※前作『友好度:最悪』の設定を使っていますので先にそちらを読むのを推奨します。
「それは知らないけど幽あきゅは最高!!」と言う人は別に結構なので筆者と握手の後下にお進みください。
りぃん、と、家の呼び鈴がなった。
すぐさま私は玄関まで駆けだす。
心臓が高鳴る。ついにこの時が来たのだ。
普段は冷たい彼女も、この日ばかりは、顔を赤らめながら「か、勘違いしないでよね!義理だからね!」と(我々の業界では)お約束の言葉を告げてくれるはずだと、私は一年前から待ち続けていた!
そうして玄関を開けた先には──────
「よう、稗田」
「お前じゃNEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!」
「せっかく先生が稗田の為にチョコを持ってきたというのに何だその言い草は」
「悪かったですよ……はぁ……」
私は頭に出来たたんこぶを抑えながら言った。慧音の頭突きはたぶん人を殺せると思う。
「というわけでチョコだ。ありがたく受け取れ」
と、慧音はおそらくチョコレートなのであろう可愛らしげな包装に包まれた箱を私に手渡した。
「……先生、もっとこう、ちょっと気の強い幼馴染の女の子が照れ隠しみたいに言う感じでお願いできますか」
「ふむ、分かった……か、勘違いしないでよね!私を倒したらあげるんだからね!!」
「なんて斬新なヒロイン!?気が強いんじゃなくて血の気が強いんでしょそれは!!」
「ははは、稗田は上手いな。チョコ一枚だ」
「座布団一枚見たいに言われても……。こう、あれですよ。ぎ、義理なんだからね!って感じですよ」
「ん?義理じゃないぞ?」
「……はいぃ!?」
ちょ、まてまてまて、いつの間にそんなフラグが立っていた!?
先生が私を・・・えええ!?
私には風見幽香という人が……というか、先生にも妹紅という人がいるでしょうに!!
か、神よ!私は、どうすればよいのですか!!
その頃の守矢神社。
「早苗!蛙の形したチョコ見てないか!?」
「見てませんけど。どうかしたんですか神奈子様」
「諏訪子の奴カエルチョコなんか送ってきやがった。あっと言う間に逃げられたよ」
(ハ○ーポッターの? ……あれ食べたいですか?)
「昨日薬の点検に来てたうどんげが言ってたんだよ。甘いものを食べると集中力が上がって勉強とかにいいってな」
「…………だああああああああああ!!」
私はほとばしるなんかよくわからないショックをチョコの包装にぶち当てた。
綺麗な包装というのは何故か丁寧に外したくなるが、今回に限っては私は躊躇わずに破り捨てる。
あまりの剣幕に慧音が「うお!?」と身じろいだ。
ああ、これは案外使えるかもしれない。不審者に襲われそうになったら低い声で叫びながら懐に忍ばせていた紙を破るのだ。
たぶん、相手はビビるだろう。ただし自分自身も不審者扱いされる諸刃の剣だ。
ちなみに包装の中からはチョ○ボールが出てきた。
「って、市販のお菓子じゃないですか!!」
「嫌いか?キャラメルチョ○ボール」
「大好きだけど!!微妙にチョコじゃないし!」
もうやだこの先生。
ゆうかりん……早く来て……ゆうかりんが来てくれないと私のバレンタインが終わらない……。
「そういえば阿求は誰かにチョコあげないのか?」
「へ?どうして私が……」
「どうしてって……お前も女だろうに」
「へ?あ、ああ、そういえばそうでしたね……」
「いやおい大丈夫か稗田!?」
あーやばい、すっかりホワイトデーに返すつもりだったぁ~♪
流石に笑えないぜ稗田阿求……まぁ、バレンタインなんて初めてなんだけど。
「そうですね、でしたらやっぱり幽香さんにあげたいところですね」
「幽香は来てないのか?」
「今日はまだですね……」
「……まあきっと来るだろうから元気出せ、な?」
「ううう……」
とはいえもう正午をまわっている。だんだん心配になるころであり、正直ショックを隠せない。
まぁゆうかりんが来る時間というのは割とバラバラなもんだけど。
「逆に考えるんだ稗田。まだ来ていないというならむしろ好都合、今から幽香に渡すチョコを買いに行けばいい。」
「家空けてる間に来たらどうするんですか」
「じゃあ私が買いに行ってくるから……」
「人が買ってきたチョコを渡せと!?」
「変なところで細かいな稗田は」
「どうせ渡すなら手作りにしましょう。でないと、幽香さんに私が安い女だと思われてしまいま……ああっ!ゆうかりんの蔑む目も捨てがたいっ!!」
「落ち着け」
「まああれですよ。結果嫌われたら大問題ですからやっぱり手作りにしようと思います。幽香さんも多分手作りでしょうし」
「ふむ、作れるのか?チョコ」
「ふふふ、甘く見ないでください。数百年に及ぶ稗田の歴史が刻まれたこの脳でも、知らんものは知らん!!」
「知らないのかよ!」
考えてもみろ、幻想郷縁起をまとめるのが生きる意味である我が稗田の血筋にチョコレートを作るなんて機会があるわけないだろう。
自慢じゃないが私は目玉焼きの作り方すら知らないぞ。えっへん。
「てな訳で材料買ってきてください。越後屋!」
パチンッと、指を鳴らす
「ははっ!」
うちの使用人がどこからともなく表れた。
……いや、冗談だったんだけどなぁ。
慧音が唖然としているけどまぁいいや。
「して、具体的に何を買ってくればいいんですか」
「……先生?」
「私に振るのか。稗田はどんなチョコが作りたいんだ?」
「どんな?愚問ですね。愛のこもったチョコです!」
「分かった。買い物は私が行くから待ってろ」
何がわかったのかはよく分からないが、とりあえず先生は行った。
そうそう、このシチュエーションなら一度でいいから行ってみたかった台詞があった。
「……おぬしも悪よのう越後屋」
「貴女に言われたくありません」
「なんで素!?」
この使用人は私に仕えてる気があるのか甚だ疑問である。
しばらくしてトリュフの材料を買ってきた慧音からお金を余分にたかられたりもしたが、ともあれチョコレートの制作に取り掛かることとなった。
「ところで稗田、トリュフとは何か知っているか?」
「知ってます知ってます!世界三大珍味です!」
「うん絶対言うと思った」
「え、違うんですか?やっぱり幽香さんに渡すチョコレートとなれば世界三大珍味ぐらいのレベルが相応しいと考えてのチョイスだと思ったんですが」
「珍味なチョコレートがあってたまるか。トリュフとは……まぁつまり柔らかいチョコレートをチョコレートで包んで固めたものだ」
「チョコレートでチョコレートを包む?」
いまいち想像しにくい。
というか、外のチョコを冷やす段階で中のチョコが固まらないのか。
「食べ物を何か説明するなら作って食べさせるのが一番早い。さあ、作ってみようじゃないか」
「はーい。えーとまず・・・・・チョコレートを溶かすんですね」
溶かすという事は熱するという事である。ってなわけでとりあえずコンロに火をつける。
次に小さい鍋を置き、鍋にチョコレートを投入。
しばらく待つ。
「……ってそのまま入れてどうする!あまりに自然な動作で入れたから気づくのに時間がかかったわ!」
「あれ?ちがうんですか?」
「刻んでから入れないと均一に溶けないだろう。焼きチョコレートになるぞ」
「なるほど、これの出番ですね!」
「ミキサーしまえ。包丁で細かく刻んでから入れるのが正しいやり方だ」
首肯して包丁を取り出す。
「稗田、包丁は両手で持つものじゃないぞ」
「あれ?私がこの前読んだ漫画ではこう持ってましたよ?」
両手で包丁を斜めに構えて……。
「卍解!!」
「あれは包丁じゃねぇよ!包丁みたいな形だけど!!」
とまぁコントはこれくらいにしておいて。
まぁそりゃ包丁の持ち方ぐらい知ってますとも。
チョコレートにグーで手を添えて、包丁をあてる。
が、何故か慧音のストップがかかった。
「ええっ!?これであってましたよね!?」
「持ち方はあってる。けどな、そうやって端からちょっとづつ切ってると時間がかかるだろう?」
慧音は私の手から包丁を取り上げると、チョコレートに対して斜めに刃をあてがった。
そうして三角になるようにチョコレートを大きく切っていく。
「こうしてある程度の大きさにしてから、重ねて切っていくほうが効率がいいんだ」
「なるほど」
私は慧音から包丁を取り返すとチョコ片を三枚重ねて刃をあて、力を込める。
チョコにくぼみができた。
非力な自分が恨めしい。
「チョコをおさえてる手で包丁を押し込むんだ」
言われたとおりにして力を込める。
カンッ、と小気味よい音が鳴った。
「……一枚残りました」
「……筋トレでもしたらどうだ」
チョコを刻むのは慧音にしてもらい、私は生クリームを温める作業をすることとなった。
鍋に生クリームを入れ、わずかに泡が出てくるのを待つだけの簡単な作業である。
「幽香さんがケーキ持ってきた時とかに思ってたんですが、このあたりの洋菓子の材料って何処から仕入れてるんでしょう」
「よくは知らないが……八雲紫の家はたいそう裕福だそうだ」
まぁそんなとこだろうと思った。
それにしても待ってるだけというのはそれはそれで暇なもんだ。
そうだ、ゆうかりんはどういう風にチョコをもってきてくれるだろうか。
「幽香さんが私にチョコを!?」
「勘違いしない。義理よ」
うーん、かわいい。
シンプルイズベストですね。
いや、もしかしたらそろそろ幽香さんも私にもデレて来る頃かもしれません。
もっと積極的に……
「幽香さんが私にチョコを!?」
「手作りよ。味わって食べなさい」
……おお!
これはあるかもしれない。なにせ付き合って半年で、初めてのハッピーバレンタインだ。距離を縮めるには打ってつけのきかいでもあるのだから……。
そう、もっと大胆に……
「幽香さんが私にチョコを!?」
「受け取って阿求……これが私の気持ちよ」
きゃああああああああああ!!
いやああああああああああ!!
やっべマジやっべ幽香さんってばDA☆I☆TA☆N☆
これはあれだ、布団を敷く準備が必要かもしれない。うん、あとで越後……もとい、使用人に言っておこう。
いいぞ!もっとデレろ!
「幽香さんが私にチョコを!?」
「ふふ、あなたの為ならいつだって作ってきてあげるわ」
ノゥ!絶対にノゥ!
私が食べたいのはチョコではなく……!!
「幽香さんが私にチョコを!?」
「ねぇ、チョコもいいけど……私も食べてみない……?」
キタァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
キマシタワァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
今夜は赤飯だァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!
「幽香さんが私にチョコを!?」
「稗田、生クリーム沸騰してるぞ」
……ふぅ。
いや、まぁいきなり飛躍しすぎですよね。
たった十年しかないとは言っても十年あるんです。
半年やそこらで焦るには早すぎますよね。うん。
ともあれ、私はコンロの火を消す。
「ったく。見てるだけなんだからよく見ておけ。これでは風味が飛ぶじゃないか」
「いやあ、すいません」
作業続行。生クリームにチョコを投入してかきまぜる。
「チョコと生クリームを混ぜることで冷やしても柔らかいチョコになる。これをふつうの固いチョコで包むんだ」
「なるほど」
頭の中の稗田ノートにしっかり記憶です。
これで来年も作れるだろう。いや、来世でだって。
……そういえば、来世の私はどうなってるんだろう?
記憶は引き継いでるけど、次代の稗田は幽香さんとどういう仲になっているんだろう?
記憶を引き継ぐと言っても全部じゃない。幻想郷縁起を記して行くに差し支えのない分だけを引き継いでいく。
来世、私は女になっているのか男になっているのかさえ分からない。
そんな状態で私は幽香さんが好きだった頃の記憶を思い出せるのだろうか。
そして、幽香さんはまたここに来てくれるだろうか。
「……手が止まっているぞ」
「あ」
慧音はため息を付いて言った。
「どうしたんだ一体。さっきから集中力が無いな」
「何でもないです」
「悩みがあるならいつでも相談に乗ってやるぞ?」
こんな台詞がサラッと出てくるあたりはさすがは教師だと思う。
私もこの短い人生の中で幾たびもお世話になってきた。きっとこれからも。
けど、今はまだ、いい。
そうとも。まだ十年ある。あと九年遊んでから聞いてでも遅くはないだろう。
私、稗田阿求は短い人生を誰よりも幸せに過ごすことが夢である。嘘。幽香さんがと添い遂げるのが夢。
ああ、でもそれならあながち嘘でもないか。
「あとは冷やせば完成だ」
「意外と疲れました……」
私は「んーっ」と手を上に伸ばして背伸びをした。
料理って意外としんどい。
時計を見るとそろそろ三時だ。幽香さんはまだ来ない。まだだ。まだ慌てるような時間じゃない。
ところで、と慧音が口を開く。
「稗田と幽香はいつの間にそういう仲になったんだ?」
「んー、まぁ私も初めて幽香さんを見たときは怖くてたまらなかったですけどねー」
時間つぶしには丁度いいかもしれない。
そう思い、私は懐かしむようにあの日の事を語り始めた。
一年半ほど前。
私、稗田阿求は倒れた。
「稗田様ー、大丈夫ですか?」
「倒れてる人に向かって、大丈夫もないと思うんだけどねぇ君……」
暢気な声色で調子を伺ってくる使用人に私は嘆息した。
私はなんとか力を振り絞って立ち上がり、近くの木陰に座り込んでぼやいた。
「あー、なんでまたこんな夏のあっつい季節に外出なんてしないといけないのですか」
「仕方ないでしょう。風見幽香は夏以外は所在地が分からないのですから」
風見幽香。それが幻想郷縁起を記すための今回の調査対象だ。
評判は悪い。人の命よりも花を重んじる花好きの妖怪で、実力も極めて高い。
殺人の記録も残っており、自警団からは危険度特一級を与えられている。ちなみに一級は博麗の巫女に協力を仰ぐ強敵のことであり、それに特がつくと住民の避難勧告が渡されるほどになる。もはや災害である。
それを今回、このうちの使用人と二人で訪ねに行くのである。
護衛の一人くらいよこせと言いたいところだが、あのクラスに関しては自警団などいくら用意したところで意味を成さないし、博麗の巫女に至っては
「ああー、大丈夫大丈夫。あいつ花に害がなければ基本何もしてこないから」
なんて言って護衛の請負を断った。とんだサボリ巫女だ。
そんな訳で今、自分と使用人の二人だけでこの時期、太陽の畑に居るという風見幽香のもとへ向かっている。
幽香も恐ろしいが人里からの距離も恐ろしいレベルだった。足が棒のようだ。
これでは万が一の時逃げるのは不可能だろう。
「……もしもの事があったら……お願いしますね?」
私は念のため使用人さんに言った。
この使用人さん、流石に紅魔館のメイド程とは言えないがいろいろと優秀で頼りになるのだ。ガタイもそこそこいいのでいざというときは戦うことも出来るはずだ。
ただ、問題があるとするなら
「ええ、大丈夫です。自分だけでも逃げきれる自信があります」
「死ぬ気でしがみついてやりますよこの野郎!!」
実はバイトなのであまり私の世話に積極的じゃない。
「無事護りきってくれたらボーナス出しますよ」
「命は金より重い。これ、常識ですよね?」
「くっ……!普通に正論で言い返せない……!」
そんなやりとりをしている間に向日葵の群れが見えてきた。
ようやく目的地が見えてきた事で、心なしか足取りがすこし軽くなった。
この太陽の畑のどこかに居るとは聞いていたが、正直、向日葵が高くて周囲が全く見えない。
「使用人さん、何か見えます?」
背の低い私とは違い成人男性の平均的身長を獲得している使用人さんに訪ねる。
「無理っす」
「そうですか……」
と、ここで私は一つ思いつく。
「私をおんぶしてくだされば見えると思うんですけど」
「足疲れてるのは俺も一緒なんで」
「まるで人が"足疲れたから乗っけてくれ"って言ってるみたいに……!」
まぁその通りなんだが。
と、
「……何か聞こえませんでした?」
なにか、どこかから、声が聞こえた。
気のせいじゃないはずだ。
「聞こえたような、気もしますかね」
「いえ、聞こえてます。こっちです」
私は向日葵の迷路を抜けていく。
よく見ると向日葵は道を作るように離れて咲いている所がある。
そしてその道を辿っていくと、やがて広けた場所が見えてきた。
そこで、私は見た。
「あれが……風見幽香……!」
「ふふっ、今日もあなたは綺麗に咲いているわね。今日の水もたーんと肥料を入れてるから明日も明後日も綺麗に咲いていなさいね。あら、そっちのあなたは元気が無いようねぇ。どうしたの? ふんふん、うん、そう、そうなの。それは困ったわね、また虫の駆除が必要みたいね……」
話してた。
向日葵と。
「……」
「……」
どうすればいいんだろう。花の大妖怪なんだし、別に花と喋れると言われても不思議じゃないけど、もしあれが人に見られたくない乙女の秘密的なアレだったらそれを見た私たちはジ・エンドである。
とはいえ、声をかけないと調査にならない。時間を改めようにも見失ったらまた探すのが大変だ。
流石は特一級クラスの大妖怪……声をかけるのすら命がけとは……博麗の巫女など信用できないなまったく。幻想郷縁起にも口汚く書いてやる。
「あの、使用人さん。よければ声をかけてきてはくれませんかね……?」
「あ、すいません。俺、クラウチングスタートの練習に忙しいんで、いや、ほんとすいません」
と、ケツが言ってきた。
蹴った。
「ぐぅ……意外といい蹴りをお持ちで……」
「稗田舐めんな」
使用人さんが尻を押さえて起きあがる。掘られたように見えなくも……いやなんでもない。
「……こんにちは」
突然使用人さんがこっちを見て呟いた。打ち所が悪かったのだろうか。
「何を言って」
「こんにちは」
「…………」
自分のものでもなければ使用人さんのものでもない声がしたので、思わず私は振り返った。
風見幽香がいた。
「……こんにちは」
とりあえず挨拶。これ大事。うん。
「はい、こんにちは」
幽香はニコリと笑ってそう返した。
さあ、どうしようか。
必死に逃げ道を伺っている使用人さんは使いものになりそうにない。
否、冷静に考えろ、私は幻想郷縁起に彼女の欄を作るために尋ねてきただけであって、何もやまし事はない。
博麗の巫女だって言ってたじゃないか! 花に何かしなけりゃ温厚だと!
これで嘘だったら化けて出てやる。
……いや、普通に退治されて終わりそうだからやめておこう。理不尽な話だ。
「えと、あの、私稗田阿求と言う者でして」
「知ってるわ。幻想郷縁起を書いているのね」
「ご存じでしたか! そ、それはよかった、あはは、はは」
よし、第一段階クリアだ。知ってもらっているのなら話は早い。
「それでですね、この度風見幽香さんの項目を作ることと致しまして」
「そう。それで?」
「まぁその、なんと言いますかね、風見幽香さんご自身での書いておいてほしいポイントとかそういうのをお聞かせ願いたいなぁと」
「成る程ね」
風見幽香は腕を組んで握った手を口元に当てた。考えているんだろうが、目線は私に注がれたままで怖い。蛇に睨まれた蛙のような気分だ。
「そうね。花を傷つける奴は容赦なく殺すってだけ書いておいて貰えれば十分よ」
「は、はあ……」
生憎もう書いてる。
一応幻想郷縁起は古くから書かれ続けているものであり、特に変更する部分がなければそのままで構わないのだ。
ただ、今回は妖怪自身から話を聞いて回り、その意見を反映すると言う試みのため、こうしてこんな所までやってきている。
「不満?」
「いいいいいえいえいえいえいえいえいえいえいえ!!そんなとんでもない!」
私は慌てて手を振った。心臓に悪いったらありゃしない。
「それで、話は終わり?」
「え、と。そう、そうでした。今回の幻想郷縁起にはイラストを乗せて妖怪の外観が一目で分かるように、という工夫を設けようと思っておりまして……どのように書いて欲しいとか、そういうのはありますか?」
「花も一緒に書いててくれれば嬉しいわね」
「分かりました! ご協力ありがとうございます!」
ぺこり、と私は頭を下げた。
何事もなく事は済んだようで、私は胸をなで下ろす。
使用人さんも一応最後まで側にいたし、
「それでは、私はこれにて」
「待ちなさい」
「ひゃい!?」
終わったと思ったので完全に不意打ちだった。
私を呼び止めた幽香は私を見て、
「綺麗に書いて頂戴ね」
ニコリと、笑った。
そう、私は初めて彼女の笑顔を見た。
「…………」
その時、私は一体どんな表情をしていただろう。
さぞかしぼーっとしていたことだろう。
つまるところ私は、彼女の笑顔に見とれてしまったのだから。
「……で、惚れたと」
「ええ、まあ……」
「一目ぼれか。それだけ怖がってて笑顔で一発とはなぁ」
「見てないからそんなこと言えるんです。あの破壊力は異常ですよ!?」
「ははは、それは見てみたいな」
「イラストに反映してますよ」
「あれ、黒い笑顔って言われてたが」
「誰ですか!?ちょっと屋上行きますか!?」
「屋上ないだろ」
慧音は意外に楽しそうに聞いていた。
寺子屋に行っているわけではないが、慧音は私を生徒のように扱ったりする。今もそういう気持ちで聞いていたのかもしれない。
「あ、もちろん幽香さんが好きになった理由は他にも色々ありましたよ? 幻想郷縁起の項目の友好度と危険度についての文句がきたのはそれから一週間後くらいですかね、幻想郷縁起の友好度危険度の欄について文句を言ってくるようになってですね……」
あの時は本当にびっくりした。あの風見幽香が怒りを伴って現れたのだから、驚かないはずがない。しかし意外と、そこまで怖がっていなかったように思う。
だって、そうなのだ。彼女は花を粗末に扱う存在に対して容赦しないだけで、基本的には紳士的な態度をとるのだから。そしてそれが間違いないことは以前の邂逅で分かった。(使用人……もとい、使用人さんが逃げ出してたから吹っ切れてたとかそういうわけではない。もう彼には家事一式以外宛にはしていない。)
そして何より、幻想郷縁起を片手に現れた彼女は、以前に太陽の畑で出会った彼女とは大きく違った。
大妖怪などという雰囲気もなく、ただ、一人のクレーマーのような。しかも、何やら真剣に困ってるような。
そんな様子が、どうにも可愛く見えてしまったのだ。
「それでまぁ、ちょっとからかってみたくなっちゃいましてね……」
「お、こんにちは」
慧音がふと、私から視線を外して言った。
一体どうしたのかと私が後ろの庭に顔を向けると、
「こんにちは」
幽香さんがいた。
「……こんにちは」
とりあえず挨拶。これ大事。
「はい」
「え?」
幽香さんは私に小包みを差し出してくる。
「チョコレート」
「ああ、ありがとうございます」
私はその私の顔ほどもあるチョコレートを素直に受け取った。
……ちょっと待て!
「って、普通に受け取ってどうするんですか!? このシチュエーションでやりたいこと色々あったのに!」
幽香さんとの思い出話に浸っているところに不意打ちで出てきて現れたのでリアクションを忘れてしまった。この稗田阿求、一生の不覚!!
「ああ、そうです!アレです!もっとこう、勘違いしないでよね!義理なんだからね!的な台詞を」
「はぁ?義理なんて言ってないでしょ」
「あ、そういえば」
…………。
「ええええええええええええええっ!?」
「ちょ、うるさ」
「それはあれですか!?つまり私たちはそういう関係で!?これは幽香さんの気持ちで!?今夜はお布団しいて!?赤飯炊いて!?キマシタワー建ててぇぇぇぇがふぅっ!?」
「うるさい!!」
感動的な腹パンが入った。
「だが無意味です……幽香さんの愛を受け取った今の私にこれしきのダメージなどぐふぅ!?」
いい腹パン2回目。
「風見、2発目は酷くないか」
「これしきって言ったもの。効いて無かったら普通は効くまで殴るでしょう?」
「ツッコミでそれをやるなよ……」
慧音は嘆息した。
「とにかく。そんな特別なものじゃないわよ、それは」
私はうずくまったまま答える。
「結局義理って訳ですか……」
「だから違うわよ」
「はぁ……?」
私は顔を上げて幽香さんを見上げた。スカート中が……ええい、見えん。
「別に菓子をあげるのは今回に限った話じゃないでしょう。いつもの抗議に来たお土産よ。そもそもバレンタインを意識した事なんてチョコにしたことぐらいよ」
「そ、そうですか……」
分かるような、分からないような。
けど、まぁ。とりあえず分かる事と言えば。
「幽香さんからチョコを貰えたんだぁ……えへへ……」
「……踏んでいいのかしら、これ」
「いや、もうやめてやれ」
「いやいや先生、こういうのは我々の業界ではご褒美と」
「真面目にお前の身を案じているわけだが」
「…………はい」
ちょっと残念なのもあるけど、既に阿求のライフはゼロなので諦めます。
「それじゃ、今日はこれで」
「ええっ!?」
思わず叫ぶ。今日はよく叫ぶ日だ。
「ちょっと待ってください今日は遊びに……もとい、抗議に来たんじゃ」
「生憎、貴方以外にもチョコを渡す相手がいるのよ」
「な、なんですとぉっ!?」
驚愕の真実。
馬鹿な……誰だ? 私の幽香さんの気を引こうとする(というか惹かれてる)不埒な輩は、許せん。
そりゃあスーパーウルトラセクシィヒロイン風見幽香さんとくれば、一メートルあたり十ナンパされてもおかしくは無いレベルではあるが、私が幻想郷縁起に恐ろしい妖怪という記述をしているので防備は完璧だと思っていた。
普通の人間であればまず近づくまい。
「霊夢の所に……」
「畜生どこまで規格外なんですかあの巫女ォォォォォォッ!!」
私は怒りのままに床を叩いた。次の幻想郷縁起で口汚く書いてやる。
「別に魔理沙とアリスにもあげるわよ」
「ライバルが増えただけじゃないですか!というか、私にはいつものお土産で、霊夢達にはバレンタインチョコなんですかぁ!?」
「そりゃまぁ……どうせ魔理沙やアリスは一緒に何か作ってるんでしょうし、霊夢のお茶はおいしいし、そのお返し」
「だ、だったら!」
私は屋敷の氷室から作っていたチョコレートを取り出した。
チョコはしっかりと固まっていた。少しだけ形が歪んでいるけど、間違いなく自分の作ったチョコレートがそこに完成していた。
そうとも。私だって作ったのだ。チョコを。
私の想いを一つの形にするために。
そして私はそれを幽香さんに突き付けて、言った。
「これが私の気持ちです!!」
幽香さんはきょとんとした表情で、私の差し出したチョコを見た。
その表情は端的にいえば、驚いていた。
「へぇ……」
数回瞬きをした後、幽香さんは興味深げの表情でそれを手に取った。
少し緊張する。
「トリュフ? 誰かの入れ知恵かしら」
チラリと幽香さんが慧音を見た。鋭い。
「まぁいいわ。形は四十点。赤点ギリギリねぇ」
「うっ……」
結構長い間お菓子を作ってて、なお且つこだわりも強かった分流石に厳しい。
そして幽香さんはチョコレートを口に含む。
幽香さんの口元に視線が行く。むしゃぶりつきたくなるような唇だが、今は評価が気になって仕方がない。
「……二十点、いや、十点かしら」
「…………!!」
胸が痛んだ。顔が熱くなって、酷く自分がショックを受けたのだと分かる。
料理なんてしないから、初めてだったけど。やっぱりはっきりと酷評されるのはショックだ。
「生クリームを煮詰めすぎているのかしらね、風味が飛んでいるし……」
出るや出るやプロの菓子職人の駄目出し。
初めて聞くようなことも多いが、これが意外にへこむ。
幽香さんにののしられるのはご褒美なんて、普段言ってはいるが、やはりこうして自分を否定されるのは辛かった。
「けどね、何より気に入らないのはこれを自分の気持ちなんて言った事よ」
「っ……それは」
「かすかに獣の臭いがするのよねこのチョコ。上白沢慧音、あなた、手伝ったんでしょう?」
幽香さんは慧音に向き直る。
「う、まぁ、そうなんだが」
気まずそうに慧音は目をそらした。
「阿求。貴方の気持ちはとやらは誰かに手伝ってもらわないと表現できないのかしら」
そうだ。それは随分と卑怯な話だった。
これは慧音と作ったチョコだ。けれど、それを自分の気持ちと言うのは勝手な話なのだ。
自分の気持ちを形にしたものを贈るなら、自分の手で作った物であるべきだ。
それに気付いた時、私は酷く自分に落胆した。
失敗だった。一番最悪な結末だ。
「ま、来年はちゃんと自分で作りなさい」
「……はい、来年は……って?」
来年は?
それって、つまり。
「……何よ。来て欲しくないのなら今すぐにでも幻想郷縁起を書き変えなさい」
「あっ……いや、そんなことは!!」
そっか。
そうだった。幽香さんが来る目的はそもそもそういう事だった。
だからチョコの出来がどうのこうので来なくなる訳じゃなかったんだ。
なら、今はそれだけでいい。
幽香さんがここに来る。傍にいる。それだけで、私は幸せなんだから。
「分かりました、来年はもっと美味しいチョコを私の手で作ってみせます!!」
私がそう言うと、幽香さんはふっと笑って
「それなりに楽しみにしているわ。私は甘いものは好きだし、食べられるのなら悪い気はしないもの」
と、手を振ってその場を後にした。
私の作ったチョコは、ちゃんと幽香さんは食べてくれる!
ああ、やる気が湧いて来た!!
「よし!そうと決まれば復習です!とりあえず今回駄目だったポイントをメモに纏めて……」
幽香が稗田の屋敷を出ようとした時、慧音が声をかけた。
「この屋敷に来る理由が違ってきてないか?」
「何の話かしら」
幽香は振りかえると、すっとぼけたように首をかしげた。
「要するに、本当に幻想郷縁起を書き変えてもらうのが目的ならもっと交渉の仕方があるだろう。今回にしても抗議のついでの土産と言いつつ、渡すだけ渡して終わりじゃないか」
「私の勝手でしょう。妖怪は勝手な生き物なの」
「……そうだな」
幽香はそのまま黙って稗田邸の門をくぐる。
外に出る直前、幽香は足を止めて言った。
「まぁ、あの子と話してるのは案外嫌いじゃないわ」
慧音は目を丸くした。
「あの子は私と普通に接してくれる人間の一人だし……そうね、あの子は私にとっての友人の一人なのね」
本当に今気付いたかのように、幽香は言った。
その言葉を聞いて、兼ねてより言おうかと思っていた言葉を、慧音は口にすることにした。
「ああ。阿求を大切にしてやってくれ」
「……何よそれ」
少し訝しげに幽香は慧音に言った。
「いや、なんでもない。そう思ってくれるんなら、是非また会いに来てやってくれ」
「そのうちね」
幽香はその場を後にした。
稗田家は幻想郷縁起を纏め、人々の妖怪に対する知識に貢献するのが使命だ。
それを、自分ひとりによって無し遂げんとした初代稗田である阿礼は閻魔と契約し、転生を認められた。
ただし、一生の期間は大幅に減り、そしてその短い生涯もそのほとんどを使命を全うするのに使われる。
御阿礼の子とは、皆独りだった。
幻想郷は人間と妖怪の差を縮めた。また、妖怪の危険度が全体的に下がったおかげで稗田の使命の重要性も下がったと言えるだろう。
稗田家当代、稗田阿求はそんな中生まれた。
稗田阿求はその新たに自分の人生に生まれた"暇"という時間を紅茶や幻樂団の音楽など、趣味で埋めるようになった。
だが、やはり稗田は独りだった。
だからかつて慧音は稗田阿求に言ったのだ。「寺子屋に来ないか」と。
阿求は断った。授業で使う資料などは大半が稗田家の作ったものだし、見たものを忘れない自分の能力ならば勉強という概念がそもそも必要ない。必要な情報を自分で見て、それで終わりなのだから。
慧音にとって阿求を寺子屋に誘った理由はそんなことではなかった。阿求に、友達を作りたかったのだ。
これも阿求は断った。短命な自分が仲良くなったところで、すぐに自分だけ逝ってしまうからと。
何も言い返せなかった。吹っ切れたように達観している阿求の目には、何を行っても無駄なような雰囲気があった。
だから慧音は、自分だけでも阿求の傍にいようとした。
だから慧音は、阿求が風見幽香と言う存在に傾倒するようになった時、驚きを隠せなかった。
もちろん心配でもあった。凶悪妖怪と名高い風見幽香だ。
だがこの日、慧音は一つ安心したのだ。彼女ならば、阿求に、稗田に笑顔を与えられると。
「先生! 来年に向けて早速特訓です! 特訓で手伝ってもらうぶんはノーカンでしょう?」
「そうだな。って、気が早くないか?」
「こういうのは早いくらいがいいんですよ!」
阿求は笑った。
風見幽香の笑顔から始まった稗田阿求の笑顔は、幻想郷縁起と同じように、後の稗田に伝わっていく。
それは、いやきっとそれこそが、一人の人間にとってもっとも大事なものなのだ。
そして、使用人ww
誤字報告を
「ああ。阿求の大切にしてやってくれ」
阿求「を」?