鼻歌交じりに、猫車は走るのでした。
敬愛する主が待つ地霊殿まで帰りつくには、だいたい文庫本を四分の一冊ほど読み進める時間が必要な気もしましたが。
ふたつみつと、こんもり積まれた新鮮な遺体にお燐は、まるでいつもよりちょっと贅沢な夕ご飯を見る子供のような顔をしております。
主は心が読めるとかいう大層な能力持ちでして、ついでにサルトルやニーチェを見下したいたぐいのインテリでありますが、読書の速度はのろりのろりと蛞蝓(なめくじ)そのものでありました。
静寂がやかましく喋り続けるのを、車輪の軋みと鼻歌がささやかに邪魔をします。この広大な地底の中でそれらの音は、本当に小さく儚く取るに足らない存在で、しかし思いのほか遠くまで響く事もまた周知でした。
晩秋の地底は、いかなる原理か誰も知りはしないのですが、はらはらと紅葉が舞うのであります。樹木など一本もありはしないのに。
鼻先を掠めた落ち葉に、くちゅんとお燐はかわいらしくくしゃみをしました。赤。だいたい。やまぶき。落ち葉は分厚い絨毯のようであります。
燃え上がるようなという比喩は、ここ地底においてはやや的外れでした。
嫌われものが、傷を舐めあってつくったこの太陽のない世界は、剥き出しになった鉄筋に触れたあの、気持ちの悪い冷たさが居座っています。
晴れ渡る事のない灰空をお燐は疑問にも思いません。にゃははと、無邪気に笑ってさえ見せます。彼女の百日紅の色した髪は、目いっぱいの祝福を天使より賜った幼い昔そのままに育ったのです。
北風。まもなく冬がやってくるのでしょう。
蛍火から、情緒のみを取り払ったような人工の照明に、無機質に立ち並ぶ地底の家屋が白々しくも浮き出ております。蟻塚にいくばくかの世間体を書き加えたそれらです。
「はじめに神は天と地をつくられた」「死後さばきにあう」「キリストは十字架で人の罪を負った」
お燐の視界の後ろへ、それらの看板は次々と過ぎ去ってゆきます。かろやかに。
しかし、救われたいと、本気で信じている者が、この地底にいるのでしょうか?
例えば親しい友人や家族に囲まれての誕生祝いや、昇りゆく大きな朝日に託した希望や、生涯を捧ぐに値する愛の誓いや。
それらを高価な宝石のように繊細に扱う事をまだ諦められないのかもしれません。でも、満ち足りてしまうのを怖がったのは彼らでしょう。だから彼らには、ひとりで寝転がる鋼で編んだベッドがお似合いなのです。
お燐にはどうでもいい光景です。日常の一端に過ぎません。
友人は、とぼとぼと、途方に暮れて、誰か助けてと懇願を隠す事もなく顔で訴えております。
「おくう、こんなところで、どうしたのさ」
「あ、おりんだ。あのね。あのね。さとりさまから、お買いもの頼まれたの」
「へえ、そうなんだ」
「アップルパイ作るからりんごを買ってきてってさとりさまが」
「うまく買えた?」
「うん。わたし、アップルパイ大好きだし、お買いものも大好きだし。それでね、いつもありがとうって八百屋さんがいっこおまけしてくれたの」
「それはよかったねぇ。みんな、おくうの事が大好きなんだよ。それであれかな、帰り道を忘れたってオチ?」
「う……うにゅ……」
「あーそんな泣きそうな顔しないの。ほら、あたいもちょうど帰り道だしさ。ほら、乗ってく?」
「うん! おりん優しいね! りんごいっこ食べる?」
「そいつは、お家でさとりさまに見せてあげれば、きっと喜ばれるんじゃないかな。さとり様の手作りなんて久しぶりだから、あたいも楽しみだよ。さてと。じゃ、急いで帰るかな。お燐タクシー発進だよ」
「わーい。運転手さん、さとりさまのところまで全速力でお願いします!」
積荷が多くなってしまえば、当然諦めざるをえない物が出てきます。
猫車をひっくり返して、お燐は死体を、ただしく廃棄物を扱う気楽さで捨てた……いや、この行動の意味合いはもう少しだけ深刻でしょう。例えば、何の感慨も抱かれず、当然のように使われゆく食卓上の塩胡椒のような。何の変哲もない無価値なニュアンスです。日常の一端が死体らを安易に消費したのでした。
そういえば、お燐は昨日もこうやって死体を捨てた気がします。その昨日も、さらに昨日も。記憶にあるだいたいの昨日において。
死体はどこへ行ったのか。あれだけ捨てたのに。広大な地底ですから。たまたま、近くで見当たらないだけなのかもしれませんが。お燐は、そんな事よりも、吐くと白くなる息の方にまだ興味があります。いつもの黒い一張羅だけでは、そろそろしんどいかもしれません。指先がかじかんでいます。旧地獄の熱量たったひとつしか、地底を温めてくれるものはありませんし。
ああ、しかし、本当にここには、太陽がなかったのでしょうか?
絶えることなく振り続ける紅葉は、しかし実は何かを覆い隠しているのではという発想は。
お燐は賢いのです。主よりずっと速く本だって読めますし。友人のとんちんかんな質問に誠実な答えを用意する事だってできます。
猫車の車輪に時々引っ掛かる、何かに気付いていないはずもありません。
それらは、ねばつくのです。過去から美しかった部分だけが取り残されて思い出になり下がる。あのたぐいの、後ろ暗いしつこさです。
お燐は手慣れたハンドルさばきでそれらを踏み越えていきます。友人はきゃっきゃと、猫車が大きく揺れるたび楽しそうに笑います。
北風。冬がまもなくやってくるのでしょう。
そして春を無邪気に信じるのでしょう。世界がどれほど極地に近づいたのか、主だけは知っているかもしれません。
彼女があの文庫本を読み始めてから、今日でちょうど四日目でした。
砂。いや、灰。
冬に雪が降るのは当然だと言いますが、しかし、お燐は本物の雪を見た事がありません。あれらがどのような概念を内包して、世界を征服したがるのか、考えた事もないのです。
ただ、それはきっと、主が文庫本を閉じる、酷く退屈そうで、乾いた、あの音によく似ているのだと思います。お燐は分からないでしょうが。お燐は賢いのです。気付かずにいる勇気は尊いのです。
「心から神を信じなさい」「キリストの血は罪を取り除く」「世の終りは突然に来る」
ビルディングの隙間を猫車は軽快に走り抜けます。看板の数よりも、地底にずっと人は少ないのでした。
昔はいったいどうだったのでしょう? 友人は今よりたくさん小馬鹿にされていたような気がしますし、もっとたくさんの恵みを浴びて生まれたような気もします。
何にしろ夢を見るにはいい季節でした。止む事のない紅葉は、そのうち灰に替わるでしょうか。覆い隠せられるなら、なんだって同じだと、持ち前の前向きさでお燐は春を待つのでしょうか。
ただ、何かを言えるとしたなら。
家路を急ぐ理由があるのは、きっと。そう、きっと幸せな事だったのです。
主が文庫本を読み終えてしまう前に、お燐は帰りつければよいと思います。主は腕を振るいたくて仕方がないのですから。退屈する暇を与えては可哀想です。でも、急がなくともよいのだと思います。主の読書は蛞蝓(ナメクジ)ですから。冬の訪れまで猶予はありますから。
それよりも、今は友人と丁寧に言葉を交わしてあげるのがいいのだと思います。
太陽が無い地底では、昼も夜もないから幸いだなんて、そんな、持たない者たちのばかげた哲学が、明日も無傷でいられるとは、誰も保証してくれないのですから。
ぴんと耳と尻尾を立て、ふと振り返ったお燐の視界には、灰褐色の空とくすんだ暖色の地平線があります。捨てた死体がどこへ行ったのかは。知る由もありません。やはり、どうでもよろしいと、お燐は再び猫車を押し始めました。
からころと、車輪は回り、少女ふたりの影が落ち葉をそっと撫でる、もしかしたら、世界が要求したすべてを、このふたりはすでに所有していたのかもしれません。祝福を。どうか祝福を。
温かいお部屋の中で主の手作りアップルパイを友人といっしょに頬張り。火焔猫燐の一日は有意義に終わったのでした。
敬愛する主が待つ地霊殿まで帰りつくには、だいたい文庫本を四分の一冊ほど読み進める時間が必要な気もしましたが。
ふたつみつと、こんもり積まれた新鮮な遺体にお燐は、まるでいつもよりちょっと贅沢な夕ご飯を見る子供のような顔をしております。
主は心が読めるとかいう大層な能力持ちでして、ついでにサルトルやニーチェを見下したいたぐいのインテリでありますが、読書の速度はのろりのろりと蛞蝓(なめくじ)そのものでありました。
静寂がやかましく喋り続けるのを、車輪の軋みと鼻歌がささやかに邪魔をします。この広大な地底の中でそれらの音は、本当に小さく儚く取るに足らない存在で、しかし思いのほか遠くまで響く事もまた周知でした。
晩秋の地底は、いかなる原理か誰も知りはしないのですが、はらはらと紅葉が舞うのであります。樹木など一本もありはしないのに。
鼻先を掠めた落ち葉に、くちゅんとお燐はかわいらしくくしゃみをしました。赤。だいたい。やまぶき。落ち葉は分厚い絨毯のようであります。
燃え上がるようなという比喩は、ここ地底においてはやや的外れでした。
嫌われものが、傷を舐めあってつくったこの太陽のない世界は、剥き出しになった鉄筋に触れたあの、気持ちの悪い冷たさが居座っています。
晴れ渡る事のない灰空をお燐は疑問にも思いません。にゃははと、無邪気に笑ってさえ見せます。彼女の百日紅の色した髪は、目いっぱいの祝福を天使より賜った幼い昔そのままに育ったのです。
北風。まもなく冬がやってくるのでしょう。
蛍火から、情緒のみを取り払ったような人工の照明に、無機質に立ち並ぶ地底の家屋が白々しくも浮き出ております。蟻塚にいくばくかの世間体を書き加えたそれらです。
「はじめに神は天と地をつくられた」「死後さばきにあう」「キリストは十字架で人の罪を負った」
お燐の視界の後ろへ、それらの看板は次々と過ぎ去ってゆきます。かろやかに。
しかし、救われたいと、本気で信じている者が、この地底にいるのでしょうか?
例えば親しい友人や家族に囲まれての誕生祝いや、昇りゆく大きな朝日に託した希望や、生涯を捧ぐに値する愛の誓いや。
それらを高価な宝石のように繊細に扱う事をまだ諦められないのかもしれません。でも、満ち足りてしまうのを怖がったのは彼らでしょう。だから彼らには、ひとりで寝転がる鋼で編んだベッドがお似合いなのです。
お燐にはどうでもいい光景です。日常の一端に過ぎません。
友人は、とぼとぼと、途方に暮れて、誰か助けてと懇願を隠す事もなく顔で訴えております。
「おくう、こんなところで、どうしたのさ」
「あ、おりんだ。あのね。あのね。さとりさまから、お買いもの頼まれたの」
「へえ、そうなんだ」
「アップルパイ作るからりんごを買ってきてってさとりさまが」
「うまく買えた?」
「うん。わたし、アップルパイ大好きだし、お買いものも大好きだし。それでね、いつもありがとうって八百屋さんがいっこおまけしてくれたの」
「それはよかったねぇ。みんな、おくうの事が大好きなんだよ。それであれかな、帰り道を忘れたってオチ?」
「う……うにゅ……」
「あーそんな泣きそうな顔しないの。ほら、あたいもちょうど帰り道だしさ。ほら、乗ってく?」
「うん! おりん優しいね! りんごいっこ食べる?」
「そいつは、お家でさとりさまに見せてあげれば、きっと喜ばれるんじゃないかな。さとり様の手作りなんて久しぶりだから、あたいも楽しみだよ。さてと。じゃ、急いで帰るかな。お燐タクシー発進だよ」
「わーい。運転手さん、さとりさまのところまで全速力でお願いします!」
積荷が多くなってしまえば、当然諦めざるをえない物が出てきます。
猫車をひっくり返して、お燐は死体を、ただしく廃棄物を扱う気楽さで捨てた……いや、この行動の意味合いはもう少しだけ深刻でしょう。例えば、何の感慨も抱かれず、当然のように使われゆく食卓上の塩胡椒のような。何の変哲もない無価値なニュアンスです。日常の一端が死体らを安易に消費したのでした。
そういえば、お燐は昨日もこうやって死体を捨てた気がします。その昨日も、さらに昨日も。記憶にあるだいたいの昨日において。
死体はどこへ行ったのか。あれだけ捨てたのに。広大な地底ですから。たまたま、近くで見当たらないだけなのかもしれませんが。お燐は、そんな事よりも、吐くと白くなる息の方にまだ興味があります。いつもの黒い一張羅だけでは、そろそろしんどいかもしれません。指先がかじかんでいます。旧地獄の熱量たったひとつしか、地底を温めてくれるものはありませんし。
ああ、しかし、本当にここには、太陽がなかったのでしょうか?
絶えることなく振り続ける紅葉は、しかし実は何かを覆い隠しているのではという発想は。
お燐は賢いのです。主よりずっと速く本だって読めますし。友人のとんちんかんな質問に誠実な答えを用意する事だってできます。
猫車の車輪に時々引っ掛かる、何かに気付いていないはずもありません。
それらは、ねばつくのです。過去から美しかった部分だけが取り残されて思い出になり下がる。あのたぐいの、後ろ暗いしつこさです。
お燐は手慣れたハンドルさばきでそれらを踏み越えていきます。友人はきゃっきゃと、猫車が大きく揺れるたび楽しそうに笑います。
北風。冬がまもなくやってくるのでしょう。
そして春を無邪気に信じるのでしょう。世界がどれほど極地に近づいたのか、主だけは知っているかもしれません。
彼女があの文庫本を読み始めてから、今日でちょうど四日目でした。
砂。いや、灰。
冬に雪が降るのは当然だと言いますが、しかし、お燐は本物の雪を見た事がありません。あれらがどのような概念を内包して、世界を征服したがるのか、考えた事もないのです。
ただ、それはきっと、主が文庫本を閉じる、酷く退屈そうで、乾いた、あの音によく似ているのだと思います。お燐は分からないでしょうが。お燐は賢いのです。気付かずにいる勇気は尊いのです。
「心から神を信じなさい」「キリストの血は罪を取り除く」「世の終りは突然に来る」
ビルディングの隙間を猫車は軽快に走り抜けます。看板の数よりも、地底にずっと人は少ないのでした。
昔はいったいどうだったのでしょう? 友人は今よりたくさん小馬鹿にされていたような気がしますし、もっとたくさんの恵みを浴びて生まれたような気もします。
何にしろ夢を見るにはいい季節でした。止む事のない紅葉は、そのうち灰に替わるでしょうか。覆い隠せられるなら、なんだって同じだと、持ち前の前向きさでお燐は春を待つのでしょうか。
ただ、何かを言えるとしたなら。
家路を急ぐ理由があるのは、きっと。そう、きっと幸せな事だったのです。
主が文庫本を読み終えてしまう前に、お燐は帰りつければよいと思います。主は腕を振るいたくて仕方がないのですから。退屈する暇を与えては可哀想です。でも、急がなくともよいのだと思います。主の読書は蛞蝓(ナメクジ)ですから。冬の訪れまで猶予はありますから。
それよりも、今は友人と丁寧に言葉を交わしてあげるのがいいのだと思います。
太陽が無い地底では、昼も夜もないから幸いだなんて、そんな、持たない者たちのばかげた哲学が、明日も無傷でいられるとは、誰も保証してくれないのですから。
ぴんと耳と尻尾を立て、ふと振り返ったお燐の視界には、灰褐色の空とくすんだ暖色の地平線があります。捨てた死体がどこへ行ったのかは。知る由もありません。やはり、どうでもよろしいと、お燐は再び猫車を押し始めました。
からころと、車輪は回り、少女ふたりの影が落ち葉をそっと撫でる、もしかしたら、世界が要求したすべてを、このふたりはすでに所有していたのかもしれません。祝福を。どうか祝福を。
温かいお部屋の中で主の手作りアップルパイを友人といっしょに頬張り。火焔猫燐の一日は有意義に終わったのでした。
なので、僕はこれを唯寂寥の物語と受け取ったのですが、三人称でありながら誰かの意思を感じる文体が、するすると僕の中に入ってくるように染み込んだので、まるで文章を読むというよりも、深い水の中に浸かって行くような気分でした。
燐の感じている暗澹として後ろ暗い感じが、一歩を引いて後ろに立っている影のように付き纏って不安になり、静かでけれど幸福なラストを迎えても、どこかで不安は付き纏うのだろうなと思うと、ただ祝福を祈りたい気分になりました。
なんかもう、色々大好きです。ありがとうございました。
まさに表現が表象しているのだと思いました。
こういう作品に出会える創想話は素晴らしい場所だと思いました。
これからも期待しています。
キリコの絵を思い出した。などと言ってみる。
さとりはラファエロが描く聖母のイメージ。
90点満点中の90点。
俺の読み物に対する嗜好からちょっとずれている。
作品を十全に理解できない事に対する悔し紛れではないのだ、決して。
夏の夕暮れにふと兆す不気味な静寂とか、
親しい友人と話しているときに唐突に訪れる寂しさであるとか。
そういった、
形のない不安がひたひたと、
生活の真ん中から染んでくるような。
どんな聖句でさえも、空虚に思える時が来るような。
とにかく、素晴らしいと思います。はい。
なので、小説ではなく文学として評価させて頂きます。
文豪の作品のオマージュとしては素晴らしい出来ですが、ご自身の独自性が感じられないように見受けられます。
模倣した上で自分だけのオリジナリティを加えるともっといい作品が出来上がると思います。
酷な批評だとは思いますが、こういった文章を書ける人間が稀有なので厳しめに書かせて頂きました。
次の作品も楽しみにしています。
よくもまぁこんな文体で書けるもんですねぇと関心します。
中身に対して明確な感想を述べられないのが残念です。
この手の雰囲気は東方、超似合うなぁと思った次第。
こいつはすげえなあ
うすら寒い地底と、手料理を待ち遠しく思うささやかな幸せのギャップが素敵でした。
頭のなかに一枚の絵がうかんでいるんです
どうやったらこんなものが書けるのでしょうね