一
或る日、河童のにとりがいつも住処にしている水場に小さな玩具が流れ着きました。
それを拾い上げてにとりは、「ははぁん、さては誰か、川に落としちゃったんだな。」と呟きます。よくよく見ると傷もない、まだ新しい玩具です。
「おやおや、勿体無い。まだまだ使えるじゃないか」
にとりは、はぁっと溜息をついて、流れ着いた玩具を拾いました。が、おや。足元にももう一つ、もう二つと、次々に流れて来ます。これはきっと誰かが捨てたに違いありません。にとりはぷんすか怒って玩具を拾い上げました。すると玩具は全部で五つありました。
「全く。なってない人間もいるものだな。これは、慧音先生に、是非とも叱ってもらわないと」
そう言うとにとりは玩具をきれいに拭いてやって、痛んでいるものは直してやって、「うん、どんなもんだい。」と大得意になって慧音先生のところへ行くことにしました。
二
人里の中ほど、紫藤花下の影に一人、藤棚の下に設けられた長椅子に座って、慧音先生は物思いに耽っています。
手元に携えられた難しい本は閉じられたままです。
さて、先生は悩み事があるのでしょうか?
ぼうっとしてお空を眺めています。
慎ましやかで美しい藤花は、悲しそうに垂れ下がって、先生とお日様の間で揺れています。
先生がハァッと溜息をつきますと、藤花はゆらゆらと春日をさいて木漏れ日を作ります。
何だか先生を、心配しているようです。
そこへ例の河童が、慌しくやって来ました。
「やぁやぁ先生、お元気ですか」
「お蔭様で、元気にやっていますよ」
「それは結構です。ところでね、先生。こんなものが川に流れてきてね」
と言って、にとりは玩具を取り出します。
「ねぇ、先生。ついつい川におっことしちまうのは、仕方がないけれど、川に物を捨てるのはいけねぇやね」
そうして、にとりはちょっと怒った振りをします。そうそう言い忘れてはなりません。
「ちょっと傷のあるのもあったけれど、私が直しておいたから、もう新品同然さね。誰のものかなんて、別に気にしやしないけど、捨てちまうのは勿体無いから、誰かにあげて、使ってもらってくださいな」
こうして念を押しておけば、きっと責任感の強い慧音先生ですから、にとりに謝って、お礼を言って、「しかしすごいな。器用だね。感心だ。」と褒め言葉の一つもくれるに違いありません。が、先生は沈鬱な表情で、その玩具を見ているばかりです。
「おや、どうしたんだい先生? 何だか辛そうなお顔じゃないか」
とにとりが言うと、先生は、
「いや、ごめんな。君の言うとおりだ。すまないことをした」
と謝ります。でも別に、そんなに怒っちゃいなかったにとりは、それよりも褒めて欲しかったのですが、先生はしゅんとしたまんまです。
(なぁんだ、詰まらないなぁ。先生も存外、気が利かないね。こんな調子じゃ、子供達もふてくされちゃうね)
そんなことをにとりは考え、残念に思っていると、先生は、
「なぁ君。これは何時ごろ川に流れ着いて来たんだね?」
と問い掛けて来ます。
「今日の午前中ですよ。だから、きっと昨日の夕方か夜か、そのぐらいに捨てたに違いないね」
とにとりは答えます。すると先生はなおさら辛そうなお顔をして、溜息をつきながら、「そうか。」と答えます。にとりは気になって、「どうしたんだい先生?」と尋ねます。悲しそうに先生は、俯いてにとりにこう答えました。
「実は先だって無くなった子がいるんだが」
三
そのお墓の周りにも藤が咲いていました。死んでしまったそのぼっちゃんは、藤夫と言うそうです。藤の綺麗なときに生まれたから、藤夫と名付けたのだと言います。藤夫は五歳になる直前に病気で死んでしまいました。小さい子はまだ体が弱いですから、急に熱が高くなって死んでしまうことがあるものです。お父さんは五歳になる前に、新しい玩具を買ってやったそうです。が、藤夫は一度も玩具で遊ぶことなく死んでしまったそうです。
お母さんは墓前にじっと座っています。にとりと慧音先生は遠目にそれを見ていました。
すると、お母さんは二人に気がついて、会釈をしてこちらにやって来ます。
そして、にとりが手に持っている玩具を見て、お母さんは、
「どうしてこれをお持ちになっているのですか?」
と尋ねました。
にとりは、
「私の川に流れてきたんだよ。川が汚れると良くないし、まだ使えるのに勿体無いから、先生のところに持っていって、誰かに使ってもらおうと思って」
と答えました。
お母さんは、
「それはごめんなさい。悪気はなかったのです。ただ、かわいいぼっちゃんを思い出して、辛くて辛くて、仕方がなかったから……」
と眼に涙を溜めて謝ります。にとりはお母さんが辛そうにするのを見て居た堪れません。
「あぁ、お母さん。私はそんな心算じゃなかったんだよ。ごめんね、意地の悪いことをしちゃったね」
と、謝ります。二人は今にも泣き出しそうです。先生が、
「お母さん。お気持は分かりますけれども、これも何かの縁ですよ。この玩具は、誰か他の子にあげてもよう御座いますか? その方が、きっと供養にもなるでしょう」
と言いますと、お母さんは、
「よござんす。先生の仰る通りですから、良いようにしてやっておくんなさいまし」
と答えました。
にとりはそれを聞くと、玩具を一つ取り出して、
「ほら、この通り。この車も、ぜんまいは錆びてなかったからね。しっかり拭いてやって、ちょっと油をさしてやってね。車軸の竹を入れなおしてやったら、素直に走るでしょう?」
と言って、車を手の上で走らせて見せます。
それを見てお母さんは、
「あら、本当。お達者ですね。こんなに綺麗にしてくれて」
とお礼を言います。
お母さんは目尻に涙を浮かべながらも、その口元には笑みが萌しています。そうしてにとりは恭しく、
「お母さん。私にも藤夫君を供養してあげたいから、お祈りさせて頂戴」と言いました。
お母さんはたいそう喜んで、
「お願いします。ぼっちゃんも仕合せです」
と答えました。そうして、三人で手を合わせて祈りました。
藤下にはただ祈る者が三人あるばかりです。
もう少し掘り下げても良かったのではないでしょうか