古明地さとりは困っていた。
地の底に静かに佇む地霊殿の主であるさとりは、今まで数々の苦難を乗り越えてきた。
時には体に多くの生傷をつけ、また時には一人枕元で泣き伏し、最愛の妹とは未だに隔たりがある。
しかし、今の生活はそんな苦労苦労の日々を経てようやく得た物だった。
地霊殿。それはさとりにとって掛け替えのない財産の一つであり、数少ない安寧の地となっている。
そんな、頭一つで生き抜いてきた彼女であるが、時たま分からないことがある。妹しかり、ペットしかり。
さとりは自分の部屋で安価な朱のソファに座りながら、もう何度ついたか分からないため息をつく。
そんな彼女の足元には。
「ごろごろ、ごろごろ」
少女のすねを執拗に擦る、猫耳妖怪の姿があったのだった。
◆◆◆妖怪 すねこす燐◆◆◆
すり、すりすり。
「燐。……お燐」
さとりはそのまますねを擦られながら、彼女の名前を呼ぶ。
お燐。地底の妖怪を代表する一人であり、火車である。
姿形は省略するが、彼女は火焔猫である。有り体に言ってしまえば猫だ。
さとりの考える猫とは全体的に気まぐれであり、主人である自分が呼んでも好き勝手するイメージがある。
しかし、たまにではあるが構って構っての甘えたがりになる時がある。猫撫で声を鳴らし、ほらほら撫でれとばかりに頭を擦り付けてくるのだ。
それだけならかわいいのだが、今回の場合ちょっとくすぐったい違和感ばかりである。
さとりは、引き続き燐の名前を呼ぶ。
「お燐、あなたは何をどうしてほしいのですか?」
「すりすり、ふもふも」
「……えっと」
しかし、期待した返事は得られなかった。先程からこんな調子である。
お燐はまるですねにしか興味がない、と言わんばかりにさとりのすねを頬ずりしていた。猫特有の高い体温がさとりのすねに伝わっていく。
もう一時間は座っているだろうか。
さとりは残り少ない紅茶を飲みながら、足元の猫をどうにかしないとと考えていた。
今はまだ大丈夫なのだが、何れ必ずやってくる生理現象が怖いのだった。
なすがまま決壊は勘弁願いたいものだ。
「ほら、お燐。少しどいてくださいな」
「にゃーごろにゃーごろ。ごろにゃー」
「言葉遣いが苦しいですよ」
さすがに猫はそんな鳴き方しないだろう、とさとりはぺんぺん燐の頭をはたく。
もしかしたら聞こえていないのだろうか?
とも考えたのだが、先程のさとりの突っ込みに燐ははっと顔を上げ、一言だけ呻いた。
「そ、そんなぁ!」
「一体どうしたんです? あれですか? 綿棒欲しいんですか?」
「ま、間に合ってます!」
どうやらそっち方面は大丈夫だそうだ。
彼女の慌てふためく様子を見る限りだが、理性は保っている様子。
確かに感情の波こそ激しい燐ではあるが、さとりに忠実なことは変わっていないのだ。
頼もしいペットを持ったものだ、さとりはそう思いながら、改めて目下の燐を見る。
「えっと、お燐?」
「しまったなあ……一体どうだったっけ。はあ」
「あの、お燐さん? またすねを擦らないでいただけますか?」
頼も、しい……?
再び柔らかく暖かい頬の感触を足で感じながら、さとりは再来した難題に頭を抱えることとなった。
分からない。この子が分からない。
普段そんなに働かない頭を鞭で走らせながら、さとりはそっと心を読むことに決めた。
身内であり家族である燐にはあまりしたくなかったのだが、こればかりは仕方あるまい。
ぴるぴる震える燐の猫耳を指先で撫でながら、そっと意識を集中させた。
数秒もすれば、彼女の考えていることがさとりにも直接伝わってくる。そしてその理由の単純明快さに、あらと小さな声が漏れてしまった。
「(むしろ、どうして言わないのかしら)」
とすら思う程度に、単純なものだった。
後は言うタイミングの問題だったが、ふと部屋の外から一つの思念が近づくのを感じたので、さとりは彼女の協力を仰ぐことにした。
少しも待てば扉がとんとんと叩かれたので、さとりはどうぞと一声かける。開いた扉から、にょきと見慣れた黒い翼が出てくた。
そしてまた同時に、燐の姿が消えた。現金である。
「あのーさとりさまー、ってうわあああ!?」
「ごろごろもにゃもにゃ」
「ようこそおくう、にゃんにゃんハウスへ」
「にゃんにゃんハウス!?」
入ってきた瞬間燐に襲われるとは思っていなかったのだろう彼女、霊烏路空は、親友のあまりの奇行に思わず飛び跳ねていた。
彼女はまず足元で執拗にすねを擦ってくる燐を見て、次にやっと解放されたと座りながら姿勢を崩したさとりを見る。少なくとも二度見はした。
そこから導き出された結論は、自然と空の言葉になって出て来るのだった。
「……ナニ、してるんです?」
「ああおくう、そんな哀れな人を見る目をしないでください! これはそう、陰謀なんです!」
「こんな状況で陰謀なんて言葉、私の辞書にありませんわ!」
「あなた本当は割と頭良いですよね?」
さとりの疑問に、野生の「カン」が教えてくれたんです、と空は胸を張った。空自体大きいので、少しえっへんするのもどこか威風堂々に見える。
それはさておき、一方の燐は空の足元でごろごろしていた。
さとりとしては確かに解放されこそしたが、空が履いている靴に擦り寄って良いものだろうか。形的に体がちくちくしていたなら大問題である。
そう考えたさとりは、引き離すようにそっと後ろから燐を持ち上げた。
今は猫型ではないのだが、習性だろうかこうすれば自然と力が抜けるのだ。
「にゃあ」
「ほらお燐、おくうは別に迷惑そうにしてないけどやめておきなさい」
「さりげなくひどいですねさとりさま」
「にゃ、にゃーにゃー! やー!」
「……悪い子は縛り付けて目の前でみかんを剥き続けますよ」
「ご、ごめんなさいでしたっ!」
なおも暴れる燐の耳元で、さとりは艶のある唇でそっと宣告する。すると途端に、燐は借りてきた猫のように大人しくなった。
余談ではあるが、猫は柑橘系の香りを嫌う。これとみかんの汁と併用しさらに逃げられなくすることで、猫限定だが強力な仕置きとなるのだ。
ただし、絶対に普通の猫で試してはいけない。人語を話せる猫のみである。
話を戻すことにしよう。
「お燐、心を読ませてもらいました。随分今更な話題ですね」
「むう。あたいにとってはわりかし重要な話なんですよ」
「どういうことなの?」
ただ燐を現実に引き戻すためだけに使われた空は、首を傾げるばかりである。
まだ自分の役割に気づいていない空に苦笑いを浮かべつつ、さとりは空にも分かるように説明した。
「おくうは鴉ですよね」
「そうですよ! なんといっても私は地底最強の地獄鴉ですから!」
「ええ。つまり、お燐は自分が猫であることに疑問が生じているのです」
「えっと、つまり、……なるほど!」
「分かってませんよね?」
しかし、空には伝わらなかった。むしろ伝わらない方が良かったのかもしれない。
もし彼女が考え始めれば、愚直な空のことである。
その言葉だけで三日三晩程頭を拗らせて、結局最後に飽きてしまうだろう。空には今のところ関わりがない話である。
問題の燐はさとりに抱きかかえられながら、半ば諦めた声色で話し始めた。
「あたい、思うんですよ。あたいは確かに猫として生まれて、今では火車になりました」
「ええ、分かっていますよ」
「ですけど、猫であることはどうやっても覆せないんです。飾り物の猫耳とかを見ると、あたいはむずむずってするんです。本物の猫とかより、飾り物の耳付けた人の方がいいのかなって」
「うん」
読心で分かっていたこととはいえ、さとりは一つ一つの言葉に頷いていく。
燐は火車であり、怨霊使役や人型変化といった技は全て自分の努力で手にしてきた。
しかし、自分の外見までは変えることは難しい。男は男で、女は女であるように。
さとりはそこまで聞くと、自身の頭のハートの飾りをそっと外し、燐に手渡す。
そして、微笑みを湛えながらはっきり述べた。
「縛られたいんですね?」
「え、誰もそんなこと言ってませんよ!?」
「だまらっしゃいこの自惚れ猫」
「ひどっ!?」
燐の困惑した顔を呆れた顔で見ながら、燐の黒い猫耳をきゅっと摘む。
びくっと恐怖と驚きに体を震わせた燐を見ながら、さとりは視線を外して呟いた。
「あなたが世の中を語るのは、速すぎます」
「え?」
「いえ。あなたがそんなことを言うなら、私だって種族を変えたかったですよ」
「あっ」
「分かりましたか? 私は説教するつもりはありません。ですが、そんな当たり前のことで頭を悩ませないでください」
そう言い残し、さとりはぽんと燐の頭を撫でる。わがままな子供を宥める大人のように、優しい抱擁をしながら。
自身の身の丈は結局自分では分からないと、さとりは考えている。
燐はまだ妖怪になって日が浅い。彼女もまた、空と同じく悩んで悩んで悩み抜くタイプなのだ。
しかし、空と違う点として、どうにかして何かしらの『答え』を導きだそうとするところがある。今回の問題はそれが形となった結果であろう。
さとりにとって二人はまだまだ子供なのだ。例え背が伸びたとしても、離れて仕事をしていても、かわいい子供のままである。
「まあ、悩むのは悪いことではないですよ。ただ考えるのはもう少し学をつけてからにしなさい」
「む、む……言い返せないです」
「別にいいのです。あなた達がしっかり動ければ、後は私が全て考えてあげますよ」
「わー、さとりさまかっこいいです!」
「ふふふ。そういうわけで、早速あなたのことを考えてあげましょう、お燐」
さとりが抱いたまま、じっと半分の目で燐を見据える。
一方の燐は小さな彼女を控えめに抱き返しながら、二つの心境を抱えていた。
一つは、主人がこんなにも近いという緊張感。
もう一つは、どこか言いようも無い不安。しかも悲しいことに、こっちの方が圧倒的に優勢である。
「お燐。先程の猫らしからぬあなたの行動は、とある妖怪を思い出すんですよね」
「は、はあ」
「『すねこすり』ですか? ですか……ええ、その通りです」
分かりきったことを心を読んで答える辺り、明らかにその類だと燐は直感で悟った。
すねこすり。それは日本の妖怪の一つで、見た目が小動物でとてもかわいらしい妖怪のことだ。
念を押しておくが、れっきとした妖怪である。
その妖怪は雨が降る夜に現れ、夜道を歩く人間の足元に纏わりつく。
当然すねこすりに纏わりつかれると歩きにくくなり、何より転んでしまう。しかしそれ以上のことはせず、妖怪としては安全な部類である。
一説には雨の降る暗い夜には無暗に外に出ないようにしよう、ということを示した妖怪の象徴だとも言われているそうだ。
そのことを示した上で、さとりは少しずつ体を潜らせていく。体重を燐に預け、ねえと真上の燐に問いた。
「さながら、すねこす燐です。くすぐったかったですけど、かわいかったですよ」
「さ、さとり様? その、それが何か」
「ですが、一つ間違いがあります。『すねこすり』は、あなただけではないんですよ」
そう言うと、さとりの姿がおもむろに消えた。
そして同時にワンピースで隠された燐の足元から、もちっと生温かい感触が伝わる。
わあと目を輝かせる空を尻目に、まさかと思った燐は慌てて頭を下げようとする。
かりっ。
「いったあっ!?」
しかし、すねに感じた小さな痛みに思わず体を仰け反らせてしまった。
今度はきゃーきゃーと騒ぎ始めた空を後ろに、燐は涙目になりながら自身のワンピースを捲る。
そこには紫の髪を揺らした小さな少女が、すねについた歯型と一緒に笑っていたのだった。
「悪い子は、こうしてすねを齧られちゃいますよ?」
地の底に静かに佇む地霊殿の主であるさとりは、今まで数々の苦難を乗り越えてきた。
時には体に多くの生傷をつけ、また時には一人枕元で泣き伏し、最愛の妹とは未だに隔たりがある。
しかし、今の生活はそんな苦労苦労の日々を経てようやく得た物だった。
地霊殿。それはさとりにとって掛け替えのない財産の一つであり、数少ない安寧の地となっている。
そんな、頭一つで生き抜いてきた彼女であるが、時たま分からないことがある。妹しかり、ペットしかり。
さとりは自分の部屋で安価な朱のソファに座りながら、もう何度ついたか分からないため息をつく。
そんな彼女の足元には。
「ごろごろ、ごろごろ」
少女のすねを執拗に擦る、猫耳妖怪の姿があったのだった。
◆◆◆妖怪 すねこす燐◆◆◆
すり、すりすり。
「燐。……お燐」
さとりはそのまますねを擦られながら、彼女の名前を呼ぶ。
お燐。地底の妖怪を代表する一人であり、火車である。
姿形は省略するが、彼女は火焔猫である。有り体に言ってしまえば猫だ。
さとりの考える猫とは全体的に気まぐれであり、主人である自分が呼んでも好き勝手するイメージがある。
しかし、たまにではあるが構って構っての甘えたがりになる時がある。猫撫で声を鳴らし、ほらほら撫でれとばかりに頭を擦り付けてくるのだ。
それだけならかわいいのだが、今回の場合ちょっとくすぐったい違和感ばかりである。
さとりは、引き続き燐の名前を呼ぶ。
「お燐、あなたは何をどうしてほしいのですか?」
「すりすり、ふもふも」
「……えっと」
しかし、期待した返事は得られなかった。先程からこんな調子である。
お燐はまるですねにしか興味がない、と言わんばかりにさとりのすねを頬ずりしていた。猫特有の高い体温がさとりのすねに伝わっていく。
もう一時間は座っているだろうか。
さとりは残り少ない紅茶を飲みながら、足元の猫をどうにかしないとと考えていた。
今はまだ大丈夫なのだが、何れ必ずやってくる生理現象が怖いのだった。
なすがまま決壊は勘弁願いたいものだ。
「ほら、お燐。少しどいてくださいな」
「にゃーごろにゃーごろ。ごろにゃー」
「言葉遣いが苦しいですよ」
さすがに猫はそんな鳴き方しないだろう、とさとりはぺんぺん燐の頭をはたく。
もしかしたら聞こえていないのだろうか?
とも考えたのだが、先程のさとりの突っ込みに燐ははっと顔を上げ、一言だけ呻いた。
「そ、そんなぁ!」
「一体どうしたんです? あれですか? 綿棒欲しいんですか?」
「ま、間に合ってます!」
どうやらそっち方面は大丈夫だそうだ。
彼女の慌てふためく様子を見る限りだが、理性は保っている様子。
確かに感情の波こそ激しい燐ではあるが、さとりに忠実なことは変わっていないのだ。
頼もしいペットを持ったものだ、さとりはそう思いながら、改めて目下の燐を見る。
「えっと、お燐?」
「しまったなあ……一体どうだったっけ。はあ」
「あの、お燐さん? またすねを擦らないでいただけますか?」
頼も、しい……?
再び柔らかく暖かい頬の感触を足で感じながら、さとりは再来した難題に頭を抱えることとなった。
分からない。この子が分からない。
普段そんなに働かない頭を鞭で走らせながら、さとりはそっと心を読むことに決めた。
身内であり家族である燐にはあまりしたくなかったのだが、こればかりは仕方あるまい。
ぴるぴる震える燐の猫耳を指先で撫でながら、そっと意識を集中させた。
数秒もすれば、彼女の考えていることがさとりにも直接伝わってくる。そしてその理由の単純明快さに、あらと小さな声が漏れてしまった。
「(むしろ、どうして言わないのかしら)」
とすら思う程度に、単純なものだった。
後は言うタイミングの問題だったが、ふと部屋の外から一つの思念が近づくのを感じたので、さとりは彼女の協力を仰ぐことにした。
少しも待てば扉がとんとんと叩かれたので、さとりはどうぞと一声かける。開いた扉から、にょきと見慣れた黒い翼が出てくた。
そしてまた同時に、燐の姿が消えた。現金である。
「あのーさとりさまー、ってうわあああ!?」
「ごろごろもにゃもにゃ」
「ようこそおくう、にゃんにゃんハウスへ」
「にゃんにゃんハウス!?」
入ってきた瞬間燐に襲われるとは思っていなかったのだろう彼女、霊烏路空は、親友のあまりの奇行に思わず飛び跳ねていた。
彼女はまず足元で執拗にすねを擦ってくる燐を見て、次にやっと解放されたと座りながら姿勢を崩したさとりを見る。少なくとも二度見はした。
そこから導き出された結論は、自然と空の言葉になって出て来るのだった。
「……ナニ、してるんです?」
「ああおくう、そんな哀れな人を見る目をしないでください! これはそう、陰謀なんです!」
「こんな状況で陰謀なんて言葉、私の辞書にありませんわ!」
「あなた本当は割と頭良いですよね?」
さとりの疑問に、野生の「カン」が教えてくれたんです、と空は胸を張った。空自体大きいので、少しえっへんするのもどこか威風堂々に見える。
それはさておき、一方の燐は空の足元でごろごろしていた。
さとりとしては確かに解放されこそしたが、空が履いている靴に擦り寄って良いものだろうか。形的に体がちくちくしていたなら大問題である。
そう考えたさとりは、引き離すようにそっと後ろから燐を持ち上げた。
今は猫型ではないのだが、習性だろうかこうすれば自然と力が抜けるのだ。
「にゃあ」
「ほらお燐、おくうは別に迷惑そうにしてないけどやめておきなさい」
「さりげなくひどいですねさとりさま」
「にゃ、にゃーにゃー! やー!」
「……悪い子は縛り付けて目の前でみかんを剥き続けますよ」
「ご、ごめんなさいでしたっ!」
なおも暴れる燐の耳元で、さとりは艶のある唇でそっと宣告する。すると途端に、燐は借りてきた猫のように大人しくなった。
余談ではあるが、猫は柑橘系の香りを嫌う。これとみかんの汁と併用しさらに逃げられなくすることで、猫限定だが強力な仕置きとなるのだ。
ただし、絶対に普通の猫で試してはいけない。人語を話せる猫のみである。
話を戻すことにしよう。
「お燐、心を読ませてもらいました。随分今更な話題ですね」
「むう。あたいにとってはわりかし重要な話なんですよ」
「どういうことなの?」
ただ燐を現実に引き戻すためだけに使われた空は、首を傾げるばかりである。
まだ自分の役割に気づいていない空に苦笑いを浮かべつつ、さとりは空にも分かるように説明した。
「おくうは鴉ですよね」
「そうですよ! なんといっても私は地底最強の地獄鴉ですから!」
「ええ。つまり、お燐は自分が猫であることに疑問が生じているのです」
「えっと、つまり、……なるほど!」
「分かってませんよね?」
しかし、空には伝わらなかった。むしろ伝わらない方が良かったのかもしれない。
もし彼女が考え始めれば、愚直な空のことである。
その言葉だけで三日三晩程頭を拗らせて、結局最後に飽きてしまうだろう。空には今のところ関わりがない話である。
問題の燐はさとりに抱きかかえられながら、半ば諦めた声色で話し始めた。
「あたい、思うんですよ。あたいは確かに猫として生まれて、今では火車になりました」
「ええ、分かっていますよ」
「ですけど、猫であることはどうやっても覆せないんです。飾り物の猫耳とかを見ると、あたいはむずむずってするんです。本物の猫とかより、飾り物の耳付けた人の方がいいのかなって」
「うん」
読心で分かっていたこととはいえ、さとりは一つ一つの言葉に頷いていく。
燐は火車であり、怨霊使役や人型変化といった技は全て自分の努力で手にしてきた。
しかし、自分の外見までは変えることは難しい。男は男で、女は女であるように。
さとりはそこまで聞くと、自身の頭のハートの飾りをそっと外し、燐に手渡す。
そして、微笑みを湛えながらはっきり述べた。
「縛られたいんですね?」
「え、誰もそんなこと言ってませんよ!?」
「だまらっしゃいこの自惚れ猫」
「ひどっ!?」
燐の困惑した顔を呆れた顔で見ながら、燐の黒い猫耳をきゅっと摘む。
びくっと恐怖と驚きに体を震わせた燐を見ながら、さとりは視線を外して呟いた。
「あなたが世の中を語るのは、速すぎます」
「え?」
「いえ。あなたがそんなことを言うなら、私だって種族を変えたかったですよ」
「あっ」
「分かりましたか? 私は説教するつもりはありません。ですが、そんな当たり前のことで頭を悩ませないでください」
そう言い残し、さとりはぽんと燐の頭を撫でる。わがままな子供を宥める大人のように、優しい抱擁をしながら。
自身の身の丈は結局自分では分からないと、さとりは考えている。
燐はまだ妖怪になって日が浅い。彼女もまた、空と同じく悩んで悩んで悩み抜くタイプなのだ。
しかし、空と違う点として、どうにかして何かしらの『答え』を導きだそうとするところがある。今回の問題はそれが形となった結果であろう。
さとりにとって二人はまだまだ子供なのだ。例え背が伸びたとしても、離れて仕事をしていても、かわいい子供のままである。
「まあ、悩むのは悪いことではないですよ。ただ考えるのはもう少し学をつけてからにしなさい」
「む、む……言い返せないです」
「別にいいのです。あなた達がしっかり動ければ、後は私が全て考えてあげますよ」
「わー、さとりさまかっこいいです!」
「ふふふ。そういうわけで、早速あなたのことを考えてあげましょう、お燐」
さとりが抱いたまま、じっと半分の目で燐を見据える。
一方の燐は小さな彼女を控えめに抱き返しながら、二つの心境を抱えていた。
一つは、主人がこんなにも近いという緊張感。
もう一つは、どこか言いようも無い不安。しかも悲しいことに、こっちの方が圧倒的に優勢である。
「お燐。先程の猫らしからぬあなたの行動は、とある妖怪を思い出すんですよね」
「は、はあ」
「『すねこすり』ですか? ですか……ええ、その通りです」
分かりきったことを心を読んで答える辺り、明らかにその類だと燐は直感で悟った。
すねこすり。それは日本の妖怪の一つで、見た目が小動物でとてもかわいらしい妖怪のことだ。
念を押しておくが、れっきとした妖怪である。
その妖怪は雨が降る夜に現れ、夜道を歩く人間の足元に纏わりつく。
当然すねこすりに纏わりつかれると歩きにくくなり、何より転んでしまう。しかしそれ以上のことはせず、妖怪としては安全な部類である。
一説には雨の降る暗い夜には無暗に外に出ないようにしよう、ということを示した妖怪の象徴だとも言われているそうだ。
そのことを示した上で、さとりは少しずつ体を潜らせていく。体重を燐に預け、ねえと真上の燐に問いた。
「さながら、すねこす燐です。くすぐったかったですけど、かわいかったですよ」
「さ、さとり様? その、それが何か」
「ですが、一つ間違いがあります。『すねこすり』は、あなただけではないんですよ」
そう言うと、さとりの姿がおもむろに消えた。
そして同時にワンピースで隠された燐の足元から、もちっと生温かい感触が伝わる。
わあと目を輝かせる空を尻目に、まさかと思った燐は慌てて頭を下げようとする。
かりっ。
「いったあっ!?」
しかし、すねに感じた小さな痛みに思わず体を仰け反らせてしまった。
今度はきゃーきゃーと騒ぎ始めた空を後ろに、燐は涙目になりながら自身のワンピースを捲る。
そこには紫の髪を揺らした小さな少女が、すねについた歯型と一緒に笑っていたのだった。
「悪い子は、こうしてすねを齧られちゃいますよ?」
とても良かったです
投稿時間は狙ったのだろうか……?
お燐は頭がいいイメージがあったので、これは新鮮でした。
ワンピース万歳、ワンピースブラボー
2ばっかりww
この主人可愛い
お燐可愛い。
すねこす燐に歩行の邪魔をされたいなぁ(ぇ
投稿時間が…