Coolier - 新生・東方創想話

永遠亭で餅つきパーティーするよ!

2012/02/02 15:34:43
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 日中の日差しを溜めに溜めこんだ竹林は、夕方を過ぎても未だに蒸し蒸しと熱気が籠っている。
 そんな熱気の塊の中を、私はただひたすらに歩いていた。
「……はぁ」
 軽く息を吐いて、額に浮かんだ汗を拭う。
 何度も通い慣れた道中。しかし今日はいつも以上に気を引き締めながら、注意深く進んで行く。
 向かう先は、親友妹紅の一軒家だ。私が竹林内で迷う事などそうそうないのだが、今日だけは特に迷うわけにはいかなかった。
「……はぁ」
 再び汗を拭いながら、私は思い返す。
 事の始まりは、数日前に妹紅が持ってきた一枚の招待状だった。何でも、朝起きたら玄関の前にぽつんと置いてあったらしい。そこには、近々永遠亭にて餅つきパーティーが開かれるという事と、その日時が綴られており────妹紅と私、二人一緒に来るようにとの注意書きが、最後の方には書かれてあった。
 せっかく呼ばれたのだから一緒に行こうよと妹紅が強く希望を示したため、私も行く事になった訳なのだが……正直なところ、気分は複雑だった。
「…………」
 永遠亭ではここ最近、月の展示会などのイベントが行われ、その反響はなかなかのものだった。なので今さらパーティーが開かれると聞いても、別に驚くような事はない。私が気になったのは、その最後の文だった。


 どうして、私もなのだろうか?


 竹林に住んでいる妹紅が呼ばれるのはまだ分かる。だが、何故私も一緒に誘われたのか。
 それが、私の中でずっと引っ掛かっていた。
「……まぁ、考えても仕方ない事ではあるのだが…………おっ」
 そんな事を考えている内に、妹紅の家が見えてくる。
 一旦妹紅の家で合流して、それから永遠亭に行こうとあらかじめ二人で決めていた。妹紅は、すでに行く準備を終わらせている頃だろうか。
 私は静かに玄関の前に立ち、ゆっくりと戸を開けた。
「妹紅ー来たぞー。準備の方は出来てるかー?」
 そうして声を投げかけた瞬間、ガタン、と奥の方で物音が聞こえた。それからパタパタと忙しない足音と共に、妹紅が私の前に姿を現す。
「やぁ、いらっしゃい慧音! 良かった、丁度いいところに来てくれて……」
 何故か妹紅は私の姿を見て、ほっとしたように息を吐いた。
「あぁ……どうしたんだそんなに慌てて? 何かあったのか?」
「いやー実はちょっと困った事が起きて……まぁここで話してもなんだから、上がって上がって」
 そう言って妹紅は、小さく手招きをする。
 一体何事かと思いながらも、私は招かれるままに家の中へとお邪魔する事にした。


「それで、困った事と言うのは?」
 居間に通されたところで、私はさっそくその事について話を切り出した。
 これから永遠亭に向かおうかという時に、一体何が起きたというのか。
「うん……あのね、実はこれの事なんだけど……」
 言いながら妹紅は、居間の奥に備え付けられた襖へと手を掛けると、静かにそれを引いていった。
 そうすると当然、その中の様子がこちらにも見える事になる。
 「…………」
 そこは、軽い物置だった。随分と年季の入った大きな箪笥。適当な雑貨が詰め込まれていそうな段ボール箱。
 そして上の方にあるつっかえ棒を支点に、外行きの服がいくつもハンガーに掛けられ並んでいる様子が、私の視界の中に映り込んで────


「…………?」


 瞬間、ふと違和感を覚えた。
 並べられた衣服の中にあって、しかし明らかな異彩を放っている『モノ』に、私は気付いてしまった。物置の方に近寄り、まじまじと私はそれを見つめる。
 それは、一見して服の様に見えた。しかし私の中の常識が、それを服と認めることを思わず躊躇わせる。
 ちらりと、横に立つ妹紅の方を窺う。
 妹紅はといえば、照れているような何かを期待しているような、そんな微妙な表情で私に視線を送っていた。私は意を決して、妹紅へと訊ねた。
「なぁ妹紅、それは……一体何なんだ?」
「え、何って……牛さんスーツと兎さんスーツだけど?」
「…………はぁ!?」


 い、今何と?
 牛……? 兎……?


「あーあ、本当は慧音が来る前に先に着ておいて驚かせようと思ってたのに……まさか行く直前になってどっちを着るかで迷っちゃうなんてなぁ」
「驚かせるって……まさか、これを着てパーティーにいくつもりだったのか!?」
「うん。ていうか、今もそのつもりだけど?」
「…………!」
 あっけらかんと話す妹紅。
 私はあまりに急な話の展開に、焦りすら覚え始めていた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どうしてわざわざそんな格好を……」
「何言ってるのさ慧音。今日はパーティーだよパーティー! こんな事滅多にないんだよ!? だからこんな時のために香霖堂で買っておいたこのアニマルスーツで、ビシッと可愛く決めていかないと」
「あそこはそんな物まで置いてあるのか……」
 という事は、これは外の世界の物か。道理で私の知ってる歴史の中にないはずである。
 ていうかよくそんなの見つけてきたな妹紅よ。
 あと、ビシッ、よりはモフッ、の方が似合いそうだぞ、それ。
「……いやいやそんな事より、パーティーと言うか宴会なら博麗神社でもよくやっているが……私はそんな特異な格好をしている者なんか見た事がないわけで……」
「永遠亭と言えば兎だし、最初は兎さんスーツを着て行こうと思ってたんだけどさぁ」
「なぁ妹紅、やっぱり考え直した方が……」
「でもやっぱり慧音と二人で行くんなら、牛さんスーツの方が良いかなぁっても思い始めちゃって……うーん悩むなぁ」
「おい、私の話を聞け……ってちょっと待て。何で私と一緒だと牛さんスーツなんだ? 私が牛だって言いたいのか!?」
「え? いやぁその……どちらかと言うと牛っぽいかなーって……ほ、ほら、この角の辺りとか……」
 そう言って妹紅は、牛さんスーツの頭部にちょこんと付いてある角をぷにぷにと触る。
 それはあれか、私の満月時の姿の事を言っているのか。
 まさかその部分だけで、私が牛に似てると言いたいのか。
 違うよな? 違うと言ってくれ。
「その通りです」
「オーマイガー!」
 そのまさかだった。
 あまりの衝撃に思わず倒れそうになったのを、私は何とか踏み止まる。それから私はすぐに顔を上げると、目に怒りの炎を灯して、妹紅の事を睨みつけた。
「全っっっ然っ……似てないから! いいか、私がなるのは白沢だ! とても賢い賢獣なんだぞ!? 加えて雄々しい角、美しい毛並、ふさふさ尻尾。どれを措いても、牛などでは断じて有り得ない!」
「お、おおお……」
 怒涛の勢いで放たれた言葉に、妹紅は驚き後ずさる。しかし直後、何かに気付いたのか妹紅は、はっ、とした表情を浮かべると、申し訳なさそうに顔を俯かせた。
「そっか……ごめんよ慧音。もっと早く慧音の気持ちに気付くべきだったよ……」
「へ……? あ、あぁ……分かってくれたのか……それじゃあ」
「うん、分かってるって…………着たかったんでしょ? この牛さんスーツを」
「……え?」
「もー慧音ったら恥ずかしがり屋さんなんだからぁ。言ってくれたらちゃんと着せてあげたのに。はい、どうぞ」
「…………」
 そうして、私の方へと突きだされる牛さんスーツ。
 目の前でゆらゆらと揺れる白黒の姿は、私の精神を逆撫でするかの如く、とても挑発的で。
「ほらー慧音ー」
 ゆらゆら、ゆらゆら。
 ゆらゆら、ゆらゆら。
「ほれほれー牛さんスーツだぞー」


 ────プツン、


 私の中で、何かが切れた。


「うぅ……うぅぅ……」
「……あれ、慧音?」
「……うっがあああああああ! 何で私が! それを着にゃあならんのじゃ! 妹紅の……妹紅の……ばかあああああああ!」
 私は叫んでいた。
 叫ぶと同時に、両足で思いっきり地面を蹴って、跳躍。牛さんスーツを構えた妹紅へと向かって、勢いよく私は飛んで行った。
 頭から一直線に飛んで行くその姿は、さながらロケットの如く。
「えっ、ちょっ何……へぶうううううううう!?」
 何が起きたかを妹紅が理解する前に、渾身のロケット頭突きは妹紅の腹部へと見事にクリーンヒット。
 妹紅の体は、持っていた牛さんスーツごと大きく後ろに吹き飛び、そのまま壁にぶつかって…………ずるずると崩れ落ちた。


 …………………………


「……あのー、慧音さん……どうかこっちを向いてくれませんかねぇ……?」
「………」
「今なら香林堂専用の割引券が付いてきますよ? すっごいお得ですよ!?」
「………」
「……ねぇ、そろそろ機嫌直してよ慧音ぇ……」
 渾身の頭突きを受けるも、一分もしない間に妹紅はリザレクションで復活していた。あまりにも早い復活に、もう少し腰を入れて飛ぶべきだったかなと、私は心の中で舌打ちをする。
「…………」
「さっき言ったのは冗談なんだってばぁ。慧音の反応が面白くて、つい調子に乗っちゃって……」
 妹紅の弁解に、しかし私は聞く耳を持たず、ぷいっ、と妹紅から顔を背けた。
 私が受けた心の傷は深いんだ、簡単には許さないぞ。
「ほ、ほら……今日はパーティーだから気分が高揚してたってのもあるしさ……」
「…………」
 ぷいっ。
「うぅ……それに慧音の反応があまりにも可愛かったもんだから、もっと見たいって思っちゃったんだよぉ……許してよ慧音ー!」
「え……うわっ!?」
 不意に、首の辺りに腕が回されたかと思うと、妹紅が私の体に抱き付いてきた。
 妹紅から顔を背けていたため反応が遅れ、支えきれずそのまま二人で畳の上に倒れこんでしまう。
「あいたた……おいおい、いきなり何を…………っ!?」
 瞬間、息を呑んだ。
 体を起こそうとして、目の前に妹紅の顔があったからだ。
 気付けば、全身で押さえ込むようにして、妹紅の体が私の上に乗っかっていた。
「えへへっ……無理やりこっち向かせちゃった」
「…………っ」
 悪戯っぽい笑みを浮かべて、擦り寄るように密着してくる妹紅の肢体。服越しにでも伝わってくる、体の温もり。その感覚に、徐々に心臓の鼓動が速くなってしまうのが自分でも分かった。
「…………ねぇ、仲直りしようよ。せっかく二人でパーティーに行けるのに、嫌な気分のまま行きたくないしさ……」
 私の目を真っ直ぐに見つめながら、妹紅が言った。気のせいか、さっきよりも声が低くなった気がする。
「……もし、ノーと答えたら?」
「あはははっ、もー慧音ったらぁ…………ほんとにいいんだね?」
 言って、妹紅の目が妖しく光った。今度は気のせいじゃない。纏わり付く妹紅の体に、さっきよりも力が籠もった。
 ああ、これは卑怯だ。この状況下では、私には残された選択肢が一つしかないではないか。
「……分かったよ、私もさっきは思いっ切り頭突いたりしちゃったしな。ごめんな妹紅……仲直り、しよう」
 ついに観念して、私は妹紅へと降伏宣言をした。
 とは言え、元より本気で嫌いになるつもりなどないのだから、ここら辺が頃合だろう。私は小さく微笑んで、妹紅に仲直りの意を示す。
 すると。


「……わーい! やっと許してくれたんだね慧音。ありがとうー!」


 妹紅が喜びの声を上げ、にこりと満面の笑みを浮かべた。
 さらに、ぐいっと私の上体を抱え起こすと、そのまま熱い抱擁を掛けてくる。衝撃で妹紅の長い髪がふわりと広がり、柔らかな香りが私の方にも届いた。ドクン、ドクンと、さっき以上に大きな音を立てて心臓が跳ね動く。顔の方もどんどん熱くなっていくのが分かる。今なら熟れたリンゴの様に、絶賛紅潮中に違いない。
 喜ばれるにしても、まさか抱き締められるとは思っていなかった。何とか気持ちを落ち着かせようと、私が深呼吸をしていると。
「あ……それと、最後にもう一つだけ……」
 そう言って、妹紅が抱擁を解いた。
 しかし両腕は私の肩の上に載せたまま、さっきと同じくらいの至近距離で、妹紅は私の顔を見つめてくる。
 気付けば、妹紅の頬も薄っすらと赤く染まっていた。見つめる瞳も、何だか少し艶っぽく感じる。
「お、おい……これからパーティーに向かうんだからそんな……」
「うん……だから、その前に……」
 妹紅の顔が、さらに近付く。その思い詰めた妹紅の表情に、私はとある想像をしてしまう。
 まさか、これは。
 それを想像して、私の心臓は一際大きく脈を打つ。
 

 …………でも…………妹紅にされるなら、私は…………


 覚悟を、決めた。
 妹紅の事を、私もしっかりと見つめ返す。
 そうして、妹紅の口元が、ゆっくりと動き始めて────


「あのね、兎さんスーツと牛さんスーツ、どっちを着て行こうかって事なんだけど……」


 恥ずかしそうに、そう呟いた。


「…………え?」
 思わず、私は呆けた声を出していた。
「ん? いやだから、どっちを着ていくかまだ決めてなかったから、パーティーに行く前に早く決めようって」
「…………っ」
「?」
「うぅ……うぅぅ……」
「……え? あれ? 慧音さん……?」
「この…………紛らわしいわぁ!」
「なっ、ちょっと待……ぎにゃああぁあああぁああああ!?」


 本日二回目の、渾身の頭突き。
 それを今度は思いっ切り額に受けた妹紅は、悲痛な叫び声を上げると共に、再びその場に倒れるのであった。


         *


「………………」


 結局。


 牛さんスーツは私が断固反対したため、妹紅は兎さんスーツを着て行く事に決定した。なので現在私は、廊下で妹紅が着替え終わるのを待っていた。
 今か今かと、着替えが終わるのを待ち続ける事数分。
「……じゃーん! お待たせー」
 後ろから妹紅の元気な声が聞こえてきた。続いて戸の開く音。どうやら、着替えの方が終わったようである。
「遅いぞ妹紅。あんまり時間もないんだから、もっと早く…………っ!?」
 待たされた事に軽く文句を言いながら、私は声のした方へと振り返って――――しかし次の瞬間、出かかっていた言葉は驚愕と共に霧散した。
「いやーごめんごめん。これ着るのに思ったより手間取っちゃってさぁ……それより、どうこの姿? 結構可愛いもんでしょ?」
 私の視界に飛び込んできたのは、当然の事ながら、兎さんスーツに着替え終わった妹紅の姿だった。
 居間の戸を開けて廊下へと出てきた妹紅は、実に楽しそうな笑顔を浮かべてこちらに歩いてきたかと思うと、私の目の前でくるりと一回転して見せた。その動きに合わせて、頭に付いた長い耳がぴょこん、ぴょこんと小さく跳ねる。
「…………」
 私はあまりの事に、思わずその場で立ち尽くしてしまっていた。空いた口が塞がらないとは、まさにこの事である。妹紅が期待に満ちた目でこちらの様子を窺っているが、それを気にする余裕もない。
 

 だって、仕方ないではないか。


 兎さんスーツを着て現れた妹紅の姿は、あろう事か、想像以上に可愛らしかったのだ。
 正直あれが本当に人の着る物なのかどうか、今の今までずっと半信半疑だったのだが……いやはや、なかなかどうしてこれは……。
「……ちょっと慧音、黙ってないでなんか言ってよー」
 妹紅の体は今や全身白一色の毛に覆われ、頭には兎を模したであろう長い耳と、小ぶりな尻尾が付いている。手と足の先、それと顔の正面には白毛がなく素のままだったが、しかし逆にそれがうまい具合に、着た者の可愛さを引き立たせていた。視覚的にも、これはこれで妖怪兎よりも兎らしいかも知れない。
 さすがは外の世界の着物と言ったところだろうか。私は驚くと同時に、その精巧な作りに感心すらしてしまっていた。
 これは、牛さんスーツへの評価も改めねばなるまいか────
「ねぇねぇ、慧音ってばー!」
「うおっ!?」
 そこまで考えたところで、腹部に衝撃が走った。今度は倒れないように、しっかりと足に力を入れる。
 我に返り視線を下に向けると、私のお腹の辺りに抱きついた妹紅が、頬を膨らませて責めるような視線でこちらを睨み付けていた。
「…………」
「……わ、悪かったってば。別にわざと無視したって訳じゃ……つい妹紅の姿に見惚れて……っ」
 言いかけて、私はそこで言葉を切る。
「見惚れて……何?」
 妹紅が、さっきとは表情を一変して嬉しそうに、にんまりと笑いながら問いかけてくる。
 とんでもない変わり身の早さだった。確かに見惚れていたのは事実だが、そんな顔をされては恥ずかしくてとても言い直せなかった。
「あー……いや何でもないぞ。ほーら可愛い可愛い」
 誤魔化すように、私は妹紅の頭を、兎さんスーツの上から少し乱暴に撫でてやる。
 すると、実に柔らかな感触が掌に伝わってきた。一体どんな素材を使っているのか、触り心地もなかなかのものだった。
「……えへへー」
 頭を撫でられて気を良くしたのか、妹紅はようやく私の体から離れて行った。まったく人懐っこい兎が居たものである。
 大体、パーティーの時間まであまり余裕はないのだから、こんな事をしている場合では……。
「って、こんな事してる場合じゃないよ慧音! もうあんまり時間ないんだからね!?」
 そう思った矢先に、妹紅に突っ込まれてしまった。
 いや、誰のせいだ誰の。
「やれやれ……」
 思わず出てしまう溜息。しかし時間がないのは事実なので、私達はすぐに玄関の方へと足を運ぶ。
 それから急いで靴を履き、私は玄関の扉へと手を掛けると、ガラガラと音を立ててそれを開け放った。


 ────闇が、広がった。


「………………」
 外はもう完全に日が落ち、すっかり暗くなってしまっていた。背の高い竹藪と、光の届かない闇だけが、妹紅の家を取り囲むように広がっている。
 ……何だか、少し不気味だった。まるで見えない何かが、こちらの様子をじっと窺っているような錯覚。
 その闇の中に一度入り込んでしまったら、二度と出られないような、そんな気さえしてきて────


「……どったの慧音?」


 その声で、私の意識は現実に引き戻された。
「あっ……」
 いつの間にか靴を履き終えた妹紅が、私の顔を覗き込んでいた。
「ぼーっとしてたら遅れちゃうよ? ほら、早く早く!」
「あ、ああ……すまない……」
 妹紅に手を引かれ、ようやく私も歩き出す。竹林に住んでる妹紅にしてみれば、この暗さも当然慣れたものであろう。
 闇に映える白い背中を見つめながら、何故だか私は、そんな当たり前の事を考えていた。
 兎にも角にもこうして私達は、薄暗い竹林の中、永遠亭を目指して出発したのであった。


 ………………
 …………………………


         2


 ざっ、ざっ────


 二人分の歩く足音が、冷たく辺りへと響き渡る。
 覚悟はしていたが、やはり朝昼以上に視界の利きにくい夜の竹林は、殊更不気味さが増していた。妹紅と一緒とはいえ、この背筋がぞくりと震えそうになってしまう感覚はどうにも落ち着かない。
「ふん、ふん、ふーん」
 妹紅はといえば、そんな事はまるで意に介した風もなく、隣で小さく鼻歌を歌っていた。パーティーが余程楽しみなのか、実に上機嫌である。
 そんな妹紅の表情を見るのはいつもなら悪い気はしないのだが、それでも今の私の胸の内にはあるのは、そういった類の感情ではなくて。
「なぁ妹紅」
「ふん、ふん……ん?」
「こう言ってはなんだが……そんな無警戒に進んで大丈夫なのか? もし野生の妖怪や妖獣にいきなり襲われでもしたら……」
「んー……あははっ、大丈夫大丈夫。心配しなくても、竹林にそんな危ないやつ居ないって」
「いや、しかしだな……」
 笑いながら、事もなげに妹紅は言う。しかしそんな楽観的に捉えていいものかと、私が尚も食い下がろうとした、その時。
「んもー慧音は心配性だなー! 大丈夫だって。何が出てきても、私が全部やっつけちゃうんだから!」
 妹紅は私の言葉を遮り、自信満々に胸を張った。
 胸を反らした反動で、兎耳がピョコン、と後ろに小さく跳ねる。
「…………そ、そうか……それは頼もしい限りだな」
 おおよそ強さとは不釣り合いな姿での発言ながら、妹紅の眼には溢れんばかりの強い意思が込められていた。
 それを見て、私は思わず言葉を詰まらせてしまう。
「でしょ? だから、慧音は何も心配することないよ」
「……」
 そう言うと、妹紅は私の方を見て笑った。
 まるで私を元気付けるかの様な妹紅の笑顔と口振りに、今度こそ私は、何も言えなくなってしまった。


 会話が途切れると、竹林はまた元の静けさを取り戻した。
 妹紅は特に気分を害した風もなく、何事もなかったかの様に鼻歌を再開させる。
 足音と小さな鼻歌だけが、夜闇に吸い込まれて……消えていく。
「………………」
 愚問、だったかなと思う。
 妹紅は強い。
 そんなこと、もちろん私は知っている。それは体だけではなく、心も、だ。
 野生の妖怪と遭遇する可能性だって、妹紅が居れば大した問題ではないだろう。
 妹紅の言う通り、本当は心配する事なんて何もないのかも知れない。
 ……なのに……それなのに。
 分かっているのに、どうしてこうも不安な感情が押し寄せて来てしまうのか。
 こうやって二人、隣り合って歩いているのに。
 こんなにお互い、近くに居るはずなのに。


 ────妹紅が、遠い……


「……なぁ、妹紅」
「ん?」
「妹紅は……永遠亭の人達と、その……どんな感じなんだ?」
 気付けば私は、そんな事を妹紅に訊ねてしまっていた。
 妹紅が鼻歌をやめ、不思議そうな顔でこっちを向く。
「どんなって?」
「あ、いや……」
 聞き返されて、私は思わず戸惑ってしまう。どうしてそれを今聞く必要があったのだろうか。我ながら妙な事を口にしてしまったとは思うが、今更後にも引けなかった。
「ほ、ほら、こうやってパーティーに呼ばれるくらいだから、そりゃ仲良くやってるんじゃないかなーって……」
「うーん? まぁ仲は悪くないけど……別に普通だと思うよ? 兎達とはたまに遊んだりするけど、永琳とかは滅多に顔を合わせる事もないしね」
「そ、そうなのか……」
 そんな私の問い掛けにも、妹紅は真摯に答えてくれた。
 そしてその答えに、少しだけ安心してしまっている自分が居た。
 一体、何故だろう。
 私は、さっきから何を気にして────


「あー、でも」


 ふと、思い出したように妹紅が言った。
「輝夜はちょっと例外かなー。あいつとは、何だかんだで付き合い長いし」
「…………っ」
 それを聞いた途端。
 ぎゅっ、と胸の奥が締め付けられた気がした。
「ははっ、そうそう。この間も、いきなり弾幕勝負しましょうとか言って相手させられてさぁ」
「…………」
「まったく、普段はろくに外に出ようとしないのに、そういう時だけ活き活きして……って、慧音?」
「…………えっ?」
「大丈夫? 何だか顔色悪いみたいだから…………もしかして、どこか具合でも悪いの?」
「い、いや、別にそんな事はないぞ? ……うん、気のせい気のせい」
「そう? ならいいんだけど……」
 ……違う。
 これは、気のせいなんかじゃない。
「…………」
 これまでの自分なら、こんなに気にする事もなかったはずなのに。
 しかしさっき成り行きとはいえ、妹紅に抱きしめられてしまったからだろうか。
 私は今、彼女の存在をいつも以上に近くに感じている。そしてそれと同時に、彼女を失いたくないという強い不安も、胸の内に湧き上がってしまっていた。
「…………妹紅」
「ん、何?」
 周りに見える竹林の闇が、それをさらに助長させる。誰も居ないこの場所で、二人っきりという今の状況が、私の心を加速させる。


 私は妹紅を、失いたくない。


「も、妹紅は…………私の事……えっと」
 さっき妹紅の口から輝夜の名前が出た時、心がひやりとした。
 彼女は私なんかよりも、ずっと妹紅との付き合いが長いから。永遠亭に行ったら、もしかして妹紅はもう戻って来ないんじゃないかって、そんな事すら考えてしまった。
 そんな事、あるわけないのに。けれど、考え出したら止まらなかった。
「妹紅は、私の事を……その……す、すす、す……」
「……?」
 妹紅の気持ちが知りたい。それを知れば、きっとこの不安な気持ちも収まってくれるはず。
 大丈夫。妹紅なら、私の期待に応えてくれる。


 だから、私の心が怖気づく前に…………早く……早く!


「す、す、好き────」


 言おうとした…………その、瞬間だった。


 ────がさっ、


 私達の僅か前方に見える竹藪が、微かに音を立てて揺れ動いた。
「!?」
 私と妹紅は足を止め、弾かれた様に音のした方へと目を向ける。
 竹藪の揺れは少しずつ大きくなり、がさっ、がさっ、と近くに聞こえる音は、確実にこちらへと向かって来ていた。
「何か……来る」
 瞬時に、緊張が高まった。
 妹紅も表情こそ変えないが、じっとそこから視線を外さない。
 音が、数メートル先まで迫る。そして程なくして、音の正体はゆっくりと、私達の目の前に姿を現した。


「な……何だ、これは……!?」


 それは────『闇』だった。辺りの暗闇よりさらに暗い、丸い球状をした漆黒の闇が、緩やかに浮遊しながら私達の方に近づいて来ていた。
 その異様な光景に、私は驚き、後ろへと後ずさろうとした。その時、目の前の闇の中から、その声は聞こえてきた。
「……うぅ、また迷っちゃったよぉ、出口はどこー……」
「…………?」
 どこか幼さを感じさせる、可愛らしい声だった。
 その声に、私が虚を突かれていると。
「まさか、こいつは……」
 妹紅が何かに気付いたのか、眉をひそめて小さく呟いた。
「あれ、もしかしてそこに誰か居るの?」
 妹紅の声に反応したのか、闇の中から声が返ってきた。
 すると丸い球状の闇が、瞬く間にその形を失い、霧散した。
 そして、さっきまで闇があったその場所には、一人の少女の姿があった。
「よっ、と」
 ふわりと、少女が地面に降り立った。
 声から感じた通り、見た目は幼い少女そのものであるのだが、それでも何かしらの妖怪である事は間違いないので気が抜けない。
「なんだ、もう夜じゃない。わざわざ暗くして飛ぶ必要なかったなぁ……おかげで変なとこに迷いこんじゃうし」
 ぶつぶつと独り言をいいながら、少女の視線がこちらへと向く。
「まぁいいや、さっきの声はあなた達ね。ちょっと聞きたいんだけど、この竹林の出口はどっち……って、ひゃあぁぁああああぁああ!?」
「……!?」
 そして突然、少女は私達の方を見るなり、素っ頓狂な声を上げた。
「……あぁ、やっぱりお前か」
 ……いや正確には、その視線は妹紅にのみ向けられているようだった。
「な、なんだ? 妹紅の知り合いか?」
「いやぁ、知り合いっていうか何ていうか……」
「な、ななな、なんであんたがここに……はっ! まさか、また私を丸焼きにしようとする気じゃ……」
「おいおい……この間のあれは、お前がいきなり私に向かって、あなたの事食べてもいい? とか変な事言い出したからでしょ」
「うぐ……だ、だってあの時はすっごくお腹が減ってたんだもん……」
「ま、丸焼き? 妹紅を食べる……?」
 何だか不穏な言動が聞こえた気もするが、どうやらこの少女と妹紅は知り合いらしい。
「あぁ、大丈夫だよ慧音。こいつはルーミアって言って……まぁ私もこの間初めて会ったばかりなんだけど、その時色々あってちょいと私がお仕置きしてやったんだ。とりあえず害はないよ」
「うぅ……こんな恐ろしい人間だって分かってたら、最初から話しかけなかったのに……」
 何事もなかったかのように話す妹紅とは対照的に、しょんぼりと肩を落とすルーミア。
 とにかく問題はないようなので、安堵と共に私は小さく息を吐く。同時に、自分達がここに居る理由を思い出した私は、そっと妹紅に耳打ちをした。
「妹紅、あまり時間もないんだからそろそろ……」
「おっとそうだった。えっとルーミア、実は私達は今忙しい。一緒には行けないけどここから出る方法は教えてやるから、それでいいな?」
「え? う、うん。別にいいけど……でもその前に、一つ聞いていいかな?」
 そう言ってルーミアは、妹紅の姿をじっくりと見つめながら言った。
「その兎みたいな服、どこで手に入れたの? いいなー私も欲しいなー」
「ほほぉ……この兎さんスーツに興味があるのか? よし、じゃあついでに教えてやる! あのな、これは香霖堂っていう店で……」
 兎さんスーツに興味を持たれたのが嬉しかったのか、意気揚々と妹紅は説明をし始める。
「お、おい妹紅。それは長くなるんじゃあ……」
「大丈夫大丈夫、すぐに終わるって」
 私の忠告にひらひらと手を振りながら、構わず妹紅は説明を続けた。そんな妹紅の話に、ルーミアは目を輝かせて聞き入っている。
 私は、すぐには終わらないであろう予感をひしひしと感じながら、そんな二人の会話を余所に、一人で物思いに耽るのであった。


 …………………………   


「ところでさぁ、慧音」


 ルーミアを見送ってから、再び永遠亭へと向かって竹林を進んでいた時だった。
「ん?」
「さっき、私に何か聞こうとしてなかった? 何だか思い詰めたような顔して」
 お互い脇目も振らずに急ぎ足で進む中、不意に妹紅がそう訊ねてきた。
 だから私は、少し考えた後に。
「……あー、いや……別に大した事じゃなかったんだ。気にしないでくれ」
 一言、そう答えた。
「あれ、そうなの? うーん……?」
「そうなの。全然まったく、問題なし」
 私の答えに、どこか納得のいかなさそうに首を傾げる妹紅。
 しかしそれ以上の追及もなく、私達は無言で先を急ぐ。
 そんな妹紅の様子を尻目に、私は再び、先の事について思考を巡らせ始めていた。

 
 今にして思えば、あんな事をよく聞こうとしたものだと思う。
 思い返せば、ただただ恥ずかしかった。
 まったく、今日の私はどうかしているのだ。いつもなら、こんなに不安になる事もなかったのに。
 私は、抑えられなかった。
 闇の中を平気で進む妹紅が、私には何だか遠い存在に思えてきて。輝夜との事を楽しそうに話す妹紅の顔を見ていたら、どうしようもなく不安になってしまった。
 永遠亭に行ったら、二度と妹紅と会えなくなるんじゃないかって思った。そんな事、あるわけないのに。
 妹紅を失いたくなくて。まるで、子供みたいに、私は────


「……あ、慧音慧音!」
「……え?」
 妹紅の声で、私はふと我に返った。
 見ればそこは丁度、竹林の切れ目に差し掛かかった所だった。そして密度の薄くなった竹藪の向こうに、小さく見える建物の影。
「ようやく見えてきたね、永遠亭!」
 嬉しさで弾んだ声と共に、妹紅が満面の笑みでこちらを振り向いた。


 慧音は、何も心配する事ないよ────


 瞬間、そんな妹紅の言葉が、頭を過ぎった。
「…………」
「……慧音?」
「……あぁ、やっとだ。楽しみだな、パーティー!」 
 気付けば、私は笑顔でそう答えていた。
 「……うん!」
 妹紅は嬉しそうに返事をすると、喜び勇んで私の手を握ってくる。
 不安な気持ちは、すでに胸の内から消えていた。
 妹紅は今、ここに居る。
 こうして手を繋いで、私に笑顔を見せてくれている。
 それだけで、十分だった。
 それだけで、私の心は勇気付けられる。
 「…………」 
 気持ちを新たに、私はまだ遠くに見える永遠亭へと目を向けた。そして脳裏に思い浮かぶのは、一人の人物の姿。


 ……蓬莱山、輝夜。


 思えば、彼女とまともに会話した事など、今まで一度もなかった気がする。これは、もしかするといい機会なのではないだろうか。会えるのならば、私は彼女とも話をしてみたいと思い始めていた。
 沸々と湧き上がる思いを胸に、私は妹紅と共に、竹林の奥へと進んで行くのであった。


         3


 ざわざわと、騒がしい声が聞こえる。
 一歩、また一歩と進むたびに、その声はどんどん大きくなっていく。
 そして、ついに。
 どこまでも続くのではないかと思われていた竹藪が途切れ、視界が開けた。


 ────────


「これは……すごいな……」
 そこは、さっきまで居た竹林とはまるで別世界だった。
 永遠亭の敷地内に踏み込んだ途端、まず目に付いたのは、数十を越える数の、兎達の群れ。その者達がこれまた大量の臼と杵を用いて、広大な敷地内のそこかしこで、懸命に餅をついていた。


「そぉれ! そぉれ!」


 聞こえてくる、力強い声。餅の上に振り落とされる、杵の音。
 お腹の底にまで響いてきそうな喧騒と兎達の熱意に、自然と私は魅入ってしまっていた。
「んーいいねこの感じ! すっごく面白そう!」
 すると、隣で一緒にその光景を眺めていた妹紅が、嬉しそうに声を弾ませた。
 確かに見ている側にも、実に楽しげな雰囲気が伝わってくる。ペタン、ペタン、と聞こえてくる小気味良い音も、さらに気分を高揚させるのに一役買っていた。何だかパーティーというよりも、どちらかというとこれはお祭り騒ぎに近いかも知れない。
「……でもさぁ慧音、これってもう始まっちゃってるよね?」
「んまぁ予定の時間はとっくに過ぎてしまっているからな……とりあえず、ここは遅れた事を素直に謝って、私達も参加……」
「うおおおおおおい! 私も混ぜてくれええええええええ!」
「って、おい! 妹紅!?」
 私の言葉を聞き終わらないうちに、不意に妹紅が走り出した。
 それを止める間もなく、妹紅の姿はすぐに兎達の群れの中に紛れ込んでしまった。
「……はぁ、まったく」
 妹紅の走って行った先に目を向けながら、私は溜息を吐く。逸る気持ちを抑えられないのは分からないでもないが、何もいきなり走りださなくてもいいだろうに。
 とにかく後を追おうと、私が足を踏み出しかけた、その瞬間。


「────あら、ちゃんと来てくれたのね」


 すぐ近くで足音。そして、声が聞こえた。
 ドクンと、心臓が小さく跳ねる。それは、間違いなく自分へと向けられたものだった。
 私は足を止め、その声のした方へ、ゆっくりと振り向いた。
「ようこそ、永遠亭へ」
 そこに居た人物が、そう言って、にこりと微笑んだ。


 ────蓬莱山輝夜。


 永遠亭の姫君にして、その主である彼女が、気付けば私のすぐ近くにまで歩み寄っていた。
「ど、どうも……姫様……」
 私は、「どうしてここに?」という言葉をかろうじて飲みこんだ。
 ここが永遠亭であり、パーティーを開いたのが彼女であるならば、私達の到着を彼女が待っていたとしてもそれは極自然な事だった。
 私だって、さっきは彼女に会ってみたいなとも考えていた。
 しかし、まさか妹紅の居ない時に、こんな唐突に出会う事になるとは思っていなかった。この予想外の事態に、私がそれ以上何も言えずにいると。
「ぷっ……あはははは!」
「……!?」
 突然、彼女に笑われてしまった。
「やあねぇ……そんなに堅くならないでよ。それにあなたは妹紅の友達なんだから、私の事は気軽に輝夜って呼んで頂戴」
「は、はぁ…………え?」
 それは、思わぬ申し出だった。
 彼女の姿を見る機会は何度かあっても、実質まともに話すのはこれが初めてであり、妹紅と友達という以外に接点がない自分に、いきなりここまで友好的に接してくるなんて考えてもみなかったからだ。当然、断る理由もない。
「あ、えと……それじゃあ、輝夜」
「はーい」
 名前を呼ばれた輝夜が、どこか楽しそうに返事をする。
 何とも、掴みどころのない人だった。私がそう思っていると、輝夜が「ふふっ」と小さく笑った。
「それにしても、時間になっても現れないものだから、今日はもう来ないのかと思っちゃった」
「う……す、すまない。その、途中色々とあったもので」
「うぅん、別にいいのよ。妹紅と一緒だと何かとトラブルに巻き込まれるでしょうから」
 その言葉通り、輝夜はまったく気にしていない様子だった。
 さすがに付き合いが長いだけあって、妹紅がどんな行動をするかはある程度予想できるのだろう。
「それで、妹紅は?」
「えっと……あ、あそこに……」
 私は兎達に紛れた妹紅を見つけると、おずおずとその場所の方へと指を差した。


「そいやぁ! そいやぁ!」
「おっ、あんた随分と杵使いが上手いねぇ。ここらじゃ見かけない兎だけど、なかなか良い腕してるよ」
「ははっ、そりゃどうも! そいやぁ!」
「こりゃ負けてらんないねぇ。よぉし、私達ももっと張り切っていくよー!」
「「「おー!」」」


 そこには、いつの間にか兎達と一緒に餅をついている妹紅の姿があった。というか完全に、兎達の仲間として馴染んですらいた。
 兎さんスーツ、恐るべし。
「…………まぁ、妹紅はいつも通りみたいね」
「……うむ」
 あの中に入り込むには、お互い骨が折れると悟った様だ。
 私達は何事もなかったかのように、兎達から視線を外す。そこでふと、私はさっきまで輝夜を前に感じていた緊張感が消えている事に気付く。今なら、自然に彼女と話す事が出来そうだった。
 私は軽く咳払いをすると、今度は自分から話を切り出す事にした。
「……此度のパーティーはなかなか面白い趣向をしていると思う。しかし、どうして急にこんな催しを?」
「んー特に深い理由はないわね。ただの私の思い付き」
 あまり考える様子も見せずに、輝夜はそう言い切った。思い付きでこれだけの事が出来るとは、改めてその影響力の高さを実感する。
 しかし、私が真に気になったのは、そこではなかった。
「あと、見た限り私と妹紅以外に、他に客人はいないようなのだが?」
 そう。どこを見ても居るのは兎達だけ。
 自分達以外の外からの参加者が、一人も見当たらないのだ。
 パーティーと呼ぶにしては、これは少し奇妙だった。
「ふふ、気付いた? 今回の催しは自分達で楽しむためのお祭りみたいなものだから、本当は誰も呼ばなくてもいいかなーって最初は思ってたんだけどね」
 軽く肩を竦めながら、輝夜は言った。
「……それなら、何故私達を?」
 私は、意を決してそれを訊ねることにした。
 ずっと、気になっていたのだ。私と妹紅が、ここに呼ばれた理由。それを知る張本人が、今目の前に居た。
「……立ち話ばかりでもなんだし、少し場所を変えましょうか。今は妹紅もあっちに夢中みたいだし、丁度いいわ」
 くるりと、輝夜が私に背を向けて、付いてくる様にと促す。
「…………」
 不思議と、警戒する気は起きなかった。
 それは輝夜にまったく邪心の様なものを感じなかったからなのか、それとも単に私が彼女に対して気を許してしまっていたからのか。
 どちらにせよ私は話しを聞くため、促されるままに彼女の後を追って行った。


         *


 そうして歩く事数分。
「……この辺りまで来ればいいかしらね」
 不意に輝夜が足を止め、こちらを振り向いた。
 輝夜に案内されて辿り着いたのは、さっきまで自分たちが居た所から永遠亭を挟んで、丁度裏側にある大きな庭の様な場所だった。ここまで来るとさすがにあの大きかった喧騒も、今ではほとんど耳に届かなくなっていた。
「それじゃあ、そこに座りましょう」
 そう言って輝夜が指したのは、すぐ近くに見える永遠亭の廊下に面した、長い縁側だった。
 彼女は、実に慣れた挙動でその一端にぺたんと座りこむと、私にも来るように手招きをする。
「…………」
 少しの逡巡の後、私は輝夜の座った所から僅かに間を空けた場所に、そっと腰を下ろした。
 それを見て彼女は満足そうに微笑むと、私の方ではなく夜空を見上げながら、静かに話し始めた。
「ここに来たってことは、妹紅に渡した招待状は読んでくれたのよね?」
「あぁ、読ませてもらった。そして、ずっと気にもなってた。どうして妹紅だけじゃなく、私もこのパーティーに誘われたのかなって」
「そう……実はあれはね、全部永琳に頼んで書いてもらったものなの。本当は自分で書くつもりだったんだけど、私誰かを自分で招待した事なんて今までなかったから、どう書いていいか分かんなくて…………あはは、笑っちゃうでしょ?」
 自嘲気味に輝夜は笑った。私はそれには答えず、じっと彼女の事を見つめる。
 彼女が何を思っているのかは分からないが、少なくともその表情に、嘘偽りを語る気はまるで感じられなかった。
 ならば、これ以上後に引く必要もない。
「……何故、慣れない事をしようとしてまで、私達を……?」
 私は、もう一度その事について訊ねた。今度こそ、その答えが聞けるはずだった。
「……それはね」
 夜空を見上げていた輝夜の顔が、ゆっくりとこちらに向けられる。
 どこまでも澄んだ瞳が、私を捉えた。
 そして。


「私、一度こうやって貴方と二人っきりでお話ししてみたかったの」


 真っ直ぐに私を見据えたまま、実に屈託のない笑みをその顔に浮かべて、彼女はそう答えた。
「……は……二人っきりで……お話?」
 私は、思わず首を傾げて聞き返していた。輝夜のその答えは、私にとってまったく予想し得なかったものであった。
「うん。ずっと話したいなって思ってた。パーティーはあくまで口実みたいなものね。貴方一人だけ誘ったとしても、それだと貴方は来てくれなかったかも知れないから。
だから妹紅と一緒に来るようにって、招待状には書いてあったの。それに、その方が道中安全でもあったしね」
「…………」
 輝夜の口から語られていく真実。
 しかし、聞けば聞く程に、私には分からなかった。どうして彼女が、わざわざそこまでして私と話す事を望むのだ。それはむしろ、私の方が望んでいた事でもあると言うのに。
 私がその事に頭を悩ませていると、急に輝夜が、じろじろと観察するような視線を、私の方へと向けてくる。
「…………」
「な、何だ……?」
「……ねぇ、貴方……妹紅の事、好き?」
「っ……!?」
 完全に、不意打ちだった。
 驚き、私は彼女をまじまじと見返す。
 彼女の顔には、冗談めいたものは感じられなかった。
「……い、いきなり何を言い出すんだ! 別に私は……妹紅の事を、そんな……」
 言いながらも、どんどん私の言葉は勢いを失っていく。
 ここに来る途中、私が妹紅の事でどれ程苦悩していた事か。その理由の中には、少なからず輝夜の存在も関わっているのだ。それなのに、まさかよりにもよって、彼女の方からその手の話を振ってこようとは。
 私は何も言えなくなり、彼女の瞳をじっと見つめ返す。
「……もう、そんなに恐い顔しないでよ。ほら、リラックスリラックス」
「…………むぅ」
 ぽんぽん、と気さくに肩を叩かれ、私は軽く息を吐く。何だか、さっきから調子を狂わされっぱなしだった。彼女が話したかった事というのは、まさかこの事なのだろうか。
「……それを聞くという事は…………輝夜は妹紅の事が好きなのか?」
 何となく普通に答えるのも癪だったので、私はお返しにと、輝夜にも同じような質問を投げかけてみる。
「…………ふふっ」
 すると輝夜は、目を伏せて少しだけ寂しそうに笑った。
「……? ……輝夜?」
 何故、そんな顔をするのか。
 疑問に思った直後、彼女はそっと口を開いた。
「私はね……分からないの」
「……分からない?」
 それは、またも私にとって予想外の言葉だった。
 てっきり彼女も妹紅に対して、私と同じ感情を持っているものだと思っていたからだ。
 私はそれ以上の追求はせず、輝夜の反応を待った。
「…………ずっと、前の事なんだけどね」
 そうして、彼女はゆっくりと、語り始めた。


「……『それ』は、単なる思い付きだった。何て事のない、退屈な日々を面白くするための、ちょっとした余興。私にとっては、ただそれだけのものでしかなかった。でも、『それ』が全ての始まりだったの。その事が切っ掛けとなり、さらに度重なる偶然の果てに、私と妹紅は出会ってしまった…………決して、良い出会いとは言い難かったわ。あの時の妹紅は……そうね、今では考えられないくらいに荒れてたから」
 ふぅ、と輝夜がそこで息を吐く。
 私はただ、静かにその話に耳を傾ける。
「それから私と妹紅は、出会う度にずっと戦ってばかりいたわ。お互い負けるのが嫌なものだから、常に本気と本気のぶつかり合い。随分痛い思いをしたし、永琳もすごく心配してたっけ。けどね、そんな日々が私は嫌いじゃなかった。うぅん、むしろ逆。不本意ではあったけれど、妹紅と出会ってからは、私は毎日が楽しくって仕方なかった。今日は妹紅に会えるかな、明日もまた会えるかなって、そんな事ばかり考えてた。そうやって私の心は、妹紅と会うたびにどんどん満たされていったの」
「…………」
 所々断片的ではあるが、輝夜が話しているのは紛れもなく、私の知らない妹紅の過去。
 彼女だけが知っている、妹紅と過ごした日々の……思い出。
 語る彼女の表情はとても穏やかで、どこか昔を懐かしんでいるかの様にさえ見える。
 しかしその内容は、とても穏やかなものではなかった。
「そんなある時、私はふと疑問を覚え始めた。いつまで私は、妹紅とこんな事をし続けるつもりなのかなって。最初の頃に感じていた楽しさはさすがにもう薄れ始めていたし、私自身、妹紅には何の恨みもなかった。戦い続ける理由は、実は私には何一つなかったのよ。妹紅もね、たぶん似たような事を考えてたと思う。確かに妹紅は私の事を恨んでいたでしょうけど、いつまで経っても終わりのない、決着も着かないような戦いをこれ以上続けても、結局何も変わらない事は明白だったから。妹紅が直接それを口にした訳ではないけれど、何となくお互い、そういう事を考えてるってのは肌で感じ取ってた。でも、妹紅はそれを止めようとはしなかった。無意味だと気付いているはずなのに、私に挑み続ける事を望んだの。きっとそうする以外に、自分の在り方を知らなかったから」
 そこで再び息を吐くと、ちらりと輝夜が、私の方を見た。
 私は反射的に、彼女から顔を背けていた。
「……辛そうね。話すの、やめにする?」
「…………いや、構わない……続けてくれ」
 絞り出すように、私はそれだけを言った。
 今の私は、酷く苦い表情をしているに違いない。
 その時の妹紅の事を考えると、胸が張り裂けそうな程に辛くて、苦しい。
 しかしそれでも、私は聞きたかった。
 妹紅の過去を、そして、輝夜の語る想いを。
「そう……」
 溜息混じりに呟いて、輝夜は続きを語り始める。
「私には、そんな妹紅を止める事は出来なかった。妹紅がそれを望むのなら、私も妹紅が満足するまでどこまでも付き合うつもりだった。それが、妹紅に取り返しのつかない傷を負わせてしまった私の、せめてもの罪滅ぼしだと思ったから。けれど今にして思えば、そうしたところで妹紅が心の傷が癒えるわけもなく、結局それは妹紅に呪いのように絡み付いた因縁を、ずるずると引き延ばしてしまっただけだったのかも知れないわね……」
 僅かに目を伏せながら、彼女はゆっくりと言葉を紡いでいく。
 私だけではなく、自分にも言い聞かせているような、そんな感じがした。
「そうして過ごしてきた長い時の間で、私が妹紅に芽生えた感情の中に、好きっていう気持ちはあったのかも知れないし、なかったのかも知れない。そういった感情を持ったかどうか私は覚えていないし、今でも自分ではよく分からないの。それぐらい私と妹紅の関係って、普通では考えられないものだったから────」


 ………………


 静寂に混じって、パーティーのざわめきが小さく私の耳に届いてくる。
 私はそれを、まるで違う世界で行われている事のように、ただぼんやりと聞いていた。
「…………」
 輝夜の話が終わっても、私は何も言う事が出来なかった。俯いて、頭の中で彼女の言葉を何度も反芻する。その度に、途方もない過去に目が回りそうになった。
 どうして彼女は、わざわざ私にこんな話をしたのだろうか。色々な考えが巡り、私が思わず頭を抱えていた、その時。


 ────すっ、と輝夜の気配が動いた気がした。


「……ねぇ」
 不意に、俯いていた私の頭の上から、声が掛けられる。
 気付けば、足元に影。
 顔を上げると、すぐ目の前に輝夜の姿があった。
「あなたは、妹紅の心の闇を見たことがある?」
「えっ……?」
 そう言って、輝夜が私に向かって両手を伸ばしてくる。彼女の手がそっと私の頬に触れた。
「あなただったら、妹紅の傷を癒してあげられる?」
 その指先に、僅かに力が込められる。
 柔らかく線の細い彼女の手は、まるで氷の様に冷たかった。
「な、何を……」
 突然の輝夜の行為に驚いた私は、反射的に体を後ろに引こうとした。
 しかし、彼女の手は、私の顔を掴んで離そうとしない。
 そのせいで中途半端に仰け反る形になった体を、私は床に両手を突いて何とか支えた。
「……逃げちゃだめよ」
 距離を取ろうとした私に、輝夜はぐいっ、と自分の顔を近づける。そしてそれと同時に、彼女は私の膝の上に、馬乗りの姿勢で座り込んでしまった。
「あ…………」
 息が届きそうな程に近くで、輝夜が私の目を覗き込んでくる。
 顔を固定されて動かせない私は、自然と彼女の目を見つめてしまう。
「…………っ」
 ゴクリと、唾を飲みこむ。
 彼女の目は間近に見ても綺麗な形をしていて、その大きな瞳の奥には、ギラギラとした妖しい光が湛えられていた。まるで宝石の様に鈍い輝きを放つ、彼女の瞳の色は、赤。私が、その色に疑問を持つよりも先に。


 ────世界も又、赤く染まった。


 それが何を意味しているのかは、まったく分らない。ただ、不思議だなと、私は思った
 目の前にある彼女の顔は、輪郭を残して全てが赤。
 視界の端に見える外の景色も、何もかもが全部、赤色に染まっていた。
「……ねぇ」
 彼女の声が聞こえた。
 耳鳴りのように、頭の中でキンキンとその声が反響する。
「……ねぇ、貴方には妹紅の過去も、心の闇も、全て受け入れる勇気はある?」
 彼女が、問う。
「……それを受け入れて尚、貴方は妹紅を好きだと言える?」


 ……私は、妹紅が好き。けれど、私は妹紅の過去を、あまり知らない。


 ……妹紅の、心の闇。私は、それを見た事がない。


 ……妹紅の、全て。私には、それらを受け入れる事が出来るのだろうか。


 ……分からない。
 何だか、頭がぼんやりする。
 思考が、うまく働かない。
 妹紅……私は、妹紅の事を……
「……ねぇ、答えてよ」
 そうだ、早く答えないと。
 私は、赤く染まった彼女に向かって、声を掛けようとする。
 しかし、無理だった。言葉を話そうとしても、口を動かす事が出来ない。
 体を動かそうとしても、まるで言う事を聞かない。指先一つ、動かせない。
 どうしてしまったんだろう、私の体は。
「……ネぇ、ドウシテナにモいワナいノ?」
 彼女が、問う……
「……ネェドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテ? ドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテドウシテ」


 彼女の声が、何度も何度も頭の中で反響する。
 突然、私の体が、ふわりと宙に浮いた。
 すると、赤く染まった彼女の姿が、世界が、ぐにゃりと歪み始めた。
 歪みはどんどん大きさを増し、私の目には、ただ赤いだけの世界が広がっていく。
 何が何だか分からなかった。
 前後左右、上も下も分からない、無限に広がる赤い世界の中で、私は漂うように浮かんでいた。
 彼女の声が、反響する。


 ドウシテドウシテドウシテドウシテ────────


 気が、狂いそうだった。
 しかし、私にはどうする事も出来ない。
 もしかして、自分はもうすでに狂ってしまっているのだろうか。
 意識が、朦朧とし始める。


 ────ふと、何かが私の足に触れた。


 視界の端に少しだけ見えたそれは、赤色をしていなかった。
 それは、黒。
 深い深い、穴底のように黒い何かが、私の足元で蠢いていた。


 なんだ……これ……


 朦朧とする意識の中で、私は思った。
 直後、それは音を立てて動き始める。


 ズルズル、ズルズル、


 不快としか言いようがなかった。
 黒い何かは、ズルズルと這いずりながら、私の体を足元から徐々に飲みこんでいく。


 やめろ……くるな……


 突如現れた得体の知れないそれを、私は拒絶しようとした。
 しかし、体は動かず、黒い何かは止まらない。


 ズルズル、ズルズル、


 いやだ……こんなの……いやだ……


 ズルズル、ズルズル、


 体の外側だけではなく、内側まで侵されているかのような感覚。
 黒い何かは、もう腰の辺りまで体を飲み込んでいた。


 ズルズル、ズルズル、


 止まらない。
 止まらない。


 ズルズル、ズルズル、


 やめてくれ…………もう…………やめて…………


 ズルズル、ズル……


 這いずる音が、止まった。
 そして。


 ────────助けて


 どこかから、声が聞こえた。


 …………え?


 赤く歪んだ世界に、小さな声が響く。


 …………誰?


 私は、無意識のうちにその声のする方へと視線を向けていた。


 ────────苦しい、助けて


 そして、私は見た。
 それは、小さな光。
 赤と黒の世界の中に、ぽつりと輝く小さな光が、私の目の前に現れていた。


 ────────誰か、助けて


 気付けば、辺りは無音。
 反響する声も、黒い何かの這いずる音も、今は何も聞こえない。
 聞こえるのは、光が助けを求める声だけだった。


 …………


 私は、それをただぼんやりと見つめる。
 さっきから立て続けに起こり続けている異常な事態に、私の心はすでに疲弊仕切っていた。
 感情が麻痺し始めているのが、自分でも分かる。
 本当に気が狂ってしまうのも、最早時間の問題だろう。


 …………でも。


 ぼんやりと光を見つめながら、私は思った。
 この光は、何だかとても暖かい。
 理由は分からないけれど、見ていると自然と優しい気持ちになった。


 …………助けたい。


 手を伸ばせば、届く距離。
 無駄と分かっていても、私は光に向かって手を伸ばそうとした。
 すると、驚くほどに簡単に手は動いた。
 さっきまで、指先一つ動かなかった事がまるで嘘のように、ゆっくりと私の腕が、光へと向かって伸びていく。


 …………今、助けてやるからな。


 少しずつ、少しずつ、光へと向かって手を伸ばす。
 そうして、あと少しで指先が触れるという所まで、私の手が光へと近づいた、その時。


 ────────ありがとう、慧音…………


 光が、私の名前を呼んだ気がした。


 手が、光へと触れる。


 ──────────


「…………っ!?」

 不意に。
 ぱっ、と輝夜の両手が離れ、私の顔が解放される。
 そのまま彼女は私の膝の上からも体を退かすと、数歩後ろへと下がった。

「…………?」

 何が起きたのか分からない。
 徐々に意識が現実味を取り戻し始める。
 私は、ゆっくりと辺りへ視線を巡らせた。そこには、当たり前のように、元の景色が広がっていた。赤い世界も、流れ込んでくる黒い何かも、全てが跡形もなく消えてなくなっていた。
 まるで、全部悪い夢だったかの様に。
「……うっ」
 何だか頭がくらくらする。心臓も、早鐘の様にドクンドクンと激しく鳴っていた。
 一体さっきのは何だったのか。
 私は、少し離れた場所に立つ輝夜の方へと目を向けた。
「…………」
 彼女は、私の方を見ていた。しかし、その目は驚きに見開かれ、今までに見た事のないような強張った表情を、私の前に見せていた。
 私は、じっと彼女の事を見つめる。よく見ると、彼女の肩は少し震えているようだった。
「なぁ、輝夜……」
「どうして……」
「……え?」
 輝夜が、ぽつりと呟いた。
 それはあの赤い世界で、幾度となく繰り返された言葉。
「どうして……どうして貴方は……私の心にまで手を差し伸べようとするの? 私は貴方を……貴方の事を……!」
「…………輝、夜?」
 独り言のように小さい、彼女の囁くようなその言葉の意味を、私はすぐには理解できなかった。
 そして私が何かを答えるよりも先に、輝夜は踵を返すと、私達が元来た道を戻り始めた。
「あ……」
 その予想外の行動に、私は一瞬呆気にとられてしまう。
 輝夜の歩みは決して速くはなかったが、しかし確実に、彼女は私から遠ざかっていく。背を向けて歩く彼女の後ろ姿が、何だか今は、とても小さく見えた。
「ま、待って…………くぅっ!?」
 私は縁側から立ち上がりながら、去ろうとする輝夜を呼び止めようとした。その途端、激しい頭痛が私を襲った。
 フラッシュバックする、赤い世界での記憶。
 酷い目眩を覚えた。足元がふらつく。息も乱れ始め、獣の様に荒くなった。
 それでも私は、何とか無理矢理立ち上がると、彼女の背中に声を掛けた。
「待って……待ってくれ……!」
 痛む頭と、ふらつく足に喝を入れ、私は声を張り上げた……つもりだった。
 しかし息の苦しさに声は掠れ、まともな声量を発する事が出来なかった。
 その事に焦りを覚えながらも、それでも私は諦めず、彼女の後ろ姿に声を掛け続ける。
「待って……はぁ……はぁ…………待ってくれ……」
 まだ、話は終わっていない。
 私は、何一つ彼女の問いに答えられていない。
 このままじゃ、駄目だ。このまま彼女を行かせてしまっては、絶対に後悔する。
 私の直感が、心の奥で必死にそう訴えかけていた。
 だから私は、その情動に流されるまま、思いっ切り彼女の名前を……叫んだ。


「輝夜!」


 一際大きな声が、辺りへと響き渡った。声はそのまま夜の闇の中へと吸いこまれて、すぐに消えてしまう。
 しかし私の声は、確かに輝夜へと届いていた。彼女が、ゆっくりとその場で、足を止める。
「……輝夜……」
「…………」
 輝夜は私に背を向けたまま、無言。
 けれど、その背中から私に対する拒絶の意思は感じられず、ただ私の言葉をじっと待ち望んでいるかのような、そんな気配だけがあった。
「…………」
 私は、そっと目を閉じる。
 ここに来るまで、私は輝夜の事を何も知らなかった。妹紅と輝夜の間にあった過去の日々も、その事でずっと輝夜が悩んでいた事も、何も。
 その事を聞かされて、私はそんな輝夜に掛ける言葉を、ずっと見失っていた。


 だけど、答えは簡単だった。


 私は思い返す。ここに来るまでにずっと一緒だった、妹紅の事を。
 記憶の中の妹紅は、どんな時でも楽しそうに笑っていた。それが、何よりの答えだった。
「……妹紅は…………し……ない」
「…………」
 輝夜を引き止めるために、無理に叫ぼうとしたせいだろうか。
 頭の痛みはさっきよりも酷くなり、断続的に私の脳髄を刺激する。
 声も、自らの荒い呼吸に邪魔されて、まともに発する事すら困難になりつつあった。
 だが、ここで負けるわけにはいかない。
 私は残る気力を振り絞り、彼女に聞こえるようにもう一度、しっかりとその言葉を繰り返す。
「……妹紅は……輝夜と出会えた事を……後悔なんかしていない……!」
「…………!」
 輝夜の肩が、ビクンと微かに震えた。
 痛む頭を押さえながら、私はさらに言葉を紡いでいく。
「妹紅は……輝夜の事を話している時……すごく楽しそうだった……その、思わず妬いてしまいそうになるくらい……」
 輝夜の事を話している時だって、妹紅は楽しそうに笑っていた。
「……輝夜の思いは、妹紅にもちゃんと伝わってたんだ……だから妹紅は……笑っていられる。輝夜が妹紅のためを思って、長い時間共に歩んできたからこそ……今を笑って生きていけるんだって…………私はそう思う……だ、だから……」
 頬を、つぅっ、と冷たい何かが伝った。しかし、構わない。
 私は自分の出した答えを、彼女へと告げる。
「だから……そんなに一人で苦しまないでくれ……!」
「…………っ」
「もし……どうしても辛くて……耐えられないくらいに苦しいのなら……私が、必ず助けに行くから……」
 先程の、赤い世界での事を思い返す。
 あそこで見つけた、小さな光。あの光は、ずっと助けを求めていた。
 きっとあれは、彼女の心の叫び。彼女はずっと、心の中で一人助けを求め続けていたのだ。
 だから私は、そんな彼女を助けたい。
「……輝夜は……私が必ず……助けてやる……か…………ら…………っ」
 しかし、そこまでが私の限界だった。。
 今までになかった程の激しい頭痛が、私の思考を掻き乱す。それと同時に、強烈な目眩。
 がくりと、私の体が前に傾く。気付いた時には、もう遅かった。


 …………駄目だ、倒れる。


 重力に逆らわず前方へと倒れゆく感覚に身を委ねながら、私の視界は暗転し────


 ────ふわり、


「…………?」


 しかし私が感じたのは、地面にぶつかる痛みではなかった。
 感じるのは、全身を柔らかく包み込むかの様な穏やかな触感と、優しい香り。
 何が、起きたのだろう。
「…………馬鹿ね…………」
 すぐ近くから、声が聞こえた。
 頭の内部にずしりと、鈍痛が重く圧し掛かってくる中、私は、ゆっくりと目を開ける。
「…………本当に、馬鹿……どこまでお人好しなのよ貴方は……」
 いつの間にここまで近づいていたのか。
 私の目には、輝夜の姿が映っていた。私は輝夜の体に、ぐったりと正面からもたれ掛かっていた。
 輝夜は私の背中にそっと両腕を回すと、倒れないようにしっかりと私の体を抱き抱える。
「何よ……さっきから勝手な事ばかり言って。貴方が今そんなに苦しいのは、全部私のせいなのに……なのに貴方は私を引き止めて、妹紅は楽しそうだったとか、私の事を助けるだとか、人の事ばっかり気にして……」
「…………」
 輝夜の声は、心なしか怒っているようだった。だとしたらそれは、私のせい。私には、あんな言葉でしか思いを伝える事が出来なかったから。
 私は心の中で「すまない」と謝る。
「……あなたに、分かるはずない。妹紅や私と同じ時を過ごしてこなかった貴方に、私達の心が分かるはずがない。分かるはず……ないのに……」
 不意に、ぽたりと、私の髪に冷たい何かが垂れ落ちた。
「……? 輝、夜……っ」
 彼女の、名前を呼ぶ。
 しかしその瞬間、かろうじて私の意識を繋ぎ止めていた緊張の糸が……解けた。
 まるで眠りに落ちていくかのような、そんな脱力感。それが急に訪れたかと思うと、私の意識は、深い闇の中へと落ちていった。


 …………………………………………


         4


 美しく、透き通るような長い髪。私はそれを、優しく撫でる。
 さらさら、さらさらと、滑らかに手から零れ落ちていく髪の手触り。
 とても、心地が良い。もう少しだけ、撫でていたい。
 もう少しだけ、このまま…………


「ん……んぅ……」


 ふと、私は目を覚ました。
「あら、ようやくお目覚め? ……って言っても、まだ十分ぐらいしか経っていないと思うけど」
「……輝夜?」
 視線の先には、横から私を見下ろす輝夜の顔。
 半覚醒の意識で、私は今の状況を把握しようとする。
 ここは、さっきと同じ縁側だ。どうやら私は、廊下に仰向けで寝かされているようだった。
 木のひんやりとした感覚が、足元や背中から伝わってくるが、私の体には毛布が一枚掛けられており決して寒くはなかった。
 それに、随分と寝心地の良い枕が頭の下に置かれているため、気を抜くとこのままもう一眠りしてしまいそうである。さすがに本当に眠ってしまう訳にもいかないので、私はゆっくりと体を起こそうとした。


「あ、駄目!」


 瞬間、短く叫んだ輝夜が、慌てて私の両肩を抑えてしまった。
 ぽふりと、浮きかけていた私の頭が枕へと戻る。
「えっ……?」
 虚を突かれ、私は困惑しながら輝夜の事を見上げた。
 そして気付いた。
 彼女の体が、私からかなり近い位置にあるという事を。
 ちらりと、視線を右に向ける。眼前に、彼女の腰が見えた。
 つまりこれは……今まで気付かなかったが、私の頭の下にあるこの枕は…………着物越しの、彼女の膝。
「な、なぁ輝夜……」
「お願い、もう少しこのまま……このままで、聞いて」
 狼狽する私の心の内を知ってか知らずか、輝夜は言った。
 そんな彼女の表情は真剣そのもので、私はその気迫に圧されて、思わず口を噤んでしまう。
「…………ふふっ」
「…………?」
「……貴方は、気付いていないのでしょうね」
 そして、輝夜は言った。
「日々戦い続ける事でしか、私と妹紅はお互いを理解できなかった。それを続ける事が、私達にとっての全てだった。でもね、そんなどうしようもなかったはずの私達の関係を、変えた人間が一人居たの。その人間こそが…………今ここに居る、貴方」
「……私……が?」
 思わぬ言葉に、私は驚き声を漏らす。
「初めて貴方を見た時の事は、今でもよく覚えているわ。いつものように妹紅と戦っていたその最中、いきなり見知らぬ人間が、喧嘩はやめろって大声で叫びながら私と妹紅の間に割って入って来たの。あの時は本当に驚いたわ……そうまでして私達を止めようとする様な物好きな人間、長い時間の中でも貴方が初めてだったもの」
「……あ、あぁ……あれはその……」
「幸い、貴方は軽い火傷を負っただけで済んだからいいものの、あれはかなり危険だったのよ? 普通の人間があの戦火の中に飛び込むなんて、最悪大怪我じゃ済まなかったんだから」
「ぅ……」
 そういえばそんな事もあったなと、私は思い返す。あの日は確か竹林を通る用事があって、その帰り道で偶然、凄まじい技の応酬をし合っている二人を見つけた。その時の私は、彼女達が戦っている理由など当然知る由もなかった。ただ目の前で繰り広げられていた争いを何とかして止めさせようと思って、本能的にそんな行動をとってしまったのだ。
「…………でも、それ以来よ。妹紅が私に挑んでくる事がほとんどなくなったのは。うぅん、もちろんそれだけじゃない。貴方と出会ってから、妹紅は変わった。今まで敵意の瞳しか向けてこなかったはずの妹紅が、私の前でまで笑うようになった。妹紅の心からの笑顔なんて、私は今までずっと見た事なんてなかったのに」
 輝夜は言う。
「正直に言うと、私、貴方に嫉妬してた。本当は妹紅を変えてくれた事に、感謝すべきだったのに。けれど妹紅が変わってから、私と妹紅が会う機会は自然と少なくなってしまった。歪んだ形でこそあったけど、私はもう、妹紅の心の拠り所ではなくなってしまったんだなぁ……って、そう気付いてしまったから」
「…………」
 彼女の言葉に、私の胸が小さく痛んだ。
「……寂しかった。妹紅が変わって、私一人だけが置き去りにされてしまったような気持ちだった。日が経つにつれて、その寂しさはどんどん大きくなって、私の胸を少しずつ苛み始めた。苦しくて、辛くて、でもどうする事も出来なかった私は、その気持ちをずっと我慢してきた」
「…………」
「貴方をここに呼んだのは、本当に単なる気まぐれよ。ただ、妹紅を変えた人間がどんなものなのか一度知っておきたかったの。私達の過去を聞かせたのもそのため。中途半端な気持ちで妹紅に関わっているのであれば、その話を聞いただけで妹紅から手を引くだろうって考えてたの」
「…………」
「でも、私の話を聞いた貴方は、真剣に私達の過去について悩み、妹紅の事を思って純粋に心を痛ませていた。そんな貴方を見てたら、何故だか私は、とても腹が立ってしまった。どうして貴方が、妹紅の事でそんなに苦しむんだって。私の方がずっと寂しくて苦しいのにって、そう思った。負けたくないって思った。そしたら、気付いたら私は、貴方に私の心を見せつけていた。自分でも、何がしたいのかよく分からなくなってた。そんな事したら、下手をすれば私の狂気に当てられて、貴方を狂わせてしまっていたかも知れないのに、私は…………」
 独白する彼女の声が、徐々に小さく掠れていく。
 しかしそれを聞いて、私は一人納得していた。あの世界は、彼女の心を映し出したものだったのだ。
 赤は、長い時間をかけて、一心不乱に妹紅の事を思い続けてきた、彼女の狂気にも似た感情。
 黒は、その妹紅を奪ってしまった私に対する、彼女の持つ負の感情。


 …………だけど、彼女の本心は、そこにはなかった。


 今なら分かる。
 本当は、彼女自身も妹紅の様に変わりたかったのだ。
 今のままでは、彼女は自分の心に圧し潰されてしまいそうで。しかしどうする事も出来ず、彼女は心の奥底で必死に助けを求めていた。だからあんなにも、私はあの小さな光を助けたいと心惹かれたのだ。
「…………でも、結局そうはならなかった。それどころか、貴方は私の心に手を差し伸べた。ほんと、お人よしにも程があるわね。あの時貴方、そんな余裕なんてなかったでしょうに…………伸ばした手から、貴方の優しい思いが私の心にも伝わって来た…………」
「あ……」
 その時、輝夜の手が、私の髪に触れた。
 それから撫でるように、彼女は優しく私の髪を梳き始める。
 まるで私の不安な思いを取り除こうとするかのように、髪を撫でる彼女の手は、優しく、穏やかで。
 けれど、私を見つめる彼女の顔は、今にも泣きだしそうな程に、くしゃくしゃに歪んでいた。
「……私、また取り返しのつかない事をしようとしていた。一時の気の迷いで、貴方の心を壊してしまうところだった…………だから私は、貴方の優しさに触れて我に返ったあの時に、消えるつもりだった。だってそうでしょ? あんな事をしてしまった後で、私はもう合わせる顔なんかないと思った。貴方にも……妹紅にも……!」
「…………輝夜……」
 悲痛な、叫びだった。
 髪を撫でていた彼女の手が、止まる。
「……なのに、貴方は私の事を呼び止めた。私の心に触れた反動でかなり苦しかったはずなのに、貴方は私のために、必死に思いを伝えようとまでしてくれた。だから私は、こうして貴方が目覚めるまで待っていた。そんな優しい貴方だからこそ、せめて最後にこの事だけは話しておこうと思ったの。何も言わずに私が居なくなったら、きっと貴方は、また心を痛めてしまうと思ったから」
「…………」
「貴方と話せて、本当に良かった。貴方にだったら、安心して妹紅を任せられる。体調の方はもう大丈夫よね? 反動はそんなに長く続くものじゃないから、少し横になっていればすぐに治るはずなんだけど」
「……んっ……」
 そう言われて、私は気付いた。
 あれ程辛かった頭の痛みは今やすっかり消え、呼吸も難なく正常に出来ていた。
 彼女がさっきから私を寝かせていたのはそのためか。
「……だから安心して。今からでも遅くはない。さっき起きた事は全部忘れて、これから妹紅と一緒にパーティーを楽しんできて頂戴」
「…………」
「…………ごめんなさい。ここまで話してから言うのもなんだけど……私の事も、もう……忘れて」
 ぽつりと、輝夜は言った。
「貴方にも妹紅にも、私はもう二度と会わないようにする……それが、私なりのけじめだから…………だからお願い……忘れて……!」
 震える、彼女の声。
 それが、彼女の出した答え。
「…………そうか……そうだな」
 私は、小さく呟いた
 輝夜の目を、真っ直ぐに見つめる。
 そして。


 ────私は彼女の手を、そっと握った。


「…………え?」
「うむ、そうしよう。さっきの事は、全部忘れるとしよう。私はパーティーに呼ばれて、永遠亭に来た。そしてパーティーの最中に倒れそうになった私を、輝夜が助けてくれて、ここでずっと看病をしていた。そういう事だったな?」
「な…………ちょ、ちょっと慧音、貴方一体何を……」
「……ははっ、やっと名前で呼んでくれたな。ずっと貴方でしか呼ばれなかったから、ちょっと寂しかったぞ?」
「……あ……」
 はっ、として、戸惑いに揺れる瞳で、彼女は私の事を見た。
「なぁ、輝夜。私は、輝夜の心が見れて嬉しかった。輝夜の苦しみや、助けを呼ぶ声が、私にも届いた。私は、知る事が出来たんだ。ずっと遠くにあって、近づく事すら出来ないと思っていた輝夜の心を、私もほんの少しだけど……知ることが出来た」
 そう言って、私は輝夜に向かって微笑む。
 微笑んだ、つもりだ。
「…………」
「……すまない。私のせいで、随分辛い思いをさせてしまった……さっき言った事は、嘘じゃない。輝夜が辛い時は、私がいつでも助けになる。だからさぁ、輝夜……」
 胸が熱い。
 視界がぼやけて、彼女の顔がうまく見えない。
 私は、もう一度微笑もうとした。しかし、うまく笑えない。代わりに、私の目から溢れてきたのは……涙だった。
「もう会わないだなんて、そんな悲しい事を言わないでくれ……」
 構わず、私はそのまま言葉を続けた。
 ぼろぼろと、私の頬を涙が零れ落ちる。
 輝夜の言葉を聞いている間、ずっと悲しくて仕方なかった。
 抑えていた涙が、堰を切った様に、止めどなく溢れていく。
「せっかくこうして分かり合えたと思ったのに、二度と会えないだなんて……っ……そんなのはあんまりじゃないか……そんな悲しい事はない……!」
 嗚咽が混じり始めて、うまく言葉にならない。それでも、私の思いは止まらなかった。
「行かないでくれ輝夜……私は…………私は…………!」
 その、時だった。
 ぽんっ、と何かが、頭に触れる感触。


 輝夜の手が、私の頭を優しく撫でていた。


「……どうして貴方がそんなに泣くのよ…………私は、妹紅が好きな貴方のためを思って、居なくなろうと思ったのに……」
 そう言って、彼女はあやす様に、私の頭を撫で続ける。髪を撫でていた時と同じように、その行為はどこまでも穏やかだった。
 しかし彼女の言葉に、私は頭を振るう。
「駄目だ……駄目だ駄目だ……そんな事は、私が許さない……」
 私は、握っていた方の輝夜の手を、さらにぎゅっと、固く握りしめる。
「……ありがとう慧音……ありがとう。大丈夫、私はどこにも行かない。貴方がそう言ってくれるのなら、私はずっとここに居るから…………だから、もう泣かないで」
「……っ……輝夜……輝夜ぁああぁ……」
 私は泣いた。
 輝夜の手をぎゅっと握りしめて、まるで子供の様に、思いっきり泣きじゃくった。
 そんな私を見つめる彼女の表情は、涙でよくは見えなかったけど。


 ────とても、嬉しそうだった。


          5


 パーティーの喧騒を余所に、永遠亭の敷地内を進む小さな影が一つ。
 影は、永遠亭の外壁を沿うようにして、ただひたすらに歩き続けて行く。
 見えた曲がり角を、左に抜ける。 
 そして影は、視線の先に目的の人物を見つけると、長い耳をぴょこん、ぴょこんと揺らしながら、駆け出した。


「……やぁーっと見つけた! もーこんなところで何やってるんだよ二人共……って、あれ?」
「あら、妹紅」
 大声で話し掛けようとしていた妹紅は、しかし輝夜の膝の上に視線を向けると、その声を徐々に潜めていく。
「……もしかして慧音、寝てるの?」
「えぇ。少し、疲れてしまったみたいね」
 輝夜の膝の上で、慧音は小さく寝息を立てていた。
「ふーん……」
「……妹紅ってさぁ」
「ん、何?」
「慧音の事、好き?」
「うん、好きだよ。大好き」
「そう……ふふっ」
「……?」
 あまりの妹紅の即答ぶりに、輝夜は思わず笑いを零す。
「ねぇ妹紅」
「ん?」
「慧音は、素敵な人ね」
「うん、そうだよ。それにね、とっても可愛いんだから!」
「……そうね。妹紅が好きになる気持ちも分かるわ……私もきっと、以前の貴方と同じ気持ちだもの」
「……」
 妹紅が、少し考えるそぶりをする。
「…………慧音は渡さないよ?」
「……あらそう。じゃあ、弾幕勝負で決めましょうか?」
「いいさ、望むところ……っと言いたいけど、また今度ね。今は慧音も居るし」
「……同感ね。私も、今はそんな気分じゃないわ」
「…………」
「……ねぇ、妹紅」
「んー?」
「…………私も、変われるかしら」


 その問いに、妹紅の眉が大きく跳ねた。


「……どったの輝夜? もしかして、慧音に何か言われたの?」
 心底意外と言わんばかりの妹紅の表情に、輝夜は小さく笑った。
「……えぇ、言われたわ。とても……とても大切なことを」
「ふーん……そっか」
「…………」


 沈黙。


「…………変われるよ」
「えっ?」
「ていうか私からしてみたら、今の輝夜は随分変わった様に見えるんだけど……違うの?」
「……そうね……そうかも知れないわね」
「うん……きっとそうだよ」
「…………」


 お互い、どちらともなく夜空を見上げる。


「妹紅」
「?」
「ありがとう」
「……うん、どういたしまして」


 空には、綺麗に光り輝く星空が浮かんでいた。


 輝夜は、自分の膝の上で眠る慧音の髪を、そっと撫でた。
 ────────


 同時刻、某所。


「はふぅー……ようやく見つけた……ていうかここで合ってるよね? こーんばーんはー!」
「はいはい、そんな大きな声で呼ばなくても聞こえてるよ、いらっしゃい…………おや? これはまた珍しいお客さんだね、一体何の御用かな?」
「えっと、兎さんスーツくださいな」
「ほう、兎さんスーツね…………よいしょ……っと、これであってるかな?」
「うん、それそれ! はー可愛いなー欲しいなー」
「どうやら気に入ってくれたみたいだね。それじゃ、代金の方は」
「あのね、お金は持ってないの」
「……え? いやいや、さすがにただでこれは売れな」
「あなたは、食べてもいい人類なのかー?」
「………………はい?」
「あなたって美味しそうだよね。身体つきがいいから、きっとお腹の辺りなんて食感が……じゅるり」
「……ぼ、僕を脅そうっていうのかい? やめておいた方がいい、そんなものに屈する程僕の商売魂は……」
「それじゃあ、いっただっきまーす!」
「わはー!? ま、まままま待ってくれ! ……分かったあげるよ。君の熱い想いに免じてただであげるから、どうか食べないでくださいお願いします」
「わーいありがとうー! それじゃ、また気が向いたら来るね。ばいばーい」
「…………ふぅ、行ったか。それにしても、これは一体誰の陰謀だ……?」
ヤクミンFBB
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コメント



0.470簡易評価
1.90奇声を発する程度の能力削除
>博霊神社
博麗
最初はタイトル通り賑やかな感じになるのかと思いました。
とても素晴らしかったです
3.無評価ヤクミンFBB削除
誤字指摘ありがとうございます。一応誤字脱字には気を使ったのですが、完全に盲点でした…
5.100名前が正体不明である程度の能力削除
ルーミア素晴らしい!
6.無評価名前が無い程度の能力削除
これは素晴らしい!
常日頃、慧音と妹紅と輝夜は仲良しだといいなと思ってました。
まるで自分の妄想を具現化したようです。
ごちそうさまでした!
10.100削除
すみません、点数入れ忘れました。
13.100名前が無い程度の能力削除
良い感じ
16.100名前が無い程度の能力削除
これはすごい。三人の関係がとても細かく書かれていて良かったです。
慧音の優しさに癒されました