Coolier - 新生・東方創想話

それは自由に生きた縛られし少女の話

2012/02/09 02:49:49
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丘の上に寝転がって

空を眺めてみよう

ふわふわふわ

白い雲は

自由に流れていく



丘の上に寝転がって

草木が揺れる音を聞こう

さらさらさら

緑の草は

自由に踊っている



丘の上に腰かけて

川の流れを覗いてみよう

ゆらゆらゆら

無色の水は

自由に流れていく





自然は自由だな、と思う。
自然の中に存在する雲や草や水は、きっと何も考えていないんだろう。
自由に、自由に、ただその時間を過ごしている。

ああ、私も自由に過ごしたい。

だけど、人間の人生には限りがある。
私だって、何時死んでしまうかも判らない。
人間とは、命という名の鎖に縛られて、決して完全な自由は得られない。

だから私は、こうして一人でのんびりとしている。

縛られた時間の中で、それでも自由な時間を過ごしていたい。
私は一人だから。今も昔も一人だったから。
だからこれからも、きっと一人なんだと思う。

一人であるなら、束縛は一番少ない。
私を縛るものは、ただ命の鎖だけ。誰からも縛られない、何からも縛られない。

だから、私は何もしたいと思わない。
こうして自然を眺め、自然と一緒に時間を過ごしていたい。
自然の近くにいる事が、私にとっては一番の自由だと思うから。



私は随分と長い間、そうやってのんびりと生きていた。
仕事があるわけでもない。やるべき事があるわけでもない。
人里外れの丘の上で、自然と共にいる事。
それが私の日課であり、もはや存在理由と言っても良かったかもしれない。

私はその日も、そうして寝転がっているだけで、何もしようとはしていなかった。
別に特別な日でも何でもない、何時も通りの空で、何時も通りの草木で、何時も通りの川の流れで……。

「ふあぁ……」

私は一度、大きく伸びをする。
それはまあ、こうして何もしていないというのは退屈なものである。
寝ていられればいいのだが、どうも今日は寝つきが悪い。
こうしてごろごろしているだけで寝れないというのは、なかなか精神的にきついなぁ。

とは言っても、やる事があるわけでもない。
やりたい事があるわけでもないし、やるべき事もない。
例え退屈でも、私にはこうする以外特にやる事もなかったのだ。



「あなたは何時も、此処で寝ているのですね」



不意に、私の耳に聞きなれない声が届く。
んー、この場所は滅多に誰も来ないから、静かでお気に入りだったのになぁ。

「んー、そうだねぇ。やる事も特にないからね」

身体を起こしつつ、そう応える。
まったく、私の静かな一時を邪魔してくれたのは誰だろうか。
顔ぐらいは拝んでおいてやろうと思い、私は声の方へと目を向ける。

……あれ? 誰もいない? 視界に人の姿が映ってないよ?

「初対面の者に対し、随分と露骨に喧嘩を売ってきますね貴方は……!」

目線のちょっと下から、そんな声が聞こえた。怒りを必死に堪えているのがよく判る。
ああ、すまないね。思ったよりも随分と背が小さかったみたいだ。
私は身長はかなり高い方だからね。目線がちょっと高いんだよ。
そんな事は別にどうでもいい。

改めて声のした方を見てみると、緑髪の少女が一人、ぽつんと立っていた。

「……………」

何故かもの凄い顔で睨まれる。
うーん、わざとじゃなかったんだけど、ちょっと気に障ったみたいだ。
身長の事を気にしてるのかな。まあ、確かに改めてみると、私の半分……いや、それは言い過ぎか。
それでも私と比較して、2/3よりちょっと高いくらい身長しかなさそうである。
12~3歳くらいだろうか。

「えっと、まあ、気に障ったなら謝るよ」

「……気にしてません」

今度は悔しそうに俯いてしまう。いや、絶対気にしてるよね。
別に身長なんて高くてもいい事ないよ。ついでに胸が大きくてもいい事ないさ。
あんたみたいに身長が低くて胸とかも残念な方が、いい事ある時だって……。

「それ以上私を侮辱するような想像は止めてください」

おっと、何で気づかれたんだろう。顔に出てたかな。
どんな顔だよ、と自分で突っ込みつつ、まあどうでもいいかと即座に頭の中から叩き落とした。

「えっと、あんたは?」

「ただの通りすがりです。名を名乗るほどの者でもありませんよ」

うーん、見た目の割に、随分堅苦しそうな事を言う奴だなぁ。
口調が丁寧なのはいいんだけど、見た目との差が激しいというか…。
まあ、そんなの人それぞれか。

「それよりあなたは、どうして何時も此処にいるのですか?」

「さっきも言ったじゃない。やる事が特にないから」

そう言ったつもりだったのだけど、聞いてなかったのだろうか。

「そんな事より、どうして私が何時も此処にいるって知ってるんだい?」

今の私には、そっちの方が気になっていた。
さっきからこの少女は『何時も此処に~』と言っている。
それはつまり、私が何時も此処でごろごろしているのを知っているという事。
おかしいな、何時も此処には私しかいないはずなのに…。

「何時もあなたを見ているからです」

「……どこかで逢ったことあったっけ?」

「ありませんよ。なぜそんな事を聞くのですか?」

「いや、何時の間に惚れられてたのかなって」

「そんなわけありますか!!」

怒られた。ちょっとからかい過ぎただろうか。

「まったく、女同士だというのに何を言っているのですか」

「冗談に決まってるじゃない。むしろ少しでも本気にされたのが吃驚だよ」

「うっ……と、とにかくですね、あなたは少し何もしていなさ過ぎなのです」

一瞬俯いた後、取り繕うかのように無理やり話題を変える少女。
少し顔が赤くなってるあたり、割と本気と取られたらしい。
なんと言うか、頭固そうで馬鹿正直そうだ。うん、苦手だけどからかい甲斐はあるタイプ。

「人間は誰でも必ず、やる事の一つは存在するものです。
 ですがあなたは、何時も此処か家で寝ているではありませんか。
 何もしていないからこそ犯す罪というのもあるのです。それをあなたはどう考えて……」

先ほどに比べると、割と真剣な表情でしゃべり続ける少女。
初対面の人間にまさか説教されるとは思わなかったよ。
本当に頭の固いやつだ。見た目との差がありすぎる。

「……すこと、それがあなたが努める……って、聞いてるのですか!?」

少女の怒鳴り声で、私の意識は少女の話へと戻る。
うん、9割方聞いてなかったよ。て言うかこの世に初対面の人間の説教を真面目に聞く人間はそういないと思う。
それに、最初の方だけ聞いてれば、私としては充分だったから。

何時も寝ているだけで、何もしていない、ねぇ……。



「言いたいことはそれだけかい?」



私がそう言うと、少女は僅かながら怯んだような表情を見せる。
つい今までののんびりとした雰囲気は何処へやら、私の中に何か黒いものが燻るのを感じた。
……私にとって、それは言ってはならない事の一つだよ。

「あんたは私の何を知ってるんだ。
 やる事の一つは存在する? ふざけるなよ。
 あんたは何かがやりたくても出来ない人間の気持ちってのを、考えた事があるのか?
 ないだろうね。そうやって人の事を何も考えてない事を言えるんだから」

此処まで、誰かに腹を立てたのは、この時が初めてだったと思う。
まるで私を怒らせたいがためのような発言だ。怒りっていうのは、こういう感情なんだねぇ。
あんたは私の事を何も知らない。その癖に勝手なことを言いやがって。
あんたも随分と露骨に、初対面の人間に喧嘩を売ってきてるじゃないか。
なにかい、子供みたいな姿なら、何言っても許されるってのかい?
悪いけど、私はそんなに優しい人間じゃないよ。

「……失礼、私の言い方が気に障ったのならば謝りましょう」

と、思いの外に素直に少女は頭を下げてくる。
なんだか、礼儀がしっかりしてるのかしてないのか判らない奴だ。

「……何様のつもりだよ」

その言葉が少女に聞こえたかどうかは判らない。少なくとも、表情はまるで崩さなかった。
まあ、聞こえていようと聞こえているまいと、私の怒りは収まったわけではない。
すぐに謝ってきた分、まだ好印象だったけど。

「珍しい人間ですね、あなたは」

やっぱり聞こえてはいなかったのだろうか。いなかったんだろうな。

「かもしれないね。こうもごろごろしてる人間は私だけだろうよ」

なので、皮肉を込めて返してみる。
そういう意味で言ったんじゃないだろうけど、まだ私の怒りは収まってないと言う意味も含めてね。



「私の言葉に、素直に反発してきた人間はあなたが初めてです。
 人との交流がないあなたは、どうやら私のことを知らないようですが、それでも」



……はい?

「あんた、そんなにお偉いさんなのかい?」

「……まあ、一般的に考えればそうだと思います」

ふーん。

「どうでもいいけどね」

「どうでもいいなら聞かないでください」

いいじゃんかそんくらいさ。
どこのお偉いさんかは知らないけど、私はそんな事興味ないからね。

口調は上から目線で説教くさい、嫌な奴だとは思う。だけど、悪い奴じゃなさそうだな。

「で、結局言いたいことはそれだけだったのかい?」

少し落ち着いてきたものの、まだちょっとイライラする。
これ以上用事がないのなら、さっさと消えて欲しいのだけど……。

「……そうですね、あなたの気を害してしまったようですし、今日は大人しく引き下がるとしましょう」

おや、意外とあっさり。もうちょっと一悶着あると思ったけど。

「ですが、私も今のあなたを黙って見過ごすわけにはいかないのです。
 近いうちにまたあなたを訪ねると思いますので、それまでに自分の事を見直しておいて下さい」

それだけ最後に言い残して、少女はそのまま踵を返して去って行く。
私はその背中を、眉間に皺を寄せながら黙って見ていた。

「まったく!」

今一度、私は寝転がる。

なんなんだよあいつは! 何処までも人を苛立たせる事ばかり!
悪いところは素直に謝るところは印象がいいと思えば、結局自分勝手な事を!

「自分の事を見直せだって? 馬鹿にするのも大概にしろよ」

誰も聞いてないのに、そんな文句ばかりが自然と漏れ出てくる。
本当に、あいつは何も判ってない。自分を見つめなおすなんて事……。

そんな事……。



「……何度やってきたと思ってるんだよ……」





 * * * * * *





その翌日。

「……………」

昨日と同じように、私は丘の上に寝転がっていた。
眠くはない。寧ろ、昨日以上に目が冴えていて眠れる気がしなかった。

何故かって、昨日の少女の事が気になっていたから。

あれから家に帰って、冷静に考え直してみた。
私の住んでいる里は比較的山の中にあり、他の人里からは結構離れている。
だから、この場所に誰かが来るとしたら、それはほぼ確実に私の里の住民という事になる。

だけど、里の住民全員の顔を知っているわけではないとは言え、私はあの子の事を一度だって見た事がない。
この里に住んでて20年近い時間を過ごしているはずなのに、1回もだ。
それに、あの子は自分の事を『一般的に考えればお偉いさん』だと称していた。

他の人ならあの子の事を知っているような事も言っていたし、里のお偉いさんの娘かなにかなのだろうか。
その辺りの人なら、全員顔は知ってるはずなんだけどなぁ。

「考えても仕方ないかねぇ」

ふぅ、とため息を吐く。

あの子が何者であれ、今の私にそれを知る術はない。
どうせ近いうちにまた逢いに来ると言っていたんだ。だったら、その時に聞けばいい。
……また『名を名乗るほどじゃない』とか言われそうだけどね。

よし、考えるのはやめだ。寝よ寝よ。そう思って目を閉じて……。

「寝るな!!」

いきなり耳に響いたその怒声に、否が応でも覚醒させられた。

「まったく、人が訪ねてきた瞬間に寝るとはどういう事ですか!」

あ、いや、すまんね。偶然だよ。
心の中で謝りつつ目線を声の方に向けると、昨日も見た緑髪の少女が、不機嫌そうな表情を浮かべて立っていた。

「……近いうちに訪ねるんじゃなかったっけ?」

「ですから、近いうちに訪ねたじゃないですか」

「こういう時の『近いうち』って言うのは普通2~3日後だと思うんだけど……」

まさか翌日に訪ねてくるとは思わなかったよ。
今日も来るっていうなら『明日も来る』とでも言えばいいのに。

「まあ、そんな事はどうでもいいでしょう」

いや、うん、確かにどうでもいいけどさ……。
あんたがそれを言うかい。本当にわけの判らん子だな。

「で、何しに来たんだい?」

次に会う時までに自分について云々とか言ってた気がするけど、普通そんなのは昨日の今日でまとまる筈がないだろ。
もしその事について訊ねてきたら、そう返してやるつもりだったんだけど……。
少女はただ、黙って遠くを見ているだけで、何も返事をせず……。

「……いい景色ですね」

えっ?

「緑ある山、流れる川、風に靡く草木、そしてあなたの住む人里。
 まるで風さえもが眼に見えそうなほどに、自然が生きているのが判ります。此処は、素晴らしい場所ですね」

……頭が固い子だと思ってたけど、こんな穏やかな顔も出来るんだねぇ。ちょっと感心したよ。

「……だろ? 私のお気に入りなのさ」

私の顔からも、少しだけ笑みが零れる。
此処は私のお気に入りの場所。他のどんな場所よりも、自然というものを見る事の出来る展望台だ。

「あなたがいつも此処で寝ているのも、少し判る気がしますね」

そんな事を言いながら、少女は私の隣に腰を下ろした。
少しだけかい。もっと盛大に判って欲しいもんだね、この場所で寝る事の気持ち良さを。

「あんたも寝転がってみなよ」

「それは次の機会にさせていただきますよ、服を汚したくはないので」

ちぇっ、面白くない。
ただこの物言いは、やっぱりどっかの金持ちの娘なのかね。

「……あなたはどうして、いつも此処にいるのですか?」

唐突に、少女はそんな質問をしてきた。

「ん、だって、気持ちいいじゃないかこの場所は。私は此処に住んでいたいって思ってるくらいだよ」

「いえ、そうじゃなくてですね……どうして、里で時間を過ごさないのかと」

……その少女の言葉が、チクリと胸を刺す。
それを聞いてくるなんて嫌がらせかよ、一瞬そう思ったけど、この子は事情を知らないんだろう。
だったら、それが気になるのも仕方がないか。普通に考えれば、日がな此処で寝転がっている私の方が異常なんだし。

「……里にいられないだけさ」

「えっ?」

少女は首を傾げる。
のんびりとした私からこんな台詞が出てくるなんて、予想外だったのかね。

「なんでもないよ。ただ、私は自由になりたいだけさ」

私はそれ以上話さない事にする。
これ以上は、話している方も楽しくないからね。このくらいの少女には、ちょっと毒な話だ。
自分でこんな事を言ってて、大袈裟だとか思わないのが、なんか物悲しいけど……。

「自由に、ですか?」

少女のほうも、深くは追求しないでくれるみたいだ。

「ああ、此処にいると、自然と一緒にいられるみたいでね。
 自由な自然の中で、同じように自由にしていたい。だから私は此処が好きなんだよ」

「自由にって……充分に自由に生きてるじゃないですか。どうしてそれ以上……」

……どうも、この子は私の暗い部分ばっかり指摘してくるねぇ。
私のような人間とは、今まで関わった事がないのかね。

「私は自由なんかじゃない。寧ろ、誰よりも束縛されてるんだ」

「……えっ?」

さっきと同じように、少女は首を傾げた。
これも、深くは話さないでおこう。やっぱり毒になる話だからね。

「私だけじゃないさ。人間なんて、みんな束縛されてるものだろ?
 どんなに自分勝手に生きてたって、どんなに仲間と一緒に生きてたって、人間はみんな『命』って言う鎖に縛られている。
 みんなみんな、命は限られてるんだ。それから逃れられる人間なんて、仙人とかそういう連中しかいないんじゃないかね」

まあ、仙人を人間と言うかどうかは判らないけどね。

「命、ですか?」

んー、女の子には難しい話だったかな。

「人間は、みんないつか死ぬだろ?」

「え、ええ……」

「つまりはそういう事さ。人間である以上、いつかは死ぬんだ。
 だから私は、限られた時間の中でも、自分の思うように生きていたい。それが、私を縛る命の鎖に対する、些細な抵抗なのさ」

それに、私の時間は……。
……いや、そこまでは言わなくていいか。

「のんびりしているだけだと思ったのですが、そういう事まで考えていたのですね。ちょっと驚きました」

「私はどれだけ駄目人間に思われてたんだい」

「あ、も、申し訳ありません……」

昨日とは違って、ばつが悪そうに謝ってきた。
やっぱり、見た目相応なところもあるみたいだ。そういうところは好感が持てるね。

「まあ、別に難しい話でもないさ。ただのんびりしていたいがための口実だよ」

「いえ、立派な事だと思いますよ。限りある自分の命に対して、真っ直ぐに向き合えているのですから。
 ……だけど、かと言ってなにもしなくていい理由にはなりませんからね? あなたがなにもしない理由は判りましたが、それでもなにもしていないという事実は」

「あーあーはいはい、お説教は勘弁してくれよ」

少女がまたもや長々と説教を始めようとしたので、無理やり話をぶった切った。
女の子らしいかな、と思えばすぐこれだよ。黙ってれば可愛い子だと思うんだけどねぇ。

「むぅ、ちゃんと自分を見つめなおすようにって言ったじゃないですか」

子供みたく頬を膨らませた。こういう仕草はわりと本気で可愛いと思う。

「だから、ちゃんと自分で思ってる事を言ったじゃないか。自分を見つめなおすっていうのは、そういう事じゃないのかい?」

まあ、あんたの質問で偶然そうなっただけだけどね。
自分を見つめ直すなんて事は、今まで散々やってきた。言われるまでもなかったって事くらいは判って欲しい。

「……それも、そうですかね」

なんだか仕方なしそうに、だけど何処か嬉しそうに微笑む。

「それも一つの答えとして、受け取っておく事にしますよ。では、今日のところはこれで」

「おや、もう帰るのかい? せっかくいい天気なんだし、ゆっくりしていけばいいのに」

ゆっくり立ち上がる少女に、そんな事を言ってみた。
昨日はさっさと消えてほしいとすら思ったのに、今日はこんな事を言ってるだなんて、私も私で判らない奴だな。

「そうしたいのは山々ですが、他にもやる事があるので……」

ふぅん。忙しいのなら、引き止めるのも悪いか。

「また来ますよ。今度は、あなたの事をもう少し聞かせて欲しいですね」

「……惚れられるのも、大変だねぇ」

「なっ!! ち、違うと言っているでしょう!!」

くっくっく、やっぱこういう反応は可愛いねぇ。

「まったく、これだから近頃の……」

そんな文句をブツブツと呟きながら、少女は何処へと去っていく。遠ざかる気配だけを、私は寝転がりながら感じていた。

また来る、か。一人でいる方が好きだったけど、なんだか次にあの子に会えるのがちょっと楽しみだね。
まあ、私は別に、誰かと話すのは嫌いじゃない。寧ろ、話し相手がいるならずっと喋っていたいくらいだ。

……だけど、私にはそれが出来ない理由があった。
だから私は、こうしてずっと一人でいる事を選んだんだけど……。

「……やっぱ、喋ってるのは楽しいねぇ」

忘れかけていた、そんな思いを胸に抱いて、私はゆっくりと目を閉じた……。





 * * * * * *





そして、その翌日の早朝。

日もまだ昇り始めたばかりという時間に、私は誰も出歩いていない里の中を一人歩いていた。
私はいつも、この時間からあの丘の上に行って、そして日が暮れるまであの場所にいる。
誰の目にも触れないように、誰とも出会わないように……。

……寂しくない、と言えば嘘になる。
でも、私はこうする他なかった。誰も私に近付かない。誰も私と言葉を交わさない。
そんな空間にいるよりも、私はあの場所で自然と共に、自由にしていたかったんだ。

だって、私の身体は……。

「……うん?」

里を出て、いつもの丘の上に辿り着いた私は、何かに気付いて足を止める。
此処に通うようになってから、もう何年と経つけど……こんなのは初めてだね。

「おや、こんな朝早くから此処に来ていたのですか」

見ればあの少女が、丘の上に腰を下ろしていた。

「……こっちの台詞だよ。私よりも早く此処に来ていた奴なんて、あんたが始めてさ」

平静を装っているけれど、内心ではかなり驚いていた。
私は誰にも会わないためにこんな朝っぱらから此処に来ているというのに、それよりも早くこんな場所に来ている奴がいるんだから。

「あなたが何時から此処にいるのか、気になったものですから」

「そんなに暇なのかい?」

「忙しいですよ。だからこそ、こうして朝早くから訪ねてるんじゃないですか」

さいですか。まあ、何でもいいけどさ。この子がそうしたくてそうしてるなら、私がとやかく言うことじゃないだろう。
私は少女の隣に腰掛けて、いつものようにそのまま寝転んだ。

「こんな朝早くから、日が暮れるまで此処にいて、食事はどうしてるんですか?」

「ん、弁当なら持ってきてるよ。食べるかい?」

急にそんな話を振ってきたので、手に持っていた包みを少女に差し出してみる。

「いえ、朝は取っているので大丈夫です」

なんだ、つまらない。

「……ずっと此処で過ごしていて、ご両親はなにも言わないのですか?」

……おっと、これは随分と手痛い質問だねぇ。
昨日からこの子は、随分と私の核心を突いてくることばかり言ってくる。
まあ、一般的に考えれば疑問に思う事だろうし、仕方ないと言えばそうなのかな。

……こればかりはちょいと誤魔化しにくい質問だ。本当の事を言おう。

「両親はもういないよ」

「えっ……」

「父親は私が産まれる前に病気で死んで、母親も私を産んだすぐ後に死んじまったらしいね。
 今までずっと、私は家族なしで過ごしてきたんだよ」

とは言え、そう聞かされてるだけだけどね。真偽の程は判らない。
まあ、本当はまだ生きていたって、今更そんなのは関係ないけど。

「……ごめんなさい」

「いいよ別に。もう十何年も前の話なんだから」

それに、世間一般じゃ確かに苦い話かもしれないけど、この事に関しては私はそんなに悲観的じゃない。
ある程度成長してから亡くしたってならともかく、生まれた時から知らないんじゃ、流石に両親への思いもなにもないからね。
……いやまあ、いて欲しかったのは確かだけどさ。

「ですが、なおの事どうして、あなたは何時も一人でいるんですか?
 そんな身の上なのであれば、恐らく里の皆に助けてもらい、こうしているのだと思いますが……」

……ああ、そうだね。
確かにそうだったよ。ずっと私は、里のみんなに助けてもらって生きてきた。
今だって、食べるものはだいたい他人からの貰いものだ。時々自分で採ったり、野菜を作ったりはするけどさ。それでも限界はあるしね。

当然、そうしてくれる人には感謝しているよ。
だけど、今となってはこうしている事こそが、里の人たちに助けてもらえる代償・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・みたいなもんだからね……。

「良ければ、話してもらえませんか? あなたは一体、どうして……」

「そこまでだよ」

深く追求してこようとする少女を制する。

「それがどんな理由であれ、私はそれを受け入れて此処にいるんだ。
 確かに辛いさ。一人でいるってのは、どうしようもなく。
 だけど、私はこうして、自由でいられる事に……自由であると感じられるこの場所が、この時間が、大好きなんだ」

一人でいる事を強要され始めた頃は……何度も何度も、泣いてた気がする。
ただただ里の外を適当にふらふらして、何気なくこの場所に辿り着いて、そしてなんとなく寝転んで……。

空を見れば雲が、草木を見れば風が、川を見れば水が、自由にその時を過ごしている気がした。

ああ、本当の自由って言うのは、こういう事を言うんだな。それが判った気がした。

だから少しでも、そんな自由なものたちと一緒に過ごしていたいと思った。
私は、誰よりも縛られた人間だったから……。

「それよりさ、あんたもやってみなよ」

「えっ?」

「言ったじゃないか。次の機会には、こうして寝転がってみるってさ」

話を変える意味でも、私はその話を持ち出してみる。
口でどうこう言うよりも、実際にやってみればいい。そっちの方が、私が此処が好きな理由が判ると思うよ。

「……そうでしたね。それでは」

少女も私と同じように、地面に寝転がる。
そして、それを待っていたかのように、さわやかな風がざっと、この場所を流れていった。

「……確かに、これは気持ちいいですね」

「だろう?」

「流れる風、空を泳ぐ雲、川を流れる水の音、そして優しい地面の感触。
 みんなみんな自由で、そして暖かい。まるで、私も自然と一体化しているかのようですね」

ああ、まさしくその通りさ。
いい感じに寝てられる場所でもあるし、本当に最高だよ、この場所は。

「ふあぁ……」

うん?

「あ、いえ、その」

情けない声に釣られて隣を向いてみたら、少女は小さく欠伸をしていた。
そして私の視線に気付いてか、慌てて口元を手で覆う。顔が真っ赤になっていた。

……ま、そりゃそうか。
さっきまでは無理していたんだろうけど、今は早朝だ。眠くないはずもないと思う。
そんなところにこんな、天然の寝床を与えられたんだ。欠伸の一つや二つ、当然だろ。

「いいよ、寝てなよ。此処はそういう場所なんだからさ」

「で、ですが……」

「あんたが寝ていてくれた方が、私も寝やすいからね」

そう返すと、少女は小さく笑った。それに釣られて、私も。

「そうですか、では……そうさせてもらいます……」

そのまま、少女はゆっくりと目を閉じる。数分もした後には、静かな寝息も聞こえてくた。

なんだよ。そんなに眠いんだったら、無理して朝から出張ってこなけりゃいいのに。
本当に、不思議な子だと思う。正体がまだ判らないというのもそうだけど、なんだってこんなに私に付きまとうかな。

だけど、悪い気はしないな。
だって、こうして私の隣にいてくれる人なんて、どれだけぶりだろうか。
なにも気に掛けず、私と話をしてくれた子なんて……。

そりゃあ、最初の印象は良くなかった。いきなり私を怒らせるような、自分勝手な説教をしてくれたもんだから。
だけど、その事をちゃんと判ってくれたのか、今はこうして、友達のように接してくれる。

「友達、か……」

参ったね、そんな感情は持たないようにするつもりだったんだけどな。

誰かと親しくなっちまったら……。



この世に、未練が……。





「……っ!! あぁっ……!!」





不意に、胸を激痛が襲う。叫び声をあげそうになるのを、私は必死に堪えた。
くっそ、なんでこんな時に……!!

慌てて、私は少女の方を見る。
僅かに漏らしてしまった声で起こしてしまうかと思ったけど、少女は変わらず、静かな寝息を立てていた。
そしてそれを確認して、私は急いで身体を起こし、万一にも少女に見られないよう、近くの木陰に隠れる。

「げほっ!! げほっ……ッ!! くっ……あ……っ!!」

咳き込むと同時に、再び私の胸を激痛が襲う。そして、口の中には苦々しい鉄の味が……。

「ちくしょう……なんで……!!」

なんでなんだよ、神様……。
どうして私をこんな目に遭わせるんだ。私はただ、普通に生きていたかったのに。
あんたは私から両親を奪って、私を助けてくれた人を奪って、挙句の果てにやっと手に入れた、少しの幸せさえ奪おうってのかい?
せめてもう少しだけ……私を自由でいさせてくれよ……!

視界が涙で滲む。胸の痛みが辛いのか、己の身体を呪ってか、神を憎んでか、それは判らない。
判らないけど、ただただ悔しい。こんな身体である事が。こんな運命である事が。

……あと少ししか、生きていられないという現状が……。





 * * * * * *





私は、不治の病に侵されていた。

私が生まれる前に死んだという父も、同じ病気だったらしい。

聞いた話だと、時折胸の痛みを訴え、血を吐き倒れた父は、ある朝そのまま帰らぬ人となったらしい。

その話を幼い頃に聞かされた時、私の心に一抹の不安が過ぎった。

それは、その父の娘である私も、同じ病気に掛かっているんじゃないだろうかと。



そして、悲しい事にその予感は的中してしまった。

数年前、突然胸を激痛が襲い、血を吐いて倒れ込んだ。

その時からだった。それまでずっと私を支えてくれた里のみんなの、私に対する視線が変わり始めたのは。



でも、判らなくもなかった。

どんな病気なのかも判らない。感染症なのか、遺伝的なものなのか、それも判らない。

そんな病気を持った人間に、誰が近寄りたがると言うんだろう。

それを私は、誰に言われるまでもなく勘付いてしまった。そのうちみんな、私を避けるようになるだろうと。



だから私は、一人誰にも逢わぬよう、あの丘で一日を過ごすようになった。

その事に対して里のみんながなにも言わなかったのは、私が思ったとおりだったからだろう。みんな、私に里にいて欲しくなかったんだ。

事実、家にいる僅かの時間……早朝と夜に、誰かが訪ねてくる事もなかった。

私が里を空けている間に、私の家に食べ物なんかを持ってきてくれたのは、みんなからの哀れみか、それとも罪の意識か……。



勘付いてはいたんだ。だから、寂しいとは思わなかった。

里のみんなを恨む事もしなかった。所詮全部私の想像なのだし、病気が発症してもみんなは私を支えてくれていたのだから、恨むはずもない。



だけど、自分の運命だけは……私を縛る、病気という名の鎖だけは、呪わずにはいられなかった。

徐々に弱っていく自分の身体を、憎まずにはいられなかった。



私が自由でいる事は、そんな運命へのせめてもの抵抗。

運命なんかに、私の命を縛らせたくなかった。私は限られた命の中で、精一杯自由でいようと思った。



……だけど、結局無駄だったのかね。

私は、そんなゴミみたいな運命に、最後まで縛られたままだったのかね。



そして、もしそうなったとしても、この世に未練を残さないように、他のものは全部全部切り離したはずだったのに……。



どうして、最後にあの子と出会っちまったんだろうね……。





 * * * * * *





「んっ……」

あれから数刻が経ち、眠っていた少女は目を覚ます。
その間に何とか胸の痛みも落ち着き、今はだいぶ楽になった。

だけど、正直な話が次の瞬間にまた、症状が出るか判ったもんじゃない。
普段なら一度症状が出てからは、半日くらい経たないと再発はしないけど……油断は出来ないよね。
なにせ此処のところ、痛みが襲ってくる事が多くなった気がするから……。

「おはよう、よく眠れたかい?」

「ええ……おかげ様で」

普通にそう訪ねてみれば、目を擦りながらそう返してきてくれた。
どうやら、ちゃんと平静でいられてるみたいだね。

「あれ、私はどれだけ眠っていたのでしょうか……」

身体を起こしつつ、少女は天高くに輝く太陽へと目を向ける。
今は、太陽はほぼ私たちの頭上にある。私の体感時間と、少女が眠り始めたころの太陽の位置から考えて……。

「二刻くらいかねぇ」

そう返答すると、少女はまるで鳩が豆鉄砲な表情を浮かべた。

「あ、あわわわわわっ! な、なんでもっと早く起こしてくれなかったのですか!」

いや、知らんよそんな事言われても。何時起こして欲しいだなんて言われてないしね。
第一、あんな気持ちよさそうに寝ている奴をたたき起こす趣味なんて私にはないよ。

「だ、大丈夫今から急げばまだ間に合う……!」

なんだなんだ、後に用事が入ってるならなおの事、朝っぱらから訪ねて来なければよかったのに。
後に時間が取れないからかもしれないけれど、まったくおかしな奴だ。

「と、とにかく今日はこれで失礼します」

「あ、ちょっと」

急いでこの場を去ろうとする少女を呼び止める。
急いでるみたいだから時間を取らせたくはないんだけど、ちょっとだけね。

「な、なんでしょうか、手短にお願いします」

ホントに慌ててるねぇ。でも大丈夫、一言だけだからさ……。



「また明日も、来てくれるかい?」



爽やかな風が、さっと私たちの間を流れていく。

「ええ、また来ます」

吹きぬけた風と同じように、少女も爽やかな笑顔を浮かべる。
それはきっと、その言葉が嘘じゃないことの何よりの証拠だろう。

「そうかい、じゃあ楽しみに待ってるよ」

「……では、また明日に」

そして少女は踵を返し、そのまま駆け足で去っていった。
その姿が見えなくなるまで見送った後に、私は太陽輝く青空を見上げた。珍しく、寝転がらずに座ったまま。



『明日も来てくれるかい?』



あの言葉は、何処までも私らしくない言葉だった。
長く生きられない、下手を打てばあと一週間続くかも判らないこの身体を持つ私には、本当に。

だけど、これが最後の抵抗だよ。

私が手に入れた最後の幸せ、すなわちあの子と過ごす時間。
これだけは、絶対に奪わせたりするものか。
私は最期の一瞬まで、生きたいように生きてやる。最後まで自由でいてやる。

例えこの命を奪われたって、この幸せだけは奪わせない。

「ぐっ……!!」

また胸を、激痛が襲う。

くっ……まさかこんな早くに再発するなんて、初めてだね……。
やっぱり、私はもう長くない。あと一週間なんてもんじゃないかもね……。

だけど、構わない。
どれだけの時間だったとしても、私は足掻くだけだ。
どれだけみっともなくても、最後の最後まで……。



私はこの命の限り、“私”でいてやるよ……!





 * * * * * *





それから数日の間、私は変わらずにあの丘に通い続けた。
そして、あの子も毎日のように私に逢いに来てくれた。

あの子が来ている時だけ、ただ他愛もない話をして、後は一人で寝ているだけ。
いつもと変わらなかった。何一つ、変えなかった。

だって、変えたくなかったから。
最後の最後まで、私は私でいたかったから。

あの子の見ていないところで、私は何度も血を吐いた。胸を襲う激痛に、意識を奪われそうにもなった。
だけど、私は耐え続けた。あの子に、そんな姿を見せたくなかったから。

最後に手に入れた幸せを、絶対に手放さないために……。

……そして……。





 * * * * * *





「……………」

その日、ふと目覚めた私は、妙な違和感を覚えた。
ああ、今日も目覚めたか、そう思ったのだけれど、身体が全く動かない。
口を動かしてみる。うー、とちょっとだけ唸ってみる。
声は出るみたいだけれど、身体は石像にでもなってしまったかのように動かなかった。

どうしてこんな事になっているのか、ちょっとだけ考えて、答えはすぐに出た。

あー、なるほど、そういう事ね。

なんかちょっと目も霞む。最初は起きたばかりだからと気にならなかったけれど、そうじゃないんだな。



私はもうこの世の者じゃなくなるんだな。



まあ、近々こうなる事は覚悟していたよ。
だからこそ、私は抗い続けたんだから。自分なりの自由を、求め続けたんだ。
そして何時こうなってもいいように、全てのものを切り離してきたんだ。

正直そんな人生なんて、送っていても無意味なだけだったと思う。
自由に生きたままこうして死ねるのは、寧ろ嬉しい事なのかもしれないね。
私をこの世に縛る“未練”という鎖は、全部捨ててきたんだし。



……唯一未練があるとすれば、あの子のことかな。



あの子のおかげで、束の間だけど、私は“生きている”事に、喜びを感じる事が出来た。
あの子と一緒にいる時間だけが、あの丘の上でのんびり話していた時間だけが、私が唯一“楽しかった”時だ。

あの子は今日も、あの丘の上にいるのだろうか。
でも、すまないね。今日からもう私は、そこに行けそうもないよ。
まあ、どうせ暫くすれば、あの子も私が二度とあそこに行かないんだと気付くだろう。
最期に一目くらい見たかったけれど、仕方ないよね。



「仕方なくなどありません」



……なんだか、死にそうなところにさらに寿命を縮められたような気がした。それほどに私は驚いた。

今まで全く動かなかった身体が、首だけ声のほうへと無意識に動く。
此処最近聞き慣れたその声の主は、横たわる私の枕元に、いつの間にか正座していた。

「……なんだ、最期に見に来てくれたのかい?」

「まあ、結果的にはそうなりますね」

おいおい、随分と落ち着いてるねぇ。少しくらい動揺してくれたっていいじゃないか。
でもまあ、そっちの方がこの子らしいか。
今までの態度からも、こういう時に動揺しそうにない事は良く判るからね。

「そうか、そいつは良かったよ。流石に死ぬ時まで一人は寂しいからね」

「よく言いますね、少しもそう思ってないくせに」

「……はははっ、言ってくれるね」

まあ、そうかもしれない。
別に一人で死んだら死んだで、それでもいいかと直前までは思ってたんだから。
ただ、一人で死ぬよりはあんたに看取ってもらえる方が嬉しいのも確かだよ。

「……なあ、知ってたのかい? 私が病に侵されてるって事」

「此処最近、随分と無理をしていたみたいですからね。嫌でも気付きましたよ」

ちぇっ、そりゃあこの姿を見ても少しも動揺しないはずだ。私も演技が下手だなぁ。

「……本当に、あなたは不思議な人間でしたね」

ため息ひとつ吐いて、少女はそんな事を言ってきた。

「あんたに言われたくはないよ」

「いえ、私は人間ではありませんので」

随分と爆弾発言を、この死ぬ間際にさらりと言ってくれるもんだねぇ。
でも、不思議と全然驚かなかった。寧ろそっちの方が色々と納得出来た。

「……なんだ、やたら上から目線だと思ったら、そっちの方が年上だったのかい」

「そうですね。多分、100歳ほど」

おっと、もっと離れてるもんだと思ったけど、案外そうでもなかったか。
500歳くらい離れててもおかしくないと思ったんだけどなぁ。

「まあ、私がこの姿になってからの年齢で考えて、ですが……って、歳の話はどうでもいいです」

確かに。

「最初に出会った時にも言いましたが、あなたほど私に対して軽い態度で接してきた人間は初めてです。
 いくら私の事を知らなかったとはいえ、大体の人間は、私と関われば自ずと気付くのですが……」

へぇ、そんなに偉い存在なのかい?
その辺の妖怪とかじゃなくて、もっと別の存在……それこそ神様みたいなもんなのかな?

「まぁ、私はあんたが誰だろうと、どうでも良かったからね」

率直に、私は本心を言った。

私は人間に興味がなかった。他の誰かに興味を示すことをしなかった。
だって、興味を示してしまえば、この世に未練を残してしまうから。
私の命が長くない事は昔から知っていた。だったら、誰かと一緒に楽しむ事より、最後まで一人でいる事を選んだ。
そっちの方が、確かに人間としてはつまらなかったけど、死ぬ時は気分が楽だ。
現に今、私は凄く軽い気分で死と相対してるわけだしね。

最期の未練はあんただったけど、あんたが人間じゃないと聞いて、その未練もなくなったよ。

「……死んでも、またあんたに逢えるかねぇ?」

「ええ、逢えますよ。絶対に」

随分とはっきり言ってくれたね。尚の事、未練がなくなったさ。

「ですから、死ぬ前に教えていただきたい事があるのです」

「……なんだい?」

聞くなら早くしてくれ。正直、割と喋っているのも辛くなってきたんだ。

こっちもあんたに聞きたい事があるから、その時間くらいは残させてくれ。



「あなたの名前は、何なのですか?」



……その質問に、思わず笑いそうになった。
と言うか、心の中では腹を抱えてたよ。ただ、身体が動かなかっただけの事だ。

「私の名前、ねぇ……」

まあ確かに、今まで一度も私は自分の名前を教えなかったと思う。
勿論、聞かれなかったからと言うのもあるけど……。

多分、前に聞かれてたとしても、答えられなかったと思うよ。



「そんなもの、私は持ってないよ」



少女は目を丸くした。流石に、予想外だったのかね。

「……私の親は、私が生まれた直後に死んだ。この辺は前にも話したよね」

驚きながらも、とりあえず少女は首肯する。

「そのせいで、私は自分の名前を知らないんだよ。どうやら、名前を決めるよりも死ぬ方が早かったみたいでね……。
 誰も名前を知らないから、名前で呼ばれた事もない。みんな“あの子”とか、そんな呼び方しかしなかったよ」

そう、私に名前は無い。
だからこそ、私は自分が“生きている”実感が薄かったのかもしれないね。
名は体を現す、ってよく言うけど、私にはその名前が無いんだから。
名が無いんじゃ、身体も無いじゃないか。そりゃ、生きてる気がしないよ。殆ど幽霊だ。
ま、最近は幽霊と大差ない生活してたけどさ。

「そうですか、だから……」

一人納得したように呟く少女。

「ですが、私はあなたの名前を知らないと困るのです」

うーん、ほんとにあんたは何者なんだよ。名前を知ってどうする気なんだ。

ま、いっか。そろそろ死ぬのに、そんな事気にしてても始まらないか。
名前が無いと困るって言うなら、手っ取り早い方法を使えばいい。



「……じゃあ、あんたが私に名前をくれよ」



再び、少女は目を丸くした。

「それはまた、随分と大胆な提案ですね」

そうか? 手っ取り早くていいじゃないか。

「自分で自分の名前を考える気にはならないよ。
 名前って言うのは、誰かに貰うのが正しいものじゃないかい?」

最初から、自分で自分の名前を決める人間なんているわけない。
名前って言うのは、親とか、親戚とか、そういう人から貰うもんだろう?
だから名前って言うのは、人から貰って始めて意味があるんじゃないのかな?
自分に相応しい名前なんて、自分じゃ判んないよ。

「……そうですか。そうですね、あなたがそれを望むのなら、そうしましょう」

少しだけ微笑んで、少女はそう答えた。

「望まなきゃ、こんな事言わないよ」

「ふふっ、それもそうですね」

少女がその時見せたその笑顔は、何処か懐かしい感じがした。
遠い遠い昔、本当に一瞬だけ感じた事がある、そんな暖かさが……。

「……我死なば 焼くな埋めるな 野に捨てよ 飢えたる犬の 腹を肥やさん」

急に、少女はそんな歌を詠んだ。
何処かで聞いたことがあるような、無いような……。

「とある有名な美女が死の際に詠んだとされている歌ですが、何となく今のあなたはそう思っていそうだったものですから」

「急に酷い事を言うねぇ。確かに死んだ後どうなろうと知った事じゃないけど、墓くらいは作ってほしいもんだよ」

失礼、と少しだけ笑う。

「ですが、その女性は晩年はとても不遇だったと言う逸話があります。
 真偽の程は判りませんが、本当ならば、あなたと似ている気がしたので」

おいおい、別に私は自分が不遇だとは思っていないよ。
まあ、世間一般からすれば不遇なんだろうけどね。

「……そうですね、決まりましたよ」

おっと、そいつは楽しみだね。早く教えてほしいな。
私の“名前”ってやつをさ。

「あなたとその女性の違いは、死の際に墓を求めたか否か、ですね。ですから……」

弱くなっていた胸の音が、いま少しだけ高鳴る音が聞こえた気がした。



「あなたの名前は―――……」



……少女の告げた、私の“名前”を、私はしっかりと心に刻んだ。

「……いい名前じゃないか。気に入ったよ」

なんだか少し、心が温かくなった気がする。
決して名前で呼ばれる事がなかった私が、死に際に初めて、自分の名前を呼んで貰えた。

それが凄く、嬉しかった。



最期の最期に、漸く私は“人間”になれた気がした……。



「あー……最期に……私も……いいかな……?」

あれ、もうこんなに声が途切れ途切れだな。
もう眼も殆ど見えないし、こいつはいよいよ、なのかな。

「……なんでしょうか?」

少しだけ、少女の目元が陰っているような気がした。
殆ど目が見えないって言うのに、何でそんな物だけは見えたんだろうねぇ。



「……あんたの……名前は……?」



そうだ。
名前を貰ったのはいいんだけど、肝心のこの子の名前を聞いていない。
最期に聞かせておくれよ。私が唯一、真に心を許す事が出来た、あんたの名前をさ……。

「そう……でしたね。私とした事が、こんなにも名乗り遅れるとは」

能書きはいいよ。早く聞かせてくれ。
……もうさ、正直目の前が真っ暗なんだよ。
これであんたの名前を聞けなかったら、私は化けて出るぞ?
まあ、死んでからも逢えるって言ってくれたけどさ。

……死んで、からも?

ああ、そうか。漸く私は、この子が誰なのかが判った。

だから私の名前を知りたかったり、ああも説教くさかったりしたわけか。

それなら確かに、死んでからも逢えるなぁ。

ははっ、これは豪い人と知り合いになっちまったもんだ。





また逢った時は、宜しく頼みますね・・・・・・・・





「私の名前は―――……」





 * * * * * *





「……ふぅ」

仕事の合間に、私は一息吐く。

此処最近、仕事が多くて大変ですね。と言うのも、今日から私の部下が、新しい人に代わるそうでして……。
今まで働いてくれた子の移転の書類などの整理もあって、猫の手も借りたい状況です。
まあ、私自身がまだこの仕事を始めて間もない方なので……。……それでも100年はやっている事ですが。

それにしても、今回配属される部下とは、いったいどんな人なのでしょうか。
非常に気になる事前情報として、どうしても私のところに配属して欲しいと、私の上司に懇願してくれたそうです。
仕事能力は非常に優秀であったため、特例としてそれが通って、今回の人事異動に繋がるわけです。

私としては、今までの子よりも新しい子の方がいいのですがね。
いやまあ、別に前の子が悪いと言うわけではなく、実際のところ私の方が此処に勤め始めるのが遅かったものですから。
前の子、と上司としてそう言ってはいますが、そっちの方が先輩なのです。
年下の上司とは何とも居心地が悪いものでしてね。私はそう言うタイプなのです。

ですから、新しい子が入ってくれると、もう色々と気を回す必要もなくなるので精神的にだいぶ楽になります。

さてはて、そろそろ約束の時間ですが……。



「失礼します」



ノックの音と共に、そんな声が聞こえる。
あれ、この声、どこかで……。

「お待ちしていましたよ、入りなさい」

心の中に、とても懐かしい暖かさが蘇って気がする。
誰の声だったか、思い出そうとして、思い出せなくて……そして私は、部屋に入っていた者の顔を見て……。





「……お久しぶりですね」





……言葉を失った。

「あれ、ひょっとしてあたいの事忘れちゃいました?」

いやいやいやいや、そんな馬鹿な話があるわけないでしょう。
その長身、赤い髪、そしてその顔……。

忘れるわけがない。私と唯一、対等な目線で話した……いや、話してくれた、あなたの事を。

「あなたが地獄送りにするもんですから、死神になるのも大変でしたよぉ。
 いやまあ、天国行ったら逆に死神にはなれませんでしたけどねー」

……ああもう、口調は敬語に変わっても、その奔放さはあの時のままですね。

この子の死を見届けてから、私はこの子の魂を地獄送りにした。
限られた時間しかなかったとはいえ、結局この子は私の言う事は聞かず、善行を積もうとはしませんでしたから。
見知った顔とは言え、私情で罪を軽くする事も出来ません。
心苦しかったけれど、私は閻魔としての仕事を果たす事しか……。

「いやー、それにしても頼んでみるものですねー。まさか本当にあなたの部下になれるとは思いませんでしたよ。
 あたいの日頃の行いがいいんでしょうかねー」

日頃の行いが良かったら地獄行きになんてならないでしょうが。
まあ、あなたの場合は良い悪い以前に何もしていませんでしたけど。
それにしても……。

「……自分の呼び名、変えたのですか?」

ちょっとだけ気になったので、質問してみる。
昔は自分の事を“私”と呼んでいたはずなのに、今は“あたい”と呼んでいますからね。

「ああ、それは……」

と、そこで一度言葉が止まった。
そして……。

「あなたがあたいに名前をくれたからですよ」

この子が死ぬ間際に見せてくれた、あの時の笑顔を、再び見せてくれた……。

「あなたのお陰で、あたいはこうして新しい“自分”を見つけることが出来たんです。
 だから、もう“私”は辞める事にしました。人間の“私”は精一杯生き抜けましたし、これからあたいは“あたい”で生きていく事にします。
 嘗ての“私”が、そして今の“あたい”が信じるあなたのために、あたいは新しい自分として生きる事にしたんです。
 まあ、だから敬語で話すのもそんなに苦じゃないですよ。あたいはあたいですからね」

そう、ですか……。
名前もなく、存在しなかったはずの人間でも、こうして真っ直ぐに前を見ていけるものなのですね。

……ええ、だからこそ私は、あなたに逢いに行ったのです。
あなたは、存在しないはずの人間だったから。
そこに存在していないのに、存在している不思議な存在だったから。

今となっては、その理由も判っています。名前がなかったから、私達の内では、生きている者として扱われなかった。
ちょっと雑な言い方になりますが、あなたは不法滞在者だったのですね。
でもそのイレギュラーのお陰で、今こうしてあなたと向かい合うことが出来るのですか。
本当に、不思議なものですね。

「……そうですか。では、これからは私の部下として、しっかり働いてもらわなくてはなりませんね」

どうしても、頬が緩んでしまう。
閻魔として生きてきてから、こうもこれからが楽しみになったのは、初めてかもしれませんね。
閻魔と言うのは嫌われる職業ですから。正直な話、とても楽しいと思える仕事ではありません。

「はははっ、忙しいのは勘弁してくださいよ? あたいは自由でいたいんですから」

「まったく……ふふっ」

陽気な笑い声が、私の部屋に響く。
自由でいたいというなら、死神になんてならないで死霊のままでいなさいよ。ホントにもう。

……いえ、それをこの子は、選んでくれたのでしょうか。
私の部下となって共に働くという事を、数ある選択肢の中から、“自由”に……。
だとしたら……本当に、何処までも自由な子ですね。

ともあれ、閻魔と言う堅苦しい仕事も、これからはちょっと変わるかもしれませんね。
この子の存在が、私にも新しい人生を、新しい世界を作ってくれる事を、期待しましょう。

ですから今一度、呼ばせてください。

私があなたにあげた名前を。



これからずっと呼び続けることになるであろう、あなたの名前を……。





「これからよろしくお願いしますね、小野塚小町」





「はい、四季映姫・ヤマザナドゥ様」





「つまり、元からサボり癖があったのに、あんたもそれを知っていたから、つい甘やかしちまったと」

「……はい」

「で、今更になってそれを矯正しようと、説教ばっかりしていると」

「……はい」

「同情するぜ」

「……ありがとうございます」

「小町にな」

「……アリガトウゴザイマス」
酢烏賊楓
[email protected]
http://www.geocities.jp/magic_three_map/Kochiyami.html
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コメント



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1.90奇声を発する程度の能力削除
染み渡る良いお話でした
3.100名前が無い程度の能力削除
心に響くいいお話でした
9.100名前が無い程度の能力削除
いいじゃないの
10.100名前が無い程度の能力削除
こりゃ凄い
11.100名前が無い程度の能力削除
面白かったです
12.80名前が無い程度の能力削除
京極堂曰く、
「名前が無いモノは存在しないに等しい」
だからこそ小町は少しの間、生や死からも見逃されたのかな
16.100名前が無い程度の能力削除
いい過去話だったはずなのに後書きのせいでサボり魔小町誕生秘話になってしまった不思議
18.100名前が無い程度の能力削除
染みるねぇ 大体結末は予想できてたけどそんなの関係なしに読み進められました



後書きのいい意味での台無し感がなんともいいですねw
19.100名前が正体不明である程度の能力削除
主人公を、ラストに行くまでに、
れーむ→けいね→まりさ→もこー、と勘違いした不思議。
23.100名前が無い程度の能力削除
俺は説教してる側がなぜだか
けーね→さとり→ゆかりん→華扇
って勘違いした。
25.90コチドリ削除
淡々とした交流の坦々とした積み重ね。
期間の短さなど吹っ飛ばすような強烈な交感。
或いは淡く短なものだったとしても、それでも深く刻まれるほどの魂の餓え。

まあ方法はなんだってよいのでしょうが、そういう描写が少し足らなかったように感じる。
小町にとって真に心を許す存在となった映姫、みたいな関係がちょっと唐突に感じたのですね、俺にとっては。
そこら辺がクリアされていれば、死の間際とはいえど、己の名を獲得できた彼女のエピソードに
より深く感動できた気がするのです。大好きだ、このくだりは。

文章の容量に比して、驚くほどあっという間に読み終えた印象。
言いがかりをつけたとはいえ、読み易く面白い物語であったという証左なのでしょうね。
30.100名前が無い程度の能力削除
ものっそ染みるわぁ。この俺が感動するとは!周囲からヒトのココロを持たないと言われる俺を感動させるとは!
35.100名前が無い程度の能力削除
主人公が神奈子で説教してるのが早苗さんだと思ってた。
途中から四季様っぽく感じたから主人公が誰だかわからなくなった。

名前をもらって初めてヒトになることができたのだろうなぁと思ったりなんたり。

すっきりと読むことができました。
42.100名前が無い程度の能力削除
良い
45.100名前が無い程度の能力削除
割とあっさり目の味付けだけど、それが逆にすんなりと話を伝えてくれました。染み渡りますわ~。
48.無評価名前が無い程度の能力削除
映姫様には気付いてたけど、“私”のせいで主文が誰か判らなくなった…。
良いミスリードでした
49.100名前が無い程度の能力削除
点数入れ忘れすみませんでした
50.100名前が無い程度の能力削除
良かった
53.100名前が無い程度の能力削除
とても良い話でした!
後書きで笑ってしまいましたがw

最初主人公が霊夢だと思ってた