「ふふふっ!」
やったやった、ついにやったんだ!
遂にあの大蝦蟇をぎゃふんって言わせる事が出来た!
もう何回戦ったかも忘れたけど、今日!
ついにあのでっかいカエルを倒せたんだ!
なんたってパーフェクトなあたいにかかれば楽勝さっ!
一回頭から食べられた気がするけど!
だけど今はそんなことより―――
「待ってろよ、文ぁ!! 今日こそパーフェクトなあたいのぶゆーでんの記事を書かせてやるからなっ!」
そう、前にあたいが大蝦蟇に食べられる記事を書いた奴!あいつの家に向かってる!
毎回ふざけた事を記事にするけど、今日はなんてったってホンモノだ!特ダネってやつだ!
だから!
今日こそあたいの事をかっこよく書いて貰うんだ!
「えっと……確かコッチの木を右に行けば……」
目印になる、幹が途中から二つに分かれた大きな木。
ここを右に行けば、低い木がいっぱい生えていて気づかれにくい。
文の家は妖怪の山にあって、だけど天狗はあんまり余所者が中に入るのを嫌がるらしい。
しょうかい天狗っていうのも、いつも見張ってる。
でも、あいつら、いっつも将棋をやってて案外間抜けだからあたいくらいになると何時だって中に入れる!
前に正面から戦って入ろうとしたら行き成り斬りつけられて一回休みになったし、文も「来るときは成るべくバレないように来た方がいいですよ?」って言ってたから、ちゃんとあたいは守ってるんだ。
「だけどあの天狗……いきなりあたいを殺すとは何様だ」
地面スレスレを飛んで木がすぐそばでビュンビュンいってるのを聞いてたら、その時の事を思い出してイライラしてきた。
ああいうのを、のうきん、って言うんだ。
「ふん、次はぜったいあいつをブッ飛ばしてやる!」
とにかく!
今は大蝦蟇だ!文だ!
いつも小馬鹿にしてくるあいつをぎゃふんと言わせて、あたいの話に夢中にさせてやるんだ!
木がいっぱいだったのがいきなり無くなると、あたりが急に明るくなる。
目の前に黒い岩がむき出しの急な崖。
そこを岩に隠れながら一気に青い空へ落ちるみたいに飛んで―――
「―――っと、あった!」
ぽつん、って。
ひらけた所に一つだけ建っている、こじんまり―――って言っても、あたいの家よりも大きいけど、文の家だ!
「よしッ!無事に着いたッ!」
文はビックリするかな?
いや、するはずだ。なんたってあの大蝦蟇をやっつけたんだから!
ビックリしない筈がない!
ウキウキしながら玄関に立つと、すぅ―――と息を吸い込んで
「あーやーッ?!」
「あやーッ?!!」
―――
「……ん?」
なんだっけ、やまびこ?だっけ?
家に向かって叫んだら何故か同じ声が返ってきた。
いつもだったら、「はいはい何ですかーチルノさん?」とか言って文が出てくる筈なんだけど……
「あやー?あーやーっ!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガンッ!ってドアを叩いても何も返事がこない。
ひっそりしてるドアの前を見詰めてると、あたいは、またイライラが溜まってきた。
「むぅ……あたいが会いに来たのに居ないなんて……」
相変わらず失礼な奴だ。
ふんっ!って腕を組んで不機嫌マックスなあたいだけど、何となく銀色のドアノブに目がいった。
どうせ閉まってるだろうけど、って思いながら試しに捻ってみると―――
ガチャリ
「あ、れ?」
ポカン、ってなった。
文はあれでいて結構しっかりしてるから、前に居なかった時はキッチリ鍵が閉まってた。
ということは―――
「いるす?を使ってるんだな?!」
ますます失礼な奴だ。
むかむかしながら、それでも開いてるってことは中にいるはずだ―――!!
「おらぁー!! あたいの記事を書けぇーーー!!」
バンッ!
思いっきりドアを蹴って中に入った。
靴を玄関に脱ぎ捨てて短い廊下を走ると、すぐリビングだ―――
「……あれ?」
また、あたいはポツンって呟いた。
絶対中に居るんだと思った文は、居なかったからだ。
あっちこっちを見渡してみても、ベッド以外には新聞を作るための作業用の机だけ。
文の家にあるのは、後は台所とお風呂とトイレくらい。
だから、こっちかな?と思ってリビングのすぐ隣の台所を覗いてもいないし、勿論文が隠れられそうな場所も無い。
「むぅ……なんだ、結局文はいないのか……」
思わず頬っぺたに空気を溜めた。
いつもは大体居るくせに、何で今日に限って……
「それにしても不用心な奴だな、文は……あれ?」
やっぱりあたいが居なくちゃダメダメだなーなんて思ってたら、半分くらい水が入ったコップと、変な白い粒が入った小ビンが台所の机に乗っかっているのに気付いた。
なんだろ?
「飴かな……?」
だったら欲しいな、って思って手に取ってみたけど、なんとなく飴じゃない感じがする。
だってビンの表面にはあたいが知らない難しい字が書いてあって読めなくて、飴だったらそんな字を書く必要は無いはずだ。
じゃあなんだろう?って不思議に思って、ひっくり返したらジャラジャラって中に入ってる白い粒が鳴って
「んー……ぁ」
ビンの裏側に、ウサギのマークが書かれてた。
あたいは、このマークを知ってる。
迷いの竹林の奥にある、永遠亭のマークだ。
だから、これは多分永遠亭のクスリだ―――
「何のクスリなんだろ……?」
窓から入ってくる太陽に翳すとキラキラ光るビンを見ながら、首を捻ってみた。
多分、書かれてる字がクスリの名前なんだろうけど……読めない。
「むー……飲んでみたいけど、苦かったらやだしなー……」
どうしよう。
手の中の瓶を振って、ジャラジャラって音を立てて遊びながら考えていたら―――
コトンッ
「―――え?」
何か物音がした。
ここは文の家だけど、文は今いなくて、でも音がして―――
「……なんだろ、何かいるのかな?」
音は、リビングの方からしてきた。
手に持った瓶をテーブルの上に戻して、もう一度すぐ隣の部屋に首を出して見渡してみたけど、やっぱり何も居なくてガランってしてる。
でも、確かに何か音が聞こえたんだけど……
「……おーい、何もいないのかー?」
不思議に思って、口に手を当てて声に出してみると
カサッ―――
「え?」
何か、擦れたような音がした。
慌てて、音がした方へと顔を向けてみても、そこにはベッドしかない。
布団は綺麗に整えられているし、窓も開いてないから風が鳴った、って訳でもない。
じゃあ―――
「……ひょっとして、下?」
何か虫でもいるのかな?
ひょっとしたらリグルとかかもしれない。
そう思ったら、とにかく気になって。
あたいは、床にべったりと体をくっ付けてベッドの下を覗き込んでみたら―――
「……え?」
思わず、ポカンってなった。
だって―――
「あ、あやぁ……」
少し、涙を浮かべている二つの眼が、怖がってるみたいに見詰めていた。
「……あんた、誰?」
首を傾げながら、そいつを良く見てみた。
髪も眼も黒くて、文となんとなく似てる気がするけど……体はあたいよりも小っちゃくて、あたいみたいに床に体をくっ付けながら、ぷるぷると震えてる。
服は何だかダボダボみたいで、腕が袖から完全に出ていない……つまり、赤ちゃんみたいに小っちゃい奴だった。
「あや、やぁ……」
「……まさかっ!?」
不安気な鳴き声を聞いた瞬間、あたいの天才的な頭脳が閃くのが分かった!
文に会いに来たら文が居なくて文に似ている子供がベッドの下にいた―――つまり!
「文の隠し子だなッ!?」
「あやぁぁ?!!」
ビシッ!って指差したら首をブンブン振りながら、そいつは鳴いた。
「なんだ、違うのか?」
「あややややっ!」
「むー……分からん」
そいつはまともに言葉が話せないらしいけど、あたいの言葉は分かるみたいだった。
器用な奴だなって思ったけど、それ以上に困ったなーって思った。
いくら天才のあたいでも「あ」と「や」だけの言葉は分からない……
「まぁ、いいや。 とりあえず、そこ狭いから出てきたら?」
「あ、あや! あやあやっ!」
「だから分かんないってば……ほら、大人しく出てこいッ!」
「あ、あやややや!?」
ベッドの下は掃除されてても埃が溜まってる。
だからきっと、体に良くないだろうって思って手を伸ばしたら―――
「あ、あややややあやーッ?!」
「え? あ、こら?!」
何故か、いきなりバタバタと短い手足を動かしてベッドの下から凄い速さで出てきたと思ったら、逃げるみたいに玄関に向かって走り出した。
ヨレヨレでブカブカなシャツがまるであたいのワンピースみたいだな、って思ってたら
「あやっ?!」
「あ……」
ベチンッ!って。
思いっきりシャツの裾を自分で踏みつけて、そのまま顔から床に倒れた。
思わずそれをボーっと見てたけど、まったく動かないのが心配になって慌てて駆け寄った。
そいつは白いシャツをいっぱいに使って大の字を作ってて、プルプル震えているから多分死んでないだろう、って思って肩をツンツンと突っついてみる。
「おーい、大丈夫か?」
「あ、あやぁ……」
声をかけたら、そいつはゆっくりと顔を上げた。
小さな顔は真っ赤になってて涙目になってる。
見るからに痛そうな姿に思わずあたいは、うわぁ……って思った。
「お前、痛い奴だな……」
「あやややゃ…………ぁや……あやっ……」
「ああ、もうほら泣くな!」
痛かったのか、ぐずぐずって始めたそいつを、よいしょって持ち上げた。
持ち上げて分かったのは、前に人里で見た事あった赤ちゃんみたいにやっぱり小さくて、それでも割りと重いってことだった。
鼻の頭が赤くなってて、痛そうで。
さっきよりも大粒の涙を目に浮かべながら、何だか情けない目で見詰めてくる。
長いシャツをデロンってさせてる情けないそいつを、やれやれって思った。
「まったく、そういうのをじごーじとくって言うんだぞ?」
「あやややや……」
やっぱり情けない鳴き声を上げるそいつは、それでも観念したのか、大人しく持たれている。
はぁ、って思いっきりあたいはため息を吐いた。
「まったく! 人が親切にしてやろーと思えば逃げるなんて失礼な奴だな、お前」
「あややー……」
「だから分からないってば……ほら」
「あゅ?」
相変わらず、うるうるしてるそいつが何だか可哀想になってきて、片手で抱きかかえたまま、もう片方の手を赤い頬っぺたに当ててやった。
自分じゃ良く分かんないけど、あたいの手は結構冷たいらしい。
だから、首を傾げていたそいつも、あたいがしたい事が分かったのか、うるうるするのを止めてジッと見詰めてきた。
「あやゃー……」
「ほら! もう痛くないだろ?」
「あや、あややや」
小さく、こくこくって頷くのを見て、何となくお礼を言ってるんだなって分かった。
そいつの頬っぺたはプニプニで、ちょっとでも力を込めれば簡単にプニッてなるくらいプニプニだ。
「……」
「……? あやや?」
何となく、その頬っぺたを思いっきり弄ってみたいよっきゅうに駆られたけど、泣かれると面倒だからグッと我慢だ。
あたいの方がおねーさんだし、うん。
赤くなってた頬っぺたの赤みも段々取れてきたら、パッと手を離した。
「あやぁ……」
何処となく残念そうな鳴き声で見上げてくるそいつ。
どうやら結構痛かったみたいだ。
「っていうか、お前は結局誰なんだ?」
「あやや」
「んー……? 文の子供、じゃないんだよね……?」
「あやっ! あやあや」
「あやあやばっかだな、お前……」
いい加減“お前”っていうのも疲れたし、どうしようかなって首を傾げてると、そいつは何も分かってないのかテチテチと肩を叩いてきた。
「むぅ……何だよーあたいは今大切な事を考えてるんだぞ?」
「あややー?」
「まったく、こどもはのーてんきでいいな!」
「あやっ?!」
あたいが必死に呼び名を考えてるってのに、こいつときたら。
何故か酷く傷ついたみたいに目を丸くしてワナワナしてるけど、今はそんなことどうだっていい。
しばらくワナワナさせておいて、頭を捻って何か良い呼び名は無いか考えて―――
「……もういいや」
「あや?」
飽きた。
不思議そうに首を傾げるそいつを、改めて両手で眼の高さまでひょいっと持ち上げる。
さっきから、あやあやしか言わないから、こいつは―――
「お前のことあややって呼ぶからな?」
「あやや?」
きょとん、ってあややは首を傾げた。
何だか分かってるんだか分かってないんだか不安になったけど、まぁいいや。
「そんな事より、あやや」
「あやや?」
「うん、お前だ、あやや。 あややは文を知らない? あたい、大事な用があるんだ」
「あや……あややや?」
てちてちてちてち。
何故かあたいの肩を小さな手で叩いてくるあややは、やっぱり分かってるんだか分かってないんだか分からなかった。
「……あややは馬鹿だな!」
「あややややっ?!」
「なんだよーじじつだろ? あややは、あやあやしか言えないんだしッ」
何が不満なのか、頬っぺたを膨らませてジッて見詰めてきた。
そういうところが、こどもなんだ、あややは。
「まったく……あややは喋れないし、文はいないし……折角あたいが特ダネを持ってきたってのに!」
「……あややや?」
首を傾げるあややを見て、ふふん!って笑った。
「あややには絶対出来ない事をあたいは今日やったんだぞ?」
「あやー?」
くいくい、って袖を引っ張って聞きたそうにするあややに、ますます良い気分になった。
なんてったって、あたいが最強に一歩近づいた記念すべき日だ!
真っ先に文に教えたくて真っ直ぐにここまで来たけど、あたいの偉業を誰かに自慢だってしたい!
「聞いておどろけー? なんと、あたいは今日あの大蝦蟇を倒したんだ!」
「あやーっ?!」
「って、あやや?!」
目をまるくして驚くあややを見て、えへん!って胸を張った。
自分でも凄い事をしたって思ってるけど、やっぱり誰かに驚いてもらったほうが、もっとすごい事をしたって思える!
あややも大蝦蟇を倒したって事がどれだけ凄いのか分かるのか、手足をいきなりジタバタさせたと思ったら、あたいの腕から飛び降りて―――
とたとたとたッ!
って軽い足音を立てて一直線に、文の作業机に向かっていった。
「あ、こら! あやや、いきなりなんなんだ、お前!」
「あややや! あややややややっ!」
「だーかーらー! 分からないってば!」
相変わらず、あやあや連呼するあややに思わず呆れた。
けど、あややは何も分かってないのか、一生懸命椅子によじ登ろうとして―――
「あ、ゃ……」
つるり、って足を踏み外して―――
ドテンッ!!
「あ……」
あたいの目の前で、思いっきり頭から落っこちた。
「ぁゃ……あやぁぁ……」
「あーもうッ!」
仰向けになったまま、じわり、って涙を浮かべるあややを見て、本気で呆れた。
リグルも結構ドジだけど、あややはその百倍くらいドジだった!
「あややはドジなんだから大人しくしてろ!」
「あーやー……」
「まったくもう……怪我したらどーするんだ」
やれやれ、って思いながら、抱き起したあややを後ろから動けないようにギュって捕獲した。
身動きとれなくなったはずなのに、打った頭が痛いのか静かに短い手で頭を抑えて大人しくしてるのを見て、まったく、って溜息を吐いた。
本当ならこんなドジな奴放っておいてもいいんだけど……
「でも、あたいの方がおねーさんだしな」
「ぁ、や……?」
「ほら、痛いの痛いのとんでけー」
涙目で振り向いて見上げてくる頭をなるべく優しくワシワシ撫でてやった。
あややの髪はサラサラで、まるで糸みたいにふわふわもしてた。
「あやぁ……あややや」
「ふん、感謝することね!」
膝の中で大人しく丸まったあややは気持ちよさそうに目を閉じた。
あたいが撫でてあげてるんだから当然よね!って思ってたら
くいくいっ
「ん? どうした、あやや?」
「あやっ! あややっ!」
袖が引かれて、あややが必死に机の上を指差してる。
あそこには、文の仕事で必要なもの以外何もないはずだけど……
「なんだ? 机の上を見たいのか?」
「あやっ!」
そうだ!って言わんばかりに、こくりって勢い良く頷いた。
さっきまで泣きそうだったのに、なんて現金なやつだ。
「何もないと思うけど……しょうがないな、あややは」
「あやややっ」
「まったく、あたいが優しいことに感謝することね! んー……でも、どうしようかな」
「あや?」
やれやれ、って思ったけど、あややが何かあるっていうならきっとあるんだろう。
でも……って思って椅子を机を見上げてみる。
流石にあややを机が見えるところまで持ち上げ続けるのは無理そうだ……
うーん、って声に出して唸っていると不思議そうに腕の中からあややが見上げてきてるのに気付いて、やれやれって思った。
「まったく、あややの為にあたいは今考えてるんだぞ?」
「あやや?」
「分かってるのかー? もう……あ、そうだ」
「あや?」
ぴんっ、て閃いた。
がしっ、てあややの脇を掴んで―――
「せーのッ!」
「あやっ?!」
とりあえず、そのままあややを椅子の上までブンッ!って勢い良く投げるみたいに持ち上げた。
あややの体はそのままヒョイッて椅子を飛び越しそうになったけど、そこはちゃんと服を掴んでたから大丈夫。
少し宙に浮いた気がしたけど、気のせいだ、うん。
「あ、ゃー……」
とすん、って。
無事に椅子の上に着地したあややが真っ黒な目を見開いて、ぼーぜんとしてて、それが何だか可笑しくなってケラケラ笑ってやった。
「あはは! あやや変な顔ッ!」
「あ、あややや! あややっ!」
笑ってやったら、何が不満だったのかあややが涙目でいきなりぺちぺちと叩いてきた。
ひょっとして恐かったかな?
けど、そんなことより―――
「ほら、椅子の上だぞ?」
そう、何でか知らないけど見たかった机も椅子に立てば見えるはずだ。
机の上には文がいつも持ってるメモ張―――取材の内容なんかを、全部メモしてるやつだ。それにペンに紙を切るためのナイフ、そして新聞を作るのに使っている紙切れだったりがいっぱい散らばっている。
「あ、ぁやや……あやっ!」
「え……? あ、こらっ!」
ガバッ!て。
いきなり机に向き直ってメモ帳に手を伸ばそうとしてるのに気付いて、慌ててあややの体を抑えた。
「あ、あやぁ?!」
「駄目だぞ! 文は新聞作る机を弄られるの、凄い嫌がるんだから」
何するんだって言いたそうなあややに、むっ、て恐い顔で叱っておいた。
前に一度。
遊びに来た時に文が新聞を作ってる時があった。
「あたいも、すっごい怒られたんだから……」
今でも覚えてる。
別に、ぐちゃぐちゃにしてやろうとか思った訳じゃ無かった。
ただ、いつも文が大事にしてるメモ帳が気になったってだけだったんだ。
けど、文は「チルノさんッ!?」って結構きつい声であたいの名前を呼んだ。
普段は、人の事を小馬鹿にしたみたいに話してくるけど、そういう声を出されたのは初めてで。
その声に、あたいは思わずビクッて体が震えた。
多分、文も本当はそんな声を出すつもりじゃなかったんだと思う。
その後、やっちゃった、みたいな顔をしてたから。
「……」
「……あやや?」
腕の中で動けなくなってるあややの心配そうな声。
それでも、その時の事を思い出すと腹が立ってきて、むっ、とした表情で机の上にあるメモ帳を思いっきり睨み付けた。
「何も、あんあに怒んなくたっていいじゃん……」
せっかく、あたいが遊びに来てるのに文ったらずっとあたいの事を無視して新聞を作ってたんだ。
ずっと机に向き合って、あたいに背中を向けたまま……
「一緒に、遊びたかっただけなのに……」
いつも新聞を作ってて、ネタを探してて。
あたいの事を新聞にしてくれたりもしたけど文はあたいよりも新聞の方がずっと好きなんだ。
ぐっ、て。
きっと、文はあたいと遊ばなくたって何だってないんだって思ったら、悔しくて、唇を噛み締めてたら
「あやゃ……」
「……ん?」
くいくいッ、て袖が引かれて何だろ?と思ったら、あややが眉をハの字にしてた。
何となくだけど、申し訳なさそう?な感じだったから、きっとあたいが言いたい事が分かったんだと思う。
だから、よしよしっ、てジッと見詰めてきてる頭をわしゃわしゃ撫でてやった。
「そうだぞ、あやや! 悪戯したら駄目だ!」
「あややぁ?!」
頭がぐしゃぐしゃになって、あややは慌ててそれを直そうとしてか手を伸ばして
「あ……」
ぐしゃぐしゃになった髪の毛を袖から出きっていない手で触ってるあややは、すっごい不便そうだった。
「……あやや。 お前、その服じゃ不便じゃないのか?」
「あや? あやや……」
つむじに向かって声を掛けると、だぼだぼの袖を交互に見ている。
やっぱり、手が出てないと不便だろうし、あややはドジだからさっきみたいにコケるかもしれない。
だから―――
「よし、あややに合いそうな服が無いか文の服を漁ってみよッ!」
「あやぁ?!」
そうだ、それがいい!
我ながらナイスアイディアって思った!
何でかあややは顔を真っ青にして叫んでるけど。
「あやぁ!? あややぁぁ?!!」
「って、どうしたんだ、あやや?」
ジタジタと再び暴れ出したあややをまた抱きかかえて、あたいは何だろう?って首を傾げた。
まるで、いやいやするみたいに両手足をバタバタさせてるんだから、きっと何か気に食わないことがあるんだろうけど―――
「なんだ、着替えたくないのか?」
「あやっ!!」
コクコクコクッ!って何度も頷くあややを見て、むぅって、ちょっと強めに睨み付けた。
「あややは馬鹿だな」
「あやぁ?!」
「服のサイズが合ってないから、さっきからいっぱい転んでるんだぞ、お前?」
「あ、あやぁ……」
抱えたまま引きずりおろす。
持ち上げるよりも、こっちのほうがずっと簡単だ。
とりあえず情けない声を出す腕の中のあややは放っておいて、リビングの端っこにある箪笥まで移動する。
あややが軽くないってのもあるけど、それよりもただただ歩きにくい。
人里で、よく赤ちゃんを軽々持って歩いてる人間がいるけど、あれって何気に凄いことなのかな?
「だけど、あややに合う服あるのかな……」
「あやっ! あやっ!」
両方に開く箪笥を目の前に、うーん、とあたいは首を捻った。
あややも、ある訳ない!っていうみたいに何度も首を振ってる。
文が小っちゃかった頃なんて大昔だろうし、そんな小さな服は無いかもしれないけど……。
「ま、いっか! 探索探索!」
「あやややややっ?!!」
探したら案外あるかもしれないし!
そう思って両開きの取っ手に手を掛けたら、バンッ!って音がして
「あれ?」
開かない。
あたいは今片手で取っ手を握ってて、ぐいぐい何度も引いてみても無理だった。
何だろう?って下を見たら
「………」
「………ッ」
あややが腕から乗り出すみたいに一生懸命手を伸ばして、扉が開かないように押していた。
「あーやーやー……?」
「あやっ! あややややっ!!」
無理な格好でプルプルしてるあややが、顔を真っ赤にさせてブンブンと首を振ってる。
何が嫌なのか分からないけど、あややが怪我をしない為なのに……
「まったく、わがままな奴だな、あややは! ほら、諦めろーッ!?」
「あやややややッ?!」
伸びてた腕をグイッ!てバンザイさせれば、もう邪魔は出来なくなった。
あややは腕の中で顔を赤くしたり青くしたりしてる。
ひょっとして、嫌な物でも中にあるのかな……?
「ま、いいや! あーけよ!」
「あやーっ?!」
ガチャッ。
あややの叫び声と一緒に扉を開くと、やっぱり、文は綺麗好きなんだなって思った。
箪笥の中には服がいっぱいあるけど、全部きちんと並んでた。
きっと、新聞記者なんてやってるから色々と服とか必要なんだろーな……。
でも、今はそんな事よりも―――
「あややの服だな!」
「あやぁ……あやぁッ?!」
相変わらず腕の中でいやいやするみたいに暴れてるけど、もう無視だ。
とりあえず、掛かっている服は全部文が普段着てるものみたいだから、探すなら下で畳まれてる服かな?
「何があっるかなー?」
「あやーッ?!!」
暴れるあややを小脇に抱えながら、畳まれてる服を一枚、二枚ってどんどん捲ってくと―――
「ん? これ、ちっちゃめだよね?」
「あぁぁぁぁやぁぁぁぁぁぁ……」
一番下にあった、赤い服が他のと比べて小さめだった。
あややがまるでこの世の終わりみたいな鳴き声を上げてるけど、ズルッ、てそれを引っ張り出して確認してみる。
それは、赤いワンピースみたいな服で、生地は結構厚いみたいだった。
襟とか袖とかの部分は白くてもふもふしてて、ぼんぼんみたいなのが二つ、顎のしたあたりの場所にくっ付いてる。
何の服なんだろ?
「んー……文は小っちゃい頃こんなの着てたのかな?」
でも、いうほどそれは古くなさそうだった。
良くわからなくて、とりあえず悩んでみたけど分からない。
っていうか―――
「これ、あたいくらいの大きさ?」
広げて見てみると、何となくだけどあたいにピッタリくらいの大きさだった。
あややは、あたいよりも小さいからこれでも大きいけど、今着てるだっぼだぼのシャツよりかはずっと良いはずだ。
「ぁー……ゃー……」
「ん?」
元気の無い声に目を向けてみると、ぐろっきー?みたいな状態になってて小さく呻くみたいに鳴いてる。
「あやや、どうした?」
「あやぁあ……あやややや……」
声をかけてみたら、小さくプルプルしながら頭を抱えちゃってた。
とにかく、酷く落ち込んでるみたいだったけど、言葉が分からないから良くわからない……。
「あややが言葉を話せればいいのになー……」
「あやややぁ……」
「ま、そんなことより着替えるぞ、あやや」
手に持っていた服を一旦床に置いておいて、バタンッ!って音を立てて箪笥を閉めた。
そして、抱えていたあややも床にゆっくりと下ろして
「ほら、バンザイしろ、あやや」
「ぁやぁー……」
何かを観念したのか、床に座り込んで泣きそうになってるあややが大人しくバンザイをする。
短い腕を真上に伸ばすと、余った袖がデロンってなって床に着くくらいだ。
「だけど、何でこんなサイズの合わない服着てるんだろうな、あややは……っと!」
「あやぁー……あゃッ」
一番上のボタンだけ外して、そのまま上にシャツを引っ張るとスポンッ!って勢いよく引き抜けた。
ダボダボの服が無くなると、やっぱりあややは凄い小っちゃいんだって分かる。
あたいの半分―――は言い過ぎかもだけど、それくらい小さい。
普段一緒に遊ぶリグルや大ちゃんはあたいと同じくらいか、それよりもちょっと大きい。
他のいっぱいいる妖精は別だって考えれば、あたいよりもずっと小さい奴っていうのは大分新鮮だった。
「あゅ……あゃゃ……」
「……っと、ごめんあやや! ほら、もいっかいバンザイだ」
「あゃ……」
だから、そうやってかんがいにあたいが耽ってると、あややがフルフル震えているのに気付いた。
流石に裸だと寒いみたいだから、慌ててさっきの赤い服を取ってグイッて頭から被せる。
ちょっと苦しかったみたいで呻くみたいな声がしたけど、黒髪の頭が白いもふもふの襟から出た。
やっぱりちょっと大きめだったけど、さっきのだぼだぼシャツよりずっとまともだ。
「ほら、こっちの方が動きやすいだろ?」
「あやややー……」
「まったく、あややは一体何がそんなに不満なんだ?」
白いもふもふに顎を載せながら、ふてくされたみたいにどんよりしてる姿に、あたいはやれやれって腕を組んだ。
さっきのままじゃ、動くだけで何度だってこけちゃうだろう。
きっと、あややは自分がどれだけドジなのか分かってないんだ。
「……しょうがない」
「あや……?」
どうしたの?って聞くみたいに、あややが首を傾けた。
そんな、のーてんきな姿に、あたいはふふん!って胸を張って
「文が帰ってくるまで、あたいがあややの面倒を見てやろう!」
「あやっ?!」
まるで、信じられない!みたいにポカンって目を丸めるあややに向かって、ビシッて指差して言ってやった。
「あたいの方がおねーさんだからな!」
「暇だなー……」
「あやー……」
ベッドに座って、あややを膝の上で抱きかかえたまま、ぼんやり呟いた。
ここに来たとき太陽は真上くらいにあったけど、もう大分傾いてきてる。
窓から差し込んでくる光が背中に当たるようになったけど、それでも文が帰ってくる気配すらない。
「あゃー……」
腕の中でコックリコックリしてるあややは、体温がちょっと高いみたいで、乗っかってる膝が結構熱い。
でも、あややは放っておくとあっちへ行こうとしたり、こっちへ行こうとするあげく、三歩あるけばそのままコケたりと落ち着きがまったくないんだ。
だから、こうやってずっと抱きかかえることにした。
「まったく……文は何をしてるんだ……」
あややは放っておくし、あたいの記事は書かないし!
まったくもって、酷い奴だって思ってたら……
くゅ~……
「ん?」
「あやっ?!」
何か、ちっちゃい動物の鳴き声みたいな音がしたと思ったら、それまで眠そうにしてたあややがガバッ!っていきなり顔を上げた。
「どうした、あやや?」
「あや……あややッ!」
顔を真っ赤にさせて、あやあや言いながら凄く慌ててるみたいだった。
何だろう?って首を傾けてると、また
くきゅ~……
「あゅ」
さっきよりも大きな音がしたと思ったら、あややがお腹に手を当てて、泣きそうになりながら俯いてしまった。
「―――あ、そうか」
その姿を見て、あたいはポンって手を叩いた。
あたいなんかの妖精は基本的に食べなくても問題ないけど、あややは違う。
「あやや、お腹空いたのか?」
「あゅぅ……」
「別に恥ずかしがる事ないんだぞ? あややは子供なんだからな?」
小さくコックリ頷くあやや。
零れ落ちそうなくらい目に涙が溜まってて、大丈夫だよって、頭をわしわし撫でた。
「んー……台所に何かあるかな?」
さっき見た感じだと、テーブルの上にあった変なクスリ以外は見当たらなかったけど―――
「あややや」
「あ、こら!」
顎に手を当てながら考えてたら、あややがピョンって勢いつけて膝から飛び降りた。
また歩き回ってこけたら大変だ!って思ったけど、あややは床に立ったままジッとこっちを見詰めてる。
「どうしたんだ、あやや?」
「あやっ」
何がしたいんだろう?って思ってたら、こっちだ、と言わんばかりに手をぐいぐい引っ張られた。
ズルズル引き摺られて立つと、あややは迷うことなく台所へと歩いていって―――
「あややっ!」
ビッ!て小さな指で食器棚の上を指差した。
「なんだ? あそこに何かあるのか?」
「あややっ!」
コクコクと頷く。
改めて見上げてみると、さっきの箪笥みたいに引くと開く扉みたいだった。
「じゃあ、あたいが見てくるから。 あややはちょっと待ってるんだぞ?」
繋いだ手を離して、ジッと見上げてくるあややの頭をポンポンと叩いてから、フワリって飛び上がる。
あんまり使われてないのか分からないけど、その扉は結構かたくて、両手で取っ手を握って、ふぬーっ!て思いっきり引っ張らなきゃ駄目で
―――バタン!!
「って、うわわ?!」
「あやぁ?!」
ようやく扉が開くと、込めていた力のままあたいも体勢を崩して空中で一回転。
ぐるん、って勢いよく回る世界で一瞬見えたあややが目を丸めてて、何となく可笑しかった。
「あややぁ?!」
「んー? 大丈夫だぞ、あやや?」
心配そうな声に、大丈夫大丈夫って手を振った。
ようやく開いた扉の中を覗き込んでみると―――
「お! おせんべいだっ」
茶色い、丸いお菓子。
木で出来たお椀?に五枚乗ってて、驚いた。
ひょっとして、あややは鼻がいいのかな?
「ほら、あやや、持ってきたぞー」
「あやー」
ゆっくりと降りて、両手で持っていたお椀をテーブルの上に置くと、あややが嬉しそうに鳴いた。
そんなにお腹空いてたんだなって思いながら、あややを抱きかかえて、よいしょっ、て声を出して台所のちょっと高い椅子に座った。
「あやややー」
テーブルの上には、来たときにあったクスリの入った瓶とコップとおせんべい。
そういえば、文も良くおせんべい好きで食べてたなーって、ぼんやり思い出してたら、あややが体を乗り出しておせんべいを一枚、もう手に取ってた。
「あーやっ」
がりっ!!
「……がりっ?」
氷をかみ砕く時みたいな音がして、なんだろ?って音がした方に顔を向けると、あややがおせんべいに噛み付いたままプルプル震えている。
「あやや? どーした?」
「あやぁ……あやゃゃ……」
はぐって噛み付いていたおせんべいが口から出されると、小さな歯型がついている以外はビクともしてない。
だから、きっと、これは―――
「硬すぎて、食べられないのか?」
「あやや……」
とっても残念そうに、小さくコックリ頷くあややを見て、やれやれって苦笑した。
恨めしそうな表情に、はい、って手を差し出す。
「ほら、貸してみろ」
「あや」
素直に茶色いおせんべいを手渡され、せーのっ、でそれを両手で割ろうと力を込めて
「ふぬぅーっ!!」
「……」
―――割れない。
なんだこのせんべい、ビクともしない。
「あやや……」
「ち、違うぞ、あやや!! ちょっとこれはあたいが手加減してやっただけなんだからな?!」
とっても残念そうな声に、物凄く焦った。
最強のあたいが!
こんなせんべい如きに負ける訳にはいかないんだ!
「見てろよーっ!!」
手に持った茶色い円盤を改めてキッ!と睨み付けた。
良く聞け、せんべい! お前はたった今からあたいのライバルだッ!!
「はぬっ!!」
「あやっ?!」
ガジッとせんべいに噛み付いて思いっきり顎に力を込めて
「ぬにーッ!!」
バキィィッ!!
結構、良い音がした。
歯が、折れるかと、思った。
「ほ、ほら……見ろ、あやや。 あたいはさいきょーだろ……?」
「あ、あやや、あやや……」
ポロって。
歯で噛んで、綺麗に割れて小さくなったせんべいの欠片を手のひらに落として、はいっ、て渡しながら顎をぐにぐに撫でた。
文は、いつもこんな固いせんべいを食べてるのかな……?
「あやゃー……」
小さくなったせんべいを、あややはリスみたいにガジガジ前歯で削りながら食べてる。
何だか、その姿がけなげ?で中々可愛かった。
「あややは可愛いなー」
「あや?」
よしよし、って頑張ってせんべいを齧ってるあややの頭を撫でながら、ふと、あたいは不安になった。
今は素直なあややも、もし見た目と同じように文みたいに育ったら、って思ったら……
「……駄目だ」
「あややー?」
「いいかー? あややは文みたいな大人になっちゃダメだぞ?」
「あやっ?! あやややや?!」
何でかすっごいビックリしてる。
それまで夢中だったせんべいから口を離して、くるん、って膝の上で向き合うみたいになったあややが首を傾けた。
だから、いいかー?ってあたいは顔を顰めて、文がどんだけ酷い奴か教えてやることにした。
「あややは分からないだろうけど、あいつは酷いんだぞ?」
「あやや?」
「あたいの駄目なとこ記事にして、あたいの事からかって」
「あややや! あやややややっ!」
何故か首をブンブン振ってるあややに、それだけじゃないぞ?って指を立てて
「あいつ、色んな奴の事も変な記事にしてるから、結構うざがられてるし」
「あやぁーっ?!」
ガーン、って感じで顔が真っ青になったあややに、おや?ってあたいは首を捻った。
「何かあったのか、あやや?」
「あやややゃゃぁ……」
「……あややは良く分からないな、ときどき。 まぁ、それにだ! 文が駄目なとこはもっとあるんだぞ?」
「あやぁ……」
がっくし、って肩を落としてるあややに、それにな?って声を小さくして
「あたいは文の事好きなのに、文はそうじゃないんだ、きっと」
「……あ、や?」
遊びに来たって、文はいつだって変わらない。
仕事で忙しい時は、遊んでもくれない。
「あいつは、あたいの事なんて新聞のネタくらいにしか考えてない奴だからなー」
やれやれ、ってため息を吐いた。
まったくもって、文は鈍感だと思う。
だけど腕の中のあややが、ポカンって口を開けて見詰めてきてて、それが何となく可笑しくてあたいはクスクス笑ってた。
「だからな? あたいは、すわこを凍らせてみたり、今日みたいに大蝦蟇と戦ったりして文の気をひこーと頑張ってるんだぞ?」
「あ、やぁあ……?」
分かるかー?ってあややをぷらぷらって揺らしながら呟いた。
「あややは、あんなとーへんぼくみたいになっちゃダメだぞ?」
「あゃゃ……あぁゅ……」
顔を真っ赤にさせたあややが、こくこくって何度も頷いた。
あんまりに赤いから風邪かな?って思って、ぺとって頭に手を当ててみたけど、さっきと大して変わってなくて、ん?ってあたいは首を捻った。
「あややは変な奴だな」
あはは、ってあたいは笑いながら、真っ赤になったままモジモジしてる頭をわしわし撫でた。
きっと、あたい一人だったら、またイライラしちゃってただけだと思う。
だから、こうして笑って話せてるのも、あややのお蔭なんだって思った。
「ありがとな、あやや?」
「あゅ……?」
「こどもは、わかんなくていーの!」
首をコテンってさせたあややを見てたら何となく恥ずかしくなって。
だから、そんなことより!って大きな声を出して
「あややもうお腹いっぱいになったのか?」
何でかあたいの言葉に難しい顔になったりしてたけど、ぽんぽんってお腹を叩いてやると、あややも自分のお腹をすりすりと撫でて
「あやッ!」
「そっか、足りたか」
満足そうに頷いたから、あたいも安心して笑顔になった。
一応、足りなかった時のたいおうさく、ってやつはあったんだけど―――
「足りなかったら氷なら作れるからな!」
「あややッ?!!」
思いっきりブンブン!って首を横に振られた。
おいしいのに……。
カチッ―――
壁にあるスイッチを押すと、すぐに天井から釣り下がっている電球が光って、部屋が明るくなった。
太陽はすっかり沈んじゃって、でもやっぱり文は帰ってこない。
なんとなく窓に顔を向けるとすっかり空は黒くなってて、窓にあたいの顔が映ってる。
「……何かあったのかな、文……」
もしかしたら大変な事になってたりするのかもしれない。
文は強い天狗だし、本当は何でもないかもしれないけど……
「どうしちゃったんだろ……」
心配―――だな。
「あややぁ……」
そうやって呟いてたら、ベッドに乗って窓の縁に手をかけていたあややがクルリって振り向くとピョンって勢いをつけてベッドから飛び降りて寄ってきて―――
「お?」
「あやッ! あややや、あややゃ?」
ギュッて。
大丈夫だよって言うみたいに抱きついたと思ったら、コクコクって何度も頷いた。
「……そうだな、心配いらないよな! 文だし!」
「あやっ!」
元気いっぱいに鳴くあややを、よしよしって撫でた。
そうだ。
文は失礼な奴だけど、そんなドジはしない。
こういうのを、きゆう、っていうんだな。
「あややあやや」
「ん?」
心配いらないんだ、って思ってたら袖をぐいぐい引かれた。
「どうした?」
「あやーっ」
今度は何だろ?って思いながら、あややに手を引かれるままにリビングを出て、玄関にまっすぐ続く短い廊下の左側。
確か、そこは―――
「あやややっ!」
ガラガラって音を立てて開かれた向こう側は、お風呂だ。
脱衣所には綺麗に畳まれたタオルだけが置いてあって、もう一枚ある扉の先には浴槽と台所にあるのと同じような蛇口が飛び出てるのが見える。
文はお風呂が大好きで、毎日二回くらい入ってるらしい。
少なくても一日一回、入らないと気持ち悪いみたいだ。
だから、温泉にも行くけど綺麗好きだからこうして家でお湯が出るようにしたらしくて、文はいつも石鹸の香りがしてたりする。
そんなお風呂場を、あややは指差しながらそわそわしてる。
ひょっとして―――
「あややはお風呂に入りたいのか……?」
「あやッ!」
そうだ!っていうみたいに力強く頷かれた。
だけど、えー……って小さく声に出しながら顔を顰める。
だって―――
「あたい、熱いの嫌だからダメだ」
あたいは氷の妖精だ。
熱いのなんて、大蝦蟇以上の敵だ。
「あややッ! あややややッ!!」
なのに、ごねるみたいにあややが首を振っていて、むぅ……って唸った。
「一人で入れるのか? あやや」
「あやッ!」
任せろ!って感じで胸を叩いてるけど、さっきからのドジっぷりを見てるととっても不安だ。
だから、やっぱり我慢しろって言おうとしたら―――
「あやっ」
「え? あ、こ、こらっ!」
すたすた、って。
あややは素早く風呂場に入ってくと、よじよじって浴槽の縁に上って、キュッキュッ、という音を立てながら蛇口を捻って―――
ジャアァァ―――
「あやっ!」
「……無駄に動きがいいな、あやや」
あたいが何もしないで見守ってるうちに、あっという間に浴槽にお湯を貯め始めた。
縁に乗ったまま、どうだっ!って胸を張ってるあややの後ろから、モクモクって熱そうな湯気が出てる。
「でもなー……あたいは一緒に入れないから、何かあったら助けられないんだぞ?」
「あやややっ!!」
困ったなー、と思って腕を組んだ。
あややは、大丈夫だっていうみたいに腕をブンブン振り回してるけど
「あ、や……」
「え?」
グラッ、て。
あややの体がゆっくり傾いて―――
バシャンッ!!!
「あややっ!!?」
「ぁ、あやぁあっ!!?」
バシャバシャ―――!!
浴槽の中に消えたあややの苦しそうな声と、暴れるみたいな激しい水音。
とにかくあたいは焦って、慌ててお風呂場に駆け込んで浴槽を覗き込むと
「ぁ、やぁ……ッ!?」
もう浴槽にはお湯が大分溜まってて、あたいの手のひらから肘までくらいはありそうで
「あややッ?!」
そんな、いっぱいのお湯の中で、あややが溺れてた。
体を起こそうとしても上手くいかないみたいで、伸ばした手がお湯をバシャバシャって打ってる。
あたいは、咄嗟に手を出して
「―――ッ」
ちょっとだけ、ためらって、バシャン!ってお湯の中に手を突っ込んだ。
痛い―――
お湯が、腕にまとわりつくみたい痛かったけど、ぐっ!て歯を噛み締めて暴れてるあややの体を掴んで―――
「ッあやや!」
「―――ッ」
バシャ!ってお湯からあややを引き上げて、しっかりと抱きしめた。
ゲホッゲホッ!って咳をしてるあややの背中をトントントン!って叩く。
あややの服はお湯でビショビショで、あたいの服にもじわじわ染み込んでくるけど、今離したらあややがどっかいっちゃいそうで。
もしかしたら死んじゃうかもしれない―――
「ッ!」
あややは―――妖精じゃない。
だから、一回休みじゃないんだ。
そう思ったらとにかく怖くて。
ギュッて抱きしめてお風呂場に座り込んで、とにかく背中をただ何度も何度もただひたすら何も考えないでさすった。
「ぁ、や……」
しばらくしたら、ゲホゲホするのも収まった。
「大丈夫か? あやや……」
「あや……」
凄く疲れたみたいで、ちょっと顔色が悪かったけど、それでも大丈夫っていうみたいに頷くあややを見て、あたいは本当にホッとして
「―――だからダメって言ったろ!」
気付いたら、あたいは前に文にされたみたいに思わずきつい声であややを叱ってた。
でも―――
「ゅ……」
「あ……」
怖がるみたいに、小っちゃい体を更に小っちゃくするみたいになったあややを見て、やっちゃった……って思った。
しょんぼりして、何も話さなくなっちゃったあやや。
本当は、そんな怖い声を出したいんじゃなくて、ただ危ないって事を教えたくて……それに、あややが無事だって喜びたかっただけなのに……
「……」
「……」
気まずくて、お互いに黙り込んだ。
あややは、落ち着きなさげに視線をあっちこっちにやってる。
どうしよう……ってあたいが考えてると
「ぁ、や……」
「……え?」
あややが、小さく声を出して、おずおずっていう感じに腕に触ってきた。
さっき、お湯に手を突っ込んで所為で、火傷ってほどじゃないけど真っ赤になってて、小さな手が、それを撫でるみたいに動いてる。
ひょっとして―――
「心配してくれてるのか?」
「あや……」
コクンって。
一つ頷きながら、申し訳なさそうに見上げてくるあややを見て、やれやれって苦笑した。
「あたいの方がもっと心配したんだぞ?」
「あやゃ……」
「……とにかく、あややが無事でよかった」
ギュッ!って。
泣きそうなあややを、もう一回強く抱きしめた。
とりあえずビショビショになっちゃった服を脱がせて、最初に来てたシャツを被せた。
今は、ベッドの上に一緒に座りながら、タオルでゴシゴシ頭を拭いてる。
「動いちゃダメだぞー?」
「あやー」
あややは、膝の中で大人しくあたいに髪を拭かれている。
そろそろかな?って思ってタオルを外して髪をポンポン触ってみると、大体乾いたみたいだった。
「これでよし、っと」
持ってたタオルを、適当に投げ出して、はぁ―――ってため息を吐いて天井にぶら下がってる電球をボンヤリ見上げてみた。
何だか凄い疲れたし、何よりも―――
「ふぁ……」
心配いらないんだって思ったら、なんだか眠くなってきた。
思いっきり口を開けて空気を吸い込みながら、ちょっと涙が出た目をゴシゴシ擦った。
あたいの家は、文の家みたいに夜を明るくすることも出来ないから、いつも暗くなればすぐ寝てる。
だから、今日は大分夜更かししてる事になるんだ。
「あゃ……」
腕の中のあややも、くぁ、って小さくあくびをしてる。
きっと、疲れたんだろうなって思ったから、眠そうにしてるあやや頭をぽんぽんって優しく撫でた。
「そろそろ寝るか、あやや」
「あやや」
コクン、って。
素直に頷くあややを見て、よしって声をかけて、ベッドに寝かせようとしたら―――
クシュ――!!
「お?」
あややがくしゃみをして、軽く体を震わせた。
ちょっとだけ、ぷるぷるしてる姿を見て、ひょっとして、って思った。
あたいの冷気が寒すぎるのかもしれない―――
「ちょっと待ってろ、あやや」
「あや……?」
このままじゃ、ゆざめってやつであややが風邪を引くかもしれない。
コテン、って首を倒したあややをベッドに置いて、箪笥に近づいて開ける。
確か、あの時―――
「っと、あった!」
ちょっと厚手の生地を使ってる上着。
確か、ぱーかーって言うそれはあたいが着るとダボダボでワンピースみたくなるけど……
「これでよしっ!」
「あや?」
羽織って、ちゃんと前を閉めて。
分かってない様子のあややに、ふふふって笑いながら近づくと
「そらっ!!」
「あやっ?!」
ギュッて。
驚いてるあややを抱きしめた。
「どうだ?」
「あやや?」
「これでもう寒くないだろ?」
「あ……や」
ポカンってしてる様子がおかしくって、クスクス笑いながらベッドの布団を捲る。
あややを布団の中に押し込んで、枕元にある電球のスイッチをパチン!って音を立てて消して、勢いをつけてベッドに飛び込んだ。
「さ、寝るぞーあやや?」
捲った布団を掛けなおしてから、大人しくしてるあややをギュッと抱き寄せた。
あややの体はちっちゃくて、柔らかくて、あったかい。
あたいはといえば、普段はしない厚着をしててとっても暑いけど―――
「おねーさんだもん……お?」
我慢だ我慢、ってコクコク頷いてると、腕の中のあややがジッと見詰めてきている。
頬っぺたを赤くしながら、何かを迷ってるみたいだった。
何となくだけど、あややが何を思ってるのか、何をしたいのかってことは今日一緒にいて分かってきた。
けど今のあややが何をしたいのか、さっぱり分からなくて、困ったな、って寝ながら首を傾げてみた。
「あやや……?」
「あやや。 あややややや」
小さく、やっぱりあたいには分からない言葉を言ったあややは、顔を真っ赤にさせたままズイってあたいに近寄って―――
「―――ッ」
「……? あやや?」
片側の頬っぺたが、熱くなった。
ポカンって。
凄く近くで思いっきり目を瞑ってふるふるしてる横顔を見てみたら、文みたいにまつ毛が長いなーって思った。
「~~~ッ! あやッ!」
「ん? もういいのか?」
近かった顔が離れると、どうだ!って言うみたいにあややが顔を真っ赤にさせたまま胸を張った。
多分今のはキスなんだろうけど、もしかしてお礼のつもりだったのかな……?
結局、何がしたかったのか良くわからなかったけど、あややが満足ならそれでいいかなって思ってそう言ったら、うー……って小さく唸り声を上げて
「あやッ!!」
「わ、あやや?」
ぎゅうっ、て。
腕の中に潜り込んだと思ったら、思いっきり抱きしめられた。
「あやや……?」
「~~~ッ!!」
小さく名前を呼んでみたけど、そうしたら余計にギュッてされて。
恥ずかしいのか良く分かんなかったけど……何よりも眠かったし、まぁいいやって思った。
「ほら、もう寝るぞ?」
さっきよりもずっと優しく。
背中をポンポンって叩きながら、あたいはゆっくり目を閉じた。
「あややぁ……」
すぐ近くから聞こえたあややの声が、何となくだけど「おやすみ」って言ってる気がして
「お休み、あやや」
あややにちゃんとしたもの食べさせてあげたいし、明日は文が戻ってくるといいな―――って。
霞んでいく頭でそんな事を思いながら
「―――」
ぷっつり、と。
あたいは、何も分からなくなった。
「……んっ」
鳥の鳴き声が小さく聞こえる。
少しだけ目を開けると、太陽の光がまぶしくて、思わずまたギュッて瞼を閉じた。
昨日は随分遅くまで起きてて、まだ眠かったし、もう少し寝ようって自分の体を抱きしめるみたいに丸まって―――
「……ぇ」
昨日、寝る時までずっと抱きしめてたあややが居ない。
その事に気付いたら、眠気なんてどっかいっちゃって、掛け布団をはねのけるみたいにして飛び起きた。
「あややッ?!」
起き上がりながらガバッて布団を捲ってみたけど、居ない。
慌ててあっちこっちを見渡してみても居なくて、他の部屋を探そうとベッドから飛び降りようとして
グイッ―――
「あ―――」
前に進もうとしていたのを、無理やり下に向けられた感じ。
さっきまで玄関の方を向いてたのに、今あたいの目の前には床がある。
ぱーかーの裾を踏んだんだ―――
そうだと分かったら、なーんだって思った。
別に特別なことじゃない。
前も、ちょっと大ちゃんとの鬼ごっこに気を取られて木に思いっきりぶつかった事もあったから。
だけど段々と近付いてくる床を見て、痛そうだな……って思って、目をギュッて閉じたら―――
パシッ
「ったく、チルノさんはドジですねー」
「―――ぇ」
痛い思いはしなくて。
いきなり声をかけられて驚いて、そっちに顔を向けると―――
「文ッ?!」
「はい、清く正しい射命丸ですよ?」
いつものようなふてきな笑みを浮かべた、文が居た。
どうやら、あたいが落ちるのを受け止めてくれたみたいで、文の両手にしっかり捕まってる状態だ。
昨日から探してた文がようやく見つかったのは良かったけど―――
「そんな事より文! あやや知らない?!」
慌てて聞くと、文が一瞬、顔を歪めて―――
「ああ―――あの子なら今朝早く親元に帰りましたよ?」
「えっ?! 帰った?!」
「ええ。 あの子の両親がちょっと忙しくて一日だけ預かる予定だったので」
ぼう然と、文の言葉を聞いてた。
あややが帰った―――?
それは、もう、ここには居ないって事だ。
「あやや……」
ちゃんと、さよならもしないで帰るなんて……
「失礼な、奴だ……まったく」
あたいに何も言わないで帰ったのが不満だった。
それに、それ以上にもう行っちゃったのが、寂しくて……
「―――ッ」
眼から何か溢れ出しちゃいそうで、ギリッて思いっきり唇を噛み締めた。
「……ねぇ、チルノさん。 あの子から伝言です」
「……え?」
必死に目をギュッて閉じてたら文にそう言われて。
抱きかかえられたままだから、首を捻って見上げたら、文が少し赤い顔で笑みを浮かべていた。
「一緒にいてくれて、助けてくれてありがとう。 また遊んでね、大好きよ―――」
「……え」
「―――だ、そうです」
ふいって。
そう言って、文はすぐに視線を逸らして窓の外を見始めた。
「……ねぇ、文」
「……何ですか、チルノさん?」
文のちょっと赤い顔をジッと見詰める。
まさか、とは思うけどひょっとして―――
「……文は、あややの言葉分かるの?!」
「うぉい」
何でか分からないけど、文がいきなりガックシって肩を落とした。
「? どうしたんだ、文」
「いえ、そういえばチルノさんって、そういう期待を裏切らない人だったな―――って思ってたところです……」
「なんのこと……? それより、あややは、あやあやしか喋れないんだぞ?! 文はあややの言葉、分かるの?」
物凄く落ち込んでるみたいだし、何かあったのかな?って気になったけど、今それ以上にあたいが気になってるのはあややの事だ。
そうしたら、ええ―――って、それまでのガックシを隠した文が顔を上げて
「私は何だって知ってますからね? あの子が何を言っているのか、ちゃんと分かりますよ?」
「そうなんだ……」
「ええ―――ですから、さっき伝えたのは、紛れもなくあの子の想いです」
「そっか……」
それを聞いて、思わず笑った。
ちゃんと、ばいばい出来なかったけど、あややはあたいの事を覚えてくれたみたいだったから―――
「ん? そういえば文は昨日何処に行ってたんだ? ほごしゃしっかく、だぞ!」
そうだ、文はあややを預かったのにどっかに行ってたんだ。
ムッと睨み付けると、いやいや、って困ったみたいに文は笑って
「えーと……そう、いきなり山の会議に呼び出されてしまいましてねー」
「だからって、あややを一人にしていい理由にはならないぞ?!」
「おお、チルノさんにしてはまともな言い分……はい、ですから本当なら連れて行くなり他の人に預けようと思ったんですが―――そうですね」
そこまで言って、文は優しい顔つきになって、あたいの頭をポンって撫でた。
「チルノさんが来るって分かったので、お任せしました」
「……え、何が……」
「チルノさんなら、あの子の面倒みてくれるだろうって思ったので。 実際、ちゃんと良いお姉さんをやってくれましたし、ね」
お疲れ様でした、って。
文の優しい顔と声に、思わずあたいは見惚れてて、よしよし、ってみたいに頭を撫でられたら思わずボンッて顔が熱くなった。
「……もう、しょうがないな、文は!」
思わず顔を逸らして、大きな声を出す。
だって、何だか抱きかかえられてて、子供みたいに扱われるのが恥ずかしいし。
でも頭の上から文が可笑しそうに笑ってるのが分かって、思わずむくれそうになったら
「そんな事よりチルノさん? なんでも特ダネがあるそうじゃないですか」
「~~~っと、そうだそうだ! 文、あたいやったよ!」
「はい、何をですか?」
もう一回。
文に顔を向けて、話を聞きたそうにしてる文に思いっきり胸を張った。
「あたい、あの大蝦蟇やっつけたんだよ!!」
「おお―――それは凄い! 勿論、取材させてくれますよね?」
そう言うと、文はベッドに座りながら、あたいの事もゆっくり床に降ろした。
何かを取り出すみたいに胸ポケットに手を入れて―――
「―――と、そうでした。 チルノさん、ちょっとメモ帳取ってくれませんか?」
「え……?」
とうとつに、文はそう言った。
文はもうベッドに座ってて、あたいは立ってる。
普段なら人を使うな!って文句の一つも言いたいけど、それよりもあたいが気になったのは―――
「文、いいの……?」
「はい? 何がですか?」
「だ、だって! 文メモ帳大事にしてて、前にあたいが触ろうとしたら怒って……!」
「ああ―――あの時は、メモ帳のすぐ傍に抜き身のナイフが置いてあったんですよ。 もしかしたら怪我させてしまうかもしれないと思って、ついキツイ声になってしまいましたが……」
「え―――」
ポカンって文を見上げた。
それって―――
「心配してくれた……ってこと?」
「ええ、割とあのナイフ良く切れるんです」
「でも、あたい妖精だよ……?」
「やれやれ……いいですか?チルノさん。 妖精だろうが何だろうが、知り合いが傷つくところなんて見たくありませんよ?」
そう言って。
静かに笑う文をぼんやり見つめて、あたいは―――
「―――とって来るね!」
「ええ、お願いします」
背中から声をかけられて、メモ帳が置いてある机に向かって走った。
とにかく、あたいのぶゆーでんを聞かせて、かっこいい記事を書かせてやる。
きっと、凄いびっくりした文は、あたいに夢中になるはずだし!
それから―――
「―――っと」
机の上のメモ帳を奪うみたいに取って、急いで文の近くに戻る。
それから、あややにまた会えるか聞こう!
ダボダボのぱーかーを着たまま、ベッドに飛び乗る。
文にメモ帳を差し出しながら、あたいはウキウキしながら話し始めた。
「あのね、まずね―――!!」
「……やれやれ」
すっかり話疲れたチルノさんは、今は私の膝の上で眠ってる。
昨日も、彼女にしては大分遅い時間まで起きていたし疲れたんだろう。
無邪気な寝顔を見せる彼女の髪をゆっくりと手で梳きながら、昨日一日の事を思い返してみた。
あの薬を永遠亭から貰い受けたのはただの偶然だった。
何でも、納得できる出来じゃなかったらしく、どうせ廃棄するから―――との事だったのだが。
記事のネタにでもなれば、と思って飲んだのは自分だし、それで小さくなるのも分かっていた事だけど―――
「まさか、精神的にも影響が出るとは思わなかったわね……」
まったくもって苦々しい。
まさか、身体的影響だけでなく、あそこまで精神的にも影響を及ぼすとは思わなかった。
情緒不安定で、何に対しても恐怖心を感じ、あまり先の事まで思考が回らず―――そう、まるでチルノさんのように直情的に行動する。
あんな簡単な事で何度も泣きそうになるなんて相当な黒歴史だ。
しかも、前に香霖堂で何となく購入したあの服。
チルノさんと大体同じサイズだったから、いつか着せてみたい、なんて思って置いてあったのが、あんな形で仇になるとは……
「しかし……チルノさんって、案外面倒見いいんですね……」
自分よりも幼い存在、というのが物珍しかっただけかもしれないけれど。
しかしまぁ随分と言いたい放題いってくれたものだ。
人の事を唐変木だのうざいだの何だのと……しかも、あんな情緒もへったくれもない状況で告白を聞いたこっちの身にもなって貰いたい。
小さくなってる時は、本当にどうすればいいのか分からず一人パニックに陥る羽目になったのだし。
幼い心で勇気を出して感謝の気持ちを込めてキスの一つでもしてみれば、何故か伝わらぬままに寝落ちとか……
「ったく、あなたの事ですよ、チルノさん」
「うぅ……」
膝の上で気持ち良さそうに眠る頬をプニプニと押しながら嘆息していると、チルノさんが小さく呻いた。
「だめ、だぞ……あやや……」
どうやら寝言のようだ。
夢の中でも、幼い私と追いかけっこでもしてるのだろうか?
大蝦蟇の話が終わった後は、あややに会いたいとか、何処に行けば会えるか、とかひたすらそんな質問攻めにされた。
まさかまた会わせる訳にもいかないし、何とかああだこうだと誤魔化したのだけど……。
「……」
ふと、彼女の腕を見てみると、既に殆どの赤みが消えている。
お風呂場での事故は、正直死ぬかと思った。
そして、それ以上に彼女がああまでして助けてくれるとは……思っていなかった。
助けてくれた時のあの腕を見る限り相当痛かっただろう。
氷の妖精にとってのお湯等、正直天敵だろうし。
それにも関わらず救ってくれた、という事実は感謝してもしきれるものではなかった。
「やれやれ……借りが出来てしまいましたね……」
小さくなって記事に出来ることは無さそうだが、それでも色々な事に気付かされた。
彼女が、思わずキツイ声で注意をした事をあそこまで引き摺っていたという事。
猪突猛進だけれども、案外責任感が強くて面倒見が良いという事。
そして、最近良く来てくれていた理由も―――
「―――ありがとうございます」
照れ隠しのように小さく呟けば、身をかがめて、そっと顔を寄せて
「―――お疲れ様でした、チルノさん」
私は静かに眠る彼女の柔らかな頬に一つキスを落とした。
やったやった、ついにやったんだ!
遂にあの大蝦蟇をぎゃふんって言わせる事が出来た!
もう何回戦ったかも忘れたけど、今日!
ついにあのでっかいカエルを倒せたんだ!
なんたってパーフェクトなあたいにかかれば楽勝さっ!
一回頭から食べられた気がするけど!
だけど今はそんなことより―――
「待ってろよ、文ぁ!! 今日こそパーフェクトなあたいのぶゆーでんの記事を書かせてやるからなっ!」
そう、前にあたいが大蝦蟇に食べられる記事を書いた奴!あいつの家に向かってる!
毎回ふざけた事を記事にするけど、今日はなんてったってホンモノだ!特ダネってやつだ!
だから!
今日こそあたいの事をかっこよく書いて貰うんだ!
「えっと……確かコッチの木を右に行けば……」
目印になる、幹が途中から二つに分かれた大きな木。
ここを右に行けば、低い木がいっぱい生えていて気づかれにくい。
文の家は妖怪の山にあって、だけど天狗はあんまり余所者が中に入るのを嫌がるらしい。
しょうかい天狗っていうのも、いつも見張ってる。
でも、あいつら、いっつも将棋をやってて案外間抜けだからあたいくらいになると何時だって中に入れる!
前に正面から戦って入ろうとしたら行き成り斬りつけられて一回休みになったし、文も「来るときは成るべくバレないように来た方がいいですよ?」って言ってたから、ちゃんとあたいは守ってるんだ。
「だけどあの天狗……いきなりあたいを殺すとは何様だ」
地面スレスレを飛んで木がすぐそばでビュンビュンいってるのを聞いてたら、その時の事を思い出してイライラしてきた。
ああいうのを、のうきん、って言うんだ。
「ふん、次はぜったいあいつをブッ飛ばしてやる!」
とにかく!
今は大蝦蟇だ!文だ!
いつも小馬鹿にしてくるあいつをぎゃふんと言わせて、あたいの話に夢中にさせてやるんだ!
木がいっぱいだったのがいきなり無くなると、あたりが急に明るくなる。
目の前に黒い岩がむき出しの急な崖。
そこを岩に隠れながら一気に青い空へ落ちるみたいに飛んで―――
「―――っと、あった!」
ぽつん、って。
ひらけた所に一つだけ建っている、こじんまり―――って言っても、あたいの家よりも大きいけど、文の家だ!
「よしッ!無事に着いたッ!」
文はビックリするかな?
いや、するはずだ。なんたってあの大蝦蟇をやっつけたんだから!
ビックリしない筈がない!
ウキウキしながら玄関に立つと、すぅ―――と息を吸い込んで
「あーやーッ?!」
「あやーッ?!!」
―――
「……ん?」
なんだっけ、やまびこ?だっけ?
家に向かって叫んだら何故か同じ声が返ってきた。
いつもだったら、「はいはい何ですかーチルノさん?」とか言って文が出てくる筈なんだけど……
「あやー?あーやーっ!!」
ガンガンガンガンガンガンガンガンッ!ってドアを叩いても何も返事がこない。
ひっそりしてるドアの前を見詰めてると、あたいは、またイライラが溜まってきた。
「むぅ……あたいが会いに来たのに居ないなんて……」
相変わらず失礼な奴だ。
ふんっ!って腕を組んで不機嫌マックスなあたいだけど、何となく銀色のドアノブに目がいった。
どうせ閉まってるだろうけど、って思いながら試しに捻ってみると―――
ガチャリ
「あ、れ?」
ポカン、ってなった。
文はあれでいて結構しっかりしてるから、前に居なかった時はキッチリ鍵が閉まってた。
ということは―――
「いるす?を使ってるんだな?!」
ますます失礼な奴だ。
むかむかしながら、それでも開いてるってことは中にいるはずだ―――!!
「おらぁー!! あたいの記事を書けぇーーー!!」
バンッ!
思いっきりドアを蹴って中に入った。
靴を玄関に脱ぎ捨てて短い廊下を走ると、すぐリビングだ―――
「……あれ?」
また、あたいはポツンって呟いた。
絶対中に居るんだと思った文は、居なかったからだ。
あっちこっちを見渡してみても、ベッド以外には新聞を作るための作業用の机だけ。
文の家にあるのは、後は台所とお風呂とトイレくらい。
だから、こっちかな?と思ってリビングのすぐ隣の台所を覗いてもいないし、勿論文が隠れられそうな場所も無い。
「むぅ……なんだ、結局文はいないのか……」
思わず頬っぺたに空気を溜めた。
いつもは大体居るくせに、何で今日に限って……
「それにしても不用心な奴だな、文は……あれ?」
やっぱりあたいが居なくちゃダメダメだなーなんて思ってたら、半分くらい水が入ったコップと、変な白い粒が入った小ビンが台所の机に乗っかっているのに気付いた。
なんだろ?
「飴かな……?」
だったら欲しいな、って思って手に取ってみたけど、なんとなく飴じゃない感じがする。
だってビンの表面にはあたいが知らない難しい字が書いてあって読めなくて、飴だったらそんな字を書く必要は無いはずだ。
じゃあなんだろう?って不思議に思って、ひっくり返したらジャラジャラって中に入ってる白い粒が鳴って
「んー……ぁ」
ビンの裏側に、ウサギのマークが書かれてた。
あたいは、このマークを知ってる。
迷いの竹林の奥にある、永遠亭のマークだ。
だから、これは多分永遠亭のクスリだ―――
「何のクスリなんだろ……?」
窓から入ってくる太陽に翳すとキラキラ光るビンを見ながら、首を捻ってみた。
多分、書かれてる字がクスリの名前なんだろうけど……読めない。
「むー……飲んでみたいけど、苦かったらやだしなー……」
どうしよう。
手の中の瓶を振って、ジャラジャラって音を立てて遊びながら考えていたら―――
コトンッ
「―――え?」
何か物音がした。
ここは文の家だけど、文は今いなくて、でも音がして―――
「……なんだろ、何かいるのかな?」
音は、リビングの方からしてきた。
手に持った瓶をテーブルの上に戻して、もう一度すぐ隣の部屋に首を出して見渡してみたけど、やっぱり何も居なくてガランってしてる。
でも、確かに何か音が聞こえたんだけど……
「……おーい、何もいないのかー?」
不思議に思って、口に手を当てて声に出してみると
カサッ―――
「え?」
何か、擦れたような音がした。
慌てて、音がした方へと顔を向けてみても、そこにはベッドしかない。
布団は綺麗に整えられているし、窓も開いてないから風が鳴った、って訳でもない。
じゃあ―――
「……ひょっとして、下?」
何か虫でもいるのかな?
ひょっとしたらリグルとかかもしれない。
そう思ったら、とにかく気になって。
あたいは、床にべったりと体をくっ付けてベッドの下を覗き込んでみたら―――
「……え?」
思わず、ポカンってなった。
だって―――
「あ、あやぁ……」
少し、涙を浮かべている二つの眼が、怖がってるみたいに見詰めていた。
「……あんた、誰?」
首を傾げながら、そいつを良く見てみた。
髪も眼も黒くて、文となんとなく似てる気がするけど……体はあたいよりも小っちゃくて、あたいみたいに床に体をくっ付けながら、ぷるぷると震えてる。
服は何だかダボダボみたいで、腕が袖から完全に出ていない……つまり、赤ちゃんみたいに小っちゃい奴だった。
「あや、やぁ……」
「……まさかっ!?」
不安気な鳴き声を聞いた瞬間、あたいの天才的な頭脳が閃くのが分かった!
文に会いに来たら文が居なくて文に似ている子供がベッドの下にいた―――つまり!
「文の隠し子だなッ!?」
「あやぁぁ?!!」
ビシッ!って指差したら首をブンブン振りながら、そいつは鳴いた。
「なんだ、違うのか?」
「あややややっ!」
「むー……分からん」
そいつはまともに言葉が話せないらしいけど、あたいの言葉は分かるみたいだった。
器用な奴だなって思ったけど、それ以上に困ったなーって思った。
いくら天才のあたいでも「あ」と「や」だけの言葉は分からない……
「まぁ、いいや。 とりあえず、そこ狭いから出てきたら?」
「あ、あや! あやあやっ!」
「だから分かんないってば……ほら、大人しく出てこいッ!」
「あ、あやややや!?」
ベッドの下は掃除されてても埃が溜まってる。
だからきっと、体に良くないだろうって思って手を伸ばしたら―――
「あ、あややややあやーッ?!」
「え? あ、こら?!」
何故か、いきなりバタバタと短い手足を動かしてベッドの下から凄い速さで出てきたと思ったら、逃げるみたいに玄関に向かって走り出した。
ヨレヨレでブカブカなシャツがまるであたいのワンピースみたいだな、って思ってたら
「あやっ?!」
「あ……」
ベチンッ!って。
思いっきりシャツの裾を自分で踏みつけて、そのまま顔から床に倒れた。
思わずそれをボーっと見てたけど、まったく動かないのが心配になって慌てて駆け寄った。
そいつは白いシャツをいっぱいに使って大の字を作ってて、プルプル震えているから多分死んでないだろう、って思って肩をツンツンと突っついてみる。
「おーい、大丈夫か?」
「あ、あやぁ……」
声をかけたら、そいつはゆっくりと顔を上げた。
小さな顔は真っ赤になってて涙目になってる。
見るからに痛そうな姿に思わずあたいは、うわぁ……って思った。
「お前、痛い奴だな……」
「あやややゃ…………ぁや……あやっ……」
「ああ、もうほら泣くな!」
痛かったのか、ぐずぐずって始めたそいつを、よいしょって持ち上げた。
持ち上げて分かったのは、前に人里で見た事あった赤ちゃんみたいにやっぱり小さくて、それでも割りと重いってことだった。
鼻の頭が赤くなってて、痛そうで。
さっきよりも大粒の涙を目に浮かべながら、何だか情けない目で見詰めてくる。
長いシャツをデロンってさせてる情けないそいつを、やれやれって思った。
「まったく、そういうのをじごーじとくって言うんだぞ?」
「あやややや……」
やっぱり情けない鳴き声を上げるそいつは、それでも観念したのか、大人しく持たれている。
はぁ、って思いっきりあたいはため息を吐いた。
「まったく! 人が親切にしてやろーと思えば逃げるなんて失礼な奴だな、お前」
「あややー……」
「だから分からないってば……ほら」
「あゅ?」
相変わらず、うるうるしてるそいつが何だか可哀想になってきて、片手で抱きかかえたまま、もう片方の手を赤い頬っぺたに当ててやった。
自分じゃ良く分かんないけど、あたいの手は結構冷たいらしい。
だから、首を傾げていたそいつも、あたいがしたい事が分かったのか、うるうるするのを止めてジッと見詰めてきた。
「あやゃー……」
「ほら! もう痛くないだろ?」
「あや、あややや」
小さく、こくこくって頷くのを見て、何となくお礼を言ってるんだなって分かった。
そいつの頬っぺたはプニプニで、ちょっとでも力を込めれば簡単にプニッてなるくらいプニプニだ。
「……」
「……? あやや?」
何となく、その頬っぺたを思いっきり弄ってみたいよっきゅうに駆られたけど、泣かれると面倒だからグッと我慢だ。
あたいの方がおねーさんだし、うん。
赤くなってた頬っぺたの赤みも段々取れてきたら、パッと手を離した。
「あやぁ……」
何処となく残念そうな鳴き声で見上げてくるそいつ。
どうやら結構痛かったみたいだ。
「っていうか、お前は結局誰なんだ?」
「あやや」
「んー……? 文の子供、じゃないんだよね……?」
「あやっ! あやあや」
「あやあやばっかだな、お前……」
いい加減“お前”っていうのも疲れたし、どうしようかなって首を傾げてると、そいつは何も分かってないのかテチテチと肩を叩いてきた。
「むぅ……何だよーあたいは今大切な事を考えてるんだぞ?」
「あややー?」
「まったく、こどもはのーてんきでいいな!」
「あやっ?!」
あたいが必死に呼び名を考えてるってのに、こいつときたら。
何故か酷く傷ついたみたいに目を丸くしてワナワナしてるけど、今はそんなことどうだっていい。
しばらくワナワナさせておいて、頭を捻って何か良い呼び名は無いか考えて―――
「……もういいや」
「あや?」
飽きた。
不思議そうに首を傾げるそいつを、改めて両手で眼の高さまでひょいっと持ち上げる。
さっきから、あやあやしか言わないから、こいつは―――
「お前のことあややって呼ぶからな?」
「あやや?」
きょとん、ってあややは首を傾げた。
何だか分かってるんだか分かってないんだか不安になったけど、まぁいいや。
「そんな事より、あやや」
「あやや?」
「うん、お前だ、あやや。 あややは文を知らない? あたい、大事な用があるんだ」
「あや……あややや?」
てちてちてちてち。
何故かあたいの肩を小さな手で叩いてくるあややは、やっぱり分かってるんだか分かってないんだか分からなかった。
「……あややは馬鹿だな!」
「あややややっ?!」
「なんだよーじじつだろ? あややは、あやあやしか言えないんだしッ」
何が不満なのか、頬っぺたを膨らませてジッて見詰めてきた。
そういうところが、こどもなんだ、あややは。
「まったく……あややは喋れないし、文はいないし……折角あたいが特ダネを持ってきたってのに!」
「……あややや?」
首を傾げるあややを見て、ふふん!って笑った。
「あややには絶対出来ない事をあたいは今日やったんだぞ?」
「あやー?」
くいくい、って袖を引っ張って聞きたそうにするあややに、ますます良い気分になった。
なんてったって、あたいが最強に一歩近づいた記念すべき日だ!
真っ先に文に教えたくて真っ直ぐにここまで来たけど、あたいの偉業を誰かに自慢だってしたい!
「聞いておどろけー? なんと、あたいは今日あの大蝦蟇を倒したんだ!」
「あやーっ?!」
「って、あやや?!」
目をまるくして驚くあややを見て、えへん!って胸を張った。
自分でも凄い事をしたって思ってるけど、やっぱり誰かに驚いてもらったほうが、もっとすごい事をしたって思える!
あややも大蝦蟇を倒したって事がどれだけ凄いのか分かるのか、手足をいきなりジタバタさせたと思ったら、あたいの腕から飛び降りて―――
とたとたとたッ!
って軽い足音を立てて一直線に、文の作業机に向かっていった。
「あ、こら! あやや、いきなりなんなんだ、お前!」
「あややや! あややややややっ!」
「だーかーらー! 分からないってば!」
相変わらず、あやあや連呼するあややに思わず呆れた。
けど、あややは何も分かってないのか、一生懸命椅子によじ登ろうとして―――
「あ、ゃ……」
つるり、って足を踏み外して―――
ドテンッ!!
「あ……」
あたいの目の前で、思いっきり頭から落っこちた。
「ぁゃ……あやぁぁ……」
「あーもうッ!」
仰向けになったまま、じわり、って涙を浮かべるあややを見て、本気で呆れた。
リグルも結構ドジだけど、あややはその百倍くらいドジだった!
「あややはドジなんだから大人しくしてろ!」
「あーやー……」
「まったくもう……怪我したらどーするんだ」
やれやれ、って思いながら、抱き起したあややを後ろから動けないようにギュって捕獲した。
身動きとれなくなったはずなのに、打った頭が痛いのか静かに短い手で頭を抑えて大人しくしてるのを見て、まったく、って溜息を吐いた。
本当ならこんなドジな奴放っておいてもいいんだけど……
「でも、あたいの方がおねーさんだしな」
「ぁ、や……?」
「ほら、痛いの痛いのとんでけー」
涙目で振り向いて見上げてくる頭をなるべく優しくワシワシ撫でてやった。
あややの髪はサラサラで、まるで糸みたいにふわふわもしてた。
「あやぁ……あややや」
「ふん、感謝することね!」
膝の中で大人しく丸まったあややは気持ちよさそうに目を閉じた。
あたいが撫でてあげてるんだから当然よね!って思ってたら
くいくいっ
「ん? どうした、あやや?」
「あやっ! あややっ!」
袖が引かれて、あややが必死に机の上を指差してる。
あそこには、文の仕事で必要なもの以外何もないはずだけど……
「なんだ? 机の上を見たいのか?」
「あやっ!」
そうだ!って言わんばかりに、こくりって勢い良く頷いた。
さっきまで泣きそうだったのに、なんて現金なやつだ。
「何もないと思うけど……しょうがないな、あややは」
「あやややっ」
「まったく、あたいが優しいことに感謝することね! んー……でも、どうしようかな」
「あや?」
やれやれ、って思ったけど、あややが何かあるっていうならきっとあるんだろう。
でも……って思って椅子を机を見上げてみる。
流石にあややを机が見えるところまで持ち上げ続けるのは無理そうだ……
うーん、って声に出して唸っていると不思議そうに腕の中からあややが見上げてきてるのに気付いて、やれやれって思った。
「まったく、あややの為にあたいは今考えてるんだぞ?」
「あやや?」
「分かってるのかー? もう……あ、そうだ」
「あや?」
ぴんっ、て閃いた。
がしっ、てあややの脇を掴んで―――
「せーのッ!」
「あやっ?!」
とりあえず、そのままあややを椅子の上までブンッ!って勢い良く投げるみたいに持ち上げた。
あややの体はそのままヒョイッて椅子を飛び越しそうになったけど、そこはちゃんと服を掴んでたから大丈夫。
少し宙に浮いた気がしたけど、気のせいだ、うん。
「あ、ゃー……」
とすん、って。
無事に椅子の上に着地したあややが真っ黒な目を見開いて、ぼーぜんとしてて、それが何だか可笑しくなってケラケラ笑ってやった。
「あはは! あやや変な顔ッ!」
「あ、あややや! あややっ!」
笑ってやったら、何が不満だったのかあややが涙目でいきなりぺちぺちと叩いてきた。
ひょっとして恐かったかな?
けど、そんなことより―――
「ほら、椅子の上だぞ?」
そう、何でか知らないけど見たかった机も椅子に立てば見えるはずだ。
机の上には文がいつも持ってるメモ張―――取材の内容なんかを、全部メモしてるやつだ。それにペンに紙を切るためのナイフ、そして新聞を作るのに使っている紙切れだったりがいっぱい散らばっている。
「あ、ぁやや……あやっ!」
「え……? あ、こらっ!」
ガバッ!て。
いきなり机に向き直ってメモ帳に手を伸ばそうとしてるのに気付いて、慌ててあややの体を抑えた。
「あ、あやぁ?!」
「駄目だぞ! 文は新聞作る机を弄られるの、凄い嫌がるんだから」
何するんだって言いたそうなあややに、むっ、て恐い顔で叱っておいた。
前に一度。
遊びに来た時に文が新聞を作ってる時があった。
「あたいも、すっごい怒られたんだから……」
今でも覚えてる。
別に、ぐちゃぐちゃにしてやろうとか思った訳じゃ無かった。
ただ、いつも文が大事にしてるメモ帳が気になったってだけだったんだ。
けど、文は「チルノさんッ!?」って結構きつい声であたいの名前を呼んだ。
普段は、人の事を小馬鹿にしたみたいに話してくるけど、そういう声を出されたのは初めてで。
その声に、あたいは思わずビクッて体が震えた。
多分、文も本当はそんな声を出すつもりじゃなかったんだと思う。
その後、やっちゃった、みたいな顔をしてたから。
「……」
「……あやや?」
腕の中で動けなくなってるあややの心配そうな声。
それでも、その時の事を思い出すと腹が立ってきて、むっ、とした表情で机の上にあるメモ帳を思いっきり睨み付けた。
「何も、あんあに怒んなくたっていいじゃん……」
せっかく、あたいが遊びに来てるのに文ったらずっとあたいの事を無視して新聞を作ってたんだ。
ずっと机に向き合って、あたいに背中を向けたまま……
「一緒に、遊びたかっただけなのに……」
いつも新聞を作ってて、ネタを探してて。
あたいの事を新聞にしてくれたりもしたけど文はあたいよりも新聞の方がずっと好きなんだ。
ぐっ、て。
きっと、文はあたいと遊ばなくたって何だってないんだって思ったら、悔しくて、唇を噛み締めてたら
「あやゃ……」
「……ん?」
くいくいッ、て袖が引かれて何だろ?と思ったら、あややが眉をハの字にしてた。
何となくだけど、申し訳なさそう?な感じだったから、きっとあたいが言いたい事が分かったんだと思う。
だから、よしよしっ、てジッと見詰めてきてる頭をわしゃわしゃ撫でてやった。
「そうだぞ、あやや! 悪戯したら駄目だ!」
「あややぁ?!」
頭がぐしゃぐしゃになって、あややは慌ててそれを直そうとしてか手を伸ばして
「あ……」
ぐしゃぐしゃになった髪の毛を袖から出きっていない手で触ってるあややは、すっごい不便そうだった。
「……あやや。 お前、その服じゃ不便じゃないのか?」
「あや? あやや……」
つむじに向かって声を掛けると、だぼだぼの袖を交互に見ている。
やっぱり、手が出てないと不便だろうし、あややはドジだからさっきみたいにコケるかもしれない。
だから―――
「よし、あややに合いそうな服が無いか文の服を漁ってみよッ!」
「あやぁ?!」
そうだ、それがいい!
我ながらナイスアイディアって思った!
何でかあややは顔を真っ青にして叫んでるけど。
「あやぁ!? あややぁぁ?!!」
「って、どうしたんだ、あやや?」
ジタジタと再び暴れ出したあややをまた抱きかかえて、あたいは何だろう?って首を傾げた。
まるで、いやいやするみたいに両手足をバタバタさせてるんだから、きっと何か気に食わないことがあるんだろうけど―――
「なんだ、着替えたくないのか?」
「あやっ!!」
コクコクコクッ!って何度も頷くあややを見て、むぅって、ちょっと強めに睨み付けた。
「あややは馬鹿だな」
「あやぁ?!」
「服のサイズが合ってないから、さっきからいっぱい転んでるんだぞ、お前?」
「あ、あやぁ……」
抱えたまま引きずりおろす。
持ち上げるよりも、こっちのほうがずっと簡単だ。
とりあえず情けない声を出す腕の中のあややは放っておいて、リビングの端っこにある箪笥まで移動する。
あややが軽くないってのもあるけど、それよりもただただ歩きにくい。
人里で、よく赤ちゃんを軽々持って歩いてる人間がいるけど、あれって何気に凄いことなのかな?
「だけど、あややに合う服あるのかな……」
「あやっ! あやっ!」
両方に開く箪笥を目の前に、うーん、とあたいは首を捻った。
あややも、ある訳ない!っていうみたいに何度も首を振ってる。
文が小っちゃかった頃なんて大昔だろうし、そんな小さな服は無いかもしれないけど……。
「ま、いっか! 探索探索!」
「あやややややっ?!!」
探したら案外あるかもしれないし!
そう思って両開きの取っ手に手を掛けたら、バンッ!って音がして
「あれ?」
開かない。
あたいは今片手で取っ手を握ってて、ぐいぐい何度も引いてみても無理だった。
何だろう?って下を見たら
「………」
「………ッ」
あややが腕から乗り出すみたいに一生懸命手を伸ばして、扉が開かないように押していた。
「あーやーやー……?」
「あやっ! あややややっ!!」
無理な格好でプルプルしてるあややが、顔を真っ赤にさせてブンブンと首を振ってる。
何が嫌なのか分からないけど、あややが怪我をしない為なのに……
「まったく、わがままな奴だな、あややは! ほら、諦めろーッ!?」
「あやややややッ?!」
伸びてた腕をグイッ!てバンザイさせれば、もう邪魔は出来なくなった。
あややは腕の中で顔を赤くしたり青くしたりしてる。
ひょっとして、嫌な物でも中にあるのかな……?
「ま、いいや! あーけよ!」
「あやーっ?!」
ガチャッ。
あややの叫び声と一緒に扉を開くと、やっぱり、文は綺麗好きなんだなって思った。
箪笥の中には服がいっぱいあるけど、全部きちんと並んでた。
きっと、新聞記者なんてやってるから色々と服とか必要なんだろーな……。
でも、今はそんな事よりも―――
「あややの服だな!」
「あやぁ……あやぁッ?!」
相変わらず腕の中でいやいやするみたいに暴れてるけど、もう無視だ。
とりあえず、掛かっている服は全部文が普段着てるものみたいだから、探すなら下で畳まれてる服かな?
「何があっるかなー?」
「あやーッ?!!」
暴れるあややを小脇に抱えながら、畳まれてる服を一枚、二枚ってどんどん捲ってくと―――
「ん? これ、ちっちゃめだよね?」
「あぁぁぁぁやぁぁぁぁぁぁ……」
一番下にあった、赤い服が他のと比べて小さめだった。
あややがまるでこの世の終わりみたいな鳴き声を上げてるけど、ズルッ、てそれを引っ張り出して確認してみる。
それは、赤いワンピースみたいな服で、生地は結構厚いみたいだった。
襟とか袖とかの部分は白くてもふもふしてて、ぼんぼんみたいなのが二つ、顎のしたあたりの場所にくっ付いてる。
何の服なんだろ?
「んー……文は小っちゃい頃こんなの着てたのかな?」
でも、いうほどそれは古くなさそうだった。
良くわからなくて、とりあえず悩んでみたけど分からない。
っていうか―――
「これ、あたいくらいの大きさ?」
広げて見てみると、何となくだけどあたいにピッタリくらいの大きさだった。
あややは、あたいよりも小さいからこれでも大きいけど、今着てるだっぼだぼのシャツよりかはずっと良いはずだ。
「ぁー……ゃー……」
「ん?」
元気の無い声に目を向けてみると、ぐろっきー?みたいな状態になってて小さく呻くみたいに鳴いてる。
「あやや、どうした?」
「あやぁあ……あやややや……」
声をかけてみたら、小さくプルプルしながら頭を抱えちゃってた。
とにかく、酷く落ち込んでるみたいだったけど、言葉が分からないから良くわからない……。
「あややが言葉を話せればいいのになー……」
「あやややぁ……」
「ま、そんなことより着替えるぞ、あやや」
手に持っていた服を一旦床に置いておいて、バタンッ!って音を立てて箪笥を閉めた。
そして、抱えていたあややも床にゆっくりと下ろして
「ほら、バンザイしろ、あやや」
「ぁやぁー……」
何かを観念したのか、床に座り込んで泣きそうになってるあややが大人しくバンザイをする。
短い腕を真上に伸ばすと、余った袖がデロンってなって床に着くくらいだ。
「だけど、何でこんなサイズの合わない服着てるんだろうな、あややは……っと!」
「あやぁー……あゃッ」
一番上のボタンだけ外して、そのまま上にシャツを引っ張るとスポンッ!って勢いよく引き抜けた。
ダボダボの服が無くなると、やっぱりあややは凄い小っちゃいんだって分かる。
あたいの半分―――は言い過ぎかもだけど、それくらい小さい。
普段一緒に遊ぶリグルや大ちゃんはあたいと同じくらいか、それよりもちょっと大きい。
他のいっぱいいる妖精は別だって考えれば、あたいよりもずっと小さい奴っていうのは大分新鮮だった。
「あゅ……あゃゃ……」
「……っと、ごめんあやや! ほら、もいっかいバンザイだ」
「あゃ……」
だから、そうやってかんがいにあたいが耽ってると、あややがフルフル震えているのに気付いた。
流石に裸だと寒いみたいだから、慌ててさっきの赤い服を取ってグイッて頭から被せる。
ちょっと苦しかったみたいで呻くみたいな声がしたけど、黒髪の頭が白いもふもふの襟から出た。
やっぱりちょっと大きめだったけど、さっきのだぼだぼシャツよりずっとまともだ。
「ほら、こっちの方が動きやすいだろ?」
「あやややー……」
「まったく、あややは一体何がそんなに不満なんだ?」
白いもふもふに顎を載せながら、ふてくされたみたいにどんよりしてる姿に、あたいはやれやれって腕を組んだ。
さっきのままじゃ、動くだけで何度だってこけちゃうだろう。
きっと、あややは自分がどれだけドジなのか分かってないんだ。
「……しょうがない」
「あや……?」
どうしたの?って聞くみたいに、あややが首を傾けた。
そんな、のーてんきな姿に、あたいはふふん!って胸を張って
「文が帰ってくるまで、あたいがあややの面倒を見てやろう!」
「あやっ?!」
まるで、信じられない!みたいにポカンって目を丸めるあややに向かって、ビシッて指差して言ってやった。
「あたいの方がおねーさんだからな!」
「暇だなー……」
「あやー……」
ベッドに座って、あややを膝の上で抱きかかえたまま、ぼんやり呟いた。
ここに来たとき太陽は真上くらいにあったけど、もう大分傾いてきてる。
窓から差し込んでくる光が背中に当たるようになったけど、それでも文が帰ってくる気配すらない。
「あゃー……」
腕の中でコックリコックリしてるあややは、体温がちょっと高いみたいで、乗っかってる膝が結構熱い。
でも、あややは放っておくとあっちへ行こうとしたり、こっちへ行こうとするあげく、三歩あるけばそのままコケたりと落ち着きがまったくないんだ。
だから、こうやってずっと抱きかかえることにした。
「まったく……文は何をしてるんだ……」
あややは放っておくし、あたいの記事は書かないし!
まったくもって、酷い奴だって思ってたら……
くゅ~……
「ん?」
「あやっ?!」
何か、ちっちゃい動物の鳴き声みたいな音がしたと思ったら、それまで眠そうにしてたあややがガバッ!っていきなり顔を上げた。
「どうした、あやや?」
「あや……あややッ!」
顔を真っ赤にさせて、あやあや言いながら凄く慌ててるみたいだった。
何だろう?って首を傾けてると、また
くきゅ~……
「あゅ」
さっきよりも大きな音がしたと思ったら、あややがお腹に手を当てて、泣きそうになりながら俯いてしまった。
「―――あ、そうか」
その姿を見て、あたいはポンって手を叩いた。
あたいなんかの妖精は基本的に食べなくても問題ないけど、あややは違う。
「あやや、お腹空いたのか?」
「あゅぅ……」
「別に恥ずかしがる事ないんだぞ? あややは子供なんだからな?」
小さくコックリ頷くあやや。
零れ落ちそうなくらい目に涙が溜まってて、大丈夫だよって、頭をわしわし撫でた。
「んー……台所に何かあるかな?」
さっき見た感じだと、テーブルの上にあった変なクスリ以外は見当たらなかったけど―――
「あややや」
「あ、こら!」
顎に手を当てながら考えてたら、あややがピョンって勢いつけて膝から飛び降りた。
また歩き回ってこけたら大変だ!って思ったけど、あややは床に立ったままジッとこっちを見詰めてる。
「どうしたんだ、あやや?」
「あやっ」
何がしたいんだろう?って思ってたら、こっちだ、と言わんばかりに手をぐいぐい引っ張られた。
ズルズル引き摺られて立つと、あややは迷うことなく台所へと歩いていって―――
「あややっ!」
ビッ!て小さな指で食器棚の上を指差した。
「なんだ? あそこに何かあるのか?」
「あややっ!」
コクコクと頷く。
改めて見上げてみると、さっきの箪笥みたいに引くと開く扉みたいだった。
「じゃあ、あたいが見てくるから。 あややはちょっと待ってるんだぞ?」
繋いだ手を離して、ジッと見上げてくるあややの頭をポンポンと叩いてから、フワリって飛び上がる。
あんまり使われてないのか分からないけど、その扉は結構かたくて、両手で取っ手を握って、ふぬーっ!て思いっきり引っ張らなきゃ駄目で
―――バタン!!
「って、うわわ?!」
「あやぁ?!」
ようやく扉が開くと、込めていた力のままあたいも体勢を崩して空中で一回転。
ぐるん、って勢いよく回る世界で一瞬見えたあややが目を丸めてて、何となく可笑しかった。
「あややぁ?!」
「んー? 大丈夫だぞ、あやや?」
心配そうな声に、大丈夫大丈夫って手を振った。
ようやく開いた扉の中を覗き込んでみると―――
「お! おせんべいだっ」
茶色い、丸いお菓子。
木で出来たお椀?に五枚乗ってて、驚いた。
ひょっとして、あややは鼻がいいのかな?
「ほら、あやや、持ってきたぞー」
「あやー」
ゆっくりと降りて、両手で持っていたお椀をテーブルの上に置くと、あややが嬉しそうに鳴いた。
そんなにお腹空いてたんだなって思いながら、あややを抱きかかえて、よいしょっ、て声を出して台所のちょっと高い椅子に座った。
「あやややー」
テーブルの上には、来たときにあったクスリの入った瓶とコップとおせんべい。
そういえば、文も良くおせんべい好きで食べてたなーって、ぼんやり思い出してたら、あややが体を乗り出しておせんべいを一枚、もう手に取ってた。
「あーやっ」
がりっ!!
「……がりっ?」
氷をかみ砕く時みたいな音がして、なんだろ?って音がした方に顔を向けると、あややがおせんべいに噛み付いたままプルプル震えている。
「あやや? どーした?」
「あやぁ……あやゃゃ……」
はぐって噛み付いていたおせんべいが口から出されると、小さな歯型がついている以外はビクともしてない。
だから、きっと、これは―――
「硬すぎて、食べられないのか?」
「あやや……」
とっても残念そうに、小さくコックリ頷くあややを見て、やれやれって苦笑した。
恨めしそうな表情に、はい、って手を差し出す。
「ほら、貸してみろ」
「あや」
素直に茶色いおせんべいを手渡され、せーのっ、でそれを両手で割ろうと力を込めて
「ふぬぅーっ!!」
「……」
―――割れない。
なんだこのせんべい、ビクともしない。
「あやや……」
「ち、違うぞ、あやや!! ちょっとこれはあたいが手加減してやっただけなんだからな?!」
とっても残念そうな声に、物凄く焦った。
最強のあたいが!
こんなせんべい如きに負ける訳にはいかないんだ!
「見てろよーっ!!」
手に持った茶色い円盤を改めてキッ!と睨み付けた。
良く聞け、せんべい! お前はたった今からあたいのライバルだッ!!
「はぬっ!!」
「あやっ?!」
ガジッとせんべいに噛み付いて思いっきり顎に力を込めて
「ぬにーッ!!」
バキィィッ!!
結構、良い音がした。
歯が、折れるかと、思った。
「ほ、ほら……見ろ、あやや。 あたいはさいきょーだろ……?」
「あ、あやや、あやや……」
ポロって。
歯で噛んで、綺麗に割れて小さくなったせんべいの欠片を手のひらに落として、はいっ、て渡しながら顎をぐにぐに撫でた。
文は、いつもこんな固いせんべいを食べてるのかな……?
「あやゃー……」
小さくなったせんべいを、あややはリスみたいにガジガジ前歯で削りながら食べてる。
何だか、その姿がけなげ?で中々可愛かった。
「あややは可愛いなー」
「あや?」
よしよし、って頑張ってせんべいを齧ってるあややの頭を撫でながら、ふと、あたいは不安になった。
今は素直なあややも、もし見た目と同じように文みたいに育ったら、って思ったら……
「……駄目だ」
「あややー?」
「いいかー? あややは文みたいな大人になっちゃダメだぞ?」
「あやっ?! あやややや?!」
何でかすっごいビックリしてる。
それまで夢中だったせんべいから口を離して、くるん、って膝の上で向き合うみたいになったあややが首を傾けた。
だから、いいかー?ってあたいは顔を顰めて、文がどんだけ酷い奴か教えてやることにした。
「あややは分からないだろうけど、あいつは酷いんだぞ?」
「あやや?」
「あたいの駄目なとこ記事にして、あたいの事からかって」
「あややや! あやややややっ!」
何故か首をブンブン振ってるあややに、それだけじゃないぞ?って指を立てて
「あいつ、色んな奴の事も変な記事にしてるから、結構うざがられてるし」
「あやぁーっ?!」
ガーン、って感じで顔が真っ青になったあややに、おや?ってあたいは首を捻った。
「何かあったのか、あやや?」
「あやややゃゃぁ……」
「……あややは良く分からないな、ときどき。 まぁ、それにだ! 文が駄目なとこはもっとあるんだぞ?」
「あやぁ……」
がっくし、って肩を落としてるあややに、それにな?って声を小さくして
「あたいは文の事好きなのに、文はそうじゃないんだ、きっと」
「……あ、や?」
遊びに来たって、文はいつだって変わらない。
仕事で忙しい時は、遊んでもくれない。
「あいつは、あたいの事なんて新聞のネタくらいにしか考えてない奴だからなー」
やれやれ、ってため息を吐いた。
まったくもって、文は鈍感だと思う。
だけど腕の中のあややが、ポカンって口を開けて見詰めてきてて、それが何となく可笑しくてあたいはクスクス笑ってた。
「だからな? あたいは、すわこを凍らせてみたり、今日みたいに大蝦蟇と戦ったりして文の気をひこーと頑張ってるんだぞ?」
「あ、やぁあ……?」
分かるかー?ってあややをぷらぷらって揺らしながら呟いた。
「あややは、あんなとーへんぼくみたいになっちゃダメだぞ?」
「あゃゃ……あぁゅ……」
顔を真っ赤にさせたあややが、こくこくって何度も頷いた。
あんまりに赤いから風邪かな?って思って、ぺとって頭に手を当ててみたけど、さっきと大して変わってなくて、ん?ってあたいは首を捻った。
「あややは変な奴だな」
あはは、ってあたいは笑いながら、真っ赤になったままモジモジしてる頭をわしわし撫でた。
きっと、あたい一人だったら、またイライラしちゃってただけだと思う。
だから、こうして笑って話せてるのも、あややのお蔭なんだって思った。
「ありがとな、あやや?」
「あゅ……?」
「こどもは、わかんなくていーの!」
首をコテンってさせたあややを見てたら何となく恥ずかしくなって。
だから、そんなことより!って大きな声を出して
「あややもうお腹いっぱいになったのか?」
何でかあたいの言葉に難しい顔になったりしてたけど、ぽんぽんってお腹を叩いてやると、あややも自分のお腹をすりすりと撫でて
「あやッ!」
「そっか、足りたか」
満足そうに頷いたから、あたいも安心して笑顔になった。
一応、足りなかった時のたいおうさく、ってやつはあったんだけど―――
「足りなかったら氷なら作れるからな!」
「あややッ?!!」
思いっきりブンブン!って首を横に振られた。
おいしいのに……。
カチッ―――
壁にあるスイッチを押すと、すぐに天井から釣り下がっている電球が光って、部屋が明るくなった。
太陽はすっかり沈んじゃって、でもやっぱり文は帰ってこない。
なんとなく窓に顔を向けるとすっかり空は黒くなってて、窓にあたいの顔が映ってる。
「……何かあったのかな、文……」
もしかしたら大変な事になってたりするのかもしれない。
文は強い天狗だし、本当は何でもないかもしれないけど……
「どうしちゃったんだろ……」
心配―――だな。
「あややぁ……」
そうやって呟いてたら、ベッドに乗って窓の縁に手をかけていたあややがクルリって振り向くとピョンって勢いをつけてベッドから飛び降りて寄ってきて―――
「お?」
「あやッ! あややや、あややゃ?」
ギュッて。
大丈夫だよって言うみたいに抱きついたと思ったら、コクコクって何度も頷いた。
「……そうだな、心配いらないよな! 文だし!」
「あやっ!」
元気いっぱいに鳴くあややを、よしよしって撫でた。
そうだ。
文は失礼な奴だけど、そんなドジはしない。
こういうのを、きゆう、っていうんだな。
「あややあやや」
「ん?」
心配いらないんだ、って思ってたら袖をぐいぐい引かれた。
「どうした?」
「あやーっ」
今度は何だろ?って思いながら、あややに手を引かれるままにリビングを出て、玄関にまっすぐ続く短い廊下の左側。
確か、そこは―――
「あやややっ!」
ガラガラって音を立てて開かれた向こう側は、お風呂だ。
脱衣所には綺麗に畳まれたタオルだけが置いてあって、もう一枚ある扉の先には浴槽と台所にあるのと同じような蛇口が飛び出てるのが見える。
文はお風呂が大好きで、毎日二回くらい入ってるらしい。
少なくても一日一回、入らないと気持ち悪いみたいだ。
だから、温泉にも行くけど綺麗好きだからこうして家でお湯が出るようにしたらしくて、文はいつも石鹸の香りがしてたりする。
そんなお風呂場を、あややは指差しながらそわそわしてる。
ひょっとして―――
「あややはお風呂に入りたいのか……?」
「あやッ!」
そうだ!っていうみたいに力強く頷かれた。
だけど、えー……って小さく声に出しながら顔を顰める。
だって―――
「あたい、熱いの嫌だからダメだ」
あたいは氷の妖精だ。
熱いのなんて、大蝦蟇以上の敵だ。
「あややッ! あややややッ!!」
なのに、ごねるみたいにあややが首を振っていて、むぅ……って唸った。
「一人で入れるのか? あやや」
「あやッ!」
任せろ!って感じで胸を叩いてるけど、さっきからのドジっぷりを見てるととっても不安だ。
だから、やっぱり我慢しろって言おうとしたら―――
「あやっ」
「え? あ、こ、こらっ!」
すたすた、って。
あややは素早く風呂場に入ってくと、よじよじって浴槽の縁に上って、キュッキュッ、という音を立てながら蛇口を捻って―――
ジャアァァ―――
「あやっ!」
「……無駄に動きがいいな、あやや」
あたいが何もしないで見守ってるうちに、あっという間に浴槽にお湯を貯め始めた。
縁に乗ったまま、どうだっ!って胸を張ってるあややの後ろから、モクモクって熱そうな湯気が出てる。
「でもなー……あたいは一緒に入れないから、何かあったら助けられないんだぞ?」
「あやややっ!!」
困ったなー、と思って腕を組んだ。
あややは、大丈夫だっていうみたいに腕をブンブン振り回してるけど
「あ、や……」
「え?」
グラッ、て。
あややの体がゆっくり傾いて―――
バシャンッ!!!
「あややっ!!?」
「ぁ、あやぁあっ!!?」
バシャバシャ―――!!
浴槽の中に消えたあややの苦しそうな声と、暴れるみたいな激しい水音。
とにかくあたいは焦って、慌ててお風呂場に駆け込んで浴槽を覗き込むと
「ぁ、やぁ……ッ!?」
もう浴槽にはお湯が大分溜まってて、あたいの手のひらから肘までくらいはありそうで
「あややッ?!」
そんな、いっぱいのお湯の中で、あややが溺れてた。
体を起こそうとしても上手くいかないみたいで、伸ばした手がお湯をバシャバシャって打ってる。
あたいは、咄嗟に手を出して
「―――ッ」
ちょっとだけ、ためらって、バシャン!ってお湯の中に手を突っ込んだ。
痛い―――
お湯が、腕にまとわりつくみたい痛かったけど、ぐっ!て歯を噛み締めて暴れてるあややの体を掴んで―――
「ッあやや!」
「―――ッ」
バシャ!ってお湯からあややを引き上げて、しっかりと抱きしめた。
ゲホッゲホッ!って咳をしてるあややの背中をトントントン!って叩く。
あややの服はお湯でビショビショで、あたいの服にもじわじわ染み込んでくるけど、今離したらあややがどっかいっちゃいそうで。
もしかしたら死んじゃうかもしれない―――
「ッ!」
あややは―――妖精じゃない。
だから、一回休みじゃないんだ。
そう思ったらとにかく怖くて。
ギュッて抱きしめてお風呂場に座り込んで、とにかく背中をただ何度も何度もただひたすら何も考えないでさすった。
「ぁ、や……」
しばらくしたら、ゲホゲホするのも収まった。
「大丈夫か? あやや……」
「あや……」
凄く疲れたみたいで、ちょっと顔色が悪かったけど、それでも大丈夫っていうみたいに頷くあややを見て、あたいは本当にホッとして
「―――だからダメって言ったろ!」
気付いたら、あたいは前に文にされたみたいに思わずきつい声であややを叱ってた。
でも―――
「ゅ……」
「あ……」
怖がるみたいに、小っちゃい体を更に小っちゃくするみたいになったあややを見て、やっちゃった……って思った。
しょんぼりして、何も話さなくなっちゃったあやや。
本当は、そんな怖い声を出したいんじゃなくて、ただ危ないって事を教えたくて……それに、あややが無事だって喜びたかっただけなのに……
「……」
「……」
気まずくて、お互いに黙り込んだ。
あややは、落ち着きなさげに視線をあっちこっちにやってる。
どうしよう……ってあたいが考えてると
「ぁ、や……」
「……え?」
あややが、小さく声を出して、おずおずっていう感じに腕に触ってきた。
さっき、お湯に手を突っ込んで所為で、火傷ってほどじゃないけど真っ赤になってて、小さな手が、それを撫でるみたいに動いてる。
ひょっとして―――
「心配してくれてるのか?」
「あや……」
コクンって。
一つ頷きながら、申し訳なさそうに見上げてくるあややを見て、やれやれって苦笑した。
「あたいの方がもっと心配したんだぞ?」
「あやゃ……」
「……とにかく、あややが無事でよかった」
ギュッ!って。
泣きそうなあややを、もう一回強く抱きしめた。
とりあえずビショビショになっちゃった服を脱がせて、最初に来てたシャツを被せた。
今は、ベッドの上に一緒に座りながら、タオルでゴシゴシ頭を拭いてる。
「動いちゃダメだぞー?」
「あやー」
あややは、膝の中で大人しくあたいに髪を拭かれている。
そろそろかな?って思ってタオルを外して髪をポンポン触ってみると、大体乾いたみたいだった。
「これでよし、っと」
持ってたタオルを、適当に投げ出して、はぁ―――ってため息を吐いて天井にぶら下がってる電球をボンヤリ見上げてみた。
何だか凄い疲れたし、何よりも―――
「ふぁ……」
心配いらないんだって思ったら、なんだか眠くなってきた。
思いっきり口を開けて空気を吸い込みながら、ちょっと涙が出た目をゴシゴシ擦った。
あたいの家は、文の家みたいに夜を明るくすることも出来ないから、いつも暗くなればすぐ寝てる。
だから、今日は大分夜更かししてる事になるんだ。
「あゃ……」
腕の中のあややも、くぁ、って小さくあくびをしてる。
きっと、疲れたんだろうなって思ったから、眠そうにしてるあやや頭をぽんぽんって優しく撫でた。
「そろそろ寝るか、あやや」
「あやや」
コクン、って。
素直に頷くあややを見て、よしって声をかけて、ベッドに寝かせようとしたら―――
クシュ――!!
「お?」
あややがくしゃみをして、軽く体を震わせた。
ちょっとだけ、ぷるぷるしてる姿を見て、ひょっとして、って思った。
あたいの冷気が寒すぎるのかもしれない―――
「ちょっと待ってろ、あやや」
「あや……?」
このままじゃ、ゆざめってやつであややが風邪を引くかもしれない。
コテン、って首を倒したあややをベッドに置いて、箪笥に近づいて開ける。
確か、あの時―――
「っと、あった!」
ちょっと厚手の生地を使ってる上着。
確か、ぱーかーって言うそれはあたいが着るとダボダボでワンピースみたくなるけど……
「これでよしっ!」
「あや?」
羽織って、ちゃんと前を閉めて。
分かってない様子のあややに、ふふふって笑いながら近づくと
「そらっ!!」
「あやっ?!」
ギュッて。
驚いてるあややを抱きしめた。
「どうだ?」
「あやや?」
「これでもう寒くないだろ?」
「あ……や」
ポカンってしてる様子がおかしくって、クスクス笑いながらベッドの布団を捲る。
あややを布団の中に押し込んで、枕元にある電球のスイッチをパチン!って音を立てて消して、勢いをつけてベッドに飛び込んだ。
「さ、寝るぞーあやや?」
捲った布団を掛けなおしてから、大人しくしてるあややをギュッと抱き寄せた。
あややの体はちっちゃくて、柔らかくて、あったかい。
あたいはといえば、普段はしない厚着をしててとっても暑いけど―――
「おねーさんだもん……お?」
我慢だ我慢、ってコクコク頷いてると、腕の中のあややがジッと見詰めてきている。
頬っぺたを赤くしながら、何かを迷ってるみたいだった。
何となくだけど、あややが何を思ってるのか、何をしたいのかってことは今日一緒にいて分かってきた。
けど今のあややが何をしたいのか、さっぱり分からなくて、困ったな、って寝ながら首を傾げてみた。
「あやや……?」
「あやや。 あややややや」
小さく、やっぱりあたいには分からない言葉を言ったあややは、顔を真っ赤にさせたままズイってあたいに近寄って―――
「―――ッ」
「……? あやや?」
片側の頬っぺたが、熱くなった。
ポカンって。
凄く近くで思いっきり目を瞑ってふるふるしてる横顔を見てみたら、文みたいにまつ毛が長いなーって思った。
「~~~ッ! あやッ!」
「ん? もういいのか?」
近かった顔が離れると、どうだ!って言うみたいにあややが顔を真っ赤にさせたまま胸を張った。
多分今のはキスなんだろうけど、もしかしてお礼のつもりだったのかな……?
結局、何がしたかったのか良くわからなかったけど、あややが満足ならそれでいいかなって思ってそう言ったら、うー……って小さく唸り声を上げて
「あやッ!!」
「わ、あやや?」
ぎゅうっ、て。
腕の中に潜り込んだと思ったら、思いっきり抱きしめられた。
「あやや……?」
「~~~ッ!!」
小さく名前を呼んでみたけど、そうしたら余計にギュッてされて。
恥ずかしいのか良く分かんなかったけど……何よりも眠かったし、まぁいいやって思った。
「ほら、もう寝るぞ?」
さっきよりもずっと優しく。
背中をポンポンって叩きながら、あたいはゆっくり目を閉じた。
「あややぁ……」
すぐ近くから聞こえたあややの声が、何となくだけど「おやすみ」って言ってる気がして
「お休み、あやや」
あややにちゃんとしたもの食べさせてあげたいし、明日は文が戻ってくるといいな―――って。
霞んでいく頭でそんな事を思いながら
「―――」
ぷっつり、と。
あたいは、何も分からなくなった。
「……んっ」
鳥の鳴き声が小さく聞こえる。
少しだけ目を開けると、太陽の光がまぶしくて、思わずまたギュッて瞼を閉じた。
昨日は随分遅くまで起きてて、まだ眠かったし、もう少し寝ようって自分の体を抱きしめるみたいに丸まって―――
「……ぇ」
昨日、寝る時までずっと抱きしめてたあややが居ない。
その事に気付いたら、眠気なんてどっかいっちゃって、掛け布団をはねのけるみたいにして飛び起きた。
「あややッ?!」
起き上がりながらガバッて布団を捲ってみたけど、居ない。
慌ててあっちこっちを見渡してみても居なくて、他の部屋を探そうとベッドから飛び降りようとして
グイッ―――
「あ―――」
前に進もうとしていたのを、無理やり下に向けられた感じ。
さっきまで玄関の方を向いてたのに、今あたいの目の前には床がある。
ぱーかーの裾を踏んだんだ―――
そうだと分かったら、なーんだって思った。
別に特別なことじゃない。
前も、ちょっと大ちゃんとの鬼ごっこに気を取られて木に思いっきりぶつかった事もあったから。
だけど段々と近付いてくる床を見て、痛そうだな……って思って、目をギュッて閉じたら―――
パシッ
「ったく、チルノさんはドジですねー」
「―――ぇ」
痛い思いはしなくて。
いきなり声をかけられて驚いて、そっちに顔を向けると―――
「文ッ?!」
「はい、清く正しい射命丸ですよ?」
いつものようなふてきな笑みを浮かべた、文が居た。
どうやら、あたいが落ちるのを受け止めてくれたみたいで、文の両手にしっかり捕まってる状態だ。
昨日から探してた文がようやく見つかったのは良かったけど―――
「そんな事より文! あやや知らない?!」
慌てて聞くと、文が一瞬、顔を歪めて―――
「ああ―――あの子なら今朝早く親元に帰りましたよ?」
「えっ?! 帰った?!」
「ええ。 あの子の両親がちょっと忙しくて一日だけ預かる予定だったので」
ぼう然と、文の言葉を聞いてた。
あややが帰った―――?
それは、もう、ここには居ないって事だ。
「あやや……」
ちゃんと、さよならもしないで帰るなんて……
「失礼な、奴だ……まったく」
あたいに何も言わないで帰ったのが不満だった。
それに、それ以上にもう行っちゃったのが、寂しくて……
「―――ッ」
眼から何か溢れ出しちゃいそうで、ギリッて思いっきり唇を噛み締めた。
「……ねぇ、チルノさん。 あの子から伝言です」
「……え?」
必死に目をギュッて閉じてたら文にそう言われて。
抱きかかえられたままだから、首を捻って見上げたら、文が少し赤い顔で笑みを浮かべていた。
「一緒にいてくれて、助けてくれてありがとう。 また遊んでね、大好きよ―――」
「……え」
「―――だ、そうです」
ふいって。
そう言って、文はすぐに視線を逸らして窓の外を見始めた。
「……ねぇ、文」
「……何ですか、チルノさん?」
文のちょっと赤い顔をジッと見詰める。
まさか、とは思うけどひょっとして―――
「……文は、あややの言葉分かるの?!」
「うぉい」
何でか分からないけど、文がいきなりガックシって肩を落とした。
「? どうしたんだ、文」
「いえ、そういえばチルノさんって、そういう期待を裏切らない人だったな―――って思ってたところです……」
「なんのこと……? それより、あややは、あやあやしか喋れないんだぞ?! 文はあややの言葉、分かるの?」
物凄く落ち込んでるみたいだし、何かあったのかな?って気になったけど、今それ以上にあたいが気になってるのはあややの事だ。
そうしたら、ええ―――って、それまでのガックシを隠した文が顔を上げて
「私は何だって知ってますからね? あの子が何を言っているのか、ちゃんと分かりますよ?」
「そうなんだ……」
「ええ―――ですから、さっき伝えたのは、紛れもなくあの子の想いです」
「そっか……」
それを聞いて、思わず笑った。
ちゃんと、ばいばい出来なかったけど、あややはあたいの事を覚えてくれたみたいだったから―――
「ん? そういえば文は昨日何処に行ってたんだ? ほごしゃしっかく、だぞ!」
そうだ、文はあややを預かったのにどっかに行ってたんだ。
ムッと睨み付けると、いやいや、って困ったみたいに文は笑って
「えーと……そう、いきなり山の会議に呼び出されてしまいましてねー」
「だからって、あややを一人にしていい理由にはならないぞ?!」
「おお、チルノさんにしてはまともな言い分……はい、ですから本当なら連れて行くなり他の人に預けようと思ったんですが―――そうですね」
そこまで言って、文は優しい顔つきになって、あたいの頭をポンって撫でた。
「チルノさんが来るって分かったので、お任せしました」
「……え、何が……」
「チルノさんなら、あの子の面倒みてくれるだろうって思ったので。 実際、ちゃんと良いお姉さんをやってくれましたし、ね」
お疲れ様でした、って。
文の優しい顔と声に、思わずあたいは見惚れてて、よしよし、ってみたいに頭を撫でられたら思わずボンッて顔が熱くなった。
「……もう、しょうがないな、文は!」
思わず顔を逸らして、大きな声を出す。
だって、何だか抱きかかえられてて、子供みたいに扱われるのが恥ずかしいし。
でも頭の上から文が可笑しそうに笑ってるのが分かって、思わずむくれそうになったら
「そんな事よりチルノさん? なんでも特ダネがあるそうじゃないですか」
「~~~っと、そうだそうだ! 文、あたいやったよ!」
「はい、何をですか?」
もう一回。
文に顔を向けて、話を聞きたそうにしてる文に思いっきり胸を張った。
「あたい、あの大蝦蟇やっつけたんだよ!!」
「おお―――それは凄い! 勿論、取材させてくれますよね?」
そう言うと、文はベッドに座りながら、あたいの事もゆっくり床に降ろした。
何かを取り出すみたいに胸ポケットに手を入れて―――
「―――と、そうでした。 チルノさん、ちょっとメモ帳取ってくれませんか?」
「え……?」
とうとつに、文はそう言った。
文はもうベッドに座ってて、あたいは立ってる。
普段なら人を使うな!って文句の一つも言いたいけど、それよりもあたいが気になったのは―――
「文、いいの……?」
「はい? 何がですか?」
「だ、だって! 文メモ帳大事にしてて、前にあたいが触ろうとしたら怒って……!」
「ああ―――あの時は、メモ帳のすぐ傍に抜き身のナイフが置いてあったんですよ。 もしかしたら怪我させてしまうかもしれないと思って、ついキツイ声になってしまいましたが……」
「え―――」
ポカンって文を見上げた。
それって―――
「心配してくれた……ってこと?」
「ええ、割とあのナイフ良く切れるんです」
「でも、あたい妖精だよ……?」
「やれやれ……いいですか?チルノさん。 妖精だろうが何だろうが、知り合いが傷つくところなんて見たくありませんよ?」
そう言って。
静かに笑う文をぼんやり見つめて、あたいは―――
「―――とって来るね!」
「ええ、お願いします」
背中から声をかけられて、メモ帳が置いてある机に向かって走った。
とにかく、あたいのぶゆーでんを聞かせて、かっこいい記事を書かせてやる。
きっと、凄いびっくりした文は、あたいに夢中になるはずだし!
それから―――
「―――っと」
机の上のメモ帳を奪うみたいに取って、急いで文の近くに戻る。
それから、あややにまた会えるか聞こう!
ダボダボのぱーかーを着たまま、ベッドに飛び乗る。
文にメモ帳を差し出しながら、あたいはウキウキしながら話し始めた。
「あのね、まずね―――!!」
「……やれやれ」
すっかり話疲れたチルノさんは、今は私の膝の上で眠ってる。
昨日も、彼女にしては大分遅い時間まで起きていたし疲れたんだろう。
無邪気な寝顔を見せる彼女の髪をゆっくりと手で梳きながら、昨日一日の事を思い返してみた。
あの薬を永遠亭から貰い受けたのはただの偶然だった。
何でも、納得できる出来じゃなかったらしく、どうせ廃棄するから―――との事だったのだが。
記事のネタにでもなれば、と思って飲んだのは自分だし、それで小さくなるのも分かっていた事だけど―――
「まさか、精神的にも影響が出るとは思わなかったわね……」
まったくもって苦々しい。
まさか、身体的影響だけでなく、あそこまで精神的にも影響を及ぼすとは思わなかった。
情緒不安定で、何に対しても恐怖心を感じ、あまり先の事まで思考が回らず―――そう、まるでチルノさんのように直情的に行動する。
あんな簡単な事で何度も泣きそうになるなんて相当な黒歴史だ。
しかも、前に香霖堂で何となく購入したあの服。
チルノさんと大体同じサイズだったから、いつか着せてみたい、なんて思って置いてあったのが、あんな形で仇になるとは……
「しかし……チルノさんって、案外面倒見いいんですね……」
自分よりも幼い存在、というのが物珍しかっただけかもしれないけれど。
しかしまぁ随分と言いたい放題いってくれたものだ。
人の事を唐変木だのうざいだの何だのと……しかも、あんな情緒もへったくれもない状況で告白を聞いたこっちの身にもなって貰いたい。
小さくなってる時は、本当にどうすればいいのか分からず一人パニックに陥る羽目になったのだし。
幼い心で勇気を出して感謝の気持ちを込めてキスの一つでもしてみれば、何故か伝わらぬままに寝落ちとか……
「ったく、あなたの事ですよ、チルノさん」
「うぅ……」
膝の上で気持ち良さそうに眠る頬をプニプニと押しながら嘆息していると、チルノさんが小さく呻いた。
「だめ、だぞ……あやや……」
どうやら寝言のようだ。
夢の中でも、幼い私と追いかけっこでもしてるのだろうか?
大蝦蟇の話が終わった後は、あややに会いたいとか、何処に行けば会えるか、とかひたすらそんな質問攻めにされた。
まさかまた会わせる訳にもいかないし、何とかああだこうだと誤魔化したのだけど……。
「……」
ふと、彼女の腕を見てみると、既に殆どの赤みが消えている。
お風呂場での事故は、正直死ぬかと思った。
そして、それ以上に彼女がああまでして助けてくれるとは……思っていなかった。
助けてくれた時のあの腕を見る限り相当痛かっただろう。
氷の妖精にとってのお湯等、正直天敵だろうし。
それにも関わらず救ってくれた、という事実は感謝してもしきれるものではなかった。
「やれやれ……借りが出来てしまいましたね……」
小さくなって記事に出来ることは無さそうだが、それでも色々な事に気付かされた。
彼女が、思わずキツイ声で注意をした事をあそこまで引き摺っていたという事。
猪突猛進だけれども、案外責任感が強くて面倒見が良いという事。
そして、最近良く来てくれていた理由も―――
「―――ありがとうございます」
照れ隠しのように小さく呟けば、身をかがめて、そっと顔を寄せて
「―――お疲れ様でした、チルノさん」
私は静かに眠る彼女の柔らかな頬に一つキスを落とした。
文チルに死角なし!
お姉さんチルノも良いですね
百点!
あやや
あやややや!
相手がチルノだからこそ、弱みを握られること無くすっきりと終わったんだな。
今回もいい話でしたw
大変良い文チルでした!
思わずチルノを応援したくなりました。
いいお姉ちゃんになる素質ありですね。ガンバレ!
ニヤニヤと口元が緩んで一向に引き締まらないッ
どうしてくれる…ッ!
……ご馳走様でした。
ありがとうございますー
面倒見のいいチルノやそれに頼るあややが新鮮でかわいかったです
文の気持ちを考えると何とも感慨深い。
子供の面倒見良いチルノちゃん良い子。偉い!