているなんて誰も言ってない。木箱に入っているだろう、という固定観念がチルノと妖夢を騙していた。妖夢も木箱を開けようとした為、チルノと同様に腰を下げている。丁度魔理沙の前。敵の眼前で自ら体勢を崩しているようなものだ。魔理沙が攻撃を加えるのだとしたら、最も都合の良い位置だ。
「まだ捕まるわけにはいかないんでな」
罠だと判断したチルノは、身を引いた。妖夢は既に体を引いて、体勢を立て直しかけている。しかし、魔理沙は次の行動に移っていた。
彼女の右手にはアップルパイ、左手にはホールケーキが持たれていたのだ。いたずらを楽しむ小悪魔の笑みを浮かべ、パイを持った右手を振りぬく。
「みょ!?」
まず、パイが行動できるまで後数瞬であったであろう妖夢の顔に叩きつけられる。派手に果実や生地が飛び散った。パイが妖夢の顔を食べているかのような光景だ。刀の柄を握ったまま妖夢は後ろにバランスを崩していく。バラエティ番組なら笑い転げていただろうが、生憎そんな場面ではないし、左手に持たれているホールケーキの意味をチルノは知っている。
大きく振りかぶられた魔理沙の左手は、もう眼前まで来ていた。何度見ようと乗っているのはホールケーキだ。
「よく味わって食えよ」
避けようとしたが間に合わず、べちょりという奇妙な音共にチルノの視界が真っ白に染まった。
服から甘い匂いがする。ケーキ屋で顔を洗わせてもらったのだが、服は洗えなかった。クリームを取っただけだ。洗う前に一度鏡を見てみたら、厚化粧を施したようになっていた。
甘い匂いを気にしながら、雑踏の中、チルノは走る妖夢を追う。
「絶対に魔理沙さんを捕まえましょう! 芸人がどれだけ体を張っているかを教えてもらったんですから、こちらも御礼をしなくちゃいけませんからね」
「は、はいぃぃっ!」
妖夢の声には気迫が篭っていた。
パイを叩きつけられた上、ケーキ代を払ったのだ。バイキングとは言え、ケーキをあのような扱いにすると流石に弁償になる。チルノ等は騒ぎを起こしたくなかったので、友達の悪戯だと言って料金を支払い、誤魔化した。
すいすい走るに対し、チルノは三歩進むたびに周りから文句を言われる有様だ。心の中で、ごめんなさいを繰り返す。
妖夢を追いかけるだけで一杯一杯だ。
「ほら、また居ましたよ!」
次は屋台形式のハンバーガーショップで何かを注文している。
せっかく得たインターバルを魔理沙は活かそうとしない。さっきからチルノ等を撒いては、ゲームセンターで遊んでいたり、食事処でご飯を食べたりしている。そして、チルノ等に見つかったら逃げる。この繰り返しだ。その為、日は暮れかけており大通りは赤く染まっていた。
魔理沙は逃走のプロのようだ。捕まえれそうだが、捕まえれない。
こちらに気付いた魔理沙が、再び逃げはじめた。姿はすぐに見えなくなる。しかし、妖夢には見えているらしく、路地へと続く道に折れ込んだ。どうやら魔理沙が路地に逃げ込んだらしい。
はじかれるようにチルノも路地へと入る。主に二階建ての中流住宅がならび、統一感のない屋根がそれぞれ自己主張していた。家を区切る為のブロック塀がそのまま道を造っている。人の姿はない。その為、靴底の削れる音と、チルノの荒い呼吸だけが音として辺りを支配した。
自らの不安定な呼吸音を聞くとむせ返りそうになる。体が鉛のようにも重く感じられるし、脳に水銀が注入されたかのようにもなった。何しろ、走り続けているのだ。
今、足を止めたら、置いて行かれる。歯を食いしばり、妖夢の背中だけをただ見据えた。道が入り組んでいる路地では、妖夢を見失えばすぐに脱落の印が押されるてしまう。それだけは絶対にやってはならない。
しばらく走り続けていると、道が開いた。
そこは、住宅街の広場で、地面には茶褐色のレンガが敷き詰められている。ある一点は芝生になっており、ブランコ、滑り台、シーソーと公園の設備が一通り揃っていた。レンガの大人びた雰囲気と公園の子供じみた雰囲気が入り混じった広場だ。休日に子供たちが親と遊ぶ姿が目に浮かぶ。
ようやくチルノは魔理沙を目で捉えた。
「手厳しいな。ちょっと待ってくれよ」
ここで始めて魔理沙が根を上げた。しかし、本当にもうこりごりだ、といったようには見えず、また騙すつもりで止まっているのだろう。
そして、ちょっと待ってくれ。とはチルノにかけた言葉ではない。妖夢に対して言ったものだ。
妖夢の返答は極めて簡素だった。腰をかがめ、居合い斬りの体勢をとる。A.斬る。猪が突っ込んでくるような威圧感を魔理沙は受けているはずだ。けれど、彼女の悪知恵は麻痺しなかった。
「おいおい、私の手にはファーストスペルがあるんだぜ」
魔理沙が盾にするようにファーストスペルを自身の眼前に突き出す。
「っ!?」猫をひき殺しそうになり、あわててブレーキを掛けたかのように、妖夢は靴底を削り、止まった。くしくも刀のリーチの範囲外だ。
ようやく、二人の動きが止まった。実を言うと、ありがたい。
「やっと……、追いつけたよ」
よれよれと立ち止まり、チルノは激しく咳き込んだ。肺に穴が開いたかのような気分だった。
「ようむ――」
妖夢に声をかけようとしたために、もう一度咳き込む羽目になった。彼女の横顔が何時しかの殺気に満ちた表情だったからだ。チルノに向けられたのではない。しかし、トラウマレベルの恐怖が刻み付けられており、それが再燃したのだ。妖夢と真っ向から勝負したらまた気落とされるな。そう思えるほどの殺気がこもっていた。
ケーキの件が原因なのは疑うまでもない。
「ちょっとずるい足止めになったが、これで話せるだろう?」
息切れは全く見られない。
「話?」
妖夢も同様に息切れしていない。
「そう、話だ」
針山の頂上に居るかのような雰囲気にも関わらず、魔理沙は会話を楽しんでいるようだった。逃げるかと思えば逃げ、また逃げるかと思えば話しかけてくる。見ようによっては、捕まる直前の犯人が最後の抵抗をしているように見えなくもない。
「何の話がしたいの?」
「ファーストスペルを貸してくれないか? というお話だ」
今の今まで逃げておいて何を言ってるんだ。聞いてあきれる。これはチルノの正直な感想だった。
すぐにでも噛み付きそうな妖夢に手のひらを見せストップを取りながら魔理沙は続ける。
「勿論、お前達の様子を見る限り、急ぎの用があることはわかる」
何故かきめ顔だ。追われているという自覚が本当にないようである。
「駄目です」
「何故だ」
「幽々子様に言われたのです。全力で紅魔を手伝いなさいと。そもそもそれが妖々夢にとっての利益にもなるのです。なので私は紅魔、交渉の邪魔をする者は斬ります」
目的は同じなので、チルノは黙っておくことにした。
「……交渉は何時までに済ませないといけないんだ?」
「今日が終わるまで」
気まぐれな泥棒猫が笑ったように見えた。
「じゃあ、夜十一時まで貸してくれ」
「お断りです」
「……貸してくれないと、か弱い私は手の震えでファーストスペルをびりびりに引き裂いてしまうかもしれない」
仮面を付け替えるかのように魔理沙は泣き顔を浮かべた。
できるはずがない。
そう思いたいが、チルノの中から「もしかしたら」の念は消えなかった。本当の価値がわからなければ、美術館に飾られている芸術品のようにファーストスペルも、他の人が大切と言ってるんだから大切そうだ、という程度の価値にしかならない。
決めかねた妖夢が相談を持ちかけてきた。
良い案がないか。切り札が相手の手にある限り、こちらの行動は極端に制限される。魔理沙の言を裏返せば、十一時にはファーストスペルが戻ってくる。しかし、十一時だ。一時間で幽々子の元に行き、商談を済ませなければならない。その間、予期せぬアクシデント、仕組まれたトラブルが起きたらどうなるか。
仕組まれたトラブル……。そもそも魔理沙が現れたのは幽々子の手向けによってではなかろうか。
何度も思い返すが、計ったようなタイミングなのだ。……ならば、妖夢から考察したらどうか。今は紅魔の手伝いとして動いている。しかし、スパイでもある。魔理沙にとてつもない殺気を送っているところを見ると、仲間同士には見えない。
あえて二人に伝えなかったということも考えられる。
幽々子のメリットは? まず、演技では表せない迫力。妖夢と共にチルノがファーストスペルを取り返そうと魔理沙に襲い掛かった場合、混乱に乗じてファーストスペルを処分する可能性がある。勿論、紅魔側、チルノの過失を装ってだ。襲い掛からなければ、単純に時間を稼げる。勿論、十一時という時間設定自体にも違和感が残ってしまうのだが。
ずぶずぶと、底なしの沼に嵌まり込んでいくような感覚がチルノを襲った。もう何が正しいのか、正しくないのかわからない。どう解釈し、どう対応すれば良いのか。
結局、幽々子がタイムアップによる契約破棄を狙っているのか、ただただ時間がないため取引をせかしているのかすらもわからなくなった。
「はやくしてくれないか。時間延ばしちゃうぜ?」
一つわかっているのは、受けても断っても地獄ということだ。二つから選ぶのならば、チルノは前者を選ぶ。不意打ちを決行して取り返せるかもしれないし、十一時に戻ってくる可能性だってある。
「受けよう。妖夢」
しかし、相手は魔理沙である。返ってこない可能性がやはり高い。
「良いんですか?」
「それ以外に手がないよ」
「……はい」
明らかに納得のいっていない様子だ。
「よし、成立だな。じゃ、早速私の家に行こう」
ここまで翻弄されると、個人で動いているとしたら魔理沙に、幽々子の手先だとすれば幽々子に賞賛を送りたくなった。
全国クラスで展開されている会社の本社もあるのだが、チルノ等の住む街は四方山に囲まれているため基本的に他方との交流は薄い。その為、幻想区と異名をつけられる程である。この地を出るには、今時珍しい鈍行列車を使うしかない。
しかし、街は栄えている。ある程度自給できているのもあるが、主にスペルカード産業のおかげと言える。スペルカードは薄くて軽い。一度に大量に、しかも簡単に運べるのだ。ICチップと同じ類である。スペルカードを乗せた鈍行列車は、戻ってくる頃には街に資材や食料を大量に乗せて返ってくる。
そんな幻想区の南側。木々が鬱蒼と生い茂る森の近くに霧雨魔理沙の家は建っていた。
外見は赤きのこをモチーフにした御伽噺に出てきそうな家だが、中は想像を絶するほど荒れている。
天井に揺れるランタンが法則なく詰まれた魔道書に陰影をつけていた。壁には訳もわからない文字が書かれた資料が所狭しと貼られていた。地面も壁も文字だらけの部屋なのだ。
その部屋で本の山の高さに負けていないのは、ベッドと机だけ。机は魔理沙が使い、ベッドには追跡者の四人が座っていた。チルノと妖夢は、あの後魔理沙の家に直行した。ルーミアと衣玖には携帯で連絡を取ったのだ。衣玖の携帯の番号は知らなかったのだが、何故かルーミアと衣玖は一緒に居たので問題なく衣玖と連絡が取れた。
「追っているときにルーミアさんに連絡をしてくだされば援護に行きましたよ」
苦笑いを浮かべながら衣玖は言った。
「ごめん、冷静になれなかった」
「完全に頭に血が上ってました……」
ケーキを叩きつけられたことは言わない。
「そう、ですか。終わったことをいっても仕方がありませんよね」
窓の外を見ると、暗がりが広がっており正確な時間はわからないが、刻々と時間が過ぎていくのがわかる。
再び、沈黙と時が流れた。
「返してくれると思いますか?」
どのくらい経ったかはわからないが、沈黙を破ったのは妖夢だった。部屋自体は大きくないので、魔理沙にも必ず聞こえている。わざとだろう。
魔理沙も幽々子側だと仮定すると、少々滑稽に見えた。
「そうだね……。五分五分かな」
そう答えたものの、返してくれる保証はどこにもない。魔理沙が幽々子側だとしても個人で動いているとしても、返してもらえない可能性の方が高い。
「そうですか。なら……。あ、あー。すみません。ちょっとトイレ行ってきます」
何かを言いかけたようだ。何を言おうとしたのかはよくわからない。
「トイレはこっちの奥だぜ」
片手で魔道書をめくりながら、魔理沙は作業机の隣にある通路を指差した。暖簾すら掛けてなく、熊が掘った穴のようだ。こちらを見てもない魔理沙に妖夢は頷き返し、魔道書と床を器用に踏み分け通路に消えていった。
このまま待っておくだけで良いのだろうか。チルノの胸の中でふつふつとそんな気持ちが沸いてきた。このまま何もしなかったらファーストスペルは戻ってこない。沸いた物は漠然とした不安になり、風船のように膨らんでいった。
やはり何か、行動を起こすだけ起こすべきではないか。何もやらずに終わるより、何かやってミスする方が良い。
しかし、上手い方法が思いつかない。そもそも、妙案などそうそう思いつく物ではない。
うんうんと唸っていると、風もない室内にそよ風が吹いた。
「あ、妖夢」
幽霊のように気配を殺した妖夢が何時の間にやら戻ってきたのだ。
「……?」
妖夢の雰囲気が変わった気がする。チルノの奇怪な目に気付いた様子もなく、妖夢は申し訳なさそうに礼をすると、手に握っていた紙を三人に差し出してきた。メモ帳をちぎった物だ。
何かを書いてきたようだ。トイレに行ったのは、メモを書くためだったのか。声を発すれば必ず魔理沙に届くので、メモは強力な通信手段だ。
チルノはすぐさま目で文字を追う。
――やっぱり力で奪い返しましょう。
一行目。
本気?
声を出すわけにはいかないので、目で妖夢に訴える。すると、無表情で頷き返してきた。
――不意打ちが成功すれば、間違いなくファーストスペルを奪い返せます。その方法を考えてみました。くだらないと思うかもしれませんが、トイレに行くふりをして作業机に接近するのです。トイレに行く為の通路は、作業机のそばにあります。通る際に一気に奪還しましょう。
確かに悪くない方法だ。しかし案外抜け目のない魔理沙のことだ。警戒はするだろう。どうやって警戒をごまかす気なのだろうか。自分なりに思考を展開しながらチルノはメモの先を読む。
――そして、奪還役をやって欲しいのは、チルノさんです。
異議ありっ!
危うく叫ぶそうになり、チルノは口を押さえた。ジャスチャーで何であたいなの? と伝える。すると、予想していた反応らしく、妖夢はメモ帳を裏返した。そこにはこう書かれていた。
――逆に、チルノさん以外成功しません。
ルーミアと衣玖も納得している様子だ。
すでにトイレに行った妖夢は無理としても、ここは熟練者のルーミアか衣玖が行うべきだ。チルノの行いたかった作戦とはいえ、自分が選ばれるとは思ってもいなかった。
しかし、だ。もしかしたら、期待されてる?
発想の転換を行う。ルーミアと衣玖も納得してるということは、チルノが最適だという証拠。
チルノの思考回路は極めて単純にできていた。この時、チルノの頭からは既にどうやって魔理沙の警戒を逸らす気か、などと言う思考は一切合切吹き飛んでいた。発想の転換をあっという間に済ませてしまうと、ふっふっふと、下を向いて笑いだす。妖夢に認められている。にやけずには居られない。なにせ、ルーミアも衣玖も居る中で選ばれたのだ。
勿論、チルノの完全な思い込みだ。
頷きだけの了承をする。
「あたい、トイレに行くよ」
冷静に言えた。普通、冷静にいうまでもない言葉だが。かろうじて底の板が見える床に着地する。一歩、一歩、安全地帯を確実に踏み分ける。少しつつけば倒れてしまいかねないような本の山ばかりだ。
こけないようにしないとね。
足に意識を集中させたときだ。何か固いものが手の甲に当たった。
「あ――」
熱いものがじょじょに目頭に上ってきた。手の甲の方を、見ると本の山が地震を受けたように揺れている。足に意識を集中させたせいで、手に意識が行かなかったのだ。
魔道書は遠心力を無くした皿回しの皿のように落ちる。小さな雪崩が部屋に起きた。勿論、魔理沙に聞こえないはずがない、けたたましい音もたつ。溜まっていた埃が魔理沙とチルノとの間に割ってはいった。
早速のミステイク。
口元に手を当て、きしむ首を強引に魔理沙のほうへと向ける。
「良くあることだ。ほっといて良いぜ」
特に気にする様子もなく、作業を続けていた。
大雑把な魔理沙の性格が表に出たのだ。
「ご、ごめんね」
まだ始まったばかりだというのに、失敗後のリカバリーにチルノはほっとしてしまった。集中力を切らさないようにする為、首を左右に強く振る。それから、再び歩を進めた。
今度は順調に進み、すぐに魔理沙の背中にまでたどり着く。魔道書のページをめくり、ファーストスペルと照らし合わせる。その姿は、好奇心の尽きない考古学者を思わせた。ファーストスペルを奪い取ることに、戸惑いさえ覚える。しかし、奪い返さないといけない。
生唾を飲み、右手を自分自身の眼前に泳がせる。
行け。
脳から右手へ、指令を送った。
何かを握りこむ音が部屋に響く。
チルノの手は、掴んだ。
空を。
「残念だったな」
気付くと、体内に入ってくる酸素量が半分以下に削り取られていた。魔理沙がチルノの喉仏から首裏に掛けて一掴みにしていたのだ。
「どう、して」
一回失態を犯したものの、魔理沙が不意打ちをしようとしていることに気付いた様子はなかった。不意打ちは完璧だ。
「普通なら、成功してたな」
失敗と息苦しさで、再び目頭が熱くなってきた。ミステイク、二。そう思ったときだ。実はそうではなかったみたいだ。影がチルノの視界の端で動いた。影は、そろりそろりと魔理沙の背後から忍び寄っていた。ルーミアだ。
「普通、なら?」
瞬時にチルノは判断した。少しばかり悲しい気もするが、自分は囮だったんだ。ならば、その役を買って気を引こう、と。今、魔理沙の意識は完全にチルノに向けられている。
「そうだ。失敗する原因が一つ……」
大きくなった影が魔理沙に覆いかぶさる。
「そーなのかー?」
種を明かそうとしていた魔理沙。その背後には既にルーミアが両手を広げて襲い掛かろうとしていた。
不敵な笑いを浮かべ、津波のようにルーミアは魔理沙に覆いかぶさろうとする。意識は完全にチルノの方へと向いている。成功を確信した。
が。
ぴたりと、津波が丸ごと凍らされたようにルーミアは固まってしまった。
「だから、わかるって言ったろう?」
「え?」
魔理沙の左手がルーミアの眼前に突き出されていたのだ。その左手に握られていたのは……、八卦炉――。
「さて、ベッドの上にいるお二人さんは、くるかい?」
見えるはずがない。そのはずなのに、魔理沙はルーミアの行動を完全に読み、阻止して見せた。そして、四人相手に対等以上に戦っている。魔理沙は既にチルノを含め二人を人質にとっているのだ。何が彼女にそれを可能にさせている?
「……お手上げですね」
二重の不意打ちが失敗し、衣玖と妖夢はベッドの上で手を上げる。人質と勝利を取った魔理沙は満足そうに笑う。
「ほら、種明かしだ。チルノ、机の上には何がある?」
机。光る物が机に置かれていた。
「鏡……」
「そう、正解だ」
「ああ……」
わかった。
鏡を使って、魔理沙はずっとチルノ等を見張っていたのだ。言葉が封じられていれば、体で表現するしかない。つまり、誰が見てもわかるジェスチャーを使う。メモを使えど、何をしているかは大体わかってしまうのだ。
真意がわかれば、後はタイミングを合わせて返し技を食らわせれば良い。
「さて、確か商人は手を出したら負けだとか聞いたことあるな。どうする気かね」
それは商売上のお話だ。しかし、衣玖と妖夢は手は出せず、チルノとルーミアは完全に動きを封じられている。何をいわれても仕方のない状況だ。
王手の段階ではない。詰んだのだ。
「ほら、どうする気だ。ルーミア?」
どうするもこうするもない。魔理沙に何を言っても、最終的には彼女に決定権があるのだから、意見しても意味ない。
それでも、だ。
「そーなのかー」
ルーミアはただそう呟いた。
「会話が成り立たないぞ」
「そーなのかー」
「たく、呑気だな……」
チルノは見た。黒縁眼鏡の奥にうごめく影を。ぞわりと総毛立つ感覚。何か腹に一物抱えているときのルーミアの顔だ。無表情にも笑っているようにも見える、その表情の変化は普段からルーミアを見ているチルノでなければ気付かないだろう。
チルノにルーミア、衣玖、妖夢。全員の動きが封じ込められている中で、誰が動けるというのだ。動けないはずだ。
そのはずなのに――。
動いたのだ。
微かに鋼をこすり合わせる音がした。聞き覚えのある。確か、刀を抜刀する際の音だ。刹那、チルノの目の前に何かが生えた。それは、丁度チルノと魔理沙の間に割り込むようにして生えた。
ランタンの淡い光を反射する刀の刃は、魔理沙の首元を狙っていた。峰打ちではない。生命を掻き斬るために構えられていた。
「何で、あんたがそこに居るんだ?」
刀の反りに視線を這わせた。この刀を使う者は、一人しか居ない。柄を握る細い手の先には、妖夢が立っている。
妖夢が、二人?
押さえつけられて、ろくに動かない首を左右させ、ベッドの上の妖夢と刀を握る妖夢を見比べる。どちらも確かに妖夢だ。
「種明かしの時間ですね。魔理沙さん」
少し前に魔理沙が言った言葉だ。
「私には、こういう芸当ができましてね」
刀を構えている妖夢が片目を閉じる。すると、ぽん、という風船が割れるような音がベッドから聞こえた。いつの間にか、ベッド上の妖夢が居なくなっており、代わりに妖夢の半霊がふよふよと浮かんでいる。
「トレース。半霊でもう一人の私が作れちゃうんですよ。姿形は私と同じでも、声は出せませんがね」
心当たりがあった。トイレから返ってきてから妖夢には違和感があったのだ。何かが欠けている違和感が。よくよく思い出してみると、半霊が浮いてなかった。そして、今の今まで妖夢は確かにしゃべらなかった。
「言って見れば、中身のない私ですかね。内臓もありませんよ。でも、自由に操れます。なので、あらかじめメモに伝えたい内容を書いておき、皆さんに実行していただいたんです。申し訳ないことですが、囮として使わせてもらいました。後は、油断しているあなたに、後ろから脅せばいいだけ」
ベッド上で彷徨っていた半霊が妖夢の戻ってこようとしたのか、こちらに戻ってきた。しかし、残念ながら戻る途中、ルーミアがキャッチしてしまった。もはや目の前の八卦路のことは気にしてないようだ。
「ルーミアさん。あんまり触らないでくださいね。感覚は共有しているので」
それでもお構いなく半霊を摘まんだり、引っ張ったりとやりたい放題だ。
「ルーミア、あんたはまだ人質だぜ?」
「残念ながら、私たちは主の目的を果たす為なら自分を殺せます」
ルーミアの場合は少し違う気がする。しかし、魔理沙に止めを刺すには十分な効果を上げたようだ。主砲を前にして遊ぶ者を見せられては戦う気が失せるだろう。
「……今度は、私が手を上げる番、か」
「ええ。今まで散々やられてきましたからね。借りは返しましたよ」
あきらめた魔理沙はチルノの喉仏を押さえていた右手と、八卦炉を握った左手を天井に向けてあげた。今まで気道を抑えられていたチルノはむせ返る。
「ずるいだろ。半霊使って私を騙すなんて」
「騙しあいなんてそんな物ですよね、魔理沙さん」
「……ああ、全く持ってその通りだ」
含み笑いと共に、魔理沙は目を瞑った。
「チルノさん。ファーストスペルを」
うん、と頷く。あれだけ雑に扱われてきたファーストスペルだが、不思議と傷一つなく、新品の状態となんら変わらなかった。
「ごめんな」
ファーストスペルを奪還したときだった。魔理沙が謝ったのだ。それはチルノ達に向けられたものか、依頼主に向けられたものかはチルノにはわからなかった。
どうなるかドキドキです