Coolier - 新生・東方創想話

明るい太子様計画

2012/03/03 10:03:39
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「前々から思っていましたが、太子様は空気が読めなさすぎるっ!!」

 いつも通りの朝。いつも通りの朝食。いつも通りの団らん。
 それが今日も続くと思っていた神子は、その青娥の言葉に多少なりとも驚きを覚えた。
 青娥と言えば、いつもは神子たちの事は気にせずに、従者である芳香との二人の世界に没頭しているのが常であった。
 本日の朝食においても、神子の覚えている限り青娥は芳香しか目に入ってないように見えた。
 それが突然この言葉である。

「え、えっと、青娥さま。それは一体どういう意味で?」

 たぶん聞き間違いだろう。それが一縷の望みだと知っていながらも、神子はそう聞き返してみた。

「ではもう一度言いましょうか。
 太子様の空気の読めなさ具合は異常です! 1400年程昔に人の上に立っていた人間とは思えませんっ!!」
「そ、そこまで言いますか……」

 青娥の目は本気だった。
 それは青娥の隣で芳香がしきりに「せいがー、せいがー」と鳴いているのに、全く相手にしてない事を見るに明らかな事だった。
 これほど本気になった青娥は見た事がなかった。
 不老不死に誘ってきた時でさえも、これほど本気の目をしていなかった事を神子は思い出していた。
 とはいえ、その本気の青娥相手にどう対処すればいいのか分からないのも事実ではある。
 青娥の欲を覗き見ようにも、彼女には欲が多すぎてどれが今一番欲しているのかがいまいち掴めない。
 ならば仕方ない、と神子は周りに助けを求める事にした。

「う~む、卵かけご飯にかける醤油はだし醤油にすべきか、それとも牡蠣醤油にすべきか……」

 布都は困っていた。
 もう誰の目から見てもどうでもいいような悩みに困っていた。
 奴は使いものにならない――神子がそう判断するのにも時間は刹那にもかからなかった。
 だが、布都が頼りにならないのはいつも通りの事。
 神子にはもう一人の頼れる従者がいるのだ。
 そう、屠自古である。
 彼女こそ1400年昔から神子を支え続けてきた、神子が知るところの最高の従者である。
 彼女に助けを求めれば、ものの数秒で青娥を唸らせる反論を思いつくはずである。
 期待を込めて屠自古を見る。

「すぴ~、すぴ~……」

 寝ていた。
 可愛い寝息を立てて屠自古は寝ていた。
 屠自古は昔から朝に弱かった事を神子は今更ながら思い出す。
 一度寝てしまった屠自古はたとえ火事が起きようとも地震が起きようとも親父が鉄拳を振るおうとも起きない性質を持っていた。
 結果として、神子が期待していた従者二人は――いや、期待していたのは屠自古一人なので従者一人の方が正しい――使いものにならない事が判明した。

 ……いや、待てよ?

 神子は考える。
 青娥の面倒な事この上ない提案から逃れる策を必死に考えだした。

「いえ、青娥さま。私は決して空気の読めない女ではありません。
 その証拠に空気が読める行動をご覧入れましょう」
「なるほど、それはいいご提案ですわ。
 この私の目の前で太子様が見事空気の読める行動をなさったのなら、私は芳香の頭を地に擦りつける勢いで謝罪をいたしますわ」

 青娥の謝罪方法が何か間違っているような気がしてならなかったが、それは些細な問題なので置いておく。
 神子はふふん、と凹凸のない胸を存分に張って自信満々に周りを見やる。
 神子が標的にしたのは布都である。彼女の欲は単純ゆえに至極読みやすい。 
 彼女の欲する行動を神子が助言してやれば、それが青娥の言う空気の読める行動に繋がるはずである。

「では――!」

 神子はすっ、と息を吸い、布都を見る。

「布都、卵かけご飯に向いているのはだし醤油でも牡蠣醤油でもありません。
 卵かけご飯にかけるべき醤油はこれ、卵かけご飯用の醤油です!!」

 どんっ!

 神子はそれを傍から見れば大げさな身振り手振りによって布都の目の前に置く。




 …………




 沈黙が流れる。
 なぜだか知らないが、神子は二方向からの冷たい視線を感じていた。
 言わずとも分かるその視線の正体は、青娥と布都である。

 バカな!? 私はこれ以上ないくらいの空気を読める行動をしたはずなのに!!

 神子はそう思って布都をもう一度見る。
 そして、気づく。己の過ちを。

「これで決定的ですね」
「太子さまは何を言っておられるのだ?」

 二人の冷たい視線と言葉が神子の胸に突き刺さる。
 そう、布都が欲しているのは卵かけご飯用の醤油ではなかった。もちろんダシ醤油でも牡蠣醤油でもなかった。
 布都はいつの間にか卵かけご飯から明太子ご飯に鞍替えしていたのである。
 神子は自分でも分かる。
 これ以上ないくらいの空気の読めない発言をしてしまった、と。






☆ ☆ ☆








「さて、これで太子様の空気読めなさ具合が露呈したわけですが――」
「はい、私は空気の読めない女です」

 神子は落ち込みながら青娥の言葉を聞いていた。
 あんな行動をした後では反論の余地すらなかった。

「空気の読めなさ具合が露呈したわけですが」
「お願いです、二回言わないでください。心に響きます」
「まぁ、太子様が空気を読めないのはすでに分かっていた事なので、さほど驚きはないのです」
「……三回目」

 ひたすらに追い打ちをかける青娥に、神子は「この女は絶対にドSだ」と秘かに確信をしていた。
 でもそれを口に出す事はない。きっともっと苛められるだろうから。

「おや、青娥殿。その口振りだと他に太子さまの欠点を見抜いたように聞こえるぞ?」
「ええ、その通りですわ布都様。
 むしろ今しがた気づいた欠点の方が重要かもしれません。例えるのなら、レベルを上げるのに鉄のぶよぶよ探しをしていたら、実ははぐれぶよぶよも出る場所だった、と言うべき発見です」
「その例えは伝わりにくいと思います」

 落ちこんでいてもしっかりとツッコミを忘れないところは神子らしいと言えよう。

「先ほどの太子様の言葉を思い出してください。
 太子様は布都様が明太子ご飯を食べようとしているのにも関わらず、卵かけご飯用の醤油がいいなどと戯言をおっしゃったのです」
「いや、だからもうその件は勘弁してくだ――」
「なんと!? 太子さまはそんな事をおっしゃられていたのか!?」

 神子のツッコミを遮るようにして布都が大声を出す。
 それはまるで何か大事な事を発見したかのような口振りであった。
 神子は青娥の言った事を思い返してみるが、特に気に留めるような事は言っていない気がする。
 布都は一体何の言葉に反応したのであろうか。

「やはり太子様は分かっていらっしゃらないようですね。
 1400年もの間眠っていたのなら無理はないのかもしれません。……いや、同じく眠っていた布都様がちゃんと理解しているところを見るに、分かっていないのは太子様だけのご様子。これは致命的な世間知らずと言えるでしょう」
「なんの事です?」

 青娥に言っても答えを言ってくれないような気がしたので、神子は布都に話を振ってみる。

「太子さま。青娥殿も言っておられるが、明太子ご飯を目の前にして卵かけご飯の醤油を持ち出すなんて事は今日の幻想郷ではありえないのです」
「???」

 布都の言ってる事が理解できずに首をかしげる。

「布都様、太子様には一から説明しないとご理解頂けないようですわ」

 青娥はこほん、と咳払いをしてたたずまいを直す。
 さらには緑茶を一口飲み十分に間を空けてから話しだした。

「太子様は明太子をご存じでしょうか?」
「はい、まぁ人並みに」
「いえ、太子様は明太子の事も十分に理解しておられないのです。
 屠自古様、ご説明を」
「え? 屠自古!?」

 あわてて振り返ってみると、屠自古はいつの間にか起きて少し遅めの朝食を食べている最中であった。
 屠自古は青娥から話を振られると持っていた茶碗と箸を置いた。
 そして目を見開くと、今までの見せ場を取り返すかのように一気にしゃべり始めた。

「明太子――正式名称辛子明太子とはすけとうだらの卵を加工、及び味付けした食材です。全国辛子明太子食品公正取引協議会により、すけとうだら以外の魚――例えばマダラ等を使って作り上げたものを明太子と呼ぶ事はできません。明太子の由来ですが、すけとうだらを加工して食べる文化というのは大陸で17世紀ごろからすでにあったようです。それが我が国に伝わって広まったものだと思われます。ちなみに明太子の語源に関してですが、すけとうだらの事を大陸の言葉で『ミョンテ』と言いまして『明太魚』と書きます。そのすけとうだらの子供だから明太子となったと言われています」
「え? 何? 屠自古、一体どうしたというのですか」

 突然明太子の説明を始めた従者に、神子は驚きを隠せなかった。
 しかも屠自古は考える素振りを一切見せずにほぼ反射のタイミングで説明を始めた。これはつまり、考えるまでもなく当たり前の事として頭に入っている事を示す。

「これでご理解されましたか?」
「……何がですか?」

 神子の言葉に青娥ははぁ~っ、と盛大にため息をついてみせる。
 「全く、なんて物分かりの悪い人なんでしょうか」と付け加えたいのを堪えているのが目に見えて分かった。

「もう一度言いましょう。
 明太子ご飯を目の前にして他の選択肢が出てくるなんて言語道断ですわ」
「あははっ、またまた青娥さまもご冗談を。
 たかだかご飯に乗せる具材の話でしょう? 先ほどの布都は明太子ご飯と卵かけご飯との2つの選択肢があった中でたまたま明太子ご飯を選んだだけの事。
 明日にはきっと卵かけご飯を取るに違いありません」
「そうですね、その答えは半分合っていて半分間違っています。
 明日の食卓において、選択肢が卵かけご飯のみであったのなら布都様はそちらを取らざるを得ないでしょう。
 しかし、明日もまた明太子ご飯と卵かけご飯の2つの選択肢があったのなら、布都様は間違いなく明太子ご飯を取るでしょう」
「布都はそんなに明太子ご飯好きなのですか?」
「いいえ、違います。
 布都様だけではありません。この幻想郷自体が明太子好きなのです!」
「そんな馬鹿な……」

 神子は半信半疑で聞き返した。
 たしかに幻想郷は様々な人間や妖怪が暮らす場所であるために、流行りや廃りもある事であろう。だが、神子には明太子が流行る事はありえないと考えていた。
 なぜなら、明太子は――

「太子様、もしかして明太子は海の産物だから流行る事などありえないとか考えてません?」

 考えている事を一瞬にして青娥に見抜かれる。
 神子はそれに対して肯いて答える事にした。

「えぇ、その通りですよ、太子様。
 屠自古様、太子様にすけとうだらの説明を」

 屠自古はいつの間にか青娥の説明役になっていたらしい。
 そう思って屠自古を見やると、彼女は食後のほうじ茶をのんびりと飲んでいた。
 だが、青娥に説明を促されると、待ってましたと言わんばかりに湯のみを置いて、先ほどと同じように捲し立てるようにしてしゃべり始めた。

「すけとうだら――先ほど説明しました通り、明太子はすけとうだらの卵を加工したものとなります。
 そもそもすけとうだらとは、さ……ではなく、我が国北部の日本海及び太平洋沿岸、オホーツク海、ベーリング海などの北太平洋に広く分布されます。2から3歳程度の未成魚をピンスケ、それより小さいものをマゴスケと呼び分けられる事もあります。
 先ほど太子様の考えられた通り幻想郷には海がないために直接すけとうだらを捕る事はできません。これは屠自古の予測ですが、大方スキマ妖怪が明太子をどこかで口にしてハマってしまい、それ以降スキマを使って外の世界から密輸しているのではないでしょうか?」
「相変わらず詳しい説明ですね……」

 屠自古の二度の説明において何かオーパーツ的な単語が聞こえてきた気がしたが、神子は気にしない事にした。
 思い返してみると、神子自身も復活を遂げた後に明太子を食しているのだから、屠自古の予測が当たっていようが間違っていようが、すけとうだらは確かに幻想郷に存在しているのである。
 幻想郷に海はないのだから明太子が流行るのはありえない、という神子の考えはこれで覆された事になる。

「ここまでは理解できました。
 ですが、本題はここからでしょう? 空気を読めない……かもしれない私と、明太子がどのように繋がってくるのですか?」
「あら、そんなの簡単ですわ」

 あっさりと告げる青娥に、神子は驚きを覚える。
 神子にはいくら考えていても自分と明太子の接点なんて思いつかなかった。

「空気が読める太子様――言い換えるならば、明るい太子様。それを略したものが明太子となるのです。
 今日の幻想郷における明太子のような存在に太子様がなって頂ければ、それすなわち空気が読める太子様という事になります。
 これこそが私の考えた太子様のサクセスストーリー、明るい太子様計画なのです!」






☆ ☆ ☆






 神子は青娥の言っている事は無茶苦茶すぎると思いながらも、全ては自分のためにしてくれている事だからと自身に言い聞かせて人里にやってきた。
 明太子が幻想郷で流行っているといっても、それはきっと一部の間だけの事だろう。それを青娥が誇張表現したに違いない。
 人里に赴いて現状を目の当たりにしたら、きっと青娥も冷静に物事を考えられるはず。
 そう高を括っていた神子だったが、現実はそんな神子の期待をあっさりと打ち砕いた。

「明太子のおかげで彼女ができた!」
「明太子のおかげで金持ちになれた!」
「明太子のおかげで巫女が真面目に働くようになった!」
「明太子のおかげで常識にとらわれなくなった!」
「明太子のおかげで図書館から本を盗むのに成功した!」

 人里のどこへ行っても聞くのは明太子の話題ばかり。
 流行りというのは思ったよりも恐ろしいものらしい。今や人里では明太子の存在は神に等しいものにまで昇華していた。
 明太子を信ずる者は救われる。
 そんな馬鹿な、とは思いながらも、実際その馬鹿な事が当たり前になっているのだから神子としても認めざるを得なかった。

「これが明太子の力……」
「えぇ、太子様が明るい太子様になった暁にはこれと同様、いえこれ以上の称賛が与えられるものだと予測します」
「むむ……たしかに明太子を侮るわけにはいかないですね。
 同じ太子という名前を持つ者として、『彼女』は尊敬に値すべき食べ物なのかもしれません」

 自分が明太子のようになれるのだろうか?
 そんな一抹の不安が神子の脳裏をかすめる。
 神子とて1400年前は人々から神聖視され、誰もが神子を崇めた経歴を持つ少女である。
 だが、それは周りの助けがあったからこその結果であり、神子本人だけで為し得たものではない。
 だが、明太子の場合はどうか。
 『彼女』は、その己自身の力のみで人々の心に浸透し掌握している。
 いや、人々だけではない。妖怪も、そして妖精も、さらには実体をもたない幽霊までもが明太子を崇めている。
 自分とは格が違い過ぎた。

「妹紅、今朝は朝帰りだったがどこへ行っていたのだ?」
「慧音……あの、いや竹林で珍しいタケノコを見つけて掘っていたら、いつの間にか朝になってしまっていて……」
「ほぅ、それはそれは珍しいタケノコだな。そのタケノコは首筋にキスマークを残すのか?」
「え……キスマーク!? そんな、鏡でちゃんと確認したはずなのに……」
「鏡で確認? 妹紅、何の事だ?」
「け、慧音!? 私を嵌めたのか!」
「大方月の姫のところにでも行っていたのだろう。彼女は誰に対しても優しい上に、そばにいて守ってやりたくなる存在だからな」
「そ、そうなんだよ。輝夜ったらおっちょこちょいなところがあるから私がそばにいてやらないと駄目なんだ」
「それは私より月の姫がいいという事か?」
「あ……」
「妹紅は私といるよりも月の姫といる方が楽しいという事なんだな」
「いや……違う、違うよ、慧音」
「何が違うというのだ? お前には私の気持ちが分かるのか?
 お前が来るのを楽しみにして、でも来なくて、月の姫と仲良くしているのを傍目に見て、それがどれだけ私を苦しめるのか、を……」
「慧音……ごめん」
「言葉ではなく、行動で示して欲しいものだな」
「だったら、これで勘弁してくれないかな?
 最高級の明太子だよ。慧音が喜ぶかなと思って、朝早くから並んでやっと買えたんだ。
 慧音の笑顔が見たいから。……駄目、かな?」
「この私がモノに釣られるとでも?
 ……その通りだ、妹紅。こんな美しい明太子を前にしては、嫉妬に狂っていた自分がバカのように思えるよ」
「慧音……」
「妹紅……一緒に食べよう、明太子を」
「ああ、慧音。私は慧音と一緒に明太子を食べたい」

 明太子の前では誰もが笑顔になり、明太子の前では争い事は存在しない。
 人と人とが明太子によって繋がり、人と妖怪の橋渡しとして明太子が使われる。
 明太子はもはや幻想郷においてなくてはならない唯一のものにまでなっていた。
 神子は、こんな事実を、こんなに素晴らしい明太子を、今まで知らなかった自分を叱ってやりたかった。
 それと同時に明太子を教えてもらった青娥には感謝を表さずにはいられなかった。

「青娥さま、ありがとうございます。
 私は明太子の事を知って、また一つ成長を遂げた気がします」
「例には及びませんわ。
 この計画は太子様のためだけでなく、私のためでもあるんですもの。
 太子様が明るい太子様になってくだされば、あの妖怪を出し抜け……――じゃなくて、私も嬉しいのです」
「青娥さま……」

 自分の行くべき道が少しだけ分かったような気がした。
 ――そう、神子が考えていた時だった。

「うわああっ!! 妖怪が出たぞ~~!!!!!」

 村人の劈くような悲鳴が辺りに響いた。
 悲鳴により伝播された恐怖は一瞬にして人里中に広がっていく。瞬く間に人里は阿鼻叫喚の間へと変化した。

「太子さま、いかがなさいますか?」
「慌てる必要はありません、布都。
 私達で退治に向かいましょう。布都と屠自古は人々の避難を誘導してください。青娥さまは私と一緒に妖怪退治に来ていただけませんか?」
「望むところですわ」

 神子は一旦布都及び屠自古と別れて、急いで人里に現れた妖怪の元へ駆けつけた。
 幸いにも妖怪は目的もなく闊歩しているだけで損害は見受けられない。
 だが、妖怪の目を見れば何が目的でこの人里に現れたのかはすぐに分かった。食事である。腹をすかせて涎を零しながら歩くその妖怪は人々を喰う事を目的でこの場所にやってきたのである。
 人間ではありえない程に隆起した筋肉に変色した茶色の皮膚にはびっしりとした剛毛に覆われている。目は血走っており、突然暴れ出しても不思議ではないだろう。会話ができる知能があれば戦闘も避けられるのだが、どうやらそれも望めないようである。

「言葉が通じない野獣のような妖怪。厄介な相手ですわね」

 青娥も神子と同じ考えだったらしい。いつも笑みを絶やさなかった彼女の表情が、今は標的を見据えながら引き締まっている。
 神子は青娥と妖怪を一瞥し、そして一歩前へと進み出る。

「太子様?」
「大丈夫です、青娥さま。ここは私にお任せください」

 青娥を手で制止してもう一歩前へ進む。
 妖怪が攻撃できる間合いの一歩外。油断を許されない状況であった。
 そんな状況で、神子はゆったりとした口調で――それはこの場に置いて突飛な行動と言えた――妖怪に話しかけた。

「よいのです。貴方の言いたい事は分かっています」

 当然の事ながらそんな言葉で妖怪の歩みが止まるはずもなかった。むしろ妖怪を刺激してしまったようにも思える。
 ぐるる、と吠え威嚇しながら、血走った目は完全に己の邪魔をしようとする神子だけをにらみつけていた。

「貴方はお腹が空いているのでしょう。分かっています。貴方は何も言わなくてもよいのです」

 そう言って神子が懐から取り出したものは明太子だった。
 先ほど人里を視察中にお試しで買っておいたものである。この明太子を買うのに半刻並んだという出来事が存在したのだが、今の状況に全く関係ない事であろう。

「貴方は人間を食したいとお考えなのでしょう? 妖怪ですからそれは当然の事だと思います。
 ですが、貴方が人間を食したいと考える理由は何か? それは、貴方が人間以外に美味しい食べ物を知らないからです。言い変えれば、貴方は人間が一番美味しいと思っている。貴方の欲は人間を食したいと考えている。それは分かります。
 ですが、ここには貴方が思う人間よりももっともっと美味しい食べ物があるのです」

 神子はさらに一歩進むと、妖怪の目の前に明太子を置いた。
 間合いの中へと入られたにも関わらず妖怪は微動だにする事ができなかった。神子の言葉が心に響いたのかもしれないし、神子が取り出した明太子にかつてない程の魅力を感じたのかもしれない。それは妖怪にしか分からない事だった。

「食してみてください。貴方は自分が井の中の蛙だった事を知るでしょう」

 にこりと微笑みかける。
 妖怪はしばらくの間動けなかったものの、次第に明太子に興味を持ち始め、そして地面に置かれた明太子を奪い取るように掴む。
 そして一瞬だけ神子の顔を見ると、振り返りあっという間に去って行った。
 神子は妖怪の後ろ姿を眺めていた。
 そこに青娥が声をかけた。

「お見事ですわ、太子様。まさか戦わずに妖怪を退治するなんて……」
「いえ、私の力ではありません。全ては明太子の力なのです」

 妖怪が去って行ったのを知ると、村人はわっ、と歓声をあげた。そして何事もなかったかのように元の日常へと戻って行く。

「太子さま、ご無事でしたか」
「私は大丈夫です。それよりもお二人とも御苦労さまでした」

 人々の避難誘導をしていた布都と屠自古が戻ってきた。
 神子はそんな二人にねぎらいの言葉をかけた。

「青娥さま、私はあの妖怪に『自分が井の中の蛙だった事を知るでしょう』と申しましたが、あれは私に向けての言葉だったのかもしれません」
「どういう意味でしょうか?」
「私は妖怪と言えば退治するものだと思っていました。人々に害を成す存在です。滅するのが当たり前だと思っていました。
 ですが、明太子さえあれば妖怪すらも傷つける事なく和解する事ができる。それを知らなかった私は無知な事この上ないでしょう。
 青娥さま、改めてお礼を言わせてください。私に明太子を教えて頂きありがとうございました」

 深く礼をする。
 その心のこもった礼に布都と屠自古が驚いた声をあげた。だが、これは神子の為すべき事であり、自分の世界を広げてくれた青娥にはこんな礼程度で感謝を表わせたとは思えなかった。

「私の明るい太子様計画をご理解いただけたようで嬉しい限りですわ。
 太子様が目指すべき道は一つ。明太子のような存在に太子様がなって頂ければ、きっと明太子と同じ目線で世の中を見る事も可能となってくるでしょう」
「はい。
ですが……それはまだまだ先の事。
 今の私では明太子と同じ太子と名乗る事すらもおこがましいと思える程に矮小な人物。
 改めて太子と名乗る時は、明太子のような立派な人物になった後でこそ相応しいと考えているのです」
「へ?」

 青娥が素っ頓狂な声をあげる。
 いつも冷静な青娥にしてはその声質は異質だと言えた。

「これからは私の事は太子ではなく、タラコとお呼びください」






「……やっぱり太子様は空気が読めない娘ですわ」

 青娥がぽつりと一言つぶやいた。
























 これで青娥の考えた『明るい太子様計画』は終わりを告げるはずであった。
 だが、とある人物がそれを許すわけがなかった。
 否。
 その人物が許さなかったのは『明るい太子様計画』ではなく、自分の挙げた利益をまるまる乗っ取ろうと企てた青娥に対してだった。






「ぬはははっ、策に溺れたのぅ、邪仙よ!」

 突然神子達の目の前に現れたのは佐渡の化け狸こと二ッ岩マミゾウであった。
 マミゾウは愉快そうな表情で青娥の事をあざ笑うと、神子をじっと眺めた。
 神子はその奇妙とも言える視線にたじろぐ他なかった。先ほどの妖怪のような我を忘れた野獣のような瞳ではなく、巫女のような何にも考えていないのほほんとした瞳でもない。例えるならば、神子の隣にいる青娥のようなどこか捕えがたい奇妙奇天烈な瞳だった。

「さすがにお主でも空気が読めない事には策を施しようがないという事じゃな」
「くっ……化け狸め! 今まで私達の行動を盗撮していたというわけですわね!」
「おやおや、そんな言い方をされたら儂が悪いように聞こえるではないか。
 悪いのはお主の方じゃろう、邪仙よ。何せ儂の手柄をそっくりまるまる横取りしようとしたわけじゃからのう」

 神子は二人の言っている言葉の意味が分からなかった。
 青娥は憎しみを露わにしてマミゾウを睨みつけているが、マミゾウはその真逆で心底楽しんでいるようである。
 さらには二人の会話を聞く限りでは、青娥がマミゾウの策を奪い取ったようにも聞こえる。

「どういう事なのです、青娥さま?」
「……」

 青娥は歯ぎしりをするだけで答えない。
 代わりに答えたのはマミゾウだった。

「ぬはははっ、太子殿が知らぬのも無理はない。何せ青娥はお主を利用して儂の策を横取りしようとしたわけじゃしのぅ。
 だが、幸いお主の空気の読めない性格が青娥の策を事前に防いだ事となる。儂としてはお主には感謝をせねばなるまいて」
「策? 明るい太子様計画には別の意図があったという事なんですか?」
「その通りじゃ。考えればすぐに分かる事じゃろう?
 明太子がいくら流行ろうとも、明太子自身が幻想郷の住民を統治、支配する事はない。じゃが、それと同じ力を人間が持ったとすれば話は違う。
 お主が明るい太子様とやらになった暁には幻想郷全ての住人から信仰を得られる事となるじゃろう。その時にお主が考える事は何か? 当然自分をここまで導いてくれた邪仙への感謝じゃ。つまり、お主よりも邪仙の方が上という認識となり、それがいつの間にか邪仙が明太子を広めたという認識が広まる。やがてはこの幻想郷全てが邪仙の手の内になってしまうのも時間の問題という結末じゃな」
「では……まさか、屠自古も青娥さまに加担していたのですか?」

 屠自古に振り返り聞く。
 屠自古は神子の視線を合わせられないのか俯き、自身のスカートの裾をぎゅっと握りしめた。その動作だけで彼女が肯定しているのは明らかだった。

「申し訳ありません、太子さま。全ては太子さまのためを思ってした事でございます」
「では、布都も?」
「布都のは天然です」
「ですよね」

 二人で納得。

「何か我だけ不等な扱いを受けている気がするぞ!?」
「布都だけに不等なのね……」
「面白くありませんよ、屠自古」
「屠自古は反省します」

 神子にもだんだんと計画の全貌が掴めてきた。
 だが、分からない事が一つだけあった。
 マミゾウの策についてである。青娥はマミゾウの策を奪い取り明るい太子様計画を画策したという。では、マミゾウの策とは一体なんなのであろうか。
 考えられる事といえば、計画の発端――つまり、明太子の流行となるわけだが……。

「そろそろ分かってきたようじゃな。
 お主の考える通りじゃ。明太子はこの儂が広めた」
「一体どうやって?」
「偶然と偶然の連鎖じゃな。
 時にお主、明太子の事はどこまで知っておる?」
「屠自古から一通りの説明は受けました」

 神子はすぐにでも答えが知りたかったが、ここはマミゾウに合わせる事にする。

「では明太子の材料となるすけとうだらの事は?」
「それも同じく屠自古に説明して頂きました」
「では……すけとうだらの産地については?」
「……まさか!?」

 にやり、とマミゾウが笑う。
 屠自古が行った明太子とすけとうだらの説明。あの中にすでにマミゾウが明太子を広めたという事実が隠されていたのである。

「すけとうだらは我が国北部の近海だけでなく大陸の北の地でも多く捕れる。じゃが、我が国においてすけとうだらの産地として有名なのは儂が元いた佐渡に他ならぬ。そもそも、すけとうだらの名前自体、佐渡が『すけと』とも呼べる事からついた名じゃしな。
 儂が幻想郷を訪れる際に土産としてすけとうだらを加工した明太子を持ってきたわけじゃが、それをスキマ妖怪がえらく気に言ってのぅ。時々外の世界に赴いては明太子をスキマ経由で密輸しているうちに次第に広まったというわけじゃ。
 たしかに儂が直接的に明太子を広めたわけではないが、それでも発端となったのは儂のおかげじゃ。それを横取りしようなど愚の骨頂というわけじゃな」
「それが今回の全てというわけですか……」

 たしかに神子が明太子を目指したのは本気であるし、今でも目標としては掲げている。だが、結局のところその明太子すらも偶然と偶然が重なりあって今の状況が生まれた。
 成功には運が必要とも言うが、明太子を目指しただけで人々の信仰が得られるという話はよくよく考えれば甘すぎるとも言える。
 マミゾウの策を横取りしようとした青娥も悪いが、簡単に信仰が得られるからといって青娥の策に乗ってしまった神子も悪いのだろう。
 ローマは一日にしてならず、という事だ。

「しかし、分からないものじゃのう。
 まさか明太子がここまで流行るとはこの儂ですら予測もできなかった事じゃ。
 流行り廃りというが、この幻想郷においても何が流行るのかは誰にも予想できない事なのかもしれないのぅ」
「たしかにその通りかもしれませんね」

 神子はマミゾウの言う事に静かに肯定した。










 後日。
 明るい太子様計画で懲りたと思っていた青娥がまた新たな計画を打ち出した。
 『屠自古ドジッ子計画』。
 この話はまた別の機会にでも。


おしまい。
これが、バカミスというものだ。


以下、参考資料。
サイト名だけ挙げておきますので、興味のある方はググってくださいな。

『辛子めんたいこのお話』
『366日明太子料理 -常識にとらわれない明太子調理-』
『辛子明太子-Wikipedia』
『スケトウダラ-Wikipedia』
『そして誰もが明太子になった』
『学ぶ・知る・食す 辛子明太子』
くさなぎとーじ
[email protected]
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コメント



0.400簡易評価
1.50名前が無い程度の能力削除
はやく僕たちにも屠自古ペディアを編集させてください!泣いてる子もいるんですよ!

あと神子の一人称でやったら、もっと読みやすくなったと思う。
6.80名前が無い程度の能力削除
明太子ぱねぇw
二転三転する展開が面白かったです
明太子であっさり和解するけねもこに「いやいや待てよ!?」と突っ込みたくなったのは私だけではないはず!