膨大な蔵書量を誇る、紅魔館の図書館。
パチュリーは、咲夜にこんな話を聞かせていた。
「昔‥‥遠い昔。この紅魔館が、まだ外の世界に存在していた頃の話よ。その頃、レミィはまだ館の当主ではなかったの。あの子は毎日、とても退屈していたわ。私も、よく話し相手をさせられたものよ。
その頃だったわ。紅魔館に、一人の女の子が迷い込んだの。魔物の棲む森を何日歩き回ったのか‥‥とても衰弱していた。先代の当主は、快くその子を受け入れたわ。
その子に与えられた仕事は、レミィ直属の世話係。と言っても、要は話し相手ね。当時の外の世界では、妖怪と人間が話をする機会なんて、滅多になかったから、レミィも大層喜んでいた。結果、二人はすぐに打ち解けたみたいね。
話を聞いてみると、その子は異国‥‥日本という国からやって来たらしくてね。旅先で両親を亡くし、慣れない土地を一人ぼっちで歩きまわっていたそうよ。そして、名前を教えてくれたの。その子の名は‥‥」
ここまで一定のテンポで話を続けてきたパチュリーが、話を中断する。
そして、じっと咲夜の顔を見て、話を再開した。
「綺麗な銀色の髪をした、その女の子‥‥彼女は名乗ったわ。十六夜咲夜、とね」
「え‥‥!?」
咲夜はギョッとするが、パチュリーはそのまま話を続ける。
「彼女は、レミィだけではなく、館の皆に可愛がられていたわ。先代の当主、その従者達、私の両親‥‥もちろん、私もね。当時の紅魔館は、あの子を中心に、いつも笑いに包まれていたわ。
けれど、誰もが失念していた。いいえ、忘れたふりをしていたかったのかも知れない。あの子は人間。私達とは、あまりにも違いすぎたの。
彼女の異変にいち早く気付いたのは、レミィだったわ。事あるごとに咳き込み、顔色も優れなかった。問い質してみても、大丈夫と答えるだけだった。皆は心配したけれど、本人がそう言うのだからと、何も出来なかったし、それほど深刻には考えていなかった。ある日、彼女が血を吐いて倒れるまではね。
妖怪や幽霊ならば、三日で治る風邪みたいなもの。けれど、近くの村では、それが原因で数百の人間が死に絶えた。彼女が侵されたのは、そんな病だった。
気が付いた時には手遅れだったわ。紅魔館には人間の病気に精通した者はいないし、仮に人間の医者に連れて行ったとしても手の施しようがない。
笑っちゃうわよね。何百年も生きてきた妖怪達が、衰弱していく一人の女の子を眺めながら、泣く事しか出来ないの。それでも、彼女は笑っていたわ。一度は失った筈の家族に囲まれて、安らかに眠る事が出来ると言って。
レミィの父親も、レミィも、血を吸って吸血鬼になる事を彼女に何度も薦めたわ。懇願したと言ってもいいかも知れないわね。けれど、彼女の答えは毎回ノーだった。
人間として皆に出会えたからこそ、最後まで人間として皆と過ごしたいと言って。そして彼女は‥‥十六夜咲夜は、死んだわ。最後まで、周りに笑顔を振りまきながら」
話し終えたパチュリーは、昔を懐かしむように目を閉じる。
しかし、話はここで終わりではなかった。
「彼女の死後、紅魔館に住む全員が嘆き悲しんだわ。もう一度、彼女に会いたい。もう一度、彼女の笑顔が見たい。誰もがそう願っていた。そんな私達が、禁忌に手を出すのに、そう長い時間は必要なかったわ。
紅魔館に住む知識人‥‥魔法使いや魔女が集められ、一つの禁術を試みる事にしたの。ゴーレムって、聞いた事があるかしら? 私達は、死んでしまった彼女を、呼び戻す事にした。
術自体はすぐに完成した。目の前に、あの子の姿が現れたのよ。皆、手を取り合って喜んだ。また、あの幸せな日々が返ってくるのだと。
けれど、世の中そう上手く出来ていないものね。二人目のあの子は、決してあの子なんかじゃなかった。紅魔館に住む誰よりも化け物らしい、別の物になっていたの。
必死になってその化け物を倒した私達は、一つの掟を作った。もう二度と、この術には手を出さないと。あの子と過ごした思い出を糧に、これからの長い時を生きて行こうと。
長い間、その掟は守られたわ。二人目の咲夜の悲劇を忘れられなかったしね。
けれど最近になって、その掟を破る者が現れたわ」
パチュリーは、咲夜の顔を見て、含みのある笑みを浮かべる。
「レミリア・スカーレット。そして、パチュリー・ノーレッジに、紅美鈴。その三人は、ひっそりと、禁じられた術を改良して、再び試みたわ。
結果は‥‥あなたが一番知っているでしょう?」
なぜ二人がこんな話をしているのか。
時間は、数十分前に遡る。
メイド長、十六夜咲夜には、常々、不思議に思っている事があった。
「咲夜さん。外勤の子が、一度館内での仕事をしてみたいと言っているんですが」
「咲夜さん。お嬢様、見かけませんでした?」
「咲夜さーん。今日の夕飯、お鍋にしましょうよ」
毎日の挨拶を欠かさないこの妖怪、門番の紅美鈴こそが、咲夜の疑問の根源だった。
「咲夜さん、大変です。道中の毛玉がバイド化したという情報が‥‥」
「ねえ美鈴」
「はい?」
疑問を抱いてから、悶々とした日々を過ごしていた咲夜は、美鈴に直接尋ねてみる事にした。
美鈴が、非常に危険な言葉を言い掛けていた気がするが、それはこの際置いておく事にする。
「前からずっと気になっていたんだけどね」
「はい」
「なんで、咲夜さん、なの?」
「はい?」
「いや、だからね?」
咲夜の話はこうだった。
年齢は美鈴の方が上。
役職的にも、メイドと門番という別の立場故に、上司というわけでもない。
咲夜としては、互いに補い合う同僚として認識している。
むしろ、美鈴の方が勤続年数的には先輩であり、敬意を持っているくらいだ。
なのに、咲夜は美鈴を呼び捨て。
美鈴は咲夜にさん付け。
その事が、どうにも不思議だったのだ。
「ああ、そんな事ですか。それは‥‥」
美鈴としては「ただなんとなく」以外に理由は無かった。
強いて言うならば、咲夜と同じく、美鈴も尊敬の念を持っているから。
それだけだったのだ。
が、それをそのまま言っても面白くない。
そんなどうしようもない考えが、美鈴の言葉を中断させた。
「美鈴?」
「‥‥ついに、それに気が付いてしまったんですね」
「え?」
「流石は咲夜さんです。しかし、私の口からはとても言えません」
「え? え?」
「どうしても‥‥どうしても知りたいと言うのならば、パチュリー様に聞いて下さい。私はこれで失礼します」
「え? え? え?」
「しかし、これだけは言っておきます。咲夜さんのさんは、決して、普通の意味ではないのです」
そう言うと、美鈴は逃げるように立ち去ってしまった。
残された咲夜は、途方に暮れるのだった。
何か、いけない事を尋ねてしまったように感じた咲夜は、頭を悩ませた。
しかし、ただ事ではない美鈴の様子。
何より、自分の中で膨らみ続ける好奇心から、図書館を訪れた。
そしてパチュリーに、いきさつを説明したのだ。
「‥‥なるほどね。話はわかったわ」
咲夜の説明を聞いたパチュリーは、その瞬間に脳をフル回転させる。
美鈴が咲夜をさん付けで呼ぶ理由は、既に知っている。
前に本人に聞いたのだ。
では、何のために頭脳を稼働させるのか。
美鈴の意思を汲み取ったからである。
「美鈴ったら‥‥あれほど、気取られてはいけないと言っておいたのに」
「で、ではやはり、何か重大な‥‥」
「そうね‥‥少なくとも、あなたにとってはね」
「私にとって‥‥ですか?」
パチュリーが何か意味ありげな事を言う度に、咲夜が不安そうな反応を返す。
それだけで、パチュリーは今にも噴き出してしまいそうだった。
が、ここで悟られてしまっては面白くない。
なんとか堪えながら、考えをまとめる。
「‥‥時に咲夜。あなた、この館に来た時の事は覚えているかしら?」
「は、はい。まだ幼かったので完璧ではないですが‥‥」
「そう‥‥なら、私の魔法は上手く作用しているようね」
「魔法ですか?」
頭の中でシナリオを組み立てたパチュリーは、終着点に向けて話を進行し始める。
「ねえ咲夜。あなた、どうしても知りたいの? 今なら、何も聞かずに済ませる事もできるわよ?」
「そ、それはどういう‥‥」
「この話を聞いてしまったら、あなたは今まで通りの平穏な心で暮らせないかも知れない。それでもいいの? と、聞いているのよ」
パチュリーはそう言いながら、咲夜の顔を見つめる。
その瞬間、あまりに真剣な咲夜の表情を直視してしまい、鼻水が出そうになった。
「それでも‥‥いえ、重大な話だからこそ、私は聞かなければならないと思います」
「そ、そう。ならば教えてあげる。十六夜咲夜というメイドにまつわる、悲しい話をね」
パチュリーは読みかけの本に栞を挟み、閉じる。
一方、ドアの外で聞き耳を立てていた美鈴は、腹を抱えて転げ回っていた。
ここで、冒頭の話に戻るわけである。
所謂、与太話であった。
「レミリア・スカーレット。そして、パチュリー・ノーレッジに、紅美鈴。その三人は、ひっそりと、禁じられた術を改良して、再び試みたわ。
結果は‥‥あなたが一番知っているでしょう?」
その瞬間、咲夜は冷や水を浴びせられたかのように、全身に鳥肌が立った。
「まさか‥‥そ、そんな!」
「美鈴があなたを咲夜さんと呼ぶ時のさん。これは決して敬称ではない」
「や、やめてくださ‥‥」
「咲夜の三人目。それが、美鈴があなたにさんを付ける理由なのよ!」
「いやあああああ!」
咲夜は両手で耳を覆い、勢いよく走り去ってしまった。
開け放たれたドアから、入れ違いに美鈴が入ってくる。
「どう? こんな感じでよかったかしら?」
「あっはっはっは! 流石はパチュリー様!」
「それにしても‥‥プフッ‥‥我ながら三人目のさん、って、どうかと思うわね。くふふ」
「まあまあ、上手い事いったんですから、いいじゃないですか」
「そうね。イエーイ」
「イエーイ」
二人は片手を上げ、成功を祝う、軽いハイタッチをする。
美鈴が適当に含みのある言い方で不安を煽り、その事について相談を受けたパチュリーがとどめを刺す。
それが紅魔館での黄金パターンなのだ。
対象は主に、咲夜、魔理沙、フランドール、妖精メイド辺りを筆頭に、数多い。
レミリアは、過去に騙しすぎて、もう引っ掛かってくれなくなったようだ。
「それじゃ、私は門に戻りますんで」
「そう。それじゃ、また後で」
「最近冷えますから、気を付けて下さいね。村が壊滅する奇病かも知れないですし」
「プフフッ! え、ええ、気を付けるわ。あなたも気を付けてね。咲夜が実は、吸血鬼よりも怖い化け物かも知れないわよ。二人目みたいに」
「あっはっはっは!」
こうして二人は、大いに楽しんで解散した。
「と、言うわけでして‥‥」
「まあ、軽い気持ちで‥‥」
数時間後、二人はレミリアの私室にいた。
床に正座をして。
「よっけいな事をしてくれるわねえ‥‥」
額に手を当てて嘆くのは、レミリア。
二人の話に、溜め息しか出てこない。
「あんたらは、もう‥‥あれなの? 人に嫌がらせをしないと死ぬ病気なの? ええ?」
「いや、あの‥‥嫌がらせって言われると‥‥その‥‥」
「ちょっと語弊があるって言うか、その‥‥ねえ?」
「黙らっしゃい! 嫌がらせじゃなかったら、なんで咲夜が部屋から出てこないのよ!」
そう。咲夜は現在、絶賛引きこもり中なのだ。
ティータイムになってもやって来ない咲夜を不思議に思い、レミリアがメイド達に話を聞くと、図書館から戻ってきてから、生気の無い顔で自室に向かって行った。それ以来、一度も見かけない、との報告を受けた。
直接本人に話を聞こうと、咲夜の部屋を訪れたレミリアにも、咲夜はドアを開けない。
それどころか
「私は所詮、初代咲夜の代わりにはなれません。いつ咲夜マーク2のようになってしまうか判りませんので、近付かないで下さい」
と、意味のわからない事を言われた。
尚、その言葉を聞いた美鈴とパチュリーは、噴き出しそうになり、余計レミリアの怒りを買った。
ともかく、原因は二人にあると睨んだレミリアは、二人を部屋に呼び付け、今に至るというわけだった。
「まったく‥‥あんたらもう、死ねば?」
「いえ、その‥‥」
「で、どうするつもりなのよ」
「いや、どうすると言われましても‥‥」
「レミィがどうにも出来ないものを、私達がどうにか出来るとは、ちょっと‥‥」
「やかましい。さっさと咲夜の機嫌を直してきなさい。このままじゃ、三日で足の踏み場が無くなるわよ」
咲夜の穴を埋めるように妖精達も頑張ってはいるが、そこは所詮妖精。
やる気と能力は、必ずしも比例するわけではないのだ。
「ほら、わかったら早くなさいよ。何してるの?」
「あの、それがですね‥‥」
「あなたの話が長‥‥熱が籠ってたもので、足が痺れて‥‥」
「早く行けー!」
レミリアの部屋を追い出された二人は、文字通り七転八倒しながら、咲夜の部屋に向かうのだった。
「と、いうわけで、さっきの話は全部作り話でして」
「ちょっと悪ふざけが過ぎたかと、我々は心より反省してる次第なわけで」
「‥‥‥‥」
咲夜の部屋へと辿り着いた二人は、ドア越しに謝罪を始めた。
沈黙が重い。
「‥‥つまり、美鈴とパチュリー様は、ほんの悪ふざけで、私の心をズタズタに引き裂いた、と?」
「え? あ、いや‥‥ちょっとその言い方は、悪意があると言うか‥‥」
「何もそう目くじらを立ててね、嫌味を言う事は無いんじゃないかしら、と‥‥」
その瞬間、ドアが勢いよく開く。
と同時に、二人の視界に飛び込んできたのは、切先がこちらに向く、無数のナイフだった。
「死んでもらいます!」
「う、うわあ! ちょ、ちょっと咲夜さん!」
「ああああ! 危ない! 本気で危ない!」
「待ちなさい! 八つ裂きにしてやる!」
「きゃあああああ!」
こうして、メイド長引きこもり事件は、一応の解決と相成ったのである。
「いやあ、酷い目に遭いましたね」
「本当。一年分のアイテムをばら撒いた気がするわ」
「あんたら、自業自得って言葉知ってる?」
「これからは、私にとって太陽みたいに大事な存在だから、咲夜Sunなんです。とでも言っておきましょうかね」
「あら、いいわね。ロマンチック」
「そういう問題じゃないし、ロマンチックでもないわよ」
夕食後、美鈴とパチュリー、レミリアは、広間でお茶を飲んでいた。
咲夜は心に残ったダメージを癒すため、早めの休息を与えられた。
尚、二人の夕飯のメニューが露骨に貧相だったのは言うまでもあるまい。
と、そこにフランドールがやってきた。
「あれ、三人だけ? 咲夜はいないの?」
「あらフラン。ちょっとわけあって、咲夜はもう休んでいるわ」
「ふうん。また二人が何かしたの?」
また二人が。
そう、既にフランドールの中でも、美鈴とパチュリーが絡むと碌な事にならないという法則が組まれつつあるのだ。
しかし、当の二人にしてみれば、最初から信用されないというのは、どうにも面白くない。
自業自得なわけだが。
そこで、こんな反撃を試みる事にしたのだ。
「ところでフラン様。最近、いい子にしていますか?」
「え? うん、多分ね」
「ではいいのですが‥‥八雲紫って知ってますよね?」
「ん、知ってるよ」
「実は、八雲紫には秘密がありましてね」
「え、そうなの?」
「そうなのよ。彼女の他に、一雲から七雲の紫がいるの」
「紫が八人もいるの!?」
「ええ。それでですね、紫は、数が小さくなればなるほど、強くなるんですよ。つまり、フラン様の知っている、この幻想郷を作った紫ですら、一番弱い紫なんです」
「本当!?」
「大切なのはここからでね。実は、紫の中には、幻想郷に住む悪い子を攫っていく紫がいるの」
「ええ!?」
「その紫は、二雲紫‥‥つまり、二番目に強い紫なんですよ!」
「だから、フランもいい子にしていないと、すっごく強くて怖い紫が来るから、気を付けるのよ?」
「こ、怖いよお!」
「あっはっは」
「うふふふふ」
「あんたら、もう、死ねば?」
いたいけなフランドールを脅かして、満足気に笑う二人。
反省の色の見えない二人に、レミリアは呆れたように言い放つのであった。
パチュリーは、咲夜にこんな話を聞かせていた。
「昔‥‥遠い昔。この紅魔館が、まだ外の世界に存在していた頃の話よ。その頃、レミィはまだ館の当主ではなかったの。あの子は毎日、とても退屈していたわ。私も、よく話し相手をさせられたものよ。
その頃だったわ。紅魔館に、一人の女の子が迷い込んだの。魔物の棲む森を何日歩き回ったのか‥‥とても衰弱していた。先代の当主は、快くその子を受け入れたわ。
その子に与えられた仕事は、レミィ直属の世話係。と言っても、要は話し相手ね。当時の外の世界では、妖怪と人間が話をする機会なんて、滅多になかったから、レミィも大層喜んでいた。結果、二人はすぐに打ち解けたみたいね。
話を聞いてみると、その子は異国‥‥日本という国からやって来たらしくてね。旅先で両親を亡くし、慣れない土地を一人ぼっちで歩きまわっていたそうよ。そして、名前を教えてくれたの。その子の名は‥‥」
ここまで一定のテンポで話を続けてきたパチュリーが、話を中断する。
そして、じっと咲夜の顔を見て、話を再開した。
「綺麗な銀色の髪をした、その女の子‥‥彼女は名乗ったわ。十六夜咲夜、とね」
「え‥‥!?」
咲夜はギョッとするが、パチュリーはそのまま話を続ける。
「彼女は、レミィだけではなく、館の皆に可愛がられていたわ。先代の当主、その従者達、私の両親‥‥もちろん、私もね。当時の紅魔館は、あの子を中心に、いつも笑いに包まれていたわ。
けれど、誰もが失念していた。いいえ、忘れたふりをしていたかったのかも知れない。あの子は人間。私達とは、あまりにも違いすぎたの。
彼女の異変にいち早く気付いたのは、レミィだったわ。事あるごとに咳き込み、顔色も優れなかった。問い質してみても、大丈夫と答えるだけだった。皆は心配したけれど、本人がそう言うのだからと、何も出来なかったし、それほど深刻には考えていなかった。ある日、彼女が血を吐いて倒れるまではね。
妖怪や幽霊ならば、三日で治る風邪みたいなもの。けれど、近くの村では、それが原因で数百の人間が死に絶えた。彼女が侵されたのは、そんな病だった。
気が付いた時には手遅れだったわ。紅魔館には人間の病気に精通した者はいないし、仮に人間の医者に連れて行ったとしても手の施しようがない。
笑っちゃうわよね。何百年も生きてきた妖怪達が、衰弱していく一人の女の子を眺めながら、泣く事しか出来ないの。それでも、彼女は笑っていたわ。一度は失った筈の家族に囲まれて、安らかに眠る事が出来ると言って。
レミィの父親も、レミィも、血を吸って吸血鬼になる事を彼女に何度も薦めたわ。懇願したと言ってもいいかも知れないわね。けれど、彼女の答えは毎回ノーだった。
人間として皆に出会えたからこそ、最後まで人間として皆と過ごしたいと言って。そして彼女は‥‥十六夜咲夜は、死んだわ。最後まで、周りに笑顔を振りまきながら」
話し終えたパチュリーは、昔を懐かしむように目を閉じる。
しかし、話はここで終わりではなかった。
「彼女の死後、紅魔館に住む全員が嘆き悲しんだわ。もう一度、彼女に会いたい。もう一度、彼女の笑顔が見たい。誰もがそう願っていた。そんな私達が、禁忌に手を出すのに、そう長い時間は必要なかったわ。
紅魔館に住む知識人‥‥魔法使いや魔女が集められ、一つの禁術を試みる事にしたの。ゴーレムって、聞いた事があるかしら? 私達は、死んでしまった彼女を、呼び戻す事にした。
術自体はすぐに完成した。目の前に、あの子の姿が現れたのよ。皆、手を取り合って喜んだ。また、あの幸せな日々が返ってくるのだと。
けれど、世の中そう上手く出来ていないものね。二人目のあの子は、決してあの子なんかじゃなかった。紅魔館に住む誰よりも化け物らしい、別の物になっていたの。
必死になってその化け物を倒した私達は、一つの掟を作った。もう二度と、この術には手を出さないと。あの子と過ごした思い出を糧に、これからの長い時を生きて行こうと。
長い間、その掟は守られたわ。二人目の咲夜の悲劇を忘れられなかったしね。
けれど最近になって、その掟を破る者が現れたわ」
パチュリーは、咲夜の顔を見て、含みのある笑みを浮かべる。
「レミリア・スカーレット。そして、パチュリー・ノーレッジに、紅美鈴。その三人は、ひっそりと、禁じられた術を改良して、再び試みたわ。
結果は‥‥あなたが一番知っているでしょう?」
なぜ二人がこんな話をしているのか。
時間は、数十分前に遡る。
メイド長、十六夜咲夜には、常々、不思議に思っている事があった。
「咲夜さん。外勤の子が、一度館内での仕事をしてみたいと言っているんですが」
「咲夜さん。お嬢様、見かけませんでした?」
「咲夜さーん。今日の夕飯、お鍋にしましょうよ」
毎日の挨拶を欠かさないこの妖怪、門番の紅美鈴こそが、咲夜の疑問の根源だった。
「咲夜さん、大変です。道中の毛玉がバイド化したという情報が‥‥」
「ねえ美鈴」
「はい?」
疑問を抱いてから、悶々とした日々を過ごしていた咲夜は、美鈴に直接尋ねてみる事にした。
美鈴が、非常に危険な言葉を言い掛けていた気がするが、それはこの際置いておく事にする。
「前からずっと気になっていたんだけどね」
「はい」
「なんで、咲夜さん、なの?」
「はい?」
「いや、だからね?」
咲夜の話はこうだった。
年齢は美鈴の方が上。
役職的にも、メイドと門番という別の立場故に、上司というわけでもない。
咲夜としては、互いに補い合う同僚として認識している。
むしろ、美鈴の方が勤続年数的には先輩であり、敬意を持っているくらいだ。
なのに、咲夜は美鈴を呼び捨て。
美鈴は咲夜にさん付け。
その事が、どうにも不思議だったのだ。
「ああ、そんな事ですか。それは‥‥」
美鈴としては「ただなんとなく」以外に理由は無かった。
強いて言うならば、咲夜と同じく、美鈴も尊敬の念を持っているから。
それだけだったのだ。
が、それをそのまま言っても面白くない。
そんなどうしようもない考えが、美鈴の言葉を中断させた。
「美鈴?」
「‥‥ついに、それに気が付いてしまったんですね」
「え?」
「流石は咲夜さんです。しかし、私の口からはとても言えません」
「え? え?」
「どうしても‥‥どうしても知りたいと言うのならば、パチュリー様に聞いて下さい。私はこれで失礼します」
「え? え? え?」
「しかし、これだけは言っておきます。咲夜さんのさんは、決して、普通の意味ではないのです」
そう言うと、美鈴は逃げるように立ち去ってしまった。
残された咲夜は、途方に暮れるのだった。
何か、いけない事を尋ねてしまったように感じた咲夜は、頭を悩ませた。
しかし、ただ事ではない美鈴の様子。
何より、自分の中で膨らみ続ける好奇心から、図書館を訪れた。
そしてパチュリーに、いきさつを説明したのだ。
「‥‥なるほどね。話はわかったわ」
咲夜の説明を聞いたパチュリーは、その瞬間に脳をフル回転させる。
美鈴が咲夜をさん付けで呼ぶ理由は、既に知っている。
前に本人に聞いたのだ。
では、何のために頭脳を稼働させるのか。
美鈴の意思を汲み取ったからである。
「美鈴ったら‥‥あれほど、気取られてはいけないと言っておいたのに」
「で、ではやはり、何か重大な‥‥」
「そうね‥‥少なくとも、あなたにとってはね」
「私にとって‥‥ですか?」
パチュリーが何か意味ありげな事を言う度に、咲夜が不安そうな反応を返す。
それだけで、パチュリーは今にも噴き出してしまいそうだった。
が、ここで悟られてしまっては面白くない。
なんとか堪えながら、考えをまとめる。
「‥‥時に咲夜。あなた、この館に来た時の事は覚えているかしら?」
「は、はい。まだ幼かったので完璧ではないですが‥‥」
「そう‥‥なら、私の魔法は上手く作用しているようね」
「魔法ですか?」
頭の中でシナリオを組み立てたパチュリーは、終着点に向けて話を進行し始める。
「ねえ咲夜。あなた、どうしても知りたいの? 今なら、何も聞かずに済ませる事もできるわよ?」
「そ、それはどういう‥‥」
「この話を聞いてしまったら、あなたは今まで通りの平穏な心で暮らせないかも知れない。それでもいいの? と、聞いているのよ」
パチュリーはそう言いながら、咲夜の顔を見つめる。
その瞬間、あまりに真剣な咲夜の表情を直視してしまい、鼻水が出そうになった。
「それでも‥‥いえ、重大な話だからこそ、私は聞かなければならないと思います」
「そ、そう。ならば教えてあげる。十六夜咲夜というメイドにまつわる、悲しい話をね」
パチュリーは読みかけの本に栞を挟み、閉じる。
一方、ドアの外で聞き耳を立てていた美鈴は、腹を抱えて転げ回っていた。
ここで、冒頭の話に戻るわけである。
所謂、与太話であった。
「レミリア・スカーレット。そして、パチュリー・ノーレッジに、紅美鈴。その三人は、ひっそりと、禁じられた術を改良して、再び試みたわ。
結果は‥‥あなたが一番知っているでしょう?」
その瞬間、咲夜は冷や水を浴びせられたかのように、全身に鳥肌が立った。
「まさか‥‥そ、そんな!」
「美鈴があなたを咲夜さんと呼ぶ時のさん。これは決して敬称ではない」
「や、やめてくださ‥‥」
「咲夜の三人目。それが、美鈴があなたにさんを付ける理由なのよ!」
「いやあああああ!」
咲夜は両手で耳を覆い、勢いよく走り去ってしまった。
開け放たれたドアから、入れ違いに美鈴が入ってくる。
「どう? こんな感じでよかったかしら?」
「あっはっはっは! 流石はパチュリー様!」
「それにしても‥‥プフッ‥‥我ながら三人目のさん、って、どうかと思うわね。くふふ」
「まあまあ、上手い事いったんですから、いいじゃないですか」
「そうね。イエーイ」
「イエーイ」
二人は片手を上げ、成功を祝う、軽いハイタッチをする。
美鈴が適当に含みのある言い方で不安を煽り、その事について相談を受けたパチュリーがとどめを刺す。
それが紅魔館での黄金パターンなのだ。
対象は主に、咲夜、魔理沙、フランドール、妖精メイド辺りを筆頭に、数多い。
レミリアは、過去に騙しすぎて、もう引っ掛かってくれなくなったようだ。
「それじゃ、私は門に戻りますんで」
「そう。それじゃ、また後で」
「最近冷えますから、気を付けて下さいね。村が壊滅する奇病かも知れないですし」
「プフフッ! え、ええ、気を付けるわ。あなたも気を付けてね。咲夜が実は、吸血鬼よりも怖い化け物かも知れないわよ。二人目みたいに」
「あっはっはっは!」
こうして二人は、大いに楽しんで解散した。
「と、言うわけでして‥‥」
「まあ、軽い気持ちで‥‥」
数時間後、二人はレミリアの私室にいた。
床に正座をして。
「よっけいな事をしてくれるわねえ‥‥」
額に手を当てて嘆くのは、レミリア。
二人の話に、溜め息しか出てこない。
「あんたらは、もう‥‥あれなの? 人に嫌がらせをしないと死ぬ病気なの? ええ?」
「いや、あの‥‥嫌がらせって言われると‥‥その‥‥」
「ちょっと語弊があるって言うか、その‥‥ねえ?」
「黙らっしゃい! 嫌がらせじゃなかったら、なんで咲夜が部屋から出てこないのよ!」
そう。咲夜は現在、絶賛引きこもり中なのだ。
ティータイムになってもやって来ない咲夜を不思議に思い、レミリアがメイド達に話を聞くと、図書館から戻ってきてから、生気の無い顔で自室に向かって行った。それ以来、一度も見かけない、との報告を受けた。
直接本人に話を聞こうと、咲夜の部屋を訪れたレミリアにも、咲夜はドアを開けない。
それどころか
「私は所詮、初代咲夜の代わりにはなれません。いつ咲夜マーク2のようになってしまうか判りませんので、近付かないで下さい」
と、意味のわからない事を言われた。
尚、その言葉を聞いた美鈴とパチュリーは、噴き出しそうになり、余計レミリアの怒りを買った。
ともかく、原因は二人にあると睨んだレミリアは、二人を部屋に呼び付け、今に至るというわけだった。
「まったく‥‥あんたらもう、死ねば?」
「いえ、その‥‥」
「で、どうするつもりなのよ」
「いや、どうすると言われましても‥‥」
「レミィがどうにも出来ないものを、私達がどうにか出来るとは、ちょっと‥‥」
「やかましい。さっさと咲夜の機嫌を直してきなさい。このままじゃ、三日で足の踏み場が無くなるわよ」
咲夜の穴を埋めるように妖精達も頑張ってはいるが、そこは所詮妖精。
やる気と能力は、必ずしも比例するわけではないのだ。
「ほら、わかったら早くなさいよ。何してるの?」
「あの、それがですね‥‥」
「あなたの話が長‥‥熱が籠ってたもので、足が痺れて‥‥」
「早く行けー!」
レミリアの部屋を追い出された二人は、文字通り七転八倒しながら、咲夜の部屋に向かうのだった。
「と、いうわけで、さっきの話は全部作り話でして」
「ちょっと悪ふざけが過ぎたかと、我々は心より反省してる次第なわけで」
「‥‥‥‥」
咲夜の部屋へと辿り着いた二人は、ドア越しに謝罪を始めた。
沈黙が重い。
「‥‥つまり、美鈴とパチュリー様は、ほんの悪ふざけで、私の心をズタズタに引き裂いた、と?」
「え? あ、いや‥‥ちょっとその言い方は、悪意があると言うか‥‥」
「何もそう目くじらを立ててね、嫌味を言う事は無いんじゃないかしら、と‥‥」
その瞬間、ドアが勢いよく開く。
と同時に、二人の視界に飛び込んできたのは、切先がこちらに向く、無数のナイフだった。
「死んでもらいます!」
「う、うわあ! ちょ、ちょっと咲夜さん!」
「ああああ! 危ない! 本気で危ない!」
「待ちなさい! 八つ裂きにしてやる!」
「きゃあああああ!」
こうして、メイド長引きこもり事件は、一応の解決と相成ったのである。
「いやあ、酷い目に遭いましたね」
「本当。一年分のアイテムをばら撒いた気がするわ」
「あんたら、自業自得って言葉知ってる?」
「これからは、私にとって太陽みたいに大事な存在だから、咲夜Sunなんです。とでも言っておきましょうかね」
「あら、いいわね。ロマンチック」
「そういう問題じゃないし、ロマンチックでもないわよ」
夕食後、美鈴とパチュリー、レミリアは、広間でお茶を飲んでいた。
咲夜は心に残ったダメージを癒すため、早めの休息を与えられた。
尚、二人の夕飯のメニューが露骨に貧相だったのは言うまでもあるまい。
と、そこにフランドールがやってきた。
「あれ、三人だけ? 咲夜はいないの?」
「あらフラン。ちょっとわけあって、咲夜はもう休んでいるわ」
「ふうん。また二人が何かしたの?」
また二人が。
そう、既にフランドールの中でも、美鈴とパチュリーが絡むと碌な事にならないという法則が組まれつつあるのだ。
しかし、当の二人にしてみれば、最初から信用されないというのは、どうにも面白くない。
自業自得なわけだが。
そこで、こんな反撃を試みる事にしたのだ。
「ところでフラン様。最近、いい子にしていますか?」
「え? うん、多分ね」
「ではいいのですが‥‥八雲紫って知ってますよね?」
「ん、知ってるよ」
「実は、八雲紫には秘密がありましてね」
「え、そうなの?」
「そうなのよ。彼女の他に、一雲から七雲の紫がいるの」
「紫が八人もいるの!?」
「ええ。それでですね、紫は、数が小さくなればなるほど、強くなるんですよ。つまり、フラン様の知っている、この幻想郷を作った紫ですら、一番弱い紫なんです」
「本当!?」
「大切なのはここからでね。実は、紫の中には、幻想郷に住む悪い子を攫っていく紫がいるの」
「ええ!?」
「その紫は、二雲紫‥‥つまり、二番目に強い紫なんですよ!」
「だから、フランもいい子にしていないと、すっごく強くて怖い紫が来るから、気を付けるのよ?」
「こ、怖いよお!」
「あっはっは」
「うふふふふ」
「あんたら、もう、死ねば?」
いたいけなフランドールを脅かして、満足気に笑う二人。
反省の色の見えない二人に、レミリアは呆れたように言い放つのであった。
>バイド化した毛玉
東方は横スクロールにでもなるんでしょうか…
と10点を入れようとした僕はまず土下座しますね。
個人的には咲夜さんだけでなく読者も騙してしまっても良かった気がします。
冒頭の話をもう少し煮詰めて泣けるレベルの話にしておいてネタばらしする事で咲夜さんだけでなく読者の怒りも買う話だったら最高だったと思います。
今の形のままでも十分に面白かったです。
とか言ってそう
100点もってけー!
全く反省してねぇwww
笑わせて貰いました。
しかし妖精がバイド化って、会話の間にサラッとヤバいネタを挟むなwww
……アレ ナンダ モウユウ グレカ
バイド化した妖精かー…
とても楽しくスルスルと読める文章でした。
めーりんとパチェのハイタッチわらた
仲良いな
不思議な事があったもんだwwwwwww
美鈴とパチュリーがこんな仲がいいとか珍しい。
いいぞもっとやれ
そのいたずらにすんなり引っかかる咲夜とフランがめっちゃかわいいw
笑わせてもらいました!
どうしようもないな
突っ込み役のレミリアも新鮮
いたずらをするパチュリー・美鈴コンビは新鮮でした。