「あぁ、やっぱりまた来てたのか」
そう、声をかけられたのは今でも覚えている。
そこにいるのが当たり前のように彼女は私に声をかけた。
不思議がる事もなく、驚いた様子もなく、普通に自然と声をかけてきた。
「え?」
「フランはいつも通り部屋だよ。それじゃあな、古明地こいし」
ひらり、ひらりと。彼女は手を振って廊下を歩いていく。何でもないいつもの仕草で。
”私”がここに居る事をさも当たり前のように振る舞うその姿を、私はただ呆然と見送る事しか出来なかった。
彼女、レミリア・スカーレットの後ろ姿を。
* * *
古明地こいし、それが私の名前。
幻想郷に住まう妖怪の一人。その種族はさとり妖怪。心を読む妖怪である。
しかし私はその心を読む為に必要な器官である”第三の眼”を閉ざしている。
故に、誰かの心を読む事はしない。代わりに得たのが無意識を操る程度の力。
誰に悟られず、自分すらも気づかぬ内にどこかへと放浪する。そんな力だ。
さとり妖怪である姉にも悟られない無意識の存在。それこそが私。誰かの前に現すのは自分の意志か、或いはたまたま見つけた第三者か。
だからこそ私は「また」という言葉を聞く事が滅多にない。それも、自分が予期せぬタイミングでだ。
これが私が意識して「誰か」に会いに行ったとしよう。そして誰かが私を見れば「また」というのは予測出来る。
だが、余りにも彼女の言う「また」が慣れた気がしてどうにも違和感と驚きを拭いきれないのだ。
「ふぅん? そういうものなの?」
「そうだよ」
目の前で紅茶を飲みながら不思議そうに相づちを打つのは話題の人の妹であるフランドール・スカーレットだ。流石お嬢様、というべきか、その紅茶を飲む仕草は実に様になっている。
過去、幽閉されていたという過去を持つ彼女の精神は不安定だったが、今となっては淑女と言っても過言ではない程の落ち着きを見せるようにもなっている。だが、やはり幽閉されていた時間が長かった為、常識知らずでかつ好奇心の強さが良きにしろ悪きにしろ目立つ。
そんな我が友達であるフランはやはり私の言う事がどうにも釈然としないのか小首を傾げている。
「でも、何度も見るなら、また、で良いんじゃないの?」
「んー、なんかさ。お姉さんの驚き方が違うんだよ。慣れ、じゃなくてどっちかというと呆れに近いかな?」
「その差異は?」
「明確に説明出来れば私だって苦労しないさ」
フランの問いかけに私は、むぅ、と頬を膨らます。上手い言葉が見つからないのだがレミリアの私への態度は周りとは大きく違う気がするのだ。
「私はいつも訪ねて来て貰ってる立場だからわからないんだけどねぇ…」
「そうだよねぇ。フランに会いに来るって言ったらフラン目当てだから」
「ここには誰かがいない方が自然だからね」
フランの住まう部屋は地下室だ。フランの精神は落ち着いてきているとはいえ、まだ情緒不安定な面は本人も認めているが残っている。だからこそ彼女にとってここは己にとっての安全地帯、過去のトラウマも込みで自身を抑えられる正に彼女に私室と言うべき場所だ。
この部屋に誰かが来る事は稀らしい。来ても私か、それこそレミリアさん、後は咲夜さんぐらいだとフランは言う。
「…うーん、そうなるとこいしの言う違和感がわからないよねぇ。驚いてる訳じゃないんだよね?」
「まぁ、ね。どこか手慣れた感じがするっていうか…当たり前に受け止められているっていうか…ほら、私って無意識で彷徨ってる事もあるから誰かに認識されないでしょ? 今回もいつも通りフランの所に行こう、って思ってただけだからどこの道をどう通ったかもわかんないし」
「………あー、わかったかも」
「え?」
私が唸るように呟いていると、フランはどこか納得したような表情を浮かべた。
「多分、そういう事だと思う」
「何が?」
「こいしは誰かに見つけられるのが当たり前じゃないんだね」
「そりゃ、無意識だから……。……あ」
「うん。じゃあお姉様がこいしを”見つけた”事がこいしにとっては吃驚する事だったんだね」
「おぉ! なるほど!」
納得がいった、と言うように私は掌に拳を乗せた。しかし、そこですぐに疑問を浮かべるように眉を寄せる。
「でも、何で?」
「ん?」
「どうしてレミリアさんは私を見つけられるの?」
「うーん?」
「だって、ほら。私は無意識を操るでしょ? あのメイドさんだってこっちから意識しないと気づかないのに…」
「あぁ。それならきっと…お姉様の能力じゃない?」
「…えと、運命を操る程度の能力だっけ?」
「そうそう。それ。結構眉唾に思われてるみたいだけど、ね。私も半信半疑だけど。でも少なくとも”見る”事は出来てると思うよ?」
「見る?」
「運命を。何が起こるのか知っていれば対処だって出来るでしょ?」
「それで私が来る”運命”が見えてる、と?」
「だと思うよ?」
フランは一息を吐いて紅茶を口に含んだ。私はフランの言葉を反芻するように顎に手を添えた。暫し、何かを考え込むように沈黙する。そして、私は思考をまとめ上げ、意を決して顔を上げた。
「よし、検証しよう!」
「…検証?」
「フランの説が正しいかどうか、だよ」
ニヤリ、とこいしは笑みを浮かべてフランに告げた。
* * *
「お嬢様、紅茶をお持ちいたしました」
食器の揺れる音が響き、テーブルにティーカップが置かれる。ティーカップを運んだのは紅魔館の誇るメイド長、十六夜咲夜だ。運ぶ相手は紅魔館の主であるレミリア他ならない。
レミリアは片手に小説だろうか、何かの本を持ち眺めていた。そこでレミリアは一度、本から視線を外して咲夜の置いたティーカップを視線を向ける。
「ご苦労様、咲夜。下がって良いわよ」
「はい」
小さく一礼。
すると咲夜はそこにいなかったかのように音すらも残さずに消えていった。レミリアが見つめるのは咲夜の用意したティーカップ。
備え付けの容器には砂糖が入っているものだ。レミリアはそれに手を伸ばし、ふぅ、と小さく吐息。
「やれやれ。ウチのメイド長もお前の悪戯の前には形無しか? 古明地こいし」
「うわぁ! 本当に気づいてる!」
容器を手の中で弄びながらレミリアは吐息を吐く。同時に発した言葉と共に姿を現したのはこいしだ。彼女の顔にはありありと驚きの表情が浮かんでいる。
「まったく。私のティータイムを邪魔するとは良い度胸じゃないか。塩と砂糖を入れ替えるなんて、まったく面倒くさい事をしてくれるわ」
「どうして気づいたの?」
「”見えた”からよ。貴方がフランと”私の態度に違和感”について言及してたでしょ?」
「……あの部屋には実は”とーちょーき”が仕掛けられてたりする?」
「妹のプライバシーをそこまで侵害するつもりは無いわよ」
ふん、と小さく鼻を鳴らしてレミリアは紅茶を含んだ。その仕草はやはり姉妹なのかフランと良く似ているなぁ、とこいしは思った。
「で、貴方が悪戯をしかけてくるのも見えたから」
「ふぅん…。嘘じゃないんだ。運命を操るってのは」
「さぁ? どうかしらね? 私の虚仮威しかもしれないわよ?」
僅かに胸を張ってからかうようにレミリアはこいしに告げる。どこか優越の表情を浮かべるレミリアにこいしは特に気にした様子もなくふぅん、と呟きを零した。
「貴方は、私に気づけるんだね」
「そうよ」
「そっか」
…その時、こいしは自分が何を思ったのかよくわからなかった。
ただ、酷く落ち着かなくなってしまった。決して不快ではないけれどももどかしいような言いようのない気持ちが胸を駆けめぐる。
だから、行動を無意識に委ねてみた。こいしの足は軽やかにステップを踏み、くるりと一回転。レミリアの眼前に立った。
「……おい」
「……おや」
そして、吃驚、と言うようにこいしは目を瞬かせた。
自分はレミリアに抱きついていたのだ、とこいしは思う。これが無意識に委ねた結果。自分はレミリアに抱きついている、という事実。
レミリアの胸元に顔を埋めるようにこいしは抱きついていた。レミリアはどこか鬱陶しそうな表情を浮かべてこいしを見下ろしていた。
「…あれ? わからなかったの?」
「常時私が運命を見ている訳じゃない。お前の無意識と同じだ」
「…そ、っか」
えへへ、と。何故か笑い声が零れた。すり寄せるように頬をレミリアの胸にこいしは押しつけた。
おい、と咎めるような声が頭上から降ってくるが気にしないままこいしは己の無意識の行動に委ねた。
そしてかちゃ、と食器の音が耳に届いた。レミリアがティーカップを置いたのだ。ティーカップを置いた手はこいしの頭に伸ばされ、その髪をどこかぎこちなく撫でた。
「……優しいんだね」
「……代償行為、さ」
「…よく、わかんないなぁ」
「お互い様、だろ」
「……こいしちゃんは、わかんないなぁ」
なんとも、奇妙だった。
何がどう奇妙とは言えなかったけども。
もどかしいぐらいに奇妙で、くすぐったかった。でも、酷く落ち着かなかった。
「…お姉ちゃんだね、レミリアさんは」
「…お前は、妹だな。古明地こいし」
* * *
ただいま。
誰に言う訳でもなく呟いた。
誰も、その言葉を聞いてくれる人はいなかった。
お燐も、お空も、他のペットも、誰も。
…お姉ちゃんですらも。
そこには穏やかな団欒がある。お姉ちゃんに皆がじゃれついていて、皆が言いたい事をわかっているようにそれに応えてくれるお姉ちゃん。
それを、一歩引いた場所で見ていた。同じ場所にいるのに、自分が立っている場所がまるで別世界のような錯覚。
誰も私を見る事はない。それは当然。だって私は無意識を操っているから。気づかれる訳もない。そして、私は誰にも気づかれぬまま帰宅して早々、家を後にした。
* * *
「…人の睡眠を邪魔するとは、地底の妖怪は礼儀無しだな」
「うわ、起きてた」
そこはレミリアの寝室。豪奢なベッドで眠るレミリアの上に跨るのはこいしだ。さも驚いたようにレミリアの顔をこいしは覗き込んでいる。
対してレミリアは不機嫌そうに顔を歪めている。寝癖のついた髪をやや乱暴気味に手櫛をするように掻く。
「…見えたからな」
「…そっか。なら、良い?」
「…ダメといっても勝手にするなら好きにしろ。私は眠い」
わかったー、と何処か間延びした返事をしてこいしはベッドから降りた。帽子を寝台に備え付けられているテーブルに乗せ、衣服を脱いで肌着一枚の姿へと。
そうすれば飛び込むようにレミリアのベッドの中にこいしはダイブした。レミリアの腹にのしかかるようにダイブした結果、レミリアから苦悶の声が零れた。
「…おい、この馬鹿」
「ごめんごめん。無意識」
「……はぁ」
疲れたようにレミリアは吐息して布団から手を出してこいしを転がすように押しのける。きゃー、と可愛らしい悲鳴をあげながらこいしはころころと転がり、一度ベッドから落とされる。
こいしが落ちた後、レミリアは布団を持ち上げて自分の隣にスペースを作った。渋々といった表情のレミリアに対し、こいしは優々とレミリアの作ったスペースに潜り込むように布団に飛び込んだ。
「えへへー」
「…はぁ。まったくお前って奴は…」
「何さ」
「…何でも」
最早言葉もない、と言うようにレミリアは瞳を閉じた。態勢はこいしと向き合うような態勢だ。こいしはレミリアによって布団に包まれながらレミリアを見つめている。
「…あぁ、そうだ」
「…ぅん」
「…いらっしゃい、こいし」
「…うん!」
レミリアの迎える言葉に、こいしは破顔して笑みを浮かべ、レミリアに抱きついた。暑苦しい、と言わんばかりにレミリアが鬱陶しそうな表情を浮かべるが、こいしは気にしない。
「お邪魔します!」
「…好きにしろ」
この後、レミリアの起床時間が迫った為、やってきた咲夜がレミリアに抱きつき眠っているこいしに目を見開く事になるのは、そう遠くないお話…。
このあとフランがこいしに嫉妬してひと悶着あるんですねわかります
お嬢様のカリスマ度が高くてオレ好み。
楽しませてもらいました。
ベッドイン!そういうのもあるのか。と思わず感動。
こいしの孤独を埋める方法として、レミリアの能力を採用する手腕。
また、自らの感情に戸惑いながらも、本能に任せ甘えるこいしを迎え入れるレミリアの姉としての器量に脱帽です。
自分もたまにゃ実家の妹をかまってやろう。扱い大変だけど。
余計なお節介だけど、ちょっといや大分タグで損してる気がする。
レミリアとこいしのそれぞれの能力を上手く混ぜ合わせてあって、よかったです。楽しませてもらいました。
珍しい組み合わせながら、好きですレミこい。
これはいいレミこいですね!
ちょっとアンニュイな雰囲気のレミリアが素敵。