夢を見ている。
それは随分昔の夢で、その中の私は小さいというよりも幼いといった方がしっくりする位の年齢だ。
幼い私は、肩程まで伸びた金色の髪を揺らしながらとてとてと駆けていた。向かう先には、同じ位の年頃の子供達。
よせ。やめろ。
思わず声を上げるが、この夢は私の干渉を受け付けないらしい。幼い自分には届かない。
くそっ。
悪態を吐いて何とか目覚めないものかと画策するが、どうする事も出来ない。
そうしているうちに幼い私は子供達のところにたどり着く。そして、彼等ににっこりと笑いかけた。
私は思わず目を背けようとするが、金縛りのように身体が動かない。目を閉じる事すら叶わない。
ドン。幼い私は、子供達の中で一際体の大きい男の子に突き飛ばされた。そして、その隣にいた女の子が一言。
「化け物」
幼い私は何かに胸を貫かれたような表情をしたが、子供達は容赦をしない。その一言を合図のように、幼い私に様々な罵倒を浴びせかけた。
みるみる泣き顔になる幼い私。せっかく輪の中に入ろうとしたのに締め出され、顔をぐしゃぐしゃにして涙を流している。
はぁ。
目の前の情けない自分を見て、私はもやもやした感情で溜め息を吐いた。
だから、見たくなかったんだ。
別に、虐められているのはどうでもいい。
取るに足らない只の人間の輪に入れなくて悲しむ自分が、見ていて苛々するのだ。
私はもう、彼等とは違うのだから。
「魔理沙は、弱いね」
いや、私は強い。
私の飛ぶ姿は流れ星とも比喩されるくらいに眩く輝き、放つ魔法は闇を晴らし夜空を彩る。
里の連中には怯える事しか出来ない妖怪達だって、私には蹴散らす事が出来る。人間という括りからも、おおよそ逸脱しているように思える。毎日同じ事を繰り返して一生を終える彼等に比べて私は格段に強くて、自由で、もはや別の存在にしか思えない。例えばこの妖怪が出没する森だって、普通の人間じゃ入った瞬間御陀仏だ。
たった今も、一つの闇を晴らしたところだ。
それなのに。
「魔理沙は、弱いね」
その闇がそんな事を宣うものだから、思わず口をへの字に曲げてむっとする。
「二度言わなくても聞こえてるぜ。ルーミア、そういう事は私に勝ってから言えよ」
にへらにへら笑う闇を睨みつける。そいつは、先程やったスペルカード戦で服は焦げ跡だらけ。外傷こそないが、見るからにボロボロだ。
対して私は、擦り傷一つないし、服だって、このままパーティに出掛けられるくらいに綺麗なままだ。
私の圧勝は明らかだった。
此れ程までに力の差を見せ付けた相手に弱いなどと言われても、狂言としか思えない。負け惜しみでも、もっとマシなのが幾らでもあるだろう。
「うん、じゃあ――――そうする」
だから、ルーミアがそう言ってもただ面倒だと思うだけだ。懲りないな、とのんびりと箒を構えた。
戦いを再開させたルーミアは、相変わらずにへらにへら笑いながら此方を見ている。一見やる気無さそうだが、そうしてこちらの隙を窺うのがルーミアのスタイルだ。こちらも左手に八卦炉を握り、臨戦態勢を崩さずにルーミアを見据える。
そして、その瞳が闘志で鈍く光ったのを見逃さなかった。
来る。そう直感し、ルーミアの動きに全神経を一層集中させた。
が、見えたのは、地面を蹴った一瞬だけだった。
突進を悟り、避けようとした瞬間には喉を掴まれていた。片手でがっちりと締め上げられ、体が軽く宙に浮く。こいつ、こんなに速かったっけ。
「う……あ……」
思わず呻き声を上げながら苦悶の表情でルーミアを見下ろす。実に楽しそうな顔をしていた。背筋がぞっとする。私が苦しんでいるのを、こいつは本気で楽しんでいやがる。これが、妖怪。が、今はそれどころじゃない。
ルーミアの指を掴んで引き離そうとする。しかし、全力を出しているにも関わらずぴくりとも動かない。鋼鉄で出来ているのかと思うくらいに硬く、私はあまりに無力だった。
「やめ……ろ……」
なんとか声を絞り出して抗議するが、その力が緩まる事は無い。それどころか強まっているような気さえする。苦しみの中に怒りの混ざった目でルーミアを必死に睨みつけるが、ルーミアはそれを見て一層楽しそうな表情をした。
なんで、こんな事を。そんな思いに駆られながら身体全体を使って藻掻くが、ルーミアの締め上げる手は緩まない。身体がどれだけ蹴られても、楽しそうな表情が消える事は無い。もう、狂気を感じる。
「私の……負け、だ……」
解放されたくて、自分の敗北を宣言する。こんなものはスペルカード戦じゃない。ただの暴力だ。負けを認めるのは悔しかったが、そう思う事で自分を納得させた。
しかし、ルーミアの手は緩まない。楽しげな表情が、一層深まった。
なんで。酸欠により朦朧としてきた意識の中で、ルーミアの理不尽に対する疑問と憤慨を感じた。これまで感じた事の無いような激しい怒りが、身体の底からフツフツと湧き上がってくる。敗北宣言までしたのに、なんで。もう、許せない。左手に握った八卦炉にありったけの魔力を込める。
「なぁ……ルーミア」
声を出すのも苦しかったが、そうせずにいられなかった。私はもう、こいつを殺すつもりでやる。これが最後の会話になるかもしれないのだ。
「ん、何、魔理沙」
ルーミアは相変わらず楽しげな表情で、呑気な声で応える。私の苦しむ表情を見る事に集中し過ぎて、八卦炉に魔力が充填されていくのにも気付く様子が無い。それがお前の死因だよ、ざまぁみろ。
「私は……弱い、か?」
選んだ会話は、先程の続きだった。もし肯定するならば、力ずくで訂正させてやる。但し、あの世で。八卦炉に魔力が溜まり切るまで、あと少し。
「うん、弱いね」
ルーミアは、事もなげに応えた。当たり前でしょ、と言うように。子供に常識を教えるように。
「そうか、なら……」
死ね。
左手を挙げ、全ての魔力を込めた八卦炉をルーミアに向ける。この距離で、しかも、この魔力量だ。幾らしぶとい妖怪といえど、殺し切る自信はある。
マスタースパーク。
技名は叫ばずに、八卦炉から魔力を放出させた。雷が落ちたような轟音と共に白い極太の光が迸る、必殺の魔砲。全力で放たれたそれは視界を真っ白な世界に染め、ルーミアの姿をかき消した。それだけに留まらず、後ろにあった木々を切り倒し、土を抉りとり、土煙が晴れた後には目の前に新しい道が出来る。
「へへっ……」
その予想通りの威力に、思わず笑みが溢れる。やはり私は只の人間とは違う。明らかに、その領域を越えている。
私は立ち上がってパンパンと土汚れを払った。私を支えていたルーミアが居なくなって尻餅をつく格好になってしまい、おかげでお尻の部分が汚れたのだ。これじゃパーティにはいけないな。そんな事を考えると、笑いが込み上げた。
せっかくだから、この道を通ってみよう。どこまで続くか気になるし。私は上機嫌で、自分の作った道を歩いてみる事にした。いつも箒ばかりだし、たまには歩かないとな。ぼんやりとそんな事を考えた、その時。
「楽しそうだね、魔理沙」
耳元で、声がした。
それは、よく聞き慣れた、さっきまで会話をしていた声だった。
背筋が凍るような思いがして後ろを振り向こうとするが、首が動かない。いつの間にか、後ろから腕で首を締めあげられていた。
あの中を、どうやって。再び襲ってくる苦しみの中でそればかりが頭をよぎる。全力だった。手加減はしなかった。殺すつもりだった。
「もしかして、あの程度で死ぬとか思ってた?」
私の心の声に応えるように、甘ったるい声が耳元で囁かれた。あまりに耳に近すぎて脳に直接響くようで、不快でたまらない。
「そーなのかー」
一言も喋ろうとしない私の態度を肯定と受け取ったらしい。その表情は見えないが、きっと今も楽しそうな表情をしているのだろう。私を締め付ける力が一層強くなる。
私はこのまま死ぬのだろうか。ルーミアの腕の中で、そんな事を思う。何気に後頭部が胸に当たっている。どうせならもっとグラマーな奴が良かったな。
意識が、段々と遠のいていく。これが死ぬという事なのだろう。視界も段々とぼやけていく中、これまでの記憶が遡る。父親、母親、里の人達、紅魔館の連中、アリス、月人……。色んな連中に会ってきたが、思い出す連中は圧倒的に妖怪が多かった。
あぁ、アイツ等は今までどんな思いで私を見てきたんだろう。今まで考えもしなかった事が頭に浮かぶ。ルーミアでさえ、本当はこんなに強かったんだ。わざわざスペルカードなんて負ける可能性があるお遊びをしていたアイツ等は、本心では私を見下していたのではないか。それこそ、私が里の連中を見るように。
そう思うと、涙がぽろぽろと溢れてきた。堪らなく悲しくて、悔しかった。嗚咽が込み上げてきて、締め上げられている喉が余計に苦しくなった。
天狗、河童、幽霊、閻魔、神。頭の中に浮かんでは消える妖怪達は、どいつもこいつも私を馬鹿にした目をしていた。私が死ぬ事になんの関心も持っていないような、冷たい表情だった。
化け猫や八咫烏、さとり妖怪が出てきた所でいよいよ息が苦しくなった。このまま意識を手放したら、もう目が覚める事は無いだろう。そしたら私はルーミアに食べられるかもしれない。妖怪に食べられるなんて人間らしい終わり方をするなんて、ちっとも思っていなかった。
封印されていた仏僧とそれを慕う連中、何年かぶりに蘇えってきた聖人がそれぞれ出てきて、私を軽蔑したような目で見て去っていく。行かないで、と叫びたかったが、生憎大きい声が出ない。
そして、諦めと絶望の中で最後に現れたのは、昔からよく知る友人だった。艷やかな黒い髪が巫女装束によく映える、同い年の女の子。
「霊……夢」
思わず、その名前を呟く。その少女だけは、真っ直ぐな瞳で私を見つめていた。軽蔑も尊敬も無く、見上げても見下してもいない。只々真っ直ぐで、引き込まれるような瞳だった。
「霊、夢」
もう一度、今度は先程よりもはっきりとその名前を呼んだ。喋るたびに喉が痛かったが、そんな事は関係が無かった。私よりもいつも少し先を行く、私と同じ人間の名前を噛み締めるようにただ呼んだ。
「霊夢」
更にもう一度呼びかけると、私の頭の中にいた少女が面倒臭そうな顔をして、返事をしたような気がした。
目を覚ますと私は森の中にいて、ルーミアはいなかった。ここが天国、或いは地獄ですと紹介されたら、あまりに此岸に似ていると吃驚するだろう。それに、私の放ったマスタースパークの跡もしっかりある。足を確認すると、ちゃんと生えていた。一応、生きているみたいだ。
安心して、はぁ、と溜め息を吐く。
助かったのは嬉しいが、ルーミアの行動の理由が分からくて、もやもやする。途中で気が変わったのか、最初からからかうだけのつもりだったのか。何故私を殺そうとしたのかも、何故それをやめたのかも分からない。直接訊いてみたいけど、また会うのはちょっと怖い。
取り敢えず今日はもう疲れたので、家に帰ってさっさと寝よう。まだなんかぼーっとするが、ゆっくりと立ち上がる。
それにしても。
「私はまだまだ、人間だったんだな」
そうしみじみと思う一日だった。
「スペルカード決闘法、破ったわね」
目を覚ましてふらふらと帰路につく魔理沙を陰から見届けるルーミアに、すぐ後ろから声がかかる。気配も何も感じなかった。一体何時から見ていたのかも見当すらつかない。その不気味さから声の主を殆ど特定して、ルーミアは振り返った。
そこには、予想通り、八雲紫が胡散臭い笑みを浮かべていた。空間の裂け目に腰を掛けて、扇子をひらひらとさせている。
「罰なのかー?」
「まさか。魔理沙のためでしょう?」
ルーミアが訊くと、紫は胡散臭い笑みのまま答えた。当たり前ではあるが、お見通しというわけだ。こいつとさとり妖怪とはあまり会話をしたくない。
「なんか、踏み越えようとしていたからね。魔法使いになるなら止めはしないけど、そこらの妖怪になったらつまらないし」
ルーミアは肩を竦めてそう言った。魔理沙が人間の自分を忘れて妖怪に身を堕としそうであった事くらい、分っているだろうけど。
「貴方みたいに?」
紫が、扇子で口元を被って言う。瞬間、ルーミアがピクリと反応した。一瞬ではあるが、鳩が豆鉄砲を食らったような表情になる。
「……さぁ、ね」
それでも、何とか適当を装ってそう答えた。私が妖怪になったのなんて、幻想郷に来る前の話だ。金髪が珍しくて虐められて、次第に人間を憎んで闇に落ちたという過去までまさか知っているとは。ここまでお見通しだとは、正直予想以上だ。
ルーミアは紫の表情を窺うが、扇子の下にあるのがいつもの胡散臭い笑みなのか違うのか、ルーミアには判別出来ない。すぐに短い溜め息と共に諦めた。
「でも、まぁ。もう大丈夫でしょ」
そう言って、右手に視線を向ける。手の甲に小さいが引っ掻き傷があり、赤い血が滴っている。魔理沙を締め上げている時に出来たものだ。普通の人間程度の力じゃ傷など出来ない。必死の内に、魔法で指を強化したのだろう。魔力が傷口に染み込んでいるので、中々塞がらずに、暫く時間がたった今でも血が流れ続けている。
ルーミアは、真っ赤な血に染まる自身の手を美味しそうに眺め、
「魔理沙は、強いし。」
ペロリと舐めて、呟いた。
つまらない妖怪よりは面白い人間って感じなのかな
後日談とかもっとエピソード入れても良かったかな。
会話やエピソードは足りなく感じましたが、伝えたいことが感じられて良かったです。
霊夢も魔理沙も人間でいてほしいしね
後半。三人称と一人称が入り混じってて違和感がありました。それはどちらかに統一された方が良いかと。