「天誅ぅ~~~~~~~~!!」
その甲高い叫び声が、夜半の迷いの竹林に響き渡った。
それと同時に、ピチューンという撃破音。
叫び声の発生地点では、声の主ミスティア・ローレライが、地面に突っ伏したまま目を回していた。
「………………………ハッ!?」
ミスティアが目を覚ますと、何故だか布団の中にいた。周囲を見渡してみるに、床には行灯が置いてあり、その明かりで部屋は照らされていた。どうやらここはどこかの民家らしい。
どうしてこんなところで寝ているのかは分からないが、とりあえず起き上がろうと体に力を入れる。
すると
「う!? 痛たたた…」
力を入れると体の節々が痛んで、起き上がろうにも起き上がれない。
仕方ないので無理に起き上がるのは諦めて、一旦体を寝かす。
そして、この状況に至った過程をゆっくりと思い返す。
「あーそっか…あの時…返り討ちにあって…」
思い出した、どうして体が痛いのかを。それはそれは苦い思い出。
その苦い思い出に浸ってしかめっ面をしていると、家の奥から誰かがやってくる足音がした。
「あ、気が付いた?」
どうやらこの民家の住人であるらしい。
これは親切にありがたい、とミスティアは寝転がっているためにまだ顔を見ていないその人のことを思う。きっと、傷ついた自分を保護してくれた人もその人なのだろう。
とにかく、きちんと一目顔を見てお礼を言おうと、今度は慎重に寝返りをうってその人の方へ顔を向けた。
「どうもありが……あ、あんた!? …いっ!?」
「ああ駄目だよそんな急に動いちゃ。まだ安静にしてないと」
ミスティアは心底驚いた。
急に動いてまた節々が痛む自分を心配してくれているその人は、美しく長い白髪に大きなリボンをつけた、白い服に赤いズボンをはいた人。
「に…にっくき焼き鳥屋…」
「何を言ってるのかよく分かんないけど、とりあえずじっとしてて。あの時はかなりこっぴどく返り討ちにしちゃったから」
今ミスティアを介抱しているのは、藤原妹紅である。そして、先ほどミスティアが天誅と叫びながら攻撃したのも同じく藤原妹紅であり、それを返り討ちにして気絶させたのもまた然りである。
ミスティアが体の痛みに堪え切れずまた体の力を抜くと、妹紅は安心したように胸を撫でおろし、ふぅ、と息を吐いた。
「で、どうしてわたしのことを襲ったの? あの馬鹿姫が刺客でも送り込んできたかと思って反撃したけど、見たところ貴女はウサギじゃないし」
「馬鹿姫? ウサギ?」
「ああゴメン、それはこっちの話。それはそれとして、わたしは貴女がわたしを襲った理由を聞いているんだけど?」
ミスティアは、妹紅から目をそらして黙っていた。答えるべきか否か迷っていたのだ。
しかしよくよく考えれば今自分は敵の手中にすっぽり収まってしまっているのだ。選択の余地は無かった。
「あんたはわたしの敵。憎むべき敵。そう、焼き鳥屋…」
「……は?」
妹紅は戸惑った。半端ないほど戸惑った。
そらしていた目をこちらに向けてきたかと思えば、自分が憎き焼き鳥屋だと言う。意味が分からない。
「あのー…ホントのこと言ってくれない? 冗談言われてもどういう反応していいか…」
「冗談なんかじゃないわよ! あつつ…!」
「ああ、そんな叫んじゃ駄目だってば。傷口に響くから」
「だ、大丈夫よ、触んないで! そうやってわたしのことも焼き鳥にする気でしょう!?」
「だからさっきから何言ってるの!?」
興奮気味になったミスティアをおさえようと妹紅は手を差し伸べるのであるが、ミスティアはそれを払いのける。
いつまでも強情なミスティアにいよいよ困ってきた妹紅。そんな彼女に、ミスティアは興奮冷めやらぬまま妹紅を狙った理由を語り始めた。
「わたしの名前はミスティア・ローレライ。夜雀の妖怪であり、『反焼き鳥の会』の初代会長にして理事長にして運営委員長にして…」
「それってつまり貴女しかいないんじゃあ…」
「は、話の腰を折らないで! …ゴホン。それでわたしは全ての鳥を代表して焼き鳥屋撲滅運動をしているの」
「…わたしはどうして貴女がわたしのことを襲ったのかって聞いてるんだけど?」
話の流れが見えずじれったそうにしている妹紅に、ミスティアはキッと目をむいた。
そして追及するように言葉で妹紅に迫る。
「とぼけないでよ! こっちはブン屋の情報で知ってるのよ。あんたが焼き鳥屋だって!」
「…あ~そんなこともあったなあ」
いつぞやの火事騒動でブン屋がやって来た時、話の流れでそう言う風になってしまった気がする。
それを思い返し、妹紅は理解した。
自分のことを狙っていたこの自称「反焼き鳥の会」会長兼理事長兼運営委員長はつまり。
「いいミスティア? 貴女は誤解している。わたしは焼き鳥屋じゃあ…って、どうしたの?」
なんとか誤解を解こうとする妹紅なのだが、何かがおかしい。
というのも、何故だかミスティアがボーっと不思議そうな顔をして妹紅の方を見ているのだ。
「…どうして?」
「え?」
「どうしてあんた、わたしの名前知ってるの?」
「どうしてって、さっき自分で名乗ってたじゃない、ミスティア・ローレライって。」
「……………あ」
妹紅はもう一つ理解した。
今対峙しているこの夜雀は、もしかするとおそらくひょっとして。
「貴女、相当…」
「だ、誰が馬鹿よ!? 誰が間抜けよ!? 誰が鳥頭よー!?」
「そこまで言ってない…っていうか、だからそんなに興奮しちゃ駄目だって!」
「あたたたた…う~…」
暴れようとするミスティアを押さえ込んで、妹紅は話を元に戻そうとする。
これ以上はミスティアの体に負担がかかりすぎてしまうし、何より自分もしんどい。
「貴女が馬鹿じゃないってのは分かったから、とにかく話を聞いて。さっきも言ったけど、わたしは焼き鳥屋じゃない」
「…本当?」
「本当だよ」
どうやら落ち着きを取り戻してくれたミスティアに、妹紅は誠心誠意答える。
信じてくれるかどうかは分からないが、とにかく今はこうするしかない。
「…まだ信じられない」
「本当なのに…」
ミスティアの返事に軽くヘコんだ妹紅。誠実な姿勢で挑んだつもりだったが、伝わらなかったらしい。
しかし、全く効果が無かったわけでは無かった。
それは、ミスティアから発せられた妹紅にとってはあまりにも意外で、また困惑する言葉に表れた。
「まだ焼き鳥屋じゃないって信じられないけど、あんたが焼き鳥屋だっていう確信もない。だから、わたしはしばらくあんたを監視する」
「え?」
「この怪我であまり動きまわる自信は無いし、しばらくここに泊まらせて。それで監視する」
「と、突然そんなこと言われても…」
「焼き鳥以外では迷惑かけないように努力するから、お願い!」
手を合わせて懇願してくるミスティアに、どうしたものかと妹紅は悩んだ。
常識的に考えて、襲ってきたのはミスティアなのだから追い返せばそれでいい。特に非は無い。
しかし、いくら反撃だと言っても少しやりすぎた感はある。いちいち永遠亭の薬師に頼むほどの怪我はさせてないつもりだが、それでもミスティアはさっきからかなり痛そうにしている。
それに、このまま追い返してまた恨みを買って、それで襲われるのも困る。ここはいっそ気が済むまで監視させて、誤解を解く方が得策ではないか。
そんなこんなで、妹紅は結論に至る。
「わかったよ。好きなだけ監視するといい」
「やった。ありがとう」
「仮にも監視相手にありがとうはないでしょ。ってああ、そんな急に立っちゃ駄目だって」
「大丈夫よこれくらい。仮にも妖怪なんだから、回復は速い…って、え?」
「あーあ…」
妹紅は頭を抱えてため息をついた。
そして予測する。きっとミスティアはまた大声でわめき、再び布団に潜り込むだろう。
なぜならば、立ち上がった拍子にハラリと落ちた掛け布団の下には
「き…きゃああああああああああああああああ!?」
「だから急に立つなって言ったのに…」
一糸纏わぬ裸体があったのである。
予想通り過ぎて呆れる妹紅に、ミスティアは鬼気迫る顔で問い詰める。
「なんでわたし服着てないのよ!?」
「しょうがないじゃない。体中の傷の手当てするにはそうするしかなかったんだから」
「うぅ~こんなんじゃお嫁に行けない…」
「貴女ならきっといいお嫁さんになれるよ。ほら、貴女の服。着替えるの手伝おうか?」
「ひ、一人でできるわよ! …痛っ」
「ほらほら怪我人が無理しない。人の好意は受けておくものだよ」
「な、なんか屈辱…」
結局、妹紅は着替えを手伝った。
こうして、妹紅とミスティアの奇妙な共同生活が始まることになったのである。
なったのだが
「もう夜は遅いので、わたしは寝ることにする」
「うん」
着替えを続けながら、妹紅は淡々と言葉を並べる。
別段重要なことでもなさそうなので、ミスティアは割と適当に返事をしていた。
だが次の言葉は、そんなミスティアに意外なもの。
「そこで、一つ問題がある」
「問題?」
「そう、問題」
一体何なのだろうかとミスティアは首をかしげる。
もったいぶらないで早く教えてほしいと思っていたところで、妹紅は相変わらずの淡々とした話し方を続けた。
「わたしは長らく一人暮らしをしていて、布団は一枚しかもっていないんだ」
「それってつまり…」
「そう、布団が足りない。まあ怪我人を布団なしに寝かせるのはまずいから、わたしは適当に布でもかぶって寝ることにするよ」
これで何の問題も無くなったと言わんばかりの妹紅であったが、ミスティアは全然納得いかなかった。
ちょっと待ってよ、と適当な布を用意し始めた妹紅を引きとめる。
「何?」
「言ったでしょ? 焼き鳥に関係ないことでは迷惑かけないって。わたしは大丈夫だからあんたが布団使ってよ」
「いやいやだから、怪我人にそんなことさせられないよ。これでもわたしはけっこう頑丈だから平気だよ」
「でもわたしの方が納得いかないの。迷惑かけっぱなしなんて嫌なの」
「う~ん参ったなあ…」
ポリポリと頭を掻き、妹紅は本当に参ってしまった。
別に気にする必要なんかないと言っても、この夜雀はどうしても納得してくれないらしい。話し合いは平行線を辿ったままだ。
お互い妥協するには、ミスティアが布団で寝、かつ妹紅も布団で寝るような状況になるしかない。
果たしてそんなことができるのだろうか。
「…できるじゃん」
妹紅はそう言うと布の準備をやめ、てくてくと布団の方まで歩み寄り、ミスティアに少し端に詰めてもらうよう頼んだ。
「え? こうすればいいの?」
「そうそうそれでいいよ。じゃあ、よいしょっと」
「きゃ!? と、突然何!?」
「何って、簡単なことだよ。お互い相手に布団で寝てほしいんだから、折衷案で二人とも布団に入ればいいってこと。我ながらいい案だと思うんだけど」
「…ハハ」
ミスティアはもう、笑うしかなかった。
「…わたしが眠ってるうちに、焼き鳥にしようとかしないでよ」
「そんなことしないよ。それじゃ、おやすみ」
「…おやすみ」
よほど寝つきがいいのか、妹紅はあっという間に寝息を立て始めた。
そんな彼女を見てミスティアは、おかしな奴、と思う。
(つけ狙った相手の手当てをして、家に置いてさ。挙句こうして一緒に寝るなんて)
どうぞ襲ってくださいと言っているようなものではないか。下手すれば殺されるかもしれないのだ。
相当腕に自信でもあるのだろうか。
(まあわたしなんかあっさり返り討ちだったし、とても強いんだろうけど…でも今はぐっすり寝てるみたいだし)
長い爪をその首筋に突きたてれば、きっとすぐに御陀仏に違いない。
想いを廻らしながら、ミスティアは自身の爪を妹紅の首筋に添える。
(…別にしないけどね、そんなこと。監視中だし。それに寝首をかくなんて卑怯だしね)
そっと手を引く。
その時、手が妹紅の長い髪に触れた。
(きれいな髪だな…それに艶があって、なめらか…って)
ハッと我に返った。
これではまるで妹紅に見惚れていたみたいではないか。
そんなことは無いはずだ。憎き焼き鳥屋の可能性がある妹紅に見惚れるなど、断じてありえない。
(き、きっと一瞬の気の迷いよ。そうに違いないわ。馬鹿な事考えてないで、早く寝よう)
じっと目を瞑り、夢の世界に入り込もうとする。
ただ、本格的に眠りにつくまでの間、妹紅の寝息が気になってなかなか眠りに至れなかったのであるが、それは別段意識してのことではない。おそらく。
翌朝、カコン、カコン、という小気味のいい音でミスティアは目を覚ました。
気付くと、隣で眠っていた筈の妹紅の姿が無い。
「…外、かな」
体の痛みは引いたらしく、自由に動くようになった体を起き上がらせて音のする方へ向かう。
丁寧に揃えて置いてくれた靴を履いて土間に降り立ち、玄関の戸を開ける。
するとそこには、探していた人物がちゃんといた。片手に手斧、もう片方に短く切った竹を持って。
その人は、こちらの姿を確認するとニコリと笑う。
「おはよう」
「お、おはよう…」
向けられた笑顔に若干戸惑うミスティア。昨晩襲った相手にこんな顔を向けられて、少し気恥かしいのだ。
妹紅はそんなことお構いなしに、笑顔を絶やさない。
「もう動けるようになったんだね」
「え、あ、うん。あれくらいの傷、一晩もすれば治るわよ」
「そう、それはよかった」
「あ、ありがと…」
どうにも調子が狂ってしまう。ミスティアはひしひしとそう感じていた。
向けられる笑顔も言葉も優しくて、どうにも毒気が抜かれてしまう。
そんな自分の気持ちさえ誤魔化すように、ミスティアは話を変えた。
「そういえば妹紅、さっきから何してるの?」
「…あ」
「え、何?」
ミスティアが質問をすると、妹紅は驚いたように小さく言葉を放った。
そして予想外の反応に逆に驚かされたミスティアに、今までよりもさらに明るい笑顔を向ける。
「初めて名前で呼んでくれたね」
「…え?」
「昨日はずっと『あんた』ばっかりだったけど、今は『妹紅』って呼んでくれた」
「それがどうしたのよ?」
「まあわたしはこんな辺鄙な所に住んでて付き合いも多くないから、名前で呼んでくれる人がいるとそれだけでなんだか嬉しくてね、つい」
「ふーん、難儀なのね」
「まあね」
妹紅がふふっ、と笑ったら、ミスティアもアハハと笑って返した。
その瞬間、またも妹紅は嬉しそうな、楽しそうな笑顔をする。
「あ、初めて笑った。昨日みたいにしかめっ面ばかりだと、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?」
この妹紅の一言で、笑っていたミスティアの顔はドキッと引き攣り、心なしか紅潮した。
「そ、そんなお世辞を言ったって監視の目は緩まないわよ!」
「え~お世辞じゃなくて本心なのに」
「とにかく、わたしは惑わされないからね! …っていうか、まだ妹紅最初の質問に答えてないじゃない」
「あ、また名前で…」
「それはいいから!」
本当に調子が狂う。
そこまで腹が立つわけではないが、妹紅の笑顔や言葉の端々に心がかき乱される感じがしてならない。
その胸の内をあらわにするように、フーッと猫のような威嚇をするミスティア。
これには妹紅も流石にやりすぎたかなと、ゴメンゴメンと謝って話の軌道を修正する。
「今何をやっているか、だったね。これは竹炭を作ってるんだ」
「竹炭? 木炭みたいなもの?」
「まあそうだね」
話の筋が元に戻って、ミスティアもむき出しの牙を引っ込めた。
それに妹紅も安心して、竹炭作りの説明をし始める。
「今はとりあえずこうやって竹を小さく割って、後で焼いて炭にするのさ。そして…」
「分かった!」
妹紅の話を遮って、ミスティアは一人納得したような顔をして妹紅の方を見た。
そしてきょとんとする彼女に、何が分かったのかとつらつら述べ出した。
「その竹炭を使って焼き鳥をするんでしょう!? やっぱり妹紅は焼き鳥屋なのね!」
「あ、いや違うって…」
「そうと分かればこうしちゃいられない! 天誅ぅ~~~~~!」
「ああもう! だから違うって言ってるでしょう!」
「うわらば!?」
カウンターヒット!
妹紅の右ストレートが、襲いかかるミスティアの顎に見事直撃。
きれいなクロスカウンターでその場にうずくまるミスティアに、妹紅は優しい言葉に直して話しかけた。
「この竹炭は生活用に使うだけであって、別に焼き鳥用とかそんなんじゃないの。分かった?」
「は、はいぃ…分かりましたぁ…」
「分かればよろしい。さ、朝ごはんにしよ。ミスティアも食べるでしょ?」
「う、うん…」
圧倒的な力の差に、一度ならず二度までも破れ去ったミスティア。
力では勝てないことを悟った彼女は、じゃあどうするのかということは後に回して、とりあえず朝食を頂くことにした。
朝食後、二人は一緒に竹炭作りに励んでいた。
泊めてもらっている身なのだからせめて何か手伝いたいと、ミスティアが申し出たのである。
そして、そこまで言うならと妹紅もミスティアの申し出を受け入れ手伝ってもらうことにした。
と言うことで、二人で協力して周囲に生えている竹を刈り、手斧で小さくし、窯で炭にしていく。
「それにしても竹炭なんて珍しいわね。木炭ならよく見るのだけど」
「まあ燃料として使うなら木炭の方が一般的だけど、ここら辺は普通の木よりも竹の方がごまんとあるからね」
「なるほどね」
窯で焼かれる竹を見ながらの会話で、ミスティアは竹炭に興味津々の様子だった。
もしかしたら妹紅の家に来てから一番楽しそうかもしれない。
「ミスティアって炭に興味あるの?」
「んー、まあね。ヤツメウナギの炭焼きによく使うから」
「ヤツメウナギの炭焼き?」
ミスティアの口から出た意外な単語に、妹紅は少しびっくりした。
そんな妹紅にミスティアは、言ってなかったっけ、と返した。
「焼き鳥屋を撲滅するために、ライバルとしてヤツメウナギの炭焼きを売り出してるの。まあウナギが無い時はドジョウなんかも焼いてるけどね」
「へえ~、じゃあ食べてみたいな」
「…妹紅が金輪際焼き鳥屋をしないっていうなら、考えてもいいわよ?」
これでどうだ、焼き鳥屋ができないだろう、としてやったり顔のミスティア。
しかし妹紅の表情は相変わらず朗らかに笑っていた。
「じゃあ何の問題もないね」
「どうしてよ?」
「だってわたしは焼き鳥屋じゃないから。これで気兼ねなくミスティアの焼きウナギが食べられる」
「…まだ、妹紅が焼き鳥屋じゃないって信じたわけじゃないから」
そうやってボヤくミスティアではあったが、内心違っていた。妹紅がえらく焼きウナギを楽しみにしているので、それなら今度食べさせてやろうと思っていた。
だが、朗らかな妹紅の表情は一変して、何か考えるような、そんな顔になっていた。
「…ミスティアはさ、鳥の妖怪として、焼き鳥屋を無くそうとしてるんだよね」
「そうだよ。だから妹紅のとこにもやって来た」
「じゃあさ、もし魚の妖怪がいたらミスティアの焼きウナギにも抗議が行くかもね」
「う…それは確かに、そうだけど…」
痛いところを突かれてしまった。
焼き鳥を焼きウナギに変えた。それはつまり鳥を魚に変えたということで、魚たちには迷惑なのだろう。
それはそうなのであるが
「でも、わたしは鳥だから、やっぱり焼き鳥は気にくわないわけで…」
「あ、いや、別に責めてるわけじゃないよ。きっと人間だって、他の人間が喰われたら我慢できないだろうしさ。ミスティアの気持ちだって、普通の事だよ」
次第に小さくなっていくミスティアの声に、妹紅は慌てて取り繕った。ほんの冗談で言っただけであって、責めるつもりなんて全くなかったのにそう受け取られてしまったのだ。
焦る妹紅なのだが、ミスティアは別に気になることがあった。先ほどの妹紅の言葉。
「『きっと人間だって』って言うけど、妹紅だって人間でしょ? どうしてそんな他人事なの?」
「え、ああ、えーっと…ほら、わたしって世間から離れてこんなところに住んでるからさ、ちょっと距離を置いちゃったというかなんというか…」
明らかにしどろもどろになる妹紅。何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。
しかし気になる気持ちも強い。あまり踏み込んではいけなさそうなのだが、ミスティアは思い切って聞くことにした。
「じゃあ、妹紅はどうしてこんなところに住んでるの?」
「それは…」
それっきり、妹紅は黙ってしまった。本当に聞いてはいけなかったことのようだ。
「ゴ、ゴメン、変なこと聞いちゃって。焼き鳥以外では迷惑かけないって約束したのに…」
「いや、なんて言うかこっちこそゴメン…」
お互いに謝って、そこから会話がつながらない。
重苦しい空気の中、窯の中で焼ける竹のパチパチという音だけ嫌によく聞こえる。
まさに、両者とも息の詰まる思いだった。
そんな折、この空気を打開してくれる声が遠くから聞こえていたのであった。
「お~い、妹紅」
少々男っぽい口調の声の主は、ざっざと竹林の中をまっすぐ妹紅の家まで歩いて来た。
「久しぶりだな妹紅、元気そうで何よりだ」
「慧音こそ元気だね。でもこんな昼間から来るなんて珍しい。寺子屋は?」
「ああ、今日は寺子屋は休みの日でね。それで、ちょっとこっちに寄ってみたというわけだ」
一通り挨拶を交わした妹紅と慧音。
横で見ていたミスティアは、まるで世捨て人みたいなことを言っていた割に仲のよさそうな相手がいるじゃないかと思っていた。そして、とりあえずさっきの重たい空気からも逃れられると喜んでいた。
とそんな時、妹紅に対して微笑を浮かべながら会話していた慧音が、うってかわって厳しい視線をミスティアの方に向けてきた。
「ところで妹紅、どうしてミスティアと一緒にいるんだ?」
「う…」
ギクリ、とミスティアは心臓が飛び出そうになる。ミスティアは慧音が何者か知っているのだ。
人里で子どもたちの教師をしているのは片方の面で、もう片方の面では人間に害為す妖怪を退治しているのだ。
ということは、もし昨日妹紅を襲ったなどということがバレでもしたら
(ヘ、ヘッドクラッシュ的なものが飛んでくる…)
慧音のヘッドクラッシュ(略してヘックラ)は、それは痛いものであるということもミスティアは噂で知っていた。
これは妹紅の返答次第で地獄を見る可能性も出てきた。
しかし、そんな戦々恐々状態のミスティアに対し、妹紅は至って呑気であった。
「へー、慧音ってミスティアのこと知ってるんだ」
「ん、ああ。人里の自警を務めている以上、ある程度の妖怪や妖精たちの知識はもっているからな。こいつはミスティア・ローレライ。その歌声で人々の視界を奪う妖怪だ」
「歌で人を惑わせるのか。まさしくローレライだなあ」
そう言いながらミスティアの背中をポンポンと叩く。
いつもならやめるよう言うミスティアであるが、今はそれどころではない。ヘックラが飛んでくるか否か。その狭間で戦慄しているのだ。
「それで、わたしはどうしてお前とミスティアが一緒にいるのか聞いているんだが?」
(…来た)
妹紅がどう答えるか、運命の分かれ道。ヘックラの分かれ道。
「んーなんか家の近くでミスティアが怪我しててさ。見捨てるのも可哀そうだったから手当てしたんだ」
ミスティアは救われた。ヘックラ地獄に落ちる寸前で、その手を引っ張ってもらった。
しかしどうして妹紅は嘘をついてくれたのか。気になったミスティアは妹紅の顔を見る。
(…あ)
ミスティアと目があった妹紅は、慧音に気付かれないようこっそりウインクしてアイコンタクトをとって来た。
妹紅も慧音のヘックラに思い至り、誤魔化してくれたらしい。
「そうなのか。ミスティアはどうして怪我をしていたんだ?」
「あ、えーっと、真っ暗な夜の竹林を飛んでたら、うっかり竹に頭ぶつけちゃって。それでそのまま地面に落っこちちゃって」
妹紅が作ってくれたチャンスを最大限活かそうと、ミスティアは必死になって口裏を合わせる。ここでミスったらヘックラ回避に失敗してしまう。とにかく必死だった。
すると慧音も納得してくれたようで、首を一回縦に振った。
「分かった。それにしてもミスティア、それじゃあまるでどこかの宵闇の妖怪じゃないか」
「ア、 アハハ…そうだね…」
その妖怪を参考にして嘘をつきましたとは、口が裂けても言えなかった。
あの後、慧音が妹紅の家に上がり、三人で昼食をとることになった。
慧音が土産にと大きなナマズを持ってきていたので、それを焼いて食べることにした。
調理をするのは、ミスティアである。
「え、何でわたし?」
「だって焼きウナギ屋をしてるんでしょ? だったらナマズだって美味しく焼けるよ」
「ま、まあ妹紅には色々と恩もあるし、上手に焼けるかどうか分かんないけど、やってみるよ」
「ありがとう、お願いね」
襲った自分の怪我を手当てしてくれたこともあるし、しかも家に泊めてくれている。さらに言えば、さっきはヘックラ回避に全面的に協力してくれた。
ミスティアの妹紅に対する恩は、実に大きいのだ。
そういうわけで台所はミスティアに任せられることとなり、妹紅と慧音は食卓で待つこととなった。
「昨日今日のうちに、ずいぶんと仲良くなったみたいだな」
「まあね。ミスティアはちょっと意地っ張りなとこあるけど、基本的にはいい子みたいだしさ」
「ほう、そうなのか」
「昨日なんて、怪我してるくせに迷惑かけたくないとか言って一枚しかない布団をわたしに使わせようとするし。まあ結局わたしの方が根負けして、一緒に布団に入ったんだけど」
「なるほどな……ん?」
さらっと言った妹紅の発言。危うく慧音は流してしまうところだった。
今妹紅は何と言ったか。
「妹紅…お前今何て言った?」
「え? だから、怪我してるくせに一枚しかない布団をわたしに使わせようとしたって」
「違う、その次」
「わたしの方が根負けして、結局一緒に布団を使ったってところ?」
それが何か、と言った感じで聞き返す妹紅に、慧音は思わずため息が出た。
特に羨ましいとかは思わないが、そんな破廉恥なけしからんと慧音は思う。大切なことなので二度言うが、別に羨ましくはないのである。
「なあ、妹紅。言い知れぬ不安がわたしを襲っているんだが、どうすればいい?」
「言い知れぬ不安? 慧音、何か悩みでもあるの?」
「ああ、ミスティアの事なんだが…」
慧音がそう言うと、妹紅は普段慧音にはあまり向けない真剣なまなざしで慧音の顔を見た。
その目は、強い拒否反応を示している。
「慧音、自警っていう立場上妖怪のことを警戒するのは分かるけど、ミスティアは大丈夫だよ。心配しなくても、少なくとも今一緒に生活しているわたしは大丈夫だから」
「…そう言う意味じゃないんだが」
慧音の言い知れぬ不安とはそういうものではないのだが、妹紅には分からなかったらしい。
小声で反論してみるも、その声は届かなかった。
そうこうしている内に焼き終わったらしい。ミスティアが大きな皿に乗った焼きナマズを持ってきた。
「できたよ。って言っても、塩焼きにしただけだけど」
「美味しそうだね慧音」
「ん、うん…」
焼きナマズはシンプルな姿であったが、それでもずいぶん美味しそうだった。
妹紅は我先にと食卓に置かれたそれを箸で一口つまみ、口に放り込む。
「おお! 美味しい!」
一口食べた妹紅は目を輝かせた。
焼き加減も塩の風味もちょうどよくて、これならいくらでも食べられそうである。
「ミスティアって料理上手なんだね」
「そ、そんなことないよ。これは素材が良かっただけで…」
「そんな謙遜することは無いよ。これはウナギもぜひ食べてみたいな」
べた褒めの妹紅と照れるミスティア。端から見れば大層微笑ましい。
しかし一人だけ、この雰囲気がすこぶる苦しい者がいた。
(な、なんだ…何なのだこの感覚は…!? 特にミスティアの方から感じるこれは…何かわたしにとってよからぬものに発展しそうな予感が…)
えも言われぬこの場の雰囲気に、言い知れぬ不安がさらに強まった慧音。
それは慧音の表情からもひしひしと伝わったようで、心配した妹紅が尋ねた。
「慧音どうしたの? さっきから箸が進まないみたいだけど。それに、何かミスティアの方をじっと見てたみたいだけど」
「あ、いや何でもない! いやーこのナマズは美味いなー!」
あからさまな慌てっぷりでしのごうとする慧音。普段冷静な慧音にしては珍しいなと妹紅は不思議に思っていたが、詮索するのはやめることにした。友達でも、深く関わられたくない部分と言うものは誰にだってあるのだ。
なお、この時ミスティアは
(よよよよ良かった~…さっきの嘘、バレたかと思った…)
下手をすればヘックラの危機再来。
そんな状況下で、気が気でない食事をしていたのだった。
夕方頃になって、慧音は帰って行った。
その後ろ姿を見送る二人の、背の低い方が先に口を開いた。
「さっきは庇ってくれてありがとう」
「いいよ、それくらい」
妹紅のおかげでヘックラを回避できたも同然である。大したことじゃないと妹紅は言うが、ミスティアにとっては十分大したこと。
ただ、それと同時に疑問もある。
「どうして庇ってくれたの?」
「んー?」
わざわざ友達に嘘をついてまで庇ってくれた理由がミスティアには見当たらない。いっそ全て話してしまえば、つきまとう夜雀を追い払うチャンスだったのかもしれないのに。
抑えきれない疑問をミスティアが尋ねると、妹紅は少し考え込んでからまたニコッと笑った。
「ウナギのためかな」
「え?」
「ほら、わたしが焼き鳥屋じゃないって信じてくれたら、ミスティア特製の焼きウナギが食べられるんでしょ? だったら、信じてもらう前にミスティアを追い返すわけにはいかないじゃない」
「なるほどね…」
納得はいったが、いまいち残念なミスティア。助けてくれたことはありがたいが、なんかこう、もう少しロマンティックな理由を期待していた。
不満げにしているミスティアだが、妹紅はそれに気付かず、そうそう、と話を続けた。
「それに、守ってあげたいってのはあったかな」
「…え?」
「わたしが見る限りミスティアはとってもいい子だから、退治させちゃいけないなって、そう思った。…って、ちょっと偉そうなこと言っちゃったかな?」
向けられる苦笑いに、ミスティアは言葉は紡がず、フルフルと首を横に振った。
その顔が赤いのは、たぶん夕焼けのせいなのだろう。
そして、もう疑うのはやめようと思った。ミスティアが見る限りにおいても、藤原妹紅という人間はきっと焼き鳥屋なんかじゃない。それを告げようとした。
その時だった
「あ、そろそろ時間だ」
西に沈む夕日とは裏腹に、東に昇る月を見て、妹紅はそうつぶやいた。
「時間って、何の時間?」
「あ、それは…」
ミスティアが尋ねると、妹紅は明らかに動揺した。
嫌な予感が、ミスティアの脳裏によぎる。
「ねえ、時間ってもしかして…」
「ゴメン、ミスティアには何も言えないんだ…本当にゴメン!」
「あ、ちょっと待って!」
「危ないから着いてきちゃ駄目!」
制止するミスティアの声を振り払って、妹紅は走って行った。それはあまりに突然のことで、あっという間に見えなくなってしまった。
残されたミスティアは、しばしボーッと立ちつくしていた。
「あはは…やっぱりそうだったんだ…」
悲痛な笑い声が零れる。
嫌な予感が、当たってしまったらしい。
「ブン屋の情報通り、妹紅は焼き鳥屋で…わたしが憎むべき相手で…」
熱いものがこみ上げてくる。
とどめようとしても簡単に堰は破られ、目から溢れてくる。
「信じたかったんだけどなあ…ブン屋の情報は間違いだったって、思いたかったんだけどなあ…妹紅ってばあんなしどろもどろになっちゃうんだもんなあ…」
ふるふると震えながら、妹紅の事を思い返す。
焼き鳥屋じゃないと言う彼女の笑顔は、きっと作りもので、嘘っぱちだった。
本当に?
「本当に…本当に嘘だったのかなあ…?」
本当に、全て嘘だったのだろうか。
向けられる言葉は、本当に嘘だったのだろうか。
一度は信じようとしたあの笑顔は、本当に嘘だったのだろうか。
膨らんだ疑問は抑えきることができなくなって、ついにミスティアは決心したように、涙にぬれる目をゴシゴシと拭いた。
「…ちゃんとこの目で確認しないと、駄目だもんね!」
一度信じたのだから、もう少し信じたっていいじゃないか。そう意気込んで、ミスティアは飛び立った。
竹林に消えた、妹紅の後ろ姿を追い求めて。
小一時間ほど経って、ミスティアはまだ竹林の上空を飛び回っていた。
「はあ…はあ…見つかんない」
広い竹林を探し回ってみても、妹紅の姿はどこにも見当たらない。
息を切らして飛び続けるも、どこを探していいのやら、当てさえ見つからない。
「もしかして、竹林から出ちゃったのかなあ…」
そうなると、幻想郷中を探さなければならない。これは相当の骨だ。
一体どうしたらいいのかと思い悩んでいたその時、南の方からドーンと大きな音がした。
「え、何!?」
あまりに大きな音がして、驚きのあまり緊急旋回して音のした方角を見る。
するとそこから、まるで炎のように煌めく真っ赤な光が垣間見えた。
「なんだろうあれ…」
遠目に見ても美しいその輝きに、ミスティアは一瞬心を奪われた。
しかし、ゴクリと唾を飲みこんですぐに我に帰る。
「な、何かは分かんないけど、とにかく行ってみよう!」
他に何の手がかりもない。
藁にもすがる思いで、煌めく閃光に向かって飛んだ。
「うわあ、綺麗…」
輝きの中心から少し離れた地点に降り立ち、竹やぶに隠れるように覗いて、ミスティアは息を呑んだ。
輝きの中では探し求めていた人と、初めてみる黒い長髪の女性が、見るものすべてを魅了するような美しい弾幕勝負を繰り広げていた。
色とりどりの弾幕を展開する黒髪の女性とは対照的に、探し人の弾幕は愚直なまでの赤一色。
天を舞うその姿はまるで
「まるで、燃える鳥みたい…」
そう独りごとを言って、ミスティアはハッと気が付いた。
ブン屋の言っていた「焼き鳥」とはつまり、この「燃える鳥」の事ではないか。
とすると、妹紅は嘘をついていない。あの言葉も、あの笑顔も全て真実だった。そう考えると喜び心躍る。
だが、その嬉しさにかまけてボヤッとしていたら、突然目の前に大きな光が飛んできた。
「きゃ、きゃあ!?」
驚き尻もちをついた。だがそのおかげで、流れ弾はミスティアの頭の上を通過し、事なきを得た。
ただしそれは、一発目だけのことであった。
「ま、また来る…避けなきゃ…!?」
二発目の流れ弾が見る見る内に近付いてくる。
足を動かし、その場から逃げようとするが、恐怖のあまり思った通りに足が動いてくれない。
もうだめだ。ミスティアは目を瞑って諦めた。
「危ない!」
「きゃあ!?」
流れ弾は、ミスティアには当たらなかった。
恐る恐る目を開けると、そこには自分を覆い庇ってくれた人の、心配そうな顔があった。
「まったく、危ないから着いてきちゃ駄目だって言ったじゃない」
「あ、えっと…ごめんなさい…」
「まあ、きちんと説明しなかったわたしも悪いんだけどね」
自嘲気味にそう笑う妹紅の後ろから、声がした。
さっきまで妹紅と戦っていた、黒髪の女性のものだった。
「ちょっと妹紅、いきなりどうしたのよ? …あら、その子は?」
「ああゴメン輝夜。この子はちょっと色々あって、それでここまで着いてきちゃったみたいでさ」
妹紅は立ち上がって振り返った。
覆いかぶさっていた妹紅がいなくなって、ミスティアにも女性の姿がよく見える。
「ど、どうも…」
腰を抜かしたまま、ミスティアは輝夜と呼ばれた女性に会釈した。
すると輝夜も丁寧にお辞儀を返してきて、こちらの様子を窺ってきた。どうやら状況の読み取りをしているらしい。
「ふんふんなるほどね。察するに、貴女が流れ弾に当たりそうになって、それを妹紅が庇ったって感じかしら。大丈夫だった? えーっと…」
「あ、わたしの名前はミスティア…」
「ミスティア、大丈夫だったかしら?」
「あ、も、妹紅が助けてくれたから…」
「ふーん、名前で呼ぶ仲、と…」
最後の言葉の意味がよく分からなかったが、とりあえず敵意はなさそうである。そのことにミスティアはひとまず安心した。
だがその後に、今の状況を何とかしなければならなくなった。
「…どうして妹紅がわたしのこと抱っこしてるの?」
「どうしてって、こうしないとミスティアが動けないじゃない」
「だからってお姫様抱っこはないでしょー!」
「わわ!? 暴れないでよ!」
腰を抜かして立てなくなったミスティアのために、妹紅がお姫様抱っこをしているのである。
恥ずかしさのあまり、ミスティアの顔は真っ赤に染まる。
そんな暴れる彼女を何とか静めつつ、妹紅は輝夜の方に話を向けた。
「そう言うことだから、今日は…」
「あーはいはい分かったわよ。今日はこれでお開きね。お疲れ様」
輝夜はあっさりと答えて、妹紅たちに背を向けた。永遠亭に帰るのだろう。
やけにさばさばしたその様子に、妹紅は呆気にとられてしまった。
「どうしたのさ? やけにあっさりしてるじゃない?」
「この状況じゃ仕方ないでしょ。それに…」
「それに?」
「今のあんたたちを見てると何故だかと~~~~~っても嫌な気分になるの。だからさっさと帰るわ」
妹紅と、彼女がお姫様抱っこするミスティアにギロリと一瞥くれて、輝夜は去って行った。
なんだあれ、と不満顔をする妹紅だが、ミスティアの方はそれどころではなかった。
「と、とにかく! わたしはもう歩けるから降ろして!」
「はいはい分かったよ。降ろせばいいんでしょ?」
じたばたするミスティアに、妹紅は観念して足を着かせた。
するとミスティアは急いで妹紅の背中に回り込んだ。
「わたしなんかより、妹紅の怪我の手当ての方が先! …ってあれ?」
「あ…」
「傷が…ない…」
「…………」
ミスティアを庇って受けた流れ弾は、妹紅の服の背中の部分をビリビリに引き裂いていた。
しかし、当然その下にあるはずの傷が、どこにもない。
「どうして…? 無傷で済むような弾じゃなかったのに…」
「…………」
驚くミスティアに、妹紅は沈痛な顔をして押し黙る。
それに釣られてミスティアも何も言えなくなってしまったのだが、とうとう妹紅が口を開いた。
「あのねミスティア。よく見てて」
そう言うと妹紅は、ポケットの中から小型のナイフを取り出した。
そして右手でナイフの柄を持ち、左腕を軽く引き裂いた。引き裂かれた傷からは赤い血が出るのであるが、すぐに収まった。
「詳しく説明すると長くなるけど、簡単に言えばわたしはこういう体なの。どんなに深い傷を負っても治ってしまう、決して死ぬことのない体。人間であって人間でない、ただのバケモノ…」
悲しそうな顔をする妹紅に、ミスティアは全て悟った。
自分を襲ったような妖怪を簡単に受け入れたのは、自分が殺されても死なないことが分かっていたから。
人間であるくせに人間のことをまるで他人事のように語ったのは、自分の体が普通の人間のものでないことが分かっていたから。
竹林の中にまるで隠れるように住んでいたのは、その体のことを知られたくないから。
そして、時折寂しそうにするくせにその全てを語りたがらないのは
「気持ち悪いでしょ? こんな、不老不死の体なんて」
不老不死の体を恐れられ、気味悪がられることを恐れていたから。せっかく知り合った妖怪に、疎まれたくなかったから。
だからこそ、ミスティアは答えた。ありったけの誠意を込めて。
「全然気持ち悪くなんかないよ。わたしみたいな妖怪の相手には、むしろ人間を越えちゃってるくらいが丁度いいの。信じてもらえるかは分かんないけど、信じてほしい」
「ははは、何か立場が逆になっちゃったね」
「ふふふ、そうね」
二人の大きな笑い声が、静かな竹林に響き渡った。
暗い竹林の夜道を、妹紅が放つ炎の明かりを頼りに二人は帰路についていた。
ただしその帰路とは、妹紅の家への道では無い。
「だから言ってたじゃない。わたしは焼き鳥屋なんかじゃないって」
「だったらそんな能力隠さないで、早く言えば良かったじゃない」
「見せたら見せたで、どうせその能力で焼き鳥屋を営んでるんでしょ、とか言ってきたんじゃないの?」
「そ、そんなことないよ! …たぶん」
晴れて誤解も解けたので、ミスティアが簡単に帰れるよう竹林の出口まで道案内である。
足腰に力が入るようになったミスティアであったが、羽が震えて上手く飛べない。妹紅が抱えて飛ぼうかと提案したら、真っ赤な顔で却下された。
そのためゆっくりと歩いて出口を目指す。
その道中、夜道には似つかわしくないほど会話が弾んだ。
「輝夜って人とはどうして戦ってたの? どういう関係?」
「えーこれも説明すると長くなるからなあ…」
「けちけちしないで教えてよ~…じゃあ慧音は? あの人も不老不死なの?」
「いや、慧音は違うよ。普通の人間ではないけど、不老不死じゃない」
「へ~、どうやって知り合ったの?」
「ああそれ? え~っとどういう風だったかなあ」
こういう感じに、矢継ぎ早にミスティアが質問をして、それに妹紅が色々とはぐらかしながら答えていた。
そうこうしている内に、竹林の出口まで辿り着いたようである。
「あ、出口だ」
「じゃあ見送りはここまでだね。でもいくらなんでも急じゃない? 誤解が解けたからって、こんなにすぐ帰らなくても」
「いいの。わたしにはちょっとやりたいことがあるから、じゃあね!」
「気をつけてね、バイバイ!」
大きく手を振って駆けていくミスティアに、妹紅も手を振り返した。
そして姿が見えなくなった頃、妹紅は踵を返して、竹林の中に帰って行った。
しばらく歩いて、自分の家に到着する。
夕食はまだ済ませていないが、何だかそんな気分になれなかったので、風呂に入ってさっさと床に就く。
「いたらいたで喧しいけど、いなくなったらいなくなったで寂しいな…」
昨日よりも広くなった分、少し寒くなった布団にくるまり、妹紅は静かに眠りについた。
翌朝。
ドンドン、ドンドン、と玄関の扉をたたく音に、妹紅は起こされた。
一体何事かと、寝ぼけ眼をこすりながら戸を開ける。するとそこには、妹紅のよく知る人物がニコニコしながら立っていた。
「ミスティアじゃない。こんな朝早くにどうしたの?」
昨日帰ったかと思えば、今日すぐにやって来た。
突然のことに驚く妹紅に、ミスティアはもじもじしながら何かを差し出した。
「はい、これ」
「これは…?」
ミスティアから手渡されたものは、風呂敷に包まれた何か。結び目を解いて中を確認すると、黒い重箱が入っていた。
そしてその重箱のふたを開け、妹紅は思わず笑顔になった。
「ああそっか」
「そ、ヤツメウナギ。妹紅、食べたいって言ってたから」
重箱に入っていたのは、とても美味しそうなウナギのかば焼き。
その芳香に、妹紅の顔もほころぶ。
「ありがとうミスティア」
「お、お礼なんていいよ。わたしの方が迷惑かけっぱなしだったし、これくらい」
照れ隠しをするミスティア。その顔は耳まで赤い。
「じゃ、じゃあわたし行くから。気が向いたら、またウナギ届けに来るよ。バイバイ!」
「あ、ちょっと…」
妹紅にロクな反応をする暇を与えないくらいの勢いで、ミスティアは飛んでいってしまった。
あまりの速さに、残された妹紅は少しの間ボーッと突っ立っていた。
「一体何をそんなに慌てていたんだろ? まあ、せっかくもらったこのウナギ、美味しく頂くとするかな」
渡された重箱を愛でるように抱えて、妹紅は家の中へと戻って行った。
ちなみにこの後、ミスティアは少なくとも週に一回、多いときは二日に一回はウナギを届けてくれるようになった。
そしてその度、妙にもじもじするのも変わらない。
この事を慧音に話してみると
「お、恐れていたことが起きてしまった…悪い予感が当たってしまったぁ…」
と言って、頭を抱えてわなわなと震えだした。
また、決闘前にそれとなくこの事を輝夜に話してみると
「何故かしらね。不思議とイライラするからいつもより派手に殺してあげるわ」
と言って、情け容赦の微塵も感じられない猛攻を浴びせかけてきた。
この変化は一体どうしたのだろうかと、妹紅は今日もヤツメウナギを啄みながら考えるのであった。
その甲高い叫び声が、夜半の迷いの竹林に響き渡った。
それと同時に、ピチューンという撃破音。
叫び声の発生地点では、声の主ミスティア・ローレライが、地面に突っ伏したまま目を回していた。
「………………………ハッ!?」
ミスティアが目を覚ますと、何故だか布団の中にいた。周囲を見渡してみるに、床には行灯が置いてあり、その明かりで部屋は照らされていた。どうやらここはどこかの民家らしい。
どうしてこんなところで寝ているのかは分からないが、とりあえず起き上がろうと体に力を入れる。
すると
「う!? 痛たたた…」
力を入れると体の節々が痛んで、起き上がろうにも起き上がれない。
仕方ないので無理に起き上がるのは諦めて、一旦体を寝かす。
そして、この状況に至った過程をゆっくりと思い返す。
「あーそっか…あの時…返り討ちにあって…」
思い出した、どうして体が痛いのかを。それはそれは苦い思い出。
その苦い思い出に浸ってしかめっ面をしていると、家の奥から誰かがやってくる足音がした。
「あ、気が付いた?」
どうやらこの民家の住人であるらしい。
これは親切にありがたい、とミスティアは寝転がっているためにまだ顔を見ていないその人のことを思う。きっと、傷ついた自分を保護してくれた人もその人なのだろう。
とにかく、きちんと一目顔を見てお礼を言おうと、今度は慎重に寝返りをうってその人の方へ顔を向けた。
「どうもありが……あ、あんた!? …いっ!?」
「ああ駄目だよそんな急に動いちゃ。まだ安静にしてないと」
ミスティアは心底驚いた。
急に動いてまた節々が痛む自分を心配してくれているその人は、美しく長い白髪に大きなリボンをつけた、白い服に赤いズボンをはいた人。
「に…にっくき焼き鳥屋…」
「何を言ってるのかよく分かんないけど、とりあえずじっとしてて。あの時はかなりこっぴどく返り討ちにしちゃったから」
今ミスティアを介抱しているのは、藤原妹紅である。そして、先ほどミスティアが天誅と叫びながら攻撃したのも同じく藤原妹紅であり、それを返り討ちにして気絶させたのもまた然りである。
ミスティアが体の痛みに堪え切れずまた体の力を抜くと、妹紅は安心したように胸を撫でおろし、ふぅ、と息を吐いた。
「で、どうしてわたしのことを襲ったの? あの馬鹿姫が刺客でも送り込んできたかと思って反撃したけど、見たところ貴女はウサギじゃないし」
「馬鹿姫? ウサギ?」
「ああゴメン、それはこっちの話。それはそれとして、わたしは貴女がわたしを襲った理由を聞いているんだけど?」
ミスティアは、妹紅から目をそらして黙っていた。答えるべきか否か迷っていたのだ。
しかしよくよく考えれば今自分は敵の手中にすっぽり収まってしまっているのだ。選択の余地は無かった。
「あんたはわたしの敵。憎むべき敵。そう、焼き鳥屋…」
「……は?」
妹紅は戸惑った。半端ないほど戸惑った。
そらしていた目をこちらに向けてきたかと思えば、自分が憎き焼き鳥屋だと言う。意味が分からない。
「あのー…ホントのこと言ってくれない? 冗談言われてもどういう反応していいか…」
「冗談なんかじゃないわよ! あつつ…!」
「ああ、そんな叫んじゃ駄目だってば。傷口に響くから」
「だ、大丈夫よ、触んないで! そうやってわたしのことも焼き鳥にする気でしょう!?」
「だからさっきから何言ってるの!?」
興奮気味になったミスティアをおさえようと妹紅は手を差し伸べるのであるが、ミスティアはそれを払いのける。
いつまでも強情なミスティアにいよいよ困ってきた妹紅。そんな彼女に、ミスティアは興奮冷めやらぬまま妹紅を狙った理由を語り始めた。
「わたしの名前はミスティア・ローレライ。夜雀の妖怪であり、『反焼き鳥の会』の初代会長にして理事長にして運営委員長にして…」
「それってつまり貴女しかいないんじゃあ…」
「は、話の腰を折らないで! …ゴホン。それでわたしは全ての鳥を代表して焼き鳥屋撲滅運動をしているの」
「…わたしはどうして貴女がわたしのことを襲ったのかって聞いてるんだけど?」
話の流れが見えずじれったそうにしている妹紅に、ミスティアはキッと目をむいた。
そして追及するように言葉で妹紅に迫る。
「とぼけないでよ! こっちはブン屋の情報で知ってるのよ。あんたが焼き鳥屋だって!」
「…あ~そんなこともあったなあ」
いつぞやの火事騒動でブン屋がやって来た時、話の流れでそう言う風になってしまった気がする。
それを思い返し、妹紅は理解した。
自分のことを狙っていたこの自称「反焼き鳥の会」会長兼理事長兼運営委員長はつまり。
「いいミスティア? 貴女は誤解している。わたしは焼き鳥屋じゃあ…って、どうしたの?」
なんとか誤解を解こうとする妹紅なのだが、何かがおかしい。
というのも、何故だかミスティアがボーっと不思議そうな顔をして妹紅の方を見ているのだ。
「…どうして?」
「え?」
「どうしてあんた、わたしの名前知ってるの?」
「どうしてって、さっき自分で名乗ってたじゃない、ミスティア・ローレライって。」
「……………あ」
妹紅はもう一つ理解した。
今対峙しているこの夜雀は、もしかするとおそらくひょっとして。
「貴女、相当…」
「だ、誰が馬鹿よ!? 誰が間抜けよ!? 誰が鳥頭よー!?」
「そこまで言ってない…っていうか、だからそんなに興奮しちゃ駄目だって!」
「あたたたた…う~…」
暴れようとするミスティアを押さえ込んで、妹紅は話を元に戻そうとする。
これ以上はミスティアの体に負担がかかりすぎてしまうし、何より自分もしんどい。
「貴女が馬鹿じゃないってのは分かったから、とにかく話を聞いて。さっきも言ったけど、わたしは焼き鳥屋じゃない」
「…本当?」
「本当だよ」
どうやら落ち着きを取り戻してくれたミスティアに、妹紅は誠心誠意答える。
信じてくれるかどうかは分からないが、とにかく今はこうするしかない。
「…まだ信じられない」
「本当なのに…」
ミスティアの返事に軽くヘコんだ妹紅。誠実な姿勢で挑んだつもりだったが、伝わらなかったらしい。
しかし、全く効果が無かったわけでは無かった。
それは、ミスティアから発せられた妹紅にとってはあまりにも意外で、また困惑する言葉に表れた。
「まだ焼き鳥屋じゃないって信じられないけど、あんたが焼き鳥屋だっていう確信もない。だから、わたしはしばらくあんたを監視する」
「え?」
「この怪我であまり動きまわる自信は無いし、しばらくここに泊まらせて。それで監視する」
「と、突然そんなこと言われても…」
「焼き鳥以外では迷惑かけないように努力するから、お願い!」
手を合わせて懇願してくるミスティアに、どうしたものかと妹紅は悩んだ。
常識的に考えて、襲ってきたのはミスティアなのだから追い返せばそれでいい。特に非は無い。
しかし、いくら反撃だと言っても少しやりすぎた感はある。いちいち永遠亭の薬師に頼むほどの怪我はさせてないつもりだが、それでもミスティアはさっきからかなり痛そうにしている。
それに、このまま追い返してまた恨みを買って、それで襲われるのも困る。ここはいっそ気が済むまで監視させて、誤解を解く方が得策ではないか。
そんなこんなで、妹紅は結論に至る。
「わかったよ。好きなだけ監視するといい」
「やった。ありがとう」
「仮にも監視相手にありがとうはないでしょ。ってああ、そんな急に立っちゃ駄目だって」
「大丈夫よこれくらい。仮にも妖怪なんだから、回復は速い…って、え?」
「あーあ…」
妹紅は頭を抱えてため息をついた。
そして予測する。きっとミスティアはまた大声でわめき、再び布団に潜り込むだろう。
なぜならば、立ち上がった拍子にハラリと落ちた掛け布団の下には
「き…きゃああああああああああああああああ!?」
「だから急に立つなって言ったのに…」
一糸纏わぬ裸体があったのである。
予想通り過ぎて呆れる妹紅に、ミスティアは鬼気迫る顔で問い詰める。
「なんでわたし服着てないのよ!?」
「しょうがないじゃない。体中の傷の手当てするにはそうするしかなかったんだから」
「うぅ~こんなんじゃお嫁に行けない…」
「貴女ならきっといいお嫁さんになれるよ。ほら、貴女の服。着替えるの手伝おうか?」
「ひ、一人でできるわよ! …痛っ」
「ほらほら怪我人が無理しない。人の好意は受けておくものだよ」
「な、なんか屈辱…」
結局、妹紅は着替えを手伝った。
こうして、妹紅とミスティアの奇妙な共同生活が始まることになったのである。
なったのだが
「もう夜は遅いので、わたしは寝ることにする」
「うん」
着替えを続けながら、妹紅は淡々と言葉を並べる。
別段重要なことでもなさそうなので、ミスティアは割と適当に返事をしていた。
だが次の言葉は、そんなミスティアに意外なもの。
「そこで、一つ問題がある」
「問題?」
「そう、問題」
一体何なのだろうかとミスティアは首をかしげる。
もったいぶらないで早く教えてほしいと思っていたところで、妹紅は相変わらずの淡々とした話し方を続けた。
「わたしは長らく一人暮らしをしていて、布団は一枚しかもっていないんだ」
「それってつまり…」
「そう、布団が足りない。まあ怪我人を布団なしに寝かせるのはまずいから、わたしは適当に布でもかぶって寝ることにするよ」
これで何の問題も無くなったと言わんばかりの妹紅であったが、ミスティアは全然納得いかなかった。
ちょっと待ってよ、と適当な布を用意し始めた妹紅を引きとめる。
「何?」
「言ったでしょ? 焼き鳥に関係ないことでは迷惑かけないって。わたしは大丈夫だからあんたが布団使ってよ」
「いやいやだから、怪我人にそんなことさせられないよ。これでもわたしはけっこう頑丈だから平気だよ」
「でもわたしの方が納得いかないの。迷惑かけっぱなしなんて嫌なの」
「う~ん参ったなあ…」
ポリポリと頭を掻き、妹紅は本当に参ってしまった。
別に気にする必要なんかないと言っても、この夜雀はどうしても納得してくれないらしい。話し合いは平行線を辿ったままだ。
お互い妥協するには、ミスティアが布団で寝、かつ妹紅も布団で寝るような状況になるしかない。
果たしてそんなことができるのだろうか。
「…できるじゃん」
妹紅はそう言うと布の準備をやめ、てくてくと布団の方まで歩み寄り、ミスティアに少し端に詰めてもらうよう頼んだ。
「え? こうすればいいの?」
「そうそうそれでいいよ。じゃあ、よいしょっと」
「きゃ!? と、突然何!?」
「何って、簡単なことだよ。お互い相手に布団で寝てほしいんだから、折衷案で二人とも布団に入ればいいってこと。我ながらいい案だと思うんだけど」
「…ハハ」
ミスティアはもう、笑うしかなかった。
「…わたしが眠ってるうちに、焼き鳥にしようとかしないでよ」
「そんなことしないよ。それじゃ、おやすみ」
「…おやすみ」
よほど寝つきがいいのか、妹紅はあっという間に寝息を立て始めた。
そんな彼女を見てミスティアは、おかしな奴、と思う。
(つけ狙った相手の手当てをして、家に置いてさ。挙句こうして一緒に寝るなんて)
どうぞ襲ってくださいと言っているようなものではないか。下手すれば殺されるかもしれないのだ。
相当腕に自信でもあるのだろうか。
(まあわたしなんかあっさり返り討ちだったし、とても強いんだろうけど…でも今はぐっすり寝てるみたいだし)
長い爪をその首筋に突きたてれば、きっとすぐに御陀仏に違いない。
想いを廻らしながら、ミスティアは自身の爪を妹紅の首筋に添える。
(…別にしないけどね、そんなこと。監視中だし。それに寝首をかくなんて卑怯だしね)
そっと手を引く。
その時、手が妹紅の長い髪に触れた。
(きれいな髪だな…それに艶があって、なめらか…って)
ハッと我に返った。
これではまるで妹紅に見惚れていたみたいではないか。
そんなことは無いはずだ。憎き焼き鳥屋の可能性がある妹紅に見惚れるなど、断じてありえない。
(き、きっと一瞬の気の迷いよ。そうに違いないわ。馬鹿な事考えてないで、早く寝よう)
じっと目を瞑り、夢の世界に入り込もうとする。
ただ、本格的に眠りにつくまでの間、妹紅の寝息が気になってなかなか眠りに至れなかったのであるが、それは別段意識してのことではない。おそらく。
翌朝、カコン、カコン、という小気味のいい音でミスティアは目を覚ました。
気付くと、隣で眠っていた筈の妹紅の姿が無い。
「…外、かな」
体の痛みは引いたらしく、自由に動くようになった体を起き上がらせて音のする方へ向かう。
丁寧に揃えて置いてくれた靴を履いて土間に降り立ち、玄関の戸を開ける。
するとそこには、探していた人物がちゃんといた。片手に手斧、もう片方に短く切った竹を持って。
その人は、こちらの姿を確認するとニコリと笑う。
「おはよう」
「お、おはよう…」
向けられた笑顔に若干戸惑うミスティア。昨晩襲った相手にこんな顔を向けられて、少し気恥かしいのだ。
妹紅はそんなことお構いなしに、笑顔を絶やさない。
「もう動けるようになったんだね」
「え、あ、うん。あれくらいの傷、一晩もすれば治るわよ」
「そう、それはよかった」
「あ、ありがと…」
どうにも調子が狂ってしまう。ミスティアはひしひしとそう感じていた。
向けられる笑顔も言葉も優しくて、どうにも毒気が抜かれてしまう。
そんな自分の気持ちさえ誤魔化すように、ミスティアは話を変えた。
「そういえば妹紅、さっきから何してるの?」
「…あ」
「え、何?」
ミスティアが質問をすると、妹紅は驚いたように小さく言葉を放った。
そして予想外の反応に逆に驚かされたミスティアに、今までよりもさらに明るい笑顔を向ける。
「初めて名前で呼んでくれたね」
「…え?」
「昨日はずっと『あんた』ばっかりだったけど、今は『妹紅』って呼んでくれた」
「それがどうしたのよ?」
「まあわたしはこんな辺鄙な所に住んでて付き合いも多くないから、名前で呼んでくれる人がいるとそれだけでなんだか嬉しくてね、つい」
「ふーん、難儀なのね」
「まあね」
妹紅がふふっ、と笑ったら、ミスティアもアハハと笑って返した。
その瞬間、またも妹紅は嬉しそうな、楽しそうな笑顔をする。
「あ、初めて笑った。昨日みたいにしかめっ面ばかりだと、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?」
この妹紅の一言で、笑っていたミスティアの顔はドキッと引き攣り、心なしか紅潮した。
「そ、そんなお世辞を言ったって監視の目は緩まないわよ!」
「え~お世辞じゃなくて本心なのに」
「とにかく、わたしは惑わされないからね! …っていうか、まだ妹紅最初の質問に答えてないじゃない」
「あ、また名前で…」
「それはいいから!」
本当に調子が狂う。
そこまで腹が立つわけではないが、妹紅の笑顔や言葉の端々に心がかき乱される感じがしてならない。
その胸の内をあらわにするように、フーッと猫のような威嚇をするミスティア。
これには妹紅も流石にやりすぎたかなと、ゴメンゴメンと謝って話の軌道を修正する。
「今何をやっているか、だったね。これは竹炭を作ってるんだ」
「竹炭? 木炭みたいなもの?」
「まあそうだね」
話の筋が元に戻って、ミスティアもむき出しの牙を引っ込めた。
それに妹紅も安心して、竹炭作りの説明をし始める。
「今はとりあえずこうやって竹を小さく割って、後で焼いて炭にするのさ。そして…」
「分かった!」
妹紅の話を遮って、ミスティアは一人納得したような顔をして妹紅の方を見た。
そしてきょとんとする彼女に、何が分かったのかとつらつら述べ出した。
「その竹炭を使って焼き鳥をするんでしょう!? やっぱり妹紅は焼き鳥屋なのね!」
「あ、いや違うって…」
「そうと分かればこうしちゃいられない! 天誅ぅ~~~~~!」
「ああもう! だから違うって言ってるでしょう!」
「うわらば!?」
カウンターヒット!
妹紅の右ストレートが、襲いかかるミスティアの顎に見事直撃。
きれいなクロスカウンターでその場にうずくまるミスティアに、妹紅は優しい言葉に直して話しかけた。
「この竹炭は生活用に使うだけであって、別に焼き鳥用とかそんなんじゃないの。分かった?」
「は、はいぃ…分かりましたぁ…」
「分かればよろしい。さ、朝ごはんにしよ。ミスティアも食べるでしょ?」
「う、うん…」
圧倒的な力の差に、一度ならず二度までも破れ去ったミスティア。
力では勝てないことを悟った彼女は、じゃあどうするのかということは後に回して、とりあえず朝食を頂くことにした。
朝食後、二人は一緒に竹炭作りに励んでいた。
泊めてもらっている身なのだからせめて何か手伝いたいと、ミスティアが申し出たのである。
そして、そこまで言うならと妹紅もミスティアの申し出を受け入れ手伝ってもらうことにした。
と言うことで、二人で協力して周囲に生えている竹を刈り、手斧で小さくし、窯で炭にしていく。
「それにしても竹炭なんて珍しいわね。木炭ならよく見るのだけど」
「まあ燃料として使うなら木炭の方が一般的だけど、ここら辺は普通の木よりも竹の方がごまんとあるからね」
「なるほどね」
窯で焼かれる竹を見ながらの会話で、ミスティアは竹炭に興味津々の様子だった。
もしかしたら妹紅の家に来てから一番楽しそうかもしれない。
「ミスティアって炭に興味あるの?」
「んー、まあね。ヤツメウナギの炭焼きによく使うから」
「ヤツメウナギの炭焼き?」
ミスティアの口から出た意外な単語に、妹紅は少しびっくりした。
そんな妹紅にミスティアは、言ってなかったっけ、と返した。
「焼き鳥屋を撲滅するために、ライバルとしてヤツメウナギの炭焼きを売り出してるの。まあウナギが無い時はドジョウなんかも焼いてるけどね」
「へえ~、じゃあ食べてみたいな」
「…妹紅が金輪際焼き鳥屋をしないっていうなら、考えてもいいわよ?」
これでどうだ、焼き鳥屋ができないだろう、としてやったり顔のミスティア。
しかし妹紅の表情は相変わらず朗らかに笑っていた。
「じゃあ何の問題もないね」
「どうしてよ?」
「だってわたしは焼き鳥屋じゃないから。これで気兼ねなくミスティアの焼きウナギが食べられる」
「…まだ、妹紅が焼き鳥屋じゃないって信じたわけじゃないから」
そうやってボヤくミスティアではあったが、内心違っていた。妹紅がえらく焼きウナギを楽しみにしているので、それなら今度食べさせてやろうと思っていた。
だが、朗らかな妹紅の表情は一変して、何か考えるような、そんな顔になっていた。
「…ミスティアはさ、鳥の妖怪として、焼き鳥屋を無くそうとしてるんだよね」
「そうだよ。だから妹紅のとこにもやって来た」
「じゃあさ、もし魚の妖怪がいたらミスティアの焼きウナギにも抗議が行くかもね」
「う…それは確かに、そうだけど…」
痛いところを突かれてしまった。
焼き鳥を焼きウナギに変えた。それはつまり鳥を魚に変えたということで、魚たちには迷惑なのだろう。
それはそうなのであるが
「でも、わたしは鳥だから、やっぱり焼き鳥は気にくわないわけで…」
「あ、いや、別に責めてるわけじゃないよ。きっと人間だって、他の人間が喰われたら我慢できないだろうしさ。ミスティアの気持ちだって、普通の事だよ」
次第に小さくなっていくミスティアの声に、妹紅は慌てて取り繕った。ほんの冗談で言っただけであって、責めるつもりなんて全くなかったのにそう受け取られてしまったのだ。
焦る妹紅なのだが、ミスティアは別に気になることがあった。先ほどの妹紅の言葉。
「『きっと人間だって』って言うけど、妹紅だって人間でしょ? どうしてそんな他人事なの?」
「え、ああ、えーっと…ほら、わたしって世間から離れてこんなところに住んでるからさ、ちょっと距離を置いちゃったというかなんというか…」
明らかにしどろもどろになる妹紅。何か聞いてはいけないことを聞いてしまったのだろうか。
しかし気になる気持ちも強い。あまり踏み込んではいけなさそうなのだが、ミスティアは思い切って聞くことにした。
「じゃあ、妹紅はどうしてこんなところに住んでるの?」
「それは…」
それっきり、妹紅は黙ってしまった。本当に聞いてはいけなかったことのようだ。
「ゴ、ゴメン、変なこと聞いちゃって。焼き鳥以外では迷惑かけないって約束したのに…」
「いや、なんて言うかこっちこそゴメン…」
お互いに謝って、そこから会話がつながらない。
重苦しい空気の中、窯の中で焼ける竹のパチパチという音だけ嫌によく聞こえる。
まさに、両者とも息の詰まる思いだった。
そんな折、この空気を打開してくれる声が遠くから聞こえていたのであった。
「お~い、妹紅」
少々男っぽい口調の声の主は、ざっざと竹林の中をまっすぐ妹紅の家まで歩いて来た。
「久しぶりだな妹紅、元気そうで何よりだ」
「慧音こそ元気だね。でもこんな昼間から来るなんて珍しい。寺子屋は?」
「ああ、今日は寺子屋は休みの日でね。それで、ちょっとこっちに寄ってみたというわけだ」
一通り挨拶を交わした妹紅と慧音。
横で見ていたミスティアは、まるで世捨て人みたいなことを言っていた割に仲のよさそうな相手がいるじゃないかと思っていた。そして、とりあえずさっきの重たい空気からも逃れられると喜んでいた。
とそんな時、妹紅に対して微笑を浮かべながら会話していた慧音が、うってかわって厳しい視線をミスティアの方に向けてきた。
「ところで妹紅、どうしてミスティアと一緒にいるんだ?」
「う…」
ギクリ、とミスティアは心臓が飛び出そうになる。ミスティアは慧音が何者か知っているのだ。
人里で子どもたちの教師をしているのは片方の面で、もう片方の面では人間に害為す妖怪を退治しているのだ。
ということは、もし昨日妹紅を襲ったなどということがバレでもしたら
(ヘ、ヘッドクラッシュ的なものが飛んでくる…)
慧音のヘッドクラッシュ(略してヘックラ)は、それは痛いものであるということもミスティアは噂で知っていた。
これは妹紅の返答次第で地獄を見る可能性も出てきた。
しかし、そんな戦々恐々状態のミスティアに対し、妹紅は至って呑気であった。
「へー、慧音ってミスティアのこと知ってるんだ」
「ん、ああ。人里の自警を務めている以上、ある程度の妖怪や妖精たちの知識はもっているからな。こいつはミスティア・ローレライ。その歌声で人々の視界を奪う妖怪だ」
「歌で人を惑わせるのか。まさしくローレライだなあ」
そう言いながらミスティアの背中をポンポンと叩く。
いつもならやめるよう言うミスティアであるが、今はそれどころではない。ヘックラが飛んでくるか否か。その狭間で戦慄しているのだ。
「それで、わたしはどうしてお前とミスティアが一緒にいるのか聞いているんだが?」
(…来た)
妹紅がどう答えるか、運命の分かれ道。ヘックラの分かれ道。
「んーなんか家の近くでミスティアが怪我しててさ。見捨てるのも可哀そうだったから手当てしたんだ」
ミスティアは救われた。ヘックラ地獄に落ちる寸前で、その手を引っ張ってもらった。
しかしどうして妹紅は嘘をついてくれたのか。気になったミスティアは妹紅の顔を見る。
(…あ)
ミスティアと目があった妹紅は、慧音に気付かれないようこっそりウインクしてアイコンタクトをとって来た。
妹紅も慧音のヘックラに思い至り、誤魔化してくれたらしい。
「そうなのか。ミスティアはどうして怪我をしていたんだ?」
「あ、えーっと、真っ暗な夜の竹林を飛んでたら、うっかり竹に頭ぶつけちゃって。それでそのまま地面に落っこちちゃって」
妹紅が作ってくれたチャンスを最大限活かそうと、ミスティアは必死になって口裏を合わせる。ここでミスったらヘックラ回避に失敗してしまう。とにかく必死だった。
すると慧音も納得してくれたようで、首を一回縦に振った。
「分かった。それにしてもミスティア、それじゃあまるでどこかの宵闇の妖怪じゃないか」
「ア、 アハハ…そうだね…」
その妖怪を参考にして嘘をつきましたとは、口が裂けても言えなかった。
あの後、慧音が妹紅の家に上がり、三人で昼食をとることになった。
慧音が土産にと大きなナマズを持ってきていたので、それを焼いて食べることにした。
調理をするのは、ミスティアである。
「え、何でわたし?」
「だって焼きウナギ屋をしてるんでしょ? だったらナマズだって美味しく焼けるよ」
「ま、まあ妹紅には色々と恩もあるし、上手に焼けるかどうか分かんないけど、やってみるよ」
「ありがとう、お願いね」
襲った自分の怪我を手当てしてくれたこともあるし、しかも家に泊めてくれている。さらに言えば、さっきはヘックラ回避に全面的に協力してくれた。
ミスティアの妹紅に対する恩は、実に大きいのだ。
そういうわけで台所はミスティアに任せられることとなり、妹紅と慧音は食卓で待つこととなった。
「昨日今日のうちに、ずいぶんと仲良くなったみたいだな」
「まあね。ミスティアはちょっと意地っ張りなとこあるけど、基本的にはいい子みたいだしさ」
「ほう、そうなのか」
「昨日なんて、怪我してるくせに迷惑かけたくないとか言って一枚しかない布団をわたしに使わせようとするし。まあ結局わたしの方が根負けして、一緒に布団に入ったんだけど」
「なるほどな……ん?」
さらっと言った妹紅の発言。危うく慧音は流してしまうところだった。
今妹紅は何と言ったか。
「妹紅…お前今何て言った?」
「え? だから、怪我してるくせに一枚しかない布団をわたしに使わせようとしたって」
「違う、その次」
「わたしの方が根負けして、結局一緒に布団を使ったってところ?」
それが何か、と言った感じで聞き返す妹紅に、慧音は思わずため息が出た。
特に羨ましいとかは思わないが、そんな破廉恥なけしからんと慧音は思う。大切なことなので二度言うが、別に羨ましくはないのである。
「なあ、妹紅。言い知れぬ不安がわたしを襲っているんだが、どうすればいい?」
「言い知れぬ不安? 慧音、何か悩みでもあるの?」
「ああ、ミスティアの事なんだが…」
慧音がそう言うと、妹紅は普段慧音にはあまり向けない真剣なまなざしで慧音の顔を見た。
その目は、強い拒否反応を示している。
「慧音、自警っていう立場上妖怪のことを警戒するのは分かるけど、ミスティアは大丈夫だよ。心配しなくても、少なくとも今一緒に生活しているわたしは大丈夫だから」
「…そう言う意味じゃないんだが」
慧音の言い知れぬ不安とはそういうものではないのだが、妹紅には分からなかったらしい。
小声で反論してみるも、その声は届かなかった。
そうこうしている内に焼き終わったらしい。ミスティアが大きな皿に乗った焼きナマズを持ってきた。
「できたよ。って言っても、塩焼きにしただけだけど」
「美味しそうだね慧音」
「ん、うん…」
焼きナマズはシンプルな姿であったが、それでもずいぶん美味しそうだった。
妹紅は我先にと食卓に置かれたそれを箸で一口つまみ、口に放り込む。
「おお! 美味しい!」
一口食べた妹紅は目を輝かせた。
焼き加減も塩の風味もちょうどよくて、これならいくらでも食べられそうである。
「ミスティアって料理上手なんだね」
「そ、そんなことないよ。これは素材が良かっただけで…」
「そんな謙遜することは無いよ。これはウナギもぜひ食べてみたいな」
べた褒めの妹紅と照れるミスティア。端から見れば大層微笑ましい。
しかし一人だけ、この雰囲気がすこぶる苦しい者がいた。
(な、なんだ…何なのだこの感覚は…!? 特にミスティアの方から感じるこれは…何かわたしにとってよからぬものに発展しそうな予感が…)
えも言われぬこの場の雰囲気に、言い知れぬ不安がさらに強まった慧音。
それは慧音の表情からもひしひしと伝わったようで、心配した妹紅が尋ねた。
「慧音どうしたの? さっきから箸が進まないみたいだけど。それに、何かミスティアの方をじっと見てたみたいだけど」
「あ、いや何でもない! いやーこのナマズは美味いなー!」
あからさまな慌てっぷりでしのごうとする慧音。普段冷静な慧音にしては珍しいなと妹紅は不思議に思っていたが、詮索するのはやめることにした。友達でも、深く関わられたくない部分と言うものは誰にだってあるのだ。
なお、この時ミスティアは
(よよよよ良かった~…さっきの嘘、バレたかと思った…)
下手をすればヘックラの危機再来。
そんな状況下で、気が気でない食事をしていたのだった。
夕方頃になって、慧音は帰って行った。
その後ろ姿を見送る二人の、背の低い方が先に口を開いた。
「さっきは庇ってくれてありがとう」
「いいよ、それくらい」
妹紅のおかげでヘックラを回避できたも同然である。大したことじゃないと妹紅は言うが、ミスティアにとっては十分大したこと。
ただ、それと同時に疑問もある。
「どうして庇ってくれたの?」
「んー?」
わざわざ友達に嘘をついてまで庇ってくれた理由がミスティアには見当たらない。いっそ全て話してしまえば、つきまとう夜雀を追い払うチャンスだったのかもしれないのに。
抑えきれない疑問をミスティアが尋ねると、妹紅は少し考え込んでからまたニコッと笑った。
「ウナギのためかな」
「え?」
「ほら、わたしが焼き鳥屋じゃないって信じてくれたら、ミスティア特製の焼きウナギが食べられるんでしょ? だったら、信じてもらう前にミスティアを追い返すわけにはいかないじゃない」
「なるほどね…」
納得はいったが、いまいち残念なミスティア。助けてくれたことはありがたいが、なんかこう、もう少しロマンティックな理由を期待していた。
不満げにしているミスティアだが、妹紅はそれに気付かず、そうそう、と話を続けた。
「それに、守ってあげたいってのはあったかな」
「…え?」
「わたしが見る限りミスティアはとってもいい子だから、退治させちゃいけないなって、そう思った。…って、ちょっと偉そうなこと言っちゃったかな?」
向けられる苦笑いに、ミスティアは言葉は紡がず、フルフルと首を横に振った。
その顔が赤いのは、たぶん夕焼けのせいなのだろう。
そして、もう疑うのはやめようと思った。ミスティアが見る限りにおいても、藤原妹紅という人間はきっと焼き鳥屋なんかじゃない。それを告げようとした。
その時だった
「あ、そろそろ時間だ」
西に沈む夕日とは裏腹に、東に昇る月を見て、妹紅はそうつぶやいた。
「時間って、何の時間?」
「あ、それは…」
ミスティアが尋ねると、妹紅は明らかに動揺した。
嫌な予感が、ミスティアの脳裏によぎる。
「ねえ、時間ってもしかして…」
「ゴメン、ミスティアには何も言えないんだ…本当にゴメン!」
「あ、ちょっと待って!」
「危ないから着いてきちゃ駄目!」
制止するミスティアの声を振り払って、妹紅は走って行った。それはあまりに突然のことで、あっという間に見えなくなってしまった。
残されたミスティアは、しばしボーッと立ちつくしていた。
「あはは…やっぱりそうだったんだ…」
悲痛な笑い声が零れる。
嫌な予感が、当たってしまったらしい。
「ブン屋の情報通り、妹紅は焼き鳥屋で…わたしが憎むべき相手で…」
熱いものがこみ上げてくる。
とどめようとしても簡単に堰は破られ、目から溢れてくる。
「信じたかったんだけどなあ…ブン屋の情報は間違いだったって、思いたかったんだけどなあ…妹紅ってばあんなしどろもどろになっちゃうんだもんなあ…」
ふるふると震えながら、妹紅の事を思い返す。
焼き鳥屋じゃないと言う彼女の笑顔は、きっと作りもので、嘘っぱちだった。
本当に?
「本当に…本当に嘘だったのかなあ…?」
本当に、全て嘘だったのだろうか。
向けられる言葉は、本当に嘘だったのだろうか。
一度は信じようとしたあの笑顔は、本当に嘘だったのだろうか。
膨らんだ疑問は抑えきることができなくなって、ついにミスティアは決心したように、涙にぬれる目をゴシゴシと拭いた。
「…ちゃんとこの目で確認しないと、駄目だもんね!」
一度信じたのだから、もう少し信じたっていいじゃないか。そう意気込んで、ミスティアは飛び立った。
竹林に消えた、妹紅の後ろ姿を追い求めて。
小一時間ほど経って、ミスティアはまだ竹林の上空を飛び回っていた。
「はあ…はあ…見つかんない」
広い竹林を探し回ってみても、妹紅の姿はどこにも見当たらない。
息を切らして飛び続けるも、どこを探していいのやら、当てさえ見つからない。
「もしかして、竹林から出ちゃったのかなあ…」
そうなると、幻想郷中を探さなければならない。これは相当の骨だ。
一体どうしたらいいのかと思い悩んでいたその時、南の方からドーンと大きな音がした。
「え、何!?」
あまりに大きな音がして、驚きのあまり緊急旋回して音のした方角を見る。
するとそこから、まるで炎のように煌めく真っ赤な光が垣間見えた。
「なんだろうあれ…」
遠目に見ても美しいその輝きに、ミスティアは一瞬心を奪われた。
しかし、ゴクリと唾を飲みこんですぐに我に帰る。
「な、何かは分かんないけど、とにかく行ってみよう!」
他に何の手がかりもない。
藁にもすがる思いで、煌めく閃光に向かって飛んだ。
「うわあ、綺麗…」
輝きの中心から少し離れた地点に降り立ち、竹やぶに隠れるように覗いて、ミスティアは息を呑んだ。
輝きの中では探し求めていた人と、初めてみる黒い長髪の女性が、見るものすべてを魅了するような美しい弾幕勝負を繰り広げていた。
色とりどりの弾幕を展開する黒髪の女性とは対照的に、探し人の弾幕は愚直なまでの赤一色。
天を舞うその姿はまるで
「まるで、燃える鳥みたい…」
そう独りごとを言って、ミスティアはハッと気が付いた。
ブン屋の言っていた「焼き鳥」とはつまり、この「燃える鳥」の事ではないか。
とすると、妹紅は嘘をついていない。あの言葉も、あの笑顔も全て真実だった。そう考えると喜び心躍る。
だが、その嬉しさにかまけてボヤッとしていたら、突然目の前に大きな光が飛んできた。
「きゃ、きゃあ!?」
驚き尻もちをついた。だがそのおかげで、流れ弾はミスティアの頭の上を通過し、事なきを得た。
ただしそれは、一発目だけのことであった。
「ま、また来る…避けなきゃ…!?」
二発目の流れ弾が見る見る内に近付いてくる。
足を動かし、その場から逃げようとするが、恐怖のあまり思った通りに足が動いてくれない。
もうだめだ。ミスティアは目を瞑って諦めた。
「危ない!」
「きゃあ!?」
流れ弾は、ミスティアには当たらなかった。
恐る恐る目を開けると、そこには自分を覆い庇ってくれた人の、心配そうな顔があった。
「まったく、危ないから着いてきちゃ駄目だって言ったじゃない」
「あ、えっと…ごめんなさい…」
「まあ、きちんと説明しなかったわたしも悪いんだけどね」
自嘲気味にそう笑う妹紅の後ろから、声がした。
さっきまで妹紅と戦っていた、黒髪の女性のものだった。
「ちょっと妹紅、いきなりどうしたのよ? …あら、その子は?」
「ああゴメン輝夜。この子はちょっと色々あって、それでここまで着いてきちゃったみたいでさ」
妹紅は立ち上がって振り返った。
覆いかぶさっていた妹紅がいなくなって、ミスティアにも女性の姿がよく見える。
「ど、どうも…」
腰を抜かしたまま、ミスティアは輝夜と呼ばれた女性に会釈した。
すると輝夜も丁寧にお辞儀を返してきて、こちらの様子を窺ってきた。どうやら状況の読み取りをしているらしい。
「ふんふんなるほどね。察するに、貴女が流れ弾に当たりそうになって、それを妹紅が庇ったって感じかしら。大丈夫だった? えーっと…」
「あ、わたしの名前はミスティア…」
「ミスティア、大丈夫だったかしら?」
「あ、も、妹紅が助けてくれたから…」
「ふーん、名前で呼ぶ仲、と…」
最後の言葉の意味がよく分からなかったが、とりあえず敵意はなさそうである。そのことにミスティアはひとまず安心した。
だがその後に、今の状況を何とかしなければならなくなった。
「…どうして妹紅がわたしのこと抱っこしてるの?」
「どうしてって、こうしないとミスティアが動けないじゃない」
「だからってお姫様抱っこはないでしょー!」
「わわ!? 暴れないでよ!」
腰を抜かして立てなくなったミスティアのために、妹紅がお姫様抱っこをしているのである。
恥ずかしさのあまり、ミスティアの顔は真っ赤に染まる。
そんな暴れる彼女を何とか静めつつ、妹紅は輝夜の方に話を向けた。
「そう言うことだから、今日は…」
「あーはいはい分かったわよ。今日はこれでお開きね。お疲れ様」
輝夜はあっさりと答えて、妹紅たちに背を向けた。永遠亭に帰るのだろう。
やけにさばさばしたその様子に、妹紅は呆気にとられてしまった。
「どうしたのさ? やけにあっさりしてるじゃない?」
「この状況じゃ仕方ないでしょ。それに…」
「それに?」
「今のあんたたちを見てると何故だかと~~~~~っても嫌な気分になるの。だからさっさと帰るわ」
妹紅と、彼女がお姫様抱っこするミスティアにギロリと一瞥くれて、輝夜は去って行った。
なんだあれ、と不満顔をする妹紅だが、ミスティアの方はそれどころではなかった。
「と、とにかく! わたしはもう歩けるから降ろして!」
「はいはい分かったよ。降ろせばいいんでしょ?」
じたばたするミスティアに、妹紅は観念して足を着かせた。
するとミスティアは急いで妹紅の背中に回り込んだ。
「わたしなんかより、妹紅の怪我の手当ての方が先! …ってあれ?」
「あ…」
「傷が…ない…」
「…………」
ミスティアを庇って受けた流れ弾は、妹紅の服の背中の部分をビリビリに引き裂いていた。
しかし、当然その下にあるはずの傷が、どこにもない。
「どうして…? 無傷で済むような弾じゃなかったのに…」
「…………」
驚くミスティアに、妹紅は沈痛な顔をして押し黙る。
それに釣られてミスティアも何も言えなくなってしまったのだが、とうとう妹紅が口を開いた。
「あのねミスティア。よく見てて」
そう言うと妹紅は、ポケットの中から小型のナイフを取り出した。
そして右手でナイフの柄を持ち、左腕を軽く引き裂いた。引き裂かれた傷からは赤い血が出るのであるが、すぐに収まった。
「詳しく説明すると長くなるけど、簡単に言えばわたしはこういう体なの。どんなに深い傷を負っても治ってしまう、決して死ぬことのない体。人間であって人間でない、ただのバケモノ…」
悲しそうな顔をする妹紅に、ミスティアは全て悟った。
自分を襲ったような妖怪を簡単に受け入れたのは、自分が殺されても死なないことが分かっていたから。
人間であるくせに人間のことをまるで他人事のように語ったのは、自分の体が普通の人間のものでないことが分かっていたから。
竹林の中にまるで隠れるように住んでいたのは、その体のことを知られたくないから。
そして、時折寂しそうにするくせにその全てを語りたがらないのは
「気持ち悪いでしょ? こんな、不老不死の体なんて」
不老不死の体を恐れられ、気味悪がられることを恐れていたから。せっかく知り合った妖怪に、疎まれたくなかったから。
だからこそ、ミスティアは答えた。ありったけの誠意を込めて。
「全然気持ち悪くなんかないよ。わたしみたいな妖怪の相手には、むしろ人間を越えちゃってるくらいが丁度いいの。信じてもらえるかは分かんないけど、信じてほしい」
「ははは、何か立場が逆になっちゃったね」
「ふふふ、そうね」
二人の大きな笑い声が、静かな竹林に響き渡った。
暗い竹林の夜道を、妹紅が放つ炎の明かりを頼りに二人は帰路についていた。
ただしその帰路とは、妹紅の家への道では無い。
「だから言ってたじゃない。わたしは焼き鳥屋なんかじゃないって」
「だったらそんな能力隠さないで、早く言えば良かったじゃない」
「見せたら見せたで、どうせその能力で焼き鳥屋を営んでるんでしょ、とか言ってきたんじゃないの?」
「そ、そんなことないよ! …たぶん」
晴れて誤解も解けたので、ミスティアが簡単に帰れるよう竹林の出口まで道案内である。
足腰に力が入るようになったミスティアであったが、羽が震えて上手く飛べない。妹紅が抱えて飛ぼうかと提案したら、真っ赤な顔で却下された。
そのためゆっくりと歩いて出口を目指す。
その道中、夜道には似つかわしくないほど会話が弾んだ。
「輝夜って人とはどうして戦ってたの? どういう関係?」
「えーこれも説明すると長くなるからなあ…」
「けちけちしないで教えてよ~…じゃあ慧音は? あの人も不老不死なの?」
「いや、慧音は違うよ。普通の人間ではないけど、不老不死じゃない」
「へ~、どうやって知り合ったの?」
「ああそれ? え~っとどういう風だったかなあ」
こういう感じに、矢継ぎ早にミスティアが質問をして、それに妹紅が色々とはぐらかしながら答えていた。
そうこうしている内に、竹林の出口まで辿り着いたようである。
「あ、出口だ」
「じゃあ見送りはここまでだね。でもいくらなんでも急じゃない? 誤解が解けたからって、こんなにすぐ帰らなくても」
「いいの。わたしにはちょっとやりたいことがあるから、じゃあね!」
「気をつけてね、バイバイ!」
大きく手を振って駆けていくミスティアに、妹紅も手を振り返した。
そして姿が見えなくなった頃、妹紅は踵を返して、竹林の中に帰って行った。
しばらく歩いて、自分の家に到着する。
夕食はまだ済ませていないが、何だかそんな気分になれなかったので、風呂に入ってさっさと床に就く。
「いたらいたで喧しいけど、いなくなったらいなくなったで寂しいな…」
昨日よりも広くなった分、少し寒くなった布団にくるまり、妹紅は静かに眠りについた。
翌朝。
ドンドン、ドンドン、と玄関の扉をたたく音に、妹紅は起こされた。
一体何事かと、寝ぼけ眼をこすりながら戸を開ける。するとそこには、妹紅のよく知る人物がニコニコしながら立っていた。
「ミスティアじゃない。こんな朝早くにどうしたの?」
昨日帰ったかと思えば、今日すぐにやって来た。
突然のことに驚く妹紅に、ミスティアはもじもじしながら何かを差し出した。
「はい、これ」
「これは…?」
ミスティアから手渡されたものは、風呂敷に包まれた何か。結び目を解いて中を確認すると、黒い重箱が入っていた。
そしてその重箱のふたを開け、妹紅は思わず笑顔になった。
「ああそっか」
「そ、ヤツメウナギ。妹紅、食べたいって言ってたから」
重箱に入っていたのは、とても美味しそうなウナギのかば焼き。
その芳香に、妹紅の顔もほころぶ。
「ありがとうミスティア」
「お、お礼なんていいよ。わたしの方が迷惑かけっぱなしだったし、これくらい」
照れ隠しをするミスティア。その顔は耳まで赤い。
「じゃ、じゃあわたし行くから。気が向いたら、またウナギ届けに来るよ。バイバイ!」
「あ、ちょっと…」
妹紅にロクな反応をする暇を与えないくらいの勢いで、ミスティアは飛んでいってしまった。
あまりの速さに、残された妹紅は少しの間ボーッと突っ立っていた。
「一体何をそんなに慌てていたんだろ? まあ、せっかくもらったこのウナギ、美味しく頂くとするかな」
渡された重箱を愛でるように抱えて、妹紅は家の中へと戻って行った。
ちなみにこの後、ミスティアは少なくとも週に一回、多いときは二日に一回はウナギを届けてくれるようになった。
そしてその度、妙にもじもじするのも変わらない。
この事を慧音に話してみると
「お、恐れていたことが起きてしまった…悪い予感が当たってしまったぁ…」
と言って、頭を抱えてわなわなと震えだした。
また、決闘前にそれとなくこの事を輝夜に話してみると
「何故かしらね。不思議とイライラするからいつもより派手に殺してあげるわ」
と言って、情け容赦の微塵も感じられない猛攻を浴びせかけてきた。
この変化は一体どうしたのだろうかと、妹紅は今日もヤツメウナギを啄みながら考えるのであった。
出だしと落ちがとっても好みでした、面白かったです。
ちょっと嫉妬しちゃってる輝夜がラブコメ雰囲気を上手く演出していますね。
ちょっと思いこみ激しい所とかが、かわいかった!
妹紅が輝夜と決闘する時に理由も告げずに去って、ミスティアは勘違いをするのですが、そのくだりがちょっと無理やりかな、と感じました。
もじもじしたみすちー可愛らしい。