撫でられた。
誰かに撫でられるなんて随分と久しぶりの事だ。
私の頭をそっと撫でるその手の温もりが、丁寧な手つきが心地好くて惚けてしまった。
「無理、しないで下さいね」
私の頭に触れていた手が離れる。
思わず見返せば柔らかな笑みがそこにあった。花のような明るいものでなく、揺れる葉のような優しい表情。
何も言わず立ち尽くす私に彼女の手がまた伸ばされた。
今度は顔。
その指が頬に触れる。
どうやら私は泣いていたらしい。
私の涙を拭い、彼女は口を開く。
「何があったのかなんて聞きませんけど、あんまり我慢すると体に悪いですよ?」
―――
これくらいなら大丈夫だろうか。
鏡に映った私を見つめる。
十何年も付き添った見馴れた顔がそこにある。
目元が少しはれているように見えるが、さして酷くない。
玉ねぎのせいにすれば問題無いはずだ。
結局、あの後自室に駆け込んで少し泣いてしまった。
こんなはずじゃ無かったのに…
深く溜息をついてヘッドドレスをつける。
一体彼女はどこまで見透かしたのだろうか。
長くしてきたからか考え事をしながらでも身支度も仕事も難が無い。
最近のことだ。
所謂、失恋というものを経験した。
初恋は実らないと言うが、その通りになってしまったわけだ。
その相手とは親しい仲であったし、芽がなかったわけじゃない。
ただ、その相手の恋が私の恋より先に実っただけ。
友人としては喜ぶべき事であったろう。だから、祝福した。
その次に会った時にも普段通りに接した。
そうする中で私の初恋は静かに終えたのだ。
だのに…
「やめときなさいよ、あれにその気は無いわ」
「ですよねぇ」
午後の図書館。
私は主の親友であるパチュリー様に話を聞いてもらっていた。お嬢様にそのままお話するのは、立場的にも別な意味でもしたくなかったから。
もちろん泣いた事は喋ってはいない。
小悪魔が紅茶を出してくれる。聞き耳立てて嬉々としているあたり、この手の会話は好きなのだろう。
「空いた穴塞ぐようなタイミングなんだろうけど、ちょっと気が利いて誰にでも優しいだけよ」
おっしゃる通りである。あのサボりがちな門番の性格はそういうものだ。
納得すれば溜め息が零れた。
思い出した彼女の微笑みは、欠けた部分埋めるには十分だ。厄介なことに。厄介極まりないことに。
「私だったら」
と、声を挟んだのは、小悪魔。二人の視線が彼女に向く。
「付け入りますね。
ほら、やっぱり失恋ってそういうチャンスでもありますよね?
慰めって言葉で近づいて、入り込んで、自分の存在を植え付けます。自分がその相手にとってどれだけ有益であるかを。
好きな相手の思い人が自分でなかったと、そういう状況なら誰だってそうする、そう考えると思いますよ?
だから、もし、美鈴さんが咲夜さんに惹かれていたのなら、今の状態は好機という事です」
なるほど、理解は出来るし心当りも僅ながらある。
だけど…
「まぁ、でも美鈴さんだと、そういった裏も無しに行動がそのまま本心かもしれませんね」
小悪魔が続けた言葉に頷く。
美鈴は私を…誰かを特別視したり、下心を持って優しくしたりしないと思う。
優しく振る舞ったならそれは多分、ただ優しくしたかったというだけだろう。
そう考えれば、この感情が報われないだろうとさらに思う。
だからこそ惹かれるような気もする。
「小悪魔、暇ならお茶請けでも持ってきたら」
パチュリー様は、小悪魔に一通り話させてから、仕事の手を止めている事を指摘する。
我に返ったように慌ててこの場を離れていく小悪魔の背を見てから、パチュリー様が私をじっと見た。
なるほど、聞かれたくはない話という事だろうか。
「美鈴に」
その言い出しを聞くと、私は反射的にパチュリー様の声に集中していた。
「特別がいるとするならレミィね。主と従の関係であるけど…あとはレミィの味方と敵とそれ以外」
心当りがある。
つまり私と同じ。
あ、でも無いか。
私はその中にも区切りをつける。むしろそれぞれに対応は切り替える。
それに対し彼女はお嬢様の敵でさえ無ければ誰にでもあんな風に優しいという事だろうか。なるほど、頷けるかもしれない。
…いや、だとするならそれこそが彼女に惹かれる理由になるのではないだろうか。
「経験者が言うんだから、心に留めておいて損は無いわ」
経験者?
「お待たせしましたー」
「紅茶に煎餅ってどういうチョイスなのかしら」
「いや1から作るには時間かかりますし、ちょうどいいのがこれくらいしか」
頼まれた茶請けの文句と言い訳の応酬が目の前始まる。
口を挟んでまで聞き出す気にもなれず懐中時計を取り出すと、日の陰りだす頃だった。
そろそろ神社に居るお嬢様の迎えに行くべきだろう。
一枚も食べないのもあれなので、煎餅を一ついただいてから行くとしよう。
「それ、合うの?」
一通りやり取りも終わったらしく小悪魔はそこにはおらず、パチュリー様が眉を潜めてこちらを見ていた。
首を傾げて応答すると、彼女も煎餅に手を伸ばして食べ出した。
その微妙な表情を見るに、どうやら合わなかったらしい。
「すいません、これで失礼します。お嬢様を迎えに行ってきます」
私がそう言って椅子から立つと、パチュリー様は顔も上げず手を軽く振った。
「あ、おゆはんの希望あります?」
「なんでもいいわよ」
素っ気ない返事に笑みを返して外に向かう。私に気づいた小悪魔が離れたところから頭を下げたので、軽く手を振り返した。
外に出ると冷たい空気が肌を撫でた。
「あ、咲夜さん、お出かけですか?」
聞き慣れたはずの声が随分と新鮮に聞こえる。
「お嬢様が神社にいるから、その迎えにね」
そう言えばあの子の時もこんな心持ちだった気がする。
「またこっから冷えるんで、風邪とか気を付けて下さいね」
なるほど、もうしっかりと落ちてしまっているらしい。
普段何の気もなく返事したはずの言葉が胸に響く。
するのではなく落ちるとはよく言ったものだ。
立ち止まったまま返事もしない私を不思議に思ったのか、彼女が首を傾げた。
「貴女も寒いでしょ。帰ったら何か温かいもの用意するわ」
「ほんとですか、ありがとうございます」
笑みを浮かべて言えば、嬉々とした彼女の顔を見られた。
それを見て嬉しい。もっと見たい。
なるほど、これはどうしようもなく恋だろう。
やめておけという忠告はありがたいが、落ちてしまっては仕方ない。
「じゃ、行ってくるわね、美鈴」
パチュリー様は、小悪魔に人通り話させてから、
>パチュリー様は、小悪魔に一通り話させてから、
人通りやり取りも終わったらしく
>一通りやり取りも終わったらしく
何とも言えぬこの雰囲気いいですね~
個人的にはパチェの過去話をkwsk!
雰囲気は良いので、失恋相手を決めて書いていたらもっと面白くなってたと思います。
紅茶に煎餅は合うよ?
美鈴も周りも失恋した相手も関係なく、
ただただ咲夜さんが恋におちた話
きっと恋に落ちるってそういうものなのでしょうね