やめられない! とまらない! それがABYTHENの力!
◆◇◆
ぱっくん。
ぱりぱり。
もぐもぐ。
ごくん。
ぱっくん。
ぱりぱり。
もぐもぐ。
ごくん。
「あまり食べ過ぎると太るよ」
僕がそう声をかけたことで、海老煎餅と口元を往復していた彼女の手がぴたりと止まった。
彼女――霊夢はむすりとした顔で僕の顔を見やる。
「私は太らないの。それに、寒いから食いだめしなくちゃならないのよ」
君は熊か。
……と思わず言いそうになってしまったが、あわてて口を抑える。僕も命は惜しい。
僕のその様子に気づくことなく、霊夢は再びぱりぱりとそれをかじり始めた。
季節は秋。寒くなりはじめたため、そろそろストーブを出そうかと思う今日この頃。僕の店、ここ香霖堂は、外の寒々しさと同じくらいに客足にも乏しい。来る者と言えば、妹分である魔理沙とこの霊夢くらいなものである。
もっとも霊夢は、こうやって人の母屋に勝手にあがり、これまた勝手に海老煎を食べているわけだが……。
「一応それは商品なんだけれどね」
「あらそうなの。じゃあ霖之助さん、ツケでね」
期待はしていなかったが、やはりいつも通り踏み倒す気のようだった。
まぁ知られた時点でこうなることは覚悟していた。
僕は霊夢から視線を外して、カウンターの横を見やる。
そこには、山と積まれた紙箱。
天井にまで届く高さに積まれた箱は壁一面に連なり、これらの箱の中身一つ一つに、今霊夢が食しているのと同じ菓子――海老煎が幾枚も詰め込まれている。
「大体そんなにたくさんあるんだから、私が食べたって大したことないでしょ。食べ物だって、食べられた方がうれしいに決まってるわ」
僕の思考を読んだかのように、ぱりんと海老煎の小気味よい音を立てつつ、タイミングよく霊夢が言った。
また屁理屈を……とも思ったが、正直なところ、この大量の海老煎をどう処理すべきかを悩んでいたのも確かなのである。
◆◇◆
名称:海老煎餅。
用途:食べるもの。
僕の能力ではそう表示されるこの和菓子――海老煎の山が出来たのは三日前の事。
友人である河童の河城にとり。「たくさん海老煎が手に入ったので、少し買い取ってくれないか」と、彼女が持ちかけてきたのがその発端だ。
半妖である僕はもともと食事の必要が無いのだが、「安値」「外の世界の食べ物」「味は良いので売れる」などという言葉に騙s……少し油断してしまい、二つ返事で、買い取りを了承した。
手元に残ったその海老煎は、味もよかった。外の世界で売られている菓子であることも真実だった。
――しかし、送られてきた量が量である。
大人の背丈以上の高さまで積み上げられた量で海老煎が送られてくると、誰が予想するだろうか。
送り返そうにも、木枯らしの吹きすさぶ外を歩き、この大量の海老煎をはるか妖怪の山にまで運ぶなど、その労力を想像しただけで頭痛がする。
にとりは巨大なアームで軽々と運んできたが、僕にはそんな便利なものなどないのだ。
結果、突然抱えることになったこの在庫に僕は頭を抱えることになった。
後に聞いた話では、にとりは大量複製機械だのなんだのを作っていたらしく、それが暴走してこのようなことになったらしい。
実験の失敗を人に押し付けるとは……
「ため息で幸せが逃げるらしいわよ」
その霊夢のつぶやきで、無意識のうちに嘆息していたことに気がついた。
霊夢の方を見ると、彼女の手元にあったはずの海老煎は粗方消えている。……食いだめというのも、あながち冗談ではなかったのだろうか。
「そうは言ってもだね霊夢。これだけの海老煎の処理を思うと、憂鬱になる気持ちも汲んでくれ。売るとしても、売り切る前にこの海老煎のほとんどは傷んでしまうだろうし……」
僕には食事の必要がないとはいえ、食物を無駄にすることはあまり好んだことではない。
商売人としての自負もあるから、無料で配るというのもいささか気が引ける。
どうしたものか……
「……ふーん……」
霊夢はぱくりと、最後の海老煎を一口食んで。
「――じゃあ、さ、霖之助さん」
ふと、霊夢の言葉の調子が変わった。
見れば、霊夢はぽりぽりと頬を掻きながら、明後日のほうを向いている。
……何か言いにくいことなのだろうか?
「……その……たまには、うちの宴会に」
「ごきげんよう、店主さん?」
突如僕の眼前に「上下逆さまになった」薄気味悪い頬笑みが出現し、心臓が口から飛び出す錯覚を覚えた。実際に飛びださなかっただけ褒めて欲しいものだ。
「随分と驚きますのね。まるで人食い妖怪にでも出会ったみたい」
「……紫。頼むから扉から入ってきてくれ。それに、冗談が冗談になっていない」
「まぁまぁ。妖怪の冗談が、笑えるものとでも思ってらして?」
くつくつと愉しそうに笑いながら、彼女はずるりとスキマから這いだす。そして器用にも空中で上下反転し、香霖堂に降り立った。
腰まで届こうかという金の髪がなびく。和洋中をいっしょくたにしてしまったような境界の無い服。
彼女の名は八雲紫。強大なる「境界の妖怪」にして、「お客様」にして――僕の最も苦手な人物である。
しかし、僕も小さいながらも店の主だ。お客であるなら相応の対応をしなくてはならない。
冷や汗を掻きつつも、紫に問いかけた。
「……して、今日は何をお求めで?」
「ええ、少々面白い噂を聞いたもので――」
「――ゆぅーかぁーりぃぃぃ……」
地の底から轟くような声音が響き渡り、僕の冷汗はさらに噴出する。
紫の背後で俯いたままの霊夢から、見えるはずのない「この世の物でない何か」が立ち上っているのが、僕の目には確かに見えた。ゴゴゴゴゴ……と聞こえるはずのない謎の鳴動さえも僕の耳が捉えている。
生物としての本能が告げる、あれは近づいてはいけないものだと。
「あらぁ霊夢、ご機嫌斜めねえ」
大妖怪の威厳か、それとも単なる底意地の悪さか、霊夢のそんな様子などどこ吹く風と紫は霊夢へと向き直った。
それが余計に霊夢のいらだちを刺激したのか、顔をあげた霊夢はひくひくと表情筋を痙攣させながら紫を睨みつける。
正直逃げたい。
「何しにきたのよアンタ」
「うーん、店に来てお客がすることなんて一つしかないと思うだけれど?」
「うるさい、それならタイミングくらい選びなさいよ。今私が霖之助さんと話してたんだから。退かないなら弾幕で」
「あら、それは失礼しました。ではお先にどうぞ」
ひょいと、紫は僕の前から脇に逸れた。
あまりにあっさりとした行動に驚かされたが、僕以上に霊夢は拍子抜けしたらしい。
あれほどの禍々しさが消え去り、毒気を抜かれたように呆けた表情を霊夢は浮かべていた。
「え、え?」
「私は霊夢の要件が終わるまで待つわよ。ささ、お先に」
「あ、う……」
順番を譲られたというのに、霊夢はもごもごと口を動かすばかりで何も言おうとしない。
「えと」「その」だのを繰り返すたび、ちらちらと紫を方を見て、これまた黙ってしまう。紫はそんな霊夢を実に面白そうに見ていた。
……どうにも要領を得ない。
「……だーっ! もういいわよっ。紫は何か買ったらとっとと帰って頂戴っ」
とうとう霊夢は頭を掻きむしってそう叫んだ後、僕と紫に背を向けてごろんと寝っ転がってしまった。
というかまるでここが自分の家のような口ぶりだが……まぁいつものことである。
「……それで、何をお買い求めで?」
「ええ、そちらの海老煎の山を買いたいの」
――なんと。
「この海老煎をかい?」
「ええ。私、そろそろ冬眠の時期でして、いい食べ物を探していたんですけれども、「香霖堂の店主がたくさんの海老煎を手に入れた」と風の噂で聞きまして。今年の冬の菓子はこちらにしようかと」
なるほど。霊夢と違って実際に冬眠する必要のある紫は食糧をため込む必要があるというわけか。
これは非常にありがたい。この大量在庫を一気に処理できる機会が降って湧いてきたのだから。
ただ、その喜びを紫には見せない。
僕はこれでも幻想郷一の商人を目指す者、この商機をより大きな物にしなくては。
「しかし、この海老煎は中々美味でね。出来れば他の人にも高値で売れそうな見込みがあるんだ。それを全て購入となると……少し値が張るよ」
「あら、足元を見ますのね。大妖怪相手に随分と勇敢なこと」
「皮肉はよしてくれ。こちらも珍しく手に入った良質の商品をそう簡単には手放したくはないんだ」
「ふぅむ、そうですか。それでは今冬一杯……いや来年の冬もストーブの灯油を保障する、ということで如何かしら」
予想以上に破格の取引を持ちかけられた。
言うまでもないが、我がストーブの燃料の灯油は、幻想郷ではまず手に入らない。それこそ、この紫を通してでしか手に入れることは出来ないのだ。
その灯油が向こう二年保証される。ストーブの便利さを理解している人間ならば、これを退ける理由など皆無だ。
「よし、それで交渉成りt」
「ダメ」
横槍が入った。
僕がそちらへ視線を向ければ、そこにはゆらりと身を起こした霊夢。
彼女もまた、じろりとこちらを見て。
「その海老煎、全部私が買うから」
とんでもないことを言い出した。
「……霊夢。何か無茶苦茶な言葉が聞こえてきたんだが」
「その海老煎、私が買うって言ったの」
聞き間違いではなかったようだ。
「……全部買ってどうするんだい」
「一冬越せる分の食べ物がないと困るのよ」
ああ、さっきも言っていた食いだめか。……いや多すぎるだろう。
「……お代は」
「いつも通り、ツケね」
そんなことになったら香霖堂が破産する。
「そういうわけだから紫。その海老煎はあきらめて頂戴」
僕の言葉を聞き入れることもなく、霊夢はふふんと笑いながら紫に言い放った。
……参った。こうなると霊夢はもう自分の意見を変えることはない。
そもそも、霊夢はなぜにそこまでこの海老煎に固執するのか。
確かに味は良いし、外の世界の珍しい物という点では引かれるかもしれないが、だからと言って今回の霊夢の行動は少しおかしい。
「……紫、なんとか言ってやってくれないか」
どうにもこうにもなく、助けを請うため視線を紫に戻し――
実に愉快そうに笑う大妖怪がそこにいるばかり。ほんの少しでも助けを請おうと思った僕が愚かだった。
どこから出したのか、いつの間にか手に握られている扇で口元を隠しつつも、その向こうで口が三日月形になっているだろうことは容易に推測できる。
……ああ、この妖怪はそういう妖怪だった。
「何がおかしいのよ紫」
その紫の様子が癪に障ったのか、再び霊夢の表情に苛立ちが宿る。
「失敬失敬。いえいえ、何もおかしくなんてないわ」
ぱちりと扇を閉じて、紫は顎にそれを当てながら上を見上げた。
「さて、とはいえ、私がこの海老煎を買いたいと思っているのも事実。お互いの意見が割れた時、それを決着するのに博麗の巫女さんはどんな方法をとるのかしら?」
――紫の全身から、ざわりと妖気があふれ出る。その優しげな口調とは裏腹に、肌を軽く刺すような刺激を含ませていた。
どうやら、話し合いで済ませる等という選択肢を用意するつもりは最初から無いようだ。
僕としてはそういう交渉ごとは終始穏やかに済ませることが美徳だと思うのだが。
「上等よ、とっとと表へ出なさい。弾幕で勝負付けようじゃない」
……幻想郷でそういう思想をもつ者は、圧倒的に少数派なのである。
◆◇◆
博麗の巫女は、"選ばれてはいけない"。
◆◇◆
博麗霊夢は、海老煎狂いになったわけではない。
ただなんとなく、霖之助を宴会に誘う口実が、少し欲しかっただけ。
たくさんの海老煎を使い切りたいのなら、神社で宴会を開いて皆で食べてもらえば良いのだと、霊夢はそう考えただけ。
海老煎を自分が買えば開かれるだろうその宴会に、いつも独り静かに本を読むだけの霖之助を――ただ、なんとなく――呼んでみたいと思っただけだ。
そんなちっぽけな動機が、いつの間にやら大妖怪に挑むまでの物になってしまっている。
香霖堂の上空にて、霊夢は紫と向き合っていた。
紫といえば、掴みどころも捉えどころもない、その癖スキは見当たらぬいつも通りの雰囲気で、ゆらりゆらゆらと中空をたゆたっている。
弾幕とはいえ、お遊びなのだ。店内では好戦的に構えてはいたが、本気で向き合うつもりなど大して無いのだろう。
一方霊夢は、そうではなかった。
勝つ、という気迫と覚悟を全身からみなぎらせている。
この勝負に負けることは、海老煎を紫にすべて奪われることを意味する。
そうなれば、霖之助を宴会に誘う機会が失われてしまう。
そんなこと、霊夢は認められない。
――海老煎を、渡してなるものか。
「カード枚数は何枚かしら?」
紫は余裕からか、スペルカードの使用枚数の提案を霊夢に任せてきた。
霊夢としては願ったりかなったりである。
「互いに1枚ずつ。攻勢と守勢に分かれて、先に被弾した方が負けね」
「ええ、それでいいわよ」
よし、と霊夢は表情には出さないままに胸中で呟く。
体力の異なる妖怪相手に長期戦は禁物。まして向こうが余裕という名の油断を見せているのなら、さらに短期戦が有効となる。
好きなタイミングでスペルカードを撃ちあえる弾幕ごっこではなく、攻撃側と守備側がはっきり分かれたタイプの戦いに持ち込めたのも大きい。
さらりと付けくわえた被弾のルールも警戒されることなく受け入れられた。倒れた方を負けとするのではなく、先に被弾した方を負けとすれば、なおさらに短い時間での決着を付けやすくなる。
そして次の条件が勝負の肝……
「先攻の決め方だけど――」
「霊夢が先攻で構わないわ」
またも紫が譲歩したことに、霊夢は目を丸くした。
言うまでもないが、この条件での弾幕ごっこなら、先攻が圧倒的に有利である。それを紫が分かっていないはずがない。
だからこそ、公平な――運に絶対的な自信のある霊夢にとっては九割方勝てる――コイントスで決めようと言おうとしたのだが、あっさりと譲られてしまった。
霊夢は怪訝な眼差しで紫を睨むが――紫の表情からは何一つ読み取れない。
「どうかしたかしら? もう始めても結構よ?」
紫は霊夢の視線を受け流し、ひょうひょうと言葉を投げる。あの胡散臭い、薄い笑みを表情に張り付けて。
紫と腹の探り合いをして勝てる気もしなかったため、霊夢は意識を切り替えた。――弾幕ごっこのそれに。
「スペルカード」
懐から取り出し出でたる宣言札。
こういった短期決戦では、最高の効果を発揮する一枚。
「《夢想封印 "集"》!!」
霊夢の言葉が放たれた瞬間、紫の周囲に大量の札が出現する。
刹那の間もなく、磁石に引きつけられるようにその全てが紫へと殺到した。
威力はさしたるものでない代わりに、ホーミング性能は随一のスペルカード。
対象の妖気を正確に探知し、自動で追尾するため、よける方法はかなり限られてくる。
被弾させれば即勝利なのであれば、このスペルカードほど有効なものはない――!!
……はず、だったのだが。
「……え?」
思わず、霊夢の口から声が漏れた。
――向かっていった札たちは目標を失ったように、急激に進む向きを変えてあらぬ方向へと飛んで行く。
後続の札も、てんでばらばら、明後日の方向へと消えていき……ついには全ての札が紫の周囲からは無くなってしまった。
「あらぁ、大暴投もいいところね。霊夢はコントロールに自信があったんじゃなかったかしら」
紫はくすくすと笑いながらそう霊夢に返した。彼女は初期位置から数メートルと移動していない。
そんなバカなと、霊夢は苦虫をかみつぶしたような気持ちになった。
目の前で起こった理解のしがたい現象。それを理解しようと、霊夢の頭脳はぐるぐる巡り――思考は答えにたどり着いた。
さきほどの香霖堂で見た紫の妖気と、今の紫の妖気が異なることに。
「っ、紫……あんた」
「あらら、ばれちゃった?」
悪戯が暴かれた子供のように、ぺろりと舌を出して紫は笑う。
――紫が行ったのは、トリックなどというほどのものでもない。
ただ自身の妖気の上から、「別の妖気」を張り付けていたというだけ。
香霖堂で見せたそれは、「紫自身の妖気」ではなく、ほんの少しだけ性質の異なる「別の妖気」を霊夢に見せていた。
普段なら気にもとまらない微細な差。 しかし……妖気を「正確に」探知するホーミング弾にとっては大きな差となる。
そして霊夢がスペルカードを発動させた後に、その妖気を解除。
ホーミング弾は、「目標」と認識していた「別の妖気」が消え去ったため、必然、命中などするはずもない。
より簡単に言うなら、霊夢の攻撃から紫は……"選ばれない"状態にあった、ということ。
霊夢は軽く歯ぎしりさえしてしまう。
紫は、「この形式の弾幕ごっこに持ち込ませるために」、香霖堂で妖気をちらつかせていたのだろう。
この弾幕ごっこの形式なら、「自分がホーミング弾を使う」ことを分かっていたから、紫はああもあっさりと条件を呑んでいったのだ。
紫は、このスペルカードさえ防ぎきれば、それで勝てるのだから。そして、紫にとって、このスペルカードは必ず防げる弾幕……
踊らされていた。紫の掌の上で。
「……ふん、だけどまだ負けたわけじゃないわ」
してやられたことを自覚しながらも、霊夢は気丈に言い返した。
そう、まだ霊夢の負けが決まった訳ではない。
霊夢の勝利こそ消えたものの、次の紫の手番にて、その弾幕を回避しきればこの勝負を引き分けに持ち込める。
引き分けとなれば、もう一度の勝負。それならば今度こそ負けない。
「……ふふ、果たしてそうかしら?」
紫はにんまりと、またも底意地の悪そうな笑みを浮かべて言う。
その手には、いつ取りだしたのか、既にスペルカードが握られていた。
「勝負に次など無いのよ、霊夢。――スペルカード」
紫の妖気は紫電と化し、可視化出来るほどに濃密なそれが空中に巡り始める。相当な大技でくるということが読み取れた。
濃すぎる妖気に頭がくらくらとしそうになるが、それでも霊夢は、いつどこから弾幕に襲われても対応できるように、神経を研ぎ澄ます。
そして――ついに紫の妖気がその右手の指先一点に集中する。
――来る!
ぺちんっ
「ぁ痛っ」
突如、霊夢の後頭部に軽い痛みが走る
慌てて霊夢は振り返れば――そこには紫のスキマ。さらにその中からは彼女の左手が伸びている。
紫に視線を戻してみれば、妖気が集中していた右手はそのままに……左手がいつの間にかにスキマに入れられていた。
そして今の痛みから推測できる攻撃は、ただ一つ。
「……で、でこぴんっ?」
眉をへの字にして、覚えず霊夢は呟いた。
「はい、『被弾』したわね」
「なっ」
「あら、ルール違反していないのだけど? 今は私の手番で、スペルカードを使うところも見せた。何か問題はお有り?」
紫の言葉に、霊夢はぐぅと言葉に詰まった。
……確かに紫は反則していない。スペルカード宣言は、そのカードを「見せる」だけで十分であるし、技名を叫ぶ必要は必ずしもない。
そもそも、「でこぴん」するだけのスペルカードなんて、本来の弾幕戦では何の役にもたたず、むしろ使用スペル枠を一枚埋めてしまう分デメリットにしかならないだろう。
もし、そんなスペルカードが生きるとするなら――それは今回のような、「被弾した方の負け」となるようなゲーム。
その形式を紫に申し込んだのは、他でもない霊夢自身だ。
「……ちぇっ、分かったわよ……私の、負け」
ぷい、と明後日の方向を向きながら、自分の負けを紫に告げた。
ここまで読み切られていたのだ。負けを認めざるを得ない。
……負けを認めると言ったところで、所詮は遊び。
勝てなくたって、悔しくなんか、ない。
「結構。では勝者の権利として――」
――だけど、だけど、だけれども……
「『海老煎は私と霊夢で折半』とさせていただくわ」
「……え?」
紫の言葉は、霊夢の予想外のものだった。
「……ちょっ、ちょっと何よそれっ。情けなんていらないわよ、ばかっ」
「貴女の意見は却下。決着後に優先されるのは勝者の言葉。それを分かっているのは霊夢でしょう?」
紫は「正しさ」を盾に反論を許さない。
霊夢は言葉にならぬ言葉を口内で反芻するが……結局、霊夢はぐしゃぐしゃと頭を抱えて。
「……この借りは返すわよ、必ず」
んべ、と舌を出しながら、そう捨て台詞を吐いた。
「ふふ、ツケの返済はいつでもお待ちしてますわ」
そんな霊夢を、紫は――胡散臭さの消えた、優しさのある頬笑みで見つめていた。
「さーて、この新しいスペルカードの名前は何にしようかしらっ♪ 《でこぴん☆くらっしゅ》とでも」
「《夢想封印 "散"》」
「きゃああああっ!? ちょっちょっと霊夢っ、勝負終わったでしょぅー!?」
「」
「無視ッ!? やめてっ、無差別全体除去弾幕やめて―っ!!」
◆◇◆
三日後。
◆◇◆
「それではっ、今年も秋の実りに感謝して――かんぱーいっ!」
「「「「かんぱーいっ!!」」」
神に対する敬虔さというものは微塵も感じられないが、とにもかくにも豊作への感謝と共に、乾杯の音頭があがる。
わいのわいのと杯をぶつけあい、楽しげな談笑がそこかしこから始まった。
そう、僕は――博麗神社の、宴会に来ている。
いつもならば宴会の誘いは断わるようにしているのだが、今回は少し話が違う。
三日前、紫が海老煎を買い取ったときに、もう一つ条件を加えてきたのだ。
それは、神社の宴会に参加すること。そんな条件である。
なんでも、霊夢にも海老煎を譲るということで、宴会を開くという。そこに僕も参加するのが、海老煎買い取りの条件と。
灯油二年分という破格の取引を受けている今、無碍に断るのも憚られる。
たまには行ってみるのもいいんじゃないか。そんな心の声に、僕は従うことにしたのだった。
……しかし、あの時の霊夢と紫の弾幕ごっこは、かなり熾烈を極めたことは疑いもなさそうである。
紫は随分とボロボロになっており、霊夢も霊夢でバツが悪そうに紫の手当てをしていたのだから。
よほど海老煎の争奪に熱が入っていたのか……あの海老煎には、人妖を狂わす魔力でもこめられているのかもしれない。
「なーにちびちび飲んでるのよ霖之助さん。男ならドーンと飲みなさい」
背後から上機嫌な声が聞こえてくる。振り返ると、酒を片手にニコニコと笑う霊夢がそこにいた。
宴会が始まり幾許も経たないというのに、彼女の気分はほろ酔いの域だ。
「ほら、霖之助さん」
「はいよ」
霊夢から酒を受け取り、彼女の杯へとくとく酒を注ぐ。
次に霊夢が僕の杯に酒を注いで、
かちり。
「乾杯」
「はい。乾杯」
互いに杯を傾け、注がれた酒を飲む。――うむ、旨い。
「美味しい酒だね」
「でしょう? 結構高い吟醸出したんだから、味わって飲んでよね」
霊夢も酒を飲み干し、ぷぇあと息を吐いた。
幸せ、という感情がその表情だけで伝わってくる。
「……ま、そんな吟醸でも、今日の主役さんの前じゃあ影が薄れちゃうけど」
そう言いながら、ちらりと、霊夢が宴会の喧噪の方へと視線を移した。
僕もつられて、そちらへと目を動かしてみれば。
「やめられないぞぉー。せいがー、これおいしーぞー」
「あらあらぁ、芳香は海老煎が気に入ったのねぇ」
ばくばくばくと派手な音を立てて海老煎を食べ続けるのは、最近、幻想郷に現れたという宮古芳香。
その食べっぷりを、彼女の主と聞いた霍青娥が母性あふれる表情で見守っている。
「とまらないのかー! これ、おいしー!」
「むきー! ルーミアに負けるかー! もぐもぐもごっ!? ……きゅぅ」
「ち、チルノちゃーん!?」
ルーミアの海老煎を食べるスピードに追い付こうとしたチルノが、明らかに口の面積よりも多くの海老煎を詰め込もうとしている。
案の定、目を回して倒れて、大妖精が介抱に駆け寄っていった。
「こ、これは……! この『食』へと誘う力は一体……! これがABYTHENの力だというのっ!?」
「いや幽々子様は、食べられるものには何でもいつも誘われるじゃないですか」
やたらとオーバーなリアクションを取っているのは、白玉楼の亡霊、西行寺幽々子。
そこに冷静に突っ込みをいれる従者の魂魄妖夢。まさに阿吽の呼吸だ。
大食い妖怪三匹のかしましさの周囲でも、皆が皆、海老煎をぱりぱりぱり。
とても美味しそうに楽しそうに、海老煎を食べている姿が見える。
「ね? 今日の主役は、海老煎でしょ」
にっこりと、霊夢は僕を見上げて言う。その手には数枚の海老煎を持って。
……なるほど、彼女は……僕に見せてくれたのだ。
自分の売ったものが、誰かを喜ばせている所を。
だから彼女は、あれだけ海老煎を買おうと、宴会を開こうとしてくれた。
「ああ、僕の売り物が、博麗神社の宴会の主役を飾れるとは、本当に商売人冥利に尽きるよ。――ありがとう、霊夢」
「……ふふふ、どういたしましt」
「こぉぉぉりぃぃぃぃーーーんっ!!」
どぐぉっ
すっ飛んできた何かに、僕は見事なタックルを食らった。
派手に倒れる最中、遠い昔の走馬灯を確かに見た。
「こぉら香霖! こんなにうまい菓子のことをこの魔理沙様に言わないとは、万死に値するぜー!」
見上げれば、金の髪に黒の魔女帽。妹分のもう一人、霧雨魔理沙が僕の腹の上に乗っかっている。
……重くなっt
「今乙女の私に対して非常に失礼な感想を抱かなかったか?」
「分かった分かったからその八卦炉を下してくれ」
ジャキリと音を立てて八卦炉を構えた魔理沙に慌ててそう告げる。目が本気だった。
魔理沙は「まぁいいぜ」と息をついて、ひょいと僕の上から降りた。
「私に対する無礼の侘びとして、さぁ飲みに付き合ってもらうぞ香霖!」
「今のタックルは僕への無礼にならないのかい……はぁ全く仕方な」
「――まぁーりぃーさぁぁぁ……」
あの声が、またも響いた。
俯いた霊夢の表情は窺い知れない。しかし、しかし。立ち上る「何か」の量は、三日前よりも増量中だ。
僕の脳には本能が鳴らす警鐘で満ち満ち、ただちに逃げろと警告し続けている。
「んお? なーんだ霊夢か。どーしたんだよ、そんな恐い声出しやがって」
一方魔理沙はそんな気配を全く意にも介さず、平然と霊夢に立ち向かっている。
霊夢はその魔理沙へゆっくりと顔をあげた。――ビキビキビキ、とヒビが入るような音がしていたが、おそらく僕の錯覚だろう。頼むからそうであってくれ。
「人が話してる時に邪魔すんじゃないわよ」
「えー? そうは言われてもだなぁ霊夢、私は話したいときに話す人間なんだ。そこは受け入れてもらわなきゃ困っちゃうぜ」
「……ふん、口で言って分かるような奴じゃなかったわね」
「お? なんだ、やっぱり私の事良くわかってるじゃないか。……と来りゃあ、決まってるよなぁ?」
――トンッ
霊夢と魔理沙の二人は一気に大地を蹴って飛び上がった。
見上げると、魔理沙はいつの間にか取りだした箒にまたがっており、霊夢もその両手に無数の札を握っている。
そして――季節外れの花火が、中空に乱れ飛ぶ。
赤白緑に、青と黒。さまざまな色が夜の空を染め上げる。
やれぃやれぃと野次が飛び交い、張った張ったと賭けまで行う声も聞こえ始めた。
剣々轟々……ではなく、喧々囂々と言う他なしの大騒ぎだ。
そんな場に僕がいるというのも、奇妙な話だが。
「楽しんでいらして? 店主さん」
……気づかぬうちに隣に紫が座っていたが、もう驚く気もしない。感覚が麻痺してしまったらしい。
ぐいと杯を傾けて、一息に酒を飲み干す。
「ああ、楽しいよ。皮肉でも嫌味でも無く、楽しい」
「大変結構。霊夢も喜ぶことでしょう。では私も、一緒に楽しませていただきましょう」
「君の楽しさとは一体どんなことだい?」
「誰かさんの困り顔を見ることですわ」
やはり紫は紫だった。
彼女は人を食ったような頬笑みの後――少し言葉の調子を変えた。
「……霊夢は、博麗の巫女なのよ」
「……それはまた、トートロジーだね。霊夢が巫女であることは分かっているつもりだったが」
「それではダメ。分かっていることにはならないわ」
つぃ、と紫は視線を僕からはずし、何処でもない何処かを見つめながら続ける。
「霊夢は――あの娘は、博麗の巫女。公平、平等、ルールの制定者。その役割は、何物にも縛られないことで、初めて成し遂げられる」
……無重力の巫女。それが霊夢の二つ名だったか。
「あの娘は、誰かに"選ばれてはいけない"」
その意味が分かって? そう言外に告げられている気がした。
少しの間、黙してから――僕は杯に注がれた酒に映る月を見て、答える。
「"選ばれてはいけない"ことと、"選ばれない"ことは、イコールではないよ」
紫が僕を見た。
「後者は完全な禁止だが、前者は条件付きの禁止だ。……霊夢が前者であるなら、その条件を取り払えばいい」
「確かに、霊夢が誰かに選ばれて、彼女がそれに応えたとしたら――何か、起こるのだろう」
「だが、起こったものは、解決すればいいだけのことさ」
そのためなら、僕も協力しよう。いくらでも。
映った月ごと酒を飲み干し、そう付けくわえた。
「……六十五点、かしらね」
「何の得点だい、それは」
「分からないならそれで結構よ。――あら」
紫がまたも何か言おうとした瞬間――どんっ。
目の前に何かが着地した。
「……おうおう、いい雰囲気じゃねえかこら」
「……紫、そういえばあの借り、返そうと思ってたのよ」
その正体は魔理沙と霊夢だった。
両者ともにズタズタのボロボロであったが――なぜか笑っていた。しかし目は笑っていない。
紫も紫で、気迫負けするどころか、くすくすと笑いつつ。
「ふふ、そうねえ。それでは冬眠前の締めくくりには、ちょうどいいわ。――さぁ二人ともかかってらっしゃい」
「上等だぁ! いっくぜーっ!!」
「覚悟しなさい!」
夜空に描き出される次なる弾幕は、三者三様。
上がる喝采もより大きく、より大きく。
その喧騒を聞きながら、もう一度杯に酒を注ぎ――おや。
徳利はからっぽになってしまっていた。飲み干してしまったようだ。
残っているのは、霊夢の持ってきた、海老煎が一枚。
……やれやれ。
――ぱりり。
海老煎は、乾いた音を立てた。
(了)
「おうい霖之助! またまたいいもの持ってきたよ! 「天むす」と「ういろう」っていうんだけd」
「だが断る」
(今度こそ、了)
面白かったです
コメ10を見て初めて気が付いた私は鈍いのか……
三つでシャチホコになるんですね分かります
かっぱえびせん買って来よう
…異端流しオニカマス