白狼天狗は椿の花が嫌いなのだ、花弁の最期が人の首が落ちる様に似ているから。
病人と、それから戦争を仕事にしている連中にばかりは覿面(てきめん)に効く嫌がらせで、格子窓を開けて光を浴びせるにしても水を遣って枯れないようにするにしても、なまじ紅色の花がうつくしく見えるせいで、事態はよけいに厄介だった。
元はと言えば官舎の方へ、それも椛の宅にだけ椿を送りつけてきた者が居て、彼女は心底からうんざりとさせられながらも太刀を佩いて家を出なければならなかった。御山から当てがわれた下男の少年に「花に水を遣ってくれ」と、しっかりと申しつけたうえでのことだ。彼は天狗ではなかったが、はい、はい、とうなずいて椛を送りだした。彼女の方でも、形ばかりも主人らしい優しい笑みを見せてやった。少年は、顔を赤らめた。
このところ、犬走椛は少しだけ出世した。
忠勤、精励に努めたせいなのだろうと周囲はみな褒めそやしたが、自身は、はい、はい、と曖昧に笑ってうなずくばかりだった。それこそ、少年が椛にするごとくだ。周囲の言葉は大半が追従で、何の意味もない賑やかしであるということに気づかないほど椛という天狗もばかではない。かと言って、これを機に高位天狗の座へ駆けのぼるほどの野心を抱いてもいない。
ただ、月々の給金がちゃんと増えて、ごく小さくも立派な邸(やしき)を与えられて、さらに下男ひとりをあてがわれるのには、さすがにこれまでの生活とは違うものを感じ取らざるを得なかった。少年には身寄りがない。否、あったのかもしれないが、もはや御山の一員となってしまった今では、麓で人の子として生きていたときのことなど詮無きことではあった。食い物にも慰み者にもされず、さりとて天狗として転生させるほどの才があるでもなく、ただ何となしにその生涯を使い潰させるには、成出者(なりでもの)の白狼天狗の下で働かせてみるのも面白かろう、――という御沙汰の次第である。
あるいは独り者の白狼天狗に仕えさせられて、彼女に稚児として囲われるか、苛められるか、親代わりとなって育ててやるか、賭けてみようではないか。そういう意思が、偉ぶった人々からは感じられないこともない。椛の出世は人を斬ることによってあがなわれているのだから、その生活に何らか凶気のようなものが宿っていると、きっと期待されているのだろう。
水干の生地も前よりは上等なものに変わったとはいえ、やはり冬は寒かった。
このところ、御山にも日が翳ることの方が少ないと思え、彼女は上着をいっさい身につけずに家を出てきたのだが、さすがに甘い見通しだと言わざるを得なかった。天狗の都の大路をぶらつき、粗末な出店で毛糸の襟巻き――かつて聞いた風祝の弁によればマフラーというものを買った。薄い屋根から下がる飾りや商品の存在がわずらわしく、会計の間中、椛は眼を歪めていた。
マフラーは朱鷺色だった。
特に何も考えずに選んだのでまったくの偶然だったが、白い水干の首元にはよく映える色ではなかっただろうか。頭の中に、椿の鉢を手にした少年の姿が浮かんだ。こちらの気持ちも知らず、彼は「犬走さまの白い装束には、よくお似合いの色の花です」と微笑していた。出店の店主は年経た河童のようだったが、やはり間抜けた笑みで客をひとり、送りだす。どっちの笑みも、椛は好きではない。河童は、「天狗どのは、これからご出仕か」と尋ねてくる。「うん。……仕事だ」とだけ、答えた。
さのみに健脚を自負しているわけでもないが、麓から徒歩(かち)で侵すには甚だ攻めあぐねるであろう妖怪の山の天嶮を、椛は駆けた。マフラーが風を孕み、ばたばたと無遠慮に踊っていた。きゅっ、と、頸の筋のことごとくが締めつけられるような感覚があった。そういうのは、やはり好きでない。椿の首が落ちるところを厭うのも含め、走っているあいだだけ彼女は少し我が強くなる。誰にも見せるわけもなく、言葉にするのでもない。高下駄の歯がみぞれめいて溶け始めた雪を突き刺し、足取りを絡め潰そうとした。転びそうになるたび、椛は高く高く跳んだ。何か、見えぬ汚穢(おわい)に塗れた娑婆を脱け出そうとするような、そんな気持ちがあった。
彼女は自らを純な生き物だと思っていたし、仮にそうでなかったとして、少なくとも純であろうと努めているようなところがあった。早い話が愚直さの言い換えでしかないその心は、自身の手が名前も知らない他人を殺めることに対する躊躇をかろうじてか、減殺してくれる。昼の半鐘の音が山肌へ染むまでの数刻のあいだ、椛は御山の各所に設けられた白狼たちの詰め所へ顔を出し、あいさつをし、後々に酒席にも参加する約束をさせられ、愛想笑いを尽くしていた。
仲間たちの顔には畏怖がある。
ひと足ほど早く“上”に行った椛への思いは、しかし、躊躇のないその仕事ぶりを称える意味のものでもある。椛が手にした太刀の鍔が「がちゃり」と鳴る音に、皆は軋るみたいにびくりとなった。何ヵ所目かの詰め所を出たところで、頭の上の頭襟(ときん)の位置がずれてしまっていることに気づいて、顎の下の緒を結び直す。さっきの場所で鏡を借りても良かったが、それは、きっと彼我の双方が望まないことだったろう。ひとりで居るのが、ちょうど良いこともある。
何か、政(まつりごと)の上で重要な意味を持つらしい碑を越え、御山と里方との境に身を安んじた。遠くに、凍った河水の融けかかるにおいがする。春は近いのだろう。柔らかくなった氷の下で、呑気な顔をした魚たちが銀色に瞬く鱗で水面を飾り、呑気に踊るのを想像するのは、思ったより易いものである。暗い赤色で染めだされた袴の裾が、いつの間にか汚れている。龍か何かから髭でも抜いてきたように太い樹木の根方に寄って、雪と土のかたまりを払った。指先の感覚は、冷たさと痛みとを混同し始めているらしかった。
ここで、眠るわけにはいかない。それでは、仕事ができなくなるのだから。
千里眼はよく凝らされる。
その身で赴いたこともなければ、未だはっきりとよく知りもしない里方の街を見、椛はいつか溜め息を吐いていた。自然、漏れる笑みはなぜか愉悦めいたものに支配されている。御山の霊威から離れてでも生きていける人間たちの境涯に、彼女は優越を感じるのだ。それは、天狗の誇り高さだったかもしれない。あるいは、無為な時間を無為に潰し続けるための児戯だったかもしれない。とりわけ彼女を悦ばせたのは、町並みで行き交う人波がみな一様に浮かべっぱなしでいる理由のない幸福さだけだった。椛にとっては、あたかも価値ある思考に至らないがための、狂った処世のすべとしか思えないのである。娑婆の中で、自分だけが正しく生きているような気がしていた。孤独な、自分だけが。
太刀を持ち直して立ち上がり、河岸(かし)を変えようとした。
ここには“何も”居ない。
またしばらく椛は歩いた。
半刻ほどは、融けかけの処女雪に足跡を刻むような旅程しか辿らなかった。
餌を見つけられないまま回遊だけをし続ける痩せた魚のように、彼女の感覚は鈍っていく。もっとも、椛の気ぶりとか感覚が、海というものに向けられたことはなかった。彼女は御山から出たことがない。彼女は、海を知らないのだ。ただ、そば近くに置いておけと命じられた少年と、彼に世話のいっさいを押しつけた鉢植えの椿とが、彼女に、自分は自分以外のものに取り巻かれているということをにわかに悟らせるだけだった。選んで、犬走椛は独りになったのである。選んで、無為に生きることをしていた。
昼過ぎの半鐘が鳴った。
いちおう、水干の懐には干飯を一袋も忍ばせていたが、あえて口をつける気にもなれない。水さえ飲まず、休むこともなく、たださまようように歩き続けるだけだった。村落から知性のなき野良の妖怪を遠ざけるための、簡素な城壁が数里の隔ての向こうには窺われ、もうすっかり、本来の生活の場とは違うところまで来てしまったのだと気がついた。この先には、塚の立ち並ぶ道筋がある。死の気配に覆われた空間だ。人波の中から放逐されたあわれな子らは、本当ならそこで土の下にうずめられる定めであり、夜には蛍よりもなお昏いだけの光になって、窒息にも等しい静謐(しじま)に棲み続けることしかできなくなる。天狗と同じ、夜の中にだけだ。
にわかに大風が吹き、数日前に雪原の表面を覆った粉雪を吹きすさばせた。
赤い色をした眼を覆い、椛は、ひどく泣きたい心地でいた。
人の声がする。
御山の中を当たり前に歩いていることが、決して許されない声がするのだ。
塚の群れを雪の中に煙らせる樹々の間から、痩せた光が覗いてた。
意思もつ眼であり、怖れの目だ。白狼たちが自分を見るのと同じ眼をしている。
眼の持ち主は、一散に逃げだした。
ほとんど反射的な形のまま、椛もまた相手の背に向かって駆け始める。
高下駄の歯が雪に絡め取られて駆けにくくなるということなど、もう忘却の向こうに押し遣られてしまっていた。嘲り混じりの褒めそやしも、もうどうでも良かった。出世とか栄達として押しつけられたものが、その実は単なる忌避の情でしかなかったことも。いくさが必要なくなった今の幻想郷で、いくさをしか能くすることのできない椛は厄介者だと気づいていたことも。
だが、それの何が悪いというのだろう。
こうして自分は、御山に足を踏み入れた相手を斬ろうとしている。自分は純粋だ。他の誰とも違う。上意に叛かぬことばかりを考え、本来の務めを果たせない仲間たちとは違うのだ。そう念じ続けるだに、彼女はかなしいまでに白狼天狗であり、怖ろしいまでに犬走椛のままだった。彼女の姿を認めた眼はなおも逃げ続けていた。蹴立てられた雪のかたまりが飛び、椛の袴を汚した。
年若さのあまりに少女、と、呼んでも決して間違いではないようにその姿は見えたが、しかしその頬に差す薄黒い疲弊の痕跡は、どこか老人めいてもいる。椛は女の痩身に流れる血のことを考えた。いくさに臨むとき、彼女は、なるべく残酷であろうと努めることしかできなかった。そうやって頭の中身を麻痺させるのが彼女の処世だった。どうして、いくさの大義というものは大抵の残虐さを崇高の一片として拾い上げてくれる。ならば、それに身を預けない手はないのだから。
椛の鼻先に、汗のにおいが突きつけられた。獣じみたにおい。自分のものであるのか、それとも少女のにおいであるのかは判らない。峻別の必要があるとも思われない。文字通り、懸命さということにおいて人と獣のにおいにそれほど大きな差はなかった。
ざく、と、雪を踏み潰す音がくり返される。
走行の連続は瞬く間に乱調と化し、疲労の中から、陶酔だけを器用にすくい上げていく。
いかに大きくうつくしく崇高な志があるにせよ、いくさは最後に人を殺す。
行為自体には常に何の意味もない。
たとえば月や太陽のまぶしさでさえ、それをさせるだけのばかばかしい“狂気”に成りうるのだ。
真に自らを切りつけ苛むのは、手に握ったつるぎを、いったい誰に向ければ良いのか見当がつかなくなることだった。あらゆる理由はひょっとしたら後づけで、殺しがまさに行われようとしているときほど、そのために魂が純化されているときもない。この考えが真実だとするのなら、その純然が続けば、たぶん誰もがしあわせになれる。そんなやり方が正しいのかどうかは別として。それほどまでに自明の真理をとっくに悟っているにも関わらず、椛は幾度も幾度も考えた。自分は、いったいどういうわけで、こうして人を殺すのだろうと考えた。かげろうの翅をむしるより容易く、いくさが椛に人を殺させるのが当たり前のことだとしても。
やがて冷たい冬の気が椛の聴覚をきりと荒ばせ、凍りつくほどの痛みが目蓋を覆おうとした。まなざす人間の少女は、くだらない錯覚をあざ笑うようにして逃げ続ける。脱兎もその目を丸くするだろうほどに、少女は一散に逃げ続ける。椛に向けた背をしきりに震わせながら、ふうふうと荒い息をくり返し、さっきまで歩いてきた足跡をなぞるかのように、道なき道を駆けていく。
ざくッ、と、ついに彼女が足を滑らせて体勢を崩すのと、椛が太刀を抜き放ったのはどちらが速かっただろう。猫でもないが、狼に睨まれた窮鼠は噛むことも忘れて逃げ出すのだな――と椛は漠然と考えた。余計な音を鳴らすまでの時間もかけず、反り返った刀の峰が彼女の視界に入り込んだ。これで、今から殺すのだ。少女は、雪に足を取られて思うさま、動くことはできないようだった。人間にしては足の速いやつだと思ったが、しょせん、天狗に及ぶものではない。
いくさで人を殺めるそのときだけ、犬走椛は、自分が人に化身しているということを忘れようと努める。残虐に、残酷に走るのが獣の仕事。姿ばかりか心までも人間なら、仕事をし遂げることはきっとできなくなる。姿を人に等しく変え、心こそ虎狼のものを保たなければ、喰うためでも大義のためでもない、純然な意味での人殺しはできなくなる。そのときこそ、彼女はほんとうの意味でも『化け物』に変ずることができる。
後ろに迫る椛を振り返る余裕もなく、少女は必死に逃げ続けた。彼女の首筋から感じるにおいが次第に血の気配を帯び始め、片手にした刀が、それを斬ればすべてが終わると語りかけてくるように思った。
声なき言葉に従って、椛は振り上げた刀を一気に打ち下ろそうとした。しかし、手元が狂ったのか、自分でも心得ないためらいが奔ったのか、その刃先は宙を食んで、真白い雪に突き刺さる。しまった。ぐう、と、椛は狼のうなりを発する。いら立ちとともに遣った視線に、小さく遠ざかりつつある少女の背がある。
「待て、ッ、!」
大声は短く、大部分がかすれ、意味をとることは難しいほどの響きだったかもしれない。びくりと肩を震わせた少女が、ちらと椛の居る方を振り返った。わずかに遅くなった走りをとらえるように、椛は再び少女を追い始めた。息が乱れる。人間ひとりを殺すために、自分はこんなにも生きているのだ。殺すために。それだけが、空気と一緒に自分を生きさせてくれるのだ。血のにおいだけが。
伸ばした片手が少女の着物の襟首を鷲づかみにした。があ! と、彼女の喉から人間のものとも思えないようなうめきが漏れた。逃げ続けていた足がもつれる。においに、今まででいっとうの恐怖が混じり、ほんのわずかの諦めが刺さったのがわかる。
つかまえたぞ、おまえ。
そう思ったとき、意思する範囲を超えて、すでに刀は振り下ろされていた。
少女はとっさに、緩くなっていた着物の帯を解き、裸になってまで逃げのびようとしていたらしかった。脱ぎ棄てられ、風にあおられた木綿の着物が椛の半身を覆い、瞬きほどの間、呼吸を阻害した。急いで邪魔な布を取り払った。それから、未だ荒いままの呼吸をどうにか鎮めようと考えつつ、雪の上に横たわった少女の屍体をあらためると、彼女に、もはや息はなかった。右の肩から腰の左側にかけてばさりと斬りつけられ、人の肉の組織が冬の寒さのせいで熱を露わにし、生ぐさい湯気を放っていた。椛はすでに大義を忘れ、こんなときにさえ眼前の屍体を好(よ)きものと感じる、自分自身の狼としての性分を、ひどく卑しいものだと思った。
真白い雪に覆われた地面に、少女の血溜まりが、悲惨さにはひどくそぐわないうつくしさをつくり出していた。椿の花弁を一面に撒き散らして、その中に人形を横たえているような。
屍体――今や少女と呼ぶこともできない――の股座からは、傷から止めどもなく流れ出す赤黒い血のにおいに混じって、わずかに精液のにおいを感じた。人の精液のにおいだ。昔、いくさで人間の男を素手で絞め殺したことがあったが、そのときに同じにおいを感じたことを思い出した。死に瀕した人間は何かの本能に刺激されて、無意識に射精するものらしいと、そのときに知った。逢引きか何かの末路、だったのだろうか。
額や頬を濡らした血を手のひらで拭い、血振りした刀を鞘に納める。白水干は返り血を浴びて、とりわけ赤々と染まっている。胸元の菊綴(きくとじ)が、まるで白と赤で染め抜いた新しい細工であるかのようだった。雪を掘って屍体を埋め、所々が記憶の底から抜け落ちた読経の真似ごとをした。
その日は、そのままどこへ向かうこともなく、森の中で樹の幹に背を預けて眠り続けた。夕の鐘が鳴り渡るころになってから、ようやく浅いまどろみを振り払い、邸に向かった。血まみれの装束のままで他人の居るところを歩きまわるわけにもいかない。都の大路は、晩の菜料を買い求める人波であふれている。連続性のない、個々の生活が紡ぎだすわずらわしさを避け、朝よりもいっとう早く、椛は駆けた。
邸に灯った明るさでさえも、彼女の安堵を誘うものにはなり得ない。人を斬るのが疲れに行くことなら、家で眠るのはその疲れを反芻することである。門というには甚だ貧弱な垣根を通り、暖かみの籠る邸に入った。だが、いつもなら音を察して駆けてくる少年の姿がない。訝り半分、ゆっくりと官舎の廊下を歩く。戸の向こうから、少年の声が聞こえてきた。どこか、嬌声めいたものがある。くぐもった女の声を覆い隠すようにして、彼は笑っていた。
ふだん、ぼうっと考えを巡らしているだけの居室の壁際に、彼らは居た。
息が未だ荒く、ふたりとも頬が上気している。ちょうど少年の方は、いちど脱いでいたらしい着物の帯を締め直すところであった。投げ出された両脚の根元、股座に置いていた手で彼は口元を覆う。濡れ光った眼が乞うていたのは射命丸文からの接吻だったのか、それとも犬走椛からの軽蔑だったか。いずれにせよ、少年はそのどちらも直ぐには得られなかった。椛は軽蔑というよりも諦念の顔をし、さっきまで少年の肩へと頭を乗せてじゃれついていた文の方は、唇をにいと歪ませながら、ブラウスの襟元を直していた。錦に紅葉の紋を散らせたスカートの裾は、未だ翻ったままでいる。
「そうまでして彼をご所望というなら、初めから自ら引き取っていれば良かったものを」
「贈った椿の様子見ついでに、というところですよ。それに、捨てられたこの子を慧音先生から買ったのは私ですからね。大元の権利は、この射命丸天狗が握っている」
「人を人とも思わない、放埓な御方……。おおかた、あの椿は射命丸さまの仕業であろうとは踏んでおりましたが」
「やはり、解りましたか」
「解らないはずがあるものか。白狼が椿を嫌うのを知っていながら、そんなことをして遊ぶのはあなただけだ」
そして、何の躊躇いもなく他人の侍者を手籠めにするのも。
文の身体からは――麝香か、伽羅か、あるいはその妖力によって成された蟲惑の香が絶えず立ち上っている。次第に薄れ始めた土と血のにおいは、やがてほどなく圧され、失われてしまうのだろう。それもまた、良い。椛は、ひどく皮肉げな笑みを浮かべていた。己が放埓に成し遂げてきた仕事は、しょせん、寄って立つべきものを富ませるための孤独な“いくさ”だ。滞留する糜爛(びらん)めいた平穏を守るために、機構と化した自己をごまかし続けるだけに過ぎない。幾ら人を斬ろうが、今の御山では烈しいことをし過ぎる厄介者としか思われないのにも気づいている。
犬走椛の高潔は、その独りでの戦争がどこまでも傲慢であり続けることによってのみ、存続することが許されるに過ぎない。
放り出した太刀が文机にぶつかった。
武器の重みとは裏腹な軽々しい音がして、なぜだかそれが、眩暈(めまい)を誘引していくように思えた。何人もの敵を殺してきた武器だ。弱々しい敵も、命乞いする敵も。どうしてというなら、“それ”でしか彼女は生きることができない。戦争は精神を高潔にする。悲劇的な高潔をもたらしてくれる。その中でだけ生きてきた椛にとっては、敵も味方も自分ひとりであったところで、いつまでも孤独ないくさを続けていくより他にないのだから。
横目を遣ると、少年は青い顔をして椛をじっと見つめていた。
四つん這いになり必死に頭を下げ、言葉もないまま平伏している。
だが、もうそんなことはどうでも良いのである。眼にさえ入らないのである。
向こうの格子窓の直ぐ近くに、文の贈った椿と、それから水差しが置いてあった。
椿の花弁は、とうにその首を落としていた。
「椛、放埓は美徳じゃないですか。硬直しきった世界に傷をつけるということは、それだけでひとつの思想というものです」
「そうですか」
「ああ、やっと笑ってくれた……ね、私、ときどき思うのですよ。王が民衆を支配しているのでなく、民衆が王を支配しているんだと。少年であれ椿であれ、望まれたように振る舞うのが、飼い主の責任というものではなくて」
「そうですか。……そうかもしれない」
現に、自分は志を飼い慣らすのでなく、志に飼い慣らされて生きてきたのだ。
今さらに、互いの首を絞め合うことの何が苦しいものか。
少年は立ち上がり、椛の元まで歩いてきた。
勃起した性器の影は見るに堪えなかったが、そのすべてはもう文にくれてやったものだ。
少年が快楽に“喰い殺され”ることを選んでしまうのも、そう遠い未来の話でもないだろう。穢いものを綺麗なものと錯覚したまま生きていくのは、何であれ難しすぎる。
だから、椛は少年の前で優しい主人の振りをする必要が、そろそろなくなってきたように思えてきた。彼女はきっと少年を犯しもしないし、殺しもしないだろう。だが彼がそれを望んでいるというのなら、進んで軽蔑を投げつけるに違いない。それが、主人の務めであるというのなら。
性的表現は直接なものでなく、またそれを目的にしていないので、問題ないかと。
雪、というよりは氷といったような、ピンと張った冷たさを全体から感じました。
個人的にはあまり抱いたことのない椛のイメージだったので、そういった意味でも非常に楽しめました。
純粋さを求め進んで人を斬る様に、白狼天狗で在らねばならないという椛の強迫観念じみたものを感じる。社会性をもって生きてゆこうとした矢先に躓いた経験が、かつてあった、上手く生きられていた戦争の日々に回帰しようという心理を働かせているのではないかと勝手な考察。
ところで椿は植物に疎い自分でも解るほど印象的な花です。して、調べてみるに木材としてもアルカリ剤としても油の元としても有効な素材だそうで、単に印象的な咲き姿・散り様に留まらないものらしい。純粋さも重要だけど、汎用性も必要でしょう。椛もかくあれ。
題材も良いですし、真実性と心境性に優れていて、現実味があったのも、良かったです。
論も順当に積み重ねられていて、人物の置かれた環境と、そこで起こった事件から生じる内面の変化も、齟齬がないので、充分納得させられました。
でも、この文良いですねぇ。
だれか、艶のある絵を描く人に、是非とも描いて漫画にして欲しいなぁ。
そう、推薦したくなる作品でした。
お茶目なタグに吸い寄せられて読んでみれば、仄暗い袋小路に迷い込んだ椛の、やるかたない思いを何度も何度も塗り重ねた濃密な文章にすっかりやられてしまいました。
作品のコンセプトと実際描かれる事象が終始そうと気付かせずすり合わせが出来ていると思いました。
硬い文章ですけど嫌味がなく、文体そのものが椛の心理を表現していて、全てにおいて直接的な表現がないにも関わらず無駄のない。そんな印象を得ました。
物質的な描写が多くあるのに、その表現の帰決するところが、すべて椛の精神の表象であるのが巧い。