バレンタインデー、というものがある。
毎年二月十四日に行われる行事であり、元々西暦269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日だと、主に西方教会の広がる地域において伝えられていた。
しかしそんな事柄はとうの昔に忘れ去られてしまい、お菓子会社の全身全霊をかけた宣伝の結果、今では毎年、世の恋人達がチョコレートと共に愛を誓い合う日へと変わってしまった。
そんなお菓子会社の陰謀が見え隠れする今日この頃。
「ど・れ・に・し・よ・う・か・な♪」
私は相棒であるマエリベリー・ハーンと共に、大学近くにある洋菓子店を訪れていた。
目の前にあるディスプレイには、色とりどりの洋菓子が並んでいる。フルーツを使ったものから生クリームいっぱいにかけられたものまで、ラインナップは多種多様だ。
その中央には、今日と言う日を誇張するかのように、ずらりとチョコレートを使った洋菓子が並んでいた。
「ねぇメリー、あなた今年で何歳だっけ?」
隣で鼻歌交じりにディスプレイを眺めている相棒に向かって、私は声をかける。
「なに言ってるの蓮子? 私達、同い年じゃない。どうしたの突然?」
「いや、何だか普段よりも楽しそうだなと思ってね」
視線をそらすことなく答えるメリーに、私は肩を竦める。
元々、メリーが甘い物に目が無いことは知っていた。二人でお茶する時だって、いつも彼女は嬉しそうに甘味を頬張っている。そんな甘党な彼女が、世界的にチョコレートを誇張する今日と言う日を黙って見過ごす訳がない。
という訳で、今日の相棒は普段よりもテンションが高めである。
「本当、メリーってば甘い物が好きよね」
「当然よ。甘味を味わっている時こそが、何よりも至福のひと時なんだから。それに、今日しか食べられないバレンタイン限定のチョコレートだってあるのよ? これを放っておく訳にはいかないわ」
メリーは力説するが、辛党の私には全く持って理解出来ない。それどころか、ディスプレイに並んでいる洋菓子を眺めているだけで胸焼けしそうだ。
「欲張りすぎて虫歯になっても知らないわよ?」
「あなたこそ、毎日辛いものばかり食べすぎじゃない? 胃を悪くしたって知らないんだから」
甘党のくせに、中々に辛口な皮肉を返す奴だ。
苦笑を浮かべながらも、肩を竦める。しかし内心、私はほぅっと安堵の息を吐いていた。
これだけ甘い物が好きな彼女なら、きっとどんなチョコレートでも美味しそうに食べてくれるだろう。
そう……例えそれが、店頭に並んでいる洋菓子を見るだけで胸焼けする程の辛党が作った、少々形が歪になってしまったチョコレートでも。
「ほらメリー、早く決めちゃいなさいよ?」
「ん~~……もうちょっと待って」
洋菓子に釘付けなメリーの傍らで、私は自分のコートのポケットへと手を入れる。続いて、そこにある固い感触を確かめて、軽く頬を吊り上げた。
指先に感じる、固い感触。その正体は、チョコレートが入った箱である。
形はどうあれ、味は問題無いはずだ。特にラッピングには力を入れて、わざわざ箱に入れ、リボンも付けてやった。包装だけを見れば、買ってきた物と間違えてしまいそうなほどだ。
きっと彼女は、辛党な私からチョコレートを送られるだなんて夢にも思っていないだろう。更には包装を開けて分かる、手作りチョコレートだと言うダブルパンチだ。間違い無く、二度驚くに違いない。
にやける顔を堪えながら、私は楽しそうにディスプレイを見つめるメリーを見つめる。その楽しそうな笑顔を驚愕に変わる瞬間が、今から待ち遠しい。
と、そこで。
「……ん?」
一つの疑問が、私の脳裏に浮かんだ。
本日は、二月十四日。俗に言う、バレンタインデーというやつだ。
世間一般では、バレンタインというのは愛する人や親しい人物にチョコレートを贈る日である。だから私も、昨夜は慣れないチョコレート作りに奮闘した。勿論、隣に立つ相棒に渡すために。
ここで重要な所は、『贈る』という部分である。
「……ねぇメリー、ちょっと訊いてもいい?」
「なぁに、蓮子?」
私の呼びかけに、メリーは視線をそのままに声を返す。
先程から彼女は、一生懸命にチョコレートを選んでいる。別にそれは、何の問題も無い。バレンタインなのだから、そんな女性の姿など日本中どこでも見られるだろう。
しかし……。
「一生懸命選んでるとこ悪いんだけどさ……それは、いったい誰に贈るものなの?」
恐る恐る、私は訊ねる。もしかしたら、私の知らない間にメリーはどこぞの殿方に恋をして、その想いを込めた甘いチョコレートを渡すつもりではなかろうか?
もしそうだとしたら、こうまで一生懸命にチョコを選んでいるのにも合点がついてしまう。
「えっとね~……」
そんな私の気持ちなど知る由も無く、メリーは暢気に掌の指を一本ずつ折っていく。
「お父さんでしょ、お母さんでしょ、そして……」
「そ、そして……?」
思わず、唾を飲み込む。心臓が、痛い程に早く鼓動する。
そして次の瞬間、
「なによりも、自分に贈るの! 特に、一番美味しそうなのを!!」
力強く拳を握り語るメリーに対し、私は思わずディスプレイに頭をぶつけた。
――☆――
「大丈夫、蓮子?」
「ええ、問題無いわ」
痛む額を押さえながら、私は返事を返す。色々とあったが、無事にメリーはチョコレートを購入し、今は二人で家路を辿っている。
まったく、今日はメリーに振り回されっぱなしだ。普段は世の中に隠れた結界を探す為に私が彼女を振り回しているのだが、今日に限っては立場が丸っきり逆になってしまっている。
「突然ディスプレイに額をぶつけるんですもの。驚いちゃったじゃない」
「ちょっと甘い物見すぎたせいで、立ち眩みがしてね」
苦笑しながら、私は深く息を吐く。白く染まった息が、冬空へと昇っていく。それを眺めていると、メリーは「相変わらず変わってるわね」と言葉を返した。
正直、バレンタインに自分へチョコを贈るような奴に言われたくはない。
「それにしても、本当に蓮子って甘い物が苦手なのね?」
「まぁ、食べられない訳じゃないんだけどね。ほら、甘いものって味が強いじゃない? だから食べた後で、口の中でずっと味が残っちゃうのが嫌なのよ。ブラックのコーヒーでもあれば、話は別だけど」
「私は逆に、コーヒーの美味しさが分からないわ。あんなの、苦いだけじゃない?」
「お子様ねぇ、メリーちゃんは」
笑って、不意に私は歩みを止める。帰宅途中にある、小さな公園。その片隅に置かれている、飲み物の自販機が目に入った。
「ちょっと待って。自販機寄ってくわ」
一言告げて、私は公園の中にある自販機へと向かう。それに頷いて、メリーも後を付いて来た。
先程からチョコレートを見すぎて、どうも口が甘ったるく感じる。私はコートのポケットからコインと取り出して、ホットコーヒーのボタンを押した。
「私は紅茶~」
「別に奢らないけど?」
「分かってるわよ」
続いて、メリーがコインを入れてホットミルクティーのボタンを押す。あれだけ甘いものを見た後に、更にミルクティーとは……甘党、恐るべし。
「最近、一気に寒くなってきたよね?」
「そうねぇ」
頷いて、私はプルタブを起こすとコーヒーを喉に流し込む。程よい苦味が、口に広がる。やっぱり私は、チョコよりもこっちの方が性に合う。
満足気に小さく頷いていると、隣に立つメリーは一生懸命に缶を開けようと奮闘していた。しかし両手に手袋をはめているせいか、上手く開けられないでいる。
「開けたげようか?」
「ん、お願い」
頷いて、メリーはこちらに缶を差し出す。
不器用な奴だと苦笑しながらも、私は受け取った缶のプルタブを起こす。甘いミルクティーの香りが、かすかに鼻に届いた。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
嬉しそうに、メリーは笑顔を浮かべる。まったく、愛い奴め。
「そんな無駄にモコモコした手袋つけてるから開けれないのよ」
「だってコレ、暖かいのよ?」
ほらっと、彼女はこちらの頬を撫でる。柔らかい毛糸の感触は、確かに暖かかった。
「蓮子は、よく素手で平気ね? 寒くないの?」
「そりゃ、ポケットに手を入れてれば十分暖かいし」
話しながら、私は空いている左手をコートのポケットに突っ込む。そこで指先が、固い感触を捉えた。
そう言えば、まだチョコレートを渡していなかった。
「転んだって知らないわよ?」
「あのねメリー、子供じゃないんだから」
苦笑しながらも、私は思考を巡らせる。さて、どうやってこのチョコレート渡せばいいものか。
世間では友チョコだ何だと言われているが、いざ渡すとなると緊張してしまう。
しかしさっさとしなければ、このままだと渡しそびれてしまう。それでは、苦労して作った意味も無い。
「ちょっと、マズイかな……」
私は、小さく呟く。
タイムリミットは、恐らくこの公園を出るまで。この先にある横断歩道で、いつも私達は別れる。
それまでに、どう切り出すか……。
「あ、そうだ」
思考を巡らせていると、不意にメリーが声を上げた。視線を向けると、そこには彼女の笑み。
「どうしたの?」
「ん~、ちょっとね~」
悪戯っ子のような笑みを浮かべて、メリーは私の手を引いて歩き出す。暖かい彼女の温もりに、少し私の胸が高鳴った。
しかしそれも一瞬のこと、彼女は傍らにあるベンチへ辿り着くと、掴んだ手を離した。
「ほら、座って?」
「う、うん」
促されるまま、ベンチへと腰を下ろす。こんな寒空の下で、ベンチに腰掛けてどうするつもりなのだろうか? 辺りを見渡すが、冬の公園には、私達以外誰もいない。
そんなことをしていると、隣からガサガサと音が聞こえる。視線を向けると、隣に腰掛けたメリーが、先程買ったチョコレートの封を開けていた。
「もうすぐ家に着くじゃない。我慢できないの?」
「違うわよ」
私の言葉に苦笑しながら、メリーは封を開ける。開いた箱の中から、いくつかの丸い形をした茶色いチョコレートが現れた。恐らく、チョコトリュフだろう。
その一つを摘んで、彼女は……。
「はい蓮子、あーん」
笑顔で、こちらへと差し出してきた。
「…………はい?」
訳が分からずに、私は首を傾げる。
目の前に差し出された、チョコトリュフ。これは、いったいどういうことだろうか?
もしかして……。
「いやがらせ?」
「どうしてそうなるのよ」
私の言葉に、メリーは苦笑しながら首を横に振る。
「いやだって、私が甘いの苦手って知ってるじゃない?」
「でも、コーヒーがあれば問題無いんでしょ?」
言われて気付く。私の右手には、先程買った缶コーヒーが握られている。
確かにこれならば、甘いものも苦も無く食べられる。
「ほら、せっかくのバレンタインじゃない? だから特別に、私のチョコを一個だけあげる」
ホントは、全部私が食べたいんだからね? っと、メリーは念を押す。その姿が可愛らしくて、思わず私の頬は緩んでしまう。
「なるほど、そいつは光栄だわ」
「でしょ? だからはい、あーん」
苦笑すると、メリーは再びチョコを差し出してくる。それに私は頷いて、素直に口を開く。
「あーん」
続いて、メリーによってチョコが私の口の中へと入れられる。甘ったるい味が、口いっぱいに広がる。
メリーの勢いに乗せられて口を開けたはいいが、よくよく考えたら、この状況は酷く恥ずかしい。いい歳した大人が、公園でチョコレートを食べさしてもらうって、どんな羞恥プレイだ。本当、この公園に私達以外誰もいなくて助かった。
私は赤くなる顔を必死に堪えながら、口の中にあるチョコを噛む。そんな私の気持ちなど知らないメリーは、どこか楽しそうに笑顔を浮かべる。
「どう? 美味しい?」
「そうね、かなり甘いわ」
「本当? よかった」
照れ隠しに皮肉を返したつもりなのだが、どうやらメリーにとって甘い=美味しいという意味らしい。恐るべし、甘党。
「それじゃあ、私も食べようかな」
「どうぞご自由に」
言葉を返して、私は右手に掴んでいる缶コーヒーへ視線を向ける。メリーには悪いが、やはり甘いものは苦手だ。
口の中に広がる甘みを消す為にも、私は缶コーヒーを飲もうとして。
「え……?」
顔を上げると、目の前にメリーの顔があった。次の瞬間、右手に持つ缶よりも早く、メリーが私の唇を奪う。
「むぅ!?」
唇に感じる、柔らかい感触。それと同時に訪れる、チョコとは違う、微かな甘い味。
それを確認しながら私は、人間は心から驚いた時、意外と冷静になるものなのだと知った。
「ん……本当、甘いわ」
重ねた唇を離して、メリーは満足気な笑みを浮かべる。そんな彼女に、私はとりあえず純粋な疑問をぶつけた。
「ねぇメリー、今のって……なに?」
「なにって……バレンタインのプレゼント?」
いや、訊き返されても困る。本当に困る。正直私は、どういうリアクションをすればいいのか分からない。
今になって、なぜか頭が混乱してきた。そんな私に、メリーは再び言葉を放つ。
「あ、ちなみにホワイトデーは三倍返しね? 楽しみにしてるから」
「いや、ちょっとメリーさん?」
「それじゃあね、蓮子。また明日」
言い放って、彼女はくるりと回ると、足取り軽く公園を後にする。
その背を見送りながら、私は……。
「三倍返しって……どれだけ過激な要求するつもりよ?」
私は一人、ポツリと呟く。その瞬間、自分の顔が熱を持つのを感じた。
ものすごく恥ずかしい。堪らず、私は夕暮れの空を見上げる。
くそ……思いきり、してやられた。惨敗もいい所だ。驚かすつもりが、今日はとことんメリーのペースに乗せられっぱなしだ。
一人悔しがっていると、私は一つ、重要なことを思い出した。
「あ……」
小さく声を上げて、ポケットを探る。続いて、そこにある小さな箱を取り出した。
可愛くラッピングされた、チョコレートが入った箱。渡す相手は、こちらに自分のプレゼントを押し付けて既に去ってしまっている。
「うあ~~……どうしよう?」
箱を見つめて、私はうな垂れる。今からメリーを追って渡すのは、どうも恥ずかしい。と言うよりも、この赤くなった顔でどうやって彼女に会えというのか。
「仕方ない……帰って食べるか」
私は深く息を吐いて、座っていたベンチから腰を上げる。苦めのコーヒーと一緒に食べれば、きっとチョコの甘みも消せるだろう。
だけど――
「……ちょっと無理っぽいかなぁ」
私は、唇を指先で優しく撫でる。
――チョコの甘みは消しても、唇が重なった瞬間に感じた、微かな甘み……。
それはどうも、苦いコーヒーくらいでは簡単に消えてくれそうになさそうだ……。
――FIN
感謝します。
誤字報告を
ラッピクングには力を入れて
ラッピング
だがこのちゅっちゅに免じて許す
蓮メリ万歳!