1
上白沢慧音は月を見上げる。
今晩の月は満ちてはいない。
最近では意識して空を見上げる事が多くなった。
上白沢慧音は半獣である。
生まれながらにしてではない。
後天的に、つまり何らかの干渉により人間が獣人と化したのだ。
獣人となったエピソードはまた機会があれば語るかもしれない。
獣人としての特性から満月が近づくにつれて夜を長く過ごす事になる。
夜は安息の時ではなく、むしろ活動的になる時間であった。
こんな夜に慧音の胸中を占めるのは何時も1人の人間の事に関してだ。
霧雨魔理沙。
彼女の事を想うと胸がざわつく。
あれは可能性の塊だ。
彼女のキラキラした星の瞬きのような生命に私は魅せられているのかもしれない。
2
上白沢慧音は人里にて寺小屋を営んでいる。
人間に教育を施す事。
それは人間が持つ独特の迷信の打破であり、世界に対して不要な恐怖心を抱かせない為に最も重要な行いであると思っている。
不幸な誤解は知識の欠如に基づいていると慧音は確信していた。
幻想郷は意思疎通が可能な異種が数多存在する世界である。
しかし意思疎通が可能であっても相互理解が進む訳ではない。
むしろ、そこは異種間であるのでなまじ意思疎通が可能であるが故に慣習の違いから常に衝突の危険性を孕んでいた。
故に異種間の相互理解促進のために正しい知識の習得は必須であった。
人間は個体個体の寿命が非常に短く、知識の継承も断続的である為に歴史を総覧する者が常に彼等を教育する必要があった。
人間は数多存在する幻想郷の生き物の中で最も脆弱な存在だ。
慧音自身も元は人間である為、どれだけ人間が脆い生き物であるかという事は嫌という程知っている。
上白沢慧音は知っている。
幻想郷の成立の背景を。
殆ど推察であるが、けれども重ねた数多の状況と推論が一つの結論を導いていた。
何故、この妖かしが跋扈する化け物共の世界にわざわざ人間がいる必要があるのか・・・
それは端的に言って、人間は彼等妖怪の食料として存在しているに過ぎないのだ。
一応里があり社会らしきものが存在している事が許容されているのも、彼等の食料である人間が絶えぬ為に、つまり食料の再生産を途絶えさせない為に、そういった社会なる機構が存在している方が安全であると評価されている為容認されているに過ぎない。
幻想郷は妖怪の為の楽園である。
妖怪が人間を襲っても外の世界のように徒党を組んで抵抗してこない。
何故ならば外の世界と違い個体数が限られているため、無謀な抵抗は種の存続に関わるからだ。
限られた人間を限られた空間の中で生かさず殺さず生殺しにする事によって、妖怪にとって一大問題であった食料の安定確保に目処が立った理想の世界。
そのような仮説を元にした観点から見れば確かに此処は楽園だった。
この仮説が頭にこびりついて以来、そして自らも大別するならば妖怪の一員である身として、けれども人間の頃の記憶が未だに色濃く残る半獣として、そういった世界に抵抗しようと心に決めた。
勿論この刹那過ぎる事実を里の人間に伝える事は出来ないが(そんな事をしたら数年以内に人間は滅んでしまうだろう)妖怪に対処する術を与える事は出来る。
当然対処にも限度があり、一般的な人間が本気で妖怪に襲われたら余程の幸運に恵まれない限り彼奴らの胃に収まるしかないだろう。
それに結局のところ人間の個体数維持に注力する事は世界の創造者の思惑に何ら支障を来す事ではないという考えも脳裏に過る。
だから偶に自分がしている事は何の意味もない行為であるかもしれないという想いに囚われる事もあるが、寺小屋開設以降目に見えて捕食される人間が減った事は事実であるので、そういう成果を拠り所にしてあるいは折れそうになる心を支えていた。
3
あの永い夜の異変の最中に彼女に出会った。
霧雨魔理沙。
あの少女は人間であるにも関わらずむしろ私と敵対し、妖怪と手を取り合い寄り添い合っていた。
その光景は衝撃的だった。
それは私が目指した異種間の相互理解の一つの形であったからだ。
ところで幻想郷には巫女が存在する。
妖怪退治の専門家だ。
彼女の存在が妖怪の無茶な人間捕食を抑制させている。
巫女は人間ではあるが、けれども人間というよりは、これはほとんど巫女という種族であると理解した方が誤解が少ないと思われる程人間とは異なった存在である。
故に巫女がその業務の遂行上妖怪と親しい関係性を築いている事に違和感はない。
巫女という種族が妖怪と相性が良いと考えれば何の疑問もないという訳だ。
あるいは妖怪と癒着しているのかもしれないと思わないでもないが、けれども巫女が居なければ里はもっと妖怪から酷い目に遭わせられている事だろう。
だから博麗の巫女が幻想郷の中でも非常に強大な力を持つ妖怪と常に行動を共にしている事はむしろ心強い。そうしている間は彼女の管理下にあるという事でもあるからだ。
万が一鬼やそれに類する化物が何かの間違によって人里で暴れたらと思うと恐怖で身が竦みそうになる。
そういった危機感は常にあって、だからあの永い夜の異変の際には驚くほど強力な妖気が人里に複数近づいて来たので何振り構わぬ手段に訴える事になった訳だ。
結果としては能力が限定された半獣もどきの力では真に強力な妖怪の前において無力である事が判明した。
それは良い。
所詮どちらつかずの半獣など下級妖怪であるのだろう。
けれども、霧雨魔理沙が自らの力を上回っているとは衝撃を通り越し呆然とさせる事実だった。
それほどまでの力を人間が手に入れるまでに如何なる経緯があったのだろう。
霧雨魔理沙という人間に対する興味は彼女の事を考えれば考えるほどに湧いてきたのであった。
4
霧雨魔理沙の事は彼女が赤子の頃から実は知っている、いや、知っていた。
それに思い至ったのは異変後にあった偶然からようやく思い出したというか理解した事柄である。
そもそも異変の時に出会った魔法使い風の少女が人間であると知ったのは後の事であり、余りにも変わり果てていた為元教え子であったとは思いも寄らず、当然気が付くことすら出来なかった。
それほど霧雨魔理沙は人間離れしていたし、人間があそこまで人間らしさを失えるとは思ってもみなかった。私のような半獣の者からしても霧雨魔理沙は異常であり異端であると観察された。
霧雨魔理沙は人間の里の大手道具屋「霧雨店」の一人娘だ。
彼女が生まれた時、割合難しい出産であったらしく、難産の末に無事生まれた子が居ると里で話題になった事があった。
当時は竹林の医師もおらず、子供が無事生まれる事はそれだけで祝の対象であり、しかも母子とも共健康である事は殆ど奇跡に近い事であった。
「霧雨店」は里の中でも有力な家の者が経営していて、そういった有力者の家系の子供も私は面倒を見ていたが、霧雨魔理沙もその中の1人であった。
実は幼少期の霧雨魔理沙に関する印象は酷く薄い。
思い出してみれば、彼女は非常に大人しく周囲と打ち解ける事を苦手とする子供であった。
寺小屋に来ても特に友達を作ることもせず、お遊戯の時間にも楽しそうにはしゃぐ子供ではなかった。
そういう子供は毎年一定の割合で存在する。
それはそういう個性を持って生まれてきた子供であり、無理に矯正しようとするとかえって逆効果である事は知っていた。
けれど、私は教師であるから幾らか彼女に気を使いながら寺小屋に馴染ませようと試みた事もある。
最も効果は無かったのだけれど。
そうこうしている内に霧雨魔理沙は寺小屋に来なくなった。
彼女が数えで5つの頃であったと思う。3つの頃から通っていた筈だから二年程度の通学であったか。
そういう子もまた珍しくない。
特に有力な家系の子供であるならば、その家独自の教育方針があり、そして寺小屋通学は義務を伴わない為基本的に登校するかしないかは自由であった。
そういった状況に歯がゆい思いをする事もあるけれど、彼等人間に義務を伴う負担を強いる事もまた難しい事は承知していた。
そして私は彼女の事を忘れてしまった。
あるいはどうにもならない状況に甘えていたのかもしれない。
彼女が登校することが叶わなくなった真相を両親から聞き出すべきだったのかもしれない。
けれども日々の忙しさの中にそういう正しさは埋没してしまい、そして生徒は彼女1人だけではない事情から私は霧雨魔理沙を忘れてしまった。
5
記憶が正しいのであれば幼少期の霧雨魔理沙は黒髪であった。
というか、黒髪以外の人間は基本的に存在しない。
本当に珍しい確率で生まれる事もあるらしいが、そういう子供は生まれた時に酷な話ではあるが生まれなかった事にされてしまうのだそうだ。
それに人間の特性上、姿形が極端に違うものを同種族として扱う事は出来ないため、結局その子供が存命したとしても過酷な運命が待っていただろう。
そういう事情もあって、霧雨魔理沙が生まれ、里が受け入れた時点で姿形は人間のそれであった筈だ。
髪は金色ではないし空も飛ばない。
ごくあたり前の少し引込み思案な女の子に過ぎなかった訳だ。
如何にして彼女は人里を離れ、あのような力を会得するに至ったのか。
そして、力の会得が妖怪との本質的な交わりを可能としたのだろうか・・・
6
永い夜の異変以降、多少なりともそれに関わった縁もあり、幾人かの妖怪と知己になる事が出来た。
アリス・マーガトロイドもその1人である。
霧雨魔理沙と最も親しい妖怪の1人であるそうだ。
彼女に関しては気難しい魔法使いというのが第一印象だった。
最も気難しくない魔法使いというのも珍しいのだろうが。
彼女は魔法使いであると同時に人形使いでもあった。
私は異変の最中にその技を拝見させて貰ったが、それはそれは見事なもので、当時は戦闘中であったがこれは里の子供たちにも見せてやりたい、きっと喜ぶだろうと場違いな事を思っていた。
だから、異変後にアリスの事を探した。
彼女に人形劇を子供達の前で実演して貰う事は無理でも、私に人形使いの心得を教えて頂きたかったからだ。
生来の生真面目さが仇となり、時に寺小屋の授業が酷く退屈したものになってしまう事を自覚していた。それに、私の有する知識の範囲で行うお遊戯はあまり評判が良くない事も知っている。
子供達には板書だけの知識を与えたくはなかった。そんなものはいずれ忘れてしまうだろう。
むしろ、人形劇等の誰にでも分かりやすい形で、それとなく教訓を含んだ説話を覚えて貰う方が余程効果的であるとも思っていた。
そういう物語はもしかしたら何時までも忘れずに覚えていてくれるかもしれない。
もし、何らかの事情により私が寺小屋の運営が不能となった場合でも物語や伝承は何時までも残るのかもしれない。
そういう物語が人間を救う事があるのかもしれない。
そして、私が本質的に人間に残したいのはそういうものなのだ。
だから、アリス・マーガトロイドに出会わせてくれたあの異変は私にとって様々な転機となったのだ。
アリスの居所は簡単に掴めた。
博麗の巫女が教えてくれたのだ。
というか博麗の巫女に聞きに行く以外私にはアテが無かった。
私はあるいは妖怪の世界において軽蔑されている事を知っている。
半獣の癖に人間とつるんでいる。
そんな風に見られている事は重々承知していた。
何時だったか里を襲おうとした低級な妖怪を退治した事がある。
退治の間際に「お前は賢いな。そうやって自分の食い扶持だけは沢山囲っていやがる」と言って絶命した。
それが妖怪の視点から見た私の評価である。
だから私は幻想郷に長く居るが妖怪の知己はいなかった。
故にアリス捜索はもし博麗の巫女に断られていたら諦めざるを得なかっただろう。
7
アリス・マーガトロイドは魔法の森に住んでいた。
外見から感じた気難しいという第一印象はしかし彼女と会話を重ねる度に解消されていった。
懸案であった人形劇の件はむしろ喜んで協力してくれた。
拍子抜けする程に事はあっさりと運び、むしろ肩透かしである程だったが、あれこれ悩むよりも実際に事を起こす事が大事なのかもしれない。
アリス・マーガトロイドは魔法の森に洋館風の居を構えていた。
ここで1人で暮らしているという。
幻想郷は様々な世界から忘れ去られた物が集まり魔法研究に都合が良いそうだ。
彼女は気さくで面倒見が良く饒舌だった。
その日、館から帰ろうと思った時には既に夜も更けていた。
せっかくだから泊まっていくと良いと言われ、最初は固辞したが、しかし好意に甘える事にした。
彼女の洋館に客間は無く、私は彼女と寝屋を共にした。
その寝物語の中で霧雨魔理沙の話を聞いたのだ。
「私ね、魔法使いなのよ。それも生粋の。知っているでしょうけど。もう自分がどれだけ生きているか分からないわ。でもね、そんな事は大した事ではないのよ。自らがどれだけ生きているかという事柄に異常に興味を示すのは人間くらいなものだもの。人間は不可思議ね。人間って面白いのよ。上白沢さんは知っているのでしょうね。人間は世界の殆どの事柄を知らずに死んでいくのよ。ホント、なんで生まれたのか分からないくらいね。でもね、稀に此方側にきてしまう人間も居るの。私の近くに居るのよ。魔理沙って子なんだけど・・・そうよ、あの異変の時に私の側にいたあの子よ。霧雨魔理沙。あの子は本当に変わっているわね。え?そうよ、彼女人間なのよ。そうね、言われてみればあの金髪は人間にしては珍しいわね。きっと変な物でも食べたのよ。あるいは外の世界からこちらに来たのかもしれないわね。別に出自なんてどうでもよいわ。大事な事は私がそんな人間にね、その、なんというか、言ってみれば好意以上の気持ちを抱いている事なの。上白沢さんの背中っていいわね。貴方にならどんな事でも喋ってしまえそうよ。不思議ね、今日出会ったばかりなのに。私は人間が好きよ。そういえば上白沢さんからは少し人間の匂いがするわ。何時も大勢の人間と関わっているからかしら。半獣?幻想郷にはそんな種族も居るのね。それでね、私が初めて魔理沙と出会った話を聞いて欲しいのよ・・・」
そこから先の話は正直よく覚えていない。
それよりもアリス・マーガトロイドの隣に居た魔法使いが人間であるという事と、霧雨魔理沙という名前を持っていると知った衝撃で頭が真っ白になっていたからだ。
その時私は過去の記憶を辿り、幾つかの断片的な思い出から、異変の最中に出会った魔法使いが元教え子である事を知った。
8
人は変わる。
私の教え子達も幼い姿のまま一生を終える事はない。
霧雨魔理沙も変わった。
一目見ただけでは誰だか分からない程に。
霧雨魔理沙は私の元教え子だ。
けれどもあの異変の最中に出会った時、こちらも初対面という印象を持ったが、向こうもそういった印象を私に対して感じていたようだ。
でなければ、もう少しなんらかの反応があっても良かった筈である。
それに様々な行き違いから彼女達と事を構える事態に発展し冷静さを全く喪った状態であった為、そんなありもしないであろう事柄に気がつく事も出来なかった。
けれどもこうして霧雨魔理沙の正体を知ってしまった以上、私は彼女の事を考えてしまう。
里の者達に霧雨店の一人娘に関する事柄を聞いてみた事がある。
直接親御さんにも話を聞きに行った。
そこで、娘はとある事情により勘当している。その話はこれ以上聞かないでくれと強く言われてしまった。
そして父親が「あんな化け物のような者は私たちの娘ではない」と語っていた事が印象的だった。
周囲の者達の話によると魔理沙は魔法使いになった後一度実家に戻ってきた事があったそうだ。
けれども、魔理沙の姿形を一目見た彼女の両親は家に入れる事を固く拒んだのだという。
幾度かの激しい問答の末に魔理沙はついに家に入る事が叶わず飛び去って行ったらしい。
その一件以来、魔理沙が人里を訪れた事はないそうだ。
9
私は霧雨魔理沙に会いたかった。
会ってどんな話をしたいのか私自身も分からなかった。
けれど、一度会っておくべきだと思った。
それは、一体如何なる感傷によるものだっただろうか。
今となっては分からない。
その時の私は違う意味で冷静ではなかったのだ。
もしかしたら半獣という自身の境遇と半分人間ではない霧雨魔理沙との間に勝手に接点を見出していたのかもしれなかった。
それはつまり人を一度でも捨てたものしか分からない故郷との断絶を知るが故のお節介であったのかもしれない。
ある夜だった。
月は出ておらず、また寒い夜でもあったので星が痛いほど瞬いていた。
何かの拍子で私は夜空を見上げた。
どうしてそんな事をしたのか分からない。
けれども、なんとはなしに見上げたのだと思う。
星が瞬いている。
キラキラと。
けれども、私はその夜空に違和感を覚えた。
不規則な煌きが夜空の一部に混じっていた。
誰かが星を撒いている。
そんな風に表現できる現象であったのかもしれない。
私は興味本位でその不自然な瞬きに近づいていった。
余り人間たちを怖がらせる事は出来ないので、空を飛ぶことを基本的に自重してはいるのだけれど、その時は好奇心の方が優っていたし、それに、何か人里に危害を加えるものである可能性も否定できないから行って確かめたかったのだ。
不自然な星を追い駆ける内に、やがてそれは魔女の仕業だと判明した。
霧雨魔理沙と三度目の出会いだった。
10
「なんだあんた、私に何か用か?おお、よくみればこないだの化け物じゃないか。どうした今日は角を生やしてはいなのか?こんなとこで会うなんて偶然だな。それとも何か?私の星が観たくて追い駆けてきたのか?まあ、それも無理はないぜ。魔理沙さんの弾幕は幻想郷で一番美しいから無理もない。私を知っているかだって?そりゃあ知っているぜ。こないだ一緒にやり合ったじゃないか。あれは楽しかったな。ほら、竹林のさ、あれは夏の事だったか・・・確か肝試しか何かしてたんだよな。懐かしいな。そうじゃない?何人里?教師だって・・・」
霧雨魔理沙の顔面は月ひとつない夜空にも関わらず強張っていくのが見て取れた。
どうやら私の事を本当に思い出したみたいだ。
「・・・何の用だ」
魔理沙から発せられたその声は先程まで快活に喋っていた陽気さは何処にも無く、深く静かに怒りを押し殺している事が伝わる低い声だった。
「いや、用など特にないんだ。本当に偶然夜空を見上げたらお前を見つけたんだ。あの異変以降お前の事を思い出した。あの時は互いに夢中だったから知り合う事も出来なかった。しかし思い出したのだ。お前は私の元教え子で人里に居たということを」
「それで?」
「お前はその事を覚えてもいないだろうし、私も忘れていた。けれど、一度でもそういう関係性にあったという事をお前に思い出して欲しかった、それだけだ。それだけなんだ」
「悪いがあんたとは関わり合いになりたくない。私も今思い出したぜ。ガキの頃の思い出だ。寺小屋はつまらなかったよ。そういえばあんたみたいな奴だったかもしれないな・・・寺小屋にいた先生ってのは。すっかり忘れてたぜ」
魔理沙の顔に追憶の想いが浮かんでいた。
その表情は酷く幼かった。
寺小屋で所在無く俯いていたあの顔そのままであった。
「何故人里を捨てた?」
「今からお説教か?ならごめんだぜ、先生」
そのまま飛び去ろうとする彼女を私は引き止めた、渾身の力で。
私は問いたださなければならないだろう。
一体どんなつもりでこのような境遇である事を選んだのか。
それは不実な教師である自分には過ぎた行いであるかもしれないが、それでも彼女の事を過去現在まで含めて知ってしまった以上看過する事は出来なかった。
「何しやがんだ!」
「聞け!お前が人間を辞めた事をとやかく言うことはない。かくいう私も半獣の身であるからだ。けれども御両親の事はどうするのだ?本当にこのままで良いのか?」
「うるせえや!てめえに何が分かるんだよ!あいつらは私を捨てたんだぞ、そりゃあ私が先に捨てたかもしれないが人の気も知らないで将来は何処の馬の骨かも分かんねえ男の所に私を嫁がせる気だったんだ。私が何かを学ぶ事は無意味だと言ったんだ。そんな事は将来なにも役に立たないって。立派なお嫁さんになれないって。馬鹿な!私は魔法使いになりたかったんだ。お父は私の願いを聞いて笑ったよ。母ちゃんには打たれたんだ!あんな奴ら親じゃない。知ってるんだろ?だから家を飛び出したのさ。年端も行かないガキがさ。必死に魔法使いになりたくて魔法の森に飛び込んだんだよ。何度も死に目にあった。幾日も飯が食えなくておっかなくてひもじくて悲しくてわんわん泣いた。でも家にだけは戻ろうとは思わなかった。何時か立派な魔法使いになってアイツらを見返してやると思ったんだ。それから長い間魔法の森で暮らしたよ。私はほとんど独学で魔法の研究が出来る程には森に馴染んていてさ。そんな時少しだけ実家の事が気になったんだ。何かの気の迷いだな。それで戻ったんだ。本当にほんの少しだけ気になったんだよ。お父はちゃんと仕事してるのか。母ちゃんは身体壊してないかって。勿論散々悩んだけどさ、でも一度くらいは実家に戻ろうと思ったんだ。ほんと、一目見るだけで良かった。それなのにあいつらときたら・・・あいつらときたら・・・」
魔理沙は箒に跨ったまま泣いていた。
「あいつらは私を一目見た時にまるで化け物をみるかのような目で私を見たよ。それで言った一言が近所の目に触れると不味いから早く立ち去ってくれ、だとさ。本当に私は馬鹿だったよ。あんな奴らを未だに親だなんて思っていた自分の馬鹿さ加減に心底腹がたったんだ。わかるか?こんなクソつまらない事を思い出させたあんたに今私は怒り心頭なんだ!」
次の瞬間、箒が視界から消えたと思い辺りを見渡すと、私よりも遥か高い位置に陣取った魔理沙は素早く攻撃態勢を整えていた。
あの構えは知っている。
あの異変でも彼女が使用していたスペルカード。
確か名を・・・
「マスタースパークだぜ!!」
そうだ、マスタースパークだと思った時には私は既に光のなかに包まれていた。
11
霧雨魔理沙は私を見下ろしている。
彼女のスペルカードを避ける間もなく直撃して墜落した。
当然この程度で死ぬことはないが暫く動けないだろう。
「お節介が祟ったな、先生」
「ああ」
「本当に一体全体どういうつもりだったんだ?元教え子と云っても私とあんたとの間には殆ど何もないじゃないか」
「境遇がな」
「境遇?」
「ああ。私も殆どお前と同じ経験をしている。ほらこの通り私は化け物だろう。何処をどうみても人間じゃあないな。遥か昔私はある事情から望んで獣人になった。そうしなければ私が住んでいた場所を守れなかったからだ。けれど、私は結果として故郷を追われたのだ。私のような化物が家に居ては外聞が悪いって言われてね」
「・・・」
「あちこちを彷徨った。私は獣人であるし、若い頃は制御も利かずに人間を幾人も喰らった事もある。けれど半分人間だった私はその度に罪悪感でのた打ち回った。どうして私がこんな目に遭わなければならないのか。私は故郷を守っただけなのにこんな仕打ちを受けなければならないのか・・・今思い出しても身が引き裂かれそうだ」
立ちっぱなしだった魔理沙は腰を降ろした。
話を聞いてくれるのだろうか。
「私は生きることを半ば放棄してとある森に引きこもった。何年も何十年も・・・人と会わなけれな彼等を害する事もないしそのうち私は死ぬだろうと思ったからだ。けれど私は死ぬこと無く気がついたら幻想入りしていた。私は私の居た世界の誰からも忘れ去られてしまったのだな。それは寂しかったけれどようやく私は救われた気がした。けれどそれは間違いだった。それに気がついてからは気も狂わんばかりだったよ。つまり私は永遠に彼等と和解する機会を逸したのだ。その状況においては私を放逐するしかなかったのかもしれいが長い時の経過によって人間は変わるのだ。子を思わない親はいないのだ。今一度会いにい行けばまた違った未来があったかもしれないのだ」
「・・・あんな奴ら親じゃない」
「それは良い。お前がそう思うことは間違いじゃない。それだけの事があったんだ、当然の反応だろう。けれど、私は諦めてほしくないのだ。私のような後悔をおまえにして欲しくないのだ。後悔は辛いぞ。死んでもなお魂に残り罪として数えられる程だ。私は既に取り返しが付かない。けれどお前はそうじゃないだろう?これからも生きていれば必ず機会は巡ってくるだろう。その時に辛いかもしれないが今一度両親と会う事を辞めないで欲しい。お前の教師として、あるいは人間を辞めた先輩としての言葉だ・・・お前は優しい子だものな。さっきの攻撃にしても、もっと高火力で放てただろうに・・・」
「準備が出来てなかっただけさ」
「そうか。アリスも言っていたよ、魔理沙は幻想郷の誰よりも優しいとな。そうでなければあんなに美しい星を描くことは出来ないって」
「アリスに会ったのか!」
「ああ、お前の事を好きだと言っていたよ」
「そ、そうか・・・」
魔理沙は顔を赤らめている。
そして私は思い至った。
魔理沙と私の境遇が似ているなんて事はないのだ。
魔理沙には心底、心から心配してくれる、魔理沙の事を忘れない他者が居るのだ。
全てを諦めて森に篭った私とは違うのだ。
魔理沙を説教する等とんだお門違いだったのだ。
なんて私は馬鹿者なのだろう!
「・・・なあ、本当に笑ってしまうだろう。こんな時にいきなりお前を引き止めて突然教師面して説教するなんてな。本当、いま私は何をしているのだろうな。本当に済まなかった。さぞかし迷惑をかけた。話は終わりだ。そしてこの話は忘れてくれて構わない。二度と会うこともないだろう」
突然魔理沙は私の胸倉を掴んで頬を叩いた。
教師という仕事柄子供達の頬を何度も打ってきた私ではあるが打たれたのは初めての経験である。
「私は忘れないぞ。どんな事があってもだ!それと先生、お前は早とちりが過ぎるんだ。そうやって何もかも自分の中で納得するなよ!お前先生だろ?先生はな、何時だって生徒の前では正しくなければいけないんだ!それを忘れんじゃねえ」
魔理沙は立ち上がり、打って悪かったと一言謝り夜空に飛び立った。
彼女の箒からはキラ星が溢れ夜空を彩った。
それは今まで見たどんな星空よりも美しかった。
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結局あれから霧雨魔理沙と会ってはいない。
正直な話、仮に会ったとしてどんな話をして良いか私自身も分からない。
本当に薄い接点しかなかった。
私と彼女との間には。
けれども私は想いを馳せずにはいられない。
霧雨魔理沙は自らの信じ難い努力の賜物により、誰に恥じることもない魔法使いとなった。
それは人間の可能性の煌きそのものであった。
彼女は自ら進んで真に幻想郷の住人となったのだ。
捕食される事に怯えながら生を送る人間ではなく、底抜けの好奇心により永遠の探求を続ける幻想の存在へと昇華したのだ。
勿論教え子達に魔理沙を模範にしろとは言えない。
あれはあくまで特異な例外であると思う。
けれども、人妖が本当に手を取り合い相互理解を深め生きていく一つの指針となるのではないだろうか。
人間は意志一つにより如何なる存在へも昇華する事が出来るのではないだろうか。
私の教育方針はそういう意志をあるいは摘み取っているのかもしれないし、けれども真っ当で平穏な生というのも人間のあるべき生きたかでもあると思う。
思いは乱れ、息苦しくなる。
私は夜空を見上げる事が多くなった。
月は出ていなくても、あの星空の何処かに霧雨魔理沙が今日も箒に跨り元気に飛んでいるかと思うとどうしても気になってしまう。
だから私は今も星空を見上げる。
その時だった。
夜空に一際大きな星が瞬いていたかと思うとそれは大きな流れ星となり、極大の彗星が大空を幻想の空へと染め上げた。
私は目を閉じ、この瞬間を永遠に心に刻もうと決めた。
心の迷いは箒星が既に掃き去っていた。
(了)
魔理沙が寺子屋の元教え子である可能性に着目したところは面白いと思いました
知己でしょうか?
私はあまりタイトルを見ずに話を読み始めてしまうのですが、
読み終わって改めて題名を見てなるほどな!と思いました。
いい雰囲気の話ですね。
知己でした。
御指摘ありがとう御座います。
修正させて頂きました。
少し読みにくい印象があるのは、セリフが長く説明調であるのが原因かもしれません。
短編としては、長さも程よくきれいにまとまっていて面白かったです。
創想話へようこそ。これからも頑張ってください。次回作に期待してます。
話も綺麗に纏まっていて、楽しかったです。
なにより、星空が好きなのでさらに好印象でした。
慧音と魔理沙の関係性をガチで書いた話を
今まで見てなかったのでちょっと衝撃でした