蓬莱人なんて嫌いだった。森羅万象、死と滅びからは逃れられない。そのことを誰よりも知り、私はこの世界と連れ添ってきた。その理を、あっさりと越えてしまう存在。
死なない。
滅びない。
失われることのない。彼女らは私の世界の外にいる存在だった。
1.蓬莱月夜
「お邪魔してます」
妖夢を呼ぼうと振り向いた時、当たり前のように座り込んでいる輝夜と目が合った。誰にも気付かせずに、けれどあまりに堂々と、それも自然のことのように座り込んでいた。驚きに身を固くしたけれど、それもすぐに不信感と、僅かな苛立ちに変わった。元々蓬莱人は好きじゃない。
分かってはいるけど、やっぱり死なないかな。指をひょい、と振り上げて力を行使してみる。どこからともなく死蝶が飛んできて輝夜があら、と手を差し伸べた。途端に輝夜の身体から力が抜けて、ぱたりと横倒しに倒れた。
ぱぁぁと光って、元通り。身体を起こして正座する。
「もう、何するのよ」
ままならない。怒るでもなく、平然としている。だから余計にままならない。ちょっとは焦るなりびっくりするなり怒るなりすれば良いのに。
「ようむー。ようむー」
はい、何ですか、と妖夢がひょい、と現れる。
「おや、月の姫様。こんにちは。それで、幽々子様? どうしましたか?」
「ちょっと、何を自然に挨拶をしてるのよ」
「え? 幽々子様が呼んだのではないですか? こんなに自然に座っているのに」
「まあいいわ。追い出しておきなさい」
そう言い残して立ち上がると、はぁ、と妖夢が生返事をして、輝夜をひょいとつまみ上げて玄関の方に連れて行った。
ふぅ、ひとまずは落ち着いた。再び座り込むと、庭先を眺めた。庭先は何度眺めても美しい姿のままで、代わり映えがないのに、何となしに繰り返してしまう。
最早退屈だという領域を過ぎている。感覚が麻痺して、私が何をしているかさえ分からず、息をするかのごとくに退屈に慣れきってしまっている。ぼうっとしている時間を潰すには妖夢をからかうに限るのだけど、なかなか戻ってくる気配がない。
やがて、ぱたぱたと足音が聞こえてくる。
「妖夢? 戻ったの?」
「はぁい」
輝夜が掌をひらひらと振っている。肩で息をしながら、妖夢が追いすがってやってくる。
「幽々子様ぁ、この人何度斬っても死にません」
「どうも、プラナリアでーす」
「増えないでしょ」
どこまでも輝夜は楽しそうだった。はぁ、と息をついて立ち上がる。何をされても平気な顔をして、これだから嫌になる。
「妖夢、家の中にいたら、すぐに追い出してね」
そう言い残して、廊下をずんずん歩いた。幸い邸は無駄に広いから、居場所には事欠かない。あの蓬莱人がいない所なら、どこでも良かった。
「あらら」
輝夜が呆れたように呟く声が聞こえてくる。
「嫌われちゃった」
「ほら、行きますよ」
妖夢に連れられて輝夜は再び玄関から外へ。私は背を向けて、歩いた。どこへ向かっているのかは分からなかった。
元々、蓬莱人なんて苦手なのだ。生きているのか死んでいるのかも曖昧で、そのくせただの人間と変わらないように振る舞う。
私は、輝夜を遠ざけた。元々、近付ける理由もなかった。
長く残っていた冬の気配も過ぎ去って、風がなければ、庭先でもほんのりと暖かい。
その日も変わらず、庭先を眺めて過ごしていた。妖夢とはこの三日ほど、殆ど話していない。目を離すと輝夜が入り込むようだし、かと言って掃除や剪定など、日頃の仕事を疎かにも出来ず、とてものんびりとはしていられないようだった。
お茶は自分でも煎れられるが、お菓子がどこに置いてあるのかを私は知らない。『幽々子様が好き勝手に食べたら、すぐになくなって仕方ないですから』妖夢のそんな心遣いも今は憎い。
「ふう」
妖夢が手拭いを外し、私の隣に座る。軽く汗をかいていて、かなり急ぎで剪定を済ませてきたようだった。
「お帰り、妖夢。あの蓬莱人は?」
「来ていませんか? なら、朝に追い返したっきりですね。帰ったのでは?」
「それは安心ね。やっと落ち着いて寝られるわ」
ここ数日の夜のことを思い出す。
『ねえ亡霊、お手洗いどこ?』
『……廊下に出て、突き当たりを右、それからちょっと行って左に折れて、で真っ直ぐ行って右よ』
『分からないわ』
『知らないわ、お手洗いなんて。使わないもの。妖夢に聞いて』
『え、幽々子っておしっこしないの? 一昔前のアイドルみたいね』
『いいから、妖夢に聞いてよ。妖夢なら知ってるから』
『妖夢のいるところを知らないわ』
結局、妖夢を起こして私まで怒られた。
「昨日は、大変でしたね」
「……ええ」
妖夢も、そう深くは話そうとはしなかった。元々陰口の類は好きな子じゃない。
「お茶、煎れてきますね」
「お菓子も出して」妖夢が立ち上がり、廊下をぱたぱたと遠ざかっていく。
一人になれば、冥界は本当に静かだ。風がそよぐ僅かな気配がして、さあ、と音がついてくる。命という俗世から切り離された秘やかさがここには満ちている。時に騒がしくする時もあっても、冥界はやはり静かな死の底に沈んでいる。あんな、全身が生命で満ちているような蓬莱人には相応しくない。気紛れだろうと、居心地が良かろうと。
妖夢がしずしずと戻ってくる。「幽々子様、お茶が入りまし――」
「お邪魔するわよ」
私と妖夢が二人して動きを止め、視線を向けると、止まった時の中を動くように輝夜が一人、妖夢のおぼんの上からお茶を取って座り込んだ。
「ありがとう。丁度歩いて疲れてたから、助かるわ」
お茶をくぴくぴ飲む輝夜を前にして、私ははぁと溜息をついた。「妖夢」そう声をかけると、妖夢がさっと輝夜の後ろに回り込み、脇を持ち上げて抱え込んだ。
「わ、ちょっとちょっと。今度はちゃんと手紙を持ってきたんだから、ちゃんと見てから追い出してよね」
手紙? 輝夜が懐から手紙を取り出して、私の前に差し出した。
手紙には、永遠亭を改修することと、輝夜を少しの間泊めてほしいという内容が、永琳の名前で書かれてあった。私が何も言わないと、妖夢はひとまず、輝夜を客間へと案内したようだった。そのことにも、私は沈黙を通した。妖夢は、その態度が気に入らないと言わないでも、疑問には思ったようだった。
「幽々子様は、輝夜様がそんなにお嫌いなのですか?」
おずおずと、妖夢が私に聞いてくる。話しているのが輝夜のことでなければ、抱きしめたいくらい可愛いのに、素直にそんな気分にはなれない。
「……嫌なら嫌と言えばいいのに、と思っているのでしょう。嫌と言ってどうにかなるなら、そうするわ」
「……まぁ、言ってどうにかなるとは」
「思えないでしょう?」
分かったらいつも通りにしてなさい。……そこまでは言わずとも、妖夢は察しているようだった。
まぁ、何にしても。
あの蓬莱人が嫌いだとかそういうことは抜きにしても、何かが大きく変わることなんて有り得ない。私は別段それを望んでいないのだから。
「ねえ妖夢、今日の夕食は何かしら」
「ああ、今日はちょっと良いお肉を頂きましたので」
すき焼きです、と妖夢は言った。
くつくつくつくつ。
「どうしてすき焼きって、こんなに美味しいのかしら」
「ほんとに」
お醤油と砂糖で味付けされているだけなのに。最初に入れた具材は大方片付いて、妖夢がお肉やら白菜やら水菜やら豆腐やらしらたきやらを、一纏めにして入れている。大抵は妖夢が準備をして、私が一人食べる。私が終わると妖夢は残りを片付ける。でも、今日は食べる係が二人だから、妖夢は忙しく箸を動かしていた。
「味付けは丁度いいですか?」
「ちょっと甘いわ、妖夢」
はいはい、と妖夢がお醤油を足していく。
「ご飯のおかわりは」
「欲しいわ」
「私も」
二人分のお茶碗が妖夢の前に突き出される。はいはい、と妖夢が再び答え、いそいそとお櫃を空ける。
「それにしても幽々子、私疑問があるんだけど。肉なんか食べて大丈夫なの?」
「どういうこと?」
「だからね。殺したものを食べる訳でしょ。穢れとか罪とか、そういうのが貯まる気がするんだけど、その辺りはどうなの? あんまり関係ないものなの?」
はふはふ。輝夜が肉をかじりながら言う。輝夜の言うことが最もなら、輝夜にもその穢れが貯まっている。本来穢れのない、月の姫であるはずの、輝夜に。
「……そういったことは、あまり気にしないわ」
「それって変よ。ここにいるってことは、現世の穢れからは隔絶されているはずでしょう」
そんなことを言ったら、里にだって出て行っているし、今更のことでしょう。輝夜の声に咎める部分はない。単純に疑問として話している。……だが、だからと言って、それが不躾であることには変わりがない。
「それを言うなら、輝夜様だって同じではないですか?」
「私らは気にしないのよ。何たって、月から追放されたくらい穢れに満ちているもの。これだけ地上で暮らしているし、もう死ぬことはないんだから、今更生の穢れを気にすることはないの。なんだってしていいのよ。私には未来も死もなく、ただ『永遠に続く今』しかないんだから」
輝夜は自信満々にそう言って、煮えた新しいお肉を摘む。炊きたての白いご飯の上に乗せて、口に運んでいる。妖夢もいそいそと、止めていた手を動かして味付けをしている。私一人、動くことが出来なかった。休憩に、箸を置いたまま。
「……どうして?」
「ん? なぁに、幽々子」
「どうしてあなたは、永遠の生を求めたの?」
「知りたかったからよ」
「知りたかった?」
むぐむぐ輝夜は食べながら話している。全く、その場にそぐわない仕草。
「ええ。永遠の生がどんなものなのか。それに、永遠に生きられたら何でもできる。そんな風に、私は思ったわ」
妖夢、お茶をちょうだい。輝夜が妖夢にお茶をせがみ、はい、と妖夢が応え、湯飲みに注いでいる。
何故、と幽々子は問いかけた。何故、そのようなものが、この場にいて、にこやかに飯を食い、私の妖夢と話し、団欒している? 私のいる場所で。訳の分からない苛立ちに、私は襲われた。
「そう。そこまでして、生にしがみつきたいと思ったのね。死を怯えることもなく……」
妖夢も輝夜も、違和感に箸を止めた。私は。怨嗟の言葉を吐いている。どうしてか、自分でも分からない、感情に追い立てられるようにして。
「生にしがみついている。……醜いわ、貴方の姿」
立ち上がった。幽々子様、と呼ぶ妖夢の声を無視する。
部屋に戻ってから、私はどうしてあんなに苛立ったのか、自分で答えを持っていないことに気が付いた。
部屋に佇み、真ん中に座り込んで、一人考えた。
どうして私は、あんなにも輝夜が永遠に消えてしまえば良い、と思ったのか。考えても答えはなかった。
私は死そのものだ。生きて得た生と、やがて得た死を、私は覚えていない。
死の中生きる、死を得てからの私は、西行寺家として冥界を管理している。だけど、それが何という訳でもない。ただ流れてゆくだけで、私は、自分自身というものを持っていない。
まるで、本当に死、そのもの。かつてあった命の残り香として意識だけを残し、邸に佇み、死を振りまく。
私は生を捨てた結果、死を手に入れた。私の両手には他人に与えても余るほど、死が溢れている。
あいつらは……死を捨てた。私と真逆なんだ。彼女らには溢れる生がある。私とは真逆の存在。
けれど、それを羨んでいる訳でもない。生を羨むなどという領域は、とうの昔に過ぎ去った。……本当のところ、苛立ちと共に席を立った理由は、分からないままなのだ。……そう。苛立つ理由なんて、どこにもない。
「幽々子様」
妖夢が、明かりのない部屋の端、扉を開けて立っている。鍋や食器をおぼんに乗せて。
「輝夜様の分は、残してきました。……食べましょう」
ええ、と私は何ごとでもないかのように答えた。事実、沸き上がった苛立ちは、既にどこかへ消え去っている。机を出して、すっかりくったりとしてしまった野菜や肉を食べた。
「幽々子様、やはり一緒にいるのが不快でしたら……輝夜様か、永琳様に、何とかしてもらうように、言いましょうか?」
「いいわ、妖夢」
私は、妖夢を押しとどめた。
「蓬莱人は穢れるべきではないの。……輝夜はともかく、永琳はそう思っているはず。輝夜が永遠亭を出る時、どこに行くかを考えれば、ここは合っているのよ」
「ですが、」
「いいのよ。勝手にしておきなさい。同居人が一人いる程度で、何かが変わることもないわ」
……そう、冥界は固定された世界だ。彼女らの世界は違うだろう。あの、歴史の動かない永遠亭に住み着くようになるまで、いくつもの時代と、いくつもの世の中を経て、生きてきたはず。
「……何も起こらないことに辟易とするわ。私達だって、退屈なら里に行くくらいだもの。……改修が終わったら、出て行く。それだけよ」
妖夢は何かを言いたそうだったけれど、それきり何も言わなかった。珍しく沈黙のまま、食事は進んだ。やっぱり少し、甘かった。
輝夜が来てから、縁側に出て月を眺めることが日課になった。寝ていると輝夜が来て布団に潜り込む。それも、わざわざ起こしに来ているのかと思うくらい、遠慮もなくもぞもぞと。おかげで最近は、輝夜が来るような時間になると自然と目が覚めるようになってしまった。誰かと一緒に寝るのは嫌いではないけれど、基本的には一人がいい。輝夜が布団に入り込んで、寝付くのを待ってから、本来輝夜のいるべき客間に行って眠る。輝夜が来てからは、そんな面倒なことを夜毎に繰り返している。
今日も月は綺麗だった。折しも満月、月が充ちている時人が狂うのは、完全な月の美しさに自らの不完全性を浮き彫りにされるからだ、と何となく思った。私もそうだろうか? 完璧な月、あの子の欠けることのない生を、私は羨んでいる? 自分が誰かも分からず、ただ死を得て、ふらふらとしている今の自分を省みて。
馬鹿なこと、と思った。あの子は完璧とはほど遠い。不完全で歪な、陰陽図のごとくに入り交じった生と死だ。私も似たようなもの。自分を悲観する要素も、羨望を抱く理由もない。冷静に考えればそう思える。
ふと気配を感じて振り向いた。半開きになった障子の影に座って、輝夜が私を見つめている。
「じー」
ふうと一つため息をつくと、些か落ち着いた。
「……何をしているの。こちら、いらっしゃいよ」
「いいの?」
乱れた寝間着をずるずる引き摺って、輝夜が私の隣に座り込む。夕食の時のことを、私以上に気にしていないようだった。ずけずけと添い寝に来るのだから、当然か。
「あんなところから眺められる方が、よほど迷惑だわ」
「そう? 私はもっと、眺めてたかったかな」
「……どうして?」
「満月と、亡霊の背中。とても詩的で美しい光景だったから。幽々子が呼ばなかったら、何時間でも眺めてたわ」
俯きがちに輝夜の表情を探ると、楽しげで、自然だった。視線は庭先に向けられていて、楽しげながら真剣味の帯びた目で、月光の満ちる庭園を見つめている。
「この庭もとても美しいわ。まるで深い水底のよう。光にたゆたう波間のように、砂の文様が描かれている。……ここに立ったら、まるで水底に立つような幻想的な風景に見えるかしら?」
と、っと裸足のまま庭に降り立つ。どう? と振り返って両手を広げて見せる。
「人魚姫みたい?」
折しも薄雲がかかり、月光が斑に乱れながら、輝夜の元に降り注いだ。銀幕の中照らされる演者のごとく、舞うような輝夜の一挙一足が……美麗さを伴ってひどくゆっくりと見えた。
私は何も言わず、すい、と視線を逸らした。
「あらあら。直視できないのかしら」
軽口を叩きながら輝夜が戻ってきて、私の隣に座る。何を考えているのか分からないけれど、じっと目を見たまま顔を近付けてきた。鬱陶しい。
「……何?」
「肌、荒れてるわ」
嘘、と思わず呟いた。そんなことを言われたのは初めてだった。
「嘘よ。焦っちゃって、可愛い」
つい、と再び視線をずらす。聞いてもいないのに、輝夜は一人で喋り始める。
「透き通ってるみたいで綺麗だわ」
「幽霊だし」
「死体みたいに白くて」
「幽霊だし」
「まるで食べちゃいたいくらい美味しそう」
「ゆうれい」
……だし。……不意を打たれて、意味の通らないことを言ってから、私は口を閉じた。一体何を言っているの? 誘いをかけているのかからかっているのか。輝夜の表情は変わりなく涼しいままで、そんな風に覗き込ませられているのがそもそも罠にかかっているようで煩わしい。私が黙ると、輝夜も視線を逸らし、黙って庭を眺めた。
ゆらりと風が前髪を流し、静かに僅か、時が流れた。
「この庭は、綺麗ね」
ぽつりと、静かに雫が落ちるように、輝夜は言葉をこぼした。
「私も月にいる頃、退屈な時は表の月の、地表を眺めたの。荒涼で、冷たくって、何もなくて。ちょっとだけそこに似てるわ」
「失礼ね」
「ちょっと失礼だったかしら? でもね、とても綺麗なのよ。空気もない、誰も生きていられない場所。何も無くって、清々しくて。あそこなら、何時間でも眺めてられたわ。教育係の連中が探しに来るまでは、ね」
私はちょっと想像してみた。枯山水に整えられた白玉楼の庭。比べて、宇宙の暗黒と星々を背景にした、岩ばかりが一面に広がる砂の大地、輝夜だけの庭。あまりに広大で、自然のままに整えられた輝夜一人の為だけの庭だ。その広大さ、天体の動きと共に姿を変え、一瞬後には、二度と元の姿を見せることはないのだろう。
「……ちょっとだけ、興味があるわ」
「うふふ。皆、表の月にいたら怒るのよ。永琳も良い顔はしなかったわ。あんなに良い景色なのに、誰もそれを見てはくれなかったの。いつか月と交流を持てるようになったら、連れて行ってあげるわ。肉体のない貴女なら、月面でも平気でしょう」
二人で天体の中に立ち並び、ゆっくりと回ってゆくのを見る。知覚できる範囲を世界と呼ぶならば、流転する万物を見る神の視点のごとく、世界が広がることだろう。
「ねえ、幽々子? 私達、気が合うと思わない?」
ちらり、と輝夜を見る。楽しげに微笑んで、親しげに私を見上げている。
「思わないわ」
「あらら。つれないわねぇ」
何が、と思う。私が嫌だったのは、そんな風にすることだ。存外に気が合うかもしれない、と予感すること。立ち上がって布団に戻る。
だから、今は少し悪い気がしている。輝夜が勝手に、私の方に気を持ってくるのは、輝夜の勝手だから。
輝夜がまた勝手に布団の中に潜り込んできて、仕方なく二人で眠った。
2.蓬莱日和
世界が反転する。視界が揺らぎ、遠ざかる。起きたことを理解した瞬間、私は天井を眺めていた。遠くで幽々子様、と呼ぶ妖夢の声がする。
「………………」
「……どうして、そんなところで寝転んでるの? 朝ご飯よ」
しばらくしてやってきた輝夜が私を見下ろしている。畳は冷たかった。起き上がる気力はどうしてか無くて、ぼう、と輝夜を見上げた。輝夜様、と妖夢が呼ぶ声がする。
「輝夜様、幽々子様……あ、もう起きてらっしゃるんですね。朝食が出来ましたよ」
どうしました? ……妖夢が倒れている私を見に、部屋に入ってくる。
「ごちそうさま」
ご飯。鮭の切り身。卵焼き。ほうれん草のおひたし。それらが乗っていた食器を纏めて妖夢が持って行き、戻ってくる。
「幽々子様、背中は大丈夫ですか?」
朝転んだ時、打った背中が痛んでいる。
「どうしてそう思うの?」
「座るとき、ちょっと庇ってるみたいでしたから」
私が何も言わないままにしていると、妖夢が薬箱を持って戻ってくる。
打ち身をしたのが恥ずかしいのではなくて、それを隠そうとしていたみたいで恥ずかしい。そんなこと微塵も考えてないのに。妖夢が隣にしゃがみこんで、薬箱から塗り薬を取り出している。
「さ、背中を見せて下さい」
帯を緩めて、肩を抜いて背中をはだける。輝夜が向かい側に座ったまま、私と妖夢を見ている。生の空気に触れた背中が、何かに触れられているような違和感を感じた。横になる。
「冷たいわ」
我慢して下さい、と妖夢が言う。
「永琳に薬を貰ったらすぐ治るのに」
「そこまで大変な傷でもないですし。……はい、終わりましたよ」
元々放っておいてもいいくらいの傷だったから、妖夢は簡単に処置をして立ち上がる。何となく起き上がるのが億劫で、そのまま横になっていた。腕に枕して、頭の重みを感じている。
妖夢が部屋を出て薬箱をしまいに出て行くと、代わりに輝夜が這って近寄ってくる。
「……何」
「んーん、痛そうだな、と思って」
ちょい、と指先で赤くなったところを触ってくる。
「……っ」
「あ、ぬるぬるしてる」
指先にすいた薬を舐めて、輝夜が背中を撫でている。
「何がしたいのよ?」
「綺麗な背中だな、と思って。透明がかった白色ね。やっぱり幽霊だから? でも、どうして幽霊が打ち身するのかしら」
不思議だわ、と言いながら輝夜が背中を撫でる。さわさわ。さわさわ。
「ほんとはね。あなたの打ち身には気付かなかったけれど、薬を塗ってあげたかったの。薬を塗ってる時の妖夢とあなた、互いに信頼しあってる感じがして……羨ましかった」
「あなただっているじゃない。赤くて青いのが」
「永琳は私なんかが気付くよりも先回りして、何だって自分でしちゃうもの。つまらないわ」
ふぅん、と言って身体を起こした。つまらない、ね。つまらないなら、面白くしてしまえばいいのに。妖夢だってよく出来た子だけど、ちょっと邪魔をしてあげたらすぐにパニックになる。困っている妖夢を見るのはかわいい。
着物に袖を通して、帯を着付け直す。輝夜は私がそうしているのをじっと見ていると思うと、急に立ち上がって倒れ込んだ。どしーん。
「どうしたの?」
「いたた。ほら、見て、幽々子。あざ。出来ちゃった。薬はあっちよ」
ほらほら、と言わんばかりに背中を見せつけてくる輝夜に、指をひらりとかざして見せる。死蝶がひらひら舞って輝夜が倒れる。光る。起き上がる。
「どう、治った?」
「……愛がない!」
あってたまるか。ふん、と私は輝夜を放ったらかして部屋を出た。
昼食は部屋で一人取ることにした。食事を終えた頃、妖夢が食器を取りに来る。隣に膝を突き食器を集める妖夢。重心を後ろに向けて、妖夢のお尻に手を伸ばす。
ふわ、と妖夢のお尻を一瞬撫でて、離す。布越しに柔らかい感触が伝わって消える。綿菓子みたいに一瞬だけ。
「?」
妖夢が自分のお尻に手を当てて、きょろきょろと振り向く。
「どうしたの、妖夢?」
「いえ、何でもありません」
妖夢が机に振り向く。もう一度手を伸ばす。さわさわ。
「……? 幽々子様?」
「なあに、妖夢」
「……触ってるでしょう」
さわさわ。手が答える。もう、と妖夢がその手を払いのける。妖夢が隣で立ち上がる。
……ぱふ。
足に抱きつくみたいにして、顔を押しつける。
「きゃ! ……ちょ、ちょっと。もう、何してるんですか」
妖夢のお尻の感触は、ちょっと肉付きが薄い。もっと柔らかかったらいいのに。
「あの、幽々子様。寂しいなら抱きついてもいいですから、ちょっと、そこは……」
「お尻がどうしたの、妖夢」
「……ええ……ちょっと、恥ずかしくて……」
恥ずかしくたっていいじゃない、と言って頬摺りをするように顔を逸らし、向きを変える。
障子の陰に隠れるようにして、私を見ている輝夜と目が合う。ぎゃあ、と叫びそうになる。
「いいじゃない、じゃないですよ。ほんとに恥ずかしいんですから、もう……」
すっと離れると、むしろ妖夢は不思議そうな顔をした。ててて、と輝夜が入ってくる。こっそりと見てるなんて。背徳感が今更のように生まれてくる。
「あ、輝夜様……」
「ねえ幽々子、隣いいかしら?」
私が答えるよりも先に、輝夜が隣に座り込み、妖夢のお尻に顔を当てる。
「きゃあ!」
「うーん、いい感触」
「せ、せ、せくしゃるしゃらすめんとッ」
妖夢がわたわたと食器を揺らして離れようとしても、輝夜はがっしりと掴んでいて放さない。幸せそうな輝夜と、心底恥ずかしそうに顔を真っ赤にする妖夢。……良い景色。
そんな場合じゃない。心底。
「ほらほら、幽々子も一緒に」
「な、何がしたいんですかっ!ゆ、幽々子様、そんなことしたら絶対に許しませんからねっ」
ますます抵抗を強くする妖夢と、幸せそうな輝夜。どうにでもなれ、と思った。輝夜の隣。妖夢のお尻。
「ひゃわ! ゆ、幽々子様!」
「気持ちいいわー」
「ちょっと! ほんとに、ほんとに止めて下さい! いや! ちょっと、どっちですか! スカートの中に手を入れてるの! ……も、もう……っ!」
妖夢が、食器を机の上に置いて拳骨を、二つの頭の上に落とした。い、と思わず声が出るほど強く打ちのめされた私と輝夜は思わず頭を押さえて、その隙に妖夢は食器を掴んで部屋の外に逃れた。
「ひ、人の嫌がることをしちゃいけないって、お、教わらなかったんですか! 輝夜様と幽々子様の馬鹿!」
倒れ込む私と輝夜にそう言い残して、妖夢は廊下を駆けていった。
「いたた……主人に手を上げるなんて、従者の教育がなってないんじゃないの?」
「……私一人なら、怒る子じゃないわ。うー……」
俯せのまま、ずきずきと痛む頭を抱えて呻いた。
……さわり。
「……ちょっと」
輝夜が膝をついて、私の側で、私のお尻に手を伸ばしている。
「怒るわよ」
「そう言わずに。……ふぅん、安産型ね」
ちょっと触ったくらいで分かるなんて、随分慣れてるのね。……言わないけど。
「……子供なんて作らないわ」
「良い感触ってことよ」
もう、と輝夜のその手を払いのけた。そうしたら顔を埋めてきて、もう面倒なので放っておいた。輝夜は身体を仰向きに変えてから、いつまでもそうしていた。そのうちに寝息が聞こえてきた。
「……幽々子様?」
「あ、これはね。妖夢、ちょっと複雑な事情があってね?」
夕食はお流れになった。不潔だと妖夢が拗ねてしまったので、私は仕方なくお酒でお腹をごまかすことにした。
ふらふらと輝夜が、気付けばやってきて隣で月を眺めていた。ちびりちびりとお猪口をくわえる私を気にすることもなく。私の側でも、特別何か言うこともないので黙っていた。
「こんばんは」
しばらくしてから、不意にそんな風に言う。見ればにこっと笑って、私に顔を向けている。
「月はもう十分に見たから」
次は私、ということだろうか。私は、大体この宇宙人の扱い方が分かってきた。あまり輝夜の言うことを親身に聞かないことだ。話半分で聞き流すくらいが丁度良い。
「ふうん」
言葉は続かなかった。私が使っているお猪口を床に置くと、輝夜もそれを使って、勝手にお酒を飲み始めた。
「ねえ幽々子、もっと強いお酒が飲みたいわ」
私が好んで飲むのは、里の酒造で作り置きされている甘口の吟醸だ。形式張っていなくて、飲みたい時に軽く飲める。自然、そう強くない。普段飲むお茶や水と変わらない。
「強いの、ねぇ」
妖夢はいるだろうか。妖夢、と呼ぼうとして、輝夜と仲良く晩酌をしているのを見られるのが、何故かとても嫌なことに思えた。仕方なしに一人で台所へ行き、輝夜の前に泡盛と焼酎を並べた。ついでに持ってきた湯飲みも差し出す。
「どっちがいい?」
「どっちも頂くわ。気が利くわね、幽々子」
はいはいどうも、と私は答えた。変に気を尖らせていたら疲れるばかり。こんな風に気楽にするのが良い。
とは言っても。泡盛を湯飲みに注いで、両手で持って口に運ぶ輝夜を見る。この人懐っこさは何なのだろう。嫌っていたはずの私が、そこまで気にならなくなるほど、懐に入ってくる。
「幽々子はあんまり酔わないの?」
「人並みに酔うわよ。泡盛なんか、強い割に飲みやすいから、すぐね」
ふうん、と言いながら輝夜は横になる。もう酔ったのかな、と思ったけれど、そうじゃない。輝夜はすぐ横になる。リラックスしているらしい。裸足でいることも多い。気高さとか、そう言ったものとは懸絶している。だらしなく、気ままで、したいようにしている。
「私は、あんまり酔わないわ。どうしてかしらね?」
「元々が強いのじゃないの? 蓬莱人だとかは関係がなく……」
「しかし、こんなお酒を飲んでるとアレね。何かつまみたくなるわ」
話にまとまりがない。妖夢に何か作ってもらおうかなと思ったけれど、そういう訳にもいかない。
「うーん、困ったわね。……あら?」
廊下の端に、ちょこんと皿が置いてあるのを見つける。何かしら、と拾い上げてみると、炒り豆が入っていた。
「炒り豆ね」
ええ、不思議なこともあるものだわ、むぐむぐ。
「あ、ちょっと! 一人で食べないでよ。幽々子は勝手なんだから」
輝夜には言われたくない。
「だってしょうがないじゃない。夕食がなかったんだもの。でも、豆より魚とかの方が、お酒には合うわねえ。妖夢、持ってきてくれる?」
返事は無かった。でも、しばらくしてから、逆側の廊下の端に、更に山盛りされた川魚の干物が落ちていた。
「不思議なこともあるものねぇ」
「ちょっと、半分こ! 半分こしましょう、ね、幽々子」
干物を半分に分けて、輝夜はお酒のつまみにちみちみ食べていたけれど、私はもしゃもしゃ食べた。
「それにしても輝夜。まだ永遠亭の改修は終わらないの?」
輝夜が来てから、そろそろ一週間ほどになる。輝夜はばれた? と言った。
「永遠亭の改修はもう終わってるわよ?」
「……帰りなさい」
「そう言うと思って言わなかったのよ。ここは居心地がいいんだから、もうちょっと居させてよね」
……ふう、と息をつく。そう言うことを言い出したら、輝夜がどこかに行くのは、一体いつのことになるだろう。
「……変わってるわ」
「何が?」
「冥界に好きこのんで居着こう、なんて人はこれまでいなかった」
「そう? ここは静かだから。こんなに静かなのは、久々だわ。……うん。元々、私、こんな物寂しい雰囲気が好きなのよね。騒がしいのも悪くないけど」
事実輝夜は楽しそうだった。このところ、一人でいる時の輝夜は、庭先で目を閉じて一人揺れていたりして、その風情を楽しんでいたりした。
「……ここは幽霊しかいないもの。その中で、あなた一人が騒がしいわ」
「あら。じゃあ、追い出す?」
あくまで楽しげに、輝夜は言った。今なら追い出されても戻らないわよ。そう言いたげに。まるで、私に選択を迫るように。私の答えは決まっている。
「……追い出さないわ。……好きなだけ、いるといい」
気が合うと思った。冥界の物寂しい雰囲気。私自身が霊だからなのか、それは分からないが。私も、この風情が好きだった。
でも、そんなことは絶対に口にしたりなんかしない。負けたような気分になる。輝夜が湯飲みを持ち上げて、私に示して見せた。私もお猪口を持ち上げて、軽くそれらをぶつけて見せた。
3.蓬莱花見
「ねえ、幽々子」
冥界は変わらぬ日々の中に落ちていた。輝夜が居着いたことも遠い昔のように自然になり、変わったことと言えば、客間が一つ、永遠亭から輝夜が持ってきた本で山積みになり、その中で万年床に寝転んで輝夜が本を読んでいる程度だった。
輝夜の持ってくる本は、文庫本に絵本、哲学書からビニ本、チラシから電話帳まで、読めれば何でも良いと言わんばかりの乱雑さでおもしろくて、私も時折混じるようになった。
その日も、二人寝転がってだらだら本を読んでいると、輝夜は唐突に私の名を呼んで、言った。
「西行妖が見たいわ」
そんな空気でもなかったのに、輝夜はいつも唐突だから慣れてしまった。要は、いつもの気紛れだった。
これがそうよ、と言うまでもなかった。巨大で、独特の風情を持つ妖怪桜は、永い冬を過ぎて、咲き誇る時を待っていた。
「わ、すごい。単純に大きいのね。まるでモンキーポッドみたい」
輝夜はあっけらかんと、簡単に感動していた。枯れず、朽ちない。存在しているというただそれだけで、他の存在を圧倒する妖怪桜に、輝夜はただの美術品であるかのように、ぺたぺたと遠慮なく触った。
「生命力に満ちているわ。永遠を生きてると言われても、信じられる。こういうものが、冥界にあるのは……この上なく、違和感と言えば違和感ね」
「……墓地に咲く桜は綺麗に咲くって話、信じる?」
桜の木の下には、かしら。輝夜は呟いて樹の傍らに寝転がった。頭上を見上げ、目を閉じ、深く息を吸い、深く吐く。長い呼気を終えた後、輝夜は再び目を開いた。
そして、微動だにしなかった。指一本動かさず、ただ見上げたまま。呼吸に伴う僅かな胸の上下と、瞬きだけが、輝夜の生を教えていた。
このまま。輝夜を殺してしまったら、蘇らないのではないか? 殺して、土に埋めて。西行妖の一部にしてしまったら。西行妖は、蓬莱の薬を得て、これまでにないほど咲き誇るだろうか。
……馬鹿馬鹿しい。私は思考を断ち切って背を向けた。輝夜は身を起こさなかったけれど、放っておいた。
未練、欲を持ったまま、霊が姿形を見失ったものを化生と言う。転生するか、化物になるか……死んだ人間の行く先は、その二つしかない。
私は亡霊だ。未練を持ちながら、けれど生前の記憶の一切を持たない。その矛盾した性質のまま、私は姿形を忘れることなく存在している。
――私は何者だ。その問いはかつて私の中にあった。そして、薄く擦れて、やがて感じられなくなった。存在していることに慣れたからだ。
――私は何者だ。だが、問いは確かに存在している。私は亡霊だ。私は死で満ちている。存在理由なく歩くこの身は、また土塊へと還るのを待つ身ではないのか。私の意志に関わりなく、風にふ、っと攫われるように、消えるのではないか。
答えは未だ、出ない。とは言え、時折考えることはあっても、今はそれに怯えることはない。既に過ぎ去ったことだ。
輝夜の姿。
亡霊であることがそもそも、知らない頃の私も、西行妖を見ながら、自分自身のことを考えた。そして、自分に満ちる死の力のことを。
そして、私は失った、元の自分自身のことを考えるのを、止めた。どうしても思い出せないほど強く消えてしまったものは、きっと私自身が覚えていない方が良いものだ。
輝夜は、あの桜の下で、一体何を思うのだろう。
「幽々子様ぁ、輝夜様がどこに行ったか、知りませんか?」
「知らないわ」
「困りました、食事が一人分余ります」
「私が食べるから問題ないわ」
昼食にも夕食にも、輝夜は姿を見せなかった。昼に訪れたルナサと仕事の打ち合わせをした後は、一人、輝夜の部屋でだらだらと過ごした。
本をめくっても、内容は頭に入ってこなかった。私は輝夜のことを考えていた。
冥界で一人騒がしい、蓬莱の姫君。冥界だからという訳ではないけれど、どこか引きつけられる。何がそんなに魅力的なのだろうと考えても、答えは出なかった。見目は麗しくても、幻想郷の少女は皆美しいから、それが特別というわけでもない。ならば内面はと考えれば、粗雑で気まま、明け透けな親しみやすさがあり、その中に、立ち振る舞いの細やかさには姫の出自らしい気遣いの二面性を見て取ることができる。そのどちらにも振り切れない読めなさが魅力の一つであるのだろう。自分勝手でありながら、気紛れな故に振りまかれる無作為の善意も悪意も、引っくるめて魅力とも言える、が、同時に欠点でも有り得る。
ならば共通点かと思えば、それならば一つ思い当たる部分がある。長い時を生き、自分自身に確たるものを持っていないという部分だ。最も、輝夜については推測でしかない。蓬莱人、永遠の命。月に住む一人の人間という部分を失っている。一度死に、生を失い、死の中生きる私の経歴と重なる。
だけど、それはむしろ私にとっては理解の出来ない部分だった。同じならば何故、あんなにも気ままに振る舞えるのか。責務のない気楽さか、それとも元来の闊達な性質故か。……それとも、蓬莱人というものを理解して、自分の中で満足しているのか。考えても分からなかった。輝夜が、自分というものが分からないまま自然にああいう風に振る舞えているのだとすれば、やはり私は羨んでいるのかもしれなかった。
現在に至る経緯が似てはいても、輝夜は全く別の生き物だった。理解の及ぶはずもなかった。
なのに、何故だろう。どこか、私は輝夜に惹かれている。
夜半、足を向けた西行妖の下に、輝夜は変わらず寝転んでいた。瞳を開いたまま…それは嘘みたいに人の形をしていて、まるで死んだのに意識だけが残って見上げているような、そんな薄気味の悪さに満ちていた。こんな表情をしていたか。
「……輝夜」
私の声に、輝夜は一度瞳を閉じた。……すぅ、と一つ強く息をして、目を開いた。顔を私に向けて、微笑む。ゆゆこ、と象られて唇が動く。
「幽々子。……ずっと、考えていたわ」
「何を?」
「あなたのことを、考えていたの」
西行妖の下。輝夜が仰向けに寝転がり、私を見上げている。
「幽々子が怒った時、どうして幽々子はあの時、怒ったのかなって」
輝夜の目は伺うように、何の感情も宿してはいない。ただ単純に問いとして考えている。あの夜と同じだ、あの時も輝夜には悪意はなかった。……ふう、と息をつく。自分から何かを言うつもりは、なかった。
「……それで?」
「うん。……考えても考えても、答えは出なかったわ。だって、私は幽々子のこと、知らないもの。ううん、幽々子のことを知ってる人なんて、誰もいないんじゃないかしら。幽々子は自分のこと、全然見せたりしないんだもの。それこそ、あの怒った時くらい」
私。記憶のない、自分の原初を知らないことは、確かに私の中にはある。けれど、長く冥界にいた今、そのことに思い煩うほどでもない。
「ねえ幽々子。あなたのこと、いくら考えても分からなかったわ」
「……うん。もう聞いたけど」
「……ね、ここにいる間考えていたこと、言っていい?」
どうぞ、と私は言った。
「うん。……幽々子。あなたはあなたよ。他の誰でもない。西行寺幽々子。
それを私が証明してあげる。私の証明っていうのは、つまり永遠の証明よ。私があなたと一緒にいてあげる。あなたが西行寺幽々子であることを、私が覚えていてあげる。
だから、自由にのびのびと、あなたはあなたでいていいのよ。西行寺幽々子の名を持った少女。自分が誰であるか、なんて思い煩わず、ただありのままに私に愛されなさい」
輝夜はゆっくりと、まるで言い聞かせるように言った。ふ、と私は微か、笑った。
「……そんなことを考えていたの?」
「うん。私も、ちょっとだけ覚えがあるから。そんな奴知ってるし」
藤原妹紅のことなら、私も知っている。けれど、それとは性質が違うだろう。彼女は自分が持っている苛立ち、憎しみの正体を知っている。
「幽々子は長く生きてて、自分がどこにあるのかを見失ったままなんじゃないかって」
「まるで、見透かしたようなことを言うのね」
「……違うの?」
「一週遅れで大外れよ。今更、そんなこと悩んでなんていないわ」
なんだ、と、輝夜が身体を持ち上げる。
「せっかくあなたのこと考えてたのに。馬鹿みたい」
「でも……でもね。正直に言うわね。……あなたと、もっと早くに会っていたら、色々と違ってたと思うわ」
「……と言うと?」
「ちょっとは考えなさいよ。だからね。……私が、そんなことを本当に考えてた時に。……あなたに、そんなことを言われてたら、本当にあなたに全部委ねてもおかしくないくらい、あなたの元にいたと思うわ」
輝夜は不思議そうな顔をして私を見つめていた。ここまで言って分からないなら、月の人間は想像以上にアホだと思うしかない。
「……幽々子、顔が真っ赤よ。普段が白いから、赤くなったら凄いわね」
「言わないでよ、そんなこと」
くふふっと輝夜は楽しげに笑った。立ち上がって、肘で私をつついて楽しそうだった。照れ隠しに本気でしばいたら本気で輝夜は痛がってた。そのまま本当に死んじゃわないかな、と思ったけど、力の伴わない私の腕力では、ちょっとたんこぶを作るくらいでしかなかったようで、後で妖夢がたんこぶのできた輝夜に話を聞いて、『幽々子様に拳を振るわせるなんて、一体何を言って怒らせたんですか』と輝夜に聞いていた。私は、二度目の拳を振るうことになった。
4.蓬莱歌会
昨日のことだ。
魔理沙と霊夢が遊びに来た。夕方の事だ。良い日本酒が手に入ったから、と二人は言って、邸に上がり込んだ。
「やっぱりここは静かで良いよな。落ち着いて酒を飲むのに、ここ以上の場所はないぜ」
「冥界をまるで飲み屋みたいに扱うのね。ま、本当にそうだけど」
これ以上に失礼な二人もいないだろう。私はもう、妖夢に任せてしまうことにした。
「どうしたの? お客様?」
「おや、これは月の姫様じゃないか。どうしてこんな所に?」
「避暑ですわ」
「飲み屋の次は避暑地かしら」
「まだ暦の上では冬だけどな。お前も飲むか?」
いいわね、と乗り気になる輝夜。やれやれ、と私は思った。妖夢、と呼ぶと妖夢はすぐに現れた。
――そして、今に至る。当然のごとく魔理沙も霊夢も寝こけている。妖夢、と呼ぶと二日酔いの頭を抱えて、うーと唸っている。一人、付き合ったのだろうに、平気な顔をしている輝夜がいた。
「困ったわねぇ」
「何が困ったの、幽々子?」
「明日は歌会があるの」
歌会。とは言っても、そこまで仰々しいものではなく、ただ集まってその季節の歌を詠む、それだけ。幽霊や、里からも興味のある人間がやってくる。
「準備をしないといけないわ」
「妖夢は当然駄目、と。いいわ、手伝いましょう。何をしたらいいの、幽々子」
驚天動地。
とまではいかなくても、私は驚いた。
「どうしたの?」
「いいえ……食事の時に運ぶ程度も手伝わず、全ての家事を任せているせいで妖夢の負担を増やしているあなたが、まさか手伝うだなんて……」
「それは幽々子だって同じでしょ」
私のことは、妖夢は慣れているから良いのだ。それにあんたのところの従者も暇してるんなら連れてきなさいよ。と思ったけど、人が増えるのは嫌だったので言うのは止めておいた。
「ふう、まあいいわ。それにしても、できるの? 結構な重労働よ」
「任せといてよ。私、こういうイベントって、結構好きなんだから。歌会だなんて、風情があっていいわね。私にぴったりだわ。欲を言うなら、もっとぽかぽか陽気の、春の日にすれば良いのに」
「四季の巡りに合わせて年に四回しているの。また、春もあるわよ」
そっか、と輝夜は言い、袖口を捲りあげた。
「それで、何をしたらいいの?」
そうね、と私は頷いた。
簀の子を、砂利の上に敷き詰める。庭の一部とは言え、それなりに規模のある白玉楼の庭だから、それなりの枚数になる。二人でえっちらおっちらと運ぶ。
簀の子の上に、ゴザを敷く。巻かれている、それなりに巨大なそれを、両手で抱えるように運んで、簀の子が見えないように敷いてゆく。
忽ち私も輝夜も汗だらけになって、ふうふうと言いながら作業をした。私もそうだけど、輝夜もきっと、こんな作業には慣れていないのだ。やっぱり妖夢が元気になってから、夕方からでも急ぎでやってしまった方が良かったかな、と思う。
「そろそろお昼ね」
そうね、と答えた。それだけの作業で、午前中を使ってしまっている。
「あとどれくらい?」
「あとは、毛氈を敷いて、色紙と筆を出して、くらいかしら。お菓子やお酒は明日届くし」
なんだ、と輝夜は言う。
「それくらい、もうしちゃいましょうよ。ちょっとくらいお昼が遅くなっても良いわ」
うーん、と私は思った。三食はその時間ごとにきちんと食べたい。けれど、どのみち妖夢が倒れていて出来ないから、いいか、と思った。
「よし、やっちゃいましょうか」
おー、と輝夜が片手を上げて、私についてくる。倉庫から袋に包んで置いてある赤い毛氈を引っ張り出して、輝夜に渡す。
「先行って、ゴザの上から敷きかけて。下につけないようにね」
了解、と輝夜が外に出る。
「ねえ幽々子、私、歌会なんてしてるの知らなかったわ。誰が来るの? 巫女とか、魔法使いとか、吸血鬼とか妖怪とか?」
「そういうのは、全然来ないわ。そもそも、告知もしている訳ではないし。幽霊と、前から知ってる人間だけねぇ」
「そうなんだ。小さな催しなのね」
よっと、と毛氈を下ろして広げる。一枚でぶわっと広げられたら綺麗なのだけど、岩を避けて簀の子を置いてあるから広げられないし、そんなにも巨大な毛氈を用意できない。ちまちまと重ねていくしかない。持ち出して、並べて敷いて、また持ち出して。
「あー、疲れた!」
ようやく一面が真っ赤になったところで、輝夜がその上に身体を投げ出して寝転んだ。頭の後ろで手を枕にして、真上を見上げる。
「お疲れ様。筆とか、まだ出すものもあるけれど、倉庫から出すだけにしておいて、明日並べましょう」
木々に囲まれた枯山水の中に浮く巨大な島のように深紅が、所々に岩山を突き出して広がっている。
「そろそろ、妖夢は起きたかしら。ご飯、してもらわないと」
「水でもぶっかけてやればいいんじゃない。酔いが醒めるように」
ひどいことを言うのね、と言うと輝夜はいひひと笑った。輝夜は時に底意地が悪い。
妖夢と後の二人を寝かせていた部屋に戻ると、魔理沙が妖夢の頭に乗せていた濡れ手ぬぐいを変えていて、その隣で霊夢が昨日の残りをちびちびと飲んでいた。
「何やってるの?」
「あ、幽々子。私らはもう大丈夫だぜ」
「うん。元気になったから、飲み直し」
「馬鹿じゃないの。私も呼びなさいよ」
わーい、と声を上げて上がり込み、さっそくお猪口を持ち上げる輝夜。ふう、と溜息をついて座り込んだ。
「幽々子、様」
「あら、妖夢。もう大丈夫?」
妖夢がゆっくりと手ぬぐいを持って、身体を起こす。
「すみません。手伝えなくて……」
「いいのよ。昨日は、随分楽しんでたみたいね」
「……面目次第もありません」
いいのよ、と私は繰り返した。時にはそういうことだってある。お酒にあんまり強くないから、その分抑えて欲しかったな、とは思うけれど。
「昼からはしてもらうわ。先に妖夢、お昼の用意をしてくれる?」
「はい。少々お待ちを」
妖夢はまだ俯いていたけれど、仕事を与えると前を向いて立ち上がった。
「おー、手伝うぜ。他人の料理を作るの、楽しいよな」
「何お嫁さんみたいなこと言ってるのよ。私も行くわ」
必要もないのに二人も立ち上がって、ついていく。あの二人はどこにいても変わらなくて、楽しそうだ。見ているだけで若い気持ちになれる。
「いいわねえ、若いのは」
「ほんとに」
「幽々子も、気持ちだけは若くいないと駄目よ。自分が年寄りだなんて思ったら、ますますそうなるんだから」
失礼な奴だ。輝夜こそ、失礼さと若さを取り違えちゃいけないと思う。
「そういうことは気にしないわ。自分が年を重ねてる、ってあんまり思わないもの」
「まぁ、私達はあんまり変わらないものね。繰り返し繰り返しても物事を乗り越えていく感じはしない。そもそも、乗り越えること自体の意味を見失う。……そうやって長生きしてきたのでしょ?」
輝夜の言うことは、一部は当たっている。昔はそう考えてた頃もあった。
「ううん、そんなことないわ。何をしたって」
「楽しい、ものね。何でも楽しめるっていうのは大事よね。長生きしたら結局はそういう風になっちゃうものかしら? 殊更私達は死なない訳だし」
あ、と輝夜が声を上げて、うふふと笑う。
輝夜がふんわりと唇を重ねてくる。
え、どうしたらいいの、これ。正直、困る。
「ちょっと待って」
「なあに?」
「私達、いつからこんな関係になったの?」
え、と今度は輝夜が言った。
「幽々子、こないだのこと忘れちゃったの?」
こないだ。ええと、そんな日常的にキスするようになる出来事が何か、あっただろうか。いくら私が忘れっぽいからと言って。
「忘れちゃったのね。しくしく。あなたに全部委ねるって、言ったのに」
「ああ、あのこと。言ってないわ」
「言ったみたいなものよ」
みたいなもの、だろうか。そんな気もしてくる。
「んー」
また唇が寄ってくる。
「これは何」
「キスみたいなもの」
「そっか、キスみたいなものね」
んー、とまた触れて。
「なわけないでしょ」
しくしく。やんわり突き放された輝夜は泣き真似を続けてたけど、放っておいた。
「しくしく」
「出来たわよー。……なにこれ」
「気にしないで。何をしたの?」
「うどんです」
「うどんかぁ。あんまり、お腹に貯まらないわね」
「せっかく作ってもらったもんに文句を言うものじゃないぜ」
「大丈夫ですよ、また茹でたらおかわりできますから」
後の準備は、量が多くないこともあって、魔理沙と霊夢が妖夢を手伝って、すぐに済ませてしまった。
で。
「また飲むの?」
「あぁ、明日面白いことがあるんだろ。帰るの面倒だからもう一晩厄介になるぜ。それで、それまで、暇だろ?」
「ん、ん」
霊夢が隣でこくこくと頷いている。別に気にしていないからいいけど。ちらり、と隣を見る。そんなことを気にするくらいだったら、輝夜を留めるはずもない。
「はぁ。妖夢、あなたはあんまり付き合わないのよ」
「はい。この一杯だけ頂いて、すぐに部屋に戻ることにします」
くい、と杯を傾け、失礼します、と腰を上げる。居座れば腰が重くなるのを分かっているのだろう。
「賢明な判断だな」
「ね。妖夢は酒を向けられたら、絶対に飲むものね」
「それが面白くって、昨日は散々楽しんだんでしょう」
ばれたか。魔理沙が言って、輝夜が隣で笑っている。今日は、私もさっさと引っ込むことにしよう。明日が本番なのだから。
失敗したくない、とかじゃなくて、せっかく季節ごとの催しなのだから、その時々をきちんと楽しまないと。ねぇ?
「うん? なあに、幽々子」
私はじっと輝夜を見たけれど、何も気付かなかったみたいだった。
「いいえ。じゃあ、私も明日があるから、これで失礼するわね」
「なんだ、昨日も付き合わなかったのに、つまらんぜ」
ふわりと笑って、部屋を後にする。輝夜の表情が気に掛かったけど、放っておいた。
寝付く頃、また輝夜が現れて布団に潜り込んだ。いつもならもっと楽しげに粗雑に現れるのに、今日は大人しく、しずしずと潜り込んできて、私は珍しいなと思った。
「猪鹿蝶」
「花札はパワーだぜ。月見酒、三光、ついでに種だ。こいこい」
ぱしぱしと打ち合う札の音が心地よい。
「むむ、やるわね」
「やるわね、じゃあないわ。全く、何のための歌会なのよ」
魔理沙と霊夢は、二人、場の隅に陣取って花札に勤しんでいる。ぱしぱし。ぱしぱし。
「四光。それからこいこいだ」
「はい、カス上がり」
「あ、くそ。そんなずるい手ばっかり使いやがって」
「四光相手に打ち合う馬鹿はいないでしょ。次よ次」
「しかし今、カスが四枚一気に貯まったよな。何だよその運は。もっと良い物を取れるように運を使えよ」
「負けなければ一点でも勝てるの」
サッカーじゃないんだから、と思う。ふう。この二人はどこにいたって自由だ。
歌会の様子は、始めの挨拶も済み、来た者達同士の挨拶も済ませ、酒も入って闊達な雰囲気が出始めたところだった。二、三十人程度の人間と幽霊が混じり合う、冥界という場所にはあるまじき風情に、疑問を持つ人はいない。ほとんどが元からこの歌会のことを知っていて来る人々だけなのだから。人魂がその魂の形のままにふよふよと浮かんでいても、足が無く、半分透けた人ならざる者が誰も気にすることなく話していても。
プリズムリバー楽団が洋風にアレンジした童歌を煩くない程度に奏で、話す声に混じって時折声高に歌を詠む声も聞こえてくる。酒と言葉と歌を交わして、誰もが楽しげに笑っている。
主催者とは言え、挨拶の他に私がするべきこともない。なんとなしに魔理沙と霊夢の隣に座って、お酒をちびりちびり飲んで花札の勝負の行く先を眺めた。時折魔理沙が大勝することはあっても、霊夢の運びの巧みさで、霊夢が大枠で勝っていた。
「幽々子」
「あぁ、輝夜。起きたの?」
輝夜がその場に現れたのは、その頃だった。
「えぇ。ちょっと寝過ぎちゃったわ。あふ」
掌で口元を隠して、欠伸を一つこぼす。
「付き合いなさいよ、幽々子。お酒でも飲みましょう」
ええいいわよ、と輝夜が歩いて行くのに合わせ、ついてゆく。縁側に座り込んで、輝夜が酒を杯に注ぐ。
「美味しい。やっぱり、気楽にするのもいいけれど、こういう雰囲気はいいわねえ」
同意して杯を向けると、輝夜はそこに注いでくれた。ちびりちびりと飲みながら、辺りを見た。私がそうしていると、輝夜がまた、視線を私に向けていることに気付いた。
「………………」
ひどく楽しげに微笑んでいる。まるでそうしているのが楽しいとでも言いたげに。黙って見返していると、輝夜は益々笑いを強くして口を開いた。
「ねえ、知ってた? 私、あなたのこと好きみたい」
輝夜の言葉は、私にだけ届いて、辺りのざわめきに揉まれて消えた。
「うん、薄々と。……それで、だから、どうするの? 付き合う?」
輝夜は小さく吹き出すと、私の顔を見てふるふる震えて、お腹を抱えて笑い転げた。
「おっかしい。まるで学生みたい。『付き合う』だなんて、乳の匂いのすること」
「だって作法を知らないんだもの。……妖夢が言うには、告白のあとには付き合う、そういうものだそうよ」
そうなんだ、と輝夜は言う。私も輝夜も、そうした手順のようなものには疎い。
「月では知らないけど。そうね、俗世にいた頃は、懸想の相手の寝所に、夜中忍んで行くのが流行だったわ」
「そうなんだ、ワイルドね。もしかして、夜中に私のところに来てたのって、そういうことなの?」
呆れた、と私が言うと、輝夜は何故か自信に満ちた顔をしていて、私はますます呆れた。
「幽々子ってば、寝付いちゃったら何をしても起きないんだもの。つまんなくて、そのうちただ寝るようになっちゃったわ」
――起きてたわ。
そんなことは言わなかった。ふう、と溜息をつき、輝夜から視線を外した。
「そういうのはね、……そういうのは、起こしてからにしなさい」
「……ん?」
輝夜が私に顔を向けてくる。私は顔を見られたくなくて、向こう側に逸らした。
「ね、ちょっと、ねえ。幽々子。こっち向いてよ」
「嫌」
「じゃあそのままでいいわよ。幽々子って、そういうこと言う人だった?」
「言わないでよ。恥ずかしいんだから」
「……ね、やっぱり顔見たい。どうして恥ずかしいのに言ってくれたの?」
「輝夜が言ってくれたのに、私だけ言わない訳にはいかないでしょう。見ないで」
輝夜の身体が離れる。諦めたのかな、と思ったけど、様子が変だった。顔を背けている。
「やだ。私、本当に幽々子のこと好きかも」
なんて、存外大きい声で言うものだから、私は焦ってしまった。思わず手を掴んで、奥へと引っ込んだ。
「ちょっと、何するの」
廊下の奥の奥、角の誰も見ていないところに行き着いて振り返る。
「何よ、幽々子ったら。いきなり閨に連れ込もうって言うの?」
はぁ、と溜息をつく。「人前でそんなこと、言わないでよね」
輝夜の頬を挟むように、両手で触れた。固定された狭い視野の中で、私と輝夜の視線が交ざり合う。これからすることを輝夜は感じ取り、秘やかに笑い、私の手に自らの手を重ねた。
――来て、幽々子。そう言っているかのような瞳に、誘われるがまま、唇を交わす。
瞳が、髪が、香りが……ずっと近いところにあって、薄暗い陰の中、ただ私達はそこにいて、これまで感じたことがないほど近く、互いを感じていた。
私たちは一個の死、一個の生に過ぎなかった。
私たちはどうやら、そのことに気付くのが遅れたらしい。
とは言っても、そこが限界だった。いつまでも主催がいない訳にはいかない。輝夜の手を引いて縁側へと戻る。
「どこに行くの? 閨はあっちよ」
「ねーえー。盛り上げておいて、この仕打ちは残酷だわ」
「ほら。そこの角を曲がったら、戻っちゃうのよ。もう引っ込めないわ。いいの? ……あいた」
うだうだとぐずる輝夜の額にでこぴんをして黙らせると、輝夜はうーと唸って私を睨む。
「焦らないの。どうせ時間はいくらでも、本当に腐るほどあるんだから。それより今は、この場を楽しみましょう」
ぱ、と手を離して、離した手でそのまま、庭の方へ向かう矢印を作る。落ち着いた、けれど静かな活気のある場所に、私達は戻ってくる。人や、人の形を得た霊達が、酒を酌み交わし語り合い、時折句を詠む。生きることの素晴らしさ、日常に満ちる光景、美しい景色のことを。
「ねぇ、輝夜? 私は何度もこの会を開いてきたし、見てきた。あなたがここにいるなら、これから何度も見ることになる。……でもね、あなたと初めて一緒にいて、一緒に見た歌会は、今日だけよ。何度一緒に歌会を過ごしても、今日だけ。一緒にご飯食べたり寝たりしたけど、初めては一回だけだし、これから新しい初めては何回も訪れるわ。その一つ一つが、大切な思い出よ。私は死んだ後、生きていた頃の記憶を殆ど失ってしまった。でも、死んでから冥界にいる思い出があるお陰で、私は私としていられるわ」
この人達もそう、と示して見せる。
「記憶は持たなくても、いつかここで過ごしたことが、どこか遠い記憶の中覚えていて、こんな風にやってくるの。
あなたと一緒にいたこと。いつか、忘れるかもしれない。でも、どこか遠い記憶の中には残る。きっと、覚えていないことなんてないわ。自分の中、どこかで生きているの。ねえ。一緒にいられることは、こんなにも素敵よ。そう思わない?」
袖を引っ張られて輝夜を振り向くと、いきなり輝夜にキスをされた。
「ごめん、我慢できなかった」
輝夜はそう言って笑った。
サクサク読めて面白かったです
また書いて下さい!
そして思わず2度読みしてしまう程いいssだ。
種族としての在り方は正反対、性格も似てるとは思えない。でも一緒にいると居心地がいいとか羨ましい関係だなー。
キャラもいいよね。どちらも原作を逸脱せん割に新しい感じがするし。特に輝夜はまじ光ってる。長い年を重ねてる割にお茶目で自由奔放、時にハッとするようなカッコよさがある。そう分かるようにキャラを作れてるのは凄いな。幽々子様が惹かれるのも分かるわー。
そして輝夜が幽々子様に惹かれる理由は言うまでもないな!この幽々子可愛すぎ。大人し可愛い。
冷静に受け答えしつつ赤面しちゃってる幽々子様とか大満足だ。老成してる割にそういう恋に対しては初々しいもんだからたまらんね。
俺得なのでまた書いて下さい!
何より普段は掴みどころのない幽々子が輝夜相手にヤキモキしてる所が可愛かったです
静かな冥界の様子が巧く描写されていて、そこを賑やかす二人の会話がとても面白かったです
ガチに若干引いたけど
永遠の死と永遠の生は近いけど違うもので、
違うからこそ二人がいっしょにいることに意味があるんでしょうね
いやーこういうのもっと読みたいわ
なにはともあれ楽しめました
空気間を描くのが上手く、情景が浮かんでくるようでした
山あり谷ありと言う話ではないですが、個人的にはとても好きです
その解決がほんと、風のようにするするーっと自分の中に入っていって、
そこへ輝夜がしれっと告白しちゃうものだから射抜かれてしまいました。
すてき。ありがとうございました。
美人系の2人の、雅でけれど少女らしさもあるやり取りに心惹かれました。
特にゆゆ様ですが、なるほど、ぐーやを当てれば非対称性も含めて対等になりますね!
愛故に殺して。蓬莱人なら蘇るから上手く形になりそう。
あと、怒ってるのにそっとおつまみを出してくれる妖夢が素敵。嫁にほしい
ゆかりんと同じように優雅な関係が似合う
でも人んちにビニ本持ち込むのは姫というか女としてどうよw