11
「パチュリー様、フラン様を見ませんでしたか?」
「妹様ならティーセットを買いに行ったわ、咲夜へのプレゼントだって」
「あ、パチュリー様ー、咲夜さん知りません?」
「接着剤を買いに行ったわ」
◆
12
僕である。
リグルである。
ナイトバグである。
今日は愛すべき駄雀の小汚い屋台で、うなぎ食い放題なのである。
廃棄処分である。
仕入れをミスったのである。
以下は僕を食事へと誘う際、ミスちーの発した言葉である。
「いやー、ちょっと手違いで4と9間違えちゃってさー、自棄になって焼きまくってたら炭もなくなりそうでさー、せっかくだからタレも使い切りたくてさー、よかったら私もた・べ・て」
馬鹿丸出しである。
すべての文節から知能の低さが伝わってくるのである。
「限りある資源を何だと思ってんだよ」
最初の2枚、いや3枚までは僕もおいしく食べられた。
枚数が片手の指では数えられなくなったころ、調味料が欲しくなった。
両手の指でも足りなくなったころ、エチケット袋が欲しくなった。
僕は食べるふりをして下に捨てるのもそろそろ限界かなと思い始めた。
◆
13
バー『セブンセンシズ』。
ロックのカクテルとおいしい煮物が売りの人里の店だ。
八雲御用達(ロイヤルブランド)取得から早4ヶ月、今日も店内は妖怪のお客さんで賑わっている。
「人来るようになったねー」
猫の少女が笑う。
「お客さんのおかげですよ」
「えへへー」
こういうお客さんとの何気ない会話、私がかねてから求めていたものだった。
そして今日も煮物がたくさん売れた。
大変に良き事だ。
明日はもう少しお酒も売れないだろうか。
◆
14
昔、幽香が貧乏だったころ、養蜂業を勧めたことがあった。
幽香が花を用意し、僕が蜂を用意。
幽香に蜜を多めに分泌させてもらい、僕は特定の範囲の花だけを狙うように命ずる。
取れたハチミツの半分を幽香が受け取り、もう半分は取った蜂のもの。
グルメな蜂を用意した甲斐があり、ハチミツは里で大ヒットした。
花は効率的に受粉ができてハッピー。
蜂は安定して安全に蜜が確保できてハッピー。
幽香は収入が2倍に膨れ上がってハッピー。
僕は働かずして売り上げの2割をもらえてハッピー。
という夢の幸せ方程式が形成された。
数ヵ月後、幽香はハチミツを売るのをやめた。
蜂が怖くて花畑に人が近づかなくなったからだそうだ。
◆
15
いつか射命丸さんに言われた『今度一緒に旅行にでも行きましょう』というのは、温泉のことだったらしい。
本当は駄目なのだが、内緒で地底にまで足を伸ばすという。
駄目といわれることに限って無性にやりたくなってしまう。
それはこの天の遣わした芸術作品たる姫海棠はたてにとっても同じことだった。
それゆえ、禁忌を破り旧地獄へと歩を進める私はゾクゾクするような背徳感と、山の不当な規律に対抗する興奮に武者震いが止まらなかった。
「は、はたて、大丈夫ですか? 顔が青いですよ? やっぱり戻りますか?」
ああ、射命丸さんはなんて優しいのだろう。
私の心は未知への好奇心で胸いっぱい、元気百倍人一倍だというのに。
しかし射命丸さんが勘違いするのも無理は無い、それほどまでに旧都への洞窟は薄暗かった。
それゆえか、私の五感は逆に研ぎ澄まされている。
今なら1km先に落ちたうなぎの蒲焼の音だって聞き分けられるだろう。
しかしいかんせん自分の心臓の音がうるさすぎて何も聞こえない。
これはどうしたことだろう。
神は私に何が言いたいのだろう。
こういうとき、私は自分の未熟さに気付かされる。
このような状況下においても他人を気遣う射命丸さんを見習うべきだ。
「あー、あれですよ? 禁止されてるっていっても表向きだけで結構出入りはあるんですよ、この間なんてルール作った大天狗自身が飲みツアーとかやってましたし」
なぁんだ、つまんないの。
この旅行を刺激的にするほんのちょっとワルな感じを楽しんでいたかったのに。
「あ、大丈夫そうですね、もうすぐ旧都に着きますよ」
まあ、いい大人が童心に返るのも悪くないが、少し悪乗りしすぎた感はあった。
それを射命丸さんは見かねたのだろう、さすがは私の1番の親友、諭し方もクールだ。
宿に着き、部屋に通された。
料理より先に温泉を、と手馴れた感じに仲居さんに告げる射命丸さんはやはりかっこいい。
私は日ごろから取材も執筆も思索も戦略的休憩も自分のアパートで済ませてしまうため、こういうのはひどく不慣れだ。
さすがは私の1番の親友、彼女といると自分にもまだ至らないところが残っていることに気付かされる。
「ここの温泉はいいですよー、肩こりに効くんですから」
なるほど、馬車馬のごとく働く白狼天狗と違って、我々カラス天狗の仕事はデスクワークを主としている。
それゆえカラス天狗と肩こりとは切っても切れない関係にあるのだが、普段から健康に気を遣う私には無縁の話だった。
たまに突然胸が苦しくなって呼吸が乱れることがあるが、だれかがうわさでもしているのだろう。
ただ、射命丸さんの苦悩が理解できない、その事実だけがチクリと胸の奥に刺さった。
脱衣所を抜け、浴場に出る。
温泉宿だけあって浴槽は広い、それに掃除が行き届いていて清潔そうだ。
後はこれで青い空が見えれば完璧なのだが、見えるのは無骨な天井ばかり。
まあひとつくらい欠点があったほうがかえって魅力があるものだ。
ふと射命丸さんのほうを見る。
思わず見とれてしまいそうになる。
端正な顔立ち、ほどほどにふくよかな胸、うっすら割れた腹筋、すらっと伸びた足、全体的に引き締まった天狗の体。
「なにじろじろ見てるんですか」
射命丸さんはからかうように言う。
今まで見たこと無かったが、黒い瞳も綺麗だった。
それに比べて私の体はどうだろう。
日本の妖怪にはボン・キュ・ボンなどと言う下品な擬音は似合わない。
清貧を是とし、スレンダーな体を維持するべきなのだ。
16世紀のイタリア、ルネッサンス全盛期の巨匠がその人生をかけて作ったとしか思えない完璧な体躯を持つ私である。
これで後は手首に傷さえなければ完璧なのだが、まあひとつくらい欠点があったほうがかえって魅力があるものだ。
風呂はよかった。
普段はシャワーだけで済ませてしまうため、湯船に浸かること自体がなかなか無いのだ。
近くの銭湯に最後に行ったのも、たぶん5年は前の話だろう。
風呂上りには当然のごとく牛乳を飲む。
コーヒー牛乳やフルーツ牛乳などに惑わされる(#検閲#)野郎などは毒蛇に噛まれてのた打ち回ればいいのだ。
「いやー風呂上りにはこれですよね」
射命丸さんも牛乳を飲む。
これでコーヒー牛乳飲んでたらどうしようかとちょっとドキドキしたが、何のことは無かった。
そう、射命丸さんに限って心配は要らなかった。
私は親友を疑う自らを恥じた。
そうこうする内に食事が運ばれてくる。
こうして誰かと夕餉を囲むのはいつ以来だろう。
私の思考はただそれだけに囚われ、あっという間に食べ終わってしまった。
おいしかったか、何を食べたのか、そもそも本当に食事をしたのかどうか、なにも思い出せない。
射命丸さんは優しい顔をしている。
布団はいつの間にか敷いてあった。
射命丸さんに聞いてみると、風呂からあがった時にはすでに敷いてあったという。
牛乳に夢中になりすぎて気がつかなかったと言ったら笑ってくれた。
朝まで大天狗の悪口でも言い合っていたかったが、そういうわけにもいかない。
夜は、とても、静かだった。
「……」
射命丸さんが何か言った。
「……ひっ」
どうしたのだろう、よく聞こえない。
「ひぐ、ぐす……」
泣いているのだろうか。
いったいどうしたというのだろう。
射命丸さんが泣いている。
こういう時どうしたらいいのか分からない。
才色兼備で文武両道な私だったが、この天狗の宝たる頭脳をもってしても、射命丸さんにかける言葉は見つからない。
私の心は怒りに震えた。
どれほどの功績を並べても、いかなる財を築いても、すぐ横にいる親友の涙が止められないのなら、何の意味もないではないか。
「……うぐ、ううう」
射命丸さんの嗚咽が聞こえるたび、胸が締め付けられた。
神よ、悪魔よ、居るのは知っている。
私はもう何も要らない、頭脳も容姿も命も要らない。
だから、親友の涙を止めてください。
「はたて」
射命丸さんの声が聞こえた。
不思議とはっきりした声だった。
「泣かないで」
布団のなかで手を握られた。
手はとても暖かかった。
きっと温泉に入ったからだ。
限界はとっくに超えていた。
あや、助けてください。
◆
16
「いろんな意味で重すぎんだよ馬鹿野郎」
僕は必死にミスちーの屋台を押す。
地面のくぼみにはまって動けなくなったと飛んできたのは2時間前のこと、それからずっとこれ。
「ふんぬぬぬぬぬ」
隣で力む馬鹿の顔は、ちょっとお嫁に行けないレベルに達していた。
幽香早く来て。
そしてこいつをぶっ飛ばして。
「ミスちー、いいこと思いついた」
「まーじで?」
「その辺の花を踏み潰すんだ、きっと幽香が飛んでくる」
「あきらめんな!」
屋台は重い。
しかしいくらなんでも動かなさ過ぎだろうと思い、くぼみの部分を確認する。
確かに車輪がはまってはいるが、別にどこかに引っかかったりはしていない。
妖怪2人で押して動かないのは不自然だった。
ふと屋台の中を覗いてみる。
ゴロンと鬼が転がり出てきた。
「……」
「……」
熟睡している。
両脇に天狗と河童を抱えている。
3人とも酔いつぶれている。
そうか、酒臭いのは酒瓶が割れたとかじゃなくてこいつらだったか。
そうかそうか。
「……おい」
「は、はい!」
「ロープ持って来い」
「え!?」
「グルグル巻きにして冥界に放置してやる」
「私を!?」
僕の怒りのボルテージはとっくに限界を超えていた。
◆
17
幻想郷には伝説になっているハチミツがあるらしい。
かつて花の妖怪が少量だけつくり、限定販売した幻の一品。
その味は天界の雫。
その香りは死者すらよみがえらせる。
一口なめれば病魔も逃げ出す栄養価。
食べたい、食べてみたい。
当時、私は春雪異変の準備に忙しく、知ったときにはすでに生産中止。
残ったハチミツの値は高騰し、里の金持ち連中のコレクションとなってしまった。
製造元に確認しても、もうやらないの一点張り。
食い下がっていたらいつぞやの佃煮と手羽先が襲い掛かってくるし、危なっかしくて近づけないわ。
でもいいの、持つべきものは友達なの。
このハチミツの話をしたら、ちょうどコレクションしていたらしいの。
それが今日うちに届いた。
妖夢に頼んでホットケーキも焼いてもらった。
藍ちゃんにものすごく睨まれたけど、思い切って頼んでよかった。
琥珀色の奇跡をホットケーキにかける。
ケチっては意味がない、たっぷりと。
「いただきます」
口に入れた瞬間、衝撃が走った。
舌に走る甘味、歯にまとわりつく粘性、脳を揺るがすアドレナリン、止まらない涙。
これか、これなのか。
私は何もかもを忘れ、ひたすらホットケーキを、いやハチミツをむさぼった。
とても淑女の行いとは思えなかったが、かまわなかった。
生まれてきてよかった。
私は心の底から満たされた。
「紫様、よろしかったのですか? 楽しみにしてたじゃないですか、今からでも遅くはありませんあの亡霊の腹を掻っ捌いて活け作りにしましょう」
「いやあれ市販のハチミツだし」
「え?」
「せっかく藍が買ってきてくれたんだもの、幽々子なんかにあげるわけ無いじゃない」
どうせ気付かないしー、と紫様は少女のように微笑んだ。
ハチミツをかけて舐めとりたいと思った。
◆
18
今日、私は友人らとちょっとした会合を開いた。
よく一緒に飲みに行く妖夢をはじめ、妖夢の誘った兎のお姉さん、最近知り合ったお寺のネズミちゃん。
初対面の人もいたため、軽く自己紹介。
最近幻想郷で製造されるようになった麦酒で乾杯。
モツ煮を肴にお酒は進む。
友と過ごせばお酒は回る。
私たちはどこか似通っていた。
ほろ酔い気分で体も火照る。
ぐだぐだ始まる上司の悪口。
お酒に任せてぺらぺらと、しゃべりしゃべるは罵詈雑言。
「ウチの主人はわがまま放題」
「ウチの師匠はかまってくれない」
やっぱりいろいろ溜まっているのだ。
でもさすが、みんなよくよく分かってる。
まる事前に示したように、誰もが誰にも同意しない。
ただただ1人でしゃべるだけ、とても会話になっていない。
これでいい、これでいいんだ。
自分が言うのは心地いい、人が言うのは耐えられない。
いかなる理由があろうとも、藍様の悪口は許さない。
他のメンツもみんなそう。
私たちはどこか似通っていた。
◆
19
私だ。
ミスティアだ。
ローレライだ。
将来的にはナイトバグだ。
今日は未来の旦那を屋台に呼んでうなぎ食べ放題を振舞っている。
誘い文句がよかったのか、リグルはほいほいと付いて来てくれた。
仕入れる数間違えたなんて嘘ついてまで誘った。
おいしそうに食べてるお前が愛おしい。
それがもっと見たくて、腕によりをかけて作ってしまう。
今日はたくさん食べてってくれよな。
◆
20
「パチェ、咲夜どこ行ったか知らない?」
「花の種を買いに行ったわ、新しい紅茶を作るそうよ」
「パチェー、お姉さまどこにいるか知らない?」
「除草剤を買い行ったわ」
了
「パチュリー様、フラン様を見ませんでしたか?」
「妹様ならティーセットを買いに行ったわ、咲夜へのプレゼントだって」
「あ、パチュリー様ー、咲夜さん知りません?」
「接着剤を買いに行ったわ」
◆
12
僕である。
リグルである。
ナイトバグである。
今日は愛すべき駄雀の小汚い屋台で、うなぎ食い放題なのである。
廃棄処分である。
仕入れをミスったのである。
以下は僕を食事へと誘う際、ミスちーの発した言葉である。
「いやー、ちょっと手違いで4と9間違えちゃってさー、自棄になって焼きまくってたら炭もなくなりそうでさー、せっかくだからタレも使い切りたくてさー、よかったら私もた・べ・て」
馬鹿丸出しである。
すべての文節から知能の低さが伝わってくるのである。
「限りある資源を何だと思ってんだよ」
最初の2枚、いや3枚までは僕もおいしく食べられた。
枚数が片手の指では数えられなくなったころ、調味料が欲しくなった。
両手の指でも足りなくなったころ、エチケット袋が欲しくなった。
僕は食べるふりをして下に捨てるのもそろそろ限界かなと思い始めた。
◆
13
バー『セブンセンシズ』。
ロックのカクテルとおいしい煮物が売りの人里の店だ。
八雲御用達(ロイヤルブランド)取得から早4ヶ月、今日も店内は妖怪のお客さんで賑わっている。
「人来るようになったねー」
猫の少女が笑う。
「お客さんのおかげですよ」
「えへへー」
こういうお客さんとの何気ない会話、私がかねてから求めていたものだった。
そして今日も煮物がたくさん売れた。
大変に良き事だ。
明日はもう少しお酒も売れないだろうか。
◆
14
昔、幽香が貧乏だったころ、養蜂業を勧めたことがあった。
幽香が花を用意し、僕が蜂を用意。
幽香に蜜を多めに分泌させてもらい、僕は特定の範囲の花だけを狙うように命ずる。
取れたハチミツの半分を幽香が受け取り、もう半分は取った蜂のもの。
グルメな蜂を用意した甲斐があり、ハチミツは里で大ヒットした。
花は効率的に受粉ができてハッピー。
蜂は安定して安全に蜜が確保できてハッピー。
幽香は収入が2倍に膨れ上がってハッピー。
僕は働かずして売り上げの2割をもらえてハッピー。
という夢の幸せ方程式が形成された。
数ヵ月後、幽香はハチミツを売るのをやめた。
蜂が怖くて花畑に人が近づかなくなったからだそうだ。
◆
15
いつか射命丸さんに言われた『今度一緒に旅行にでも行きましょう』というのは、温泉のことだったらしい。
本当は駄目なのだが、内緒で地底にまで足を伸ばすという。
駄目といわれることに限って無性にやりたくなってしまう。
それはこの天の遣わした芸術作品たる姫海棠はたてにとっても同じことだった。
それゆえ、禁忌を破り旧地獄へと歩を進める私はゾクゾクするような背徳感と、山の不当な規律に対抗する興奮に武者震いが止まらなかった。
「は、はたて、大丈夫ですか? 顔が青いですよ? やっぱり戻りますか?」
ああ、射命丸さんはなんて優しいのだろう。
私の心は未知への好奇心で胸いっぱい、元気百倍人一倍だというのに。
しかし射命丸さんが勘違いするのも無理は無い、それほどまでに旧都への洞窟は薄暗かった。
それゆえか、私の五感は逆に研ぎ澄まされている。
今なら1km先に落ちたうなぎの蒲焼の音だって聞き分けられるだろう。
しかしいかんせん自分の心臓の音がうるさすぎて何も聞こえない。
これはどうしたことだろう。
神は私に何が言いたいのだろう。
こういうとき、私は自分の未熟さに気付かされる。
このような状況下においても他人を気遣う射命丸さんを見習うべきだ。
「あー、あれですよ? 禁止されてるっていっても表向きだけで結構出入りはあるんですよ、この間なんてルール作った大天狗自身が飲みツアーとかやってましたし」
なぁんだ、つまんないの。
この旅行を刺激的にするほんのちょっとワルな感じを楽しんでいたかったのに。
「あ、大丈夫そうですね、もうすぐ旧都に着きますよ」
まあ、いい大人が童心に返るのも悪くないが、少し悪乗りしすぎた感はあった。
それを射命丸さんは見かねたのだろう、さすがは私の1番の親友、諭し方もクールだ。
宿に着き、部屋に通された。
料理より先に温泉を、と手馴れた感じに仲居さんに告げる射命丸さんはやはりかっこいい。
私は日ごろから取材も執筆も思索も戦略的休憩も自分のアパートで済ませてしまうため、こういうのはひどく不慣れだ。
さすがは私の1番の親友、彼女といると自分にもまだ至らないところが残っていることに気付かされる。
「ここの温泉はいいですよー、肩こりに効くんですから」
なるほど、馬車馬のごとく働く白狼天狗と違って、我々カラス天狗の仕事はデスクワークを主としている。
それゆえカラス天狗と肩こりとは切っても切れない関係にあるのだが、普段から健康に気を遣う私には無縁の話だった。
たまに突然胸が苦しくなって呼吸が乱れることがあるが、だれかがうわさでもしているのだろう。
ただ、射命丸さんの苦悩が理解できない、その事実だけがチクリと胸の奥に刺さった。
脱衣所を抜け、浴場に出る。
温泉宿だけあって浴槽は広い、それに掃除が行き届いていて清潔そうだ。
後はこれで青い空が見えれば完璧なのだが、見えるのは無骨な天井ばかり。
まあひとつくらい欠点があったほうがかえって魅力があるものだ。
ふと射命丸さんのほうを見る。
思わず見とれてしまいそうになる。
端正な顔立ち、ほどほどにふくよかな胸、うっすら割れた腹筋、すらっと伸びた足、全体的に引き締まった天狗の体。
「なにじろじろ見てるんですか」
射命丸さんはからかうように言う。
今まで見たこと無かったが、黒い瞳も綺麗だった。
それに比べて私の体はどうだろう。
日本の妖怪にはボン・キュ・ボンなどと言う下品な擬音は似合わない。
清貧を是とし、スレンダーな体を維持するべきなのだ。
16世紀のイタリア、ルネッサンス全盛期の巨匠がその人生をかけて作ったとしか思えない完璧な体躯を持つ私である。
これで後は手首に傷さえなければ完璧なのだが、まあひとつくらい欠点があったほうがかえって魅力があるものだ。
風呂はよかった。
普段はシャワーだけで済ませてしまうため、湯船に浸かること自体がなかなか無いのだ。
近くの銭湯に最後に行ったのも、たぶん5年は前の話だろう。
風呂上りには当然のごとく牛乳を飲む。
コーヒー牛乳やフルーツ牛乳などに惑わされる(#検閲#)野郎などは毒蛇に噛まれてのた打ち回ればいいのだ。
「いやー風呂上りにはこれですよね」
射命丸さんも牛乳を飲む。
これでコーヒー牛乳飲んでたらどうしようかとちょっとドキドキしたが、何のことは無かった。
そう、射命丸さんに限って心配は要らなかった。
私は親友を疑う自らを恥じた。
そうこうする内に食事が運ばれてくる。
こうして誰かと夕餉を囲むのはいつ以来だろう。
私の思考はただそれだけに囚われ、あっという間に食べ終わってしまった。
おいしかったか、何を食べたのか、そもそも本当に食事をしたのかどうか、なにも思い出せない。
射命丸さんは優しい顔をしている。
布団はいつの間にか敷いてあった。
射命丸さんに聞いてみると、風呂からあがった時にはすでに敷いてあったという。
牛乳に夢中になりすぎて気がつかなかったと言ったら笑ってくれた。
朝まで大天狗の悪口でも言い合っていたかったが、そういうわけにもいかない。
夜は、とても、静かだった。
「……」
射命丸さんが何か言った。
「……ひっ」
どうしたのだろう、よく聞こえない。
「ひぐ、ぐす……」
泣いているのだろうか。
いったいどうしたというのだろう。
射命丸さんが泣いている。
こういう時どうしたらいいのか分からない。
才色兼備で文武両道な私だったが、この天狗の宝たる頭脳をもってしても、射命丸さんにかける言葉は見つからない。
私の心は怒りに震えた。
どれほどの功績を並べても、いかなる財を築いても、すぐ横にいる親友の涙が止められないのなら、何の意味もないではないか。
「……うぐ、ううう」
射命丸さんの嗚咽が聞こえるたび、胸が締め付けられた。
神よ、悪魔よ、居るのは知っている。
私はもう何も要らない、頭脳も容姿も命も要らない。
だから、親友の涙を止めてください。
「はたて」
射命丸さんの声が聞こえた。
不思議とはっきりした声だった。
「泣かないで」
布団のなかで手を握られた。
手はとても暖かかった。
きっと温泉に入ったからだ。
限界はとっくに超えていた。
あや、助けてください。
◆
16
「いろんな意味で重すぎんだよ馬鹿野郎」
僕は必死にミスちーの屋台を押す。
地面のくぼみにはまって動けなくなったと飛んできたのは2時間前のこと、それからずっとこれ。
「ふんぬぬぬぬぬ」
隣で力む馬鹿の顔は、ちょっとお嫁に行けないレベルに達していた。
幽香早く来て。
そしてこいつをぶっ飛ばして。
「ミスちー、いいこと思いついた」
「まーじで?」
「その辺の花を踏み潰すんだ、きっと幽香が飛んでくる」
「あきらめんな!」
屋台は重い。
しかしいくらなんでも動かなさ過ぎだろうと思い、くぼみの部分を確認する。
確かに車輪がはまってはいるが、別にどこかに引っかかったりはしていない。
妖怪2人で押して動かないのは不自然だった。
ふと屋台の中を覗いてみる。
ゴロンと鬼が転がり出てきた。
「……」
「……」
熟睡している。
両脇に天狗と河童を抱えている。
3人とも酔いつぶれている。
そうか、酒臭いのは酒瓶が割れたとかじゃなくてこいつらだったか。
そうかそうか。
「……おい」
「は、はい!」
「ロープ持って来い」
「え!?」
「グルグル巻きにして冥界に放置してやる」
「私を!?」
僕の怒りのボルテージはとっくに限界を超えていた。
◆
17
幻想郷には伝説になっているハチミツがあるらしい。
かつて花の妖怪が少量だけつくり、限定販売した幻の一品。
その味は天界の雫。
その香りは死者すらよみがえらせる。
一口なめれば病魔も逃げ出す栄養価。
食べたい、食べてみたい。
当時、私は春雪異変の準備に忙しく、知ったときにはすでに生産中止。
残ったハチミツの値は高騰し、里の金持ち連中のコレクションとなってしまった。
製造元に確認しても、もうやらないの一点張り。
食い下がっていたらいつぞやの佃煮と手羽先が襲い掛かってくるし、危なっかしくて近づけないわ。
でもいいの、持つべきものは友達なの。
このハチミツの話をしたら、ちょうどコレクションしていたらしいの。
それが今日うちに届いた。
妖夢に頼んでホットケーキも焼いてもらった。
藍ちゃんにものすごく睨まれたけど、思い切って頼んでよかった。
琥珀色の奇跡をホットケーキにかける。
ケチっては意味がない、たっぷりと。
「いただきます」
口に入れた瞬間、衝撃が走った。
舌に走る甘味、歯にまとわりつく粘性、脳を揺るがすアドレナリン、止まらない涙。
これか、これなのか。
私は何もかもを忘れ、ひたすらホットケーキを、いやハチミツをむさぼった。
とても淑女の行いとは思えなかったが、かまわなかった。
生まれてきてよかった。
私は心の底から満たされた。
「紫様、よろしかったのですか? 楽しみにしてたじゃないですか、今からでも遅くはありませんあの亡霊の腹を掻っ捌いて活け作りにしましょう」
「いやあれ市販のハチミツだし」
「え?」
「せっかく藍が買ってきてくれたんだもの、幽々子なんかにあげるわけ無いじゃない」
どうせ気付かないしー、と紫様は少女のように微笑んだ。
ハチミツをかけて舐めとりたいと思った。
◆
18
今日、私は友人らとちょっとした会合を開いた。
よく一緒に飲みに行く妖夢をはじめ、妖夢の誘った兎のお姉さん、最近知り合ったお寺のネズミちゃん。
初対面の人もいたため、軽く自己紹介。
最近幻想郷で製造されるようになった麦酒で乾杯。
モツ煮を肴にお酒は進む。
友と過ごせばお酒は回る。
私たちはどこか似通っていた。
ほろ酔い気分で体も火照る。
ぐだぐだ始まる上司の悪口。
お酒に任せてぺらぺらと、しゃべりしゃべるは罵詈雑言。
「ウチの主人はわがまま放題」
「ウチの師匠はかまってくれない」
やっぱりいろいろ溜まっているのだ。
でもさすが、みんなよくよく分かってる。
まる事前に示したように、誰もが誰にも同意しない。
ただただ1人でしゃべるだけ、とても会話になっていない。
これでいい、これでいいんだ。
自分が言うのは心地いい、人が言うのは耐えられない。
いかなる理由があろうとも、藍様の悪口は許さない。
他のメンツもみんなそう。
私たちはどこか似通っていた。
◆
19
私だ。
ミスティアだ。
ローレライだ。
将来的にはナイトバグだ。
今日は未来の旦那を屋台に呼んでうなぎ食べ放題を振舞っている。
誘い文句がよかったのか、リグルはほいほいと付いて来てくれた。
仕入れる数間違えたなんて嘘ついてまで誘った。
おいしそうに食べてるお前が愛おしい。
それがもっと見たくて、腕によりをかけて作ってしまう。
今日はたくさん食べてってくれよな。
◆
20
「パチェ、咲夜どこ行ったか知らない?」
「花の種を買いに行ったわ、新しい紅茶を作るそうよ」
「パチェー、お姉さまどこにいるか知らない?」
「除草剤を買い行ったわ」
了
前作ほどの鋭さがない。
今後も頑張ってください。
あれ、はたてさん…幻覚ですか
ああ、なんか違和感があるなぁと思ってたら、これショートショートじゃなくてショートショート形式の群像劇じゃありませんか。イメージの相違もあると思いますが、俺はSSというとギミックなんかやそっちの方に力を入れてくるものだと思い込んでいたんですが、作者さんが書きたいのは単純にキャラだったんすね。そこに微妙に違和があった訳だ。いや納得。
しかし予防線を張るのは感心しないぜ。確かにパワーダウン感は否めないが、鋭くないなら磨いてくれば良いじゃない(某お嬢様風)。ババーっと仕上げたナマクラ刀を持って戦場に出て来るのは勝手だけど、返り討ちにされても知らんぜよ。
13の話はどうなんだろう。いや駄目ってこたぁないが、ショートショート1で出てきたならまだしも別作品の、しかもオリキャラだし。初めて見る人は誰こいつ状態になるだろうし。
別に駄目じゃない。でも良いやり方ではないような気がする。だから、どうなんだろう。
あと馬鹿話の間に良い話まぎれさすんじゃーよ、グッときちゃうだろうがはたてかわいい。
ネタの作り方は上手だと思うのでそれを膨らませたのも読んでみたいです
わかる!わかるぞお!
まぁ、一作目に比べて少しオチがわかりにくいかな。
>しかし予防線を張るのは感心しないぜ。確かにパワーダウン感は否めないが、鋭くないなら磨いてくれば良いじゃない
そうだ!そのとおりだぞ!オラ!
SSが何の略とか伝えたいこととか自分どうでもいいタイプ。面白ければそれで万事おkな読み専
そして面白かったです。また読みたいなー