※
「お酒呑みましょう、お酒」
「え、ちょっと」
聖白蓮に部屋へと連れ込まれ、何をされるかと思えば、酒を飲もう、などという。僧侶としてどうなのか。いや、もしかしたら般若湯を呑んでも大丈夫な宗派なのかもしれない。
「ほんとは駄目ですけど」
「駄目なのかよっ」
彼女は押し入れをごそごそと漁り、色のついた瓶を持ちだした。ラベルには『神綺様謹製超絶葡萄酒』とある。意味は解らないが、嫌な気配しかない。
「私ワイン苦手なのよね」
「そんな事いっても駄目です。前に進みません」
「酒で前に進ませようってのが果てしなく堕落的なんですが!?」
「まあ、まあ。まずは試しに、さあ、呑んで、みて、ください」
聖は瓶を脇に据えて、地子の手を握り、真正面からそのように言う。美しく張りのある唇から紡がれる文言は、明らかに呪詛めいていた。地子は確実にそれを知覚し、抗魔力を発揮しようとしたが、どうやら相手の言霊は第一、第二精神防壁程度では防ぎようの無い、強烈なものらしい。
地子の知識で言えば、明らかのエンシェント。そこらの魔法使いではとても再現出来ない、おぞましい『何か』である。
「き、汚いわ……うう……」
「気丈すぎるのも考えものですね。尼僧の顔では何も話してくれそうにないので、ここからは魔法使いと行きますか」
「はっ……うそでしょ……マジ反抗できない……」
「人間はもっと容易かったですよ。意のままに、操るのは」
「くっ……妖怪は、やっぱり妖怪ね……げ、外道め……」
「ふふっ。冗談ですよ。こんなのを覚えたのは、魔界での事ですから」
「ぐぬぬっあにゃあぁ~……」
ぐでっとなる。もう、他に表現のしようがない。ぐでっとなる。これが敵なれば死んでも反抗するところだが、当然聖がそのような暴挙に及ぶ筈もないという無自覚の安心感からか、余計な力が一切入らない。
「まあ。気丈な女の子がぐでっとしていると、なんだかむずむずしますねっ」
駄目だった。敵だった。聖はぐでった地子の後ろに回り込み、抱きかかえるようにする。聖の柔らかい太股に頭を乗せると、信じられないぐらいの安らぎが訪れた。魔法の類かと疑ったが、純粋にやわっこいだけだろう。
「ささ。洗いざらい喋りましょうねえ。でないとお姉さん、何も相談に乗ってあげられなくて、存在意義がピンチです」
「誰が喋るか……え、何それ?」
いつの間にか。聖の手には、なみなみと注がれた葡萄酒がある。とんでもない手際だ。もう、最初からこうするつもりだったとしか思えない段取りである。
「お酒です」
「自由を奪ってアルコールにつけるなんて、どこの拷問よ」
「私流です。注ぎますね」
「わ、わかった。自分で、呑むから。喋るから。たしゅけて」
「……残念」
「え、何?」
「いえ。じゃあそうなさってください。一緒に呑みましょう。あ、でも待ってください」
「もう、何よ何なもふぅぅ」
「いいこいいこ~」
何がやりたいのか。何を目的としているのか。聖は地子の顔を掻き抱き、思いっきり撫で撫でし始める。すべすべした手が顔をもみくちゃにするし、大きな胸はやわらかいし、もう訳が解らなかった。胸は豊満だった。
「はあ……はあ……うう……」
「はあ。満足しました。はい、拘束を解きますね」
聖が指を鳴らすと、途端地子の身体が自由になる。……あまり、聖白蓮に真っ当な行動原理を問いただしても意味はないだろう。東風谷早苗曰くなれば、彼女は強烈な価値観でもってして、その場を支配するらしいのだ。地子如きがムキになった所で、対応出来る相手ではない。
「もしかして、本当にただ撫でてみたかっただけ?」
「うん」
「うんって……ああもう……調子狂うわね……ほら、グラス貸して」
「良かった、逃げないんですね」
「逃げたら後が怖いわよ。はい、じゃあ乾杯」
「乾杯~」
致し方無く、心の底から致し方無く、付き合う事にする。赤紫の液体は、普段殆ど呑む事のない葡萄酒だ。熟成が進んでいるのか芳醇な香りが漂う。経験の少ない地子ですら、これが高級酒の類であると理解出来た。とんでもない物を隠し持っているものだ。
一口つける。とろけるような果実の甘みと、主張しすぎない渋み、そして舌から喉へと染みる上品なアルコールが、地子の味覚を支配して行く。地子は開眼した。
「うっ……美味すぎる……信じられない。元が葡萄なんて。冗談でしょう」
「葡萄ではなくて、たぶん魔界神の血液ですけど」
「ぶふっ」
「大丈夫です。ちょっとアホの毛が立ってて、ちょっと野心家で、ちょっとボケてて、いささか強すぎるだけの神です」
「元とはいえ、天人に何呑ませるのよ」
「もしかしたら寿命伸びるかもしれませんね」
「これ以上いらんわ。私を何にする気……」
「どうです……?」
「あふ。にゃにこれぇ……おいひぃ……」
「あらら。きちゃった」
おぞましい悪夢のような聖白蓮の姦計に嵌り、地子はまたぐでった。呂律がまともに廻らない。思考も鈍化する。もうこれなら、言霊での一時的洗脳と大差ないではないか。
「あらら。地子ちゃん、ふにゃふにゃですね」
「あうー。ひじり、ひじり、にょませてぇ」
「はいはい。ほらー」
「んっ、んっ。ぷあ。あー。むーぅー」
「それで地子ちゃん」
聖はグラスを傾けながら、足を崩して座る。その瞳は蝋燭の揺れる明かりを映し、地子をじっと見つめていた。それは正しく魔女の様相である。怪しく尾を引くような発音が、じりじりと地子の耳朶をくすぐる。
「何故、自らの安寧を捨ててまで、地上に?」
「あーうー。らってぇ……あいつら、むかちゅくし……」
「思いっきりが良いんですね。後先は考えなかったのですか?」
「あふふ。あたししゃまなら、どこだってえいきてけるわよぉ」
「で、現実を想い知って如何ですか?」
「……こんなんらにゃいの。おつむのいいあたしは、こんなんらにゃいの」
「つまり、知識と経験が齟齬を起こしていたのですね」
「むぅぅぅ~、ひじり、ついでッ」
「はいはい」
ふにゃふにゃの地子は、四つん這いで近寄って酌を要求する。それを受け取ると、聖に縋りついて、あにゃーだのふにゃーだのとぐねぐねするのである。数百歳児とは思えぬ酩酊ぶりである。もしこの相手が男だったりしたのならば、きっと次の日にはタダでは済んでいないだろうし、地子も後悔で三途リバーにダイヴするだろう。
聖は笑みを浮かべて地子をあやしながら、しかしその思考は冷静なようだ。
「地子さんは、何故天人になったのですか」
「なゐがね、天にのぼるって、いうからー、それにね、つきそえって、ひななゐがぁ」
「なるほど。完全に従者として、主家に従った訳ですか。つまり、純粋に仏教を学び有頂天まで昇った訳ではない……。苦労も多かった事でしょう」
「あたしはぁ、ちゃんと、どりょくしたもの。べんきょーしたし、しゅぎょーしたし、おしごとも、した。したの」
「えらいでちゅねー」
「いやぁん、なでなでしちゃやぁーあ」
地子の言葉に嘘は一つもない。彼女は親族がただ日々を消化する中で、それ以上の努力を重ねて来た。比那名居の娘であるという自覚と、無修行で天に昇った不心得者であると罵られない為にも。
だが、それは報われる事はなかった。どれだけ学ぼうと、彼女には決定的に足りないものが存在したからだ。
それが実践である。聖白蓮率いる命蓮寺は、信貴山朝護孫子寺の真言密教を非公認にも引き継いだ上で、聖独自の思想から成り立っている。そこで重んじられるものはやはり密教でも大事だとされる三密である。
印を結ぶ事。真言を唱える事。仏の心を知ろうとする事の三つだ。地子の宗派はともかくとしても、例えるならばそれら三つを、何の思い入れも無く繰り返していただけに過ぎない。
言ってしまえば、心霊マニアがお祓いと称してマントラを唱える事と大差ない。
彼女には実践的に用いようとする気持ちと、それが一体何に繋がるかという想像がまったく足りていなかったのだ。
知識は知識。智慧ではない。それはただ諸行無常と消えさる運命にある、儚き知識である。
「真実に繋がらない知識は、宇宙の塵にも等しく瑣末に失せる事となりましょう。しかし、これから貴女がそう努力するというのならば、知識は智慧となり、貴女の身を助け、衆生の生を安らかにし、菩薩へと導くだけの力になるかもしれません。難しいですか?」
「んーん。わかる。ちこ、あたまいいもん。それにねー」
「はい、なんですか?」
「あにょねー、ちこねー」
「うんうん」
「ちこね、ほんとはねぇ、しってるのぉ」
「なにがですか?」
「ブッダがゲイのサディストだってことだよ」
「ねー……あるあるある。同意します。私も散々な目にあったものです。昔は。それで?」
「でもねえ、それは、どりょくとかね、りょうしんとかね、ただしいおしえを、惜しむひとにだけ、そうなのぉ」
「……そうですね」
「でもね、ちこはね、しってるの。天は、ちこにはもったいないくらい、きれいなばしょで、ちこのかぞくみたいじゃない、もっとりっぱな人が、たくさんいるって。ちこはね、だから、なにもかも、たらないと、おもうの……」
「……うん、うん」
「みとめてもらおうと、どりょくはするけど、みとめて、もらえなくって……ちこは……ちいさいころ、もっと、ゆめみたいな、ゆめをみてて……」
「どんなことでしょうか」
「――あはは。ひじり、わらわない?」
核心。それは願いである。本願である。この世に生を齎された人類が、過去に未来に観る、絶対的な価値観であり、絶対的な絶望であり、絶対的な幸福であり、絶対的な、揺るぎようの無い、願いなのだ。
地子は毘沙門に招かれたと言う。地子にその真意は読みとれない。だが、聖白蓮なる類稀な尼僧であるならどうだ。
白蓮もこれが聞きたかったのだろう。
「笑いませんよ。笑うものですか。ちこちゃんは、何を夢みていたんですか?」
「りっぱになってね、くるしむひとを、もれなくぜんぶ、たすけたいって」
白蓮は――葡萄酒を煽り、頭に手を当てた。その顔は難しくもあり、安堵でもあり、焦燥でもある。なんとでも読みとれる仏のような顔である。
「ひじりぃーどったのー?」
「いいえ。うん。どんなに荒唐無稽でも、どんなに分不相応でも、夢は大きく見るべきです。そしてたゆまぬ努力を積む事です。目的が大きければ大きい程、貴女は大きくなれる筈。人が救いたいんですか?」
「みんな、つぶれて」
倒壊する家屋。雪崩れる斜面。
「うん」
「ながされて」
押し寄せる黒の濁流。成す術もない無辜の民。
「……うん」
「なにもできなくて」
ただ立ちすくむ自分。決して差し伸べられない己の手。届きようのない、絶望の距離。
「……うん」
「――わたしは、神を疑った。仏を、罵倒した。親族を、呪った。そして、己を憎んだの」
「それが、貴女の起源ですね」
地子は――聖の胸元に顔を埋める。どうしようもない程に身体が震えた。歯はガチガチと打ち鳴らされ、全身が痙攣したかの如く不規則に動く。無自覚に漏れる涙は決して抑える事が叶わない。こみ上げる吐き気を耐えるのに精いっぱいだ。
「貴女はその時、どうしたのですか」
頭を振るう。想起された絶望は地子を一気に現実へと引き戻し、地子は、比那名居天子としての記憶を語る。
「私は……」
天に上がって間もなくの出来ごとであった。一際大きな地震があると名居が観測し、永江衣玖の言がそれを決定づける。要石の恩恵虚しく地は大いに揺れ、名居および比那名居の管理した地上は、原始時代にまで戻される。そうとしか、言いようの無いものだった。
比那名居天子の動揺は激しい。今の今まで自分達が暮らしていた場所が地獄と化したのである。家々は潰れ、田畑はひび割れ、山の斜面は総崩れとなった。天から沿岸部を眺めれば、そこにはあった筈の漁村が丸ごと無くなっている。
訳が解らないのだ。
まったくもって、実感のしようが無い。
人の営みがあった場所が無くなる。なんだそれは。冗談にしては行きすぎている。現実にしては苛烈すぎる。
「――助けに行こうと、言ったの」
「ええ」
「でも、駄目だって。もう、わたしたちは、人間ではないのだからって」
「……」
「じゃあ……わたしは、わたしたちは……なんなの? 何のために地震を抑えて、何のために神を敬い、何のために……」
「地子ちゃん」
「わたしは、忘れられないの。あのときの、皆の顔が。最初から全部何もかも諦めてる、アイツラの顔が……ッ」
「地子ちゃん」
「人が死んでるのに……ッ!! 生活を奪われたのに……ッ!! それに、手を差し伸べるのが私達だった筈なのに!!」
親族との不和は、そこを起源としていた。名居と比那名居の存在意義そのものである鎮護を、天に上がったからと言って何もせず投げだした、彼らをずっと憎んでいた。そして何よりも――自分一人でもなんとかしようと、立ち上がらなかった自分を、もっとも憎んでいた。
現実的に、天人一人が大天災の最中に立ったところで、何の意味もない。改めて無力を実感するだけである。だが、それすらも含め、比那名居天子は全ての後悔を背負い込んだのである。自分が強ければ。自分が優れておれば。要石ですら還元出来ようの無い大震災とて、救済の手を差し伸べるだけの力があれば。
なにも出来ない比那名居天子。最悪の心的外傷であり、自ら背負い込んだ誰にも責められない咎である。
「何故、そこまで背負い込むのですか?」
「皆、意味も解らず飲み込まれたの。では、誰かが覚えておいてあげないと、あんまりにも可哀想だわ」
地子は言い終えて、大きな溜息をつき、消沈する。こんな事、誰にも話した事は無い。当然両親にも。
聖はそれを咀嚼するようにしてから、口を開く。
「それは貴女のエゴでは?」
「だとしても、私は背負わなきゃいけない。比那名居なのだから……」
「捨てたのでしょう?」
聖は冷静だ。きっとほかの者なら、同情の言葉をかけたかもしれない。だが相手は誰であろう、齢千を超えた尼僧であり、数多の苦難を乗り越えた魔法使いだ。
「……それは」
「その程度なのです。だから何も、そこまで気を病む必要もないでしょう」
「あ、アンタ……ッ」
「軽薄なのです。別段と、貴女の犯した咎ではない」
「だ、だって……」
まただ。また、反論する言葉が出て来ない。地上に降りてからというもの、何一つとして人様に反論出来た事がない。論破したいという意味ではない。返す言葉が、思いつかないのだ。では地子は、全てにおいて比那名居天子は間違っていたのか。いいや。聖白蓮ほどの者が、それを汲み取らない筈もない。
地子は、息を飲んで聖の言葉を待つ。聖は、微笑んでから言葉を紡ぐ。
「当寺院を見てください。一輪は、入道を率いて村を一つ壊滅させました。村紗は、罪も無い漁民を何百人と海へと沈めました。寅丸は、有名な人食い寅で、百人以上人間を食い殺したと聞いています。皆私が声をかけるまで、そのような生き様を演じてきました。何せ妖怪ですから。普通の妖怪は、それを罪とも思わないでしょう。けれど、彼女達は全員、その咎を背負っている。私が封印された後も、そして今も、その咎を背負い、死せる皆が浄土へと赴けるように祈り続けているのです。彼女達は間違いなく罪人。しかし、もう千年も拝んでいます。解りますか」
「妖怪が拝むのも、変な話だけれど……」
「彼女達は紛う事なく悪でした。無益な殺生を重ねた悪魔です。しかし長い間拝み続けた彼女達は努力の塊です。信心の権化です。きっとそれでも償いきれないでしょう。彼女達はそれを自覚し、しかし尚且つ拝み続けています。無意味だと思いますか?」
「……わからないわ」
「――彼女達には苦労をかけました。特に寅丸には、私は頭が上がらない。きっと、彼女達は私を封印した人間を愚かと罵っているでしょう。それは、そんな罪を内包する人間の心に対するものです。そんな心を持つ人間を罵って尚、彼女達はそれを救いを願い、己の罪悪を抱えながら、ただ拝み続けるんです。いつか、そんな言葉が無くなるようにと。人と妖怪が手を結べるようにと。私の、稚拙な法が世に光明を齎すのだと――そう、信じて」
そこには、聖白蓮の独白があった。彼女の見て来た事、経験した事、その全てが、比那名居天子の役に立つと、そう考えているのだろう。地子は悲しそうに語る聖を、じっと見つめていた。その表情から、言葉尻から、一切の嘘が無く、一切の衒いが無く、一切の後悔が無い事を、感じ取っているのだ。
「地子ちゃん。貴女は何か悪さをした訳ではない。無理やり咎を背負い、自分を戒めているだけなのです。己に存在意義を見いだす為に。悪いとは言いません。けれど、それでは未来が見えない。それでは貴女はこれから先何百年も何千年も、同じ咎を背負い続ける事になってしまう。そこに――救済はありません。断言しましょう。ありません」
「じゃあ……私に、どうしろってのよ……」
「違います。貴女は何かをしたいと願っていたではありませんか。帰宅して来た地子ちゃんの様子、尋常ではありません」
「そ、それは……」
「解ります。現実に立ち向かっているのですよね。現実に立ち向かう人は、一様にして同じような顔をします。己の力量と向き合い、衝突するべきか逃げるべきか迷う顔。私は、そんな顔に『人間』を見ます。人なれば人たれば、必ずや立ち向かう試練が現れる。そして、それを乗り越える姿が私は、大好きなんです」
聖は、再び地子を胸に抱く。甘い香りが地子に安らぎを与え、温かい身体が生を実感させる。聖白蓮は生きて来たのだ。混迷を極めるこの末法の世を。そして絶望を知りながらも、決して折れる事無く、己と己の仲間を信じ――信仰の力を信じてきたのである。
恐るべき精神力であり、他の一体誰が真似出来るものだろうか。長生きの奴は沢山いる。地子とてその一人だ。だが、その中に胸を張って主張出来るだけの『人生』を『信仰』を『自我』を、全て並べ立たせる者が、他に居るだろうか。
居ないのだ。地子は理解する。まさしく、菩薩がいるとするならば、聖白蓮、その人だ。
「貴女は立派です。そして御仏は観ておられます。だからこそ、貴女は天人となった。御仏は貴女に期待している。それは幸福な事です。私では、そうはならなかった。私は、結局己の曲がった信仰心を突き通しただけだったから」
「そ――そんな事、ないわ、ない! あ、アンタこそ……御仏に……いえ……」
「ふふ。いいんです。私はこうして、幻想郷に身を寄せるだけできっと、今後何も、ないでしょう。ではこの人妖跋扈する世界を、少しでも、ほんの少しでも過ごしやすく、安心して暮らせる世界に出来るよう手助けして行こうと、そう思うんです。けれど、地子ちゃんは違うでしょう?」
「うん……」
「貴女に咎はない。そして新たに見つめるべきです。己の処遇を。人の死を。いつまでも、過去の災害を引き摺っていては、今生ける人々を救う事は叶わない。この世に偶然はありません。全ては衆生縁によって結ばれています。貴女の行い、貴女の気持ち、貴女の熱意。それら全ては、貴女の周り全てに作用します。善きも、悪きも、です」
「善い事も、悪い事も?」
「ええ。これは試練。貴女に期待する御仏から齎された、蜘蛛の糸。故に、毘沙門天は貴女をここに招き、そして私は貴女を預かった。私の試練であり、貴女の試練」
「私の――」
「地子ちゃん。貴女は、本当に、どこまでも善い子です。本当に、娘にしたいぐらい。頑張ってください。私は、貴女の為に貴女の全てを支えましょう。何一つ心配はいりません。こうして手を繋ぐ私達は、逢うべくして逢い、語るべくして語っているのですから」
「ひじり……」
「大丈夫です、ね?」
聖白蓮。齢千を超える、怪僧である。きっと、こんな小娘を籠絡するのは容易かっただろう。だが――その瞳には、後ろ暗いものは一つもない。地子は、人の嘘に過敏だ。この温もりは、無償の慈悲は。どうやっても偽りようのない、聖白蓮本人の純粋な誠意である。
そして、地子は知ったのだ。本当に尊敬すべき人物とはどんなものなのか。
本当の菩薩とはどれほどの慈悲に溢れているのか。
「さて、呑みなおしましょう」
「え、まだ呑むの?」
「えい」
「んぐっ」
「さて?」
「あにゃぁ~」
「いいこいいこ~。今日は一緒に寝ましょうねー?」
……。
あ、いや。
地子はまどろむ脳みそで良く考える。やっぱりこいつは恐ろしい。
※
無慈悲にも人の命が奪われる夢を見た。唸りを上げた地は何もかもを呑みこんで行く。
想像を絶する災害は、文明の栄華を極めた人類とて、何の太刀打ちも出来はしない。それは自然という名の神である。
あれらの神に悪意は一切ない。荒ぶり猛る自然災害は、そのあるままを、人類へと敵意なくぶつけて来るのだ。
日本列島。この文明と言語と地層の狭間。そこには荒ぶる神がおり、そしてそれに抗わんとする日本人が存在する。
古の人々は、拙い技術で防ごうと努力を重ねてきた。
それは脈々と受け継がれたがしかし、何代にもわたり、脅威を退けられず、数々の悲劇を生み続けて来たのだ。
大村守とは。
名居とは。
比那名居とは。
そういった、人の力ではどうにもならない災害を、同じ神によって退けようとしたが為に産まれた者達である。
どうか。民が皆、今日も明日も幸福でありますように。
「――……あ」
目を開ける。数度目の、とてつもなく低い天井が目に入る。地子はもそもそと部屋(犬小屋)を抜けだし、外に出て一伸びした。吐く息が白い。
小屋ではなくて聖と一緒に寝るかと誘われたが、そんな事をすれば間違いなくあの尼僧に籠絡されてしまいそうだったので、全力で御断りをかました訳だが、今となってみるとそうしておけばよかったと後悔する。手足が冷たい。
準備運動、ヒンズースクワット30回3セット程かまして、身体を温める。
「へい穴倉バービー」
「誰がバービーですかこだまですよおはようございます」
隣に住んでいる犬だか猫だか木霊だか解らない生物に挨拶差し上げ、命蓮寺の炊事場へと足を向ける。そこでは丁度寅丸が朝餉の支度をしていた。適当に手伝えることを手伝い、居候らしく仕事をこなす。
まだ一週間だが、命蓮寺における地子の役割は決まりつつある。
「最近」
食事の最中、寅丸が口を開く。
「地子殿。聖に説教でもされたのですか。いつも、一緒にいらっしゃいますよね」
「むっ……」
「お話がはずむものですから、ねえ、地子ちゃん」
「う、あ、いや、まあ、うん」
「そうですかそうですか。私はてっきり、地子殿が聖に恋心でも抱いてしまったのかと思っていましたよ」
「おまっ」
あれから四日経つ。聖白蓮へ己の内を、無理やりとはいえ吐かされ、諭された地子は、何かにつけて白蓮を追いまわしていた。不遜な態度の多い地子に、一体どんな心変わりがあったのか、皆が疑問に思っていた事を、寅丸は口にしたのだろう。皆が寅丸を見ている。
「え? 何か、不味い事いいましたか?」
「いや、いいんだ。ご主人。ご主人はね、そうして屈託の無い顔で、屈託の無い感想を述べているのが一番可愛いぞ」
「そ、そうですか? でもなんか馬鹿にされているような」
「き、気のせいよ、寅丸。貴女は立派だわ」
「一輪……」
「そうよ。ウチの大将なんだからドーンと構えてるのが一番」
「水蜜……そ、そうですよね。ははは」
寅丸の言は流石に言い過ぎだが、地子自身も、自分の感情に疑問を持っていた。過去、これほどまで他人に懐いた記憶がないからだ。衣玖にとてここまで付いては廻るまい。地子は仕事以外の時間、殆どを聖との会話に割いていた。当然聖はそれを否定する事もなく、全て受け答える。
知れば知る程に、語れば語る程に、聖白蓮のその深さに、地子は関心を示し、また知識を吸収した。尚且つ、己の抱く思想から感情に通じる疑念の全てを聖に質問としてぶつけたのである。
今まで、誰にこれほどまで自分を語り、さらけ出しただろうか。家族には、勿論ない。他に友達は居ない。一人で努力して来たのだ。面倒くさいと文句を言いながらも、堕落する阿呆共をしり目に、己個人の中に全てを求めて来た。
しかし、報われる事は無かった。不良と罵られ、下らぬ二つ名をつけられ、この有り様だ。正しく、その反動と言えるのは、博麗神社倒壊事件だろう。何もかも阿呆らしくなったのだ。だからつまり、阿呆と同じ。
その阿呆はとうとう天を飛び出したのだ。己がどれだけ『何も知らないのか』すら知らずに。
しかしその阿呆は、ただの阿呆ではなかった。
己を知り、足ろうとする懸命な馬鹿者である。
地子に足りなかったものは間違いなく、認めて貰う事というよりは、他者からの意見そのものだろう。
それに関して、幻想郷においては聖の右に出る者はない。地子は師を手に入れたとも言える。故に、連日連夜、地子は聖と共に居る。皆が……勘違いする程に。
「聖」
「なあに、地子ちゃん」
「これ、お給料。現物で貰ったのは、炊事場の保管庫に入れておいたから」
「おお、なんと。私は何か凄い物を見て居る気がします」
などと、大げさに寅丸が騒ぐ。数日分のものだ。大したものではないが、初めてその肉体で稼いだ日銭である。実際、どう使うか考えあぐねいていたのだ。小遣いではなく自分で稼いだものである。どう使おうかといざ悩むと、何にも使えなかった。ならば、まずは家賃だろうという答えを導き出した。
「地子ちゃん。今日はどうしますか」
「休み」
「お返しします」
そういって、受け取った給金を、聖は押して返す。彼女は笑顔だ。
「どうして押して返すのよ」
「地子ちゃんはまだ施される身です。御自分の為に使ってください」
「はあ。まったく、かなわないわね……あっ……」
不覚。今自分が聖に向けた顔は――家族に対するそれか、もしくは想い人に対するソレである。命蓮寺一同、その表情を見逃さなかった。
「聖、なんですか、あの顔。まるで恋人みたいな顔しましたよ、地子殿」
「なんでしょうねー?」
「聖、地子殿を手篭めにしたんですか、手篭めに」
「あーあーあーあー!! 私、出掛けるから!! じゃっ!!」
手早く食器を片づけ、さっさと表に出る。このままここに居ては針のむしろだ。全員が全員、ニヤニヤしてまあ、お前ら本当に坊主かと。坊主でも妖怪でもやっぱりそういう話には敏感なのかと。乙女かお前らは。心の中で散々罵り、地子は飛び出した。
「迂闊ね……迂闊」
口ではそういうが……地子の顔は、緩い。ずっと喉に刺さっていた棘がとれたような、爽快感がある。勿論、聖白蓮の言葉を全てまるっきり受け取った訳ではないし、聖とてそれは望んでいないだろう。所詮ヒトたる地子には、決定的に相談相手が足りていなかったのだ。己の気持ちを吐露し、かつ諭されるという経験が、なかったのである。
不憫ではあったが、少なくとも地子はそのように生きて来たし、過去を後悔したりはしない。全てを飲み込んで尚且つ、今を見ろという事なのだから――
故、その能力もまた、己を形作るものの一つ。
「警戒! 少し揺れるわ!」
なんとも言い難い、耳をちりちりとくすぐられる様な感覚と、背筋を撫でられるような不快感を覚える。
「え、なんです?」
「寅丸、棚を抑えて」
「なに――むっ」
数秒後、地を揺する音が聞こえ始めた。しかし、命蓮寺自体に影響は無い。
「あ、要石、植えたんだっけ」
「あー、効いてますね」
揺れの程度は、不安定に置いたモノが転がる程度のもの。決して大きい物では無く、普段からあり得るものだ。
聖が表に出て、地子を見やる。
「要石……うそ。簡易とはいえ……」
「割れてますね」
庭先に埋められた要石だっただ、それはまるで唐竹を割ったように、二つに分かれていた。この程度ではびくともしないと考えていたが、地子の計算が外れたのだろうか。
「悪い予感、するわね。家財、縛り上げた方が良いわ。ま、もともとデカイ要石が幻想郷には据えてあるから、本当に大きめの奴は、そっちが抑えてくれるだろうけど」
「解りました。そうします。備蓄も増やして、炊き出しの準備も、いるでしょうか」
「あるに越した事は無いわね。じゃ、行くから」
「ええ。お気をつけて」
確かに気にはなるが、日本において微震など日常茶飯事だ。要石も、だいぶ小さい物だった為、ちょっとした弾みで割れる事が過去なかった訳でもない。地子は改め、身支度を整え、命蓮寺を後にする。
行き先は、言わずもがな職場である。あの日の夜は大変取り乱したが、既に動揺もない。きっと自分一人だったのならば、整理もつかず、考えも及ばず、哀れにも震えて眠る日々が続いた事だろう。
眼前の問題。
それは天人への懸念であり、店主の命運であり、自己の未来である。
そして更に言えば……。
「あら、お早いですね、地子様」
――こいつである。
あぜ道の真中に降り立った彼女は、笑顔で此方に近づいてくる。
「アンタ、私を監視でもしてるの?」
「酷い。なんて言い草ですか。私は地子様を思ってこそこうしているんです」
「ハッ。どーだかね。で、なんかあったの」
「死神」
「何さ」
「最近、活発だと思いませんか」
「全部叩き返してるわよ」
「左様ですか。やっぱり死神程度には後れをとったりしませんものね」
「今調査中よ。死神が襲ってくる頻度が多いから」
「何者かの差し金では?」
「……それは、親族がって、事かしらね」
「以前も言いましたが、証拠はありませんし、断定も出来ませんから、それは早計ですね。調査中というのは?」
「死神としても違和があるらしいわ。ほら、赤髪の、胸のデカい」
「小野塚小町さんですね。彼女が調査を?」
「そ」
衣玖は地子と並び歩きながら、何やら沈思黙考する。勿論、地子には衣玖が何を考えているのか皆目見当もつかない。ヒトの心の動きに敏感な地子に、である。それはいささか、不気味な程の思考である。永江衣玖の心は、まるで能面だ。
「ねえ、衣玖ってさ」
「え、あ、はい?」
「好きな食べ物何」
「え……と。それは何か、重要なお話でしょうか」
「重要な話以外しちゃ駄目なの?」
「とんでもない。地子様とお話出来て嬉しいですよ。好きな食べ物ですか? 最近知りましたけど、アボガドって美味しいですよね」
「何それ」
「野菜です。森のバターとも呼ばれるそうです。幻想郷では手に入り難いですけど。野菜なのに味が濃くてねっとりしていて、付け合わせにも最高です。地子様の好物は確か、桃のシャーベットでしたよね」
「そうそう。天界温かいから作り難いけど。なんで知ってんの?」
「そりゃ、地子様の好きな物くらいは」
「私は知らなかったけれど」
「そうでしたか?」
「ちなみに私の好きな動物は?」
「鷹でしたね。鋭い眼光にシビレるとか」
「じゃあ嫌いな俳句は?」
「夏草や つわものどもが 夢の跡。松尾芭蕉ですね」
「嫌いな仕草は?」
「顎を撫でるのが嫌いでしたよね」
「一番気持ちが良い場所は?」
「入口の少し上でしたっけ?」
「……」
「……あー……。えっと。これで失礼しますね?」
「待ち、待ちちょい待ち」
「な、なんですか? 私、これでも忙しいのですけれど」
「何で知ってんのよ。てか衣玖……アンタ……」
「たまたまです」
「たまたまで知ってるには度を越した所知ってるわね」
「えー。地子様、酔っぱらって喋ってたじゃないですか、あられもなく」
「そ、そうだっけ?」
「そうですよ。ちなみに脇の下に黒子があるって事も喋ってましたよ」
「嘘。あるの?」
「え……」
「衣玖ぅ?」
「帰ります。お疲れ様です」
衣玖は、掴もうとする地子の手かわし、思い切り後ずさりして距離をとる。カマを掛けてみたが、やっと衣玖の『人物』らしい側面が見えた。こいつは何か考えている。何か知っている。というか知っちゃ駄目なところまで知ってる。地子は想像して赤面した。
「あ、そうだ。地子様。小野塚小町さんですが、あまり信用しない方が良いでしょう」
「なんでよ」
「お忘れですか。死神の甘言は天人の命を奪います。まして、小町さん程の手練れです」
「あのサボり魔が?」
「伊達に長い間、幻想郷の渡しはしていないんですよ。御存じの通り、幻想郷は特殊です。力の無い死神が、何故長い間ココを任せて貰えると想いましょうか。有象無象の妖怪と、異常な人間の魂を、三下が扱えませんよ」
「それは――」
「では、これで。地子様、御自愛ください」
「ちょ、ちょっと!!」
「それと」
「なに」
「おぼえてます?」
「なにが?」
「いいえ、では」
引き止めるも虚しく、衣玖は逃げるようにして飛んで行く。実際色々な意味で聞きたい事が山ほどあるが、まずはそれを置く。衣玖の語りからして、もしかすれば信頼を前提に会話をしているのかもしれない。傍からみれば一方的だが、衣玖が『天子には友達が自分しかいない』という事を念頭に置いているならば、彼女は自分を信用するだろうと、思っていても不思議ではない。
生憎だが、そのつもりは毛頭ない。まして地子自身が知らない事まで知ってるような奴を、まともな目線で見るなど。
……辺りを見回し、手鏡を取り出す。腋の下を確認する。
「ぞわぞわするぅ……」
あった。黒子あった。もとから腋の処理をする程毛など生えないので、気にもしていなかった。衣玖と風呂に入ったり着替えたりした事はない。つまり自分の知らないところで観察しているのだろう。様々と。でなければ最後の問いなど誰が答えられるか。というかみられたのか。辛すぎる。
(つきまとうとか、そういうレベル越えてると思うんだけど……今度から声出さないようにシよう)
頭を振る。『アレ』が自分をどのような感情で見ているのか、何らかの嗜好を発揮している事に違いは無いだろう。もしかすれば常に、純粋に、地子を心配して助言をしている可能性だって存在しているかもしれない。オトモダチとして。もしくは……地子は、選択肢から外したいが……『そういう女性』として。
(幻想郷、妖怪と人間のあいのこだって居る訳だし……まして価値観が人間とまるで違う妖怪だし……あるのかしら……本当に……うわ……なんか今後話辛いなあ……)
頭の中に、嬉々として話を聞きたがる早苗の顔が浮かぶ。実は地子が知らないだけで、幻想郷と言う所はそんな場所なのかもしれない。
(ま、まあ。いいわ。今は、眼の前の事を)
彼女に自覚があるかはともかく、大変な置き土産を置いていったものである。本来するべき思考はそちらではなく、永江衣玖が指摘する小野塚小町についてだ。
衣玖の言う通り、全ては信用ならないだろう。あれ自体が巧妙な演技とも考えられる。普段は三途の渡しとして日々を暮らす彼女だが、少なくとも閻魔から信頼を獲得する程度の実力はあるのだろう。あの夕刻、出会った状況を鑑みるに、彼女が他の死神の代理として現れた事自体については、疑いようが無いからだ。
手合わせした事が無い訳でもない。神社倒壊時に一度だけだが、変則的な弾幕合戦を交えた。勝ちはしたが、他の大妖怪同様、まるで手応えがない。その手応えの無さといえば、西行寺幽々子もかくやというものだ。
ただ、総じて意味不明な大妖怪どもに比べ、小野塚小町という人物はまだ話が通じる。むしろ通じていないのは自分の方だ。何らかの思惑があって、彼女は自分に対して、あのような『忠告』をしたのだろうか。
四季映姫ヤマザナドゥ。幻想郷特別区担当の、腕利きだ。元は地蔵と聞く。元が地蔵で閻魔にまで上り詰める者となれば、勿論数は限られる。この日本に地蔵菩薩信仰が下りてどれほど経ったか。数万体に及ぶ地蔵の中から、ほんの数名である。地蔵菩薩の選定はそれほどの競争率だ。何せ一度選んだならば、きっと千年は変わらないだろう。
その閻魔が、茨木童子……これは知らないが、それと自分の扱いについて考えあぐねているというのだ。名前通りなら、伝説級の鬼と同列の問題に挙げられている事になる。
確かに、比那名居天子なる天人は自分勝手に異変を起こし、なおかつ八雲紫曰くとなるが、最も直接手を出してはならない場所に手を出した、恐らくは唯一無二の存在である。天人ではなく、妖怪の一として扱う方が、幻想郷としても合理的だろう。白黒つけたがる閻魔であるからして、合理性は重要なのかもしれない。だが……それを直接ではなく、小野塚小町というフィルターを通して聞いたのだ。疑って余りある。
人を見る目には自信がある。数少ない特技だ。だが、過信は禁物だろう。衣玖とは違った形で、表情を思考を問題を欺く奴とているのだ。
「で、更にいえば、衣玖も怖い、と」
堂々巡りだ。地子は考えるのを止める。疑いを深めるあまり、疑心暗鬼が他に飛び火をしても面倒だ。
地子は思考を切り替え、現実に目を向ける。殆ど前を見ていなかったが、もう商店街の中ほどにまで来ていた。まだ朝も早い時間である。今日は仕事も休みなのだから、店主はまだ寝ているかもしれない。
勢いで飛び出して来た事を後悔する。時間を潰すにしても、甘味処も閉まっているし、ひやかす店も開いていない。
多少思案してから、頭を振る。
自分には――たぶん、大した事は出来ないだろう。死神がそろそろというのだ。もはや諦めるしかない。だが……。
「おはよう」
勝手口に鍵はかかっていなかった。店舗と居住空間を間仕切りしただけの家なのだから、勝手口を開ければ当然居間である。地子はぎょっとした。
「店主! どこか、痛むの?」
「あ、地子ちゃん……?」
その顔は……憔悴している。しかしどうも、体調不良という訳ではないらしい。見れば、食器棚に飾ってあった筈の細工硝子が、畳に落ちている。割れてはいない。
「地震?」
「ちょっとね。ちょっと、驚いたのよ」
「あの程度の揺れで、尋常じゃないわよ、その汗」
「……発作みたいなものなの。もう、大丈夫だから」
地子には見覚えがある。彼女の言う通り、それは発作だ。苛烈な経験が、一つの物事によって想起されると、目が泳ぎ、心臓の鼓動が早まり、下手をすれば吐き気すら催す。典型的な心的外傷である。
「ここ最近、少し揺れるみたいだから……そうだ地子ちゃん、今日は、御休みよ?」
「体調、あまり良いように見えなかったから、見に来たのよ」
「心配させていたのね。でも、今日は調子が良いの、大丈夫よ」
「そう。よかった。じゃあ、私は行くから」
「ちょっと、折角来たのだから、お茶ぐらい飲んで行きなさいな。甘い物もあるから」
「うっ……う、ん」
落ち着きを取り戻したのか、心なしか、血色もよくなったように見える。地子は土間で靴を脱ぎ、上がり込む。卓の前に腰掛けると、店主は御茶とお茶うけをもって、自らも座る。
出された茶を飲みながら、視線のやり場を考える。雇い主ではあるが、知りあって一週間だ。彼女自身について、何一つ知りはしない。だというのに、彼女の寿命があとわずかであり、担当の死神が誰か、などといった情報は知っている。ちぐはぐなのだ。
「さ、最近揺れるわね。小さいのだけど。おっきいのは、安心して。デカイ要石が、あるから」
「そう。地子ちゃんは、そういうお家の人だものね」
「むっ……」
「地子ちゃんは、一度話してくれたけれど、家を飛び出してきたんだって?」
「ええ。守るだけで何も進まない事に、嫌気がさして」
「守るだけでは駄目な家なのね」
「……」
「私も」
「うん?」
「私もね、実家を出て来たの。良い所のお嬢様なのよ」
なるほど、と地子は頷く。年齢にしては若く見え、なおかつ漂う気品から、上流であろうとは推測していたからだ。
「その頃は、25歳だったかしら。お行儀よく育てられて、親の決めた相手と結婚したけれど、私は旦那も娘も、とても愛していたわ」
「ただじゃ出ないわね。何で出たの」
「理由は……憂鬱だったのよ。色々な事があったから。旦那と娘が亡くなってね、全部、空虚に想えてしまって」
瞳に、闇が見え隠れするのを、地子は見逃さなかった。どうしようもない、どこにぶつける事も出来ない怒りと悲しみを抱えた人間の瞳。ある種特有の絶望感。地子は直ぐに悟る。幽香から、地子が『何者であるか』を聞いたのだろう。それは天人どうこうではなく……
「震災ね」
地震の神を祭った家柄であることなど、だろう。
「ええ。旦那の仕事柄転勤が多かったけれど、その時は、神戸にいたわ。あの日は、目を覚ましたら」
目を覚ましたら地獄があった。地子も良く覚えている。天人からすれば、最近の話である。名居の総べていた地域からは当然外れるが、その被害と規模の大きさから、ただ衣玖から齎される情報を聞くたびに、地子は眠れぬ夜を過ごした思い出がある。
何度でも何度でも、人間は天災に負け続ける。それに立ち向かうようになる。だというのに、地震の神を祭った一族は、いまや手出しも出来ない。地子は煩悶し続けたのだ。天に上がって以来、何十という大震災を見守りながら。
「家の上層階が抜けてしまってね。隣で寝ていた旦那と娘は、降って来た床の下敷きになって即死だったわ。たった数センチの差で、私はかすり傷一つもなかった。でもあの時心は潰れてしまっていたのだと思うの。未だ身体が横に真っ二つになって、ジッと此方を見つめる娘の顔が忘れられないの」
「早口になってる。心に傷持ってる人の、独特の焦燥感が出てるわ。無理して話す必要、無いわよ」
「いいの、喋らせて。私、あれ以来、誰にも喋った事がないの。でも、ほら、解るでしょう、きっと。私もやっと向こうに行くのよ。でも、ごめんなさいね、付き合わせてしまって。貴女には、何も関係がない話なのに」
「……いいえ」
「……眼の前の現実が信じられなくて、何度も揺すって起こそうとしたの。狂っていたのだと思うわ。身体が割れているのに、人工呼吸なんてしたって意味ないのに。でも、ふと誰かに助けを呼ぼうと思ったの。もしかしたら、自分達の家だけがこんな被害にあってるのかもしれないなんて、思って。でも外に出たら、もう、訳が解らない事になっていたわ。ガスの臭いが充満していて、あちこち火の手が上がっていて、家が何件も潰れていて、悲鳴と、絶叫と、うめき声が右から左から、もう沢山、沢山聞こえてくるの。助けて、助けてって。そこでやっと、ああ、どうにもならない事が起こってるんだなと、理解出来たわ」
1995.01.17 5:46
早朝の静寂は一撃と言い表すに等しい、苛烈で短時間の揺れによって破られた。
死者6434名、行方不明者3名、負傷者43792名。未曽有の激甚災害である。約250000棟を超える住宅が全半壊し、被災者の多くは建築物に押しつぶされたり、火災にまかれたりして亡くなった。規模にしては少ない被害とされるが、そんなもので良かったと呟ける人間もおるまい。眼の前の現実はあまりにも強烈である。
店主もまた、それを見、被り、体験させられてしまった人間の一人だ。
「地子ちゃん?」
「あ、う、うん。被害は、聞いてるわ。天界にも、情報がきていた、から」
脳裏に、永江衣玖の無表情がよぎる。
執拗に、逐一、ありのままを――そうだ。永江衣玖は、比那名居天子に報告していた。
この震災に限るものではない。大きなものは全て、親族に伝えられた後、事細かに、大きい事から小さい事まで、全部個人的に、報告された。オトモダチだから。話題がそれしかないから、とも考えられる。
徹頭徹尾、どうにも否定出来ない程、永江衣玖の存在意義とは地震の警報及び報告である。
「そのあとの事は、良く覚えていないの。気が付いたら病院に居て、遠方から駆けつけた両親がいて……いつの間にか葬儀も終えて、いつのまにか、実家に戻っていた。何も考えられなくて、無気力で、生きているのか死んでいるのかすら曖昧になって。もしかしたら、こうなってしまったのも全部、私の行いが悪かったからなんじゃないかって、そんなふうに考え始めてしまって……」
「何を――」
馬鹿なとは、とても言えなかった。今、眼の前にいる店主は正しく、己に近くて遠い、そんな存在だ。
これが無実の咎を背負う者の姿であると、地子は初めて客観視した。地震で起こった被害は、当然様々な要因があるだろうが、地震こそが原因であり、店主そのものには当然咎はない。しかし、店主はそれを背負っている。後悔しているのだろう。直ぐ隣で愛する家族が死に、自分だけが生き残った、それが許せないのかもしれない。
そして、これは地子の抱くモノとは、似て非なる。
地子の自責の念は、少なくとも自らの体験から生み出されたものでは無く、守る者としての立場故のもの。
店主の自責の念は、自らが体験した上で生み出された、逃げ場の無いものなのだ。
聖白蓮は言った。比那名居天子は軽薄であると。
今は、それがよくわかる。
地子は幾らでも逃げられるからだ。現に、こうして下界に逃げている。
だが、店主はそうも行かない。精神を守るために、逃避的に忘れようとしても、忘れようがなかったのだ。それほどまでに強烈な心的外傷。店主がこれから語ろうとする話を、地子は容易に想像出来た。
「……自殺しようとしたのね」
「ええ。思いっきりお酒を飲んでね、高い所から、飛び降りたの。そうする事で報われるとしか、当時の私には考えられなかったから。愛していたの。旦那も、娘も。傍に居たかった。でも、そうはならなかったわ」
「たぶん、八雲紫ね。良く、生きてたわね。本来なら餌だろうに」
「ふふ。それがね。お酒臭いって、言われちゃって。そのまま里に放置されてしまったのよ。幻想郷の人は慣れてるみたいで、直ぐに上白沢先生がやって来たわ。ここがどんな場所か説明されて、戻るか、残るかと問われて……私は、残る事を選択したの。実はね、最初はここが地獄か何かだと思ったのよ。だから、自分は一度死んで、新しい世界に輪廻したんだと思う事にした。でも、忘れられはしなかったから、こうして、花屋を始めたの」
「何故?」
「旦那に、娘に、亡くなった人達に、手向ける花が必要だと、そう思ったから。私がこうして、のうのうと生きていて、出来る事といえば……このぐらいで……地震の度に脅えて震えることが、むしろ私には、良い罰だなんて、思って」
なんて事だと、地子は眼を丸くした。そうして、卓に手を置き、身を乗り出し――地子は、店主に対し、理不尽な怒りを表す。だが、ふと我に返り、申し訳ないと首を振った。店主はそれを抱いて生きて来たのだ。地子には、ハッキリ言ってしまえば人生はない。最初から戻りも進みも無い生なのである。だが店主は違う。喜怒哀楽四苦八苦全て抱えて、生きて来たのだ。一人間にどれほどの価値があるかとすれば、それは人生であり、出会いであり、影響である。
人は生きれば死せれば、それだけで人生が生まれ、出会いが生まれ、因果が紡がれる。果てしなく尊い価値なのだ。綿密に繋がれた血によって、想像も絶する程の血と汗と涙の礎の下に、生まれ落ちるのである。
自分は、地子は聖白蓮ではない。自分に、この人物の人生について、何か有益な助言を齎してあげることは出来ない。
「幽香ちゃんから聞いたわ。地子ちゃんの本名が比那名居天子で、地震の神様を祭っていたって」
「生憎と、不良でね」
「私、見た事あるわ。里でお店を冷やかしていたでしょう」
「趣味だからね。でも、こうして里で働く事になるとは、思いもしなかったけど」
「沢山見て来たのよね、人間が、天災に負けてしまう姿を」
「嫌になるほど。そうして、嫌になって、たぶん、こうしているんだわ」
「人間と暮らして、どう? 何か、得るものはあったかしら」
「良く喋るわね。身体に悪いわよ。それに、そんな事聞いて、アンタに利益なんてないわ」
「いいの。最期だもの。あとは幽香ちゃんとお話をして、それで終わり。聞かせて、人でない貴女から見て、私みたいな人間が、どう目に映るのか」
言い知れぬ圧迫感に、地子は辟易とした。店主の喋りはハキハキとしていて、生命力に満ち溢れているのだ。それは、最期の灯である。完全に悟りきっているのだ。まだ若いというのに、死せる己に対して、達観を抱いている。生に執着を持たぬ人間は、それだけで恐ろしい存在なのだ。
「店主は、自分が無価値だと言いたいの?」
「それは――」
「迷い。ではつまり、価値を知っているわ。正しくその通り、無価値の人は居ないわ。良くも悪くも、他人様からみて価値の無い人間はまず居ない。聖人だろうと、悪逆非道の外道だろうと、それに価値を見いだす人は沢山いる。当然己とてそう考えている。本当に無価値だと思うなら、とっとと死んでるわよ。でもアンタは生きた。患いながら抱えながら、アンタはここまで生きて来た。いい、ご高説垂れるわよ。覚悟なさい。アンタが聞いたんだから」
「ええ、ええ、地子ちゃん。そうして頂戴」
「されば愚かなる人類に済度の手を。全てはアンタの行いにある。陰徳にある。カルマにあるわ。アンタはお行儀よく生きて来て、死ぬほどつらい経験をして、挙句こんなわっけの解らない世界に飛ばされて来た。本来アンタみたいな生きる気力の無い奴は、さっさと死んで輪廻して、一から始め直した方が早いのよ。でもそうはならなかった。御仏はアンタの生き様を評価し期待した。咎でも何でもない、罪悪でもなんでもない、誰のせいでもない天災を手前様の所為にして背負い込んで、とっくに円環に戻った奴等を何時までも供養し続けてる。それがどれだけ愚かな事か、アンタは解らないでしょう。でもね、そんな事してくれる奴が一体どれほど居るというの。居ないのよ。坊主だってそこまで考えてないわよ。そこまで背負い込んでないわよ。拝んで拝んで手向けの花だ? 人が良すぎるわ。馬鹿で無知蒙昧だわ。心底呆れるわ。でも居るのよ、そんな奴が眼の前に。死んだ筈なのに生きていて、届きもしない謝罪を繰り返す奴が。それがどれだけ慈悲深いか。当たり前の奴等には評価しようが無い。過去を引きずるだけで前が見えないと、そう罵る奴だっているでしょう。だからこそよ。アンタは生きた。生きて謝罪し続けた。アンタの家族の死はアンタを作り、アンタの生は人との繋がりを作るわ。受け売りになるけどね、人の縁は、衆生の縁は、全て通ずる。人の生と死には可能性があるの。ふれあって産まれた因果は、そうしてまた誰かに繋がる。あの時の慈悲が、あの時の謝罪が、あの時の後悔が、あの時の苦渋が、人に妖怪に神様に仏様に、通じてしまうのよ、ここではね。そしてほら、ご覧なさい。見ての通りよ。どうでも良い筈だった人間の下で何故か大妖怪が暇を潰していて、何故か天人が働いて食い扶持を得て毎日暮らしているのよ。私はアンタの全部を見た訳じゃない。私は閻魔じゃない。でも少なくとも、アンタは私が価値を見いだすに十分であるし、絶対他の人達だってアンタを認めている。アンタの花に救われた奴だって絶対に居る。アンタの生が、全部繋いでるのよ。きっと地獄から天から、どっかにいるアンタの家族だって見てるわ。いいえ、見ていない訳がない。こんなにも愚かで良く出来た人間を、どうして目を背ける事が出来るのよ。だから悲しい事言わないでよ。謝りなさい、みんなに。少しでも自分が無価値だと思ってしまった事を」
……。
店主は、俯いたまま動かない。地子は握りしめた拳の中が、汗でぐっしょりとなっている事に気が付き、服で拭う。これこそ無価値である。己の言葉には経験が伴わない。果てしなく空虚なのだ。それをまた偉そうに語り、言って聞かせているのである。滑稽極まった。
「――ありがとう」
しかし、価値は突如として齎されるものである。そんな空虚に価値を見る者もまた居るからだ。愚昧な人間を仏とあがめる事すらあり得るのだ。地子は……頭を振る。もし、こんな言葉でもこの人物の役にたったのならば、本望なのだ。
「行く。きっと長くないでしょうけど、それまで元気でいなさい、店主」
地子は立ち上がって振り返りもせず、靴を履いてさっさと表に出る。零れ落ちる涙を見せられなかったからだ。たった一人の、出会って間もない人間の死がまさか、これほどに悲しいとは、思いもよらなかったのだ。人生の重みをその手に受けた地子は、もはやそれしか感情の表しようが無かった。
「酷い顔ね」
「……ッ。幽香」
表には、日傘をさした普段着の幽香が居た。その表情は日傘の影で窺い知れない。声の抑揚もない。
「取り込み中みたいだったから、控えていたわ。凄まじいご高説で、腹を抱えて笑ったわよ」
「ふン。私は望まれたからそうしただけよ」
「いいの。自覚があるのでしょう。経験の伴わない言葉の虚しさ、それを知る事こそ足る事よ。つまり貴女には、それを実を伴うモノに出来る才覚がある。伊達に天人じゃないのよ、貴女は。比那名居天子」
「……アンタはどうなのよ」
「人なんて幾らでも居るし、人が死んだところで大して悲しくも無いわ」
「でしょうね」
「でもほら。愛でていた鳥が死んだら悲しいわ。私達妖怪はエゴの塊。貴女達人類から零れ落ちたより純粋な独善の結晶。インストラクションよ、後輩。もし、私達のような災害から人様を守りたいならば、やせ我慢でも頑張るべきよ。例えそれを無力と罵られようと、無価値と見下されようと、私達『災害』は、子供じみた純粋さや、馬鹿げた善意に弱いのだから。折れたらそれまで。抗うことも無く、くたばるだけよ」
「ああ、そう。偉そうにどうも」
「ふふ。そうそう。子供じみたそんな顔が、私には怖いわ」
幽香はそう言い残し、勝手口に消える。地子は戸を睨みつけてから、向き直った。稚拙なまでの希望と願い。おぞましい程の善意と努力。
思い出せ。人類は、常にそれだけを糧に、全ての災害から蘇った事を。
自分達の総べていた土地を、数年ぶりに恐る恐る覗いた時、我が目を疑った。潰れた家は元に戻り、割れた田畑は耕され、崩れた崖は堰きとめられ、流された筈の漁村は再び活気を取り戻していた。勿論、そこには亡くなってしまった人達がいた。取り返しのつかない惨状があった。だが、人間はそれでもあきらめない。今を生きる事を諦めず前を向いている。過去を引きずるだけ引き摺って、何も出来ない人だけでは世は廻らないのだ。責めるわけではない。それが当然であり、それもまた必要だからだ。後ろを振り返る事、前を向く事、止まらない事、願う事、努力する事。
だから人は、弱くないのである。
「や、しばらく」
「……」
今日の花屋は来客が多い。
地子は後方へ飛び、構える。小野塚小町はそれを察し、また構えた。
これは、関わったものの義務であり、そして挨拶だ。緋想剣はない。まあ恐らく――負けるだろう。
※
里の外れで繰り広げられた変則弾幕合戦は、数合に及ぶ斬り結びで決着がついた。
さして争いの為の内容があった訳ではない。地子はまずやらねばならないと思った故に構えたし、もしかすれば小野塚小町も察していたのかもしれない。そして案の定、地子は地面に伏した。剣がないのは確かに敗因の一つだが、それ以上に小野塚小町という輩は、徒手空拳で挑んで敵うような相手では無かった。
強い。純粋に強い。彼女との体格差、獲得している体術の差、そして何よりも、距離を縮めると言うのは想像以上に戦い難い。弾幕変則ルールでは、まず光明は見えないだろう。
「落ちついたかい」
「待って、頭ん中ぐるぐるするの……くそ、思いっきり叩きつけて……」
「ま、その様子なら大丈夫だね。吹っかけたのはお前さんだが、そっちもこっちも本気じゃないもんねえ」
「得物無しでこれほど差があるとは思わなかったわ」
「いやいや。並の死神じゃ、まず敵わないさ。ただ、今後は得物を持っていた方がいいね」
「――話して。アンタが知り得た事」
「おや、信じるのかい?」
「生憎ね、友達が少ないのよ。その友達も、アンタを疑ってたけど、それがまた怪しいの。だから、怪しまれた方の意見をまず聞こうと思ってね」
「永江衣玖」
「知ってるのね」
「友達少ないだろ、お前さん。それにね、アタイにも逢いに来たんだ。比那名居天子に余計な事吹き込むなって、一戦交えたよ」
――さて、ますます、どうやら怪しくなっきた。だが、衣玖も負けたのだろう。口頭での約束も、一応は約束だ。弾幕戦で話す話さないをかけたのなら、小町も喋らなかっただろう。
「で、どうなの」
「まあまあ、まずは無駄話でもしようじゃあないか」
……どんな腹積もりなのか。小野塚小町は木蔭に腰をおろし、貧乏徳利を取り出して一杯やりだす。
「なんなのよ、もう」
「うーん。仮説から導き出した結論が結構、お前さんにはショックだと思ったからね、クッションを設えた」
「仮説、なの?」
「ほぼ実証可能な、究極的に答えに近い仮説かな。それはいいや。下界での生活はどうだい?」
「ぼちぼちよ。店主が死ななければ、もっと快適だったでしょうけどね」
「とはいえ寿命だ。彼女の肺の病は限界。でも死因はたぶん脳だね。一発で此方行きさ」
「……」
「医者でも無理だろう。少なくとも、幻想郷じゃあね。更に反抗してみるかい。私に」
「――遠慮する」
「そうだねえ。お前さんは、たぶん家族に死なれた事はないだろう」
「ええ」
「きっと衝撃的だよ。昨日まで喋ってた奴が次の日抜け殻になっている様は」
「そう」
「その反応を見るに、伝える事は伝えたんだね。何を伝えた?」
「価値」
「うん。人間やっぱりさ、人様に認めて貰う事が、一番幸せなのさ。それは、大仰じゃなくてもね、家族から、仲間から、同僚から、その人物の性格なり才覚なりを認めて貰えば、幸福を実感出来る。それがない人生は……悲惨そのものと言える。事前に店主さんの素性は洗ってある。どんな人生を歩んだのかは、これから映姫様が見るだろうけれど。いや、奇しくも、だね、比那名居天子」
「彼女、幸せに逝けるかしら」
「逝けるさ。以前、私とも話したよ。お前さんと風見幽香。娘が二人も出来たみたいで、本当にうれしかったって。二人とも思いっきり年上なのにね。でもたぶん」
「私なんかより、ずっと人が出来ていた」
「お前さんを否定する訳じゃない。お前さんだって色々なものを背負い込んで来ただろうさ。でも、彼女の闇は深かった。誰にも話さず、誰にももらさず、抱えて抱えて、生きて来た。その厄たるやいなや、恐らく鍵山の神様でも拾いきれない。苦労は人を作るが、過度なものは忌を産む。あたいが事前に彼女に顔を合わせた理由、解るかい?」
「……亡霊化?」
「そ。亡霊化する程度の後悔を背負っていた。亡霊は人間と同じように生活を繰り返し、尚且つ周りの生命力を食いつくす。因果を曲げてまで存在しようとする。西行寺幽々子なんて最もたるもの。ま、あれはほぼ神様みたいなモノになってしまったけれど、店主さんに関しては此方としても警戒してたわけさ。でも、この調子なら、たぶん、大丈夫」
「私が」
「うん?」
「私が、我武者羅に足掻いて、彼女の寿命を無理やり伸ばした場合、それは救済足ると思う?」
「ないね。遅かれ早かれ死ぬ。むしろ苦しみが長引くだけ。お前さんはそんなものに加担したいかい?」
「じゃあ、私達菩薩を目指す者達が本当に救うべきものとは、なんだと思う? 癒しの手? もう二度と現世に生まれるなという説教? 独善の済度?」
「どれも否だ。そもそも天人如きが、人様をどうにかしようというのが、お門違いだよ」
「何故、死神は私達を狙うの」
「誰が決めた訳じゃないさ。そういう仕組みだよ。それを乗り越えられないのなら、その程度さ。ほら、お釈迦様だってそうだろう。様々な悪魔の甘言を退けて来た。お前さん達は、お釈迦様が『これではない』と言った悟りの一つである『緋想非非想天』の人間。では、ここを乗り越えなければ誰も救えない、救う位置に居ない、救う義務もない」
「……納得した。驚くほどに。やっぱり、文字だけ追ってても悟れないわね」
「そうさ。で、人間の真似ごとをしながら、そのお釈迦さまにも勝るとも劣らない試練を次々と与えられているお前さんの、話をしようか」
「――ええ」
地子を量った。地子の度量を、こいつは量ったのだ。つまり今から話される事は、少なくとも地子にとって、腹を括らねば受け止め難い、そんな問題なのだろう。
ここは衣玖の言う通り……小野塚小町は、ただの死神では無い事を示していた。ましてこれだけ情報が少ない中、答えに近い答えを出したと言うのだ。その技量と胆力は、稀だろう。改めて思い知る。
衣玖には悪いが、コイツは本物であり……オトモダチの永江衣玖よりも、余程利害が知れて信用成る。
小町は徳利を仕舞い、大鎌を支えるようにして座り、地子に顔を寄せる。
「結論からいえば、お前さんは白。他の閻魔が黒だった。いや、灰色かな? 閻魔が集う十王会議で、四季映姫様が提唱するお前さんの扱いを、やたらと否定する閻魔が居た。確かにその意見も理解出来たが、どうも頑なでね。これまた怪しいと言う事で、お前さんを襲った連中を……ええと、ちょっと仲良くして聞きだしたんだ。そしたらどうだったと思う?」
「わかんないわよ、もったいつけないで」
「連中は結託していなかった。別々に勅命を受けていた……流石に誰の指図で、までは喋らなかったけど。汚い話だけど、積まれていてね、幾らか。その中の二人は、映姫様の直轄だ。上役から命令があった、という事だったけど、まさか映姫様がやらない」
「合理的じゃないわね」
「そう。十王会議でお前さんの扱いを問いただすのに、お前さんを襲ったら意味がない。そんなつまらない事はしないさ。となると、他の閻魔。つまり、否定していた閻魔だろう。で、他の担当の閻魔が何故、という話になる。これは仮説になるけれど、その閻魔の下、つまり死神の長だね。お前さん、七人も死神を彼岸につっかえしている。確かに吹っかけたのは死神だけど、七人もやられちゃ、黙ってられないだろう。が、吹っかけたのがこっちとなれば、大大的に部隊編成してお前さんに当てる訳にも、まあいかない」
「私怨で暗殺? たまんないわ」
「死神の長から、それとなくその閻魔は聞いていたんだろう。生意気な天人に七人もやられた。だが、死神側の落ち度で被害が出ている……。ま、そっからはプライドの問題になる。筈、なんだけど……」
「うん? だから、一番最初に吹っかけて来た奴が原因で、死神の長が配慮して、閻魔にも話が行って、私に定期的に死神が仕向けられているって事でしょう?」
疑問は、ない筈だ。だが、小町は濁す。
一番最初の死神が天子に喧嘩を売り、こっぴどくやられた。それに激昂した死神の長が、内々に処理しようと数人『握らせて』天子に仕向けたが、生憎と天子は死神の長が思っていた程弱くはなかった。死神は勝手に被害を拡大する。だが、幻想郷担当の四季映姫ヤマザナドゥに話を通した所で否定されるのは眼に見えた。故に、他の閻魔を頼ったのだろう。
そこに、他の懸念があるのか?
――まさか。
「まず、本当に基本的な事なんだけど、死神は何の準備もなくお前さん達を襲わない。私だって、そう簡単にお前さんの魂を獲れるとは思っちゃいない。もしかしたら此方が殺されるかもしれない。命を獲り合うってのは、御存じの通り簡単じゃあない。そこに弾幕ルールは通用しないからねえ」
「一番最初の奴は、もう顔も覚えてないけど……いや、そもそも顔が見えなかったかな」
「何か被っていた」
「うん。典型的な『死神』な格好だったわ、どいつもこいつも……ああ、最後に来たやつは『話が違う』なんていってたっけ」
「顔を知られたくなかったんだろうね。後ろめたいから。で、一番最初の奴、見つけたんだ」
「……まさか、そいつ、他の誰かに、煽られて私を襲った、とか」
「ご明察通り。こんな状況で考えられる、是非曲直庁以外の『曲者』は」
「天人」
「遠くは無いね。だがあれらが直接、死神に交渉する筈がない。もしそうなら仲介者が居る。解ってるだろうに」
「……」
比那名居天子という存在に繋がりがあり、尚且つ、名居からの要請も受け入れる外部の存在。自ら手を汚す事無く近づき、虎視眈眈と命を狙える奴……一人しかいない。最初から、怪しかったのは間違いないが、現実を突きつけられると、途端に不安となる。
永江衣玖。
天界最初にして最期の友達。信頼こそ置かなかったが、友達の居ない天子が唯一愚痴をもらせる人物。
小野塚小町の言葉を信じるならば、間違いなく、彼女だろう。
小町は、嘘を吐く背景がないのだ。彼女の上司は四季映姫であり、問題を起こしているのは政敵である。では、それを突き崩す為に、秘密を暴けばそれだけで四季映姫は有利になる。理にかなうのだ。
「友達がお前さんの命を狙っている。お前さん、永江衣玖に何か言われなかったかい」
「……。私の命をつけ狙っているのは……私の、親族ではないかと、提言されたわ」
「永江衣玖が天人の先兵である可能性もある。けどお前さんなら解るだろうが、天人が主犯とも限らない。永江衣玖こそが、主犯である可能性が、むしろ濃厚だよ。その提言、可笑しいだろう? わざわざ、主犯を明かすなんて、さ」
「で、でも。い、衣玖は、トモダチよ? 数百年前から顔見知り……いや……いるけど、彼女……私、何も知らないけど……なんで衣玖が、私を……」
「心中は察するよ。そう簡単に認められる事実じゃない。でも、ボケッとしてると狩られるよ。私は狩らないけどね。何せ、お前さんの存在が此方には理になる。嘘をつく理由も、狩る理由もない。お前さん、得物は?」
「……衣玖に預けた」
「……近いうち、迎えに来るかもね。アタイに出来る事はない。精々、頑張りな」
小町は首を振る。地子は、初めから凶手を打っていたのだ。もはや省みても意味は無い。己は狙われている。死神が役に立たないと判断したならば……永江衣玖は、自ら手を下しに来るかもしれない。その時点で対抗策は少ないのだ。死ぬ気で戦わなければならない。友人に対して、決死の一撃を叩きこまねばならない。
何故か。
生きる為にである。
だが、生きてどうするという疑問もある。何せ自分の夢は、もはや実現出来ないのだ。もし衣玖を叩きのめしたとて、あとはだらだらと地表を這いつくばり寿命を待つだけである。それで良いのか。天人には天人の役割があるのではないのか。比那名居天子には、夢見た希望があるのではないか。それを自ら捨てたのだ。今まで背負い込んだ全てを捨てて地表にいるのだ。
だが、思い出す。
自分が、店主になんと言い放ったのか。
「あたいは、どちらかと言えばお前さん達天人の命を狙う側さ。だから、こんな事を言うのも変な話なんだけど……そうだね、友情とか愛情ってさ、実に簡単に壊れちまう。それはもう硝子細工の如くさ。ただ、壊れようとも、火をくべてやれば、形にはなるよ。以前と違う形かもしれないし、純度は下がるかもしれないけどね。まずは話してみたらいいさ。永江衣玖は、馬鹿じゃないんだろう?」
「……うん」
「決裂して死んだら、丁重にお出迎えするよ。でも、陰徳は高そうだからなあ……次はあたいの上司に輪廻したりね」
「冗談」
「いやいや。そんなもんさ。石仏が人の命を左右してるんだ。お前さんが人の命を左右する可能性だって十分ある。何せ、非想非非想天だろう? 菩薩にもっとも近い位置だ。気張りなよ、比那名居天子」
「どこ行くの」
「そりゃ、お仕事だよ。こっちはついでなのさ」
「……優しくしてあげてね」
「徳の高そうな人間だからね、たぶん、良い所に行くだろうさ。じゃあ」
遠くなる小町の背中を見つめる。泣いてどうにかなる話ではない。寿命は訪れたのだ。死は間違いなく人間の命を刈り取る。これは抗いようが無い。だが、地子は無力感に苛まれた。
そしてそれは――またしても、背負う必要の無い咎である。
地子は――比那名居天子は、あまりにも、無邪気で、無垢な娘なのである。
人は生まれを選べない。純粋培養の比那名居天子は、直接的に人の死を、殆ど見たことが無い。立ち会った事が無い。人間らしい苦労は知らず、人間らしい悩みとも無縁であった。
だが今、まさに方向性は示されようとしている。知識は経験を得て智慧へと結ばれている。無かった縁は地に下りて育まれ衆生の縁と結ばれる。七難八苦が、天人である比那名居天子に振りかかっている。
小町は言う。越えねば成らぬと。
天人が天人としてどこを目指すかなど知れているのだ。菩薩に、仏に。有象無象たゆたう人間界に、救済の手を差し伸べる為に居るのだ。人間時の功績を何時までも引き摺って守り続けても意味はない。
前に進む必要があるのだ。
どこからか発生した因果が、今応報として訪れようとしてる。
永江衣玖。この、無形の友人。一体何を企み、何を思って、比那名居天子の命を狙うのか。
「衣玖……」
一体どんな理由があって、そんな手の込んだ事を、地子に吹っかけたのか。
地子は帽子を被りなおして立ち上がる。
……話しあえとはいうが……あれはそもそも……人の話が通じる妖怪だっただろうか? 会話などどちらも一方的であったし、地子に関しては永江衣玖の細かい情報の一つも知らなかったのだ。名前すら語らなかった。最近出会って、名前を言い淀む程に、名前の印象はなく、竜宮の使いという役職のイメージが強い。
それが何百年の付き合いというのだから、冗談にも等しい。
つまり、それだけ、少なくとも永江衣玖は、比那名居天子に己の内を明かそうとはしなかったのだ。そんな相手と今更会話して、こんな大きくなってしまっている問題を解決出来るものだろうか。
「貴女は何を……」
「はむっ、はむはむっ……ばくばくっ」
「どうして……」
「むうぅぅ染みるうぅぅ甘さが脳に染みるぅぅぅ」
「衣玖……」
「あぐあぐっ、んっんっ……ぷは……あー染みたースイーツ染みたわー」
「……――」
物思いに耽る地子の視界の端で、喚く緑っぽい巫女っぽい何かが居て、スイーツをがっついていた。地子は石を拾い上げ、振りかぶって投げる。
「イヤーーッ」
急激なアンブッシュを察した緑色はそれをチョップで弾き返し、余裕な顔でお茶を飲む。弾投げは流石に慣れているらしい。緑のアレ、東風谷早苗は、以前と同じように、同じ甘味処の同じテラス席で、同じようにアマイモノを貪っていた。
「あのね、人がね、心底悩んでいるところでね、スイーツスイーツとお前はなんだ」
「私は甘い物と真剣に向き合っているんです。外の世界じゃスイーツ中毒者で埋め尽くされています。しかし自分にご褒美ご褒美って。そんなご褒美程度の気持ちで食べて貰いたくないんですよね、スイーツ。これは言うなれば一種の戦いなんです。甘い物を食べると言う、女の子にとってもっとも危険な行為との、紙一重の戦いなんです。素材は、カロリーは、見た目が良いのか悪いのか、美味しいのか美味しくないのか、甘いのか甘いの控え目なのか。日夜体重計の目盛りを気にする私のようなうら若き乙女にとって、スイーツは避けて通れない道。食べる事でコミュニケーションをとり、食べる事で満たされ、食べる事で、咎を負う……解りますか、地子ちゃん」
「私いくら食べても太らないのよね」
「友達も終わりですね」
「うっ……」
「何がいくら食べてもだ……くそくそ……え? あ、うそ? 地子ちゃん? 泣いてる?」
「悲しい……」
「あ、じょ、冗談ですよぅ。地子ちゃん? そんな、ああ、泣かないでくださいって、こんな、里の往来で。見てください、あそこのお兄さんとか、なんか私達見てモンモンと想像してるし、あっちのお姉さん顔紅くしてますよ? ね、地子ちゃんほらほら、嘘ですから、ねー?」
冗談という事ぐらい解っている。だがどうも、気持ちが繊細になっているらしい。
「あーうー、ごめんなさい、ごめんなさい……甘いのおごりますからぁ」
「ホント?」
「ぐっ……ええ。ほら、泣きやんで、席についてください。これ以上こんな姿を晒していたらあそこのお兄さんの薄い本が厚くなりますからほら」
「うん……」
早苗の説得の意味が良く解らないが、ともかく席について、預けられたコップから水を飲む。
「友達よね?」
「えーえー、友達です友達です。ユウジョウです。いやしかし、まさか泣かれるとは。案外泣き虫です?」
「……昔は。ここ数百年は、泣きもしなかったのだけれど。地上に降りてから、緩くて」
「ですよねえ。まあきっと何かあったのでしょう。流れとしては聞かなければいけない話ですね。あ、何食べます?」
「抹茶八ヶ岳」
「ああ、このなんかそびえ立つ八ヶ岳めいたパフェですね……たかっ……まあしかたない……」
早苗は、多少渋りながら女給を呼んで注文する。値が張る為、いつ食べようと悩んでいたのだが、良い機会なので早苗にお願いする。だが量も多いので、恐らく二人で食べる事になるだろう。
それはともかく、最近はどうも、地子の涙腺は開きっぱなしであるようだ。天のように変化が少ない世界ではない故、衝撃的な事実や目を背けたい現実を、どうやっても直視しなければならない。散々と体験したが、それは地子へ様々な情緒を齎し、生み出しているとも言えた。
ある意味『少女』だった頃に、戻っているとも言える。
だが、唯戻っている訳ではない。その涙の意味を知り、感情を理解した上での、悲しみなのだ。
「それで、何があったんですか。あんな冗談で泣くなんてよっぽどです」
「……命を狙われてるの」
「唯ごとじゃないですね。誰ですか」
「友達に」
「――えげつない事になってますね。ここで話せる話ですか」
「……うん」
「なら聞きます。場合によっては助力しましょう」
早苗が声のトーンを落とし、テーブルに身を乗り出す。
話すか話すまいか。話せばもしかすれば、余計な人を巻き込むのではないだろうか。考えてみればそうだ。東風谷早苗は、恐らく人の身で神と成りえる存在だ。人から人を超越した場合、死神に目をつけられて当然になってしまう。天人然り、仙人しかり、修験者然りだ。
しかも、小野塚小町の例を見れば解る通り、問題の永江衣玖は、直接小町を襲撃している。人間の中でもかなり強い部類に入るであろう東風谷早苗が後れを取るとは考えにくいが、衣玖がルールを無視すれば、その限りでもない。つまり、本気で殺しにくれば、間違いも起こりうる。
「どうしましたか」
「……巻き込むかもって」
「もう一回言ってください」
「さ、早苗も巻き込んでしまうかもしれないから、ど、どうしようと思って」
「くふふ、なんですその遠慮。可愛いじゃありませんか、ええ?」
「な、なに?」
「ポイント追加しておきます。さっきのと合わせて……む。そろそろ霊夢さん越えますね」
「あ、あのねえ」
「命が掛っているのでしょう? じゃあ助けなければいけません」
「友達だから?」
「違いますよ。力があるからです」
「どういうことかしら」
「私は軍神の風祝です。祈願する人に助力せねばなりません。そして私は、少なくともこの幻想郷においては、少なからずの力を持っています。そこでプラスして友人となれば、手を貸さない訳がないじゃありませんか」
「け、けれども」
「ああもう。あのですね地子ちゃん。自分から石投げて来て、自分から泣いて、それでほっとけってのがおかしいですよ。声、かけて貰いたかったんでしょう? 話、聞いて貰いたかったんでしょう」
それは、ひどい物言いであったし、けれども棘は無い。東風谷早苗という人物は、みてくれとは違い、決して軽くないのだ。言動こそ無茶であるとは思うが、彼女の心の内に秘めたるものは、薄っぺらい人間ではあり得ない程の気持ちである。
誰が他人を舐めているかと言えば、それはやはり、地子である。
「学ばされるわ」
「む。なんです?」
「こっちの話。ううんと、始めから話すと、私は最近死神に……」
異常なまでの数の死神に襲われている事。
全てつっ返した事。
親族に怒りをぶつけた事。
命蓮寺に御厄介になっている事。
里に下りて働いた事。
先輩が酷い事。
店主が今まさに逝こうとしている事。
襲われている真相が解明されつつある事。
その主犯が友人である可能性がある事。
簡略化したが、それが全てだ。地子は早苗に一切隠さなかった。
「凄いですね。人生において起こりえそうな事がゴロゴロ詰まってますし、まず無さそうな事も降りかかってる。ここ暫くの話ですよね。ああ、天人の一日って凄まじく長いって話ですし、在りえそう」
「そうだけれど」
「私は因果論者じゃあないので、観念的な事は一つも言えませんが。少なくとも、起因はどこかに在る筈なんです。これだけの出来事、何か起点がなければ、むしろ不合理。地子ちゃんが動いた結果、というならばそれだけの話かもしれませんが……やはり、臭いのは永江衣玖ですね。死神が襲って来始めたのは、天にいた頃からですよね」
「そう」
「だからつまり、地上に降りた時点での行いは、あまり関係が無い。地子ちゃん、天に居る頃、なんかこう、不満を持ってましたか」
「そりゃ、親族に……」
「それはそうなのですけれど、そこに至るまで。なんというか、ストレスを抱え込んでいませんでしたか。抱えていたとしたら、どうやって普段は発散していましたか」
「……無心に勉強したり、剣術を嗜んだり、地上に降りて買い食いしたり、冷やかしたり……あと……あー……」
「なんです?」
「衣玖に、愚痴ったり」
「親族を怒鳴りつける前、愚痴りましたか」
「――ない。天にいる間、そう、ここに来る直前まで、なんだか色々不幸な事ばかりで、少し気が立ってた。愚痴るにしても、ほら、友達少ないし……衣玖も、顔を出さなかった」
「で、鬱憤が爆発してそうなった、と」
「い、いくらなんでも強引じゃない? それじゃまるで、私がコントロールされてたみたいじゃない」
「強引でしょうか? 意図を感じますけど。地子ちゃんは、衣玖さんの事を何も知らなかったけれど、衣玖さんは色々と知ってたって、言いましたよね」
「う、うう。そう、だけど」
「そこにどんな感情が在るか知りませんが、ハッキリ言ってしまえば、地子ちゃんの性格も行動も、把握されてるし、もしかしたら掌握されているかも、解りませんね。どうせ、衣玖さんに無警戒だったのでしょう?」
「ぐ、ぐぬぬ……」
まるっきり、早苗の言う通りなのだ。信頼していないとはいえ、衣玖に対して警戒もした事は無い。それほどの自然体で衣玖は近づいてきた。出会ったころからだ。疑念らしい疑念を抱いたのは、地上に降りてからである。
感情を握られていたのか。絶対ではないかもしれない。だが、そこに意図を確実に感じてとれる。衣玖の想い描いた通りの道を地子が辿らなくとも、きっと別の手立てがあって、地子を煽った可能性が、見え隠れする。
「そこで、更にもう一歩踏み出してみましょう。もし、堆積したストレスを発散しようとした時、地子ちゃんは永江衣玖にぶつけましたか?」
「ぶつけないと思う」
「永江衣玖に意図があるとするならば、そこまでは読み切っていた筈。永江衣玖は貴女を、何かしらの想いで見つめている。なんでしょうかね、恋でしょうかね。いくてん? リバアリ?」
「知らないわよ。だから混乱してるんじゃない」
「怒りを親族にぶつけて貰いたかった、とか」
「確かに、冗談めかして、そんな事言ってた気もするけど。じゃ、じゃあなんで衣玖が私の命を狙うのよ」
「逆では? 永江衣玖は、天人が貴女の命を狙っているのでは、とそう助言した訳です。死神の襲撃という事実を、自分から作り上げて、天人に憎悪を抱かせようとした。では、永江衣玖が本来殺したいのは、貴女ではなくて――貴女の親族」
「――理由が、見当たらない」
「それは地子ちゃんが狙われていると仮定した場合にも言えます。そんなに衣玖さんを庇いますか」
「か、庇ってるわけじゃないわ。理由がないのよ。本当に。永江衣玖はね、名居にも比那名居にも属していないわ。いわば龍神の使いというだけであって、彼女の使命と此方の能力が一致しているからこそ、懇意なのよ」
「地震の察知と報告ですか。でもでも、それ、おかしいですよね」
「何がよ」
「いいですか。永江衣玖の本分がそれならば、では……天にあがって、大して仕事もしない両家と懇意にして、一体どんな利益がありますかね」
「――……」
声を失う。早苗を見つめる目を、地子は離せなかった。
利害。利害だ。
こと天において、こんなものはほぼ考慮されない。少なくとも表面上、利害を求めて他人と手を結んだりするような天人はいないからだ。天はそのような世界構造にはなっていない。政治も経済もないからだ。統治機構なるものは存在しない。あるのは法。己の身を仏へと導く為の法である。個人個人の希望や願望、つまるところ病める人類へと差し伸べる手は、菩薩に、仏になってからのものであって……互いに手を取り合ってどうこうしよう、などという考えは殆どないと言って過言ではない。
だから故だろうか。小野塚小町などに利は観ても、殆ど天人のような場所にいる永江衣玖を、そのような目で見ていなかった。彼女は妖怪だ。妖怪は、妖怪なりの価値基準を求めて生きている。
「……当然の、話なのに……」
「最後まで言えば、永江衣玖は、貴方にこそ目を向けている。貴女に利害を見ているのでは、と思います。へへへ、どうですか、早苗ちゃんの推理は。凄いでしょう」
「凄いわ、早苗、アンタ天才ね?」
「あっ……そんな、手を握らなくても……やわっこい……」
「でも、それでも、やっぱり、変だわ。何故、私に手を下させたいのかしら。いいえ、そもそも、利害が合わないからと、殺す必要なんてないわ」
「そ、そこまでは流石に……やわっこい……ええと、それこそ、永江衣玖に直接聞くしか、ないのでは、やわい……すべすべする……」
「うー……衣玖に、直接……かあ……あんまり、話したくないというか……怖いというか……」
「友達なんですよね、一応。はふぅ」
「でも、さっき言ったとおりね、私は彼女について、何も知らないのよ。だから今更、友達っていうのも、なんか変だと思うの」
永江衣玖の心底を垣間見る。東風谷早苗の論が真実だとした場合、利害という点について、地子は心当たりがあった。だが……だからといって、何も親族を消す必要はないし、そもそも邪魔なら手前で手を下せば良いものを、地子に強要しようとしているのだ。
その点について具体的な確証はないが、根底的な部分で理解出来ない部分と、話をつけなければいけないのかもしれない。
「もしかしたら……ですけど(やわい……ぬくい……」
「なあに?」
「永江衣玖は、比那名居天子ともっと懇意になりたかったんじゃないでしょうか」
「ど、どゆこと?」
「これはその、恥ずかしい過去なのですけれどね。私、凄く、仲良くしたい子が居たんです。でも、私人見知りだし、周りには現人神だって崇められて、ちょっとクラスメイトの子達からは、だいぶ距離があってですね。凄く可愛い子です。みんなにも人気の子です。そこに私が割って入ったら……と思うと、とても近づけませんでした」
「も、物悲しい過去抱えてるわね」
「綺麗な長い髪で、いっつも笑顔で、明るく元気で……いるじゃないですかって言っても解りませんか。いるんですよ、世の中クラスに一人二人、妙に輝いてる男の子とか女の子。そういう子でした。でも、私は声がかけられない。なので、まずはその子の事を色々知ってから、満を持して挑もうと……」
「あー、なんか見える、先が見える」
「ええ。今考えると単なるストーカーです。追跡者です。後ろから家までついていったり、彼女の持ってるモノとか調べて自分も同じの買ったり、使ってるシャンプーとリンスまで一緒にしてみたり……挙句の果てに……」
「な、なにしたの」
「下着まで覗いて同じの穿きました」
「きっっっついわね、アンタ」
「うえぇぇ……だ、だって、あの頃はもう、本当に、友達全然居なくて……みんなに好かれてる子にあこがれていたんですよぅ……」
「よ、よしよし、泣かないのよ」
「そういえば地子ちゃん、なんか面影あります」
「怖い」
「って言われたんですよ……怖いって……クラスメイトに怖いとか言われる子供だったんですよ私は。それにほら、力もあったでしょう? 厨二ばりばりの頃は、ふ、風の息吹を感じろ……とかやってたし、そんなのもあって以来中学を卒業するまでずっと避けられてました。その子に限らず全員にですけど。ちなみにさっき甘い物を食べてコミュニケーションをはかると言いましたが、友達いなかったのではかったことないです。あ、付け加えるとちゃんと風の息吹は感じますし風も起こします」
「流石の不良の私もそれはちょっと引くわ」
「酷い。こんなにも近いのに。地子ちゃんオトモダチですよねー?」
「で、それが、何の話に関係してるの」
「永江衣玖です。何か親近感を覚えます。実際、もっとお話したいんじゃないでしょうか、彼女」
「私は貴女の尊敬した女の子のような、目覚ましい容姿も才能もないわよ」
「容姿と才能はむしろ在ると思いますが、ほんと可愛いですね。ともかく、親族の人達が見いだしていないものを、永江衣玖は貴女に見いだしているのではないでしょうか。価値とは様々です。それは、この一連の事件の中からも垣間見れます。永江衣玖は、確実に貴女に何かを抱いている」
「……むうう……」
「人様から評価されなかった貴女は、自身を奮い立たせる為に『私様』的な態度をとりますけど、きっと自分をかなり低く見ていますでしょう。見ざるを得なかった。可哀想な話ですね」
「アンタに比べれば大したことないわ。でも、そっか。衣玖がね」
東風谷早苗は……過去の事として、だいぶ茶化して喋っていたが……実際問題、それは、苛烈な幼少時代と言えるだろう。自身の身の上、そこから来る畏れ。そんなものを、小さい頃から受けた人間が……良くも、ここまで立派になったものである。助言者がいたのだろう。おそらくは、神様だろうが。
しかし、それもまた他人を退けてしまう要因だっただろう。普通の人間が、誰も見えない神様に喋りかけている様を見て……どう思うだろうか。
複合的な要因が、今の東風谷早苗を作り上げている。もしかすれば、結局それが解決される事もなく、幻想郷に入ってしまったのかもしれない。考えれば考えるだけ不憫でならない。
「早苗、友達少ないの?」
「幻想郷で増えました。大概、人外だったり人なのに人とは思えないほど強かったりしますが、友達です。まして天人すら友達になってしまうこのフランクさ、まさに守矢の力です。どうです、崇めてみませんか、友達増えますよ」
「いらないわ」
「そんなこと言わずに」
「私こんなだし。しっかりした友達以外、いらないわ。私がちょっと酷い分」
「あっ……そ、そうですか……しっかり……私?」
「そうよ?」
「しっかり……しっかりしてる友達……にへへへ」
「わ、気持ち悪い子」
「地子ちゃんになら言われてもいいです! さ、ほら、このなかなか減らない抹茶八ヶ岳、減らしましょうそうしましょう二人で、スプーンで。はい、スプーンはいりまーす共同作業でーす」
「え、ええ……」
結局、行きついた先は同じであったが、思う所はだいぶと変化があった。自分が、永江衣玖という存在について、どこまで考えているか。永江衣玖が、比那名居天子という存在をどこまで考えているか想像出来ていたか。
双方とも、なかった。人の嘘を見抜くのは得意なクセに、人様がどんな気持ちを抱いているのかを推し量る事を疎かにして来た結果とも言える。
「こういうの、憧れてました。小さい頃、両親と一緒にこうして、おっきなパフェを食べるみたいな。私は約束を取り付けたんですけど、確かあの後は、私は神様が見えるようになってうやむやに……」
「あ、暗い話いいです」
「そんなあ。でもでも、地子ちゃんだってそんな記憶ありませんか?」
「んー。十四で人間じゃなくなったけど。てかそもそも数百年前だし。パフェないし。約束だって……」
「ん?」
「約束は、約束は……ない……筈だけど。いやでも……衣玖と何か……」
「――ま、古い話じゃあ、覚えていないですよね」
早苗は言う。人間など、つい昨日の約束すら忘れてしまうのだ。妖怪や天人が、何百年も前の事を気にしてもいないだろう。唯一の友人であった衣玖と、何か約束事を交わした事があっただろうか。もしかしたら、あったかもしれない。だが、覚えていないのだ。さして重要な事でもないだろう。
……いや、しかし。
永江衣玖という人物を何も知らないのは、散々と後悔した所だ。比那名居天子と永江衣玖の間に、天子こそ気にしてはいないが、衣玖は執拗に追い求めた決まりごとや約束が……当然、無いとは言い切れない。
もしあるとするならばそれはどのようなものか。二人が話す重要な話といえば、震災関連だけだろう。
……永江衣玖は……いや、当時は『竜宮の使い』という呼称でいたか。
彼女は毎度毎度、震災の度に、殊更地子に対して詳細を語っていた。
博麗神社倒壊の折も、何故かわざわざ、此方へと知らせに来たのを、良く覚えている。
そこに、通じるものがあるかもしれない。
「早苗、私一度、天に戻るわ」
「そうなんですか。何か、決まりましたか」
「衣玖に逢おうと思う」
「賢明ですね。あむあむ。行きますか?」
「ん。これ処理してから行く」
「ええと、地子ちゃん」
「何?」
「お、女の子同士の恋愛ってどう思う?」
「――――…………」
時は動いて行く。人は交わって行く。比那名居天子の結んだ衆生の縁は、様々な形を見せて行く。
どこかで紡がれた因果が、応報としてかえろうとしているのだ。
決意を固める。
向き合わねばならないのだ。
※
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
陽も傾いた頃。地子は自らの犬小屋に戻ると、中で蹲っている聖白蓮に挨拶する。そもそもなんで人様の部屋で丸まっているのか、という事について、今更突っ込もうとは思わない。
「案外心地いいでしょ」
「住めば都とは言ったものですね」
「少し休憩して、英気を養わないといけないの。退いてくれる?」
「まあまあ、ほら、上がってくださいよ」
「……」
きっと何をいっても無駄だろう。地子は限りなく狭いスペースに、ぐりっと潜りこむ。ぬくい。
「あえて聞くけど、何してたの」
「こうして、半分身体を外に出して、空を見上げていました」
「はあ……」
身を乗り出し、空を見上げる。超吹き抜け天井は、きっと無限に続いている事だろう。幽香曰く続いているらしい。
だんだんと朱色に染まって来た空には、秋らしい細い雲が幾つも流れ、その合間を黒い鴉が悠々と、山へと向かって飛んでゆく。時折聞こえる啼き声が、妙な感傷を誘った。
外に居た頃の郷愁だろうか。名居は山社であった為、確かに懐かしい。
「空は広いですね」
「この上には天があって、更に世界は幾つも重なっていて、仏の世界はもっと先にある。宇宙はどこまでも広がっていて、今も拡張してるとかなんとか。いまいち掴めない話だけれど」
「この広い空の下には、思い悩み詰める人々が溢れかえっているそうです」
「人間だからね」
「私は、その昔、ただの老婆でした」
突然、聖はそのような事を言い出す。地子同様、この空を何か懐かしんだのだろう。
空は徐々に染まって行く。しかしいささか――あかすぎる気もした。
「へえ。聞いてはいたけど、本当なのね」
「年老いて、若いころ生き別れた弟を探して、私は信濃を出ました。奈良に赴く間に、私は大日如来の言葉を携え、弟と再会を果たしたのです」
「……なるほど。アンタも犠牲者か」
「――どう、なのでしょうね。仏の言葉は、人を導きます。けどそれは結局、仏に利があるからこそなのかもしれませんし、本当に救済のためなのかも、知れません。少なくとも、私はあの時、仏の言葉を救いと思い、そして弟に再会したのです。このような空の日でした。老婆になった私を、老人になって偉くなった弟は、快く迎えてくれました」
「幸せだった?」
「幸せでした。私は、弟を愛していたのです。きっと、私の気持ちを重く感じて、家を出て行ったのだと思います。でも、互いに老いて、若いころのような気持ちは無く……ただ淡々と、仏の道に身をやつしました……やがて弟は入滅し、私は一人取り残されました」
「……四苦を恐れたのね」
「はい。でも、様々と考える所がありました。弟は、本当に仏になったのか、だとすれば救われたのか。それを確認する術は何か。それは、自らが仏になれば、知れるのではないか。このまま死ねば徳はない。では、人も妖怪も、全ての衆生に仏の法を齎し、伝道し、さすれば私は、菩薩に、仏に――」
「……悲しいヒトね、アンタ」
「私は失敗しました。そのような心の持ちようこそが、そもそもの間違いであると、気がつかなかった。結果、ヒトに封印されるというものでした。私は――自身への信心を集め過ぎた。私は――強く、なりすぎた」
空を眺める白蓮の頬を、一筋の涙が伝う。真横でそれを見た地子は、顔を背けた。きっと、見て貰いたくはないだろう。
聖白蓮の顛末。きっと、他に語られた事はないのだろう。信貴山縁起絵巻の結末は、幻想郷にこそあるのだ。
彼女に、後悔は無い筈である。
その涙はただ、一人の人間として零したものだと、そう、理解してあげるのが、彼女の為だと思った。
「ですから、私は、地子ちゃん……いいえ、天子様が羨ましいんです。愚かと罵ってくださって、構いません」
「ふン。認めて貰いたいからこそ、口にしてるクセに。わざとね?」
「えへへ……駄目でしたか?」
「――認めざるを得ないわ。アンタは、間違いなく、大人物よ。もう、諦めたの?」
「いつも通りにお勤めして行きます。いつも通りに。人間と妖怪の融和を夢見つつ……」
菩薩に。仏に。
求めれば求めるだけ遠くなる、苛烈な現実こそが、仏教の本質だ。己にだけではなく、衆生全てへの救いをと願う大乗仏教は、いってしまえば無理無茶の類、究極的な夢物語である。それでもなお、己の腹にいちもつ抱えていたとしても、それを目指そうと言う人物は、唯者ではない。
上に立つと言う事は、今以上に全てを背負い込む事になるのだ。
「人を助けるには、覚悟がいる。非業の死を切り捨ててでも、救える者だけを救わねばならない時だって、きっとある。仏なんて、真っ当な頭じゃ、きっと勤まらない」
「何も、御仏となるから救う訳じゃありません。救いたいから救うのです。それだけの力を、持ってしまったのなら。それだけの力があるなら。そんな気持ちがあるのなら。敢えて言います。御仏は、力あるものに、それを望んでいる」
「勝手な話。アンタは仏の被害者なのに、仏の肩を持つのね」
「結果です。衆生の縁に、私はうとまれ、衆生の縁に、私は救われたのですから。御仏が認めてくださらないのならば……では、私が仏に、なるまでなのです。新しい仏に」
「新興宗教ね」
「ええ。仏陀もそうでしたからね」
「でも、まあ、なんかアンタなら、出来そうな気がする」
魔界に封印されてしまう程の因果を結び、尚且つ現世へと返り咲いたこの尼僧は……もしかすれば、もしか、するかもしれない。それだけの試練を乗り越えたのだ。地子などよりも余りある程に、立派である。顔も出さない仏に比べれば、手に触れて見て取れる力ある存在とは、きっとそれだけで新しい仏なのだから。
天に、菩薩に、成る必要もない。これは、きっとこのままで、いいのだ。
嘘偽りのない、本物なのであるから。
「天子様」
「地子にして。落ち着かない」
「でも、戻るのでしょう?」
「何故解るのよ」
「顔を見れば解ります。もう、決心がついている顔です。現実と向き合う覚悟がある顔」
「お世話になったわ。聖白蓮」
「もう行ってしまうのですか?」
「ええ。元から長居する気はなかったし。一度天に戻るわ。たぶん居場所はないでしょうけど」
「なるほど。一時帰宅ですね。この部屋はそのままにしておきますから、何時でも戻って来てくださいね。いえ、この部屋と言わずに、次は私の部屋で寝泊まりしてください。沢山可愛がりたいですし」
「あんな事があった後だと、聖と邪が同居して聞こえるのよね、アンタの言葉。ああ、だから、尼僧で魔法使いなの?」
「ふふ。どうでしょう。受け取り方は人次第、ということで、どうか」
「なんでも良い。少なくとも私は、アンタがどちらに傾いていようと、アンタを信じてる。もしかしたら私は騙されているのかもしれないけれど、アンタにだったら騙されても悪い気がしないのよ」
「ち、地子ちゃん……」
「ちょ、ちょっと。顔紅くしないでよ。乙女かアンタは。ああもう、じゃあ私は行くから」
「う、うん……え、ええ。ちち、地子ちゃん。がんばって、ね?」
「……」
「び、毘沙門天の加護がありますように……あ、お守りもあります」
そういって、白蓮は懐から妙に温まったフェルト生地の寅丸ちゃん人形を差し出した。早苗の言う通り『一生懸命作りましたっ』感溢るる、素敵アイテムである。
「ご利益よりも呪詛が詰まってそうね」
「お金持ちになれると好評です」
「はあ」
自分の部屋を抜け出し、背伸びをする。良い場所だった。ちと、狭いが。
ここから先、どうなるのかは解らない。
天に戻って、まずは聞こう。本来ならば、一番最初にやるべき事であった筈だ。そう出来なかったのは、己が未熟故に、ただ反発心だけが表に出てしまった結果だ。
これは、単なる希望だが。もしかすれば全て、偶然に偶然が重なっただけで、小町も早苗も、問題ありきで考えた為に出た答えを喋っているだけかもしれない。
勿論、当然、それはないだろうが――そんな疑問すら湧いてしまう程に、地子は向かい合おうとはしなかったのだ。
「行くね。白蓮。ありがと。それとこれ」
そういって、地子は己の給料袋を白蓮に手渡す。
「物凄く少ないし、何の足しにもならないかもしれないけれど、これから亡くなる、花屋の店主の葬儀代に充てて」
「――確かに」
「ごめんね、何も返してあげられなくて」
「いいえ。私は、貴女に出会えて、貴女を知って、貴女を見る事によって、私自身を見つめ直す事が出来ました。大げさに聞こえるかもしれませんが……何せ妖怪、変化が乏しい。これは、大きな事なのです」
「そう――じゃあ」
「また」
白蓮は、小さく手を振る。彼女の心の内にあるものは解らない。だが、その笑顔はいつもと違い、確かな感情を帯びていた。彼女の心の波風が、少しばかり、大きくなった証だろう。平静とは望むべきものだが、感情なくして人間はなく、また妖怪もない。彼女は人にして妖怪にして菩薩である。ある種の三才を備えてこそ、この幻想郷に幸を齎せるに違いない。
また、地子が白蓮から得たものはあまりにも大きい。かみ砕き、飲み下すまでまだ時間が必要だ。強烈な力、破格の自我、超越の希望、そして過激な思想は、地子にはまだ、荷が重すぎる。だが、だからと言って下ろすつもりもない。一にして膨大な聖白蓮という存在を抜きに、これからの地子はないと、そう実感しているからだ。
聖は無理に背負い込むなと言っていたが――その無茶を通さねばならない。
「行こう」
行こう。元来た道へ。本来在った場所へ。己の身に迫る危機を退け、己が何たるかを知るために。
地子が救いたいものは、己である。それが愚かな思想であろうか。
否だ。地子は期待されている。あらゆるものに期待を寄せられている。自分に資格が在るかなど、そもそも問題ではないのだ。今ならば解る。地子は怒るべくして怒ったのだ。降りるべくして降りて、知るべくして知り、己の過去を想起するべくして想起しているのだ。
衆生縁とは良く言ったものだ。出会った者達の言葉は、確実に地子を押し上げている。
地子は、天人でいなければならない。そして、天人になるべくしてなったのだ。戻るべくして、戻るのだろう。
地子の、いいや、比那名居天子の根底を支えるものは、陳腐にして絶対の願いなのだ。ここで、朽ちる訳にはいかない。
人と別れ、地を蹴り、そして天へと飛ぶ。
立ち向かうべき障壁はまさに、己の踏みしめた天にこそあるのだ。
比那名居考~天人無垢~
「当主様。大きななゐがあると」
「ある。比那名居の娘。しかと見よ。これから起こる地の揺れは、正しく人も神も抗えぬ程の災禍である」
「抗えぬのですか。要石の御力は」
「意味を成さぬ。名居の要石も、建御雷の御力も、布津主の威光も、この災禍には歯が立たぬ」
「では、助けなければ」
「ならぬ。山の波に海の波に飲まららば、たとい天人の身であろうと唯では済まぬ。止めよ」
「そんな……里の皆は? 海沿いの人々は?」
「……故に見よ。神すらも飲み込む災禍が如何なるものなのか、その眼にしかと、焼きつけよ」
「た、たすけ」
「……比那の娘を」
地子は、この度天子との名を賜った。地に住む人から、天に住まう賢人となる事の証であるという。数えて十四の娘は、ただならぬ胸騒ぎに飛び起き、親族達の下へと駆けて来た。もしや、何かこの災禍を防ぐ策があるやもしれない。そう思っていたがしかし、親族達は水を打ったように静かに、滅びゆく故郷を、ただ見降ろしていたのだ。
「総領娘様」
「あ、貴女。あの、地上が」
「ええ。存じ上げています。ここは大人の皆が居ます。邪魔にならぬよう、私と一緒に見降ろしましょう」
「――なにも、できないの?」
「今は。さあ、此方に」
竜宮の使い。普段は空を漂い、龍神の言伝を知らせて回る役目を負う妖怪である。大村守の時代から、地震に関しての造詣の深さ故、こうして一家が懇意にしているという。ただ、優しい、というには何かが違う。常に落ち着いており、どのような事があっても、急激な感情の変化は見せぬし、自分を語ろうとはしない。
地子はこの人物に、軽い畏れを覚えていた。
「こちらなら見えます」
「ああ」
親族から離れ、外へと赴く。雲の間から覗く地上は、今まさに、地を上下に揺さぶっていた。地子が初めて見る、激甚、とまで呼ばれる災害の過程である。今まで暮らしていた里の家が次々と倒壊し、人が散り散りとなる様が見て取れた。地に亀裂が走り、山が崩れて行く。
さらに視線を映し、海へと目を向ける。
「……伊勢志摩も不味い。これは津波が来る揺れです。海社は被害を被るでしょう。そしてしばらく、海産物も望めないかもしれませんね」
「津波?」
「名居は山社ですが……ああ、崩れましたね」
同時に、母屋から悲痛の嘆きが聞こえて来るのが解った。
「神社など幾らでも建てられます。問題は民です。総領娘様、是非ご覧ください。確かに、地震は建造物を突き崩し、山を削り、川をせき止めて水がめになり、それが決壊して、地を襲います。ただ、それは一時的です。地の水は塩を含まない。問題は海です。この大きさならば、漁村は終わりでしょう。挙句海沿いに田畑を持つ者は、作付が出来なくなります」
「どうして……?」
「例え津波から逃げたとしても、塩が残ります。塩が土壌に染みれば作物は育たない。大きな文明も塩で滅びたと聞いています。塩は恵みですが、在りすぎては何事も害にしかなりえません。まして、津波の運ぶ泥は下の下から巻き上げらた泥。堆積し、地層と成る事も、あるでしょう。そうなれば、その地を捨てねばなりません」
「た、助けないと」
「何をです?」
「……と、土地を、人を」
「誰がです?」
「わ、私達が。だ、だって。名居様は、地震を鎮める事で認められたのでしょう。ではその鎮めが破られた今、せめて手を差し伸べねば、人が、里が……」
衣玖の手が上がる。天子は何か悪い事を言っただろうか。
だがその手は、天子の頭に添えられた。
「思います。総領娘様はとても心がお優しい。そうですね。このように傍観して居た所で、何もなりません」
「だ、だったら……」
「おひとりで行きますか? 恐らく、名居も比那名居も、地に再び降りる事はないでしょう」
「せ、説得して、なんとか……」
「なりませんね。彼らに力は無く、そして諦めている。やる前からです。例え地震が起こった後だろうと、地震に携わる彼らは、本来ならば手を差し伸べ、名居の信仰を盤石にし、尚且つ徳を積む事が最良なのですが……その程度でなのです」
「――そんな、そんな……だって、ほら、人が、ああ……」
やがて、津波が押し寄せた。第一波は静かに漁港を湿らせる。第二波は、里を湿らせ、第三波で、全てを攫って行った。海底を撒きあげた墨の如く黒い波は、船を、家を、人を、丸ごと飲み込んで行く。
「なにも、できないの」
「今は。それは総領娘様に力が無いからです。もし、力があったのならば、救えた命も救えた土地も、あったかもしれませんねえ」
「なにもできない……」
「無力極まりますね。総領娘様は無力そのものです。悔しいですか?」
「……悲しい」
「左様ですか。そうですね、悲しいですね。私の言葉がもっと人に、そして貴女達天人に通じていたのなら、ここまでの災害を出さずに済んだかもしれませんしね」
「貴女は? 貴女は、どう思うの?」
「私ですか? 私は、何せ妖怪です。被害をそれほど重大に考えてはいません。酷いと思いますか?」
「酷い。酷いわ。どうして?」
「私はちゃんとお伝えしますよ。人にも、貴女達にも、龍神様のお言葉を、代弁して、皆にお伝えします。それが私の使命です、それが私の、存在意義なのです、総領娘様」
衣玖は、そう言い切る。振れ幅は一切ない。己の目的を確実に見つめ、分相応を弁えているのだろう。妖怪と人間では、精神構造がそもそも違うと聞く。では、龍宮の使いもその通りなのだろうが、しかし天子はそれを理不尽に想った。折角人を救う可能性のある力が備わっているのに、それが妖怪で、人間の命を価値なしとみているのでは、まるで本末転倒ではないのかと。
「おかしいと思われますか。けれど正常なのです。私には目的そのものしかない。きっと今もこれからもずっとその価値観を抱いて生きる事でしょう。そうしないと生きて行けないからです。私は知らせる役目を負う天女。その後に起こる事自体に、興味はないのです。でも思います。総領娘様が悲しいと仰るそれは理解出来ます。そして、悲しそうな貴女を見るのも、私は悲しい」
「どうして? 人間が死んでも悲しくないのに、貴女は、何故私が悲しいと、悲しいの?」
「――それは、ですね」
下界は、今まさに嘆きの中にある。天にまで轟こうとする濁流の悲鳴は、己の記憶をざらざらと滲ませる。
『龍宮の使い』が、比那名居天子に何を抱いていたのか。
声は思い出せない。だが、その口元は覚えている。
片方の頬を吊り上げ……歓喜していたのだ。
・
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・
・
夜半。妖怪山(八ヶ岳)山頂上空。幻想郷において、須弥山に見立てられるこの山には、天魔も住まうという。
ここから先には天がある。しかしそれもおかしな話だ。幻想郷の上が、天の最上階たる非想非非想天に近いなど、バカらしくて笑ってしまうのだ。今まで大して疑問にも抱かなかったが、改めてみれば、この郷がどれだけふざけた構造をしているのか、良く解った。
彼岸に、冥界に、旧地獄に、その他異界に、そして現世に、天界の上部に、ここは繋がっているのだ。
因果の坩堝。幻想の集う場所。狂った境界線。
しかし、そこは間違いなく人間の世界であり、人間の世界にしかない理不尽で満ち溢れていた。ここで体験した経験と時間は『比那名居天子』の知識を、確実に智慧へと結びつけてくれた。そんな事が簡単に起こりうるだろうか。まずあり得ないだろう。普段降りた程度ならば、ただ店を冷やかして、偉そうな事を言って終わるだけなのだから。
もし、そんな事を意図的に齎せる奴がいるとするならばそれは神か……もしくは。
「仏ね」
天との境界線。雲の波間に、月光を帯びたヒトカタが湧出する。
『重畳』
「アンタ達仏神の意図は知らないけどね、私は、得難い物を得たわ。そのつもりだったのかしら」
『然り。天の子、地へと至り人を知る。三才携えし貴殿、誠仏の智の体現。天人の生、人の一日を四千、四万年とする』
「誰の命令」
『我、天にあり、地にあり、人心に在り。されど何処にも在らず。故、権化也』
「マジで権化なの。御仏の。如来の。なんで私なんぞの前に。何が目的よ」
ヒトカタは、やがて質素なシルエットを持つ仏像のような形をとる。天子の知識で言えば、それは釈迦像だ。
「冗談きついわ」
『上座部、大乗、自己思想、貴殿に、衆生の救済者に問わぬ。ただ我等は些細な助力をし、済度の手を持つ者の生誕を』
「どの宗派もどうでもいい、どんな考えでも否定しない、とにかく、上に昇れば、どうにかなるって?」
『賢し。我は先達。その権化也。貴殿』
「何」
『越えられたし。貴殿の望みし救済、その先に在り』
「勝手な事いうわね」
『――……』
「でもまあ、そうね。赦すわ。それで、一人でも、店主みたいな人が減るのなら」
天子はそれを見上げたままだ。
身勝手な話。一体どこの誰がそんなものを要請したか。
地上で修行を積む坊主や修験者達からすれば、この上ない祝福にも思えるだろう。だが、天子からすれば、むしのいい話話であるし、腹に据えるかねる処もある。それは完全に押し付けだ。多忙のあまり救済に手の廻らない仏の代わりを、仏達は探し求め、手を加え、己たちと同じようにしようと言うのだ。
聖白蓮は、まさに犠牲そのものである。
だがどうだ。心の底からヒトを救いたいと思うなら、今の自分では間違いなく足りない。仏の言う通りその身をもう一つ上の階層に持ちあげたのならば、その望みも叶うかもしれない。結局のところ、行きつく先は同じ。反発しようと否定の出来ない理屈の一つ。天子は頭を振る。
期待されているのだ。今の今まで、一体誰にされたか。
そして自分は今まで、仏の教えをたてにして、人に説教し、また、己の道も改めたのだ。
「敢えて感謝するわ。でも、これ以上求めないで。私は天人だけど、きっとアンタ達仏と、同じようにはならないから」
それが御仏の意志であったとしても、天子が得たものに偽りはない。想起された己の希望は、まず間違いなく、今の天子を作り上げているのだ。だからこそ悲しみ、だからこそ思い出す。背負う必要のない事実を背負い込んでまで、そして結局その希望から逃げきれなかった事実を見つめて。
『無垢の子』
「忙しいんでしょ。私は、私の望む事をするわ」
『無垢の子に我等の加護を』
「だからぁ」
『言わせてよ』
天子は無垢の子である。人の苦をさほど知らず、天人の本分をないがしろにした。だが、それ故に天子は何にでもなれた。何でも受け入れられた。
無垢とは畏れを知らず、穢れを知らず、見知った色に染まる。愚かだが、修羅にも仏にも成り得るのだ。
彼女が得た知識は、他と何もかわらない。人間ならば誰もが一度は考えるものだ。だが、それをいざ体現しようとした場合、自分がどれほど無力なのかを知る事になる。だがその無力を知りながらも、屈せずに立ち向かう者がいるとするならば、それこそが、まさに人ならざる価値を認める『何か』である。
確かに道は敷かれていただろう。この権化が敷いたのかもしれない。他の誰かかもしれない。だが、それら全てを選び切ったのは、他ならぬ本人のみ。如何な仏であろうと、人の選択を操る事は出来ない。出来ないからこそ、救済者達は今日も悩み続け、求め続ける。
『災厄は来たれり。但し、唯の愚者に非ず』
「あいあい。ちゃんと、あの馬鹿もなんとかしてやるわよ」
『越えられたし。紫電の傍観者を』
そのように残し、光は隠れ、天蓋が破れる。やがて雲がひらけて月光が『友人』を照らし出す。一番話を聞かなければならなかった友人。本来ならばもっと知るべきであった友人。本来ならばもっと頼るべきであった友人だ。
――永江衣玖は、その衣を漂わせて、風に乗り、緩やかに浮かぶ。その手には、緋想剣。気配を察して来たのだろう。
恐らく……彼女には、たった一つの願いしかないのだ。それは衣玖個人において絶対であり、揺るがざる価値。捨てようにも捨てられない強権的な脅迫とも差が無い。彼女は、彼女自身に脅かされ、なおかつ『妖怪』としてあるのだから。
「あら、地子様じゃありませんか。どうされましたか?」
「アンタが恋しくなったのよ」
「なんと。ならば、いつでも呼んでくだされば良かったのに。衣玖はいつでも、貴女の下に向かいますよ」
「私から逢いたかったの」
「――左様ですか。愛されていますね、私は。しかし、天に昇るのは、不都合では? 居場所、ありませんよ?」
「仏のフリーパスを持ってるのよ。お墨付きでねえ」
「御仏が顕現なされたのですか」
「いると思う? 仏様」
「直接見た事はありません。でもきっといるでしょう。天人が居るくらいなのですから」
「そ。否定出来ない身なのよね、残念ながら『比那名居天子』はさ。超常的で、非現実で、幻想的だけれど、結局のところ、そう言ったものが世の中を知らず知らずに導いているんだわ。アンタはどう思う?」
「そうですね。私も神の使いです。もとより、人間の思想に支えられる身ではありません」
「妖怪なのにね。妖怪なのに、アンタは人間の思念から生まれた訳ではない。神の使いとして最初から生まれた。そしてその存在意義は、探知、警報。それ以外、ない。アンタが生きて行くに必要なのは、アンタの存在意義を満たす行いと、それに通じる人間、天人だけ。ねえ衣玖。私の事、好き?」
人が飯を食うように。妖怪が人の認知を必要とするように、神が人の信仰を必要とするように、彼女が存在する為には、存在する為の『燃料』が必要なのだ。そのような意味で言えば、この永江衣玖という『天女』は、あまりにも例外的すぎるのである。飯を食わねど在れる、人が見ずとも脅えずとも在る、人が崇めずとも在る。そんな妖怪も神も、この世には存在しないのだ。
では、彼女を生かすものは何か。それは彼女が元来から支えにする、その意義のみ。
「どうしたの、衣玖。私はアンタが好きよ? アンタは、この誰にも期待されない天人を、一人だけ、ただ一人だけ、期待してくれていたものねえ。やっぱりね、認めて貰うのって、嬉しいわ」
そこで衣玖は――その能面のような、変化のない笑顔に、わずかな歪を見せた。これは違う。この地子は、地子ではなく、ただの比那名居天子でもない。そのような疑念故だろう。
「ええ。私は『総領娘様』が大好きですよ。常日頃から、つけ回す程に」
「私の私生活から趣味からその他諸々、全部把握する程に。私はアンタの名前も知らなかった。厳密に何者かも知らなかった。アンタは何も語らなかったし、私もきかなかった」
「……少し恥ずかしいですね、御本人から聞くと」
「聞かせて。何故、好きなの? アンタは昔から語っていたわね。どんなものにも大した価値は観ていないけれど、私には見ているって。アンタは人間の死を悲しまないけれど、人間の死を悲しむ私を見るのは悲しいと。なんで? そんなに、見下して優越感に浸れる程、良い泣き顔だったかしら、私は」
「そ、そんな事はありません。私は純粋に、総領娘様が悲しむ姿が、とても辛いのです。だから幸福で居て貰いたい。貴女が誰にも馬鹿にされず、聡明な貴女が采配を振れる、そんな現実があればいいと、いつも思って……」
尻尾を出した。永江衣玖が、言い淀む。天子はそれを見逃さず、無慈悲に引きずり出す。
「そうよねえ。私はアンタの言う通り、誰にも馬鹿にされず、名居家にも他の天人にも邪魔されず、自分の好きなように、思い描いた通りの行動を取れれば……きっと幸せね?」
「――、あ、嗚呼。解ってくださったのですね、総領娘様!!」
雲を抜け、二人が正面に対峙する。月光に照らされる雲の天蓋の上を、衣玖は頬を染め『望みが伝わった』と、歓喜していた。
「そうです。それです。だから最初に言ったではありませんか。貴女を邪魔する奴等など、サッサと処理しましょう。総領娘様は願っていらっしゃいました。人を救いたいと。まごころから。私は、私だけは、間違いなく貴女を理解しています。貴女が全てを決めれば、聡明な貴女こそが名居を統べれば、きっと変わります。貴女も、家も、そして人類さえも。その為には邪魔でしょう。あれらは天界のごく潰しです。何の利益も救済も生みませんし、きっと悟れもしないでしょう。大村の足元にも及びませんよ。けれども、総領娘様は違う。他とは違います。真っ直ぐに本分を見ている。力の無い己にずっとずっと苦しんでいた。衣玖は、衣玖はずっとそれが悲しかったのです。何故これだけの気概溢るる娘を迫害するのかと。理解不能です、保守的で不健全です。総領娘様、緋色の願望機はここに在ります。可哀想な可哀想な貴女の足を引っ張る下郎共を、是非是非薙ぎ払ってください。神話の草の如くです。天災を退ける為に、今後一千万年の為に、か弱き人類の為に。総領娘様、私は――貴女に、期待しているのです」
「うわあ」
見たことも無い、笑顔。心の底から喜ばしいのか、今にも抱きついてきそうな勢いだ。その瞳は爛々とし、歓喜に揺れている。天子としても予測していたのだが、まさかここまで『必死』であるとは、夢にも思わなかった。
だが、それも仕方が無いのかもしれない。永江衣玖の生命に、存在意義に、関わる事だからだ。
「総領娘様、いいえ、御当主様。緋想剣を。この力を扱えば、貴女様の力を、望みを、存分に発揮出来ます。気質は集まり、貴女様はそれを導き、そして民を救えるのです。しかしその前に――」
「家族を殺れと?」
「そう……ですが。何か、衣玖は間違った事を、言っていますか?」
緋想剣を受け取る。緋色の刃は、天子の手に触れて濡れるような輝きを放つ。これは元は天人の鍛えた刃だ。仏の真似ごとをすべく、衆生を導く為に設えられた、不毛の一品である。それは天人の自己満足でしかない。そこにはおごりがあり、愉悦がある。救いとは無償でなければいけない。人間にしてみれば都合の良い話にも思えるが、概念となった本来の仏達に、そういった感謝や供物は、事実上必要ないのである。
彼らが求めているものは、自分と同じように、法を説き、一人でも多く涅槃に至る事への望みのみだ。
だから故に、この刃は、天人の驕りそのものなのである。
「衣玖。まだ聞いてないわ。アンタは、永江衣玖は、何故、私が好きなの?」
「そ、それは」
「私を好きになる事、何か、後ろめたいの?」
「その……」
「いいの。愛だの恋だの、そんなものは、結局本人のエゴなのだから。男なんて酷いわよ。まず性欲でしか見てないのだから。女だって男の顔とか財力しか見てない。でも、互いに一緒になって、ずっと過ごしている内に、互いを守りたいとか、互いに幸せになりたいとか、そういった気持が湧いてくるものなのよ。切欠は何だって良い。なんとなくだって、やがて伝わるわ。そう。互いにまず、言葉が無ければいけない。私はそれを怠ったわ。私は、貴女が何者なのか、知ろうともしなかったのだから」
「そんなこと、誰から?」
「聖から」
「……私はご存じの通り。その存在意義が、龍神の代弁のみにあります。しかしながら、今の世の中、それは幻想郷にも言えますが、誰も私の話など、まともには聞いてくれません。それも当然と言えますね。突然女が現れて、近く地震あるから気をつけてね、とか言われても、何言ってんだコイツ、ですよね。でも昔はまだ信じて貰えました。占いやら、件やら、天帝やら、とにかく、様々な形で、予言めいたものを信じようとする心があった」
「でも、そんなものは廃れてしまう。人間は、自分達が騙される事を恐れるし、痛い目にもあって来た」
「私一人の力では、龍神の言葉は伝わらないのです。天人達とて、伝わったところで何もしなかった。何もしようとしなかった。自分達がせめて、災害の後であっても、降り立って手を差し伸べたのなら、幾らでも、龍神から代弁する私の言葉を広められたのに」
「それで、貴女は彼らが嫌い。でも、私は違うとみた。私は、自分の力量を知らない馬鹿者であったから。騙しやすいと思った」
「ち、違います! 騙すなんて! 私と、そして龍神の話に耳を傾ける存在である貴女は、双方の存在意義である地震の予知や抑止を実現してあまりあるのです。駄目ですか? 私は、総領娘様に、自分の生命を、見ているんです。自分が今後消えない為に、自分の存在を保つために。駄目でしょうか。私は、生きる為に、頑張ってはいけないのですか?」
既にほぼ忘れ去られた者達が集う幻想郷の妖怪とは、彼女は一線を画す。彼女の言葉が伝わらないとすれば、それは永江衣玖の死そのものなのだ。元から覚えられても居ない存在は、幻想にすら、なり得ない。無かったものが、いつの間にか本当に無くなるだけ。
永江衣玖は、生きる事に必死だった。人が飯を食う為に働くように。
だが、天子には手段が納得出来ない。幾ら食う為とはいえ……悪事を働いて食う飯は、不味かろう。
「死神を煽ったわね」
「――手柄になりえる首が、人に悪さをしていると、煽りました。で、でも。『私の』総領娘様が、そんな三下に負ける筈がありませんもの」
「私は七人も返り討ちにしたらしいわよ。もし、本当に強い奴が……小野塚小町なんかが本気で来たら、どうなってたと思う?」
「大丈夫です。そんな下手は打ちませんもの。少し話が大きくなっただけですし。問題在りません」
「で、死神の襲撃は、親族がけしかけていると……何故偽ったの」
「……小野塚小町ですか? アレに、吹き込まれたんですか?」
「答えて、衣玖」
「ええ。そうすれば、貴女は不和をこじらせて、きっと暴挙に出てくれると思っていたからです。何せ我の強い貴女の事、散々と馬鹿にしつくして来たアイツラを殺す事に、きっと躊躇いは無いと思いました。だから、あの親族会議の場で、貴女が息撒いたのを見て、私、興奮してしまって。何故殺さないのかと聞きましたね。あれは、本音です。でも足りなかったので、余計に吹っかけました」
「死んだらどうするのよ、私が」
「死にません。殺させるものですか。私が如何なる手段を使っても生きながらえさせます。貴女は私、私は貴女なのです。利害を、意義を、相互依存した存在なのですから」
衣玖は、悪びれ無く言う。本当に悪いとは、思っていないのだろう。完全に、自分と比那名居天子以外を無価値と判断している。そこにブレは無い。一つ、筋が通っている。だが、そんなもの、とてもではないが許容はされない。
「じゃ、それは良いわ。何故、私に親族を殺させようとしたの。する訳ないじゃない、そんな事」
「――そう、なのですか?」
「当たり前……の筈なんだけど?」
「御親族の問題なのですから、比那名居の娘自身が解決した方が、論理立ちません?」
――嗚呼、違うのだなと、天子は頭を振る。
あいなれるか、なれないか。答えは明白だ。在り方こそ違うが、彼女は間違いなく妖怪。
幽香曰く、エゴの塊。親殺しなど、罪悪の内には、入っていない。だからつまり、生きながらえる為に食う飯は、どれもこれも、同じ味なのだろう。
「もし、躊躇いがあるなら、私が殺りましょうか? 多少てこずるかもしれませんが」
「やめなさい」
「何故です。邪魔でしょう? それともやはり、小野塚小町が。東風谷早苗が。聖白蓮が。風見幽香が。あの店主が。総領娘様の、足を引っ張っているのですか?」
「だとしたら?」
最後の質問だ。この答え如何で、未来は異なる。
「全員殺すのは骨が折れそうですし、総領娘様が悲しみますものね。だったら、直接ここで貴女の眼を覚まさせた方が、きっと早い」
「了解」
天子は、緋想剣を水平に構える。御望みとあらば、応えてやらねばならない。此方に否定する理由は無く、義理もない。不理解で頑なな相手は、残念ながら叩いて解らせた方が、どうしても早いのだ。言葉に力が無い訳ではない。相手に言葉を聞きいれるだけの余裕が無いのだ。では、切って開いて、詰め込むほかあるまい。
荒療治だが。未熟者達にはうってつけである。
「ふふ。少し賢くなりすぎましたね、総領娘様。けれど、貴女が救うべきはあのような無能共ではなく、地の民なのです」
「御仏が、天人の虐殺など、お許しになるとでも思っている?」
「御仏とて信用なりません。なればこそ、貴女は一人でも多く、その手で救うべきだ」
「ああ。同感ね。結局私達は――」
「――意図が異なるだけ」
紫電の弾幕が夜空に走る。
圧倒的なエゴイズムをもってして、永江衣玖は迫る。
・
・
・
・
天子は、何もかもを攫われた地上から目を背ける。どこにもやりようのない怒りで、こぼれる涙を抑えきれなかった。比那名居の力は無力である。故に、大村の下に居た名居神がその力を振るってきた。確かに、そこそこの成果は見込めた。
地震とは、あらゆる力を超越した存在だ。絶対的に防ぎきれるものではない。故に、大震災ともなれば、その力など虚しく、人は蹂躙されるのである。
だが。蹂躙されたからと言って『しょうがない』で済ませていては、名居の、比那名居の、沽券にかかわるではないか。抑えきれないものと悟りつつも、絶対に負けないのだという意志を誇示する事が必要なのではないのか。どうして、自分達は観ているだけなのか。
まさか、何の感情も無く、人々に接して来たのか?
役目だけを追っていたのか?
きっと違うだろう。しかし今この中で、民の為に泣いている奴等がどれほどいるか?
それはあまりにも、軽薄ではないか?
背負い込む事を、無駄と思っているのか?
人とは……大人とは、そういうものなのか?
「彼らだって悲しいでしょう。当然です。でも、自分が一番大事なのです。御役目は終えた。天に昇った。では、余計な波風を立てないのが、自分達親族にとって、一番幸福であると……そう判断しているのです」
「ひどい……」
「非道でしょうか。私はそれなりに意味のある判断だと思いますよ。少なくとも、家族想いです。天に上がった時点で、彼らは私人。公人ではないのです。これから天で修行を積み……菩薩に、仏になれば、多くを救えると、理想論には、そういう理屈になります」
「なれるの? 仏様に。あのひとたちが?」
「あはは。子供は鋭いですね。ええ、怪しい。大村は天人の身でも、地震を抑えるのに躍起になっていました。だからこそ、もうここにはいないのです」
「伝えないと……」
「伝えましたよ。彼らは知っています。でも、現状の保守を、大事と考えてしまった。それが彼らの、家族を守るための正義なのです」
まさか、天に昇れば、多くの人を救えると考えていた天子にとって、それは絶望以外のナニモノでもない。稚気じみた夢は、儚くも早速と打ち砕かれたのである。もはや涙も出なかった。
「地子や、地子や」
「お父様」
「供養を執り行います。地子もいらっしゃい」
「まだ、生きてる人も、居る筈です」
「……そうですね。では当主様に、そのように伝えておきます。お前は優しい子だから」
「……はい」
「使い殿。地子を……ああ、天子を、お願いしますね」
「ええ」
父は、悪い人物ではなかった。比那名居の当主はしかし、その我も弱く、名居の言葉をそのままに受けて仕事をするだけの人物である。優しい父だが……それでは、きっとこの先、何百年も何千年も、変わり映えのない、終わりも見えない、希望は希望で終わるだけの、天人の生を歩む事になるだろう。
そして誰にも逆らえない天子もまた、同様。
「優しい父上ですね」
「でも、それだけなの」
「父上が好きですか?」
「……うん」
「では、言わないで上げてください。比那名居一族は、名居が方針を変更しない限り、それに追従するしかないのですから……ああ、でも」
「なに?」
「貴女ならもしや、今後何か……ええ、漠然としたものですけれど、何か、してくれるかも、しれませんね」
「何か?」
「貴女の眼には、そんなくしゃくしゃの顔なのに、強い願いを感じるのです。何かは解りません。でも感じます。龍神の声すら聞く私が言うのですから、間違いない」
龍宮の使いは、その手で天子の頬を撫でる。まるで、愛しい物を扱うような手つきだ。天子は、その意図を計りかねた。
「私は貴女に期待したい」
龍宮の使いはそういって、己の手を差し出した。
「私はただの傍観者です。龍神の言葉を伝える以外に、生き方を知りません。なので、この力が実際人様の役に立とうと立つまいと、あまり興味は無いのです。でももし、伝える事によって、貴女の力になるのならば、貴女の行いによって更に私の言葉が伝わるのならば、きっと私は幸福です。利害関係の一致です。いつか貴女が、本当に、何もかもを捨ててでも人を救いたいと願うならば、いつでも言ってください。私は貴女に協力します」
「それが、何かなの?」
「わかりません。でも、人は妖怪は信用なりませんから。こうやって、お互いの利益を最初に決めておけば、誰も損をしないでしょう? 何か、というよりは、たぶんこれ、というだけですけれど。間違ってもいないでしょう」
「……うん」
手を握る。名前の知らない彼女は、そう言い残して、またふわふわと、雲の波間に消えて行った。
天子には解りようも無い。
この頃の永江衣玖が、本当に自分の事しか考えていない、愚にもつかない存在であるとは、解りもしない。
ただ、そんな言葉も、天子には僅かばかりの励みになった。
それから百年、二百年と、同じような日々が繰り返され、両親には甘やかされ、本家と周囲には馬鹿にされ、幼く抱いた希望も薄く見えなくなる程になって行く。
いつかの言葉も、既に片隅にしかない。きっかけがなければ、きっと思い出す事もなかっただろう。
己の抱く正義への固執は、放置されたがしかし……当時の気持ちそのままを、純度の高いまま、残し続けた。
永江衣玖。その歪な存在。
だが比那名居天子は、そして『龍宮の使い』は、長い時間を経て、すれ違いながらも狂い無く、同じ場所に、立たされているのだ。
それが御仏の意図であったか、誰かの意志であったかは、関係ない。
己の理想と己の利益、双方が結びついた故の……現実なのだから。
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「嗚呼、だから私は、その手を伸ばす」
稚気じみた夢である。一人の幼児が正義の味方に憧れ、漠然と抱く『世界』を救うという妄想と相違ない。いざ眼前に現実的な災厄が降りかかった場合、当然、幼児は何もできないだろう。そして幼児はやがて現実を認識し、大人となり、日銭を稼ぐ事、色恋、趣味、そんな一般的な生活を守る事に、精一杯となってしまう。
人間なのだ。それは当然である。常に悪を意識し、大人になってまで世界を救いたいと願う奴は、狂人だ。
だが時折、それが幼少からずっと続いてしまったような輩がいる。大半がただの妄想癖で終わってしまうが……千年に一度、万年に一度の割合で、人類は究極的な正義を生み出す。
誰にとって正義か。そこはさして問題ではないのだ。大多数の人間が支持し、それに従い、その教えを広めようとする。今ある、この如何ともし難い、やりきれない人生を打破し、己が如何なるものかを知り、目的の存在となりえる為に努力するべきだという思想。
稚気じみた夢である。だがその大風呂敷は、万民の心を赦し、癒した。その思想故に苦しむ者も、悲しむ者も大勢産まれただろう。そう。だから、誰にとって正義かなどは問題にはならない。
稚気じみた夢を、それでもなお現実のものとしようとした者にとって、己こそが絶対である。
ここに一人、己の無力を悟って尚『どうにかしたい』と願う、無茶な少女が居る。
少女は無垢で、しかし半ば諦めにも似た気持ちを抱いていた。本来ならば経験した筈の人生を省き、知るべき現実を遠目にしか知らない少女は、肥大化する背負う必要の無い罪悪感を背負い込み、常にどうしようもない災害を遠巻きから見守るだけで、いつの日かを夢見つつも、その場所から動く事すら叶わない運命を持っていた。
彼女において正義とは、幼児の夢同様、苦しむ人を救うという、陳腐極まるものである。彼女は地震の神を祭った家柄に生まれ、自分の手柄ではなく、本家の功績に追随する形で、天人という人間の一つ上の段階にシフトした。子供である彼女は、当然大人達の言う事を否定出来る事も無く、望まずにも天人という位に付く事になる。
ではその手で、自分の願いを叶えられるだろうか。
人よりも上位の存在ならば。
子供じみた夢も、実現出来るのではないか。
だが、それは虚妄に終わる。人界から離れた事で、ますます手の届かないものとなってしまったのだ。本家とは違い、ただの従者として天人となった彼女は、いわれの無い罵りを受ける事となった。きっと、他の天人達がもっと正しい法を学び、精進していたのならば、彼女はひねくれたりなどしなかっただろう。不幸が重なった結果、彼女の願いは押し込められ、ただの人間と同じく、稚気じみた夢として、仕舞いこまれてしまった。
本家に気を遣い、頭を下げるだけの父。それを見守る事しか出来ない母。不良と罵られ鬱屈とする娘。
非業の一族は、今後その命尽きるその日まで、きっとそのままなのだろうと、彼女は悲しむ。
だが、切欠は訪れた。それは、幾重にもなった運命の紡ぎ出した、悲愴の嘆きに対する応えである。
しかし、それは試練を伴う。己の鬱屈とした世界を変えたいと思うならば――
「手を伸ばすしかない。無茶でも無理でも、我武者羅でも、必死にその手を伸ばして、掴み取るしかない。故に、比那名居天子は驕るわ。この緋想剣の如く。己の正義を突き通す為に」
仏の法が全て真理ならば人はもっと幸福である。神の法が全て正義ならば世はもっとまともだろう。英雄の言葉が全て真実ならば世界はきっと既に統一されている。だが当然そうはならない。己には己の正義がある。幼いころの正義が、知らず知らず『自分』というものを作り上げているからだ。
もし、本当に誰かを救いたいと、全てでなくとも、非業の人を減らしたいと願うならば、己の正義を突き通すしかない。幼いころに抱いた夢を、無理無茶無謀だろうと何だろうと、全面に押し出してぶつけなければならない。人の言葉をかみ砕き、知識を得ては体得し、自分の理想に近づける行いを、死せるその日まで続けねばならない。
出来るか。そんな事を。真っ当なヒトが。毎日を暮らすに必死な人々が。出来るか。
出来ないのだ。故に稀。故に希少。故に、そんなものが居たとしたならば、奇跡にも等しい。
「私は期待されてるわ。でも、仏も、皆も、誰も、こうしなさいとは言わなかった。方向は示されたけど、判断したのは全部私。もし具体的に言われたとて、どうせ私はその通りにはしなかった。そうして私はこの空に立っている。解るかしら、永江衣玖。私は、私の正義を期待されているのよ。幸福だわ、幸せだわ。こんなにも嬉しい事、今まであったかしら」
「ないでしょう。そうでしょう。総領娘様は、とても素敵な方ですよ」
「そうはいうけどね。アンタ。私は唯一、こうしなさいと、言われたのよ」
「誰にです?」
「アンタにだよ」
少女は、幼子の夢を抱えて幾百年。とうとう、それを誰にも笑われない領域に、足を踏み込もうとしていた。彼女の願いは、もしかすれば、誰かを傷つけるかもしれない。もしかすれば、誰かを悲しませるかもしれない。しかし、そんな躊躇いばかりで、一体誰が救われるか。誰がその正義の恩恵を受けるだろうか。
少女は無力である。今もそれは変わらない。だが積み上げて来たものは人一倍だ。笑われないようにと努力して来たのだから。いつか夢を現実にしたいと、心に秘めて来たのだから。今になって、誰かさんの言う通りに動くなど、まっぴらごめんである。少女の――地子の夢は、比那名居天子によって具現化せしめられる可能性なのだ。つまずけない。今ここでつまづけば、少なからず救えるかもしれない人々を、犠牲にしてしまう。
「ふふ。自分勝手で、思慮が足りない子だとは思っていたのですが、やっぱりそんな事はなかったんですね。両親に甘やかされ、本家と周囲に馬鹿にされ……そんな環境が貴女をどうするのか。将来どんなヒトになるのかと、楽しみにしていたんですよ」
雲の上に降り立ち、衣玖を正面に捕え、正眼に構える。衣玖の本体は自然体のままだが、その衣はゆらゆらと揺れ、雷を纏っている。変則的弾幕ごっこでは済まされないだろう。衣玖は天子の無力化を狙っている。頑丈な天人を止めようと思ったら、人が二、三人死ぬであろう程度の攻撃を加える必要がある。死にはしないだろう。向こうも殺す気はない。だが、唯では済まない。
じりじりとにじり寄る。小型要石の弾を放つような隙はない。衣玖がその気になれば、指定した場所へ任意に雷を落とすだろう。それは常人の反応速度でどうこう出来るものではない。予備動作を見切るか、食らう前に斬りつけるほかないのだ。だが、そのような神速、天子は持ちえない。剣術は中の下だ。刀だけなら、人間でも天子に抵抗し得る。
衣玖もそれを認識しているだろう。
「動けないわね」
天子の言葉に、衣玖が反応するが、攻撃は無い。理由は天子の、並々ならぬ耐久力にある。もし雷を落とした所で、下手をすれば天子はそれを受けつつも、斬りかかるだろ。それを止める為に雷を強化して撃てば、今度は天子が死ぬ嵌めになる。それだけは、絶対やってはならない。
この状況は天子が望むべくして望んだものだ。
「――さて、どうしたものでしょうか」
「殺せば?」
「何を」
「止めようと思うなら殺しなさい。死ぬわよ、アンタ。この緋想剣はアンタの弱点を確実に射抜く。アンタは私を殺せないかもしれない。けど、私にはアンタを殺さない理由がない。そうでしょう?」
「それはありません。総領娘様はお優しい。殺せるでしょうか、私を。きっと、死ぬほど泣きますよね」
「そうね。泣くと思うわ。でも、それも背負おうと思うの。アンタ一人の犠牲で、私の親族が助かるのでしょう?」
「――正気ですか、総領娘様」
「天秤は常に重たい方に傾くのよ。誰にも覚えられていないアンタと、一応は天人の親族数十名。わかるでしょ」
「――澱みが、無いのですね。私は、貴女をずっとオトモダチだと思っていたのに」
「生憎、私は思って無かったわ。アンタは私の全部を知っているでしょうけれど、私はアンタの何一つも知らないのよ。そんなものは友人などと呼べないわ。アンタと私、そこには、埋めようの無い狭間がある」
「……それは。その……」
「どこまで覗いてたの」
「全部です。全部。総領娘様の、全部……。いつか、その、貴女と本当にお友達になった時の為と……」
早苗の言葉が蘇る。これは真性だ。それも当然だろう。悪い事とは思っていなかったに違いない。永江衣玖が比那名居天子に己の生命を見ていたと、それを判断に含めたならば、もしかすれば、間違いでもないかもしれない。だが当然、天子はこれでもオンナノコである。うすら寒くもなるし、恐怖も覚える。
が、更に恐ろしい事に、比那名居天子はそれを赦そうと思っていた。結果論だが、現に比那名居天子は無事であり、彼女が他に秘密を言いふらしたり、致命的な被害を被った訳ではない。全ては永江衣玖の中に仕舞われている。
天子は心中、既に永江衣玖を如何にするか、既に決めていた。そして、終わりはそろそろ訪れる。
立ち止まれないのだ。
「衣玖は、可愛いのね」
「――え?」
「言ったでしょう。こんなにも私を認めてくれる人、他に居ないって。嬉しいわ。そんなにも、奥ゆかしく、内に秘めて、もじもじしていたなんて、ちょっと想像出来なかったの」
「そ、そうりょうむすめさま?」
「貴女は、私の比那名居天子と言うわね? 私が欲しい? ずっと私が欲しかったのね?」
「あ、あ――そ、そんな。そんな言い方……や、やらしいです、総領娘様」
「天子って呼んで」
「て、天子さま……あの、私その……私の言葉を聞いてくれるヒトは、きっと、貴女しかいないと思って」
「ずっと見てた。あんなのや、こんなのまで」
「はい――」
「ヤメにしましょ。そして、お話しましょう。衣玖の全部は受け止めてあげられないかもしれないけれど……私、努力するわ。必要だというのなら、身体だって――」
「そそ」
そんな、と言い放つ前に、天子は緋想剣をアッチに投げ、衣玖を抱きしめる。罪悪感が募る。
しかし、師曰く、使えるもんは全部使えとの事だ。
聖白蓮は一体、どんなえげつない人生を送ったのだろうか。
「――あっ」
「……。如何な妖怪とて、この距離から刺されて、唯では済まないでしょう。観念なさい。それとも放電する? 刺し違えるわよ」
「ひ、ひど」
「聞いて、衣玖」
そこに、当然小刀のようなものはない。手刀を背に突き付けているだけだが、衣玖は抵抗しなかった。自分が手玉にとっていたと思っていた目標に、完全にしてやられたのである。だが、それは衣玖にとっても幸運だっただろう。あの状況下では、どちらかが間違いなく、痛手を負ったに違いないのだ。
「……聞きます」
「永江衣玖の姦計は露呈し、比那名居天子の暗殺は失敗に終わり、そして比那名居天子によって討たれた。その筋書きで良いわね」
「な、何故です?」
「アンタは死んだの。今ね。私の刀で真っ二つになって、死んだ。妖怪は遺体が残らないから、狂言は確実に成功する」
「……」
「アンタは死神を良いように使いすぎた。当然是非曲直庁のミスでもある。けど、それじゃあのお役所の腹が収まらないでしょうし、間違いなく、策のバレたアンタは狙われる。暗殺という形じゃなく、部隊編成されてね」
「それは……」
「小野塚小町は有能よ。アンタの事も、上に報告されてるでしょ。確実に。だから、変な気は起こさないことね」
「しかし……けれど……それでは……私の、使命が……私の……存在意義が……」
「満たしてあげるわ」
そういって、天子は衣玖に顔を突き合わせる。真っ直ぐに、迷いなく、その決断的な意志を伝えるのだ。
「来るのね、大きなのが」
「――……」
「ただじゃあそこまでしないでしょう。手段なら幾らでもあった筈。なのにアンタの行動は、まさに暴挙だった。可及的速やかに、私を取りこみたかった。どのくらいなの?」
「……」
衣玖は、押し黙る。押し黙る程の、災害が迫っている。小さく頻発する地震から、天子は在る程度の察しをつけていた。眺めた空に緋色が多かったのも、判断に拍車をかけた。永江衣玖がどうしても、比那名居天子を取り入れたかった理由は、何も自分の生命維持だけではなかったのだろうと、そう推測していたのだ。
「天子様が。きっと、泣いてしまいますが……お伝えします。絶望的なモノがやってきます。震源から推測するに、今世紀最大の震度と今世紀最大の津波が日本国を蹂躙するでしょう。十数年前も、天子様は毎日、泣いていました。私は、本当に、まごころから、貴女が泣いている姿を、見たくない。後悔し続ける様を、見たくないのです」
「どこ」
「東日本太平洋沿岸部」
「管轄外ね」
「……」
「でも、いいの。たまには、出張しないと」
「けれど――御親族が……」
「衣玖」
正しい選択などない。そんな陳腐な言葉も、いざ現実を見せ付けられると、途端物悲しく思えるものだ。もしあの時、ああしていれば、こうしていれば。そんな苦悩を抱きながら人間は歩いて行く。苦悩は人を育む。苦悩は想いやりを産む。悩み悩み、その中で悩みぬいた結果の答えを携えて生きる人は、稀なのだ。
人に齎される答えは多くない。極論的に言えば、生きるか死ぬかの問題を、様々な視点から見つめて、人間の様々な価値を付与し、答えが沢山あるように見せているだけである。
しかし、だからと言ってその答えが無駄であるわけでもない。己の曲げようの無い信念を頑なに貫き、突き進む先に、神も御仏も知らぬ智慧があるかもしれないのだ。
比那名居天子が出した答えとは、そのようなものなのである。
「大丈夫」
救済の虚妄を、現実にしなければいけない。きっと、絶望的だろう。多くは救えないだろう。自分は神でも仏でもなければ、力ある存在ですらない。まして、神も仏も抗えぬ震災に、天人一人でどうなるというのか。
しかし、そんな後悔は既に乗り越えた。救済の虚妄は虚妄なれど……たった一人だけだろうと、必ず救うというその意志を貫くことこそが、必要なのである。一人を救い、二人を救い、救われた人がまた、別の悩める人を救う世を夢見ねば、宇宙の如く膨大になって行く人類全てに救済など齎せる筈もないのである。
無理無茶を押しのけ、一人一人が手を繋いで行くのだ。一人の行いが次を繋いで行く。
聖白蓮の説く彼女独自の『衆生縁』とは、そのようなものであり、尚且つ、比那名居天子がかみ砕き、己の理想に近づけた答えは恐らく、ソコにしか行きつかないのである。
稚気じみた夢を現実にする作業は、無償の慈悲と未来を見据える心を育むための投資だ。
「説き伏せる。私は、唯一人の比那名居として、地に降り立ちましょう。無力だろうとなんだろうと、まずやらなきゃいけない。一人でも多く、理不尽から救わなきゃいけない。その為にも、そしてアンタが生きて行く為にも、龍神の言葉を代弁するアンタの言葉を、広めましょう。約束を果たすわ」
「覚えて……ああ……ああ……ごめんなさい……」
「違うわ」
「……ありがとうございます」
「――うん」
衣玖から手を離す。天子は、笑顔を向けた。
これで良い筈だ。少なくとも――比那名居天子にとっては。
エピローグ
葬儀は身内のみで行われた。身内と言っても、御近所三軒、風見幽香、地子程度のものだ。葬儀は白蓮に一任された。
地子には、驚くほど動揺が無かった。恐らくは、店主の死顔があまりにも安らかであったからだろう。
天人達と折り合いをつけた次の日、店主は眠るように息を引き取ったという。
幽香は誰に言われるでもなく、店主の身体を拭き清め、装束を着せ、紅をさした。最初から用意していたと言う。手際が良すぎる事について、もしかすれば他人が見れば批難もあったかもしれないが、周辺には既に彼女の寿命は周知である為、誰も声をあげなかった。
それからあれよあれよと時間は過ぎて行き、地子が落ちつけたのは、それから八日も経った頃である。
初めて、直接的な死に向き合った。最初の三日、地子は寝ずに線香の番をしていた。昨日まで喋っていた人物が、冷たくなって動かなくなる事実。彼女が生前、背負う必要の無い咎を背負って生きて来た人生を想像し、短い間でもお世話になった思い出を心に刻み込む。
それは、地子にとって既に咎や罪悪ではない。決して重たい物でもない。人は生き、そして死ぬ、その尊い時間を地子はこれから生きるモノとして、糧とせなばならないのだ。認めた価値を己の柱としなければならない。
そうすることでヒトは、強くなる。
「三途、渡ったかしら」
里が良く見渡せる丘の上に、店主の墓は設えられた。幽香たっての希望だ。ここは陽当たりがよく、幽香が花を栽培する為の畑が、後ろに広がっている。主に……向日葵だが。
「向日葵は良いわ。元気だし、綺麗だし、種は美味しいし、絞れば油もとれる」
「今はもう冬に差し掛かってるけどね」
幸い、空は蒼く気温もある。背後には何も無い畑が広がり、多少寂しいが、当然幽香がそんなものを気にする筈がない。
「命はね、馬鹿みたいにエネルギーを消耗して、無駄に生きるから価値があるのよ。人は夢、人は花。あんなにも愛でたくなる生物、なかなかいないわ」
「じゃ、私達は?」
「インストラクションよ、地子。いいえ、天人比那名居天子。確かに私も貴女も美しいわ」
「すげえこと言ってるぞコイツ」
「けれどね、私達は人ではない。つまり花ではない。どちらかといえば、宝石に等しい。長い間ほったらかしにすれば、その分輝きも落ちてしまう。それは容姿だけじゃないわ。在り方そのものすら霞むのよ。それを再び輝かせるには、繊細な努力と、慎重な足取りが必要になる。まして傷なんてつけてみなさい。もうそうなったら、身を削る苦労をしなければ、再び輝きを取り戻す事は出来ないのよ」
「……」
「だから私は、妥協を趣味としながらも、常に前を向いているわ。目的なんて無い。ただここに在る事が目的なのだから。貴女はうらびれた風見幽香を見たい?」
「逆におぞましいわね」
「そう。おぞましい妖怪は他に任せるわ。私は、そうあるの、これまでも、これからも」
「今日は良く喋るわね」
「温かいからかしら?」
「……アンタさ、ほんと、大した妖怪よね」
「あら、褒めているのかしら?」
「そ。アンタはさ、言ったよね。御仏はもう、人間を救う事なんて諦めてるって」
「言ったかしら。まあ言ったのね。それで?」
「でもやっぱり、そうじゃないと思うのよ。あの人達が残した法とか、道徳とか、観念とか、そういうの。学ばなくても、私達にはしみついてるでしょう。伝道された知識は、そうやって下地を作ってさ、新しい、仏足りえる人間を待ち望んでいるんだと思う」
「ま、私は妖怪だからどうでも良いけど。そうね、貴女は天人だもの。じゃあ、最後の問いよ」
「む。何よ」
「貴女は何をしにここに来たの」
幽香の眼が細まる。蛙をにらむ蛇の如しだが、生憎と、今の地子は蛙ではない。
「息抜きよ。私ね、こう見えて暇じゃないのよ。やっと暇を作ったから、たまたまこうして、アンタみたいな地に這いつくばる妖怪と戯れているわけ」
「ふぅん。そう。では、貴女は誰?」
「――天子よ。比那名居家総領娘、天人比那名居天子。人の身にして御仏により召し上げられ、非想非非想天での修行を許される……菩薩に最も近い、天の子よ、妖怪」
「改めて自己紹介するわ。私は風見の幽香。夢幻と幻想と現世の狭間を行く、四季の権化。人類の涅槃などという夢物語を語る貴女達とは相反する、決して交わらない人類想念の欠片よ。名乗り合ったのなら、イッパツ殺っとく?」
「ふ、はは。冗談、先輩」
「くくくっ……ああ、いいわねえ。なんだか久々に、暗ぁく笑った気がするわ、後輩」
墓前にて。従業員二人が笑う。地子は御仏ではない。故に、店主が果たして、その一生を全う出来たと満足しているかどうかなど、解りはしなかった。もしかすれば一つも幸福はなかったのかもしれない。
だが、苦労とは唯では終わらない。苦労とは人を作る。人をもう一つ上へと押し上げる。
彼女は出来た人物であった。でもなければ、このような、触れるだけで殺されてもおかしくは無い大妖怪を従業員に雇ってはいないだろうし、幽香とて認めもしなかっただろう。でもなければ、このような、人の苦労も知らぬ天人を雇ってはいないだろうし、天子も認めなかっただろう。
彼女の魂は廻る。六つの世界の何処かで、きっとまた生まれ落ちる。これだけの苦労、これだけの慈悲を抱えて生きたのだ。それこそ、現世よりも高い位置に降りてしかるべきである。
それが、彼女にとって幸か不幸かは判断がつかない。だが、そこに降りると言う事は、政治に経済に天災に人災ありとあらゆる恐怖に脅える人類に対して、ただの人間よりはずっと、慈悲を齎せる位置につけると言う事だ。彼女の無念は輪廻した先で晴らされ、そしてまた、仏になるその日まで、真実の智慧を手に入れるその日まで、悩み続けるのである。
「いたいた。探しましたよぉ」
一迅の風と共に、間抜けた声が聞こえて来る。見やれば、緑色のアレが息を切らせながら現れた。
その手には何やら、籠を抱えている。
「私を探してたの?」
「そうですそうです。御多忙の様子でしたから、甘い物をもってきました」
そういって、早苗は籠に手を突っ込み、アマイモノを鷲掴みにして天子に与える。
「そんなに無造作に甘い物扱うと、甘い物の神様に祟られるわよ」
「大丈夫です。うちの神様甘い物の神様より甘い物好きな軍神ですから」
「そりゃ心強いわね」
「これがお勧めです。この飴が棒の先についていて、なめるとちゅぱちゅぱいう奴」
「すごい。邪念しか感じないわ。というか墓前で何考えてんだお前」
「墓前っていっても。店主さんらしき人なら、先ほど小町さんに連れ添われてましたよ。中年の品の良い女性ですよね。三途の川の畔まで地子ちゃんを探しに行った時見ました。いやあ、幻想郷だと、墓も大した価値がないんですねえ。死んだ人が当たり前に認知されてる訳ですし。あ、私の場合は外でもそうでしたが」
早苗は墓前に落雁を置いて、手を合わせながら言う。どうやら、順調に死出の道を歩んでいるようだ。小町が懸念した亡霊化も懸念で終わった様子である。
「比那名居天子。私は挨拶済ませたけど、貴女は死に目に逢ってないでしょ」
「そう、ね。今更、語る事もないけれど」
「語る事が無いと、知人に挨拶もしないの、貴女は」
「むぐ……」
「行って来なさい」
「え、地子ちゃんまた行っちゃうんですか? ついて行っていいですか?」
「貴女はここにいなさい、風祝」
「えー。探し廻ったのに。というかこの人誰です?」
「私の先輩よ」
「そうなんですか。地子ちゃんと浅からぬ関係にある東風谷早苗です」
「知ってるわ。貴女は黙ってここにいなさい」
「何故ですか?」
「うるさいわね。殺すわよ?」
「あ、睨む顔も美人なんですね」
「――とと、当然だけど」
「あはは。怖そうにしても、可愛らしい人なんですねえ」
幽香得意のガン飛ばしも、どうやら早苗には効かないらしい。幸せそうなので、天子は置いておく事にした。
「あ、行くんですね。じゃ、また後でー。あ、今度うちに泊りに来てくださいね。様々施します」
「遠慮する。じゃあね」
丘を飛び立ち、三途を目指す。
人の生と死が曖昧な幻想郷においては……ままある事だ。人が空を飛び、妖怪が跋扈し、神がフランクに話しかけて来る世界で、人間の魂が道端をうろついていたところで、誰も驚かないのである。ただ流石に、その霊が身内ともなれば、反応は異なるだろう。
もはや魂だけになった人には、道が幾つか用意されている。止まるか、漂うか、輪廻するか。止まったり、漂ったりする事で、それなりの自由を謳歌する霊も、居ない訳ではない。だがやはり、人間社会でもそうだが、物事は決まった通りに事を運んだ方が、待遇も良い。
店主の場合、その亡霊化を懸念されていた為、直接死神がやって来たというが……本当にそうだろうか。
それは死神に対してそう言っているだけで、上役はまた、別の考えがあるのではないかと、天子は観ていた。亡霊だけなら、そこかしこに居るのである。
「む」
幻想郷の外れに抜け。枯れた桜の木の合間を縫い、三途の畔へと赴く。あたりには、人の形をしていない人魂がうようよと、己の順番を待っていた。だいぶ溜まっている。
地におり、その一つ一つをつぶさに確認して行く。人型を保っているとも限らないからだ。約数十の人魂を確認してから、ふと木蔭に目をやると、そこにボンボリで赤い髪を結った頭が見え隠れしていた。
「おい、サボり」
「ぬあっ、映姫様!!」
「違うわ」
「って、あー、もう、驚かさないでくれよ。天人じゃないか。なんだ、死にに来たかい?」
「生憎と」
「なんだ。確かに死なれてもねえ」
「何よそれ」
「連絡では、評定がまだ長引きそうだし、判断もまだ先だから、生きてて貰わないと都合が悪い」
「ふぅん。いつ答えが出るのよ」
「百年先かなあ」
「のんびりな役所ねえ」
「お前さんはどうなんだい。決着はついたのかい」
「……」
「……暗い顔するねえ。やっちまったのかい」
「ええ」
「――そっか。ま、妖怪一人だ。何の罪にもならないし、そもそも、下手をすれば此方が仕向けて消しただろうから、手間が省けたとも言える。と、いう事にしておく」
「曖昧ね」
「お前さんが例え妖怪でも殺せるかねえ。あたいはね、考えてたんだ。永江衣玖が、何故お前さんに吹っかけたのか、何故私の口止めに来たのか。色々考えたけれど、やっぱあれは、お前さんが好きだからじゃないかなあと」
「あ、あのねえ」
「でも、そうだったんだろう? 殺した事にする。妖怪は死体が残らないから、姿を消しちまえば、死んだ事になる」
「死んだわ。私の剣の錆になった」
「そう報告するよ。で、お前さんはどうするんだい。このまま、里に残るのか。天に戻るのか。別の決断がある?」
「基本的には、ここに居るわ。ただ、これから先、忙しいかもしれない。あんたも、覚悟なさい」
「……。天災とはいえ、やりきれないね。人はさ、本当に面白いんだ。一人一人皆違う考えがあって、色々な目的を持っていて、様々な行動をする。良い奴、悪い奴、全部ひっくるめて、面白い。ただ生きる事を目的とする動物とは、物が違うわけさ。その幸も不幸も、面白い」
「そういう判断基準なのね、アンタは」
「そうさ。ひとくくりにしちまえば、全部動物、全部生物。悟りとか咎とか、罪悪とか、そんなの全体で考えてしまうと、やっぱり矮小なのさ。でもそういう矮小なものの中に、全体を覆い尽くすだけの真実が、もしかしたら隠されているかもしれない。仏様だって気がつかないような、小さな悟り、真実の智慧が。お前さん達、人間や天人が、命を削ってそれを探して行く様を見ていると……あたいはね、心が温かくなる」
「……そうね。私は、そうするつもりよ」
「だから、あたいはお前さんの顔を見ていると、今なんだか温かい。お前さんはもう全部決めていて、前を見ていて、追い求めると決めてる。そんな顔。素敵だね」
小町は、煙管を取り出し、刻みを丸めて詰め込む。鬼火だろうか。小さく灯った火は、煙草に火をつけた。
「火をつけるのが面倒で、魔法を習ってみた。いや、便利でしょうがないよ、これ」
「勤勉なんだか怠惰なんだか」
口から紫煙が吐き出され、中空を漂う。それはまるで意思を持つようにして揺らめき、小町の正面に、人の形を映しだす。シルエットのみだが……それは間違いなく、店主だ。
「器用ね」
「そういうものさ。拝み屋だってよくやる。挨拶しなよ。そのつもりで来たんだろう」
「ええ」
店主の影煙は、行儀よく頭を下げる。声は聞こえない。ただそれで十分だ。
「その調子なら、大丈夫そうね。彼岸の菩薩代理は厳しいと聞くけど、人情味はある様子だから、アンタの事、良く解ってくれると思う。そもそも、何かしらの意図で、この死神が遣わされたのだろうけど」
「ばれるもんかなあ……」
「予想しただけ。状況から……。天に来るのかしら。花屋だし、冥界の庭を任されるかもしれないわね。アンタの望みは、私は知らないし、どんな決断が下されるかも、解らない。でも、時間がかかるかもしれないけれど、必ず解ると思うわ。アンタは、私なんかよりもずっと人が出来てた。悲しみを知っていた。そう言う人こそ、闇を抱えた人の救い足りえるのだから。アンタの想いは、必ず伝わって行く。人に、これから輪廻する奴等に、地獄の奴等に、天の奴等に。仏にだって、伝わるわ」
店主の影が薄くなる。未練が少ない為だろうか。現世では、あまり形を保てない様子だ。早苗の眼は、どうやら天人も凌いでいるらしい。自分にそれだけの力が無い事を、今は悔やまれるが、しかたない。
「頑張れとは言わない。でも、アンタが前を向くのならば、必ず光明が見える。皆は、アンタの幸福を願っているから。皆が押し上げてくれる。自分一人だけの力ではどうしようもない事も、皆の支えがあるのならば、必ず好転する。どうか――」
どうか、信じて欲しい。人が思っている以上に、人と繋がりを持っている事を。
「さて、そろそろ、仕事しないとね」
影はたち消え、既に姿はなくなったが、気配は残っている。その気配は、また小さく、頭を下げたような気がした。
「素敵だね。お前さん、やっぱり天人で居るべきだ。才能あるよ」
「ふン」
「……いいなあ。その眼、なんでそんなに、意志に満ち溢れてるんだろう。そんな男がいりゃあ、あたいも付いて行くんだけどねえ」
「未婚?」
「未婚」
「ははは」
「わ、笑わなくたっていいだろう……。取り敢えず、お前さんの件に関しては、先の通りだ。気張りなよ」
「うん。じゃあね」
重い腰をあげた小町が、その鎌を掲げると、漂っていた霊達が集まって来る。彼女はそれを引き連れて、三途の川へと消えて行った。
店主は――間違いなかろう。何も、心配はいらない。天子はその想いを携えて、踵を返す。
「さて……行かないと」
改めて手にした価値をその手に携え、人界に齎される災厄の下へと赴かねばならない。そして悩まねばならない。
仏になるその日までだ。
人界 西暦二千十一年三月某日
その日は多少大きめの地震があった。
規模の程はあったが、日本人の知恵が詰め込まれた建造物がそう簡単に倒壊する事もなく、津波も無い。人々は、かねてから懸念されていた大震災が、この地震で多少は緩和されたのではないかと、口々にしている。
が、残念ながら現実は、M6クラスが数百万回来ないと、緩和出来ないという事実である。
「ええと。抜くところ抜かないと、後から極大局地地震になるから、無造作に要石は打ち込めないわ。意図的に地震を起こして緩和するのだって、限界がある」
「そうですね。揺れを抑えるのはこの程度にして、宣伝作業にしましょう」
「でもさ。今の日本人、信心薄いし、末法が、震災が、なんて行っても、誰も信じないんじゃない?」
「ネットで流布すれば、疑いの眼は向けてくれるのでは?」
「ネッ……ト?」
「あ、それはやっておきます。ネカフェあたりで。曖昧な予言めいたもので、どれほど懸念させられるかは謎ですが」
「街頭で演説すれば?」
「どこのアレですか。煙たがられるだけです。テレビの電波ジャックでもすれば、また違うかもしれませんが」
「衣玖。言葉が難解すぎるわ。解る言葉にして」
「難しい事はしておきます。でも、これから起こる地震は、千年に一度です。はっきりいって私達の活動など、活火山に如雨露で水をヤルようなもの」
「それでもいいのよ。敢えて言うけど、自己満足なんだから。解ってるでしょ」
「ええ。私は――私が満たされれば、それで良い。今、満足しています。私はこうして、私の言葉を沢山に伝えられれば、それで良い」
人間が、巨岩に拳を打ちつけるが如き無力さを知りつつも、そこに後悔はない。もとから、絶対的に抑えきれないものなのだ。それすらも飲み下し、起こるであろう大災害を背負い込み、一人でも多く、生き延びて貰いたい。二人は利害の上にあり、尚且つ、迎合している。
つまるところは、全て今生きる人類の判断に託される。一人の心の持ちようで、別の人々が救われるかもしれない。二人の作業は、その一人を作る事だ。
「ぞわぞわする。来たら、気絶するレベル」
「気合いでなんとかしてください」
「へえへえ。天人使いの荒い天女ねえ」
日本人は一つの岐路に立たされる。
これから起こる事態は、戦を忘れ、天災の畏れを忘れた日本人を、根底から叩き起こすものである。眼の前に広がる絶望を前に、一体どれだけ立ち向かえるだろうか。
誰かが死ぬだろう。誰かは生き残る。死した人を悔やみ、生ける人々はそれらを背負いながら、また一から作り直して行く事になる。
出来るだろうか。
「大丈夫よ。何度だって立ち上がったもの。大国の襲来を退け、震災を幾つも乗り切り、焼け野原から全てを作りなおした国なのだから。当然、その意志が未だ、この人達に残っていれば、だけれど」
「そう願うばかりです。貴女が泣かない為に。では、沿岸部に。微力ながら、誘導でもしましょう」
――出来る。間違いなく。ここは日本国。言語と、文化と、地層の狭間。想像を絶する血と汗と涙を、数千年の間蓄え続けた、非業と努力の国なのだ。明日を幸福にする為に。これからの人達を悲しませない為に。
「来る。どうか――」
「明日に未来がありますように」
手が震える。手を握られる。
2011.03.11 14:46
出来る限りの努力を。家族が、友達が、地域が、社会が、国が、強く明日の土を踏めるように。
了
欲を言うなら後日談をもうちょい欲しかった
ケッサク・リアリティショックによりIRCモニタの前の俺は思わず失禁! サツバツ!
比那名居天子さんまじ天人様。
お見事、お見事でした。あがき続ける瞳は馬鹿みたいに美しいです。
それにしても、もう一年ですか。月日はほんと早いもんです。
面白かったです
面白かったです。
いつかの震災は俺に対して直接的にも間接的にもほとんど物理的被害を与えなかった。
仕事がらみで資材の搬入納期に若干の狂いが生じた程度かな。
精神的にはどうなんだろう? 少なくとも今現在は喉もと過ぎれば熱さを忘れる、みたいな状態だと思われます。
で、そんな俺から見たこの作品。
作者様がこの作品に込められた諸々の想いは、無礼、傲慢且つ乱暴に一纏めに表現してみると
ヘヴィ級の説教臭さを伴って俺に襲い掛かってきたんですね。
面白い? 面白くない? めたくそ面白い!
好き? 嫌い? おもくそ好き!
だけど読み進めながら甚だ独善的ではあるのですがこう思っていました。
「こりゃ俺には点数がつけられないな。フリーレスにて失礼致しますか? やだなぁ」なんてね。けど、
>「だからぁ」
>『言わせてよ』
なんか知らんけどここで裏返った。
ヘヴィ級のナニをエンターテインメントの保護膜がスルスルと覆っていくような感覚。
娯楽作品としてならば俺にも点数がつけられる。感謝感謝&感謝よ、作者様。
キャラについて一言。
幽香は揺るがんね。ビクともしないね。美しい!
白蓮は迷いながら、いや迷ってこそかな。それでも揺るがんね。ド天然だね。可愛い!
衣玖さんもこれまた揺るがんね。ヤナ汗が噴出すね。でも憎めない!
小町はあれだな。三途の渡しが一段落ついたら揺るぎなくサボタージュして下さい。カッコいい!
早苗さんは……、なんかブニョンブニョンしてるね。エンタメに凄ぇ貢献してるんだけど溶解液で覆ってきそうだね。
ブロブの如き圧迫感を覚えるね。ある意味衣玖さん以上だね。お巡りさんこっちです!
後藤婦人はお疲れ様。ホントお疲れ様。
天子について。
うーん、駄文を費やすつもりだったんだけどなんか胸がいっぱい。
仏の加護と神の祝福を。大好き。
ストーリーについても上手いこと言えんなぁ。
ビシビシ来た。そらもうビッタンビッタン来ましたよ、とだけ。
ありがとう、ハナマル∞でした!
俄雨さんの作品はいつも後日談をもっと読みたくなって困る
前後合わせてとっても面白かったです。
これだけの執筆お疲れ様でした
そこを強いて絞り出すとすれば、最早この一言に尽きるでしょう。
てんこあいしてる!
言葉が見つからないけど圧倒されました…
…これ以上言葉に出来ません。
天子の葛藤とか頑張りとか意志とか言葉に出来ないほど伝わってきて胸いっぱいです。
ああ、いや、言葉にした結果がこのSSですね。
もう一度、言わせていただきます。
とってもよかった。そして、とても素晴らしかったです。
随所で入ってくるニンジャアトモスフィアには戦慄せざるを得ませんでしたがw
その上で天子の主張に共感できなかったのが残念だったなぁ…。
作中でもさんざ語られていましたが、経験の伴わない主張は空虚に響くってことでしょうか。
そういった意味でも後日談を読みたくなる作品でした。
大満足な力作をありがとう。
日本人って凄い
天子もっと凄い
大作お疲れさまでした
これだから創想話はやめられない!
ああ、なんて面白いんだろう。
強烈なメッセージ受け取りました。
天子というキャラクターを本当に好きになりました。
幸せな余韻に浸らせていただきます。
素晴らしい大作有難うございました。
大丈夫だよ!生きてるよ!
と天子に伝えてあげたい
ええ、本当に素晴らしい作品でした。
こんな表現しか出来ない自分の語彙力の無さに悲しくなってきた……
素晴らしかったです。
それでも、歯を食いしばってこれだけの話が出来上がるんですから、読む方も歯を食いしばって読みますよ、そりゃ。伝わりますもの、気迫が。
説教臭い程のメッセージかもしれないですが、それをエンターテイメントなSSの中で真っ向から主張できているこの作品には、読了した人に何かを残せる作品だと思います。
面白い、というよりも自分の心に残しておきたいと思う素晴らしい作品でした。
この作品に会えた事に感謝を。
なんかこう俺みたいな考えなしが言えるのは一言です。
……学ばされるわ。
長さを感じられない作品で一挙に読まされました。
本筋と別に挿入される、早苗や聖のちょっぴり甘いトーク。
単に息が詰まらないように入れられたやりとりだと思っていましたが、依玖との決着手段に天子が活用したのは上手いと思いました。
それも今の今までのシリアスな雰囲気をぶち壊すことなく調和していて、更に見事です。
大作お疲れさまでした。
ふ、風の息吹を感じろ……
頻発する微弱な揺れは、もしかすると天子の努めている証なのやも、しれません。
>>アボガド
アボカド
>>話辛いなあ
話し辛い
>>巻き上げらた泥
られた
>>むしのいい話話であるし
「話」がひとつ余計?
「ああ、でも地震に対して真摯な天子とか読める日が来るのかなぁ」
…などと、状況に似合わぬ軽い事を考え、そしてそんな明るい想像を励みに足し、どうにか日々を過ごした事を思い出しました。
なので、この作品を読んで最後のピースが嵌ったらしく、大袈裟かもですがようやく「あ、私生き延びたんだ」という気がします。
思ってる事が全然上手く言えないけど…何というか、なんだか、ありがとうございました。
素晴らしい作品をありがとう。
自然にやる気というか頑張っていこうという気持ちがこんこんと湧いてきました。
生きていきます。
ありがとうございました。
作品思い出すたびに、この気持ちが蘇ると思う。
どうもありがとう。
天子と早苗の薄い本を分厚くしたらいいのか?
素晴らしい作品でした
あれ程の悲劇であっても歎き哀しみ受け入れ折り合いをつけて人はネタにしていくのでしょう
素晴らしい一作でした
色々と考えさせられる作品はそうそうないので。
素晴らしい作品をありがとうございます。
天子かわいかったし衣玖さんはマジキチだったし幽香はローテンションだったし早苗さんははしゃいでた
きっとみんなゴールは最初から決まっててその存在に気づくか気づかないかとか、ゴールにたどり着くか着かないかとかね差なんじゃないかなぁ
やっぱりあの日の出来事が自分の中でまだ終わってないからだろうけど。
立ち上がるにもペースってあるんでしょうね。
でもいいお話だったと思います。
俄雨さん、ありがとうございましたっ!
あの日の事をネタにしてなおかつこんな良い作品を書くとか
最早恐ろしいです。
お主も仏様…だな?
クサい言い方をするなら「後日談は現実の俺らが作っていくのさ!」みたいな。
経験の伴わない言葉は虚しいですが、変化をもたらすために何か事を起こすならそれは大概初めてのことで、どうやってもその虚しい言葉を用いずにはいられないこともありますよね。
終盤吹っ切れた天子は声を大にして語りますが、当然そういった側面も出てきてしまう。
経験を積むためには、経験にない事も語らなくてはいけないこともある。ジレンマですねぇ。
でもそれは今まで経験を積もうとしてこなかった己による罪みたいなもので、天子はこれからその虚しさに気付きつつも、それを罰として口を動かすのでしょう。
そう思うとこれからは天子が同じこと言ってるようでも、言葉に重みってもんが出てきそうです。
勝手な考察ですが、色々想像をめぐらせるくらい素晴らしい作品だったとご容赦いただければ幸いです。
本当にお疲れ様でした。
少しばかり考えてきましょうか。
とにかく、100点だ。
これ単品でもすごい作品なのに被災者が書いたとくればさらなる感動が押し寄せてくるな
何がすごいってキャラの無駄遣いが無い。
まず天子はとある願いを抱えて地上に降りてきて、聖の迷いと想いを聞いて、幽香の妖怪の考えを聞いて、店長の過去と死があって、早苗に友達の在り方を聞いて。
そして、最後に衣玖と対峙して天子が答えを出す。
この構成力が素晴らしい。小町もかっこよかったよ!
俺が見てきた天子SSでは間違いなく最高傑作です!
素晴らしい物語をありがとうございました!!
読み終わって変な声しか出てこない! 天子ちゃん熱い、衣玖さん暗熱い! オーケー、非想非非想の熱量は無限大だ! 全人類でぶっぱなそうぜ、緋想天!
そして小町かっこいいよ小町小町小町小町小町ぃぃぃ! やっぱり彼女はバイプレイヤーの立ち位置でこそひと際輝くッ! 揉ませて! どことは言わない!
よくも書きやがったな!
もう「面白かった」でも「感動した」でも「おっぱいぱい」でもこの感想を伝えきれない。
「よくも書きやがったな!」――貧弱脳ではこれが精いっぱい。
最高だったぜ、マンモスブラボー!!
面白かったです。
でも、まあ、これも天子が自己研鑽を欠かさなかった故ですね。
自分もがんばろう。
心が震えた。それだけは言っておきたい。
本当にありがとう。
皆マジメなんだけどそれぞれの可愛さをちょっとずつアッピルしてるのも良かったです
それにしても当たり前の世界で当たり前に起こる災害に対してどう対処すればいいのか
祈りしかないのか
素晴らしい物語、ありがとうございました。
つまり、とてもスラスラ楽しく読めたということです。エンターテイメントとしてとても優れているなと驚かされました。
よくある長編SSに「なんか斬新ですごいことを主張してるけど、つまんねーSS」というのがあります。
私は、彼らの意欲は褒めたいけれども読者を楽しませることにより気を使って欲しかったなと読後に不満に思います。
それに比べて、このSSはとにかくまずおもしろい。わくわくします。俄雨さんの持つ技術が光ってるなぁと思いました。
具体的には、「何者かに命を狙われている」というとっても先が気になる伏線を冒頭にはって、それをラストで回収する構成に惚れ惚れしました。このアイデアをよく思いついたり!と感激しています。
「主人公が成長する物語」・「愚直な天子がガンバル物語」というよくある展開にもかかわらず、私が最後までまったく飽きずに
読ませられてしまったのはこの伏線が一番の原因です。
また、聖・早苗・幽香の3人が「ただのかわいいキャラ」ではなく、天子を効率的に、違和感なく導く様に設定がされているのもすごいです。
一番驚いたシーンは後半冒頭の「強引でカワイイ聖に酒を飲まされ本音を吐く」という所。
葛藤する天子を自分と向き合わせ、どう成長へと誘導していくのかな?と思っていたら、まさか酒を飲ませて本音を吐かせる
という筋立てにするとは驚きました。まったく違和感が無いです。聖になら酒を強引に飲まされても違和感がないですし、
聖になら本音を話しても違和感がないですし…。
もう、とにかく聖・早苗・幽香を家主・友人・先輩という肩書に配置し、困った天子を素早く成長へと導かせているのがすごい。
また、3人ともそれぞれが、天然で強引で経験豊富という性格にしているのも上手い。読者への可愛さアピールと共に、
天子の悩みを真剣に聞いたり、良い知恵を出してあげるというシチュエーションに難なく持って行けてしまう。
エンターテイメントとしてこのSSはとても優れていると思います。無駄なく、スピーディーで、おもしろいストーリーには
私は引き込まれました。ただ、洗練されたストーリー展開ゆえに、やや駆け足な展開でタイミング・都合がよすぎるかなと疑問に思いもしました。
天子の考え、というか俄雨さんの主張にも共感できるところが多々ありました。
俄雨さんがこのSSを書いたのには書かせるだけの理由があると思うのですが、その理由をいつか即売会であった時にでも
聞かせていただけませんか。
というのも震災は僕の生活にも少なからず影響を与え、また「はじめてお金を稼いだ天子」・「死に向きあう天子」・
「自分が無力だと感じる天子」・「理由なく自分を責める天子」と似たような経験をしたからです。
機会があれば、俄雨さんのスペースに伺わせてください。俄雨さん、これからも頑張って!このSSおもしろかったです!
店主さんの気持ちが上っ面の知識でしか読み解けない自分が嫌になるなあ
天子ちゃんの葛藤についても、早苗のキャラについても、幽香の生き方についても、聖白蓮も、感情の上ではなんにもわからないから、やたら苦しいなあ
けど、なんだかんだで最後まで読み通せました
衣玖さんが死ななくってよかったです
この衣玖さん好きです
まぁ、衣玖さんの天子ちゃんに抱く感情も、利害関係を除けばまるでわからないんだけれど
こんなアスペルガーにも最後まで読ませた、秩序立った展開は素晴らしいと思いました
それを差し引いたとしても、この作品は満点でもって評価できるだけのものだと思う
この上なく面白くて、なおかつ深い。
天子の話なのに何故幽香りんや早苗さんなんだろう、と最初は思っていただけに
物語が綺麗に収斂していくのがこの上なく心地よかったです。
すばらしかった。
天子が周囲からの影響を受けて成長していく様は、読んでいるこちらが自身を恥じるほどでした
最後は戦うとばかり思っていたのに、もはや戦うことさえしなかったのには本当に驚きました
お疲れ様です
ただ、すごい、としか言えないです。
この作品を読んだ人の心に、色々な思いを残した事と思います。
私もその一人です。
この作品と作者様に多謝。
素晴らしい作品をありがとうございました。
素晴らしい作品をありがとう。
言葉の深みにただただ沈んでいくようでした。
このような素晴らしい大作を作り上げたことに、作者様に敬意を示し、なにより感謝しています。
色々あったけど登場人物それぞれの絆がより深いものになってよかった。
困難があってもそれを乗り越えられるような希望を持てる終わり方でした。
キャラクターそれぞれに背景がみえるのが良かったです。
特に白蓮は、わたしのイメージと違っていて、しかし活き活きとしていたのが目を惹きました。
はっちゃげたキャラ、変態めいた言動に戸惑い、お酒という薬物すら使用する彼女を怖ろしいと感じ、受け入れられませんでした。
しかし天子が衣玖を抱いたところからは評価逆転。
この聖白蓮。本当にどれほどえげつない人生を送ってきたのか。
はりつめた状況切り抜けるにはボケ倒す強引さも必要なのですね。
「強くなりすぎた」の言葉から反省しての言動なのだとしたら変態めいた言動にも重みを感じます。
さて、天子。この物語の主人公の天子ちゃんなんですが。難しい話がずっと続きますね。
自身の人生と鑑みてみると、もう。もう。とてもコメントなんてつけられず 初見ではフリーレスの予定でした。
考えが変わったのは「だから私は手を伸ばす」以降からでしょうか。
難しい話が、読者に向かっているのではなく、天子の成長のためだと気づく。
他の部分と比べれると作者からのメッセージの臭いがする場面でして、ここで物語への没頭をやめて、メタな視点が持てました。
わたしの解釈としては、この物語はすべて、新しいヒーロー像を生み出すためのものなんじゃないかとおもいます。
地震に対して真摯に向きあってくれる比那名居天子という、あたらしい正義の味方を。
アンパンマンの作者が戦争の中で、飢饉の中で、食べ物を与えてくれるヒーローを思ったそれに近いんじゃないかと妄想します。
彼女の持っているスペル「全人類の緋想天」は、負の感情の塊(DSコメント)だといいますが、
この作中の彼女にならそういう大それたものを任せてしまっても構わないかな、と思いました。
しかし、幽香に謝ろうとする決断。ここから精神の成長が早すぎるような気もします。もっと青臭かったら共感できたかもです。
思い出せ。人類は、常にそれだけを糧に、全ての災害から蘇った事を。
シビレたぜ…
誤字
>庭先に埋められた要石だっただ、
>むしのいい話話であるし、
ありがとう。
間違いなく
この創想話で、ある作家さんの作品を読んで、感想を送って、メールが返ってきて
そんなやり取りがあの日以降ぱたっと途切れてしまったことに、思いをはせずには居られません
本当にこんな大それたテーマでよくも書いたものです
ありがとうございました
面白かったです。
ただ、ひたすらにいい話でした。
感動しました。
作者さんに惜しみない拍手を