「こっちこっち、多分この道よメリー」
「ちょ、今多分って言わなかった?」
文句を聞き流して彼女の手を引く。
返事をする余裕が無い。一分一秒でも早く辿り着きたい。
子供の頃、遊園地に行く時のことを思い出す。よく似た高揚感。逸る気持ちは殆ど同じ。
商店街をわき目も振らず進み、見逃してしまいそうな暗い路地に入る。
「蓮子――」
「あった!」
おそらくは文句だろう言葉を遮る。
一目でわかるその佇まい。ちらと見かけただけで忘れられない空気を纏った建物がそこにある。
目指せば思わず駈け足になってしまうのもわかるだろう。ふふん、これでメリーも納得するわ。
「――へぇ」
溜息のような声に、彼女も気に入ったのを察する。
「いい感じの喫茶店でしょう?」
路地の奥、ビルとビルの間にぽっかりと空いた空間に、緑に埋もれるような喫茶店があった。
店に続く道は玉砂利が敷かれ、飛び石が道であることを示している。それ以外は全部緑。不思議と雑然とした感じはしない、自然に任せるままに生い茂る草木。店の横に生えている大樹も店を覆うように枝葉を伸ばしている。ライトに照らされるメニューが無ければ喫茶店などと気づけぬだろう。
うん、やっぱり魅力的だ。ビルの間にこんな空間があるだなんて。
「隠れ家みたい」
「でしょ? どうしても見せたかったのよ」
「ふふ、宝物を自慢したい子供みたい」
む。そう言われると反論できない。実際そのようなものだし……この店は、宝物に等しいし。
まだ入ったこともないのだけれど。
「ほら、入りましょ。喉渇いちゃったわ」
「走ったからよ、蓮子」
まーだ呆れたような声を出すか。外見だけでも浮かれられるだろうにしつこい奴。
飛び石を進み店に歩み寄る。ふと、隣を歩くメリーの足が止まった。
「大きな木……樹齢何年くらいかしら?」
「成長促進込みで10年ってところじゃない?」
「ロマンが無いわよねぇ、あなたって」
「む?」
溜息吐かれた。
失礼な、とは思うのだけど、何故そう言われたのかわからない。
木の話なんだろうけど……樹木なんて成長促進遺伝子組み込まれた合成樹ばっかりなのに。
どこにロマン感じろっていうのよ。メリーのロマンは間口が広過ぎるだけだわ、きっと。
などと文句を考えていたら、彼女はドアに手をかけていた。
「あ、メニュー見ないの?」
「中で見れるでしょう。早く店を楽しみたいわ」
っく、不覚。私が見つけたのに先手を取られるとは。
先陣を切るのは私、と決めていたのに出遅れた。
そんな葛藤には気づかずに彼女はドアを開ける。
カランカランとベルが鳴る。
「へぇ……レトロチックでいい感じ」
てっきりベルのことを言ったのかと思ったのだが、彼女の肩越しに店内を覗いてそうではないと気づいた。所狭しと飾られた調度品――否、本来はそう呼ぶべきではないだろう。古そうな看板や、博物館でしか見たことのない寸胴のポストは調度品と言うには規格外だ。
薄暗い店内でそれらは微塵も存在感を失っていない。
メリーに続いて一歩足を踏み入れる。
軋む感触。板張りの床――違う、店内は全て木造だ。今時、珍しい。
いらっしゃいという小さな声。
「あの、二人なんですけど大丈夫ですか?」
お好きな席へどうぞという囁くような声。
ぱっと見回す。
カウンター席は無し。ボックス席のみか。それも、看板やポストなどの大型の装飾品に遮られどれくらいあるのかよくわからない。狭そうではあるのだけど。
お好きな席か……そうね、あのポスト、気に入ったわ。
「メリー、こっちの席にしましょ」
ポストがよく見える四人掛けのボックス席に陣取る。
うん、やっぱりこの席からは赤いポストがじっくり鑑賞できるわ。
外もそうだったけど、店内はよりいっそう面白い店ね。お気に入り決定の寸胴ポスト以外にもレトロなアイテムが山ほど飾られている。店内に、喫茶店とは明らかに関係無い看板が掲げられているっていうセンスも素敵。どれも古そうなのばかりでわくわくする。
現代風なのは……デジタル時計くらいかな。それも砂時計が六つ、一つずつ数字を映していて、二個ごとに小さな砂時計で区切られ繋がっているレトロチックなデザインだけど。小さな砂時計はダブルコロン代わりかな? 場所取るけど私も欲しいかも。
砂時計に表示されている数字は17:28:45。
午後五時二十八分四十五秒か。
ふと視線を向ければ、彼女も私と同じ気持ちらしくきょろきょろと店内を見回していた。
うんうん。そうしちゃうわよね。
自慢げにニヤニヤしていたら、店員さん、店主さんかな? がメニューと水を持ってきてくれた。
ぱっとメニューを見て、私たちは同じ注文をした。
ケーキセット。
コーヒーとレアチーズケーキ。
セットが届くまでの間、私たちは飽きることなく店内を見回し続ける。
「面白いなぁ、時代劇でしか見たことない看板だらけだわ」
「あれ質屋? あっちはドリンクの宣伝ね。……なんだっけ、平成だっけ、昭和だっけ」
「大正じゃなかった?」
着物の女性が笑顔でドリンクを掲げてるし。和服って確か大正期あたりに廃れたのよね?
しかし雰囲気出てるなぁ。照明の薄暗さがほんといい味出してるわ。
「? なんか、変わった臭いがするわね」
メリーは眉根を寄せてそんなことを言う。
変なにおい? コーヒーの香りが強くてそんなの――うん?
頭上。真上に顔を向ける。ランプ……カンテラ型の照明。それから、変わった臭いがする。
示し合わせたわけではないが私たちは同時に立ち上がりランプを覗き込む。
ランプの中では、円錐状の赤がちらちらと揺れていた。
「え……? これ、火?」
「は? ホログラムじゃなくて?」
「ホログラムには見えないんだけど……」
彼女が言う通り、ランプの中で揺れる火は本物のようだ。
本物? 灯り用の油なんて、売ってたかしら。仮に売ってたとして、使えたっけ……?
CO2規制法って、京都が一番きついんだけど。
石油の使用制限って大分昔から決まってる筈だし……っていうか、これ油の燃える臭い? そんなの知らないから、判別できない。
あちこちに置かれた、あるいは吊るされた形も大きさもバラバラのランプは、どれも同じように火を灯している……ように見える。
ぐるっと店内を見回す。時代劇とかでしか見たことのないような品々。これらがもし本物だったら店ごと即博物館行きだ。どれ一つとっても歴史的、資料的価値は計り知れない。だからフェイクと考えるのが当然、なんだけど。なんか、どうにも判断しかねるわね?
ランプ一つも本物かどうかわからないんだし。
「本物……なのかしら」
唸りながらメリーは座る。
「店員さんに訊いたら?」
「これフェイクですかって? 勇気あるわねあなた。蛮勇よ」
「おぅ」
流石にそこまで礼儀知らずではない。
気にはなるけど、礼を失してまでってのは、うーん。
首を捻るとこつんと柱にぶつかった。見れば、千社札、だけじゃない。お札がべたべたと貼られている。上の方には救命胴衣がどうのってお札が――うん? あれお札じゃなくて警告板?
陸の看板だけじゃなくて船のものまで……って、よく見れば舵輪が飾られてるわ。
「あはは、なんか考えるだけ損って感じだわ」
「あら珍しい。蓮子が思考放棄?」
「だってこの空気は楽しまなきゃ損よ?」
「そうねぇ……」
「なんかさ、内装が木造だからか、帆船の中って感じしない?」
身を乗り出せばきしりと音を立てる床。
「帆船?」
「そ、大航海時代の、木造船。そんな感じするでしょ」
「別に、揺れはしないけれど」
メリーは視線を泳がせる。
低い天井。狭い通路。つき出た梁。
どれも古ぼけていて、時代を感じさせる。
それらを彼女は順繰りに見て、微笑んだ。
「うん、確かに……帆船の食堂って感じ」
「船の中にポストっていうのはシュールだけどね」
「そんなの言い出したらきりが無いじゃない」
民俗資料館で見たことがある薪ストーブなんかその筆頭か。船の中で使ったら火事になっちゃいそうよね。三時五分を示したまま針が止まっている柱時計も――アウト側かしら。
なんて、笑い合っていたらケーキセットが届いた。
ふわっと広がるコーヒーの香りが鼻をくすぐる。
どうも、と軽く会釈して受け取りミルクと砂糖を入れて一口。
「あら」
メリーは目を丸くしていた。
うん、これは、美味しい。香りもいいし、味も今まで飲んだどんなコーヒーより芳醇だ。
ではレアチーズケーキの方はどうかと一口。こちらも、負けず劣らず濃厚で、美味しい。
うわ、初めてだわ。美味しい以外の言葉が出なくなっちゃうなんて。
「帝国ホテルの一番高いケーキより美味しいかも……」
「え。蓮子そんなの食べたことあるの」
メリーは変なこと気にしてるみたいだけど、構ってられないくらい美味しい。
ケーキとコーヒーだけで夢中になっちゃうなんてとんでもないわ。
店の外見も中身も面白い上にケーキとコーヒーまで美味しいなんて。
「あ~、なんか幸せ」
「顔、緩みまくってるわよ蓮子さん……気持ちわかるけど」
そうよね。あなたも緩みまくってるわメリー。
ああ、名残惜しい。気づけばもう最後の一口だなんて。おかわりしちゃおうかしら?
ああんもう、このタルトのサクサク感が最高だわ。
財布の中身と相談しておかわりしちゃおう。えっと、値段は……あ、メニューもう返しちゃった――って、あれ? テーブルの隅に置かれた紙片。これは……伝票? ……今時、ってもう何度言ったか忘れたけど、珍しい。殆ど電子管理されてて電子マネーかレジで自動清算が主流なのに。手書きの伝票なんて実家の方のお店でしか見たことないわ。
ま、そんなことよりお値段は……高くないけど、どちらかと言えば良心的なお値段だけど、今の私にはもう一品頼むのは無理だった。最低限くらいしか持ってないわよ。現金持ち歩く癖無いんだもん……ここ、電子マネーに対応してるようには見えないし。
「なに百面相してるのよ」
「夢と現実ってなんでこうも講和不可能なのかしら」
「一時停戦の締結から始めたら?」
なんか終わりなきゼロサムゲームに突入しそうな気がするわ。
パイの奪い合い。利権争いって、醜い。
そんなこんなでケーキも食べ終わり、ちょっとぬるくなったコーヒー片手に談笑が始まる。
話の内容は消えてしまったケーキからインテリアにスライドしていく。
「楽しいわよね、木に囲まれているのに船の中、って感じ」
「どれもこれもちぐはぐなのに不思議と落ちつくのよね」
ちぐはぐなのに落ちつく。うん、それが一番しっくりくる。
和洋折衷どころか時代も滅茶苦茶なのに、雑然としてるのに、不快感なんて感じない光景。
「感謝しなさいよメリー。私が見つけなかったら絶対来れなかったわ」
「そうね、こんな路地の奥に店があるなんて考えもしなかった」
珍しく素直に頷いて、彼女はまた見回し始める。
「博物館が凝縮されてるみたい。楽しいわ」
「なんて言えばいいのかな。独特の雰囲気があるわよね」
「うん――」
答えを期待したわけじゃなかった。
あくまで談笑。問いかけではなくおしゃべり。
それ故にか、彼女の出した答えに、私は表情を消した。
「これは、ノスタルジックと言うべきね」
急に現実に引き戻された気分だ。
夢の終わりを、告げられた気分。
「ノスタルジー……ねぇ」
空になったコーヒーカップを置く。
ノスタルジー。郷愁。思い出。
確かに、その通り。ここにある品々はとても古いもので、そう表すのが最適。
なるほどと膝を叩くのが正しい反応なのだろうけれど、私は出来ない。
間違ってると思ってるんじゃない、それが正解だと思うからこそ――頷けない。
「どうかした?」
「あ、うん……」
流石に感づかれたか。顔に出ちゃってるだろうしね。
メリーに非は無い。それだけでも伝えないと。
「いつかさ、ここでこうしてることも思い出になっちゃうのかな」
「? 楽しいし……そりゃ、そうなるんじゃないかしら。蓮子ってそんな記憶力悪かったっけ」
「忘れるとかじゃなくて、なんていうか……過去にしたくないっていうか」
楽しいから、なおのこと。
「ここにある品のようになりたくない――っていうか」
ずっとずっと、現在のままにしたい。
何かを見て思い出すなんてしたくない。
数多の記憶に埋没させたくない。
……こういうの、なんていうんだっけ。ピーターパンシンドローム?
一瞬を一瞬で終わらせたくないのよね。できることなら、永遠に引き伸ばしたい。
そんなの無理だって、永遠なんてありはしないって、わかってはいるんだけど。
わがままなんだろうな。それこそピーターパンみたいに子供のままで、のような。
あー馬鹿なことで水を差しちゃった。謝らなきゃ。
「前から思っていたのだけど」
再び先手を取られる。
顔を上げると、彼女は悪戯っぽく笑っていた。
「蓮子って詩人よね」
よく、わからない。
「……私、物理専攻なんだけど」
詩なんて曖昧なもの、私には向いてない。
私がそういうのに弱いの、高校時代から知ってるくせに。
「そうね、言葉選びは拙い。他人に伝わるものじゃない。基礎の基礎も知らないのがまるわかり」
「ちょ、言い過ぎ……」
「だけどね、感性が詩人なのよ。レトロな品々から誰かの思い出を感じ取ってる。他人の過去を追想してる。誰にでも出来ることじゃないわ。私も出来ないわよ? 蓮子」
でも、私はそれが嫌だって……
その思い出から逃げ出したいって。
「追想に溺れないで、自らを確立してる。その上であなたはあなたの言葉を紡いだ」
人を詩人と呼びながら、歌うように彼女は言う。
「詩人蓮子の短い詩。私の心には響いたわ」
なんか――恥ずかしい。
褒め殺しっていうか、うん。
伝わらないとか言っておいて、まったく……
「なんでもお見通しね、メリー」
「蓮子だからわかるのよ」
ああもうほんと恥ずかしい。
私が寂しがってたのかんっぺきに見抜かれてる。
いっそからかってくれた方が気が楽だわ。
「詩人、ねぇ」
上手い切り返しでも出来ればいいんだけど、生憎何も浮かばない。
「……ここはひとつ、詩的なことでも言った方がいいかしら?」
「この場に相応しいのは言葉でなく沈黙ね。いろんな記憶に囲まれているのだから素直にそれを楽しみましょう。美味しいケーキとコーヒーの味は、それでも薄れないのだから」
「記憶を味わうなんて、おばけみたい」
詩人はあなたの方だと思うのだけど。
記憶にも薄れぬコーヒーの味とか私には思い付かないわよ。
「ふふん、じゃあおばけらしく味の寸評といきましょう」
「寸評?」
「このお店の記憶はコーヒーね。酸味があって苦味が利いてる。とても心が落ち着くわ」
言って、彼女はにこりと笑う。
「蓮子と過ごした記憶は、とてもとても美味しくて、砂糖よりも甘いのよ」
――――だから、どっちが詩人だってのよ。
会計を終え店を出る。
飛び石を歩み、雑踏の声が聞こえてくる道を進む。
踵を返したくなっちゃうわ。店を出たら現実感戻り過ぎ。
「美味しかったわね、ケーキ」
「私はコーヒーの方が美味しかったわ。コーヒー派になっちゃいそうだもの」
「また来よっか。っと、店の名前憶えておかないと」
「そういえば入る時看板見落としたわね。まだ見えるかな――」
二人で振り向く。
え、という声は同時。
「今――そこから出てきたのよ、ね?」
「その、筈だけ――ど」
私たちの視線が向かう先に道は無い。
そこにあるのは、どうやっても通れそうにないビルとビルの隙間だった。
たった今出たばかりで、道を見失うなんてありえない。
振り返ればそこに、喫茶店へと通じる道がある筈なのに――
「……狸に化かされた、ってやつ?」
「その割には被害受けてないんだけど」
メリーは財布の中身を調べたり、手鏡で顔を確認したりする。
泥団子を食わされた、ということはなかった。口の中に残る味は、店での記憶のまま。
喫茶店を思い出す。外観も、内装も明確に思い出せる。
だけど――店主さんの顔も声も、思い出せなかった。
「不思議ね」
「不思議だわ」
ビルの隙間に向かって二人で唸る。
だけど、それは一瞬。
「ねえ蓮子」
「ええメリー」
私たちはにやりと笑う。
化かした相手が悪かったわね、狸さん。
「あの味は、思い出にするには惜しいわね」
「そうね」
他愛無い日常の一ページ。
喫茶店でケーキとお茶を楽しみながら益体の無いことを話す。
それを、たった一度の「思い出」で終わらせるなんて認めない。
「それじゃ決まりね」
「ええ、我ら秘封倶楽部の次なるターゲットは」
立ち止まれない。振り返る暇なんてない。
私とメリーが生きるこの日常は――
「ケーキとコーヒーの美味しい喫茶店よ!」
ずっとずっと、ノスタルジーになんてしたくない。
メリーが詩的なことをすらすらと語り出す場面に紫が重なったり。
ただ、この喫茶店がどういうものかとかは置いといて、それをどうして蓮子が見つけたのか、
また何故もう一度たどり着くことができたかなんかが気になったり。
いいなぁ
秘封らしさが出てるなあ
日常の中の非日常が立ち現われた世界観がとてもよかったです。やっぱり喫茶店はなんか蓮子が結界を超えちゃったりしてたのかしら。
こういう秘封はまさしく大好物
百合ネタを読みすぎてそういった重要さを忘れつつあったのですが、この作品でそれを僅かでも取り戻した気がした。
素敵すぎますね……是非行ってみたい
このように不思議な空間に迷っても、それを詩的に楽しめる二人がいいナァと思いました。
ノスタルジックというよりはオールディーズかしらん。懐かしい系喫茶店は何もかもが高い。
こういうタッチがレンメリの美味しい所で、その美味しい部分を抽出したような、ケーキでした。
科学・時代が進んだ外の世界から見た郷愁。少しの間そこに浸る変わり者のオカルトサークル。
読んでいてすごくしっくりときました。
面白かったです
「ふふ、宝物を自慢したい子供みたい」
この流れが凄く好きです。面白かったです、ありがとうございました。
京都でしょうか。
赤いポスト、とかがヒントですかね。さがしてみよう。