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12月は白色をしていた。
1年を通して塗りたくったカンバスを、私たちは新しくしなければならなかった。破けた障子を張り直したり、箪笥の裏や底にひっついた塵を払ったり、小さすぎて着れなくなった服を、捨てたり。
私たちが忙しく往来している横で、自然は静かに終わりと始まりを迎えようとしていた。
春に夏に秋に、私の瞳の奥を刺激してやまなかった草木は、花々は枯れてしまい、土気色の地面は真っ白な雪に覆われている。淡い灰色の厚い雲が窮屈そうに空を流れ、月のような、太陽の白い点が浮かび上がっている。頬を指す冷たい風には心が無いみたいだ。
私はかじかんだ指先に息を吐く。手袋をしているはずなのにすっかり冷え切った指先は膨らんで、指と指とがくっついているような感覚がした。痛みすらも感じる。
「うー、寒い寒い! 凍傷で指先がもげてしまうわ!」
「そんな馬鹿な……そんなに寒いんだったら、ほら。手、貸してあげるから」
鈴仙はそう言うと、私の手を引き寄せそれを握った。
彼女も手袋をしているから、温かみがよく分からない、と私が言うと、ちょっとムッとした表情を浮かべながらも私の手をきゅっと強く、優しく握り直してくれた。暖かさは変わらなかったけれど、ちょっとだけ嬉しくなる。
里に暮らしている人間たちの姿を、私は道すがら目で追いかけた。
軒下で談笑している大人、雪玉を作って投げ合い、寒さも気にせずきゃあきゃあとはしゃぎ回る子供たち。犬は背に積もった雪を振り落とそうと、ぶるぶる身体を揺らしている。
彼らは、自然が色を変えていくのに合わせて、自分たちの色も変えてそれに溶け込もうとしていた。4月になれば4月の色に、7月になれば7月の色に、12月になれば、12月の色に。白い色に。
けれども――この頃ちょっと、その白が色づきつつあるのだ。
「見て、メディスン。クリスマスツリーよ」
鈴仙が指差す先を見ると、露店の脇に装飾過多な木が鉢植えに植えられて突っ立っていた。小さなランプが木を取り囲むようにして、目を凝らせば無骨な黒いケーブルが見える。枝の先には毬や人形、鈴が吊るされていて、何だか重そうに見えた。
「そうね」
「あら、不機嫌な返事」
「実際不機嫌だわ」
ツリーを眺めていたら、近づいてくるクリスマスが面白くなくて、私は鈴仙の手を引いて早く用事を済ませようと思った。
けれども、その用事というのも、クリスマスケーキを注文するというもので、不快感を通り越してやるせない気持ちになる。最近は何につけてもクリスマス、クリスマス、クリスマス……
「クリスマス……かぁ」
私のつぶやきは白い吐息になって、里の中にふっと消えていった。
白かった12月が、ツリーに飾られたアクセサリーや、ケーキの甘さと、にぎやかにラッピングされたプレゼントによって染まっていく。クリスマスが近づいてくる度に、その色は濃く、白は薄れていく。それと一緒に、浮き足だつ皆をよそに、私は一層憂鬱な気分になっていった。
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幻想郷は白色をしていた。まっさらなカンバスに色々な人や物の手が、絵を描いていく。真っ白だから何色にも染められるんだ。
だから、クリスマスなんてものは、元はと言えば幻想郷には存在しなかった。
それが、どっかから来たらしい吸血鬼とその取り巻きであるとか、クリスマスがすっかり生活に根付いているらしい外の世界からやってきた神様であるとかが身内でこっそりクリスマスを楽しみ始めて、それから風の噂か何かで広まって、更にその影響か機械にご執心な河童がツリーライトとかいうものを発明しだすものだから、元々ただの1日でしかなかった12月25日は、すっかりクリスマス一色に染まってしまったのだった。
本当はイエスキリストの誕生日を祝う日なのだけれど、彼彼女のことは里の人間はじめ私もよく分からないから、クリスマスとは、ピカピカ輝くツリーやもさもさするモールで家を着飾って、骨付きの大きなお肉とかケーキとか食べて、よい子にプレゼントをあげる行事のこと……ということで周知されている。
そう、私の憂鬱の種はそこだ――プレゼントって、何だ。プレゼントって。
プレゼントはプレゼントでもクリスマスに贈るプレゼントは魔力を秘めた魔性の箱らしい。サンタクロースという老人が子供たちの欲しいものを聞き入れて、クリスマス前日の夜のうちに一斉に配りに行く。
やつは子供たちの欲しいものなら何でも、快く持って来てくれるのだとか。多分、子供たちは、何が欲しいかクリスマスのずっと前から考えて、一番欲しいものをお願いするのだろう。
でも、それが一番欲しかったものだったとしても――それをずっと大事にしてくれる保証なんか、全く無いのだ。
子供というのは好奇心旺盛で、すぐに興味が別の方に向いてしまうから。そのときは大喜びしたかもしれないプレゼントも、そのうち飽きて他の物が欲しくなってくるに違いない。
それなのに、あのもうろくじじいめ、そんなことも考えずイエスマンになって、子供たちにプレゼントを振り撒くなんて、どんな神経をしているのだろうか。
「すみません、クリスマス用のチョコレートケーキを100人前、お願いできますか?」
「……100人前、ですか?」
「ええ、竹林の兎たちの分も考えたらこのぐらい無いと……大丈夫ですか?」
「は、はい。大丈夫ですよ。でしたら、小分けにしておきましょうか、例えば10人前を10個とか」
「いえ、1個にまとめてもらえるでしょうか」
店員が目を泳がせながら、金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。
100人前のケーキってどのくらい大きいんだろう。多分店員がうろたえるくらいだから滅茶苦茶大きいんだろう。輝夜とか喜びそうな気がする。
それならば、10人前に小分けにして妥協するわけにはいかないな、と私も思った。
「で、でもお客様。100人前となると非常に大きくなって、運ぶのに大変苦労されると思いますけど」
「それだったら大丈夫です。兎たちと一緒に運びますので」
微笑みを浮かべて鈴仙がそう言うと、いよいよ店員は大きく息を吐いて、唸った。迷っているのだろう。あと一押し、と言ったところだろうか。
「100人前ってほどだから、とびきり大きいケーキになるわね」
「ええ、おっきいわよ。永遠亭より大きいかも」
「そうだよね……食べてみたいなあ」
私の言葉に意を決したのか、店員は顔を上げると大きく頷いてくれた。「分かりました。やりましょう、やってやりますよ。子供の願いを壊すわけにはいきませんしね」
子供の願いというものは、たとえ無理難題でも大人なら叶えたくなる魔法の呪文らしい。
子供の願いだからって、特別に叶えてあげる必要なんかどこにもないと思うのに――でも、100人前のケーキを作ってもらえるのは素直に嬉しくて、私は鈴仙とこっそり視線を交わす。彼女はウインクをしてくれた。
「うまく交渉できたわね」
店を出て、鈴仙は一つ息を吐いた。「これで姫様や師匠にも顔向けできるかな」
そもそも姫様――輝夜が、クリスマスで賑わう世間を見かねて、私たちもクリスマスパーティーをやるわよなんて言うので、鈴仙はそのパーティのための買い出し係に任命されたのだった。
私に買い物は指示されなかったのだけど、鈴仙がつき合って欲しいと言うし、何よりちょっと楽しそうな気がしたから、こうして一緒について行くことにしている。
「まだ、飾り付けの道具を買わなくちゃ行けないんでしょう?」
「あー、そうだった……屋敷全体を飾りたてるのよね、持っていけるかしら」
今度は憂鬱そうな、重い息を吐いた鈴仙の横で、私はちょっと楽しくなっていた。飾り付けの道具は、私たちの見立てに任せるそうだ。永遠亭を着飾るには鈴仙の言う通り、いっぱい買わなくちゃいけないんだろうけど、それはつまり、色んな物が買えるというわけで。それを考えるとわくわくしてくる。
そうだ。私はクリスマスを楽しみにしている。
でも、クリスマスなんか来なきゃいいとも思っている。
どっちつかずで、ぐるぐるもやもやしたこの気持ちの根元は、多分、いや絶対あいつだ。クリスマスプレゼント。あれさえなければいいのだけど――
「ねえ、鈴仙」
「なに、メディスン」
「サンタクロースが来なくても、クリスマスはやってくるのよね」
私のそれは質問というよりは、確認に近かった。
私は100人前のチョコレートケーキを作ってくれるあの店員さんのことを思い、遠巻きに聞こえてくる鐘の音混じりの歌を聞いた。
それらは単に、私たちの中で始まって、私たちの中で終わってゆくもの。そう考えてみれば、サンタクロースの存在なんか、いてもいなくても支障は無いんじゃないか……私が無理に自分の都合のいい解釈にこじつけさせようとしているだけかもしれないけれど。
「ん、んー? そりゃあ、サンタクロースがいなくても、パーティは、出来る……かな?」鈴仙の返事はちょっと歯切れが悪かった。「でも、サンタのいないクリスマスっていうのも、ちょっと味気ないんじゃないかしら」
「なるほどなるほど」
別にサンタが来なかったところで、クリスマスに何か大きな問題が出るわけでもない、と。
鈴仙の言葉を心の中でもう一度繰り返し確認して、隣にいる彼女に感づかれないように、私はこっそりと頷いた。
これは多分、すべての捨てられた人形たちへの弔い合戦なんだ。サンタクロースが子供たちにふりまく夢や希望は、ツリーの煌めきや雪の純白で飾り立てられた、虚飾まみれの安物だってことを、この私が明かしてやる――。
ふつふつと湧いた使命感に駆り立てられて、こうして、私は、プレゼントが配られる前にサンタクロースを毒殺することにしたのである。
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「――サンタクロースについて、知りたい?」
「うん」
かちゃかちゃ。間を埋めるみたいに、小悪魔がテーブルの上に紅茶を置いた。
たちのぼる湯気からいい香りがして、私は淹れたてのミルクティーを飲む。角砂糖が3つ、ミルクたっぷり。口に含んでいるときはただ甘くて、飲み込むと静かに苦みが残る。一息吐くと、パチュリーは改まって私の方を向いた。
「どうしてまた、そんなことを」
「ほら、世の中クリスマスで騒がしいじゃない。私には何のことだかあんまりよく分からないし、勉強するいい機会かなーって」
「ふーん?」
サンタクロースを毒殺すると決めたはいいけど、やつがどこに住んでいるのかすら何も分からなくて――なんて馬鹿正直には言えなかった。クリスマスムード一色の幻想郷でそんなことを口走れば、周りを敵に回してしまいそうな気がしたから。
私はサンタクロースの情報を得るために、紅魔館の大図書館に来ていた。
ちょっとした自慢だけど、私はあの紅魔館とちょっとした縁があるのだ。以前にここのメイド長が、スーさんを紅茶の材料に使いたいと言ってきたことがあって、それからここの住人と私とは、顔を見知った仲になっている。
この大図書館も一生かけても読み切れないくらいの沢山の本があって勉強になるから、何度か前に訪れたこともある。
それで、ここの主であるパチュリーにサンタクロースについて書かれた本は無いか、訊いてみたのだが――私は軽い気持ちで訊いたつもりなのだけど、パチュリーの様子がどこかおかしい。さっきまで読んでいた本を閉じて、身体をこっちに向け、射抜くような鋭い目で私のことを見つめる。
「あらかじめ、忠告しておくけど」パチュリーは小声で、けれども芯の通った声で私に告げた。「サンタクロースにあまり関わらない方がいいわ」
「……どうして?」
少し雲行きが怪しくなってきたのを感じて、私も背筋を伸ばさずにはいられなくなる。「どうしても。私は忠告したわ……どうする? それでもやっぱり知りたい?」
う。
思わず、声が出た。パチュリーの眼を見つめていると、魔法でもかけられているみたいに体が重くなった。何だかサンタクロースのことを教えたくないような口ぶりだ。私の企みが見抜かれている、わけではなさそうだし、ここまでパチュリーが喋りたくない、サンタクロースって一体何者なんだろうか……私は怖いもの聞きたさに、余計話が聞きたくなってきた。当然、毒殺計画のことだってあるから、なおのこと後ろには引けなかった。
首を縦に振ると、パチュリーは溜め息を吐いた。「そう……」観念したようだった。目線を遠くに見やり、また一つ、息を吐く。しばらく無言の時間が続いた。気が張りつめていて、私は退屈だと思わなかった。やがておもむろにパチュリーが口を開く。
「フィンランドって、知っているかしら?」
「……知らない」
「外の世界にある、一年中雪に閉ざされた極寒の地よ。サンタクロースは、そこで生まれ育ったわ。何せ極寒の地だから、彼らは厳しい環境に立たされながらも生きてきたおかげで、強靭な肉体を手に入れている」
「そして同じフィンランドに生息しているトナカイという生き物を駆って、クリスマスの夜に子供たちにプレゼントを配るの。一晩で世界中を巡るのだから、トナカイの機動力は察しなさい。そして勿論、サンタクロースはここにもやって来る。――ねえ、おかしいとは思わない?」
「おかしい? どこが――」そこまで言いかけて、私はいつか何かの本で読んだことを思い出した。「――そうだ、確かここと外の世界の間には、ちょっとやそっとじゃ破れない結界が張られてあるのよね?」
パチュリーは首を縦に振った。
「それじゃあどうやってサンタクロースは幻想郷に……?」
「ぶち破るの」
「え?」
「トナカイの二本の鋭利な角は、幻想郷の賢者と博麗の巫女が作り出した二重結界を破ってここへやって来るわ。年末に結界の張り直しを行うのも大体はサンタクロースのせいなの」
「…………」
声が出なかった。
声が出ないってこういうことなのか。ただただ呑まれて、息をしていることすらも忘れてしまいそうな。甘くおいしくデコレーションされたケーキが、色とりどりのライトや装飾品に飾り立てられたクリスマスツリーが、どこか遠くへいってしまったように感じた。
どうやら私は、とんでもないやつを相手にしようとしているみたいだ――いや、でも、パチュリーのここまでの話を聞くに、凄いのはトナカイだけで、サンタクロースだけを見れば強靭な肉体しか話は出ていない。毒は内側から効かせるもの、まだ可能性はある……
「あら、メディスンじゃない」
重苦しい雰囲気でいたところに、若干不釣り合いな間抜けな声が響いた。もちろん口には出さない、何せ声の主が紅魔館の主、レミリアだったからだ。
ちょっと私より背丈が高いくらいの見た目少女の割に、その実500年以上生きている吸血鬼だと言うのだから最初は驚いた。けれども何度か一緒にいると、なるほどそれも頷けるくらいに彼女の行動には気品さがあって、主としての品格が漂っているように感じた。カリスマ、と言うらしい。
「――ああ、ナイスタイミングよレミィ」パチュリーは口許に笑みを浮かべてレミリアのことを迎えた。「今ね、メディスンにサンタクロースの話をしていて、丁度あの話をしようとしていたところだったの。折角来てくれたのだし、レミィ本人の口から話してもらえるかしら?」
「はぁ? あの話? パチェ、一体何のこと――」「隠しているのよね。貴女も随分と怯えていたものね、喋りたくないのも分かるわ。でもねレミィ、今こそ貴女の言葉が必要なの、あの日起きたこと、あの時見た姿を」
「――――」レミリアの耳元へ、パチュリーが何かを囁いた。私にはよく聞こえなかった。
私がよく分からないままに、レミリアは両の手を合わせる。「ああ、あのこと。あのことね」瞳を閉じる。再び開いたときには、彼女に先程までの困惑の色は無かった。
パチュリーが明け渡した椅子にレミリアが座った。足組をして頬杖をつく。両の真っ白い足が絡み合って、杖にもたれ晒された首筋。真っ赤な眼差しで私を見る。
「サンタクロースは」
「うん」
「凄腕のヴァンパイアハンターだった」
「なるほど」
聞こえてくる声が、私の頭の中で何度か反響しているみたいだった。私は情報に掻き回され呑み込まれて、落ちつくことが出来ないでいる。だからレミリアの言葉も、私は何の疑いも無くそのままそっくり飲みこんでしまったのだった。
「吸血鬼は神に背くもの、サンタクロースは神に敬虔な者。双方が相容れることは無く、私たち吸血鬼はサンタクロースの邪魔をしたし、サンタクロースはそんな私たちを亡き者にしようとしたわ」
「誇りと誉れに満ち満ちた血を、その身に宿した私たちを前にしても彼はたじろがなかった。何人もの同胞がサンタクロースに挑み、或いは刃を向けられ、そして圧倒的な力の前に散った――彼の衣服が緋色なのは、吸血鬼の深紅の血を一杯に吸っているから。何年経ってもあの色は黒ずむことはなく、いつまでも赤いままでいる」
「私たちは長きの戦いの末、サンタクロースに屈した――私たちはあの日、初めて土を付けられた。屈辱と言うものを知った。一抹の絶望をその身に感じた。これが、私の知るサンタクロース、一部の者しか知らない、夢と希望を振り撒く男の真の姿なのよ」
レミリアの話に一段落がついたところで、私は息を吐いた。肩がすっと落ちる。知らず知らずのうちに力が入っていたみたいだ。
どうしようと、私は困惑していた。サンタクロースが実はとんでもないやつだってパチュリーとレミリアの話からは分かったのだけど、話は霧のように広がるばかりで形を取ってはくれなかった。実感というものが無くて、それでもやっぱりクリスマスプレゼントが配られるのを阻止しなきゃと思ってる自分がいる。
もしかしたら、私が殺されるかもしれないのに――?
「ただ」レミリアがティーカップを手にし、口を付ける。テーブルの上には紅茶が3つ、いつの間にかレミリアの分を小悪魔が淹れてきたようだ。
「アイツの唯一の欠点は、人間だったということだ。すっかり髭を生やした老人になって、寿命には敵わないだろうね。今じゃ世界中にいるサンタクロースの弟子たちが、彼の代わりを任されている話さ。きっとこの幻想郷にも、彼の代理人がいるはずだよ」
「代理人?」
「そう。誰だかは知らないよ。サンタクロースは無闇に人にその顔を晒してはいけないからね」
そういえば、紅茶がまだ残っていることを思い出して、私はテーブルの上のカップに手を伸ばした。温くなったミルクティーを口に含むと、やっぱり甘くて、けれども温度を失ったそれは、ちょっとそっけなくも思えた。
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サンタクロースの代理人は中々現われてはくれなかった。それはそうだ、サンタクロースは無闇に他人に顔を晒しちゃいけないのだから。
紅魔館に行って、サンタクロースの話を聞いて、驚きこそしたが、今は彼もすっかり年の瀬で代理人に任せていると聞いてちょっとは安心した。望みが無いわけではないのだ。
あとはクリスマス前までに、その代理人とやらを探し出して毒殺するか、そこまでいかなくともクリスマスの間だけ気絶させないといけない。
ただ、その代理人を見つけることが出来ないまま、3日が過ぎてしまっていた。
今日は金曜日で、サンタクロースがやって来るクリスマス・イブは土曜日。つまり今日を入れてあと2日しかない。早く見つけ出さなきゃいけないのに、その気持ちをあざ笑っているかのようにサンタクロースの代理人は見つからない。
誰かに聞いても、分からないか、ちょっとずれた返答ばかり。どうしたらいいものか全く見当もつかなくて、私は途方に暮れていた。
今日の空は快晴だった。空気は冷え冷えしているけれど、太陽の光がほのかに暖かい。降り積もった雪の白さが眩しく、光に反射してキラキラ輝いていて、綺麗だ。木々の枝の茶色がすっかり雪の白に覆われている。
道の向こうで、人がこっちに歩いてくるのが見えた。白黒の衣服の間から見える金色の髪の毛、両手で雪のように白い大きな袋を背負っている。霧雨魔理沙だ。
一度は通り過ぎた視線が、再び魔理沙の方へと向かう。
白い袋に焦点が合う。かなり大きな袋だった。小さな子一人が余裕で入りそうなくらいに大きい。あんなに大きな袋の中に一体何が入っているんだろう、と考えて、思いつくことの出来るものが一つしかなかった。
……プレゼント!
「霧雨魔理沙!」
私は魔理沙に向かって一目散に走りだした。彼女は私が向かってきてもさして驚く様子もなく、普段のように私を出迎える。
「何だ、鈴蘭畑の人形じゃないか。そんな血気立ってどうしたんだよ」
「悪いけど死んでもらうわ!」
「……はぁ!?」
毒を吐き出す。スーさんがいなくなってから大分経つ。毒の濃さはスーさんがいた頃とくらべてちょっと薄くなってしまっているけど、それでも人間一人殺すのには何の問題もない。
「ちょっと待て、私お前に何か殺意持たれるようなことやったか!?」
「何もしてないわ」
「じゃあ一体何だってんだ、急に殺すとか、物騒な上に理不尽だぜ!」
「ええい黙りなさい! その大きな袋! その袋の中身は、子供たちに用意されたクリスマスプレゼント、あなたが世界中に存在するらしいサンタクロースの代理人が一人! 私の目は誤魔化せないわよ!」
「プレゼントとか代理人とかよく分からないが……」魔理沙は右手を袋から離すと、それを大きく広げた。「まずは落ちつけ! 私を置いて勝手に話を進めるな!」
地を蹴った私は、そのまま魔理沙の懐へ飛び込んでゆく。魔理沙はそれを避けようともせず、広げた右手で私を自らの胸の中へと迎え入れた。
私は毒を吐き出す、吐き出す、吐き出す……のだが、魔理沙の様子が一向に変化してこない。それどころか逆に、私の中の毒が枯渇してきて、私の方の気分が悪くなってきた。
「ど、どうして私の毒が効かないの!?」
「そこいらの人間より私は頑丈だぜ、キノコを食べているからな」
それでも私の毒を受けてケロリとしているのはおかしい。あの博麗の巫女ですら、私の毒に気分を悪くしたというのに。こいつ本当に人間だろうか。
しかし一気に形勢が逆転してしまった。私は魔理沙の腕の中で拘束されてしまっている。これから何をされるか分かったものじゃない。私は足をじたばたさせて脱出を試みるが、魔理沙は更に腕に力を込めてきて放そうとしない。
「く、離せっ、離しなさい!」
「そっちから突っ込んできて『離せ』はないだろう。また暴れたら困るからな、落ちつくまでずっとこのままでいさせてもらう」
「……分かった。言うとおりにする。落ちつく」気持ち悪いのにもいよいよ耐え切れなくなって、私は分散させた毒を身体の中へと引っ込めた。ちょっと頭が酸欠になったみたいにくらくらした。「落ちつくから、その代わりに教えて。その袋は何?」
「これか? これはアレだ、布地とか毛糸とか、人形を作るための材料ってやつだな――嘘は言ってないぜ、ちゃんと見せてやるよ」
そう言って魔理沙は私の拘束を解くと、両手で袋を抱えるように持ち直して私の前へと突き出した。
「開けてみな」
魔理沙の言葉に従って、袋の口を開いてみると、そこには確かに色とりどりの布地と毛糸が入っていた。どうやら魔理沙は本当にサンタクロースの代理人ではなく、私は勘違いをしていたようだ。折角見つけたと思ったのに、また振り出しか――私は内心肩を落とした。
「人形の材料、って言ったわね」ちょっと声の調子も落ちていた。魔理沙は再び袋を背負うと、苦笑を私に向けつつ返事をした。
「ああ。アリスの頼みでな。クリスマスプレゼント用に作る人形の材料を切らしたから買って来いってさ。そんなわけでここで時間を食ってるわけにはいかないんだ、アリスに怒られちまう」
――ちょっと待て。
クリスマスプレゼント用の人形をつくる?
まさか――――アリス・マーガトロイドこそが、『サンタクロースの代理人』?
「――魔理沙!」
私は、魔理沙に向かって叫んだ。大粒の雫が私の中に落ちて、波紋を浮かべ飛沫を散らし、私の気持ちを揺り動かす。数日間停滞するばかりだったそれにとってはあまりにも刺激的すぎて、興奮を隠すことが出来ない。
「今度はなんだよ!?」
「その袋の中に入れてほしいの!」
「い、入れる? お前を? 何のつもりだ?」
これを逃すと後は無いような気がして、興奮も手伝い私は魔理沙にずいと詰め寄った。
彼女の眼差しを捉えて離さない。些細な眼球の動きすらも確認出来るくらいに。
「いいから! 毒を撒いて材料を駄目にしないし、アリスの人形作りも邪魔しない。約束するから!」
半分くらいは嘘を入れておいた。
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「ねえ魔理沙、今どのあたり?」
「魔法の森に入ったところだな」
魔理沙の歩調に合わせて、振り子時計みたいに袋の中が前後に揺れる。袋に入って運ばれるなんて初めてだから、なんだかワクワクしている。これから間もなく重要な任務が始まるっていうのに。
「魔理沙魔理沙、アリスの家はまだかしら?」
「まだ森の中に入ったばかりなのに、そんなさっさと着くわけがないだろ。ちょっとは静かにしてな、近くまで来たらちゃんと教えてやるからさ」
私のお願いを、魔理沙は戸惑いつつも結局あっさりと承諾してくれた。
ただ「何か考えがあるみたいだが、まあお前だしアリスなら大丈夫だろ」という理由だったのが気に食わない。私だから、ってどういうことだ。私じゃあ何も出来ないというのだろうか。そんなはずはない――弱っているとはいえ自慢の毒は魔理沙に防がれてしまったけれど。
でも、私でもやるときはやるんだ。馬鹿にしないでほしい……そう言っても魔理沙はそうかそうかと、からから笑うだけだった。
それにしても、まさかサンタクロースの代理人がアリスで、クリスマスプレゼントが人形とは、いかにも私に退治してくださいと言わんばかりの組み合わせだ。
元々彼女のことは、幻想郷に住んでいる凄腕の人形師としてマークしていたが、まさかこんなシチュエーションで対峙することになるとは。彼女を倒し、クリスマスプレゼントを阻止して、その上私の支配下に置くことが出来れば、人形解放に一歩、いや何歩なんて数えているのも煩わしいくらいに前進するはずだ。
だから、絶対にしくじっちゃいけない――気持ちは昂ぶるけど、もちろんその分緊張もしていた。ちょっぴりどきどきが速い。
「見えてきたぜ、メディスン」
魔理沙の言葉に体が少し震えた。「う、うん」布越しに外の風景は見えない。真っ白だ。触るとひんやり冷たい、無機質な白。
ざくざくと、魔理沙が雪を踏みしめる音がすぐそばに聞こえてくるような気がする。私は黙って、あまり身動きを立てないように縮こまって、耳だけ澄ませる。
ざく、ざく、ざく、ざく。
ざく、ざく、ざく――――。
こんこん。
がちゃ。
「よう、頼まれたもの、買ってきたぜ」
「お疲れ様。ごめんね、面倒事を押し付けちゃって」
「気にするな、私とお前の仲だろう? それよりどうだ、間に合いそうか?」
「魔理沙が代わりに行ってくれたおかげで大分進んだわ。何とかクリスマスまでには終わらせそう」
「そりゃあ良かった。でもあんまり無理するなよ? いざ配るってなったときに体調崩しちゃあ元も子もないからな」
「うん、ありがと。――どうする? ちょっと部屋で休んでいく? お茶を用意するわ」
「いや、いい。私もちょっと帰ってやりたいことがあるからな。それじゃあこれ、頼まれたもの」
「はいはい」
がさがさ。
「――いっぱい買い込んだからな。重いぞ?」
「ん……大丈夫。手、離して」
ぎしぃ。
「よっ、と」
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。
どさっ。
「……ふぅ。随分と買ったわね。思ったより重いわ」
「そりゃあな。頼まれたものついでにちょっとサービスしておいた」
「なにそれ」
「まあ開けてからのお楽しみだ。それじゃあ、私は行くぜ」
「ええ。ありがとう、魔理沙」
ばたん。
ざく、ざく、ざく――――――。
「…………」
音の流れが、止まった。
私は息を潜めながら、上を見た。袋のすぼまった口からアリスの家が見える。暖かな空気がそこから流れ込んでくる。どのタイミングで飛び出してやろうか、アリスが袋に手をかけたそのときか、もしくは感づかれるうちに一息にか……
――ぎしっ。
「……ふぅ」
――前言撤回、溜め息を吐いて安心した、この瞬間で仕掛けてみようと思う!
「メリークリスマース!!」
「きゃあ!?」
袋の中から私が勢いよく飛び出すと同時に、一気に視界が開ける。アリスはすぐそばの椅子に腰かけているところだった。すっかり油断していたのだろう、彼女は大きく肩を震わせ、目を丸くして私を見た。
「ちょっぴり早いけど、私からのクリスマスプレゼントだよ! 死ね!」
私は毒を撒き散らす。とにかくアリスが昏倒してくれればそれで良くて、とにかくがむしゃらに体内の毒を吐き出した。袋の中から飛び出して、テーブルの上に人形がいるのを見て、はっと思い出したのである。
アリスは両の指先一本一本を、まるでそれぞれが独立した意思でも持っているかのように動かし、複数体の人形を巧みに操る。人形なんか使われてしまったら――
アリスは驚きこそしたが、すぐに状況を呑んだようだった。テーブルの上の人形をけしかける。彼女が隙を見せたのはほんの一瞬だった、隙と言っていいのか分からないくらいに短い時間。私が袋から飛び出して毒を吐く、アリスが人形を操り、人形は銀槍を私の首元に突きつける。一連の動きがまるで予定されていたかのようにスムーズに起こっていった。
「ぐ」
毒の勢いが、弱まる。別に底を尽きたわけじゃなくて、自然とそうなってしまった。
アリスはやっつけるけど、そこにアリスの人形は含まない。目的の為に同族を倒すなんて、人間のやっていることと同じだから。
「邪魔しないで、お願い! 貴方たちは傷つけたくないの……」
そう懇願しても、人形はきっと私のことを睨み、槍を構える手に力を込めた。ちゃき、と、無骨な金属音が聞こえる。
説得したって駄目だ、この子たちは人形だけど、それ以前にアリスの人形で、見ず知らずの私とアリスだったらアリスの方を選ぶに決まっている。
だったら、倒さないと。倒さないとアリスには届かない、分かっているんだけど、身体が動かない。毒が、すーっと、私の中へと引き下がっていく。
駄目。私には、出来ない。出来ることと言ったら、多分、いや絶対私が人形に手出しできないと分かって彼女らをよこしてきただろうアリスを、精一杯睨みつけることだった。
「卑怯者……」
「おあいこよ。貴女も奇襲を仕掛けてきたでしょうに」
さっきは甲高い声で驚いていた癖に、落ちつきを取り戻したアリスときたらいたって冷静だった。どれだけ恨みがましく彼女を見ても、彼女の瞳は波風一つ立たない湖みたいに、静かだった。
沈黙を貫いている間、私はどうしようか頭の中で考えていた。傷を覚悟で彼女に飛びかかるか、あるいは、大人しくなったと見せかけてもう一度奇襲をしかけてやろうか。そしてアリスは、そうして思索を重ねた後の私の一手を待ちかねているみたいにじっとして、私のことを見つめていた。人形たちの切っ先は私の喉を捉えて離さない。
これじゃあ無理だな、と、そう思っているところは、ある。
さっきこそアリスは動揺してくれたが、すぐに行動を起こし私の攻撃を防いでやったから、こうして警戒しているのならなおのこと、私に勝ち目はないような気がする。地の利も相まって。
分かっているのだけど、ここで屈してしまうのは嫌だった。そんな気持ちが、今の私の沈黙を編んでいる。
「いつまでこうしているつもり?」痺れを切らしたか、アリスが溜め息を吐いた。「貴女が何のつもりで袋に紛れていたのかは分からないけど、今ちょっと時間が勿体ないの。まずはそのだだ漏れな殺意を引っ込めてもらえるかしら?」
私はアリスの言い付けどおり、中から湧き起こる淀んだ気持ちを――引っ込められなかった。かっこ悪かったのだ。悔しくて悔しくてその気持ちが抑えられなかった。奇襲までしかけたのに軽くあしらわれたことが悔しかった。サンタクロースをやっつけると決めたのにそれが出来なかった自分が悔しかった。
「とりあえずお茶を用意するわね」アリスがそう言って席を立つ。「それからクッキーでも用意しようかしらね、少し頭を冷やしなさい」そして指先をくいっと下へ向けると――人形たちは槍を降ろし、何事も無かったかのようにテーブルの上にちょこんと座ったのだった。
――甘い香りがした。
私は悔しかった。
アリスから優しい声をかけられて、暖かいレモンティーとクッキーを差し出された。
彼女は笑っている。私は悔しかった。もうさっきの出来事は気にしていないと水に流されたことが。これじゃあまるで、私のしたことは子供じみた可愛いイタズラみたいじゃないか。
悔しい気持ちは、まるで影みたいに、しばらく私について回ってきた。暖かいのに悔しい。甘いのに悔しい。美味しいのに悔しい――何度違った気持ちを湧き起こらせたって、その背後には悔しい気持ちが、黒々とした姿で伸びていた。
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私はアリスのベッドに腰掛けて、彼女が作ったクッキーを食べている。どんな色の気持ちでいても、美味しいものは美味しかった。中にチョコチップが入っていて、クッキーの甘さとチョコレートの甘さの両方が混ざってもっと美味しい。飲みこんだ後の甘く乾いた口には、控え目な甘さのレモンティーが良く合う。
一方アリスは、魔理沙が買ってきた材料を使って、せっせと人形を作っていた。耳を澄ませば針を縫う音が聴こえてくる。テーブルの上にはいくつかの人形、棚にも、同じような人形が何十体といる。さっき、私に槍を突き付けた人形――アリスが言うには半自立人形なんだとか――も、彼女の指示に応じててきぱきと動いている。
つまり私は手持ちぶさたで、別に帰っても問題はないのだけれど、帰らないでいる。サンタクロース毒殺作戦は失敗に終わった、アリス・マーガトロイドが代理人だったのは好都合だったが、人形を相手にしなければいけないとなると逆に私にとって分が悪かった。これからまた、人形を盾にしてくる外道と出会うかも分からないから、対策を作っておかなきゃいけない。
しかし、今回のところは諦めるとしても、このまま何もしないで帰るのは気が進まない。
人形である私には、自分の作った人形をプレゼントしようとするアリスのことを、監視する権利がある……と思っている。だからこうして、私はアリスの様子を眺めながら居座っている。彼女も私が帰らないことには何も言わないみたいだし。
「ねえ」何体目かの人形を作り終えて伸びをして、そのままアリスは私の方へ顔を向けた。「落ちついたのなら訊かせて欲しいんだけど」
「なあに。まだむしゃくしゃしてるけど、クッキーのよしみで答えたげる」私は何枚目かのクッキーを齧った。
「どうしてあんなことしたわけ?」
「あなたがプレゼント配るのを阻止したかったからよ」クッキーを咀嚼して飲みこんで、私は答える。「子供にプレゼントしたって、あいつら最初こそは喜ぶかもしれないけど、移り気だから。すぐ捨てられて新しいのが欲しい、なんて言うに決まってるわ」
「ずっと必要としてくれなかったら、プレゼントするのは無駄?」アリスはまた作業に戻って、言った。私は頷く。最後の一枚になったクッキーを掴んだ。
「捨てられてしまうのは悲しいことよ。あんな思いを味わうのだったら、誰かの手に渡らない方がましよ」
「説得力があるわね」アリスは笑って、でも、と続けた。「あなたが捨てられたからこそ、私はあなたに出逢えたのよね」
空になった容器を、私はテーブルの上に置いた。
アリスの言っていることは正しい。私は捨てられていなかったらここにはいなかった。それじゃあ、捨てられていなかったら今頃私はどうしていたのだろうと思っても、今の私では想像のつかないことで、どれだけすっかり私がここに馴染んでいるのかが分かる。
けれども、だからと言って捨てられたことは結果として良かったことだったんだと認めるのは、何だかアリスの口車に乗せられているような気がしてならなかった。
「私は捨てられてもスーさんが助けてくれたから」アリスを見やる。彼女は滑らかな手つきで針を操り、糸を踊らせている。
「人間に捨てられた人形の辿る末路は、ほとんどが朽ち溶けるか、野鳥についばまれるか、燃やされるか、そんなものよ」
ふと、ぞわっと、嫌な思い出が身体の中を舌でなめずる。
私の持ち主だった人間との記憶。どんな顔をしていたのかも、私がどんな風に捨てられたのかも、もやもやしていて忘れてしまっているけど、その気味の悪い気持ちだけはしっかりと残っていた。
今まで受けていた愛情は欺瞞に、並べ立てられる綺麗言は人間の意地汚い心を映し、尖った刃になって私の体を滅多刺しにする。愛する人を、また愛される人を失った人形の喪失感が分かるか。そんな二言三言の言葉で流されてたまるか――。
自然と掌に力が入る。それでもやっぱりアリスはただ淡々と人形を作るばかりだった。歪んでいるだろう私の顔を見ることもしないで、そもそもいることにも気づいていないかのように。
「――永遠の愛なんて存在しないわよ」
それでも。
アリスの口から出る言葉は、決して雑なものではなく、そっと私を抱き締めているかのように柔らかかった。
「愛し、愛されることは、同時に別れのリスクを背負うことよ。一緒にいるということには、少なからず別れの可能性が秘められているからね。だから、いつまでも愛情を得られる保証なんてどこにもないのよ」
「いつまでも愛情を得られる保証なんてない、ね。それでもあなたは今こうして人形を作って、人間にプレゼントしようとしているわ。あなた曰く、いつか捨てられるかもしれない人形を」
「私は」アリスの声に、若干感情が混ざった、ような気がした。「捨てられると見越して人形を作ったことなんか一度も無いわ」それでも、彼女は人形を作る手を止めなかったんだ。
「私は人形が好きだから、自分の魔法に人形を取り込んでいる。自分の使うもの全てを――それこそ武器であっても――人形にしてしまいたいくらいに人形が、好き。だからホントのところ、いつまでも大事にしてほしいのよ、人形をプレゼントした子供たちには」
アリスの言葉を聴きながら、私は彼女の指をじっと見ていた。彼女の手つきは、一切の無駄がなくて、けれどもよく見るとただ淡々とこなしている様子ではなく、ただただ柔らかく、紡いだ一つ一つの縫い目に愛でも込めているかのようだった。
それを見て、私はああ、と思った。彼女の言葉が、波紋すら立てず静かに、私の中へ入り込んで透明に溶けていった気がした。同じ香りが、したのだ。彼女も私と同じように、捨てられた存在なんだなあ、と。彼女はただ人形を消費し捨てるだけのやつだと思っていただけに、ちょっと意外だった。
「子供の頃は色々な事に関心が向かうから、どう言い聞かせたっていつかは愛想を尽かしてしまうのよ。分かってはいてもちょっと寂しいわ」アリスが苦笑を浮かべる。「せめて、忘れないで欲しいな。埃を被らせないで欲しい、それだけでも人形たちは喜ぶと思うの――どうかしら?」
「どう……なんだろ」そんなに細かく考えていなかったことに、私は今になって気づいた。目指せ人形解放、人間は蹂躙するべき悪。そんなことだけ考えて動いていたような気がする。どこまでが人形にとっての幸福で、どこからが悲しみなのか、しっかり決めておかなかったから、こうして線引きを示されて答えあぐねてしまう。
「そうなの、かな? 忘れないでい続けるのが、人形に対しての最低限の敬意、かしらね。もちろん、ずっと傍に置いて欲しいのが本音だけど」
「そうよね、そうなのよね。出来ることならずっと一緒にいて欲しい。けれどもそう無理に子供たちに言い聞かせるのもそれは違うと思うし……」
うーん、と、アリスが唸る。そっちに頭を傾けているせいか、若干作業のスピードが緩やかになった。彼女の考えには、私も同意だった。無理矢理押し付けて得られた愛は、それは文字面だけの愛だろうし、そんな愛情だったら貰わない方がずっとましだ、と思う。
それじゃあ、押し付けるのではなく、促してみたらどうだろう。人形にも人間と同じ意思があること、捨てられたら寂しくなること、私たちのことを忘れないで欲しいこと、それらを伝えてやって、人形の大事さを教え込むのである。そしたら、大人になった子供たちが自分の息子へ人形の大切さを説く、そしてその教えを呑み込んだ息子たちが自分らの子供へ……最終的に幻想郷は、人形が自分らと同じ身分だと信じる人間で溢れ、人形の地位は確立される。
待て、これってとても画期的な作戦じゃないだろうか。
達成されるまでとても時間がかかってしまうのが問題点だけど。しかし純粋無垢な子供の言うことには大人も童心に帰ったみたいに首を縦に振るものだ。第一、人形に対する見方を改めさせることに、人形解放へのデメリットは何一つとしてない。
これだ――クリスマスプレゼントを発端とした、子供たち洗脳計画。プレゼント阻止は失敗に終わったが、それを上手く利用して自分に有益な計画を立てる。この時ばかりは自分で自分の頭を撫でてやりたい気分になった。今の私、すっごく冴えてる!
「ねえ、アリス」
私はテーブルから身を乗り出して、アリスの顔に詰め寄った。
「なに?」
「クリスマスプレゼント配るの、手伝っていいかしら?」
「あら、中止するんだってさっきまで言ってたのに――もしかして、邪魔するつもり?」
「ううん、邪魔はしない。言葉通りの意味よ」私はくるくる回ってテーブル上の人形を持って掲げると、そのまま胸に抱き寄せてあげた。もぞもぞと私の胸の中で動いているのがなおさら可愛らしくて、自然と顔が綻んでしまう。
「気が、変わったわ」
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アリスはすごいな、と思った。
彼女はクリスマス・イブ当日の昼に全ての人形を作り終えると、更に余った素材を使って私用のサンタクロース衣装まで作ってくれたのだ。急ピッチで作ったはずなのに、大きさは私にぴったりだったし、一見数時間で繕ったとは思えないほど綺麗な仕上がりになっていた。
それでもアリスは疲れた様子をこれっぽっちも見せない。「全部終わってからゆっくり疲れを取るわよ」というのは彼女の談。そう言う彼女も自分用の衣装を羽織って、白い大きな布の袋を担いでいる。
昨日の快晴が、今日も続いていた。空を見上げると星が綺麗に見える。オリオン座が見えた。こないだ永琳から教えてもらったのだ、分かりやすい形で覚えやすい。雪は降ってはいるが、はらはらと桜みたいに蛇行しながら地面に落ちていく程度のもので、煌びやかな雰囲気に花を添えていた。
いつもならしんと静まる冬の人里の通りが、今日はいつにもなく賑やかだった。屋根に壁に玄関前のツリーに、とにかく一杯巻けばいいだろうと言わんばかりにツリーライトやモールがくくり付けられている。店先から漏れる音楽にはしゃんしゃんと鈴の音が混じって、人々は杯を交わしながら陽気にしていた。
「まったく、前日から豪く騒いでいるじゃない」
溜め息を吐くアリスだけど、その表情は別にまんざらでもないようだった。微笑を浮かべられるほどの余裕が彼女にはあった。さすが何度か経験済みなだけのことはある。
それじゃあ当の私はと言うと、緊張ですっかり肩が強張っていた。何せ通りの真ん中をサンタクロースの格好をして歩いているものだから、目につく人目につく人にことごとく話しかけられたり手を振られたりするのである。
中にはもうすっかりお酒で出来上がってる人もいて、やたら馴れ馴れしく頭を撫でたり、顔を近づけたりしてしかもお酒の匂いがつんと鼻を突き刺して、とにかく平静ではいられなかった。
「メディスン、また顔が強張ってる」それなのにアリスときたら、随分と落ちついている。
「あ、アリスはあんなことされて嫌とか思わないわけ!?」
「ん? そりゃあ限度ってものはあるけれど――今の私はサンタクロースよ。不機嫌に突っ返して相手の気を悪くさせちゃいけないわ。そんなことより……」
アリスは私の頬に指先を当てると、それをくいっと上へ釣り上げた。「ほら、笑顔笑顔。つまらない顔してると子供たちに笑われるわよ」
それでも緊張の解けない私が引きつった、ぎこちない笑みを見せる。何か違う。私は両頬をぐにぐにと揉んだり、何度か深呼吸をした後、もう一度笑ってみた。
「まだちょっと硬いけれど……うん、合格ね」そう言ってアリスはにっこりと笑った。「さあ、それじゃあ行きましょうか。子供たちが待っているわ」そんな笑顔で何か頼みごとされたら、何でもはいと言ってしまいそうな、それくらい綺麗な表情を彼女は浮かべていた。
子供たちは上白沢慧音が営む寺子屋に集まっていた。クリスマス会をやっていて、その中のイベントの一つとしてサンタクロースに扮した私たちがやってきてプレゼントを配る……という段取りらしい。
私たちが教室に入ると、子供たちはわっと歓声を上げて私とアリスに寄ってきて、しばらく私たちをもみくちゃにした。子供は容赦がない。随分と手荒な歓迎を受けたが、寧ろ酒で手癖の悪くなった人間のねちっこいそれより、あっさりしていたおかげで幾分か緊張も解けてくれた。
「みんな、メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
アリスの声に、子供たちが大きな声で返事をする。誰も彼もがニコニコしていて、アリスを見つめ、待ちきれない様子で大きな袋を眺め、それから――初めて見る私のことを興味津々な様子で、ひっきりなしに視線を寄越してきた。私は恥ずかしくなってうつむいてしまう。
「今年も一年良い子にしていたみんなに、プレゼントを用意してきたわ。それから――」アリスは私に目配せをすると、そっと私の背中を押した。「今日は私のお友達を連れてきたの。サンタクロースの卵として、今年は私と一緒にプレゼントを配ってくれるわ」
わーっと、子供たちから拍手が湧き起こる。そんな、いきなり前に出されてどうしたらいいか何が何だか分からなくて、私は慌ててアリスに視線をやった。アリスはただウインクをして、もう一度私の背中を叩いただけで、何も助けは出さない様子だ。
「あ、えーっと……」
子供たちを眺める。さっきまで騒がしくしていた癖に、今は随分と大人しかった。みんな私が何を言うかを待っているみたいだった。くりくりとした瞳が、一斉に私を待ち受けている。その素直さが、今は恨めしい。
とにかく、いつまでもだんまり決め込むわけにはいかない。何か話さないと――。
「さ、サンタクロースです。よ」
緊張のせいで舌が回らない。強張っているのが見え見えなんだろう「がんばれー」なんて声が飛んでくる。
違う、そうじゃなくて。私は純粋無垢な子供たちに人形の大切さを説くためにここへやって来たのであって、こんなカチコチな醜態を晒しに来たのではないはずだ――落ちついて、堂々と威厳を見せつけてやるのよ――私は一つ、深く呼吸をして、袋の中から人形を一体、取り出した。ぽつぽつと、子供たちから喜びの声が上がる。それを制して、私は口を開いた。
「実はね、この人形には私が魔法をかけておいたの。私たちの代わりに、みんながちゃんと良い子にしているか見ていてくれるのよ」
「だからね、どこかに適当に放り投げたり、埃をかぶらせちゃ駄目よ。捨てるなんてもっての外だわ」
「人形にも心があるの。しゃべらないし、動かないけど、みんなと同じで色んなことを感じている。だからね、そのことを絶対に忘れないで欲しい。忘れられちゃうのは、とっても悲しいことだから――」
私は、悲しかった――。
なんて言ってもきっと子供たちには分からないだろうな。
言葉にひとまずの整理をつけて、私は笑ってみせた。「――約束して、くれるかしら?」
「はーい!」
どっと、せき止めていた水が溢れ出すように、子供たちは大きな二つ返事で手を高々と上げてくれた。それを聞いて、私はふうと、小さく息を吐いた。ちょっと声が震えたけど、ちゃんと言えたことへの安心を半分と、私の話は、ちゃんと子供たちに伝わっているのかなという不安を半分ずつ込めて。
「はい、それじゃあプレゼントを配るから、順番にならんでね。たくさん準備してきたから、慌てないでちゃんと列に並ぶのよ」
アリスの声と共に、子供たちがわあわあ言いながら袋の前に並ぶ。騒がしいのに反して子供たちは文句も無く一列に並んでくれた。
私とアリスは袋の中から人形を一体ずつ両手で、そっと子供たちに差し出す。子供たちが満面の笑みを浮かべて、既にプレゼントをもらった子らの輪に入っていくのを眺めながら、サンタクロースも割といい仕事なのかもしれないな、と思うのだった。
「素敵なアドリブだったわよ」小声でアリスが言う。
「本当のことじゃない。魔法も思いも」やっと私も、自然な笑みで返せた気がする。
ぎゅっと魔法を込めて手渡した人形は、あっという間に私の手から子供たちの手へと、離れていった。最後の一体を手渡して、すっかり空になった袋と子供たちの腕の中に大切そうに抱えられている人形を見比べると、何だか胸の奥がきゅっとなった。
それから私とアリスは、子供たちの輪の中に入り、一緒に歌をうたったりゲームをしたりして遊んでから、寺子屋を後にした。
寺子屋を出ると、一気に疲労感が身体の中から噴き出て来て、私は大きな溜め息を吐いた。子供たちは随分とエネルギッシュで、終始振り回される羽目になった。あいつらの元気は一体どこから湧いて出てくるんだろう。
もう一つ、溜め息を吐いて、私はふと思った。よく考えてみれば、人里の子供たちと遊ぶなんて初めてのことだったな――帰り際には「また遊んでね」とか言ってくれていたし。悪い気はしない。
「ふふ、お疲れ様、メディスン」
「……子供の相手が楽なものじゃないと、身をもって味あわせて貰ったわ」
「子供が何を言っているんだか」んーっ、と、アリスが手を組んで伸びをする。「でも、流石に疲れたわね。ここ何日か働きづめだったし」
外は夜の色を更に濃くする一方で、それに応じてツリーライトの光が一層輝いて見える。人々の声は止むことを知らず、冷え込む空気に仄かに温い人肌が混じる。まるで暗闇に浮かぶ蝋燭の炎みたいに明るく、熱気を帯びていた。
ところで、そろそろクリスマスのメッキが剥がれて、ただのいつもの宴会という体が浮かび上がってきているような気もする。
「ねえ、メディスン」アリスはそっと私に身体を寄せた。「これから予定、入っているかしら? 手伝ってくれたお礼にささやかなパーティを開いてあげましょう」
「あ、いいわねそれ。お言葉に甘えちゃおうかしら」
幸運なことに、永遠のクリスマスパーティーは明日の夕方からだ。午前中に飾りつけをして、お昼には竹林の兎たちと一緒に100人前のチョコレートケーキを運ぶ。甘味処の明かりはまだ点いていて、臨時休業と札が吊り下げられていた。今この奥で、そのケーキが作られているのかな、100人前ってどれだけ大きいんだろうな――気になりだすと引っ込んでくれなくて困るけれど、ここはぐぐっとこらえてあげることにしよう。明日が楽しみだ。
アリスとの距離が近くなったのと一緒に、彼女の手に触れたので、そのままの勢いで私は彼女の手を握る。やっぱり、手袋越しじゃあ彼女の温もりは良く分からなかったけれど、胸の辺りがじんわりと暖かくなったような気がする。私のことを見て笑みを零したアリスの口許から、白い息が声と一緒に浮かんで溶けて行った。
プレゼントには一杯の愛が詰まっているんだ。
作った人の愛と、受け取った人の愛に囲まれて、プレゼントは幸福で溢れ返る。
だからこそ――全てを失ったとき、とても、とても深く暗い所に落ちていってしまうんだろう。
私の中にぽっかりと空いた、大きな穴。そこにかつて入っていたものは――さあ。愛だったのかしら。今はよく、分からないままでいいかなと、思う。いつかは人形解放のためにずっと賢くなって、分からなきゃいけないのだろうけど、それより目の前の楽しくて幸せなことを享受していたい。
様々な色で彩られた12月のカンバスを引き破るには、まだ、早いのだ。
★
「ああ、昨日は素敵な夜だったわパチェ。まさに貴方が掲げた”血染めのクリスマス”にピッタリの夜だったわ。皮肉っているの」
「そう? 何だかんだ言って楽しそうに妹様とじゃれていたわよねレミィ」
「自分の血で館を染めるのは本意では無いわ」
「元はと言えばレミィが、『今年のクリスマスは趣向を変えてみたいわ』って言ったことから始まっているのよ。”血染めのクリスマス”、まさに紅魔館にぴったりだと思ったんだけど」
「サンタクロースのでっち上げ話とか?」
「そう。中々信憑性あるような内容でしょ、貴女もしっかり乗ってくれたおかげでメディスンも信じてくれたわ」
「いや、それはあいつがまだ何も知らないから……」
「メディスンはきっと、あの伝承を語り継いでくれるわ。そして幻想郷中にサンタクロースの知られざる悪名が轟き、クリスマスは一転、悪魔の祭日と成り果てる」
「冗談よね?」
「冗談よ」
「とにかく、”血染めのクリスマス”はもうこりごり。今日はいつもみたいに咲夜の作った料理を囲んでパーティーでも……」
「お姉さまー、遊びましょう! 昨日の続き!」
「……ちょっと、フラン!? お遊びは昨日でおしまいだったはずじゃあ――」
「パチュリーが許可してくれたの、今日だけは好き勝手やっていいってさ! だから思いっきり遊べるわね!」
「クリスマスプレゼントよ」
「ちょ、いらない、いらないから! どうしてもうちょっとこう、穏やかなものにしてくれないの!?」
「愛ゆえに」
「はぁ!?」
「私は妹様のことを想い、レミィのことを想ってこのことを許可したわ。普段中々構ってやれないんだから、今日ばかり姉妹水入らず、仲良くやってちょうだい」
「おい、ふざけるな! このままじゃあ私貧血で干からびる――」
「お姉さま、よそ見は駄目だよ? もっと本気でかかってきてよ!」
「ああ――ままよ! 分かった、やってやる、やってやるわフラン! “血染めのクリスマス”第二幕は、あんたの血で紅魔館周りの雪を真っ赤に染めてやる! 覚悟しなさい!」
「あはは、いいね、やってみなよ! 今日の私は容赦しないよ、お姉さまの全部を壊してあげるから!」
「パチュリー様、さっきから地鳴りが止まず埃が舞ってばかりいるのですが、何が起きているのです?」
「気にすることは無いわ咲夜、これが流行の最先端を行くクリスマスの楽しみ方よ」
12月は白色をしていた。
1年を通して塗りたくったカンバスを、私たちは新しくしなければならなかった。破けた障子を張り直したり、箪笥の裏や底にひっついた塵を払ったり、小さすぎて着れなくなった服を、捨てたり。
私たちが忙しく往来している横で、自然は静かに終わりと始まりを迎えようとしていた。
春に夏に秋に、私の瞳の奥を刺激してやまなかった草木は、花々は枯れてしまい、土気色の地面は真っ白な雪に覆われている。淡い灰色の厚い雲が窮屈そうに空を流れ、月のような、太陽の白い点が浮かび上がっている。頬を指す冷たい風には心が無いみたいだ。
私はかじかんだ指先に息を吐く。手袋をしているはずなのにすっかり冷え切った指先は膨らんで、指と指とがくっついているような感覚がした。痛みすらも感じる。
「うー、寒い寒い! 凍傷で指先がもげてしまうわ!」
「そんな馬鹿な……そんなに寒いんだったら、ほら。手、貸してあげるから」
鈴仙はそう言うと、私の手を引き寄せそれを握った。
彼女も手袋をしているから、温かみがよく分からない、と私が言うと、ちょっとムッとした表情を浮かべながらも私の手をきゅっと強く、優しく握り直してくれた。暖かさは変わらなかったけれど、ちょっとだけ嬉しくなる。
里に暮らしている人間たちの姿を、私は道すがら目で追いかけた。
軒下で談笑している大人、雪玉を作って投げ合い、寒さも気にせずきゃあきゃあとはしゃぎ回る子供たち。犬は背に積もった雪を振り落とそうと、ぶるぶる身体を揺らしている。
彼らは、自然が色を変えていくのに合わせて、自分たちの色も変えてそれに溶け込もうとしていた。4月になれば4月の色に、7月になれば7月の色に、12月になれば、12月の色に。白い色に。
けれども――この頃ちょっと、その白が色づきつつあるのだ。
「見て、メディスン。クリスマスツリーよ」
鈴仙が指差す先を見ると、露店の脇に装飾過多な木が鉢植えに植えられて突っ立っていた。小さなランプが木を取り囲むようにして、目を凝らせば無骨な黒いケーブルが見える。枝の先には毬や人形、鈴が吊るされていて、何だか重そうに見えた。
「そうね」
「あら、不機嫌な返事」
「実際不機嫌だわ」
ツリーを眺めていたら、近づいてくるクリスマスが面白くなくて、私は鈴仙の手を引いて早く用事を済ませようと思った。
けれども、その用事というのも、クリスマスケーキを注文するというもので、不快感を通り越してやるせない気持ちになる。最近は何につけてもクリスマス、クリスマス、クリスマス……
「クリスマス……かぁ」
私のつぶやきは白い吐息になって、里の中にふっと消えていった。
白かった12月が、ツリーに飾られたアクセサリーや、ケーキの甘さと、にぎやかにラッピングされたプレゼントによって染まっていく。クリスマスが近づいてくる度に、その色は濃く、白は薄れていく。それと一緒に、浮き足だつ皆をよそに、私は一層憂鬱な気分になっていった。
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幻想郷は白色をしていた。まっさらなカンバスに色々な人や物の手が、絵を描いていく。真っ白だから何色にも染められるんだ。
だから、クリスマスなんてものは、元はと言えば幻想郷には存在しなかった。
それが、どっかから来たらしい吸血鬼とその取り巻きであるとか、クリスマスがすっかり生活に根付いているらしい外の世界からやってきた神様であるとかが身内でこっそりクリスマスを楽しみ始めて、それから風の噂か何かで広まって、更にその影響か機械にご執心な河童がツリーライトとかいうものを発明しだすものだから、元々ただの1日でしかなかった12月25日は、すっかりクリスマス一色に染まってしまったのだった。
本当はイエスキリストの誕生日を祝う日なのだけれど、彼彼女のことは里の人間はじめ私もよく分からないから、クリスマスとは、ピカピカ輝くツリーやもさもさするモールで家を着飾って、骨付きの大きなお肉とかケーキとか食べて、よい子にプレゼントをあげる行事のこと……ということで周知されている。
そう、私の憂鬱の種はそこだ――プレゼントって、何だ。プレゼントって。
プレゼントはプレゼントでもクリスマスに贈るプレゼントは魔力を秘めた魔性の箱らしい。サンタクロースという老人が子供たちの欲しいものを聞き入れて、クリスマス前日の夜のうちに一斉に配りに行く。
やつは子供たちの欲しいものなら何でも、快く持って来てくれるのだとか。多分、子供たちは、何が欲しいかクリスマスのずっと前から考えて、一番欲しいものをお願いするのだろう。
でも、それが一番欲しかったものだったとしても――それをずっと大事にしてくれる保証なんか、全く無いのだ。
子供というのは好奇心旺盛で、すぐに興味が別の方に向いてしまうから。そのときは大喜びしたかもしれないプレゼントも、そのうち飽きて他の物が欲しくなってくるに違いない。
それなのに、あのもうろくじじいめ、そんなことも考えずイエスマンになって、子供たちにプレゼントを振り撒くなんて、どんな神経をしているのだろうか。
「すみません、クリスマス用のチョコレートケーキを100人前、お願いできますか?」
「……100人前、ですか?」
「ええ、竹林の兎たちの分も考えたらこのぐらい無いと……大丈夫ですか?」
「は、はい。大丈夫ですよ。でしたら、小分けにしておきましょうか、例えば10人前を10個とか」
「いえ、1個にまとめてもらえるでしょうか」
店員が目を泳がせながら、金魚みたいに口をぱくぱくさせていた。
100人前のケーキってどのくらい大きいんだろう。多分店員がうろたえるくらいだから滅茶苦茶大きいんだろう。輝夜とか喜びそうな気がする。
それならば、10人前に小分けにして妥協するわけにはいかないな、と私も思った。
「で、でもお客様。100人前となると非常に大きくなって、運ぶのに大変苦労されると思いますけど」
「それだったら大丈夫です。兎たちと一緒に運びますので」
微笑みを浮かべて鈴仙がそう言うと、いよいよ店員は大きく息を吐いて、唸った。迷っているのだろう。あと一押し、と言ったところだろうか。
「100人前ってほどだから、とびきり大きいケーキになるわね」
「ええ、おっきいわよ。永遠亭より大きいかも」
「そうだよね……食べてみたいなあ」
私の言葉に意を決したのか、店員は顔を上げると大きく頷いてくれた。「分かりました。やりましょう、やってやりますよ。子供の願いを壊すわけにはいきませんしね」
子供の願いというものは、たとえ無理難題でも大人なら叶えたくなる魔法の呪文らしい。
子供の願いだからって、特別に叶えてあげる必要なんかどこにもないと思うのに――でも、100人前のケーキを作ってもらえるのは素直に嬉しくて、私は鈴仙とこっそり視線を交わす。彼女はウインクをしてくれた。
「うまく交渉できたわね」
店を出て、鈴仙は一つ息を吐いた。「これで姫様や師匠にも顔向けできるかな」
そもそも姫様――輝夜が、クリスマスで賑わう世間を見かねて、私たちもクリスマスパーティーをやるわよなんて言うので、鈴仙はそのパーティのための買い出し係に任命されたのだった。
私に買い物は指示されなかったのだけど、鈴仙がつき合って欲しいと言うし、何よりちょっと楽しそうな気がしたから、こうして一緒について行くことにしている。
「まだ、飾り付けの道具を買わなくちゃ行けないんでしょう?」
「あー、そうだった……屋敷全体を飾りたてるのよね、持っていけるかしら」
今度は憂鬱そうな、重い息を吐いた鈴仙の横で、私はちょっと楽しくなっていた。飾り付けの道具は、私たちの見立てに任せるそうだ。永遠亭を着飾るには鈴仙の言う通り、いっぱい買わなくちゃいけないんだろうけど、それはつまり、色んな物が買えるというわけで。それを考えるとわくわくしてくる。
そうだ。私はクリスマスを楽しみにしている。
でも、クリスマスなんか来なきゃいいとも思っている。
どっちつかずで、ぐるぐるもやもやしたこの気持ちの根元は、多分、いや絶対あいつだ。クリスマスプレゼント。あれさえなければいいのだけど――
「ねえ、鈴仙」
「なに、メディスン」
「サンタクロースが来なくても、クリスマスはやってくるのよね」
私のそれは質問というよりは、確認に近かった。
私は100人前のチョコレートケーキを作ってくれるあの店員さんのことを思い、遠巻きに聞こえてくる鐘の音混じりの歌を聞いた。
それらは単に、私たちの中で始まって、私たちの中で終わってゆくもの。そう考えてみれば、サンタクロースの存在なんか、いてもいなくても支障は無いんじゃないか……私が無理に自分の都合のいい解釈にこじつけさせようとしているだけかもしれないけれど。
「ん、んー? そりゃあ、サンタクロースがいなくても、パーティは、出来る……かな?」鈴仙の返事はちょっと歯切れが悪かった。「でも、サンタのいないクリスマスっていうのも、ちょっと味気ないんじゃないかしら」
「なるほどなるほど」
別にサンタが来なかったところで、クリスマスに何か大きな問題が出るわけでもない、と。
鈴仙の言葉を心の中でもう一度繰り返し確認して、隣にいる彼女に感づかれないように、私はこっそりと頷いた。
これは多分、すべての捨てられた人形たちへの弔い合戦なんだ。サンタクロースが子供たちにふりまく夢や希望は、ツリーの煌めきや雪の純白で飾り立てられた、虚飾まみれの安物だってことを、この私が明かしてやる――。
ふつふつと湧いた使命感に駆り立てられて、こうして、私は、プレゼントが配られる前にサンタクロースを毒殺することにしたのである。
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「――サンタクロースについて、知りたい?」
「うん」
かちゃかちゃ。間を埋めるみたいに、小悪魔がテーブルの上に紅茶を置いた。
たちのぼる湯気からいい香りがして、私は淹れたてのミルクティーを飲む。角砂糖が3つ、ミルクたっぷり。口に含んでいるときはただ甘くて、飲み込むと静かに苦みが残る。一息吐くと、パチュリーは改まって私の方を向いた。
「どうしてまた、そんなことを」
「ほら、世の中クリスマスで騒がしいじゃない。私には何のことだかあんまりよく分からないし、勉強するいい機会かなーって」
「ふーん?」
サンタクロースを毒殺すると決めたはいいけど、やつがどこに住んでいるのかすら何も分からなくて――なんて馬鹿正直には言えなかった。クリスマスムード一色の幻想郷でそんなことを口走れば、周りを敵に回してしまいそうな気がしたから。
私はサンタクロースの情報を得るために、紅魔館の大図書館に来ていた。
ちょっとした自慢だけど、私はあの紅魔館とちょっとした縁があるのだ。以前にここのメイド長が、スーさんを紅茶の材料に使いたいと言ってきたことがあって、それからここの住人と私とは、顔を見知った仲になっている。
この大図書館も一生かけても読み切れないくらいの沢山の本があって勉強になるから、何度か前に訪れたこともある。
それで、ここの主であるパチュリーにサンタクロースについて書かれた本は無いか、訊いてみたのだが――私は軽い気持ちで訊いたつもりなのだけど、パチュリーの様子がどこかおかしい。さっきまで読んでいた本を閉じて、身体をこっちに向け、射抜くような鋭い目で私のことを見つめる。
「あらかじめ、忠告しておくけど」パチュリーは小声で、けれども芯の通った声で私に告げた。「サンタクロースにあまり関わらない方がいいわ」
「……どうして?」
少し雲行きが怪しくなってきたのを感じて、私も背筋を伸ばさずにはいられなくなる。「どうしても。私は忠告したわ……どうする? それでもやっぱり知りたい?」
う。
思わず、声が出た。パチュリーの眼を見つめていると、魔法でもかけられているみたいに体が重くなった。何だかサンタクロースのことを教えたくないような口ぶりだ。私の企みが見抜かれている、わけではなさそうだし、ここまでパチュリーが喋りたくない、サンタクロースって一体何者なんだろうか……私は怖いもの聞きたさに、余計話が聞きたくなってきた。当然、毒殺計画のことだってあるから、なおのこと後ろには引けなかった。
首を縦に振ると、パチュリーは溜め息を吐いた。「そう……」観念したようだった。目線を遠くに見やり、また一つ、息を吐く。しばらく無言の時間が続いた。気が張りつめていて、私は退屈だと思わなかった。やがておもむろにパチュリーが口を開く。
「フィンランドって、知っているかしら?」
「……知らない」
「外の世界にある、一年中雪に閉ざされた極寒の地よ。サンタクロースは、そこで生まれ育ったわ。何せ極寒の地だから、彼らは厳しい環境に立たされながらも生きてきたおかげで、強靭な肉体を手に入れている」
「そして同じフィンランドに生息しているトナカイという生き物を駆って、クリスマスの夜に子供たちにプレゼントを配るの。一晩で世界中を巡るのだから、トナカイの機動力は察しなさい。そして勿論、サンタクロースはここにもやって来る。――ねえ、おかしいとは思わない?」
「おかしい? どこが――」そこまで言いかけて、私はいつか何かの本で読んだことを思い出した。「――そうだ、確かここと外の世界の間には、ちょっとやそっとじゃ破れない結界が張られてあるのよね?」
パチュリーは首を縦に振った。
「それじゃあどうやってサンタクロースは幻想郷に……?」
「ぶち破るの」
「え?」
「トナカイの二本の鋭利な角は、幻想郷の賢者と博麗の巫女が作り出した二重結界を破ってここへやって来るわ。年末に結界の張り直しを行うのも大体はサンタクロースのせいなの」
「…………」
声が出なかった。
声が出ないってこういうことなのか。ただただ呑まれて、息をしていることすらも忘れてしまいそうな。甘くおいしくデコレーションされたケーキが、色とりどりのライトや装飾品に飾り立てられたクリスマスツリーが、どこか遠くへいってしまったように感じた。
どうやら私は、とんでもないやつを相手にしようとしているみたいだ――いや、でも、パチュリーのここまでの話を聞くに、凄いのはトナカイだけで、サンタクロースだけを見れば強靭な肉体しか話は出ていない。毒は内側から効かせるもの、まだ可能性はある……
「あら、メディスンじゃない」
重苦しい雰囲気でいたところに、若干不釣り合いな間抜けな声が響いた。もちろん口には出さない、何せ声の主が紅魔館の主、レミリアだったからだ。
ちょっと私より背丈が高いくらいの見た目少女の割に、その実500年以上生きている吸血鬼だと言うのだから最初は驚いた。けれども何度か一緒にいると、なるほどそれも頷けるくらいに彼女の行動には気品さがあって、主としての品格が漂っているように感じた。カリスマ、と言うらしい。
「――ああ、ナイスタイミングよレミィ」パチュリーは口許に笑みを浮かべてレミリアのことを迎えた。「今ね、メディスンにサンタクロースの話をしていて、丁度あの話をしようとしていたところだったの。折角来てくれたのだし、レミィ本人の口から話してもらえるかしら?」
「はぁ? あの話? パチェ、一体何のこと――」「隠しているのよね。貴女も随分と怯えていたものね、喋りたくないのも分かるわ。でもねレミィ、今こそ貴女の言葉が必要なの、あの日起きたこと、あの時見た姿を」
「――――」レミリアの耳元へ、パチュリーが何かを囁いた。私にはよく聞こえなかった。
私がよく分からないままに、レミリアは両の手を合わせる。「ああ、あのこと。あのことね」瞳を閉じる。再び開いたときには、彼女に先程までの困惑の色は無かった。
パチュリーが明け渡した椅子にレミリアが座った。足組をして頬杖をつく。両の真っ白い足が絡み合って、杖にもたれ晒された首筋。真っ赤な眼差しで私を見る。
「サンタクロースは」
「うん」
「凄腕のヴァンパイアハンターだった」
「なるほど」
聞こえてくる声が、私の頭の中で何度か反響しているみたいだった。私は情報に掻き回され呑み込まれて、落ちつくことが出来ないでいる。だからレミリアの言葉も、私は何の疑いも無くそのままそっくり飲みこんでしまったのだった。
「吸血鬼は神に背くもの、サンタクロースは神に敬虔な者。双方が相容れることは無く、私たち吸血鬼はサンタクロースの邪魔をしたし、サンタクロースはそんな私たちを亡き者にしようとしたわ」
「誇りと誉れに満ち満ちた血を、その身に宿した私たちを前にしても彼はたじろがなかった。何人もの同胞がサンタクロースに挑み、或いは刃を向けられ、そして圧倒的な力の前に散った――彼の衣服が緋色なのは、吸血鬼の深紅の血を一杯に吸っているから。何年経ってもあの色は黒ずむことはなく、いつまでも赤いままでいる」
「私たちは長きの戦いの末、サンタクロースに屈した――私たちはあの日、初めて土を付けられた。屈辱と言うものを知った。一抹の絶望をその身に感じた。これが、私の知るサンタクロース、一部の者しか知らない、夢と希望を振り撒く男の真の姿なのよ」
レミリアの話に一段落がついたところで、私は息を吐いた。肩がすっと落ちる。知らず知らずのうちに力が入っていたみたいだ。
どうしようと、私は困惑していた。サンタクロースが実はとんでもないやつだってパチュリーとレミリアの話からは分かったのだけど、話は霧のように広がるばかりで形を取ってはくれなかった。実感というものが無くて、それでもやっぱりクリスマスプレゼントが配られるのを阻止しなきゃと思ってる自分がいる。
もしかしたら、私が殺されるかもしれないのに――?
「ただ」レミリアがティーカップを手にし、口を付ける。テーブルの上には紅茶が3つ、いつの間にかレミリアの分を小悪魔が淹れてきたようだ。
「アイツの唯一の欠点は、人間だったということだ。すっかり髭を生やした老人になって、寿命には敵わないだろうね。今じゃ世界中にいるサンタクロースの弟子たちが、彼の代わりを任されている話さ。きっとこの幻想郷にも、彼の代理人がいるはずだよ」
「代理人?」
「そう。誰だかは知らないよ。サンタクロースは無闇に人にその顔を晒してはいけないからね」
そういえば、紅茶がまだ残っていることを思い出して、私はテーブルの上のカップに手を伸ばした。温くなったミルクティーを口に含むと、やっぱり甘くて、けれども温度を失ったそれは、ちょっとそっけなくも思えた。
♯
サンタクロースの代理人は中々現われてはくれなかった。それはそうだ、サンタクロースは無闇に他人に顔を晒しちゃいけないのだから。
紅魔館に行って、サンタクロースの話を聞いて、驚きこそしたが、今は彼もすっかり年の瀬で代理人に任せていると聞いてちょっとは安心した。望みが無いわけではないのだ。
あとはクリスマス前までに、その代理人とやらを探し出して毒殺するか、そこまでいかなくともクリスマスの間だけ気絶させないといけない。
ただ、その代理人を見つけることが出来ないまま、3日が過ぎてしまっていた。
今日は金曜日で、サンタクロースがやって来るクリスマス・イブは土曜日。つまり今日を入れてあと2日しかない。早く見つけ出さなきゃいけないのに、その気持ちをあざ笑っているかのようにサンタクロースの代理人は見つからない。
誰かに聞いても、分からないか、ちょっとずれた返答ばかり。どうしたらいいものか全く見当もつかなくて、私は途方に暮れていた。
今日の空は快晴だった。空気は冷え冷えしているけれど、太陽の光がほのかに暖かい。降り積もった雪の白さが眩しく、光に反射してキラキラ輝いていて、綺麗だ。木々の枝の茶色がすっかり雪の白に覆われている。
道の向こうで、人がこっちに歩いてくるのが見えた。白黒の衣服の間から見える金色の髪の毛、両手で雪のように白い大きな袋を背負っている。霧雨魔理沙だ。
一度は通り過ぎた視線が、再び魔理沙の方へと向かう。
白い袋に焦点が合う。かなり大きな袋だった。小さな子一人が余裕で入りそうなくらいに大きい。あんなに大きな袋の中に一体何が入っているんだろう、と考えて、思いつくことの出来るものが一つしかなかった。
……プレゼント!
「霧雨魔理沙!」
私は魔理沙に向かって一目散に走りだした。彼女は私が向かってきてもさして驚く様子もなく、普段のように私を出迎える。
「何だ、鈴蘭畑の人形じゃないか。そんな血気立ってどうしたんだよ」
「悪いけど死んでもらうわ!」
「……はぁ!?」
毒を吐き出す。スーさんがいなくなってから大分経つ。毒の濃さはスーさんがいた頃とくらべてちょっと薄くなってしまっているけど、それでも人間一人殺すのには何の問題もない。
「ちょっと待て、私お前に何か殺意持たれるようなことやったか!?」
「何もしてないわ」
「じゃあ一体何だってんだ、急に殺すとか、物騒な上に理不尽だぜ!」
「ええい黙りなさい! その大きな袋! その袋の中身は、子供たちに用意されたクリスマスプレゼント、あなたが世界中に存在するらしいサンタクロースの代理人が一人! 私の目は誤魔化せないわよ!」
「プレゼントとか代理人とかよく分からないが……」魔理沙は右手を袋から離すと、それを大きく広げた。「まずは落ちつけ! 私を置いて勝手に話を進めるな!」
地を蹴った私は、そのまま魔理沙の懐へ飛び込んでゆく。魔理沙はそれを避けようともせず、広げた右手で私を自らの胸の中へと迎え入れた。
私は毒を吐き出す、吐き出す、吐き出す……のだが、魔理沙の様子が一向に変化してこない。それどころか逆に、私の中の毒が枯渇してきて、私の方の気分が悪くなってきた。
「ど、どうして私の毒が効かないの!?」
「そこいらの人間より私は頑丈だぜ、キノコを食べているからな」
それでも私の毒を受けてケロリとしているのはおかしい。あの博麗の巫女ですら、私の毒に気分を悪くしたというのに。こいつ本当に人間だろうか。
しかし一気に形勢が逆転してしまった。私は魔理沙の腕の中で拘束されてしまっている。これから何をされるか分かったものじゃない。私は足をじたばたさせて脱出を試みるが、魔理沙は更に腕に力を込めてきて放そうとしない。
「く、離せっ、離しなさい!」
「そっちから突っ込んできて『離せ』はないだろう。また暴れたら困るからな、落ちつくまでずっとこのままでいさせてもらう」
「……分かった。言うとおりにする。落ちつく」気持ち悪いのにもいよいよ耐え切れなくなって、私は分散させた毒を身体の中へと引っ込めた。ちょっと頭が酸欠になったみたいにくらくらした。「落ちつくから、その代わりに教えて。その袋は何?」
「これか? これはアレだ、布地とか毛糸とか、人形を作るための材料ってやつだな――嘘は言ってないぜ、ちゃんと見せてやるよ」
そう言って魔理沙は私の拘束を解くと、両手で袋を抱えるように持ち直して私の前へと突き出した。
「開けてみな」
魔理沙の言葉に従って、袋の口を開いてみると、そこには確かに色とりどりの布地と毛糸が入っていた。どうやら魔理沙は本当にサンタクロースの代理人ではなく、私は勘違いをしていたようだ。折角見つけたと思ったのに、また振り出しか――私は内心肩を落とした。
「人形の材料、って言ったわね」ちょっと声の調子も落ちていた。魔理沙は再び袋を背負うと、苦笑を私に向けつつ返事をした。
「ああ。アリスの頼みでな。クリスマスプレゼント用に作る人形の材料を切らしたから買って来いってさ。そんなわけでここで時間を食ってるわけにはいかないんだ、アリスに怒られちまう」
――ちょっと待て。
クリスマスプレゼント用の人形をつくる?
まさか――――アリス・マーガトロイドこそが、『サンタクロースの代理人』?
「――魔理沙!」
私は、魔理沙に向かって叫んだ。大粒の雫が私の中に落ちて、波紋を浮かべ飛沫を散らし、私の気持ちを揺り動かす。数日間停滞するばかりだったそれにとってはあまりにも刺激的すぎて、興奮を隠すことが出来ない。
「今度はなんだよ!?」
「その袋の中に入れてほしいの!」
「い、入れる? お前を? 何のつもりだ?」
これを逃すと後は無いような気がして、興奮も手伝い私は魔理沙にずいと詰め寄った。
彼女の眼差しを捉えて離さない。些細な眼球の動きすらも確認出来るくらいに。
「いいから! 毒を撒いて材料を駄目にしないし、アリスの人形作りも邪魔しない。約束するから!」
半分くらいは嘘を入れておいた。
♯
「ねえ魔理沙、今どのあたり?」
「魔法の森に入ったところだな」
魔理沙の歩調に合わせて、振り子時計みたいに袋の中が前後に揺れる。袋に入って運ばれるなんて初めてだから、なんだかワクワクしている。これから間もなく重要な任務が始まるっていうのに。
「魔理沙魔理沙、アリスの家はまだかしら?」
「まだ森の中に入ったばかりなのに、そんなさっさと着くわけがないだろ。ちょっとは静かにしてな、近くまで来たらちゃんと教えてやるからさ」
私のお願いを、魔理沙は戸惑いつつも結局あっさりと承諾してくれた。
ただ「何か考えがあるみたいだが、まあお前だしアリスなら大丈夫だろ」という理由だったのが気に食わない。私だから、ってどういうことだ。私じゃあ何も出来ないというのだろうか。そんなはずはない――弱っているとはいえ自慢の毒は魔理沙に防がれてしまったけれど。
でも、私でもやるときはやるんだ。馬鹿にしないでほしい……そう言っても魔理沙はそうかそうかと、からから笑うだけだった。
それにしても、まさかサンタクロースの代理人がアリスで、クリスマスプレゼントが人形とは、いかにも私に退治してくださいと言わんばかりの組み合わせだ。
元々彼女のことは、幻想郷に住んでいる凄腕の人形師としてマークしていたが、まさかこんなシチュエーションで対峙することになるとは。彼女を倒し、クリスマスプレゼントを阻止して、その上私の支配下に置くことが出来れば、人形解放に一歩、いや何歩なんて数えているのも煩わしいくらいに前進するはずだ。
だから、絶対にしくじっちゃいけない――気持ちは昂ぶるけど、もちろんその分緊張もしていた。ちょっぴりどきどきが速い。
「見えてきたぜ、メディスン」
魔理沙の言葉に体が少し震えた。「う、うん」布越しに外の風景は見えない。真っ白だ。触るとひんやり冷たい、無機質な白。
ざくざくと、魔理沙が雪を踏みしめる音がすぐそばに聞こえてくるような気がする。私は黙って、あまり身動きを立てないように縮こまって、耳だけ澄ませる。
ざく、ざく、ざく、ざく。
ざく、ざく、ざく――――。
こんこん。
がちゃ。
「よう、頼まれたもの、買ってきたぜ」
「お疲れ様。ごめんね、面倒事を押し付けちゃって」
「気にするな、私とお前の仲だろう? それよりどうだ、間に合いそうか?」
「魔理沙が代わりに行ってくれたおかげで大分進んだわ。何とかクリスマスまでには終わらせそう」
「そりゃあ良かった。でもあんまり無理するなよ? いざ配るってなったときに体調崩しちゃあ元も子もないからな」
「うん、ありがと。――どうする? ちょっと部屋で休んでいく? お茶を用意するわ」
「いや、いい。私もちょっと帰ってやりたいことがあるからな。それじゃあこれ、頼まれたもの」
「はいはい」
がさがさ。
「――いっぱい買い込んだからな。重いぞ?」
「ん……大丈夫。手、離して」
ぎしぃ。
「よっ、と」
ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ、ぎぃ。
どさっ。
「……ふぅ。随分と買ったわね。思ったより重いわ」
「そりゃあな。頼まれたものついでにちょっとサービスしておいた」
「なにそれ」
「まあ開けてからのお楽しみだ。それじゃあ、私は行くぜ」
「ええ。ありがとう、魔理沙」
ばたん。
ざく、ざく、ざく――――――。
「…………」
音の流れが、止まった。
私は息を潜めながら、上を見た。袋のすぼまった口からアリスの家が見える。暖かな空気がそこから流れ込んでくる。どのタイミングで飛び出してやろうか、アリスが袋に手をかけたそのときか、もしくは感づかれるうちに一息にか……
――ぎしっ。
「……ふぅ」
――前言撤回、溜め息を吐いて安心した、この瞬間で仕掛けてみようと思う!
「メリークリスマース!!」
「きゃあ!?」
袋の中から私が勢いよく飛び出すと同時に、一気に視界が開ける。アリスはすぐそばの椅子に腰かけているところだった。すっかり油断していたのだろう、彼女は大きく肩を震わせ、目を丸くして私を見た。
「ちょっぴり早いけど、私からのクリスマスプレゼントだよ! 死ね!」
私は毒を撒き散らす。とにかくアリスが昏倒してくれればそれで良くて、とにかくがむしゃらに体内の毒を吐き出した。袋の中から飛び出して、テーブルの上に人形がいるのを見て、はっと思い出したのである。
アリスは両の指先一本一本を、まるでそれぞれが独立した意思でも持っているかのように動かし、複数体の人形を巧みに操る。人形なんか使われてしまったら――
アリスは驚きこそしたが、すぐに状況を呑んだようだった。テーブルの上の人形をけしかける。彼女が隙を見せたのはほんの一瞬だった、隙と言っていいのか分からないくらいに短い時間。私が袋から飛び出して毒を吐く、アリスが人形を操り、人形は銀槍を私の首元に突きつける。一連の動きがまるで予定されていたかのようにスムーズに起こっていった。
「ぐ」
毒の勢いが、弱まる。別に底を尽きたわけじゃなくて、自然とそうなってしまった。
アリスはやっつけるけど、そこにアリスの人形は含まない。目的の為に同族を倒すなんて、人間のやっていることと同じだから。
「邪魔しないで、お願い! 貴方たちは傷つけたくないの……」
そう懇願しても、人形はきっと私のことを睨み、槍を構える手に力を込めた。ちゃき、と、無骨な金属音が聞こえる。
説得したって駄目だ、この子たちは人形だけど、それ以前にアリスの人形で、見ず知らずの私とアリスだったらアリスの方を選ぶに決まっている。
だったら、倒さないと。倒さないとアリスには届かない、分かっているんだけど、身体が動かない。毒が、すーっと、私の中へと引き下がっていく。
駄目。私には、出来ない。出来ることと言ったら、多分、いや絶対私が人形に手出しできないと分かって彼女らをよこしてきただろうアリスを、精一杯睨みつけることだった。
「卑怯者……」
「おあいこよ。貴女も奇襲を仕掛けてきたでしょうに」
さっきは甲高い声で驚いていた癖に、落ちつきを取り戻したアリスときたらいたって冷静だった。どれだけ恨みがましく彼女を見ても、彼女の瞳は波風一つ立たない湖みたいに、静かだった。
沈黙を貫いている間、私はどうしようか頭の中で考えていた。傷を覚悟で彼女に飛びかかるか、あるいは、大人しくなったと見せかけてもう一度奇襲をしかけてやろうか。そしてアリスは、そうして思索を重ねた後の私の一手を待ちかねているみたいにじっとして、私のことを見つめていた。人形たちの切っ先は私の喉を捉えて離さない。
これじゃあ無理だな、と、そう思っているところは、ある。
さっきこそアリスは動揺してくれたが、すぐに行動を起こし私の攻撃を防いでやったから、こうして警戒しているのならなおのこと、私に勝ち目はないような気がする。地の利も相まって。
分かっているのだけど、ここで屈してしまうのは嫌だった。そんな気持ちが、今の私の沈黙を編んでいる。
「いつまでこうしているつもり?」痺れを切らしたか、アリスが溜め息を吐いた。「貴女が何のつもりで袋に紛れていたのかは分からないけど、今ちょっと時間が勿体ないの。まずはそのだだ漏れな殺意を引っ込めてもらえるかしら?」
私はアリスの言い付けどおり、中から湧き起こる淀んだ気持ちを――引っ込められなかった。かっこ悪かったのだ。悔しくて悔しくてその気持ちが抑えられなかった。奇襲までしかけたのに軽くあしらわれたことが悔しかった。サンタクロースをやっつけると決めたのにそれが出来なかった自分が悔しかった。
「とりあえずお茶を用意するわね」アリスがそう言って席を立つ。「それからクッキーでも用意しようかしらね、少し頭を冷やしなさい」そして指先をくいっと下へ向けると――人形たちは槍を降ろし、何事も無かったかのようにテーブルの上にちょこんと座ったのだった。
――甘い香りがした。
私は悔しかった。
アリスから優しい声をかけられて、暖かいレモンティーとクッキーを差し出された。
彼女は笑っている。私は悔しかった。もうさっきの出来事は気にしていないと水に流されたことが。これじゃあまるで、私のしたことは子供じみた可愛いイタズラみたいじゃないか。
悔しい気持ちは、まるで影みたいに、しばらく私について回ってきた。暖かいのに悔しい。甘いのに悔しい。美味しいのに悔しい――何度違った気持ちを湧き起こらせたって、その背後には悔しい気持ちが、黒々とした姿で伸びていた。
♯
私はアリスのベッドに腰掛けて、彼女が作ったクッキーを食べている。どんな色の気持ちでいても、美味しいものは美味しかった。中にチョコチップが入っていて、クッキーの甘さとチョコレートの甘さの両方が混ざってもっと美味しい。飲みこんだ後の甘く乾いた口には、控え目な甘さのレモンティーが良く合う。
一方アリスは、魔理沙が買ってきた材料を使って、せっせと人形を作っていた。耳を澄ませば針を縫う音が聴こえてくる。テーブルの上にはいくつかの人形、棚にも、同じような人形が何十体といる。さっき、私に槍を突き付けた人形――アリスが言うには半自立人形なんだとか――も、彼女の指示に応じててきぱきと動いている。
つまり私は手持ちぶさたで、別に帰っても問題はないのだけれど、帰らないでいる。サンタクロース毒殺作戦は失敗に終わった、アリス・マーガトロイドが代理人だったのは好都合だったが、人形を相手にしなければいけないとなると逆に私にとって分が悪かった。これからまた、人形を盾にしてくる外道と出会うかも分からないから、対策を作っておかなきゃいけない。
しかし、今回のところは諦めるとしても、このまま何もしないで帰るのは気が進まない。
人形である私には、自分の作った人形をプレゼントしようとするアリスのことを、監視する権利がある……と思っている。だからこうして、私はアリスの様子を眺めながら居座っている。彼女も私が帰らないことには何も言わないみたいだし。
「ねえ」何体目かの人形を作り終えて伸びをして、そのままアリスは私の方へ顔を向けた。「落ちついたのなら訊かせて欲しいんだけど」
「なあに。まだむしゃくしゃしてるけど、クッキーのよしみで答えたげる」私は何枚目かのクッキーを齧った。
「どうしてあんなことしたわけ?」
「あなたがプレゼント配るのを阻止したかったからよ」クッキーを咀嚼して飲みこんで、私は答える。「子供にプレゼントしたって、あいつら最初こそは喜ぶかもしれないけど、移り気だから。すぐ捨てられて新しいのが欲しい、なんて言うに決まってるわ」
「ずっと必要としてくれなかったら、プレゼントするのは無駄?」アリスはまた作業に戻って、言った。私は頷く。最後の一枚になったクッキーを掴んだ。
「捨てられてしまうのは悲しいことよ。あんな思いを味わうのだったら、誰かの手に渡らない方がましよ」
「説得力があるわね」アリスは笑って、でも、と続けた。「あなたが捨てられたからこそ、私はあなたに出逢えたのよね」
空になった容器を、私はテーブルの上に置いた。
アリスの言っていることは正しい。私は捨てられていなかったらここにはいなかった。それじゃあ、捨てられていなかったら今頃私はどうしていたのだろうと思っても、今の私では想像のつかないことで、どれだけすっかり私がここに馴染んでいるのかが分かる。
けれども、だからと言って捨てられたことは結果として良かったことだったんだと認めるのは、何だかアリスの口車に乗せられているような気がしてならなかった。
「私は捨てられてもスーさんが助けてくれたから」アリスを見やる。彼女は滑らかな手つきで針を操り、糸を踊らせている。
「人間に捨てられた人形の辿る末路は、ほとんどが朽ち溶けるか、野鳥についばまれるか、燃やされるか、そんなものよ」
ふと、ぞわっと、嫌な思い出が身体の中を舌でなめずる。
私の持ち主だった人間との記憶。どんな顔をしていたのかも、私がどんな風に捨てられたのかも、もやもやしていて忘れてしまっているけど、その気味の悪い気持ちだけはしっかりと残っていた。
今まで受けていた愛情は欺瞞に、並べ立てられる綺麗言は人間の意地汚い心を映し、尖った刃になって私の体を滅多刺しにする。愛する人を、また愛される人を失った人形の喪失感が分かるか。そんな二言三言の言葉で流されてたまるか――。
自然と掌に力が入る。それでもやっぱりアリスはただ淡々と人形を作るばかりだった。歪んでいるだろう私の顔を見ることもしないで、そもそもいることにも気づいていないかのように。
「――永遠の愛なんて存在しないわよ」
それでも。
アリスの口から出る言葉は、決して雑なものではなく、そっと私を抱き締めているかのように柔らかかった。
「愛し、愛されることは、同時に別れのリスクを背負うことよ。一緒にいるということには、少なからず別れの可能性が秘められているからね。だから、いつまでも愛情を得られる保証なんてどこにもないのよ」
「いつまでも愛情を得られる保証なんてない、ね。それでもあなたは今こうして人形を作って、人間にプレゼントしようとしているわ。あなた曰く、いつか捨てられるかもしれない人形を」
「私は」アリスの声に、若干感情が混ざった、ような気がした。「捨てられると見越して人形を作ったことなんか一度も無いわ」それでも、彼女は人形を作る手を止めなかったんだ。
「私は人形が好きだから、自分の魔法に人形を取り込んでいる。自分の使うもの全てを――それこそ武器であっても――人形にしてしまいたいくらいに人形が、好き。だからホントのところ、いつまでも大事にしてほしいのよ、人形をプレゼントした子供たちには」
アリスの言葉を聴きながら、私は彼女の指をじっと見ていた。彼女の手つきは、一切の無駄がなくて、けれどもよく見るとただ淡々とこなしている様子ではなく、ただただ柔らかく、紡いだ一つ一つの縫い目に愛でも込めているかのようだった。
それを見て、私はああ、と思った。彼女の言葉が、波紋すら立てず静かに、私の中へ入り込んで透明に溶けていった気がした。同じ香りが、したのだ。彼女も私と同じように、捨てられた存在なんだなあ、と。彼女はただ人形を消費し捨てるだけのやつだと思っていただけに、ちょっと意外だった。
「子供の頃は色々な事に関心が向かうから、どう言い聞かせたっていつかは愛想を尽かしてしまうのよ。分かってはいてもちょっと寂しいわ」アリスが苦笑を浮かべる。「せめて、忘れないで欲しいな。埃を被らせないで欲しい、それだけでも人形たちは喜ぶと思うの――どうかしら?」
「どう……なんだろ」そんなに細かく考えていなかったことに、私は今になって気づいた。目指せ人形解放、人間は蹂躙するべき悪。そんなことだけ考えて動いていたような気がする。どこまでが人形にとっての幸福で、どこからが悲しみなのか、しっかり決めておかなかったから、こうして線引きを示されて答えあぐねてしまう。
「そうなの、かな? 忘れないでい続けるのが、人形に対しての最低限の敬意、かしらね。もちろん、ずっと傍に置いて欲しいのが本音だけど」
「そうよね、そうなのよね。出来ることならずっと一緒にいて欲しい。けれどもそう無理に子供たちに言い聞かせるのもそれは違うと思うし……」
うーん、と、アリスが唸る。そっちに頭を傾けているせいか、若干作業のスピードが緩やかになった。彼女の考えには、私も同意だった。無理矢理押し付けて得られた愛は、それは文字面だけの愛だろうし、そんな愛情だったら貰わない方がずっとましだ、と思う。
それじゃあ、押し付けるのではなく、促してみたらどうだろう。人形にも人間と同じ意思があること、捨てられたら寂しくなること、私たちのことを忘れないで欲しいこと、それらを伝えてやって、人形の大事さを教え込むのである。そしたら、大人になった子供たちが自分の息子へ人形の大切さを説く、そしてその教えを呑み込んだ息子たちが自分らの子供へ……最終的に幻想郷は、人形が自分らと同じ身分だと信じる人間で溢れ、人形の地位は確立される。
待て、これってとても画期的な作戦じゃないだろうか。
達成されるまでとても時間がかかってしまうのが問題点だけど。しかし純粋無垢な子供の言うことには大人も童心に帰ったみたいに首を縦に振るものだ。第一、人形に対する見方を改めさせることに、人形解放へのデメリットは何一つとしてない。
これだ――クリスマスプレゼントを発端とした、子供たち洗脳計画。プレゼント阻止は失敗に終わったが、それを上手く利用して自分に有益な計画を立てる。この時ばかりは自分で自分の頭を撫でてやりたい気分になった。今の私、すっごく冴えてる!
「ねえ、アリス」
私はテーブルから身を乗り出して、アリスの顔に詰め寄った。
「なに?」
「クリスマスプレゼント配るの、手伝っていいかしら?」
「あら、中止するんだってさっきまで言ってたのに――もしかして、邪魔するつもり?」
「ううん、邪魔はしない。言葉通りの意味よ」私はくるくる回ってテーブル上の人形を持って掲げると、そのまま胸に抱き寄せてあげた。もぞもぞと私の胸の中で動いているのがなおさら可愛らしくて、自然と顔が綻んでしまう。
「気が、変わったわ」
♯
アリスはすごいな、と思った。
彼女はクリスマス・イブ当日の昼に全ての人形を作り終えると、更に余った素材を使って私用のサンタクロース衣装まで作ってくれたのだ。急ピッチで作ったはずなのに、大きさは私にぴったりだったし、一見数時間で繕ったとは思えないほど綺麗な仕上がりになっていた。
それでもアリスは疲れた様子をこれっぽっちも見せない。「全部終わってからゆっくり疲れを取るわよ」というのは彼女の談。そう言う彼女も自分用の衣装を羽織って、白い大きな布の袋を担いでいる。
昨日の快晴が、今日も続いていた。空を見上げると星が綺麗に見える。オリオン座が見えた。こないだ永琳から教えてもらったのだ、分かりやすい形で覚えやすい。雪は降ってはいるが、はらはらと桜みたいに蛇行しながら地面に落ちていく程度のもので、煌びやかな雰囲気に花を添えていた。
いつもならしんと静まる冬の人里の通りが、今日はいつにもなく賑やかだった。屋根に壁に玄関前のツリーに、とにかく一杯巻けばいいだろうと言わんばかりにツリーライトやモールがくくり付けられている。店先から漏れる音楽にはしゃんしゃんと鈴の音が混じって、人々は杯を交わしながら陽気にしていた。
「まったく、前日から豪く騒いでいるじゃない」
溜め息を吐くアリスだけど、その表情は別にまんざらでもないようだった。微笑を浮かべられるほどの余裕が彼女にはあった。さすが何度か経験済みなだけのことはある。
それじゃあ当の私はと言うと、緊張ですっかり肩が強張っていた。何せ通りの真ん中をサンタクロースの格好をして歩いているものだから、目につく人目につく人にことごとく話しかけられたり手を振られたりするのである。
中にはもうすっかりお酒で出来上がってる人もいて、やたら馴れ馴れしく頭を撫でたり、顔を近づけたりしてしかもお酒の匂いがつんと鼻を突き刺して、とにかく平静ではいられなかった。
「メディスン、また顔が強張ってる」それなのにアリスときたら、随分と落ちついている。
「あ、アリスはあんなことされて嫌とか思わないわけ!?」
「ん? そりゃあ限度ってものはあるけれど――今の私はサンタクロースよ。不機嫌に突っ返して相手の気を悪くさせちゃいけないわ。そんなことより……」
アリスは私の頬に指先を当てると、それをくいっと上へ釣り上げた。「ほら、笑顔笑顔。つまらない顔してると子供たちに笑われるわよ」
それでも緊張の解けない私が引きつった、ぎこちない笑みを見せる。何か違う。私は両頬をぐにぐにと揉んだり、何度か深呼吸をした後、もう一度笑ってみた。
「まだちょっと硬いけれど……うん、合格ね」そう言ってアリスはにっこりと笑った。「さあ、それじゃあ行きましょうか。子供たちが待っているわ」そんな笑顔で何か頼みごとされたら、何でもはいと言ってしまいそうな、それくらい綺麗な表情を彼女は浮かべていた。
子供たちは上白沢慧音が営む寺子屋に集まっていた。クリスマス会をやっていて、その中のイベントの一つとしてサンタクロースに扮した私たちがやってきてプレゼントを配る……という段取りらしい。
私たちが教室に入ると、子供たちはわっと歓声を上げて私とアリスに寄ってきて、しばらく私たちをもみくちゃにした。子供は容赦がない。随分と手荒な歓迎を受けたが、寧ろ酒で手癖の悪くなった人間のねちっこいそれより、あっさりしていたおかげで幾分か緊張も解けてくれた。
「みんな、メリークリスマス!」
「メリークリスマス!」
アリスの声に、子供たちが大きな声で返事をする。誰も彼もがニコニコしていて、アリスを見つめ、待ちきれない様子で大きな袋を眺め、それから――初めて見る私のことを興味津々な様子で、ひっきりなしに視線を寄越してきた。私は恥ずかしくなってうつむいてしまう。
「今年も一年良い子にしていたみんなに、プレゼントを用意してきたわ。それから――」アリスは私に目配せをすると、そっと私の背中を押した。「今日は私のお友達を連れてきたの。サンタクロースの卵として、今年は私と一緒にプレゼントを配ってくれるわ」
わーっと、子供たちから拍手が湧き起こる。そんな、いきなり前に出されてどうしたらいいか何が何だか分からなくて、私は慌ててアリスに視線をやった。アリスはただウインクをして、もう一度私の背中を叩いただけで、何も助けは出さない様子だ。
「あ、えーっと……」
子供たちを眺める。さっきまで騒がしくしていた癖に、今は随分と大人しかった。みんな私が何を言うかを待っているみたいだった。くりくりとした瞳が、一斉に私を待ち受けている。その素直さが、今は恨めしい。
とにかく、いつまでもだんまり決め込むわけにはいかない。何か話さないと――。
「さ、サンタクロースです。よ」
緊張のせいで舌が回らない。強張っているのが見え見えなんだろう「がんばれー」なんて声が飛んでくる。
違う、そうじゃなくて。私は純粋無垢な子供たちに人形の大切さを説くためにここへやって来たのであって、こんなカチコチな醜態を晒しに来たのではないはずだ――落ちついて、堂々と威厳を見せつけてやるのよ――私は一つ、深く呼吸をして、袋の中から人形を一体、取り出した。ぽつぽつと、子供たちから喜びの声が上がる。それを制して、私は口を開いた。
「実はね、この人形には私が魔法をかけておいたの。私たちの代わりに、みんながちゃんと良い子にしているか見ていてくれるのよ」
「だからね、どこかに適当に放り投げたり、埃をかぶらせちゃ駄目よ。捨てるなんてもっての外だわ」
「人形にも心があるの。しゃべらないし、動かないけど、みんなと同じで色んなことを感じている。だからね、そのことを絶対に忘れないで欲しい。忘れられちゃうのは、とっても悲しいことだから――」
私は、悲しかった――。
なんて言ってもきっと子供たちには分からないだろうな。
言葉にひとまずの整理をつけて、私は笑ってみせた。「――約束して、くれるかしら?」
「はーい!」
どっと、せき止めていた水が溢れ出すように、子供たちは大きな二つ返事で手を高々と上げてくれた。それを聞いて、私はふうと、小さく息を吐いた。ちょっと声が震えたけど、ちゃんと言えたことへの安心を半分と、私の話は、ちゃんと子供たちに伝わっているのかなという不安を半分ずつ込めて。
「はい、それじゃあプレゼントを配るから、順番にならんでね。たくさん準備してきたから、慌てないでちゃんと列に並ぶのよ」
アリスの声と共に、子供たちがわあわあ言いながら袋の前に並ぶ。騒がしいのに反して子供たちは文句も無く一列に並んでくれた。
私とアリスは袋の中から人形を一体ずつ両手で、そっと子供たちに差し出す。子供たちが満面の笑みを浮かべて、既にプレゼントをもらった子らの輪に入っていくのを眺めながら、サンタクロースも割といい仕事なのかもしれないな、と思うのだった。
「素敵なアドリブだったわよ」小声でアリスが言う。
「本当のことじゃない。魔法も思いも」やっと私も、自然な笑みで返せた気がする。
ぎゅっと魔法を込めて手渡した人形は、あっという間に私の手から子供たちの手へと、離れていった。最後の一体を手渡して、すっかり空になった袋と子供たちの腕の中に大切そうに抱えられている人形を見比べると、何だか胸の奥がきゅっとなった。
それから私とアリスは、子供たちの輪の中に入り、一緒に歌をうたったりゲームをしたりして遊んでから、寺子屋を後にした。
寺子屋を出ると、一気に疲労感が身体の中から噴き出て来て、私は大きな溜め息を吐いた。子供たちは随分とエネルギッシュで、終始振り回される羽目になった。あいつらの元気は一体どこから湧いて出てくるんだろう。
もう一つ、溜め息を吐いて、私はふと思った。よく考えてみれば、人里の子供たちと遊ぶなんて初めてのことだったな――帰り際には「また遊んでね」とか言ってくれていたし。悪い気はしない。
「ふふ、お疲れ様、メディスン」
「……子供の相手が楽なものじゃないと、身をもって味あわせて貰ったわ」
「子供が何を言っているんだか」んーっ、と、アリスが手を組んで伸びをする。「でも、流石に疲れたわね。ここ何日か働きづめだったし」
外は夜の色を更に濃くする一方で、それに応じてツリーライトの光が一層輝いて見える。人々の声は止むことを知らず、冷え込む空気に仄かに温い人肌が混じる。まるで暗闇に浮かぶ蝋燭の炎みたいに明るく、熱気を帯びていた。
ところで、そろそろクリスマスのメッキが剥がれて、ただのいつもの宴会という体が浮かび上がってきているような気もする。
「ねえ、メディスン」アリスはそっと私に身体を寄せた。「これから予定、入っているかしら? 手伝ってくれたお礼にささやかなパーティを開いてあげましょう」
「あ、いいわねそれ。お言葉に甘えちゃおうかしら」
幸運なことに、永遠のクリスマスパーティーは明日の夕方からだ。午前中に飾りつけをして、お昼には竹林の兎たちと一緒に100人前のチョコレートケーキを運ぶ。甘味処の明かりはまだ点いていて、臨時休業と札が吊り下げられていた。今この奥で、そのケーキが作られているのかな、100人前ってどれだけ大きいんだろうな――気になりだすと引っ込んでくれなくて困るけれど、ここはぐぐっとこらえてあげることにしよう。明日が楽しみだ。
アリスとの距離が近くなったのと一緒に、彼女の手に触れたので、そのままの勢いで私は彼女の手を握る。やっぱり、手袋越しじゃあ彼女の温もりは良く分からなかったけれど、胸の辺りがじんわりと暖かくなったような気がする。私のことを見て笑みを零したアリスの口許から、白い息が声と一緒に浮かんで溶けて行った。
プレゼントには一杯の愛が詰まっているんだ。
作った人の愛と、受け取った人の愛に囲まれて、プレゼントは幸福で溢れ返る。
だからこそ――全てを失ったとき、とても、とても深く暗い所に落ちていってしまうんだろう。
私の中にぽっかりと空いた、大きな穴。そこにかつて入っていたものは――さあ。愛だったのかしら。今はよく、分からないままでいいかなと、思う。いつかは人形解放のためにずっと賢くなって、分からなきゃいけないのだろうけど、それより目の前の楽しくて幸せなことを享受していたい。
様々な色で彩られた12月のカンバスを引き破るには、まだ、早いのだ。
★
「ああ、昨日は素敵な夜だったわパチェ。まさに貴方が掲げた”血染めのクリスマス”にピッタリの夜だったわ。皮肉っているの」
「そう? 何だかんだ言って楽しそうに妹様とじゃれていたわよねレミィ」
「自分の血で館を染めるのは本意では無いわ」
「元はと言えばレミィが、『今年のクリスマスは趣向を変えてみたいわ』って言ったことから始まっているのよ。”血染めのクリスマス”、まさに紅魔館にぴったりだと思ったんだけど」
「サンタクロースのでっち上げ話とか?」
「そう。中々信憑性あるような内容でしょ、貴女もしっかり乗ってくれたおかげでメディスンも信じてくれたわ」
「いや、それはあいつがまだ何も知らないから……」
「メディスンはきっと、あの伝承を語り継いでくれるわ。そして幻想郷中にサンタクロースの知られざる悪名が轟き、クリスマスは一転、悪魔の祭日と成り果てる」
「冗談よね?」
「冗談よ」
「とにかく、”血染めのクリスマス”はもうこりごり。今日はいつもみたいに咲夜の作った料理を囲んでパーティーでも……」
「お姉さまー、遊びましょう! 昨日の続き!」
「……ちょっと、フラン!? お遊びは昨日でおしまいだったはずじゃあ――」
「パチュリーが許可してくれたの、今日だけは好き勝手やっていいってさ! だから思いっきり遊べるわね!」
「クリスマスプレゼントよ」
「ちょ、いらない、いらないから! どうしてもうちょっとこう、穏やかなものにしてくれないの!?」
「愛ゆえに」
「はぁ!?」
「私は妹様のことを想い、レミィのことを想ってこのことを許可したわ。普段中々構ってやれないんだから、今日ばかり姉妹水入らず、仲良くやってちょうだい」
「おい、ふざけるな! このままじゃあ私貧血で干からびる――」
「お姉さま、よそ見は駄目だよ? もっと本気でかかってきてよ!」
「ああ――ままよ! 分かった、やってやる、やってやるわフラン! “血染めのクリスマス”第二幕は、あんたの血で紅魔館周りの雪を真っ赤に染めてやる! 覚悟しなさい!」
「あはは、いいね、やってみなよ! 今日の私は容赦しないよ、お姉さまの全部を壊してあげるから!」
「パチュリー様、さっきから地鳴りが止まず埃が舞ってばかりいるのですが、何が起きているのです?」
「気にすることは無いわ咲夜、これが流行の最先端を行くクリスマスの楽しみ方よ」
読み易いですし綺麗ですし、読み終えた後ほんわかしました。あと、メディスンもアリスも可愛くて可愛くてっ。
とても心地良いお話でしたっ。素敵だと思いますっ!
紅魔館メンバーェ……。
クリスマスという行事とメディスンのキャラ設定が上手く嵌まった話だと思います。
ケーキ職人のワンホールケーキ見たかった。
文体も非常に流麗で好感が持てました。もう一ヶ月早く欲しかったSS。
綺麗事でなく、そのままを伝えるアリスから、メディは心で理解できたんでしょうなぁ。
逆に淡々としているアリスからは、初めからメディに特別な思い入れがあったように思ってちょっと涙腺ゆるむ場面もありました。
これで一カ月早ければ・・・