私は文を名前で呼ぶようになった。
「はたて、最近明るくなりましたね」
文にそういわれると、うれしいようなくすぐったいような、不思議な感覚に囚われる。
「私に惚れるとやけどしますよ?」
もう手遅れだと言うと、文はまた困ったような顔になった。
「あ、いや先に言っときますけど同姓には興味ないですからね」
知ってるもん。
◆
2人で温泉に行って以来、私は自分を取り繕うのをやめた。
もともと自分すらろくに騙せてはいなかったのだ。
過剰な台詞回しでとぼけるのは卒業し、ありのままの自分を受け入れようと思う。
顔は並以下で知能は底辺で体はチビでガリガリ、それを認めたとき、強烈な吐き気に襲われた。
でもこれでいい。
トイレでゲーゲーやりながら私は思った。
これが、これこそが今まで私が目を背けていたものなのだ、と。
逃げ出すものにツケを払わせる、現実と言う名の怪物なのだと。
他のみんなはいつだってこれと向き合い、傷つきながらも踏ん張っている。
だからこそ、ああも輝いて見えるのだ。
そして私も、遅ればせながら参戦を決意した。
まず始めに部屋の掃除から始めた。
文が言うには部屋の汚れは心の汚れだと言う。
もっともだ、と思い、いる物いらない物を分けていった。
途中掘り出した漫画を読みそうになったが、そのたびに文の言葉を思い出して耐えた。
しかし、いいかげん耐えるのにしんどくなった私は、思い切って漫画を全部売ってしまった。
200冊以上あったが、買い取り価格は1680円だった。
ひどい搾取を見た。
しかしこれで部屋は広くなった。
散乱していた雑誌も捨て、確実に必要なもの以外すべて処分してしまう。
さすがに本棚までは処分すること無いと思い、それは思いとどまった。
さて、ついでだし下着類も一新してしまおうかと思い、いくらあったかなと財布を開く。
5000円と少し。
先ほどの古本の代金を含めてそれである。
いやな予感がし、貯金も確認してみた。
14万円と少し。
自らの視神経の損傷を疑っていたところ、アパートの家賃を滞納していることを思い出した。
思い出さなければよかった。
うちは築35年の木造アパートで、私の住む105号室(角部屋)は6畳ひと間の安普請。
健康で文化的な最低限度の生活もままならない住居ではあるが、家賃は4万円もする。
それを2ヶ月滞納している。
そして明後日が今月分を支払う日である。
さしあたり私は大家の所へ行き滞納分だけ支払うと、今月分はもう少しだけ待ってもらえるよう頼み込んだ。
恥も外聞も無かった。
思いのほかリミットが迫っていることを痛感した私は、意を決してもといた新聞社への復職を試みた。
胃がねじ切れるような思いで面接に臨んだが、やはりというか当然というか、不採用となった。
しかし面接にあたった元上司は、意外にも親身になって話を聞いてくれた。
あらん限りの罵詈雑言を覚悟していた私は拍子抜けした。
不採用にこそなったが、最後には私を応援してくれ、回せるような仕事が無いかどうか探してくれるとまで言ってくれた。
何だこれは、ビビッてた私が馬鹿みたいじゃないか。
案ずるより生むが易し、ということわざを始めて実感した。
それを文に話したら、案じてるのは第3者だからこの場合は当てはまらないと言われた。
マジレスされるとは思わなかった。
◆
就職活動を続けていたら、意外な人物に会うこととなった。
「お久しぶりです」
犬走さんだった。
里の図書館で書庫整理の仕事をしてみないかという話だった。
話の内容より、犬走さんが話しかけてきたことに驚いた。
私のことなんてどう贔屓目に見ても『変な牛乳の奇人』くらいにしか思ってないはずなのに。
と思ったが聞いて納得、文の差し金だった。
しかしこのことに文は関係しておらず、あくまでも犬走さんの好意ということらしい。
いくらなんでも人のことを舐めすぎだったが、今の私にそんなことを言う資格は無い。
ありがたく頂戴することにした。
どうやら幻想郷では識字率そのものが低く、書庫整理ができる人材すらろくに確保できないのだという。
『読み書きができる』。
これは幻想郷おいて立派なスキルらしい。
それを聞いた私は、少しだけ未来に希望が見えた。
今まで書いてきた新聞は無駄じゃなかったのだ。
書庫整理の仕事は単純明快。
本を作者ごとにあいうえお順で並べる。
言葉にすればこれだけだ。
だが量が膨大だ。
何冊あるのかと仕事の説明をしてくれた職員に聞いてみた。
「10万3000冊くらいかな」
と言われた。
嘘つくな。
棚ひとつに平均20冊くらいで、本棚に棚が8列あって、本棚が15~16あるから……
2500冊くらいだろうか?
これでも人里ではそこそこ大きいほうなのだろう。
私はさっそく仕事に取り掛かった。
とりあえず『あ』から始める。
ある程度は『あ』の人で固まっているので、そんなに難しくないように思えた。
しかし『か』の人を探すうちに『い』の人を見つけ、棚を詰めようと思ったらぎりぎりで入らず、結局いったん『い』以降の本を棚から下ろす羽目になる。
これ1回全部の本を棚から出したほうが早くは無かろうか。
でもある程度固まっているものをリセットするのも効率が悪い。
ジレンマだ。
これを1週間、1人でやるのだ。
私は自分の頬を張り、気合を入れなおした。
私は働いた。
朝から晩までろくに休憩も取らずにひたすら本と格闘した。
図書館に行き、本を並べ、気がつくと1日が終わっていて、家に帰り、寝る。
そんな生活が続いた。
続いたことに驚いた。
職員の人にもほめられた。
自分にこんなに集中力があるとは思わなかった。
そういえば記事を書いているときも時々筆が止まらなくなり、書きたいことが次から次へと浮かんでくることがあった。
いわゆる『筆が乗る』というやつだが、まさか本を片付けていても起こることだとは思わなかった。
気が付けば、本の整理は6日で終わっていた。
自分が一番驚いている。
それでも給料は7日分出るというので、ありがたく頂戴することにした。
6万円。
もとの予定より4000円多い。
館長からの気持ちだという。
また今度も頼むという。
涙が出た。
ごまかす必要は無い。
涙が止まらなかった。
私は少しだけ、自分のことを好きになった。
真っ先に文に報告した。
文は自分のことのように喜んでくれた。
文も文で私が何か仕出かしてないか気が気ではなかったらしい。
案ずるより生むが易し、ということわざを始めて実感した。
それを文に話したら、『うるさい』と言われた。
文の瞳が、少し潤んでいるように見えた。
◆
いかに自分を鼓舞しても、世間はこうも世知辛い。
私はまだバイトをひとつ終わらせただけなのだ。
しかし今まではこれすらろくにできなかったのだ。
妖怪にとっては小さな一歩でも、私にとっては大きな一歩なのだ。
こんなところじゃ終われない。
背中の羽はさび付いたけど。
心も体もずたぼろだけど。
大丈夫、まだ飛べる。
了
「はたて、最近明るくなりましたね」
文にそういわれると、うれしいようなくすぐったいような、不思議な感覚に囚われる。
「私に惚れるとやけどしますよ?」
もう手遅れだと言うと、文はまた困ったような顔になった。
「あ、いや先に言っときますけど同姓には興味ないですからね」
知ってるもん。
◆
2人で温泉に行って以来、私は自分を取り繕うのをやめた。
もともと自分すらろくに騙せてはいなかったのだ。
過剰な台詞回しでとぼけるのは卒業し、ありのままの自分を受け入れようと思う。
顔は並以下で知能は底辺で体はチビでガリガリ、それを認めたとき、強烈な吐き気に襲われた。
でもこれでいい。
トイレでゲーゲーやりながら私は思った。
これが、これこそが今まで私が目を背けていたものなのだ、と。
逃げ出すものにツケを払わせる、現実と言う名の怪物なのだと。
他のみんなはいつだってこれと向き合い、傷つきながらも踏ん張っている。
だからこそ、ああも輝いて見えるのだ。
そして私も、遅ればせながら参戦を決意した。
まず始めに部屋の掃除から始めた。
文が言うには部屋の汚れは心の汚れだと言う。
もっともだ、と思い、いる物いらない物を分けていった。
途中掘り出した漫画を読みそうになったが、そのたびに文の言葉を思い出して耐えた。
しかし、いいかげん耐えるのにしんどくなった私は、思い切って漫画を全部売ってしまった。
200冊以上あったが、買い取り価格は1680円だった。
ひどい搾取を見た。
しかしこれで部屋は広くなった。
散乱していた雑誌も捨て、確実に必要なもの以外すべて処分してしまう。
さすがに本棚までは処分すること無いと思い、それは思いとどまった。
さて、ついでだし下着類も一新してしまおうかと思い、いくらあったかなと財布を開く。
5000円と少し。
先ほどの古本の代金を含めてそれである。
いやな予感がし、貯金も確認してみた。
14万円と少し。
自らの視神経の損傷を疑っていたところ、アパートの家賃を滞納していることを思い出した。
思い出さなければよかった。
うちは築35年の木造アパートで、私の住む105号室(角部屋)は6畳ひと間の安普請。
健康で文化的な最低限度の生活もままならない住居ではあるが、家賃は4万円もする。
それを2ヶ月滞納している。
そして明後日が今月分を支払う日である。
さしあたり私は大家の所へ行き滞納分だけ支払うと、今月分はもう少しだけ待ってもらえるよう頼み込んだ。
恥も外聞も無かった。
思いのほかリミットが迫っていることを痛感した私は、意を決してもといた新聞社への復職を試みた。
胃がねじ切れるような思いで面接に臨んだが、やはりというか当然というか、不採用となった。
しかし面接にあたった元上司は、意外にも親身になって話を聞いてくれた。
あらん限りの罵詈雑言を覚悟していた私は拍子抜けした。
不採用にこそなったが、最後には私を応援してくれ、回せるような仕事が無いかどうか探してくれるとまで言ってくれた。
何だこれは、ビビッてた私が馬鹿みたいじゃないか。
案ずるより生むが易し、ということわざを始めて実感した。
それを文に話したら、案じてるのは第3者だからこの場合は当てはまらないと言われた。
マジレスされるとは思わなかった。
◆
就職活動を続けていたら、意外な人物に会うこととなった。
「お久しぶりです」
犬走さんだった。
里の図書館で書庫整理の仕事をしてみないかという話だった。
話の内容より、犬走さんが話しかけてきたことに驚いた。
私のことなんてどう贔屓目に見ても『変な牛乳の奇人』くらいにしか思ってないはずなのに。
と思ったが聞いて納得、文の差し金だった。
しかしこのことに文は関係しておらず、あくまでも犬走さんの好意ということらしい。
いくらなんでも人のことを舐めすぎだったが、今の私にそんなことを言う資格は無い。
ありがたく頂戴することにした。
どうやら幻想郷では識字率そのものが低く、書庫整理ができる人材すらろくに確保できないのだという。
『読み書きができる』。
これは幻想郷おいて立派なスキルらしい。
それを聞いた私は、少しだけ未来に希望が見えた。
今まで書いてきた新聞は無駄じゃなかったのだ。
書庫整理の仕事は単純明快。
本を作者ごとにあいうえお順で並べる。
言葉にすればこれだけだ。
だが量が膨大だ。
何冊あるのかと仕事の説明をしてくれた職員に聞いてみた。
「10万3000冊くらいかな」
と言われた。
嘘つくな。
棚ひとつに平均20冊くらいで、本棚に棚が8列あって、本棚が15~16あるから……
2500冊くらいだろうか?
これでも人里ではそこそこ大きいほうなのだろう。
私はさっそく仕事に取り掛かった。
とりあえず『あ』から始める。
ある程度は『あ』の人で固まっているので、そんなに難しくないように思えた。
しかし『か』の人を探すうちに『い』の人を見つけ、棚を詰めようと思ったらぎりぎりで入らず、結局いったん『い』以降の本を棚から下ろす羽目になる。
これ1回全部の本を棚から出したほうが早くは無かろうか。
でもある程度固まっているものをリセットするのも効率が悪い。
ジレンマだ。
これを1週間、1人でやるのだ。
私は自分の頬を張り、気合を入れなおした。
私は働いた。
朝から晩までろくに休憩も取らずにひたすら本と格闘した。
図書館に行き、本を並べ、気がつくと1日が終わっていて、家に帰り、寝る。
そんな生活が続いた。
続いたことに驚いた。
職員の人にもほめられた。
自分にこんなに集中力があるとは思わなかった。
そういえば記事を書いているときも時々筆が止まらなくなり、書きたいことが次から次へと浮かんでくることがあった。
いわゆる『筆が乗る』というやつだが、まさか本を片付けていても起こることだとは思わなかった。
気が付けば、本の整理は6日で終わっていた。
自分が一番驚いている。
それでも給料は7日分出るというので、ありがたく頂戴することにした。
6万円。
もとの予定より4000円多い。
館長からの気持ちだという。
また今度も頼むという。
涙が出た。
ごまかす必要は無い。
涙が止まらなかった。
私は少しだけ、自分のことを好きになった。
真っ先に文に報告した。
文は自分のことのように喜んでくれた。
文も文で私が何か仕出かしてないか気が気ではなかったらしい。
案ずるより生むが易し、ということわざを始めて実感した。
それを文に話したら、『うるさい』と言われた。
文の瞳が、少し潤んでいるように見えた。
◆
いかに自分を鼓舞しても、世間はこうも世知辛い。
私はまだバイトをひとつ終わらせただけなのだ。
しかし今まではこれすらろくにできなかったのだ。
妖怪にとっては小さな一歩でも、私にとっては大きな一歩なのだ。
こんなところじゃ終われない。
背中の羽はさび付いたけど。
心も体もずたぼろだけど。
大丈夫、まだ飛べる。
了
》私は少しだけ、自分ことを好きになった。
自分「の」
でもこの長さならSSに組み込んでも良かった気はする。
なんにせよ、はたての新しい門出に祝砲。どかーん。
魔導書図書館?
はたての頭が……
寂しくなくなったと気付くのって、素晴らしいことだ。
「はたての生活」が人間的に書かれているんだけれど、落し込みを現代的リアリズムで書こうとするあまり、よくわからない印象。
漫画200冊とか、家賃滞納の具体的金額とかが、不可侵すぎて文やはたてという名前だけがそこにあるような感覚を受けたかな。
端的なサクセスの枠組みはあるだけに、もうちょっと何かが欲しいと思ってしまう。