そして家庭は崩壊した。
「えぇい離してください屠自古! 私の耳は入念なメンテナンスが必須なんです! だから耳掻きサービス店に通うことは必要なことなんです!」
「アンタ週6で通ってるじゃねーか!? 明らかに不要なレベルまでやりすぎだろうが!?」
「だいじざまっ……はっ……わだぢだぢのごとっ……ぎらいにっ……なっだのっ……かっ……? おねがいだからぁっ……も゛どってぎてよぉっ…………も゛っと……家に……いでよぉ……」
今日の神霊組はちょっぴりハードでネオメロドメスティック。
彼女達の住居の玄関の前では昭和のドラマのような光景が繰り広げられていた。
十人の話を同時に聞くことの出来る程度の能力の持ち主である神子。
彼女はここ一ヶ月間、毎日毎日毎日毎日毎日毎日朝から晩まで耳掻きサービス店に通っていた。
当然屠自古達には秘密だったのだが、このところずっと日中姿を消す神子を不審に思った屠自古が人里の探偵者に調査を依頼したところ、ものの見事にそのような店に通い詰めだったことが発覚。
にもかかわらず今日も一日中耳掻きサービス店に通おうとした神子、構ってくれない寂しさのあまり泣き出した布都、そしてとうとう堪忍袋の緒が切れた屠自古である。
「お願いだからわかって下さい屠自古! この強大な能力にはそれだけのリスクがあるんです! 耳掃除を怠ったら白内障と老眼と乱視が併発した千里眼のような役に立たない能力と化してしまいます!」
「だったら自分で耳掻きすればそれで済むじゃないですか太子様!?」
「あの子じゃないと駄目なんです! ただ気持ちよくなるだけだったら一人でも良いですよ! でもあの子にやってもらうと心の満たされ方が違うんです! 愛が違うんです!」
「客商売に愛なんて存在しない! 完璧にカモられてますよぉっ!?」
「それにあんまり間が空いちゃうと私のお気にちゃんが寂しがっちゃうじゃないですかぁっ! そんなの可哀想です!」
「週6で9時~18時のフルタイム通っていたら寂しがる暇もねーよ!? アンタの頭が可哀想だよ!? 完全に色ボケしているじゃねーか!?」
「馬鹿を言わないで下さい! やましい気持ちなんて微塵もありません! もし彼女に悪い虫がついたらって思うと夜も眠れない程度です!」
「少しはやましい気持ちを感じろよ!? 鏡を見ろよ!? 悪い虫ってアンタだよそれは!? 少しは家庭を顧みてくださいよォッ!?」
「う゛っ、う゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん……」
ちなみに彼女達の関係を元ネタ的に考えた上で今の事態を説明するとしたら、嫁と義母を差し置いて朝から晩まで耳掻きサービス店にハマる亭主が一人という構図である。
なんか色々終わっている。
「大体耳掃除なんて多くても週一でやればそれで十分じゃないですか!? この耳掃除ジャンキー!!」
「しょうがないじゃないですか屠自古! この能力に目覚めてからというものの私は耳垢が溜まりやすくなってしまったんです!」
だからと言って仕事と家庭を放り出して耳掻きサービス店に入り浸っていい理由にはならねーだろうがと屠自古は食って掛かる。
それはまるで亭主の浮気を許さない女房のようであった。
そして元ネタ的には義母である布都はというと、まるで構ってもらえない子供のようにわんわん泣いていた。
「だったら゛ぁ……わ゛れ゛がっ…………っぐっ……。やってあげるからぁ……だいじざまにっ……みみそうじぃっ……」
どうやら泣く子と地頭には勝てないという言葉も間違いの無い様子であった。
嗚咽を漏らしながら上目遣いで見つめてくる布都の潤んだ瞳と目が合い、気まずそうに視線を逸らす神子。
慕ってきてくれる部下の痛々しい姿を見た神子の胸にズキリと罪悪感の針が突き刺さったのか、彼女は思わずたじろぐ。
その様子を見て「よし、このままなら押し切れる」と屠自古が拳を握り締めたときの事だった。
「久しぶりの我が家である~。お~、やっぱり我が家の空気は落ち着くな~」
「ただいま~。や~、久しぶりの帰省だったわ~。豊聡耳様達も長期の留守で寂しかったでしょ? ほら中国土産持ってきたわよ~。私の国はブランド品が安くて助かるのよね~。あら? 何やら修羅場の空気だけど、どうかしたの皆様方」
ガラッと玄関の引き戸を開けてきたのは神霊組のトラブルメーカーこと芳香と青娥。
屠自古はきょとんとしている彼女達の姿を見た瞬間、「あ、これ話がこじれるわ」と頭を抱えた。
「あらまぁ布都ちゃんどうしたのそんなに泣いちゃって。ほらほら布都ちゃん、可愛い顔が台無しよ。さぁ、よかったら何があったか話してみて」
「うぐっ……すま……ぬぅ…………。実はな、だいじざまがなっ…………」
袖で溢れ出す涙を拭っていた布都に対し、「まぁぶっちゃけ可愛い女の子の泣き顔とか大好物だけどね」と言わんばかりのにんまりとした微笑を浮かべながらブランド物のハンカチ(中国産)を差し出す青娥。
そしてぽつりぽつりと布都は語りだす。
青娥達が居なかったこの一ヶ月間、神子が家庭も顧みず耳掻きサービス店に入り浸っていた事を。
話が進んでいくにしたがって、青娥は「あぁっ、なんてこと」「どこの馬の骨とも分からない女に誑かされるなんて可哀想な豊聡耳様」などと色々失礼極まりない事を呟きながらオーバーなリアクションで天を仰いだりしながら話を聞く。
一方の芳香は話の意味をあまり理解できなくて暇なせいか柔軟体操をしながら時間を潰し、青娥の使役するヤンシャオグイ達に至っては≪孕みもしない快感にお金払うなんて理解できねぇ。むしろお金あげるから孕め≫と呆れていた。
「大体の事情は把握いたしました。だったら私が母の慈愛に満ちた本物の耳掃除というものを教えてあげますわ。そうすればどこの馬の骨ともわからない小娘のところなぞに通わずとも済むでしょう。まぁ、あんまり気持ちよすぎて私に依存しちゃうかもしれませんが」
「また誘惑しちゃうわ~。全くこれだから邪仙はつれ~わ~」とでも言わんばかりに青娥は羽衣の袖口を口元に当てながらうふふと怪しく口元を歪め、どこから取り出したかその手に耳掻き棒を持ちながらゆったりとした挙動で正座する。
「さぁ、いらっしゃいな。たっぷりと可愛がってあげますわよ」
人を誘惑し堕落させる淫魔のような色香を醸し出しながら手招きをする青娥。
むせ返りそうなほど匂ってくる蠱惑的な香りを辺りに漂わせるものの、肝心の神子はため息を一つ吐き出してプィッとそっぽを向いた。
「え? あれっ?」
おかしいなー。
私の見立てだとここで豊聡耳様が私の胸に「ママー♪ 耳掃除してー♪」って飛び込んでくるはずなのになー。
青娥は首をかしげながらきょとんとした後、「そうか、きっと恥ずかしがっているのね初心な子なんだからウフフ」と前向きに考え直す。
「ほらほら~、遠慮なんてしなくていいのよ~。恥ずかしいのは最初だけなんだから」
「…………」
「私のことを実の母だと思って存分に甘えてくださいな。ママって呼んでもいいわよ。それともお母さん? 母上? 豊聡耳様――ううん、神子ちゃんだったらやっぱり母君(ははぎみ)って呼ぶの? あ、実のお母さんと被っちゃうかこの呼び方だと。んじゃあ母君(ははくん)でもいいわよ。うふふこういう呼び方だと何だかシスプリの千影ちゃんみたいね」
「………………」
「カモン! ヘイ! カモォン! プリーズカマァンマイFutomomo!!」
「………………ハッ」
「え? 今の反応って何? やめてお願いだからそんな両親のプロレスごっこを見た反抗期の子供みたいな冷めた目でこっち見ないでっ。ねっ、ねぇっ何が不満なの? お母ちゃんに教えてっ」
鼻で笑われてとうとう涙目の青娥。
邪仙として過ごしてきた自らの妖しい魅力と子持ちであった際の経験、この二つの自信の源があっただけにそれがまるで効かない神子に対し、彼女は珍しく動揺を隠せない。
「全部です」
「ぜっ、全部ってっ、この私の柔らかくムッチリとした太ももを膝枕にして、二つ膨らむ母性の象徴を間近に感じながら、大人の色香にクラクラして、超絶テクでびんっかんなところをずりゅずりゅ穿り返されることの何が不満なの?」
「だから全部ですよぉ、全部」
道教の師であるためか、普段の神子は青娥に対して尊敬の念を持って丁寧に接するのだが、今の神子は可愛そうなものでも見たかのようにぞんざいな言動をしながら正座した彼女を可哀想なものでも見るような目で見下ろす。
「ふむ、どうやら我々の主はこのような時であれど邪仙の持つ偽りの母性などに惑わされるようなことはないのだ」と、屠自古は胸をなでおろした。
「私のオキニちゃんの耳掃除はですね、違うんです。その細くてすべっすべの無駄な肉のなくて膝小僧のくぁわいらしいおみ足を極上の枕にして、正座するために屈んだ際に貧乳が浴衣などのゆったりとした服を着たときにしか出来ない奥義こと屈み胸チラを思わず晒しそうになるのを生唾飲みながら眺め、その乳臭いにほひを肺一杯に吸い込んで、そして耳掻きをするときの素人でありながらむしろ素人だからこその一生懸命なご奉仕を存分に味わうんです。それだけが楽しみで私は生きているというか、現世に蘇って良かったな~って思うんです」
前言撤回。
神子は病気なようである。
そして自信をメタクソにされていじけてしまった青娥は真っ白に燃え尽き、光を失った虚ろな目で芳香の耳を耳掻き棒で掻き回しながら「練れば練るほど~ウェッヘッヘ……」とブツブツ呟くようになってしまったとさ。
◆
「ふふっ、ねぇ衣玖。働くっていうのも中々楽しいものね」
人里の外れにある一軒屋。
一部屋しかない和室の中で比那名居天子は掻き終った永江衣玖の耳の穴の周りを柔らかな布で拭きながら、主の嬉しさが人に伝わるような無邪気な声色で呟いた。
「そうですかぁ? そんなのバイト代が100%お小遣いになる恵まれた大学生が初めてやったバイトで、人間関係の煩わしくない気楽な仕事を運良く引いた時に生じるバグみたいな感情ですよ。働くのが当たり前になって働かなければ生きていけないような勤め人になったら、そんな気持ち渦の中の泡のようにあっさりと消え去ります」
長生きしているにもかかわらず世間知らずな面のまだまだある小娘の戯言に、ため息を吐きながらも満更でも無さそうに付き合う衣玖。
今日は週に一度の衣玖が天子の耳掻きサービス店を訪れる日であった。
店とはいうものの、正確にはこれは店舗の形を成していない。
そもそも耳掻きサービス店という業種は正規の意味で幻想入りしておらず、更に伝わってきてもいない。
天子が自分で考えたものであるためか、外の世界のそれとは大分傾向とシステムが違う。
天子が店主であり、尚且つ彼女自身がサービスを行なう。
いわば指圧師のようなモノだと彼女は思っている。
そして彼女は宣伝というものの効果を甘く見ていたので、今現在の客は衣玖を含めて二人。
けれどもその二人で予約が埋まって朝から晩まで忙しくなるため、暇はしていない。
「ところで総領娘様――」
「こら衣玖、ここでは名前で呼んでよ」
こつんと、衣玖のおでこに軽い拳骨を落とす天子。
衣玖はやれやれと彼女に見えない角度で皮肉そうに片眉を上げた。
「天子様、この後暇ですか? ちょっと近場に外の世界直輸入の海産物の美味しい居酒屋が出来たというので、良かったらご一緒しませんか?」
「いくー♪」
きゃっきゃと笑う天子と彼女の肉付きの薄い太ももに頭を委ねる衣玖。
まるで恋人同士のような甘い空気が辺りに漂っていた。
が――。
「てててて店外デートですってぇぇぇぇぇぇぇ…………」
店の玄関に佇みワナワナと震える一つの影。
その名は豊聡耳神子。
天子の耳掻きサービス店のもう一人の常連だ。
「あああああああ貴方っ、貴方はそのっ、ルールというものを理解しているのですかぁぁ……。お金を払って耳掻きをしている間だけ、忙しい天子ちゃんを独り占め出来る優先権を得ることが出来るのにぃ……。それをお金も払わず、ましてやこんな日も暮れた時間に連れ出すだなんて……」
「えっ……神子ちゃん…………?」
高貴な存在である普段の彼女達の様子からは考えられないほど、気軽に呼び合う間柄の神子と天子。
だからこそ自らのテリトリーを侵された神子のショックは並みのものではないだろう。
困惑する天子と状況が理解できずぽかんとする衣玖、そして瞳孔を見開きながら限界まで膨らんだ風船のように今にも爆発しそうな予感を感じさせる神子。
これぞ俗に言う修羅場である。
「天子ちゃんを誑かすのみならず、お酒に酔わせてしまおうとは……」
「待ってください、私は普通にお誘いしただけで……」
「そうよ神子ちゃん、この人は私のプライベートな友達でもあるの」
「嘘だっ! 天子ちゃんっ! この女は危険です! 天子ちゃんを酔わせた後に酷いことするつもりですよ! エロ同人みたいに!」
バチンッ!
強烈な弾ける音と火花が喚きたてる彼女の首筋で発せられ、先ほどまで癇癪を起こしたように手足をばたつかせていた神子は糸の切れた操り人形のようにその場に倒れこんだ。
「すいません失礼しました。どうか見なかったことにしてください」
雷を起こす程度の能力(機械)を右手に持った屠自古はばつの悪そうな顔をしながら礼をした。
先ほどの騒動があった後、ちょっと屠自古が目を離した隙に神子は耳掻きサービス店に駆け込んだ。
そしてそれを追って来た屠自古というわけである。
敬愛し尚且つ大事にしてきた神子に対してこれほどまでの電撃を浴びせることになろうとは思ってもいなかったのだが。
まぁ元ネタ的には自分達は夫婦だし、古き良き「ダーリンおしおきだっちゃ」ってな感じの名ヒロインのようにお茶目に諌めるなら、昨今のツンデレの定義を間違えたような暴力系ヒロインの理不尽な突っ込みとは違って正当性もあるだろうと自ら納得する。
「さぁ太子様帰りますよ。お邪魔したら悪いですし」
そうぼやきながらも頬を緩ませながら神子を引きずっていこうとする屠自古。
奇跡が起きたのはその時だった。
「うっ、うおおおおおおおおおっ! 聖人なめんなぁぁぁぁっ!」
「嘘!? 地面岩タイプでも瀕死になる電圧なのに!?」
愛の力かはたまた煩悩か、神子は煙を立てながらもその両の足でゆらりと立ち上がる。
「天子ちゃあばばばばばばばばばば――」
まぁ一度効かなかったら効くまで電撃を浴びせ続ければいい話だけどね。
ルフィが溶ける程度の電圧を持った雷を起こす程度の能力(機械)を屠自古は神子に浴びせ続けましたとさ。
電気技って創作物だとあまり死ぬイメージがないから気軽に直撃させられるのがいいよね。
「――というわけで、我々は貴方のやっている仕事によって滅茶苦茶になっているんです」
電撃によってこんがり上手に焼けた神子を横に置きながら、屠自古は自らの自己紹介とこれまでの自分達の辿ってきた経緯を天子達に伝えた。
「私がやってきたことでそんなことになったの……」
屠自古の話を聞き終えた天子は随分とショックを受けた様子だ。
そこに演技めいたものは見られない。
「ちょっと総領娘様っ。何を弱気に出ているんです。向こうが勝手に自滅しているだけで、貴方は何も悪いことしていないじゃないですか。むしろ自分が悪い事をしていても平気でしらばっくれたり開き直ったりするようなタイプだったはずなのに」
「随分な言われようね私……。ま、いつもの私だったらそうかもしれないけどさぁ……。でもね、このお仕事に関しては違うの。今の私、本当にショックなの」
淡々と、けれども必死に諌める衣玖。
だが今の天子の姿は仕事に対する使命感とやる気に燃えていた先ほどまでとは打って変わり、まるで自らの仕事によって人生を狂わせた人を間近で見たことに罪悪感を抱くくたびれた娼婦のようであった。
(あれっ? ちょっと想像していた人物像と違うな、この子)
屠自古は天子と話したことは殆ど無く、せいぜい博麗神社の宴会で目にしたことがある程度だ。
幻想郷の現状に付いて情報収集していくうちに、天子がどのような経緯を経てきたのか耳にしたことがあるくらいで、深くは知らない。
だが、屠自古は天子のことを危険人物として認識していたのだ。
天子については自分が退治されるために異変を起こしたという点からマゾヒストだと一部から思われているそうだが、話を聞く限りだとそれはとんでもない見当違いだと屠自古は思っていた。
むしろそうやってわざと負けた後に本気を出して次から次へと返り討ちにしたという辺りから、天子はどちらかといえばS寄り、むしろドSなのではないか。
外の世界で例えるなら、わざとヤンキーに虐められてそこで向こうが調子に乗ってきたところで自らの本気を示して「こんなはずじゃなかったのにぃっ」と悔しいビクンビクンするヤンキーをフルボッコにするような、暗い爽快感を得るような屈折したやり口だ。
そんなドS女に神子が夢中になったと先ほど知って屠自古は気が気ではなかったが、一応話は通じる相手だったようだと彼女はひとまず胸を撫で下ろした。
そんな中、天子はポツリポツリと話を続ける。
「天人はね、豊かな生活が保障されているせいで働く必要なんて無いの。つまりこれは元々、ただの道楽というか、ボランティアというか、そんな程度のものだったの」
確かに値段はよく言えばかなり良心的だ。
神子が毎日毎日朝から晩まで通いつめても、自分達の生活費を切り詰める必要なんてまるで無かったのだから。
もしこれが指圧や整体などと同じ値段だったら、自分達の生活は随分と困窮することになっていただろう。
だがそれは悪く言えば生活に困らないような金持ちの道楽仕事ゆえ、だからであろう。
「だから、私がこうやってお仕事をやることはそんな退屈でつまらない天界へのただの反抗だったのかもしれない。昔異変を起こすことで退屈な生活から解放されたがっていた頃の私と同じように、自分の手で誰かに必要とされるような居場所が欲しかったからなのかもしれない」
けれど、ただの道楽ならここまでショックを受けるようなことは無いはず。
この道楽に対して、彼女は一生懸命だったのかもしれない。
自分のやっていることが人の役に立つことでアイデンティティーを確立する、そんな誰もが教授すべき資格のある自己満足すら、彼女は得ることが出来なかったのだ。
「ところで何故、このようなお仕事を始めようとしたのですか? 他にいくらでもお仕事なんてあるじゃありませんか?」
「え~とそうね、その前に一つこっちから聞きたいんだけど、その前に天人って身体に垢が出来るようなことは無いって話聞いたことない?」
こくりと、屠自古は頷く。
「だからね、天人はお風呂に入る必要も無いし、垢を落とす必要もないの。それは耳垢も同じ」
そこで天子は遠くを見るような目になる。
視線の先は彼女の過去なのだろう。
「私はね、生まれ付いての天人じゃないの。元々は地上で暮らしていったから、人としてお風呂に入ったこともあるし耳掃除もしてもらったこともあるの。私のお母様にね」
天子も元々が人である限り、当然のように両親が居る。
目を見ればわかる、彼女にとってそれはかけがえの無い思い出であろうことが。
「だけど天人になってからはそんなことしてもらうこと無くなったの。当然よね、耳垢が出来ないのに耳掃除なんてする必要ないじゃない。でもさ、耳掃除はただ垢の掃除をするだけじゃないのよ。お母様のあの膝枕の温もりって、何事にも変えがたいほどの安心感ってあるわよね」
そこで、と天子は未だプスプスと煙を立てている神子達の方に向き直った。
「そんな絆を他の人達にも思い出して欲しくて、この仕事を始めたの」
天子は寂しそうに笑う。
無料のボランティアにしなかったのは、彼女の一種の照れ隠しなのだろう。
天子が先ほどショックを受けていた理由が、屠自古には理解出来た。
ようやく見つけることが出来た正しいと信じてきた行動が実は他者の人生を狂わせる悪となる行為だったと非難されたのなら、このような反応を示すのも無理のない事なのかもしれないからだ。
「だから嬉しかったなぁ、神子ちゃんが私のところに熱心に通ってくれるなんて。私を必要としてくれるお客さんが出来るなんてさ。でも、私のせいで家族が上手くいかなくなるんだったら本末転倒よね」
そして、彼女は終わりの口にする。
「もう……そろそろ潮時かもね……」
屠自古はそんな天子の姿を見て、胸の中にじわりと罪悪感が染みのように広がった。
理不尽なイチャモンをつけているのは自分達の方なのに。
この子は何も悪い事を考えていなかったのに。
ただ純粋すぎて世間知らずなだけなのに。
(――っていやいや待て自分! 流されるな!)
常識的に考えれば耳掃除をするだけでお金をもらえるお仕事なんて、いかがわしいお仕事の一種ではないのか。
マッサージの一種? 指圧や整体のようなもの? いやいや待て待て。
これはなんていうか実は物凄く危ないお仕事なんじゃないのか?
それをやめさせるのだから、自分のしている事は正しいことなのだろう。
こんな世間知らずな小娘にこのような仕事を続けさせたら、これから先どんなことが起こるかわからない。
そう考えてくるとこの小屋だって、いかがわしい薄い本の舞台に見えてくる。
これはしょうがないんだ、これでいいんだ。
屠自古はそうやって自らを正当化させようとする。
まぁ、外の世界の目線から見れば間違ってはいないのだが。
「天子ちゃん……辞める必要なんてありませんよ…………貴方が一生懸命だったのは、私が誰よりも知っています…………」
だがそんな迷う屠自古の隣に、天子の身を案じる少女がボロボロになりながら立っていた。
自らの主張を十全に伝える為に、神子は満身創痍の身で立っていた。
「人里に視察に出かけた際、こんな立地条件の悪いところを帰り道にして、たまたま看板が目に入ったのは運命だったのかもしれません」
神子は天子との思い出を追想しながら語る。
それはまるで、初心な少女の愛の告白のようであった。
「最初はただの好奇心というか、興味本位でした。元々私は様々な耳掻きをコレクションする趣味がありまして、だからわざわざ耳掃除を商売にするお店なんて珍しいと思いふらっと立ち寄っただけでした」
天子は突然始まった神子の告白にきょとんとしながらも、真摯に耳を傾ける。
「始めはお世辞にも上手だとは言えませんでした。私は何て無用心なことをしたんだと、お金を払って酷い目に会うなんて馬鹿げていると思いました」
それはとても酷い感想だった。
けれど天子は反論しない。
始まった当初の自分の腕は、今とは比べようもない程未熟だったからだ。
「ですが、ですが一生懸命な貴方の働き振りを目にし、私の文句めいたアドバイスを受けてメキメキと上達していく貴方を見ているうちに得た感情、それはまるで我が子の成長を見守る母のような心境と近いものなのかもしれません」
「神子ちゃん……」
神子にとってのここで過ごす時は、母でありながら娘のような、そんな存在と過ごすかのような気持ちにさせた。
「私達の時代には日本には耳掻き棒は存在しなかったんです、だから母君に膝枕して耳掃除してもらうような思い出なんてありませんでした。ですが、貴方の耳掃除からは――貴方に頭を預けて過ごす時からは何事にも変えがたい、まるで今は亡き母君との大切な時を過ごしているような錯覚を感じることが出来るようになったんです」
神子は天子の潤んだ瞳を真っ直ぐと見据えながら、そう口にした。
「私にとって耳というものはとても大事なものなんです。能力の源にして私のアイデンティティー。そんな私の耳を誰かに預けて無防備に晒すなんて、普通は出来ません。これは誰でも代用できるようなことではありません。ふらっと耳掃除店なんかに立ち寄った無用心だった昔の私とは、今の私は違います。私は、貴方じゃないと駄目なんです」
古来権力者の散髪など、無防備な状態での身だしなみを任せることができたのは一部の側近にしか許されないことであったという。
それは神子にとっての耳掃除も言えるだろう。
「ですから、これからもどうか自らの仕事に誇りを持って勤めてください。貴方は家柄や種族などではなく、こうして貴方自身が誇れるモノを既に持っているじゃありませんか。我侭を申してすいません。けれどこれは願いです。貴方の頑張りを一番傍で見てきた私のっ」
「神子ちゃん……うっ……うっ…………うんっ」
天子の双眸に涙が溢れ、そして堪えきれなくなった彼女はとうとう泣き出してしまう。
これまでずっと親の七光りと影で蔑まれ、異変の度の越えた他人への迷惑を生じさせることでしか自らの存在を主張することの出来なかった天子。
けれど今はもう大丈夫、彼女にも誇れるべき新たなるアイデンティティーが見つかったのだから。
「え~と……。何この空気……。何かすっげぇ納得いかないんだけど……そもそもアンタが色ボケしてトチ狂わなければ何も問題なかったんだよね? 何自分の事棚に上げてるの? 母のように感じたって……ウチの布都への態度を見る限り太子様にロリ母属性があるだけじゃないの?」
「空気を読んで黙っていましょう」
そして遠巻きに二人を冷めた目で見つめる屠自古と衣玖であったとさ。
「今回の件に関しては元はと言えば私が全て悪かったです。天子ちゃん、屠自古、ご迷惑をかけて本当にすいませんでした」
そう言って深々と礼をする神子。
どうやら話は付いたようで、彼女は先ほどまでの暴走寸前の姿とは打って変わって清々しい様子を感じさせた。
「ま、まぁ太子様が反省して職務を全うしてくれるようになるなら別にいいですけど……。どうせ“ただの”耳掻き店ですし。それで私と布都をもっと構うようにしていただきたい」
「わかりました。こういった癒しというものは日々の仕事の合間に行ってこそそのものというか、仕事と家庭を蔑ろにしてまで通うのは本末転倒というか健全とは言えませんからね。帰ったら布都によしよしをしなくては」
結局、神子は天子の耳掻きサービス店に通うことは辞めることは無かった。
だが頻度を大分減らすようにして、例えるなら平日の仕事に疲れたお父さんが週末にマッサージ店に通う程度になることを約束した。
その分は自分でしたり、あるいは元ネタ的には妻の屠自古や義母の布都などにしてもらうことにした。
それでも店に通うのを辞めないのは、まぁ一種の甲斐性というやつだろう。
そして神子は次に衣玖の方に皮肉な印象を与える形に眉を顰めながら視線を向けた。
「まぁ、貴方についても誤解してすいませんでした。天子ちゃんの“ただの”お目付け役の永江衣玖さん。“ただの”お目付け役だからそれは一緒に食事したりもしますよね。でも“ただの”お目付け役なんだからあんまりお仕事をサボって天子ちゃんのところに入り浸るのは感心しませんね」
くどくどくど。
ここぞとばかりにお説教をする神子。
屠自古から見てもうざったいことこの上ないそれを、衣玖はまるで上司にお小言を言われているOLのようにうざったそうに聞き流していた。
十分に言い聞かせたと判断したのか満足気にむふぅとため息を吐いた神子は、最後に天子の傍に寄り添った。
「あまり行く機会が無くなったからといって忘れないでくださいよ」
「そんなわけないじゃない。神子ちゃんは常連さん第1号にしてお得意様よ」
「ありがとうございます。だったら行ける時には濃厚なサービスを期待しますね」
「もちろんっ」
爽やかな聖人スマイルの神子と天使のように屈託の無い微笑みを返す天子。
これはあくまで耳掻きサービスであって浮気ではないのだが、屠自古は心境的には複雑であった。
けれど何はともあれ一件落着のようである。
「ところで神子ちゃん、今日はいつもと同じように耳掻きやっていかないの?」
「えと、ですが今日はもう遅いですし、それに予約だって入れてないのに……」
「特別サービスよ、ほらほら頭よこしてっ」
「きゃうっ!?」
無理矢理気味に頭を天子の太ももの上に乗せられた神子。
そんな姿を屠自古に見られていることが気恥ずかしいのか、顔を赤く染めている。
「屠自古違うんですこれはっ」
「あ、私のことは気にしないでいいですよ。どうか末永く続けてください。てかむしろ帰ってこなくていいですから」
「違うんですよぉぉぉっ」
「屠自古ちゃんだっけ? 貴方もどうかしら? 友人紹介サービスで今日はタダで大丈夫よ」
「……ふふっ、じゃあ後でお願いします」
そうやって笑いかけてくる天子の姿を見て毒気を抜かれてしまう屠自古。
何と言うか、こんなイキイキとしている彼女を見ていると嫉妬していた自分がちっぽけに思えてしまった。
「総領娘様~。さっさと済ませて居酒屋に行きましょうよ~」
「……君とはいつか決着をつける必要がありそうですね」
ブチィ。
衣玖の空気を読まない言葉を聞いた神子が般若のような形相をしながらこめかみの血管から血を噴出す。
「あ、やっぱりムカついていたんだな」と屠自古納得。
「それじゃあ神子ちゃんいくわよ~。私がこれまでサービス業に従事して鍛え上げてきた、悶絶物のウルトラテクとお客さんと心を通わせる軽快なトークをごらんあれ」
「ほらほらほらぁ~っ。自分の大事な穴を人の自由にされてトロットロのアヘ顔を晒しているなんて何てはしたない娘なのかしらぁっ! 涎を垂らしてよがっているなんて引くわぁ~、ドン引きしちゃうわぁ~」
「らめぇぇっ♪ そんな意地悪言わないでぇっ♪ しょうがないのぉっ♪ 神子はじゅーにんのお話を聞けるびんっかんなお耳だから触られるだけでもとっても気持ちよくなっちゃうのぉっ♪ ぼーなんて入れられたらもうびくびくしちゃうのぉっ♪ お耳いぢられて脳みそふっとーしちゃうのぉっ♪」
「そんな大事な穴にこんな耳垢があるなんて、どれだけはしたないのかしらぁ~。世の人が知ったらどうなるかしらねぇっ」
「しょーがないのぉっ♪ 神子はすぐにお耳に溜まっちゃうはしたない娘なのぉっ♪ だから毎日毎日ずぽずぽずぽずぽ天子ちゃんにお耳を弄ってもらうのぉっ♪」
「じゃあお店に来ていない日はどうしているのかしらぁ~? 答えてみなさいよっ、さぁ答えてみなさいっ。言って見なさいこの雌犬がぁっ」
「ひゃうううううっ♪ 神子はっ♪ 神子は一人でお耳を弄ってますっ♪ 誰もいない部屋でドリルみたいなのやっ♪ 柔らかいさきっちょのついたものやっ♪ たくさんたくさんおどーぐつかってぇ♪ 神子の大事な穴をじゅぽじゅぽにしてるのぉぉっ♪」
「何ていうことなのかしらぁっ、一人でも毎日毎日穴をじゅぽじゅぽして慰めるなんて、はしたないにも程があるわぁこの淫乱娘! さぁお願いしてみなさいっ、一人で寂しく穴に棒状の玩具を出し入れすることが寂しいんでしょう? 私にお願いしてみなさいなぁっ」
「天子様ぁっ♪ てんこひゃまぁっ♪ 神子のぉ♪ 神子のはしたないお耳をもっとほじくってぇっ♪ ひゃぅうんっ♪ お耳気持ちい♪ お耳きもちいいのぉっ♪ ふにぃぃぃっ♪ 神子のぉっ♪ 神子の大事な穴をじゅぽじゅぽにしてぇぇぇっ♪ んひゃあああんっ♪」
「言われなくてもどんどん弄ってあげるわぁぁっ、嫌だといっても辞めてあげないんだからぁっ。さぁ淫靡な嬌声を聞かせなさいこの耳穴奴隷の不良聖人めぇっ」
「ン゛ギモッヂイ゛イ゛ッ♪ ン゛ギモッヂイ゛イ゛ッ♪ ン゛ギモッヂイ゛イ゛ッ♪ んほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――」
「えぇい離してください屠自古! 私の耳は入念なメンテナンスが必須なんです! だから耳掻きサービス店に通うことは必要なことなんです!」
「アンタ週6で通ってるじゃねーか!? 明らかに不要なレベルまでやりすぎだろうが!?」
「だいじざまっ……はっ……わだぢだぢのごとっ……ぎらいにっ……なっだのっ……かっ……? おねがいだからぁっ……も゛どってぎてよぉっ…………も゛っと……家に……いでよぉ……」
今日の神霊組はちょっぴりハードでネオメロドメスティック。
彼女達の住居の玄関の前では昭和のドラマのような光景が繰り広げられていた。
十人の話を同時に聞くことの出来る程度の能力の持ち主である神子。
彼女はここ一ヶ月間、毎日毎日毎日毎日毎日毎日朝から晩まで耳掻きサービス店に通っていた。
当然屠自古達には秘密だったのだが、このところずっと日中姿を消す神子を不審に思った屠自古が人里の探偵者に調査を依頼したところ、ものの見事にそのような店に通い詰めだったことが発覚。
にもかかわらず今日も一日中耳掻きサービス店に通おうとした神子、構ってくれない寂しさのあまり泣き出した布都、そしてとうとう堪忍袋の緒が切れた屠自古である。
「お願いだからわかって下さい屠自古! この強大な能力にはそれだけのリスクがあるんです! 耳掃除を怠ったら白内障と老眼と乱視が併発した千里眼のような役に立たない能力と化してしまいます!」
「だったら自分で耳掻きすればそれで済むじゃないですか太子様!?」
「あの子じゃないと駄目なんです! ただ気持ちよくなるだけだったら一人でも良いですよ! でもあの子にやってもらうと心の満たされ方が違うんです! 愛が違うんです!」
「客商売に愛なんて存在しない! 完璧にカモられてますよぉっ!?」
「それにあんまり間が空いちゃうと私のお気にちゃんが寂しがっちゃうじゃないですかぁっ! そんなの可哀想です!」
「週6で9時~18時のフルタイム通っていたら寂しがる暇もねーよ!? アンタの頭が可哀想だよ!? 完全に色ボケしているじゃねーか!?」
「馬鹿を言わないで下さい! やましい気持ちなんて微塵もありません! もし彼女に悪い虫がついたらって思うと夜も眠れない程度です!」
「少しはやましい気持ちを感じろよ!? 鏡を見ろよ!? 悪い虫ってアンタだよそれは!? 少しは家庭を顧みてくださいよォッ!?」
「う゛っ、う゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ん……」
ちなみに彼女達の関係を元ネタ的に考えた上で今の事態を説明するとしたら、嫁と義母を差し置いて朝から晩まで耳掻きサービス店にハマる亭主が一人という構図である。
なんか色々終わっている。
「大体耳掃除なんて多くても週一でやればそれで十分じゃないですか!? この耳掃除ジャンキー!!」
「しょうがないじゃないですか屠自古! この能力に目覚めてからというものの私は耳垢が溜まりやすくなってしまったんです!」
だからと言って仕事と家庭を放り出して耳掻きサービス店に入り浸っていい理由にはならねーだろうがと屠自古は食って掛かる。
それはまるで亭主の浮気を許さない女房のようであった。
そして元ネタ的には義母である布都はというと、まるで構ってもらえない子供のようにわんわん泣いていた。
「だったら゛ぁ……わ゛れ゛がっ…………っぐっ……。やってあげるからぁ……だいじざまにっ……みみそうじぃっ……」
どうやら泣く子と地頭には勝てないという言葉も間違いの無い様子であった。
嗚咽を漏らしながら上目遣いで見つめてくる布都の潤んだ瞳と目が合い、気まずそうに視線を逸らす神子。
慕ってきてくれる部下の痛々しい姿を見た神子の胸にズキリと罪悪感の針が突き刺さったのか、彼女は思わずたじろぐ。
その様子を見て「よし、このままなら押し切れる」と屠自古が拳を握り締めたときの事だった。
「久しぶりの我が家である~。お~、やっぱり我が家の空気は落ち着くな~」
「ただいま~。や~、久しぶりの帰省だったわ~。豊聡耳様達も長期の留守で寂しかったでしょ? ほら中国土産持ってきたわよ~。私の国はブランド品が安くて助かるのよね~。あら? 何やら修羅場の空気だけど、どうかしたの皆様方」
ガラッと玄関の引き戸を開けてきたのは神霊組のトラブルメーカーこと芳香と青娥。
屠自古はきょとんとしている彼女達の姿を見た瞬間、「あ、これ話がこじれるわ」と頭を抱えた。
「あらまぁ布都ちゃんどうしたのそんなに泣いちゃって。ほらほら布都ちゃん、可愛い顔が台無しよ。さぁ、よかったら何があったか話してみて」
「うぐっ……すま……ぬぅ…………。実はな、だいじざまがなっ…………」
袖で溢れ出す涙を拭っていた布都に対し、「まぁぶっちゃけ可愛い女の子の泣き顔とか大好物だけどね」と言わんばかりのにんまりとした微笑を浮かべながらブランド物のハンカチ(中国産)を差し出す青娥。
そしてぽつりぽつりと布都は語りだす。
青娥達が居なかったこの一ヶ月間、神子が家庭も顧みず耳掻きサービス店に入り浸っていた事を。
話が進んでいくにしたがって、青娥は「あぁっ、なんてこと」「どこの馬の骨とも分からない女に誑かされるなんて可哀想な豊聡耳様」などと色々失礼極まりない事を呟きながらオーバーなリアクションで天を仰いだりしながら話を聞く。
一方の芳香は話の意味をあまり理解できなくて暇なせいか柔軟体操をしながら時間を潰し、青娥の使役するヤンシャオグイ達に至っては≪孕みもしない快感にお金払うなんて理解できねぇ。むしろお金あげるから孕め≫と呆れていた。
「大体の事情は把握いたしました。だったら私が母の慈愛に満ちた本物の耳掃除というものを教えてあげますわ。そうすればどこの馬の骨ともわからない小娘のところなぞに通わずとも済むでしょう。まぁ、あんまり気持ちよすぎて私に依存しちゃうかもしれませんが」
「また誘惑しちゃうわ~。全くこれだから邪仙はつれ~わ~」とでも言わんばかりに青娥は羽衣の袖口を口元に当てながらうふふと怪しく口元を歪め、どこから取り出したかその手に耳掻き棒を持ちながらゆったりとした挙動で正座する。
「さぁ、いらっしゃいな。たっぷりと可愛がってあげますわよ」
人を誘惑し堕落させる淫魔のような色香を醸し出しながら手招きをする青娥。
むせ返りそうなほど匂ってくる蠱惑的な香りを辺りに漂わせるものの、肝心の神子はため息を一つ吐き出してプィッとそっぽを向いた。
「え? あれっ?」
おかしいなー。
私の見立てだとここで豊聡耳様が私の胸に「ママー♪ 耳掃除してー♪」って飛び込んでくるはずなのになー。
青娥は首をかしげながらきょとんとした後、「そうか、きっと恥ずかしがっているのね初心な子なんだからウフフ」と前向きに考え直す。
「ほらほら~、遠慮なんてしなくていいのよ~。恥ずかしいのは最初だけなんだから」
「…………」
「私のことを実の母だと思って存分に甘えてくださいな。ママって呼んでもいいわよ。それともお母さん? 母上? 豊聡耳様――ううん、神子ちゃんだったらやっぱり母君(ははぎみ)って呼ぶの? あ、実のお母さんと被っちゃうかこの呼び方だと。んじゃあ母君(ははくん)でもいいわよ。うふふこういう呼び方だと何だかシスプリの千影ちゃんみたいね」
「………………」
「カモン! ヘイ! カモォン! プリーズカマァンマイFutomomo!!」
「………………ハッ」
「え? 今の反応って何? やめてお願いだからそんな両親のプロレスごっこを見た反抗期の子供みたいな冷めた目でこっち見ないでっ。ねっ、ねぇっ何が不満なの? お母ちゃんに教えてっ」
鼻で笑われてとうとう涙目の青娥。
邪仙として過ごしてきた自らの妖しい魅力と子持ちであった際の経験、この二つの自信の源があっただけにそれがまるで効かない神子に対し、彼女は珍しく動揺を隠せない。
「全部です」
「ぜっ、全部ってっ、この私の柔らかくムッチリとした太ももを膝枕にして、二つ膨らむ母性の象徴を間近に感じながら、大人の色香にクラクラして、超絶テクでびんっかんなところをずりゅずりゅ穿り返されることの何が不満なの?」
「だから全部ですよぉ、全部」
道教の師であるためか、普段の神子は青娥に対して尊敬の念を持って丁寧に接するのだが、今の神子は可愛そうなものでも見たかのようにぞんざいな言動をしながら正座した彼女を可哀想なものでも見るような目で見下ろす。
「ふむ、どうやら我々の主はこのような時であれど邪仙の持つ偽りの母性などに惑わされるようなことはないのだ」と、屠自古は胸をなでおろした。
「私のオキニちゃんの耳掃除はですね、違うんです。その細くてすべっすべの無駄な肉のなくて膝小僧のくぁわいらしいおみ足を極上の枕にして、正座するために屈んだ際に貧乳が浴衣などのゆったりとした服を着たときにしか出来ない奥義こと屈み胸チラを思わず晒しそうになるのを生唾飲みながら眺め、その乳臭いにほひを肺一杯に吸い込んで、そして耳掻きをするときの素人でありながらむしろ素人だからこその一生懸命なご奉仕を存分に味わうんです。それだけが楽しみで私は生きているというか、現世に蘇って良かったな~って思うんです」
前言撤回。
神子は病気なようである。
そして自信をメタクソにされていじけてしまった青娥は真っ白に燃え尽き、光を失った虚ろな目で芳香の耳を耳掻き棒で掻き回しながら「練れば練るほど~ウェッヘッヘ……」とブツブツ呟くようになってしまったとさ。
◆
「ふふっ、ねぇ衣玖。働くっていうのも中々楽しいものね」
人里の外れにある一軒屋。
一部屋しかない和室の中で比那名居天子は掻き終った永江衣玖の耳の穴の周りを柔らかな布で拭きながら、主の嬉しさが人に伝わるような無邪気な声色で呟いた。
「そうですかぁ? そんなのバイト代が100%お小遣いになる恵まれた大学生が初めてやったバイトで、人間関係の煩わしくない気楽な仕事を運良く引いた時に生じるバグみたいな感情ですよ。働くのが当たり前になって働かなければ生きていけないような勤め人になったら、そんな気持ち渦の中の泡のようにあっさりと消え去ります」
長生きしているにもかかわらず世間知らずな面のまだまだある小娘の戯言に、ため息を吐きながらも満更でも無さそうに付き合う衣玖。
今日は週に一度の衣玖が天子の耳掻きサービス店を訪れる日であった。
店とはいうものの、正確にはこれは店舗の形を成していない。
そもそも耳掻きサービス店という業種は正規の意味で幻想入りしておらず、更に伝わってきてもいない。
天子が自分で考えたものであるためか、外の世界のそれとは大分傾向とシステムが違う。
天子が店主であり、尚且つ彼女自身がサービスを行なう。
いわば指圧師のようなモノだと彼女は思っている。
そして彼女は宣伝というものの効果を甘く見ていたので、今現在の客は衣玖を含めて二人。
けれどもその二人で予約が埋まって朝から晩まで忙しくなるため、暇はしていない。
「ところで総領娘様――」
「こら衣玖、ここでは名前で呼んでよ」
こつんと、衣玖のおでこに軽い拳骨を落とす天子。
衣玖はやれやれと彼女に見えない角度で皮肉そうに片眉を上げた。
「天子様、この後暇ですか? ちょっと近場に外の世界直輸入の海産物の美味しい居酒屋が出来たというので、良かったらご一緒しませんか?」
「いくー♪」
きゃっきゃと笑う天子と彼女の肉付きの薄い太ももに頭を委ねる衣玖。
まるで恋人同士のような甘い空気が辺りに漂っていた。
が――。
「てててて店外デートですってぇぇぇぇぇぇぇ…………」
店の玄関に佇みワナワナと震える一つの影。
その名は豊聡耳神子。
天子の耳掻きサービス店のもう一人の常連だ。
「あああああああ貴方っ、貴方はそのっ、ルールというものを理解しているのですかぁぁ……。お金を払って耳掻きをしている間だけ、忙しい天子ちゃんを独り占め出来る優先権を得ることが出来るのにぃ……。それをお金も払わず、ましてやこんな日も暮れた時間に連れ出すだなんて……」
「えっ……神子ちゃん…………?」
高貴な存在である普段の彼女達の様子からは考えられないほど、気軽に呼び合う間柄の神子と天子。
だからこそ自らのテリトリーを侵された神子のショックは並みのものではないだろう。
困惑する天子と状況が理解できずぽかんとする衣玖、そして瞳孔を見開きながら限界まで膨らんだ風船のように今にも爆発しそうな予感を感じさせる神子。
これぞ俗に言う修羅場である。
「天子ちゃんを誑かすのみならず、お酒に酔わせてしまおうとは……」
「待ってください、私は普通にお誘いしただけで……」
「そうよ神子ちゃん、この人は私のプライベートな友達でもあるの」
「嘘だっ! 天子ちゃんっ! この女は危険です! 天子ちゃんを酔わせた後に酷いことするつもりですよ! エロ同人みたいに!」
バチンッ!
強烈な弾ける音と火花が喚きたてる彼女の首筋で発せられ、先ほどまで癇癪を起こしたように手足をばたつかせていた神子は糸の切れた操り人形のようにその場に倒れこんだ。
「すいません失礼しました。どうか見なかったことにしてください」
雷を起こす程度の能力(機械)を右手に持った屠自古はばつの悪そうな顔をしながら礼をした。
先ほどの騒動があった後、ちょっと屠自古が目を離した隙に神子は耳掻きサービス店に駆け込んだ。
そしてそれを追って来た屠自古というわけである。
敬愛し尚且つ大事にしてきた神子に対してこれほどまでの電撃を浴びせることになろうとは思ってもいなかったのだが。
まぁ元ネタ的には自分達は夫婦だし、古き良き「ダーリンおしおきだっちゃ」ってな感じの名ヒロインのようにお茶目に諌めるなら、昨今のツンデレの定義を間違えたような暴力系ヒロインの理不尽な突っ込みとは違って正当性もあるだろうと自ら納得する。
「さぁ太子様帰りますよ。お邪魔したら悪いですし」
そうぼやきながらも頬を緩ませながら神子を引きずっていこうとする屠自古。
奇跡が起きたのはその時だった。
「うっ、うおおおおおおおおおっ! 聖人なめんなぁぁぁぁっ!」
「嘘!? 地面岩タイプでも瀕死になる電圧なのに!?」
愛の力かはたまた煩悩か、神子は煙を立てながらもその両の足でゆらりと立ち上がる。
「天子ちゃあばばばばばばばばばば――」
まぁ一度効かなかったら効くまで電撃を浴びせ続ければいい話だけどね。
ルフィが溶ける程度の電圧を持った雷を起こす程度の能力(機械)を屠自古は神子に浴びせ続けましたとさ。
電気技って創作物だとあまり死ぬイメージがないから気軽に直撃させられるのがいいよね。
「――というわけで、我々は貴方のやっている仕事によって滅茶苦茶になっているんです」
電撃によってこんがり上手に焼けた神子を横に置きながら、屠自古は自らの自己紹介とこれまでの自分達の辿ってきた経緯を天子達に伝えた。
「私がやってきたことでそんなことになったの……」
屠自古の話を聞き終えた天子は随分とショックを受けた様子だ。
そこに演技めいたものは見られない。
「ちょっと総領娘様っ。何を弱気に出ているんです。向こうが勝手に自滅しているだけで、貴方は何も悪いことしていないじゃないですか。むしろ自分が悪い事をしていても平気でしらばっくれたり開き直ったりするようなタイプだったはずなのに」
「随分な言われようね私……。ま、いつもの私だったらそうかもしれないけどさぁ……。でもね、このお仕事に関しては違うの。今の私、本当にショックなの」
淡々と、けれども必死に諌める衣玖。
だが今の天子の姿は仕事に対する使命感とやる気に燃えていた先ほどまでとは打って変わり、まるで自らの仕事によって人生を狂わせた人を間近で見たことに罪悪感を抱くくたびれた娼婦のようであった。
(あれっ? ちょっと想像していた人物像と違うな、この子)
屠自古は天子と話したことは殆ど無く、せいぜい博麗神社の宴会で目にしたことがある程度だ。
幻想郷の現状に付いて情報収集していくうちに、天子がどのような経緯を経てきたのか耳にしたことがあるくらいで、深くは知らない。
だが、屠自古は天子のことを危険人物として認識していたのだ。
天子については自分が退治されるために異変を起こしたという点からマゾヒストだと一部から思われているそうだが、話を聞く限りだとそれはとんでもない見当違いだと屠自古は思っていた。
むしろそうやってわざと負けた後に本気を出して次から次へと返り討ちにしたという辺りから、天子はどちらかといえばS寄り、むしろドSなのではないか。
外の世界で例えるなら、わざとヤンキーに虐められてそこで向こうが調子に乗ってきたところで自らの本気を示して「こんなはずじゃなかったのにぃっ」と悔しいビクンビクンするヤンキーをフルボッコにするような、暗い爽快感を得るような屈折したやり口だ。
そんなドS女に神子が夢中になったと先ほど知って屠自古は気が気ではなかったが、一応話は通じる相手だったようだと彼女はひとまず胸を撫で下ろした。
そんな中、天子はポツリポツリと話を続ける。
「天人はね、豊かな生活が保障されているせいで働く必要なんて無いの。つまりこれは元々、ただの道楽というか、ボランティアというか、そんな程度のものだったの」
確かに値段はよく言えばかなり良心的だ。
神子が毎日毎日朝から晩まで通いつめても、自分達の生活費を切り詰める必要なんてまるで無かったのだから。
もしこれが指圧や整体などと同じ値段だったら、自分達の生活は随分と困窮することになっていただろう。
だがそれは悪く言えば生活に困らないような金持ちの道楽仕事ゆえ、だからであろう。
「だから、私がこうやってお仕事をやることはそんな退屈でつまらない天界へのただの反抗だったのかもしれない。昔異変を起こすことで退屈な生活から解放されたがっていた頃の私と同じように、自分の手で誰かに必要とされるような居場所が欲しかったからなのかもしれない」
けれど、ただの道楽ならここまでショックを受けるようなことは無いはず。
この道楽に対して、彼女は一生懸命だったのかもしれない。
自分のやっていることが人の役に立つことでアイデンティティーを確立する、そんな誰もが教授すべき資格のある自己満足すら、彼女は得ることが出来なかったのだ。
「ところで何故、このようなお仕事を始めようとしたのですか? 他にいくらでもお仕事なんてあるじゃありませんか?」
「え~とそうね、その前に一つこっちから聞きたいんだけど、その前に天人って身体に垢が出来るようなことは無いって話聞いたことない?」
こくりと、屠自古は頷く。
「だからね、天人はお風呂に入る必要も無いし、垢を落とす必要もないの。それは耳垢も同じ」
そこで天子は遠くを見るような目になる。
視線の先は彼女の過去なのだろう。
「私はね、生まれ付いての天人じゃないの。元々は地上で暮らしていったから、人としてお風呂に入ったこともあるし耳掃除もしてもらったこともあるの。私のお母様にね」
天子も元々が人である限り、当然のように両親が居る。
目を見ればわかる、彼女にとってそれはかけがえの無い思い出であろうことが。
「だけど天人になってからはそんなことしてもらうこと無くなったの。当然よね、耳垢が出来ないのに耳掃除なんてする必要ないじゃない。でもさ、耳掃除はただ垢の掃除をするだけじゃないのよ。お母様のあの膝枕の温もりって、何事にも変えがたいほどの安心感ってあるわよね」
そこで、と天子は未だプスプスと煙を立てている神子達の方に向き直った。
「そんな絆を他の人達にも思い出して欲しくて、この仕事を始めたの」
天子は寂しそうに笑う。
無料のボランティアにしなかったのは、彼女の一種の照れ隠しなのだろう。
天子が先ほどショックを受けていた理由が、屠自古には理解出来た。
ようやく見つけることが出来た正しいと信じてきた行動が実は他者の人生を狂わせる悪となる行為だったと非難されたのなら、このような反応を示すのも無理のない事なのかもしれないからだ。
「だから嬉しかったなぁ、神子ちゃんが私のところに熱心に通ってくれるなんて。私を必要としてくれるお客さんが出来るなんてさ。でも、私のせいで家族が上手くいかなくなるんだったら本末転倒よね」
そして、彼女は終わりの口にする。
「もう……そろそろ潮時かもね……」
屠自古はそんな天子の姿を見て、胸の中にじわりと罪悪感が染みのように広がった。
理不尽なイチャモンをつけているのは自分達の方なのに。
この子は何も悪い事を考えていなかったのに。
ただ純粋すぎて世間知らずなだけなのに。
(――っていやいや待て自分! 流されるな!)
常識的に考えれば耳掃除をするだけでお金をもらえるお仕事なんて、いかがわしいお仕事の一種ではないのか。
マッサージの一種? 指圧や整体のようなもの? いやいや待て待て。
これはなんていうか実は物凄く危ないお仕事なんじゃないのか?
それをやめさせるのだから、自分のしている事は正しいことなのだろう。
こんな世間知らずな小娘にこのような仕事を続けさせたら、これから先どんなことが起こるかわからない。
そう考えてくるとこの小屋だって、いかがわしい薄い本の舞台に見えてくる。
これはしょうがないんだ、これでいいんだ。
屠自古はそうやって自らを正当化させようとする。
まぁ、外の世界の目線から見れば間違ってはいないのだが。
「天子ちゃん……辞める必要なんてありませんよ…………貴方が一生懸命だったのは、私が誰よりも知っています…………」
だがそんな迷う屠自古の隣に、天子の身を案じる少女がボロボロになりながら立っていた。
自らの主張を十全に伝える為に、神子は満身創痍の身で立っていた。
「人里に視察に出かけた際、こんな立地条件の悪いところを帰り道にして、たまたま看板が目に入ったのは運命だったのかもしれません」
神子は天子との思い出を追想しながら語る。
それはまるで、初心な少女の愛の告白のようであった。
「最初はただの好奇心というか、興味本位でした。元々私は様々な耳掻きをコレクションする趣味がありまして、だからわざわざ耳掃除を商売にするお店なんて珍しいと思いふらっと立ち寄っただけでした」
天子は突然始まった神子の告白にきょとんとしながらも、真摯に耳を傾ける。
「始めはお世辞にも上手だとは言えませんでした。私は何て無用心なことをしたんだと、お金を払って酷い目に会うなんて馬鹿げていると思いました」
それはとても酷い感想だった。
けれど天子は反論しない。
始まった当初の自分の腕は、今とは比べようもない程未熟だったからだ。
「ですが、ですが一生懸命な貴方の働き振りを目にし、私の文句めいたアドバイスを受けてメキメキと上達していく貴方を見ているうちに得た感情、それはまるで我が子の成長を見守る母のような心境と近いものなのかもしれません」
「神子ちゃん……」
神子にとってのここで過ごす時は、母でありながら娘のような、そんな存在と過ごすかのような気持ちにさせた。
「私達の時代には日本には耳掻き棒は存在しなかったんです、だから母君に膝枕して耳掃除してもらうような思い出なんてありませんでした。ですが、貴方の耳掃除からは――貴方に頭を預けて過ごす時からは何事にも変えがたい、まるで今は亡き母君との大切な時を過ごしているような錯覚を感じることが出来るようになったんです」
神子は天子の潤んだ瞳を真っ直ぐと見据えながら、そう口にした。
「私にとって耳というものはとても大事なものなんです。能力の源にして私のアイデンティティー。そんな私の耳を誰かに預けて無防備に晒すなんて、普通は出来ません。これは誰でも代用できるようなことではありません。ふらっと耳掃除店なんかに立ち寄った無用心だった昔の私とは、今の私は違います。私は、貴方じゃないと駄目なんです」
古来権力者の散髪など、無防備な状態での身だしなみを任せることができたのは一部の側近にしか許されないことであったという。
それは神子にとっての耳掃除も言えるだろう。
「ですから、これからもどうか自らの仕事に誇りを持って勤めてください。貴方は家柄や種族などではなく、こうして貴方自身が誇れるモノを既に持っているじゃありませんか。我侭を申してすいません。けれどこれは願いです。貴方の頑張りを一番傍で見てきた私のっ」
「神子ちゃん……うっ……うっ…………うんっ」
天子の双眸に涙が溢れ、そして堪えきれなくなった彼女はとうとう泣き出してしまう。
これまでずっと親の七光りと影で蔑まれ、異変の度の越えた他人への迷惑を生じさせることでしか自らの存在を主張することの出来なかった天子。
けれど今はもう大丈夫、彼女にも誇れるべき新たなるアイデンティティーが見つかったのだから。
「え~と……。何この空気……。何かすっげぇ納得いかないんだけど……そもそもアンタが色ボケしてトチ狂わなければ何も問題なかったんだよね? 何自分の事棚に上げてるの? 母のように感じたって……ウチの布都への態度を見る限り太子様にロリ母属性があるだけじゃないの?」
「空気を読んで黙っていましょう」
そして遠巻きに二人を冷めた目で見つめる屠自古と衣玖であったとさ。
「今回の件に関しては元はと言えば私が全て悪かったです。天子ちゃん、屠自古、ご迷惑をかけて本当にすいませんでした」
そう言って深々と礼をする神子。
どうやら話は付いたようで、彼女は先ほどまでの暴走寸前の姿とは打って変わって清々しい様子を感じさせた。
「ま、まぁ太子様が反省して職務を全うしてくれるようになるなら別にいいですけど……。どうせ“ただの”耳掻き店ですし。それで私と布都をもっと構うようにしていただきたい」
「わかりました。こういった癒しというものは日々の仕事の合間に行ってこそそのものというか、仕事と家庭を蔑ろにしてまで通うのは本末転倒というか健全とは言えませんからね。帰ったら布都によしよしをしなくては」
結局、神子は天子の耳掻きサービス店に通うことは辞めることは無かった。
だが頻度を大分減らすようにして、例えるなら平日の仕事に疲れたお父さんが週末にマッサージ店に通う程度になることを約束した。
その分は自分でしたり、あるいは元ネタ的には妻の屠自古や義母の布都などにしてもらうことにした。
それでも店に通うのを辞めないのは、まぁ一種の甲斐性というやつだろう。
そして神子は次に衣玖の方に皮肉な印象を与える形に眉を顰めながら視線を向けた。
「まぁ、貴方についても誤解してすいませんでした。天子ちゃんの“ただの”お目付け役の永江衣玖さん。“ただの”お目付け役だからそれは一緒に食事したりもしますよね。でも“ただの”お目付け役なんだからあんまりお仕事をサボって天子ちゃんのところに入り浸るのは感心しませんね」
くどくどくど。
ここぞとばかりにお説教をする神子。
屠自古から見てもうざったいことこの上ないそれを、衣玖はまるで上司にお小言を言われているOLのようにうざったそうに聞き流していた。
十分に言い聞かせたと判断したのか満足気にむふぅとため息を吐いた神子は、最後に天子の傍に寄り添った。
「あまり行く機会が無くなったからといって忘れないでくださいよ」
「そんなわけないじゃない。神子ちゃんは常連さん第1号にしてお得意様よ」
「ありがとうございます。だったら行ける時には濃厚なサービスを期待しますね」
「もちろんっ」
爽やかな聖人スマイルの神子と天使のように屈託の無い微笑みを返す天子。
これはあくまで耳掻きサービスであって浮気ではないのだが、屠自古は心境的には複雑であった。
けれど何はともあれ一件落着のようである。
「ところで神子ちゃん、今日はいつもと同じように耳掻きやっていかないの?」
「えと、ですが今日はもう遅いですし、それに予約だって入れてないのに……」
「特別サービスよ、ほらほら頭よこしてっ」
「きゃうっ!?」
無理矢理気味に頭を天子の太ももの上に乗せられた神子。
そんな姿を屠自古に見られていることが気恥ずかしいのか、顔を赤く染めている。
「屠自古違うんですこれはっ」
「あ、私のことは気にしないでいいですよ。どうか末永く続けてください。てかむしろ帰ってこなくていいですから」
「違うんですよぉぉぉっ」
「屠自古ちゃんだっけ? 貴方もどうかしら? 友人紹介サービスで今日はタダで大丈夫よ」
「……ふふっ、じゃあ後でお願いします」
そうやって笑いかけてくる天子の姿を見て毒気を抜かれてしまう屠自古。
何と言うか、こんなイキイキとしている彼女を見ていると嫉妬していた自分がちっぽけに思えてしまった。
「総領娘様~。さっさと済ませて居酒屋に行きましょうよ~」
「……君とはいつか決着をつける必要がありそうですね」
ブチィ。
衣玖の空気を読まない言葉を聞いた神子が般若のような形相をしながらこめかみの血管から血を噴出す。
「あ、やっぱりムカついていたんだな」と屠自古納得。
「それじゃあ神子ちゃんいくわよ~。私がこれまでサービス業に従事して鍛え上げてきた、悶絶物のウルトラテクとお客さんと心を通わせる軽快なトークをごらんあれ」
「ほらほらほらぁ~っ。自分の大事な穴を人の自由にされてトロットロのアヘ顔を晒しているなんて何てはしたない娘なのかしらぁっ! 涎を垂らしてよがっているなんて引くわぁ~、ドン引きしちゃうわぁ~」
「らめぇぇっ♪ そんな意地悪言わないでぇっ♪ しょうがないのぉっ♪ 神子はじゅーにんのお話を聞けるびんっかんなお耳だから触られるだけでもとっても気持ちよくなっちゃうのぉっ♪ ぼーなんて入れられたらもうびくびくしちゃうのぉっ♪ お耳いぢられて脳みそふっとーしちゃうのぉっ♪」
「そんな大事な穴にこんな耳垢があるなんて、どれだけはしたないのかしらぁ~。世の人が知ったらどうなるかしらねぇっ」
「しょーがないのぉっ♪ 神子はすぐにお耳に溜まっちゃうはしたない娘なのぉっ♪ だから毎日毎日ずぽずぽずぽずぽ天子ちゃんにお耳を弄ってもらうのぉっ♪」
「じゃあお店に来ていない日はどうしているのかしらぁ~? 答えてみなさいよっ、さぁ答えてみなさいっ。言って見なさいこの雌犬がぁっ」
「ひゃうううううっ♪ 神子はっ♪ 神子は一人でお耳を弄ってますっ♪ 誰もいない部屋でドリルみたいなのやっ♪ 柔らかいさきっちょのついたものやっ♪ たくさんたくさんおどーぐつかってぇ♪ 神子の大事な穴をじゅぽじゅぽにしてるのぉぉっ♪」
「何ていうことなのかしらぁっ、一人でも毎日毎日穴をじゅぽじゅぽして慰めるなんて、はしたないにも程があるわぁこの淫乱娘! さぁお願いしてみなさいっ、一人で寂しく穴に棒状の玩具を出し入れすることが寂しいんでしょう? 私にお願いしてみなさいなぁっ」
「天子様ぁっ♪ てんこひゃまぁっ♪ 神子のぉ♪ 神子のはしたないお耳をもっとほじくってぇっ♪ ひゃぅうんっ♪ お耳気持ちい♪ お耳きもちいいのぉっ♪ ふにぃぃぃっ♪ 神子のぉっ♪ 神子の大事な穴をじゅぽじゅぽにしてぇぇぇっ♪ んひゃあああんっ♪」
「言われなくてもどんどん弄ってあげるわぁぁっ、嫌だといっても辞めてあげないんだからぁっ。さぁ淫靡な嬌声を聞かせなさいこの耳穴奴隷の不良聖人めぇっ」
「ン゛ギモッヂイ゛イ゛ッ♪ ン゛ギモッヂイ゛イ゛ッ♪ ン゛ギモッヂイ゛イ゛ッ♪ んほおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお――」
とても楽しく読めました
ところで誰かこの耳掻き屋の住所知りませんかね……
なんつーか、色々完敗です。何に負けたのか分からないけど。
しかし救いようがねえとはまさにこの事だ(笑)
たまげたなぁ・・・
あと太子様は耳から血が出ても知らんw
でも、こんな可愛らしい天子の耳かきマッサージは受けてみたいかも
カモン慧音せんせーい!!作者さんに頭突き食らわせてやってー!!
シリーズ化希望www
もってけ100点。
キャラ崩壊させといて結局最後はいい話に持っていく、振りをして最後までぶれなかったその酷さに負けましたw
酷いオチ来るだろうなと思ったら、想像してたより4倍酷かった件。
最後の下ネタも面白かった。(小並感)
ほらよしよしふとちゃんふとふと
中耳炎になるぞwww
なんか予想をはるかに越えるナニカだった
( ;∀;)