「おかしいわね」
少し短めの、癖のある髪を緩く振って、森を歩いていた少女は小さく呟いた。
それの声の主は、本来ここにいるべきでない者。旧灼熱地獄を治める地霊殿の、その主。忌み嫌われた者達の長たる古明地さとりであった。
歩を止めて、彼女は森の木々を降り仰ぐ。木々の隙間から差し込む日差しが優しかった。それを少し目を細めて見やった後、視線を正面に向ける。
「さっきからぐるぐると同じところを回っているみたい」
化かされでもしているのかしら、と首を傾げ、さとりは再び歩き出す。
彼女が地上にいるのは非常に珍しい。それは間違いではない。さとりは自身の分というものを理解していたから、無論地上に無闇矢鱈に出て来ることはない。
今回は、少し用があるからと八雲紫に呼び出され、博麗神社を訪ねていたのだった。
内容は非常にざっくばらんなもの。地底と地上の関わりはどうか、何か問題は起こっていないか、等々の簡単なことを確認しただけである。
それを何故うちでやるかと神社の巫女に怒られたところで会談は終わった。問題は特になく、定期連絡のようにする事を目的としたものだったらしい。
どこに行っても若干支障が出るが故に、博麗神社を選んだのだという。霊夢にとってはさぞ迷惑な話だっただろう。
ともかく会見後、「適当に散歩でもしてきたら? 地上の散歩も悪くないわよ」という紫の言葉に甘えて、さとりは幻想郷をふらりと散歩することにしたのだ。
久々の地上ということもあったし、何よりこうして地霊殿の主でも地上を歩けるのだということを示すことでもあった。
このあたりは政治的な話ともいうべきかもしれない。霊夢は問題さえ起こさないのなら勝手にしろと言った。
これで博麗の巫女の許可はもらえたということになる。さとりは遠慮なく地上を歩くことにした。
かくしてさとりは様々な場所を歩くつもり――だったのだが、森に入った辺りでどうやら迷ってしまったらしい自分に気が付いていたのだった。
「……仕方ないわね」
しばらく歩き続けたさとりはそう小さく呟き、近くの大木の、地上にせり出している根に腰掛けた。
迷ったなら迷ったで、迷ったという事を楽しもう、と思ったのだった。その前に、神社で貰ったお茶で一服しようと。
何故神社に紅茶があったのかよくわからなかったが、どうやら何者かが置いていっていたらしい。
銀髪のメイド服の女性が思考の端に見えたから、きっとその人なのだろう。
そう思いながら、肩にかけていた水筒を外した。蓋を捻って開け、その蓋をコップ代わりにして紅茶を注ぐ。
思った以上に良い香りで、さとりは頬を綻ばせた。今度どんな茶葉なのか聞くことにしよう。
意外にも思われることであり、また地霊殿の主たる彼女しか見ていなければ想像もしえぬことだが、さとりにも暢気な面がある。
ずっと何かを背負い続け、何かを守ろうとし続けているがためにそうと見せる機会もなかっただけであり、どこか抜けているところがあったり、こうして暢気に物事を楽しんだりするのが本質でもあるのだろう。
雑多な音は確かに入ってくるが、不快ではない。人が多いところよりはずっと静かで、のんびりするのにはちょうど良かった。
道がわからぬ不安、というのはない。結局のところ「まあ何とかなる」という気分が大きいのだ。旧都や地霊殿が抱える不安定さや問題に比べれば些細なことにすぎない。
それに、大体原因は分かっているのだ。
紅茶を一杯飲み干し、蓋を戻すと、さとりは一つ大きく息を付いた。
「さて、と」
そして、ふわりと微笑み、目を閉じて周囲の音に集中する。無論、単なる音ではない。
彼女を化かしているであろう、何者かの思考を探すためだった。
「あーもう、なんであんなに暢気なのよ!」
どこぞの巫女じゃあるまいし、と、悔しそうにわめく少女が一人。
その背には、陽に透かされて美しく輝いている羽があった。同じく陽に輝く二つに結ばれた金髪を振りながら、少女は視線の先の少女を眺めている。
光の三妖精が一匹、サニーミルクだった。今日は珍しく単独行動中で、その途中に森に入る影を見つけ、これ幸いと悪戯しようと思ったのだ。
無論、彼女はその化かそうとした相手が妖怪だとは知らない。覚りの姿は人間の姿に似てはいる。
わかりやすいものはその第三の目だが、それさえ見えなければさしてわからない。
「こうなったら木の実ぶつけるとか……うーん」
何とかして驚いてもらう、あるいは怖がってもらわなければ、悪戯した甲斐がない。
それに折角驚かすなら何か大仰にして、ルナチャイルドやスターサファイアに自慢できるくらいにはしたかった。
それが妖精のきょうじってものよね、とサニーミルクは小さく呟く。矜持というものが何かはよくわかっていないが、とにかくかっこよかったので言ってみたかったのだ。
「んー……陽の光を当てたら……わかっちゃうし」
どうしたものか、とサニーミルクは考える。どうすればより驚かせられるだろうか。面白くできるだろうか。
こう考える時間が彼女を何よりも楽しませるのだった。悪戯は妖精の本分であり生業。彼女達とは切っても切れないもの、だった。
だから、悩んでいるうちに、そのターゲット自体がどこかに消えてしまうなど、思ってもいなかったわけで。
「うーん、うーん、どうしようかな……やっぱり木の実を一気に、埋まるほど頭に落として……あれ?」
サニーミルクは、木の根本にいたはずのターゲットが消えてしまったことに、今更ながらに気が付いた。
「あ、あれ!? どこ行っちゃったの!?」
きょろきょろと周囲を見る。折角楽しいことを思いついたのに、その対象がいなくなるなんてもったいない。
何としてでも探し出して悪戯の続きを――そう、思っていた。自分の背中の方から声がするなど、思ってもいなかった。
だから。
「見つけましたよ」
「わわわっ!?」
不意にした声に、サニーミルクは心の底から驚いた。自分の姿は見えないはずなのに。光は完全に遮断しているはずなのに。
混乱したまま、サニーミルクは慌てて駆けだした。
見えないはずの自分に声をかけた何者かから、とにかく逃げ出すために。
サニーミルクが立ち去ったのを、さとりは視覚によらないもので悟っていた。無論、サニーミルクはそんなことはわかっていない。
「あ、待ってくださいな」
言いながら、さとりは後を追って飛ぶ。さすがは妖精と言うべきか、逃げ足が早い。
あれに追いつくには、と考えて、少し贅沢な能力の使い方をする。
天狗さんので良いかしら。
呟いた瞬間、さとりの周囲に風を模した魔力が渦巻いた。それに乗るように、さとりはスピードをあげる。
サニーミルクにしてみたらたまったものではない。予想外の速さで追いかけられ、必死に森の木々の合間を抜けていく。
土地勘のないさとりには、その動きは余りに捉えにくすぎた。しかし、サニーミルクの思考を追えば、どう逃げようとしているのかは容易くわかる。
近くの木を蹴って、さとりはその速さに拍車をかける。幸い、力はないので木は揺れたにとどまった。もっと力があったり、足に魔力をかけたりしていれば木は容易く折れていただろう。
「な、なに!?」
サニーミルクは、木々の合間を何かが高速で動いているのに気がついていた。自分に声をかけた何者かなのだ、というのはうっすらわかっている。
ということは妖怪か何か人間ではない者、あるいは巫女のような普通でない人間だったに違いない。
ざわざわと木々が揺れていた。さとりが木から木へ動き、それに意識を向けるサニーミルクの位置を把握しようとしているのだった。
はたして、さとりの思惑通りにサニーミルクは思考し、行動した。そして、ついにその身体に手が掛かった――までは、良かったのだが。
「つかまえ……きゃっ!?」
「わ、あ、あぶな……!」
さとりは自分が触れたものがそこまで小さいとは思っていなかったし、サニーミルクにしてみれば、まさか自分を的確に掴んでくるなどとは思わなかった。
結果。
「いたたた……あら?」
二人して転がるようにたどり着いた森の少し開けた広場で、さとりは草まみれになってしまった自分と、同じく草まみれになってきゅうとばかりに目を回している妖精を目の当たりにすることになった。
「う、うーん……」
「あら、目が覚めました?」
サニーミルクが目を覚ましたとき、目の前にあったのは見覚えのない顔だった。その誰かの膝の上に横になっていた。
いや正確には見覚えはあった。それは悪戯の対象としての記憶ではあったが、故にサニーミルクは慌てて逃げ出そうとする。
「ああ、ちょっと待ってくださいな。そう、私を化かすつもりだったのね」
「そ、それは、化かすというか」
「ええ、『道に惑わせて川にでも落としてやるつもりだった』でしょう?」
サニーミルクは目を丸くした。どうしてこちらの考えがわかるのだろうか。
「ふむふむ、『なんで思ってることがわかるんだろう』」
「わ、わわわ」
「『どうにか誤魔化して逃げなきゃ』ですか。無理ですよ、私の能力からは逃げられません」
さとりは少し意地悪く微笑んでみせた。それにぞくりとしたものを感じ、サニーミルクはまたばたばたと逃げだそうとして、再び額を押さえられてしまう。
そもそも、彼女の膝の上に横にさせられているので、動きようもないのだが。
「はいはい、大人しく。大丈夫ですよ、取って食べるわけではないですから」
「ほ、本当……?」
「ええ、お約束します」
そう、額を押さえていた手を離して、少女は微笑んだ。
「貴女のお名前は?」
「え、あ、サニーミルク……い、いえっ、名乗りを上げるときは自分から名乗るものよっ!」
もうすでに名乗ってしまったことは放り投げて、サニーミルクは身体を起こすとびしっと指さした。
少女は目を瞬かせ、そして楽しげにくすくすと微笑う。
「これは失礼を。私は古明地さとり。地霊殿というところに住んでいます」
「ちれいでん?」
「ええ。心を読む程度の能力を持っています。なので、貴女の心は筒抜けなのですよ」
ああ、そうかあ、とサニーミルクは感心した。道理で動きが読まれるはずだ。それと同時に少し羨ましくもなったし、ずるいとも思った。
そんな力があれば悪戯はし放題だし、隠れてたこちらも簡単に見つけられるではないか。
それをまた読んだのか、さとりは再び、今度はとても楽しそうに笑った。
「ふふ、それは面白い考え方ですね。悪戯に使うのは思いつきませんでした。そうね、とりあえずは」
「?」
さとりは頷き、そして、水筒を肩から外して蓋を開ける。何をするのだろう、と考えていると、それに紅茶を注ぎ、サニーミルクに差し出した。
「お茶でも一服しながら、お話ししましょうか」
その言葉に、サニーミルクは面食らって目を瞬かせるしかできなかった。
地上の妖精を見るのは久々だった。姿が消えたり現れたりする彼女が不思議で、さとりはちょっとした興味を抱いたのだった。
地上に出なくなって、もう久しい。こうして地上の者と言葉を交わすのも悪くない。その程度の、ちょっとした好奇心だった。
差し出した紅茶を受け取り、一口飲んで、サニーミルクは顔をしかめた。
「甘くない……」
「流石に砂糖までは準備はないですから」
そういえば、妖精は味覚が子供並だったな、と思い出す。少しずつちびちびと飲むサニーミルクを見つめながら、さとりは彼女が何を聞きたがっているのか不思議に思っていることを知った。
「ああ、『何が聞きたいの』ですね。そうですね、貴女達の事を聞いて良いですか?」
「私達?」
「ええ、貴女のこと。私から姿をどうして隠せていたのか。そして、貴女の脳裏にいる、そのお二方のことです。もしよければですが」
よければ、などとは妙な言い方をしたものだ、とさとりは思う。彼女が思えば、全てはさとりに筒抜ける。
それでも、さとりは、彼女の言葉で聞いてみたかった。言葉を交わすこが大事だというのは、少し前に痛すぎるほど思い知ったから。
「いいですよー。私達みたいなのは、さすがに地底にもいないでしょうし!」
サニーミルクは楽しそうにそう言うと、堰を切ったように話し始めた。いつもは三人組で動いていること、そのそれぞれの能力、悪戯のこと。
「ルナがいれば、誰にも聞かれずに動けるし。スターは何がいるか探してくれるし。そこに私が加われば、何も怖いものはないってわけ」
「音消し、と、気配を捉える、ですか」
「そう! これで何回か悪戯も成功させたわ!」
「そう、霊夢さんや魔理沙さんに、ですか」
目まぐるしく動くサニーミルクの思考を読みとりながら、さとりはくすくす笑った。
彼女の言葉は興奮している時の妖精らしくいろいろ説明が欠けているのだが、さとりはそれを補うことが出来る。
「でも、何にしろ、私の能力がなければ始まらないわ!」
「そういえば、貴女の能力がまだですね」
満を持した、というていで、サニーミルクは自慢げに腕を組んだ。
「そう、私は陽の光を操るの!」
「陽の、光?」
陽という言葉に、一瞬脳裏に浮かんだ姿に、さとりは胸元で手を握りしめる。それに気が付かず、そう、と、サニーミルクは楽しげに指を回した。
「私の姿、見えなかったでしょう?」
「ええ、そうですね。なので私も目測を誤りました」
さとりは認めた。そうでしょうそうでしょう、とサニーミルクは胸を張る。
「私の姿は誰にも捉えられないもの。正確には、光を屈折させる力なんだけど、陽の光の角度を変えれば陽の当たらないところに陽を当てることも出来るし、私の姿を隠すことも出来る。どう、凄いでしょう!」
ぱっと、彼女は八重歯を見せて自慢げに笑った。その笑顔は、何かを連想させるもので。
そうですね、と応じようとして、さとりの声帯は一瞬その動きを忘れたように動きを止めていた。
「……ええ、本当に。驚いてしまいました」
さとりは、ようやくそれだけをゆっくり言葉にした。サニーミルクの訝る表情にも心にも気が付いていたが、今はまだそれだけしか口に出来なかった。
「……どうしたの?」
反応が薄かったことに対する不満ではなかった。(そんなに驚かせちゃったかしら)とその心は言っていた。
さとりはゆるりと首を振った。
「大丈夫ですよ。ああ、それで、光の三妖精、なのですね」
「うん、何だっけ、里の女の子がまとめてるあれにもそうやって書いてもらったわ。素敵でしょう?」
「ええ、本当に」
さとりは頷いた。楽しそうな彼女を見るのは楽しかった。大事な家族を想起させるその表情は、さとりの心の中に静かな波紋を投げかけていた。
「はー、たくさん喋ったわ」
そう言いながら、こくり、と、紅茶を飲み干して、サニーミルクは再びさとりを見上げた。その瞳の色は深くて、サニーミルクには何も読めない。
心を読む力なんてあったら便利なんだろうなあ、くらいにしかサニーミルクにはわかっていない。
今日の出来事はあまりに怒濤すぎて、心を読まれることの嫌悪にまで、無邪気な彼女の頭脳は追いついていなかった。
そして、さとりが何に対して深く考えていたのか、何に対して驚いたのかもわかっていなかった。
彼女は地底の事件は知らなかったし、知っていても大事だなどとは考えなかっただろう。
それも読んだのか、さとりはふわりと、どこか優しく微笑んだ。ここにいない誰かに向けた微笑みのようにも、サニーミルクには思えた。
「……陽の光は好きですよ」
「そうなの?」
「ええ」
でも、とサニーミルクは口にしようとしてやめた。好きならどうしてそんなに寂しげな顔をしているのだろうかと思った。
さとりは復唱しなかった。その意味を知れるほど、サニーミルクは賢いわけではない。あるいは、妖精の限界であったかも知れなかった。
「……もし、いつか機会があったら、地霊殿にいらっしゃい」
「え、あ」
「地底に、地上の妖精は中々来れないでしょうけれども。いつか、来ることがあれば」
そう微笑んださとりは、どこか儚くも綺麗なものに、サニーミルクの瞳に映った。
「地底の太陽を、お目にかからせましょう」
「地底の、太陽」
「良い子なのですよ」
さとりは多くを語らなかった。サニーミルクは何かを言おうとして、自分でもそれが何かわからなくて、結局何も言わなかった。
「……さて、日が陰ってしまいます、夜は私達の時間ですけれども」
サニーミルクの頭を撫でながら、さとりは再びふわりと微笑んだ。
「あまり地底を空けてもいられませんので、そろそろ帰らなければ。案内して、もらえますか」
そう立ち上がるさとりを追って立ち上がり、サニーミルクは声を上げる。
「こ、今度は!」
「はい?」
「今度は、ルナとスターも会わせてあげる! 三人揃ったら本当に凄いんだから! そ、そのときは、貴女も一緒に悪戯しましょ? 貴女の能力もあったら、絶対絶対成功するわ!」
それは、妖精なりの厚意の示し方だっただろう。悪戯というのは、彼女達の生業そのものだから。
サニーミルクはそんなことは意識していない。ただ彼女は思うままに言葉を紡いだだけだった。
「……そうですね、機会があれば」
「う、うん! 約束よ!」
「ええ」
サニーミルクは、それこそ陽光のような笑顔を浮かべた。
「じゃあ、森の外に案内してあげる。だいじょーぶ、私達の庭みたいなものなんだから」
「ええ、お願いしますね」
そう、二人は並んで浮かび上がると、森の出口に向かって飛び始めた。
なんかほんわかした。
三妖精とさとりがいたずらをしてトラブルを巻き起こして一波乱あったけど解決してめでたしめでたし、
的なはなしまで作っちゃってもよかったかもしれませんね。
もう一押し機微の描写があってもよかった。
ほのぼのとした幻想郷の日常の一コマ風で、読んでいて気持ちが良かったです。サニーかわいいなぁ
で、次回作の三妖精IN地霊殿はまだですかね?
ともあれ、サニーをはじめとする三妖精達と上手くいきそうな予感のする締めくくり方、良かったです。
…サニーの能力を想起で取り入れてカメラシャイローズが無理ゲになったら悲しいですが。
素敵なお話でした。 願わくばこの世界でこいしちゃんも出して欲しいです
内容もほのぼのしていて暖かくなれるいいお話。
この表現は仕様ですか?
ご指摘ありがとうございます。
仕様だったのですが、わかりにくい表現でしたので訂正しました。
ありがとうございました。
これはいいほのぼの
ともかくかわいい。